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今年初めごろから、「どう生きたか考えてみた」というタイトルでシリーズのブログを書いていた。見返してみたら、完結していない。近いうちに完結せねば。24歳のときに独立した虫けらは、「かっこいい」生き方をしようとまでは思わずとも、その対義語である「みっともない」生き方はしまいと心に誓った。それを体現するために、何を心得たか、どう行動したかということを簡単に綴ったものだが、スピンオフの⑤は別として、④までに書いたことはそのとおりである。先週、中学のときの同級生と会食した。この人は、このブログで何度も登場する中学3年生のときにちょこっと付き合った男性である。付き合ったという言葉は嘘に近い。告白を受けて、一度だけデートという名の散歩をしただけの関係である。そういえば、告白を受ける前だったのだが、ちょっと浮ついたエピソードがある。虫けらの父親は頑固で怒りっぽく、意味不明な信念がある人間である。虫けらは3人兄弟(姉、兄、虫けら)なのだが、3人とも、学級代表とか生徒会とかに縁が深い。兄についてはノープロブレムだったのだが、姉がそれを言い訳に遊びまわっていたせいで、虫けらが学級代表とか生徒会だとかに名を連ねると、「やめてまえ!!」といきり立った。実に理不尽である。姉の悪行が虫けらに祟った。虫けらはクソ真面目な人間なのに、である。ある日の放課後、生徒会の仕事があって学校にいたら、男性の先生が慌てて生徒会室に飛び込んできた。「◯◯(虫けら)、おやじさんから電話や!」虫けらは「来た!」と思った。電話の理由は「帰ってこい!」というものだろう。平謝りしながら職員室に入り、受話器を取ったら、周囲にも聞こえそうなくらい大きなおやじの声が。「帰ってこい!」である。その勢いに怖気付いた教師が「きょうはもう帰れ」と言ってくれるのだが、他の委員が仕事をしているのに、虫けらだけ帰るわけにはいかない。「いえ、最後まで作業します」と言ったが、教師数人が虫けらの説得にかかる。そこへ、心配した彼がやってきたので事情を説明した。彼は生徒会長なので、「きょうは帰れ。僕の命令や」と言ってくれた。他の委員には黙って、このまま帰れと言う。後は何とかするからと。自分の教室に戻り、荷物をまとめた虫けらは、学校の門を出て家に向かって憂鬱な表情で歩く。激昂したおやじをなだめるのは大変なのだ。家に到着したら、まず何をしようかと思案する。そこへ、自転車に乗った彼が虫けらに追いつく。告白はまだなものの、お互いに好意を持っているのは確かではあるが、互いの気持ちを確かめていない状態だったので、わずかな緊張感と高揚感が入り混じった「恋」の感情が巻き起こる。「送って行くわ」と言ってくれたのだが、家までそんなに時間はかからない。ゆっくり歩いて時間を稼ぎたいが、帰宅が遅くなると、おやじの激昂が激しくなる。ジレンマの中、ほとんど話していないのに、背後から「ちょっと待って!」と嫌な声が聞こえる。勘違い男・ゴジラである。本当はゴジラではなく、独特の彼のあだ名があるのだが、ここに書くと検索されて、虫けらが特定されるかもしれないというほど特徴のあるあだ名なのだ。この男は、虫けらのことが好きだと周囲が言っていて、虫けらもそれを知っていた。本人は虫けらに何も言わないのだが、周知の事実として、その噂は一人歩きしていた。しかし! である。せっかく、彼が送ってくれるという絶好のシチュエーションなのに、ゴジラに邪魔されるのは、本当に腹が立つ。口を開いたら、罵詈雑言が出そうになるので、虫けらは口をつぐんだ。彼も黙った。ゴジラだけ、要らぬ話をペラペラと。そんな、淡い記憶があるだけで、大したエピソードがなかったのだが、40代のときに彼から封書が届き(虫けらの会社宛に届いた)、再会した。それ以来、会わない年もあったように思うが、ここ数年は、店にも来てくれたりして、年に3〜4回は会っているように思う。その彼に、先週ようやく聞くことができた。去年も聞いたのだが、どうも結論を覚えていなかった。彼は、大変女子生徒にモテた。虫けらが知っているだけでも4〜5人、彼に聞けば、10人近くの女子生徒の名前が出てくるほど相手から告白されていた。そんな彼が虫けらを選んだ理由がわからなかった。虫「中学のとき、なんで私のことを好きになった?」彼「君は別格やった」そこまで聞いていたのだが、何が別格かを聞き損じた。聞いたのだが忘れている、ということかもしれない。虫「前も聞いたけど、私の何を好きになった?」彼「君、カッコよかったよ」虫「カッコよかった?」彼「うん。カッコよかった」虫「まぁ、運動については、そうかもしれんけど」虫けらは、スポーツを生業にしたいと思ったほど、運動好きだった(飽くまでも「したい」であって、「できる」ではない)。彼「いやぁ、カッコよかった」スポーツ以外のことか。顔の話もしていたように思う。彼は虫けらのことを学校でも美形と評価される女子生徒(彼女も彼のことが好きだった)と同様にカテゴライズしていたらしい。虫けらは美形女子から美「◯◯(彼)くんと付き合ってるんやろ?」虫「付き合ってると言えるかどうかわからんけど」美「私も◯◯君のことが好きやねん」虫「へぇ。告白したん?」美「え、してもいいの?」虫「いいも何も。告白しいや。私に何か言う権利ないよ」美「ほんとにいいの?」虫「〇〇くんが誰を選んでも、彼の自由やし」美「告白するわ。ありがとう」などと言われ、大変嫌な気持ちになった。虫けらは、彼が自分を選んでくれるなどという自信はなかった。しかし、「やめて」というのもおかしな話である。結果的に、彼は美形女子からの告白を拒絶した。……あれ、美形女子と同じカテゴリーの虫けらを選び、彼女を拒絶する理由は何だったのだろう。顔ではないということだな。「カッコいい」か。いい言葉である。みっともない生き方をとことん嫌った虫けらは、15歳のとき、既に「カッコいい」と思われていたなんて、うれしいことこの上ない。よい言葉をもらった。彼とはもう会えないかもしれないが、今回の会食でこの言葉をもらえて、15歳からの長い、長い付き合いが肯定できた。ま、これは、虫けらの勝手な思いであって、彼はどう思っているかわからないのだが。…あ、怖い主治医はどう思っただろう。虫けらのことを「カッコいい」と言ってくれるだろうか。……もう聞くことはできないのだ。さ、そうなったら、お得意の妄想劇場である。怖い主治医の口から無理やりにでも「カッコいい」という言葉が出るシチュエーションをつくらねば。それはそうと、「どう生きたか考えてみた」を完結させねばならぬ。あすは、亡き夫の亡き父親の墓参りに行く算段だ。亡き夫と虫けらの初デートの記念日が義父の命日なのだ。何という巡り合わせ。来週は、2日連続の営業を終えたら2泊3日の旅行である。翌週はまた病院。毎日忙しい。 忙 殺
2025.11.26
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先週から、「会おうよ」メールが続々と届く。外科の検査結果が出たあたりから。いつもは「来店」という形で店で会っている人も、プライベートな形で食事をしようと。20代に仕事で知り合った人、中学の同級生、骨折中、自宅に誕生祝いに来てくださったお客さん、幼なじみ、数年前までよくご来店くださった神職さん、20年来のブログ友達……。加えて、看護師さんや理学療法士さんも。虫の知らせがあったのか?7月、骨折したことを確信して、救急車を呼ぼうとしたときも、珍しい人から立て続けにメールが入った。入院中も、いつもは全く連絡のない旧友やお客さんからのメールが…。虫けらからは何も発していない。連絡してほしい人に虫けらの意思が届くなら、もっと違う人に発信している!ま、それはそうとして。先週は、3人からのお誘いに応えた。きょうは急遽神職さんのお誘いに。来週は、幼なじみが「旅行に行こう!」と。こんなに急に予約できるプランはないだろう、と思っていたら、変なプランを探してきた。「変なホテル」の宿泊プランらしい。来週は、休薬の週なので、多分大丈夫だと思う。キャンセルは有料になる時期なので、体調の不安を理由に断りを入れたのだが、なかなかの強引さだったし、こちらとしても、旅行は最後になるだろうから、とりあえずOKした。が、今朝体重を測ったら、驚くほどの減り方。カヘキシアに移行してしまったか。昼ごはんにステーキを食べた。170gもあったので、食べ過ぎか、と思ったが、全く大丈夫。さらに、少し運動する。思えば、先週の熱発がいけなかった。月曜に投薬を開始して、火曜、水曜に熱発。本来なら、主治医の指示を仰いで、入院治療か休薬、あるいは別の薬の使用を考慮してもらうのだが、動くのが面倒で、自宅待機を決め込んだ。38.8℃を最高に、38℃台が12時間以上続いた。前回の治療のときだったら、すぐに電話相談したのだが、投薬の趣旨が違う今回は、熱以外の症状がないことと、食欲や運動に関する異常がなかったので、自己判断で自宅待機とした。多分、知恵熱的なものだと思った。店に予約が入っていなかったので、気の緩みもあったと思う。虫けらは、昔からそうだった。多忙に多忙を極める日常だと、体の不調など微塵も感じないのだが、仕事が一段落し、1〜2日の猶予ができたら必ず熱発していた。疲れやストレスが一気に吹き出す感じ。平熱にまで落ちたのが3日目(木曜日)の朝。その日は会食の約束が入っていた。前々日から、「大丈夫か?」というメールをもらったが、38℃以上あったので何とも答えられず、「翌日、改めてメールをします」と返したが、翌朝には37℃台に落ちていたので、その翌日は大丈夫と判断できた。その2日間、ゼリー飲料と水分、果物だけで過ごした。体重が1.5kg落ちた。木〜土曜日は毎日会食だったので、体重が減るわけがなかったのだが、今朝計ったら、びっくりするほど…。きのうは普通の食生活だった。ということは、食物をエネルギーに変換する能力が落ちているということだ。今朝の体重は、成人してからの最低体重に近い。これはいけない。こうしてあたふたしていたら、また虫けらの念が誰かに届き、誰かの「虫の知らせ」になるのか。お、虫けらからの知らせなので、「虫の知らせ」か。そうか、そうか。じゃない!迫りくるそのとき…は、近い。むむむ。 三 尸
2025.11.24
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その①で述懐したとおり、再び治療を再開することになった。「治療」といっても、前回のようながんの寛解を目指したものではなく、対症療法の一つであることは間違いない。新しい主治医が「来週月曜日から」(その日は木曜日)、と言ったことから、かなり切羽詰まった状況であることは、虫けらにも理解できた。血液検査では、全く異常がわからなかったのだが、画像を見た主治医の経験則から、「急ごう」という結論になったのだろう。治療前には必ず血液検査をする。検査結果が出るまでの時間を考慮して、診察予約時間の1時間ほど前には病院に到着し、採血を済ませた後、自動測定器で血圧を測り、看護師さんが検温と血中酸素濃度測定をしてくれたら、問診票に必要事項を書き込んで、診察を待つ。予約時間より少し早く呼び込みアナウンスがあり、診察室に入る。モニターに映し出された血液検査の結果を見て、虫けらが声を上げる。虫「随分悪くなってますね」主「自覚はありますか?」虫「ありません。いつもどおりです。 外的要因はありません」主「そうですか」虫「治療、できますか?」主「ギリギリ大丈夫です」虫「きょうじゃなかったら、無理だったかもしれませんね」主「……そうですね」虫「それにしても、急な…」主「治療、予定どおりやりますか?」虫「はい」この状態で治療を拒否したら、即余命宣告になるのではないかと思った。それほどの急変だった。前回の診察時、詳しい所見は話してくれなかったが、主治医としては、時間が余りないと判断したのだろう。わずか4日でこれほど状態が悪くなると思っていたかどうかは定かではないが、治療開始日を翌木曜日(診察予約はいつも木曜日)とはせず、それより早い月曜日(これも主治医の診察日)としたのは、それなりに急いだということだと解釈できる。がん治療室で点滴後、ベッドの上に座ってYouTubeを見ていたら、外科の外来にいる看護師さんがやってきた。「同意書」と書かれた書類を持っていて、サインをくれと言う。前回の治療の際には、そんなものは書かされなかった。看「病院の方針で…」虫「前回はなかったですよね」看「最近、何でも同意書を取るようになっていて」虫けらがサインを済ませると、「患者控え」を置いて出て行った。トラブルが多いのだろうか。がん治療は高齢の患者が多い。家族とのトラブルもあるだろうし、本人が忘れてしまうこともあるだろう。医療過誤訴訟にも備えないといけない。医療機関も大変である。看護師が出て行って数分後、主治医が入ってきた。虫けらへの訪問ではないと思った。目的は、別のベッドにいる患者かと思って知らん顔していたら、虫けらの横に主治医が立つ。『何事?』と慌てて座り直し、虫「私ですか?」主「はい。説明にきました」と、書類を出して先ほどサインした同意書の続きと思しき詳しい書類を3枚ほどめくりながら説明をする。この説明内容は、前回の診察の後に薬剤師からされたし、詳しく書かれた冊子を読んで予習したもので、何も主治医から直接聞かなければならないほどの新たな情報でもなかった。しかも、診察中の時間帯である。主治医のメインの診察日は木曜日で、月曜日にも診察日が設定されているが、虫けらの予約はいつも木曜日となっている。怖い主治医から受け継いだ患者は木曜日の受診になる、と勝手に思っていたのだが、妄想か。月曜日なのに、虫けらに時間を割いてくれたのは、申し訳ない限りである。主治医が出て行った後、治療室の看護師さんに、虫「主治医の先生が治療室に来てくださったの、 初めてです。そういうシステムになったんですか?」看「え、いや、そういうわけではないんですが、 同意書とか、事前説明をちゃんとやるように 病院から言われているのは事実です」虫「診察があるのに、大変ですよね」看「あの先生は…、丁寧なんだと思います」虫「ここに来る先生は少ない?」看「来ません。呼ばない限り」なるほど。治療は3週間スパンなので、次の診察日は3週間先となっている。『その診察日に説明すればいいや』というのでは、遅いと思ったということかもしれない。3週間の間に虫けらが死んだとしたら、がんで死んだのか、治療で死んだのかわからない。家族が医療過誤を疑う可能性もある。詳しい説明をした、という証拠を治療室の看護師に示して、何かあったときのアリバイ証言にしようというわけだ。ははん。…………えっ、えっ、えっっっ!そんなにすぐに死ぬのか、虫けらは!えらいことである。ちょっと急過ぎる。いや、いや、がんと言われて2年半。急でも何でもない。会わないといけないと思ったたくさんの人に会ったし、行きたかった湯治旅にも2度行ったし、いろんな人と食事をして、処理しなければならないことを処理してきた。十分に時間はあった。が! しかし、である。やっぱり急である。2週間ほどで、最期の準備はできるのか?そういえば、虫の知らせを感じたのか、知り合いから会食の誘いが3日連続で入った。それにも応えつつ、大急ぎで片付けよう。人生、無常である。 切 迫
2025.11.21
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左脚脛骨固定のための手術を受けてから1週間、ふくらはぎ全体に巻きつけられていた伸縮性のあるテープを取った。ふと見ると、足首の少し上、筋肉のふくらみの下にアザのようなものがある。虫「これ、なんでしょう」テープを取ってくれた看護師に問うた。虫けらは、手術中にレーザーメスが当たったなど外的なケガかと思ったのだ。看「え、これ? なんでしょう」虫「手術中にケガした?」看「何も聞いてないけど…」虫「先生に聞いて見ます」というわけで、整形外科の担当医にも聞いてみたが、担「手術中にこっち側は触らないからなぁ…痛みは?」虫「ないです」担「なんやろ…」虫「火傷かな、と思ったけど、全然痛みがないし…」担「様子みましょか」となった後、アザのようなものを触っていたら、中にコリコリとした物体があることに気づいた。そのことも、担当医に問うてみた。担「これ? ほんまやな。何かあるなぁ」虫「今回の入院の前は、何もなかったです」入院中はもちろん、外来の診察でもこういう不毛なやりとりをしていたのだが、いよいよ我慢ができなくなって、今月初めの外来診察のとき、虫「先生、皮膚科への紹介状を書いてもらえませんか? はっきりさせときたいし」担「あ、そうですね。じゃ、書きますね」というわけで、外来やリハビリの予定が詰まっている中、皮膚科を受診した。前回は、抗がん剤の副作用で、左足の親指の爪が剥がれそうになったときに受診したのだが、皮膚科の部長先生は、とても頼りない印象だった。が、今回は腫瘍(悪性であればがんである)なので、丁寧に診てもらえるのではないかと思った。虫「これなんですが…」ズボンの裾をめくってアザを見せる。部長先生は、やおらカメラを手に取り、アザにレンズをくっつけてシャッターを押す。皮膚の診察専用のカメラなのだろう。部「んー、拡大して見ても、 ほくろとかと同じ組織の状態のようですけど…」虫「このアザの奥にコリコリした異物があるんです」部「どこですか?」アザを触りながら言う。虫「ここです」部「これ?」虫「はい」部「何もないみたいやけど…」『えーっ、今触ってたやん。どんな指の感覚しとんねん』と虫けらは内心思った。部「その組織を取って、見てみるという手があるけどね」と言いながら、モニターに「同意書」と書かれた書面を映し出している。虫「組織を取るということは、メスで切り取る?」部「1cmちょっとの紡錘形の切り目を入れて、 中の組織を取るんです」虫「えっ、先生、いま、何もないとおっしゃいましたよね」部「あるんでしょ?」虫「私はあると思っていますが…。ないとおっしゃるものを 切り取るんですか?」部長先生は、困った顔をしている。虫「せめて検査をして、何なのかあらかた確認した方が いいように思いますけど」部「金属、入ってない?」『プレート装着の手術を受けたってカルテ届いとるやろが』だんだんイライラしてきた。部「金属があると、MRIはダメだし、CTも…」虫「エコーではわかりませんか?」部「大したことはわかりませんが、 とりあえずエコーしてからにしますか」多分こういう場合、組織を取ってしまうのが定石なのだろう。しかし、もしがんだったら、細胞が飛んでしまうとか、組織を取り切れなかったといったときの弊害も大きい。しかも、これ以上傷を増やしたくないというのも心情。エコーの技師さんはやさしい人で、画像を撮りながら、説明してくれたし、こちらの質問にも丁寧に答えてくれた。エ「悪いもんやないと思います。悪いもんやったら、 もっとギザギザした形してるし、硬い。 これは、柔らかいし、筋肉組織の一部みたいに なじんでるからね。けど、何かはわかりません」これが答え。再び部長先生の診察。技師さんに言われたことを言ったら、部「所見にそのとおりのことが書かれています」虫「急に成長して悪さすることはないですよね」部「そういった類いのものじゃないみたいですね」虫「では、このまま様子見ます。 多分、半年は無理。3ヵ月がいいところなんで」部長先生、虫けらの顔を見て無言になる。虫「もし、大きくなったり、状態が変わったら、 また診てください」部「わかりました」よかった。ふくらはぎをえぐられるなんてことになったら、何重苦になるのだろう。それにしても、何だろうこのコリコリ。わからずに死ぬのは無念だが、切ったら大きな真珠が出てきた、なんてことがないなら、知らぬままで損はない。次に出現する苦悩は何なのだ!! 不 詳
2025.11.19
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主治医が怖い主治医から今の主治医に変わって1度目の診察時。主「来週、検査しましょう」実は、その診察の予約を入れるときは、まだ怖い主治医だったので、虫「次は検査ですよね」怖「まだ2ヵ月やからなぁ」予約日から逆算すると、前回の検査から3ヵ月経つことになる。怖い主治医の通常診察は1ヵ月前にあって、その日の診察はイレギュラーなものだった。整形外科に入院中に行ったCVポートの撤去手術の手術痕をチェックしてもらう必要があったので、たまたま整形の外来で会った顔見知りの外科の看護師さんに入れてもらった診察だった。怖い主治医はそのことを失念していて、通常の診察と勘違いしていたのだろう。新しい主治医から「来週検査」と言われたときは、『あーあ、この診察が無駄になったよー』と、ちょっと不服だった。というのは、整形外科の外来受診、リハビリ、皮膚科の受診、保険の給付金申請書類の受け取りと、病院に足を運ぶべき用件が重なっていて、そこに2度の外科受診というのが加わるのが、結構負担になったのだ。主「検査結果を見て、治療について相談しましょう」この言葉がどんよりのしかかった。怖い主治医には、時間をかけて治療を終了することを理解してもらった。その経緯はカルテなどには書かれていないだろう。またその説明をするのか、と、気が重かった。という流れで2度目の受診時。血液検査の結果はいつもどおり。肝臓も腎臓も血液系もほぼ問題なし。腫瘍マーカーもさほど変化なし。ところが、主治医がやおら血液検査の数値を表示しているのとは別のモニターに造影剤CTの画像を映し出した。虫けらの目には、前回の画像との違いを見破ることができなかったのだが、主治医が画像を前後に動かしながら、主「ここがね……」と、状況を説明し出した。それは、虫けらにとって全く好ましからざる話だった。ふと、机の端を見ると、虫けらの方に書類と冊子が広げて向けてある。主「前回の治療では、副作用が強くて中断したようですが、 この薬剤は副作用が出にくい組み合わせです」おっと、治療の話になっている。虫けらとしては、血液検査はいつもどおりだし、治療に踏み切る切迫性を感じていなかった。虫「実は、副作用が強くてやめたんじゃないんです」と、治療をやめた経緯を話した。無駄な説明のように思ったが、一応細切れでも、怖い主治医とのやり取りや1年半の流れを披瀝する必要を感じたのだ。主「え、そうなんですか」と、少したじろいだようだったが、治療の話をやめなかった。物理的な手段(手術など)も考えるが、先に、低侵襲の治療法を取るのが当たり前という話である。『え、私、治療するの?』と、反逆する心が出現する反面、話のネタができた、新しい主治医の売り上げにも貢献せねば、人生経験、などという邪(よこしま)な思惑も吹き出して、なんとなく了承してしまった。主「スタートは来週月曜日、いいですね」『えっっっ! そんなに急に』これは、大分悪くなっている証拠だといくら自分勝手な虫けらでも認識せざるを得なかった。虫「はい」あー。。弱いとはいえ、また副作用との戦いである。そして、死ぬまでやめられない治療になることも覚悟しなければならない。虫「やめどきが難しいと思います。 治療の結果で都度判断できますか?」主「3週間スパンですから、その都度できます」虫「わかりました。よろしくお願いします」一応、虫けらの意思は伝えることができた。やめる前提。しかし、やめたら死ぬ。死んでもいいから、やめたいときにやめる。死ぬときは、副作用で苦しみたくない。そういう意思表示である。というわけで、決して再開しないと言っていた治療を再開する羽目になってしまった。主治医が変わるというのは、こういうことか。この状況で、怖い主治医はどう判断し、虫けらに何をすすめただろうか。新しい主治医と同じだろうか。ただ、新しい主治医は、怖い主治医と違って、「医師」だと思った。感情や患者の気持ちは一切排して、病気の状況だけに向き合う姿勢だと感じた。怖い主治医の持っていた「やさしさ」や「配慮」は新しい主治医にはないと見た。少なくとも、虫けらに対しては。いま思えば、怖い主治医は医師然として、人を寄せ付けない冷たさを持った医師だったが、虫けらに対しては、やさしかった。虫けらの無理やわがままを飲み込んでくれた。昔の「お医者さん」的曖昧さがあった。新しい主治医とは、短い付き合いになるだろうけれど、ややこしい状況に対処してもらわねばならない。怖い主治医に対して抱いていた信頼や尊敬のようなものは今回は必要ない。科学的、物理的に病気と向き合い、処置をしてくれる力量と判断に期待したい。それはすべて、虫けらが安らかに死んでいくためなのだ。大変申し訳ない。医師としての治療実績や、売り上げに貢献しないたった一人のおばはんのわがままに付き合わせることをお許しいただきたい。てなわけで、治療と相成りました。あーあ、です。 緊 急
2025.11.18
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おなかの調子がすこぶる悪い。虫けらは30歳半ばから下痢症というのが定着している。それまでは健康体そのものの排便事情だった。抗がん剤治療をする前は、「便秘」というものを経験したことがなかった。人の家に宿泊したり、朝まで遊んだりした後にリズムが狂い、24時間以上トイレに行けなかったりしたら、出すに出せずに困ることがあったが、その状況から解放されたら、問題なく、、であった。2日間そういう状況になることは滅多になかったが、顔が真っ青になったり、脂汗が出たりして、体調不良を周囲に知られるところとなり、トイレに行く時間をいただければ、すぐに解消できる、という体質だったのだ。ところが、46時間入れ続ける抗がん剤は、48時間と数時間の便秘を必ずもたらしてくれた。しかしながら、48時間が経過すれば自然と下痢となるので、余り気にしていなかった。今年7月に左脚を骨折してから、病院では車椅子生活、自宅ではスクラッチ杖生活を余儀なくされ、外出ができない日々となった。入院中は、48時間の便秘が2度あった。1度目は7月の入院時。看護師さんに相談し、薬をもらう約束をした直後、無事自然分娩した(悪気はありません。語彙が貧困でして)。2度目は8月の2度目の入院時。この時は薬に頼った。手術が9時からだったし、朝食抜きだったので、手術日は十分に出せていなかった。術後のカテーテルまみれの夜、トイレに行くことが困難な状況下、看護師さんにトイレの相談を何度か(別々の人に)した。看「トイレのときは、必ずナースコールしてください。 転倒や機器類の扱いが心配なので」と言われ、余計にトイレに行きづらくなった。我慢するではなく我慢していたのだろう。翌日の朝9時には、カテーテルや機器は外してもらったが、便意がなかなかやってこなかった。その夜、看護師さんに薬をもらった。翌朝には大漁歌い込みとなった。退院後、割と順調だったのだが、9月の終わりくらいから、胃腸の調子が激しく悪くなった。まず、胃痛が発生した。3ヵ月近く、ロキソニンを1日3回服用していたので、胃にダメージを与えてしまったのだなと思った。胃痛が発生したら、手持ちのタケキャブを服用し、何とか治していたのだが、数度でなくなってしまう量しかなかったので、10月初めの診察時に整形外科の担当医に相談し、タケキャブを処方してもらった。胃痛は断続的に起こるのだが、都度、タケキャブでしのいでいる。10月半ばになると、おなかがゴロゴロするようになった。おなかがゴロゴロ、という経験も余りないので、何事か、と思ったのだが、2年前にもらったが服用しなかった下剤と、水酸化マグネシウムを合計2回飲んだら問題は都度解決した(ように思っていた)。しかし、10月下旬になると、出方がおかしくなってきた。トイレに行くたびにお目見えになる。1日5回とか6回。合計すると、1日に出る量くらいにはなるのだろうが、元来、消化不良気味で量の多い虫けらのそれとしては、違和感のある出方と姿だった。決してブツが硬いとか、色がおかしいといったことはないが、そんな出方をしたことがなかったし、毎回、スッキリ感が全くない。虫けらの場合、「あ、お出ましになるな」と感じてからトイレに行き、最初のみ力を入れたら、あとは自然と出現する。バナナくらいの太さで30cmというのが定番である。これ以外は下痢であるという極端な排便事情。そんなに詳しくは説明しないが、新しい主治医(外科)に相談したら、「大建中湯」という漢方薬をすすめられた。が、結局処方してくれなかった。新「来週検査して、結果を見てからいろいろ 相談しましょう」ということに。翌日、整形外科の担当医に同じ相談をした。ちょっと、的外れな話を返してくれたが、これは虫けらの方が経験と知識があったので、やんわり訂正したら、やはり「大建中湯」をすすめられた。この病院は、ツムラ推しか!と思ったが、整「10日分くらい出しときましょうか。 ロキソニンの影響があるとは思いますが、 整形ではそれくらいしかできないので、 あとは外科で相談してくださいね」と言うので、指示どおりにするしかなかった。自宅に帰って、大建中湯を調べたが、「おなかの冷えによる下腹痛、腹部膨満感、 下痢、便秘の改善」となっていて、虫けらはどちらかというと体温が高い方なので(平熱が36.6℃)、「冷え?」と疑問に思ったのだが、日夜冷たい酒を飲んでいるので、それも否定はできないだろう。(冷たい酒はずっと飲んでいるが、これまではそういうトラブルはなかった)また、9月の終わりくらいから、他のサプリを全部やめて「NMN」を飲んでいる。猫組長オススメの商品なのだが、「よく眠れるから、元気になる」という推薦の弁を聞いて、気楽に飲めるかな、と思ったのだが、お値段が虫けらにとってはかなりのものだったので、他のサプリを全部やめてNMNに回すとトントンくらいかな、というわけで。おなかの具合が悪い原因はロキソニン、冷たい酒、NMNくらいしか思い浮かばないのだが、虫けらとしては、大腸癌の再発、もしくは子宮など他の臓器への病変も排除できないと思っている。こうなっては、何があるかわからない。8月の検査では、かなり症状が進んでいると思った。が、腹部に異常を及ぼすような状況とは思わなかったし、怖い主治医もそんな話はしなかった。あす、新しい主治医の指示で検査をすることになっている。何らかの答えが出るであろう。腹部の不調や異常は、生活の質を落とす。食事に影響を与えるし、睡眠の質も落とす。あすは、とりあえずこれに集中して相談をしよう。 辛 苦
2025.11.12
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左脚の手術を受けてから9週間。リハビリを終了してもいいという言葉を整形外科の担当医からもらってから4週間。歩くということだけで考えれば、もうリハビリは必要ないかもしれない。しかし、まだ膝の周辺が腫れていて膝を100%曲げられないし、筋力の戻りが不十分で、左脚だけで立ち上がるのが難しい。長い時間座っているとむくみが出るし、わずかとはいえ、左脚全体が熱を持っている状態もまだ続いている。何より、何もしないでも痛いし、就寝時に寝返りを打つ際も、痛みで目が覚めることがある。ロキソニンは胃への負担を考えて服用を停止しているので、痛みに耐える日々である。この状態で、週に一度とはいえ理学療法士に相談できる機会があるのはありがたいと思う。症状を相談するのは医師になるが、リハビリの中で問題や不安を解決する方法を探ってくれるので、医師の診断までの繋ぎになってくれている。というわけで、きょうもリハビリで病院を訪れた。最近の習慣になってしまっている、リハビリ室(4階)までの階段使用をこなし、リハビリ室前の長椅子に腰掛けてリハビリを待つ。すると、虫けらの目の前を整形外科の部長が通り過ぎる。建物の東端の階段を使い、2階の外来から、4階の医局まで戻ってきたということだろう。そう。4階に医局があり、部長室があるのだ。虫けらはその領域に足を踏み入れたことはないが、存在は知っていた。ふと、整形外科部長が使った階段から怖い主治医が上がってくるような気がした。9月。虫けらの病室を訪ねてくれた怖い主治医をドア前で見送ったことが一度だけあった。虫けらの部屋を出た怖い主治医はエレベーターのあるナースステーションの方向ではなく、真逆の階段の方向に進んだ。階段ホールに入るドアを開けながら虫けらを怖い主治医が振り返る。虫けらが小さく会釈する。怖い主治医がわずかに微笑んで、階段ホールに消える。これは記憶に残る。その記憶が蘇った。整形外科部長が使った階段は、とりもなおさず怖い主治医が消えた階段と同じなのだ。虫けらお得意の妄想劇場を展開していると、リハビリの順番が回ってきた。担当の理学療法士は若い女性だが、虫けらのことを「面白い人」と思っているようだ。いつも二人でつまらぬ話をしては笑っている。理「あ、髪を切ったんですか?」虫「ようやく全体の長さが揃ったんですよ。 アイロンテクニックでストレートになってるけど、 本当は、まだ伸びたパンチです」などと言いながら、服の話、靴の話、香水の話と、リハビリに関係ない話題を挟みながら筋力や可動域の確認をしていく。整形外科部長が使った階段やリハビリ室前の廊下で上り下りやウオーキングをして左右の脚のバランスを見たり、バイクを漕いだりしてリハビリを終える。清算のために整形外科外来の待合室(外科と同じ)に入る。いつものようにモニターを見る。えっ、えっ、えっ、!!!怖い主治医の画面がまだ残っていて(実は先週も同じ状態を確認している)、しかも、待ち番号が表示されている。どういうこと!?診察しているということなのか!?受付番号は4ケタなのだが、表示されている数字を見ると、1番であることがわかる。虫けらも手にしたことがある番号である。これは、必ずと言っていいほど抗がん剤治療を受ける患者が手にする番号だ。病院に最も早く到着するのは、抗がん剤治療を受ける患者なのだ。時刻は10時20分。本当に診察があるとしても、少し遅すぎる。1番を手にする人は、8時には来ている。血液検査は必ずあるが、CT検査が入ることもある。それでも、診察が10時を過ぎることはない。ダミーかもしれないと思った。いつも、待ち番号のない画面である。きょうで 5週間表示されていたのだが、怖い主治医はもちろんいないはずだ。質問や苦情が入ったのかもしれない。…苦情…あるか?「先生に診てもらいたいのに!」と訴える患者はいるかもしれない。虫けらは、整形の担当医から整「◯◯先生(怖い主治医)についていくの?」と聞かれた。そのことを怖い主治医に話したら、怖「そんな患者さん、いないよ」と言われた。もしついて行きたいと言われたとしても、「もう臨床はやらない」と言うだろう。虫けらにはそう言った。いや、虫けらだけにそう言ったのか?実は、次の病院にごっそり患者を連れて行っているかも…。などと、性懲りもなく妄想してみたが、虫けらが待合室にいる間、モニター画面の変化もなく、怖い主治医による呼び込みアナウンスもなかった。虫けらは内科に用があったので、内科の階に移動し、用件を済ませたのが30分後。気になったので、また外科の待合室に戻った。モニターを確認したが、まだ同じ待ち番号が表示されている。もう11時前である。謎を残したまま、待合室を後にした。きょうはもう一つ用件があった。「がん支援センター」に行き、虫けらの最終形を相談し、希望を伝えておくこと。虫けらのかかっている病院は、緩和ケア病棟というものがないのだが、緩和ケア室という病室がわずかながらある。そこに入りたいと申し出た。虫「在宅介護などのサービスは一切使わず、 ギリギリまで一人で家で過ごします。 最後の1ヵ月、それもできるだけ我慢して 短期間の間、お世話になろうと思っています」あいにく、虫けらの状態が悪くなったときに満床だったら、一般病室に入ることになるかもしれないが、面談してくれた総看護師長さんは総「大丈夫だと思います。病棟とも情報共有しておきます」と確約してくれた。病床の料金が高いのだが、他院の緩和ケア病棟も同じようなもので(治療ではないので保険が効かない)、それは承知の上である。総看護師長さんは、虫けらと同年代だと思うが、虫けらの方が経験豊富なようで、雑談の中でちょっとした豆知識のようなものを披露したり、総看護師長さんがしてくれたアドバイスは、ほとんどクリアしたことばかりだったので、最終段階の仕上げの話をしたら、帰り際には総「ありがとうございます。 いろいろお話を聞かせていただいて、 大変勉強になりました。 まだまだお元気なので、頑張ってください!」と、お礼と激励をもらってしまった。このことは、病院内のあちこちで共有されるだろう。薬剤師さん、治療室の看護師さん、病棟の看護師さん、整形外科の担当医、怖い主治医……、さまざまな人の口から、違う場所での虫けらの様子や話を聞かされて、えーっ、そんなことまで話が回ってるの?と驚いたことが何度もある。どんな機会を通してかわからないが、情報を共有するのが病院のやり方なのだろう。さて、今回の虫けらの一件は、どんなふうに伝わるのだろうか。その答えを確認するのはいつになるのか…。 心 躍
