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[昨日からの続き](後編)第四期 再び森田の勉強を始める~現在学習塾で教えるためには教える分野をあらかじめちゃんと理解しておかなければなりません。そのために算数や数学の教科書を買い込んで勉強をはじめましたが、低学年用のやさしい算数の教科書を読んでもまたぞろ不完全理解感に苦しめられました。それをそのままにして次の行や次のページに進めばいいのですが、どうしてもそれをなくそうとするはからいをやめることができません。入会して十一年になっているのにこのありさまです。私はいよいよ焦りを感じました。「自分はこのままずっとこの先、死ぬまでこのような状態で生きていくのだろうか。」と思うと、またまた机で頭を抱え込んでしまう日々が続きました。そんなある日、一九八一年(昭和五六年)の秋でしたが、本当に久しぶりに何気なく発見誌を手に取り、体験記を読み始めました。その内容はがん恐怖をどのように乗り越えたかという主婦の方の体験でしたが、読み終えて私は非常にショックを受けたのです。それは、森田理論が素晴らしく体系化されていて、まるで偉大な建造物でも見るかのように思われたからです。私より五年も十年も遅れて入会されたかたが、森田理論学習と実践によって私よりも早く立ち直っていくのを目の当たりにしたからでもありました。自分に対して非常に情けなさを感じると同時にこのままではだめだと競争意識も湧いてきました。「かかとを踏んで迫ってくる後進」ということばがありますが、かかとを踏まれるどころか、自分をはるかに追い越して先方を走る後進の姿が見えました。それ以来、私は何とか立ち直らなければいけない、森田の勉強と実践によって立ち直ることができるかもしれないと思いました。発見誌は毎月一ページも欠かさず、すみからすみまで読み通すようにしました。その半年後、一九八二年(昭和五十七年)の二月から岐阜集談会に出席し始め、一年間無欠席で通しました。十年間のブランクのあとにようやくまた新しいときがやってきたわけです。それからも、なるべく発見会活動に参加しようとして東海地区一泊学習会・三ヶ月基準型学習会・足柄寮での四泊五日合宿学習会などに参加し、自分の心のありさまをかなり客観的に見ることができるようになりました。その間も学習塾を開くために数学や英語の勉強は続けました。苦しみながらも少しずつページは進んでいきました。毎日小さな恐怖突入を繰り返していったような気がします。特に強迫観念の人は行動が湿りがちですから毎日少しずつでも恐怖突入を繰り返すことが肝腎ではないでしょうか。継続は力なり、です。こうして、さまざまな行事に参加して相当心が軽快になり、自信もついてきましたので思い切ってとある学習塾へ転職しました。一九八三年(昭和五八年)の冬のことでした。この学習塾では塾の経営の仕方を含めていろいろ勉強することができてありがたかったのですが、何せ土曜日曜に授業をするという塾でしたのでどこの集談会にも出席できなくなってしまいました。しかし一九八八年(昭和六十三年)一月、S理事(当時)のご努力で名古屋水曜集談会(最初の数年間は懇談会)が発足し、また集談会に出席できるようになり、それから十五年間、名古屋水曜集談会とともに歩んで現在に至っています。なお、一九八九年(平成元年)三月、独立して学習塾を始めました。欲望と不安ところで、岐阜集談会に出席し始めて四、五回目のころだったと思いますが、休憩時間のときに隣に座っていたOさん(家庭の主婦、不潔恐怖)が、「Water2046さんは、強迫観念になる前は勉強が好きだったんでしょう?」と話しかけてくれました。(Water2046、驚いて)「ど、どうして分かるんですか?」(Oさん)「私も不潔恐怖になる前は洗濯が好きで好きでたまらなかったから。」お聞きすると、Oさんは、とても洗濯好き、家族の衣類が洗濯によって白く輝くのを見るのがたまらないほど好きだったそうです。ところがあるとき、干してあった洗濯物を取り込もうとしてそのうちの一枚をうっかり床か地面に落としてしまいました。あわてて拾い上げましたが、それがすっかり汚れてしまったような気がして、もう一度洗いなおすことにしたのですが、その後、洗ったものがすべて不完全に思えて同じ洗濯物を納得するまで一日に何度も何度も洗い直すという強迫行為を繰り返すようになってしまい、そのために洗濯機が一年で壊れてしまって、ご夫君にしかられてしまったとのこと。私はこの話を聞いて、「不安は欲望の半面であり、欲望が強ければ不安も強い。」という森田の教えを目の前で見たような気になりました。私流の言い方をすると、「(強迫観念に陥る場合、)欲望の一番強いところに最初の不安が現われる。」ということになります。自分のことはなかなか目には見えません。人から聞いてよくわかりました。そうか、「勉強好きの勉強嫌い」のからくりはこういうことだったのかという感動は大きいものがありました。このとき、私は生涯、集談会に出席しつづけようと決心した次第です。「~好きの~嫌い」の~のところにご自分のとらわれを当てはめてみると欲望と不安の関係がよく分かるのではないでしょうか。強迫観念が「生涯の友」へ私の数学恐怖はその後どうなったかということをお話しておきましょう。前述のとおり、森田の学習と実践によって、強迫観念のほとんどは治りました。数学恐怖も相当の軽快感を得ることができました。しかしどうもまだスキーの板を履いて街中を歩いているようなもどかしさといいますか「もたもた感」を常に感じていました。そこで、あるとき名古屋水曜集談会の理論学習の最後に行われるミニ総括のコーナーのときに、思い切って「実は今まで一度も口に出したことはありませんが、まだこういうことに悩んでいます。」と、数学恐怖のことを話してみました。そうしたら意外にもすんなりメンバーから受け入れられたのです。そのことでさらに一層心が軽くなるのを感じました。そののち、塾の授業のときにこんなことがありました。小学生に算数を教えていて、ふっと思いました。「この子らに微積分の教科書を渡したらどうだろう、理解できるだろうか。」もちろん普通の子どもでは理解できません。「いくらその意志があっても理解には段階が必要だよなあ」と思ったとき、待てよ、このことば、どこかで聞いたぞ。そうです。行動の原則第十番「理想は高く、実行目標はこきざみに。小さな成功を積み重ねること。」、でした。この中で「理想は高く」に改めて注目してみました。これまで私はこの部分を否定しようとしてきたのです。しかし否定しないでもいいのではないか、むしろ理想は高いまま、理解の段階をこきざみに設定してその段階ごとの理解をめざせばいいのだということにようやく気づいたのです。このように勉強恐怖・数学恐怖の人間が子供たちに勉強を教えるというのは毎日がまさに恐怖突入であったのですが、教えるということを通してずいぶん多くのことを教えられました。立ち直っていけたのは子供たちのおかげでもあると思っています。授業は第二の集談会でもあったようです。数学に対する不完全理解感はこれからもなくならないでしょう。それでよいのです。しかし、生涯の友になりつつあります。それはつまり、適度な不安という友、転ばぬ先の杖という友です。森田ではよく言われることですね。結び今年で会員歴三十三年になりますが、私はこれからも生活の発見会のメンバーとして集談会に出席していきたいと思っています。このことしか私が受けた恩恵をお返しすることができませんので。最後に、故水谷先生、故長谷川先生をはじめとして多くの先生方にはたいへんお世話になり、またご指導を受けました。この場をお借りして深くお礼を申し上げます。また、この社会を不器用に、四角く、わがままに生きてきた私を受け入れてくれた妻と三人の子供たちにありがとうと一言言って拙稿を閉じさせていただきます。どうもありがとうございました。以上になります。お読みになっていくらかでもお役に立てば幸いです。
2015年10月04日
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ハンドルネーム Water2046 の森田神経質の体験談を再掲載します。これは2003年12月号の発見誌に掲載されたものですので年齢は56歳時点(12年前)になります。いわゆる神経症・神経質症は、そのままの表現になっていますが、森田神経質と言われるものと同じです。======ここから========================================勉強恐怖を乗り越えて学習塾経営へ(前編)強迫観念との長いつき合い私の強迫観念はちょっと一風変わっておりまして、読書恐怖あるいは勉強恐怖の一種で、数学(他に英語や理科でもそうですが)に対する不完全理解恐怖とでも言うべきもので、不完全恐怖のひとつとも言えるでしょう。他の神経質症はほぼすべてクリヤーできた後もこれだけはなかなか良くなりませんでした。頭の中ではどうすればいいのかはよく分かっているつもりでしたが、実際には数学の教科書や参考書などを読むとどうしても不完全理解感が起こってくるのでそれをなくそうなくそうとはからってしまうのでした。また、私のとらわれがちょっとマイナーなものに思われて、他の人に「実はこのようなことに悩んでいます。」ということをなかなか言い出すこともできませんでした。話しても理解してもらえないんではないだろうか、こんな悩みは自分ひとりではないんだろうか、などマイナス思考が頭の中を渦巻くのでした。しかしこのたび、投稿の機会を与えられ、もう五十台の後半、自分を振り返るいいチャンスではないかと、思い切ってこれまでのことを四つの時期に分けて書いてみることにしました。第一期 神経質症に苦しんで森田を知るようになるまで第二期 森田を知り、就職するまで第三期 生活の発見会の会員でありながら何の活動もしなかった十年間第四期 森田の勉強を再開してから集談会に積極的に参加して現在に至るまでただし、紙数の関係で第一期から第三期までは簡単な記述にとどめることとし、主に第四期についてお話していきます。ところで、あらかじめお願いしておきたいことがあります。これから主に勉強恐怖や「数学に対する不完全理解感」に関する強迫観念(長いので『数学恐怖』と略称します)についてお話するのですが、勉強とか数学とかはちょっと重苦しいテーマです。そこで、勉強とか数学のところを「対人」とか「閉所」「乗り物」など、ご自分のとらわれに置き換えてお読みいただきたいのです。