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戦後間崎雄一はいつものように運転手つきの車の後部座席に乗り、市ヶ谷駅の横を抜け、靖国神社の南門の前を通った。去年定年間際の59才でかろうじて重役に昇進した雄一にとっては運転手つきの車がなにより自慢である。今も、後部座席の窓から靖国通りを歩くサラリーマンを眺めながら優越感に浸っている。車の窓の外には疲れたようなサラリーマンが冬の寒さの中、肩をすくめながら帰宅に足を急がせている。(敗北者たちはみじめなもんだな)雄一は心の中でせせら笑った。年をとってもサラリーマンはこれから満員電車に乗って遠い家まで帰る。(それに比べて俺は)あと十五分もすれば高級マンションに着くのだ。雄一の口からは笑みがこぼれた。しかしその瞬間、雄一は道を急ぐサラリーマンたちの中に小さな女の子を見た。その女の子は、赤いちゃんちゃんこを着ていた。少女、というよりまだ3才になるかならぬかの幼女であった。幼女はじっと雄一を見ていた。(美也子)雄一は心の中で叫んだ。「止めろ」雄一は運転手に命じ、車を止めさせた。運転手はあわててブレーキを踏んだ。雄一は勢いよく外へ飛び出て、女の子がいた方を見た。人の群れの中、赤いちゃんちゃんこの袖がかすかに揺れた。(美也子、美也子だ)「常務どうしたのですか」運転手があわてて降りてきた。雄一の耳には運転手の声は聞こえなかった。ただ、「美也子!」とひたすら叫びながら雑踏の中に女の子を追った。周りの人たちが振り返る。赤いちゃんちゃんこはちらちらと揺れながら、靖国神社の南門から中の方へ消えていった。雄一はつんのめりながらも必死で追いかけた。やがて雄一は靖国神社の本殿の裏の樹々の中に迷い込んだ。雄一は息を切らせながら立ち止り、何度も美也子、美也子と叫んだ。(痛い)突然心臓に痛みが襲ってきた。狭心症の雄一は胸を抑え、思わずしゃがみこんだ。意識がもうろうとしてきた。(おれは死ぬのかな)2月だというのに体中から汗が噴き出てきた。その時、雄一の前にある大きな杉の木の陰から、女の子が顔を出した。「美也子」「おにいちゃん」それは、まぎれもない妹の美也子だった。「美也子、許してくれ。にいちゃんは。にいちゃんは」美也子と呼ばれる女の子はただ笑っている。昭和12年、当時三歳の雄一は満州鉄道の技師だった父と母と三人で、中国大陸にある満州帝国に渡った。満州帝国は旧日本陸軍が中国東北部に建国した偽物の政権である。やがて昭和16年に太平洋戦争がはじまり、昭和17年を過ぎると戦況は日本にとって不利になり満州帝国も危うくなってきた。そのころである。雄一に妹の美也子が生まれたのは。研究技師の子供であった雄一と美也子は、幾多の中国人を使用人にして王子、王女のように育てられた。ただ、父は家に帰ってることが少なくなり、会社に寝泊まりするようになっていた。そしてときおり夜遅くに帰って来ては、母と茶の間で沈痛な面持ちで話をしていた。雄一は寝ないでそっと父母の話を聞いていた。父はときどき、「日本は負ける」「満洲国はつぶれる」と言っていた。その話の内容は、当時小学校に上がったばかりの雄一にも十分にわかった。(これからどうなってゆくのだろう)雄一は怖くなって、隣ですやすや寝ている乳児の美也子の手をそっと握った。昭和20年8月、日本は戦争に敗けた。その数日前ソ連軍が満州になだれ込んできた。その日の昼、会社に出勤していた父が突然帰ってきて、玄関のところで大声でどなった。「逃げろ。おれはまた職場に戻る」母が玄関に出た時は父の姿はすでになかった。職場に戻った父はそれきり所在が分からない。のちに聞いた話では、ソ連軍に囚われ、シベリアに送られ亡くなったという。母は雄一の手をとり、美也子を背にしょって同じ満鉄の社員だった妻子たちと逃げた。際限もなく広がるコウリャン畑を満州鉄道の社員の家族たちの集団が歩いていく。ときおり、ソ連軍の飛行機が数機、集団の頭上にやってきた。そのつど集団は背の高いコウリャン畑の中に入りじっとしていた。ソ連軍のジープが通ることもある。集団は息をひそめてジープの行きすぎるのを待った。ジープが通り過ぎると集団はまた歩き出す。数日の逃避行で母は動けなくなった。もともと病気がちなところに来て過酷な逃避行である。母は道端に横たわり、雄一の頭をなでた。「雄ちゃん。これからいうことをよく聞いてね」母は息絶え絶えの中からようやっと声を出した。「雄ちゃん。あなたは男の子でしょ。美也子を美也子をたのむわね」そういうと乳児の美也子を雄一に押し付けるように差し出した。「かあさん」母はそれだけいうと、ガクッと首を垂れた。「かあさん。