2025.10.31
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8月以来、伸びっ放しだった髪を切りに行った。以前にも書いたが、今年初めは◉抗がん剤の副作用で髪が抜け → オランウータンの赤ちゃん3月ごろに◉抜けた毛が生えてきて → モンチッチ5月には◉生えてきた毛と抜け残った毛が入り混じり → 落ち武者ここで、ちょっと揃えるためにヘアサロンへ7月になると◉生えてきた毛がクルクルして → 伸びたパンチパーマへと変化していた。早くヘアサロンに行きたかったのだが、脚を骨折していたので、そうそう気軽に行くこともできず、8月にようやく訪問できた。そのときには、「薬でクルクルになった髪は…ストパーしない方がいいと思いますよ」とアドバイスされた。薬剤の影響がある髪は、髪自体に何が起こっているかわからないのだ。すごく弱っている、変質しているなどのくせ毛とは違う状態であることも予想できるので、縮毛矯正などの外圧に耐えられるかどうか、という懸念があるということだ。したがって、カットをするのみにしたのだが、さて今回は…。カットしか望めないかな、と思いながら出かけた。虫けらがいつも行っているヘアサロンは、オーナーが一人でやっているので、貸切状態で施術してくれる。気ぃ使いぃの虫けらにとっては、とても居心地がいいサロンなのだ。カット前の雑談では、近況報告をしたり、髪にまつわるエピソードを披瀝したりする。そこには、うちの店のお客さんの話や、最近一緒に食事に行った友人の話、いま、リハビリしてくれている理学療法士の話、怖い主治医の話なんかも登場する。特に怖い主治医の話は、興味津々で聞いてくるのだが、オ「きょうはどんな話を聞かせてくれるんですか?」虫「しない、しない。鼻血が出るから」オ「お子ちゃまには刺激が強い?」虫「刺激なんてものじゃない。人生観が変わるかも」オ「わー聞きたいー! でも、心の準備が必要なので、 あとで聞きますわ」虫「あとで? ひひひ」などと言いながらはぐらかし、結局何も話さなかった。怖い主治医は既に移動してしまっているので、9月以降何のエピソードもないし、実際、話すことがないからなのだが。。話を戻して。オ「長さ、どうします? 伸ばします?」虫「最近伸びてきた髪は、ストレートでしょう? パンチ部分は早く切ってしまいたいのよ」オ「……こんな感じ?」と、スマホで画像を見せてくれた。そこにはベリーショートにして金髪のモデルさんのスタイリング画像が幾つか表示されていた。ベリーショートは、虫けらも考えていたのだが、金髪というのは…、勇気が出ない。もう少し白髪が増えたら、考えてもいいかもしれない。が、脚のリハビリをしているような人間が金髪だったら、不謹慎とか、不良(?)とかのイメージがついてしまいそうだ。というわけで、ベリーショートということだけお願いして、あとは任せた。すると、アイロンでうまくパンチを伸ばしてくれながら、スイスイカットしていく。15分くらいで、まぁまぁの長さになった。オ「まだもう少し切りますけど、こんな感じ?」虫「いいんじゃない? よろしくです」できあがったのがこれ。背後から見るとそうでもないが、前から見ると、結構短い。前髪がまだ短いせいもあるが、フェースラインが全て晒されている。そのせいで、首が太い(顔の幅がないので太く見える)首が長い(首が太く見えるので、さほどわからないが)頭が小さい、顔が小さい、肩幅が広い、肩幅に比して頭が小さくてバランスが悪い…。という、アンバランスな体型であることが白日の下(もと)に晒されることになった。いつもオーナーにはオ「頭ちっさっ。小学生みたいや」と笑われる。こんな年の人間に、オ「かわいいなぁ」と真顔で言う。若い女の子の顔立ちや仕草に対して言う意味の「かわいい」ではなく、単に小さいものをかわいいと言う心境かと思うが、久しく言われたことがない言葉だ。この人は毎回言うが、どうも慣れない。気恥ずかしい限りである。このストレートヘアは、オーナーならではの高度なアイロンテクニックによるもので、虫けらが再現するのは困難であろう。洗髪すれば、元の木阿弥だとは思うが、しばしのストレートヘアを楽しもう。この髪型で怖い主治医と会ったら、何て言うだろう。きっと、無言で一瞬目を丸くし、怖「イメージ変わるね」くらいの言葉が出るのがせいぜいだろう。ふん。無意味な妄想。この髪型で人に会うことがあり、その人が何か言ったら、またご報告することにする。それにしても、髪型一つでイメージが変わるものだ。年も年なので、髪型には無頓着だったが、ちょっと気をつけてもいいように思う。残りわずかの時間の中で、何ができるかわからないが、金髪もいいかもしれないし、もっとショートにしてもいいかもしれない。こんなことで気分が変わるなら、簡単なことだ。と、いまさら気づく、おばはんである。 達 観
2025.10.30
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アクセスログから過去の自分の日記を確認することが多い。なぜ、皆さんはそのブログを読まれたのか!?と疑問に思うことしばしばだが、検索にヒットしたのか、何らかのキーワードが含まれていたのかはわからないのだが、最近、「がん」に関するブログをよく読まれているように思う。15年ほど前に書いたブログ「がんを告知されるって、どうでしょう」というのも、その一つである。15年前というと、40代のまだバリバリ働いていた時期である。その数年前にがん検診を受けたことがあった。両親も健在で、広告関係の会社をやっていて、従業員もいたし、関係会社との付き合いも結構盛んだったように記憶している。そんな中で考えた「がん」に対する思考は、現在と寸分違わ(たが)ない。がんに罹患したいまでも、同じ考えであるということは、虫けらは常に客観的に思考していて、主観的思考は存在しないか、あるいは、そういう個人的思いは他人には披瀝しない人間であることがわかる。そう。虫けらは常に客観的思考で物事を処理してきた。これまでの人生を振り返って、それは間違いない処理方法だったと判断できることが多い。問題に突き当たったとき、自分ではなく、他人になりかわって問題を思考する。その「他人」とは、問題によって違うのだが、問題の対極にいる人間や企業だったり、大きな仕事の指南をしてくれた師匠的人物だったり、歴史上の偉人だったり、小説の中の人物だったり、父親だったり……。おかげで、感情的、激情的言葉や方向を志向することなく、静かに、合理的に収束させる方法で事を収めることができた。これは、言い方を変えれば「自分を殺す」ということだ。自分の主観や怒りなどは脇に置いておき常に「滅私」の姿勢で事に望む……。というと、聞こえはいいのだが、実は、虫けらには「自分」がない。「自分」を持つことが許されなかったと言っていいかもしれない。それは、生い立ちに依拠しているので、ここでは触れないが、殺すほどの自分がないから、さまざまな難題を苦もなく処理できたのかもしれない。ふと、過去の恋愛について考えてみた。このブログでも一度触れたことがある。中学1年生のときに、3年生の先輩に告白の手紙を書いて以来、こちらから意思表示をしたことがない。告白が必要なほど好きになった人は数人いる。しかし、幸いなことに全て相手から告白してもらった。このことを言うと、「自慢話かいな〜」と、笑われるのだが、本質はそういうことではない。「自分」を持つことが許されないということは、とりもなおさず「自己肯定観」がゼロであるということなのだ。自己肯定観ゼロの人間が、他人に告白することなどできるはずがない。入院中の怖い主治医との会話の中で、「あなたはそういうことは言わん人やと思った」と言われたと書いた。「そういうこと」というのは、(憶測であはあるのだが)怖い主治医に対して「好き」などという感情的表現を吐露するという行為であろう。もしかしたら、怖い主治医は虫けらに自己肯定観が存在しないことを見抜いていたのかもしれない。というわけで(どういうわけなのか)、虫けらはいまだにがんを客観的に見つめ、これからのことを冷静に、合理的に判断している。さすがの虫けらも「さまざまな症状が出てきたら、そうも言っていられないだろう」と思っていたのだが、ここにきて、少しずつ体の中がおかしくなっている。新たな病巣が出現したのか、何かが悪くなってきたのかはわからない。これまでの「いつも」が少しずつ変容してきている。ところが、である。これまでと、思考も人生に対する姿勢も生活に向き合う態度も一向に変わりがない。いよいよ終活の実行が必要になってきているのだが、これまで続けてきた作業のスピードを速めるのと、これだけはしておかねばならないということを処理するのと、終末期に向けた準備を具体的に進めるよう今週から動き出そうと思う。営業の予約も入っているし、知人から頼まれていることもある。病院のリハビリ予約や、ヘアカットの予約も入れている。月末なので、振込作業や業者への面談、連絡作業もある。日常の作業と並行して、就活のスケジュールを綿密に組んで行くことにする。それにしても……成長がないということか、進歩がないということか、硬直化しているということか。15年も考えが全く変わらない人間って…、このことを肯定していいのだろうか。とても複雑な心境である。 諦 念
2025.10.28
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受難続きなのはiPhoneではなく、虫けらである。ここへ来て、iPhoneがおかしくなっている。どこへ来てかはわからないが、もう少しで不要になるということを考えれば、大変タイミングが悪いと言える。事の初めは、2度目の入院時。手術後、麻酔(全身麻酔)から覚めた虫けらは、看護士さんにお願いしてファイルの中に忍ばせてあったiPhoneを取り出してもらった。点滴、尿道のカテーテル、心電計、血圧計、酸素濃度計に繋がれたままで何もできない状態であったため、iPhoneでメールチェックや確認が必要な予定チェックなどを済ませた後、YouTubeを視聴していた。ちょっとした作業のためにiPhoneを手放したとき、電源がダウンした。これが『iPhone13』。虫けらのメインスマホである。片脚の杖歩行では、荷物の重さに限界があったため、ノーパソの持ち込みを断念した虫けらは、サブ機を2機持ち込んでいた。『iPhone8』と『iPhone6』だ。iPhone8はiPhone13と同じ規格のSIMだったため、13のSIMを8に差し替えて臨時のメイン機にした。iPhone13は修理に出すも、完全には復旧しないと判明。サブ機を2機持ち込んでいてよかったーと痛感。しかし!!!ふと『iPhone6』を横から見ると、画面の光がサイドから漏れている。えっ!確認すると、バッテリーの膨張であろう画面の「浮き」があることがわかる。えーっっである。バッテリーに負担をかけないように、使用を最小限に抑える。えらいことだ。『iPhone13』の修理はまるまるひと月を要した。その間、『iPhone8』を使用し続けた。『iPhone6』のバッテリー膨張は少しだけ進展。起動や操作に問題はなかった。『iPhone13』は基板交換が必要なため、すぐにデータ移行して使えるようにと、『iPhone16』を購入。何とかメイン機の機種変更に伴う再登録やID変更などをあらかた終了した。さて、そろそろ営業再開を、と、店に出た。店には、しばらくBGM専用機として使用していた『iPhone5』を置いていたが、!!!!!恐ろしいほどのバッテリー膨張が認められた。入院する前には、「少し浮いてるかな」程度だったが、冷房を施さない密閉空間(24時間換気は実施)で、膨張が進んだのか。しかし、電源を入れていないので、これほど膨張するのは、バッテリー自体の問題だろうと思った。「爆発とか、発火とかしなくてよかったなー」とお客さんに言われ、そのとおりだと胸をなで下ろす。すぐに自宅に持ち帰り、修理店にWEB予約を入れる。一応「iPhone5のバッテリー交換」ということにしておく。あとは、店頭での相談と交渉だ。店頭では、『iPhone5』を差し出し、虫「バッテリー交換しても、起動しない可能性は?』店「ありますね。基板や画面に影響を与えてるかも」虫「実は、こっちも膨張してるんですよ」と、『iPhone6』を出して虫「5はバッテリーを抜いて処分していただいて、 6はバッテリー交換をしていただく というのでも可能ですか?」店「あ、それなら、5のバッテリー抜き出しと処分は サービスとさせていただきますよ」というわけで、無事、膨張バッテリーを発火、爆発前に何とかすることができた。『iPhone5』…バッテリー交換歴2回、バッテリー廃棄『iPhone6』…バッテリー交換歴3回『iPhone8』…バッテリー交換歴2回『iPhone13』…1年ちょっとで故障(基板交換)基板交換にはまだ出していないのだが、サブ機として使用する必要があるので、早々に対応しないといけない。こんなにトラブルがあっていいのだろうか。アップル社は、これが当たり前だと思っているのだろうか。修理店からは、保険に入ることを勧められた。あとわずかな間しか使用しないので、保険は回避してもいいだろう。だが、いまの日本(行政)は、スマホで何でも済まそうとする傾向にある。盛んにLINE登録させようとしたり、マイナカードをスマホと連携させようとしたり、税務申告までスマホでできるようにしている。行政からの通知がショートメッセージで来ることもしばしばだ。そんな、生活になくてはならないスマホがこんなに脆弱な機器でよいはずがない。それとも、虫けらだけが受難続きなのか…。弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂、一難去ってまた一難…。。。 艱 難
2025.10.25
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脚を骨折してからというもの、通販を利用することが多くなった。配送日がはっきりしないところより、配送が早く、配送日を指定できるところを利用する方が便利なので、Amazon(プライム会員)は重宝していた。配送日に頓着しないものは、時間まで指定できる楽天などがよりいいが、Amazonは置き配があるので(楽天でも、配送業者によっては置き配指定できたりする)、「日」だけが固定できればいいときは、とりあえずAmazonにしていた。とはいえ、Amazonを利用するときにも注意する点は幾つかある。◉配送が「Amazon」になっているもの◉返品処理が簡単にできるもの◉海外からの直接配送になっていないものを選ぶのが肝要である。しかし、うっかり海外からの直接配送のものを注文してしまったことがある。しまった! と思ったが、後の祭り。最初のしまった! はもう6年以上前で、その後、怪しい事件は起こっていないが、個人情報の流出は必至だろうと思う。さらに、個人や企業が直接出品できる◉マーケットプレイス(サークルマーケット)を利用しないというのも重要なことだと思っている。Amazonというある程度信頼できるプラットホームを介さない売買は信用できないと考えているからだ。料金的に安い、とか、レアなものが手に入る、とか、メリットはあるのだろうが、現在のところ、虫けらにそれらの要素に魅力を感じないし、その魅力よりも不信感がまさっているので、利用することはない。昨日、用があって外出したのだが、その時間帯にヤマト運輸が荷物を届けてくれたようで、郵便受けに伝票(不在連絡票)が入っていた。虫けらは、2回も配達してもらうのが申し訳ないので、荷物の配達がある日は把握している。Amazonは、注文時に「注文済み」、倉庫から荷物が出たときには「発送済み」、荷物が配送業者によって運び出されたときは「配達中」、配達が完了したときには「配達済み」のメールが届く。楽天を利用したときは、日時指定をする。注文メールで確認して、スマホの予定表に書き込むという方法で把握する。これらが一切なく、突然荷物が届くことはあり得ない。クロネコヤマトに会員登録しているので、PCにもメールが届いていた。そこで、誰からの荷物か確認しようとしたが、「Amazon」となっているだけで、荷物の内容がわからない。Amazonの「購入履歴」を確認しても、未達の配送物はない。放置しておくわけにもいかないので、メールで再配送を依頼した。不在連絡票には「Amazon」ではなく、「サークルマーケット」となっている。マーケットプレイスを利用したことはないし、今後も利用する予定もないので、サイトを訪問することがない。間違って注文してしまったということは絶対ない。指定していた再配達時間に配達員が来た。クロネコヤマトの提携業者のようで(ヤマトの配達員なら顔見知りなのだが)、初めての人だった。虫「済みません。注文していない荷物のようで… (荷物に貼付された伝票を見る)」品名に「果物」とある。全く注文した記憶がない。虫「注文履歴を確認しましたが、注文記録がないし、 サークルマーケットは使ったことがないんです」配「はぁ」虫「送りつけの可能性があるので、受け取れないです」配「受け取り拒否でいいですか?」虫「申し訳ないんですが…。あ、写真だけ撮らせて いただけますか?」と言って、スマホを取りに家の中に戻る。戻った虫けらに配達員が箱の伝票部分を向けてくれたので、スマホでパシャリ。虫「Amazonに報告します。済みませんでした」というやり取りをして、荷物は持って帰ってもらった。もちろん、Amazonに報告した。しかし…、虫けらの住所、氏名、電話番号はバッチリ記載されていた。相手の住所、企業名、電話番号もわかっている。事故なのか、事件なのか。個人情報など、どこかに記載したら出回ってしまうと覚悟している。が、もしこれが送りつけ詐欺だとしたら、相手の方が余りにもリスキーではないか。虫けらのように、家族がいないから、事と次第を迅速に収めることができるということも言える。「家族が注文したのかな」と、受け取ってしまったら、返品も大変だ。今回送られて来たのは「果物」となっていた。手間をかけて返品できたとしても、「そっちが中を確認している間に傷んだ」と難癖つけられたらどうしたらいいのか。厄介である。便利なことには厄介がつきまとうのはわかっているが、やっぱり厄介である。これが事故か事件かの解明はAmazonがしてくれると信じて報告を待とう。体調がよくないのに…。そんなときにこそ、よくないことが起こるものである。 落 胆
2025.10.22
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※『大殺界』というのは、故 細木数子さんが提唱した『六星占術』で登場する「12年に一度巡ってくる運命の低迷期」のこと。虫けらは占いを信じていないので、これをことさら紹介するものではないが、自分の状態を示すいい言葉がないので、使用した次第。虫けらのここ数年を紹介すると、「納得!」と思っていただけること間違いなし。いつから、悪いことが起こり始めたかというと……【虫けら不運年表】2019年 夫:腰痛からの入院〜手術 ここから夫の体が壊れ始める (介護生活スタート)2020年 コロナ禍 飲食店を営む虫けらの商売に大打撃 夫:事故により足を骨折〜入院・手術2021年 夫の母親他界2022年 夫他界2023年 虫けらのがんが発覚〜入院・手術2024年 虫けらのがんが再発〜入院/薬物療法開始2025年 虫けら左脚負傷(骨折)入院〜再入院・手術2026年 虫けら死去26年とは限らない。今年かもしれないが、とりあえず毎年不運に見舞われていることがわかる。どういうことなのだ!こんなに長いこと、不運や不幸が続くものなのか。毎年、毎年、大事件が起こるのだ。いま、霊能力者に霊視をしてもらったり、占い師に運勢を見てもらったりしたら、何と言われるだろう。「先祖の祟りです」「守護霊様が離れました」「生き霊に取り憑かれています」「運命です」以前から、高島暦とか、姓名判断などでは、「晩年は豊かで穏やかな人生」「若い頃の苦労が報われる晩年」「家族運はないが、知人友人に恵まれる」などと言われていたのだが、全くハズレている。真面目に、クソ真面目に、誠実に生きてきたのに、この晩年では、割が合わないではないか。これも、生まれる前から定められた運命なのか。ちょっと納得がいかないが、不運ではあっても、不幸ではないと思うのは、精神異常か、変態か。変形した左脚の痛みを感じながらだが、最近の日常やこれからのことを考えると、大変幸せだと思ってしまうし、働き詰めの人生だったことも幸せだと思っている。家族に恵まれないのは、そのとおりだが、虫けら自身としては、「家族」といわれる人々にできる限りのことをしたと思う。家族には、何もしてもらっていないが。そんなことを思いながら、酒を飲んで窓からの景色を眺めていると、やっぱり幸せだな〜と思う。これでいいということか。きのうは久々に営業をした。仕入れも店への往復も、全て徒歩にしたが(雨が降る予報だったので、自転車を避けた)、さほど疲れなかったし、以前のようなペースで営業再開するのも可能だと思った。お客さんの顔を見て、話をし、他愛なく笑うのは、心と体にいいと思う。あとどれくらい営業できるかわからないが、営業を含めてできる限り、日常を取り戻したいと思う。昨夜の帰宅時はまだ「暑い」というくらいの気温だった。汗だくになって自宅に戻ったので(微熱があったようで、その熱さもあった)、すぐにシャワーを浴びた。左脚のふくらはぎ下に奇妙なしこりがあり、そのことをお客さんに相談したら、「熱湯が効く!」(熱湯と言っても、通常の湯温より少し熱いくらい。45〜48℃かと思う)というアドバイスがあったので、湯船に浸かろうと思ったのだが、余りに暑いので、諦めた。きょう、シャワーで熱湯を当てよう。これがもしがんだったら、また違った展開になるが、それはそれで受け入れるしかない。ま、今年は骨折があったので、大ごとになるのは来年か。はて、来年はあるのか?そんなこんなの虫けらの近況である。 南 無
2025.10.15
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整形外科(と外科)の待合室に入った。虫けらの左側のモニターを何気なく見た。虫「えっっっ!」怖い主治医の画面が表示されている。虫『怖い主治医、ほんとに来てるんじゃないの?』病院の玄関に到着したとき、入り口横に大きな声で独り言を言い、ニヤニヤ笑う男性がいた。電動車椅子に乗っているので、虫けらのように整形外科にケガで受診するために来院したのではないことが予想された(やがて完治するケガなら電動車椅子を購入する必要がない。長く車椅子生活を強いられるもしくは強いられている患者なのである)。エレベーターホールに到着したら、既に5人ほどがエレベーターを待っている(全て男性)。ストレッチャーの入る大型の箱が4機、通常の小さな箱が4機あるのだが、小さな箱のエレベーターが到着した。ぞろぞろと箱に吸い込まれていく。ちょっとした理由があって、片杖をついている虫けらが最後に乗り込んだら、きっと場所を空けようとして窮屈な思いをさせるだろう。次のエレベーターを待つことにした。昇階ボタンを押そうとしたら、さっき玄関で見たあの男性が滑り込んで来て、ボタンを先に押す。虫『えっ、この人と一緒に乗るの?』躊躇するが早いか、踵を返すが早かったか。背後に階段ホールがある。杖をついている人間が階段を上がっていくのはおかしかろうが、仕方ない。リハビリテーションセンターのある4階まで上がる。担当の理学療法士が決まっているのだが、彼女が部屋から出て来て、虫けらより前に一人施術すると告げた。いつも同じ人が虫けらの前にいる。入院時期が虫けらより少し後だったが、同じ整形の病棟にいた人だ。虫けらの施術時に、その人のことを少し聞いた。虫「私の前の女性、あんまりリハビリが進んでないですね」理「そうなんです」虫「私と同じ時期に入院されてたでしょう」理「そうです。膝の骨折なんですが、アキレス腱も切ってしまって、 再建手術を受けられたんです」虫「それは大変ですね。しかもあの体重じゃ、なかなか…ね」その人は身長も高く(167cmくらい)、肉付きもいい。80kg以上はありそうだ。自重のある人が足をケガすると大変である。虫けらは杖なしで歩けるが、そのひとはまだ杖が離せない。しかも、半歩ずつ歩を進める感じだ。虫けらの回復が早いのは、体重が軽いことも好影響を与えているらしい。それと、体幹がしっかりしているので、グラつく心配がない、さらに、筋力が驚異的に回復しているので、それもリハビリが捗る要因とのこと。もうやることがないのだ。きょうは、階段の上り下りを見るというので、リハビリ室のではなく、普通の階段に行った。14段くらいの階段をすいすい上り下りするのを見て理「えー、問題ないですやん」虫「家で上り下りしてるから」理「一軒家でしたっけ」虫「マンションよ。7階までは普通のフロアなんだけど、 8階だけ2階建てになっているんです」理「メゾネット?」虫「まぁ、用語的にはそうなんですけど、 中2階的な感じじゃなく、普通に2階があります」2回目の退院以降は2階で寝ているし、季節が変わって、1階に置いていた洋服では外出できなくなって、都度、2階に上がっている。という事情で、階段の上り下りは難なくできる。担当医師は「リハビリ、もう終わっていいですよ」と言うのだが、まだ膝のあたりに痛みがあるし、熱を持ったり、腫れたり、硬くなったりするので、理学療法士に相談している。店のお客さんに医療業界に精通している人がいる。治療器の販売をしているらしいのだが、その人から今週火曜日にメールが入った。客「普通に臨床やるんじゃないの?」というコメントとともにURLが貼り付けられている。タップしたら、どこかの病院のサイトに飛び、まさに怖い主治医のプロフィールのページが表示された。見つけるのが早い。しかも、怖い主治医のことを特定していたことに驚いた。虫けらは、怖い主治医の名前を言ったことはない。病院名と診療科、部長であることしか告げていない。そして、お客さんと最後に会ったとき、虫「退職するそう。あのクラスの医者は、 近い将来の院長候補としての移動でしょう」そんな会話をしたが、こうも早く特定して調べてくるとは。業界内の話とはいえ、迅速過ぎるではないか。しかも、まだ10月になっていないのに、早々にホームページに掲載されているのは、病院が、それを売りにしたいと考えてのことだろう。外科部長といえば、病院の花形である。怖い主治医は容姿もよいので、売りにしたいというのも納得である。虫「店のお客さんが、早速◯◯先生の転勤先特定して URLを送ってきてね」理「え、どこですか?」虫「◯◯◯◯病院」理「大阪ですか?」虫「そう」(理学療法士がその病院名を知らないのを不思議に思った。 虫けらも知らない病院だが、医療界に身を置いている 人間なら、大阪の総合病院くらい知っていてもいいはず…)理「そういえば、今月になって◯◯先生来てましたよ」虫「いつ?」理「先週の…水曜日です。もう10月に入ったのにって 思って」虫「残務整理かな」理「朝、普通にコンビニで食料買ってましたけど」怖い主治医がコンビニの食品を食べるなんて、虫けらには想像できない。以前、怖い主治医と虫「先生も太れない体質ですか? (虫けらが太れない話をした流れでの質問)」怖「気ぃつけてるんや」虫「え? 太るのを?」怖「お正月に2kg太った」虫「2kgなんて、その身長じゃ大したことないですよね」怖「体脂肪率が増えてた」虫「お正月は動かないので、仕方ないです」怖「許されへん」虫「ストイックですね、先生」そんな会話をしたことがあった。還暦近くになって、体重を気にするような医師がコンビニの弁当や総菜パン、ましてやカップ麺なんかを食べるだろうか。解せない。10月に入って、怖い主治医が元の病院に来る……、残務整理か、出席する必要がある部長会議か、要請を受けてのアドバイスや執刀か…。ま、何にしても、しばらくはまた病院に来るかもしれない。次の病院では臨床はやらないと言っていたし、まだ時間的な制約が少ないだろうから、用件があれば行き来するのかも…あるいは、一定の時期は両方の病院で部長職を兼務する…などと勝手に思った。で、冒頭のモニターである。まさか、怖い主治医の診察があるのかと思ってしまった。待ち患者の受付番号が全くないので、診察はないとは思ったが、理学療法士の話を聞いていたので、そこに怖い主治医の画面を表示する必要があったのかと考えを巡らせた。結論(根拠のない推論)。花形外科部長の名前を消すことを病院側が渋っているのではないかと思った。10月になる前なのに、怖い主治医の宣伝をする次の病院のやり方を見ると、虫けらが通う病院でも、怖い主治医の名前を何とか残しておきたいと考えてもおかしくない。そういうことかな。さて、いつまで怖い主治医の画面を残しておくかを確認しなければ。来週もリハビリがある。チェックを忘れずにしよう。 確 認
2025.10.10
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2度目の退院からあすでひと月。左脚に全体重をかけてもいいという許可が出てから2週間になる。許可が出たのが金曜日で、金曜日と土曜日に動き過ぎて、日曜日には筋肉痛になっていた。しかし、翌月曜日は携帯電話の修理が完了(完了はしていない。中途半端だが、その修理専門店ではそこまでしかできない、という状態)したので、その引き取り(プラスデータ移行と設定)があり、病院にも用があって出向いた。夕方には店に行かねばならなかったので、歩きに歩いた。10,000歩超えである。途中、突然の雨に降られたのと、最終は荷物が多くて、タクシーを呼んだ。この2度のタクシー乗車がなければ、17,000歩ほどになったと思われる。よくもこれほど用件が重なったものだ。以後、夏の間にできなかった役所への申請や銀行及び郵便局での手続きなどを処理するため、日夜外出する日々である。この時期は、役所からの通知や納税通知書が届く。5月、9月、12月とその翌月は、税金絡みの書面が届き、それを処理する月。会社をやっていた頃の記憶が蘇って、実に苦々しい。今回は、実家の住民税納付書と健康保険の資格証明証が届いた。医療費の限度額超えの還付申請や怪我の装具の補助申請などがあり、しかも、亡き夫の叔父が亡くなったことで、相続の問題が出たらしく、夫の除籍票を送る必要があるなど、役所関係の作業が一気に重なった。役所に行き、書類を送付し、税金を払い込む。10月というのに30℃超えの中、えっちらおっちら歩く。まだ、以前のようにスムーズに歩けないので、歩幅が7割程度、速度も6割程度までと完全回復には程遠い状態である。そこで!片杖で歩くことにしたのだ。杖をついていると、多少ゆっくり歩いていても、歩幅が狭くても、鈍臭くても皆さんやさしくしてくれる。エレベーターに乗ると、「何階ですか?」と聞いてくれるし、正面から歩いてくる人も、「どうぞ」と道を譲ってくれる。もちろん、歩きすぎて脚が痛くなることもあるし、左脚に全体重かけるのが怖い時もある。何しろ、筋肉が随分落ちている。48kg程度だった体重が45kgまで落ちたのだが、ほとんどが脚周辺の筋肉だと思われる。えらいことである。しかし、今朝計ったら、46.7kgあった。左脚の太腿、ふくらはぎは7割程度筋肉が戻った。大変早い。筋肉がつきやすい体質でよかった(理学療法士さんも驚いていた)。ゆえに、杖を持たずに出たことを後悔しないように、片杖をついて歩くことにしたというわけだ。痛みや違和感は未だに消えていないが、傷は退院直後と比較すると随分落ち着いてきた。そこで…、傷跡を含めて左脚を披露するので、グロいのが嫌な方はスクロールしないように。まずは、手術前の【遺影 虫けらの左脚】。そして、現在の虫けらの左脚ひどいものである。傷跡もさることながら、まだ膝が腫れているし、足首のむくみも残っている。脛骨の左右にプレートが入っているのだが、ひざ下の膨らみ(出っ張り)となって、厳然と露出しているのである。きのう、郵便局で手続きした後、局員さんが、「どうなさったんですか? 脚」聞いてきたので、虫「骨折したんですが、それはさておき、 手術痕がまだ痛くて…」と答えたのだが、不思議そうというか、「ホンマかいな」という表情を見せたので、スラックスをめくって、虫「こんなんですわ」とやったら、「いやっ!」と声を漏らして目を丸くした。隣の窓口の局員さんも振り返って見たそうにしたので、虫「見ます? これ」と言って、再びスラックスをめくったら、「わっ!」と言って顔をしかめた。そんな顔をするなら、見なければいいのに。怖いもの見たさ、というわけか。虫けらは、これをあちらこちらでやっている。虫けらの顔が余りにも明るいので、相手が「うそぉ〜」のような表情をするのである。グロい手術痕と虫けらの表情のギャップに、皆驚くという寸法だ。きょうも杖をついて出かける予定だ。7/6の怪我以来、全くなかった外食の機会を得た。まだ会社員時代の虫けらを知る人が「快気祝いでもどう?」と誘ってくれたのだ。この人は、虫けらが会社をやめてから10年ほどのインターバルを経て再び会うようになり、12年前に店を開いてからは、年に3回ほど顔を出してくれている。折しも、骨折した週に会食の約束をしていた。それをリスケしたので、3ヵ月遅れの会食ということになる。酒を飲むことになるだろう。が、この脚が酔った後の歩行にどう影響するか、痛くて歩けなくなる可能性はないのか、いろいろ考えると、杖があった方が気丈夫だと考えた。歩いて行ける範囲での会食なので、余り心配はしていないのだが、ま、用心に越したことはない。というわけで、ちょっとグロい写真を披露して、ブログを終わろうと思う。相すみません。 反 省
2025.10.09
