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カミさんと下の子は実家に一時帰省していて、今夜帰ってくる予定。家に残っているのは自分と上の子だけ。カミさんがいないので、二人で貧しい(笑)夕食を済ませ、テレビ番組で少し笑い、交代で風呂に入って、今、一段落といった感じ。子の作った蕎麦を夕食としたが、二人して物足りないので、一人自転車でコンビニへ菓子パンを買いに出かけた。さすがに車も少なく、コンビニを除く大半の店は早仕舞いし、歩道にも人は歩いていない。夜間には普段でも人通りが少ない住宅街だが、暗いバス停で年配の夫婦らしき二人が、肩を並べてバスを待っていた。雨がポツポツと降ってはいるが、すぐに乾いてしまうほど少なく、ただただ雲が夜空を隠したいが為だけにお義理に降らせている、と、そんな感じだ。まもなく、2008年が終わり、次の年がやってくる。とりあえず、誰とは言わない、皆さん、ありがとう。そして、来年もよろしく(笑)
2008年12月31日
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損保の代理店をしている知人から、電話で年末の挨拶があった。雑談の中で聞いた話に、ちょっとビックリ。慌ててネットニュースを探すと…損保3社が統合検討 三井住友・あいおい・ニッセイ同和損害保険2位の三井住友海上グループホールディングス(HD)、4位のあいおい損害保険、6位のニッセイ同和損害保険の3社が統合に向けて交渉していることが28日、分かった。年度内にも基本合意を目指す。損保業界ではこれまでにも再編成が行われてきたが、正しく激動という言葉に相応しい合併話だ。いずれ詳しい話は出てくるのだろうが、日本興和や損保ジャパンも、ただ見守ってはいられない状況だろうなぁ。損害保険といえば、大きな柱は自動車保険(任意保険)だ。若者の自動車離れや不景気の影響もあって、元からパイの奪い合いだった業界が、更に厳しい競争をする状況になっている。これを機に、現在第一位の東京海上が他損保との統合を行うようなことになれば、業界は一気に2大勢力化する可能性もゼロではない。政治の世界で二大政党制が話題になるが、損保業界の方が一足先に形を作りそうに思えてくる。ただ、ちょっと気になるのは、人員整理のこと。通常、二つの会社が合併すれば、いずれ部門部署は整理され、それに合わせて人員も整理される。その時、解雇や転籍といったことも起こるのではないかと思う。世間は「派遣社員の不幸」には目を向けているが、目立たないところでも社員切りやパート切りが行われている。そういう目立たないところは、ニュース価値が無いというのか、或いは触れてはいけないことなのか、マスメディアが取り上げることは滅多にない。この辺りに、なんだか不公平感がある。その合併・整理というのは、ヨソの話でなく、いずれ自分にも降りかかってくる話なのかもしれないが、それにしても…である。
2008年12月29日
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(笑)を付けるくらいしか無い気分なのだ(笑)本日の出勤者は自分・SS君・A課長・B所長代理・トップのCさん(役職名秘密)。営業所長のDさんは、相変わらず人と顔を合わせたがらない。今日も他の人間が出勤する前に事務所に出て、出勤する前に事務所から出ている。いつもと同じだ。通常なら夕方に10分ほど戻ってくるはずなので、その時、運が良ければ顔を合わせることもあるが、気付いた時には集金やら何やらの理由でさっさと事務所から出ていってしまうので、滅多に顔を合わせることができない。一応、営業職の総まとめ…総責任者…なのだが、決め事の大半は代理に任せてしまうという、40年近く前に営業として入ってきた新人の頃から、仕事のやり方は変わっていない。下の営業としては不満たらたらだが、”上”の人間は困ったことがあった場合に押しつけることができるので、その姿勢を許している。「自分の役職を全うしていないのであるから、普通なら降格人事もありだろう」という声もあるが、”上”はそれを考えていない。やれやれ、である。正式な御用納めは先週金曜日の26日だったが、現実的な御用納めは「鶴の一声」で本日29日となった。その「鶴の一声」の主トップのCさんの体型やら性格を見ると、そういう言い方をすることは、鶴には本当に悪いと思う…心底思う。ともあれ、出勤日。年内に済ませるべき事の粗方は金曜日までに片づけておいたから、今日は取り立てて急がねばならない案件も無い。終業時間(5時半)まで、長期で取り組んでいる仕事を、たらたらと進めようかと思っている。一朝一夕で終わる仕事ではないから少しずつ進めているのだが、そもそもトップのCさんが「俺も手伝うから」というので、引き受けた仕事だ。Cさんの「俺も手伝うから」という言葉は、おおよそその場限りで終わることが多いのだが、その件も結局「見て見ぬふり」をされることになってしまった。まぁ、手伝ってもらったとしても、どうせ同系列同業他社からパクってくるだけで自分の頭を使おうとしないだろうから、本当には役に立たないのだが。事務所内に届く電子メールについては、とりあえず自分は全てモニターしているが、Cさん宛のメールは知り合いのいる某社からのものが多い。某社は他県で当社と同様の業務内容を持つ姉妹会社のような存在だ。内部規約にしても法律関連の文書にしても、時には顧客用パンフレットの文面まで、その某社のEさんに送ってもらっている。某社のEさんはとても人柄の良い人で、面倒くさがらずに送ってくれるが、こちらとしては「ウチのCが面倒な手間をおかけして申し訳ない」とうい気持ちで一杯になる。そうやってEさんの好意に甘え、自分で何かを作り上げたことが無いCさんは、下の女性事務員にも冷ややかな目で見られているが、役職上は実質的な社長と同様であるから、誰かが叱りつけるということもできない。いやはや、末期的な会社であると思う。まぁ、そんな会社に勤めている自分も、その程度の人間なのであろうから、偉そうなことは言えないが(笑)さて、たらたらと仕事をしよう。今日は終業時間ピッタリに帰るぞ!
2008年12月29日
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飲みすぎて…というわけではなく、最後にはいつもの残業仲間であるSS君と雑談していたからだが、仕事の話になると互いに愚痴の繰り返しになる。自分は缶ビールを3本ばかり飲んだだけだから、酔うほどまでには至らず、SS君ははなから飲まない人だから、酔っぱらうわけもない。電車に乗ろうとすると、何かあったらしく、ダイヤが乱れていた。結局、普段の通勤路線では帰ることができず、別路線にのって、カミさんに迎えにきてもらうこととなった。風呂は入っていない。飯を済ませると1時前になっていた。ネットでニュースにざっと目を通した後、今、これを書いている。興味をひいたのは、秋田県の全国学力テストの市町村別平均正答率公表に燗する記事だ。寺田典城知事の「教育の向上に資すると思った」という意見は、子を持つ親ならば納得できる話であり、「公費でまかなわれているものは情報公開が普通」という意見も、一国県市民として常識的なものだと思う。何故、都道府県教委が市町村別の結果を公表しないよう求めたのか、その背景が分からない為に何とも言いようがないが、まさか、差別につながるとかいうトンチンカンな答えは無いだろうなと、少しばかり訝(いぶか)しく思ったりもする。そもそも、文部科学省が来年実施の全国学力テストでも、都道府県教委による市町村別や学校別の成績公表を禁止する実施要領を決めたというのがおかしいことであり、そのことについて都道府県教委が無批判に従ったのだとしたら、それは教育に携わる者の行動ではない。大分県では、学力テスト 市町村別の結果公表を 各教育長に県教委要請の記事にあるように、県教委は25日、市町村教育長会議を開き、市町村教育長に小学6年と中学3年を対象にした全国学力テストの市町村別結果公表を要請した。あらゆる反省は、現実を直視することから始まる。事実を覆い隠してしまうことで、これまで様々な問題が起こってきたのではないか。それとも何か?国民の税金は勝手に使うが、使った結果は見せたくないというのが文部科学省の基本姿勢なのか?公表しないのならば、最初から全国テストをする意味など無いではないか。国民の税金を使って得た結果は、きちんと国民に還元しろ!!
