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【人生にメリハリをつけよう】★五百羅漢寺住職・佐山拓郎師の言葉から―◎私は「仏教とは、喜怒哀楽といった感情を極限まで捨てること」という考えに は賛同しません。 喜怒哀楽はとても大切なものです。悲しいときは思いっきり悲しみ、嬉しいと きは思いっきり喜ぶのが人間だと考えています。 2017年のアジア卓球選手権で、平野美宇選手が優勝しました。 (2020の東京オリンピック団体戦の代表選手にも内定しています。) その優勝インタビューの中で平野選手は、「今日だけ天狗になって、明日にな ったら(鼻を)折ります」という発言をしていました。 これでいいと思うのです。無理に感情を押し殺すことが美徳ではありません。 平野選手の場合、「明日になったら折ります」という言葉から、いかに彼女が 普段から自分を律し、自分を客観視できているかが伝わってきます。 他人からどう見られているかは関係なく、自分自身が喜びたいときに喜び、厳 しく律したいときに厳しく律することができる、強い人なのでしょう。 平野選手が言うように、「喜ぶことができる瞬間」は長続きしません。 人生は常に、前に進んでいくことが前提ですから、そのなかでやるべきこと、 やらなければいけないことというのが当然、出てきます。 思いっきり楽しめる幸せな時間を終え、苦しかったり退屈だったりする日常に 戻るわけです。これはもう、この世で生きている以上は仕方のないこと。 ですから、嬉しいときには思いっきり喜び、楽しい時には目いっぱい楽しむこ とで、日常を生きる糧としていけばいいのです。 「今日は楽しかった」と思う出来事があれば、どんな明日でも頑張れます。 平野選手とは次元が違いますが、私もあるお寺で修行に励んでいたとき、一日 に三回、嬉しい時間がありました。 それは食事のときです。 修行中は朝早くから夜遅くまで、分刻みでやるべきことが決まっており、精神 的にも肉体的にもぎりぎりの状態でした。 そのなかで、「食事の時間まであと何分だな」と我慢して、食事の時間は幸せ な気分に浸り、また苦しい修行に戻る、というのを続けました。 食事の時間は、永遠に続くわけではありません。だからこそ、堪能しないとも ったいないのです。「修行中だから」と、食事の時間まで自分を厳しく律して しまったら、生きている意味すらなくなってしまいます。 「自分を解き放つ時間」と「自分を律する時間」を切り分けることで、メリハ リのある人生を送ることができるようになるのです。 (参考文献:佐山拓郎著 「流されない練習」 知的生き方文庫)________________________________________ *メリハリとは、振り子のようなものともいえます。 一つの方向から、反対の方向に移動することで、変化という刺激を味わう こともできます。 同時に、変化の過程の中でそれまで見えなかったことが見えるようになり、 気づかなかったことに気づくことになります。 それが人生の面白味というものかもしれません。 自分の生活にいかにメリハリをつけることができるか。 自分らしさとは、そういう日々の積み重ねでつくられていくものでもあると 思います。
2020年01月18日
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【人の成長や変化に年齢制限はない】★千田琢哉氏の言葉から―◎最近セミナーでよく受ける質問がある。 「20代向けの本をよく書かれていますが、私はもう40代です。40代向け のメッセージをいただけませんか」というものだ。 この際、ハッキリ断言しておこう。 20代向けと謳っているのは、そのほうが消費者の目に留まって売りやすい からだ。 私自身が20代を使っている時の定義は、「変化できる覚悟がある人」という ことだ。 変化できる人であれば、100歳超えても20代だ。 変化できない人であれば、10代でも立派なお年寄りだ。 私の考える変化というのは「悪いと理解したものは今すぐやめて、よいと理解 したものは死ぬまで続けること」である。 周囲を幸せにしないとか、健康に悪いと感じたらパッとやめる。 周囲を幸せにするとか、健康にいいと感じたらずっと続ける。 いずれにしても昨日までの自分と別れを告げて、変化する覚悟があるというこ とだ。 世の中を見渡してもらいたい。 長期的に成功を収めている人たちは無類の読書家であるとか、頭の回転が速い という理由が本質ではないことに気づかされるはずだ。 読書や頭のよさは手段であって、本質ではないのだ。 本質とは何か。変幻自在に対応できる柔軟さに他ならない。 柔軟になるために読書をして、人の話しを聞いて頭をよくする必要があるので あって、その逆ではないのだ。 いくら読書が好きでも頑固者ではダメだ。 いくら頭がよくても頭が固くてはダメだ。 柔軟さがなければ長期的に成功することはできないのだ。 頭が柔軟な人は外見も若々しくて健康的に見える人が多い。 頭が固い人は外見も老け込んで不健康に見えることが多い。 (参考文献:千田琢哉著 「死ぬまで悔いのない生き方をする45の言葉」 宝島社)________________________________________ *ここでいう変化とは、『対応力が柔軟である』ことを意味しています。 自分の価値観がコロコロ変わったり、人の意見にすべてイエスと言う ことでもありません。 対応ができるためには、起きた出来事や他人との意見の違いをいったん 自分の中に取り入れなければなりません。 そのうえで、自分で考え、判断し、あるいは他の人の意見を聞いたりして 一つの答えを出していくのです。 つまり、自分の外の条件を取り込み、その後に自分なりの結論を出していく というかなり面倒な作業を行う必要があるのです。 対応しようとしない人は、その作業をしようとせず、否定することで終わり にしようとします。 確かに私たちは、否定することで自分の考えの正当性を示したいという一面 を持っています。 しかし、否定しかできない生き方はあまりにも窮屈なものです。 自分は柔軟な人間だろうか、という問題意識をたまには働かせることができ る人でありたいと思います。
2020年01月15日