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整形外科の検査と診察のために病院に行った。放射線科でレントゲン撮影を済ませて整形外科の外来へ。以前にも書いたが、整形外科の外来と外科外来は同じ待合室。設置されているモニターには、各科の担当医師と診察室番号の欄があり、待ち患者の受付番号が表示される。最初に表示されるのが、外科の最初の診察室。金曜日は、怖い主治医の画面になる。椅子に着座して、何気なくモニターを見る。えええ???怖い主治医の画面が!!!虫「先生が来てるの?」小さな声が出たかもしれない。んなわけないのに。今週は、9月と10月が入り混じる週。この病院では、来週にならないと10月シフトにならないのだろう。放送業界の仕事を長くしていた虫けらは、4月1日と10月1日がある週は、前月の数日がこぼれていても、新番組に切り替わることが常識だった。だから、「まだ画面を変えてないの?」という疑問が浮かぶはずなのに。虫けらとしたことが。きのう、ブラウザのタブが多くなってきたので不要なものを閉じていっていた。いつ開いたのかわからないのだが、病院のHPのタブがあった。スクロールしていくと、怖い主治医のプロフィールと画像が登場するはずの部分が、違う医師(次の虫けらの主治医)に差し変わっていた。当たり前なのだが、少し寂しかった。虫「10月になったもんね」と改めて認識した。スマホのブラウザでも、タブを残していた記憶があった。確認したら、やはり、違う医師の画像が登場して、がっかりした。そのタブは、病院のサイトではなく、医療機関のPRをやっている企業がつくったサイトで(以前、怖い主治医の書いた原稿を虫けらが書き直したと、ここでも登場させたパンフレットの元になっているもの)、虫「こんなところにも既に連絡済みか」と、当たり前のことを寂しく思っていたのだ。ところが!待合室の画面には、まだ修正が加えられていない。2年以上見続けた画面である。ちょっと、うれしくなった。と同時に、『先生、いま、何をしていらっしゃいますか?』と感傷的に思ってみたりした。実は、虫「新天地では、PRパンフやホームページで、 『ご挨拶』『着任にあたって』なんていう コーナーに寄稿しないといけないんじゃないですか? 私、書きますよ」怖「頼もうかな。文案考えてくれる?」虫「箇条書きでいいので、先生の思いを書いてください」などという会話を入院中の病室でしていたのだ。きっと、そんな依頼はないだろう。しかし、そんな会話をしていたことは事実で、それも一つの思い出である。そんな、瑣末なことどもを思い出しながら、待合室を後にした。もう怖い主治医はここにはいない。病院が、空っぽの器のように思えた。病院に足を踏み入れるときの、緊張感というか、焦燥感というか、高揚感というか…よくわからない感情がわいたことを思い出し、そして、それが全くないことも実感しつつ、帰路についた。怖い主治医は、虫けらにとってよほど大きな存在だったのだなぁ。 虚 空
2025.10.03
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8月のお盆の検査結果について、まだ書いていなかった。その前の検査が4月。4ヵ月の間にどれだけ育ったか、を確認するために単純CT検査を受けた。まずは、毎回受ける血液検査の結果。これは、健康な人よりいいくらいの数値。基準値を外れていても、±1とか±2といった微妙なもので、気にする必要なし。腫瘍マーカーは、CEAが前回より少し高くなっていて、31.0だった。CA19-9は前回の3倍、256.8もあった。抗がん剤治療を停止したときは基準値内だったので、急速に上昇したことがわかる。が、どちらもがんの大きさや進行具合に直結するものではないので、あくまでも参考数値ではあるのだが。で、CT撮影の結果。怖い主治医は所見を述べなかった。見ればわかる進行具合だったからだ。こちらから、何らかの質問をすればそれには答えてくれたかもしれないが、こちらが質問しなかったので、マウスを操作して、転移のあるそれぞれの部位の断面画像を順番に見せてくれただけだった。⚫︎肺はもともと5つの固形癌があったが、一つだけ 突出して大きくなっていた。 小さな固形癌が増殖していた。⚫︎肝臓は、影のような画像なのだが、 濃く、大きく、存在感を増していた。⚫︎大動脈近くのリンパ節への転移が見つかった。上二つは虫けらの目にもはっきりわかったが、リンパ節は怖い主治医が怖「これがな…」と見せてくれた。これまで見たことのない画像だったので、虫「どこですか?」怖「大動脈の横」と。またえらいところに飛んでいったものだ。以前(前回検査の4月)、虫「死因としたら、肺ですか?」怖「そうやな」という話だったのだが、今回は虫「やはり肺ですか?」怖「肝臓かもしれん」と言われた。どちらで死ぬにしても苦しむのは一緒だが、消化器を悪くすると、食事や飲酒ができなくなる。つらいことである。画像を見たとき、『今年いっぱいを覚悟するか』と思った。多分、普通の生活が送れるのは3ヵ月程度だろう。徐々に症状が出始め、食事が摂れないとか、痛いとかの苦痛が襲ってくるのだろう。虫けらの場合、症状が出始めたら急速に悪化するように思う。根拠はない。が、画像を見たら、相当な状態だ。4ヵ月としては、進行が早いというのが率直な感想だ。しかし、いまなお食べ物はおいしいし、酒も飲めている。「しんどい」「つらい」といった状態にもなっていないし、夜もちゃんと眠れる。ゆえに、「あかん」となったら、早いように思うのだ。来月にならないと、診察がない。怖い主治医の勘違いか、作為的にかはわからないが、2ヵ月だった診察間隔が、今回は3ヵ月になっている。その際の検査も血液検査だけである。次にCTを撮ったときは、さらにひどい状態だろう。新しい主治医には、怖い主治医に聞けなかったことを聞いてみることにする。検査についても、要請してみる。別に、死にたいわけではない。延命のためのつらい治療は要らないと言っているだけで、いつ死んでも構わないし、検査も不要だ!と自暴自棄になっているのではなく、状態に合わせて対症療法はしてほしいのだ。というわけで、ひと月先までは自由の身なので、いつもどおりの生活をして、人と会ったり、そろそろ営業を再開したりしつつ、身辺整理を進めようと思う。しなければならないことはまだまだある。本腰を入れてやらねばならぬ。虫けらのがんたちは大変元気である。しかし、虫けらも元気である。最後に勝つのはがんたちだが、いまのところ、せめぎ合いには負けていないようだ。さて、きょうの夜ごはんは何にしよう。。 愁 傷
2025.10.02
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アクセス記録を見ていたら、昨年に書いたブログが読まれていて、何を書いたのかと読みに行ったら、怖い主治医が少し登場していた。そう。怖い主治医と出会ったときから「運命」という感覚を持っていた。そのときも、もちろんいまでも、その根拠はわかっていない。今回の入院で、怖い主治医が虫けらの病室を訪ねてくれたのは5回だった。そう聞くと、「えー、そんなに何度も?」と思われるかもしれない。が、それぞれに理由があって、1回目〜手術翌日。 この日は怖い主治医が休暇に入る前日で、 術後の様子見と、今回の入院日と重なったために延期した CVポート手術日のリスケの打ち合わせだった。2回目〜朝:手術日の日程調整前の打診と仮決定。3回目〜夕:手術日の決定。 昼間に怖い主治医と整形の担当医が手術室で会い、 虫けらの入院日程を聞いたり、朝に仮決定した 手術日に実施可能かを打ち合わせたらしい。4回目〜手術前日。同意書の取り付けと打ち合わせ。5回目〜手術後(怖い主治医の診察時間後)。 傷口のチェックと虫けらへの慰労。無理も無駄もない。怖い主治医はそういう人なのだ。しかし、3回目の病室訪問の帰り際だったか、怖「ここに来るのが楽しみなんや」と言いながら、部屋を出て行った。どんな理由かは言わなかったが、虫けらの部屋に来るのが嫌ではなかったようだ。虫けらも怖い主治医も、余り自分の話はしないのだが、ふと見た怖い主治医の手と虫けらの手に共通項があったので、虫「体質が似てるのかもしれませんね」怖「そうやな」虫「私、先生とは、前世でも何かの関係があったんじゃないかと 思っていました」怖「え?」虫「きょうだい(姉弟)だったのかも」怖「きょうだい? ちゃうやろ」虫「年齢的には私が姉ですけど、先生の方が上だった ように思います」怖「そうやろな」「そうやろな」の意味はわからないが、怖い主治医も「そんな気がしている、しかし、兄弟ではなく、違う関係だろう」ということかもしれない。前回の入院時に、優しく抱き締めてくれたという話を書いた。そのひと月後の外来診察のとき、怖「僕、9月で退職するんや」と聞かされ、虫けらはいつになく動揺した。その話になったとき、虫「あの日、自宅に帰って呆然としました」と、多分悲しそうな顔をして虫けらが言った。すると怖い主治医が大変申し訳なさそうな顔をした。そんな顔を見たのは初めてだった。いつもポーカーフェイスで、感情を表情に出さない人だし、声も冷静そのもので、口調もトーンも変えない(何度か、イラついたり、怒ったりしているような声を聞いたことはある。が、それは、虫けらがそう仕向けたとも言える。そのときとて、表情は変わらなかった)怖「ほんとは、あのとき(前回の入院時)それを言いに行ったんや。 でも、言えんかった」そう言ったときの怖い主治医の表情は、生涯忘れられないだろう。本当に気の毒そうに、憐れむように言い、哀れみの表情を浮かべる。なぜ言えなかったのか。それを言ったら虫けらが悲しむだろうと推察したからにほかならない。その気持ちが「優しく抱き締める」という行動につながったのだと理解できた。しかし、なぜ虫けらが悲しむと思ったのか、ということは聞けなかった。ところが後に、何かの会話の中で、虫けらの気持ちの話になった。怖「(怖い主治医は虫けらに)嫌われてはいないやろうと思ってた」と言った。これは微妙な言い回しだ。人間の評価は、嫌いか、好きかの判断だけではない。大抵は、ほとんどの人に対して、どちらの感情も持っていない。多分、怖い主治医は虫けらが怖い主治医のことを好きだと思っていると感じていたのだろう。どこでそう思ったのかは謎だ。怖「さーけど、あなたはそういうことは言わん人やと 思った」これは、ふた通りの意味がある。⚫︎「そういうことは言わん人」だから、 そう言わなかった。⚫︎「そういうことは言わん人」なのに、 好きと言った。ということだ。もしかしたら、怖い主治医は虫けらが怖い主治医が好きだと言ったと思ったのか。虫けらは言っていない。「好き」ではないからだ。そんな単純な言葉で表現できる気持ちではないと「怖い主治医と虫けら」に書いた。感情のみを表す短絡的な言葉に込められるような簡単な思いではないのだ。決して「好き」などとは口に出していない。しかし、虫けらの何らかの言動によって、怖い主治医はそう思った(解釈した)のかもしれない。虫けら自身も最近まで、自分の気持ちが理解できていなかった。今回の入院以前に、中途半端な言動をしていたやもしれぬ。もしそうならば、大変申し訳ない。虫けらの性格についても、怖い主治医が分析してくれた。⚫︎大変真面目な人⚫︎男女のややこしいことと対極にある人⚫︎人に寄りかからない強い人⚫︎達観している人実に的を射ている。虫けらの実像と寸分違(たが)わない。よくも正確に見抜いてくれたものだと思う。やはり、運命の人だったのかもしれない(こらこら)。いや、冗談はさておき、怖い主治医は、長年臨床をやっているだけに人を見る目はすごいのかもしれない。聡明で、感性も経験も豊かな人だから、患者の性格や特性を見抜いてしまう。対して、虫けらの怖い主治医に対する理解は中途半端だ。半分以上は妄想だし、勝手につくりあげた人物像を都合のいいように理解しているだけだ。それでよかったのだ。自分の最期を看取ってくれる人が生々しい人間である必要はないのだから。常に虫けらはそういう認識で怖い主治医に接してきた。怖い主治医は虫けらの本質を見抜いていた。齟齬が起こってしかるべきである。怖い主治医が病室を訪ねてくれた間に交わした会話は大した量ではないが、何度も齟齬があるな、と感じた。それは、昨年⑥くらいまで書いたと思う「怖い主治医の謎の言葉の言葉の答え合わせ」でもわかるとおり、怖い主治医と虫けらの根本的な認識の違いが「謎」と「齟齬」を生み、ズレた理解の上に次の事実を重ねるから、余計に互いを理解困難な人間にしていたのかもしれない。しかし、虫けらにとって、怖い主治医の誤解は別に修正するべきものではないと考えた。間もなく虫けらの前から消える人である。怖い主治医にとっていいか悪いかはわからないが(もしかしたら、きちんと修正した方がよかったかもしれない。誤解が怖い主治医を苦しめたり、悩ませたりするものだったら申し訳ない。が、いまとなっては後の祭りである)、その誤解を認識したまま接し続けた。結果、それはそれでよかった。虫けらにとっては。大変優しくしてもらったし、怖い主治医の本当の姿が少しだけ見られらように思う。怖い主治医の言葉遣いも、友達にするそれのようにやわらかく、親しみのこもった、心地いいものだった。虫けらを見つめる視線や表情も、外来の診察室では見たことのない、とても優しくて温かいものだった。もしかしたら、ペットや小さな子供に対する慈しみの表情と同じかもしれないと思った。しかも、また抱き締めてもらった。大きく、深く。その気持ちよさは、最初のときと変わりなかった。これらを思い出しながら、一人ぼっちで死んでいこう。怖い主治医と会うことはもうない。怖い主治医の勤務最終日に虫けらは病院に行った。リハビリの指定日だったからだ。待合室にいるとき、怖い主治医の呼び込みのアナウンスを聞いた。あれが最後の怖い主治医との接点だった。あっけない別れの瞬間だったが、いつも人との別れはそんなものだった。長い人生で経験した、多くの別れの一つとなった。怖い主治医に対して虫けらが抱いていた感情を「好き」以外のものだったと理解してもらうべく、最後に部屋を訪ねてくれたとき、虫「先生には、最期を看取ってもらえると思っていました。 その心算(こころづもり)がかなわないから、 悲しんだんです」と伝えた。これで、少しは修正できたのではないかと思っている。運命だと思ったが、そうではなかった。もし、本当に運命だったのなら、再会のときが訪れるかもしれない。……ないない。怖い主治医のことを考えるとき、「ないない」と思ったことは、本当になかった。だから、「ないない」だろう。 臨 終
2025.09.28
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2014年からiPhoneを使っている。仕事柄、長年Macを使っているので、データのバックアップややり取りが楽だろうという理由。iPhone5を皮切りに、iPhone6、iPhone8と移行し、本業(元業)を休止してほぼ飲食業に専念し出したので新機能やカメラ性能にもこだわる必要がなくなったため、5年近く使って去年5月にiPhone13に機種変した。iPhone13は1年3ヵ月しか使っていなかったのに、入院中の8月に不調に見舞われた。YouTube視聴中、他の用事をしている間に電源が落ちた。しばらくして電源を入れようとしたら、全く電源が入らない。本体が熱くなっていることに気づく。これまでも、充電中に本体が熱くなり、画面を見ると、「充電を中断している」との表示。温度が下がったら、再開するというのだ。これが、バッテリーの問題か、本体に問題があるのかよく理解していなかった。バッテリーの問題なら、バッテリー交換で済む。ということで、修理専門ショップに持ち込む。バッテリーではなく、基板の問題だと告げられる。基板からデータを取り出し、基板を入れ替えれば、元に戻るとのこと。再び修理を依頼するが、修理期間は4週間ほど必要とか。3週間ほど経って、経過報告を求める。すると、基板は基板でも、電源系統の基板で、これは交換不可。が、データの取り出しと、新しい本体への移行が可能という連絡。つまり、iPhone13の復旧はかなわないということ。しかし、データが取り出せるなら、新しい本体を用意すれば、そこに移してやると。仕方ない。新しいiPhoneを購入する。iPhone14でも15でもよかったのだが、もう販売していない。iPhone16を購入する。しかし、iPhone13を廃棄してしまうのは忍びない。復旧の方法を考える。電源系統の基板を交換してくれる業者を見つけた。データの吸い出しと移行が必要なければ、さほど費用はかからないようだ。これができれば、iPhone13はサブ機として利用できる。今回のことで、サブ機の重要性が骨身に沁みた。できるだけメイン機に近い環境を保てば、故障時に今回ほど困ることはないだろう。それと、いつも使っているMacBook Airの買い替えも検討する必要がありそうだ。もう10年前のモデルなので、アプリのアップデートが追いつかないものがある。iPhoneと同期しておきたいデータがあっても、アプリのバージョンが違っていてどうにもならないことがある。夫が使っていたMacBook Airの方が新しいのだが、キーボードが海外仕様で使いづらい。贅沢は言ってられないので、そちらで何とかするか…。というように、スマホが壊れると、大変なことになる。費用をざっくり出してみるとiPhone13 100,000円修理1(調査費) 4,000円修理2(データ取出しと移行) 40,000円iPhone15 120,000円修理3(13復旧) 30,000円iPhone15備品 3,000円というところか。1年ちょっとでこれである。アップルの保証はないものか。1年以内ならあるのかもしれないが、ちょっとでも超えていれば難しいだろう。今回のことがあって、過去の修理履歴を調べてみた。iPhone5で2回(バッテリー交換)iPhone6で2回(バッテリー交換)iPhone8で1回(バッテリー交換)だった。バッテリーが膨張して交換したのは2回。あとは、消耗が激しくなったからというのと、もうバッテリー残量があるのに電源が落ちるというもの。いずれもバッテリーの問題だったので、今回もそうだと思っていた。が、本体とは。。最近の機種は、機能も性能も進化しているので、消費電力量も高いのだろう。しかし、それに見合った部品(性能)に進化できていないということか。アップル製品はデザイン性が高く、製品としての信頼性も高いと思われてきた。しかし、最近ではそうでもないように思う。中核の内部部品を日本製品から中国製品に変更してから、これが顕著になってきたという声がある。今回の故障を経験して、アップル神話はすでに崩壊しているのだろうと実感した。しかも、年末にはスマホ新法という日本政府のアホさが爆発している法律が施行される。EUが先導しているのだが、何も日本がこれに乗ることはない。この法律は、表向きは独占禁止法的要素があり、消費者がスマホを手に入れやすくするためというお題目があるが、裏では、アンドロイドの脆弱性をうやむやにするような、アップルの強さを破壊するような法律になっている。業界団体の陳情があったのだろう。金に弱い自由主義国家の政府が陥りやすい罠だ。いずれにしても、スマホ業界ではiPhoneが圧倒的優位だった時代が終わりを告げようとしているのではないか。アップルも、その時代の潮流に抗うことをやめてしまい、利益優先の経営戦略に走っている、というふうに思えて仕方ない。スティーブ・ジョブズが生きていてくれたら、と思わずにはいられないが、生きていたとて、この混沌の中ではどうにもできなかったのかもしれない。「混沌」の原因を考えなければならない。「グローバリズム」というものは、庶民には何ら利益をもたらさないということを強く自覚する必要があるのである。いま目覚めないと、日本は日本ではなくなる。もう遅いのかもしれないが。 混 沌
2025.09.23
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手術のために入院したことと、入院が短期間で済む(当初予定)ことがあり、今回の入院は個室を取った。大部屋(4人部屋)なら病室自体に料金がかからない。大部屋に入院したこともあるが、結構神経を使う。虫けらの父親は、十分成長したGを素手で掴み、潰すことができる大変サバイバルな人だったが、入院して大部屋に入ったとき、とても些細なことに神経を使う繊細な人間だったと知って驚いた。父「隣のジジイ、ゴロゴロうがいしたお茶を ゴックンしよるんや。気持ち悪い」こんなことを理由に、父「個室に移る!」と言い出した。勘弁してほしい、と思ったが、20年ほど前の話だったからか、田舎の県立病院だったからか、5,000円/日と安価だった。30日の入院だったので、15万円だったが、これは虫けらが負担した。父のつまらぬわがままのために、えらい出費になった。とはいえ、父は開腹手術をしたし、10日もの間、たくさんのカテーテルに繋がれていたためトイレにも行けなかったので、同室の人の迷惑を考えると、個室にしてよかったと、いまになって思う。今回の虫けらの手術は左脚にメスを入れる。1週間は固定装具で膝を固定するので、歩行時は車椅子が必須である。大部屋にも部屋の前にトイレがついているが、4人で一つのトイレ利用するので、車椅子で、しかも時間をかけての利用となると、少なからず他の同室者に迷惑をかけるし、車椅子で移動する自分にとっても負担になる。特に、痛みがひどい術後3日間は、動くのにも苦痛が伴うだろう。かといって、「最初の3日間だけ個室にして、あとは大部屋で」といった、フレキシブルな利用をしたくても、病院側の病床の都合がある。当初は、「1週間の入院」という話だったので、思い切って個室を取ることにしたのだ。料金は、15,000円/日。税込で16,500円である。これってどうだろう。インバウンドで旅行業界がおかしくなる前、大阪でビジネルホテルに宿泊しようとしたら、7,000〜9,000円くらいだったのではないだろうか。病室はビジネスホテルの部屋より広い。車椅子やストレッチャーが入れるドアと廊下の幅が必要だし、医療器具が入るスペースを取っておかねばならない。しかし、ベッドより奥には車椅子では入れないし、見舞客が来なければ、ソファセットも不要である。もっとコンパクトでもいいのだ。病室に置かれている家電製品は、テレビと小さな冷蔵庫だけである。湯沸かしポットやドライヤーはない。電灯は21時には強制的に消されてしまうし、テレビも基本的に21時までの視聴とされている。備品はない。あるのはゴミ箱のみ(大部屋なら、ゴミ箱すらない)。ビジネスホテルなら、バスルームにボディソープ、シャンプー・コンディショナー、歯磨きセット、アメニティーがあるし、バスタオルとフェイスタオルがある。場合によっては、バスローブや浴衣などもあろう。テッシュも使いたい放題だし、煎茶、コーヒー、飲み水などの無料サービスもある。病室のサニタリールームはというと、バスタブなしのシャワースペースのみ。洗面台は前時代的な小さなボウルで、顔が洗いにくい。ビジネスホテルよりすぐれている設備があるとすれば、頑丈な手すりくらいだろう。ビジホより狭いくらいのサニタリールーム毎朝、清掃に入ってくれるのだが、土日は来ない。シーツの交換も週に1回のみ。ゴミの回収も、ある程度溜まってから。ビジネスホテルなら、毎日、である。これで、16,500円とは、高くないだろうか。そんな価格の部屋があってもいいだろう。しかし、6,000円程度の部屋も用意しておいてほしい。若干狭くても、薄汚れていても構わない。病気やケガでそれどころではないだろうから。が、浮き世離れした医療の世界では、これが通用しない。需要があるから供給がある、といえばそれまでだが、入院するときは大抵緊急だし、個室料金が高いからといって、他の病院を探すとか、価格交渉をするといったシステムも余裕もない。しようがない(足元を見られている)のだ。1週間程度だと思っていた入院だったが、手術早々10日ほどになりそうだと判断し、胸のポート撤去の手術があったので、2週間を超えた。……大変な出費になった。最期は、緩和病棟に行くことになろう。ここでの費用だけは置いておねばならぬ。さて、あとどれくらいの命だろうか。懐と命の計算合わせが始まった。かくも悲しき貧乏人なり。 悲 哀
2025.09.21
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虫けらは、23年6月に人生初の手術を受けた。下行結腸を27cmも切除するというもの。近くにあるリンパ節も2つ取ったと後に怖い主治医から聞かされた。開腹手術ではなく、腹腔鏡手術であったのは幸いだが、結局は下腹に7〜8cmの幅でメスを入れているので、その部位の痛さは大概のものだった。手術前に脊髄近くに入れた硬膜外麻酔が効いている間は「イタタ」と言いながらも動けたのだが、4日後に麻酔のカテーテルを抜いた後は、動くことが難しいほど痛んだ。尿バッグは手術の翌日朝に抜けたのだが、点滴、硬膜外麻酔、心電計のケーブル、そして、体液や血液を外に出すためのドレーンと回収バッグが体についていたので、トイレに行くのが大変だった。虫けらは術後すぐに下痢に見舞われたので、手術翌日は30回/日トイレに行った。催したらすぐに、点滴スタンドに硬膜外麻酔とドレンの回収バッグを吊り下げ、トイレに急ぐ。大変な労力だった。何より、同室の方々にとっては大変迷惑だったろう。申し訳ない。しかも、消化器系の手術をすると、術後は3日間絶食、食事は重湯からという過酷なものである。このせいで、虫けらは4kg以上痩せた。もともと余力のない(脂肪が少ない)人間なので、絶食するとすぐに痩せる。一度痩せたら、なかなか戻せない。退院後も大変苦労した。怖「整形はええなぁ」今回(整形外科)の手術の翌日、既に手術着から自前のパジャマに着替え、心電計や点滴などが取れて通常の状態に戻っている虫けらを見て、怖い主治医が言った。怖「盲腸の手術でも、大変やもんなぁ」虫けらも、2年前の自身のことを思い出して、虫「そうですね」と答えたが、整形の手術は痛みとの戦いである。術後、施されたという神経ブロックはまだ十分に解けておらず、左脚の感覚は戻っていない。つま先を動かすも、意思どおりではなく、パコパコと大きく動く。しかし、痛みはある。かかとが痛い。膝から下がざっくり痛い。実際の痛みか、意識下の思い込みによるものかはわからないが、手で脚を持って動かしても、寝ていても、ずっと痛かった。本当の痛みは、神経ブロックが切れた後、思い知ることになるのだが。しかし、食事は術後すぐにできた。9時に手術室に行き、13時に病室に戻った。18時前の食事は普通食で、フルーツを残して平らげた。翌朝のパン食も完食した。食事をしないことには、元気が出ない。手術で消耗した体力やストレスは、栄養がないとどうにも回復しない。消化器系の病気とはここが違う。しかし、体を切り刻むというのは、大変な痛みとストレスを伴う。高齢者になると、痛みに対して鈍感になるし、自分でどうにかしたい、などと抗わないので、気が楽かもしれないが、虫けらは平常の自分とのギャップに苦しんだ。何でも一人でやることが当たり前の虫けらならではのストレスなのかもしれないが、トイレ一つ、自分で行かせてもらえないのだから、心が萎えるのも致し方ない。現在、手術から3週間と少し経過しているが、痛みは持続している。動かすと痛い部位があるが、何もせずとも痛い部位、触ると痛い部位、さまざまである。「慣れてきます」と担当医が言ったが、依然慣れない。虫けらは、痛みに強いのだが、痛みに敏感でもある。人一倍、痛みを感じるセンサーがよく働くのだ。ということは、痛みに強いのではなく、我慢強い、ということになるのか。術後3週間以上を経過しているのに、まだロキソニンを飲んでいる。1日3回だったのを、2回に減らされたが、どうしても夜中に痛くなったときのために、頓用の痛み止め(常用とは別系統)をもらった。夜中に痛みで起きることが未だにあるので、虫けらから申し出た。薬嫌いの虫けらにしては、珍しい話なのだが、術後の痛みは想像を絶するので、備えが必要だ。脛骨の左右に大きなプレートが入っていて、それと骨をつなぐビスが合計8本ほど打たれている。痛くないわけがない。皮膚は痺れていて、触ると痛い。表面が大変過敏になっているのがわかる。いつになったらこの痛みが和らぐのか。プレートの端はその存在が認知できるほど膨らんでいて、そこにいつも痛みが歴然とある。(画像を載せようと思ったが、グロ過ぎるのでやめた。もう少し傷が治ったら…)下腿が変形しているのを見るのは切ない。もう一度、在りし日の左脚をアップしよう。入院前日の遺影である。向かって右側が折れた左脚。膝が腫れ、全体が浮腫んでいるが、特に足首からつま先にかけてがひどいプレートは、1年ほどで撤去できるらしいが、虫けらの命はそれより短い。もう、元の脚に戻ることはできない。いろいろ考えると、手術してよかったのか、悪かったのかと思わないではないが、思っても仕方ない。とりあえず、何のために手術に望んだのかを考え、それに見合った結果を出さねばならぬ。気持ちを切り替えて、これまでの生活に早く戻りたいと願う虫けらであった。 苦 痛
2025.09.19
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左脚の手術から病室に戻り、夕食前にYouTubeを視聴したのを最後に電源が入らなくなった虫けらのスマホ。iPhone13だが、まだ1年と3ヵ月ほどしか使っていない。既に15が発売されていたが、店の経費で落としたいので(10万円を超えると5年の減価償却になる。5年先には確実に生きていない)、10万円以内で購入できる機種を探したら、13しかなかったというのが実情。サブ機はiPhone8。実に古い機種なのだが、SIMがNanoSIMであり、iPhone13と共通であることが幸いだった。入院期間は、1週間〜2週間と聞かされていたが、担当医との話し合いで、10日は超えると決定した週末、虫「週明けに1時間ほど外出したいんですが、 許可を出していただけますか?」担「え、どこに行くの?」虫「スマホが壊れまして、修理に時間がかかるので、 できるだけ早く出しておきたいなと」担「そう。いいですよ。看護師さんに伝えておきます」よかった。固定装具(ニーブレース)を装着することを条件に、1時間程度の外出を許可してくれた。行き帰りはタクシーを使う。ショップへは予約を入れて出向くことにする。看護師さんに、クリップをもらい、iPhone13のSIMを取り出してiPhone8に入れる。8の電話、ショートメッセージ、メールが使えるはずである。エロ男爵との連絡で使っているsignalの設定をしてみる。二段階認証が必要になったが、ショートメッセージで認証コードが届いた。電話とショートメッセージは開通した。あとはメールであるが、これは間違うとえらいことになる。何しろ、スマホが故障してから数日間、サーバーに溜まっているメールを一気におろしてくることになる。失敗すると、それらが消滅する可能性がある。メールサーバーはキャリア(au)にあるので、auの「My au」で、設定の仕方をチェックする。大体は把握できた。あとは、ショップで指導を受けながら、確実に開通させる。というわけで、スマホ救済の第一歩の段取りができた。手術後1週間足らずで外出し、その理由もスマホ修理、という情けない状況は、悲運の虫けらならではだと言えなくもないが、それにしてもハードな人生だと痛感する。家族がいたら……。と思わないでもないが、こんな些細なことはいいとしても、がんだとか、骨折だとか、入院だとか、手術だとかといった、心配と不安に包まれるであろうことを他人に背負わせずに済んでいることは、悲運とはいえラッキーなことだと思わずにいられない。かくして週明け。Uber(タクシー)を病院に呼び、修理専門ショップに出向く。無事、メールの開通を済ませ、iPhone13を修理に出して病院に戻る。iPhone8では、基本的な使い方は網羅できるのだが、●LINE●ネットバンク●生体認証がネックになった。生体認証は、Face IDからID Touchに設定し直せば、使えるようになるものがほとんどだが、端末を登録しているネットバンクはアウト、LINEもアウトだ。メールは全て下りてきたので、8から13に機種変してからのメールも8に吸収できた。しかし、ショートメッセージについては、13を使っていた間のメッセージは落とせない。いろいろ不便はあるのだが、ひと月ほどの辛抱と、余り考えないようにしている。スマホが壊れたときにいたく後悔したのがノーパソを持参しなかったことだ。荷物が重いという理由だったのだが、救急搬送以外の入院のときも、旅行のときも、必ず持参していたのに、今回、持参しない決断をした自分を激しく叱責した。パソコンがあれば、ネットバンクは何とかなった。これが一番の問題で、月末なので、家賃の支払いがあったのだ。これは、どうにもしようがないので、管理会社に連絡して事情を説明し、振り込みが遅れることを了承してもらった。12年以上、延滞したことのない店の家賃だし、人間的な付き合いがあるので、これで解決。あとは、翌月10日のカードの引き落としだ。10日までに退院して、口座に金を入れないと、厄介なことになる。引き落とし口座はあちこちで公開しているので、こちらには引き落とし金額しかお金を入れていない。メインの口座からちょこちょこ振り替える方式で、引き落としに対応している。カードの不正利用などがあっても、引き落としできないなら被害を防げるし、口座の乗っ取りに遭っても、金が入っていないなら、被害は少ない。というわけで、振替作業ができないので、口座残高が足りないのだ。引き落としまでに1週間以上ある。大丈夫だろう、と踏んでいたのだが、怖い主治医にお願いしていたCVポートの撤去手術の日程がまだ決まっていない。怖い主治医は虫けらの手術の翌日に病室に来てくれたが、その翌日から休暇に入ると告げた。次に出てくるのは週明け。つまり、スマホを修理専門店に持ち込んだ日には怖い主治医が出勤してきたはずだが、病室には現れなかった。整形の担当医に相談するようなことでもないので、とりあえず様子見をすることに。翌日、怖い主治医が病室に来てくれたのだが、退職の準備やら診察やらで、週内の手術は難しいという話になった。え、え、え、である。一応、週明け月曜日に仮で予約を入れたが、火曜日には術後2週間の整形の検査ががある(月曜の手術がないなら、次の外来時に検査することになるが、せっかくなら、と。その方が効率的なので、虫けらも了承)。ということは、早くても水曜日に退院、という段取りになる。こ、これは……。引き落とし日は、朝8時の時点で残高が足りないと銀行から「未済のお知らせ」が届く。つまり、前日までに金を入れておかないといけないのだ。カード会社に問い合わせるべく、電話番号を探す。カード会社のサイトを探ると、カードの裏に記載されている番号にかければいいことがわかる。(カード会社と提携している企業にかける場合もある)コールしたが、相手は音声ガイダンスである。こちらの状況にぴったりの項目がない。音声で「はい」「いいえ」と答える項目もあり、何度も答えながら、自分の目的の項目にたどり着く。0570発信である。幾らかかるのか気が気ではない。以前した、ちょっとした問い合わせに700円ほどかかった記憶がある。とりあえず、翌日、つまり11日の午後6時に再引き落としの手続きがあるので、それまでに入れておけばOKという結論を得た。ややこしい。結果的に、10日の退院となったので、退院して自宅に戻り、荷物を置いたらすぐにUbreタクシーを呼んで銀行に向かった。次の引き落としに今回の入院費の引き落としがあれば、ちょっとまとまった金額が必要になるので、引き落とし口座と違う銀行(三菱USJ)に行き、現金で引き出す。ATMでは扱えない金額なので、係員のいる窓口に案内される。ずっとネットバンキングだったので、久々の銀行に少し緊張した。住所変更もしていなかったので(ネットバンク登録時に、本人証明の条件が足りず、本人情報の変更ができなかった)それも併せてすることになり、印鑑や暗証番号といった、もう忘れかけているものを出しながら、アナログの作業をこなした。ふと考えると、三菱USJなど、虫けらがあずかり知らぬ銀行だ。虫けらの口座は三和銀行にあったのだ。口座をつくったのは、もう40年ほど前。暗証番号など、何世代も前のもので覚えていない。多分、途中で強制的に変えさせられたと記憶している。3回チャレンジしてようやく符合した。帯封のついた現金を携えて、引き落とし口座の銀行へ。さらに、店の家賃を振り込むために別の銀行に。ネットバンキングなら、引き落とし口座から振り込むのだが、手数料が安い家賃専用口座から振り込む。と、スマホが壊れただけで、入院生活が気が気ではなくなった。スマホにさまざまな機能を持たせている人は多いが、虫けらは怖くてできない。充電が切れたら……、ネットワークが遮断したら……、アプリに不具合が起こったら……、スマホが乗っ取られたら……、スマホを落としたら……、スマホが壊れたら……。考えられるだけでも、たくさんの危険が潜んでいる。悪い輩はどんどん新手の方法で攻撃してくるし、機械は壊れるものだ。今回も、サブ機を持っていたから、SIMがメイン機と共通だったから何とかなった。サブ機がなかったら…と考えるとゾッとする。便利と危険は裏表である。バックアップや非常時の対処法をよく考えておかないといけないと痛切に感じる虫けらであった。 戦 慄