2008年12月26日
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例年のパターンで、御用納めの日は、終業時間間近に事務所内で酒盛りになる。酒盛りといっても不景気なご時世だから、近くのスーパーから買ってきたツマミやら、貰い物のビールやらで、事務所内の人間だけで行う。その直前に、偉い人の締めの言葉があり、上下合わせて会議室のテーブルを囲むことになるので、そうした偉い人が事務所を出るまでは、割と静かなものである。終業時間後に始めるが、別に仕事が終わってしまうわけでもなく、女性達はともかく、自分のような人間はお酒を口に運びながら仕事を続ける。どうせ最後に事務所の鍵を閉めるのは、自分かSS(スーパー総務)君だから、気分だけはのんびりしたものである。事務所の責任者であるAさんはだらだら飲むだろうから、下らない話で不快な思いをするよりも自分の席で仕事をしていた方がましというのもある。外回りの営業連中は、おおよそ仕事を終えて戻ってきているはずなので、ゆったりした気分で飲めるだろう。自分は上記したように、1時間ほど付き合って、早々に仕事に戻る。SS君は基本的に飲まない人なので、そちらも早い段階で抜けるかもしれない。その間に、嘱託さん達が帰り、仕事を終えた女性社員が帰り、気付いた時には酒宴も終わっている。残った人間が後かたづけをすることになる。……何というか、見事なワンパターンである(笑)そういうわけで、嘱託さんや一部の社員とは、今年最後の顔合わせになるが、彼(女)らには良いお正月を迎えてもらいたいものだ。
2008年12月26日
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例えば、離職者に県営住宅 県、46戸提供へ県は緊急経済対策の一環として、離職を余儀なくされた人たちに、県営住宅46戸を提供することを決めた。これは青森県の話だが、他県・各市でも同様の措置がとられるようだ。困っている人達の為に決断したことは評価すべきだし、評価されていいと思うのだが、困った状態になった人がいるのは、今に始まった話ではない。行政が、急な失業者への生活支援対策を実施するのは悪いことではないが、その一方で、空室が多くあるということに奇妙を感じるのは自分だけだろうか。各地で様々な事情があるのは、まぁ、想像できないではないけれど。自分が住む福岡県でも、県営住宅など受け付け始まるということらしいので、必要な人達は急いだ方が良いだろう。どの行政でも緊急措置といった感じの取り扱いで、急な解雇で寮などを追い出される人が対象であり、「アルバイトで生活しています」という人が簡単に借りられるということではないから、ちょっとパフォーマンスめいた印象を受ける………すまん、ひねくれもので。企業の中には退去期間を延長するところも出てきているようで、そうした対応が受けられる人達にとっては、まずは朗報と言えるだろう。ただ、窮状に陥った非正規雇用者に手をさしのべるのはいいとして、同様な状態になった元正規雇用者の場合はどうなのだろう。年末の倒産で寮を追い出される人もいるだろうことは十分に想像できる。例えば、三重県では、県:失業者に県営住宅格安で 伊賀などで8戸、きょうから1次募集 /三重ということで、対象は10月以降に解雇された人や近く解雇予定の人で、社員寮などの退去を余儀なくされた労働者。ということのようだ。各行政には柔軟な対応を望みたいものだ。全般的に期限付きの貸し出しなので不正な入居は少ないだろうが、こういう時に裏で動く人間もいるので、注意は必要だ。……暗いニュースばかりだった今年も、販売やサービス業以外の多くの企業にとっては、本日が御用納めだ。当社も同様だが、現実には週明け月曜日の29日が仕事納めとなる。本来なら既に連休に入っているが、サービス出勤だ。休日出勤手当など、もちろん、無い。今年は連休が長いので「万が一に備えて」というのもある。しかし、アレコレ、すっきりしないなぁ…。
2008年12月26日
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自分は営業(外勤)ではないので、受ける方ばかりだが、先の仕事を考えると、営業は年末年始に改めて得意先回りをしておかねばならない。先ほど事務所に挨拶に来たのは、コンピュータ関連企業。古くからの付き合いがあるところで、多少の無理も聞いてもらえる。といって、理不尽な要求をするような厚顔さはこちらも持たないので、相応にお付き合いさせて頂いている。挨拶といっても、長年の付き合いであるから、個人情報は漏らせないにしても、あれこれ業界の裏話にもなったりする。今のこの時期であるから、当然、景気の話も出てくるが、IT関連の売り手側として今一番怖いのは、売掛金の回収らしい。そこの課長さん曰く「倒産情報は頻繁に見てますよ」機械納入先の企業がいきなり連絡が付かなくなり、気付いた時には誰もいない、という、その事態が怖いそうだ。パソコンを1台2台という話ではなく、更に上の桁の話であるから、メーカーに対する支払いがそのまま遺失利益となると、そこそこの大きさの企業であっても、それは痛い。互いの仁義の問題として(企業内の秘密事項でもあるし)深く聞くことはしない。苦笑いしつつ「お互い、大変ですねぇ」と、どちらからともなく言い合うことになる。相手先と違って、こちらは世界経済に直接関係することのない(むしろ地域経済に大きく影響を受ける)中小企業だが、規模の差はあれど、大変なのは同じだ。「どうですか、景気は」「いやぁ、ひどい有様です」そのような会話が、御用納めのその日まで様々な企業において訪問者と受け手の間で交わされるのだろうと思う。その昔、「アメリカがくしゃみをすれば、日本が風邪をひく」と言われていた時期があった。今、アメリカ経済の悪性インフルエンザ発病によって、世界中が連鎖的に発病し、手当する間もなく(経済的)死に至ろうとする国さえある。効果的な手段は無いに等しい。これから先は体力勝負となるのだろう。耐える体力の無い中小企業の連鎖倒産を防ぐ為に、政府には知恵を絞ってもらいたいものだが…。
2008年12月25日
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子供達が欲しがっているクリスマス・プレゼントが何であるか、今年はさっぱり分からなかった(おおよそ想像はついていたが)ので、カミさんにそれとなく調べるよう頼んでおいた。どうやら昨夜、サンタさんへのお願いを書いて窓辺に置いておいたらしく、それを見つけたカミさんから連絡があった。聞いた瞬間「そ、それは高すぎ…」と絶句。二人分合わせて5万円の支出は、あまりにツラい。半分は家計から出すとしても、残りの半分は自分(お父さん)持ちだ。いや、支出は何とかなる。今、好調な競馬のおかげで、お父さんの懐は少しだけ暖かい。しかし、問題は、品物の一つがN堂の新しく出た某ポータブルゲーム機であること。サンタさんが許しても、お母さんは許さない。はて、どうやって誤魔化そうかと、ただ今、思案中(笑)
2008年12月25日
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仕事がさっぱり進まないので、気分転換に、自分のことを少し書こう。福岡市内の中小企業勤めで、職種と役職は秘密(笑)その昔、初任給は10万とちょいだった。就職して5年後、手取りが16万程になり、結婚。カミさんと二人で暮らし始めたのは、月2万5千円の鉄骨アパートだった。2DKの間取りの1室は自分の本とパソコンで埋まっていた。その2~3年後の週刊誌に踊っていた新卒の初任給は、およそ18~20万円だった。裕福ではなかったが、それなりに生活ができた。結婚後、2年間は共働きだった。最初の子供ができて、カミさんは仕事を辞めた。遊び歩く趣味の無い二人は、休日に出歩くといえば日々の買い物くらいのものだった。カミさんは我慢してくれていたのかもしれない。甲斐性なしの旦那を持つと奥さんは大変だ。会社からの給料はカミさんに全て渡し、ちょっとした副業を持っていた自分は、それを小遣いとした。副業で稼げる額は、不景気のせいもあって今は減ってしまったが、今もそれが自分の小遣いの全てだ。昼飯代や交際費(飲み代等)、その他自分だけの諸経費はその中から出していて、ギャンブル(競馬)はやるが、家計に頼ったことは一切ない。ギャンブルの種銭を家計から出す人間はカスだと思っている。逆なら立派だと思ったりもするが(笑)その形が結婚当時からの約束であったし、副業が続く限り、その約束を違えるつもりは無い。XX年後、手取りは10万円ばかり増えたけれど、家のローンを抱えた上での家族4人の暮らしは、もちろん楽ではない。下の子がまだ義務教育なので、学費等については、まだ少し助かってはいるが、これから先を考えれば心配もある。住宅ローンは3年半残っていて、ボーナスがまともに出なくなってからは、結構厳しい状況となったが、カミさんがやりくりしてくれるおかげで、どうにか過ごせている。カミさんは専業主婦で、定期的な副収入はもたない。趣味やらボランティアやらに力を注いでいる。働いてくれ、とも思わない。彼女の仕事は、自分の稼ぐ給料を効率良く使って、家事をきちんとこなすことだ。それができている限り、彼女が自由な時間を楽しく使ってくれれば、何も文句はない。一時期、どこかのバカが「女性も家庭に閉じこもらず社会に出るべきだ」などと煽っていたが、家庭も社会の一部であることを考えれば、主婦という「頭の必要な職業」を下(げ)とみなすなど、もってのほかというものだ。主婦に「家庭に閉じこもる無能者」のようなイメージを押し付けたい人達がいた。今もいる。家庭という最小限の社会的仕組みを壊したいのかもしれない。主婦は、バカにはできない仕事である。これは断言できる。主婦業をバカにする連中は、主婦業をやったことがあるのだろうかと、当時思ったし、今も思っている。なにしろ、我が家族が日々暮らしていけるのは、カミさんの采配あってのことである。彼女がいなければ、中古とはいえ家を持つこともできなかったろうし、今の生活は無かったろう。自分の給料では贅沢できないから仕方のない面もあるが、分相応の生活を受け入れることができれば、どうにか生きていける。ところが、その分相応という頭が無い人達もいるということに、ある時、気づいた。似たような生活を過ごしたことのある同僚と「今の若い者は…」と話したことがある。「今の若い者」と言えるのは、どの時代でもオジサンの特権である(笑)手取り16万の半分を家賃に支払うというのは自殺行為だと思うが、その上に別のローンを抱えていたりすると、当然のことながら共稼ぎしなくてはやっていけない。場合によっては、共稼ぎでも間に合わない。時代が違い物価も違う、というのは事実であるかに見えるが、実は福岡程度の規模の都市ならば、きちんと探せば、今も月3万円を下回るアパートやマンションを探し出すことができる。値段相応ではあるが、普通に生活できる賃貸物件だ。食材の価格にしても、一部を除いて、当時から大幅に上昇しているわけでもない。低賃金では遊び歩くことなどできないが、それでも、衣食住に困ることは無い。「今の若い者は金銭感覚がおかしくないか」という話を同僚としたわけだが、金銭感覚がおかしくなっているのは、若い連中だけではないだろうと思う。金銭感覚ではなく、家計感覚と言い換えた方がいいのかもしれない。法的問題を起こした小室某氏の金の使い方は半端ではなかったと、スポーツ新聞の記事で読んだが、何十億稼ごうが、それ以上に支出すれば破綻するのは当たり前のことだ。手取り16万ならば16万の暮らしをすれば良いし、それが嫌なら高収入を求めて、別の道を進めば良い。そこは、それこそ自己責任だ。だが、手取り20万で分相応の暮らしができない人間は、手取りが30万になっても、やはり足りないと思うのではなかろうか。同僚曰く「一度上げた生活レベルはなかなか下げられないんだろうなぁ」「そうだろうなぁ」と頷いた自分は衣食に無頓着であり、なおかつ本があれば幸せな人間なので、良い物を食べ良い服を着たいという感覚が今一つピンとこない。良い物を食べ良い服は着るが本は読まない、というのが高い生活レベルだとしたら、そんな生活は御免被る(笑)「君らも稼いで高級車に乗りたいだろう」と目の前でのたもうた経営者と会ったことがある。お金はもちろん欲しいが、高級車などいらないと思っている人間には、社交辞令で「そうですね」としか答えられない。価値観は人それぞれだが、良い(清潔という意味ではない)服を着ることや高級車を乗り回すことがステータスだと思っている人間とは、所詮ソリが合わないと思っているので、そういう社長さんが羨ましいとも思わない。いや、むしろ、あなたの価値観を押し付けないでくれ、と言いたいくらいだ。自分の考えは、負け犬の遠吠え、かもしれない。だが、そうしたものが高い生活レベルであると(自分を除く)世間が言うのなら、自分は、世間の方が間違っていると断言する。仮に100人中自分を除く99人がそう言おうとも、間違いなく(笑)99人の方が間違っている。他人の価値観に合わせて生活すれば、ただ息苦しく追われるだけだ。
