50代に向かって

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ひびきの不登校について

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 10月から学校をたまに休み始めていた。この頃の私は、息子に対して、ずるい、逃げるという気持ちでしか見て上げられなかった。そして、頑張るように必死にうながしていた。息子の気持ちをわかったつもりになっていた。そして、合唱コンクールの前日からまた少し様子がおかしかった。それでもつらかった合唱コンクールも感動の中で終了。学年優勝を飾ることができた。良い担任、良いクラスメートに恵まれたと思っていた私。
 しかし、学校を休むことが多くなった。そして、実は担任との関係がうまくいっていなかったことがわかった。この頃には食欲はまったくと言っていいほどなくなり、やせ細っていた。

2008年12月 ⇒ブログへ
 4日この日から息子は学校へ行かず「不登校」となった。
私は担任との折り合いが悪いことが原因の一つだと感じた。しかし、思春期という難しい年頃の人間関係についても息子にとっては悩みの種だったようだ。
 一方先生に対する不信感は募っていった。何を話しても否定的な言葉や考え方をする先生に対して、私はイライラしていた。それでも、先生を敵に回してよいことはないだろうと、先生に対して文句を言うことはしなかった。
 どうしたらいいのか全くわからなかった。苦しむ息子を前に何もしてあげられなかった。どう接してよいのかもわからなかった。息子がしたいことは何でもしてあげたかった。苦しみから解放したかった。どんなことでも知りたかった。息子の笑っている顔が見たかった。不登校を始めてから、食欲が戻りつつあったことと、私と話をしてくれることが私の救いだった。それだけが私の心の支えだった。

2009年1月 ⇒ブログへ
 3学期になれば・・・という小さな望みはあっと言う間に打ち砕かれ、引き続き不登校。
この頃から、私の考え方が少しずつ変わってきた。ブログを通して、そしてインターネットから情報や書籍などを読み漁ってきた中で私のあるべき姿がなんとなくわかりかけてきた。
 そんな頃、私の父、母、そして妹との間で言い合いがあった。そう、不登校をする息子のことを心配して、どうなっているのか、何かしてあげられることはないのかと。でも私だって何をどうしたらよいかなんてわからない。ただただ探している段階だった。でも母たちはみな待ってはくれなかった。ほったらかしでいいのか、学校と連絡をとっているのか、カウンセリングはどうなのかと、たくさんの質問と意見をあびせられ、私はがっくりしていた。身内の理解を得ることがこんなに難しいなんて。私を信じて、もう少し待って欲しい・・・ただそれだけだったのに・・・
 そして、初めてのカウンセリングを受けることにした。息子も一緒にと思っていたが、結局私1人で受けた。良い先生に恵まれ、今まで1人が抱えていたものを吐き出せた気がして、カウンセリングの後はとてもさっぱりした気分だった。このカウンセリングで、私は思春期と自立の意味を知った。

2009年2月 ⇒ブログへ
 不登校している息子・ひびきではなく、いぶきに対する私の対応も変わっていった。いぶきだって、ちょうど第一反抗期に入るとても大切な時期。ひびきとの関係で、私の対応の仕方がどのように自立を促すことなのかを少しずつわかってきた頃だった。いぶきが学校を1週間休んだときの対応は、私にしては自信をもった対応だった思う。
 少しずつひびきが自分の考えを話してくれるようになったのは、ちょうどこの頃かもしれない。そして私は、自分のために放送大学で勉強することを決意。ギリギリの申し込みだったけど、4月から入学できるように手続きを始めた。
 2回目のカウンセリングでは、理性と感情のバランスについて知った。この時、いぶきが一週間学校を休んだときの対応について、先生から褒めてもらい私の大きな自信となった。
 26日ひびきは1人で登校をした。休み始めてから初めての1人登校。給食の時間をねらっての登校だったが、私はとても嬉しかったことを覚えている。

2009年3月 ⇒ブログへ
 ひびきが14歳の誕生日を迎えた。三者面談に出かけたが、やはり担任とは私自身も不信感を募らせたままとなった。
 3回目のカウンセリング。魔女の法則を知る。そして、ひびきの不登校でのアピールが私と私の母との関係にも深く関係していることを知った。とても不思議な感じだった。

2009年4月 ⇒ブログへ
 進級し新しいクラスや担任に小さな期待をしながら、春休みを過ごした。4回目のカウンセリングで生きる力について教えてもらった。ひびきには生きる力がついてきていると。嬉しかった。そして同じように弟のいぶきにも同じように生きる力がついてきているとも。私が変わることで子どもたちにも影響が起きていると。
 そして、ひびきは始業式に朝から参加し、一日おいて授業を4ヶ月ぶりに受けることができた。すごく疲れたようだが。担任の先生も見守ってくれるタイプの先生でひびきも私もホッと安心できた。
 しかし、3日学校へ行ったきり、不登校は続いた。少しがっくりしたことを憶えている。クラスが変わり、担任が変われば、もしかしたら学校へ行けるかもと期待したのだろう。