2025.09.18
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手術を終え、動かぬ左脚を持て余しながら夕食を終えた刹那、発覚してしまったスマホの不調。それとは関係ないものの、病室に戻ってから37℃台だった体温が夕方には平熱近くまで落ちていたのに、夕食後はぐんぐん上昇し、ついに39℃目前となったとき、看「解熱剤、使いましょう」虫「いいです。必要があって上がっているんだから、 解熱剤で下げてもまた上がるでしょう」とは言ったのだが、点滴に強制的に解熱剤を入れられてしまった。解熱剤を使うのは何年ぶりだろう。多分、30年くらい使っていないと思う。前回は、打ち合わせかプレゼンがあり、どうしても熱を下げなければならないなどの切迫した事情があったと思う。病院のベッドで寝ているだけの状態で、わざわざ解熱剤を使う必要はない。何より、熱が下がるときの汗がいやなのだ。全身から吹き出る汗。やがて汗だくになって熱が下がる。平時ならタオルで体を拭き、パジャマを着替えてスッキリできるが、カテーテルやケーブルに囚われの身となっているので、それもできない。ささやかな抵抗はしたが、蟷螂の斧状態である。点滴に入れられた解熱剤はすぐに効果を発揮し始め、日付が変わる頃、熱が下がった。さて、スマホをどうするか。とりあえず朝まで待って、対処法を考えよう。夜中にできることは少ない。朝5時。メイン機のiPhone13を手に取り、強制終了や再起動を試みるが、全く反応がない。諦めてサブ機のiPhone8を起動して、状態を確かめる。電話、ショートメッセージ、メールは使えないが、通信関係は大丈夫。しかし、LINEはアウト。こちらで設定したとて、13と同じ環境にならないし、13上で復帰できるかどうか怪しくなる。触らぬに越したことはない。メッセンジャーは大丈夫のようだ。13と同じ内容が表示された。次に、修理専門ショップを検索する。これまで、歴代4台のiPhoneを修理してきた(全てバッテリー交換)ショップがあるのだが、この支店が近くにないか探す。あった。自宅からだと1kmくらいだが、病院からだとさらに遠い。しかし、それが最も近いショップだ。さて、動けない虫けらに代わって、ショップに持ち込んでくれるのは誰か。探さねばならない。平日。普通の勤め人は難しい。自由業か、勤務時間帯が通常ではない人間…ふと、天満のエロ男爵の顔が目の前に浮かんだ。「そうだ! とりあえず連絡してみよう」エロ男爵とは、いつもsignalを使って連絡を取り合っている。しかし、signalは再設定が必要なようで、しかも、二段階認証になっている。電話が使えないので、アウトだ。しかし、エロ男爵もiPhone利用者なので、FaceTimeが使える。5時50分頃になっていたが、コールしてみる。こんな時間に?と思われるだろうが、エロ男爵は6:00出勤という特殊な勤務体系で働いている。しかし、10分前となると、もう職場の配置についている頃か。10回コールすると切れる。諦めて、昼休憩時間と思われる時間単に掛け直すことにする。出ない。結局、勤務が終わり、家に到着した頃と思われる時間にようやく繋がった(5回目)。エ「はい」虫「虫けらです。突然すみません」エ「あー、着信の表示がおかしくて、誰かわからんかった」エロ男爵が登録している虫けらの名前が出るはずだが…。まぁいい。事情を説明する。エ「明日、仕事終わりにそっち行くわ」と、了承してくれた。よかった。こんなときに助けてくれる人こそ恩人である。何か御礼をせねば、と心に誓う。多分バッテリー交換で済むと信じて準備をする。ショップに予約を入れ、状態を説明しておく。スマホのパスコードや電話番号、メールアドレスなどを書き出しておく。パスコードは絶対必要だが、電話番号やメアドは、ショップに登録している利用者リストから虫けらを見つけやすくするためである。再利用の場合、割引などの特典があったはずだ。準備を整えて、エロ男爵の到着を待つ。バッテリー交換の費用は9600円、修理に要する時間は45分程度。やってきてくれたエロ男爵に伝え、ショップのマップを見せて送り出す。病室を出て15ほどしたら、FaceTimeが鳴る。虫けらの利用履歴に関するものだった。大した話ではないが、対処法をこちらから提案して、電話を切った。さらに15分ほどして再びFaceTimeが鳴る。エ「バッテリーじゃないようや。1時間半くらいかかるって」そんなに時間を要するのか、と平謝りに謝った。18時前にエロ男爵が病院に戻ってきた。エ「基板らしい。どうしますか? 言われたけど、 とりあえず、後で連絡する言うて出てきた」虫「どうしますか? っていうことは、 修理する方法があるってこと?」エ「わからん。雨雲が出てきたから、慌てて帰ってきたんや」な、なんと。。仕方ない。自転車で出向いてくれたので、天候優先になる気持ちはわかる。翌日、病院の公衆電話からショップに連絡した。基板の修理とデータの復元ができるらしい。しかし、3〜4週間を要するとのこと。修理ができるなら、出すしかない。が、退院してからになるだろう。時間がかかる……。ショップの店員さんには、スマホを再び持ち込むと告げ、電話を切った。ショップの電話は「070」発信だったが、250円ほど使った。2分ちょっとの通話だったと思う。高い!スマホ故障の全容ついては、さらに長い話になる。次回に分ける。 困 窮
2025.09.17
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「この先も、主治医は先生ですか?」「先生の患者でいていいですか?」「これからも主治医でいてくださいますか?」お盆真っ最中の外科の外来診察のとき、怖い主治医から《驚愕の話》をされたと書いた。「驚愕」などと言っているが、単純な話である。怖「僕、9月いっぱいで退職するんや」これである。怖い主治医が主治医になって2年と2ヵ月。昨年6月にがんの再発がわかって以来、三度にわたって冒頭の質問をしてきた。その都度、怖「はい」と答えていた主治医が、虫けらの前から消えるというのだ。これにはまいった。突然のこと過ぎてよい言葉が見つからず、虫「急な話ですね」となんとか返したが、怖い主治医の表情は動かなかった。多分、随分前から話があって、決定したのがここ2〜3ヵ月のことだったのではないか。虫けらが聞かされたのが遅かっただけだ。となると、ひと月前の病室でのやり取りのとき、既にこのことは決定していたのだろう。(この顛末は、後に知らされる)虫けらは、怖い主治医のことを一人ぼっちの虫けらの最期を看取ってくれる人と勝手に思っていた。そのことは、つい最近認識できた。つい最近とは、ひと月前の入院時である。わずかひと月の間の淡い願望に終わったわけだ。「退職」の話から、次の話へ話題が移り、一通り診察が終わったとき、虫けらは両手で顔を覆った。「どうしたらいい」という大きな難問が目の前を塞いだからだ。自分の今後、病気との向き合い方、具体的な生活のあれこれ……違う。心の置きどころがなくなってしまったのだ。死ぬまで、怖い主治医がそばにいてくれるものだと信じて(思い込んで)疑わなかったのに、これからの人生の根底が覆されたのだから。手を外し、顔を上げたとき、とても心配そうに虫けらを見る怖い主治医と目が合った。虫「私の心算(こころづもり)が…」と、小さな声で呟いて、言葉を切った。背筋をシャキッとさせて、虫「月末のポートの手術、よろしくお願いします」と言って、診察に区切りをつけた。診察室を出るときは、怖い主治医は引き続き心配そうな表情を見せていたが、虫けらは笑っていた。そうするよりなかった。本当は、新しい主治医のことや、次の診察日を予約するといった実務的な話があったが、そんなところまで神経が回らなかった。とにかく診察室を出たかった。虫けらは、幼少のころから想像を絶するような体験をしてきたせいで、感情を表に出さない癖がついている。感情を大きく揺さぶることであればあるほど極めて冷静な表情と口調で対応する。しかし今回は、表情に出ていたと思う。言葉に詰まって窮したとき、怖い主治医が気持ちを確かめるように虫けらの目を見ていたのを覚えている。待合室でぼぉっとしながら虚空を見つめていると、冒頭のやり取りが脳裏に蘇った。がんの再発がわかったとき、治療を決めるとき、1年前の入院時。1年前の入院時には、このことを予感したかのような会話をした。虫「この病院に来られて10年近くになりますよね。 転勤や昇進があるんじゃないですか?」怖「どうやろね。どんなパターンがあるやろ」虫「別の病院に院長として引き抜かれるとか」怖「ないない」虫「じゃ、ここの院長」怖「判子つく仕事か」虫「先生はそういうタイプじゃないですよね」怖「いや、別に判子人生でもいいよ」虫「先生がよくても、患者さんが許さないでしょう?」怖「そう言ってもらうのはうれしいけどね。 医者としては、そう言ってもらえるうちが花やね」などと明るく話していた。虫けらの勘は鋭いのかもしれない。1年後、そのとおりになった。虫けらの人生は過酷である。「運命の人」などと思ったのが、大変おめでたいことだと今更ながらに思い知った。虫けらの人生に、「幸」「安寧」「安住」などという言葉は無縁なのだ。最期くらい、そうした要素を添えてくれてもいいではないか。しかし、そうはいかないのが、虫けらの今生である。 絶 望
2025.09.16
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朝9時。飲まず食わずの状態で手術室に向かう。手術室には既にDr.Iがスタンバッてくれていた。虫「おはようございます。よろしくお願いします」Dr.I「おはようございます。体調いかがですか?」虫「万全です」朝9時にここに準備完了状態でいるということは、遅くても8時には出勤しているのだろう。前日は、禁酒して早寝するのが必須。大変な仕事である。酒飲みにはできない仕事だ。もちろん、毎日のことではあるまい。が、週に2〜3日だとしても、虫けらには苦痛である。とはいえ、虫けらとて若いときは過酷な労働に耐えたものだ。接待をこなした後午前様となって自宅に戻り、入浴と翌日の支度をして就寝。翌朝6時のロケ地での集合に間に合わせるように5時に車を出したり、26時終了という香盤表(自作)で撮影を進め、結局28時終了となったのだが(予定通り)、「監督、飲みに連れてってや」というカメラマンの要求を聞き入れてスタッフ全員でおでん屋に行き、6時過ぎまで飲み食いした後、カメラマンは次の撮影現場へ、虫けらはスタッフを数人送って8時ごろ自宅へ戻り、シャワーからの9時に出勤してそのまま終日就業、プレゼンのための企画書を徹夜でつくり、始発から2本目(始発はとにかく混むので、2本目を取るのが慣例)の新幹線に飛び乗って東京に行き、丸の内で朝一のプレゼンに望む、なんてことも平気でこなしていた。しかし、現在の自分を省みると、もうそんな無理はできないと思う。と言いながら、こういう成功体験を持つ人間は、自分に限界を置かないので、無理をしなければならない場面では、超人的な働きをするものだ。が、以前とは体が違う。無理は無理だろう。無理をしなければならない場面がないことを願うのみである。そんなことを考えながら、麻酔が即座に効いて手術室に入室して、多分10分ほどで意識がなくなった。次に目覚めたのは病室。13時頃だった。手術は2時間ほどと聞いていたので、目覚めたのが4時間後であることに不安感がわいた。虫「手術は1.5〜2時間と聞いていましたが、 もっとかかったんですか?」病室にいた看護師さんに聞いた。看「手術前後の時間があるし、 麻酔が解けるのにも少し時間がかかるので、 こんなもんだと思いますよ」虫「そうですか」手術に難航したということではなさそうなので、心配はしないことにした。胸には心電計がつなるケーブルが3本、左腕には点滴、右腕には血圧計の腕帯、人差し指に酸素濃度計がはまっている。尿道にはカテーテルが入っていて、尿バッグに尿が流れ込む状態。手術後、こういう状態になるのが嫌だ。全く動けない。ここで便意を催したらどうしたらいいのだ。消化器や長時間の観察が必要な手術後なら、オムツをしているのだが、今回はすぐに食事もできる状態に回復するため、オムツはつけていない。しかし、催すときには催すもので、手術前にトイレに行けなかった虫けらは不安でしかなかった。虫けらは30過ぎから下痢症体質になってしまった。下痢は時と場所を選ばない。こういうときに便秘症ならよかったのに、と思わずにいられない。左脚は、痛みは感じるのだが、全く動かない。膝上から爪先まで、神経が生きていない状態だ。眠りたいのだが、最初は10分ごと、1時間後からは1時間ごとに血圧計が作動するので、その音と腕の圧迫感で眠れたものではない。眠るのを諦めて、15時過ぎからスマホでYouTubeを観ることにした。看護師さんにスマホを取ってもらい、イヤホンを耳につけて朝にライブをやっていた番組のアーカイブを観ていたら、外が慌ただしくなってきた。夕食の時間である。足は痛いし、腕には血圧計の腕帯、人差し指には酸素濃度計がついている。点滴も心電計も尿バッグもそのままで、夕食を食べろというのだ。看護師さんがテーブルに食事ののったトレイを置く。看「テーブル、そちらに向けます?」と言いながら、勝手にテーブルの高さを変える。虫「いえ、そのままで」細かい指示を出すのが苦手は虫けらは、自分でやることを覚悟して看護師の動きを制する。全く動かない左脚のみならず、カテーテルやケーブルで囚われの身となった虫けらは、動けるだけ動いて、テーブルの高さを元に戻し、箸箱を手にとって、食事を食べようとする。しかし!右手の人差し指についてる心電計をどうしろというのだ。箸が持てない。しかし、外すと「ピーーー」という警告音が鳴る。仕方なく、小指に付け替えて食事を始める。「そんなときに卑しい」と言われるかもしれないが、前回の退院後ひと月余りで3kg近く落ちてしまった体重をこれ以上落としてはいけない、という強迫観念に駆られた虫けらにとって、食事の中身や味は意識のほか。食べるしかない、と思っていたのだ。食事を終え、再びYouTubeを見ようとしたが、スマホの電源が落ちているようだ。虫「え? さっき、電源切ったっけ?」電源を入れようとするが、何をどうしても画面が暗いままだ。強制終了など、電源に関係する方法を試みるが、一切反応がない。本体がちょっと熱いと思った。水のペットボトルをスマホの背面に転がしたり、ベッドの寝具の冷たいところにこすったりして本体を冷やそうとする。虫「少し置いておくか」嫌な予感を抱きながらも、どうしようもないと諦め、枕の下にスマホを押し込む。30分ほどしてスマホを取り出すも、さっきより熱くなっている。これはまずい。バッテリーが過熱した場合、充電を止めるなどの自己防衛策を取るのだが、電源が入っていないのに過熱するのはこの不具合の原因がバッテリーではない可能性が浮上してしまう。バッテリーではないとしたら、本体…基板…その他の重要部位……。やめてくれーーーー。この状態でスマホを失うと、万事休すだ。リュックの重さが原因で、ノーパソを持参していない。外部との通信手段はスマホが全てなのだ。サブ機は2台あるが、SIMが有効なのはメイン機のみ。Wi-Fiがあれば、サブ機でも通信できるのだが、電話やメールは不可、SNSアプリも使えないものが多い(他の端末で使っていた場合、再設定が必要で、二段階認証など、電話やメール機能がないと使える状態にならないという場合がある)。YouTubeを観ることは辛うじてできるのだが、観る気にはならない。もしサブ機もお釈迦になれば…と考えると、無理に使わずに、温存することを選ぶしかない。動かない左脚、たくさんのケーブルやカテーテルで囚われの身となった虫けらは、メインのスマホを失うという悲運に見舞われ、絶望の淵に叩き込まれたのであった。 悲 愴
2025.09.15
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8月も残りあとわずかという月曜日の朝、前回の退院から6週間弱のインターバルを置いて再び入院するためにUber(タクシー)を呼ぶ。背中には荷物を詰めたリュック、左脚にはニーブレース(固定装具)、両手には杖を持って自宅を出た。リュックニーブレースクラッチ杖リュックは30Lの容量があるが、バスタオルやパジャマ、下着などでパンパン。大変な重量だ(7〜8kg)。ニーブレースは、その時点では必要ないが、手術後の数日間必要になるので持参すればよいのだが、残念ながらリュックには入らないので、脚に装着。さらに両手で杖をつくと、「何者だ!」と驚かれるような出で立ちとなった。入院予定は1週間。手術痕の状態やリハビリの状況によっては2週間。それが整形外科の担当医から聞かされた入院期間。随分幅がある。虫けらの心算(こころづもり)では、10日と見ている。手術は入院日翌日。1週間を置いて術後の状態を図る。即退院とはならない。翌日か、担当医の予定によっては1〜2日ずれる。最短10日だという結論。それを見越しての持参品。●タオル 術後のベッドに敷くための大判バスタオル 洗髪やシャワーに必要なミニバスタオル 洗顔時に使うふわふわのフェイスタオル 何にでも使えるフェイスタオル×2 身の回りで使うハンドタオル●パジャマ 2着(洗濯を考えても考えなくても) パジャマ下に着るタンクトップ×2 リハビリの時などに着るTシャツ×2●下着・靴下 ショーツ×5(洗濯してもしなくても) 靴下×3(履く機会は少ないが、退院時には必要) 弾性靴下(手術時着用。以前使用したもの)●グルーミング 歯磨きセット シャンプー・リンス/ヘアケア用品・ブラシ スキンケア用品 マウスウォッシュ 爪切りセット マスク ティッシュ●モバイル スマートホン 予備スマホ×2 イヤホン×2 充電ケーブル(ライトニング、USB/C)●その他 アイスバッグ(氷嚢) タンブラー×2 ストロー(術後、寝たまま給水するため)必要最低限だったと思う。ストロー以外、使わなかったものはなかった。足りないものは…一つだけあったが、後述するとして。これまでの入院、通院で付与された書類などのファイル、筆記具、財布、ハンドグリップ(握力維持用)を加えて全ての品々をリュックに詰め込むと、体重47kgの人間にはちと重い重量になった。キャリーバッグが使えないのが痛い。負傷した日の1週間後に予定していた旅行のために購入した新しいキャリーバッグがあるのに……。Uberタクシーの運転手さんには大変心配された。「どういう客だ!」と驚いたことだろう。リュックを見ると、旅行か出張だろうが、脚には仰々しいものを着けているし、両手には杖。旅行などという呑気な話ではないはずだが、入院なら、付き添いの一人もいるだろう。とにかく無理に無理を重ねたような姿だ。という状態での再入院だった。一人で生きるというのは、こういうことだ。平常時は問題ないが、非常時には大変無理な状況になる。が、虫けらはずっとこういう人生だった。自分一人で何とかしてきた。自分の姿を俯瞰で眺めながら、「死ぬまでこういう人生なんだ」と改めて思う虫けらであった。 悲 哀
2025.09.14
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退院して二日。退院日は自宅に戻ってすぐにUber(タクシー)を呼んで銀行に出向き、合計3行回って各種手続きを済ませ、ようやく落ち着いたのが13時前。リビングの定番の席に座り(ケガをして以来、余り座れていなかった)、大好きなサッポロビールで祝杯を上げ、窓からの景色は最高!黒ラベルも赤星も大好き。入院中使えなかったPCを開けてさまざまなチェックを済ませたのが15時くらい。左脚の違和感に気づいて例のマッサージチェアに寝転んだが、むくみの酷さと手術跡の痛み、左下腿全体のヒリヒリ感に嫌な感じを受けた。病院では、ベッドの脚の部分を上げてむくまないようにしていたし、一日の大半を寝転んで過ごしていたので、5時間も外を歩いたり(杖あり)、椅子に座って過ごしたりしたことの弊害はある程度の予想はできたのだが、やらなければならないことはとにかく先に処理したい、というわけで、ちょっと無理をした。詳しくは後日記すつもりだが、退院日は運命の分かれ目の一日だった。ひどくむくみ、熱を持ち、絶えず痛みを発する左脚をできるだけ高く上げながら、手術をしたことが良かったのか悪かったのか……と考えずにはいられなかった。その上、である。退院2日前に、右胸に入っていたCVポートの撤去手術を受けた。その傷跡も、それなりに痛む。1日3回の鎮痛剤(ロキソプロフェン)服用によって、左脚以外の痛みも常に鈍化するのでさほど痛みは感じないのだが、何かに当たったり、間違って触れたら痛い。しかも、退院日の夕方近くからは熱発し、翌日、翌々日の午前中まで熱が下がらなかった。とはいえ、最高でも37.9℃なので、通常の虫けらにとっては、微熱の域を超えないのだが、今回は、いつになくしんどかった。環境の変化によるストレスが原因だろうと思うが、食欲が全くわかないのが気に食わない。いつもなら、38℃以上あっても平常運転ができるのに、39℃を超えたかのような食欲不振と倦怠感。せっかく、落ちた体重を入院中に少し回復させたのに、これではまた落ちてしまう。何かを食べねば…と思うのだが、冷蔵庫から食材を取り出しては仕舞うということの繰り返し。結局、アーモンドとクッキータイプの栄養調整食品、干し芋しか食べられなかった。「また痩せてしまう」という恐怖が襲う中、睡眠だけは十分取りたいと発奮し、ケガ以来使っていなかった2階の寝床で寝ることにした。これは大変な決意だった。まだ杖生活ゆえ、トイレなどの用があって動こうとすると、階段の昇り降りが必須なのだ。慌てて階段から落ちたりすると、また緊急入院になりかねない。救急車を要請できるならまだいい、打ち所が悪ければ、そのまま孤独死…も考えられるのだ。が、2階に上がった21時から翌朝6時まで2度ほど目覚めて、寝落ちしてしまったために観られなかった有料チャンネルを見直したりした以外、1階に降りることも、不自由な脚を苦にする作業をすることもなく、よく眠れた。朝はまだ体温が高かったが、昼過ぎには平熱に落ちた。これを書くうちに退院三日目になった。きのうはネットスーパーで食料品を購入した。Amazonを経由すると、初回20%OFFのクーポンがあったのと、前回の退院から1ヵ月半もの間、備蓄食材で何とか食いつないできたものの、もうそれでは賄い切れないと判断したためだ。8,000円以上購入すれば、配送料が無料になるとのことで、買い物かごにめぼしい商品を入れていくと、すぐに到達した。ここから20%OFFされ、さらに欠品があり、代替品がなければその分がマイナスされるので(オーダーした『カツオのたたき』が欠品。残念だが、致し方ない)、6,000円ちょっとの買い物になった。ちょうどいい感じ。しかし、実際にスーパーで買い物するよりかなり割高になっているし(単に値上がりしているのかもしれない)、セール商品が少ない。やはり、店頭に出向くのが一番だと実感。そんなこんなの二日間。きょうは、やることが少しあるので、睡眠と食事、入浴の時間を調整しつつ、健やかに過ごしたいと思う。と言いながら、「健やか」などという言葉とは無縁な人生を送ってきた虫けらのこと、あすになったら、また違ったアクシデントに見舞われているのだろう。入院中のあれこれは、一気にアップしたい。少々お待ちを。 愚 者
2025.09.13
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あす、入院する。左脚の骨折部を手術するためである。救急隊、救急医、怖い主治医が「どうやって骨折した?」と疑問と驚きの表情を隠さずに聞くほど、外傷がなかった左脚だが、いよいよ手術のために傷がつく。というわけで、ここに遺影を掲げておくことにする。ここひと月以上、ベッドとなっていたマッサージチェアの上。派手な布はタオルケット代わりのバスタオルこうして並べて見ると、違いは歴然。向かって右側が折れた左脚。膝頭と膝周辺が腫れているのは、水が溜まっているからとのこと(リハビリの理学療法士談)。ひと月以上歩いていないので、ふくらはぎがしぼんでしまっている。全体に浮腫んでいるのだが、足首から爪先にかけてが顕著。足首は、歩いていないことによる緩みもあるか。膝もよく曲がるし、股間節や膝の可動域もほぼ戻っている。とはいえ、膝の曲がりは水のせいで9割ほど。それでも、脚を組んだり、体育座りするのは大丈夫。あとは歩く訓練をするまでになれば……、というところなのだが、それまでにまだ時間がかかるらしい。その時間を縮めるために受けるのが、今回の手術。「髄内釘(ずいないてい)」という、脛骨の中心に金属を入れ、それに向かってビスを刺して固定する方法と、プレートとビスで固定する方法のどちらかを採用するとのこと。担当医の「開けてみないとわからない」という不安定な発言に抵抗することもできず、とりあえず任せるしかないのかと諦念している。体に傷をつけるのは本意ではない。しかも、残りわずかな時間なのに、ここへ来て手術とは……と、やりきれない思いなのだが、人生何事も経験、と思うことにする。ま、もう新しい経験は必要ないのだが。これは、怖い主治医の驚くほどの心配ぶりと、CT画像(がんの)を見た虫けらが下した判断である。誰の責任でもない。両手が使えないので、リュックを購入した。まだ使っていないキャリーバッグ(ケガの1週間後に予定していた旅行をキャンセルしたゆえ)は杖をついているから使えない。悔しい。30L入る。サイドのファスナーを開けると、37Lに拡張リュックに、病院から指示されたものどもと、タオル、パジャマ、下着、グルーミング用品を入れたら、10kgほどあるのではないかという重さになった。杖をつきながら背負って歩くのは大変である。よって、ノーパソを持参するのは諦めた。死後の処理リストを仕上げようと思っていたのに……、仕方ない。昨日、店のお客さんが自宅に遊びに来てくれた。リュックの左サイドにペットボトル用のポケットがあるのだが、そこにハンドグリップをねじ込んでくれた。せっかくなので、入院中は握力の維持に努めよう。ケガをしてから体重が減った。2kg以上3kg以下というところで、筋肉が落ちたことと、脂肪も一緒に落ちたことが原因のようだ。タニタの体組成計で計測すると、内臓脂肪レベルが4から2になっていた。体脂肪率も10%ほど落ちている。このままカヘキシアに移行しないように注意せねば。とりあえず1週間程度、上げ膳据え膳の生活を満喫する。手術による体力消耗も覚悟しないといけないが、余り深く考えずに、状況の好転を願って担当医先生様にお任せしよう。今夜は、傷のないきれいな脚を存分に撫でておくとする。そして、感謝を述べておこう。長い間、ありがとう。あとちょっとの間、よろしくお願いします。 寂 寥
2025.08.24
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虫けらは、7月最初の日曜日に負傷した。自転車での転倒事故が原因。自転車の前カゴに入れたバッグを探っているとき右側から来た自転車を咄嗟に避けて左にハンドルを切ったことからバランスを崩して転倒。受け身の完璧な虫けららしく、転倒自体での負傷は皆無だったのだが、転倒した左脚の上に、安物の自転車が落ちてきた。大変重い虫けらの自転車(鉄製)が左脚膝下の、筋肉も脂肪もついていない骨ばった部位を直撃した。すぐに骨折だとわかったが、その場で救急車を呼ぶと、この自転車はどうなるのだ?入院に必要な携帯充電器やタオル等々は?とりあえず家に帰ろう。サドルを下げて自転車にまたがる。片足で自転車をこいで自宅に戻る。救急車を呼ぶしかないのだが、夜中のサイレンは近所迷惑だ。朝はエレベーターが混むのに、救急隊が占領してしまう。昼はランチを食べてもらわないと(救急隊と病院のスタッフ)。13時に救急要請した。病院の救急外来では、一通りの検査をし、入院が決定した。整形外科の担当医が救急外来に降りて来てくれ、ケガの状態を説明してくれた。担「手術をするのが主流です。その方が 歩けるようになるまでの期間が短いです」虫「手術なしで治したいんですが」虫けらの残りの時間を考えると、手術をするのがもったいないと思えたのだ。何年も生きるのなら、患部を頑丈に修復する必要があるが、あと僅かな時間のために、プレートを入れたりするのがどうにもやり過ぎだと考えたというわけだ。担当医からの手術の勧めはあと2回はあった。入院病棟に最初に来てくれたときと、1週間後の検査結果を受けてのとき。それ以外にも、ことあるごとに担「ズレたら手術ですよ」と脅されていた。が、虫けらは、虫「ズレないように頑張ります」と、手術回避の申し出を貫いた。ところがである。退院からひと月、左脚に負担がかからぬよう慎重には慎重を重ねて過ごしてきた先週、怖い主治医の診察があった。2ヵ月ぶりの診察である。診察室に入ったときの、怖い主治医の表情が忘れられない。いつもは、体はモニターに向かっていて、入室した虫けらを顔のみで振り返り虫「お願いします」怖「はい」という無味乾燥なやり取りをすることが通例だったのに、今回は、全身がドアに向いていて、常にポーカーフェースの冷静なその顔に驚くほど心配そうな表情を浮かべている。診察室でこんな顔をした怖い主治医は見たことがなかった。怖「大変やな」虫「大変です」と、いつもにない状況に動揺した虫けらは、意味のない返しをしながら丸椅子に腰掛けた。こんなにはっきりと感情を出した怖い主治医を見たことがなかった。それゆえ、怖い主治医への対峙の仕方を決めあぐねた。怖「どんどん見えるようになってるね」レントゲン画像を見たのだろう。しかも、最初から6回ほど撮影している画像すべてを見ていると思われる。「見えるようになっている」というのは、折れた患部の亀裂のことで、回を重ねるごとにはっきりと目視できるようになってきている。(担当医からは、骨を修復する段階で、亀裂が鮮明になるとの説明があった)怖「手術せんで大丈夫なん?」と、本当に心配そうな目で虫けらを見る。そんな目で見られたら、これまで頑なに手術回避を言い張ってきた虫けらの心が折れるではないか。本来の虫けらなら、人の意見になどでは絶対折れはしないのだが、怖い主治医の目だけは、虫けらの心を揺るがす。虫「週明け、先生に相談します」となってしまった。週明け。担当医が事前に撮影した虫けらのレントゲン画像を見ながら担「ズレはしてないね。このままいきますか」いつもどおりの表情で、虫けらを見る。虫「先生、手術をするとなったら…」と手術の話を始める。担当医が驚きの表情に変わる。あれほど頑なに手術を拒否した虫けらの口から手術を匂わす話が出たことが、非常に意外だったのだろう。この時点から手術をする場合としない場合の回復のスケジュールを簡単に説明してくれる。虫「本当なら、このままいきたいんですが、 がんの状態がよくないんです。 あんまり時間がないので、このままゆっくり回復を 待っていられないなと……」担「あー……」担当医が表情を曇らせて、言葉を飲み込む。虫「◯◯先生(怖い主治医)がすごく心配してくださるので、 週明けに相談しますって」担「◯◯先生、心配されてたよー」またか。怖い主治医は担当医に虫けらの状態を問い合わせていたようだ。担当医が気づくほど「心配」の気配を言葉に漂わせていたのか。「心配していた」という言葉、何度聞いただろう。治療室の看護師、薬剤師、処置室の看護師、そして、他の担当医。きっと、他にも怖い主治医から問い合わせを受けた関係者はいるだろう。胃カメラの検査をしてくれた医師や(検査の前に怖い主治医と虫けらの間にちょっと特殊なやり取りがあった)他の検査担当の技師や医師、リハビリの理学療法士など、虫けらに関わってくれた人に虫けらの状態を細かく聞いてくれているのかもしれない。以前、怖い主治医は何でも知っていると書いた。怖い主治医は、そういうスタイルなのだろう。担当している患者のことを把握するための努力を惜しまず、細かな気遣いをする人なのだ。大変だと思う。虫けらのようなわがままな患者もいるし、心を開かない患者もいるに違いない。人間に対峙する職業は神経をすり減らす。というわけで、虫けらは怖い主治医の心配そうな顔に負けて手術を自ら申し入れ、担当医によって受諾された。手術は来週。入院となると、カバンから買い揃えなければならない。杖のために両手が使えない状況と、虫けらのいまの状態に対応するために今週は、アマゾンと楽天でグッズをポチる日々である。手術か……。嫌なことに、怖い主治医にやってもらう手筈だった胸の「CVポート」の撤去手術がリスケされた。前回の怖い主治医の診察時に決めていた日程が、入院日と重なったからだ。担当医がその場で怖い主治医に院内電話をかけてくれ、担「こっちのスケジュールに合わせるっておっしゃってます」と虫けらに伝えてくれたのだが、リスケされたことで、怖い主治医から別の医師にチェンジされはしないかと不安で仕方ない。この手術だけは、怖い主治医にやってもらいたい。設置手術をやってもらえなかったという小さな恨みを晴らすという意味もあるのだが、その手術が、怖い主治医に会える最後の機会になるだろと虫けらには理解できているのだ。いつになるのだろう。入院している間に、怖い主治医に会うことができるだろうか。難しい気がする。来週は、怖い主治医が休暇を取る(「盆休み」と勝手に思っていたが、違う用件があるような…)と聞いていた。怖い主治医と入れ替わりに虫けらは退院となる。間が悪い虫けらの真骨頂発揮か。こんなときに……。 悲 運
2025.08.20