2008年12月24日
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といって、何があるわけでもないのだが、とりあえず忙しい一日が終わろうとしている。実はもう一仕事あるのだが、それは明後日までに片付ければいいから、少しだけ気分に余裕がある。帰宅して食事を済ませ、テレビで少しばかりニュースを見て風呂に入り、そして、今、11時20分。本当はゆっくり風呂に入って、その後に食事をし、そして、のんびりと本でも読みたいのだが、それは今のところ叶わぬ願いだ。「みんな貧乏が悪いんや~」と心で叫びつつ、今日も一日分、歳をとった。そうやって、いずれやってくる”その日”まで、毎日が続いていくのだろうなぁと思う。ここでは愚痴ばかり書いているような気がするが、愚痴がこぼせるだけマシかもしれない。愚痴もこぼせなくなったら、おそらく、末期症状だろうな。いきなり人を刺すような真似はしないと断言できるが、上司をののしって辞表を叩きつけるくらいのことは、してしまいそうだ。「立つ鳥後を濁さず、というが、俺は思い切り濁して辞めるよ(笑)」と同僚に言うことがある。”上”にとっては極めて腹立たしい辞め方をしたいものだと思う。”下”の人間は心中で快哉を叫ぶだろうが(笑)さて、2時間ばかり、頑張るか。
2008年12月24日
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一昨年くらいには、まだ、好景気という言葉をニュースで聞いた記憶がある。もちろん、好景気の実感など、無かったし、今も無い。勤め先の会社の顧客は、主に中小企業者が相手で、いろいろな契約事があるのだが、倒産による契約解除の話は、結構多い。それは今に始まった話ではなく、かなり以前からだ。4年ほど前だったか、知人のツテで某マスメディア関連のパーティに呼ばれて出向いた際、そこの取締役の挨拶でも景気上昇の言葉があったが、現場を回る営業社員の顔は渋かった。「どうですか、こちらはむしろ悪化している感じがするんですが」「地元企業は、今、渋いですよ。けっこう苦労してます」「いいのは中央(東京)の方だけですかね」「そんな感じですね」そして、現在、大量な派遣労働者の契約満了前の契約解除について、ニュースで流されている。バブル崩壊後、大企業がどのように対処したかというと、基本的には合理化という名前の首斬りであった。合理化によって経費(主に人件費)が減れば、相対的に決算書の見栄えは良くなる。見栄えが良くなっただけであるから、企業は経費上昇を懸念して、設備投資を渋ったわけで、景気回復という言葉をマスメディアが何の批判もなく垂れ流していた時、その一方で、その同じマスメディアが企業の設備投資は意外に伸び悩んでいるというニュースも流していたように記憶する。さて、政府の月例経済報告では景気判断を「悪化」と下方修正した、というニュースがあった。しかし、多くの中小起業者にとっては何の変化も無い。変化が無いというのは、悪くなっていないという意味ではなく、悪化の一途に変化が無いということだ。派遣労働者の契約解除のニュースが流れる中、職を求めてハローワーク通いをする人もいる。今年1000人を雇い入れ、次の年にも1000人を雇い入れるが、全雇用者数に変化はない…そんな企業の求人募集はある。人手の欲しい中小企業の求人募集もあるが、生活できるギリギリの給与しか出せないような所も少なくない。それでも、求人募集ができるような中小企業はマシな方で、多くは急な退職者が発生しても補充さえできない状況であったりする。当社でも人員不足を補う為に派遣労働者を利用しようかと考えたこともあったが、経費を考えると嘱託や(若者なら)正社員を募集した方が良いという結論になった。当社も自他共に認める中小企業(いや、零細か?)なので、高い派遣社員は雇えない。派遣社員を利用するのは、体力に余裕のある大企業が中心で、そうした企業にとって派遣労働者というのは基本的に「借り物の人手」だ。それは農家が農繁期に一時的にアルバイトを雇うようなもので、自前で募集するかわりに派遣会社に募集を委託する形となっているだけに過ぎない。農繁期には必要であった人手も、農閑期には必要でなくなる。予想以上に不作であれば、経費削減の為に、まず「借り物の人手」に対して「必要なくなった」と言う。派遣会社といえば聞こえはいいが、これは江戸時代の口利きや屋と変わらないわけで、利用する側の企業にとっては調整要員に過ぎない。極めて優秀な人間がいれば正規雇用として引き抜きをすることもあろうが、調整要員にさせる仕事内容の範囲では、十分に能力を見ることが可能であるとも思われない。冷たい言い方だが、それが企業側の論理である。「借り物の人手」がゼロになり、更に業績が悪化すれば、次に手を付けるのは直接雇用の時間労働者が切られることになる。これは、基本的には短期契約の繰り返しであるので、契約更新時に、契約更新しない旨を相手に伝える。この形は正確には解雇ではなく、新規契約を結ばないだけのことである。派遣社員の派遣契約解除も、時間労働者の契約不更新にしても、そこに法的問題はない。もちろん、道義的問題は別だが、それを含めると話がややこしくなる。上記後、更に業績悪化が進めば、正規雇用者の整理が始まる。普通は、退職勧奨が先にあり、次に雇用契約の打ち切り即ち解雇が始まる。ここで押さえておかねばならない点は、様々な企業において既に、退職勧奨等や不定期の人員整理が行われていることであり、それはこれから始まることではない、ということだ。昔は確かに「定年退職は60歳」というような規定しか無かった会社が多かったのだが、今は、新たな規定で55歳昇級停止やら58歳退職勧奨やら、その他、様々に辞めさせる為の規定が作成されている。これは、どのような理由付けをしようと、高給取りの年寄りを早く辞めさせる為に他ならない。最近では、高齢者雇用に関する法律を利用して、早めに辞めれば(低賃金ではあるが)嘱託等で65歳まで雇用するという裏約束をするケースもある。もちろん、きちんと規定を作って、その通りにしている会社もあるかもしれない。大企業ならば子会社や下請け企業に天下りという手を講じる場合もあるが、その恩恵?が与えられる人はほんの一部である。非道いやり方をすれば裁判沙汰に発展する時代なので、ブラックな企業以外では手続き(就業規則やその他規定)に従って処理するが、中小企業の場合は、被雇用者の方が実状をよく知っていて「会社と会社に残る後輩や同僚達の為に」泣く泣く辞表を書く場合もある。もちろん、正規の手続き以外にも人減らしの方法は多くあった。随分昔から不条理な降格人事や閑職への追いやり等が行われ、精神的苦痛を与えて辞表を出させるなどする、良いか悪いかは別にして、そのような企業も存在してきた。言ってしまえば、正規雇用者の整理については、企業は既にノウハウを持っており、訴えられることもなく合法的に整理解雇が出来るということである。(知らない人は労働関連の法律をきちんと読もう)正規雇用だから安泰、などとは言っていられない時代である。中小企業に勤め、こうして日記を書いている自分自身にとっても、他人事などではない。「後5年(会社の存続期間が)あれば良い方かな」「いや、5年も保たんだろう」「合併になったら、○○部門から整理が始まるだろう」などという生々しい話が、日常的な話題にもなる。「食える資格をとっておきたいが、この歳では…」という嘆きも聞こえる。皆、不安に苛まれながら、日々の仕事をしている。そうした不安を共に実感してくれる”上”がいればマシなのだが…。……つい先ほど、女性社員から、お金が振り込めない企業があるということで、ちょっとネットで調べた。地元の会議所・商工会等の会員であれば、それの企業データベースで調べることができる。調べた結果、ちょっと分かったことがあるが、企業秘密に関連するので、ここでは書けない…。はてさて、どうするか…。
2008年12月22日
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いや、オジサンだけに限った話ではないけれど。ところで、この時期になるとヨハン・パッヘルベルの音楽が聴きたくなる。ご存じ、「パッヘルベルのカノン」で有名な、あのヨハン・パッヘルベルだ。単純で軽やかだが情感にあふれる…とまぁ、偉そうに書くと音楽に造詣が深いように思われるかもしれないが、単純に「好きだ」という程度のものだ。詳しい話を書こうとするとボロが出る…ので、知ったかぶりはやめておくに限る(笑)もちろん、知っているのは有名な曲だけだ。全曲を聴いてみたい気はあるが、そうしたCDやDVDが売ってあるかどうも知らないし、調べたこともない。それはともかく、モーツァルトは忙しすぎベートーベンは重すぎ(全てがそうじゃないけれど)…と感じる自分には、パッヘルベルの音楽を聞くと、本当に心が休まる。バロック音楽全般にどこかしら郷愁を覚えるところがあるのは、個人的な好み云々もあろうが、そういうふうに思わせるのは、その時代の音楽の特性なのかもしれない。その時代とは、産業革命を迎える前であり、部屋の中がキャンドルで照らされていた時代だ……と思う(調べてないので自信がない)クリスマス時期になると、街にはクリスマスをテーマにしたポップスが流れるが、キャンドルに似合うのはバロック音楽ではないかと思ったりもする。山下達郎もいいし、WHAM!もいいのだけれど、クリスマスがただ恋人達の為にあるというのも変な話で、キリスト教徒ならずとも、時には敬虔な気持ちでクリスマスを迎えてもいいのではないかと思う。不景気のせいか、ドンチャン騒ぎのクリスマスパーティというのは、最近聞かないような気もするが、クリスマスイブの夜、一人であれ二人であれ、リラックスできる音楽を聴きながら過ごすのも悪くないだろう。その時、電気の無かった時代に人々がどのように夜を過ごしたか、思いを馳せてみるのも、案外楽しいかもしれない。
2008年12月22日
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午前中、会議用集計資料が欲しいと言いに来た我が社のボス。余裕がある週なので快諾したが、今日の会議はずっと前から決まっていたことで、そんな資料が必要ならもっと前に伝えておいてもらいたかった。体裁を整えても30分程度で出来るものであるから、さっさと作って渡しはしたものの、どうも腹に何かが残ったような状態で気持ちが悪い。急に何かを要求してくることは割と頻繁にあるのだが、事務所内で働く各個人がどのような時間配分で働いているのか、把握していないらしい。それが為に女性社員からも顰蹙を買っているのだが、あからさまに顔に出す女性は一人くらいしかいないので、そこら辺もたぶん分かっていないのではないかと思う。スーパー総務のSS君はボスに常に助言しているのだが、SS君が最近少しキレ始めている。残業仲間でもあるSS君とは、残業の合間のタバコタイム(笑)によく雑談するのだが、お互いの口から漏れる愚痴の割合が多くなってきた。我が社の現ボスの言葉の大半は、その場の思いつきだ。困ったことに、過去に部下に対して言った言葉を忘れていることも多い。思いつきに一貫性が無い上に、一端自分が口に出した言葉は「変えられない」と言い張る。その結果、自縄自縛の状態となり、トラブルの種を増やしていく。その尻ぬぐいを主にするのがSS君で、案件に関連する女性社員や営業社員にもとばっちりが行くことになる。一貫性がなくても実務能力に長けていれば、と思う(ボスとしてはそれではいけないのだが)こともあるが、それについても今ひとつ心許ない。プライベートな場ではどうなのか知らないが、職場で見る限り、自分のことしか考えていないようにしか見えない。下の人間から聞かされる言葉は、まさしく異口同音だ。「部下の為には動かないが、自分に責任が掛かることなら直ぐに動く。自分で責任とりたくないからだろ」そうしたボスの言動の結果、面子を潰された営業も少なくない。「幾ら減ったの、上がらんの、というが、じゃぁ、自分は何をしてる。契約を落としてるだけじゃないか」そういう愚痴が営業連中から聞こえてくる。「地位が上がる前は、まだマシだったんだけどねぇ」と自分が言えば、「それは○○が知らないだけで、当時も変わらなかった」と返ってくる。確かに、当時の彼は自分の部署の自分の仕事に一所懸命で、他のコトではノータッチな部分が多かったから、こちらとしてもあまり気にしていなかった。言われてみれば、幾つかのトラブルも脳裏に蘇りはするが、その時に営業連中がどんな気持ちで行動していたか、自分も察してやることは出来なかった。少々反省しつつ彼らの話を聞くと、具体的な話(愚痴)が出ること、出ること。終いには呆れてしまうくらい出てくる。あの時はああだった、この時はこうだった、先日はこうで、今日もこう…。古い話ばかりではない。この状態が、これから8年以上続くのだから、各人がどのように感じているか、聞かずとも分かるというものだ。たぶん彼らも自分と同じことを考えている…。暗い未来だなぁ…。