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【快話】★植西 聰氏の言葉から―◎ある中学校で行われた実験です。 花びんに活けた花を二つ用意し、一つには「ありがとう」「愛してる」と いったプラスの言葉を、もう一方には「ばかやろう」という言葉を毎日かけ 続けました。 すると、プラスの言葉をかけられた花は、その後いつまでも綺麗に咲き続け もう一方の花はすぐに枯れてしまったそうです。 「そんなバカな」と思う人もいるかもしれませんが、言葉をある種の波動と 考えるならば、そんなことが起きてもおかしくないでしょう。 プラスの波動が伝わればプラスのことが起こり、マイナスの波動が伝われば マイナスのことが起こる、というとてもシンプルな関係だからです。 もちろん、言葉だけが理由ではないでしょうが、言葉の力というのは偉大で あることが、わかるのではないでしょうか。 心理学に「プラシーボ効果」という用語があります。 これは、効かない薬を飲んでも「絶対に効く」と確信していれば、実際に病 気が治ってしまうという心理的な効果のことを言います。 昔、アフリカでは、薬がない時には歯磨き粉を与えて、病気を治していたと いう話を聞いたことがあります。 つまり「これで大丈夫」という暗示の言葉により、たとえ歯磨き粉であって も、薬の代わりになるということです。 このプラシーボ効果は、様々な健康法にも取り入れられ、かなりの効果を出 しています。 言葉に力があるとするならば、私たちが日常生活で口にする言葉が、大変重 要な意味を持ってきます。 いつもプラスの言葉を使っている人は、プラス思考になり、プラスの現象を 引き寄せ、いつもマイナスの言葉を使っている人は、マイナス思考になり、 マイナスの現象を引き寄せてしまうことになるからです。 (参考文献:植西 聰著「いいことがいつも起きる30の習慣」あさ出版)________________________________________ *プラス要素のある言葉を話すと、その言葉を発した人は快適な気持ちになる ものです。 同時に、その種の言葉で聞かされる側の人も、快適な気持ちになります。 著者はその関係が成り立つことから、「快話」という文字を使ったのだと思 います。 また、「ありがとう」という言葉を言うときの響き(波動)には、いい気分 や楽しげな思いがこもっています。 しかし、逆の言葉には、不快な気分や怒りに似た思いがこもっています。 言葉は、人の思いや気持ちを込めることができるツールです。
2019年11月13日
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【不老長寿の秘訣】★小林正観さんの言葉から―◎アメリカの大富豪が特殊任務を命じていた10人のエージェントを豪邸に招き ました。 その御前会議からさかのぼること10年、大富豪は彼らに三つのことを世界中 で調査するように命じたのです。 ひとつ目は、「不老不死、不老長寿の薬・食べ物・方法があるか」の調査。 彼らが世界中を飛び回って提出した調査結果は、「不老不死、不老長寿の薬・ 食ベ物・方法はない」というものでした。 しかし、私は、「不老不死」の方法はわかりませんが、「不老長寿」の方法は見 つけました。 人間の顔の眉間には18本の神経が通っているそうです。 18本の神経は、18個の脳細胞につながっています。 眉間にシワを寄せると18本の神経が刺激を受け、18個の細胞を働かせま す。18個の脳細胞が老化物質を出します。 目尻の下と頬骨との交点には「笑顔のツボ」があります。 ここを上45度に押し込む。ちょうど「痛気持ちいい」と感じる場所です。 この「笑顔のツボ」には左右に18本ずつ神経が通っています。 合計36本の神経が脳に直結していて、刺激を与えると老化物質の生成をスト ップする作用があるらしいのです。 もっと簡単に、ツボを刺激する方法があります。 それはニコッと笑う、微笑むこと。 笑った瞬間に同じ神経を刺激するので、老化物質の生成は抑制されるらしい。 老いたくなければ、とにかく眉間にシワを寄せないことが重要です。 もしシワを寄せてしまったならば、すぐにニッコリと微笑んだほうがいい。 眉間にシワを寄せないこと、なるべくいつも「笑顔のツボ」を刺激しているこ と、つまり口角をあげ、微笑んでいると若さをキープできる。 笑いは不老長寿のひとつの秘訣だと思います。 美容業界のカリスマ・故Sさんについて、こんなエピソードがあります。 晩年の彼女は前髪を眉の中心くらいで左右にかき分けて、耳を隠すようなヘア スタイルでした。 そのヘアスタイルをキープしたのには理由があるのです。彼女は毎朝目覚める と、こめかみのところに強いテープを貼りつけて左右からものすごい力で引っ 張っていたといいます。 そのテープを人に見せないためのヘアスタイルだったのです。 もしかしたら、Sさんもこの不老長寿の方法を知っていたのかもしれません。 (参考文献:小林正観著 「ごえんの法則」 大和文庫)________________________________________ *笑うことは、脳内細胞への刺激を促進することになるということです。 笑う、あるいは微笑むということは、心理面からいいますと感情作用で 脳内の神経伝達物質に刺激を与えることになる。 もう一つは、顔の筋肉を動かす、あるいは直接顔など体の部位に刺激を 与えることで、脳内細胞が活性化する、という利点があります。 感情の動きと、直接的な体の部位の刺激と両面から、脳細胞は影響を受け るということです。 これは、私たちが意識的にやろうと思えばできることです。 笑顔を絶やさず、ツボを刺激するという両方をやれば、不老長寿への効果 も大となります。 心と身体の不老長寿がいちばんです。
2019年11月23日