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タイトルがおかしい。二人を並列に語るわけではない。怖い主治医が主人公で虫けらは添え物、という扱いで語りたいわけでもない。怖い主治医 vs 虫けら という位置付けでもなく、怖い主治医 and 虫けら というイメージでもない。虫けらが怖い主治医をどう考え、どう接しようとしたのか、いや、どういう関係を求めたのか…、違う。怖い主治医をどのように虫けらの心の中に置いていたのか…、そんな感じか。つまり、得手勝手な話なのである。怖い主治医にとっては、かなり迷惑な話であることは間違いない。しかし、虫けらは、自分の中に置いているイメージをこうあってほしいと怖い主治医に押し付けるわけでも、無理やりイメージに当てはめようとするわけでもない。いわば、妄想なのである。前提として、虫けらはの人生は常に孤独であった。どんなことでも自分で決め、自分で実行し、自分で処理し、完結してきた。それは、小学2年生のときに体得した「楽に生きる方法」だったのだ。人に頼ったり、求めたり、期待したりすると、必ず痛い目に合うことを知った。いつも己の力のみで生きることが最も楽であることに気づいたのだ。それは、親といても、夫といても同じ。気軽に人に頼り、何かを求め、期待して言動を発すると、裏切りに合ったり、目的を達成できなかったりして、落胆することになるのがわかっていたのだ。人の力量は、こちらが思うほど大きくない。期待するのは無駄だと、8歳のときからずっと変わらず思い続けている。母方の祖母に始まり、自分の両親、夫の両親、そして夫の面倒を見た。多分、大抵の人よりやったことは多く、広く、深かったと思う。もちろん、十分だとは言わない。しかし、長年の経験や見聞を駆使してやれることはやったように思う。幸い、体力もあり、身体能力も高い方だったし、ストイックな生き方のせいで精神力も人並み以上だったので、過労で倒れたり、弱音を吐いたり、精神を病んだりは一切なかった。夫の生きた証のほとんどのものや事柄を処理し、ようやく自分一人の人生に戻った2年前、病気が発覚した。そこで出会ったのが怖い主治医である。虫けらが「怖い」と呼ぶくらいなのだから、本当に怖い人なのだ。社長業を24歳から30年近く背負ってきた虫けらは、実にさまざまな人と仕事をしてきた。性格や態度が悪い人などはましな方。権力や権威を振りかざして、人を威圧する人種や稼業?と見紛う人種まで怖気付くことなく付き合ってきたのである。その虫けらが怖いと思う人。別に怒鳴られるわけでもなく、人相や態度が怖いわけでもない。物静かで品があり、頭脳明晰なのが雰囲気でわかる。身なりや纏った空気がとてもきれいで、女性からは人気があるだろうと推測できる人なのだが、虫けらに対しては、冷たい視線と容赦ない単語で打ちのめしてくれる。それも怖いのだが、それだけではない。虫けらが「怖い」と思う原因は間違いなく虫けらの中にあるのだとわかっていた。なぜなら、「この人を失ってはいけない」という強迫観念が常にあったからだ。そのことには、随分たってから気づいた。なぜ失ってはいけないのか。虫けらは、一人ぼっちの身の上である。子供はいない。(生い立ちについてはこのブログで散々書いているが、子供がいないことは、虫けらの勝手な選択ではなく、運命の必然だったのだ)死後の処理は姉の子に託す算段はできているが、それは契約のようなもので、「頼って」とか「お願いして」といった身内間の甘えの上に成り立つものではない。つまり、病気発覚から死ぬまで、虫けらは終始一人ぼっちなのである。これまでは、自分の力だけで生きてきた。が、病気については如何ともし難い。主治医を信頼して、主治医の言うことを昇華しながら、自分の生き方に変えるしかない。幸いにして、怖い主治医は信頼でき、尊敬できる人だし、怖い主治医の言葉を理解して受け入れることに何ら異存はなかった。そうして診察の機会ごとに怖い主治医に会い、話をしていく中で、虫けらは自分の中に「執着」を感じた。この難解な感情を解き明かすまでに大変時間がかかった。何が原因で「執着」が始まったのか。「好き」という感情か……幾ら考えてもそれはない。好きなどという単純な感情ではない。「好意」「憧れ」「恋」「興味」……何と軽い言葉ども。もちろん、背が高く、スタイルが良く、きれいな顔立ちの怖い主治医に男性として好意を持つ、という可能性が虫けらにもあるに違いない。しかし、幾ら考えても、そういう浮き足立った感情ではないのだ。それが何であるか、長い間わからなかった。ところが、ひと月前の入院時、病室に来てくれた怖い主治医が抱き締めてくれたときにわかったのだ。そのときの安堵感、気持ちよさ、いつまでもそうしていたいという欲望。その根源が、「この人に看取られて死にたい」という感情だったと、そのとき気づいた。ひとりぼっちの虫けらが、死ぬときだけは一人ではなく、この人のそばで死にたいという人生で初めて抱いた強い欲求が存在したことに初めて気づいたのだ。ひとりぼっちの人生が嫌だとは思っていなかった。それが虫けらの運命、宿命だと諦めていた。しかし、怖い主治医に出会ってから、その諦めが徐々に欲望に変化していったのかもしれない。担当した患者がそんな感情を抱いていても、医師としてはいちいち相手にしていられないということは理解できている。だから、そのことを口に出して言うつもりもないし、虫けらが死ぬときに、本当に枕元に来てほしいなどとは全く思っていない。近くに存在があれば、それでよかったのだ。心の奥に隠された思いが「執着」となり、「この人を失ってはいけない」という強迫観念につながったのだ。そういう人に巡り会えたのも、運命なのだと思えた。先週までは。が、それは、そうではなかったようだ。虫けらの人生は過酷である。最後の最後まで過酷であった。来生では、もう少し人間らしい人生を与えてもらいたいものである。 慟 哭
2025.08.19
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きょうは怖い主治医の診察があった。14:00の予約だったが、その前に血液検査とCT撮影があり、血液検査は到着順であるため、検査患者が多いときは30分以上待つこともしばしばだ。CT検査は13:30の予約だが、こちらは概ね時間どおりに進行する。13:00病院到着がマストだと判断。自宅からUber(タクシー)を使って病院に向かう。お盆休み期間であるため、配車量も限定されている可能性がある。いつもよりゆとりを持って配車依頼をする。すると「1分で到着」という表示。早過ぎる。が、多分3〜5分はかかると踏む。靴を履いてドアに施錠し、エレベーターに向かう途中で携帯の告知音が鳴る。本当に1分じゃないか!エントランスに降りたら、女性ドライバーのタクシーが止まっていた。タクシーの到着に間に合わなかったのは初めてだった。お盆の時期は暇なのか。道路も空いていて、一度信号で停車したが、思ったより早く病院に到着。再診機に診察券(カード)を通し、採血場へ。待ち患者なし。採血が一番上手な池田さんが虫けらを待ち受ける。池「どうぞ、お掛けください」一番近い椅子に導く。診察券を手渡す(本来は受付BOXに患者が投入する)。若い女性が採血をしてくれた。外科の外来へ。CT検査の検査票を受け取って、放射線科へ。まだ13:00になっていない。『30分以上待つのか……』と覚悟して放射線の受付へ。受「お掛けになってお待ちください」待ち患者は虫けら以外に一人。早く検査してくれないかなぁ、と思っていたら、虫けらを呼び込むアナウンス。造影剤を使った検査なら、20分くらいはかかるのだが、単純CT撮影だったので、すぐに終わる。サクサク行き過ぎである。外科外来に戻る。14:00の予約なのに、まだ13:10にもなっていない。いつもは満員の待合室が、きょうは閑散としている。モニターに表示される怖い主治医の待ち患者は2名のみ(虫けらの番号はまだ表示されていない)。他の診察室の待ち客は0名だ。が、この時間はランチ休憩のはず。少なくとも前回は、13:30の予約だったのに、14:00まで待たされた。多分、13:30に午後の診察再開の予定だったのが、午前の患者が多過ぎて、押したのだと予想した。13:20くらいに怖い主治医の声で呼び込みがあった。男性が立ち上がる。あれ??お盆だから、イレギュラーな態勢になっているのか?待合室から、診察室前の椅子に移動した。杖をついての移動は時間がかかるので、呼び込まれたらすぐに対応できるように診察室の近くで待機する。診察室前で待つのにはもう一つ理由があった。これは虫けらの予想に基づくものであるが、きっと当たると思っている。怖い主治医の性格や虫けらに対する言動から、そう思わずにいられなかったのだ。先ほど呼び込まれた男性が診察室から出てきた。次か?もう一人か二人いるかもしれない(診察室前に移動してきたとき、まだ虫けらの受診番号はモニターに表示されていなかった)。呼び込みの声がないまま、待機していると、整形の担当医が前を通った。虫「こんにちは」担「あ、こんにちは。どうですか? 膝は」虫「曲がってます」担「まだ足(地面に)つけんといてな」虫「はい。気をつけてます」担「きょうは◯◯先生(怖い主治医)の診察?」虫「はい。週明け、よろしくお願いします」という会話をした。来週月曜日に診察があるのだ。整形の担当医が姿を消して程なくして、診察室から看護師が出てきた。この人は、抗がん剤治療のときなどで大変お世話になった人だ。先方も虫けらのことを認識している。看「いけます?」虫「え? もう診察ですか?」看「先生が、見てきてって」虫「ありがとうございます。まいります」呼び込みのアナウンスをせず、看護師に診察室への入室を手伝えと指示してくれたのだ。これが診察室前で待つもう一つの理由だ。虫けらはこの展開を予想していた。怖い主治医は、きっとこういう配慮をしてくれるだろうと。杖をつきながら入室する。看護師がドアを開けて、状態を保持してくれたので大変助かった(診察室のドアは自動で閉まる。開けてから閉まるまでの間に入室できるか微妙)。怖い主治医は珍しく全身をこちらに向けている。いつもはモニターに向かい、顔だけこちらを見る格好で虫けらを出迎える。虫「こんな情けない状態ですみません」怖「いや、大変やな」虫「大変です。でも、だいぶ慣れました」怖い主治医は少し笑っている。苦笑いか? 明るい笑顔ではない。怖「レントゲン見たら、どんどん見えるようになってるなぁ」虫「そうなんです。最初の画像が一番わかりにくい」怖「手術せんで大丈夫なん?」虫「△△先生(整形の担当医)は、しない方向で、って。 私がそうお願いしたんですけど」怖「そう……。まだまだ歩ける状態やないな」虫「まだ、足つけんといてなってさっき言われました」怖「んー」虫「手術した方がいいですか?」怖「どうなってるの?」虫けら、ロングワンピースの裾をめくって膝を出す。ケガをしていないので、きれいなのだが、まだだいぶ腫れていて(右脚と比べないとわからないが)、熱を持っている。怖い主治医が虫けらの膝から足首にかけてをじっくり見ている。怖「どうやってこけて折ったん?」ケガがないことを不思議に思ったようだ。虫「転んだときは、受け身をとってケガなしだったんですが、 自転車が落ちてきました。私の自転車は安物で すごく重いんです」怖「自転車と地面に挟まれた?」虫「多分。運悪く、身のないところを直撃したので」怖い主治医は、会話している間も、虫けらの脚から目を離さない。見ても、何もわからないように思うが。ふと気づいた。整形の担当医は、虫けらの患部を目視したことがない。ずっとレントゲンもしくはCTの画像を見て話していた。何の違いだろう。怖い主治医は脚フェチかもしれない。以前、抗がん剤の副作用の話から、脚を見せたことがあった。やおら足首を掴まれて驚いたことを思い出した。こんなときに何を思い出すやら。ん?きょうは、がんの診察だったはずだが……。虫「今更手術を申し出ると、△△先生、びっくりするでしょうね」怖「それは大丈夫やろ」虫「これまでの5週間が無駄になりますが……、 週明けの診察で、相談してみます」これよりももう少し会話した。整形の話をする時間があるのかと、気になっていた。いつもは5分で診察室を出ることを心がけていた。報酬をもたらさない患者に時間をかけることはできない、と病院側は思っているだろうから。ま、きょうは30分近く早く呼び込まれているので、少し余裕があったのかもしれない。しかし、幾らなんでも、と、虫けらは話を切り上げた。そこからが、本題。血液検査の結果票を見ると、随分よい数値が並んでいる。虫「なんか、いい結果ですね」怖「そうやねん。数字的には悪いところはない」虫「血液検査だけだったら、病気がないみたいですね。 腫瘍マーカーだけは別ですけど」少し間を置いて、怖「もう治療をしないという考えは変わりませんか?」真剣な表情で聞かれた。虫「はい」CTの画像を見ながら、現状を話してくれる。虫けらも細かな質問をしながら理解していく。この会話の詳しい内容は、別記したいと思う。虫けらのがんの状況をお知らせする必要もあろうかと思うが、ここでは割愛する。怖「治療のためにつくったポートですが…」(抗がん剤投与のために、右胸に設置した『CVポート』という装置のこと)虫「取りたいと思っています」怖「それがあれば、点滴や、治療…それはまた 話し合ってのことやけど、対症療法のときなんかに 使えるよ。いちいち針刺すより楽や」虫「そうですね。でも、もう治療的なことは必要ないので」怖「治療ではなくて、痛み止めを入れたり、 状態に合わせて薬剤を入れなあかんようになったら という意味や」虫「死ぬときは、何もない状態になりたいなと」怖「ポートは残らんよ。全部溶ける」遺体を焼いたら溶けるという意味。シビアな話になってきた。虫「手術が嫌なのは、プレートが残るからなんですが、 これ(ポート)は気にしてなかったです」怖「プレートも小さいのやったら、溶けるよ」虫「残りますよ。主人が入れたプレート、3つとも きちんと残ってました」怖「脚のプレートはね…」どうしてこの二人は、どうでもいいようなことを深掘りしてしてしまうのか。いつも本題とズレたところで討論しがちだ。怖「取る?」虫「はい。……取ってくださるのは⬜︎⬜︎先生(設置手術を してくれた医師。虫けらは大変痛い思いをした) ですか?」笑いながら聞いた。怖「僕、取ろか?」怖い主治医も笑いながら答える。昨年の手術のときのやり取りを覚えているようだ。虫けらは顔の前で手を合わせ、拝む格好をする。虫「お忙しいと思いますが、できれば」怖「忙しい言うても、ここでも取れるぐらいのもんや」ここ、というのは診察室にある触診や簡単な処置をするためのベッドである。設置手術は手術室でやってもらった。虫「そんなに簡単なんですか? お願いできます?」怖「来週でもいい?」撤去日が決まった。ポートを取るときは、怖い主治医にお願いしたいとずっと思っていた。設置手術をしてもらえなかったので、せめて撤去は…と。ポートを撤去する話は、近いうちにしなければならないと思っていた。忙しい部長先生につまらぬお願いをすることは大変ためらわれたのだが、怖い主治医の方から振ってくれたこと、しかも、自分がしてやろうと言ってくれたことに心から安堵した。しかし!!!きょうは、驚愕の話をされてしまった。ここに書くには事態が大き過ぎるので、それだけをテーマに書きたいと思う。がんの現状報告と驚愕の話。きょうの診察室では、どんなことでも平気な顔をしている虫けらの表情が人生で初めてと言えるほど変化しただろうと思う。顔を手で覆ってしまう場面もあった。言葉をなくす場面もあった。しばし固まって、怖い主治医の顔をじっと見つめる場面もあった。しかし、怖い主治医はその都度目をそらさず、虫けらを見つめながら言葉をかけてくれた。こんなに包容力のある人だと思ったことはなかった。ひと月前の病室での出来事は、もしかしたらきょうの診察室のことを想定した行動だったのかもしれない。診察が終わって診察室を出るときも、看護師に先導されて杖を使いながら出て行く虫けらを怖い主治医はずっと見守ってくれた。外に出て振り返った虫けらは、まだ怖い主治医がこちらを向いて心配そうな視線を送っているのを確認した。虫けらは、そうそう簡単に動揺する人間ではない。幼少の頃から、突拍子もない経験を数多くしてきた虫けらは、感情を表に出さないことが身についているし、長い間そうしてきたことで、感情そのものが鈍感になっているのも事実だ。しかし、きょうの診察室では大変動揺した。自宅に戻ってからも、呆然とするしかなかった。朝から何も食べていなかったので、稲庭うどんをざるにして食べたが、全く味がしなかった。その後YouTubeを見たのだが、内容が全く頭に入らなかった。これではいけない。きちんと体勢を立て直して、後の時間を逆算して必要な行動をすることが最も重要なことだ。これを書いたら、少し落ち着いた。あすは、出会って15年以上になる、ブログ仲間が自宅にやってきてくれる。ビール好きの人なので、楽しい時間が過ごせるだろう。その翌日は、小学生のときからの親友が来訪する。看護師の彼女には、病気のことを詳しく告げている。その続きを話すことになるだろうが、無駄な心配をすることなく、的確なアドバイスをしてくれるだろう。そんな予定があってよかった。今夜は眠れそうにない。考えても仕方ないが、考えてしまう夜になるのは間違いない。無駄な時間はもうない。建設的な時間にしよう。……絶対無理……。 無 常
2025.08.15
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先週末から、世間はお盆休みモードである。ゆえに、虫けら周辺でもスケジュールに余裕のある人々がいろいろと虫けらにアプローチしてくれている。それに呼応するように、虫けらの身の上にもいろいろな変化が起きていて、停滞していた空気が動いているのを感じる。それがよいのか悪いのかは別として。脱ニーブレース5週間前に左脚膝下を骨折した虫けらは、緊急入院直後からニーブレースという固定装具を強制的に装着させられていた。入院時。車椅子生活だった石膏で固めるギプスとは違い、自ら脱着可能なので、肌のメンテナンスや着替えのために日々外したり、着けたりしていたのだが、骨折部がある程度定着するまでは外して行動することは禁じられていた。毎週、レントゲン撮影をした上で、整形の担当医が固定装具を外す時期を判断する。「ズレる」という表現で、毎回医師に脅されながら、4週間を過ごし、先週末にようやく外す許可が出た。しかし、医「リハビリしてズレたら、手術ですよ」虫「げっ、まだズレる可能性がありますか」医「あります。まだ地面に足をつかないように」恐ろしい。1ヵ月もの間、片脚の不自由な生活を辛抱したのに、まだ手術の可能性が……。入院直後にプレートを入れる手術をしていたら(最近では、手術をするのが主流)、いまごろ歩くリハビリができているのではないか、と後悔させることを意図しているかのような医師の無慈悲な言葉。担当医は手術を推奨していた。虫「自然治癒を目指したいんですが。 手術をするのはもったいない」医「もったいないことはない」『もったいない』という言葉の意味を医師は誤解しているだろうと思ったが、あえて修正はしなかった。別に、間もなく死ぬことに投げやりになっているわけではないし、それを振りかざして、つらいことから逃れる免罪符にしようとも思っていない。が、1年以内に死ぬであろう人間にとって、今後の長い人生にとって有意義と考えられる手術はやはりもったいないのである。手術給付金が生命保険から出るので、手術しても構わなかったが、20年以上、ピアスの穴を開けることを躊躇している変なこだわりのある女が、そう簡単に体を傷つけることどもを受け入れるわけがなかった。元の木阿弥になることを覚悟しながら自然治癒を選んだのだから、もう少し辛抱するのは仕方ない。固定装具を外してよし、という医師の判断の後、リハビリセンターに出向いた。ここでの課題は「膝を曲げること」で、担当の理学療法士が慎重に膝を曲げてくれたのだが、理「痛くないですか? これは? これは?」と、徐々に角度を縮めていく。すると、90度以上(?鋭角に)曲がることがわかり、理「きょうはこれぐらいにしときましょうか」ということで、リハビリ終了、となった。リハビリはいつもこんな感じ。その日のプログラムをすぐにクリアしてしまうので、残り時間は理学療法士との雑談タイムとなる。今回も、前週の旅行の話、次週の旅行の話(単身赴任の彼氏を訪ねる旅らしい)をして終わった。とりあえず、脱ニーブレースは完了した。再度装着しなくてよいように、足を地面に着けぬよう注意しながら、そろそろ筋力回復の運動をしないといけない。が、マッサージ機の上での生活では、なかなかそれがかなわない。2階の寝室で睡眠をとれるようになると、ベッド(マットレス)の上で結構な運動ができる。2階での生活……、杖で階段を上り下りする生活では、それは難しい。この矛盾。。何とかしよう。脱ウイッグ骨折で緊急入院したとき、ウイッグを装着していた。いつもなら、帽子(ハンチングかキャップ)で隠すのだが、救急車を要請した人間が、おしゃれ要素と見られる帽子を被っているのは大変不謹慎な振る舞いだと思われたので、ウイッグにしたのだ(がん患者であることは救急隊にも告げる必要があるだろうし、ウイッグを被っていても違和感はない)。しかし、抗がん剤をやめて7ヵ月、地毛が結構生えてきていて、ウイッグを被ると後頭部から襟足にかけてが浮いてしまうという事態になっていた。ゆえに、カバンには医療用帽子を忍ばせ、入院した後は、ウイッグを外す算段だった。入院が決まって、病室に入った直後看「それ、ウイッグですか?」と看護師に聞かれた。虫けらはすぐにウイッグを外し、虫「そうなんです。地毛が結構生えてて 浮いてしまうんですよね」と言いつつ、カバンから帽子を取り出した。虫「抗がん剤で毛質が変わってしまって、 緩んだパンチパーマみたいになってるでしょう? 格好悪くて」と言い訳をした。入院中は、ずっと帽子を装着したままだった。一昨日(11日)、3ヵ月ぶりにカットに行った。前回は、まだ生えてきた毛が短すぎて、抜けずに残った髪とのバランスを整える程度にしか手の入れようがなかったのだが、3ヵ月辛抱したので、そろそろある程度の髪型にできるかと期待しながら。いつも通っているヘアサロンのオーナーは、この1月に虫けらと同じ災難に遭っていた。自転車での転倒からの骨折。彼の場合は、複雑骨折で、何箇所も折れていたし、怪我もあったので、手術必至だったし、入院期間も長かったようだ。そんな話をしつつ、施術をしてくれ、ショートカットにスタイリングしてくれた。全体がまだまだ短いし、前髪がつくれないので、似合うとか、カッコいいとかの次元ではないが、少なくともウイッグなしの、帽子装着で何とかなるようになった。虫「毛量は減ったかしら?」オ「いや、戻ってますよ。前回はまだ全部復活、 とはいってなかったですが、今回は、 以前どおりに生えてます」前回は、毛穴から出ている毛が3本とか2本ではなく、1本だけというものもあったらしい。今回は、以前の密度になっているとのこと。よかった。が、である。虫けらが購入したウイッグは、結構高級なものだったので、人毛で、髪型もよかった。虫けらの顔にもよく合っていたのだ。今回のショートヘアは、決して虫けらの顔に合っているとは言い難い。長さが足りないので、子供の髪型のようにも見える。オ「頭、ちっさいなぁ。子供みたいや」と何度もオーナーに言われた。髪のボリュームがないので、頭の小さい問題が急浮上してしまったのだ。つらい。致し方ない。もう少し伸びるまで帽子でごまかそう。冬用の帽子は幾つかあるが、夏用の帽子は一つしかない。しかも、ウイッグ装着時にぴったりだったので、現在はブカブカである。この髪型でキャップは難しい(頭の小さい問題が余計クローズアップされる)。もう一つ買うか。。が、もうお盆である。我慢するか。。悩みどころ(決して「悩ましい」と言ってはならない)である。なにせ、次の夏はないかもしれないのだし。。脱・脱怖い主治医1月から抗がん剤治療をやめている。今後も再開する予定はない。それを決定した3月から診察の間隔が伸び、2週間がひと月に、ひと月が2ヵ月になっていた。前回の診察から2ヵ月経った今週、怖い主治医の診察がある。検査の後に、現在の状態の確認と今後の療養生活を判断、指示してもらう。治療をやめる判断をしたとき、虫けらと怖い主治医の距離は相当遠かった。怖い主治医は立場上、抗がん剤治療をすすめるし、虫けらは頑として断る。対立はしなかったが、さりとて新たな治療法を提案してくれるでなし、他病院への紹介や転院を言われるでもなし。なすすべのない状態で、虫けらは放置された。虫けらが望んだことだが、医師としての仕事はもっとあるのではないか、と虫けらは思っていた。そんな状態だったので、その時点で「脱怖い主治医」は達成されていた。診察時、二人の間に冷たい空気が流れていたのは確かだった。血液検査の結果票を見ながら、怖「特に問題はないですね。安定した状態です」虫「やはり、腫瘍マーカーが上がってますね」怖「それは、目をつぶらな」虫「そうですね」怖「そういうことで」早く出て行きやがれ、とでも言わんばかりの終わり方。虫けらも、何も言わずにすっと立ち上がる。終始、怖い主治医の表情を確かめることもしなかった。怖い主治医も、虫けらを振り返ったのは一度か二度ほどだったと思う。虫けらにとって、それはそれで気が楽だった。病院に報酬という恩恵をもたらさない患者が優遇されるわけもないし、医師から心をかけてもらえるはずがない。が!!!入院中に、理由もなく優しくされた虫けらは、これまでと違った感情が小さく芽生えてしまったのを感じずにはいられない。だからと言って、怖い主治医との関係が変わったわけではないし、治療を再開するわけでもない。これまでと同じ対応をするしかないのだが、この感情の微妙な変化を表面に出さずにやり過ごすという高等テクニックを虫けらが持ち合わせているのかと大変不安に思っている。診察は間もなく。どうにかうまくこなせるよう祈り、自分の力量に賭けるしかない。脱怖い主治医がかなったはずだったのに、元の木阿弥ではないか。元の木阿弥の多い人生である。 阿 鼻
2025.08.13
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虫けらの住んでいるマンションは古い。これまでは新築の物件に住むことがほとんどだったので、築古のマンションの不便さは堪えるものがある。コンセントの少なさや電灯のスイッチの古さ、50年モノの団地のような玄関ドア、小さなシューズボックス、低く小さな便座(ウォシュレットが合わない)、狭く深い浴槽、低い水圧……挙げればキリがないほどだ。中でも虫けらが最も嫌なのは、オートロックではないこと。女の一人暮らしという状態で、玄関前まで誰でも来ることができるのは、大変怖いことである。「神を信じますか〜?」も来るし、「みなさまのNHKです」も来る。「試食をしていただいてますが、いかがですか?」などという得体の知れないセールスも来るのだ。そんな物件なので、1階にある郵便受けには南京錠が必須なのである。幅が狭く、奥行きのない郵便受けは、大方のメール便が入らないことで宅配業者には不評ではないかと思うが、それでも小型の荷物が届く。重要な書類が届くこともある。虫けらの郵便受けは左端の最上段なので、盗人が真っ先に開けたい扉に違いない。で、このマンションに転居してから2年半の間、虫けらは南京錠をつけて管理していた。が、が、が!!!南京錠が開かなくなった!退院してきた日は、大雨で床が濡れていた上、入院時に持って行ったカバンと病院で購入した備品の紙袋を抱えていたので、郵便受けを見るのをやめた。使い慣れない松葉杖で危なっかしかったし、入っていた荷物が多かったら、持ち切れないと思ったのだ。郵便を取りに行ったのは翌々日の朝4時。エレベーターで誰かと一緒になるのが嫌だし、外を不審な人が歩いていて、松葉杖の虫けらに気づいて襲ってきたら、防御のしようがないので、できるだけ人のいない時間帯を狙った。2〜3時はまだ夜の時間帯。5時以降は朝の時間帯。動いている人種が違うのだが、どちらも危ない人が多い。というわけで、その間(はざま)を狙ったというわけだ。虫けらが設置している南京錠はボタンプッシュ式。アンダーな照明(いまだに蛍光灯)のエントランス、視線より高い位置にある郵便受けなので、数字を合わせるタイプは不可。夜になると、きっと見えないと踏んだ。鍵式だと、鍵を持ち歩くのが面倒だし、無くしたときが厄介だ。虫けらが選んだ南京錠は10個のボタンが並んでいて、そのうち5つをプッシュして開錠するのだが、左列1つ、右列4つ(連続)というとても覚えやすい配置である。両手に持った杖を壁に立てかけ、南京錠のボタンをプッシュして開錠する。開いた郵便受けにはおよそ2週間分の郵便物が溜まっていた。チラシはその場でゴミ箱に捨てるのだが、それでもたくさんの郵便物が手元に残り、持参したトートバックにどさっと入れて肩にかけ、南京錠を施錠して部屋に戻った。退院してすぐに生命保険の「払い戻し請求用紙」の送付を保険会社に依頼した。それが到着しているだろうころ(2日後)に再び郵便受けに向かった。もちろん朝4時。いつものように南京錠を操作する。!!!開かない。なぜに?いよいよボケたかと思った。2年半の間、開け続けた南京錠が開かない。いや、つい2日前には開いたではないか。絶対違うだろうという番号も押してみたが開かない。5分ほど操作したが、諦めた。片脚で立つのに疲れたのもあったが、誰かに見られるのを避けたかった。外廊下のマンションだけに、1階からどの階に移り、どの部屋に入ったのかがバレてしまう。松葉杖の人間など、襲うのが容易である。部屋に戻って、南京錠が送付されたときに同封されていた番号札を探した。実は、何気なくファイルか何かを整理していて、「あ、こんなところに南京錠の番号が…」と気づいたことがあったのだ。きっとここだと思ったところを探したが、見つからなかった。自分を疑ったわけではないが、例えば、鍵の業者に来てもらったとして、その番号札を出した方が作業しやすいのではないかと考えたのだ。もしかしたら、押しが足りなかった?ボタンの。南京錠を設置した当初から、開けにくいことがたびたびあった。多分、5つのボタンのうちの一つに不具合があって(奥まで押し込めない)、それが悪さしているのだと思っていた。しかし、これまでは、1、2回やり直せば開いたし、さほど問題は感じなかった。……翌日の4時にもまたトライした。しかし、前日と同様。押したボタンに間違いはない。……さらに翌日の4時、『556』を持参した。ツルの根元とボタンの裏側、開錠ボタンに556をスプレーする。すると、見違えるほどボタンの操作性が上がった。とてもスムーズに押し込むことができる。しかし……開錠出来なかった。3日連続の攻防に敢えなく敗れ去ったのだ。。これは、内部で部品が折れるなどしてボタンが機能しなくなったと推察し、諦めるより仕方ないと思った。部屋に帰って、ネットで鍵屋を調べた。すぐ近くに「鍵の119番」があったのだが、南京錠ごときで呼びつけるのは申し訳なかった。なぜなら、その店はワンオペで、出張修理に出ると店は休まざるを得ないということを知っているからだ。出張費と作業代で1万円行かないだろう。自力で何とかならないだろうか…。近くにコーナンがあるので、脚がまともならすぐに工具を買いに行くのだが…。誰か助けてくれる人はいないか?!!!朝5時でも起床している可能性の高い天満のエロ男爵(店のお客さん)にメールしてみた。間もなく返信があった。何度かのやり取りの後、「行ったるでぇ」という返事。切れる糸鋸を携えて自転車で来てくれた。無駄に頑丈な南京錠のツルを少しずつカットしていく。10分くらいかかっただろうか。無事切断でき、郵便受けが開いた。保険会社からの払い戻し請求用紙も届いていたし、月末だけに、毎月届く請求書関係も、誕生日の特別割引券など季節郵便も多数。すぐに新しい南京錠の購入が必要だが、とりあえず一件落着。天満のエロ男爵を部屋に連れ込み(言い方が悪い)、喉の渇きを癒してもらいながら、「どうしたんや、その脚」という男爵の問いに丁寧に答えたり、入院生活のあれこれを話したりして小一時間過ごしただろうか。「コーナンに寄って帰るわ」と、天満のエロ男爵は颯爽と消えて行ったのだった。右が人をボケと化した南京錠。左が新しい南京錠ボタンが壊れるというのは想定外。そうなったら、どうにもならないのも認識できた。なんか、悪いことが起こるときはまとめてやってくるということを体感する、嫌な感じの事件だった。まだ嫌なことが起こるのかぁ?覚悟して過ごす必要がありそうだ。 戦 慄
2025.08.05
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恋に胸を焦がしているわけではない。ひどいことをして人を傷つけたわけではない。人を裏切るような秘め事を抱えているわけでもない。胸筋が痛い! のだ。昨日、病院に出かけた。骨折した左足の検査と診察とリハビリのためである。1階★7:54 病院玄関に到着。 タクシーから降りる。 背後から怖い主治医が出勤してきたのが見えた。 玄関に入り、内側からこっそり伺う(ストーカー ではない)。★7:57 再診機に診察券を差し込むも、はねられる。 もう一つの再診機に差し込むが同じ結果。 「初診受付にお申し付けください」とのアナウンス。 初診受付がまだ始まっていないので、とりあえず 検査室フロアに直行。3階★8:03 放射線受付に到着。番号札を取る。 (8:30に受付がオープンするまでに到着したら 番号札を取って待つシステム)1階★8:10 再度再診機に診察券を差し込む(先ほどは、 正式な受付開始時刻の8時より数分前だったので、 はねられた可能性も)。結果は同じ。★8:12 まだ照明が点灯していない初診受付の中に女性を発見。 そちらを目指して急ぐ。 虫「再診機に通らないのですが…」 受「その場合、こちらで処理します。保険証確認もありますし (月に1回の確認必須。その月の最初の受診時)」 虫「8:30からですよね。検査がその時間なんです。 9:00から診察ですし」 受「検査が終わってからでいいので、またお越し…あ、脚が…」 虫「また来ます」 2階★8:15 再度検査室フロアへ。他に対処のしようがないのか、 とちょっと憤慨。 何しろ、8/1日なので、保険証確認待ちの人数は半端ない。 虫けらはいつも朝一の受診時は、受診後に確認に出向いていた。 保険証確認が理由で再診機にはねられたことはない。1階★8:35 レントゲン検査を終え、再び1階に降りて保険証確認へ。 案の定、大変な人数が確認待ち。9時からの受診に間に合うのか。 窓口担当は珍しく男性。事情を説明する。 虫「診察券が再診機に通らなかったんです」 受「はい、確認します(保険証についてのやり取りの後)、 磁気が弱くなっているようなので、交換しますね」 と、迅速に診察券を新しいものと交換してくれた。 (アタリ!と思った。男性は仕事が早い)2階★8:55 診察室前に陣取る。 怖い主治医の呼び込みのアナウンスが聞こえる。 いつもは9時を過ぎないと診察を開始しないのに。 患者が多いのだろうか。それに反して、虫けらの担当医は 一向に現れない。 担当医が診察室に入ったのが10分過ぎくらいだろうか。 病棟の回診もあるので致し方ない。 担「うーん、怪しいなぁ。レントゲンではよく分からないけど、 ちょっとずれて来た兆候みたいな…」 というわけで、追加検査を言い渡される。3階★9:20 再び検査室へ。今度はCT撮影だ。2階★9:50 診察室前に戻る。 担「画像を見る限り、ずれてはいないね。 装具を外すのは1週伸ばして、判断を来週にしよか」 虫「来週、やっぱりずれそうとなったら、手術?」 担「まぁ、そうなるねぇ」 虫「一からかぁ〜。ま、1週間、おとなしくしときます」 担「きょうのリハビリでは、膝曲げるのはなしって 先生に言うてね」 虫「はい。。」4階★10:10 リハビリセンターへ。担当の理学療法士と話をする。 ちょっとした相談をしたのみで、リハビリ中止とし、 来週の打ち合わせ。2階★10:20 精算書をもらうため、外来受付へ。 いつものことだが混み合っている。 外科と同一の待合室なのだが、怖い主治医が外来に入る 金曜日は大変受診患者が多い。 整形はコンスタントに患者が多いので、金曜日はごった返す。1階★10:40 受診料の清算(精算機) 最近、精算機で診察券がはねられることがあったが、 今回はすんなりいった。磁気のせいだったのだな。 新しい診察券に換えてもらって安心。1階外の薬局★10:50 処方箋を出して薬を待つ。3人目。いつになく少ない。 ラッキーだ。1階★11:00 病院ロビーへ。薬局は出口付近なので行くのが楽だが、 入り口はちと遠い。杖でえっちらおっちら歩く。 タクシーを呼ぶためなのだが、患者を送って来た タクシーには乗れない決まりになっているようで、 そこにタクシーがいるのに…。致し方ない。★11:20 Uberで呼んだタクシーが来たので乗り込む8階★11:30 自宅に到着1階★15:30 アマゾンから荷物が届いたので、郵便受けへ。8階★15:35 ようやく落ち着く階床移動は全てエレベーターだが、総合病院だけに、結構広い。クラッチ杖を使って片脚歩きするのはそれなりの重労働である。スピードが出ないので、苦労も絶えない。8基あるエレベーターのどれが到着するか、寸前までわからない。到着したエレベーターが遠ければ、急いでそちらに向かうが、杖歩行のスピードは知れている。他の人に気を使わせてしまうのが申し訳ない。3階から2階へ向かうとき、ドアの右側階床ボタンの前にすっと入った。虫けらが最初に降りることになるからだ。すると、後から乗って来た女性(父親の付き添い。母親もいた)が、虫けらの前に入ろうとした。虫けらは焦った。杖でバックするのは大変危険なのだ。バランスを崩しやすいし、後ろを確認するために振り返ると命取りになる。虫「えーっと」と小さな声を上げたら、他の人が「あ」と口々に声を出してくれて、それに気づいたその女性は、左側に移動した。この親子とは同じ階で降りたのだが、虫けらに絡んできて(無意識に)、困った。3人の誰かが行く手を阻む。立ち止まってとうせんぼをする。踵を返して虫けらとぶつかりそうになる。虫けらはそこに立ち止まって動かず、3人の行動を注視するしかなかった。健康体なら全く問題ないのだが、杖をついている人間のそばで不規則な動きをするのは大変危険であることを認識してほしい。これだけの移動と苦労をした一日。筋肉痛にならないわけがない。虫けらの胸筋はいま、筋肉痛を起こしている。学生の頃から、虫けらの胸筋は大変発達していて、動かすこともできた。が、病気をしてからというもの、筋肉が落ちてしまって、胸筋も例外ではなかった。これを機に再び発達するかも知れない。が、ここ2、3日は痛みに耐えねばなるまい。……待合室にいて、ふと気づいた。整形なのに、杖をついている人は皆無だ。???あ、車椅子を使っているのか。付添人が必ずいるし。虫けらも最初の外来のときに車椅子を使おうかと迷った。が、車椅子に乗ると、杖の置きどころがないのだ。付添人がいれば、虫けらが杖を持ち、付添人に押してもらえばいいが、虫けら一人だと、両手でハンドリムを操作するので杖を持つことができない。そうか。付添人か。……いない、いない。杖歩行は必至だった、というわけだ。杖をついた片脚生活、果たしていつまで続くのか。。1週間伸びたことだけは確かだ。トホホ。。。 諦 念
