Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2024年09月11日
XML
カテゴリ: 霊魂論



「精神科学と医学」第五講 本文・解説 1920年 3月25日 ドルナハ
第五講●解説 ■テーマ2.人間と人間の外部との間には内的な親和性があり、その相互関係に入り込んでいくことに関わらなければならない
 人間と人間外部との間には、「内的な親和性」があるということがここでは指摘されています。それによって、「治療関係」が何に基づいているのかを明らかにするためです。ここでは、シュタイナーの宇宙進化論からの人間進化の基本的な観点について理解が求められます。通常の「進化論」とされている考え方では、この地球上で非常に低い確率のもとで蛋白質が形成され、生物と非生物の中間的な存在のウイルスをも含めて、そこから生命が誕生し、それが単細胞生物から多細胞生物へ、そして魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、類人猿、ホモ=サピエンス・・というように適者生存や突然変異などによって人間へと進化したようにとらえられていますが、シュタイナーの宇宙進化論における人間の進化というのは、人間が自らの外へと放出することによって世界が生み出され、それによって人間が現在のような段階に至ったというふうにとらえられています。これは少しわかりにくいかもしれないのですが、最初に現在のような人間をイメージするのではなく、鉱物も植物も動物も人間も、すべての要素を含んだ存在を原初の人間としてとらえるとすれば、植物、動物とその内から外へ放出していくことによって、植物界、動物界が生み出されてきたというふうにとらえられます。人間は、そうしたものを自らの外へと放出することによって、いわゆる現在の人間のような状態へと純化というか進化してきたわけです。そういう視点で見ると、人間の外にあるものは、かつて人間であったことにある存在であるということになり、だからこそ、「人間自身の本性とある種の親和性を持つ」ということができるのだといえます。さて、これはすでに先日来の個々の考察から出てくることではありますが、まずは一般的に、人間と人間の外部の世界全体との間には内的な親和性があるということを指摘しておきたいと思います。さしあたり抽象的に述べられているとは言え、精神科学的観点からしばしば言われることは、人間は進化していくうちにその他の世界を自らのうちから外へ出していき、そのため人間の外部にあるものは、人間自身の本性とある種の親和性を持つということです。こういう関係をこのように抽象的に宣言することに対して、私たちは、この親和性をまったく個別的に器官の治療に際して繰り返し指摘していくべきでしょう。けれどもさしあたって特に明確にしておきたいことは、そもそも人間と人間の外部の自然との治療関係は何に基づいているのかということです。さて、治療法についてですが、ここでホメオパシーとアロパシーについて述べられている観点は非常に重要なものです。ホメオパシーについては、第2講でも述べられていましたが、ホメオパシーというのは、同種(類似)療法で、健康体に与えるとその病気に似た症状を起こす物質を、ごく低濃度に希釈し、それを薬品としてその病気にかかった患者に投与して治療する方法であり、アロパシー(逆症療法)はちょうどこれとは逆のやりかたで、通常、日本で薬として用いられているものは、アロパシーの考えに基づくものです。つまり、何かの症状があるとそれを抑える物質を投与するというものです。シュタイナーは、このアロパシーというのは本当はないのだ、アロパシー的な治療であっても、すべてホメオパシーのプロセスによって治療されているといえるのだと言っています。そして、アロパシー的な治療は、生体組織に負担を多く与えることになるといいます。シュタイナーの医学の考え方の基本は、このホメオパシーの考え方にあります。ウェレーダ社は、そのシュタイナーの医学の考え方に基づいて薬やその他のさまざまな製品をつくっています。そのホームページもあって、そこには、そのホメオパシーの考え方が詳しく紹介されていたりします。皆さんもご存知のように、この分野においては論争が絶えず、私たちがこれから先もっと厳密に語っていく治療法も、激しい論争の渦中にあります。これらの論争のうちとりわけよく知られているのが、ホメオパシー志向の医師たちと、アロパシー志向の医師たちとの間の論争です。さて、精神科学としてはどのようにこの論争に介入しようというのか、これが皆さんの興味を引くことかもしれません。けれども、この介入というのは本来かなり特殊なものです。と申しますのも、精神科学に判明しているものにとって、その根本において、本来アロパシー療法家というものは存在しないからです。実際のところ、アロパシー療法家というものは存在しないのです。なぜなら、アロパシー的に薬として処方されたものであっても、生体組織にあっては、ホメオパシーのプロセスをたどり、実際にこのホメオパシープロセスによってのみ癒していくからです。したがっていかなるアロパシー療法家といえども本来は、自身の生体組織がホメオパシーをすることによって、アロパシー的な処置の支えとしているわけです。生体組織は、アロパシー療法家が行わないこと、つまり薬の個々の部分の関係の止揚ということをそもそも実行しているのです。ですからやはり、生体組織からこういった類のホメオパシーをすることを取り除くか否かということについてはかなりの差異があります。これは端的に、生体組織における治癒のプロセスは、薬がホメオパシー化されるときに徐々に現れてくる状態とおそらく関係しているためです。生体組織にとってはしかし、外界の物体がふつう有しているものは自らと対立するものであり、生体組織と外界の物体とは治癒上の親和性がないために、生体組織は外界の物体を異物として自分のなかに取り入れることになるので、アロパシー的な状態の薬を付与するときに発現する力をすべて生体組織に負わせると、生体組織は結局おそろしく負担をかけられて支障をきたしてしまうのです。物体からこのホメオパシー化を取り除くことが不可能な場合について、特にもう少しお話ししていくつもりです。ホメオパシーについての言及は、「人間と人間の外部の環境との個々の関係」を見出すためのものです。そうした認識が不可欠だというわけです。現代科学のような表面的な見方、唯物論的な視野狭窄の見方では、そうした認識は得られません。しかし、それは古代の医師たちを真似ることが必要だというのではなく、現代科学の有しているあらゆる手段を使いながら、そしてそれを拡大、補完し、そうした認識を獲得しなければならないというわけです。さて、おわかりのようにホメオパシーとは根本的に言って、本来ある程度自然そのものから非常に注意深くひそかに学びとられてきたものなのです。たとえその際、これについてもさらに見ていきますが、ファナティスム(狂信/fanaticism)が意味ありげな飛躍をしてしまったことがあったにせよ、そうされてきたのです。しかしここで重要なのは、人間と人間の外部の環境との個々の関係のためにいかに道を見出すことができるかということを認識していくことです。しかも私たちはここで、すでに昨日別の場合に申しましたように、古代の医学的著作に思慮深く沈潜することが役立つこともあるにせよ、むろん古代の医師たちが発言していたことを単にそのまま真似ることはできず、たとえば現代科学のあらゆる手段をもって、この人間と人間外部の環境との相互関係に入り込んでいくことに関わり合わねばならないのです。ここでまず確認しておくべきことは、物質の化学的な調査、つまり個々の物質が実験室で開示するもののなかに入り込んでいくようなことによっては、あまり多くのことは成し遂げられないということです。すでに示唆いたしましたように、本来こういう顕微鏡による観察を、これは実際一種の顕微鏡観察法なのですが、それから飛躍して巨視的な観察、つまり宇宙そのものの観察から生ずるものにも対応していかなければならないのです。
参考画:James Webb Space Telescope:JWST



   (第五講●解説 ■テーマ2、人間と人間の外部との治療関係の基礎-了)

哲学・思想ランキング





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024年09月11日 07時33分23秒
コメントを書く
[霊魂論] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

プロフィール

cap-hiro

cap-hiro

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: