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必死の思いで、おぼつかない記憶をたぐりよせるミケをその場に取り残し、美緒がしぶしぶ立ち上がった。
その美緒の、もう片方の手を取ったのは、これもまだ子どものころの正樹だった。
「珠子の言うとおりだぞ、美緒。 野良猫なんて汚いんだ。 バイキン、いっぱいついてるぞ。 あんなの触ったら病気になっちゃうぞ」
この言葉に、ミケは心臓も凍りつくようなショックを受けた。
――― ちがう! あの時は確かに正樹坊ちゃんもお嬢さまたちと一緒にこの場にいらしたけれど、このようなことはおっしゃらなかった。
正樹坊ちゃんは、珠子お嬢さまと私を指差し、からからと明るい笑い声を上げてこうおっしゃったはず。
『ははっ! 珠子も、美緒も、泥んこじゃないか。 その格好で家に帰ったら、おばさんに怒られちゃうぞ。 いっそ、この子猫を家に連れて帰って、飼ってくださいって頼んだらどう? 珠子んちのおばさん優しいから、きっと子猫のほうに気を取られて、お前たちが服を汚したことなんか怒るの忘れちゃうかもよ』
だが、悪霊のもたらす偽の記憶の中の美緒は、急におびえたような目をミケに向け、身震いしながら後退った。
「いや。 バイキン、汚い! 野良猫、あっち行け!」
珠子も笑って、ミケに背を向ける。
「じゃ、早くおうちに帰って手を洗いましょ。 ママがおやつにホットケーキを焼いて待ってるわよ。 今日は正樹お兄ちゃんのママがお留守だから、お兄ちゃんもうちで一緒におやつを食べることになってるの。 楽しいわね」
明るい笑い声を立てながら、小さな傘が三つならんで、ミケの前から遠ざかっていく。
――― 激しいショックに、ミケの目の前が真っ暗になった。
もはや、この幻が偽の記憶だという判断すらつかなくなるほど、自分を見失っていた。
うそ!
こんなの嘘!
あのとき、『どうしてもおうちに連れて帰るの』と泣き出した美緒お嬢さまを優しくなだめ、『俺んちの母さんはきっと動物を飼うことは許してくれない』とうなだれた正樹坊ちゃまには明るい笑顔を向けて、『大丈夫、あたしが絶対にママを説得するから二人とも心配しないで。 この子は今日からあたしたち三人の妹になるのよ』と、力強い声で決断を下してくださったのは、他の誰でもない、珠子お嬢さま、あなただったではありませんか!
ああ、珠子お嬢さま、ミケをおいていかないで!
降りしきる雨の向こうに消えていく三人に追いすがろうとしても、子猫のミケに、もうそれだけの力は残っていなかった。