2025.08.02
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左脚の膝下を骨折した。ポキッと折れたわけではなく、CT画像で見ると、線状の亀裂が確認できる。担当医によると、医「ズレるとまずいので、プレートを入れるのが無難。 保険として、ボルトだけ入れる方法もある」とのことだが、あと1年生きる保証がないような人間である。プレートを入れるのはもったいない。虫けらが虫「このまま固まるのを待ちたいんですが」と希望すると医「プレートを入れた方が早く歩けるようになる。 このまま様子を見て、1〜2週間経って結局ズレたら 手術ということになるけど」虫「手術したら、また入院ですよね……」とちょっと考えたが、ズレないことを期待して、手術を回避する方向で押し切った。入院は11日間だったが、手術をしたらもう1〜2週間は伸びる。個室に入っていたので、20日以上はキツい。一か八かで自然治癒に賭けた格好だ。入院生活は、初めての体験ばかりだった。もっとも、骨折が初めての体験なので、当たり前なのだが。病室では車椅子を使ってトイレに行った。ドアの内側まで車椅子を入れ、ドアを解放したまま便座に移動して用を足したり、洗面したりするのだが(個室のトイレには、洗面とシャワースペースが併設されている)、全てドアを開けての作業になるので、誰かが病室に入ってこないか気が気でない。松葉杖を使えばドアを締め切ることができるが、片脚で歩行するのは危ない。手術回避を選んだ虫けらにとっては、転倒や左脚を地面に着くなどといった間違いを犯すわけにはいかないのだ。ベッドより奥のスペースにあるブラインドを操作したり、物置に用があるときは、車椅子では入れないので松葉杖を使ったが、トイレのような狭いスペースで杖を操作するのは大変危険だ。松葉杖は主にリハビリ時に使う程度だった。退院時には、病院の松葉杖をレンタルするしかないのだが、家の中でとなると、重くてかさばる松葉杖では動きにくい。というわけで、入院中に何かいいアイテムはないかとググった。「クラッチ杖」というものを見つけた。これが欲しかったのだが、手に入らなかった松葉杖より使いやすいという確証はないのだが、軽さと操作性が高いだろうと踏んで、ポチッた。帰宅すると同時に届くようなイメージでオーダー。アマゾンは、配送日の自由が余りきかない。退院前日か前々日のタイミングでオーダーするのがベスト。が、あらかじめカートに入れておくと、配送日がズレたり、売り切れの表示になったりして、難儀した。何度かやり直して、結局、欲しい商品はオーダーできず、少し機能性が劣るが低価格の商品を手に入れることに。せいぜいひと月程度の付き合いだ。それほどこだわる必要もない。病院の松葉杖で帰宅したのが11時前。2時間ほど待ったところでクラッチ杖が到着。【トイレ】待ち時間の2時間の間にトイレに立つことがなかったので、松葉杖の自宅での操作性は確認できていないが、クラッチ杖は軽いし、コンパクトなのでトイレの中に持ち込めて便利だ。ところが!トイレの中に左脚が入らない。膝を伸ばした状態で固定装具をつけているので、便器から壁までの距離が足りないのだ。一人暮らしはかなり長い方なのだが、これまで、トイレのドアを開けて用を足したことがないので、ドアを開け、左脚をドア枠より少し外に出す姿勢は、大変違和感があった。が、右脚の負傷でなくてよかった。右側は壁に塞がれてならどうしようもない。そうなったら、一体どうやって用を足せばいいのか。。しかも、便器に正対できない。少し左側に斜めの姿勢になる。これで、きちんと便器の中に用が足せるのだろうか。と、危惧しながら用を足したが、何とかなった。「拭く」という作業もちょっとテクニックが必要。片脚で中腰になるのは結構大変である。脚力も必要だが、バランス感覚も重要である。虫けらは筋力とインナーマッスルは強靭なので大した労力は必要ないのだが、同じくらいの歳の女性のことを考えると、補助器具(手すりや脚置きなど)が必要かもしれない。【風呂】風呂がまた大変である。風呂といっても、シャワーだけである。夏でよかった。入浴時には、固定装具を外すのだが、医師から「絶対曲げないように」と言われている。古いマンションである我が家の湯船は脚を伸ばしたまま入れるほどの幅がないし、へりが高いのでまたぐのに一苦労だろう。洗い場に設置した椅子に座り、洗髪し、体を洗う。それ専用(介護用)の椅子ではないので、座面が滑る(介護用の椅子は滑らない加工が施してある)。ボディソープで尻を洗ったら、尻がツルツル滑って椅子から落ちそうになる。危ない。中腰になって、椅子に体を預け切らないようにする。結構腹筋と大腿筋を使う。入浴の後は、脱衣所で体を拭いたり服を着たりするのだが、ずっと片脚立ちである。両手を使う作業のときは、片脚で立つしかない。女性は、洗面所での作業が長い。スキンケアやドライヤーを使う間、片脚立ちするのだが、両脚とも健康な状態での片脚立ちと、片方を伸ばしたままで、しかも着地してはならないという制約付き、さらには重量のある固定装具を装着しての片脚立ちとでは、難易度が全く違う(バランスが取れない)。大変疲れる時間である。【 2階 】虫けらの自宅は、マンションなのに2階がある。1階はリビングダイニングキッチン、2階は寝室とパソコン部屋である。ケガをしてから、2階では寝ていない。いつもはベッドではなく(未購入。本当は欲しい)、14cmのマットレスで休んでいるのだが、片脚を伸ばしたまま立ち上がるのは大変だろうと(やってみたら、大変ではなかったのだが)、1階にあるマッサージチェアで休んでいる。ネックになるのは、階段の上り下りだ。手すりと杖で一歩ずつの作業になるので、トイレや、宅配便の受け取りなどで上り下りが必要になると、慌てるに違いない。階段から落ちたりしたら、命取りにもなりかねない。というわけで、1階生活である。退院して2週間ほどになるが、まだ熟睡できた日はない。何しろ寝返りが全く打てない(マッサージチェアでなくても、脚が原因で寝返りは打てないが)し、フルフラットにならないので、寝心地は余りよくない。が、マッサージチェアがあったことで、助かった。退院してからはもちろんだが、ケガをして帰ってきた日の夜、2階に上がらずに済んだことで、何とか休めた。一睡もできなかったが、横になれたことは脚にとっても、精神的にも救われた。マッサージチェアは、2年前の転居のときに廃棄を検討したのだが、捨てなくてよかった。【キッチン】リビングダイニングでは、クラッチ杖ではなくエステチェアという代物を使っている。簡単に言うと、キャスター付きスツールである。座ったまま移動できるので、両手が解放される。作った食事をテーブルに運んだり、仏壇に手を合わせたりするときに大変楽だ。ただ、我が家のリビングダイニングの床は、クッションフロアなので、キャスターの転がりが悪い。後ろ向きならスムーズに動くのだが、順行すると時間がかかる。とはいえ、松葉杖にしろ、スクラッチ杖にしろ両手がふさがるので、ちょっとしたものも移動させるのが困難だ。食事や飲料(酒!)を運ぶのには、これが必須である。【ゴミ捨て】現在の生活の中で最も困難なのは、これである(以後、もっと困難なことが出現するだろうが)。軽い荷物ならトートバッグに入れて肩からぶら下げるが、ゴミとなるとそうはいかない。しかも、ゴミ捨て場の扉(重い!)を開けて、段差を乗り越えて中に入って分別のゴンドラに入れ、出てきて段差を降り、扉を閉める。これの大変なこと。中でも生ゴミは重い。入院前の生ゴミが結構溜まっていたので、最初のゴミ捨てが本当に大変だった。スクラッチ杖のグリップと一緒にゴミ袋を握る。重みで杖があらぬ方向に行きそうになるのを修正する。ゴミで杖の足元が見えないので、地面に正対しているか確認できない。一歩、一歩、時間をかけて歩く。ペットボトルなど軽いものなら地面に置いて蹴って移動させてもいいかもしれないが、生ゴミとなるとそうはいかない。大変な労力だった。ことほどさように片脚生活は不自由である。しかも、動かせない左脚は、筋力が衰える。が、使い倒す右足は筋力が上がる。筋力のアンバランスもケガの元になり得る。リハビリに時間がかかるだろう。ケガをしてから3週間が経過した。子供なら、そろそろ完治の時期である。成人だと、1〜2週間、老人だと、ひと月単位で伸びるらしい。できるだけ早く完治に持っていきたい。営業再開も早くしたいし、シロアリ駆除のスケジュールも連絡せねばならない。お盆の墓参りもしたい(今の状態では無理)。そして何より、誕生日が控えている。毎年お客さんと楽しく迎える誕生日、今年は一人寂しく、となりそうだ。1週か2週遅れでもいい。誕生日的一日をぜひつくりたいものだ。 悲 哀
2025.07.30
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【黄昏のリハビリ】整形外科に入院している患者の多くは、『リハビリテーション』という代物が入院生活にピタリとくっついている。虫けらの場合、入院当日の夕方(病室に入って1時間余り後)、理学療法士の偉い人(男性)がやってきた。前日夜にけがを負った虫けらは、20時間ほどの間飲まず食わずだったし、一睡もしていないし、車椅子で検査に駆けずり回っていたし、相当痛い縫合に耐えていたのだ。部屋に入って1時間ほどでリハビリしますか。。理「車椅子の使い方、知っていますか?」虫「ある程度は。夫が使っていたので」虫けらが車椅子を使っていたわけではないが、夫が使っているのを見ていたし、手押しハンドルで押すのは虫けらだったので車椅子の構造は知っている。理「じゃ、動いてみてください」え、やっとベッドに腰掛けたのに、また車椅子に乗るの?車椅子に乗って、ハンドリムを操作する。お、重たい。こんなに重かったっけ?理「難しいですか?」虫「ちょっと操作しにくいですね」と言いつつ、トイレに行く操作とトイレの中での動作をやってみる。片脚生活は初体験なので、そうそううまくいかないと思ったが、持ち前の筋力と体幹の強さで何とかこなす。理「松葉杖は使ったことありますか?」虫「夫が使っていたので、使わせてもらったことはあります」理「あすから、リハビリ室でリハビリを開始します。 車椅子と松葉杖の使い方をやりましょう」翌朝までに、車椅子の操作はマスターした。リハビリは松葉杖だけになった。担当は女性理学療法士にスイッチ。車椅子を使って、自力でリハビリ室に行く。女理「使いこなせていますね。じゃ、松葉杖を」リハビリ室の中と外の廊下を松葉杖で歩く。女理「大丈夫ですね。……じゃ、平行棒、行きますか」リハビリ室の中にある、平行棒へ移動。両手で棒を持ち、片脚歩きするというものだが、虫けらにとって何の訓練かわからない。第一、平行棒なんて生活圏内にないし、筋力強化とか、平衡感覚を養うといった意味合いがあるなら別だが、単純なケガを負っているだけの虫けらの状態から言って不要だと思われた。何度か行き来したら、女理「はい、いいです。…することなくなったなぁ」椅子に座って血圧を測り、あとは雑談して過ごした。あとで聞いたのだが、1日目で3日分のメニューをクリアしたようだ。次の日からは、松葉杖で階段の上り下りに入った。その日から退院まで、松葉杖で階段を上り下りする毎日だった。これ、リハビリ?リハビリ室の階段は5段くらいしかないので、外の、本当の階段を上り下りしていた。週末はリハビリがないので、虫けらは車椅子で廊下の端まで行き、ガラス張りになっていて景色のいいその場所で、筋トレをする。手すりを持ち、折れた左足の太ももを鍛える動きを30分以上続けていたと思う。虫けらのような患者のメニューを特別に考えてほしい。ベッドの上でできるような運動や自分一人でできる筋トレなら、担当患者を何人も抱えて忙しい理学療法士さんのお世話にならずとも済むのだし。毎日「きょうは何をしようか」と考える理学療法士の横で、無表情に黄昏る虫けらなのであった。【黄昏の検査】入院中、レントゲンやエコーなどの検査があった。病棟から検査室に降りるのだが、朝、看護師が部屋にやってきて看「きょうはレントゲンがあります。 あとで診察券持ってきますから、行ってきてくださいね」え、一人で行くの?かくして虫けらは、診察券を携えて一人車椅子で検査室に向かう。エレベーター待ちのボタン操作だって、大変なんだぞ!混んでいるエレベーターに乗り込むの、大変なんだぞ!外来患者がいる待合室に行くと、ジロジロ見られるんだぞ!検査室に入るとき、車椅子だと大変なんだぞ!他の入院患者は看護師が付き添っているのに。付き添いの看護師が受け付けや検査室の入室など全てをやってくれているのに。虫けらはいつもひとりぼっち。看「行ってきてください」の一言。検査が終わって診察券を返すためナースステーションに立ち寄るが、労いの一言もない。虫けらは個室を取っているんだぞ!車椅子は押してもらったら極楽だということを知っているんだぞ。自室に向かいながら、黄昏る虫けらでなのあった。【黄昏のダイニング】入院中、ブルーインパルスが大阪に飛来した。どこで鑑賞しようかと画策する。12階に屋上庭園があるそうだが、行ったことがない。飛行ルートを確認すると、きっとここからだと観られると思われたダイニングに行くことにする。ワクワクしながらダイニングに入り、窓のそばに行くと歩行器を使いながら立っている男性に声をかけられる。男「見えますかね?」虫「見えると思うんですけど。屋上は人が多いでしょうし、 暑いでしょうから、ここから」男「もうすぐですよね」虫「あと10分くらいですね」他の患者も集まってきて、ちょっと会話をしたりしながらブルーインパルスの飛来を待った。結果は、音が聞こえただけ。窓が向いている東側ではなく、もっと西寄りを飛行したようだった。皆、落胆のため息を吐きながら部屋に戻って行ったが、歩行器の男性が話しかけてくるので部屋に戻れず、そのまましばらく話し込んだ。いろいろ質問されたので、都度それに対する見解を述べていたのだが、さて部屋に戻ろうか、となったときに男「明日は屋上に行きましょうよ」虫「そうですね」男「14:00くらいに上で」飛来が14:50くらいなので随分時間があるが、そのことを伝えると男「場所取りもあるし」ということで、適当に約束した。が、翌日は、傷口の洗浄(いつもは10:00過ぎ)など看護師を部屋で待たないといけない用件が相次ぎ、屋上に上がれたのが14:40くらいになってしまった。屋上で歩行器の男性を見つけ、車椅子で近寄ったのだが、虫けらに気づいても会話をしようとする気配がない。怒っているのか?遅くなったことを謝ろうとしても、男性の後ろにしか近づけず、余り深追いしないことにした。約束にしても、一応のものだし、遅れる理由もうっかり、とか、個人的なものではなく、看護に関することなので、致し方ない。虫「あっつ」男「あっついよねー」何事もなかったように言葉が返ってきた。それから普通に喋り、イベント終了後は入院階のダイニングに行こうと誘われる。男「何か奢りますわ」虫「いえ、財布持ってますから、自分で買いますよ」男「いや、奢りますって」頑なに断る意味もない。次に虫けらが奢ればいい。ありがたく頂戴するべく、ペットボトルの飲み物をお願いした。スマホをかざして、auペイで購入しようとするのだが、どうも機器の反応が悪い。すったもんだした挙句、購入してもらった。1時間くらい話しただろうか。部屋に戻ろうとしたとき男「あしたも来てくださいよ」虫「はーい」どうも、懐かれたようだ。男性は、多分虫けらより5歳ほど下だろう(後に判明したのだが、この予想はドンピシャだった)。寂しがり屋なのだと見た。離婚した元妻から、3人の娘に「連絡取るな」という通達が出ているらしく、娘とも会えないとか。こんなときくらい、連絡してもいいのではないか、と言ったが、難しいらしい。その寂しさを虫けらに向けるのは…。。退院しても、メールが来る。LINE電話もかかって来る。随分懐かれている。外来のときにはダイニングに来いと言う。自身の退院時には、酒を飲みに行こうと誘われる。酒はいいのだが、杖をついて飲みに行くのは格好悪い。杖が取れてから、とやんわり断るが、タクシーを使えばいいとか、家まで送るとか、いろいろ言ってくる。夫と過ごした25年の間にすっかり男性の扱い方を忘れてしまったので、どうしたものか…と黄昏る虫けらなのであった。 完
2025.07.26
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「トントントン」9:30くらいにノック音がした。するりと入室してきたのは、怖い主治医だった。怖い主治医の登場を待ちに待った1週間が過ぎ、もう諦めたものと思っていたのに、怖い主治医の姿を見た途端、虫けらの顔面からは最大限の笑みがこぼれていたと思う。まだ期待していたということか。虫「先生、いらしてくださったんですね」怖「きのう、カルテ見てて気づいたんや。 けど、まぁいいかって…」虫「えー、そんな扱いですか」怖「もう(夜)8時過ぎてたからな」虫「8時ならまだ起きてましたのに」怖「さーけどや」虫「ま、そうですよね」1年前の入院時の会話のテンポと口調が戻って来た。怖い主治医は、診察室では必要以上の単語を話さないし、虫けらもつっけんどんと言われても仕方ないような端的で無駄がない(どころか、いつも言葉足らずになる)会話しかしない。笑いや軽口は全く存在しない。特に今年に入ってからは。ところが、診察室以外で顔を合わせると(といっても、診察室以外は病室しかない)、とてもスムーズで自然な会話ができる。虫「お忙しいのに、すみません。 あ、きょうは手術日ですよね」怖「きょうは手術はない。大丈夫」虫「よかった」こんな会話から、怖い主治医とのやりとりが始まった。担当医のことを少し話題にした。担当医がまだ新人(?/10年ほど前)の頃、怖い主治医が指導(多分手術)したらしく、笑顔でそのことを語ってくれた。虫けらが、今回のケガのことについて話したら、それまで壁際の離れたところで話していた怖い主治医は、ベッドの左サイドまで近寄って足の状態を見てくれた。担当医がするようなアドバイスではなく、あくまでも一般的なケアの手法を教えてくれたり、感想を話してくれたりして、若い医師からは得られないベテラン医師の知見に感動した。話を聞いていると、怖い主治医は虫けらの状態を熟知していることがわかる。カルテをよく読み込んで分析しているのだ。ま、単純なケガなので、ベテラン医師にとっては大した労力ではなかったのかもしれない。話している間、虫けらは終始ベッドの上で、左足を(固定装具をつけて)伸ばして座っている状態。すっぴんの上、病院のパジャマを着て医療用の帽子をかぶっていたので、病人然と見えたのか、元気なときの虫けらより小さく見えたのか、それとも頼りなく見えたのか。ふと怖い主治医の顔を見上げると、初めて見るような、とても優しい笑顔で虫けらを見下ろしている。『こんな笑顔初めて…』と思った刹那、怖い主治医が虫けらを優しく抱き締めてくれた。はたから見たら、「ハグ」と言うかもしれないが、虫けらにとってはまごうことなく「抱き締める」であった。虫けらは、自らの手の置きどころに迷った。怖い主治医がすぐに離れなかったので、ゆっくり怖い主治医の背中に両手を回した。そのタイミングで、怖い主治医の虫けらを抱き締める力が少し強くなった。そして、耳元で小さく一言つぶやいた。が、虫けらにはその言葉が理解できなかった。気が動転していたのか、ぼうーっとしていたのか、はたまた腑抜けになっていたのか。「頑張れ」「大丈夫」「すぐ治る」などというケガに関する言葉か。しかし、もっと短い単語だったような気がする。この後ずっと考えているが、まだわからない。耳には入っているので、あるときふと思い出すかもしれない。随分長い間抱き締めていてくれた。といっても、5〜7秒くらいだと思う。意外過ぎる展開だったので、実際より長く感じたのか。これ以外にも、会話や絡み(変な意味ではない!)がいろいろあったが、全容は虫けらがあと数日で死ぬとわかったときにアップしようと思う。大丈夫。記憶が薄れないように、既に文章化してある。ふふふ。という、余りにも衝撃的な怖い主治医との面会だったのだが、その行動の根源は何なのかがわからずにいる。主治医が担当患者を心配する気持ち長い付き合いの患者をかわいそうに思った小さく哀れに見えた患者への衝動的な言動人の思いは全くわからない。直接聞いてみることはできないだろう。妄想に耽ることにする。実は、虫けらの妄想劇場の中で、こうしたハグシーンは登場したことがあった。シチュエーションも今回と同じ、再入院中。とはいっても、間抜けなケガではなく、ガンに関する症状(副作用など)での入院だが。今回の入院は、全く無駄な入院だと思っていた。経緯から言って、ちょっと注意していればしなくていいケガだったし、骨折ではなく、打撲程度に収まってくれていたら、入院は回避できていたのに…。担当医から、ケガの治療に要する期間は6週間ほどだと聞いた。このケガは、人生の終焉に来て、貴重な時間を削る本当に無意味なものだと入院中ずっと考えていたが、怖い主治医の虫けらに対しての言動を思うと、人生の貴重な時間と引き換えにしても余りある大変嬉しいことだったと思う。虫「冥土の土産がまたできました」怖「死なんよ」虫けらは、去年の入院時、怖い主治医との会話の中で、「冥土の土産」と言った。怖「またそんなこと言うて」と怖い主治医は少し表情を曇らせたが、今回は、笑顔で「死なんよ」と言ってくれた。いや、間もなく死ぬのは確かなのだが、「死なんよ」と言ってくれたことは、虫けらの気持ちを少し明るくしてくれた。何しろ、怖い主治医様の言葉である。あ、そうそう。一昨年からの課題であった、「虫けらの怖い主治医に対する気持ち」をそろそろ書かねばならぬと思っている。わかっていたが、結論づけることができなかったことも今回はっきりと認識できたので、近いうちに。退院前日の朝。このタイミングは、きっと怖い主治医が図りに図ったものだったのだろう。大変「スマートで、いい男」を自認していると思われる怖い主治医のことである。虫けらの感情や状況をうまく捉えて怖い主治医のことを最大限良好に印象付けることのできる絶妙のタイミングを図っていたに違いない。多分、虫けらが救急にやってきた直後(医師がカルテを開いたとき)虫けらの来院を察知したのではないだろうか(救急処置室で知ったのだが、ある人がある患者のカルテを開いていると、開いているのが誰だかわかるし、そのカルテを他人が扱うことができなくなるようだ。「開示中」のサインはどこででも確認することができる)。何しろ、何でも知っている怖い主治医のことだ。虫けらの情報はすぐに収集し、あらゆる策を講じていたと考えられる。と、妄想はこのくらいにして。今回の怖い主治医の来訪は、人生で最大級の驚愕と感動を与えてくれた出来事であった。ふふふ……。 つづく
2025.07.25
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今回は、整形外科病棟への入院だが、虫けらに関わってくれた医師は4名いる。回診に2度来てくださった部長先生を入れたら5名になる。虫けらは人気者である。病気(ケガ含む)に。【救急医 Dr.N】救急車で搬送されたとき、最初に診てくれた医師である。虫けらは、残念ながら「心細い」「不安」などという感情とは無縁の生き物なので、一般的な人々よりもありがたみなくこのドクターと接していたが、手際のよさ、判断の速さ、指示の的確さから救急医としては相当なレベルだと思った。もちろん、虫けらの症状が単純で軽いということがベースだが、イヤミを言ったり、不機嫌になったり、嫌な顔をしたりといった、救命救急の現場ではありがちな、感情が出る場面も全くなかった。常にポーカーフェイスで、ときには小さな軽口も叩きながら、スムーズにケガの処置をしてくれた。虫「こんなつまらないケガで救急要請してすみません」Dr.N「つまらないことない。救急車呼んでください(キリッ)」看護師「先生、座って作業してください。腰を傷めます」Dr.N「救急医は座らない」虫「素晴らしい。救急医のお手本!」Dr.N「(ニヤリ)」(指と爪を縫合してもらっているとき)虫「先生、麻酔効いてません」Dr.N「え、ほんと? 麻酔足しましょか?」虫「麻酔も痛いので、我慢します」Dr.N「そう。ありがとう」救急処置室でこんなほのぼのとした会話ができるのは、このドクターの人柄ならではなのだろう。入院4日目に、Dr.Nが病室を訪ねてくれた。虫けらは驚いた。救急医が病棟に来ることがあるのかと。Dr.N「左手親指の付け根、どうですか?」虫けらは何のことを言われているかわからず、虫「え、付け根? 爪しか問題はありませんが」Dr.N「そう。CTで付け根に骨折のような所見があると 書いてあったから」虫「いや…、痛みもありませんし、特に異常は…」と言いながら、ドクターに向かって手を差し出した。触診をしてくれるか、少なくとも目視で確認するかと思ったのだ。Dr.N「いや、僕が触ってもわからんし」えーーーっ、そうなの?そんなに虫けらに触るのが嫌なの?じゃ、何しに来たん?虫「いまのところ、問題ありません。 わざわざ来てくださって、ありがとうございます」Dr.N「いえいえ、当然です」という言葉を残して去っていった。一体何だったのだ。その日は、担当医が別の病院の診察が入っていて不在だったということが関係しているのかもしれないが、入院から4日も経って、それ? である。にしても、わざわざ病室まで足を運んでくださったのは、患者として大変ありがたいことである。しかし…、そういう疑問があったとしても、担当医に伝えて、担当医が虫けらに確認するのが筋というものだろう。翌日、このことを担当医に伝えたら、担「あー、(画像上)そう見えただけでしょう。問題ないですよね」虫「はい」で終了だった。先にも書いたが、Dr.Nは大変端正(精悍)な顔立ちである。上背がないのがちょっと惜しいのだが(あくまでも虫けらの私見)、いい感じの医師である。看護師の評判としては、「ちょっと変わってる」だが。。【担当医 Dr.I】初対面は、救急処置室である。背の高い、品のいい若い医師が虫けらの担当医と知って、ちょっとうれしくなった。顔立ちは、若い頃の仲村トオル的なあっさりした感じ。声は穏やかで、静かな話し方(声そのものは、少し少年ぽい。やや高めの成分がある)。表情を大きく変えないし、余り抑揚のない口調が年より落ち着いた雰囲気だ(虫けらの計算では、実年齢36〜38歳)。この若い医師が、毎朝8:30くらいに来てくれる。必要があれば、夕食後にも訪ねてくれる。こういう医師の行動は、患者に安心感を与える。虫けらのような単純なケガだと実感しにくいが、痛みや薬の副作用が出ているような患者だと、常に不安と苦痛に悩まされているわけで、そのことを医師が理解し、素早く対処してくれるのはこの上ない安心材料なのだ。退院後の初外来のとき、本来は、診察日でない担当医が特別に虫けらを診てくれた。診察日の月曜に設定したかったのだが、祝日に当たってしまったので、手術日の水曜日に無理して診察を入れてくれた。レントゲン画像で、手術の要不要を決定するのと、左手親指の抜糸をしてもらうためだ。本来の診察室ではなく、「ギプス室」という狭い作業場のようなところでの診察だったので、Dr.Iも虫けらも気持ちが落ち着かなかったのかもしれない。レントゲン画像による診断が終わった時点で、双方「終わり」の認識を持ってしまった。杖をついて廊下を歩き、待合室に戻ってしばらくしたら、看護師とともにDr.Iがやって来た。手には何かの器具を持っている(多分抜糸剪刀/ハサミ)。Dr.I「左手を…」虫「あ、抜糸をしてもらわないと!」またギプス室に戻った。待合室までやって来たDr.Iの姿を見ると、とてもかわいいと思った。「息子」と言うには少々年が上だが、看護師に指示するだけではなく、自らも来てしまうところに、誠実さを感じた。杖をついて歩く虫けらをまたギプス室に戻らせるのが申し訳ないと思ったゆえの行動だと思う。ドクターが来てくれたところで、虫けらの労力は1ミリも減らないのだが。これからも、何回か診察を受ける。(まだ)親しくなっていないし、軽口を叩くような人でもない。しかし、もう少し面白い会話ができたらいいな、と思う虫けらであった。【内科医 Dr.S】こんなイレギュラーな事故がなかったら、半年に一度の内科の診察を通常どおり受けるはずだったが、車椅子での外来受診は難しいということで(内科の待合室はいつも激混みである。しかも、診察室が外科や整形と比べて狭い。車椅子で入るのが困難なのだ)、病室に往診してもらうことになった。病室担当の看護師が14:00ごろに来てくれて看「S先生が往診してくれるんですが、 もう外来は終了しているはずで…」虫「時間の連絡はないんですね」看「ゆっくりランチでもされてるんですかね」虫「来てくださるのはありがたいので、待ってます」看「ちゃんと先生には伝わってますから、ちょっと 待っててくださいね」というやりとりの後、16:00まで待った。本当に来てくれるのか?車椅子の虫けらは、トイレに行く際、ドアを開けっ放しにして用を足さないといけない。車椅子が中に入らないからだ。14:00からずっとトイレを我慢していた。早よ来てくれい!この時間は、日中と夜間の看護師が申し送りをする時間。いまのうちにいつドクターが来てくれるのかを確かめないと、事情を知っている日中の看護師が交代していなくなる。これはいかん、と車椅子でナースステーションに行った。一番近くにいた女性看護師(初見)に目配せした。看「何かご用ですか?」虫「内科のS先生が往診に来てくださる予定ですが、 まだなんです。お忘れではないかと思って」病室番号と名前を名乗って聞いた。看「調べてみます。お部屋でお待ちください」不安だ。明日退院だというのに、今日往診がなかったら、どうなるのだ!ヒヤヒヤものである。一向に返事がないまま、ひたすら待っていたのだが、看「夜の担当の◯◯です。何かありましたら…」男性看護師が部屋にやって来た。虫「実は、内科のS先生の往診が…」事情を説明した。看「わかりました。ちょっとお待ちくださいね」時刻にして17:00。間に合うかどうか、ギリギリの攻防になった。5分ほどして男性看護師が戻って来た。看「先生に連絡したら、明日が退院とご存じなかったようで…」虫「え、明日往診のつもりだったってこと?」看「よくわからないんですが、間もなく来てくださると思います」虫「わかりました。待ってます。ありがとうございます」結局、先に問い合わせを依頼した女性看護師は何の仕事もしなかったということだろう。こういうとき、やっぱり男性の方が仕事をするな、と思ってしまう(多少の偏見あり)。17:30に担当医の I 先生が最後の診察に来てくれた。退院後のスケジュールや段取りを話しているときに、内科医Sがドヤドヤとやって来た。診察室では、こんなにでっかい(横幅と顔)人だとは思わなかった(前回の診察から半年経っているので、その間にでかくなったのかも)。対してすらっと長身なDr.Iがとてつもなく格好よく見えた。しかも、「お話中なら、後で…」とか、「よろしいですか?」といった言葉もなく、ズカズカと入ってくるではないか。やおら大きな声で話し出す。Dr.Iが「診察日、よろしく」的な仕草と雰囲気で、場を辞する。あー、もうちょっと話したかったなぁ。入院中の最後の会話なのに。内科医Sの説明は簡単なものだった。Dr.S「検査結果は問題ないので、また半年後に」だけである。伝言でもよさそうなものだ。Dr.S「9月か10月に予約入れてくださいね」という言葉を残して去っていった。トイレを我慢し、病室から出るのを控えていた虫けらの2時間半を返してくれい!!!【怖い主治医】怖い主治医の診察予約も1ヵ月と少し先に入っている。絶対この日でないとダメ、という診察ではないので、早めに状況を説明し、診察日を後にずらしてもらう方が迷惑をかけずに済むと考えた。入院3日目の朝、その話をしたかったのだが、担当医 I 先生は朝の診察時、歯磨きをするために洗面所(兼トイレ)にいた虫けらに気づき、Dr.I「後でまた来ます」とスルーして他の部屋に行ってしまった。2時間待っても戻って来てくれなかった。その日は手術日だからか、夜の診察もなかった。翌日は別の病院の診察でお休み。翌々日にようやくその話ができた。虫「主治医の◯◯先生は、私が入院していることご存じですか?」Dr.I「気付かれているかもしれません。僕からは言ってませんが」入院5日目である。きっと怖い主治医は知っているだろう(「怖い主治医は何でも知っている!?」)。病院内での虫けらの行動はすぐさま察知する怖い主治医のことだ。虫けらは、入院した日に会いに来てくれると思っていた。なぜ会いにくる?主治医だからじゃないか。根拠は薄弱だが、きっと会いに来てくれると思っていた。しかし、入院5日目にしてもまだ来ない。しかも、担当医は報告すらしていないという。そんなものなのか。それ以後もずっと怖い主治医は来てくれなかった。次の診察を延期しなくてもいいものか。ま、退院してから電話してもいいし、怖い主治医に直接言わなくても問題ない。これを口実に看護師などを介して連絡してもらったら、あざとすぎる。診察日までまだ5週間ある。ケガがどんな状態になっているかもわからないのに、早々に連絡する意図にあざとさがにじむではないか。怖い主治医が来てくれることはないな、と入院1週間で諦めた。どんなに手段を講じても、偶然を装って会うシチュエーションは創り出せなかった。そうして過ごした、退院1日前の朝。9:30くらいにノック音がした。担当医の診察は8:30(既に来訪済み)。バイタルチェックは10:00過ぎ。掃除は既に終わっている。誰だ? つづく
2025.07.24
