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ギター・ヒーローの道へ、ゲイリー・ムーアの魅力 ゲイリー・ムーア(Gary Moore)がヴァージン・レコードに移籍して1982年にリリースしたのが、『大いなる野望(Corridors of Power)』(現在では邦題も『コリドーズ・オブ・パワー』となっている)である。バンド形式を含めてムーア自身の名義盤としては4枚目のスタジオ作であった。 自らがヴォーカリストとして前面に出て、ギターも披露する。楽曲は、ハードというよりはポップでキャッチーな方向を向く。こうした傾向は、本来のハード志向の音楽を好む向きからはメロディアス・ハードや産業ロックなどといった言葉で揶揄される。けれども、時代の潮流も含め、1980年代のムーアは明らかにこういう方向に向かい、“ギター・ヒーロー”として結果的に成功を収めた。ムーアのキャリアの中でこの時期を嫌いでない人には、その先駆けとなった1982年の本盤も聴き逃がせない1枚ということになるように思う。 オープニング曲の1.「ドント・テイク・ミー・フォー・ア・ルーザー」はストレートかつパワフルなロック・ナンバーに徹しているのがいい。続く2.「オールウェイズ・ゴナ・ラヴ・ユー」は、絵にかいたようなキャッチーで哀愁あるスロー・テンポのナンバー。3.「ウィッシング・ウェル」はフリーのカバーだが、フリーらしい曲調の楽曲をうまくゲイリー・ムーア風に料理していると思う。5.「フォーリング・イン・ラヴ・ウィズ・ユー」は、本盤収録曲の中では、上記の2.と並ぶバラード曲。 アルバム後半には、本来のギタリストらしさもより強調され、ギター・プレイの面で出色は、6.「エンド・オブ・ザ・ワールド」の冒頭から繰り広げられるギター・ソロである。また、7.「ロッキン・エヴリ・ナイト」は、キャッチーな方向を向く一方で、ハード・ロック的精神を忘れていないことを示す1曲となっている。作品を締めくくる9.「アイ・キャント・ウェイト・アンティル・トゥモロー」は、哀愁感が凝縮されたようなナンバー。上記の7.に代表されるようなムーアを求める人には好評とはならないかもしれないが、本作全体の方向性を考慮すると、この盤を象徴する曲と言ってもいいのかもしれない(そして、筆者は案外これが好きだったりする)。[収録曲]1. Don't Take Me for a Loser2. Always Gonna Love You3. Wishing Well4. Gonna Break My Heart Again5. Falling in Love with You6. End of the World7. Rockin' Every Night8. Cold Hearted9. I Can't Wait Until Tomorrow1982年リリース。 コリドーズ・オブ・パワー [ ゲイリー・ムーア ] 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、バナーをクリックで応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2024年06月27日
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外国語で歌うということ(その5) さて、続いては、日本のアーティストが英語にトライというケースも取り上げたいと思います。日本のアーティストが海外(といっても主にアメリカ)進出をし、英語のアルバムやシングルをリリースするというケースです。松田聖子(SEIKO)しかり、宇多田ヒカル(UTADA、彼女の場合は日本デビュー前にアメリカでバンド活動もしてたんでしたっけ…)しかり、ですが、今回は、天下の“永ちゃん”の米進出を取り上げたいと思います。 キャロルでの活動を経て、1970年代半ばにソロとなり、既に名声を得ていた矢沢永吉が全米進出をを試みたのは1980年代初頭のことでした。1981年の海外版アルバム『YAZAWA』の売り上げはさっぱり…。アメリカに拠点を移しての活動だったわけですが、その後のアルバムも売り上げは伸びず、ワーナーブラザーズのバックアップで出された本シングル曲「Flash In Japan」(1987年)もまったく売れずという結果に終わりました。とはいえ、個人的にはお気に入り曲(どころか彼の楽曲の中で一番気に入っているナンバーと言ってもいいぐらいです)ということで、そのシングル曲を今回取り上げる次第です。 それにしても、なぜ売れなかったのか…。プロモーションが不十分という問題も大きかったのかもしれません(21世紀の今ならもう少しうまくやれたかもしれません)。一部にはこの英語がどうもよく伝わらない…という指摘もあるようです。だとしても、個人的にはこの曲、カッコいいと思うのですが。 最後に、当時の日本でのライヴの様子もどうぞ。 [収録アルバム]矢沢永吉 / FLASH IN JAPAN(1987年) 【中古】邦楽CD 矢沢永吉 / BALLAD【02P09Jul16】【画】 【中古】FLASH IN JAPAN/矢沢永吉CDアルバム/邦楽下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2016年07月18日
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アルゼンチン出身のサックス奏者、追悼 80年代の洋楽ナンバーをシリーズでアップしている最中ですが、今回は少し脱線して別の内容の記事にしたいと思います。 昨日、ふと手に取った新聞で目についたのが、ガトー・バルビエリ(ガート・バルビエリ、Gato Barbieri)の訃報でした。今月2日に亡くなったとのことで、享年83歳。昨年11月にも公演をしているそうですが、いつの間にかもうそんな年齢を重ねておられたのですね。 追悼ということでどの曲を取り上げようか迷ったのですが、結局は、最初に聴いて印象に残った曲をという考えに行き着き、この「フィエスタ(Fiesta)」という曲です。個人的には、初めて手にしたバルビエリ盤はベスト盤で、その1曲目がこれだったというものです。曲中のスペイン語の掛け声も含め、ラテンの陽気さや愉しさ(表題の「フィエスタ」は“お祭り”もしくは“パーティ”という意味です)が伝わってきます。 でもって、ガトー・バルビエリの魅力はただ単に“ラテン”や“陽気”かというと、そういうことではないでしょう。この泣きのサックス、哀愁いっぱいの節回しが彼の真骨頂ではないかと思っています(この点については過去記事も参照)。 続いてもう1曲ご覧いただきたいと思います。そうした哀愁のサックスを奏でるガトー・バルビエリが、カルロス・サンタナと共演したという1977年のライヴ映像です。曲はもちろん「哀愁のヨーロッパ(Europa)」。サンタナの曲として有名なナンバーですが、バルビエリも彼のアルバム(1976年の『カリエンテ!』、上記「フィエスタ」も収録のアルバム)で取り上げているナンバーです。 アルゼンチン出身のバルビエリとメキシコ出身のサンタナ。同じラテン系でも、アルゼンチンとメキシコでは感性もバックグラウンドもだいぶと違っていることでしょうが、“哀愁”あるいは“泣き節”が2人を結び付けたということになるでしょうか。あと、余談ながら、きっと共演後の会話はスペイン語だったんでしょうね。 あと、音楽性と関係はないですが、映像や写真うつりの面で、クールでダンディな風貌や立ち振る舞いも印象的なミュージシャンだったとの感想を持っています。ともあれ、『カリエンテ!』を聴きながらこれを書きつつ、ガトー・バルビエリが安らかに眠らんことをお祈りしています。R.I.P.[収録アルバム]Gato Barbieri / Caliente!(1976年) Gato Barbieri ガトーバルビエリ / Caliente 【CD】 ↓こちらはベスト盤です(本文で言及のベスト盤とは異なりますが、表記2曲とも収録)↓ 【ただ今クーポン発行中です】【メール便送料無料】【メール便送料無料】GATO BARBIERI / 20TH CENTURY MASTERS: MILLENNIUM COLLECTION (RMST) (輸入盤CD) (ガトー・バルビエリ) 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、バナーを“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2016年04月05日
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マイアミ・サウンド・マシーンからソロとしてのグロリア・エステファンまで、8月末から10回にわたって取り上げました。ここでまとめてリンク一覧にしておきます。80~90年代、グロリア・エステファンの足跡を振り返るその1: マイアミ・サウンド・マシーン 「ドクター・ビート(Dr. Beat)」その2: マイアミ・サウンド・マシーン 「コンガ(Conga)」その3: マイアミ・サウンド・マシーン 「ホット・サマー・ナイツ(Hot Summer Nights)」その4: グロリア・エステファン&マイアミ・サウンド・マシーン 「リズムでゲット・ユー(Rhythm Is Gonna Get You)」その5: グロリア・エステファン&マイアミ・サウンド・マシーン 「エニシング・フォー・ユー(Anything For You)」その6: グロリア・エステファン 「ドント・ウォナ・ルーズ・ユー(Don’t Wanna Lose You)」&「シ・ボイ・ア・ペルデールテ(Si Voy a Perderte)」その7: グロリア・エステファン/「レナセール(Renacer)」その8: グロリア・エステファン 「ミ・ティエラ(Mi Tierra)」その9: グロリア・エステファン/「リーチ(Reach)」&「プエデス・ジェガール(Puedes Llegar)」その10:グロリア・エステファンwithホセ・フェリシアーノ/「テンゴ・ケ・デシールテ・アルゴ(Tengo que decirte algo)」 ↓商品リンクはいずれもベスト盤です(上記の曲がすべて入っているという訳ではありません)。 【RCP】【Joshinはネット通販部門1位(アフターサービスランキング)日経ビジネス誌2013年版】プレイリスト:ヴェリー・ベスト・オブ・グロリア・エステファン/グロリア・エステファン[CD]【返品種別A】 【RCP】【Joshinはネット通販部門1位(アフターサービスランキング)日経ビジネス誌2013年版】【送料無料】ベリー・ベスト・オブ・グロリア・エステファン/グロリア・エステファン[CD]【返品種別A】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2013年09月24日
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現在と過去の両方を見据えた秀逸盤 実を言うと、私はこういう音楽に滅法弱い。ちょっと聴いただけでノック・アウトされてしまう。ブルースとロックの接点、そこでセンスや才能が爆発した時のあのゾクゾク感のことである。一般化していえば、60年代末から70年代初めの、いわゆるブルース・ロック系と分類されるアーティストの作品にそういうのが多い。そんな諸作の中で、何度聴いても飽きない1枚がこの『セカンド・ウィンター』である。 ジョニー・ウィンター(Johnny Winter)は、1944年テキサス生まれ。1968年にローカル・デビュー盤『ザ・プログレッシヴ・ブルース・エクスペリメント』でデビューし、すぐさま翌年にメジャー・デビュー盤『ジョニー・ウィンター』も発表。この時のCBSとの破格の契約からは“100万ドルのギタリスト”という触れ込みまでついた。このデビューの勢いに乗って同じく1969年にリリースされたメジャー第2作がこの『セカンド・ウィンター(Second Winter)』だった。 後聴きの筆者はアナログ盤を体験していないのだが、本盤はLPでは変則的な2枚組で、A面、B面、C面という仕様であった(つまりLP2枚目の裏側には収録なし)。つまりはアナログ盤にして1.5枚分という中途半端な曲数の収録である。 この曲数だけをみると、“アルバム1枚分以上あったから詰め込んだ?”とか、“2枚組にするほどアイデアがなかった?”などと勘繰る人もいるかもしれないが、実はまったくそうではない。しっかりと計画された1.5枚分なのである。収録された全11曲のうち、最初の3曲はブルース・サイド。白人ブルースの名手としての演奏がいかんなく発揮されているパートである。続く4曲はいってみればロック・サイド。この少し後にジョニー・ウィンターが“ジョニー・ウィンター・アンド”のバンド名で展開していく際に核となった部分である。最後に、アナログC面にあたるのがジョニー・ウィンター自身の“創作サイド”である。 つまりアルバムは明確に3つのパートに分かれていて、“A+B=C”という図式が透けて見える。ブルースとロックの伝統(過去)をそれぞれを消化し、独自の音楽創作(いま)につながるという図式である。一般には、過去に比重の高いアルバム作品とか、現在~未来を見据えて革新的・創作的要素を中心に据えたというアルバムは、今も昔も多いけれど、過去と現在の組み合わせというコンセプトがこれほど見事かつ明瞭に出て、しかも成功している例というのは、そう多くないのではなかろうか。 最後に、“ところでどのパートがいちばんいいの?”との質問が飛んできそうなので、私的な好みを記しておきたい。賛否両論あるだろうが、筆者は“ロック的”なジョニー・ウィンターはさほど好きではないので、どれかと訊かれれば、A面がいちばん好きである。そのA面の要素が生かされたC面の部分ももちろんお気に入り。曲単位でいうと、A面の1.~3.はどれも見事だが、特に1.「暗い苦しみの思い出(メモリー・ペイン)」と2.「心に秘めた愛(アイム・ノット・シュア)」が好み。それ以外では、ボブ・ディランの7.「追憶のハイウェイ61」がなかなかいい味を出している。アルバム終盤にかけては、どれもいい出来だが、1曲だけ気に入っているナンバーを挙げるとすれば、11.「ファスト・ライフ・ライダー」で決まりといったところだろうか。[収録曲]1. Memory Pain2. I'm Not Sure3. The Good Love(以上、アナログA面)4. Slippin' and Slidin5. Miss Ann6. Johnny B. Goode7. Highway 61 Revisited(以上、アナログB面)8. I Love Everybody9. Hustled Down In Texas10. I Hate Everybody11. Fast Life Rider(以上、アナログC面)1969年リリース。*2004年の“レガシー・エディション”では、追加トラック2曲、ボーナスディスク(ライヴ)1枚が追加(筆者は未聴)。 【送料無料】セカンド・ウィンター/ジョニー・ウィンター[Blu-specCD]【返品種別A】下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2013年01月11日
