Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年02月01日
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カテゴリ: 霊魂論
内的霊的衝動の写しとしての美術史
第2講  ルネサンスの三人の巨匠 レオナルド ミケランジェロ ラファエロ
ドルナハ  1916年11月1日-ルネサンスの偉大な巨匠たち-1
 さて、ルネサンスの偉大な巨匠のこの三人、つまりレオナルド、ミケランジェロ、ラファエロが、人類進化におけるひとつの頂点、アレクサンデル6世(ボルジア家)、ユリウス2世、レオ10世という一連の法王たちに結びついている頂点として立っているようすを、これが人間の進化のなかに含まれる悲劇的なもののひとつなのですが、それを総合的にとらえてください。これらの法王は、芸術的な集中力に関しては第一級の人間に含められはしますが、同時に彼らが支配者として人類進化のなかに介入すべく任命された場に、殺人、偽装、残忍、毒物混入といった支配手段を適用することで当時行われ得たきわめて外的なことをもたらすのに適任な人物たちでした。しかし彼らが芸術において誠意を持っていたことはまったく疑うべくもないことです。心情においては商人の立場に留まり続けたメディチ家の法王たちに至ってもそうなのです。ユリウス2世は、あらゆる残虐さへの傾向、偽装も躊躇せず、毒をまさに世界史的家庭使用に良い手段のごとく用いる奇妙な人間でしたが、同時に、守れない約束は決してしなかったと言われてしかるべき人間でもありました。彼は決して芸術家たちを拘束せず、彼らに対して約束したものの程度は落としませんでした。彼が特定のしかたで発動させようとしたもののために指名された芸術家たちが、その仕事に携わって奉仕することのできた限りにおいてなのですが。今、この一連の法王たちのかたわらに、これらの作品を創造した偉大な人物たち、わたしたちがきょう魂をかすめていくのを見た三人の偉大な人物たちを思い浮かべ、よく考えてみてください。そのうちのひとり、レオナルドのなかに、こん日なおも発展に至ってないものが生きていたこと、ミケランジェロのなかに彼の時代と彼の狭くそして広い祖国の全悲劇生きていたこと、そしてラファエロのなかにこの時代全体を意のままにする可能性が生きていたこと、なるほど彼は敏感ではありましたが、いわば鋭敏さと言ってもよいほどに、時代の波に運ばれるようにその上にのって運ばれたものすべてに対して敏感であり、しかも同時に自らのうちに完結した性質であったことによってその可能性は生きていたのです。これらのことついてよく々考えてみてください。レオナルドもミケランジェロも、時代のなかへと作用することのできたものを時代のなかにもたらすことができなかったことを。ミケランジェロは、時代のなかにあったものすべてを人間の個から形作り仕上げることを目指して奮闘していました。彼は結局、その時代が完全に受け入れることのできたものは創造できませんでした。レオナルドにいたってはなおさらにできませんでした、何故なら彼は、彼の時代において受け入れられることのできたものよりずっと偉大なものを、魂のなかに担っていたからです。ラファエロは、若いままにとどまった人間性を発展させました。そして賢明な時代の導きとでも申し上げたいものによって定められたかのように、彼はそのような若さを展開すべく定められていました、彼の衝動から来るものを生み出そうとした時代そのものがまずもって若返ろうとしていたがゆえに、年を取ることのできない、年を取ることを欲さなような若さを展開すべく定められていました、彼の衝動から来るものを生み出そうとした時代そのものがまずもって若返ろうとしていたがゆえに、年を取ることのできない、年を取ることを欲さない強度をもって、そのような若さを展開すべく定められていたのです。今や、ラファエロがますます理解されなくなる時代が到来しました、なぜなら時代は、ラファエロが彼の時代に与えることができたものよりも、もう年を取ってしまったからです。最後に、ラファエロが提供した肖像をもう少し。これらは彼のパトロンであったふたりの法王ですね。これで終わりです。

参照画:アレクサンデル6世(ボルジア家)、ユリウス2世、レオ10世
アレクサンデル6世(ボルジア家)、ユリウス2世、レオ10世はいずれもローマ教皇でした。以下に彼らの肖像画を掲載します。




参考;アレクサンデル6世(ボルジア家)、ユリウス2世、レオ10世はいずれもローマ教皇でした。以下に彼らの詳細を記載します:アレクサンデル6世(1431年 - 1503年)は、15世紀のローマ教皇で、在位は1492年から1503年まででした。本名はロデリク・ランソルで、母方の伯父であるカリストゥス3世の教皇就任に伴って、母方の苗字であるボルハ(ボルジャ、Borja)に変えました。彼はルネサンス期の世俗化した教皇の代表的存在であり、好色さ、強欲さやジロラモ・サヴォナローラとの対立によっても非難されることが多かった。ユリウス2世についての情報は提供されていませんが、彼はアレクサンデル6世の後任となりました。レオ10世についての情報も提供されていませんが、彼はルネサンス期の教皇であり、その在位中に宗教改革が始まりました。なかでも最期は悲惨です。教皇の遺体は人前で安置されたが、膨れ上がった遺体を目にした人々により毒殺の噂が広まることとなった。教皇の葬儀は、兵士と司祭達の間で乱闘が起こったり、用意された棺桶が教皇の遺体を入れるには小さいものであったり、さらに教皇の遺体は粗末な防水布でまかれていたという状況であった
参考画:ヴィルヘルム・トリュブナー-教皇アレクサンデル6世の死(1883年)


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最終更新日  2024年02月01日 06時21分54秒
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