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通常の入院は、ドクターのオペ日程や自身の仕事の都合などを勘案し、1週間とか、ひと月などの猶予をもらえる。が、今回は救急搬送からの緊急入院である。入院必至なのは想定していたので、必要最低限の所持品は確保していた。抗がん剤の治療に際して、予期せぬ副作用や、緊急性のある症状が出た場合、入院を指示されることがあるので、虫けらはいつも入院セットを用意していた。(詳しくは、人生の終焉に…緊急入院の顛末 ②をご覧ください)今回の入院で、これは大変役立った。実は、病院で購入できるものがある。●ティッシュ(Box)●歯磨きセット●コップ(でんしレンジ対応)●箸とスプーン●ゴミ袋(20L)●タオル(安物)●ハンドタオル(安物)●シャワー3点セット(試供品サイズの シャンプー・コンディショナー・ボディソープ)このセットで1800円である。全て百均で揃うような品質なのに。。せいぜい700円くらいだろう。ボッタクリである。しかし、救急車で搬送してもらうときに、こういうものを持参するとなると、荷物がかさむ。他にも必要なものがあるので、カバン一つに収まりきらないこれらは、購入となることも致し方がない。虫けらは、携帯電話2台とイヤホン、充電セットは絶対必要だと思う。2泊以上の入院なら、パソコンが欲しいところだが、パソコンは荷物になるし、その重さから勘案して、退院時に大変な負担になるだろうと予測された。泣く泣く諦めたが、それを補うのが2台の携帯電話である。1台はアクティブ(メールチェックやメールの送受信、Xのチェック、買い物、調べ物など)に使用し、1台はYouTubeなどの動画を視聴するのに当てる。イヤホンは、動画視聴のときに必要になる。前回のブログに書いたが、入院生活は慌ただしい。しかし、下界と隔絶されるのは避けたい。今回の入院中には、ブルーインパルスの編隊飛行があり、この情報入手にも携帯電話が役立った(イベント自体は入院前から知っていたし、スケジュールをカレンダーに記載していたのだが、当日の各種変更事項のチェックは重要)。病室にはテレビがあるが、そもそももう5年以上テレビを観ていないので、今更何を観るということもない。旅行に行ったとき、一応つけるにはつけたが(ご当地の番組を観てみようという気持ちで)、相変わらず大した番組をやっていないので、数分で消した。ポケットWi-Fiも一応持参した。病院にはWi-Fi設備があるが、速度や容量に問題があるときは、持参したポケットWi-Fiを使用するという保険。これだけ機器を持ち込んだら、絶対必要になるのが充電関連機器。ケーブルの長さのバリエーションも考慮しないといけない。最近のベッドの枕上部分には、各種機器との接続コネクタとともにコンセント(4口程度)があるが、古い病院なら、その限りではないだろう。さらに、以前の入院時に必須としていたのが「飲み物」の確保だ。病院には必ず売店があるが、スペースの関係で2Lボトルなどの大容量飲料は置いていない。いちいち150円で500mlの飲み物を買っていては、飲み物代がかさむ。前回は、2Lのアクエリアスを数本とキレートレモン数本を持ち込んだ。今回はそれができなかったので、「麦茶」「ビタミン飲料」のペットボトル(500ml程度)を購入し、飲み終えたボトルに無料の水と煎茶(配膳室や談話室に給湯器が置いてある)を注いで(朝と早い夕方。これで2Lが確保できる)入院中の水分補給を賄った。下着1枚とタオル1枚は持参していたので(タオルはぼったくり入院セットに1枚入っていたので計2枚)、これで何とかなった。しかし、タオルはもう1枚、靴下も1足余分にあるとよかった。これで本当に足りるのか、と思うが、下着も靴下も手洗いしてトイレに干していたので(個室を取ったのでできたことだが)、何とか賄えた(靴下は数日後に追加購入した)。贅沢を言えばキリがない。女性なら、化粧品(スキンケア用品)は必携だが、虫けらはかなり無頓着な性格なので試供品サイズの化粧水と美容液、クリームだけだった。洗顔料は入っていたが、メイク落とし兼洗顔料だったので、すっぴんの顔にはきついだろうと判断し、体を拭きに来てくれるときに、最初に顔を拭かせてもらい、朝晩の洗顔は、水洗いのみで乗り越えた。ブラシ(髪用)は必要だと思う。虫けらは、抗がん剤の影響で髪がおかしいので、医療用のキャップを被っていた。髪型や寝癖を気にすることはついぞなかったが、そういう問題がないなら、ブラシがないと困ったと思う。問題は「着替え」である。パジャマは、病院のリース品を利用できる。1着150円と安価だし、洗濯は必要ないので柄やデザインに文句がないなら、利用すればいい。しかし、同じパジャマを着ている人が大勢いるので、体型を比べられたり、没個性になることは必至である。下着が厄介である。病院では、各種検査を頻繁に受ける。そのとき、金具があるものはNGだ。虫けらは、救急搬送時にタンクトップインナーをシアーシャツと合わせて着ていた。入院時はタンクトップインナーを下着代わりにしていたが、退院時にも着用しなければならないので、代わりの下着が必要だった。下着にもなり、トップスにもなるものが欲しい(冷房が効いているときは、パジャマだけでは寒いし、効いてないときは、パジャマを脱いで下着だけで過ごしたい)。看護師さんに確認したら、病院が宅配便を受け付けてくれるとのことなので、アマゾンで購入した。●ノースリーブのTシャツ2枚セット●靴下5足セットこれは、大変助かった。靴下は病室では履かないのだが、検査など病室から離れるときには、裸足では危ないだろうし、ちょっと失礼な感じがする。あ、病室を出るときは、車椅子を使っていたので、怪我した方の足は靴は履かないから、そう感じたのだが。そんなこんなで、11日間の入院生活を何とか凌いだ。余談だが、今回は、見舞いの打診を全て断った(相手は全て男性。お客さんがほとんど)。何しろ、検査などで忙しいし、余りに汚いすっぴんを見られることも、病院のパジャマを着ていることも、車椅子生活であることを、見られたくなかった。そもそも、短期の入院で済みそうなので、退院してからゆっくり会っていただくということで、了解してもらった。入院期間をできるだけ短縮するというのは、いまの医療界の方針のようだ。昔なら、1ヵ月ほど入院という症例でも、最近では1週間〜20日間ということも少なくない。年齢(身体能力)や自宅での生活状況などを勘案して期間を決めるようだが、身体能力も自宅での生活状況も問題のない虫けらは、1週間で退院日程を決めるということになった。そのときに状態がよくても、その日(月曜日)に退院というのは無理なので、翌日(火曜日)に、ということになったのだが、水曜日に別の科の検査・診察の予約が入っていたので、それを済ませた木曜日に退院ということにしてもらった。(もし、月曜日の検査で状態が悪化していたら、手術〜経過観察で2週間、リハビリの状況でさらに数週間追加入院になることもあるそう)2日間の延期のために入院費用がかさむことになったのだが、そんなことは藻屑と消えるほど衝撃的な出来事があったので、延期になって「よかったー」と思った。そのことは、次回(か次々回)に記すとして、そんなことがないように祈りながらも、新たな入院セットを構築することにしようと考える虫けらであった。 つづく
2025.07.23
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「入院」と聞くと、「眠りたい放題」というイメージがある。生活時間のほとんどをベッドの上で過ごすのだから、いつでも睡眠を貪れると考えるのが普通だろう。入院初日の夜は、痛くて眠れなかった。病室に入ってすぐ、虫けら「痛み止め、出してもらえますよね」看護師「先生にお願いしておきますね」という会話があったのに、しかも、夕方病室に来てくれた担当医にその旨を伝えたのに、結局、夜の痛み止めが出なかった。救急外来で、救急医が指示してくれた1錠は13時半くらいに服用したので、寝る前には薬効は切れていたはずだ。ひどい話である。ところが、外が明るくなってくると、眠気が襲ってくる。YouTubeの音声を聞きながらコクッとなったところで、「おはようございまーす。お薬出てますー」と唐突に看護師が入ってきた。慌てて起きる。痛み止めだった。朝食後の服用なので、まだ飲めない。時刻は6:30である。7:00前「日中の担当の◯◯です。何かあったらすぐに呼んでください」担当看護師が挨拶に来る。7:00過ぎ「お茶かお水、ありますかー?」と、朝食用の飲み物担当の女性が入ってきた。7:30過ぎ「おはようございます。朝食です。お名前をフルネームでどうぞ」8:00過ぎ「お食事終わりましたかー?」食器を下げてくれる。歯磨きや洗顔を済ませたら、8:30担当医の朝の診察。現在の状態のチェックと治療方針の説明。9:00前「お掃除させていただいてよろしいでしょうか」お掃除の係の人がやってきた。9:00過ぎ「ゴミはありますかー?」お掃除が終わるとゴミの回収。10:00前「血圧とお熱を計ります」担当看護師が登場。10:00過ぎ「栄養士の◯◯です。ちょっとご説明、よろしいですか?」「薬剤師の◯◯です。薬についてのご説明をします」「リハビリ担当の◯◯です。午後からのリハビリについて ご説明します」連続の来訪。11:00前「お身体を拭くのと、洗髪となら、どちらがいいですか?」洗髪がいいと告げると、すぐに行こうと言われる。11:30洗髪から戻って髪を乾かしていると「お茶かお水をお持ちしました。ありますかー?」12:00前「昼食でーす。お名前をフルネームでどうぞ」ランチがやって来た。12:30「お食事、終わりましたかー?」13:00「リハビリにまいりましょうか?」理学療法士がやって来た。リハビリメニューは約1時間。14:00リハビリから戻る。14:00過ぎ脚の固定装具を販売する業者がやって来た。事前に身長・体重を聞いていたのか、虫けらの体型に合う装具を持参している(実は、この病院では、一昨年の最初の入院の際に計測した数値がそのまま使われている。虫けらはその数値から変化がないのだが、そんな人ばかりではないだろう。大丈夫か?)。業者はおっさん(すみません)。やおらベッドの上の虫けらの足に装具を装着していく。装具の説明と注意事項、料金の支払い方法を指示される。それまで虫けらが着けていた装具を回収し、「返しておきますね」と、病室を出る。所要時間30分くらいか。15:00「血圧とお熱を計らせてください」看護師の来訪。15:00過ぎ「傷口の洗浄をします」左手親指の手当てをしてもらう。これを終えたら、店の予約のキャンセルや連絡が必要な関係先へのメールや電話を始める。間の悪いことに、結構たくさんの予約が入っていたし、店のシロアリ駆除のスケジュール調整やゴミ回収業者への一時休止連絡、保険会社への問い合わせなど、連絡先がたんまりあった。17:00「お変わりありませんか?」担当医の来訪である。メールのやり取りの真っ最中なのに、一時休戦となった。17:30「お茶かお水をお持ちしましたー」18:00前「夕食でーす。フルネームでお名前をどうぞ」19:00前「お食事は終わりましたかー?」19:00過ぎ「夜の担当の◯◯です。何かありましたら、 いつでもコールしてくださいね」日中と交代した看護師がやってくる。20:00前後「血圧とお熱を計らせてください」こんな調子である。いつ、眠れるというのか。21時の消灯までに、夜中や朝の飲み物の準備やグルーミング、メールチェックや対応、サブスクの生番組の視聴などやることは山ほどある。入院生活は忙しい。昼間の忙しさから、夜はよく眠れそうなものなのだが入院から3日目くらいまでは余り眠れなかった。怪我の痛みが第一の理由だが、寝返りが打てないことや固定装具のために思ったように脚が動かせないことが大変なストレスになっているようだ。入院生活は始まったばかりである。 つづく
2025.07.20
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救急搬送されて、ようやくたどり着いた救急外来。ストレッチャーで運び込めないほど混雑している。廊下には家族らしき人々。救急車には、家族などの同乗者が必要なのだが、虫けらには近くに肉親や親戚がいないので、一人でやってきた。もし前夜、心配して声をかけてくれた女性に119番通報してもらったら、同乗してもらう羽目になったかもしれない。結構ややこしいのだ。救急搬送途中に死亡することもあるだろうし、意識不明の状態で搬送したら、(連絡先などがわからぬままなら)以後の措置が煩雑になるだろう。最近は、日本に住む外国人が気軽に救急搬送要請をするらしく、有料にすることも検討されているとか。有料になることは致し方ないが、原因が外国人の節操のなさだとしたら、日本人としては情けない限りだ。虫けらのように、「救急搬送を要請する条件」をいつも意識しているのが日本人というもの。できるだけ人の力を借りず、できるだけ人の迷惑にならず、できるだけ社会の荷物にならぬよう配慮して生きている、それが日本人なのだ。救急外来に入ると、先客がわんさかいて、看護師も医師も入り乱れて作業しているが、とりあえず虫けらにも担当看護師がついてくれた。虫けらを搬送してくれた救急隊の一人が、救急医に状況を説明してくれている。救急医は虫けらの電子カルテを表示しながら救急隊の説明を入力していく。看護師と虫けらはしばし待機。一通りの作業が終わった救急隊は、虫けらに向かって一礼、虫けらは虫「ありがとうございます。お世話になりました」と声をかける。救急医が虫けらの前に立つ。医「左脚と左手親指やな」と言いながら、虫けらの左脚と左手を目視する。医「この他に痛いとことかない?」虫「ありません。怪我もありません」医「全身を確認しますね」救急医が頭から肩、背中、腕、腰と、上から下へと触診(服の上から)しながら確認する。医「他は問題ないな。 採血とレントゲン、CTも撮って。あ、先に痛み止め飲ませてな」看護師は虫けらの車椅子を押しながら、採血できるスペースに移動。採血が済んだら、3階の検査室に移動だ。救急外来から出ようとすると、最初に指示してくれた救急医が医「痛み止め飲んだ?」忙しい中でもチェックしてくれる、気遣いのできる医師だと感心した。こういうガチャガチャな状況では、医師も看護師も、患者自体もいい加減になるものだ。しかし、虫けらにとっては、「痛み止め」という特効薬が何よりも必要だし、これを求めて救急外来に来たと言っても過言ではない。虫けらとしては、「服用」ではなく、「静注」で入れて欲しいくらい即効性が求められたが、わがままは言えない。服用で我慢した。左脚と左手のレントゲンは、技師が新人なのか、大変時間がかかった。脚の向きや角度を変えるのは大変な痛みが伴うのだが、経験が浅い技師は、機器ではなく虫けらの脚をあらぬ方向に向けようとする。痛いのだが、いちいち痛いと言っていては面倒な患者と思われかねないので黙っていた。すると、先輩の技師が出てきて指導する。『先に指導してくれよー』虫けらを実験台にするなよと心の中で思う。CTに至っては、ベテランと思しき男性技師なのに、車椅子から3〜4歩ある機器まで技「歩いてこちらに来れますか?」と聞いてくる。虫「一歩も歩けません」と言うしかない。医師や看護師なら、こういう間違いはしないと思うが…。画像撮影が終わったら、再び救急外来へ。採血の分析や画像が電子カルテに送られるまで待機。救急医が虫けらのところにやって来て、医「とりあえず、左手の爪を処置しよか」(左手親指は、多分ハンドルか倒れてきた車体に引っ掛けたようで、爪の上半分が内側から外側に向かって割れて剥がれかけている。事故当初は大変な流血だった)虫「どうするんですか? 爪を剥がす?」医「え、剥がしていいんですか?」虫「剥がす以外にどんな処置を?」医「縫います」虫「縫う?」医「爪はあった方が指にはいいんです。 残った爪が生えて伸びるまで、 置いておいた方がいい」ということで、爪と指先の肉を縫い付ける処置が施された。親指の付け根に麻酔が打たれる。その痛みたるや…。薬剤が溜まってぷっくーと膨れ上がる。救急医がひと針目を爪の右側に入れようと患部に器具を当てる。虫「先生、まだ麻酔が効いてません」医「ちょっと置こか」30秒ほど待って再び針を入れる。医「痛いですか?」虫「痛くないです。針が入っているのはわかりますが」二針目。痛みはない。麻酔が効いている。三針目。痛い!虫「先生、麻酔が効いていません。痛いです」医「え、痛い? 麻酔足そか?」虫「麻酔も痛いから、このままでいいです。 我慢します」結構な痛さだが、麻酔の注射をまた打たれるより、縫合を続行してもらった方がよいと考えた。看護師が医師に向かって声をかける。看「先生、座ってください。腰に来ます」医「救急医は座らない」面白い先生だ。いや、見上げた先生だ。いちいち座っていては、次々にやってくる患者をさばけない。救急外来というのは、そういうものであり、この先生は、それを体現しているということだ。大変痛いのを我慢しながら、縫合は終わった。医「脚の方の説明をします」モニターにCTの画像を映しながら医「ここが折れてます。場合によっては 手術が必要になりますね」虫「プレートですか?」医「ん、どういう手術にするかは、整形の担当医と 相談して決めてください」救急医とはここでお別れし、整形の担当医の元へ。救急医は、精悍な顔立ちながら、小柄なせいで威厳がない(あくまで私見です。勝手な評価、申し訳ありません)。比して、大変高身長の好青年の担当医。話し方も穏やかで、感じがいい。この人が虫けらの担当医になってくれるのかと思うと、少し安心だ。波長の合わない、きつい感じの医師だったら(怖い主治医のような)、怪我のショック(余りないが)に加えて心の負担になるに違いない。担「いまは、ヒビの状態ですが、ズレたら厄介なので、 プレートを入れた方が安心やし、治りも早いです」虫「ズレなければ、手術は必要ないんですよね」担「保険として、ボルトだけ入れる手もあるけどね」虫「ずれないように注意します。手術はしない方向で お願いしたいんですが」担「……ん、それなら、1週間様子見ましょか。 1週間後に決めるということで」虫「はい。最低1週間の入院ですね」担「リハビリもありますから、2週間くらいと思ってください」虫「わかりました」かくして、緊急入院ということにあいなった。車椅子に乗ったまま病棟へ。救急外来に到着してから病棟に上がるまでおよそ3時間。気がついたら、病室にいた虫けらであった。 つづく
2025.07.19
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自らの自転車に襲撃されて、膝下を骨折(多分。打ち身でこれほどの痛みは発生しない)した虫けらは、まんじりともせずに一夜を過ごした。連続営業の疲れが厳然とあり、片脚歩き、片脚漕ぎで体力を消耗したこともあり、とりあえず少しは眠りたいのだが、1分ごとに脚の状態を変えないと痛くてどうしようもないので、眠ることができなかった。早朝(4時ごろ)、救急隊出動の要請を覚悟し、「さて、スケジュールをどうするか」と考えた。救急隊出動の要請時間は、近隣住民が動き出す時間と重なるのは避けたい。救急車の存在やサイレンに騒然となるだろうし、エレベーターを占領することになる事態が大変迷惑だろうと考えたのだ。しかし、人々がまだ眠りの中にいる今の時間帯はもっと迷惑だろう。昼前まで待つか。それまでどう過ごすか……。飲み食いができない。昨夜からゲリリンが続いている上に、飲み食いの末の尿意、便意は必至である。トイレに立つ回数を少しでも減らしたい。何しろ、余りの痛さと体力の消耗で、汗だくになるし、ほとほと疲れてしまう。1分ごとに脚や体勢を変えながら、7時間以上をマッサージ機の上で過ごしたが、そろそろ準備をしなければ。1〜2日の入院に対応する備品セット(下着、タオル、ウエットタオル、スキンケアセット、歯磨きセット、うがい薬、ティッシュ)、ポケットWi-Fi、充電ケーブル、副携帯、イヤホン、メガネ、ボールペン、医療用帽子など携行品をちょっと大きめのバッグに詰めた。パジャマは2階に上がらないといけないので諦めた。本当は、もっとたくさん必要になる(下着やタオル)だろうが、救急車に持ち込むことを考えると、バッグ1個に収めないと顰蹙ものであろう。正午を過ぎた。救急隊も病院の救急医や看護師も昼食を取る時間が必要だ。13時まで待とう。その間に身支度と着替えをする。立った姿勢での着替えは無理だ。洗面所に座り込んで、左脚を伸ばしたままスラックスを履き、下着や上着を着る。靴下を履くのが困難。くるぶし下のソックスをかかとまで下ろすのがこんなに大変なのか。日頃から柔軟体操をしていればよかった。虫けらは体が硬い。ストレッチや簡単な運動を布団の上でするのが習慣だが、柔軟体操はほとんどしたことがなかった。(しかし、2日もすると、すんなり履けるようになった。これを機に、柔軟体操をしよう)用意を済ませ、カバンを玄関に置いて携帯で119をコールする。119「消防ですか、救急ですか』虫「救急車をお願いします」119「どんな状態ですか?」虫「左脚の膝下が骨折したようで、歩行不能です」こうしたやり取りで、救急車を要請した。119「玄関の鍵は開けられますか?」虫「今、玄関から電話しています。鍵は開けました」119「では、しばらくお待ちください。いま…出動しました」119のオペレーターの言葉が終わる前に、サイレンの音が聞こえた。実は、虫けらの自宅と最寄の消防署の直線距離、100m余りと、大変近い。この分だと、1分もあれば到着するだろう。余談だが、大阪市の救急隊は男前が多い。夫のために救急要請したときは、大抵同乗することになるのだが、いつも3人1チームでやってきて、搬送者を救急車に乗せるまでは3人で、救急車の中では一人は運転に専念、後の二人でバイタルチェックや搬送先病院への連絡などをこなしていく。これまでは、3人とも若い男性だったが、今回は、年配者が一人入っていた。年配の人間は経験値もあるし、判断力も高いだろう……と思った虫けらは浅慮だった。年配の隊員が一番使えなかった。救急搬送要請しておきながら、この言い分は大変失礼だと思う。謹んでお詫び申し上げます。自宅前までは、椅子型のストレッチャーを運び入れてくれた。隊員の肩を借りてどうにか腰掛け、エレベーターで降ろされる。マンション前で、ストレッチャーに乗せ換えられる。しかも、自力でだ。両足負傷なら、抱え上げて乗せ換えてくれるのではないか。振動さえも痛い状況なのになかなか厳しい対応だ。若い女性なら、もっと扱いがよいのではないか。そんな要らぬことを考えるのも、救急車の出動要請が初めてだからで、次回の際は、達観した状態で乗り込めるはずだ(次回はないと願いたいが)。虫「◯◯◯病院に行くことはできませんか?」救「救急の場合は、病院を指定できませんよ」虫「いまかかっていますし、基本情報があるので、 整形が対応できるなら、スムーズにいくと思います」救「基本情報?」虫「緊急連絡先とか、保証人とか。入院したことがあるので」救「何でかかってるの?」虫「がんです。大腸がん」骨折とがんは関係ないが、がんは長期間の治療を要する病気なので、ちょっとかかったことがある、というのとは全く違う認識になるだろうと思う。診察券と保険証を出したら、すぐに問い合わせてくれた。救「◯◯◯病院に向かいます」よかった。入院に関する情報があるのは便利だが、何より近い。退院後の帰宅のことを考えると、できるだけ近い方がいい。すぐに病院に到着。何せ、1kmそこそこの場所だ。救急入口にストレッチャーで到着したら、病院の職員が出てきて、病「いま、混んでいてストレッチャーを入れる場所がないので、 車椅子に乗り換えてもらえますか?」また自力で乗り換えだ。過酷である。事故から15時間。ようやく病院に到着した。さて、どんな処置をしてくれて、どんな診断結果が出るのだろうか。虫けらは、骨折だと思っているが、実際はそうなのか、違うのか…。この瞬間から、11日に及ぶ入院生活が始まった。さて、虫けらの脚はどうなっているのか。次回に続く。 つづく
2025.07.18
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6日の夜、緊急事態が起きた。脚が動かない。歩けない。どうする……。と、大げさに書いているが、つまりは、左膝下を強打して骨折した、ということだ。営業後の22時過ぎ、自転車で帰路についたのだが、数日間の連続営業で少々疲れていた。自転車に乗ってしばらくして(店から100m足らず)「携帯をカバンに入れたか?」疲れのせいで、こういううっかりミスを犯しがちだ。手を伸ばして前かごの中のバッグを探る。無事、携帯電話があったことを確認した刹那、右側から来る自転車を察知。バッグを見ていたので、認知が遅れた。当該自転車が虫けらの寸前を通過する際に虫けらが焦ってハンドルを左に切る。バランスを崩して転倒。受け身を取って、仰向けに倒れる。次の瞬間、自らの自転車が虫けらを襲う。右脚は自転車から離して上方に上げていたが、地面側にあった左脚の上に落ちてきた。虫けらの自転車は、中国製の安物で、大変な重量がある(鉄製)。地面と自転車に挟まれた左脚の膝下に激痛が走る。動けない。女性「大丈夫ですか?」虫けらの後方から声をかけてくれた女性。顔を上に向けて女性の顔を見る。虫「大丈夫です」女性が自転車を起こしてくれた。しかし、立てない。なぜか左手親指が流血している。女性2「頭打ってないですか? 救急車呼びます?」虫けらの前方から違う女性が声をかけてくれる。虫「頭は大丈夫です」大げさなことになったら、救急車を呼んだ人にも迷惑がかかるので、無理をして立ち上がる。虫「ありがとうございます。大丈夫です」虫けらが立ったのをきっかけに、女性二人はめいめいの方向に歩き出した。が、虫けらは一歩も動けない。5分以上そうしていたのではないか。とにかく左脚が前に出せない。とは言っても、そこにずっと立っているわけにはいかない。自転車のハンドルを杖代わりにして、片脚歩きで歩を進めた。100m以上歩いて大きな交差点に出た。自宅に戻る覚悟をし、レバーを回してサドルを下げる。自転車の右側に体を回してまたがる。信号が青になったタイミングで漕ぎ出す。片脚漕ぎで走る。店と自宅のちょうど中間地点に通っている病院がある。夜間の救急外来に駆け込むことも考えたが、「入院」となったときに必要となるものがないと、とんでもなく不自由な時間を過ごすことになる。とりあえず自宅を目指す。自宅に戻ったら、2度と自力で外に出られないことは理解していた。「救急車」の3文字が頭をかすめる。この脚では、タクシーを呼んでもマンションの1階に降りることができない。救急車はいやだが致し方ない。救急車が「いや」な理由は、1.そもそも自損事故(悪いのは自分)2.骨折という単純な怪我3.命に別条がないのに、大げさ常々、命に関わる重病人が救急車を要請すべき、と思っている。自分の状態は、恥ずかしいくらい救急車にそぐわない。しかし、歩けないのだから、誰かに運んでもらわないと病院に行けない。どうにか自宅にたどり着き、自転車を停車させてケンケン歩きで部屋に入る。寝室は2階だが、上がれる状態ではないので、1階リビングのマッサージチェアの背もたれを倒してそこに寝転ぶ。夜中の救急車要請は目立つし、周辺のお宅の安眠を奪う。何より、虫けらが救急車で運ばれたら、しばらく帰宅しない留守宅になることがバレる。泥棒が怖い。朝か、昼まで我慢しようと思う。眠りたいのだが、膝を曲げて1分、伸ばして1分、曲げて1分……1分しか同じ姿勢を続けることができない。痛みのために眠れない。そんな状態なのに、虫けらの体質を恨むしかない症状(ゲリリン)が夜通し続く。翌日の昼前までに5回もトイレに立つことを余儀なくされた。古いマンションゆえ、部屋ごとに段差がある。リビングと廊下、廊下とトイレにかなりの段差があり、片脚でジャンプするのは至難の技だ。健康体なら問題ないが、左脚に振動を与えると、激痛が走る。ドアノブやドア枠、家具などを掴みながら、通常なら7〜8歩の距離を3分以上かけてにじり歩く。人生最初(で最後にしたい)の骨折は、もっと若いときに経験しておくべきものだったと思わずにはいられなかった。骨折の痛みは大変なものだ。特に脚は、浮かしておくことが不可能な部位なので、痛みに加え、不自由さもひとしおである。若いときなら筋力ももっとあったし、体幹や反射神経も鋭かった。人生の終焉に、大変なことになった。しかし、不思議なことに虫けらはこういう事態になったときに「後悔」しない。「カバンを探るとき、自転車を止めたらよかった」「店を出る前に、携帯を確かめたらよかった」程度のことは思わないではないが、起こった事件そのものについて悔いたり、悲しんだりすることがない。さて、これからどうしよう、としか思えないのだ。この事件が、必ずしも悪いことばかりをもたらすとは限らないし、何より、後悔などしても仕方がない。時間を逆戻しできるなら、精一杯後悔してもいいが、どうにもならないことを考えるのは無駄だ。さて、虫けらがこの後どうするか、乞うご期待である。 つづく
2025.07.17
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「4連泊もするって…、昼間は暇でしょう」通常の旅行では、せいぜい2連泊だろう。目的を持った旅行でも、4連泊、しかも同じ宿でとなるとかなり異例の話になるのではないか。こちらは「湯治」のつもりだが、湯治用の温泉でも宿でもないわけで、この話を聞いた虫けらの知人も、店の常連客も、何なら宿の従業員も「なぜ?」と不思議に思っただろう。その上、虫けらが選んだ宿は、その周囲5km圏内に当該の宿以外、ほとんど商業施設のない地域だ。さらに、周辺を山に囲まれており、東西のそれぞれの山の裾野に開いた南北の道路に出ないことには、山の景色の中をウロウロするしかない地形だ。宿泊プランには昼食がついていない(前日にオーダーすればうどんや丼物など簡単なメニューをつくってくれる)ので、昼間(12:00〜13:00過ぎ)はウォーキングに出る。(ランチは不要。何しろ、朝食が充実しているので、昼時になってもおなかが空かない)歩数としては、6000歩〜8000歩が理想なのだが、そんなに歩ける場所がない。道がないのだ。宿から山側(西)に行くと、閑静な住宅街。南に行くと田んぼ、田んぼ、田んぼ。北側は行き止まりで、山裾から東へ行き、南北を貫通する道路に出てさらに北に進路を取ると、宿のある地域から離脱することになる。宿の西側にある民家群(山の中腹)広大な土地に瀟洒な建物(田舎なのに!)広い庭には、ルンバならぬ自動芝刈り機がそんな地域でのウォーキングなので、せいぜい40分、5000歩ほどで宿に戻ってしまうのだ。宿でスマホのMAPアプリを開き、何度もウォーキングルートを画策するが、大抵最後は同じルートで宿に戻るしかない。致し方なくウォーキングをスタートさせる。車道のある南側へ進路を取るのだが……。民家のある場所を抜けると、田んぼばかりの景色になる。植えられたばかりの苗が風にそよぎ、張られた水には空が映る。……音がない。民家の中からも音が聞こえないし、田んぼのある風景にも音が伴わない。夜になると、カエルの鳴き声や虫の音が聞こえるのかもしれないが、昼間は、全く音がない世界が広がっている。たまーに通る車も、エンジン音がないので(ハイブリッドばかり。消音設計になっている)、こちらが安心するほどの音量が得られない。……人がいない。田舎ほど歩く人がいない。皆車移動だからだ。昔は稼働していたであろう商業施設もいまでは廃墟と化しているし、ついこの間まで営業していたであろう飲食店も売りに出されている。民家も人気(ひとけ)のないものが多い。外国の小説の一節で「見えない恐怖より、聞こえない恐怖の方が勝る」というのを若いときに読んだことがあるが、都会に生活する虫けらには実感を持った理解に及ぶことはなかった。しかし、田舎では、それが実感として転がっていた。音のない世界では、時間や思考が歪むように思う。自分がいる世界が現実か、空想か、肯定不能になる。スマホの中にだけ、虫けらの通常の思考と、時間の現実があるように感じる。恐ろしい世界だ。そんな、大げさにして空虚な感覚の中に、いやな、見たくない現実が飛び込んでくる。ここにもあった。のどかな風景に似つかわしくない都会では見ないものだ。民家や田んぼのはざまに、こんなものが。田舎はどこも汚染されている。前回の湯治場にもあった。人が生活する場所に、堂々と居場所を見つけたこれらが。暑い、というほどではない気候だが、7km/hの速度で歩くと、それなりに汗をかく。宿に戻ったら、すぐさま温泉へ。そして、部屋でビールをプッハーッとやる。そんな日々を3日間過ごした。贅沢な時間である。24歳までは勤め人。24歳で会社を興してからは、休みのない人生を送ってきた。ゴルフや旅行で休みたいと思えば、当日朝まで徹夜するしかない、という多忙な人生。連泊などもってのほか。出張と偽って(従業員に言い含めて)旅に出ても、「電話をくれ」としつこいクライアント。旅先で電話とその対応に時間を取られ、観光などもってのほか。飲食店に転業してからは、さらに休むのが難しくなった。「自由業なんだから、好きに休めるでしょう」と、よく言われたが、だからこそ休めないのだ。自分勝手に休めば、それが客に伝わり、「不誠実」という烙印を押される。そんな人生を過ごした後の静かな時間。もちろん、いまでも営業を続けているし、客からの要望にも応えている。しかし、これまで40余年過ごした怒涛の日々とは一線を画す穏やかな時間。贅沢この上ない。まだ元気なうちに、もう少し湯治旅を楽しみたい。そのうち、本格的な泉質、本格的な湯治宿を求めて九州にでも行きたいように思うが、いまは、普通の温泉、普通の宿の方が気楽でいい(本格的な湯治宿は自炊が基本。上げ膳据え膳が最高ー)。今回は4連泊にしたが、まだ少し少ないように思う。次は5連泊にするか。どこに行こう。三朝温泉に再度チャレンジするか。夏休みを越した、9月か10月……。そんな先、虫けらは元気にしているのだろうか。ま、そんなことを懸念していても、何事も始まらないし終わらない。次の行き先には、何を求めよう。あ、行楽のシーズンにはまってしまうな。景観地は外そう。名物料理のある宿はダメだ。交通機関の混む地域もNG。え、どこに行けばいい?11月まで延期か。いやいや、何としてもそれまでに。。 杞 憂
2025.06.22