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1枚きりの名作 フィフス・アヴェニュー・バンド(The Fifth Avenue Band)は、1969年に本盤『フィフス・アヴェニュー・バンド(The Fifth Avenue Band)』だけを残し、シーンから姿を消した。この唯一の盤は、ロックにフォーク、カントリー、ジャズといった要素を取り込んだ良質な作品だった。 フィフス・アヴェニュー・バンドは、2つのグループ(エイヴォン・ハーバーとストレンジャーズ)が元になり、1968年に結成された。メンバーは、前者出身のジョン・リンド(ヴォーカル)、マレイ・ウェインストック(キーボード)、そして後者のバンドから合流したピーター・ゴールウェイ(ヴォーカル、ギター)、ケニー・アルトマン(ギター、ベース)、ジェリー・バーナム(ベース、フルート)、さらにはピート・ヘイウッド(ドラムス)の加入によって6人のメンバーとなった。 本盤のレコーディングは、ニューヨークからはるばるロサンゼルスに移動して行われた。その訳は、ラヴィン・スプーンフルのメンバーだったジェリー・イエスターとザル・ヤノフスキーが同地を活動拠点にしていたためという。1968年の末から数か月にわたってLAで録音が行われ、最後はニューヨークで残った曲のプロデュース(エリック・ジェイコブセンによる)が完成し、1969年10月にリリースされた。その内容は起伏やヴァラエティに富んだ親しみやすいロック・ナンバーのオンパレードと言える。 とにかく全編にわたってレベルが高く好曲揃いなのだけれど、敢えて何曲か聴きどころを筆者の嗜好で選んでみたい。まずは、冒頭の1.「ファースト・フレイト」。演奏にキレとメリハリがあり、この曲を含めて本盤の過半を占めるピーター・ゴールウェイの曲作りのよさも光っている。2.「ワン・ウェイ・オア・ジ・アザー」はケニー・アルトマンの作風のセンスの良さとジョン・リンドのヴォーカルが魅力的。これと同じ観点でいいのが、4.「イーデン・ロック」や9.「フェイスフル・ビー・フェアー」で、とくに4.は1969年時点でこの洗練度の高い都会感ただようナンバーが録音されていたこと自体からして見事というほかない。冒頭曲以外にピーター・ゴールウェイ作の注目ナンバーとしては、6.「カラミティ・ジェーン」(この曲は『オハイオ・ノックス』で再録されている)が特にお勧め。それから、ラストの11.「エンジェル」は唯一のジョン・リンドのペンによるナンバー。 よく言われるように、本盤はジャパニーズ・ポップ&ロックの源流の一つ(山下達郎なんかが愛好していたことがよく知られる)ともなった。しかし、残念なことに、その当時、本盤は広く受け入れられることがなく、フィフス・アヴェニュー・バンドの人気に火が付くことはなかった。徐々にメンバーが入れ替わり始め、1970年には解散してしまった。その後、ピーター・ゴールウェイは、オハイオ・ノックス(参考過去記事)やソロの作品を出すことになるが、それらと併せて本盤ももっと再評価されていい。とにかく有名ではないからという理由で聴かれることが少ないのなら、本当にもったいない話と思える代表的な盤の一つである。 [収録曲]1. Fast Freight2. One Way or the Other3. Good Lady of Toronto4. Eden Rock5. Country Time Rhymes6. Calamity Jane7. Nice Folks8. Cockeyed Shame9. Faithful Be Fair10. In Hollywood11. Angel1969年リリース。 フィフス・アヴェニュー・バンド [ フィフス・アヴェニュー・バンド ] 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2020年10月30日
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600万アクセス記念~いま聴きたいあのナンバー(その22) 1960年代の曲が続きます。ザ・バンド(The Band)の1969年発表の代表盤『ザ・バンド』からのナンバーです。 ザ・バンドの曲となると、どうしても参照したくなるのが、“ラスト・ワルツ”のライヴ映像ですが、今回もそれをご覧ください。筆者的には、リヴォン・ヘルムのヴォーカルがストライクど真ん中であるうえ、この映像の歌唱シーンのカッコよさに惚れ惚れしてしまいます。 最後にもう一つ。この曲は、「アップ・オン・クリップル・クリーク」とのカップリングでシングル発売されましたが、1971年に別のシンガーによってシングル・チャートで全米3位のヒットを記録しています。そのジョーン・バエズ(ジョーン・バエス)による弾き語りヴァージョンもご覧ください。 [収録アルバム]The Band / The Band(1969年リリース)Joan Baez / Blessed Are...(1971年リリース) ザ・バンド +7 [ ザ・バンド ] 【輸入盤CD】Band / Last Waltz (ザ・バンド) 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2021年04月12日
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「マイ・スウィート・ロード」や「セット・オン・ユー」だけではない ビートルズ解散後、4人のもとメンバーのうちでもっとも活発に音楽活動を展開したのは、ジョージ・ハリスンだった。1970年にLP3枚組(CDは2枚組)という大作『オール・シングス・マスト・パス』を発表し、そこに収録のシングル「マイ・スウィート・ロード」も大ヒット。「ビートルズを解散して最も得をした元ビートル」と評される。 その数年後、1974年に発売されたアルバム『ダーク・ホース』の先行シングル曲として発売されたのが、この「ダーク・ホース」である。しかし、華々しい成功の陰で、ジョージは疲れ果てていた。ビートルズ解散後の成功による多忙なスケジュールに加え、私生活では最初の妻と別居(後に離婚、ちなみにその妻の交際相手はエリック・クラプトン)。おまけに、「マイ・スウィート・ロード」の盗作疑惑などももちあがり、人生の中での"不遇の時"であった。そんな事情があってか、この頃のジョージの声はかすれ、おまけにアルバム『ダーク・ホース』は評論家からも酷評を受けたという。 確かに、アルバム『ダーク・ホース』自体は、通して聴くと、若干退屈な部分がなくはない(でも、筆者はいいアルバムだと思う)。しかし、「ダーク・ホース」という曲は、アルバムの中でも特別な曲である。リアルタイムでは聴いていないため、筆者がこの曲を知ったのは、後に発売されたベスト盤への収録によってである。この曲でのジョージは、人生の淵から這い上がろうとするように、しゃがれた声で搾り出すように歌う。人生の絶望の淵にある人は、この曲を聴くと励まされるかもしれない。筆者も、学生時代、物事がうまく行かなかったときなどにこの曲を繰り返し聴いた記憶がある。 ちなみに、曲名の「ダーク・ホース」とは競馬でいう"穴馬"である。元ビートルズのジョン・レノンやポール・マッカートニーが勝ちを見込まれる本命馬や対抗馬であるならば、ジョージはそれを飛び越えて勝つかもしれない馬。「ダーク・ホース」は、ジョージがそんな自身を評した表現であると言われていて、彼が立ち上げたレーベルの名称にも使用された。[収録アルバム]ジョージ・ハリスン 『ダーク・ホース』 (1974年)ジョージ・ハリスン 『ザ・ベスト・オブ・ジョージ・ハリスン』 (1976年) 【メール便送料無料】ジョージ・ハリスンGeorge Harrison / Dark Horse (輸入盤CD)【I2014/9/23発売】(ジョージ・ハリスン)にほんブログ村
2009年08月29日
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80~90年代、グロリア・エステファンの足跡を振り返る(その3) 少し前に映画音楽特集で『トップガン』のテーマ曲(過去記事)を取り上げましたが、この曲を含む同映画のサウンドトラックは、まさしく映画と音楽のタイアップ時代を象徴する盤の1つでした。サントラ自体が全米のアルバム・チャートで1位を記録し、上記ケニー・ロギンスのテーマ曲がシングル・チャートで2位となったほか、ベルリンの「愛は吐息のように~トップガン・愛のテーマ」が1位のヒットを記録しました。 その他にはチープ・トリックなども同盤に参加していたのですが、マイアミ・サウンド・マシーンもこのサントラ盤に参加していました。1986年が同映画の公開(サントラのリリース)ですから、まさしくマイアミ・サウンド・マシーンがブレークして人気を集めた後、その勢いを買ってサントラにも抜擢されたといったところでしょうか。パンチの効いたなかなかの好曲、「ホット・サマー・ナイツ(Hot Summer Nights)」です。 続いてライヴでの演奏の様子もどうぞ。1988年のライヴですから、次回触れることになるように、“グロリア・エステファンとマイアミ・サウンド・マシーン”に改名してからの映像ということになりますね。 [収録アルバム]Top Gun (Original Motion Picture Soundtrack) (1986年) 【当店専用ポイント(楽天ポイントの3倍)+メール便送料無料】Soundtrack / Top Gun (輸入盤CD)下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2013年08月31日
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ツボにはまるとやめられなくなるテナー ハロルド・ランド(Harold Land)は、1928年生まれのテナー・サックス奏者(2001年没)。生まれはテキサス州ヒューストンだが、幼いころにカリフォルニア州サン・ディエゴに移って育ち、ずっと西海岸を拠点として活動した。サイドマンとしては、クリフォード・ブラウン=マックス・ローチのクインテット(参考過去記事(1) ・(2) )への参加でも知られる。 リバーサイド系列のジャズランド・レーベルの吹き込みであるこの『ウェスト・コースト・ブルース(West Coast Blues!)』は、その名が示すように西海岸(サンフランシスコ)での録音。本盤の演奏者の組み合わせは、東海岸から西海岸へツアーに来たピアノ・トリオに、現地のミュージシャン(ハロルド・ランド、ウェス・モンゴメリー、ジョー・ゴードン)を加えたものである。 だからといって西海岸=クール・ジャズみたいなイメージではない。ハロルド・ランドは個人的に結構好みなのだが、その素性を知らない人が聴いて“西海岸だ”と思うようなタイプではない。時に陰鬱ですらあり、全体として重さを感じるテナー演奏がこの人の魅力になっている。彼のテナーという点に絞れば、本盤の中では、1.「ウルスラ」、3.「ドント・エクスプレイン」、4.「ウェスト・コースト・ブルース」が特に気に入っている。 他方、上のような言い方だと、暗くて重いのは聴きづらいという印象を与えてしまうかもしれないが、実際にはウェス・モンゴメリーの参加によってその印象は全く違ったものになっている。彼のギターが随所で“一服の清涼剤”となっていて、重さに対する軽やかさや滑らかさの役割を担っている。その意味では実に巧妙な緩急のついた盤とも言えるかもしれない。ハロルド・ランド盤は決して多くなく、その中でも筆者自身はいくつかしか知らない。けれども、過小評価されてきたサックス奏者というのはその通りなのだろう。いつかすべての吹き込みを聴いてみたいと思っている演奏者の一人だったりする。[収録曲]1. Ursula2. Klactoveedsedstene 3. Don't Explain4. West Coast Blues 5. Terrain6. Compulsion[パーソネル・録音]Harold Land (ts)Wes Montgomery (g)Joe Gordon (tp)Barry Harris (p)Sam Jones (b)Louis Hayes (ds)1960年5月17日(5.,6.)、18日(1.~4.)録音。 【楽天ブックスなら送料無料】【輸入盤】West Coast Blues [ Harold Land / Wes Montgomery ]下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2014年04月07日
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名ピアニストを迎えてのヴァイブの名演 デイヴ・パイク(Dave Pike)は1938年生まれのヴィブラフォン奏者で、2015年に77歳で没している。1960年代にとりわけ多くの作品を残したが、本盤『パイクス・ピーク(Pike’s Peak)』は1961年と、彼の作品群の中では、初期の1枚に当たる。1970年代へ向けて、彼はヨーロッパに基盤を置いて成功したジャズ演奏者の一人となり、多ジャンルな志向を見せていくのだけれど、彼がシーンへ登場したころの状況は少し違っていたのだろうと思う。 ヴァイブ(ヴィブラフォン)といえば、ミルト・ジャクソンがすべてのイメージと言ってよかっただろう。世間は(そして、おそらくは演奏者側の多くも)、ミルト・ジャクソンのイメージから離れられなかった。それゆえ、ほとんどの奏者はミルト・ジャクソンのスタイルの範疇に収まるなり、彼の強い影響のもとに見られていた。そんな中で、少し違う一歩への前進を歩みだしたのが、この頃のデイヴ・パイクだったと言えるのではないだろうか。 さて、本盤の特徴はもう一つ別の点にもある。それは、名ピアニスト、ビル・エヴァンスの参加である。エヴァンスと言えば、スコット・ラファロを含めたトリオ演奏が有名であるが、そのラファロは1961年7月に交通事故が原因で急死した。本盤の録音は1962年2月で、ちょうどエヴァンスが相棒を失ったわずか半年ほど後、新しいトリオを編成して次のステップへ移ろうという過渡期にあたる時期に録音されたものであった。 ハービー・ルイスの粘っこいベースと、控えめなエヴァンスの演奏の組み合わせの上で、パイクの演奏が繰り広げられるのだが、表題(“ピーク”=頂点)通りに、彼のヴァイブ演奏は最初のピークにあったと言えそう。軽快なだけではなく、時にエヴァンスと重なり合う知的なフレージングが実に印象的だったりもする。 個人的な話だけれど、実は、この盤は他の盤と一緒に“ついでに”購入した。なんとなく目に留まったので“あと1枚ついでに”という感じで手にしたのだけれど、自宅に戻って聴くと、私的にはその日に買ったアルバムの中で最大のヒットだった。“確信買い”から“印象買い”(その典型が“ジャケ買い)まで、いろんなアルバムとの出会い方があるけれど、時々起こるパターンの、なんとなく買ったものが大当たりという思い出のある1枚だったりもする。[収録曲]1. Why Not2. In a Sentimental Mood3. Vierd Blues4. Bésame Mucho5. Wild Is the Wind[パーソネル、録音]Dave Pike (vib), Bill Evans (p), Herbie Lewis (b), Walter Perkins (ds)1962年2月6日(3.と5.)、2月8日(1.、2.、4.)録音。 パイクス・ピーク [ デイヴ・パイク・カルテット ] 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2018年10月03日
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少々マイナーな楽器による「枯葉」 毎年、秋が深まり、冬の足音が近づくと、自然と「枯葉(Autum Leaves)」という曲を思い出してしまいます。 そんなわけで過去には本ブログでも、毎年というわけではないですが、11月頃にいろんな奏者の「枯葉」を取り上げることになるのですが、どうしても名演を探し出すと、トランペットにサックス、あるいはピアノ・トリオでの演奏など、ポピュラーな楽器がメインの「枯葉」に落ち着きがちです。 そんなこともあり、今回は、ジャズ界ではややマイナーな楽器が登場する「枯葉」というのをテーマに、2つほどビデオ付きでお聴きいただきたいと思います。 まずは、今回一押しの、“マイナー楽器といえばこれでしょ”的な、クラリネットによる「枯葉」です。ジャズ・クラリネットの名手、バディ・デフランコによる抒情性たっぷりの秀逸な演奏です。正直なところ、この演奏は、個人的にかなりお勧めです。 さて、続いてもう一つお聴きいただきたいと思います。ヴァイオリンをフィーチャーしたこの曲の演奏です。ジャズ・ヴァイオリンでは有名なステファン・グラッペリ(Stephane Grappelli)というフランス人がいますが、その彼がオスカー・ピーターソンと共演している「枯葉」です。1973年、パリにおけるカルテットでの演奏です。 秋は過ぎゆき、冬の到来といった感じがだんだんとしてきています。ご体調には気を付けつつ、冬支度をお進めください。 Buddy De Franco / Autumn Leaves 【CD】 【中古】 枯葉/CD/UCCM-3025 / オスカー・ピーターソン&ステファン・グラッペリ / ユニバーサル ミュージック クラシック [CD]【メール便送料無料】【あす楽対応】 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2021年11月24日
