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冷凍カキとパプリカとネギの塩炒めカキの食感が嫌いと聞いて炒めきってます煮竹の子とセリのお浸し竹の子は頂き物、セリは裏山で収穫いたずら!!ネギ坊主(つぼみ)みなさん大笑い!正体を知ってまた笑い、一機に場が和んだその後も見返してはニコニコしていたピンとこなくなる認知症になる切っ掛け認知症の記憶障がい「思い出せない」「新しいことを覚えられない」と何で恐ろしいのか?自分の身に何が起こるか?分からないと人は不安になる予測するには、過去の経験の記憶と目の前に起きている事を理解する必要がある理解できないと、ちょっとした物音や何かの気配にいちいち不安を感じたり、とんだ勘違いで恐怖するなんて事になる目の前に有るモノが自分にとって利益があるのか?危ないものなのか?細かく知るためには事細かく区別する必要がある形や色、匂いや熱感など区別できて初めて比べる事ができ、興味を持たなければ、そこで終わってしまう例えば今、目の前にAが有ったとしても名前や言葉を忘れる事でAについての記憶を引き出せず、Aについて考えたり感じたりする事ができなくなるAが目の前にあるのに見えていない、見落としてしまう事になるAは危ない事かもしれないし、自分にとって良いことかもしれないのに逃げることも、手にする事もできない危ない事で言えば意味が分からないと、動物は不安や恐怖を本能で感じストレスから行動がおかしくなる良いことについては、目前の喜びや幸福感を感じることができなくなるこの様に感情や行動が現実的ではなく、不合理であったり、時には理不尽になってしまう認知症※一過性であり可逆的なものは、せん妄と言う(※おかしな状態が一時的であり、数時間から数日でもとの状態に戻る。)Aから始まり、B・C・D・・・・・・・と、過去の記憶を失っていくと言う事は、自分自身を失う事になるモノを忘れる上、今見ている事が理解できず記憶できないとなると、過去を失い未来をなくす時間の感覚がなくなってボーっとしてしまう時間が増え、無表情になってしまったら?大切なのは残された時間を「いかに心地良くできるか?」に尽きてくる本能的な介護拒否や介護抵抗生き物は、無闇に自分の身体を触られたり動かされると不愉快だし恐怖を感じるお世話される理由や必要性が分からなくなる認知症ですから、心身両方で本能的な介護拒否や介護抵抗が起きてしまうそうなると、不安や苦痛なしで支援介護するのは不可能になるテキストに限らず、法令でも「可能な限り」「できるだけ」と言う言葉が何度も使われる「できるだけ不安と苦痛を取り除く」事で「よい結果」を出さなくてはならない「良い結果」とは?「心地良さ」理由や必要性が分からず、身体を勝手に動かされ、イヤイヤ介護されるわけですが、最後に「心地良さ」が残れば満足できる事になるこれは脳の回路で、ゴールは快感物質の放出人は明確な目的を持ち手段を選ぶなど知的行動によってゴールに向かう認知症の場合は、本能よりで結果だけの感覚依存になってくるため、自分の「意思や目的が持てない」とか、せん妄などで「選ぶ答えが悪い方へ向かう」事になりゴールの快感物質を出すことができないなのでシンプルでストレートに考え欲張らないほうが良い恐怖と痛みを、できるだけ感じさせないように介護を行い、心地良さにたどり着けば良い事になるところが、それは簡単な事ではない 知識や技術が必要になってくる
2019/05/28
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たけのことセリの煮物 洋子作甘口で美味しかったオクラのエビマヨねっとり感が旨みとコクを増す子供でも分かる認知症 3認知症を受け入れる世界実は、まだ始まったばかり認知症という言葉は、もともと精神病の一つの症状として心理学や精神科医の用語から来ているボケは老化として仕方ないものとは言え、人々は老いを恐れ、目を背け嫌っていた年齢に関係なくボケてしまう場合も有り、その場合は「何かに取り付かれた」とか、「呪い」だとか言って恐れていた今で言う認知症の方やお年寄りを隠し、御祓いで何とかしようするエクソシストや御祓い師の時代が長く続いていた家族が面倒見切れない人は施設が収容し隔離した人間あつかいをしなかった施設は多く、大きなものではドイツ国営の施設で数万人と言われ、世界人権の切っ掛けとなった食べ物に困っている貧しい時代に、個人的にも政治的にも善か?