そうすれば、重苦しさも幾分は軽減されるのではないかと考えています。なるべく置き換えても話が通じるように努力して書いてみましょう。第一期 神経質症に苦しむ私は岐阜県在住、五六歳、小さな学習塾を経営、五人家族です。一九四六年(昭和二十一年)十一月、九州は福岡県飯塚市で長男として生まれました。子どものころから執着性が強く心配性、さらに完全欲が強いといった神経質性格を持っていたようです。強迫観念のきっかけは一九六三年(昭和三十八年)、高校一年の冬に数学の勉強をしていたある日のことです。そのとき、たった今勉強して理解したと思っていたところをどうも完全には理解していないのではないかという観念にとらわれました。それまではそういうことは全くなかったので非常に不安になりました。これはいけないというわけで,そこのところをもう一度勉強して次へ進もうとしたのですが、するとまた先ほどの観念が起こってきてどうもまだ理解していないのじゃないかという気持ちになるのです。次第に心が苦しくてたまらなくなるので何とか分かったという気になろうとして、同じ所を何回も何回も堂堂巡りをするようになりました。そのうちに、英語だとか物理にもとらわれるようになりましたが、特に数学の本を読むときにひどく、一晩かかっても一ページはおろか一行も先に進めないということがよくありました。これらは実は私の好きな科目でしたので、当時はどうして好きな科目に不完全理解感が噴き出してとらわれてしまうのか分かりませんでした。分かったのは、後年、森田を勉強してからのことです。こうして、とらわれはだんだんひどく、しかもいろんな方向に広がっていきました。勉強恐怖・読書恐怖のほかに、詮索癖・不完全恐怖(戸締りやガス栓など)・雑念恐怖・祈念恐怖(むしろ祈念癖とでも言ったほうがいいでしょうか)・不潔恐怖・疾病恐怖・精神病恐怖などの強迫観念にとらわれ、そのために生活がひどく後退し、集中力が極端に低下、身体的にも慢性的な便秘、食欲不振、不眠などに悩まされてきました。生活の後退とともに、学校の成績もどんどん下がっていきましたが、さすがにこれは何とかしなくてはいけないという気持ちも起こってきました。そしてご多分にもれず、誤った行動に走ってしまうわけですが、具体的に一、二、申し上げますと、不完全理解感が起こるのは言葉の勉強が足りないせいだと考え、日本語に関する本とか哲学の本をせっせと買い込んできては学校の勉強そっちのけで読みふけってしまいました。ところが結果は頭を混乱させるだけで何の役にも立ちませんでした。こういう毎日でしたが、他の人たちの体験にあるように、いろんな療法や健康法を試すとか医者に通うとか薬を服用するということは一切ありませんでした。これはいまだに不思議な気がするのですが、自分のことだから絶対自分で解決するんだという執着性のためだったのでしょう。頭の中はまるで戦争状態でした。大学入学後は名古屋に下宿しましたが、下宿生活の気ままさのせいもあり、生活はさらにいっそう後退し、ついには昼夜逆転の生活が続くようになり、下宿に引きこもる日々が多くなりました。自分の不勉強が人にわかるのではないかと思うようになって人の目が怖くなったり、学友がどんどん勉強を進めていく姿を見るのがつらくなったりしたからです。そして実際に本を読んでいくという努力もしないで、自分はこんなに理解ができないのに他の人はどうしてああもやすやすと理解できるのだろうと嫉妬したり、こんなことも理解できないとは自分が情けないと思って机で頭をかかえる日々でした。このような状態が高校一年の終わりごろから大学四年の終わりごろまで六年間続きました。第二期 森田を知り就職できた一九六九年(昭和四十四年)の三月、本来なら大学を卒業する月ですが、留年することにして社会に出て行くことを一年先延ばしにしてしまいました。このような状態ではとても社会人になる自信がなかったのです。そんなある日、下宿近くの本屋さんで全く偶然に森田療法の本に出会ったわけです。最初に手にとったのは「自覚と悟りへの道」(ノイローゼに悩む人々のために)でした。勉強の本はちっとも進みませんでしたが森田の本は一晩で何冊も読めました。こうして森田に出会って非常に心が軽快になり、一時期勉強もはかどるようになりましたが、そこは独学の悲しさ、またまた以前の状態に引きずり戻されるようになってしまいました。その後、意を決して著者である水谷啓二先生に手紙を書き、さらにその一年後、啓心会日曜集談会に出席させていただきました。一九七〇年(昭和四五年)九月のことです。会は東京都練馬区の水谷先生のご自宅で開催されました。しかしこのときには残念ながら水谷先生はすでに亡くなっておられました。啓心会日曜集談会には四回出席させていただきましたが、集談会との最初の出会いであり、さまざまな助言・激励を受け大変心が軽快になることができたこの会での様子のことはいずれまた別の形で投稿できたらと考えています。このように啓心会日曜集談会から元気をいただいたおかげで、ようやく社会に出て行く自信を得ることができるようになりました。第三期 森田について不活動の十年間かろうじて大学を卒業、長野県の精密機器製造会社に就職しました。とらわれはありましたけれども数学とか物理とか英語といったような私を苦しめた対象がなくなって、学生の頃に比べればかなり気持は楽でした。というのは、自分の専攻(理学部物理学科)と全く異なる職場に配属されたからです。ほっとしたというのが正直なところです。ちょっと情けないですが。しかし、就職してからの十年間は森田についてはまったくの不活動の時期でした。恐怖の対象がなくなってしまったため発見誌も読まず、あれだけ一生懸命通った啓心会日曜集談会にも出席せず、集談会のなかった山梨県に集談会を作ろうということも思いつきませんでした。(一時期、長野県から山梨県に転勤していました。)また、妻にも森田と発見会のことは十分に説明しておらず、そのために会に出席できにくかったという記憶もあります。私の経験から言いますと、家族にはなるべく早く話すほうがよい結果をもたらすようです。たしかにこの十年間は森田に対して不活動で、私はよく第二のトンネルと言っていました。しかしよくよく振り返ってみるとこの十年間に、結婚し、三人の子どもを授かり、引越し五回、転職を含む転勤六回と、まさにそれまででいちばんの激動の時期であったことがわかり、今では自分もよくがんばってきたなあと、自分を認める気持ちになっています。一九七九年(昭和五十四年)に長野県の会社を退職して、三重県桑名市の小さな会社に再就職しました。ところが、前とは全く異なる職場環境のために、強い適応不安を起こし、人間関係の上でも内外で衝突や摩擦を起こしました。仕事は思いのほかきつく、いつも帰宅が午後九時十時となってしまうのです。私は将来に不安を感じ、郷里で学習塾を開こうとひそかに考えるようになりました。======ここまで======================================以下、10月4日の日記の続きます。作成日: 2015年10月4日(日)
2015年10月03日
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母の入院生活60日目。きょうは母の89歳の誕生日。1926年(大正15年)3月30日生まれ。母はこの日を入院中の病室で迎えた。 11時に弟と病室へ、バースディパーティを持っていく。21cmのいちごふんだんのケーキ。2592円。母、正午に昼食。相変わらずあまり食べない。 午後1時45分頃5人が見舞いに来る。曽孫3人から花束をもらって母はうれしそうだった。破顔一笑とはあのときのことだ。その後、 8人でケーキを食べる。 病院を午後3時頃出た。
2015年03月30日
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1年8か月ぶりに日記を再開します。これまでmixi、twitter、FBなどに忙しく、ここの日記のことをすっかりおろそかにしていました。これからは1テーマずつ、一回120字前後で日記を綴っていきたいです。
2015年03月29日
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今、論理学の入門書を勉強しています。(集合と論理、井関清志著、新曜社)これで3回目のチャレンジです。もう2回も挫折しているので。同じところを3回も読むとさすがに頭の悪いσ(^_^)もわかるようになってきた。今日はP29の命題関数のところ。あと少しできりのいいところにたどり着く。メンタルヘルスのNPO法人 生活の発見会http://www.hakkenkai.jp/
2013年08月10日
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「初めての認知療法」 (大野裕著、講談社現代新書、2011年、798円(税込み))ようやく読みあげた。予定では11月中に読み終えるはずのものだった。かなり遅れた。この本は、うつ病に対する認知療法の入門書だが、家庭や仕事上の問題解決手法も説明している。森田療法の『も』の字もないが、共通性はいくらかある。たとえば森田療法でいう純な心と認知療法の自動思考、かくあるべしとスキーマなど。認知療法では薬は補助的に使用するのみとのことで、薬を使わない森田療法とはやや共通している。この本は森田療法信奉者である私にも読みやすかった。大野裕は認知(行動)療法の日本に於ける第一人者といわれている。特に、第三章 問題を解決する手順第四章 身体とこころをリラックスさせる方法第五章 自分の気持ちを伝えるには第六章 コラム法のすすめの4章は問題を「いかに解決するか」という観点から見て一般の人々にも役に立ちそうだ。森田療法はこういう分野をもっと開拓しなくてはならない。グスグスしておられない。有志と力を合わせて自分もやろう。同じ講談社現代新書に入っている「森田療法」(岩井寛著、1986年)は名著だが、今はどのくらい読まれているのだろう。岩井寛は1986年55 歳の若さで他界した。彼がもっと長生きしていたら現代森田療法の進歩はもっと大きかったことは間違いない。彼の死は大変な損失だった。この本は不安障害に悩む人は一度は読んでみて損はない。いずれにしても今年は森田療法と認知(行動)療法とが勢力争いするのではなく、協調していく年になってほしいものだ。
2012年01月26日