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気まぐれ80s~Chapter 14(その6) フィル・コリンズ(Phil Collins)は、1951年ロンドン出身で、ジェネシスの一員として活動するだけでなく、ソロとしても大きく活躍しました。1980年代、そんな彼の大きなヒット曲と言えば、「見つめて欲しい(アゲンスト・オール・オッズ)」、「イージー・ラヴァ―」、「恋はごきげん」など多くありますが、今回は、1980年代末の大ヒット・ナンバー、「アナザー・デイ・イン・パラダイス(Another Day in Paradise)」です。 実は、この曲は、過去に一度取り上げている(本ブログで動画リンクができなかった頃の過去記事はこちら)のですが、今回、あらためて動画とともにお楽しみいただこうと思います。 モノトーンで、派手さのないビデオ映像ですが、この曲のテーマに関係しています。詞の内容は、ホームレスという社会的に阻害された者を扱っていて、そのため、当時も賛否両論がありました。 ところで、元々ドラマーだった彼は、ジェネシスでもソロでもヴォーカリストとしての成功も収めました。この曲でもドラム奏者らしさを見せるでもなく、すっかりヴォーカリストとしての存在感を示しています。往時のライヴでの演奏をということで、1990年、ベルリンでのステージの様子をどうぞ。 今回は、ライヴの映像をもう一つ。もう少し後になってからのパフォーマンスということで、2004年、モントルーでのステージでの歌唱をご覧ください。 後に引退と復帰を繰り返したフィル・コリンズですが、5~6年ほど前からでしょうか、急激に老けてしまったように見えます。70歳代前半ですので、年齢相応と言ってしまえばそうなのかもしれませんが、まだ健在でい続けてほしいものです。[収録アルバム]Phil Collins / …But Seriously(1989年) 【中古】 バット・シリアスリー/フィル・コリンズ 【中古】But Seriously [Audio CD] Collins Phil 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2024年06月12日
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安定した演奏の好盤だが、ディラン・ファンへの受けは…? ボブ・ディラン(Bob Dylan)が、盟友ザ・バンド(The Band)をバックに従えて吹き込んだ1枚が本盤『プラネット・ウェイヴズ(Planet Waves)』である。ディランは1973~74年にかけて、一時的にコロムビア(CBSレコード、現ソニー・ミュージック・エンタテイメント)からアサイラムへの移籍を断行した。だが、コロムビア側が報復として過去の音源リリースを始めたため、ディランは75年には同レーベルに復帰している。この間、アサイラム在籍中には2作のアルバムが作られ、1枚は『プラネット・ウェイヴズ(Planet Waves)』、もう1枚は『偉大なる復活(Before The Flood)』だった。ちなみに、両作品とも現在はふつうに再発されているが、移籍のごたごたを経た当時は、しばらく廃盤状態になって幻のアルバムとなっていた後に、ようやく数年後(1977年)、コロムビアから再発売に至ったという経緯がある。上記2作のうち、『偉大なる復活』は過去の曲を中心にしたライヴ盤であるのに対し、本盤『プラネット・ウェイヴス』はスタジオ録音の新作であった。 全米(ビルボード)では1位、全英チャートでも7位を記録した。ビルボードのアルバムチャートでの1位獲得はディランとしてはアルバム14枚目にして初のことで、要するにヒットしたアルバムだったことがわかる。けれども、セールスが発表時の一般聴衆の反応を示すことはあっても、ディランのファンや後で遡って聴いた人がどう評価するかは別問題である。おそらく、この『プラネット・ウェイヴズ』は評価が大きく分かれる1枚なのではないだろうか。 まず何よりもディランが“弛んで”いる。全編にわたって、とは言わないが、概ねリラックスしているのである。スタジオ作としては次作に当たる『欲望』などと比べるとその違いは明白だ。それは別にやる気がないからなどという理由じゃなく、その大きな要因の一つはやはりザ・バンドとの共演という点にある。結局のところ、ボブ・ディランとザ・バンドの相性はすこぶる良かったとしか言いようがない。バックの演奏の音は隅々に至るまで、ザ・バンドの音に他ならない(ディランのアコースティック・ソロの11.を除く)。相性がよく安心してやれた結果が、このリラックス度につながっているのだと思う。 個人的な思い入れも込めて言えば、曲・演奏ともにハイレベルなものが多く、繰り返し聴いているせいか自然と身に染み込んでしまっているナンバーが多い。おすすめを挙げると多くなりそうだけれども、なるべく絞っていくつか挙げておこう。1.「こんな夜に(オン・ア・ナイト・ライク・ディス)」は、生き生きとした躍動感がいい。2.「ゴーイング、ゴーイング、ゴーン」は、R・ロバートソンのギターを中心にザ・バンドのねっちりした演奏が聴きどころ。4.「ヘイゼル」はディランの歴代バラードの中でも1、2を争う最高の出来の一つである。 6.および7.の「いつまでも若く(フォーエヴァー・ヤング)」は、同じ曲の別バージョンが2つ続いていて奇異に思われるかもしれないが、これはLP時代の名残。6.はA面最後の曲で、ゆったり系のバージョンでA面をいったん締めくくり、次に同じ曲のアップテンポのバージョンである7.でもってB面がスタートするという形をとっていた。8.「悲しみの歌(ダージ)」は“葬送歌”を意味する原題に相応しく、緊張感を伴う心に沁みてくるナンバー。他の曲にリラックス感が大きいだけに、この曲の重みが際立つ結果になっている。 結局のところ、本盤の評価は、『偉大なる復活』のところで書いた、ディラン側の聴き手の立場とザ・バンド側の聴き手の立場の問題に還元されてしまうのかもしれない。ディランがメインの聴き手の間では、前後の諸作との比較の上で好き嫌いが出てしまう。筆者はディランも好きだけれど、どっちかと言えばザ・バンド側の聴き手なので、このアルバムを積極的に評価したくなるし、頭で考えて評価うんぬん以前に、何よりも演奏が自然と全身に伝わり、体内に染み入ってくる。ディラン専門のファンで本盤をあまり高く評価しない人たちにもわかってほしい部分なのだけれど…。[収録曲]1. On a Night Like This2. Going, Going, Gone3. Tough Mama4. Hazel5. Something There Is About You6. Forever Young7. Forever Young8. Dirge9. You Angel You10. Never Say Goodbye11. Wedding Song1974年リリース。 プラネット・ウェイヴス/ボブ・ディラン[CD]【返品種別A】 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2011年03月06日
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70年代ロック&ポップス名曲選~Part 6(その9) ビートルズや元ビートルの楽曲はこのブログでは登場頻度が低いのですが、決して好きではないからというのが理由なわけではありません。いつかビートルズを全アルバム(あるいは全曲?)レビューするという野望を夢想しつつ、特にビートルズの楽曲についてはなかなか取り上げられないでいる次第です。 それはさておき、1970年代にフォーカスしている今回は、ジョン・レノン(John Lennon)のナンバーを1つピックアップしたいと思います。1973年のアルバム『ヌートピア宣言』(旧邦題はこうなっていましたが、原題は『マインド・ゲームス』)の表題曲、「マインド・ゲームス(Mind Games)」です。 “心の遊び(ゲーム)”とは、何ともわかりづらい感じで、これが収められたアルバム自体もジョンの作品の中では落ち着いた、やや地味な盤なのですが、この曲は、「イマジン」でも広く知られる愛と平和に対する姿勢を歌ったものです。後に本人が語っているところでは、元のタイトルは「メイク・ラヴ・ノット・ウォー」だったとのことで、結局それはボツにして詞を書き換えてこの曲になったんだそうです。 最後に、この曲のカバーを1つ、ご覧いただきたいと思います。毎年開催されているジョン・レノンの記念ライヴのうち、2017年のものからの映像です。パティ・スミス(Patti Smith)が歌う「マインド・ゲームス」をどうぞ。 [収録アルバム]John Lennon / Mind Games(ヌートピア宣言)(1973年) 【メール便送料無料】ジョン・レノン / マインド・ゲームス(ヌートピア宣言)[CD][初回出荷限定盤(初回限定盤)] 【輸入盤】Mind Games (Digi)(Rmt) [ John Lennon ] 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2019年02月07日
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気まぐれ80s~11thシーズン(その9) さらに時代をさかのぼり、今回は、1981年のヒット・ナンバーです。スティクス(Styx)による「ザ・ベスト・オブ・タイムズ(The Best Of Times)」で、全米で3位、カナダでは1位(その一方で英チャートでは大したヒットではありませんでした)となった楽曲です。 音楽ジャンル的に、スティクスは、“アメリカン・プログレ・ハード”などと呼ばれたりもます。確かに、デビュー当時はプログレ的な部分もあったのですが、1980年代初頭のこの頃にはすっかりポップな売れ筋の曲をやっていました。とはいえ、名曲は名曲。これはこれで名バラードと言って何の遜色もないと思います。 さて、もう一つの映像は、後世のものを見ていただこうかと思います。ヴォーカルのデニス・デ・ヤングの2014年のライヴの様子です。すっかり白髪の年配者(この当時65~66歳)となったデニス・デ・ヤングですが、その声は健在で、このナンバーの名曲ぶりを披露しています。 [収録アルバム]Styx / Paradise Theatre(1981年) パラダイス・シアター/スティクス[SHM-CD]【返品種別A】 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2020年03月17日
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アコースティック演奏、自宅録音の異色作 ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)のイメージはと言えば、圧倒的に“アメリカン・ロッカー”ということになるのだろう。1980年の『ザ・リバー』、大ヒット作となった1984年の『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』の狭間で1982年にリリースされた異色作が、この『ネブラスカ(Nebraska)』という作品だった。 大部分の曲は、1982年1月3日にスプリングスティーンの自宅の寝室で録音された。いくつかの曲(「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」、「ピンク・キャデラック」、「ダウンバウンド・トレイン」、「ワーキング・オン・ザ・ハイウェイ」―デモ録音時のタイトルは「チャイルド・ブライド」―)は、後にバンド録音でレコーディングされたが、この録音は、いわゆる弾き語りのシンプルなレコーディングだった。そのようなわけで、“アメリカン・ロッカー”のイメージとはまったく異なるサウンドである。 それにもかかわらず、ビルボード3位というのは、スプリングスティーンの底力というべきか。アーティストたちがリスペクトするアルバムにしばしば挙げられるのに加え、アコースティックで録音されたこれら楽曲のいくつもが、後々のライヴでバンドでも演奏されている。 個々の曲を挙げ始めると全曲になってしまいそうなのだけれど、少しは触れておきたい。1.「ネブラスカ」は無為な殺人を犯した死刑囚を主人公にした歌で、こういう描写はスプリングスティーンの身上でもある。彼のファンにとってライヴ等で外せないのは、2.「アトランティック・シティ」、4.「ジョニー99」、10.「生きる理由(リーズン・トゥ・ビリーヴ)」といったところか。個人的に外せないのは、5.「ハイウェイ・パトロールマン」、7.「ユーズド・カー」、9.「僕の父の家(マイ・ファーザーズ・ハウス)」。いずれも、シンプルに個々のシチュエーションと心情を紡ぐといった内容の曲である。 蛇足ながら、本作には続編的作品がある。1995年リリースの『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』である。内容的に直接的つながりはないのだけれど、ストーリーテラーとしてのブルース・スプリングスティーンという観点に立った時、華々しいロッカーとしての彼のもう一つの顔を知るには、この2枚が必須ということになるだろうか。[収録曲]1. Nebraska2. Atlantic City3. Mansion on the Hill 4. Johnny 99 5. Highway Patrolman6. State Trooper7. Used Cars 8. Open All Night9. My Father's House 10. Reason to Believe1982年リリース。 【輸入盤CD】【ネコポス100円】Bruce Springsteen / Nebraska(ブルース・スプリングスティーン) ネブラスカ [ ブルース・スプリングスティーン ] 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2020年05月11日
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パリでのピアノ・トリオとの共演 1929年生まれのチェット・ベイカー(Chet Baker)は、1950年代半ばには、ジャズ・リスナーから大きな人気を得ていた。まさしくその時期に相当する1955年に録音されたのが、この『サマータイム(Plays Standards)』である。現在は“ジャズ・イン・パリ”シリーズの1枚としてリイシューされているが、元々はフランスのバークレイ(Disques Barclay)というレーベルから発売されたLPだった。 1955年秋、チェットはフランスにいた。バークレイ・レーベルで6枚のアルバムを録音したいとの申し出に応えたものだった。この際、チェットはスイスやドイツでも演奏したとのことだが、フランスで最初に録音したメンバーと本作のメンバーには異動がある。本盤で共演しているピアノ・トリオのうち、ベースのジミー・ボンドは、最初のセッションでも一緒だった人物である。一方、ドラムスのバート・ダーランダーは、チェットと揉めて出ていったピーター・リットマンに代わって加わっていた。さらに、先に共演したピアノのディック・ツワージクは、この間に薬物の過剰摂取によってホテルで急死するという運命をたどっていた。代役を務めたのは、バークレイと契約したばかりの若手ピアニスト、ジェラール・グスタンだった。 このように、突然のパーソネル変更の中、“スタンダード”が共通項となって本盤は録音された。要するに、ジャズ・ミュージシャンが慣れ親しんでいる定番曲をレコーディングの曲目にするというわけである。結果的に、チェットが普段あまり演奏していなかったスタンダードも本盤には収録されることになった。 肝心の演奏内容だが、まず、ベースの安定感が光り、ドラムスもこれによく合っている。そして、代役だった若きピアニストの活躍も目立つ。このピアノ・トリオをバックに“歌う”のがチェット・ベイカーのトランペットである。個人的にとくにお勧めな演奏としては、1.「サマータイム」、5.「ゼアズ・ア・スモール・ホテル」、6.「ニューヨークの秋」、8.「アイル・リメンバー・エイプリル(4月の思い出)」といったところか(いや、他にも捨てがたい曲が複数あったりする…)。ともあれ、日常ではない環境の中、当時のチェット・ベイカーがトランペットで本領を発揮した盤なので、“そもそもチェットのトランペットってどんなの?”と思う人にも聴いてもらいたい盤だと思う。[収録曲]1. Summertime2. You Go To My Head3. Tenderly4. Lover Man5. There's A Small Hotel6. Autumn In New York7. These Foolish Things8. I'll Remember April[パーソネル、録音]Chet Baker (tp)Gérard Gustin (p)Jimmy Bond (b)Bert Dahlander (ds)1955年10月24日録音。 【中古】 Chet Baker チェットベイカー / Plays The Standards 【CD】 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 クリックで応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2021年11月17日
