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2024年02月20日
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カテゴリ: 霊魂論
ルドルフ・シュタイナー 初期哲学論文-5
真理と学問
Ⅱ.カントの認識論の根本問題
 通常、カントは、言葉の現代的な意味で認識論の創始者と呼ばれている。この見解に抗して、カント以前の哲学史が実際にそのような学問への単なる萌芽以上のものとみなしうる数多くの研究を指し示していると反論できる。フォルケルト*²もまた、認識論に関する彼の基本的な著作の中で、既にロックと共にこの学問が批判的に取り扱われ始めたことを述べている。けれども、更に以前の哲学者たちの場合にも、それどころか既にギリシャ哲学において、現在、認識論でよく行われる議論を見出すのである。一方で、ここで考察される全ての問題は、カントによって深く掘り起こされ、その後、カントを受け継いで数多くの思想家たちが、既に以前に提出された解決の試みを、カント自身か、或いは彼のエピゴーネンかのどちらかのもとで再発見するかたちで、同じ問題をあらゆる面から十分に研究したのである。従って、認識論の歴史的な研究ではなく純粋に内容的な研究が問題であれば、純粋理性批判とともに登場したカント以降の時代を考慮に入れるだけで、重要な著作物を見過ごすことはほとんどないであろう。それより前にこの領域で成し遂げられたことが、この時代において再び繰り返されるのである。
【原注】
*2:フォルケルト「経験と思考-認識論の批判的基礎付け」ハンブルク及びライプツィヒ 1886年
 カントの認識論の根本問題とは、いかにしてア・プリオリな綜合的判断は可能であるか(Wie sind synthetische Urteile a priori möglich?)である。我々は一度、この問いの無前提性に目を向けてみよう!カントがこの問いを投げかけるのは、我々がア・プリオリな綜合的判断の正当性を証明することができるときにのみ、我々は無条件に確かな知に達することができるのだと彼が考えているからである。彼は言う、「前記の課題の解決の内には、同時に、対象についてのア・プリオリな理論的認識を含んでいる全ての学を基礎付け遂行するときの純粋理性使用の可能性が、一緒に含まれている」*³、そして「形而上学の存亡、従ってまたこの学の存在は、今や全く前記の課題の解決にかかっている」*⁴と。
【原注】
*3「純粋理性批判」キルヒマン版 61 ページ(ベルリン 1868 年)。「プロレゴメナ」から引用する際に振られた他のページ数も、全てこの版に拠っている(訳者註:原佑訳(渡邊二郎訳)『純粋理性批判(上)』平凡社ライブラリー 2005 年 p.121 を参照) *4:カント『プロレゴメナ』5 節( 訳者 注:篠 田英 雄 訳『 プロ レゴ メナ 』岩 波文 庫 1977 年 p.56を参照)

【原注】
*5:カント「純粋理性批判」p.53(訳者注:原佑訳(渡邊二郎訳)「純粋理性批判(上)」平凡
社ライブラリー 2005年 p.99 を参照)
*6:ヨハネス・レームケ「知覚と概念としての世界」ベルリン 1880年 p.161
*7:我々はここで当然単なる思考可能性を意味している。
*8:オットー・リープマン「現実の分析のために」ストラスブルク 1880 年。思想と事実

参照画:ヨハネス・レームケ



参照画:オットー・リープマン




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最終更新日  2024年02月20日 09時17分09秒
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