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定年退職したものの、甘木高専で半年間のピンチヒッター。先ごろようやく成績報告を提出し、また毎日がゴールド曜日に戻りました。今日から再開です。今、認知行動療法の本を読んでいます。シュウォーツというアメリカの精神医学者の書いた「不安でたまらない人たちへ」(草思社)。私は森田療法の方が認知行動療法よりもはるかに優れていると思っていたが、この本を読んで(あと1/3残っているが)競争相手がかかとを踏んで迫ってくるのを感じる。生活の発見会もうかうかしていると大変だ。認知行動療法(CBT)に席巻されてしまう。そんな危機感を持った。不安障害・強迫性障害のメンタルヘルスNPO法人 生活の発見会(森田療法)http://www.hakkenkai.jp/
2011年10月14日
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【至急】 Facebookを利用した詐欺が横行みなさん、お気をつけください。Facebookで詐欺が横行しているようです。或る女性タレントのマネージャーがその女性タレントの悩みを聞いてほしいということから始まるメールを受け取ってしまいましたので。(うっかり相手に私のメルアドを教えてしまった)「Facebook 詐欺」で検索するとたくさん実例が出てきます。みなさん、くれぐれもご注意を。
2011年08月27日
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きょうはたなばた...というわけではありませんが、きょうから日記を再開します。楽天では森田療法、森田正馬と生活の発見会について主に述べることとして出発しました。途中いろいろ、道草をしました。原点にもどってメンタルヘルスについていろいろ考えていきます。メンタルヘルスのNPO法人 生活の発見会http://www.hakkenkai.jp/
2011年07月07日
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民主党のおぞましさ先日の衆議院・参議院の予算委員会をテレビ中継で見たが、菅総理にはがっかりした。野党時代の菅さんはさっそうとしていて良かった。年齢も専攻も自分と同じだし。ストップウォッチで測定したら1秒の1回瞬きしていた。よほどお疲れだったのだろう。態度がしゃきんとしていなかった。驚き。民主党の党首選挙、外国人サポーターも投票できるのか?こんなことが可能ならそのうちに中国人や韓国・朝鮮人の意のままの党首が誕生するかもしれぬ。背筋がぞっとする。日本の中国人在日滞在者 中国人100万人(不法滞在含む)、韓国人・朝鮮人60万人。この数字にまたぞっとする。日本はじわじわ真綿で首を絞められるように中国に侵略されていく。自分の「生活が第一」という発想を捨て、不自由は少し我慢して自主自立の日本を目指そう。メンタルヘルスのNPO法人 生活の発見会http://www.hakkenkai.jp/
2010年08月10日
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今日は元旦から数えて181日目です。正確に一年の真ん中の日は7月2日(金)の正午です。学校を定年退職して(といっても在任期間は2年6ヶ月ですが)今は毎日が金(ゴールド)曜日ですが、ぼつぼつ生活もリズムも新調できたし、7月から勉強、一層がんばりたいです。ではでは(^^)/~~~*****************************************************Water2046 人生は、であい、ふれあい、たすけあい7月21日 名古屋水曜集談会例会NPO法人 生活の発見会ホームページhttp://www.hakkenkai.gr.jp/名古屋水曜集談会HPhttp://www.hpmix.com/home/hanatomo/*****************************************************
2010年06月30日
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朝体重=70.8kg朝食= パン2枚、チーズ 昼食= かき揚げの天丼(量多すぎ、少し残す)夕食= そうめん、ご飯、ちくわとえんどうまめの煮物twitter:qanowはfollowを半日でやめた。くだらない質問、質問とは関係のないつぶやきが洪水のようにやってきて、あれではスパムメールとちっとも変わらないし、ほかのつぶやきがこの洪水に押しやられてしまっていた。午後から雨。とうとう東海地方も梅雨入り。久しぶりにコーヒーを挽いて飲んだ。半年前の豆。豆が切れた。新しい豆を少しだけ買っておきたい。雨音とともにコーヒーを楽しむ。今夜のわくわく小惑星探査機「はやぶさ」の帰還(正確に言うとカプセルのみが帰還)明日のわくわくワールドカップ2010 日本 VS カメルーン以下は朝日新聞のwebページより転載■はやぶさ帰還を中継する主なサイト【豪州から】和歌山大(午後10時30分から30分間)http://www.ustream.tv/channel/hayabusa-back-to-the-earthニコニコ動画(午後10時から)http://live.nicovideo.jp/watch/lv18265557NASA(午後10時45分から10分間)http://sgqtss.arc.nasa.gov:554/dc8-current.sdp【相模原の管制室の様子】宇宙機構など(午後6時~12時)http://hayabusa.jaxa.jp/live/ ではでは(^^)/~~~*****************************************************Water2046 人生は、であい、ふれあい、たすけあい6月23日 名古屋水曜集談会例会NPO法人 生活の発見会ホームページhttp://www.hakkenkai.gr.jp/名古屋水曜集談会HPhttp://www.hpmix.com/home/hanatomo/*****************************************************
2010年06月13日
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2010年3月19日から退職の日までの簡単な日記を書いておきます。もはや3月4月の日記入力はできなくなっていますので5月1日(土)の日記欄に記入するものです。3月19日(金) 高専 卒業式に参列(これが最後の参列となる)3月20日(土) 机上の書類プリント整理整頓。 夜、弟の還暦祝いとて川魚料理屋(S屋)でウナギ料理。7850円也。3月21日(日) 午後、生活の発見会の拡大幹事会。17:00より懇親会。帰り、東急ハンズで前から欲しかった万年筆(パイロットキャップレス 細字)をとうとう買う。退職の餞別金から出す。あと、ジュンク堂書店で青春小説を買う。3月22日(月) 結婚記念日。午前、Y電機へ。午後高専へ。夜、妻とレストランで食事。午前2時、研究室泊。3月23日(火) 午前、名古屋へ。名古屋は一日雨。正午、名大の図書館前でTさんと会い、食事、名大のキャンパス散策、図書館で検索、喫茶店でしゃべる。7時まで様々なことについて話す。3月24日(水) 朝、テレビ番組で哲学者「森有正」のことを知る。高専で一日書類の整理整頓と荷物のパッキング。3月25日(木) 最後の寮担当教職員の委員会。3月26日(金) 新進数学者Kさんとランチ。午後は書類の整理整頓。3月27日(土) 休日出勤。深夜まで書類の整理整頓。3月28日(日) 名古屋へ、オグデンのベーシックイングリッシュに基づく授業研究会に出席。3月29日(月) 学生食堂で校長と食事(といっても二人ともカレーライス)。3月30日(火) 昼食はS教授のおごりによるすしランチ。整理整頓を続ける。3月31日(水) 今日で定年退職。昼食は英語のN先生と。最後の荷物の運び出しと業務用パソコンのデータ消去。なかなか進まず。結局徹夜。4月1日(木)午前6時50分ずぶ濡れになりながらバイクで正門を出る。第二の人生も前途多難か? これからいよいよ第二の人生です。ではでは(^^)/~~~*****************************************************Water2046 人生は、であい、ふれあい、たすけあい7月21日 名古屋水曜集談会例会NPO法人 生活の発見会ホームページhttp://www.hakkenkai.gr.jp/名古屋水曜集談会HPhttp://www.hpmix.com/home/hanatomo/*****************************************************
2010年05月01日
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きょうは晴天でしたが、風が強く、やや肌寒い日でした。(SECR)きょうは○○高専の第43回の卒業式でした。卒業式というのは学校用語としては「卒業証書授与式」といいますが、この用語の中に卒業という言葉が入っているのになぜか卒業式というのは俗称。これが不思議です。以前、このことが気になって、いろんな学校(この地区の中学校、高校、大学[名古屋大学、南山大学、慶応大学、東京大学など])に電話で聞いてみましたが。結局卒業式というのは世間一般で言われているだけのことということが分かっただけでした。大学は大学院の修士や博士課程の修了式も同時に行いますので卒業式という言葉は現実になじまないということでしょう。高専も専攻科という大学3年4年にあたる課程があるので専攻科修了証書授与式と言うようです。ともあれ、200名強の男子学生女子学生が巣立っていきました。男子は一人が羽織袴、それ以外は紺のスーツにネクタイ。女子は一人がブレザーでしたがそれ以外は伝統的な和装(あの、卒業式だけに着る女子学生の衣裳を何というのでしょうか?やっぱり羽織袴でよかったんでしたっけ?)でした。いよいよ彼らも社会の荒波に向かってまっしぐらと言いたいところですが、最近は大学の3年次に編入するものがかなりおり、以前とは進路がかなり様変わりしてきています。ではでは(^^)/~~~*****************************************************Water2046 人生は、であい、ふれあい、たすけあい3月21日 春分4月28日 名古屋水曜集談会例会NPO法人 生活の発見会ホームページhttp://www.hakkenkai.gr.jp/名古屋水曜集談会HPhttp://www.hpmix.com/home/hanatomo/*****************************************************