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西海岸ジャズの代表として忘れてはならない奏者の本領発揮盤 バド・シャンク(Bud Shank)は、1926年オハイオ州生まれのジャズ・ミュージシャンで、2009年に82歳で亡くなっている。幼い頃にクラリネットを始め、やがてサックス奏者として活躍していった。アルト・サックスのほかに、テナー、バリトンも演奏し、さらにはフルートの名手だった。ウエスト・コースト(西海岸)・ジャズのサキソフォン奏者と言えば、アート・ペッパーが代名詞のようになっているが、バド・シャンクも忘れてはならない存在である。 本盤『ザ・バド・シャンク・カルテット(The Bud Shank Quartet)』は、1956年にロサンゼルスで録音されたパシフィック盤である。表題の通り、ピアノトリオ+アルト・サックス(およびフルート)というワンホーン盤であるが、クロード・ウィリアムソンがピアノ奏者というのも目を引く点で、バド・シャンクを生かそうとする演奏がとりわけ妙である(ジャケットには“フィーチャリング・クロード・ウィリアムソン”の表現も見られる)。 さて、肝心のバド・シャンクの演奏であるが、アート・ペッパーのような天才的閃きといった感じとは大きく異なる。クールさを装いながら熱い演奏をするというのが、筆者の感じている彼のアルト演奏の全体的な印象である。このような印象に特によくあてはまる曲の一つが、1.「バッグ・オブ・ブルース」である。いかにも西海岸クール風な演奏から始まり、曲が進むにつれて次第に盛り上がってホットな演奏へと移行していく。同じような特徴を持った演奏としては、10分近くに及ぶ長尺の7.「ウォーキン」もいい。 一方、バド・シャンクのフルート演奏にも注目したい。2.「ネイチャー・ボーイ」はフルートとピアノが一体となって醸し出す抒情感がいい。6.「ノクターン・フォー・フルート」は、ピアノのウィリアムソンのペンによるナンバーで、ノクターン(夜想曲)の表題通り、夜の静寂を思い起こさせる美しい演奏を披露している。 最後に、ゆったりとしたバラード曲をやったらどうなるかという意味では、3.「オール・ジス・アンド・ヘヴン・トゥー」が面白い。とにかく優しいバド・シャンク節は、聴き手を病みつきにさせる魅力を存分に持っているように思うのだけれど、いかがだろうか。[収録曲]1. Bag of Blues2. Nature Boy3. All This and Heaven Too4. Jubilation5. Do Nothing till You Hear from Me6. Nocturne for Flute7. Walkin'8. Carioca[パーソネル、録音]Bud Shank (as, fl) Claude Williamson (p)Don Prell (b)Chuck Flores (ds)1956年1月25日録音。 Bud Shank バドシャンク / Bud Shank Quartet Featuring Claude Williamson 【CD】 CD/ザ・バド・シャンク・カルテット (解説付) (限定盤)/バド・シャンク/UCCQ-9386 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2021年11月22日
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“ビッグ・オー”の名曲 続編(その3) ロイ・オービソン(Roy Orbison)が亡くなったのは、1988年の末のことでした。52歳での急死は悲しみとともに報じられましたが、翌年の初めには遺作となるアルバム『ミステリー・ガール』がリリースされました。同作からのシングルとして、久々のヒット(アメリカで9位、イギリスで3位となり、いずれも20数年ぶりのトップ10入り)となったのが、この「ユー・ゴット・イット(You Got It)」という曲でした。 不測の死去を迎える直前の“ビッグ・オー”ことロイ・オービソンは、トラヴェリング・ウィルベリーズ(参考過去記事)での活動で見事な復活を遂げていました。この曲もそのメンバーだったジェフ・リンとトム・ペティとの共作です。なおかつ、プロデュースはジェフ・リンで、なるほどジェフ・リンっぽいサウンドがロイ・オービソンらしさとうまく溶け合っています。 さて、もう1本の映像は、生前のライヴのものをご覧いただきたいと思います。亡くなる年(1988年)のライヴの映像です。 [収録アルバム]Roy Orbison / Mystery Girl(1989年) 【輸入盤CD】Roy Orbison / Mystery Girl (w/DVD) (Deluxe Edition)(ロイ・オービソン) 【中古】(CD)Mystery Girl/Roy Orbison ロイオービソン ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひクリックをお願いします。 ↓ ↓ ↓
2023年02月13日
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ソングライターとしての才能が発揮された盤 ゲイリー・ポートノイ(Gary Portnoy)は、1956年、ニューヨーク出身の作曲家・ミュージシャン。1982年に始まった米テレビドラマ(『チアーズ』)の主題歌を手掛けたことで知られる。1970年代後半に曲提供で名を知られるようになり、一度はソロの企画が頓挫したが、1980年、チャールズ・コッペルマンの後押しでソロ・デビュー盤のリリースとなった。なお、ポートノイは、その後、21世紀に入って何枚かのアルバムをのこしているが、その当時としてはこれが唯一の盤であった。 本盤の原題はシンプルなセルフタイトルだが、邦盤では『月影のロング・ナイト』となっている。収録曲のほとんどにも、この時代らしい邦題がつけられている(下の曲目を参照)。アメリカでは特にチャート・アクションはなかったが、日本では田中康夫の『なんとなく、クリスタル』で取り上げられて注目された。そんなわけで、広く知られたものでも、ヒット作品でもなく、世の中からは忘れ去られた盤なのかもしれないが、それでは少々もったいないと感じている。 哀愁のあるメロディと、どこか頼りなげなヴォーカルで始まる1.「月影のロング・ナイト(イッツ・ガナ・ビー・ア・ロング・ナイト)」は、さすがはソングライターと思わせてくれるナンバーで、実によくできた美曲。同じく曲の美しさという点では、5.「涙の誓い(レイト・ナイト・コンフェッション)」も注目ナンバーと言える。 アルバム後半(元のLPでは、5.までがA面、6.以降がB面)では、6.「翳りゆく夜(ホエン・ザ・ナイト・エンズ)」が楽曲のよさという点では際立っている。これと並んで曲の素晴らしさに感服するのは、7.「危険な誘惑(ユー・キャント・ゲット・アウェイ・ウィズ・ザット)」。ポートノイよりももっと野太い声でキレのある男性アーティストが歌ったら大ヒットしたのではないかと思ったりする。アルバムを締めくくる10.「おやすみ(セイ・グッドナイト)」(11.は同曲のリプライズとなっている)もなかなかの好ナンバーである。[収録曲] *( )内は邦盤での曲タイトル。1. It's Gonna Be A Long Night(月影のロング・ナイト)2. The Driver(ザ・ドライバー)3. Half Moon(ハーフ・ムーン)4. The Lady Is A Liar(恋のかけひき)5. Late Night Confession(涙の誓い)6. When The Night Ends(翳りゆく夜)7. You Can't Get Away With That(危険な誘惑)8. Goodbye Never Felt This Good(悲しみにさよなら)9. Come To Me Tonight(カム・トゥ・ミー・トゥナイト)10. Say Goodnight(おやすみ)11. Say Goodnight(Reprise)(おやすみ(リプライズ))1980年リリース。 [期間限定][限定盤]月影のロング・ナイト/ゲイリー・ポートノイ[CD]【返品種別A】 ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひクリックをお願いします。 ↓ ↓ ↓
2024年06月23日
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70年代ロックの名曲たち(その2) 70年代にロックなるものが形成され熟成していった過程を思い返しつつ、“70年代ロックの名曲たち”と題して始めましたが、第2回目はアメリカン・ロックが形を成していった中で忘れてはならない、ドゥ―ビー・ブラザーズ(The Doobie Brothers)の曲を取り上げようと思います。 初期ドゥ―ビー・ブラザーズの代表盤として知られる『キャプテン・アンド・ミー』所収の「ロング・トレイン・ラニン(Long Train Runnin’)」です。 とにかく“格好いい曲”なわけですが、いわゆるアメリカン・ロックが出来上がっていく中で、西側から吹いた風はなくてはならなかったように思います。とくにこのドゥ―ビー・ブラザーズとイーグルスは外せない気がします。おまけに、バンド名が“ヤク・ブラザーズ(大麻兄弟)”とふざけていて、南部の泥臭い音楽要素を引きずっているのも大事なポイントです。 イギリスにおけるロックはともかく、アメリカにおけるロックは、ニューヨークで熟成されたわけでも、サンフランシスコで練られたわけでもなく、何だか多方向からいろんな形が提示されてそれらが合わさっていくようにして形成されていったのかなんて思ったりします。まあ、“メルティング・ポット”の国だから、と言われればそうなのかもしれませんが(笑)。[収録アルバム]The Doobie Brothers / The Captain and Me (1973年) 【送料無料】Forever YOUNG::キャプテン・アンド・ミー [ ドゥービー・ブラザーズ ] 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2014年01月29日
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2024年02月18日
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2024年05月05日
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2024年06月04日
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気まぐれ80s~Chapter 14(その1) 久しぶりの80年代曲選です。これまでと同様に、全10回を予定していますので、ぜひお付き合いください。 最初の曲は、スティーヴ・ウィンウッド(Steve Winwood)が1986年に発表した「ハイヤー・ラヴ(Higher Love)」です。スペンサー・デイヴィス・グループやトラフィックなどで若くから才能を発揮してきた彼は、1980年代にソロ・アーティストとしても成功を手にしました。4年の間隔を置いてリリースされたソロ4枚目(過去記事)に収録され、シングルとして大きなヒット(全米1位、全英13位)を記録したのがこのナンバーでした。まずは公式ビデオの映像をご覧ください。 音作りやビデオ映像の姿は時代を感じさせる部分もありますが、この曲の魅力は何よりも歌声にあると感じます。ウィンウッドのヴォーカルは、さりげなくさらりと聴かせるようでありながら、伸びのある高音とソウルフルな歌唱が魅力と言えます。おまけに、複数の楽器をこなすマルチプレイヤーというのも彼の魅力を引き立たせる要素です。 さて、1948年生まれですので、今年で76歳になるウィンウッドですが、後世の健在ぶりもご覧いただこうと思います。昨年(2020年)のライヴでのパフォーマンス模様です。70歳代に突入していますので、昔のような高音の伸びは期待できません。しかし、この年齢でこのヴォーカルは驚きと言えるでしょう。何歳までこの曲を歌い続けられるのかわかりませんが、この後、80歳が近づいたり、80歳になったりしても元気でいてもらいたいものです。 [収録アルバム]Steve Winwood / Back in the High Life(1986年) バック・イン・ザ・ハイ・ライフ [ スティーヴ・ウィンウッド ] 【輸入盤CD】Steve Winwood / Revolutions: The Very Best Of Steve Winwood (スティーヴ・ウィンウッド) ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひクリックをお願いします。 ↓ ↓ ↓
2024年06月05日
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70年代ロックの名曲たち(その5) 少し時代をさかのぼる気分で、ザ・バンドを取り上げたいと思います。ザ・バンドは60年代末にレコード・デビューし、時代の流れに逆らうかのように地味~な演奏をしつつ、アメリカの音楽とは何かを探求したバンドです。代表盤の『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』や『ザ・バンド』といったアルバムは70年代ではなく60年代に属するわけですが、70年代半ばに解散(後に再結成)するまで、アメリカのロックの基層をつくるのに貢献しました。 ザ・バンドはやがてロビー・ロバートソン色が強くなっていき、しかもバンドとしてのまとまりを欠いていって最後は解散となってしまいすが、その中でも特に活動後期のお気に入りは『南十字星』(1975年)です。同盤には「アーケイディア(アルカディア)の流木」(日本での表記はなぜか「アケディアの流木」)という名曲も含まれていますが、今回はそのオープニング・ナンバーである「禁断の木の実(フォービドン・フルーツ)」をお聴きください。 個人的には、このイントロを聴いただけでノックアウトされてしまいます。カナダ人中心(メンバー5人のうちリヴォン・ヘルム以外の4人はカナダ出身)のバンドでありながら、南へと向かって音楽的な旅を続け、結果、彼らのこの音楽的基層は、そのまま米国ロックの基層にもなっていったという感じです。だいぶ前にも書いたように、ザ・バンドは個人的に“波長が合う”音楽なのですが、それはザ・バンドの音が後世の他のバンドの下敷きとして存在しているからだろうと思っていたりします。[収録アルバム]The Band / Northern Lights-Southern Cross(1975年) 【RCP】【Joshinはネット通販部門1位(アフターサービスランキング)日経ビジネス誌2013年版】[期間限定][限定盤]南十字星/ザ・バンド[CD]【返品種別A】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、バナーを“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2014年02月08日
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セールスには結びつかずも、唯一の世界を表現したデビュー作 1968年発表のドクター・ジョン(Dr. John)のデビュー盤が、この『グリ・グリ(Gris-Gris)』というアルバム。厳密には、“ドクター・ジョン、ザ・ナイトトリッパー(Dr. John, the night tripper)”名義の作品である。ドクター・ジョンという芸名は、19世紀ニューオーリンズに実在したヴードゥー教の司祭の名で、アルバムのタイトルになっている“グリ・グリ”というのもヴードゥー教の杖のことを指すらしい。 このドクター・ジョンを名乗る人物は、本名のマック・レベナック(正確には、マルコム・ジョン・レベナック・ジュニア)として1950年代からギタリストとして地元で活動を始め、61年に左手薬指を負傷してからはピアニストに転向し、セッション・ミュージシャンなどをしていた。63年にはロサンゼルスに移るも、麻薬の不法所持によりテキサスで服役した。その後、ロサンゼルスに戻って同郷のハロルド・バティストのプロデュースで67年に本デビュー盤を制作した。そのようなわけで、録音は西海岸であるが、実際の録音には同郷のニューオーリンズ出身ミュージシャンも参加している。 とにかく全体に妖しげな雰囲気で、正直、初めてドクター・ジョンを聴くという人向きではない。デビュー当初の彼は、ヴードゥー教を前面に出し、妖しげなカルト的音楽性で売り出そうとしていたように見える。1.「グリ・グリ・ガンボ・ヤ・ヤ」は、そうした妖しさ全開で始まり、一言めの詞も“人は俺のことをドクター・ジョン、ザ・ナイトトリッパーと呼ぶ”という、歌詞というよりはセリフから始まっている(実際、この頃は“ドクター・ジョン”ではなく、“ドクター・ジョン・ザ・ナイトトリッパー”が正式なアーティスト名であった)。盤名の『グリ・グリ』というのも、元々は西アフリカの辺りで使われる、ヴードゥー教のお守りを意味する語である。さらに、裏ジャケでは、ヴードゥー教の司祭を模してメンバーの偽名が紹介されている。 どの曲も怪しさ全開だが、2.「ダンス・カリンダ・バ・ドゥーム」、3.「ママ・ルー」、5.「クロッカー・コートブリオン」が特に象徴的。“ヴードゥー・ロック”と呼ぶべきか、“ヴードゥー・サイケ”と呼ぶべきか、とにかく怪しげなサウンドの世界が繰り広げられる。当時のロック・シーンに限らず、現在の文脈に置き換えても、特異で“ユニーク(=唯一)”なサウンドであることは間違いない。そして、不思議なことに、聴いた曲が頭の中でぐるぐると回り始める…。決してとっつきやすい作品ではないが、中毒性の強さは異常なほどだと思う。はまり過ぎないよう、くれぐれもご注意を(笑)。[収録曲]1. Gris-Gris Gumbo Ya Ya2. Danse Kalinda Ba Doom3. Mama Roux4. Danse Fambeaux5. Croker Courtbullion6. Jump Sturdy7. I Walk On Gilded Splinters1968年リリース。 グリ・グリ/ドクター・ジョン[CD]【返品種別A】 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2016年01月09日