2008年12月19日
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前述の内容に反応して「不幸な人生を送らない習慣」だものなぁ…。どんなのか見てきたらサイコサイバネティックスとか何とか。で、それを考え出した人が、Dr.モルツって人で、紹介文によると、”マクスウェル・モルツ博士は61歳の時、変化と色彩に飛び、ことさら成功に満ちた職業人生のクライマックスとして、『サイコ・サイバネティクス』で自己改善の現象を生み出しました。”とある。すまん、バカなので、何を言いたいのか、よく分からん。英文の直訳かもしれんけれど、日本語としての体をなしていないので、自分の日本語脳では理解できん。その後も自分の頭には理解できない文章が続くので、途中で読むのを止めた。とりあえず、まともな日本語で書かれていない日本人向けの頁、というのはあまりにも胡散臭すぎて、関係者には悪いが、草むらに走り込んで空吐きしたくなる(笑)それが好きで関わっている人に、文句を言うつもりはないけどね。ところで、自己実現・自己啓発系の商売は結構多い。自分はそういうモノには近寄らないようにしているので、正直な話、その系統の広告が付くと心が落ち着かない。学生時代にはそういう系統に自分から接近を試みたが、そこで見えたものは、巧妙な集金の…要するに人をどうやって騙すかというような類の…仕組みだけだった。多くの人が再認識しておくべきは、「成功者の声は大きい」が「失敗者は声を出さない」ことだ。その方向にのめり込んだ人は、別の自己実現・啓発系に向かい、そこで成功者になれれば幸いだが、多くはまた別の方法を探し求める。そして「成功するのは関係者だけ」もちろん、何らかの”教え”に啓発されて新たな素晴らしい人生を送り始める人がいないとは言わない。少しでも成功する人がいるのなら素晴らしいじゃないか、と考える人間には自分はなれないので、誰かがソレに入りたいと言っても止めはしないが、誘われれば断固として断ることにしている。自分の人生は、成功失敗にかかわらず、自分のものにしておきたい。「金は天下の回りもの…でも、自分のところは避けていく」というような内容の言葉を言ったのは、何の登場人物だったっけ(笑)
2008年12月18日
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空気が汚れているのだろう。冬の晴れた空は、子供時代には透き通って見えた。いや、空気が汚れたのではなく、自分の目が曇ってしまっているのかもしれない。見たくないモノを見、聞きたくないモノを聞いているうちに、子供時代には僅かなりともあった感性が、老いることで少しずつ削られていくのか。いや、それは年齢を重ねての肉体の老いではない。心が老い、目を見開くことを忘れれば、自然にそうなっていくのだろう。目を見開くことが無ければ、後は目を閉じていくだけだ。重くなった瞼を重いままにしておけば、ついには目を開かなくなる。目を開かなくなれば、それは死である。心の死。できれば、目を見開いたまま、肉体の死を迎えたいものだと思う。
2008年12月18日
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今の若者という意味ではない。”定年退職が”今の人はいいよなぁ…という話だ。一昨年くらいから世間で言われている「団塊の世代」の定年は、今まさに最中であり、彼らはしっかりと退職金をもらって辞めていく。若い頃に高度経済成長を体験し、「こんなに給料が上がっていいのか」と驚きつも喜び、しっかりとボーナスが得られた時期を過ごし、そして、会社自体が右下がりになった時期には、去り或いは去ろうとしている。戦後、もっとも幸せな世代だろう。しかし、それより下の、これから会社の中枢を担っていかねばならない世代は、悲惨だ。経済成長の後に入社し、数年たって「新卒の初任給が自分の給与より上だ」ということに驚き、長引く不況のせいでボーナスは十分に得られないどころか、賃金アップなど縁遠い話で終いにはカットまであった・今現在も続き、右下がりの会社の中で責任だけが増えていき、退職金もままならぬ状況になる…。バブル時にいい思いをしたのが一部の業界だけであるのは、資料を持たずとも分かり切っている話だ。「団塊の世代が抜けた後は大変だ」という言葉が、マスメディアでは何度か繰り返されたが、規模の大小にかかわらず、大半の企業では「団塊の世代が残したツケは大変だ」となっていそうな気がする。残したツケといっても、企業によって様々だろう。放漫経営によって無駄に肥大化した組織であるかもしれないし、形だけの成果主義を取り入れた結果としての人材流出及び社員の士気低下であるかもしれないし、或いは他の、決して表には出せない地雷の数々かもしれない。自分や同僚も、その地雷に驚きつつ日々仕事をしている。泣きたい気持ちはとうに枯れ果て、もう笑うしかないなのだが、そういう状況の中で、一定の士気を保っていくのは難しい。まして、ビジョンを持たないトップの下にあっては…。
2008年12月18日
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バカにも色々な種類があるが、多くの場合、無知のことを指す。これがどうにも理解できない…だってバカだから(笑)無知がバカと同義であれば、万能の神以外、人類は全てバカである。バカの上にバカを作らず、バカの下にバカはおらず、人類全て平等にバカ………と神様が仰ったかどうか分からない、神様の存在は信じていないから(笑)そもそも神様の”存在”という言い方がバカなわけで、存在するのであれば”存在”に縛られてしまい、それは万能の神様ではなくなる。でもまぁ、便所の神様とか竈の神様なんてのはいてもいいなぁ、と思う。それらは万能ではないから”存在”に縛られてもいい。自分のお婆ちゃん達の世代の会話には、信じているかどうかは別にして、そうした庶民の神様の話がたくさん混じっていたような気がする。実際には、自分の両親は早くにその両親を亡くしているから、自分が両祖父母を会話したことはないが、その世代にはまだ、狐や狸の化かし話が日常会話の中に残っていたようだ。不景気で普通の人間には”生き”苦しい時代ではあるし、竈なんてものがある家は全国でも微々たるものだろうが、ガスコンロの神様ってのもアリかなぁと思う。ガスコンロの神様はともかくとして、生活の中の身近なところに”存在”に縛られた神様をおくことは、ある意味、古人の知恵ではなかったろうか、と最近思うことがある。どこで誰に見られているか分からない、誰もいなくても神様が見ている、という感覚は、自然のうちに悪事を戒め美徳を促す、一つの精神的な礎になっていたのではないだろうか。その昔「神は死んだ」と仰った方が海の向こうにはおられたようだが、諫める神がいなくなったことで、日本人は大切な何かを失ってしまっているのかもしれない。などとまぁ、偉そうなコトをいっているが、偉そうなことを言いたがるのがバカである証拠だ。「世界」を語ることは簡単だが、自分の口を御することは困難なものなのだ。そして、バカは「世界」を語りたがる(笑)とりあえず今は、宝くじの神様にお祈り中…。
2008年12月17日
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したい時には金が無く、できる時にはモノが無い。まさしく”ものがなしい”状況だ。20数年前に買った、一冊のペーパーバック。とある三部作の内の1冊なのだが、昼休みに同僚と話していて、その本のことを思い出した。自分が所有しているのは2巻目で、今更になって、最初から通しで読んでみたくなった。で、ネットで検索してみると……まぁ、絶版になってるのは当たり前なわけで、作者の頁から三部作の一巻目が手に入ることは分かったものの、三巻目(最終巻)は手に入りそうにない。改めて amazon で検索。古書ならば手に入ることが分かった。が、問題は価格。一巻目は作者の頁から注文してPaypalで支払いだと、送料まで入れて3000円程。三巻目はamazon経由で購入して、送料を入れれば4000円弱になりそうだ。これは悩む。元は1000円程度のペーパーバックなのだが、2冊で7000円前後になってしまう。ああ、「本の買い出しにちょっとアメリカまで」なんてことを言える身分になりたいなぁ…。
2008年12月17日
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面白き、やがて悲しき、○○○。○○○にどのような言葉が当てはまるかは、当事者と状況によって異なるが、「連想」という点で、どうも自分はマズいなと感じることがある。自分一人で脳内完結している分には問題無いのだが、他人と話していると、場違いな衝動…笑い出したくなったり…にかられて(密かに)慌てていたりする。ある言葉を耳にした時、それに関する連想が発生する。その連想を言葉にすることで会話は進んでいくわけだが、仮に最初の連想を一次連想と呼ぶことにしよう。真面目な会話の中で一次連想が次の連想…二次連想…を生じさせ、二次連想が三次連想を呼び起こしたところで、三次連想のおかしさについ頬が緩んでしまうことがある。本来なら一次連想によって会話を成立させねばならないのだが、三次連想によって紡ぎ出される言葉を、相手に対して言うことは、会話を進めるどころか阻害することになりかねない…というか、阻害してしまう。良く言われるように会話がピンポンなら、相手はピンポン玉が戻ってくることを期待しているわけで、返ってきたのがボーリング玉だったりすると、これは打ち返すどころか、手を出すことを躊躇ってしまう。そこで二次連想が浮かんだ段階で、記憶中に残る一次連想を口に出すわけだが、ふと別のことに気をとられたりすると、三次連想を口にした後に、何故その言葉を出したのか説明せねばならなくなる。たぶん自分一人に限った話ではないだろう、こういう体験をしている人は。とりあえず「空気読めよ」と言われないよう、気を付けてはいるが、若い頃はうまくいかないこともあった。直ぐに理解してくれて会話が続く相手もいたが、会社勤めを始めた頃は幾人かの上役から「○○の言うことはよく分からん」と言われていたようだ。自分の頭の中では割と論理的に繋がりのある連想…つまり、当然の帰結…であると思っていたのだが、それを説明しても分からない人がいるわけで、その人がそういうタイプならば、言いたい事があれば頭の中で箇条書きのような整理をして、簡易な説明を心がけるようになった。要するに、長文ではなく単文で語り、原因と結果とを明確にして、それに相応しい接続詞を使うということだ。話が分かりやすい、と言われるようになるには、単文を接続詞で繋いでいくことが大事だが、そのパターンが多すぎると小学生の感想文になってしまうので、適度に変化をもたせないといけない。話がズレてしまった。空気が読めない、と言われる人達の中には、そうした「相手にはわかりにくい」連想をしている人もいるのではないかと思う。もちろん、場の雰囲気をぶちこわしにするタイプの「空気が読めない人間」も少なからず存在するが(笑)
2008年12月17日