2010年03月19日
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昨日の日記に書くのを忘れていました。昨日の名古屋水曜集談会のあと、近所のスーパーに寄りましたところその建物の中の薬屋さんで血管年齢が100円で測定できるということなのでさっそく測定したところ、私の血管年齢は51歳~55歳という数値・・・うれしい~♪ とちょっと安心しました。で、帰ってビールやら大食やらで食後動けなくなりました。あまり安心しすぎもいけません。ではでは(^^)/~~~*****************************************************Water2046 人生は、であい、ふれあい、たすけあい3月21日 春分4月28日 名古屋水曜集談会例会NPO法人 生活の発見会ホームページhttp://www.hakkenkai.gr.jp/名古屋水曜集談会HPhttp://www.hpmix.com/home/hanatomo/*****************************************************
2010年03月18日
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きょうは晴天でしたが風強く、少し寒かったです(SECR)。名古屋水曜集談会の日でした。10時30分スタートで終了は午後3時20分。(終了は20分時間超過)会の後、30分1Fロビーで缶コーヒータイム。総勢12名の参加でとても盛り上がってよかったです。ヨーロッパ在住30年という女性が日本への里帰りを利用して参加されました。12名のうち対人恐怖は3人。最近、パニック障害の方が増えています。久しぶりにS相談役も出席される。栗蒸しようかん、美味しかったです。どうもありがとうございました。私のような勉強恐怖は他にはいませんでした。でも、たくさんの人が多かれ少なかれ勉強恐怖のケがあるようです。名古屋駅で三重からの○木さんと別れたあと、コンプマート→ビックカメラ→東急ハンズ→JR高島屋(北海道物産展)→JR電車(事故があって、40分遅れ)→近くのスーパーで買い物→妻のところに寄りお土産を渡す→帰宅。午後9時30分。ああ、足が痛い。缶ビールと夕食。母と40分話す。世間話と台湾時代のこと。入浴、就寝午前2時。帰りの電車の中でも考えていた、集合と写像と単射・全射のことについてすっきりしない。本はどうも説明不足のような気がする。分からないまま寝てしまう。ではでは(^^)/~~~*****************************************************Water2046 人生は、であい、ふれあい、たすけあい3月21日 春分4月28日 名古屋水曜集談会例会NPO法人 生活の発見会ホームページhttp://www.hakkenkai.gr.jp/名古屋水曜集談会HPhttp://www.hpmix.com/home/hanatomo/*****************************************************
2010年03月17日
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もうすぐ定年退職。自宅用にはくたびれ果てたノートPCしかない(8年前のPC)。新しくパソコンを用意して仕事や趣味に生かしたい。どれがいいか、昨日Y電機に行き、Inspiron 15 (DELL)が気に入った。今日深夜、DELLの相談オペレーターとチャットでInspiron 15 のことをいくつか質問して納得した。やはりInspiron 15 (DELL) Office 2007付き が自分に一番ぴったりだ。これを英語・数学・森田に生かそう。ではでは(^^)/~~~*****************************************************Water2046 人生は、であい、ふれあい、たすけあい3月21日 春分NPO法人 生活の発見会ホームページhttp://www.hakkenkai.gr.jp/名古屋水曜集談会HPhttp://www.hpmix.com/home/hanatomo/*****************************************************
2010年03月15日
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閉寮の日。5年生の出した大量の生活ゴミ(扇風機、電気スタンド、箱、プリンター、食料品)にうんざりする。この1年、勝手気ままにやらせすぎ。挙げ句の果てがこの始末。来年はきちんと退寮のマニュアルを作っておかなければならぬ。ではでは(^^)/~~~*****************************************************Water2046 人生は、であい、ふれあい、たすけあい3月6日はいよいよ啓蟄です。NPO法人 生活の発見会ホームページhttp://www.hakkenkai.gr.jp/名古屋水曜集談会HPhttp://www.hpmix.com/home/hanatomo/*****************************************************
2010年03月06日
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先ほどの原稿の英語版です。Thank you for your yelling. Today is about eight hundred eightieth day since I came to Gifu Kousen, October 2007(two thousand seven). It is only 4% of my life, but they are unfogetable days thanks to you all.It goes without saying that teaching is learning, and I have got a lot of useful things from you all.An American proverb says, "An old sodier never dies, but disappears."I would like to say, "An old teacher never dies, but disappears."So long, farewell, Aufwiedersehen, good-byeThink you again for listening.1分20秒のスピーチです。ではでは(^^)/~~~*****************************************************Water2046 人生は、であい、ふれあい、たすけあい3月6日はいよいよ啓蟄です。NPO法人 生活の発見会ホームページhttp://www.hakkenkai.gr.jp/名古屋水曜集談会HPhttp://www.hpmix.com/home/hanatomo/*****************************************************
2010年03月05日
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あとしばらくしたら全校集会、そこで退職する教師の紹介があり、ひとこと挨拶しなければなりません。以下はその挨拶原稿です。2007年10月に赴任以来、きょうが約880日です。これまでの人生のたった5%の期間に過ぎませんが、私にとって生涯忘れることのできない日々となったことを感謝いたします。Dreams come true. といいますが、私は大学を卒業をするころ、学校の教師になりたいという夢がありましたが、実現できませんでした。それから約40年後に不思議な縁がありまして、この学校にお世話になることになりました。すべての夢がかなうとは必ずしも言えないかも知れませんが、いくつかの夢は必ずかないます。あなたがたの夢は何でしょうか?それを日記にしっかり書き留めておいて、日々、それに向かって努力を続けましょう。最後に、教えることは学ぶことでもありました。給料をいただきながらただで学ぶことができて申し訳ないような気分です。若いみなさん方から学んだことはそれこそ数え切れないほどありました。心から感謝いたします。どうもありがとう。以上です。 約1分41秒のスピーチです。あと20分ではじまります。ちょっと胸が高まってきました。ではでは(^^)/~~~*****************************************************Water2046 人生は、であい、ふれあい、たすけあい3月6日はいよいよ啓蟄です。NPO法人 生活の発見会ホームページhttp://www.hakkenkai.gr.jp/名古屋水曜集談会HPhttp://www.hpmix.com/home/hanatomo/*****************************************************
2010年03月05日
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F. Gordonというカナダ人と友人でした。「でした」と言ったのは、今は連絡が取れなくなっているからです。2000年頃、あるメーリングリスト(英語でいろんなことを話し合う会)で親しくなり、彼が奥さんと日本にやってくるので名古屋駅で待ち合わせることになりました。私は約束の場所であるJR高島屋近辺でプラカードに彼と私の名前を書いたものを自分の前に手で支えながら彼と遭遇するのを待ちました。運良く会うことができて名古屋駅でハグしました。その後メールのやりとりをしていましたが、私が離婚することに関して、離婚するかも知れないというところを、mayではなくてwillを(うっかり)使ってしまったために大変心配してくれて、その親切心がありがたかったです。その後、私の忙しさに紛れてついに連絡はなくなってしまいました。彼はバンクーバーに住んでいます。Torasan(彼が私を呼ぶニックネーム)、一度ぜひバンクーバーにおいでよ、いいところだよ、と言ってくれました。オリンピックにはとうとう行けませんでした。今頃はバンクーバーで愛妻とオリンピックを楽しんでいることでしょう。これからも彼とのコンタクトを探していきたいです。さて浅田真央、安藤美姫、鈴木明子の日本勢トリオとキムヨナの熱戦、見逃せませんね。ではでは(^^)/~~~*****************************************************Water2046 人生は、であい、ふれあい、たすけあい2月14日 旧暦 元日 バレンタインデー 2月19日 雨水一昨日は平成22年2月22日(水谷啓二先生の誕生日だそうです)2月23日は中島みゆきの誕生日NPO法人 生活の発見会ホームページhttp://www.hakkenkai.gr.jp/名古屋水曜集談会HPhttp://www.hpmix.com/home/hanatomo/*****************************************************
2010年02月24日
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中島みゆきさんは1952年2月23日の生まれ。今日で満58歳におなりです。皇太子殿下と同じです。将来皇太子が天皇になられたら、みゆきさんの誕生日は祝日に・・・早くそうなることをお祈りはできませんが。(^^;;今日は忙しかった。午後半日有給休暇を取り、歯医者へ。明日以降10日間休みが取れない。28日の日曜日は出勤。(入試の追試験。)そのあとホームドクターの所に行き、血圧の検診と飲み薬をもらう。あと2軒に寄り夜また職場へ戻り今の時間まで仕事。さて帰るか。ではでは(^^)/~~~*****************************************************Water2046 人生は、であい、ふれあい、たすけあい2月14日 旧暦 元日 バレンタインデー 2月19日 雨水昨日は平成22年2月22日(水谷啓二先生の誕生日だそうです)NPO法人 生活の発見会ホームページhttp://www.hakkenkai.gr.jp/名古屋水曜集談会HPhttp://www.hpmix.com/home/hanatomo/*****************************************************
2010年02月23日
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入学選抜試験の日で、教員・職員は全員(日曜)出勤でした。さあ、採点地獄の時間がこれから続きます。
2010年02月21日
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入浴のしかた―これからの健康を考えるここで言うこれからというのは二つの意味があります。冬に向かってという意味(もっともこの冬はもう半分以上終わりですが)と実年に向かってという意味です。これからの入浴法を考えます。便所に次いで浴室ではお年寄り(自分もそうですが)が倒れてしまうところ。よくよく注意したいものです。1 着替え室に暖房を入れる2 浴室にエアコンを入れる3 お湯張りの時、風呂のふたを開けたままにしておき、浴室の温度をなるべく高めておく。4 湯温は42度を限界とし、できれば40度ぐらいの湯温に慣れるように努力する5 長湯をしない1 2は私の経済力ではまず無理。3~5を努めています。みなさんの健康的な入浴法は何でしょうか?よろしくお願いいたします。ではでは(^^)/~~~*****************************************************Water2046 人生は、であい、ふれあい、たすけあい2月14日 旧暦 元日 バレンタインデー 2月19日 雨水明日は平成22年2月22日NPO法人 生活の発見会ホームページhttp://www.hakkenkai.gr.jp/名古屋水曜集談会HPhttp://www.hpmix.com/home/hanatomo/*****************************************************
2010年02月20日
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今日は釈尊、入滅の日、この記念すべき日にアクセス数30000を突破。お釈迦様が見守ってくれているのでしょうか?前から30000は目標でしたので素直にうれしいです。アクセスしてくれた方々、どうもありがとうございました。
2010年02月15日
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クルトガの画像です。
2010年02月12日
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私は万年筆を集めるのが趣味ですが、もう歳だし、お金もないしで最近は東急ハンズや丸善などでショーケースの中のすばらしい万年筆のラインアップをまさに垂涎の思いで眺めていることが多いです。ただ、生涯最後の一本として21金の万年筆を購入したいと願っています。どれだか出るのか分かりませんが、退職金の一部をそれに当てる計画です。さて、そんな私ですが、文房具一般にも強い興味を持っています。まあ、趣味と言ってもいいでしょう、女性が高級ブランドのバックを買い集める気持ちが少しは分かります。さて、話は変わって、シャープペンシルですが、もう何種類かを持っていますのでいまさら新しいのは不要なのですが、最近発売された三菱鉛筆のクルトガには感激しました。書いている間に芯が少しずつ回って常に芯の先が円錐形に近い形を取るのです。線の太さが一定になるし、芯が折れにくいです。(私がしばらく書いていて実感しました。)これ以上書くと、「おまえは三菱鉛筆の回し者か」と言われそうなのでこのくらいにしておきますが、クルトガをキーワードにgoogleするとすぐ画像が見られます。値段も500円ぐらいでまあまあです。私は近くのホームセンターで298円で買いました。このクルトガ、書いている間に自動的に芯が少しずつ出てきて、いちいちノックしなくてもどんどん書いていけるという技術を搭載できないでしょうか?もしそんなクルトガが開発されたら3000円出しても惜しくないです。まあ、しばらくは待ってみましょう。ではでは(^^)/~~~*****************************************************Water2046 人生は、であい、ふれあい、たすけあい2月14日 旧暦 元日 バレンタインデー2月19日 雨水NPO法人 生活の発見会ホームページhttp://www.hakkenkai.gr.jp/名古屋水曜集談会HPhttp://www.hpmix.com/home/hanatomo/*****************************************************
2010年02月12日
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私は万年筆を集めるのが趣味ですが、もう歳だし、お金もないしで最近は東急ハンズや丸善などでショーケースの中のすばらしい万年筆のラインアップをまさに垂涎の思いで眺めていることが多いです。ただ、生涯最後の一本として21金の万年筆を購入したいと願っています。どれだか出るのか分かりませんが、退職金の一部をそれに当てる計画です。さて、そんな私ですが、文房具一般にも強い興味を持っています。まあ、趣味と言ってもいいでしょう、女性が高級ブランドのバックを買い集める気持ちが少しは分かります。さて、話は変わって、シャープペンシルですが、もう何種類かを持っていますのでいまさら新しいのは不要なのですが、最近発売された三菱鉛筆のクルトガには感激しました。書いている間に芯が少しずつ回って常に芯の先が円錐形に近い形を取るのです。線の太さが一定になるし、芯が折れにくいです。(私がしばらく書いていて実感しました。)これ以上書くと、「おまえは三菱鉛筆の回し者か」と言われそうなのでこのくらいにしておきますが、クルトガをキーワードにgoogleするとすぐ画像が見られます。値段も500円ぐらいでまあまあです。私は近くのホームセンターで298円で買いました。このクルトガ、書いている間に自動的に芯が少しずつ出てきて、いちいちノックしなくてもどんどん書いていけるという技術を搭載できないでしょうか?もしそんなクルトガが開発されたら3000円出しても惜しくないです。まあ、しばらくは待ってみましょう。ではでは(^^)/~~~*****************************************************Water2046 人生は、であい、ふれあい、たすけあい2月14日 旧暦 元日 バレンタインデー2月19日 雨水NPO法人 生活の発見会ホームページhttp://www.hakkenkai.gr.jp/名古屋水曜集談会HPhttp://www.hpmix.com/home/hanatomo/*****************************************************
2010年02月12日