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ザ・バンドの“最終作”の真価 1968年に『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』でデビューしたザ・バンド(The Band)は、着実にキャリアと人気を積み重ねていった。しかし、1976年、ベスト盤を出し、さらには実質的な“解散コンサート”を行った(『ザ・ラスト・ワルツ』として1978年に映画およびサントラ化された)。つまり、バンドとしての終止符をいったん打ってしまったような状態の中で、1977年にリリースされたのが本盤『アイランド(Islands)』であった。 契約上必要という理由でリリースした作品と言われ、メンバーのロビー・ロバートソンはザ・フーの『オッズ・アンド・ソッズ』(1974年発表の未発表音源集)を引き合いに出している。確かに、アルバム全体の統一感があるとは言い難く、楽曲によってトーンが異なる。大きくは1.「優しい雨のように(ライト・アズ・レイン)」に代表されるリラックスムードの(あまり凝った音にはなっておらず、さらりと聴きやすいタイプの)曲が中心である。とはいえ、本作品は、内容的に単なるアウトテイク集以上のレベルにあるように思う。 最大の争点になりそうなのは、泥臭さが少なくて、耳触りのよい仕上がりになっている曲が多い点である(この特徴は前作の『南十字星』にもいくぶん共通するだろう)。その要因としては、制作時間の短さが大きいとされる。タイトル曲の6.「アイランド」(それにしても、アルバム表題もこの曲も本来は複数形の“アイランズ”なのに、日本語では“アイランド”で通り続けているのはなぜだろう…)に至っては、ロバートソンが詞をつけるはずだったのが間に合わずにインスト曲として収録されたという、嘘か真かと思うエピソードもあるらしい。 他にいくつか注目曲に触れておきたい。4.「胸にあふれる想い(エイント・ザット・ア・ロット・オブ・ラヴ)」は、リヴォン・ヘルム好きとしては外せない、彼がリード・ヴォーカルを務めるナンバー。元は1966年のホーマー・バンクスの曲で、後世にはシンプリー・レッドもカバーしている(1999年の『ラブ・アンド・ザ・ロシアン・ウィンター』に収録)。5.「今宵はクリスマス(クリスマス・マスト・ビー・トゥナイト)」は、以前にこのブログでも取り上げているクリスマスを題材にしたナンバー。それから、しばしば注目を浴びるのは、8.「わが心のジョージア(ジョージア・オン・マイ・マインド)」。レイ・チャールズでよく知られるナンバーだけれど、リチャード・マニュエルの歌唱は絶品で、短い収録時間の曲だけれど、本盤を聴く上で絶対に外せない。[収録曲]1. Right as Rain2. Street Walker3. Let the Night Fall4. Ain't That a Lot of Love5. Christmas Must Be Tonight6. Islands7. The Saga of Pepote Rouge8. Georgia on My Mind9. Knockin' Lost John10. Livin' in a Dream1977年リリース。 アイランド +2 [ ザ・バンド ] 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2017年07月22日
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スペクトラム曲選(その2) 1970年代末から1980年代初めに存在した和製ブラス・ロック・バンド、スペクトラム(SPECTRUM)の曲を取り上げる2回目です。今回は、シングルのB面(1980年発表の「F・L・Y」のB面)となった曲で、「ミーチャンGoing to the Hoikuen」というナンバーです。英語を取り混ぜて妙なタイトルになっていますが、早い話、「ミーチャン、保育園に行く」という曲名なわけです。 探しても動画があまりないということもあるのですが、この曲は何と言ってもスタジオで録られたものを聴くほかありません。ゲストの保育園児によるセリフ(“鼻垂れてるから~”)はライヴで再現は困難ですし、こういう録音を混ぜて楽しんでいるというのが最大の聴きどころなのでしょう。 ブラス・ロックとどう関連するのかよくわかりませんが、北欧ヴァイキングもどきの奇抜な衣装など目を引く点が多いバンドでした。こういう曲を録音するという発想もある種、彼らの奇抜な特徴の一つだったのかなと思います。[収録アルバム]SPECTRUM / 『スペクトラム2 OPTICAL SUNRISE』(1980年リリース) 【中古】 スペクトラム伝説 /SPECTRUM 【中古】afb 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2019年01月18日
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売り上げと作品の出来は比例しないことを示す代表例 『スウィート・ベイビー・ジェームス』をはじめとして1970年代を通じて多くのヒット作を送り込んだジェームス・テイラー(James Taylor)。そんな彼の絶頂期において唯一ゴールド認定されなかったアルバムがある。それが1974年に発表された『ウォーキング・マン(Walking Man)』という作品だった。 確かに、大きなヒットを重ねていた当時を考えると、全米13位というのは、彼の作品としては地味なチャート・アクションだった。また、この盤からはシングル・ヒットも生まれなかった。けれども、売り上げの低さと作品の内容は、比例することも多いが、常に比例するわけではないことは自明である。早い話、“売れなかった好盤”というものは世にいくつもある。この盤は、ジェームス・テイラーの作品としてはまさしくそういったタイプの代表格と言えるだろう。 本盤に収められた中からとくに注目の曲をいくつか挙げておきたい。まず、表題曲の1.「ウォーキング・マン」。このナンバーは、シングル発売されたものの、当時は全米チャート入りしなかった。とはいえ、ファンの間では人気が高く、いま聴いても美しい曲調はまったく色褪せていない。もう一つ、本盤収録曲の中で外せない美曲と言えるのは、6.「エイント・ノー・ソング」。筆者はジェームス・テイラーのこの手の曲にめっぽう弱い。同じような傾向のナンバーとしては、10.「フェイディング・アウェイ」もなかなかの好曲。アルバム全体を通観すれば、しっかり弾き語りスタイルのナンバーもあれば、アップ・テンポの曲もあるのだけれど、個人的には上記3曲のような部分にジェームス・テイラーの魅力を最も感じている。[収録曲]1. Walking Man2. Rock 'n' Roll Is Music Now3. Let It All Fall Down4. Me and My Guitar5. Daddy's Baby6. Ain't No Song7. Hello Old Friend8. Migration9. The Promised Land10. Fading Away1974年リリース。 輸入盤 JAMES TAYLOR / WALKING MAN [CD] 【中古】 ウォーキング・マン<SHM-紙ジャケットCD>/CD/WPCR-13822 / ジェイムス・テイラー / ワーナーミュージック・ジャパン [CD]【メール便送料無料】【あす楽対応】 【輸入盤CD】James Taylor / Warner Bros. Albums: 1970-1976【2019/7/19発売】(ジェームス・テイラー) ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひクリックをお願いします。 ↓ ↓ ↓
2021年07月28日
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表題に違わぬ本領発揮盤 バディ・デフランコ(Buddy DeFranco,1923-2014)は、ジャズ・クラリネット奏者。ジャズの世界全体で見れば、クラリネットはマイナー楽器となってしまったが、その名手はと言うと、必ずその名が挙げられる奏者である。そして、1953年に吹き込まれた本盤の表題は、『ミスター・クラリネット(Mr. Clarinet)』。まさしくクラリネットの代表的奏者としての本領発揮盤と言えるタイトルである。 ピアノ・トリオにクラリネットを加えたカルテット編成で、ドラムスはアート・ブレイキー、ピアノはケニー・ドリューが担当している。クラリネットというとスウィング・ジャズのイメージの方が強いという人もいることだろう。実際、デフランコもビッグ・バンドなどからキャリアを広げていったわけだけれど、こうした共演者たちとの演奏は、見事なまでにバピッシュでブルージーなものに仕上がっている。 こうした演奏を堪能できる曲を、筆者の個人的好みに基づいて、いくつかピックアップしておきたい。2.「フェルディナンド」は、ワクワク感とゾクゾク感(このような表現で伝わるのか甚だ不安だけれど)がとくに際立っている。これに次ぐのが、5.「レフト・フィールド」、6.「ショウ・アイズ」、8.「ベース・オン・ボールズ」。いずれも安定していて、モダン・ジャズらしさ全開の演奏である。一方、デフランコのクラリネットに集中したい向きにお勧めなのは、1.「バディーズ・ブルース」と4.「ニューヨークの秋」。前者はしっかりブルースに仕上がっていて、クラリネットのブルージーな演奏のお手本のように思う。後者は、有名なナンバーだが、トランペットやサックスにも負けないフロント楽器としてのクラリネット演奏というものが存在することを、身をもって示しているように感じる。 何だか抽象的な述べ方になってしまったけれど、“クラリネットのモダン・ジャズってどんなの?”という人にもまず聴いてもらいたい1枚でもあるように思う。[収録曲]1. Buddy's Blues2. Ferdinando3. It Could Happen to Me4. Autumn in New York5. Left Field6. Show Eyes7. But Not for Me8. Bass on Balls[パーソネル、録音]Buddy DeFranco (cl), Kenny Drew (p), Milt Hinton (b), Art Blakey (ds)1953年4月15・20日録音。 【中古】 ミスター・クラリネット/CD/UCCU-5186 / バディ・デフランコ / ユニバーサル ミュージック クラシック [CD]【メール便送料無料】【あす楽対応】 ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひクリックをお願いします。 ↓ ↓ ↓
2021年12月11日
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地味ながら滋味に溢れた“元祖アンプラグド盤” 米国の夫婦デュオ、デラニー&ボニー(Delaney & Bonnie)には、『オン・ツアー・ウィズ・エリック・クラプトン』(1970年リリース)という有名盤がある。しかし、その陰に隠れがちながら、聴き逃がしては絶対に損だと思っている盤がある。それこそが、この『モーテル・ショット(Motel Shot)』という、1971年発表のアルバムである。 タイトルが示すように、本盤はツアー先のモーテルの部屋で録音された。宿泊施設のルーム内で、アンプで増幅した音を出すなどということはできず、結果、生ギターにウッドベース、ピアノといった演奏は、後世の言い方に従うならば、いわゆる“アンプラグド”の演奏となった。そんなわけで、後世になってから“元祖アンプラグド盤”などと形容されるようになったみたいだが、MTVアンプラグドを軸としたブームよりも30年近く前にそれを先取りしていたということになる。 生楽器の演奏にロック魂は宿りうるのか。答えはイエスというのが本盤である。プラグを指せば、なるほどデラニー&ボニーのライヴ演奏になったといえそうな演奏が並ぶ。もう一つの特徴は、アルバム名義にも刻まれている“&フレンズ”という部分で、デュエイン(デュアン)・オールマン(スライド・ギター)、ディヴ・メイスン(ギター)、グラム・パーソンズ(ギター、ヴォーカル)、ジョー・コッカー(バッキング・ヴォーカル)、レオン・ラッセル(ピアノ、ヴォーカル)といったなかなかのメンバーが共演している。 個人的に好みのナンバーをいくつか挙げておきたい。4.「ロング・ロード・アヘッド」は、私的にはデラニー&ボラニーらしいイメージにとっても合致した曲だったりする。5.「色あせた恋」は、通常のライヴ盤ならここで聴きどころみたいになったであろうと想像する。7.「カム・オン・イン・マイ・キッチン」は、かのロバート・ジョンソンのナンバーで、この曲のロック的解釈としてはお手本のような演奏。トラディショナル曲の11.「フィーリング・バッド」もまた、アコースティック演奏ながら、ロック音楽としての魅力に溢れている。結局のところ、音量の大きな演奏でなくてもロックの真髄は表現されうるし、伝わりうる。それを1970年代初頭の段階でアルバムに残しているのは、かなりの偉業と言っていいように思う。[収録曲]1. Where the Soul Never Dies2. Will the Circle Be Unbroken3. Rock of Ages4. Long Road Ahead5. Faded Love6. Talkin' about Jesus7. Come on in My Kitchen8. Don't Deceive Me (Please Don't Go)9. Never Ending Song of Love10. Sing My Way Home11. Goin' Down the Road Feelin' Bad12. Lonesome and a Long Way from Home1971年リリース。 モーテル・ショット [ デラニー&ボニー&フレンズ ] ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひクリックをお願いします。 ↓ ↓ ↓
2023年05月08日
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気まぐれ80s~Chapter 13(その6) 再びロック・ナンバーです。1985年、デュラン・デュランのアンディ・テイラーがロバート・プラントと組んだバンド、パワー・ステーション(The Power Station)のファースト盤がリリースされました。話題の盤だったこともあり、当時、筆者も早速聴きましたが、それこそダビングしたテープが擦り切れそうなくらい聴いた記憶があります。 同盤の中でのお気に入りは、シングルとしてもヒットした2曲でした。一つは以前に紹介した「ゲット・イット・オン」(T. REXのカバー)、そして、もう一つが今回の「サム・ライク・イット・ホット(Some Like It Hot)」でした。 同時代を知る人にとっては、なんとも懐かしのビデオなのですが、現代の感覚では、少し古めかしく感じられるかもしれません。とはいえ、ジャケット・デザインの絵が動くというのは、なかなか斬新なアイデアだったと思います。 さて、ライヴでロバート・パーマーがこの渋い歌唱を披露している様子も少しご覧いただこうと思います。一つめは1988年、二つめは1997年のステージ上での姿です。 惜しむらくは、ロバート・パーマーは、2003年、54歳の時に心臓発作で急死してしまったことです。円熟を重ねて60歳代になったこの人のヴォーカルを聴いてみたかったと思っている人はきっと多いのではないかと思っています。[収録アルバム]The Power Station / The Power Station(1985年) Power Station パワーステーション / Power Station 輸入盤 【CD】 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2023年07月22日