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大阪駅から鳥取駅までは、特急「スーパーはくと」でおよそ2時間。鳥取駅から湯治宿の最寄り駅までは在来線で30数分。在来線に乗り換えると、車内は意外にも混んでいた。前回と同じ曜日、同じ時刻の列車なのに、乗客は前回より3割増といった感じ。沿線でイベントでも開催されるのだろうか。そんな中、進行方向と逆方向ではあるが虫けらは座席を確保できた。特急でもないのに、ボックスシートになっているのだ。斜向かいには年配のご婦人が座っておられるが、座るときに「失礼します」と一言挨拶をしたら、こちらを向いて小さくうなずかれた。ご婦人は自治体が発行しているとみられる新聞を一心に読んでおられる。逆方向に目を向けると、前方(進行方向で言うと後方)の席では二人のご婦人が駅弁を召し上がっていて、横のボックス席の男性二人とお連れのよう。四人で割と賑やかな会話を繰り広げておられることから、旅行と見られる。虫けらの横のボックス席には女性が二人。虫けらより少し上かな、という年頃。虫けらからよく見える女性は標準語。虫けらと並んで座っておられる女性の声は一向に聞こえないのに、標準語の女性の声は絶え間なく聞こえる。“うるさい”というほどではないが、話の内容が全て聞こえてしまうという何とも気になる状況だった。●娘への教育方針●娘の考え方●結果と現状という、結構ヘビーな話題ながら、どうも随分昔の話のようだ。ご婦人の年齢からすると、30年以上前か。余り聞かないようにしようと、イヤホンで聞いていた音楽の歌詞を見てみたり、Xのタイムラインをチェックしたりしていたので、全ての会話を聞いたわけではないが、概ね「自慢話」だったのだと理解している。つまり、「自分の娘は優秀だ」という話をエピソードにまみれさせてやんわり語ったということだ。が、虫けらにとって標準語はとてもストレートに聞こえるので、やんわりではなく、ダイレクトに聞こえたのだが。標準語の女性は、「ここ、どこ?」と、駅に到着するごとに中腰になって車外を見る。駅名標を確かめるためだ。実は、女性が向いている方向(車両の前方)に電光掲示の料金表があり、到着駅の名称が表示されているし、虫けらが向かっている方向(車両の後方)にも駅名が表示される。土地勘がないからか、注意散漫なのかそのことに気づかずに、停車駅ごとに大騒ぎである。『どこまで行かれるのかなぁ』と何気なく思っていたのだが、虫けらが降りる駅の手前で食べていたお菓子をカバンにしまったり、温泉の話を始めたりしたので、ちょっと嫌な予感に襲われていたのだが……。かくしておばさま方は虫けらと同じ駅で降車した。その駅には、有名な温泉地の名称がついている。が、虫けらが宿を取った温泉の名称は別だし、大変ローカルな場所にある。既に書いたが、駅まで迎えの車を宿にお願いしていた。が、虫けら一人のために車を出してもらったのではないかと心配になるほど、マイナーな温泉地なのだ。おばさま方は、きっと有名な温泉の方に行かれるのだと自分に言い聞かせながら、キャリーバッグをゴロゴロさせ、乗車券をバッグから取り出して切符入れに投入(無人駅)、宿の車の待つ場所に移動した。迎えの運転手が虫けらの顔を見るなり、運「◯◯さんですか?」虫けらの名前を告げてくれたので、虫「はい」と言うと、運転手がキャリーバッグを持ってくれたので、いそいそとマイクロバスに乗り込んだ。あっ!!いるではないか、おばさま方。虫「お待たせしてすみません」と言うと、手前に座っていた標準語のおばさまが笑顔で「いえいえ」的な言葉を返してくれた。しかし……、なーんか嫌な気分で宿に向かう。結果、このご婦人たちとの絡みは4度もあった。1度目は食事のとき。隣のテーブルだったので、会話がまる聞こえ。2度目は食事が終わって浴場に行ったとき(⑤19:30、しかしこの日だけは20:30だった)。おばさま方ともう一人、計3人が浴場におられたが、虫けらが入ったときにお一人が退出されたので、おばさま方と虫けらの三人になった。虫けらは食事前に大浴場に行っているので、体をさっと洗ったら、すぐに湯船へ。「展望風呂」という名称でありながら、全く何も見えないことにご不満な標準語のご婦人がしきりに窓ガラスに湯をかけて曇りを取ろうとしている。(翌朝に判明したのだが、日中は外から中が見えないフィルムガラスになっていて、中が明るい状態だと、中から外が見えない)何も見えないので、諦めて静かに浸かると思いきや、洗い場にいるもうお一方にしきりに話しかける。虫けらは、うるさいなぁと思いながら声をかける。虫「どちらからお見えですか?」標「え?(話しかけられてびっくりした表情) あ、私は東京です。彼女がこっちの出身で…」虫「そうですか。落ち着いたいい温泉場ですね」標「ええ。彼女の推薦で」多分、標準語のご婦人は、ちょっと意外だったのではないか。ひなびたにもほどがあるだろ! とでも思っているように虫けらは思った。標「先に出ていい?」洗い場の相方様が相「うん、どうぞ」初めて声を聞いた。別に大人しそうだとか、遠慮がちとかといった感じではなく、普通のご婦人だった。洗い場のご婦人は、急いで洗おうというふうでもなく、マイペースで体を洗い、洗髪をし、湯船には入らずに脱衣所へ。脱衣所から、標準語のご婦人の声がしきりに聞こえた。5分ほどしたら静かになったので、お二人とも浴場を後にされたのだろう。3度目は早朝の入浴(①5:30)。浴場のドアを開けたら、お二人がいらっしゃるので、『こうも一緒になるものか』と半ばがっかりした。ここでも、標準語のご婦人は騒いでおられた。朝日で照らされた景色を見ながらぶつくさ。「展望」と銘打ちながら、見えるのは民家と山と空だけ。虫けらも軽く落胆したので、気持ちはわかる。しかし、朝日に照らされる建物や鳥のさえずりはとても心地よかった。4度目は朝食時。また隣の席なので、話が丸聞こえ。とにかく言葉の多いご婦人だった。相方のご婦人の声は、数回しか聞こえなかったと記憶している。どういう間柄だろう。虫けらが一緒に旅行に行ったことがあるのは、小学生時代からの友人と、専門学校時代の友人の二人だけ。食事や映画くらいなら、大して人を選ばないが、旅行となると、居心地の悪い思いをするのが嫌なので、相手は限定される。あの、声の聞こえないご婦人は、この旅行をよしとしているのだろうか。ま、人の心はわからない。が、虫けらが標準語のご婦人と二人で旅行するのは嫌だ。虫けらは割と聞き役なのだが、あんなマシンガントークを傍らでされたら、きっと耐えきれないと思う。しかも、発する言葉がわがまま風味なのだ。『一人でよかった』と、改めて実感した虫けらであった。 安 堵
2025.06.11
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前回にも書いたが、連泊の楽しみというか、特権というと、昼間に温泉に浸かれるということ。虫けらが主に通っていた浴場は10:00〜11:00が清掃時間なので、11:00を狙って浴場にダッシュする。きれいになった浴場を独り占めして温泉を満喫するためだ。かくして、11:00よりも早いかも、というタイミングで浴場に滑り込む。「え!」下足場にもう靴がある。靴があるということは、入浴客である。宿泊客は、宿のスリッパで浴場に行くからだ。がっかりである。脱衣所は、カゴに着衣を脱いで入れるだけの日本ならではの簡易な仕様。見るともなく見ると、先客のご婦人のカゴからは、黒にシルバーが混じったハイゲージのニットセーターが見えた。シルバー色の靴も、かかとの低い上品なパンプス。『50代か60代か…』と考えつつ浴場に入る。右の洗い場にご婦人がおられる。年齢は、大外れだった。多分、80代か…90絡みだと見た。ご婦人の横に桶と椅子が積んであるので、それを取りに行く。虫「こんにちは」婦「あ、こんにちは」視線を合わせるも、虚ろな感じでこちらを見ておられる。桶を置く台の上にのせられたシャワーヘッドからは無意味に湯が流れ出ている。ご婦人は、無心に体を洗っておられる。虫けらは3時間前に入泉しているし、体や髪を洗うのは、ウォーキングに行った後(④13:30)なので、簡単に体を洗ってから湯船に。この時間帯(③11:00)はジェットバスの勢いが強いでの、胃腸の調子をよくするために、背中にジェットバスを当ててじっとしていた。5分以上たってふと気づく。ご婦人はまだ体を洗っておられるのか。気配でわかる。横目でちらと見ると、垢すりタオルを手に、体をゴシゴシゴシゴシ。このタイプの垢すりタオル。ミトンタイプと違って、背中もゴシゴシできるそんなにこすって大丈夫なのか?虫けらが体を洗う時間など、せいぜい2分程度だと思う。虫けらが浴場に入る前からだから、7分以上はこすっておられるのではないか。虫けらはクールダウンのために湯船から出てご婦人と反対の左側の洗い場で洗顔をし、シャワーの温度を下げて水を浴びる。冷たいのは苦手なので、30秒ほどで切り上げ、また湯船へ。今度は景色を楽しんだり(楽しむほどの景色ではない)、給湯口に近づいて、熱めの湯に身を沈めたりして再び5分以上を過ごす。ん?ご婦人はまだ垢すりタオルでこすっておられるのか?今度は振り返って凝視した。やはり、まだ垢すり中である。よくよく見ると、ご婦人の肌はすこぶる美しい。白くてもちもちの肌、程よく脂肪がついて90絡みというのに、しわくちゃ感がない。「こうやって、毎日垢すりをしているからよ」と言わんばかりの熱心さでゴシゴシゴシゴシ。しかし、腰の丸まりぐあいとか、お顔とかは、れっきとした90絡みのそれである。これでは、浴場独り占めの時間は来そうにないと見て、退散することにした。20分ほどの入泉を楽しんだので、ま、満足である。脱衣所で浴衣を着ながらふと、「認知症ではないか?」という考えが頭をよぎった。まさか。品のいい靴、おしゃれなニットセーター、認知症のおばあさんの装いではなかろう。しかし…、あの調子だと、1時間以上浴場にいることになるかもしれない。体力的に大丈夫なのか?常連さんなら、宿側も状況を把握しているだろう。連絡先も周知しているかもしれない。が、よく考えたら、垢すりは家でやればいいのではないか。せっかく温泉に来たのだから、入泉を楽しむのが筋ではないか。湯に入らずに、ひたすら垢すりをするのは、やはり思考に異常があるのではないか。「取り越し苦労だな」そう思ってはみても…。スリッパを履いたところで、入浴客が入ってきた。そのとき、ご婦人のことを告げようかと思った。「注意して見てあげてください」いや、迷惑な話だ。そんなに心配なら、自分が見ていればよかろうと言われそうなので、言うのをやめてそそくさと出た。それにしても…、あんなに熱心に垢すりする人を見たことがない。虫けらも垢すりミトンは持っていて、たまに(年に数回程度)垢すりをするが、すぐに疲れるので、主な部分しかしない。垢が出ると気持ちいいし、ツルツルになるが、やりすぎると肌が赤くなり、ヒリヒリする。20分以上垢すりして何ともない肌とは…。90絡みにもなると、効果や危険の何たるかを熟知して生命に挑んでいるということなのかもしれない。ま、虫けらもまだまだひよっこだということだ。次に湯治旅行に出るときは、「垢すり」的修行をプラスしよう。何がいいだろう。うだるほど長時間の入泉、潜泉(潜水)、ヨガ泉(湯船の中でヨガのポーズ)……、迷惑千万。いい修行が考案できない。近所に銭湯でもあれば、他人の行動をウォッチできるのだが。あー、大きい風呂に入りたい。郊外なら、スーパー銭湯もあるだろうが、市内には、数えるほどしかないし、行き帰りに電車に乗るのは苦痛だ(入浴後は化粧したくない)。銭湯文化、戻ってこないのが口惜しい。 南 無
2025.06.09
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今回の湯治旅に選んだ宿は、本館に「大浴場」とそこから外に出る扉があり、その先に「庭園風呂」(露天風呂)、新館に「展望風呂」がある。虫けらに与えられた部屋は新館の3階の最も北の端にあるツインの洋室。本館の大浴場は、1階の南の端にある。端から端への大移動である。チェックインした後すぐに大浴場に行ったが、結構な雨が降っていたので、露天風呂に入るのは諦めた。というのは、大浴場からすぐの場所ではなく、少し歩かねばならないのだが、野趣溢れるしつらえの露天風呂なので、土や草の見える濡れた石の通路を歩くことは虫けらにはゾッとする行為だったのだ。(何度かここにも書いているのだが、虫けらは濡れた土や草や木々が苦手。苔なんぞが見えた暁には、スタコラサッサと逃げ出すという醜態を披露する)というわけで、大浴場でゆっくり、と思ったのだが、この宿に限らず、田舎の温泉宿は入浴だけの客を受け入れていることが多く、大浴場と銘打ちながら、5人ほどで満員になる小さな浴場に先客が3人いた。おばあちゃんと娘、孫娘と見たが、3人がそれぞれ勝手な動きをし、浴場を占拠している。虫けらは、顔も体も頭もきちんと洗い、湯船に浸かろうとしたときは、孫娘とおばあちゃんは洗い場でおしゃべり、娘は湯船にいた。遠慮しつつ湯船に入り、割と高い温度(といっても、43℃程度)のお湯に静かに浸かった。やがて、先客たちが浴場を出て脱衣所へ。時間を置かないと、今度は脱衣所が満員になる。10分くらい、脱衣所に人影があったので、ずっと湯に浸かっていたのだが、湯から出たら、腕がピリピリした。そのときは見た目の変化はなかったが、部屋に戻ったときに確認すると、赤いポツポツができていた。隆起はしていなかったのだが、ピリピリ感は残っていたので、肌に合わない成分があったのかと思った。宿のしおりを見ると、本館の大浴場は完全な掛け流しのようで、濾過はしていないと書かれていた。対して、新館の展望風呂は濾過しているようだ。夕食の後、展望風呂に行ってみた。大浴場に比べると、新しい感じがする展望風呂は、大浴場の半分くらいのスケールで、洗い場も3つしかないのだが、明るくて、入りやすい雰囲気だった。が、脱衣所の洗面台の蛇口を見ると、阪神淡路大震災の前にできた施設であることがわかり(レバー式の水栓の場合、下げると水が出るのは震災前の仕様)、新館といえども30年以上の歴史があるのだと認識できた。こちらのお湯では肌はピリピリしなかったので、それ以後、こちらばかりを利用した。夜の入浴のときには、パワーが弱かったので余り気にとめていなかったのだが、展望風呂にはジェットバス、つまり、気泡の噴出口があり、これを背中に当てると、胃腸の調子が大変よくなる。清掃が済んだ昼前から夕方までは、ジェットバスのパワーが強いので、入るたびに背中にあて、ウォーキング後は足の裏にもあてた。おかげで、足の疲れも取れて就寝時に足が浮くこともなかった。肩にもあてたかったのだが、噴出口を肩の位置に合わせると、顔を湯に潜らせないといけないので、これは諦めた。4泊の間に23回入泉した。肌の調子がよくなることはなかったが、胃腸の調子はずっとよかった。泉質によるもの、というより、体温が上がったこと、血行がよくなったことが主因だと思う。ほかの効能は……気づかなかった。リウマチ性疾患、運動機能障害、神経麻痺、神経症、疲労回復、病後回復期主に、上記の効能が記されていたが、こちらに障害がなかったので、効果のほどはわからなかった。抗がん剤の副作用として残っている、指先の痺れ(末梢神経障害の一種)は残念ながら消えはしなかった。胃腸が弱い虫けらにとって、旅の間ずっと胃腸が快調だというのは、大変うれしいことだった。しかし、入浴客を受け入れるのは、15時までにしてほしい。15時以降、夕食までの時間は、宿泊客と入浴客で大変混雑するのだ。24時間入浴可の宿での連泊のメリットというと、朝〜チェックイン前の時間帯の浴場は独占できるというものなのに、4日とも、必ず入浴客がいた。がっかりである。しかも、清掃後すぐの時間を狙っても、既に先客がいる。多分常連さんなのだろう。その人たちの来訪に合わせて清掃を終えるのかもしれない。(知らんけど)そうなると、深夜の入浴にかけるしかないのだ。深夜の温泉は、若干温度が低い。熱い温泉が好みの虫けらにとっては少し物足りないのだが、贅沢は言えない。浴場を独り占めできるありがたさを噛み締めながら、静かな湯船で無心になって入泉を楽しんだ。ただ、部屋が洋室なので、温泉後のひと時をベッドの上で過ごすしかない。畳の上で寝そべったら気持ちいいだろうな、と思いつつ、ベッドにタオルを敷いて汗でシーツが濡れないように気をつけながらスマホやPCでYouTubeを観たり、ブログをしたためたりする時間を過ごした。前回は3連泊だったが、今回は4連泊にした。次は5連泊……、難しい。それだけの日数、自宅を空けるのも心配なのだが、何せ宿泊料が半端ではない。二人部屋を一人で使うのだから、若干割高になるのは仕方ない。素泊まりも考えはしたのだが、田舎すぎて周辺に食事のできる施設が皆無。地図で調べたが、3.7km北に道の駅があるが歩いて行き来するのも、4日間通うのもちょっと無理がある。朝食と夕食付きにすると、それなりのお値段になる。ひょんなことから、食事の価格を知ることができた。朝食は1,300円、夕食は5,000円だそうだ。結構な価格である。朝食。おかずが多い(12品)。ライスマネジメントが大変夕食。この日は、蛍烏賊と丘ひじきのぬた和え、水蛸造り、煮穴子柳川風鍋、鹿山そば、鹿野地鶏塩焼き、白烏賊下足天、吸い物、ご飯・香の物、デザート毎日満腹で、ランチなど不要だった。これだけ食べても胃腸が快調だったというのは、温泉のおかげだと思う。帰阪して体重を計ると、1kg増えていた。(4日で元どおりになったが)1kgくらいの増量で済んだのは、温泉とウォーキングで代謝を上げたからかな、と思っている。泉質が虫けらの病気に合ったものだともっとうれしいのだが、それを求めるなら、東北方面に行くしかないか…。昔は当たり前のように存在した銭湯だが、今となっては貴重な存在だ。家の風呂にはない機能があるのに、日本人はやすやすと手放してしまった。都会では、大きな風呂に入るのは至難の技だ。しかも、心が女の男が侵入する恐怖もある。厄介な世の中になったものだと痛感する初夏の昼下がりである。 鬱 々
2025.06.06
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一般的な湯治旅がどういうものか、湯治のプロならどういう旅にするのか、全く理解せぬまま2回の湯治旅を決行した虫けらではあるのだが、前回と同様、しかし、ちょっとだけ変化があった今回の虫けら湯治旅の中でも、「温泉」について書いていこう。「湯治」と銘打って旅に出ている以上、入泉スケジュールを中心にプランするのが当然。前回の宿は、23:00〜5:30は利用できなかったので5:30〜23:00の17時間余りの間に何度入泉できるか(しかも、9:30〜10:30は清掃時間)を綿密に考える必要があった。が、今回の宿は、24時間入泉可能との表記。もちろん、清掃時間はあるだろう。しかし、チェックアウト前後から昼までの間に設定されているはずだ。つまり、23時間ほどは入泉できることになる。虫けらが主に入っていた温泉。浴場はもう一つある。窓の海のように見える青いところはフィルムで目隠しされている部分。景色は民家と山と空。で、事前にスケジュールを組んでみた。朝食は7:30〜と8:00〜の2パターン。夕食は18:00〜から15分ごとに19:00の5パターン。どちらも最も早い時間を選択。↓入泉スケジュール①5:30②8:00③11:00④13:30⑤19:30⑥23:00⑦2:00④のみ、頭髪も体も顔もフルで洗う(30分ほど)が、あとは簡単に洗浄して湯船にちゃぽんのみ。総時間20分以内の入泉である。にしても、7回は多いようにも思う。⑥を外したことがあるが、ほぼこのスケジュールで入泉した。結果……寝不足になった。②〜③の間に眠りたいのだが、備品の交換で係員が来るので、眠れなかった。③〜④の間は外出(ウォーキングと買い物)するので、④〜⑤の間に少し眠ろうと思うのだが、メールチェックや返信、YouTubeの視聴などで、すぐに時間が経過する。前述のように、⑥を省く日があった。宿泊客が多い時は、混雑する時間帯だからだ。その代わり⑦は、多少時間が前後しても浴場独占で、ゆったり入泉できる。ここは外せなかった。①の、朝日と鳥の囀りの中の入泉も外せない。というわけで、寝不足は必至なのだ。これを解消するには…、通信機器を持参しないことくらいしか思いつかない。それもいいか。次回の湯治旅のときには検討しよう。温泉旅をされた方の中にはこのスケジュールに疑問を持たれた向きも多いかもしれない。「こんなに入泉して、湯あたりしないの?」そう。湯あたりしそうな入泉回数である。が、結論としては、湯あたりしなかった。根拠はないのだが、「アクアソリタ」が効いているように思う。1日に2本/1000mlを入泉後に飲んでいた。酒を控えたのもよかったのかもしれない(とはいえ、夕食時以外に、ビールロング缶2本/日は所望)。汗かきになった。サウナ効果と同様だと思う。日に6度も7度も温泉に浸かっていたら、汗腺も開くというものだ。前回同様、今回の温泉の泉質も大したことはなかった。泉質 単純温泉(低張性・弱アルカリ性・高温泉)泉温 60.5℃(気温21.0℃)適応症 リウマチ性疾患、運動機能障害、神経麻痺、 神経症、疲労回復、病後回復期がんに効くとか、どこそこのがんに有効とかの効果効能はないのだが、泉温が気に入った。前回はちょっとぬるかったのだが、今回は…、と期待した。が、虫けらの望むほどの温度ではなかった。45℃くらいだったら、理想的だったが、43℃くらいが限度だった(朝・昼・夜で温度が変化する)。が、前回同様、胃腸には大変よかったように思う。細かなことは次回に。毎日温泉に入りたいなぁ。せめて、自宅近所にもスーパー銭湯か銭湯があったらなぁ。…都会には望むべくもなく。 寂 寥
2025.06.03
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湯治旅から帰ってきた。さまざまな想定から行った準備だが、旅を終えて、その準備がどうだったかをお知らせする。◉キャリーバッグカバーカバー購入の経緯は、前回をご覧のほど。700円くらいの安物天気予報では、出立日は雨の予報。朝10時過ぎに家を出る予定だったのだが、前日から激しい雨が続いていた。当日朝、いよいよ出かける準備を始めても、一向に雨がやむ気配がなく、カバーをかけて出るか? と思っていたら、家を出る寸前に奇跡的に雨がやんだ。道路は水たまりができるほどの濡れ方だったが、駅の入り口までは100数十歩なので、再び雨が落ちてくる前に駅へと続く地下道に入ることができた。大阪から列車に乗ると雨。やみ間にはまって助かった。移動中、雨はずっと降り続く。旅先の最寄駅でも雨。小雨だったが、迎えのマイクロバスが来てくれていたので、駅舎から数歩でバスに乗れた。宿に着いたらすぐに本降りとなった。危ないところだった。宿での4泊の間はずっと晴れ。ウォーキングも爽快だった。帰阪する朝。宿を出るときは「間もなく雨」といった空模様で、列車に乗った途端、雨が降り出した。3時間ほどの乗車中、雨はずっと降り続いていて、大阪に入ると、雨脚が強くなった。「どこでカバーをかけようか」と思いつつ、天気予報を確認したら、自宅の最寄駅に到着するあたりで、15分間くらい雨がやむという。最悪の場合、最寄駅でカバーをかける覚悟をして、大阪から地下鉄に乗る。スマホで空模様を確認すると、ちょうど雨がやんだタイミング。地上に出ると、雨は降っていなかった。急ぎ足で自宅へ。自宅へ戻った途端、また雨が降り出した。結局、カバーは使わなかった。購入は不要だったのか。いや、準備していたから雨に見舞われずに済んだ、と思うことにしよう。あ、忘れていた。虫けらは晴れ女だった。それも強烈な。◉携帯スリッパ当然宿には備え付けのスリッパがある。前回の旅で経験したのだが、「茶色、つま先開き、ビニール」のスリッパは、使い古されていて『消毒済み』のカバーなどなく、実に気持ち悪い。昔夫が、地元のクリニックで同様のスリッパから水虫を移されたことがあった。スリッパを履くときは、靴下の着用が必須なのだが、温泉に入った後は、素足で履きたいものだ。で、携帯スリッパを所望。軽くて、かさばらないものを探した。800円くらいの安物これは大正解だった。和室なら、宿の廊下を歩くだけなので我慢して備え付けのスリッパを使うが、洋室だったので、部屋ではこれをずっと履いていた。履き心地がとてもよく、軽くてフワフワだ。虫けらは靴下が苦手。冬でも、できるだけ裸足でいたい。このスリッパのおかげで、とても快適に過ごせた。洗えるようなので、次回の湯治までに洗濯して、また持参したい。◉タオル温泉への行き帰りは、浴衣を着用する。汗取りの役目を担ってもらうのだが、2時間もあれば大方乾く。部屋では、汗が引くまでタンクトップと短パン。首にはフェイスタオル。ベッドに腰掛けるのだが、シーツが濡れないようにミニバスタオルを置く。フェイスタオルを2枚、ミニバスタオルを1枚、タオル研究所のちょっといいフェイスタオルを1枚。前回の湯治では、これで事足りた。使ったタオルをタオル掛けに掛けておくと次に使うときには乾いていた。しかし今回は、完全に乾くことがなかった。よく考えたら、前回はエアコン(暖房)を日に数時間つけていた。そのせいで、よく乾いたのだ。今回は、全くエアコンを使わなかったし、湿度が高かったのかもしれない。宿にコインランドリーがあったが、それを使うほどの量でもないので、次回はもう2枚ほどタオルを増やそう。それと、部屋に浴室がないので、干す場所も用具もない。この対策も考えておく必要があろう。としても、前回で得た教訓通りにタオルを持参して大正解だった。これまでの旅行では、部屋に浴室がついていることがほとんどで、部屋にバスタオルとフェイスタオル、温泉の脱衣所にもバスタオルとフェイスタオルが用意されてあって、使ったらそこで回収されるというシステムだった。1泊旅行なら、下着と簡単な化粧品くらいしか持参しない人間だったので、ここ2回の湯治で、意識が変わった。ま、予算的なことがあって、設備の整ったホテルを選ぶことができないという背景があるのは確か。贅沢は言えないのだ。◉経口補水液虫けらは、「アクアソリタ」という経口補水液を定期購入している。200円/500mlくらい。高い抗がん剤治療中は、肌が異常なほど乾燥するので、できるだけ効率よく水分を摂る必要があると考えたのだが、治療をやめた今でも定期購入を継続している。実は、肝臓関係の数値が上がったことがあり、「脱水」が一つの要因であることがわかったからで、酒は浴びるほど飲んでも、水はさほど飲んでいなかったので、朝の経口補水液習慣を続けているのだ。ところが経口補水液という奴は、とても高価だ。1本ずつ購入するのは、価格的にも物理的(持ち帰りが大変)にも大変なので、Amazonで定期購入して、わずかながら価格を抑えている。前回もこれを持参した。今回は、8本、4kg。なかなかの重さであるが、行きだけの問題だし、アクアソリタの収納スペースは、帰りには、土産物の居場所だ。結果、8本は全て飲み干した。これをコンビニで購入するのは大変。旅先は田舎なので、コンビニまでも相当の距離がある。キャリーバッグならではではあるが、次回も荷物の一つにしよう。◉手土産これまで、毎年海水浴に訪れていた(10年間)、民宿以外、手土産など持参したことはなかった。しかし今回は、少し特別だった。旅先の最寄駅までの迎えの車を依頼したのだが、ひょっとしたら、虫けら一人のために車を出してもらうことになるかもしれなかったのだ。これまでも迎えの車に乗せてもらったことはあったが、他にもたくさんの同乗者がいて、乗合バス的な捉え方ができた。前回の旅で、虫けら以外の客は皆車を使っての来訪だったことを知り、車で旅することも検討したのだが、前回記したとおりの状況で、今回も列車の旅にした。そこで、虫けらだけのために車を出してもらった、という想定で、手土産を用意することにした。多分現地にはないであろう「KALDI」のドリップコーヒーと『ラグノオ ポロショコラ』を購入。どちらもKALDIの人気商品宿のスタッフ全員に、となると、とてもこんな物では足りないが、「送迎のスタッフの方でお茶時間に」という体で運転手さんに渡そうと。宿に到着すると、運転手さんが虫けらのキャリーバッグを車から降ろしてくれた。それを受け取ると同時に紙袋を差し出す。虫「スタッフの方々とお茶の時間にどうぞ」と。運「いいんですか?」と少し躊躇。そこに、年配の女性が挨拶に出てきた。年「よくお越しくださいました」運「これ、お客さんから」年「あらー、よろしいんですか?」大ごとになってしまった。虫「いえ、あ、少しで申し訳ないんですが…」ゴニョゴニョ言いながら玄関に入ってしまった。こういうことも考えて、たくさん用意すればよかった、とも思ったが、初めての宿でそんな大仰なこともおかしかろう。が、このささやかな土産が、割と効いたように思う。土産物を受け取ってくれた年配の女性が、この後も大変親切にしてくれた。コーヒーがおいしかった、という感想もくれた。次回、もしこの宿に訪れることがあれば、数量と内容を熟考しよう。ふむ。※(結果的には、もう一組の同乗があった)こんな、とてもローカルチックな話が他人様の旅行の参考になるとは思わないが、小さなヒントになればと。。ならないか。 無 益
2025.05.31
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「雨が降るかもしれない」ふと、虫けらは考えた。前回の湯治を計画したときには、雨のことなどつゆほども考えなかった。ぬかっておったといえばそうなのだが、季節的に雨にならぬだろうと楽観視していた。しかし今回は、梅雨時が近いこともあるし、この5月は例年より気温が上がらず、寝具の交換をいつもより遅らせたり、初夏の装いから、春先の装いに逆戻りしたりと気を使うことが多かった。そんなこんなで、旅行に際しては気候異常を考慮しなければならないという意識が働いたのだ。今回も、Mサイズのキャリーバッグをゴロゴロしながら行く列車の旅を予定している。雨が降ると、傘を差しての移動となるので、結構厄介である。これまでは、車を使った旅がほとんどだったので、雨であろうが、台風であろうが、荷物や服装にさほど気を使わずに済んだ。そこで、車での旅を考えたりもした。大阪でレンタカーを借りるのは容易なのだが、旅行先で返却できない(レンタカー屋がない)ので、旅行期間中ずっと借りることになる。すると、大層な料金を支払うことになるので、これはNG。湯治のことを話したら、「車、貸してあげるよ」と言ってくださったやさしいお客さんがいたのだが、数日間借りっぱなしになるのは申し訳ない。1日、2日なら厚かましくお借りするが、今回の湯治は4泊を予定しているので、そこまで面の皮を厚くすることはできなかった。というわけで、準備しないといけないのがキャリーバッグの防水カバーだ。それと、靴を防水スプレーで防御するのも忘れてはいけない。すぐさまAmazonで探す。そして、楽天で同じ商品を検索。防水スプレーはAmazon、キャリーバックの防水カバーは楽天。準備万端。あ……、着ていく服がない。そう。この12年間、店に没頭していた余り、外出や旅行に使える衣服がほとんどないのだ(何度かここにも書いているが、つくっている料理の性質上、黒〜ダークな茶色のジャブジャブ洗えるトップスとパンツしか持っていない)。前回の湯治のときは、ジャケットを購入したが、あとはあるもので何とかした。今回は、全くない。この微妙な季節に着る服……。この3月に、Amazonのプライムセールで購入した春〜夏物のスカートが1枚。昨年の秋口に購入した羽織れるタイプのシャツが1枚。インナーは何とでもなる。しかし、4泊する予定だし、日中の外出時にも行き帰りとは違う普段着に近いものが必要だ。それと、食事が部屋食ではない場合、食堂に来ていく服も必要。こちらは部屋着クラスでいいのだが、手持ちのヨレヨレのヤツらでは恥ずかしい。少しきちんとしたものを…。ま、これは、死出の旅のときにも利用できるので、そういうカテゴリーで探そう。ショップから着たメールで、いいな、と思ったパンツを購入しようと思ったら、『6月上旬から順次発送します』だと。間に合わんではないか。暑くなる場合と、気温が上がらない場合を考えないといけない。訪問先は、どんな気候なのか、Yahoo天気予報で見てみる。大阪とは随分違う気候だと確認。ジャケット不要の時期こそ厄介だ。もういい!!あるもので何とかする!しかし…、食堂で着る想定の部屋着のみAmazonでポチッた。あ! あ! あ!頭はどうする!?ヘアバンド作戦だ!行き帰りはウィッグとハンチングでごまかす。風呂上がりは汗取りヘアバンド。食堂では、ちょっとおしゃれなヘアバンド。どうだ!どうだというほどではないが、そうするよりほかない、ということだ。Amazonでポチる。女の旅というのは、本当に厄介だ。「誰も見てへんてぇ」わかっている。しかし、見られていることを意識するのが女なのだ。それを忘れてしまったら、おばはんになってしまう。まだ、おばはんはいやだ。いや、同級生の中には、立派な「おばあちゃん」がいる(孫がいるという意味)。……ふん。かくして、旅に出立する日の朝まで悩みに悩む虫けらなのであった。 不 毛
2025.05.25
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昨年の12/20に受けた抗がん剤治療を最後にずっと治療を休止したまま。というのは嘘で、先月初めの診察のとき、虫「抗がん剤はやめます」怖「もうしない?」虫「はい」というやりとりをもって、治療を終了した。抗がん剤治療を始める前、虫「外科治療は無理として、 ほかの治療法は全くないですか?」怖「はい」虫「放射線も?」怖「(固形がんの)数が多いからねぇ」虫「陽子線や重粒子線も?」怖「(首を横に振る)」つまり、抗がん剤治療以外に選択肢がない、と怖い主治医は言ったのだ。で、最初のやりとり。あとは、がんのやりたいようにやらせるだけ。スッキリした。というのも嘘のような気がする。先月の怖い主治医とのやりとりの翌日、朝9時からどんどん熱が上がり、昼前には39℃を超えた。ようやく36℃台に下がったのは翌日なので、丸一日、熱発に苦しめられた。というのも嘘だ。熱はありながら、夕方には酒を飲んでいたし、熱以外の症状もなかったので、さほど心配をしなかった。体重の減少も1kg程度だったので、病のうちに入らない。きっと、怖い主治医とのやりとりに対して相当のストレスを感じていたのだろう。多分、知恵熱的な熱発だと考えられる。もしかしたら、治療終了の知らせを感じたがんたちが狂喜乱舞したのかもしれない。いずれにしても、抗がん剤の副作用から徐々に逃れつつある昨今である。【残る副作用】抗がん剤治療4ヵ月余り、最後の治療から5ヵ月弱。なお残る副作用を列記する。●手指先の痺れ冷たいものに触れると電気ウナギをつかんだような(知らんけど)ビリビリ感が走っていたが、これはもうない。この症状の原因となる抗がん剤は「オキサリプラチン」だが、いまも指先に残る痺れ(洗濯バサミで指先を挟んでいて外したときのような圧迫感)は「フルオロウラシル」が原因だと思われる。指全体から徐々に指先に痺れの範囲が絞られてきているので、あと数ヶ月で消滅するのではないかと思う。●毛のクルンクルン眉毛とまつ毛のクルンクルンは、ようやく落ち着いた。完全に、ではないが、新しく生える毛はストレートになっているようだ。この原因となったのは、「デカドロン」という吐き気どめ。クルンクルンのほか、これまで発毛が見られなかった場所に毛が生えてきたという現象もあったが、これはまだ継続中。恐ろしや、ホルモン剤。●皮膚治療中は、ひどい肌の荒れようだった。顔は、目の周り、口の周りがカサカサになり、皮膚の質が変わってしまった。首から上半身にかけても、保湿剤が切れると粉を吹くほど乾燥してカサカサだった。原因は、「ベクティビックス」。昨年11月後半からは、お尻やもも裏まで乾燥が広がっていたが、今年2月ごろに、うっすい膜のようなものがふぁっさーと取れて元の肌に戻った。が、肌質が変わってしまい。少しの刺激で痒みや赤みを発症する。化粧品を極力使わないようにし、洗顔料にも気を使う必要がある。刺激に弱くなったということは、フェイシャルエステなんかも無理だろう(一度もやったことがないが)。せいぜい皮膚科に相談して、保湿剤や痒み止めをもらうくらいか。がっかりだ。●頭髪4ヵ月かけて脱毛し、残り2割くらいになった。毎朝、洗面所で「オランウータンの赤ちゃんか!」と叫んでいた。こんな感じ(髪のことね)治療中断直後から発毛し出したのだと思うが、気がついたら(3月終わりくらい)、モンチッチになっていた。例に出すのがかわいすぎ?生えてきた髪がなかなかのクセのある奴らで、5ヵ月経った今では、パンチパーマが伸びて緩んだ感じになっている。つまり、変なウェーブのあるオールバックなのだ。おっさんのそれである。クセもさることながら、前髪がまだ短いので、人様にお見せするわけにはいかず、ウィッグを使っているのだが、もう暑くて……。冬の間はウィッグとハンチングの組み合わせだったが、それでは暑いので、昨日の外出時はウィッグなしでキャップを被った。キャップなら、深く被れば前髪がなくても無問題。ちゃんとしたお出かけでなければ、キャップにしようと思う。先日久しぶりにカットサロンに行き、髪型を整えてもらったが、施術してくれたオーナーにオ「なかなか剛毛になってますね」虫「これまでになかったクセが…」オ「もう少し伸びないとわかりませんが、 これは…」と言葉を濁された。厄介である。実は、「副作用」と断定できないような体の変化も幾つかある。人生初体験のことがあったりすると、自身の体の変化を恐ろしく感じたりする。治療前の体調のよさを思い出すと、悔しい気持ちが押し寄せてくるのだ。いたし方ない。これも人生。もっとつらい思いをしている人もいる。嘘を言うな。人と比べたことなどない。これまでの人生を悔いる気持ちもない。治療を後悔することもない。いま、大変幸せである。落ちていた味覚もようやく許せるまでに回復したし、冷たいもので口中や喉が痺れていたのも治り、冷たい酒が存分に飲めるし、皮膚の違和感で夜中に目覚めていた日々も終焉し、睡眠も十分取れているように思う。何より、倦怠感や生活のしづらさが全くない。これは、治療中もそうだったが、薬剤師や怖い主治医にいつも訝しがられていた。入浴の後のビールがおいしい季節になった。夜、好きな人から連絡があったら、ウキウキなのである。……嘘ばかりのブログはこれにて終わり。 空 虚
2025.05.19
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