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【“ながら”をやめましょう】★境野勝悟師の言葉から―◎わたしは、男の末っ子だった。 だから、いつまでも、いつまでも、母の乳をもらった。 そのため、今日でも、母の胸にすがって、乳を飲んだ時の記憶が、けっこう はっきりとしている。 味は、もう、すっかり忘れている。チュウ、チュウ……。 母の乳首から、口を外しては、また、一生懸命それをさがして、また、飛びつ くようにして、乳を飲んだ感触は、どこかに、うっすらと残る。 あんな豊かで、安らかで、美しい時間は、その後、一度もない。 母は、わたしが乳を飲んでいるときは、きまって、わたしの頭を、やさしくな でてくれた。 年をとればとるほど、母が恋しい。 たぶん、乳をもらっていたあのとき、母のいのちと、ゆったりと結ばれていた からだろう。 先日のこと、知り合いの家で、こんな光景を見た。 応接間に、座っていた。戸が開いていたので、見るともなしに、見てビックリ した。 長女の方が、お子さんにお乳を飲ませていらっしゃる後ろ姿が、映った。 左手でお子さんを抱いて、右手にはスマートフォンをにぎって、じーっと見つ めている。 終わると、わたしのところへ、ごあいさつにいらっしゃった。 「あなたは、器用ですね。お乳をあげながら、スマホが使えるんですか」 いつまでたっても、なかなかうまく、スマホが使えないわたしは、うらやまし そうに、そういった。 「いや、友だちも、みんなそうしてます。お乳をやるときは、とても退屈でし ょう? だから、みんなそうやってるわ」 幼子は、夢中になって、母の愛を求めている。 そのとき、母は、夢中になって、スマホを楽しむ。 いつのまにか、母と子の愛が、バラバラになってしまった。 良寛禅師の歌に次のようなものがあります。 ために問う 三界子(さんがいし) 何をもってか 玄津(げんしん)となす 超訳すると、 「世間に生活している人に、お尋ねしますが、いったい、人間が生きていく ときに、なにがいちばんたいせつなのですか。なにを心の支えにして生きて いったらいいのでしょうか?」 親と子の、愛の結び目が、プツンときれたまま、幸福な一生を送ることは、 なかなかできない。 (参考文献:境野勝悟著「良寛 軽やかな生き方」知的生き方文庫)________________________________________ *著者が目にした光景は、今では当たり前のことかもしれません。 ただ、「時代が変わった」というだけのことでもなさそうです。 母親とのつながりを体で覚えるしかない赤ん坊と、どう接していくか。 退屈だから、と思わずに愛情をこめてお乳をあげることも、大事なことの ようです。 これからの時代、親と子の愛の結び目をどうつくっていくか、問われそう です。
2019年12月24日
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【自分を分析して煩悩を捨てよう】 ★曹洞宗長光寺住職・柿沼忍昭師の言葉から― ◎仏教では、根本煩悩である三つを捨てることが大切だと説きます。 貪る心・怒りの心・愚痴の心。 自分を分析することで、これを捨て去ることができます。 「貪る」とは過剰に欲しがるということです。 「怒り」の感情は、自分中心の考え方から来るものです。 怒りの感情がどれくらい自分を苦しめるかは、「怒ったときの自分の不愉快 さ」を思い出してみればよくわかるはずです。 怒りは、精神的な負担以外のなにものでもありません。 相手に対して怒っているようでも、じつはそれが自分の「こうであらねばな らない」というこだわりから来ていることには、なかなか気づきません。 だから、「まあいいか」と、執着を捨てることが「怒りの炎」を消す極意な のです。 「愚痴」の心も同じ。自分の思いどおりにしたいという「我欲」があるため に、物事がうまくいかないと愚痴をいいたい気持ちになるのです。 「なんで私だけがこんな目に遭わなくてはいけないのか?」という思いも、 「我欲」の現われです。 「そういうことが起こることはありえることだ」と思えば、「しかたない」 と思うことができ、現実を受け入れることができるはずです。 怒りや愚痴で自分を苦しめてはいけません。 原因は「外」にあると思っていても、本当は自分の「内」にあるのです。 お釈迦様の最初の学びは、お城から出て外の世界をはじめてみたとき、「生 老病死」を目の当たりにしたことでした。 お釈迦様も、いまの私たちと同じことで悩んでいたのです。 現象には「原因」と「結果」があります。 結果となってはじめて目の前に現れるまで、何が起こっているかわかりませ ん。病気がそうです。自覚症状として自分が認知できるようになるまで、自 分が病気であることに気づきません。 結果がわかったなら、じゃあ、その原因はどこにあるのだろうと考えてみる こと。これが分析です。 「苦しい」というのは「原因」ではありません。「結果」です。だから、原因 を分析すること。そうすれば、なにをすべきか、わかってきます。 原因は自分にあるのか、他人にあるのか。 自分に原因があるなら、どうしたら自分を変えることができるか考える。 他人に問題があるならどうするか。それを自分の力で変えることができるか どうか考えてみる。すると次のように気づくはずです。 「自分以外のものは変えることができない。だから自分を変えるしかない」 心を注ぐべきは、どうにかなることのほうです。 これは、いいとか悪いとかではなく、そのほうが「合理的」なのです。 (参考文献:柿沼忍昭著「禅、心がほっとする考え方」知的生き方文庫)________________________________________ *お釈迦様の説く、仏教の教えはとても合理的な教えです。 みんなにわかりやすいように、たとえ話がとても多いことも事実です。 仏教は「慈悲」を説き、神道は「礼」(感謝)を説き、キリスト教は「愛」 を説く、といった人がいますが、すべては「人間の心」を問題にしている 点で、共通しています。 原因があるから結果が出る。 心の世界も、物理や科学の世界も、分析することで発展してきたといえる でしょう。 自分の心を分析すると、他人の気持ちがよく分かるようになります。 幸福な人生を送るためには、自分の心を見つめる(分析)することが大事な ことのようです。
2019年11月02日