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2年ぶりに大学付属の歯科へ。上の左奥歯のところが腫れています。担当の歯医者によると奥の方で歯が割れていて、抜いた方がいいとのアドバイス。とほほ。待合室にポスターがあって、「噛むことはアイナノダ」という標語があり、おもしろいと思ったので書き留めてきました。噛むことは、あごをつくるいちょうのはたらきをよくするなんでもたべられるのうへの刺激だイエットになる(または、だえきの働きを良くする)だそうです。確かにがつがつ食べると満腹感がなかなか得られず、つい食べ過ぎてしまう。ゆっくり噛むことで食事には20分以上かけることが大切なようです。今、またまたダイエットに挑戦中。ゆっくり噛むことをこれからの健康法にしたいです。
2010年02月11日
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雨が降っていて、帰る気になりません。今晩は研究室に寝袋を敷いて寝ることに決めました。で、午前3時まで仕事ができました。次の日の能率に期待。
2010年02月10日
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今日は次男の満31歳の誕生日であるが、小さいころから父親に反抗的で何かと衝突したが、いまでは2人の女の子の父親。この子の生まれたのは午前6時頃でようやく明るくなりかけのころだが、妻が急に産気づいて産院まで間に合わず、玄関先の車の中で呱々の声を挙げてしまった。あれから31年、病気ひとつしないで元気に働いている。天に感謝。
2010年02月08日
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新年会があるので名古屋水曜集談会がいっそう楽しみです。S相談役が欠席(診察日)されるのが大変残念ですが、先日お会いしたときはすこぶるお元気で、安心しました。お誕生日の花は今朝、ちょうど当日に届きました。さて、帰宅するとするか。その前に心配な学生にメールを一本送って帰ります。では
2010年01月26日
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旧暦12月12日月日の経つのは本当に早いですね。部分月食ではじまった新年もはや26日。うかうかしておれません。今日は福寿草の日だそうで、別名を「元日草」といいますが、お正月頃に咲くのでそういうとのこと、名前の縁起よさと花の黄金色が珍重されたようです。煖炉たく 部屋暖かに(あたたか)に 福寿草 子規今年も森田・数学・英語、がんばります!(^^;;
2010年01月26日
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今日から11月。一日一日を大切にしていこう。午前10時20分から妻の所に行き、購入したNECのパソコンの設定の続き。firefoxのインストールとリカバリーディスクの作成。昼食を一緒に取る。娘は出勤。自宅に帰り、午後は昼寝。寝過ぎて弟に車でで駅まで送ってもらう。かなりの雨。午後6時にG駅で友人Kに10ヶ月ぶりに会い、一緒に酒を飲む。2次会はミスド。午後9時30分にお開き。雨は上がっていた。帰路、命題とその否定についてあれこれ考えているうちに、数学の論理に関する考えがようやくすっきりまとまってきたように感じた。忘れてしまわないうちにB6情報カードに書いておかなければならない。
2009年11月01日
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夏に岐阜集談会で講師をされたいかたろうさん(名古屋水曜集談会から4名参加した日)の奥様が10月30日早朝、46歳の若さで他界しました。本葬は11月8日岐阜の実家で行われるとのこと。ご冥福をお祈りして合掌いたします。
2009年10月31日
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ウィグル暴動でCHINAの胡錦涛首席はイタリア・サミットをキャンセルし、急遽帰国したが、世界の物笑いになった。しかし、ウィグルの人たちの問題は何一つ解決していない。CHINAは共産党一党独裁が続く限り、我々とは価値観を共有することはできない。
2009年07月10日
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朝、7時30分という早い時間に母が電話をしている。すぐに国分寺の叔父が亡くなったことを知らされて絶句した。前から心臓の持病があったが至って元気で、6月中旬には400kmも車を飛ばして岐阜まで来たくらいである。昨夜発作が起き、そのまま逝ってしまったとのこと。合掌。
2009年07月04日
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Today was a very sad day. My collegue's funeral was held at 13:00 in Kakamigahara. I went there by motor bike. He fell on the floor in his office last Monday,June, 22. He was hit by BRAINSTEM BLEEDING, and had been in hospital bed for a week. He breathed his last without saying a single word to his wife and his two daughters. He was one year senior to me in university. It could also happen to me tomorrow. (Asu ha wa ga mi.)
2009年07月01日
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次男坊に二女が誕生しましたー3人目の孫です。3人とも女。たぶん女系家族になるかも。6月24日(名古屋水曜集談会のあった日)午後10時頃でした。3069グラムの赤ん坊。いずれ写真をアップしますね。ブログ再開の日でした。ではでは(^^)/~~~
2009年06月29日
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皆様、明けましておめでございます。今年もよろしくお願いいたします。これまで2年近くも入力をサボって参りましたが、事情が大きく転換して、新年からぼつぼつ再開することにいたします。皆様、元日はどのようにお過ごしでいたか?私は今妻と別居中で、母親(82歳)と弟(59歳、ひとり者、無職、事実上のひきこもり人)と3人で同じ屋根の下で暮らしていますが、弟とは2007年12月から全く会話がありません。3年越しのことになってしまいました。こちらが朝の挨拶をしても一度も返したことがありません。全くの無視です。本当に困った存在です。昨年末に叔母が急逝し、母は喪中を決め込み年賀状を一通も出しませんでした。でも、一応のおせち料理は作りました。午前8時、3人で元旦の膳です。弟は終始だんまりで新年の挨拶はありませんでした。気まずい雰囲気の20分でした。正午から妻のアパートで別の元旦の膳です。息子夫婦2組と娘がやってきまして、総勢9人、そのうち孫が2人+1人おなかの中、賑やかで明るい食卓でした。午後4時散会。こういう二重生活、いったいいつまで続くんだろうかと悩ましくなること、しばしばです。今年はこのような生活に決着をつける年にします。ではでは(^^)/~~~
2009年01月01日
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ある掲示板に次のような投稿をした。====ここから========初めまして。1987年頃、NECのPC9801VM2とエプソンのプリンタ、それに一太郎ver2とマルチプランを買ったのがPCとのつきあいの始まりでした。妻から、「新車が一台買える~ゥ」といわれました。今でも一太郎の起動音を鮮明に覚えています。その後、富士通のワード・エクセルのプレインストール版を購入し(ショップの店員に一太郎・エクセル版を希望したのですができないと言われてやむなくそうしたものです)、ワードは10年使いましたが今年二月、suite2008が発売されたのを機に一太郎に乗り換えました。どうぞよろしくお願いいたします。====ここまで========今年からsuite2008のなかの一太郎2008を使い始めた。ATOKは前から使いたかったので使い始めて機能に満足だ。だが、表作成機能、これには恐れ入った。ワードに比べて使いにくいし、ワードでは当たり前に使えていた機能がなんと一太郎にはないというのだ。仕事に差し支えが出てきて、今日はちょっと落ち込み気分。ではでは(^^)/~~~生活の発見会 (不安障害(神経症)に悩む人々のための自助グループ)http://www.hakkenkai.gr.jp/
2008年06月07日
