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ラーメンをどんぶりに移した昇一さんが、返事のかわりのように小さくため息をつくと、おばさんが絶妙のタイミングでそのラーメンにスープを注ぎ入れ、後を引き継いだ。
「それがねえ、かわいそうに、ひとりで寂しくなったんだかお腹がすいたんだか、古毛布の寝床からよちよち這い出して、トラックの往来が激しい大通りまで出て行っちゃったらしいんだよ。・・・ありゃちょうど昇一が学校から帰ってくる時間だったねえ、店もそろそろ忙しくなり始めるころだった。 大通りで突然、キーッ、て、すごいブレーキの音がしてねえ、あっ、また事故だと思って出て行ってみたら、ここの駐車場の前にトラックが止まってて、若いドライバーが、『何でもねえよ、猫だ、猫を轢いちまっただけだ。 おばさん悪いけど片付けといてくんない? 俺時間ないから。 ごめんね』とかなんとか、言い残してさっさと行っちまうんだね。 ウチの店だってちょうど忙しくなる時間だし、片付けてくれったって、ゴミじゃあるまいし、ねえ、・・・そうしたら、ちょうどそのとき学校から帰ってきた昇一が、真っ青になってすっ飛んできて猫にすがりついて、 クロちゃん、クロちゃん、って、 まあ、泣いて泣いて・・・そんな猫のことなんかきれいに忘れてたあたしまで、思わずつられて泣いちまうくらい、そりゃあもう、大変な悲しみようだったんだよ。 あの時は、あたしもお父ちゃんも、心から反省したもんだ。 もっと昇一の気持ちをよく聞いてやらなきゃいけなかった、ってさ。 ねえ、お父ちゃん?」
またしても、はん、とか、あん、とか、おじさんが生返事をしたが、おばさんはそれには目もくれず、ラーメンにナルトを乗せ、チャーシューを乗せ、メンマを乗せ、最後に海苔と刻みネギを乗せて、美緒の前に、トン、と置いた。
「はい、美緒ちゃん、大盛りラーメン、お待ち遠さま」
「・・・きっとクロは、そのとき、昇一さんが帰ってくる時間だとわかっていて、迎えに出ようとしたんだな」
虎雄がひっそりとつぶやいた。
「きっと、早く会いたくて一刻も我慢できなかったんだろう。 いつも兄ちゃんと一緒にいたかったんだろうなあ」
たとえ怨念になっても、と言う言葉を飲み込んで、虎雄がズズズ、とラーメンをすする。
だけどね、と、昇一さんがきをとりなおしたように笑顔に戻って言った。
「あの生垣のところにクロのお墓を作ったとき正樹が手伝ってくれて、そのことを覚えてくれていたおかげで、今度帰って来た時クロの供養をすることができて、とても良かったような気がするんだ。 不思議に身の回りがすっきり、きれいになった感じで、娘たちも、女房も、なんだかとても明るい表情になったような気がするんだよね。 気のせいだと言われりゃそれまでだけどさ」
あら、ウチもだよ、と、おばさんが、ぽん、と両手を打ち合わせた。
「ウチも、なんだか風通しが良くなった感じで、妙に爽やかな感じで仕事ができるんだよね。 お客さんたちまでなんだか前より明るい顔つきに見えるし、・・・あら? そういやここんとこ、お父ちゃんとも口げんかしてないねえ。 これも気のせいかね、お父ちゃん?」
気のせいじゃない、と、珠子は思う。
クロは、長い間、昇一さんに自分を思い出して、話しかけてもらいたかったのだ。 その望みがようやくかなって、今は、クロも幸せな気持ちでこの一家を見守っているのだろう。 だから、みんな気分がいいのだ。