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【利他の心】★稲盛和夫氏の言葉から―◎1997年9月、私は京都の円福寺というお寺で得度をし、「大和」(だいわ) という僧名をちょうだいしました。 ほんとうは6月に得度を行う予定だったのですが、直前に検診で胃がんが見 つかり急遽手術をうけることになったのです。9月7日に、俗界に身を置き ながら、仏門の一員に加えていただきました。 病み上がりのこともあって、修行はかなり厳しいものでしたが、そこで私は 生涯忘れることのできない体験をすることができました。 初冬の肌寒い時期、丸めた頭に網代笠(あじろがさ)を被り、紺木綿の衣、 素足にわらじという姿で、家々の戸口に立ってお経をあげて、施しを請う。 托鉢の行はつらく、わらじからはみ出した足の指がアスファルトですり切れ て血がにじみ、その痛みをこらえて半日も歩けば、体はくたびれてしまいま す。それでも先輩の修行僧といっしょに、何時間も托鉢を続けました。 夕暮れ時、重い足どりで寺へと戻る途中、とある公園にさしかかったときの ことです。 公園を清掃していた作業服姿の年配のご婦人が、私たち一行に気づくと、片 手にほうきを持ったまま小走りに私のところにやってきて、いかにも当然の 行為であるかのように、そっと500円玉を私の頭陀(ずだ)袋に入れてくだ さったのです。 その瞬間、私はそれまで感じたことのなかった感動に全身を貫かれ、名状し がたい至福感に満たされました。それは一介の修行僧に500円喜捨するこ とに何のためらいも見せず、いっぺんの驕りも感じさせなかったからです。 その美しい心は、私がそれまでの65年間で感じたことがないくらい、新鮮 なものでした。私は、その女性の自然な慈悲の行を通じて、たしかに神仏の 愛にふれえたと実感できたのです。 その自然の徳行が、私に「利他の心」の真髄を教えてくれたのです。 「利他の心」とは、仏教でいう「他に善かれかし」という慈悲の心、キリスト 教でいう愛のことです。 もっとシンプルに表現するなら「世のため、人のために尽す」ということ。 人生を歩んでいくうえで、また私のような企業人であれば会社を経営してい くうえで欠かすことのできないキーワードであると思っています。 利他というと何かたいそうな響きがあります。 しかし、それは少しもだいそれたものではありません。 子どもにおいしいものを食べさせてやりたい、女房の喜ぶ顔が見たい、苦労 をかけた親に楽をさせてあげたい。そのように周囲の人たちを思いやる小さ な心がけが、すでに利他行なのです。 賢明な人は、そのように他人のためにつくすことが、他人の利だけにとどま らず、めぐりめぐって自分も利することに気づいているものです。 (参考文献:稲盛和夫著 「生き方」 サンマーク出版)________________________________________*「利他」とは「他を利する」ことです。 まず、自分の利益より相手の利益を考えることです。 ここでいう利益は物質的なものだけではなく、それも含めた心の利益です。 相手に喜んでもらう、慰める、励ます、共に泣くという相手の心が豊かに なるような行為、思いやり、これを「利他の心」といいます。 托鉢とは、世の中の人々にブッダの言葉をお経として唱え、広く救済し、僧 のその行に応えるために、さらに人々は物資やお金を供えることで徳を積む というものです。 しかし、修行僧はお経を唱えても、物資やお金を強要することはできないの です。ただただ、ブッダの言葉を、人々のために唱えるだけです。 このかたちが、「利他の行」です。 こちらが与えるから、あなたもこちらになにか出しなさい、ではなく与える のみ、の精神で行うことです。 結果的に、他人のために行うことが、いつか自分に還ってくるというのが 利他の行です。 利他の心の持ち主になりましょう。
2019年11月04日
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【人生も経営も原理原則はシンプルがいい】 ★稲盛和夫氏の言葉から― ◎私たちはともすると、物事を複雑に考え過ぎてしまう傾向があるもの です。しかし、物事の本質は単純なものです。 いっけん複雑に見えるものでも、単純なものの組み合わせで出来ている。 人間の遺伝子は三十億という気の遠くなるような数の塩基配列からできて いるそうですが、それを表わす文字の種類はたった四つにすぎません。 真理の布は一本の糸によって織られている―そのため、複雑に見えるもの ほどシンプルにとらえ直そうという考え方や発想が大切なのです。 人生も経営もその根本の原理原則は同じで、しごくシンプルなものです。 二十七歳で京セラを始めたとき、私にはセラミックスの技術者としての 多少のキャリアはありましたが、会社経営については、知識も経験も まったくありませんでした。 しかし、会社ではさまざまな問題や決定を要する事項が次々に起こって きます。 ところが、技術者出身の私は、それを判断するための知識というものを 持ち合わせていません。 いったい、どうしたらいいのだろう。私は悩みました。 そしてその末に行き着いたのは「原理原則」ということでした。 すなわち「人間として何が正しいのか」というシンプルな判断に基準を おきました。 嘘をつくな、正直であれ、欲張るな、人に迷惑をかけるな、人には 親切にせよ……そういう人間として守るべきルール、「当たり前」の 規範に従って、経営も行っていけばいい。そう考えたのです。 人間としてのもっとも正しい生き方へと導くシンプルな原理原則、それは 哲学といいかえてもよいでしょう。しかしそれは、こむずかしい理屈の 学問ではない、経験と実践から生み出された「生きた哲学」のこと。 人生を歩んでいく途上では、至るところで決断や判断を下さなくては いけない場面が出てきます。 仕事や家庭、就職や結婚に至るあらゆる局面において、さまざまな選択や 決断を強いられることになります。 生きることは、そういった判断の集積であり、決断の連続であるといって もいい。 したがって、その判断や選択の基準となる「原理原則」をもっているか どうか。 それが、私たちの人生の様相をまったく異なるものにしてしまうのです。 (参考文献:稲盛和夫著 「生き方」 サンマーク出版)________________________________________ *稲盛氏は、少年期に肺浸潤という結核の病気の経験をし、中学、大学の 受験にも失敗した。 大学卒業のあとの就職活動にも苦労したという。 その体験を経て、人生の原理原則はシンプルがいいと断言している。 松下幸之助さんと共通しているのが、「当たり前」のことの中にある 人間としての正しさを、重要視していることだろう。 正直である、欲張らない、人に迷惑をかけない、人に親切にする。 簡単なようで、なかなか実行できないことだが、人としての基本的な 心がまえとして忘れず、日々の日課として行動したいものだ。
2018年07月22日