悪か?より、何を犠牲にすべきかの問題だった「日本昔話」にある姨捨山(うばすてやま)は年老いた親を山に捨てに行く悲しい話貧しい時代ならではの習慣(風習)と言われているが、「人として問う」作り話とも言われている生き残る確率を高めている事になるで生物的には間違いではないただ、自然淘汰とは言いがたく、意図的で「人間だからこそ」の道徳問題になる嫌な話は世界中にあったようで、「これで良いのか?」と、ネットにより世界規模で共感・共鳴し、現代の倫理観で世界人権が書き換えられている正解は未来の結果でしか分からない現実的な話では、自分に置き換えて考えることしかできないピンとこない認知症よく例に出されるのはリンゴ日本人の若い女性なら「カワイぃ~!」と言うかもしれないし、さほど好きでなければ「リンゴだな・・・」で終わるだろう「食べる?」かは、同じ人でも気分で行動は変わる見て何を思い、どう行動するか?赤ちゃんの成長の段階から、まず匂いが届けば香りを感じる目が開いて形が分かるようになる色の区別ができるようになると色も判断基準になる名前をリンゴと教わり、実際に食べて経験学習をする○こんな形は丸い、○こんな色を赤と教わる口と言うところからモノを入れるのを飲むとか食べるという食べたときの満足感は美味しい、好きと表現できることを知る皮をどうするか?とか、実りの時期や食べごろなど沢山の情報でリンゴが特定されていく「人間とは?」他の生き物より優れている能力比較し、分析する能力個を特定し細かく区別する識別方法に名前や言葉、さらに文字の発明があるそうする事で頭に情報を蓄えたり、残しておく事ができる沢山の変化に気がつくだけでなく、予測して危ないことを回避し弱点をカバーしたり、狩りや収穫を確実にする事ができる認知症状で情報の名が欠けていくと「あれが食べたい!ほら赤くて美味しい果物」なんて言うことになる色が抜けて「あれが食べたい!美味しい果物」となるさらに何か欠けて「あれが食べたい!美味しいやつ」となれば、何の事か見当つけるのは難しいリンゴを特定していた情報を忘れていくと、リンゴを見たときピンとこなくなるリンゴを見てもピンとこなければ、少なくともリンゴで連想し感動する事はないリンゴを食べているのに、それがリンゴと分かっていないなんて事になるハチが飛んできてもピンと来ないと危険から身を守るとき遅れをとってしまう予測して危ないことを回避し弱点をカバーしたりすることはできないピンとこないことで無関心になり行動制限につながっていく認知症でなくても支援介護ですべき事は知識の裏づけと根拠が有ってピンとこなければ見えてこない!見ていないと言う事になる無関心で仕事に制限があるって事は好ましくない支援介護している人が危なっかしいは良くある簡単に言ってしまえば認知症は、死期を早めてしまうわけですが、人間社会においては時によって、それが悲劇になる 動物的には狩りや収穫ができなくなるだけでなく、食べる行動が欠けて食事介助しないと餓死してしまう認知症が進んでしまうと、放って置けば数日で意識がボーとして、苦しまずに亡くなるかもしれないその選択肢も十分に有るが、そこで「人が問われる?」事になる
2019/05/21
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今では一年中食べられるカツオ値段も手ごろなので月に1~2回は食べるシンプルにする事で色んなバージョンを楽しむ2個入りで150円くらいだったかな?濃厚で旨い支援介護の考え方よく「かわいそう だから」「困っている から」支援介護をすると聞くこれは社会で必要な思いやりの心だけど、ボランティアのレベルであって支援介護の現場では危険な考え方になる「かわいそう」と、何でも手をかすと良いことは何もない相手の意思や行動を無視した支援介護は生命力を衰えさせる身体は動くための働きを失くしていき、心は乏しくなり笑うことができなくなる残るのは不安や恐怖、痛みといった悪いことばかり見守り、様子観察は相手を見極める事なので、不十分だと「活かさず殺さず」と言う悪質なものになってしまう先入観で出来る出来ないを決め付けない!