2009年5月 ⇒ブログへ
 パソコンでネトゲへどっぷりはまり始めた。今までもパソコンでゲームはやっていたが、そのはまり方が顕著になったように気がしていた。
 この頃は修学旅行の時期。ギリギリまで悩んだ挙句、やっぱり行かないとひびきが決めた。私は本人がそれでいいならと全く本人に任せておいた。
パソコンにはまっている以外は、この頃のひびきはなんだか自信を取り戻しているように私の目には映っていたから。
 さて、5回目のカウンセリングでは、コミュニケーションの取り方を知った。ひびきはそれができるようになってきていると言われた。コミュニケーションの中でストレスを抱えるようになっていたことを知った。

2009年6月 ⇒ブログへ
 ネトゲにはあいかわらず、どっぷりはまり、昼夜逆転もバリバリでしたが、うちにいてはダメなんじゃないかとひびきが語り始めた。これにはびっくり。ただ行動にはまだまだ移せなかった。
 6回目のカウンセリングの時、私思い切って先生に尋ねた。最近のひびきの様子を知らせながら、ネトゲばかり夢中になって、最近外へ出かける回数も減っているが、これで大丈夫なんでしょうかと。すると先生はひびき目が確実に外へ向いていると教えてくれた。今はエネルギーをためている時期なんだと、ここが待ちどきだとも。

2009年7月 ⇒ブログへ
 相変わらず、ネトゲにはまり、昼夜逆転。たまに徹夜することもあった。でもフリースクールの話をしたら、自分でも調べ始めたので、見学に行ってみることにした。
 そして私の仕事では、9月異動の転勤辞令が出ました。突然の辞令でどうしたらいいか、私自身がわからなくなった。そんな中、7回目のカウンセリングを受けた。結局これが最後となった。

2009年8月 ⇒ブログへ
 いくつかあったフリースクールの中でも、比較的大きな規模のフリースクールを見学に行った。音楽活動を積極的に行っていて、コンサートをしたり、CDを出したりしていた。音楽好きなひびきは、とても気に入ったようで、フリースクールの生徒さんと一緒にいろんな話をしていた。私もここならひびきに合っているのかなと感じた。
 そして、転勤に伴い11月引越しすることを決めた。ひびきは、新しい学校での期待が一気に高まった感じ。アパートを見に行ったり、新しい場所でフリースクールも探した。お盆には、実家へ行き、ひびきは体を動かして、さまざまな手伝いを積極的にやっていた。

2009年9月 ⇒ブログへ
 相変わらずの昼夜逆転、たまに徹夜の毎日。友だちはみな部活動引退(中3だから)して、暇になったので、家に遊びに来るようになった。
 体育大会があったけれど、学校へは行かなかった。引っ越しに伴い、学校のアルバムなどどうするかという話になったが、いらないときっぱり断っていた。

2009年10月 ⇒ブログへ
 新しい中学校へ行ってきた。とてもよい印象。とても歓迎してくれて、今までのひびきのこともゆっくり話すことができた。教務主任、生徒指導主任の方が主に対応してくれ、この日から教務主任とFAXのやり取りをたまに交わすことがあった。
 そうかと思えば、相変わらずネトゲするばかり、言うことと行動が伴わない日々が続いた。口では前向きな発言なのに、行動は昼夜逆転で何も変わらなかった。
引越し当日、10人ほどの友達が見送ってくれ、名残惜しそうに何度ども振り返っていた。

2009年11月 ⇒ブログへ
 新しい学校へは3日間なんとか通った。学校へ行きたいそう思っていても、なかなかうまくいかない自分に、自分でがっかりしている感じだった。友だちが何を思っているか考えるとこわいと。このころの睡眠は12時間~13時間で、死んだように寝ている、もしくは起きたくないという感じを受けた。
 しばらく学校に行かない日が続いたある日、徹夜明けで、突然学校に行ったことがあった。体育で、持久走2000mのうち800mだけ走ったと聞きびっくりした。その様子を多くの先生が見ていて、頑張っていましたと連絡を受け、優しい学校なんだと感じた。

