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「朝生」を視ていたときも思ったが、
日本の教育現場できちんと説明できずにうやむやにしてきたことが
たくさんあって、それに代表される
「尊重されるは常に個人」
という個人主義が教育の現場に蔓延したことが、
「できない」状況を生んだのではないかと思う。
◆小学校で~
先生「おはしをきちんと持ちましょうね」
児童「どうして?」
先生「きちんと持った方が食べやすいし、見た目もいいでしょう?」
児童「ううん。ボクはこの方が食べやすいし、見た目なんか気にしない。ボクがいいんだから、いいじゃん。だれにも迷惑かけてないし」
先生「……」
◆中学校で~
先生「校則を守りましょう」
生徒「なんで、詰め襟のホックをとめないといけないんですか?」
先生「きちんとしていた方が中学生らしいでしょう?」
生徒「“中学生らしい”って何ですか?」
先生「校則を守ることも中学生らしいという条件の一つです」
生徒「人が思う“らしい”なんて、それぞれ違うでしょう? ボクはホックをはずしてても、中学生らしいと思います」
先生「……」
◆高校で~
先生「校則を守りましょう」
生徒「なんで?」
先生「校則を守れないような人はきちんとした大人にはなれません」
生徒「じゃ、校則さえ守ってれば、きちんとした大人になれんの?」
先生「校則を守るのが学生の務めです」
生徒「学生の務めは勉強することじゃないの?」
先生「そ、そうよ。きちんと勉強しましょう」
生徒「なんで?」
先生「いい成績を取らないといけないからよ」
生徒「なんでいい成績を取らないといけないの?」
先生「いい成績を取らないといい大学に行けないでしょう? いい大学に行かないと、いい会社に就職できないわよ」
生徒「いい成績を取ったら、必ずいい会社に就職できるんだね。できなかったらどうしてくれる?」
先生「そ、それは…」
生徒「校則守って、いい成績を取ったら、オレにはバラ色の人生が待ってんだろうな! え?」
先生「……」
親に対しても同様な物言いをする子どもが多いと感じる。
だれを見習って、そんな言い方をするのか…。
この議論の手法は、ある種の共産主義者の得意技。
相手の意見や主張に対して、それが 必要 (にして) 十分 (な) 条件 で
なければならないかのような反論をする。
反市長派「何で教員が国歌を起立斉唱しなければならないんですか?」
市長「大阪は犯罪率が高い。ルールを守らない大人がルールを守れ(犯罪を犯すな)と子どもに言っても聞くわけがない」
反市長派「じゃ、教員が国歌を起立斉唱したら、犯罪がなくなるんですか? 犯罪がなくなるというエビデンスは?」
まさしく「屁理屈」というものだが、
教育者は児童・生徒・学生を一蹴も、説得も、論破もできなかった。
そして子どもは、大人を、社会をなめるようになった。
国会では……総理大臣がボコボコにされている。
過去の言質の揚げ足を取られ、失言をやり玉に挙げられ、
無能だ、存在価値なしだ、去れ、などとケチョンケチョンにやられる。
国家の最高権力者がだ。
それを子どもが見ていて、尊敬や尊重、謙虚、謙譲といった精神が
芽生えるわけがないし、引いては、そういう精神が礎となる
「秩序」「モラル」「ルール」への認識が正常になるはずがない。
日本の教育制度は、行政から独立している、という体裁を保っているが、
その理念が形骸化し、崩壊の実態を露呈してしまっている。
そして国民にとって行政は「最も信用できないもの」となり果て、
「未来」も「幸福」も「夢」も「安定」も「安心」も奪い取ってなお
その醜態をさらしている。
やはり、「政治」が悪い。
そして、「政治」をそうしてしまった、利権構造と
それにかかわった人が悪い。
さらに、そんな悪い人が驚くほど多く、問題が顕在化したいまでも
これまでのことを自戒し、態度を改めるどころか、
握った利権を逃すまいと、汲々としている。
それが、日本国民であり、どうしても排除できないでいることは
間違いない。
それらの巨大なバケモノの存在を知りながら自ら立ち上がらず、
そのバケモノのせいにして「できない」ことを正当化する国民が
最も悪い。
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