(認知バイアス)今(点)を見るのでなく、過去から未来(線)を見る「今できなかったと言って、もうできない」なんて支援介護は恐ろしい出来そうな事を探す?とは、可能性と未来を探る事になる一歩間違えると、可能性や未来を奪ってしまう事になる不自由な方と接するときは「何ができるのか?」分からないと事故につながってしまうこちらがお節介で手をさしのべたところで相手は本能で動く事もあり、行動がかみ合わず事故につながってしまう相手があり、自分があり、二人三脚である事が支援介護一方的な行動で相手を無視した支援は、恐がらせたり、痛がらせたり、怪我をさせてしまう大抵は不十分な声掛けや力任せの介護として行動に現れる知識と技術の貧弱さが生む悲劇は絶えない支援介護は「かわいそう!苦しそう!」で始まって終わってしまうような単純で浅いものではない例えば、食事が上手くできない人を見て何が原因か考えるいくつの項目を考えられるか?が知識であり、ベストな対応が出来るか?となれば技術も必要になる目の見えない人が何を必要としているのか考える当然、困ることは多いだろうけど困っているのと何も出来ないのとは全く違うお節介で混乱させてしまっては迷惑な話になってしまう支援介護の原則に「説得するのではなく納得してもらうようにする」と、有る認知症や、せん妄症状の有る方には通用しない事も多くなる導くとか促すと表現しているけど、判断力を失くした方たちには誘導が必要になってくる正しくは納得して自分で選んだと思わせる心理学のテクニックを使う一般社会でも誘導は、そこら中に溢れている拒否や抵抗のリスクを下げるには、何を選んでもプラスになるものを用意する社会の危険から守られている施設生活では、あえて悪いパターンを考える必要はなく、いかにポジティブシンキングになれるかで残りの人生が決まる誘導は、考え方の他、身体レベルを保つにも必要になってくる成り行きや勢いで身体を動かしてもらうじゃれて身体を動かしたり、スキンシップで固まってしまった身体を動かすなどのポジショニングが重要になるTさんの例(関連 生活リハビリ2)重度の認知症に全身の硬縮ほとんど身体を動かすことができないが食事だけは自分で食べれるようにと取り組んできたある日「かわいそう だからTさんの食事介護してあげて!」ここでは株主の一人と言っておくが、また始まった!こいつは何を言っているのか?朝礼でスタッフに聞いてみたTさんを見て「かわいそう」と思いますか?「何でですか?」「かわいそう?と思わないわけではないけど・・・・・・」この質問に違和感を感じたスタッフに安心したところで事の事情を話す「皆の意見で対応を決めようと思いますが、最悪残念な結果になるかもしれません」それぞれの意見を聞いてみると、しっかり自分たちに置き換えて、Tさんや家族の事を考えている事が分かった締めの話しで「場合によっては「かわいそう」だなんて失礼な言葉になります。むしろ、Tさんは苦しむと言うより食べる意慾があり、生きようと頑張っている。それに感動するし、自分も勇気つけられる。讃えて応援するところだと思います」と言わせてもらった全員一致したところで、あらためて株主の一人と話す難しい事を言っても分からないので態度で示す念のため画像も取ってある動作を忘れてしまう無闇に手を出さない理由に動作を忘れてしまう事をあげる食事もだけど、例えば布団を掛けられない人がいたベッドまで行くと変わったところもないので「もしかして?」と思い、自分で布団を掛けるよう、一連の動作を身振り手振り加え伝えたすると見守りの中、自分でしっかりおさめる事ができた当然、さっと介護してしまうより時間が必要となる「布団ぐらい掛けてあげれば良いのに」と、自分でも思うことは有るしかし、ちょっとした事の積み重ねは大きくなり、頭も身体も使う機会を失えば、うまく働かなくなるそこには廃用症候群が待っていて廃人化は進み、笑うことを忘れ、筋肉硬直による痛みや動けない恐怖の日々をおくる事になる
2019/05/04
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