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ソロとしてゲストとの共演、エレキ・ギターへの回帰 ジョン・マクラフリン(John McLaughlin)は、1942年イギリス出身のギタリスト。1971年から自身のバンド、マハヴィシュヌ・オーケストラで活動し、解散後にはシャクティというバンドを数年間続けた。そして、シャクティ解散後に発表されたソロ作が、1978年の『エレクトリック・ギタリスト(Electric Guitarist)』だった。 本盤は、マクラフリンにとって、二重の意味での“回帰作”となった。一つは、シャクティ時代のアコースティック・ギターから、エレクトリック・ギターへの回帰。表題はこの点がそのままアルバム・タイトルになっている。そして、もう一つは、西洋音楽への回帰である。これをフュージョン音楽として結実させるために彼がとった方法は、多彩なゲスト・ミュージシャンたちとの共演だった。 本盤参加の演奏者には、マハヴィシュヌ・オーケストラのメンバーだったジェリー・グッドマン(1.,ヴァイオリン)、共演作もある盟友カルロス・サンタナ(2.,ギター)、ナラダ・マイケル・ウォルデン(2.,ドラムス)、デイヴィッド・サンボーン(3.,アルト・サックス)、チック・コリア(4.,ピアノ)、ジャック・ディジョネット(4.,ドラムス)、ジャック・ブルース(5.,ベース)、トニー・ウィリアムス(5.,ドラムス)らが含まれる。まさにマクラフリンの旧知のミュージシャンを一気に並べたような面々である。 いくつか注目したい曲をピックアップしておきたい。1.「ニューヨーク・オン・マイ・マインド」は、マハヴィシュヌ時代を思わせる演奏。2.「フレンドシップ」は、その表題が示すように、C・サンタナとの共演で、かつての共演作『魂の兄弟たち』を想起させる。4.「ドゥ・ユー・ヒア・ザ・ヴォイス・ザット・ユー・レフト」は、チック・コリア(さらには同じくRTFのスタンリー・クラーク)、ジャック・ディジョネットとのカルテット演奏の精度の高さに加え、敬愛するジョン・コルトレーンの「ジャイアント・ステップス」をベースにしたコード進行で演奏されている。さらに、7.「マイ・フーリッシュ・ハート」は、マクラフリンにとっては珍しいスタンダード曲のアルバム収録。しかも、エレキ・ギターによるソロ演奏となっている。[収録曲]1. New York on My Mind2. Friendship3. Every Tear from Every Eye4. Do You Hear the Voices That You Left Behind?5. Are You the One? Are You the One?6. Phenomenon: Compulsion7. My Foolish Heart1978年1 ~2月録音。 John Mclaughlin ジョンマクラフリン / Electric Guitarist 【CD】 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 クリックで応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2023年08月10日
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気まぐれ80s~Chapter 14(その4) マドンナ(Madonna)は、1980年代前半に音楽シーンに登場し、空前の売り上げを記録したポップ界の女王。現役で活動を続けていて、65歳になった現在も、少し前に新恋人発覚?などと話題と振りまいたりしていました。 そんな彼女の1980年代のヒット曲はと言うと数知れないわけですが、今回は1986年の「パパ・ドント・プリーチ(Papa Don’t Preach)」です。大ヒットした第3作の『トゥルー・ブルー』からの2枚目のシングルで、全米・全英のほかオーストラリア、カナダ、イタリアでもシングルチャート1位となりました。 まずは、オリジナルのビデオをご覧いただきたいと思います。 このナンバーは、当時のアメリカの社会問題としての未婚・未結婚での出産というテーマを取り上げたとして話題にもなりました。上のビデオでは、20歳代後半のマドンナが未成年少女役をやっているというのも何だかすごい設定ですが、その父親役には、俳優のダニー・アイエロが出演しています。 さて、続いては、日本でのライヴの模様です。1990年の横浜でのステージとのことです。 [収録アルバム]Madonna / True Blue(1986年) トゥルー・ブルー [ マドンナ ] 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2024年06月09日
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気まぐれ80s~Chapter 14(その10) 10回目の区切りとなりました。ひとまず14度目の80年代曲選の締めくくりは、ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)の「すてきなSomebody(I Wanna Dance With Somebody (Who Loves Me))」です。 1963年生まれの彼女は、1985年のアルバム『そよ風の贈り物』で衝撃のデビューを果たし、今回の曲が含まれるセカンド作『ホイットニーII』では初登場1位という人気ぶりでしたが、やがて身を持ち崩し、48歳で急死しています。 まずは、元気いっぱいのオフィシャル・ビデオをご覧ください。 ライヴの映像をいくつか見ましたが、やはり1980年代後半当時のものが優れているという印象でした。ホイットニーが所属したアリスタ・レコードの15周年コンサートでのステージ(1990年)での「すてきなSomebody」をお聴きください。 フレディ・マーキュリーを扱った映画『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年)の成功によって、近年、音楽アーティストの生涯や半生を描き出す映画が次々と作り出されています。この傾向に筆者はいい加減、飽き飽きしてきてはいるのですが、ホイットニーについても伝記映画が製作されています(『ボヘミアン~』と同じ脚本家の手によるのだそうです)。最後に、本曲の表題がついたその映画のトレイラー動画もご覧ください。 通算14回目となったエイティーズ曲選ですが、これで一区切りとなります。次回からは通常の更新に戻る予定です。[収録アルバム]Whitney Houston / Whitney(ホイットニーII) (1987年) Whitney Houston ホイットニーヒューストン / Whitney: ホイットニー II すてきなsomebody 【BLU-SPEC CD 2】 Whitney Houston ホイットニーヒューストン / Whitney: ホイットニー II すてきなsomebody 【BLU-SPEC CD 2】 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2024年06月18日
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リラックス・ムードが伝わる、陰をたたえつつもどこか爽やかさの残る好盤 エリック・クラプトン(Eric Clapton)という天才は、何ともお騒がせな人でもある。人生の迷いや悩みがそのまま音楽人生にも通ずるという、幸か不幸かわからない生き方をしてきた。大雑把に挙げても、70年代はドラッグ依存症とそこからの復帰。その後はジョージ・ハリスン(元ビートルズ)の妻との恋やら、アルコール依存症やら、さらには交通事故まで。90年代には息子の転落死など、人生の波乱が続いた。 こうした彼の人生の歩みはしばしば楽曲や作品に反映され、ファンもそれとリンクさせて聴いてきた人が多い。つまるところ、クラプトンの特徴の一つは、人生の歩みがそのまま曲やアルバムに反映される度合いが強い点にあるとすら言っても過言ではないのかもしれない。元ジョージの妻へ捧げた「愛しのレイラ」(デレク・アンド・ザ・ドミノス)や、不慮の事故で亡くなった息子に捧げた「ティアーズ・イン・へヴン」などの彼の有名曲は、その典型例と言うわけだ。 さて、本盤『安息の地を求めて(There’s One In Every Crowd)』は、名作として知られる『461オーシャン・ブルヴァード』に続く本格復帰後のソロ第二弾アルバム。上のようなクラプトンの波乱の人生を考えると、ある意味安定していた時期ということになるだろうか。だからといって他に埋もれていいアルバムというわけではない。原題を直訳すると“どんな群れにもそんな奴はいる”と言ったように意味になるけれど、まさしく他に埋もれるのではなく、“群れの中で存在感を示す個”というタイトルにふさわしい内容ではないかと感じている。 楽曲のよさ、アレンジのよさに加え、何よりもいい感じに肩の力が抜けたリラックスぶりが、聴き終えた後にほのかな爽やかさを残す、そんな好盤と言えるように思う。クリーム時代のようにハードなクラプトンもいいし、もっとポップな路線に走った後年のクラプトンも悪くないのだが、どれか一つ選べと言われると、筆者は本盤や『461オーシャン・ブルヴァード』の前後のレイドバックしたクラプトンも捨て難く思ってしまう。本盤の収録曲の中で個人的にベストなナンバーは、1.「ジーザス・カミング・スーン」と2.「揺れるチャリオット」、8.「可愛いブルー・アイズ」。他には、エルモア・ジェームズの5.「ザ・スカイ・イズ・クライング」、メアリ・マックリアリーの6.「ブルースを唄って」も外せない。 ファンからはいろいろ期待され、型にはまったものを求められるのがこの人はいやだったのだろうか。そしてまた多様なことができる器用さ(いい意味でも、悪い意味でも、どちらとも)も、この人には備わっていた。そんなことを考え出すと、一歩引いたクラプトンも捨てがたく思えてくるのである。[収録曲]1. We've Been Told (Jesus Is Coming Soon)2. Swing Low, Sweet Chariot3. Little Rachel4. Don't Blame Me5. The Sky Is Crying6. Singin' the Blues7. Better Make It Through Today8. Pretty Blue Eyes9. High10. Opposites1975年リリース。 【送料無料】安息の地を求めて/エリック・クラプトン[SHM-CD]【返品種別A】 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2013年05月23日
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3分前後の曲を中心にピアノ・トリオ盤で聴くモンク セロニアス・モンク(Thelonious Monk)は、1917年生まれ(1982年没)のジャズ・ピアニスト。ジャズのスタンダードとなった楽曲を多く残した作曲家としても知られている。1940年代初頭から活動を始め、50年代から60年代にかけて主に活躍した。 ブルーノート・レーベルでのいくつかの録音(40年代後半から50年代初頭、『ジーニアス・オブ・モダン・ミュージック Vol. 1』など)を行なった後、1952年から54年にかけて、セロニアス・モンクはプレスティッジ・レーベルにいくつかの吹込みを残す。その中の1枚が本作『セロニアス・モンク・トリオ』である。ちなみに、本盤は、原題は単にThelonious Monkとしか表記されていないが、しばしばThelonious Monk Trioという名で呼ばれている。 本アルバムは、1曲目の「ブルー・モンク」だけが7分を超える演奏で、残りはいずれも3分前後の長さなのでとっつきやすい(と言いながらも筆者が特に好きなのはこの1.であったりもする)。それでいて、ピアノ・トリオ(ピアノ、ベース、ドラムの3人編成の演奏)なので、セロニアス・モンクのプレイに落ち着いて耳を傾けることができる。管楽器が入っているわけでもなければ、かといってピアノ独奏(モンクの作品にはピアノだけの演奏のものも何枚かある)でもないので、モンクを初めて聴いてみる人にも向いている1枚だと思う。 ジャケットは一見するとシンプルだが、落ち着いて眺めると何だかよくわからない意匠の絵(バリトン・サックス奏者として知られるギル・メレのデザイン)である。それでもって、実際に音楽を聴いてみると、やはり一筋縄ではいかない。 ただ単に"美しい"だけのピアノ演奏を期待している人は、すぐさま本盤に裏切られてしまうだろう。伝統的な音楽理論にあわない音の重なり(不協和音)、ポキポキしたピアノ音が印象的で、時として聴き手を不安な気持ちにすらさせる部分もある。とはいえ、一般にはこの辺が強調され過ぎるきらいがあるので、念のため言っておくと、意味不明のヘンテコな音が延々と続くような音楽ではない。そういう音が随所で意図的に(しかも後述するように、実に効果的に)用いられているのがモンクの音楽の特色の一つと表現すればよいだろうか。 これらの"ヘンテコ"な音は偶然の産物では決してない。しっかりと計算された上で用いられ、効果を出しているところがモンクのすごいところなのだと感じる。モンクのピアノを指して"幼稚園児のピアノのよう"という形容を見かけることあるが、実際のところ、この形容は少し的が外れているように筆者には思える。というのも、確かに、うわべだけ聴くと、子どもが適当に鍵盤を叩いたような音に聴こえるかもしれない。しかし、ほんの少し落ち着いて聴けば、それが計算ずくであることがわかり、この点が"幼稚園児のピアノ"という表現が与える印象とは決定的に違うのである。この意図的な音の効果により、モンクの音楽は平面的(二次元的)なものにとどまらず、立体的(三次元的)広がりを出すのに成功している。言い換えれば、これらの音は、モンクの頭の中にある伝統的枠組とは違う音のイメージを具現化するための手段だったのであろう。ビル・エヴァンス(ジャズ・ピアニスト)の言葉を借りれば、「この人物は、理論的に自分が何をやっているのかを正確に把握していた」。 上記のように、モンクの音楽は伝統的な音楽理論の枠組には収まらないものである。それゆえ、ヘンテコな音楽だなどとよく言われるわけだが、現代の耳(それはモンクを消化して出来上がっているとも言える)からすると、もはやそうではないとも言える。要するに、その当時のモンクが時代の先を行っていたということになってしまうのだろうけれど、逆に言えば、時代がモンクに追いついたとも言える。そう考えて"現代の耳"からモンクを聴けば、ヘンテコとか難解とかいう近づき難いイメージは払拭され、もっと親しみのある作曲家/演奏者としてモンクを聴き直すことができるんじゃないかとも思う。 [収録曲]1. Blue Monk2. Just a Gigolo3. Bemsha Swing4. Reflections5. Little Rootie Tootie6. Sweet and Lovely7. Bye-Ya8. Monk's Dream9. Trinkle, Tinkle10. These Foolish Things録音&パーソネル:1952年10月15日(5.~8.)Thelonious Monk (p), Gerry Mapp (b), Art Blakey (ds)1952年12月18日(3., 4., 9., 10)Thelonious Monk (p), Gerry Mapp (b), Max Roach (ds)1954年9月22日(1., 2.)Thelonious Monk (p), Percy Heath (b), Art Blakey (ds) 【送料無料】JAZZ THE BEST Legendary 150::セロニアス・モンク・トリオ [ セロニアス・モンク・トリオ ]
2009年11月23日