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【生きていることが楽しくなる話】★ひすいこたろう氏の言葉からー◎森をつくっているのはなんでしょう? 実は森をつくっているのは「海」なんです。 意外ですよね。 森や山が荒れると、川を通じて土の中の成分が海へ流れます。 でもこの逆もあるのです。 森が育つには「リン酸」という養分が必要になります。 リン酸は比重が重いため地下深くか、もしくは深海に存在しています。 では、深海に沈むリン酸は、どうやって森に運ばれてくるのでしょう? まず、海流やプランクトンによって深海からの海の表面まで運ばれます。 そして、表面に浮上してきたリン酸が今度はなんと、魚のサケによって森まで 運ばれるのです。 海からリン酸を搾取したサケが産卵のため川を上ります。 そのサケを熊がとらえます。 けれど、熊はサケの卵であるイクラだけを食べ、サケの身はほとんど食べずに 残します。 そのため、サケの中にあるリン酸が森に残るのです。 しかも、強い熊は川のそばで食べますが、弱い熊は強い熊とケンカにならない ようにサケを森の中までもっていき、イクラを食べます。 弱い熊によって、深海のリン酸が森の奥まで運ばれるのです。 まさにパーフェクト! この世界はあるがままで、パーフェクトな調和の中で成り立っているのです。 地球は知らないところでスゴイシステムをもっている。 サケも熊も、このような役割を担っているとはツユほども知らないはずです。 そして、同じことが人間にもいえるのではないでしょうか? つまり、あなたが、ただ、あなたとして生きているだけで、どこかで、この 世界に調和をもたらしているということです。 あなたが、ただ、あなたとしていきているだけで、誰かのためになっている ということです。 パズルは、ピースがたったひとつ欠けただけでは完成しません。 どんなに小さなワンピースも、かけがえのない、パーフェクトなワンピース。 「あなた」という命は、この地球に欠かせない、かけがえのないワンピース です。 (参考文献:ひすいこたろう・ひたかみひろ著 「運命の流れを変える幸せの『スイッチ』」 王様文庫)________________________________________ *土の中のリン酸を栄養とした樹木の枝や、枝先の芽は小さな鳥たちの 貴重な食べ物です。 食べるとき、下に落下した芽のいくつかは昆虫たちの食べ物となります。 この循環のなかで、自然が成り立っているということです。 落下した樹木のわずかな枝や枝先の芽も、命の元になる役割を果たして いることになります。 自分の命が、何かの役に立っていると思うと、生きることの楽しさを感じる ことができそうです。
2019年12月18日
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【不完璧主義で生きよう】★斎藤一人さんの言葉から―◎私は「不完璧主義者」です。 なぜ、私が不完璧主義かというと、自分自身が不完璧な人間だからです。 日本の精密機械は、精度が高いといわれますが、1mmの1万分の1とか、何 かしら狂いがあるんです。企業はそれを改善しようとして、またがんばる。 それでも、10万分の1とか狂いが出るんです。 しかたがありません、人間は不完璧なのですから。 「78対22の法則」、別名「ユダヤの法則」というものがあるんですが、それ によると、人間がやることは最高で78%なのだそうです。 人は誰でも、何かをしようとするときは完璧を期します。ところがやってみる と100%完璧にはいかない。78%で、人間の最高なんです。 たとえ完璧主義者でも、100%はできません。人間に完璧はないんです。 完璧主義者というのは、完璧にできなかったことをずっと悔やんで自分を責め るか、他人を責めるか。いずれにしろ、人間を責める人のことです。 そうなると、自分で自分のことを嫌いになるか、責めた人から嫌われるかの いずれかになってしまう。 私は、どっちも嫌だから、不完璧主義者なんです。 どちらがよくて、どちらが悪いといっているのではありません。 私の個人的趣味で、不完璧主義がいいといっているだけなのです。 ただし、不完璧主義だからといって、いいかげんにやるのではありません。 やるからには、やはり100%を目指す。 でも、人間がやることは最高で78%だから、結果については、「よかったね」 というんです。 それで、できなかった22%をチェックしておいて、次回はこれを改良する。 これで人はよくなるんです。 ただし、次回、この改良点を100%クリアしたつもりでも、まだ完璧とはいえ ない。やはり結果は78%です。 そうすると、再び残りの22%をチェックして改良する。 これを限りなく続けて行くことで、少しずつ、人は完璧に近づくんです。 でも、限りなく完璧を目指すけれど、完璧にはなれない。 だからこそ、退屈しなくて済む。人生が楽しいんです。 不完璧主義って、いいでしょ。 人に何かを教えるときもそうですし、教わるときも、不完璧主義でいると楽し いですよ。 「完璧にできないことが許せない」 といっていると、教えるほう、教わるほう双方苦しむだけです。 完璧主義でものを教えると、教えられる側の人間は、挑戦するのが嫌になって しまう。人が嫌がることをさせようとするときは、ものすごいエネルギーがい るんです。疲れてしまう。 完璧ではない者同士、何とか完璧に近づこうとして生きている。 これで十分です。 「お互い、がんばってるね」と、いえたらハッピーです。 (参考文献:斎藤一人著 「ツイてる!」 角川書店)________________________________________ *完璧ではない者が、完璧を求めて努力することに生きる意味がある、と いうことだと思います。 「自分は完璧だ」と思っている人も、この世の中にはいらっしゃるかもしれ ません。それはそれですばらしいことです。 たいていの方は、完璧を求める人を仕事関係や、友人関係のなかで出会った ことがあると思います。 完璧を目指しながらも、尊敬できるタイプの人は、相手に完璧を求めず相手 の不完璧さを認めることができます。 「自分は自分、人は人」という意識があり、シンプルで賢明な生き方です。 しかも、思いやりをもってアドバイスをしてくれます。 そうではない人は、自分が完璧であるように相手にも完璧さを求めてしまう のです。 自分がそうだから、あなたもそうなくてはならない、という考えです。 これは、優秀な親が子どもに期待をかけすぎる、ということがよくあります が、これと同じです。 自分は完璧な人間ではないが、少しでも完璧に近づけるよう努力しよう、と いう姿勢が、成長するためには大事なことなのです。