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昨日は6時過ぎには帰宅できた。これはもう、ほとんど奇跡が起こったような出来事で、毎日こうならどれだけ嬉しいか…。…はともかくとして、郵便受けで発見したお届け不在票にちょっとガッカリ(笑)どうやらカミさんが買い物に出かけている間に宅配便が届いたようで、電話で再配達をお願いした結果、ブツは9時前に手にすることとなった。ひとしきり家族と会話して、下の子が寝た後に、床に寝転がって最初の方から読み始めたが…気付いた時には眠り込んでしまっていた。読者対象は小中学生くらいだが、雑誌の怪しい広告を思わせる煽り文句は、大人の自分としては、ちょっとひいてしまう部分もあったりする。子供に分かりやすく、ということなのだろうが、左脳と右脳の説明など恣意的に過ぎる感が無いではない。テクニックの部分に入る前に寝入ってしまったので、そこはまだ読んでいないのだが、翻訳されている大人向けの本と多くは違わないだろうと思う。文章はもちろん子供向けであるから、辞書を少し牽きながらでも、高校生くらいなら読めるだろう。上の子が興味深そうに見ていたので、試験が終わったら読ませるつもりではいるが、内容については、オヤジとして一言二言助言をせねばならんだろうなぁと思う。マインドマップ関連については、書店とネットで立ち読みした程度の知識しかないので、個人的な意見や批評は差し控えたい。賛成であろうと反対であろうと、こういうモノは、実践して「役に立つ」と思った人が使えばいいだけの話で、それについてとやかく言うのはヤボというものだ。どういうテクニックであれ、真面目に取り組めば、その努力は報われるというものだ。
2008年12月17日
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今日は午後から帰る予定。といっても、途中、仕事上の付き合いで某社のセミナーに参加することになっているので、明るいうちに帰宅できるわけでもないが、それでも随分早く帰ることになる。セミナー後に帰社しても、終業時間まで僅か、になる。ならばいっそのこと、そのまま帰宅した方が楽だ。というわけで、午後から休暇願を出すことにした。どうせ有給休暇の日数は余りすぎる程に余っているし。たまには、こんな日があってもいい。というか、毎日こうであって欲しい(笑)。帰宅後に気が向いたら、子供達の英語の勉強に少しだけ付き合ってやるかもしれない。「英語のことは父ちゃんに聞け」というのが我が家の常識みたいになっているので、自分の仕事を見せてやれないサラリーマンオヤジとしては、そこで少しだけ威厳が保てる寸法となっている。とはいえ、学校英語であるから文法用語も出てくる。学生時代にまともに英文法の勉強をした記憶の無い”お父ちゃん”としては、そのおかげで文法用語を知る為に英文法書をひもとくことも必要になったが、改めて感じるのは「文法用語ってのは本当に面白くない」ということ。もうちょっと「覚えて楽しい」用語にならんものかと思うが、そこはそれ、勉強する主体は子供であって自分ではないから、多少、気は楽だ。確かに文法は重要だが、可能ならば、「この文とあの文は構造が一緒」「ならば、」「その構造のことを英文法ではどういうふうに名付けているのか」というふうな学習過程にならないかなぁと思っている。英語の勉強においては、普通は逆だ。「こういう名称の文法構造があります」「その構造を持つ例文はこれです」これって、やっぱり面白くない。発見する喜びも無いし、文法オタクではない大半の人間には、知る喜びもない。感情が動かないから、記憶に留まりにくい。そもそも、面白くないことは覚えたくもないわけで。自分自身で発見したコトは長く記憶に残るが、その逆を行くのが、世間一般の勉強法だ。先日「記憶」について書いたが、その中で「情動」が大事だと書いた。発見には驚きと喜びがある。語呂合わせで覚えたりなどテクニックで覚えていくのもいいが、英語に限らず、何かを身体に染みこませるように覚える為には、如何にして発見の感動を味わうかが鍵だろうと思う。……さて、付き合いで出席する今日のセミナー、何か新しい発見が得られたらいいが。
2008年12月16日
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セミリンガルと書こうとしてヘミリンガルと書いちゃったよ。さっき、修正したけれど…、相当に恥ずかしい……。やっぱり、書いた後には見直ししないと、バカな間違いがかなり残ってそうな気がする。……あ、バカだから、それでいいのか(笑)
2008年12月15日
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が、無料のブログスペースなので、まぁ、仕方がないか、と思っている。ここの日記では英語ネタを書くことも多いから、英語関連の広告がつくのは仕方ないが、ダイレクトメールじみた広告は、いささか鼻につく。何度も書くが、どのような分野であっても一朝一夕で上達するような方法(秘法・秘術)など、無い。それがあれば全て解決する…そんな魔法のようなテクニックを求めて彷徨う人は多いが、そんなことをする暇があれば、毎日一定の時間を勉強なりトレーニングなりにあてる方がいい。例えば英語の驚異的な学習法を教える、という謳い文句があるとして、それを唱える人達は、その方法を使って熟達したわけではないことに気付いて欲しい。ある程度、熟達した上で伸び悩んだ挙げ句に一つの方法論にたどり着いた、というのが一つのパターンである。如何に自身がダメであったかを自称する人は多いが、”効果的なやり方を思いつく”ような人が、根っからバカであるはずもない。”効果的なやり方”を思いついて商売にする人間と、そうした方法を探して右往左往する人間と、頭の程度が同じだと考える方が間違っている。英語に限らず、成功した(と自認他認する)人の自信あふれる意見は、役に立たないことが多い。それが役に立つのは同じように成功した人にとってのみであって、多くの失敗者には甘い夢を見せるだけで終わる。もちろん、如何に苦労したかを述べる人の言葉から、得ようと思えば色々な考えを得ることはできる。英語に限っていえば、宣伝文句の中に隠れた矛盾に気付かず高額な寄付金を納めるくらいなら、ツテのある大学の学生課にでも頼んで、貧乏な留学生を家庭教師に雇った方がまだマシというものだ。複数で雇えば彼らにはソコソコの金額が行くし、利用する方は安上がりで済む。和気藹々の関係ができれば、ついでに国際交流にも役立つ。語学に楽な道は無い。第2言語を母語なみに習得しようとすれば、特殊な環境という幸運が無い限り、相当な時間がかかることは覚悟しておかなければならない。バイリンガルになれる幸運な環境があってさえ、両方の言語の習熟が十分でないセミリンガルに陥る危険性を知っていれば、楽に二つの言語を操れるようになるなんてメソッドがあるはずもないことは、直感的に分かる話だろう。では、どうしたら良いか。答えは一つだ。「濃密な時間を多く持つ」ということ以外には無い。その方法の一つとして、同時通訳の神様とまで言われた國弘正雄氏は音読を提唱した。他の人は他のメソッドを公表しているが、誰も、決して楽に学習できるなどということは言わない。夢を見るのは良いが、夢を夢で終わらせない為には、粘り強く「濃密な時間を多く持つ」ことを心がけるしかない。それは語学に限った話ではなく、どのような分野でも同じことである。一部の天才を除いて、その点に関する限り、全ての人はほぼ平等なのである。
2008年12月15日
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毎朝買うのが九(東)スポ。読むべき記事はほとんど無いのだが、笑えるネタがあるので、惰性で買っている面もある。スポーツ新聞であるから記事はスポーツが中心なのは当たり前として、月曜日は特に競馬ファンとして前日の競争結果を読んでおかねば気が済まない。といって、土日は買わないのだから、九スポファンという程のものでもない。ま、それはともかく、今日の5頁目は最高(笑)ターミネーター4の広告記事だが、Weekly World Newsのノリで、なかなか楽しい。WWNでは相変わらず蝙蝠少年(Bat Boy)が大活躍だったりするのだが、有名人使いまくりでパロディ記事が書ける点についてだけは、アメリカってのは本当にいい国だなと思わざるを得ない。さて、今週は余裕のある週だ。といっても、ほったらかしにしておいた仕事が幾つかあるので、時間に余裕がある今週は、それにかからなければならない。特に、今年は一応の御用納めが26日となる今年の師走は、早め早めに仕事を片づけていかないと悲惨なことになる。本来は28日が御用納めだが、今年は暦の都合もあって26日となっている。といっても、29日も出勤の命令が上から下っているから、一定の役職以上の者は出勤せねばならない。当然のことながら休日出勤の手当などは無い。まぁ、どうせ御用納めの翌日からきちんと休めるような年は、これまでにも無かったわけだし、内勤者としては特にツラいということもないが、営業は休みとなる取引先が大半で、出社しても何ができるということもない。自分としても29日一杯を使わねばならないような仕事は残さないつもりなので、出社しても忙しく働くことは無いだろう…余程イレギュラーな事が起こらない限り。……昨日、久しぶりにamazonで本を注文した。その内の一冊は、"Mind Maps for Kids" という本で、マインドマップ関連は正直あまり興味が無かったのだが、ちょっとした思いつきがあって衝動買いしたものだ。その思いつきが我が子達の役に立てばいいなぁ、と親バカならぬバカ親として考えている。すまんなぁ、バカ親で。バカといえば、世の中、自分自身がバカだと自覚していない人間が多い。自分のようにバカを自認していれば、それなりに謙虚な気持ちにも知識や情報を得ようという気持ちにもなるはずなのだが、どうやら自分自身のことを利口だと考えている人間が圧倒的に多いらしく、そうした人と話していると、つい教えてあげたくなる。「私よりは利口かもしれんけれど、やっぱり貴方もバカの仲間なんだから、バカはバカらしく素直にバカと自認しようよ。バカ同士の間で優劣を競っても、バカが進化ならぬ深化するだけなんだから」そういうわけで、今年もバカなままで終わりそうな雰囲気だが、来年は少しはバカの度合いがマシになればいいなぁ、と考えている。来年といっても、まだ、今年は17日も残っているんだけどね。
2008年12月15日
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残ってはいるけれど、今日は早めに帰ることができそうな、午後6時20分。昨夜は危うく午前様で、実を言えば疲れ果てていたせいか、風呂に入る元気もなく、飯を済ませた後は、片づけておきたい事の為にPCに向かいながら、午前4時まで起きていた。でも、帰って寝るまでの時間は4時間半なんだよなぁ。これが7時に帰り着けるのなら、まだまだ早い11時半なのに。今日は9時過ぎには帰り着けると思う。別のネタを日記に書き込みたかったけれど、下書きする元気もなかった。睡眠不足なので、今日も書けないだろう。はぁ……。………さて、もう一踏ん張り。
2008年12月12日
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これはタメになる…かどうかは別にして、結構、楽しめるかも。Learn Japanese Verbs and Adjectives Using Memory Mnemonics値段を見て、ちょっと躊躇ってしまうけれど、楽しい。もちろん、貧乏サラリーマンとしては、今のところ購入の予定無し。語呂合わせを使って日本語の動詞と形容詞を覚える為の本で、思わず、「それはちょっと苦しくないか」とツッコミたくなるが、これで英語話者が日本語を覚えてくれたら、ちょっと嬉しいかなぁと思ったり思わなかったり(笑)日本語の基礎的な動詞と形容詞を覚えたい人にお勧めします。
2008年12月11日