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CCR名曲選・第2弾(その3) CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル)名曲選の第3回です。今回は、よき時代のよきナンバーをCCRが巧妙にカバーした、とでも言えそうな曲を取り上げたいと思います。彼らにとって第4作となった『ウィリー・アンド・ザ・プアボーイズ』(1969年)に収められた「コットン・フィールズ(Cotton Fields)」という曲です。 この曲は、レッドベリー(Lead BellyもしくはLeadbelly,1888年生まれで1949年死去のフォーク/ブルース・シンガー)のナンバーです。ちなみに、これとほぼ同時期にビーチ・ボーイズもこの曲を吹き込んでいて、1970年にシングルとしてリリースされています。 そんなわけで、レッドベリーの「コットン・フィールズ」、そしてビーチ・ボーイズによる「コットンフィールズ」(こちらの方はCottonfieldsと一語で表記されています)をそれぞれお聴きください。 [収録アルバム]Creedence Clearwater Revival / Willy and the Poor Boys(1969年)The Beach Boys / 20/20(1969年) 【メール便送料無料】クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル / ウィリー・アンド・ザ・プアボーイズ(40周年記念盤)[CD][初回出荷限定盤] Beach Boys ビーチボーイズ / 20 / 20 + 2 【SHM-CD】HMV&BOOKS online 2号店 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2018年03月30日
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“サーフィン・サウンド”を代表するアルバムの真価 いやはや、とにかく暑い…。そんなわけで、今回は夏、そして海、といった典型的イメージに合致する一枚を取り上げてみたいと思う。べたと言われそうではあるが、ザ・ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)の『サーフィンU.S.A.(Surfin' U.S.A.)』である。 ザ・ビーチ・ボーイズは、1961年にカリフォルニアで結成されたロック・グループで、本盤は彼らの第2作に当たる。裏ジャケに廃されたメンバーの写真は、上段にブライアン・ウィルソン(ヴォーカル、ベース、キーボード等)、その下には左から順にカール・ウィルソン(ギター)、デニス・ウィルソン(ドラム)、デヴィッド・マークス(ギター)、マイク・ラヴ(ヴォーカル、サックス)となっている。ブライアン、カール、デニスの3兄弟を中心としたメンバーだが、カールとデニスは既に鬼籍に入っている(デニスが1983年、カールが1998年に死去)。長いキャリアの中ではメンバーの入れ替わりや分裂騒動があるが、一応、現在までグループとしては存続している。 さて、デビュー間もない本盤の頃の彼らに話を戻そう。メンバーは全員1940年代(1941~48年)生まれ。なので、1963年リリースのこのアルバムの時点では、全員が10代後半~20歳過ぎのまさしく“ボーイズ(少年たち)”である。本盤表題曲の「サーフィンU.S.A.」は全米チャートで3位のヒットとなり、本作自体もアルバムチャートの2位と大きな人気を呼び、彼らの出世作となった。 12曲と収録曲数は多いものの、いずれも2分前後(時間的にいちばん長いのが表題曲の2分半)なので、アルバムのトータル収録時間としては、わずか24分ほど。とはいえ、これらの曲を通して聴くにつけ、彼らの“前”と“後”、それぞれの流れがよくわかる。 “前”というのは、ビーチ・ボーイズというグループが生まれてきたバックグラウンドである。いわゆる“サーフィン・サウンド”とか、“サーフ・ギター”とか言われるもので、メンバーのうちデニスの趣味が反映されたものだったらしい(逆に、曲作りに関わっていたブライアンにその趣味はないとのこと)。当時の南カリフォルニアの地元スター、ディック・デイルが“サーフィン・サウンド”というのを売り文句に使った最初の人物だったという。実際、11.「レッツ・ゴー・トリッピン」はそのデイルの曲で、これを含めてサーフィン系インスト曲が5曲収められている。 さて、一方で“後”というのは、二種類に分けられるように思う。一つは、『ペットサウンズ』へとつながっていく、当時の音楽界全般の流れとの関係。ブライアン・ウィルソンがこの側面の主役であるが、彼が手掛けた曲の中に明確にこれというものはないが、部分部分にその片鱗があるということは言えそうな気がする。他方で、コーラス・ワークも“後”への流れという風に考えてよいだろう。場合によっては当時のビーチ・ボーイズを、後々のウェスト・コースト・ロックの源流の一つに見なすような見解もある。ビーチ・ボーイズというと、1.「サーフィン~」のイメージがあまりに強いという人もいるだろうけれど、単なる一過性ヒットであるだけでなく、ロック音楽史的にちょっと振り返ってみると、違った聴き方もできるのかなと思ってみたりする。[収録曲]1. Surfin' U.S.A.2. Farmer's Daughter3. Misirlou4. Stoked5. Lonely Sea6. Shut Down7. Noble Surfer8. Honky Tonk9. Lana10. Surf Jam11. Let's Go Trippin'12. Finders Keepers1963年リリース。 サーフィン・U.S.A.+1/ザ・ビーチ・ボーイズ[SHM-CD]【返品種別A】 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2017年08月06日
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もう一人の自分=スカーレットの旅 トーリ・エイモス(Tori Amos)自身をイメージしたスカーレットなる人物が全米各地を旅するという設定のコンセプト・アルバムが本盤『スカーレッツ・ウォーク(Scarlet’s Walk)』である。デビューから15年間在籍したアトランティック・レーベルを離れ、エピックに籍を移して2002年に発表した、移籍第一弾アルバム(通算ではスタジオ6作目)である。 全18曲の旅路はCDのブックレットに地図(“トーリ・エイモス『スカーレッツ・ウォーク』・オフィシャル・ロードマップ”と題されている)が掲載されている。旅といっても、スカーレットの旅は、決して楽しく全米各地を観光して回るといった性質のものではない。曲調も詞の内容も決して明るいものではなく、むしろ内省的である。それもそのはず、2001年のいわゆる“9・11”を契機としてアメリカの国威発揚の機運が高まる中での作品だった。これら一連の国家的“盛り上がり”を違った眼差しで見つめていた米国人たちもいたのである。そんな一人がトーリ・エイモスであり、アメリカ社会の陰の部分や大国家アメリカに潜む大きな闇のようなものを辿る旅とでも言えばよいだろうか。内容・メッセージ的な面では、ブルース・スプリングスティーンの1995年作アコースティック盤『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』的な物語性や、ストーリーテラーとしての側面と相通ずる。要するに、“内なるアメリカ”を暴くような眼差しを投げかけている、メッセージ性の強い作品である。 こういう作品を聴いていると、ある意味、アメリカ合衆国という国は面白い国だと思う。9.11.テロの直後など(わりと最近ではビン・ラディン殺害ニュースの時も)では、国民的に異常な盛り上がりを見せ、他の国から冷静な目で見ると自己中心的な解釈に国中が沸くという、なんとも節操のないお国柄のように見える。ところが、芸術活動や創作活動の部分になると、こういう自分たちの属する社会の欺瞞や奢りへの静かな問いかけがコンスタントに発信される。それは、良い言い方をすれば、表現の自由が保障されているから(つまりは「自由の国、アメリカ」)と言うこともできるだろう。一方、辛辣な見方をすれば、そういう冷静な洞察力が実際の国民感情や政治運動に結び付きにくい、いわば国民全員参加の民主主義の負の部分の裏返しを反映してもいるのかもしれない。 本盤の18曲の合計収録時間は74分という長尺なものだ。しかし、過去の記事(『ザ・ビーキーパー』の項を参照)でも指摘したように、このトーリ・エイモスという人は長時間聴かせる特殊な才能のあるアーティストで、その力量は本作でも存分に発揮されている。重いが、聴きごたえがあり、思索を巡らせてくれる一枚。[収録曲]1. Amber Waves2. A Sorta Fairytale3. Wednesday4. Strange5. Carbon6. Crazy7. Wampum Prayer8. Don't Make Me Come to Vegas9. Sweet Sangria10. Your Cloud11. Pancake12. I Can't See New York13. Mrs. Jesus14. Taxi Ride15. Another Girl's Paradise16. Scarlet's Walk17. Virginia18. Gold Dust2002年リリース。 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2012年01月30日
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異国情緒とは、ある意味誤解の連続なのだろうか ジョー・ヘンダーソンは1937年生まれのテナー・サックス奏者。1963年以降、ブルーノートをはじめいくつかのレーベルに作品を残している。1972年にはブラスロックバンドのブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ(アル・クーパーが開始し、ころころとメンバーが変わった)にも参加したが、その音源は現在のところ未発表らしい。60年代に多くの作品を残したが、その後も90年代に至るまでアルバムを吹き込み、2001年に亡くなっている。 彼のリーダー作で筆者が聞いたのは本作のみ。したがって、ここで述べるのは、まるっきりこの一作での感想であることをお断りしておく。 本作『ページ・ワン』は1963年の初リーダー作。後にジャズのスタンダード曲となった1.「ブルー・ボッサ」で有名なアルバム。個人的にもこの曲はお気に入りで、要するに曲が好きなので、他のどのアーティストが演奏していてもとりあえず聴いてみたくなるのだけれど、やはりヘンダーソンの演奏がベスト。 だからといって、この1曲しか聴かないというのではなく、他も聴いてみるべきだ。「ブルー・ボッサ」はボサノバ風の曲だけれど、4.「レコルダ・メ」(ポルトガル語およびスペイン語でRemember Meの意味)も同じくボサノバ風のテイストの曲だ。本当ならRecordameと一語で綴られるはずの単語がなぜかRecorda Meと二語で綴られているのがほほえましい、というよりも怪しい(ちなみに2.の曲名もポルトガル語だ)。 要するに何が言いたいかというと、ブラジル・ポルトガル語のことをよく知らないけれど、「ブルー・ボッサ」であり、「レコルダ・メ」なのだ。もしかするとブラジルを誤解したままこれらの曲は作曲されたり、演奏されたのかもしれない。 そんな「誤解」を想像させるのには、さらなる理由がある。一緒に収められている5.「人力車」という曲だ。ヘンダーソンはこの吹き込み時以前に来日経験があったという。けれど、アルバムの原盤ライナーを書いたケニー・ドーハム(本作に参加のトランペッター)は「中国の、人を運ぶカートのこと」などと解説している。しかも、この曲を聴いてみてもどこが「東洋的」なのかさっぱりわからない。もし、「中東の夜」というタイトルがついていたら、なるほどそんな雰囲気と聴き手は思ってしまうような、いい加減なイメージの曲だ。 とまあ、悪口ばかり書いているように聞こえるかもしれないが、「ブルー・ボッサ」も、「レコルダ・メ」も、「人力車」も、いずれも名演奏に仕上がっているところが、このアルバムの不思議なところ。きっと、想像上のブラジル、(来日はしたとはいえ)何らかの誤解をはらんだままの日本が曲に反映された。日本人やブラジル人が聴いたら、「どこが日本的(あるいはブラジル的)なの?」というかもしれない。しかし、音楽はある意味ではイマジネーションによって創造されるもの。日本で聴くジャズだって、日本人の勝手な思い込みでアメリカのイメージを膨らませながら聴いているという側面が往々にしてあるのだから、いいではないか。 できあがった演奏が心地よければそれでいいのだ。聴き手それぞれの思い込みたっぷりに、好きな解釈で楽しめば、あるいは解釈などという小難しいこと抜きに聴いてみれば、仮に着想が誤解であっても、そしてそれでいいのだと思う。[収録曲]1. Blue Nossa ←おすすめ2. La Mesha3. Homestretch4. Recorda Me ←おすすめ5. Jinrikisha ←おすすめ6. Out Of The Night ←おすすめKenny Dorham (tp), Joe Henderson (ts), McCoy Tyner (p), Butch Warren (b), Pete La Roca (ds)録音:1963.6.13
2009年07月27日
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気まぐれ80s,サード・シーズン(その5)~80年代前半を彩ったニュー・ウェーブ・ロックのヒット曲 80年代の初頭、“ランド・ダウン・アンダー”(世界地図上で下の方にある土地)から彗星のごとく現れ、ヒットを飛ばしたバンドにメン・アット・ワーク(Men at Work)がありました。メルボルンで70年代末に結成され、1981年のアルバム『ワーク・ソングス(原題:Business As Usual)』でデビュー。その先行シングルがこの「ノックは夜中に(Who Can It Be Now?)」という曲でした。1981年に発売されるとオーストラリアのチャートで2位を獲得、その人気はカナダ経由で米国にも及び、翌年には全米チャートで1位を獲得するに至りました。 メンバーはヴォーカルのコリン・ヘイ(Colin Hay)をはじめ、ロン・ストライカート(Ron Strykert,ギター)、ジョン・リース(John Rees,ベース)、ジェリー・スペイサー(Jerry Speiser,ドラム)、グレッグ・ハム(Greg Ham,サックス、フルート)。飄々とした歌いっぷりのコリン・ヘイが強く印象に残っているというオールド・ファンも多くいらっしゃるかと思います。 バンドはメンバーの入れ替わりを経て1986年に解散してしまいますが、10年後の1996年に再結成され、2000年にはシドニー・オリンピックでもそのパフォーマンスを披露しました。80年代当時のレコーディング・ヴァージョンだけ聴いていると少々イメージがわきにくいかもしれませんが、バンドとしてのパフォーマンス(演奏力)もなかなか高いバンドでした。公式のライヴ・ヴァージョンもどうぞ。 とりわけこの曲は冒頭のサックスが印象的ですが、サックスのほかフルートやキーボードを担当していたグレッグ・ハムは昨年(2012年)4月に自宅で亡くなっているのが発見されました。一人暮らしだったとのことですが、享年58歳。死因も発表されてないようですが、この曲に続くヒット曲「ダウン・アンダー」の盗作訴訟もあり(2010年に敗訴の判決)、晩年はいろいろと苦労も多かったようです。ともあれ、在りし日を思い出しつつ、ご冥福をお祈りします。[収録アルバム]Men At Work / Business As Usual(ワーク・ソングス)(1981年)↓オリジナル・アルバム(リニューアル、ボーナストラック)↓ 【RCP】【Joshinはネット通販部門1位(アフターサービスランキング)日経ビジネス誌2013年版】【送料無料】ワーク・ソングス/メン・アット・ワーク[Blu-specCD2]【返品種別A】↓こちらはベスト盤です。↓ 【送料無料】ザ・ベスト・オヴ・メン・アット・ワーク [ メン・アット・ワーク ] 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2013年10月18日