2020年02月06日
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【人生の愉(たの)しみはどこから生まれるか】★生活経済評論家・川北義則氏の言葉から―◎リバーシブルという言葉は誰でも知っているだろう。 ファッション用語では「表裏両面とも使える布地」「表裏兼用の衣服」の意。 私も秋冬用のハーフコートで、このリバーシブル仕様のものを持っている。 片面は防水加工されていて雨に強く、もう片面は起毛加工がされていたり、 ニット素材だったりする。 どちらが表で、どちらが裏かはケースバイケース。私自身は、着るアイテム の色や形、あるいはその日の気分で表裏を変えて楽しんでいる。 「リバーシブルの人生」も、またいいではないか。 歌手の八代亜紀さんも、いま、リバーシブルの人生を生きている。 「20代、30代の頃は生放送の歌番組が毎日のようにあって、土日は各地で 昼夜公演。点滴を打ちながら移動したこともある。心も体もヘトヘトで、イ ントロが流れても心の中では『歌いたくない』と思った」という。 そんな日々を、いわば「裏返して」くれたのが、マネージャーでもあった、 今のご主人。40代で結婚。子どもの頃から好きだった絵を描く時間のため にオフをつくってくれたのだという。 「山荘にこもって絵を描いたと思ったら、次の日はドレスを着てスポットラ イトを浴びている。このギャップがいい。今、楽しいですよ、歌が」 私は拙著『遊びの品格』(中経出版)のなかで、こんな考え方を述べた。 「『遊び』とは、しなくてもいいのにあえてすること。 『仕事』とはいやでもやらなければならないこと。心の中に『遊び』をどれ だけ持つことができるか。人生の愉しみはそこから生まれる」 ただし、「遊び」の心得で忘れてならないことがある。 それは真面目に遊ぶこと。 片手間気分や生半可な気持ちでは、絶対に楽しめないし、第一、「遊び」に対 して失礼だ。八代さんにしても、誤解を恐れずにいえば、もしかすると仕事 以上に真面目に遊んでいるのかもしれない。 いい人生には、仕事という表地のケアはもちろん欠かせないが、ひとたびオ フになったら、真面目に裏地を紡ぐ。 そうでなければ、いいリバーシブルにはならない。 「表裏のあるいい人生」は生きられないということだ。 (参考文献:川北義則著 「50歳からの男の磨き方」 PHP)________________________________________ *仕事だけが人生ではない。 仕事と遊び。 この表裏があってこその人生である、と著者は語っています。 仕事をとったら何も残らない、という人生はちょっとわびしいものです。 仕事以外のことに没入できる人は、仕事に対しても集中できる人です。 それは、仕事という世界と、もう一つの世界を持っていること。 つまり、自分を表現できるステージを二つ持っているということです。 それが人生を愉しむことであり、豊かな人生を送ることにもつながるのだ と思います。
2020年02月07日
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【心の掃除】★元結不動 密蔵院住職・名取芳彦師の言葉から―◎「何かしている最中と、それが終わった後の心情の落差が大きいものは?」 と聞かれれば、私は迷わずお酒と答えるでしょう。 お酒は飲んでいる最中はいつも飲み足りず、飲み終わるといつも飲みすぎてい るからです。 そして、次にあげるのは熱狂と静かな日常のギャップが大きい、祭り。 次が、掃除でしょう。 掃除している最中はただ没頭しているだけですが、きれいになった後の爽快感 は格別です。 私の場合、この爽快感のために掃除すると言っても過言ではありません。 芸能人は、トイレに入ったときは、仮に自分が入る前から汚れていても、入っ たとき以上にきれいにして出るのが常識なのだそうです。 汚れたままにして、入れ違いに誰か入れば「あの芸能人はトイレを汚したのに そのまま出ていった」と思われてしまいます。 これは、人気商売の芸能人にとっては致命傷なのです。 私が修行をしたときは、「自分が悪く思われないようにきれいにする」と考え るのではなく、あくまで「後から入る人のためにきれいにする」という他の人 を思いやる心が大切だと教えられました。 ところが、仏教ではさらに上がいます。 お釈迦様の弟子で、その名をシュリハンドク。 彼はもの覚えが悪く、自分の名前さえ忘れるほどでした。先に弟子になってい た兄は「お前には無理だから坊主になるのはやめたほうがいい」と言います。 そこへお釈迦さまが来て「塵をはらう、垢を除くと言いながら掃除をしてごら ん」と箒(ほうき)を手渡します。 彼は毎日「塵を払う、垢を除く」と言いながら掃除しました。 ある日、彼は「お釈迦さまが教えてくれた言葉は、私の心の塵と垢のことだ」 と気づきます。 お釈迦さまは「自分の心の塵と垢に気づく人こそ、本当の知恵者だ」と彼をほ めたたえました。 彼は自分や他人のために掃除していたわけではありません。 ただ「塵を払う、垢を除く」と言いながら、掃除していたのです。 それが自然に彼の心の内面をきれいにしていきました。「嫌だ、面倒くさい」 と言いながらやったのでは、そうはならなかったでしょう。 言葉に行動を重ねることで、素敵な効果が現われます。 口に出して言わなくてもいいですから、「塵を払う、垢を除く」と心でつぶや きながら掃除してみてください。 知らないうちに、心の掃除までできます。 (参考文献:名取芳彦著 「ためない練習」 知的生き方文庫)________________________________________ *イエローハットの創業者でもある、鍵山秀三郎さんは、「掃除道」として 掃除をすることを、国民的運動として提唱し、その輪は広がっています。 汚れているからきれいにする、というのではなく掃除をすることが、人生を 豊かに生きることだ、という理念です。 まず、身の回りから、目についたところから始めてみましょう。 掃除は豊かに生きるという「生き方」であると思って、気持ちをこめて実践 していきたいものです。