2009年12月 ⇒ブログへ
 先生に進められ、長期欠席者のための高校入試説明会へ参加した。電車で1時間ほどかかる場所だったが、校長も不登校経験していると心境を話してくれた。良い印象だったが、ひびきは今はまだいいやって感じだった。このとき、私は高校進学を無理にする必要はないかなと感じていた。
 ちょうど不登校を始めて1年経った。高校へ行くことでひびきプレッシャーをかけているかもしれないと感じた私は、高校へ行かず、家の中で自分ができることを探してみようとひびきに提案した。

2010月1月 ⇒ブログへ
 年明けて、家事全般をやるようになった。朝起きれたときは、食器の洗い上げ、ゴミだし、洗濯干しをやったり、夜は風呂掃除、洗濯たたみ、昼間時間があれば掃除など。自分で考えて、動くことができるようになり、買い物や料理にも挑戦するようになっていった。
 生活はまだまだ不規則だったが、家族の中で自分の役割を見出せたようだった。いぶきもそんなひびきを自慢に感じていたようだ。

2010年2月 ⇒ブログへ
 だんだん朝起きられるようになってきた。卒業式や3月お別れ遠足には行かないと決めた。料理の腕が確実に上がり、自分でレシピを見ながら、メニューを決めて作れるまでになっていた。

2010年3月 ⇒ブログへ
 朝起きが定着しつつあったので、ぱじゃまから洋服に着替えるように提案してみた。このころから、中学校の教務主任に電話をかけ、近況報告をしたり、学校へ行き、校長、教頭、担任、教務主任などと話をしたりしていた。ひびき、15歳の誕生日。外へ出たい気持ちが沸いてきたのかもしれない。
 同級生はみな高校受験中でした。そして、不登校生だけの追加の卒業式に参加し、校長室での小さな卒業式だったけど、温かさのある良い卒業式だった。

2010年4月 ⇒ブログへ
 学校というしがみがなくなったからなのか、私自身、気持ちが楽になったのかもしれない。何を焦ることなく、待てるようになったのかもしれない。ひびきは引き続き家事をこなし、好きなゲームをとことんやって、すごしていた。
 いぶきが中学生となり、部活を決めた。ずっと続けていたスイミングを辞め、吹奏楽部に入部。ひびきが喜ぶと思ったが、関係ないといった感じだった。

2010年5月 ⇒ブログへ
 何年かぶりに、遠くの親戚の家に遊びに行った。ひびきの提案だった。出かけるとき、おにぎりを作ってくれたのは、ひびきだった。3人で旅行することがなかったので、とても楽しかった。
 このころ、吹奏楽部だった頃の先輩と会ったり、吹奏楽部の定期演奏会に出かけるようになった。吹奏楽はもうやることはないときっぱり言っていたが、やっぱり続けたいのかなぁと感じたものだった。
そして「友だち欲しい」「高校行きたい」と言い出したのも、この頃だった。自ら中学の教務主任に相談して、定時制高校の受験を考えるようになったが、その高校の説明会には出かけることができなかった。


2010年6月 ⇒ブログへ
 何かしたい、変わりたい、でも何を、どうしたらいいのかわからないようなひびきの態度に背中を押した方がいいのか、迷った時期。定時制高校に本当に行きたいのだろうか、無理してそう言っているだけなのかもしれないと、思いをめぐらせた。
 そうして2回目の定時制高校の説明会にひびきと二人出かけたのだった。

2010年7月 ⇒ブログへ
 ひびきの意思が固まった。8月に受験する。何度も何度も話し合いをして意思を確認した。本当にそれがひびきの望むことなのかと。
 しかし、勉強はなかなか始められなかった。私がイライラする日々。勉強しなくちゃ、受かるわけない。やっと動き出したと思ったのに、行動が伴わないではないかと。それでも、願書書き方を中学の先生に教わりに行って、全て自分でそろえていた。私か手を出そうとすると「今回は俺が決めて、俺が全部自分でやらなくちゃいけないんだ。自分のことだから。」そう言われた。

2010年8月 ⇒ブログへ
 少しずつだが、エンジンがかかったようだった。もうここまできたら、任せるしかない。だまって、見守るようにした。
 そして、初めて「俺、やっぱりトロンボーンやりたい」と言った。ずっとずっとやりたかったんだよね。ひびきの心の声を聞けた気がして、すごく嬉しかった。
 このころは、高校生になりたい。高校生になったら、こんなことできるかな。あんなことできるかな。と夢膨らませていた。人と触れ合いたいと仕切りに言うようになる。
 そして、受験。無事終了。そして、不登校していた中学校へ足を運んだ。吹奏楽部に足を運んだ。「母さん、俺 気持ちの整理がつきそうだよ」

2010年9月 ⇒ブログへ
 1日「サクラサク」



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