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書きたいコトは書いたが、抽象論には違いないので、具体的な技法については、ググッてもらいたい…無責任ですまん。自分が見つけたサイトは、例えば、記憶&クリエイトで、見やすくまとめて書いておられる。注意として何度でも繰り返したいことは、秘伝・秘法でお金を払わせようとするサイトには、近寄らないこと。近寄ってもうっかり信じ込まないことが肝心だ。「これこそ本物!」などという宣伝は、如何に中身が無いかを自ら宣伝しているようなものである。どの(人の)記憶術がいいか、なんて話は、実際の話、どうでもいいことで、一本の大樹が咲かせた右の花と左の花のどちらが美しいか、を比べているようなものである。記憶術(mnemonics)の技法には幾つかの柱があり、それが基礎テクニックとして世間に紹介されているわけだが、そこから先はカスタマイズの話になる。そして、カスタマイズは自分自身で行うしかない。高額な出費でお手軽に入手しようとせず、むしろ友達同士でアイデアを出し合った方が良いだろう。さて、戦後の日本における記憶術の中興の祖と言えるのは、やはり渡辺剛彰氏ではないかと思う。きちんと調べていないのでウソになるかもしれないが、自分の中ではそういうイメージがある。既に亡くなって久しいようだが、自分は、高校生の頃に氏の書かれた本を読んで、非常に面白く感じた。自分の高校時代といえば受験戦争という言葉のあった時代だったが、自分は怪しい趣味に忙しく、学校の成績やら大学受験やらに目が向いていなかった。勉強そのものは嫌いではなかったが、時間が勿体ないので最低限しかしない、というのが自分のポリシー(大袈裟?)だった為、手軽に早く暗記できれば時間が増やせるという気持ちで、渡辺剛彰氏の本を手にとった。が、しかし、勉強に時間をとられることがイヤな人間に、記憶術の技法を勉強する根気なんてあるはずがない。せいぜいテクニックを頭で覚えた程度で終わった。その(根気がない)せいで今薄給にあえぐ生活をしているのだろう、と言われれば、その通りかもと答えるしかないが(笑)むしろ、記憶術に対して、より強い興味を覚えるようになったのは、社会人になってからだ。会社の中で覚えることが多すぎて、ということではなく、記憶術そのもの仕組みに純粋に興味を抱いたということだ。そこで、新書など安価な本は購入し、フランセス・イエーツの本など高額な物は図書館を利用して読んだ。オジサンになってしまった現在、当時読んだ内容は思い出そうとしても思い出せない(笑)が、何かの折にふと思い出すことも無いではない。最近では、googleブック検索を利用して19世紀に書かれた文章を時折眺めているが、面白いというか微笑ましいというか、記憶術にまつわる、そんな例が見つかったりもする。例えば、Miscellanies Selected from the Public Journals の MNEMONICS など見ると、笑うのは不謹慎かもしれないが、ちょっと頬が緩んでしまう。 この例は空間認識を利用した記憶術の一つの技法だ。記憶術についてきちんと書かれている本を読めば分かると思うのだが、大量の情報を記憶しようとする時、まず第一に重要なことは、覚えようとする内容を整理することである。整理する時点で、言語情報網にアタリをつけていることになり、脳に対して受け入れる準備を促すことになる。自分には無理だが、頭の良い人は、どうやらこの時点で既におおよそ全てを言語情報網に組み込んでしまっているようだ。自分のような凡庸な人間でも、整理した段階で、漠然とした記憶が残る。整理する際に項目の分類分けを行うという行為そのものが、「言語情報網」を構成する何らかの意味グループへ項目を当てはめる行為となっているからだ。意味グループ…という言葉を使ったが、特定概念というふうに言い方を変えてもいい。単純な話、「氷」がどのような意味グループに属するか、分析的に考えてみれば、「冷たい」「固い」といった状態を指し示す意味のグループに属すると同時に、「水という漢字に点がくっついた」というようなイメージ或いはパターンのグループにも属している。もちろん、「氷」に関する個人的体験は人それぞれであるから、それぞれの過去の体験をベースにした無数のグループにも、同時に属しているといっていい。そのように一つの言葉は複数のグループに属する構成要素でありながら、同時に各々のグループを連結する機能もある。連想は日常的に知られた現象ではあるけれど、何故に連想が発生するか、そのメカニズムはハッキリとは解明されていないように感じる。脳神経同士の電磁誘導的な相互作用とでも呼べるものがありそうだ(あるという話は見聞きしたことがある)が、それが原因なのか、別の原因があってそれが発生しているのかは、門外漢である自分は知らない。戦後、渡辺剛彰氏の本が出版されて後、記憶術関連の多くの本が出版された。中には怪しいモノもある(呪文を唱えて記憶力を増進する、等々)が、基本的に中身に変わりはない。記憶術という名前の木がそこにあり、それには多くの花が咲いているということだ。
2008年12月11日
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「情動」「繰り返し」「脳内情報網」記憶について意識しておくべき3つの点について簡単に書いたが、記憶術に興味があり、覚えてみたいと思う人は、CMに注目してみるといい。記憶術のCMではなく、一般のCMだ。コマーシャルは、如何にして商品(もしくはサービス)を多くの人に知ってもらい、そして購入させるか、という2つに重点が置かれている。その「知ってもらう」という目的の為に、CM制作のプロ達がどのような工夫をしているか、そこに注目してみると、自分が何かを覚える時にどのような手法を使えば良いのか、分かるようになる。特に、自分がよく覚えているCMがあるとして、何故、そのCMが他のCMよりも自分の記憶に留まりやすかったのか、それは自分の趣味嗜好や、場合によっては性格と、どのようにマッチしたのか、その辺りもよく考えてみるといい。昨日、記憶術には秘術や秘法というものは無い、と書いた。あるのは、原則を元にカスタマイズされた手法だけである。そして、残念ながら、誰かがカスタマイズした結果としての手法が、別の誰かにとっても有効であるとは限らない。記憶術を実践してみたい人に送りたい最終結論は、必要なら自分の為の記憶術を作ってしまえ、ということになる。基礎テクニックは全て市販の本に書いてある。基礎という言葉に引っかかって「応用が書いてないんじゃダメだ」と早とちりする人がいるかもしれないが、テクニックの裏側にある原理・原則に目を向ければ、書籍で紹介される基礎テクニックさえも実は原理・原則の応用であることが分かる。世の中には「記憶名人」と呼ばれる凄い人達もいるが、彼らが一朝一夕でその地位についたと考える人はいないだろう。日本一や世界一に挑戦しようとする人達は、毎日のように腕を磨いている。それはスポーツの世界と同様だ。その努力に目を向ければ、「記憶術を学べば今日から天才」なんて言葉は、口が腐っても言えないはず。……最後に個人的体験として、外国語の習得に絞って記憶術を見た場合のことを書いておこう。和訳という点においては、語呂合わせを含めて記憶術は役に立たないわけではない。また、文法規則…例えば格変化等…を覚える為に使う分には、結構役に立つ印象もある。大学時代、初等ラテン語でA評価をもらえたのは、まぁ、そのおかげかもしれない。例えばアレ、amo amas amat amamus amatis amant …笑上のクラスまで行ってきちんと接続法も勉強すれば良かったと、今ちょっと悔やんでいるのは、ここだけの話だ。しかしながら、記憶術で一時的に覚えたとしても、それは本当に一時的なもので終わる。本当に定着させる…いつでも想起できる…状態にするには、記憶後の繰り返しこそが命である。高校時代に記憶術で覚えた英単語のうち、残っているものは、読書の中で何度も再会した単語が大半だ。結局のところ、繰り返し想起しなければ、あっという間に「言語情報網」の奥深く、闇の世界へと埋没してしまう。今、我が子が使っている語彙本を見せてもらって、「げげ、高校時代は確かに覚えてたはずなのに」なんてことも時折ある。であるから、本当に重要なのは、如何にして覚えるかではなく、如何にして繰り返す(想起する)かということになる。問題は、記憶術に頼ろうとする時の気持ちとして、「繰り返さくていい」という期待があることだろうか…。
2008年12月10日
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前記2つは記憶に関する原則のようなものだった。 こちらは、原理と呼ぶ方が近いかな。(3)脳内情報網 大脳生理学の話になると厄介なので、それは専門家の本を読んでもらうとして、記憶ということに焦点を当てて考えてみると、明らかに脳内には情報網(ネットワーク)が存在していると思える。 厄介なのは、その情報網は入会制限のある秘密クラブのようなもので、関係者が認めれば簡単に入会できるが、関係者が認めないとなかなか入会させてもらえず、時間入れ替え制の待合室泊まりとなることだ。 その上、秘密クラブには様々なサークルが存在していて、各々が独立しているのならばともかく、あるメンバーはAとBとCに所属し、別のメンバーはBとCとZに所属している。 当然、新しいメンバーも複数のサークルに所属することになるのだが、入会したばかりのメンバーが必ず直ぐにパパパッと複数のサークル所属することはなく、入会時と同様、結構差別されていたりする。 とまぁ、そんな空想をしているわけだが、この新入会員というのが新しく「覚えなければならないコト」なわけで、サークルについてはあまりに多すぎて具体的には書きづらい。 この秘密クラブ内のサークルの一つは「空間認識」と呼ばれていて、この部会は、光と影というわけでもないが、二つの面を持っている。 二つの面とは、自己中心の視点と全体を俯瞰する視点であり、それは、分かりやすく人の目と神の目と言い換えることもできる。 気質的障害が無ければ、全ての人間は、空間について二種類の目で同時に見ている。その時々に応じて、どちらを強く意識するかは、また、別の話だ。 何故このような状態になっているかと言えば、生きる為に必要だからだろうと思う。自分が何処にいるか、自分の周りに何があるか、そうしたことが分からなければ、命が危ない。 もちろん、サークルは他に幾つもあり、大きなものでは「時間認識」などというものもある。 そういうものを全てをひっくるめて、ここでは、脳内情報網と呼ぶことする。 さて、情報網という名の秘密クラブへ如何にして新しいメンバーを入会させるかが記憶術のテーマとなるわけだが、記憶術が必要とされるのは、たいていの場合、新しく覚えなければならないことというのが「言葉か言葉の羅列」であり、それは「身体で覚えること」が属する情報網とは別の情報網に属している。 仮に大枠として「意味情報網」という名前を付けよう。脳内情報網の中にあってもちろん独立して存在しているわけではなく、他の情報網と複雑に絡み合っているのだろうが、わかりやすく単独のものとして考えることにする。「脳内情報網」内の「意味情報網」は、その内に「言語情報網」という大手派閥を抱えていて、言語を通じて新しい物事を覚えようとする時、自動的にこの「言語情報網」への合否判定が行われる。知識や情報を覚えようとする時、そこにあるのは言語活動であるから、まぁ、当然のことではある。しかしながら、「言語情報網」は「意味情報網」の内にあり、「意味情報網」は「脳内情報網」の部分であるから、「生死に関わる情報は優先的に通す」ということが当然のように行われる。次に情動を伴う情報が優先され、そして、あれこれ中間があり、最終的に生存とは無関係な情報を通す=入会させる。そういうわけで、お墨付きの無い新人さんは、「意味情報網」内「言語情報網」に参入したはいいものの、その内でのし上がっていく為に、あれこれ工夫する必要が出てくる。何しろ優先情報の連中(いわばエリート)とはスタート地点が違うのであるから、必要な苦労は並大抵のものではない。何もしなければ、優先順位の低い情報は記憶に残らないということになる。しかし、「言語情報網」はタレント会社のようなもので、最低の優先順位で潜り込んだメンバーでも、頻繁にお呼びが掛かればアッという間にスターになることもできる。逆に、お墨付きの無い新人さんだけに限らず、古株のメンバーでさえ、お呼びが掛からなくなれば、いつしか存在が危うくなる。記憶の世界は弱肉強食でもあるのだ。幸か不幸か、現実の会社と違って完全にクビとなることはなさそうだが、現実的に忘れ去られてしまうのは、クビになるのと似たようなものだ。そうした状況を避ける為に、新人さん(古株さんも?)がとるべき道は3つ。(あ)完全に忘れ去られること。(い)他のメンバーのグループに参加すること。(う)他のサークルにも顔を出して存在をアピールすること。