2019年11月21日
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【自己主張する子、手のかからない子】★教育学士・杉本好行氏の言葉から―◎保健所の三歳児検診の場で育児相談をしていると、若い母親がさまざまな心配 事を持ちこんできます。 中には専門機関を紹介するなどして本格的な治療が必要な場合もありますが、 そのほとんどはちょっとした助言で納得して帰ることが多いようです。 こんなところにも、核家族化、コミュニティにおける人と人とのつながりの 希薄さを垣間見ることができます。 誰にも相談できず、孤独で不安な子育てを行っている若い母親の姿が想像され ます。 育児相談の中で多い相談内容は「おねしょ」や「おしゃぶり」などですが、 「親のいうことを聞かなくて困る、反抗的である」といった相談もかなり多く あります。 この場合には三歳前後に現れる第一次反抗期のことを説明して、むしろ成長に は必要な現象であることを伝えると、母親は安心した表情となります。 むしろ心配なのは、反抗することもなく手のかからない「よい子」なのですが そういう母親に限って受付で子どもの自慢をすることはあっても、決して相談 には来ないのです。 不登校や家庭内暴力の思春期の子どものことで、相談に訪れる母親の話を聞く と、三歳頃の反抗期が弱かったり、まったくなかったりの子どもが多いことに 気づきます。 この時期の反抗現象というのは、自我の発達にとって非常に重要だということ が言えます。 母親にとっては「悪い子」と映りがちですが、子どもはそうした行動を通して 主体性を獲得していくのです。 これまでの先生方の関心は、非行傾向の子どもの指導でした。しかし最近にな って少しづつ変わってきました。 不登校の子どもが増えるに従い、こうしたおとなしくて主体性のない子どもた ちの指導をどうしたらよいか、ということに関心が集まっています。 家庭においても、学校においても、あまりにも「よい子」というのは考えもの です。むしろ「反抗する子はよく育つ」と言ったほうがよさそうです。 もちろん、この場合の反抗とは、暴力や校則違反や非行などをすることではな く、きちっと自己主張するという意味に近い反抗のことです。 (参考文献:「こころの日曜日」 菅野泰蔵・編 法研)________________________________________ *子どもたちの教育は、将来の社会の行く末に直結するものです。 保育士や幼稚園教諭の不足など、大きな問題になっていますが、地域での 交流・助け合いがないと、単に家庭内で解決できるとは限りません。 小さな子どもさんがいなくても、回りにそのような家族、知人がいらっしゃ るなら、声かけできるような社会であってほしいものです。 育児で悩んでいる方の中には、誰かに相談したくても言い出せずに、一人で 抱え込んでしまうケースもあるようです。 親として子どものことで悩むのは当然です。 その意味でも、親なりの自己主張を行うのも大事なことであると思います。
2019年12月25日
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【子育ての本質】★小林正観さんの言葉から―◎授業参観の日のこと。お好み焼きの絵を描くという時間があったそうです。 お好み焼きに入れる具を、思いつくままに言ってみましょう、と先生が言い ました。 そして、子どもがニコニコしながらいろんなものを言っていたのですが、ある 子どもが、「チーズ」と言いました。すると、その先生は、 「チーズ? それはないな」と言ったのだそうです。 しかし、その子は実際に、親に連れられてお好み焼き屋に行ったとき、チーズ の入ったお好み焼きを食べたことがあった。 子どもは、思いつきでなくて、実際に食べたことがあるのを言った。 ところが先生は「それはない」と言う。 それまでニコニコと楽しそうに手を挙げていた子どもたちの顔から笑顔が消え て、先生が「なるほど、それはありそうだ」と言うものしか言わなくなった。 授業のあと、参観していた母親は「授業の感想がありますか」と問われて、何 も言わずに帰ろうと思っていたそうですが、思わず言ってしまったそうです。 先生のひと言によって、教室の空気が一変した。 それから生徒が先生の気に入るようなことしか言わなくなった。 先生、どうしてあんなことを言ったのですか、と。 たしかにチーズはお好み焼きにはあまり入れないかもしれないけれど、なるほ ど面白いね、今度やってみようかな、ということだったら、もっと活性化して 面白かったかもしれない。 それに対して先生は涙を流してこう言ったそうです。 「実は自分が教師を志したときに、そういうことは言わない教師になろうと、 子どもの創造性を摘み取るような教師にはならないと決意をしていたはずなの に、いつのまにかそんなことを言うようになってしまったんですね」 これは、「教師と生徒」の関係だけでなく、「親と子ども」の関係にもありえま す。 子どもが何か非常に創造的な、楽しそうなことを言った瞬間に、「そんなのは ないよ」と、親が言ってしまったら、親が「そうだね」と言ってくれることし か言わない子どもになる。 岡本太郎(芸術家)は、岡本一平(漫画家、作詞家)と岡本かの子(小説家) という二人の天才から生まれた人です。 岡本太郎は、親から、雲は何色だ? と聞かれて、「白」と答えると、 「お前には白に見えるのか?」と言われたそうです。そして、 「白に見えてもいいけれど、白に見えないこともあるだろう」 赤に見えたら赤に描け。みんなが白と言うから白に描くのはやめろ、と言われ たそうです。こういう親の教育はすごいと思います。 「見えたものがお前にとって真実なのだから、青に見えたのなら青に描きなさ い」と。これが、人間の想像性をかきたてていくのでしょう。 子育ての本質は、子どもが人と違ったことを言ったときに、親がそれを 「面白いね」と肯定してあげること。 「氷が溶けると何になりますか?」と問われて、生徒たちは、 「水になります」と答えるのですが、一人の子どもが、 「春になります」と答えました。 それを、×とした小学校の先生がいた。それが教育研修会で報告されて、 「これは×にすべきでしょうか」と話題になったのです。 「氷が溶けると、春になります」という発想ができる人が、詩人や芸術家に なるのでしょう。 そして、そのような感性を大事にしたい、と思うのです。 (参考文献:小林正観著 「魅力的な人々の共通項」 清談社)________________________________________ *子育てで大切なのは、否定することではなく、肯定すること。 もし、否定しなければならないことだったら、いったん認めつつ、こういう 考えもあるよ、という方向に導くことです。 最終的に、肯定してあげることで子どもは自信をもつことができます。 人間にとって、自信を持つことは喜びでもあります。 親から認めてもらえる、先生から認めてもらえる。 これが、生きるって楽しいことなんだ、という意識を持つことになると 思います。