かあさん」母はみるみるうちに冷たくなっていった。雄一の腕の中では美也子が何も知らずに笑っている。雄一が美也子をおぶって大連まで来た時、旧知の中国人に会った。名前をチャンと言った。チャンは父の部下だった。「私はあなたのお父さんに恩がある」といって、手厚く扱ってくれた。二人は、彼にかくまわれて一年を過ごした。ある日、彼が飛び込んできた。「雄チャン。イイ知ラセガアルヨ」彼の言うことはこうだった。チャンの友人が雄一を日本に送ってやるというのだ。「タダシ」とチャンは悲しそうな顔をした。「雄チャンヒトリダケダケド」チャンがいうには、美也子ちゃんはまだ小さいから足手まといになるという。雄一は後ろを振り返った。そこには、美也子がすやすやと眠っている。「決行はいつですか」雄一はチャンに聞いた。「2時間後ノ午後4時デス」チャンは雄一を見つめた。雄一は思わず外を見た。午後2時の冬の太陽はその向こうの山の上に照り映えている。午後4時、チャンの友人が迎えにきた。チャンの家のすぐ近くの駅から汽車に乗り込むのだ。美也子はすやすやとまだ眠っている。雄一はチャンの友人と駅から汽車に乗り込んだ。家を出る時、チャンは、「美也子チャンのことは大丈夫」「必ず迎えに来るから」と雄一はチャンの手を握った。やがて汽車が動き始めた。その時だった。長い線路を3才の美也子が追ってきたのだ。「おにいちゃん。おにいちゃん」美也子は赤いちゃんちゃんこを着て、何度も転びながら雄一の乗った汽車を追ってきた。美也子の赤いちゃんちゃんこは夕日に照り映えだんだん小さくなっていった。(美也子)雄一は心の中で叫び、汽車の窓を閉めた。そして耳をふさいで目をつぶって泣いた。チャンの友人は雄一の肩を抱いた。まだ少年の雄一はいつまでも泣きじゃくっていた。それから、雄一は日本に戻り、親戚を頼って大学を出た。大きくなったら美也子を連れもどす、と思っていた気持も年を重ねるごとに薄らいでいきやがて家庭を持ち、出世街道をなんとか歩んできた。美也子のことはときどき思い出すが最近ではちょっと胸が痛むぐらいになってしまった。「美也子」美也子の背に大きな夕日がぽっかり浮かんでいる。「美也子。許してくれ。にいちゃんは」「おにいちゃん。もういいのよ。美也子は」そういうと美也子は悲しそうな顔をした。「美也子。許してくれ」雄一の心臓がキュンとなった。雄一は胸を押さえた。「美也子。俺はこのまま死んでもいい」「おにいちゃんは心臓が悪いのね」「ああ、でもこれもお前を捨てた罰だ」美也子は再び微笑んだ。「私のたった一人のお兄ちゃんだもの。死なせやしないわ」美也子はそういうと、雄一の胸に飛び込んだ。「美也子。許してくれるのか」やがて美也子は雄一の胸で消えていった。「美也子。美也子」雄一は美也子を抱きしめようとした。しかし、美也子はやがて消えた。最後に声だけが残った。「おにいちゃん。おにいちゃんの病気は私が持って行くわ」「美也子」雄一は周りを見回した。そこには誰もいない。そして雄一の心臓の痛みはなくなっていた。
2010.07.04
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みかん今はもう昔になってしまったが、この話は、日本でオリンピックのあった年、今から四十年前のことである。大阪に住んでいた八才の雄太は、二月の寒い朝、父に連れられて父の故郷、奈良に行くため鶴橋の駅に着いた。「向こうに行ったら、行儀良くするんだよ」父は、そういいながら駅のホームでたばこを吸った。「うん」雄太は、うなずきながらも久しぶりに電車の乗れるのがうれしかった。やがて、二人は電車に乗った。この頃の電車は四人がお互いに向かい合って座る席で床も板で出来てあり、床一面が油で塗られ、車内には油の匂いがしていた。車内は朝早いせいかがらがらで、雄太は父と二人で並んで座った。父は、いすに座るとポケットからウィスキーのこびんを出して飲み始めた。朝早く出たので、雄太は朝ごはんを食べていなかった。そのため母親が電車の中で食べるようにとお弁当を作っていてくれた。雄太はさっそくひざの上にお弁当を開いた。梅干、おかか、しゃけの入ったおにぎりと、おかずは雄太の大好物の卵焼きとたくわんだった。雄太は、おにぎりを口いっぱいにほおばった。おにぎりはまだ少しあたたかった。その時、車両のドアを開け一人の中学生らしい女の子が入ってきた。そして車内はがらがらなのに、雄太たちの前に、座った。(じゃまだなあ)ほかに席はいっぱいあいているのにわざわざ前に座ってくる女の子に雄太は少し腹が立った。女の子は、粗末な服装をしていた。たぶん女の子のおかあさんがずっと着ていたものをお下がりとしてもらったのだろう、女の子らしい服ではなく大人の服だった。