1935年(昭和10年)、「大日本東京野球倶楽部」(現・読売の前身)という
チームが、職業野球として初めて米国に遠征した。 三原脩
(高松中・丸亀中
-早稲田大)や 水原茂
(高松商-慶應義塾大)ら19人の選手が参加し、
沢村栄治
(京都商高)がブレイクするキッカケとなった遠征として知られている。
米国遠征は4ヶ月の間に各地を転戦し、約110試合をこなす相当な強行軍
だったらしいが、その時の記録を記した書籍の一節にボクは興味をもった。
それは、今でこそ「花形」と言われるプロ野球選手だが、 当時の選手(「職業
野球」と呼ばれた)に対しての社会的な評価は、とんでもなく低かったこと
。
外国の地でしかも強行日程。心身がボロボロになりながら、それでも19人の
選手たちが懸命に野球をやり続けた理由。それは 「職業野球の明日を担う」
と
いう各選手たちのプライドが支えたのだという。
後日、水原がその時の振り返って、このように語った。
「周囲の事情としては、プロ野球に入るようなやつは就職もできない、どこの
会社も雇ってくれない、いわばやくざの道に入ったかのように軽蔑した目で
見られていた。そういうことがあったために、われわれとしてもよけいに男の
意地というか、よしっ、今に見てろ、この道でおれたちは成功してみせるという
真剣さがあった」
。
(『華麗なる反乱』、『日米野球史』波多野勝著・PHP研究所刊より引用)
球団創設75周年記念として、いま(7月7日~)読売巨人軍の選手が着用して
いるユニフォームは、ちょうどその当時(約1年間の違いはあるが)のものが
復刻されたものらしい。
◇ 三原脩
の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「岸孝之、川崎徳次、そして三原脩 」
(2009.5.13) →
こちら
へ。
※本文中、選手名すべて敬称略。
この記事は『ボクにとっての日本野球史』の中で、次の期に属します。
→ (第4期)「1925年(大正14年)、東京六大学リーグ成立、早慶戦復活時以降」
(第4期)に属する他の記事は以下のとおり。
◇ 「ボクにとっての日本野球史」
(2009.7.1) → こちら
へ。
◇ ボクにとっての日本野球史
の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「プロ野球、創設プラン」
(2009.7.5) → こちら
へ。
【NPB2021】斎藤佑樹が引退~15年前の後ろ… 2021.12.05
【NPB2020春】コロナ対応で12日にオーナー… 2020.05.05
【2017NPB】鵜久森淳志が代打サヨナラ満塁… 2017.04.02
PR
Keyword Search
Calendar
Comments