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[昨日からの続き]第四期 再び森田の勉強を始める~現在学習塾で教えるためには教える分野をあらかじめちゃんと理解しておかなければなりません。そのために算数や数学の教科書を買い込んで勉強をはじめましたが、低学年用のやさしい算数の教科書を読んでもまたぞろ不完全理解感に苦しめられました。それをそのままにして次の行や次のページに進めばいいのですが、どうしてもそれをなくそうとするはからいをやめることができません。入会して十一年になっているのにこのありさまです。私はいよいよ焦りを感じました。「自分はこのままずっとこの先、死ぬまでこのような状態で生きていくのだろうか。」と思うと、またまた机で頭を抱え込んでしまう日々が続きました。そんなある日、一九八一年(昭和五六年)の秋でしたが、本当に久しぶりに何気なく発見誌を手に取り、体験記を読み始めました。その内容はがん恐怖をどのように乗り越えたかという主婦の方の体験でしたが、読み終えて私は非常にショックを受けたのです。それは、森田理論が素晴らしく体系化されていて、まるで偉大な建造物でも見るかのように思われたからです。私より五年も十年も遅れて入会されたかたが、森田理論学習と実践によって私よりも早く立ち直っていくのを目の当たりにしたからでもありました。自分に対して非常に情けなさを感じると同時にこのままではだめだと競争意識も湧いてきました。「かかとを踏んで迫ってくる後進」ということばがありますが、かかとを踏まれるどころか、自分をはるかに追い越して先方を走る後進の姿が見えました。それ以来、私は何とか立ち直らなければいけない、森田の勉強と実践によって立ち直ることができるかもしれないと思いました。発見誌は毎月一ページも欠かさず、すみからすみまで読み通すようにしました。その半年後、一九八二年(昭和五十七年)の二月から岐阜集談会に出席し始め、一年間無欠席で通しました。十年間のブランクのあとにようやくまた新しいときがやってきたわけです。それからも、なるべく発見会活動に参加しようとして東海地区一泊学習会・三ヶ月基準型学習会・足柄寮での四泊五日合宿学習会などに参加し、自分の心のありさまをかなり客観的に見ることができるようになりました。その間も学習塾を開くために数学や英語の勉強は続けました。苦しみながらも少しずつページは進んでいきました。毎日小さな恐怖突入を繰り返していったような気がします。特に強迫観念の人は行動が湿りがちですから毎日少しずつでも恐怖突入を繰り返すことが肝腎ではないでしょうか。継続は力なり、です。こうして、さまざまな行事に参加して相当心が軽快になり、自信もついてきましたので思い切ってとある学習塾へ転職しました。一九八三年(昭和五八年)の冬のことでした。この学習塾では塾の経営の仕方を含めていろいろ勉強することができてありがたかったのですが、何せ土曜日曜に授業をするという塾でしたのでどこの集談会にも出席できなくなってしまいました。しかし一九八八年(昭和六十三年)一月、S理事(当時)のご努力で名古屋水曜集談会(最初の数年間は懇談会)が発足し、また集談会に出席できるようになり、それから十五年間、名古屋水曜集談会とともに歩んで現在に至っています。なお、一九八九年(平成元年)三月、独立して学習塾を始めました。欲望と不安ところで、岐阜集談会に出席し始めて四、五回目のころだったと思いますが、休憩時間のときに隣に座っていたOさん(家庭の主婦、不潔恐怖)が、「Water2046さんは、強迫観念になる前は勉強が好きだったんでしょう?」と話しかけてくれました。(Water2046、驚いて)「ど、どうして分かるんですか?」(Oさん)「私も不潔恐怖になる前は洗濯が好きで好きでたまらなかったから。」お聞きすると、Oさんは、とても洗濯好き、家族の衣類が洗濯によって白く輝くのを見るのがたまらないほど好きだったそうです。ところがあるとき、干してあった洗濯物を取り込もうとしてそのうちの一枚をうっかり床か地面に落としてしまいました。あわてて拾い上げましたが、それがすっかり汚れてしまったような気がして、もう一度洗いなおすことにしたのですが、その後、洗ったものがすべて不完全に思えて同じ洗濯物を納得するまで一日に何度も何度も洗い直すという強迫行為を繰り返すようになってしまい、そのために洗濯機が一年で壊れてしまって、ご夫君にしかられてしまったとのこと。私はこの話を聞いて、「不安は欲望の半面であり、欲望が強ければ不安も強い。」という森田の教えを目の前で見たような気になりました。私流の言い方をすると、「(強迫観念に陥る場合、)欲望の一番強いところに最初の不安が現われる。」ということになります。自分のことはなかなか目には見えません。人から聞いてよくわかりました。そうか、「勉強好きの勉強嫌い」のからくりはこういうことだったのかという感動は大きいものがありました。このとき、私は生涯、集談会に出席しつづけようと決心した次第です。「~好きの~嫌い」の~のところにご自分のとらわれを当てはめてみると欲望と不安の関係がよく分かるのではないでしょうか。強迫観念が「生涯の友」へ私の数学恐怖はその後どうなったかということをお話しておきましょう。前述のとおり、森田の学習と実践によって、強迫観念のほとんどは治りました。数学恐怖も相当の軽快感を得ることができました。しかしどうもまだスキーの板を履いて街中を歩いているようなもどかしさといいますか「もたもた感」を常に感じていました。そこで、あるとき名古屋水曜集談会の理論学習の最後に行われるミニ総括のコーナーのときに、思い切って「実は今まで一度も口に出したことはありませんが、まだこういうことに悩んでいます。」と、数学恐怖のことを話してみました。そうしたら意外にもすんなりメンバーから受け入れられたのです。そのことでさらに一層心が軽くなるのを感じました。そののち、塾の授業のときにこんなことがありました。小学生に算数を教えていて、ふっと思いました。「この子らに微積分の教科書を渡したらどうだろう、理解できるだろうか。」もちろん普通の子どもでは理解できません。「いくらその意志があっても理解には段階が必要だよなあ」と思ったとき、待てよ、このことば、どこかで聞いたぞ。そうです。行動の原則第十番「理想は高く、実行目標はこきざみに。小さな成功を積み重ねること。」、でした。この中で「理想は高く」に改めて注目してみました。これまで私はこの部分を否定しようとしてきたのです。しかし否定しないでもいいのではないか、むしろ理想は高いまま、理解の段階をこきざみに設定してその段階ごとの理解をめざせばいいのだということにようやく気づいたのです。このように勉強恐怖・数学恐怖の人間が子供たちに勉強を教えるというのは毎日がまさに恐怖突入であったのですが、教えるということを通してずいぶん多くのことを教えられました。立ち直っていけたのは子供たちのおかげでもあると思っています。授業は第二の集談会でもあったようです。数学に対する不完全理解感はこれからもなくならないでしょう。それでよいのです。しかし、生涯の友になりつつあります。それはつまり、適度な不安という友、転ばぬ先の杖という友です。森田ではよく言われることですね。結び今年で会員歴三十三年になりますが、私はこれからも生活の発見会のメンバーとして集談会に出席していきたいと思っています。このことしか私が受けた恩恵をお返しすることができませんので。最後に、故水谷先生、故長谷川先生をはじめとして多くの先生方にはたいへんお世話になり、またご指導を受けました。この場をお借りして深くお礼を申し上げます。また、この社会を不器用に、四角く、わがままに生きてきた私を受け入れてくれた妻と三人の子供たちにありがとうと一言言って拙稿を閉じさせていただきます。どうもありがとうございました。
2008年03月29日
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勉強恐怖を乗り越えて学習塾経営へ強迫観念との長いつき合い私の強迫観念はちょっと一風変わっておりまして、読書恐怖あるいは勉強恐怖の一種で、数学(他に英語や理科でもそうですが)に対する不完全理解恐怖とでも言うべきもので、不完全恐怖のひとつとも言えるでしょう。他の神経質症はほぼすべてクリヤーできた後もこれだけはなかなか良くなりませんでした。頭の中ではどうすればいいのかはよく分かっているつもりでしたが、実際には数学の教科書や参考書などを読むとどうしても不完全理解感が起こってくるのでそれをなくそうなくそうとはからってしまうのでした。また、私のとらわれがちょっとマイナーなものに思われて、他の人に「実はこのようなことに悩んでいます。」ということをなかなか言い出すこともできませんでした。話しても理解してもらえないんではないだろうか、こんな悩みは自分ひとりではないんだろうか、などマイナス思考が頭の中を渦巻くのでした。しかしこのたび、投稿の機会を与えられ、もう五十台の後半、自分を振り返るいいチャンスではないかと、思い切ってこれまでのことを四つの時期に分けて書いてみることにしました。第一期 神経質症に苦しんで森田を知るようになるまで第二期 森田を知り、就職するまで第三期 生活の発見会の会員でありながら何の活動もしなかった十年間第四期 森田の勉強を再開してから集談会に積極的に参加して現在に至るまでただし、紙数の関係で第一期から第三期までは簡単な記述にとどめることとし、主に第四期についてお話していきます。ところで、あらかじめお願いしておきたいことがあります。これから主に勉強恐怖や「数学に対する不完全理解感」に関する強迫観念(長いので『数学恐怖』と略称します)についてお話するのですが、勉強とか数学とかはちょっと重苦しいテーマです。そこで、勉強とか数学のところを「対人」とか「閉所」「乗り物」など、ご自分のとらわれに置き換えてお読みいただきたいのです。そうすれば、重苦しさも幾分は軽減されるのではないかと考えています。なるべく置き換えても話が通じるように努力して書いてみましょう。第一期 神経質症に苦しむ私は岐阜県在住、五六歳、小さな学習塾を経営、五人家族です。一九四六年(昭和二十一年)十一月、九州は福岡県飯塚市で長男として生まれました。子どものころから執着性が強く心配性、さらに完全欲が強いといった神経質性格を持っていたようです。強迫観念のきっかけは一九六三年(昭和三十八年)、高校一年の冬に数学の勉強をしていたある日のことです。そのとき、たった今勉強して理解したと思っていたところをどうも完全には理解していないのではないかという観念にとらわれました。それまではそういうことは全くなかったので非常に不安になりました。これはいけないというわけで,そこのところをもう一度勉強して次へ進もうとしたのですが、するとまた先ほどの観念が起こってきてどうもまだ理解していないのじゃないかという気持ちになるのです。次第に心が苦しくてたまらなくなるので何とか分かったという気になろうとして、同じ所を何回も何回も堂堂巡りをするようになりました。そのうちに、英語だとか物理にもとらわれるようになりましたが、特に数学の本を読むときにひどく、一晩かかっても一ページはおろか一行も先に進めないということがよくありました。これらは実は私の好きな科目でしたので、当時はどうして好きな科目に不完全理解感が噴き出してとらわれてしまうのか分かりませんでした。分かったのは、後年、森田を勉強してからのことです。こうして、とらわれはだんだんひどく、しかもいろんな方向に広がっていきました。勉強恐怖・読書恐怖のほかに、詮索癖・不完全恐怖(戸締りやガス栓など)・雑念恐怖・祈念恐怖(むしろ祈念癖とでも言ったほうがいいでしょうか)・不潔恐怖・疾病恐怖・精神病恐怖などの強迫観念にとらわれ、そのために生活がひどく後退し、集中力が極端に低下、身体的にも慢性的な便秘、食欲不振、不眠などに悩まされてきました。