2020年01月29日
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【リラックスタイムをつくろう】★精神科医・西多昌規氏の言葉から―◎一日が終わって、仕事や外出先から家に帰ってきたところを想像してみてくだ さい。 夕食も終わって寝るまでの時間は、自分の好みに応じてリラックスして過ごせ るときだと思います。日中の緊張を忘れてテレビを見たり、ネットをしたり、 家族と話したりしながら、 「今日は疲れたなぁ」「よく頑張った一日だった」 「あのときこうしていれば、少しちがったかな」 などと、一日を軽く振り返るのに適した時間帯でもあります。 寝る時間が近づくと、明日のことが気になり始めます。 休日の前ならば、「明日は休みなのでゆっくりできる」と明るいイメージを持 ってベッドに入れます。 しかし平日に「明日の仕事が楽しみ!」などと思っている人は、あまりいない のではないでしょうか。仕事は、基本的につらさや不安を伴うものです。 悪いことを考えないためには、いいことを考えてみることです。 寝る前までに、一日のうちで「良かったこと」「できたこと」を数えてみるの は気分をよくさせるひとつの方法です。 「良かったこと」「できたこと」は、多ければそれに越したことはありません。 しかし、二つや三つ、たった一つでもかまいません。 「仕事が少しは進んだ」「帰りに読みたい本を買ってきた」「ネットで面白い 情報があった」、なんでもいいのです。 外来の患者さんと話しているときには、どうしても具合の悪いところ、調子の 優れないところに話題が集まります。 一方で落ち着いている患者さんには、「良かったことはなかったですか?」と プラスの点も訊いてみることにしています。 この質問をするだけで表情がやわらぐことがよくあります。 次の診療日に同じ質問をすると、「散歩を続けられている」「資格の勉強を始め た」などと、「良いこと」を答えられる人もいます。 これは、回復してきている強力な証拠です。 「良いこと」を自分で再確認する作業によって、回復力もいっそう増してきて いるのではないか、とわたしは考えています。 自分の力でコントロールできる領域を小さくても確実に作ることは、精神的な 健康を維持するために欠かせません。 「あ~あ、いいことないなぁ」とぼやく自分を元気のない友人に見立てて、 「でも、こんな良いこともあったじゃない」と励ます気持ちで、まずひとつ、 今日あった「良いこと」を自分のなかにリストアップしましょう。 (参考文献:西多昌規著 「気持ちをリセットする技術」 だいわ文庫)________________________________________ *著者は、リラックスタイムとは、自分をねぎらう時間であること。 また、自分にとっての成果を自分で確かめることが、メンタルを強化する ことになると述べています。 リラックスできる時間がない人ほど、メンタル不調になりやすいものです。 リラックスしているときは、自律神経の副交感神経が活動しているときで、 脳内に幸せホルモンが分泌しているということです。 仕事中は交感神経が限界まで活動している分、仕事を離れたら副交感神経 を刺激することが、心身調和のバランスをとる一番の生活スタイルです。 音楽を聞く、アロマセラピーをするなどの工夫をしてみましょう。
2020年02月02日
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【人の気持ちを包み込むコツ】人間関係がうまくいくには、誠実さが必要です。相手に対して高圧的な態度で接していては、嫌われてしまうでしょう。それぞれの立場が違っていても、誠実さがあれば人間関係が悪化することはありません。エジソンが、世界で初めて録音機を発明したときのことです。彼は職人ところに行き、自分のアイデアを書いたスケッチを持って、試作品を作ってくれないかと頼みました。職人はスケッチを見るなり、「無理だ、そんなものうまくいくはずがない」と文句を言いました。エジソンは「どうしてそう思うの?」と尋ねました。職人は「機械が話すなんて、誰も作ったことはないじゃないか!」と答えました。このとき、職人とエジソンとの関係は良好ではありませんでした。普通の人が部下からこのように言われたら、怒りが湧いても当然のことです。 しかし、エジソンは違っていました。「君の意見は分かった。しかし、とりあえずこのスケッチどおりの試作品を つくってくれ。もしそれがうまくいかなかったら、私の負けを認めよう」その後、試作品は完成し1回目のテストでその録音機は作動に成功しました。吹き込まれたのは「メリーさんの羊」の歌だったそうです。職人は、それ以後エジソンに対する気持ちが変わりました。エジソンは、職人との関係を悪化させまいとして、うまくいかないなら自分が悪かったことを認めるという気持ちを伝えています。ここに、エジソンの誠実さが表れています。誠実さとは、相手の感情を否定せず受け入れ、自分が不利な関係になることを覚悟する意思です。意思は感情を上回るエネルギーです。エジソンは、たんに発明家としての能力があっただけではなく、人の気持ちを包み込む力もあったのです。ある作家の人が次のように語っています。「人間というのは不思議だ。 人との関係がわずらわしくてストレスを感じるのに、 人との関係の中でストレスを解消する」私たちが幸せに生きるために欠かせないのは、良い人間関係です。他人に誠実な人ほど、人間関係に恵まれ、幸福な人生を送ることができます。 (by ハートリンクス)
2024年09月28日
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