(あ)は論外なので、(い)か(う)の道を探ることになるが、(う)の道で最も良く知られているのが「空間認識」へ入る道だろう。 記憶術の中では最も頻繁に紹介される技法だ。「空間認識」派は厳密には「意味情報網」には属さないが、「脳内情報網」中の最大派閥の一つであるから、そこに入ることは存在をアピールするに役立つ。 但し、「空間認識」は一時的に入会させてはくれるけれど、元は「原始本能」に属するサークルであるから、本来なら資格のない新人さんは直ぐに放り出されてしまう。新人さんはその僅かな時間を利用して、他のグループへの参入に奔走しなくてはならない。それがなかなか難しい。記憶術でペグ法と呼ばれるテクニックのことだが、あれで用いられる例は、全ての単語が既に「言語情報網」に属するメンバーであって、それをそのまま未知の単語で行うことに無理があることは、上記の喩えで想像つくのではないかと思う。そこで、(い)の道を選ぶことになる。「言語情報網」内に無数に存在するグループのどこかに潜り込んで、そこの人気に頼ろうとする方法だ。そこのグループのメンバーと仲良くなれば、そこのグループが確立している「言語情報網」内の序列が利用できる。仲良くなるにはどうしたらいいかというと、一緒に行動することが一番大事で、できれば複数の相手と同時に付き合うことが早道でもある。現実の人間関係と違って、反目しあうグループというのはあまり無さそうなので、同時に付き合う相手は多ければ多いほど良い。性別があるわけではないので、何人と付き合おうが不倫になることもない。何かにつけ名前が出るようになれば自然に地位も上がり、存在感も増すというもので、いつしか「あの人と付き合いたい」と言われるようになる。そうなればしめたもので、場合によっては「言語情報網」の中で重要なポストを占めるようにもなれる。ところで、語呂合わせが上手くいったり上手くいかなかったりするのは、語呂合わせが「名前貸し」のようなもので、実際に付き合っているわけではないからだ。一時的に名前を借りて、その名前の威光で有力グループのメンバーになれれば良かったのだが、残念ながらそこまで至らなかったわけである。なかには「名前貸し」を頼まれて、よくよく見たら、友達の友達だったなんてこともあり、或いは案外気があって友人関係になったりということもあり、そういう場合は、語呂合わせが予想以上に効果的だったという結果になる。おおよそ上記したような形で、新しい情報の「言語情報網」内での存在価値(序列)が決まっていく。では、新しく覚えたいコトを覚えるにはどうしたらいいか…。いや、言い換えよう。では、新しく覚えたい「言葉(もしくは文章)」を覚えるにはどうしたらいいか…。(1)情動を伴う「情報=言葉(もしくは文章)」として記憶しようとすること。(2)「言語情報網」内で確固たる地位を気付いた情報=言葉と結びつけること。(3)覚える内容によっては他の情報網(感覚情報や空間認識・時間認識等)を利用すること。この3つが答えとなる。言い換えれば、(1)覚えたい言葉の”情動”によって優先順位を高くしてやる(2)覚えたい言葉を既に定着した言葉と結びつけてやる(3)一時的に「言語情報網」以外の既存情報と結びつけてやるということだ。
2008年12月10日
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*思い出すことを想起というが、煩雑なので以後は、この言葉を使う。2)繰り返し 先ほど「恋人に教えてもらう」という例を出したが、それは極めて心地よい体験だと思う。 心地よい体験は何度でも思い出すのが人間というものだ。 しかしながら、心地よい体験でありながら、思い出さない場合もある。 例えば、「あの時(10年前)○○遊園地で初めてソフトクリームを買ってあげてねぇ……お前はもっと食べたくて駄々をこねたっけ」と、お父さんが娘に言っても、娘はさっぱり覚えていなかったりする(笑) こんな悲喜劇は、大半の親が体験している。 どうしてこんな事態が起こるのだろうか。 実はお父さんはその状況を心地よい体験として何度も想起したから覚えている(想起しやすくなっている)が、一方、小学校に上がったばかりだった娘は、その後に多くの情報が入りすぎて当時の記憶を想起するヒマがなく、結果として雑多な情報の中に(お父さんにとっては)肝心な情報が埋もれてしまった、ということだ。 お父さんは想起というヴァーチャルな世界で記憶を新たにしたが、娘はそれをしなかった。 ここに記憶の第2の原則がある。 繰り返し ここで重要なのは想起=「思い出す」という行為だ。 「思い出す」を繰り返すことで、記憶は新たにされ、より一層忘れがたいものになっていく。 思い出すという行為は、上記のお父さんのように自発的に思い出すこともあれば、強制的に思い出させられることもある。 例えば、前記の恋人に教えてもらった英単語。 面白くもないテキストを読まされていた時、たまたま文章中にその単語があり…つまり強制的に見せられて…、教えてもらった時の感情と共に意味を思い出す。 同じ単語に別の場所で出会えば、そこで更に「思い出す」を繰り返す。 そうやって繰り返すことで、その英単語の記憶はより確固たるものになっていく。 この事は、実は日常生活の中で誰もが体験していることなのだが、それを意識している人は少ない。 記憶は繰り返すことで定着していく。 いや、 繰り返すことで想起しやすくなるのだ。
2008年12月10日
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素人なので、難しい術語は使わないし、使えない(笑)読みかじりの専門語は幾つか知っているが、それを使うことでハロー効果を期待するのも馬鹿げている。記憶して忘れない為の原則というか原理というものは、たった3つしかない、と個人的には思っている。記憶術は、その3つの内の2つを応用している。記憶について覚えておくべき3つの原則。(1)情動(2)繰り返し(3)脳内情報網へ組み込むこと他は全て枝葉末節であって、いわゆる記憶術本は、その枝葉末節の部分を細かく説明している。1)情動 人間は忘れるようにできている。 物覚えが悪いのは、恥ずかしいことでも何でもない。 忘れるのが当たり前である。 「どうして覚えられないのか」 「どうして思い出せないのか」 などという悩みの答は「人間だから」で片づけてしまえる。 しかしながら、命が脅かされるような危険は、必ず覚えるように出来ている。 理由は単純で、「忘れると命が危ない」から。 自身の存在が脅かされるような危険情報は、忘れようとしても忘れることができない。これはもう動物の本能のようなもので、覚えられない個体は生存率が極めて低くなる。 人間も動物の一種であるが故に、生存を脅かす情報をしっかり記憶するように出来ている。 その結果、生存を脅かさない情報は後回しにされる。つまり記憶の優先順位が低くなる。 五感の全ては「生きる為に」存在するのだから、直接的に生死に繋がらない情報は、余程のナニかが無い限り、覚えにくい…記憶の優先順位が低い。 動物としての人間の価値観と、様々な価値観の中にある社会的存在としての人間の価値観の間には、大きな隔たりがある。 例えば、将来を左右しかねない受験であっても、それは動物としての命を脅かすようなものではないし、仕事上のアレやコレを覚えられなくても、それが直接的に死に結びつくようなことはない。 生死に関わる情報は、全ての生き物にとって、最優先の情報なのである。 だからこそ、覚えている。 次に「生死には直接関わらないが重要な」情報がある。 それは情動を伴う情報である。 情動…強烈な感情…は強烈な記憶となる。 自分に乱暴をはたらく人間のことを犬が忘れないように、ペットが優しくしてくれる人間を慕うように、或いは魚でさえ人間が餌をくれることを覚える。 なぜならば、そうした情報は「より有利に生き続けること」の為に重要であるからだ。 他の動物に比べれば、人間の場合はもう少し複雑になるが、基本は変わらない。そういう情報の大半は、強い感情を伴う。 そして、強い感情を伴う情報或いは経験はなかなか忘れない。 ならば「強い感情」を擬似的に引き起こし…つまり、動物的な脳を騙せば…覚えたい内容が強く記憶されることになる。 これが記憶術の手法の一つだ。 この手法は単純にして強烈だ。 具体的で且つ単純な例を挙げよう。 例えば、どうしても覚えられない英単語があったとする。 初めて二人きりになった時、大好きな人が初めて手を握ってくれて、優しくしかしハッキリと意味を教えてくれたら…それも身振り手振りを使って一所懸命に。 おそらくは絶対に忘れることができないし、忘れられるわけが無い。 というか、忘れちゃいかんでしょう(笑) 仮に言った方が忘れていても、言われた方は忘れない。 そこには情動があるからだ。 語呂合わせは、その擬似的(ヴァーチャル)な情動を一部利用している。
2008年12月10日
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てな事を知り合いに聞かれて、ネットで調べた。具体的な名称を挙げれば営業妨害になるかもしれないので挙げないが、正直な話、ヒットする頁はアフィリエイト頁だらけで、どうもこうもない。宣伝頁というのは、まぁ、一目見ただけで分かるのだが、見分け方をあえて書けば「具体性が全くない」というのが一つ。やたら褒めてはいるが、自分自身で使ったことが無さそう、というのも、たぶん文章を読めば直感的に分かるはずで、これで騙される人がいるとすれば、騙された人はとても幸せな人なんだなぁと思える。記憶術については学生時代から興味があり、英書も含めてアレコレ読んでは見たが、基本は全て同じだ。最近では、以前に書いたように、国会図書館のデジタルライブラリーで明治時代の記憶術書にも目を通した。この手の「術」と名のつく方法は、どの分野にもあって、ついでに「門外不出」であるとか「秘伝」であるとか、針小棒大どころか無から有を作り出す宣伝手法もあるから、一筋縄ではいかない。秘伝・秘術といったものが好まれる背景には、「自分は知らないが何処かの誰かは知っていて、それはもの凄く強力なのだろう」という希望的想像と同時に、「自分はそうしたものを知らないからダメなままなのだ」という、いわば自分への甘えのようなものがある。例えば、「3日で覚える○○」やら「一週間で出来るようになるXX」といった宣伝文句は、その辺りの心理を突いている。記憶術が希求される状況は今に始まったことではなく、「大量に知識や情報を詰め込む必要がある」時と所では、常に注目を浴びるし、また、浴びてもきた。そうした時と所では、常に詐欺まがいの商売が行われる。詐欺まがい師は人の欲望を微妙に突いてきて、与えるものは一時の希望のみである。特に最近では、立ち読みできないのをいいことに、怪しい「術」がインターネット上で乱売されている。そうしたものを売りたいサイトでは、ダメだった人間がソレを知ったおかげで華々しく成功する、というパターンの宣伝文句で人を惹き付けようとする。このやり方は、ギャンブルの必勝本の売り方と同じで、例えば、「競馬で大負けしていた自分が、この方法を編み出して大儲けできるようになった」というパターンと同じだ。ギャンブルに必勝法が無いように、記憶術にも実は「必勝の術」など無い。門外不出の秘伝も無いし、いきなり人を大天才にする秘術も無い。が、人は、そうしたものに惹かれる。欲を突かれると、人間は実に弱いものだ。記憶術については、改めて文章を書いてみようかと思っている。学者ではないので個人的な感想文にしかならないだろうが、ひょっとしたら一億人中の一人くらいの役には立つかもしれない。
2008年12月09日