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CCRの短編芸術性(その2) CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル、Creedence Clearwater Revival)の名曲シリーズ、第2回目です。 日本語では「ローディ」で定着してしまっていますが、正しくは「ローダイ(Lodi)」と読みます。そして、そのローダイというのは、米国カリフォルニア州、サンフランシスコの東方百数十キロにある町の名前なのです。ジョン・フォガティ自身は訪れたことはなく、この町の名の響きがカッコよかったから曲になったのだとか。まあ、サンフランシスコ出身のバンド(南部っぽいサウンドですが、念のため、カリフォルニア出身のバンドです)ということを考えれば、地元に近い町の名前に着想を得たというのもなるほどといったところでしょうか。 もう一つの動画ですが、今回はジョン・フォガティによるアコースティック・ヴァージョンをお聴きください。ギター1本になっても、アコースティックになっても、やっぱりこのロックンロール魂は一緒というのが何ともいいですね。 CCRの3分名曲選、まだしばらく続けます。ぜひお付き合いください。[収録アルバム]Creedence Clearwater Revival / Green River(1969年) ポイント5倍(2/17 10:00-2/20 9:59)【メール便送料無料】Creedence Clearwater Revival / Green River (w/Bonus Tracks) (輸入盤CD)(クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル) 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2017年02月20日
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1977年、ドイツでのライヴ盤 トム・ウェイツ(Tom Waits)のスタイルは年代と共に変化していったが、1970年代の“弾き語り詩人”的なパフォーマンスは多くの人たちを魅了してきた。筆者もそれに憑りつかれた一人である。もともと初期のライヴ盤としては、1975年の『娼婦たちの晩餐』があったが、この1977年のドイツでのライヴ盤は、どうやらブートレグとして出回っていたものが一般に出回ったものということのようである(正式リリースではないみたいだけれど、音質はちゃんとしたものである)。 ジャジーな演奏、しゃがれた声、自由なマイク・パフォーマンス…とこの当時のトム・ウェイツのいい部分がそのまんまにしっかりと収められているライヴ盤である。彼のデビューから、『土曜の夜』や『ブルー・ヴァレンタイン』などを経て、『ハートアタック・アンド・ヴァイン』までの辺りを好きな人にはぴったりはまる盤ではないかと思う。 個人的な独断と偏見で好みの演奏を何曲か挙げておきたい。1.「スペア・パーツ」は上記の名ライヴ盤『娼婦たちの晩餐』でも重要な役どころだったナンバー。4.「ピアノが酔っちまった」は、『スモール・チェンジ』の所収曲で、表題からして“酔いどれ”な感じだが、歌詞にもあるように、元々のタイトルには、末尾に“(Not Me)”とあり、正確には「ピアノが酔っちまった(俺ではなくて)」というもの。いくつもの曲に言えることだけれど、10.「エモーショナル・ウェザー・リポート」なんかに見られるように、自由でインプロヴィゼーショナルな雰囲気がいい。『土曜の夜』所収の12.「ニュー・コート・オブ・ペイント」を聴いてもわかるように、アルバムの演奏の再現という気は、おそらくはさらさらなくて、その場の雰囲気の方がはるかに重視されて演奏されたというのが、このライヴ感を醸し出す最大の源になっていたのだろうと思う。 それにしても、この辺の時期まで(厳密には1980年の『ハートアタック・アンド・ヴァイン』までというのが最も適切かと思う)のトム・ウェイツの演奏は、本当に“酒場”に似合う音楽だった。その酒場というのは、静かで小さなバーだったり、猥雑な雰囲気のする酒場そのものであったり、広いスペースで酒が提供されている場所だったりと様々なものを含む意味で言っているのだけれど、1970年代に本当にそういう場で一杯いただいてみたかった。まあこのトム・ウェイツの演奏の時点で筆者は未成年で、日本の外にも行ったこともなかったわけで、どだい無理な話ではあったのだけれど(笑)。[収録曲]1. Spare Parts2. Invitation to the Blues3. Depot, Depot4. The Piano Has Been Drinking5. Pasties & A G-String6. Step Right Up7. Semi Suite8. Fumblin' with The Blues9. Midnight Lullaby10. Emotional Weather Report11. I Can't Wait to Get off Work12. New Cort of Paint13. Nobody but You14. Diamonds on My Windshield15. Everytime I Hear the Melody16. The One that Got Away2008年リリース(1977年録音)。 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 クリックで応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2020年11月02日
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600万アクセス記念~いま聴きたいあのナンバー(その24) さて、メキシコの次はブラジルです(笑)。といっても、ブラジルのアーティストというわけではなく、表題が「ブラジル(Brazil)」というナンバーということで取り上げます。正確には、「アクアレラ・ド・ブラジル(Aquarela do Brasil)」というのがポルトガル(ブラジル)語での原題で、ブラジルの曲なのですが、英語圏(米国)で取り上げられたものをお届けします。英語圏ではわかりやすくするためか、単に「ブラジル」と呼ばれています。 ジェフ&マリア・マルダー(Geoff & Maria Muldaur)は、1960年代にジム・クェスキンのジャグ・バンドで出会って結婚したデュオです。この2人の名義での活動としては、1972年に離婚するまでの間に2枚のアルバム作品を残しています。ジェフがヴォーカルをとる「ブラジル」をどうぞ。 この曲は、とても有名なナンバーですので、いろんな人が歌ったり演奏したりしています。ブラジル出身のアントニオ・カルロス・ジョビンや、ジャズ・ギター奏者のジャンゴ・ラインハルトなどもその例なのですが、今回のもう1つの動画としては、英語圏の大物ということで、フランク・シナトラのものをお聴きいただこうと思います。シナトラによる「ブラジル」をどうぞ。 [収録アルバム]Geoff & Maria Muldaur / Pottery Pie(1970年リリース)Frank Sinatra / Come Fly With Me(1958年リリース) 【輸入盤CD】Geoff Muldaur/Maria Muldaur / Pottery Pie 【K2018/3/30発売】(ジェフ・マルダー&マリア・マルダー) ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひクリックをお願いします。 ↓ ↓ ↓
2021年04月14日
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個人的には後になってから味を噛みしめた盤 1990年、トム・ウェイツ(Tom Waits)が音楽を担当したミュージカル(『ブラック・ライダー』)がハンブルクで初演を迎えた。このミュージカルは、その後、パリをはじめ、様々な場所で上演されたということなのだが、少し遅れて1993年に、同ミュージカルで用いられた楽曲を新たにスタジオで録音したアルバム、『ブラック・ライダー(The Black Rider)』がトム・ウェイツの作品としてリリースされた。 正直、リリース当時、どういったわけか筆者はあまりこの盤には魅かれなかった。平たく言ってしまえば、聴き手側が作品に追い付いていなかったということなのだろう(1曲目の叫び声が強烈だったせいもあるのだろうけれど)。今となっては何とももったいない話ではあるのだが、いろんな音楽を聴いていると、こういうことは時として起こり得る。それなりの年齢になってからそんな風に思えるようになった。 さて、時とともに味を噛みしめるようになった本盤収録の曲のいくつかを見ておきたい。表題曲の2.「ブラック・ライダー」のように、ミュージカルの場面をそのまま切り取ったかのような楽曲が複数見られる。他方、3.「ノーヴェンバー」のように、語り部としてのトム・ウェイツらしい曲も収録されている。その両方の特色を持ち合わせたかのような、9.「ザ・ブライアー・アンド・ローズ」のような曲もある。ミュージカルが元になっていることを強く感じさせるインスト曲の10.「ロシアン・ダンス」や11.「ゴスペル・トレイン」があるが、その直後に聴き手の心に染みわたる12.「アイル・シュート・ザ・ムーン」というのが実にいい。なお、このパターンの展開は、インスト曲の17.「オイリー・ナイト」から18.「ラッキー・デイ」の流れにも見られる。ラストが20.「カーニヴァル」というインストルメンタル・ナンバーで終わるのも、ミュージカル・ベースのアルバムならではなのかもしれないが、ミュージカルを知らなくとも、壮大なストーリー展開の世界に引きずり込まれるような気がする。 こんなことを書きつつ、やっぱりその当時、30年近く前の筆者には、その良さがわからなかったのかな、とちょっと思ってしまったりする。ともあれ、年齢関係なく、成熟したリスナーが聴けば、きっとこの盤の良さがわかってもらえるのではないかと考えたりするのだけれど…。[収録曲]1. Lucky Day Overture2. The Black Rider3. November4. Just the Right Bullets5. Black Box Theme6. 'T' Ain't No Sin7. Flash Pan Hunter/Intro8. That's the Way9. The Briar and the Rose10. Russian Dance11. Gospel Train/Orchestra12. I'll Shoot the Moon13. Flash Pan Hunter14. Crossroads15. Gospel Train16. Interlude17. Oily Night18. Lucky Day19. The Last Rose of Summer20. Carnival1993年リリース。 輸入盤 TOM WAITS / BLACK RIDER [CD] 【輸入盤CD】TOM WAITS / BLACK RIDER 【中古】 ブラック・ライダー/トム・ウェイツ 【中古】afb 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2022年06月07日
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親しみやすく、ストレートかつスリリングな演奏 マイルス・デイヴィス(Miles Davis)の作品群の中には、記念碑的とか金字塔とは言われないものの、多くの人に愛されている盤といった類の盤もある。そんな盤の代表例の一つが、この『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム(Someday My Prince Will Come)』と言えるんじゃないだろうか。ジャズ史の流れを変えるような何かすごい演奏が繰り広げられているというよりは、ハード・バップ然とした、その当時の彼と彼のバンドの演奏スタイルが極めて良好な形でレコーディングに残された作品とでも評せばよいだろうか(余談ながら、筆者的には1950年代後半~1960年代半ばが特に好みだったりする)。 演奏に参加しているのは、『カインド・オブ・ブルー』を含む黄金期のメンバーである。テナーはハンク・モブレーもしくはジョン・コルトレーンで、ピアノはウィントン・ケリー、ベースはポール・チェンバース。そして、ドラムスはジミー・コブという面々である。 表題曲の1.「いつか王子様が(サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム)」は、1937年のディズニー映画『白雪姫』の挿入歌。1957年にこれをジャズで取り上げたデイヴ・ブルーベックをはじめ、このマイルスのものや、さらにはビル・エヴァンス、ハービー・ハンコックなど様々なジャズ奏者が演奏を行っている。本盤でのマイルスの演奏(現在では別テイクもボーナストラックとして聴くことができる)は、進行の巧さ、そして何よりもマイルスのミュート・トランペットのすばらしさが際立っていて、本盤のベストの曲だと思う。同じく、マイルスのミュート演奏という点では、2.「オールド・フォークス」も必聴である。途中でピアノ・ソロを挟むものの、この曲の演奏の大部分でマイルスのミュート演奏が聴きものとなっている。さらに、聴き逃がせない演奏としては、マイルスのペンによる5.「テオ」が挙げられる。曲進行もさることながら、聴きどころはテナー演奏で、この曲のみテナーはモブレーが外れ、コルトレーンがたっぷりとコルトレーン節を聴かせてくれる。 ついでながら、ジャケット写真の女性は当時のマイルス・デイヴィスの奥さん(1953年に知り合ったダンサーで、1959年に結婚し、1968年に正式に離婚)である。表題からして、まさか、怖い顔をしたマイルスが“王子様”っていうわけでもないのだろうけれど(笑)。[収録曲]1. Someday My Prince Will Come2. Old Folks3. Pfrancing4. Drad-Dog5. Teo6. I Thought About You~以下、ボーナストラック~7. Blues No. 28. Someday My Prince Will Come (alternate take)[パーソネル、録音]Miles Davis (tp), Hank Mobley (ts, 5.を除く), John Coltrane (ts, 1.と5.), Wynton Kelly (p), Paul Chambers (b), Jimmy Cobb (ds, 7.を除く), Philly Joe Jones (ds, 7.のみ) 1961年3月7日、20日、21日録音。 SOMEDAY MY PRINCE WILL COME【輸入盤】▼/MILES DAVIS[CD]【返品種別A】 Miles Davis マイルスデイビス / Someday My Prince Will Come + 2 【BLU-SPEC CD 2】 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2022年11月04日
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気まぐれ80s~Chapter 13(その5) 今回は、趣向を大きく変えて、夏のビーチでも連想しそうなナンバーと行きたいと思います。1989年、ワールド・ミュージックのブームの火付け的役割を果たしたカオマ(Kaoma)の「ランバダ(Lambada)」です。日本ではオリコン12位を記録したナンバーです。 このカオマは、フランスから出てきたバンドで、実際にはフランス人以外にブラジル人やセネガル人を含む混成グループでした。時代が違ったと言えばそれまでなのかもしれませんが、南米のフォルクローレ(「泣きながら」、Llorando se fueまたはChorando se foi)を盗作したものでした。和解金を支払って解決したとのことですが、デザインの盗用で有名ブランドやファスト・ファッションが訴えられる世界的ご時世からすると、隔世の感がします。 日本でのワールド・ミュージック熱の高まりにより、この曲は日本人にもカバーされました。石井明美が歌う「ランバダ」(1990年)もお聴きください。往時を知る人にとっては、なんとも懐かしい映像です。 最後に、上のような事情で曲をパクられてしまったボリビアのフォルクローレ・グループ、ロス・カルカスによる「泣きながら(Llorando se fue)」のステージでの演奏の様子もご覧ください。途中で日本語で歌っている場面が出てくるところにも注目です。 [収録アルバム]Kaoma / Worldbeat(1989年)石井明美/『熱帯夜』(1990年) 【中古】 ワールド・ビート〜ランバダ /カオマ 【中古】afb 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 クリックで応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2023年07月21日
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