「西蔵仏教宗義研究」
第5巻 トゥカン『一切宗義』カギュ派の章
立川武蔵著 1987/03 東洋文庫 229p 非売品
Vol.2 No.299 ★★★★☆
この「西蔵仏教宗義研究」のシリーズは全八巻あり、 「チベット密教の本」1995 ブックガイド、 「チベット密教」2000 、 「裸形のチベット」2008 の読書案内、いずれにおいても紹介されている。「ゲルク派の学僧トゥカン(1737~1802)が、インド・チベット・中国などに誕生した仏教諸宗派の歴史と教義を紹介した書物『一切宗義』」の邦訳・注釈・解説であり、第一級の史料として定評がある」とのことである。
東洋文庫
というから、文庫本なのかなと思っていたが、それぞれが独立したB5版の200頁を超える冊子である。版下もタイプ打ちしたのかな、と思えるような質素なもので、「非売品」となっている。ネット上においても入手や閲覧はなかなか難しいようだ。内容を十分活用できない私のような者には、猫に小判、豚に真珠、馬の耳に念仏だが、なにはともあれ、このような本にまで辿りつけたことだけでもありがたいことだと思う。
「第一巻 サキャ派の章」
立川武蔵 1974/06
「第二巻 シチュ派の章」
西岡祖秀 1978/03
「第三巻 ニンマ派の章」
平松敏雄 1982/03
「第四巻 モンゴルの章」
福田洋一・石濱裕美子 1986/03
「第五巻 カギュ派の章」
立川武蔵 1987/03
「第六巻 チョナン派の章」
谷口富士夫 1993/3
「第七巻 ゲルク派の章」
立川武蔵, 石濱裕美子, 福田洋一 1995/03
「第八巻 序章『インドの思想と仏教』」 川崎信定, 吉水千鶴子
という構成になっており、チベット語の書籍も図版となってとじこまれている。
ミラレーパの弟子の中では、「太陽のような」タクポラジェと「月のようなレーチェンパの二人が重要である。後者は無体空行母の法類を求めて「ナーローパとマイトリーパの直弟子」と伝えられるティロパに請うた。インドで新しい行法をまなびチベットに帰ったレーチュンパは師ミラレーパに尊大な態度を取った。思い上がった弟子を師が超能力によって諌める場面が「十万歌」に見られる。ミラレーパはゲンゾン・トンパに教誠を与えるが、この者からは勝楽タントラの伝統が広まり、また一方レーチュンパ自身からも「レーチェン聴聞の伝統」が伝えられた。マルパ、ミラレーパ、レーチュンパと続いてきたいわば古いカギュ派の伝統は、レーチュンパ以後、カギュ派の諸教団の歴史の流床の中に潜むのであり、表面的に流れとしてはタクポラジェから広まったカギュ諸派の伝統がつづくのである。 p6
全八巻のうち、最初から読めばいいのかもしれないが、まずは一番面白そうなところからめくってみた。カギュ派とゲルク派の「対立」に関心があるのだが、このシリーズでは、ツォンカパを抱えるゲルク派が最後の第七巻に収められているところに、どんな意味があるのか、今はわからない。
チベット仏教諸派の中で、中期に興隆したカギュ派はとりわけ観想法を主要な宗教実践としたことはよく知られている。すでに述べたように、カギュ派は、ゲルク派のように認識論、論理学を基礎とする巨大な理論体系を作りあげたわけでもなく、サキャ派のようにゲルク派の理論体系に正面から論争をいどむこともしなかった。もっともカギュ派の幾つかの分派、例えば、カルマ派やツァル派などと、ゲルク派やサキャ派との間に理論的抗争がないわけではなかった。しかし、教義および実践形態に関するカギュ派全体の関心は、ハタ・ヨーガなどを手段とする修行者個々人の宗教体験を追求することにあった。 p10
ツォンカパを祖とするゲルク派は、体系的な教義を持っているので、学者などの研究対象としては面白いのだろうが、私としては、このミラレパなどを中心とした流れや、チョギャム・トウルンパ、あるいはラマ・カルマパなどのつながりのなかで、心情的にはカギュ派のほうによりシンパシーを持っている。
トゥカン『一切宗義』「カギュ派の章」に述べられるカギュ派の宗義は、『一切宗義』の他の章の場合と同様に、著者トゥカンの属するゲルク派の立場に引きよせたものである。 p34
なにはともあれ、一連のこの「第一級の資料」を読める立場になれたことは喜ばしい。
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