ひじのところはすりきれ、あちこちに穴が開いていた。髪の毛もぼさぼさのまま、ゴムで後ろにしばっているだけだった。女の子は風呂敷包みを大事そうに胸にかかえていた。いまどき若い女の子が風呂敷包みをもっていることはない。若い子はみんなバッグをもっている。女の子はよほどお腹がすいているのか、おにぎりを食べている雄太の口をじっと見つめていた。そしてときどきごくり、とつばを飲み込んだ。雄太はお弁当を取られまいと腕で隠すように、女の子の方をちらちら見ながら急ぐように食べた。女の子は、やがて風呂敷包みの中をごそごそし始めると、大事そうにみかんを二つ出し、脇のいすの上に置いた。電車は動き始めた。その頃、お弁当を食べ終わった雄太は女の子を見ていた。女の子は、いたわるように二つのみかんの上に手を置き、窓の外を見ていた。やがて電車は、竹やぶの林に入った。その時、女の子が急に立ち上がり窓を開け始めた。(寒いのに)外は、雪がちらついている。雄太はいやな顔をしたが、女の子はかまわず窓をあけた。雪交じりの冷たい風がさーっと車内に入ってきた。雄太はよっぽど文句を言ってやろうかと思ったが、女の子は雄太の気持ちなど知らず、窓の外に顔を出し、雪を顔、髪の毛じゅうにつけ電車の走る方を薄目を開けしっかりと見ている。やがて竹やぶをすぎて、生駒山の入り口にさしかかった時、踏み切りの音が遠くに聞こえてきた。と、踏み切りの音と一緒に小さな子供たちの叫び声が聞こえてきた。雄太は、窓に立ちふさがる女の子の隙間から外を見た。そこには、女の子の妹や弟らしい小さな子が二人立っていた。二人の子供たちは、涙声と共にちぎれるように手を振り、口々に何かわめいていた。「ねえちゃーん」「ねえちゃーん」とぎれるように聞こえる涙の声。女の子は、いすにあったみかんをとると子供たちに放り投げた。「元気でな」「ねえちゃんもがんばるからな」「おとうさん、おかあさんのいうことを聞いてねー」女の子も涙声でさけんだ。やがて、子供たちの姿は小さくなり見えなくなった。女の子は、しばらく子供たちのいたほうを見ていたが、あきらめたように窓を閉めた。そして、いすに座った。女の子は、いすにすわった後もしばらくは涙を服のそででこすりながら泣いていた。雄太の父は、しばらくだまってお酒を飲んでいたが、女の子に声をかけた。「おじょうちゃん、働きに行くのかい」女の子は泣きながらうなずいた。女の子は、大阪の鶴橋の中学校を卒業するのだが、家が貧しくて上の学校には行けず、ちょっと早いが良い就職口が合ったので卒業前の、この二月からならの漬物屋さんに住み込みで働きに出るのだという。「でも」女の子は、ちょっと恥ずかしそうに、「8月のお盆には休みをくれるから、家に帰れるんです」女の子は初めて笑った。「そしたら、妹や弟におみやげをもってきてあげるんです。小学生の妹にはふでばこを、まだ学校に入っていない弟には絵本を」「ふうん、感心だね」父は、うなずいた。「妹は、ふでばこがないので、鉛筆をゴムでしばって学校へ行くから、みんなにいじめられるんです。だから」女の子はうつむいた。「弟の友達の家には絵本があって、いつも遠慮しながら見させてもらっているんです。それで僕も絵本がほしいといっていたので、私が働いて買ってあげるんです」女の子は、ちょっと涙声になりながらも、「これで妹や弟はいじめられずにすむから。だから私、どんなに苦しくても一生懸命働いて、そしてうんとお金をためて、おとうさんおかあさんにあげるんです」父は、ずっと聞いていたがやがて、ポケットから財布を出し、百円札を一枚取り出すと、「おじょうちゃん、これ就職祝いだ」といって女の子の手に握らせた。「えっ、でも」「いいんだよ。おじちゃんも小さい頃、おじょうちゃんと同じように小学校を出て、すぐに働き出した。いいね。これは、おじょうちゃんと同じように小さい頃から働きに出た先輩からのお祝いだ。決して負けるんじゃないよ。負けちゃだめだよ」「はい」女の子は恥ずかしそうに百円札を受け取り、大事そうに自分の財布にしまった。やがて、電車は奈良に入り、女の子は就職先である西大寺で先に降りた。女の子は、ホームから電車の雄太たちに何度も何度もお辞儀をし、そして雄太の乗る電車は動き出し、女の子は見えなくなった。それから四十年、雄太は結婚し大阪で住んでいる。ときどき、用があってあの鶴橋の駅に行くが、中学生の女の子はみんなきれいな服を着て、あのときの女の子のような子は今はもういない。
2010.07.03
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