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Aちゃんも可愛いしBちゃんも可愛いので二人の机の間をウロウロ………なんて話なら、それなりに楽しいのだが(笑)電算室と一般的に言われる部署の責任者をやっているが、10月に辞めた別部署の課長の仕事の一部を引き継ぐことになり、コンピュータとは全く関係の無い仕事もするはめになっている。そのせいで11月以降は、事務所内でその人が使っていた机も使うことになった。10月の終わりに2時間程度の引き継ぎで「流れ」だけ聞き、実務の部分はメモ的なマニュアルと格闘しつつ、実務に詳しい女性陣に大幅に助けられて、どうにか一ヶ月が過ぎた。彼女達がいなければ、右往左往した挙げ句に、何も分からない状況が続いていたろう。そうやって二つの机を持つことになったわけだが、引き継ぎしてしばらくは書類の整理とPC中の関連文書ファイルの整理が必要だった。前任者は言わば団塊の世代後期に属する年齢の人で、PCについては苦手であった為か、PC上の文書管理番号と実際の文書に付された管理番号が一致していなかったり、入力洩れがあったり…。幾つか?マークの残る文書もあるが、今は「少しはマシ」な状態になったと思う。一番困るのは、文書や案件の管理方法がバラバラなことで、ある部門の書類は○○、別の部門の案件はXX、等々、一貫性のないことはなはだしい。そこで受付簿や管理簿の整理と改変を行うことにしたが、関連部署の人間と話し合った結果、当年度中は現状のまま、新年度から変えることとなった。新年度といっても、既に第3四半期の終わりが近づいているわけで、そんなに遠いことではない。とまぁ、そういうわけで、この書き込みのタイトルになるわけだが、二つの机の間は実質距離で18メートルあり、その机のPCではファックス・プリンター兼用機から文書や表の打ち出しを行うのだが、そこも同様の距離がある。結果、一日に歩く量が格段に増えた(笑)少なくとも室内での延べ移動距離は、一日辺り1キロメートル以上増えた計算になる。汗をかくような歩き方ではないから、ダイエットに役立たないのが少し残念だが、これまで知らなくてもよかった分野を知ることになって、少し面白い部分もある。もちろん、残業時間は増えたわけだから、面白いとばかりも言ってられないが(笑)しかし、1年と3ヶ月後には、もう一人の課長が定年退職を迎える。そちらは純粋に営業畑の人間なので、「人員補充はしない」という上の意向を思えば、営業担当の連中の仕事量も増えることになる。かくして、給料は増えず仕事ばかり増える状況は、更に更に続くのである。仕事量と給料が反比例してるのは、かなりイヤなのだが、家族を養うということを考えれば、ほいっと辞めることなど、誰にも出来ない。「自分一人ならねぇ」同僚と愚痴りあうくらいが関の山というところ。……と、書いているうちに昼休みが終わった。さて、お仕事、お仕事。
2008年12月09日
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今、気付いた。今日の書き込みが、なんと一週間ぶりだったことに。先週は精神的に余裕が無かったんだなぁ…。さて、今日も残業中(笑)
2008年12月08日
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土曜日の朝、窓の外に雪を見た時、一生布団の中で過ごしたいと思ったけれど、それじゃあ寝たきりだろうと自分にツッコんで、嫌々ながら布団を後にした。古くなった家はあちらこちらにガタが来ていて、何よりも隙間風は外気温と同様だ。今朝も雪こそ無かったが、布団から出る時に躊躇いが無いわけではなかった。宝くじが当たれば…なんてことを考えて季節毎のジャンボ宝くじは購入するが、選択の余地のない宝くじでは、当たった時の配当の楽しみはあっても的中の楽しみは無い。宝くじは悲惨な控除率の公営ギャンブルであるにも関わらず、予想という行為が無い。「ロト6は予想して買っている」という人がいるのは知っている。身近にもいるが、あれは予想ではなく、もっともらしい理由付けが欲しくて「予想」という言葉を使うだけである。数字は抽象化された概念であって、実体が無い以上、前の結果が次の結果に反映することはあり得ない。統計をとってみても、局所的な偏りを見いだすだけであり、その偏りは人の手ではなく偶然という名の神の手によって生じたり滅したりする。抽選器という実体があるじゃないか、という反論もあるが、その抽選器が必ず特定の数字を抽出するというものでもない。そういうわけで、ロトを含めて宝くじを買う時は、あれこれ無駄に考えるよりも自分が好きな神様にでも祈っていた方がマシ、ということになる。ロトであれ他であれ、買う側にとって宝くじは正しく、運任せの博打なのである…売る側にとっては濡れ手に粟だが(笑)宝くじが公営ギャンブルと呼ばれず、三競(競馬・競艇・競輪)+オートが公営ギャンブルと呼ばれるのは、そこに「予想」というファクターが入るからである。予想し、投票し、配当を得る(或いは賭金を失う)…というのが公営ギャンブルの基本である。ついでながらパチンコは非合法ギャンブルなので、自分はやらないし、興味も持てない。大事なのは「予想」の部分で、これが無ければ、宝くじと同様の「運任せの数字選び」となってしまう。公営ギャンブル好きが「運任せの数字選び」を続けていけばどうなるかは、これは火を見るよりも明らかと言える。よほど幸運な人間でなければ、間違いなく破綻する。しかし、そういう人は、勝った時には「俺って博才がある」と考え、負けた時は単純に「運が悪かった」と考える。その結果、毎回、「運任せの数字選び」を行い、周囲には大儲けしているように見られているが、実はトータルで大幅に負けていることが少なくない。数万円勝ったと自慢する人間は、たいてい数十万円負けているし、数十万円勝ったと自慢する人間は、数百万円を失っている。「様々なファクターを考慮し、より正確な未来像を描く」ことが予想という行為であり公営ギャンブルの醍醐味なのだが、しかし、これは公営ギャンブルに限ったことではない。勉強が出来る・仕事が出来る、と言われる人間は、意識してか無意識のうちにかは別にして、それぞれの分野で同様の行動様式を身につけ実践している。いや、実は大半の人間が日常生活の中で「様々なファクターを考慮し、より正確な未来像を描く」ことを行っているのだが、様々な誘惑に負けて、本来なら「正確な未来像」であったはずのものを歪めている場合も多い。様々な誘惑…ギャンブルをやる人間なら、幾つか思い浮かぶだろう。高配当オッズ、自信にあふれた予想家の言葉、煽る新聞記事、そして自分自身のあやふやな記憶と体験、その他諸々。ある決断をしなければならない時、そこにあるのは、第一に自分自身との戦いだ。自分を含めて大半の人間は、自身に対して冷徹になりきれない。他人には冷徹になれても、我が身はかわいく、己のミスは許してしまう。更には自己弁護するように、理屈じゃない、と吐き捨てることもある。その言い方をする時、しかし、そこにあるのは、常にではないにせよ多くの場合、単なる甘え(自分への甘やかし)である。ギャンブルの場合は、直ぐに結果が現れる。自分を甘やかせば財布は空っぽになるのが、ギャンブルの世界だ。結果に情が食い込む余地は無い。……朝からマジな話になってしまった(笑)他人には優しく自分には厳しく、というのが人の本来あるべき姿ではないかと思う。他人に優しくすることは、それ程難しいことではない。もちろん全ての人に優しくすることなど不可能だが、優しい気持ちを持つことは可能だ。だが、自分に厳しくすることは、本当に難しい。ギャンブルをしていると、その事実に胸をえぐられる。だからこそ、ギャンブルは楽しいのだが。
2008年12月08日
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『放送―通信』融合に一歩 NHKオンデマンド スタートNHKオンデマンドオープニングセレモニー開催まず主催者を代表して、NHKの今井義典副会長がNHKオンデマンド開始に向けた決意を語りました。「(前略)テレビ番組の見方、楽しみ方が大きく変わる歴史的な瞬間と、あえて言わせていただきます。放送は、送り手側が視聴者の皆さんに、決まった時間に、決まった番組をお届けする形でまいりましたけれども、NHKオンデマンドはこの常識を大きく変えます。放送と通信の融合が、目に見える形で実現したものであります。…(後略)何だか、ちょっっっっと、困惑してしまう。放送する側は決まった時間に、決まった番組をお届けしているのだろうが、視聴する側はとっくの昔にそのスタイルから抜けだしている。残業過多なサラリーマンの生活時間を持ち出さなくても、TVの前に縛られる生活スタイルは過去のものとなってしまったし、録画して好きな時に視聴するのが当たり前の時代である。また、放送と通信の融合という言葉にも違和感を感じてしまう。というのは、NHKオンデマンドがやろうとしているのはコンテンツ販売であり、決して放送との融合などではないからだ。単純な話、その内容を除けば、各有料動画提供サービスと大きな違いは見いだせない。「見逃し見放題パック」というのが月額 1,470円で用意されてはいるが、但し書きを見れば、※各番組の公開期間は約1週間です。という文言もある。また、「見逃し番組」は過去1週間に放送した100以上の番組から、あなたの見たい番組を好きな時間に見ることができます。ということは、2週間前の見逃し番組を見ることは出来ないということでもある。NHKの古い映像は資料的価値もあるし、また、素晴らしい特集番組も多いのだが、そうした物は上記パックには含まれず、別設定の料金で視聴権を購入という形になるようだ。何だかNHKは自前版のYahoo動画をやりたいように思える。そもそも、ニュースでも金を取ろうという態度が、少々気にくわない。ニュースショウならばバラエティ番組であろうから、有料もありかと思うが、ニュースを有料にするのは、これは本来のNHKの理念と反するのではないかと思ったりもする。仮にニュース番組を過去に遡って縦横に検索でき、且つ、無料で視聴できるのならば、それは国民全体の大きな財産となる。が、公共サービスという視点を欠いたコンテンツ販売業では、NHK専門の有料動画サイトが出来た程度のものである。ついでに、真面目に受信料を払ってきた人間としてワガママを言わせてもらえば、その受信料で作成した番組を見るのに、再度金を払うのも何だか馬鹿らしい気がする。果たしてNHKオンデマンドが会員を多く獲得できるかどうか、個人的にはかなり疑問に思う。オンデマンドという言葉は何年も前から使われてきているが、その名に相応しいサービスは、未だ実現されていない。
2008年12月02日
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正直、休み明けはテンションが下がりまくっているわけだが、今朝のような快晴を見ると、もう少し頑張ってみようかなぁと思ったりする。雲一つない青空を見つめていると、本当に、空に向かって落ちていきそうな、そんな不思議な感覚を覚える。こういう日は、文庫本を片手に人気(ひとけ)のない公園へ行き、のんびり読書でもしていたい。そうはいかないのがサラリーマンのつらいところだが、宝くじでも当たるか、本当に我慢できなくなるまでは(笑)現状に変化無しだ。個人的な趣味は、まぁ、幾つかあるのだが、その一つである中央競馬も、師走のG1戦…有馬記念…まで4開催となった。競馬ファンはレース名で季節を感じるのだが、有馬記念を意識するようになると、今年もあと僅かかと思ってしまう。言ってしまえば「中央競馬脳」になっているわけだ(笑)中央競馬はパチンコと違って合法的なギャンブルだが、ギャンブルを趣味にしていると、常に自分との戦いを意識させられる。ハマり込むと全てのレースで馬券を買いたくなるし、その全てが当たるような気がしてくる。勝って儲けた時のことは覚えていても、どれくらい負けたかという事実からは目を背けたくなるし、いや、実際に自分がどれ程負けたかということを覚えていない人間さえいる。いるでしょ?パチンコで何万勝ったとか、競艇で何十万とったとか、そんな事を自慢げに言う人達が。でも、彼らは決してトータルでの勝ち負けは言わない。1年間の収支を考えている人間は、一部を除いて、ほとんどいない。気付いた時には、どうやってギャンブル代を捻出しようかと、考えていたりする(笑)その昔、そうした自分に気付いた時から、賭ける回数も金額も減らした。控除率25%であるから、年間25%を支払って遊ばせてもらっているという気持ちになったら、無茶な勝負をしなくなり、時には年間トータルでプラスにできるようになった。ギャンブルの神様ってのは、実に楽しい性格をしている。幸運の女神の後頭部はハゲているという話もあるが、ギャンブルの神様はツンデレなもので、こちらから擦り寄っていくと冷たく突き放されて、醒めた態度で付き合えば甘い笑顔を時折見せてくれるようになる。面白いものだと思う。さて、後一ヶ月、楽しくギャンブルする為に、仕事を頑張ならくっちゃ(笑)
2008年12月01日
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