生活の後退とともに、学校の成績もどんどん下がっていきましたが、さすがにこれは何とかしなくてはいけないという気持ちも起こってきました。そしてご多分にもれず、誤った行動に走ってしまうわけですが、具体的に一、二、申し上げますと、不完全理解感が起こるのは言葉の勉強が足りないせいだと考え、日本語に関する本とか哲学の本をせっせと買い込んできては学校の勉強そっちのけで読みふけってしまいました。ところが結果は頭を混乱させるだけで何の役にも立ちませんでした。こういう毎日でしたが、他の人たちの体験にあるように、いろんな療法や健康法を試すとか医者に通うとか薬を服用するということは一切ありませんでした。これはいまだに不思議な気がするのですが、自分のことだから絶対自分で解決するんだという執着性のためだったのでしょう。頭の中はまるで戦争状態でした。大学入学後は名古屋に下宿しましたが、下宿生活の気ままさのせいもあり、生活はさらにいっそう後退し、ついには昼夜逆転の生活が続くようになり、下宿に引きこもる日々が多くなりました。自分の不勉強が人にわかるのではないかと思うようになって人の目が怖くなったり、学友がどんどん勉強を進めていく姿を見るのがつらくなったりしたからです。そして実際に本を読んでいくという努力もしないで、自分はこんなに理解ができないのに他の人はどうしてああもやすやすと理解できるのだろうと嫉妬したり、こんなことも理解できないとは自分が情けないと思って机で頭をかかえる日々でした。このような状態が高校一年の終わりごろから大学四年の終わりごろまで六年間続きました。第二期 森田を知り就職できた一九六九年(昭和四十四年)の三月、本来なら大学を卒業する月ですが、留年することにして社会に出て行くことを一年先延ばしにしてしまいました。このような状態ではとても社会人になる自信がなかったのです。そんなある日、下宿近くの本屋さんで全く偶然に森田療法の本に出会ったわけです。最初に手にとったのは「自覚と悟りへの道」(ノイローゼに悩む人々のために)でした。勉強の本はちっとも進みませんでしたが森田の本は一晩で何冊も読めました。こうして森田に出会って非常に心が軽快になり、一時期勉強もはかどるようになりましたが、そこは独学の悲しさ、またまた以前の状態に引きずり戻されるようになってしまいました。その後、意を決して著者である水谷啓二先生に手紙を書き、さらにその一年後、啓心会日曜集談会に出席させていただきました。一九七〇年(昭和四五年)九月のことです。会は東京都練馬区の水谷先生のご自宅で開催されました。しかしこのときには残念ながら水谷先生はすでに亡くなっておられました。啓心会日曜集談会には四回出席させていただきましたが、集談会との最初の出会いであり、さまざまな助言・激励を受け大変心が軽快になることができたこの会での様子のことはいずれまた別の形で投稿できたらと考えています。このように啓心会日曜集談会から元気をいただいたおかげで、ようやく社会に出て行く自信を得ることができるようになりました。第三期 森田について不活動の十年間かろうじて大学を卒業、長野県の精密機器製造会社に就職しました。とらわれはありましたけれども数学とか物理とか英語といったような私を苦しめた対象がなくなって、学生の頃に比べればかなり気持は楽でした。というのは、自分の専攻(理学部物理学科)と全く異なる職場に配属されたからです。ほっとしたというのが正直なところです。ちょっと情けないですが。しかし、就職してからの十年間は森田についてはまったくの不活動の時期でした。恐怖の対象がなくなってしまったため発見誌も読まず、あれだけ一生懸命通った啓心会日曜集談会にも出席せず、集談会のなかった山梨県に集談会を作ろうということも思いつきませんでした。(一時期、長野県から山梨県に転勤していました。)また、妻にも森田と発見会のことは十分に説明しておらず、そのために会に出席できにくかったという記憶もあります。私の経験から言いますと、家族にはなるべく早く話すほうがよい結果をもたらすようです。たしかにこの十年間は森田に対して不活動で、私はよく第二のトンネルと言っていました。しかしよくよく振り返ってみるとこの十年間に、結婚し、三人の子どもを授かり、引越し五回、転職を含む転勤六回と、まさにそれまででいちばんの激動の時期であったことがわかり、今では自分もよくがんばってきたなあと、自分を認める気持ちになっています。一九七九年(昭和五十四年)に長野県の会社を退職して、三重県桑名市の小さな会社に再就職しました。ところが、前とは全く異なる職場環境のために、強い適応不安を起こし、人間関係の上でも内外で衝突や摩擦を起こしました。仕事は思いのほかきつく、いつも帰宅が午後九時十時となってしまうのです。私は将来に不安を感じ、郷里で学習塾を開こうとひそかに考えるようになりました。[以下、03/29に続く]
2008年03月28日
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Diary in EnglishI watched the movie-"The Devil Wears Prada". I wiped my tears at the last scene.
2008年03月27日
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Diary in EnglishMy younger sister's mother-in-law left the hospital yesterday, my mother said. I felt relieved at the news. She had been suffering from colorectal cancer.
2008年03月26日
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Diary in EnglishMy younger sister's mother-in-law left the hospital yesterday, my mother said. I felt relieved at the news. She had been suffering from colorectal cancer.
2008年03月26日
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Diary in EnglishI had a lumbago / a backache last Sunday, when I was carrying some heavy baggage.
2008年03月25日
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8/28は久しぶりに皆既月食だそうです。中部地方は夕方から夜にかけて曇りとの予想できれいに見られるかどうかちょっと心配ではありますが。ではでは(^^)/~~~*****************************************************Water2046 人生は、であい、ふれあい、たすけあいNPO法人 生活の発見会ホームページhttp://www.hakkenkai.gr.jp/名古屋水曜集談会HPhttp://www.hpmix.com/home/hanatomo/*****************************************************
2007年08月28日
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きょうは1937年7月29日の通州事件から70年を迎えた。一人でも多くの人が、この「封印された歴史」の真実を知ることが求められている。http://www.history.gr.jp/~showa/tushu.html以前、「南京事件」(いわゆる南京大虐殺)の本を何冊か読んでいるうちにこの事件のことを知った。当時の新聞などのマスコミはこの事件を大々的に取り上げていたようでChinaへの憎しみは極大に達した。その後の日中戦争の心理的基盤になったのではないか。旅順事件(日清戦争)、尼港事件(1920年)などとともにこの通州事件、しっかり真実を心に刻むことが大切であることを痛感する。ではでは(^^)/~~~*****************************************************Water2046 人生は、であい、ふれあい、たすけあいNPO法人 生活の発見会ホームページhttp://www.hakkenkai.gr.jp/名古屋水曜集談会HPhttp://www.hpmix.com/home/hanatomo/*****************************************************
2007年07月29日
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この項、実は6月17日(日)のことなのだがうっかり間違えて7月の日記としてアップしていて、気が付いたときは遅く、もう6月の日記は入力できないという。やむなくそのまま7/17の欄に書いたままにしておく。息子が3月に生まれたReNoちゃん(初孫)のお食い初めをやるといってきたのはもう先月(5月)のこと。われわれの時はあまりおおげさにはしなかったが、息子が言うには「日ごろ双方の両親が会うことはめったにないので料亭でやる」とのこと。当日は晴天でよかった。午後1時~3時。無事終わった。ReNoちゃんを肴に大人が酒を飲んだということだ。ではでは(^^)/~~~∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽Water2046@名古屋水曜集談会 人生は、であい、ふれあい、たすけあい∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
2007年07月17日
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