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最近スーパーに行くと、この時期ならではの商品が並んでいます。たくさんのもぎたての梅と土の付いたラッキョウです。梅は南紀紀州産が多いですね。大きな梅ですね。びっくりです。梅と一緒に梅干し、梅酒、梅ジャム、梅ジュース、梅サワーなどの作り方の説明書や広口瓶や粗塩、焼酎やリキュール酒なども並んでいます。昔はどこの家庭でも作っていたのですが、今は出来合いのものを買うことが多いようです。私も以前、ワイン、梅干し、梅酒、ラッキョウ漬け、キュウリ、ナス、ニンジン、ダイコンなどのぬかみそ漬けに挑戦していましたが、今はしていませんでした。今年は梅干つくりに挑戦してみたいと思っています。梅干しにする梅は青みが薄くなり、黄色ぽくなった梅がよいそうですね。以前作っていた時のことを思い出しました。いつ出来上がるのか、味はどうだろうかと出来上がるのを楽しみに待っていたものです。特にワインはブクブク泡が出てきて、何回もサラシ布で濾していました。出来上がったものは、買って飲むワインとは少し味が違いました。でも自分のワインができたということは大変うれしかったです。また、ワインの発酵が進んだものが酢になるというのは初めて知りました。さて、森田では日常茶飯事を丁寧にするということをよく言います。でも言葉よりも、具体的にその時期、その時期でなすべきことを淡々となしていくという姿勢が大切なのではないでしょうか。野菜つくり、加工食品など少し手を出せば、森田理論は観念の世界から解き放たれ、実践、体得の世界へと羽ばたいてゆきます。本当はそこが肝心なところなんですがね。
2014.06.07
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私の好きな演奏家3人紹介します。ユーチューブで試しに聞いてみてください。きっと気分がよくなることと思います。まずはクスコガラパゴス、ヴァージンアイランド、アンデスを聞いてみてください。クスコのイメージは、南国のリゾート、熱帯魚、サンゴですね。モルディブがよく似合います。テンポがよいです。運転しながら聞くと、ついついスピードが出てしまいます。次にジョージ・ウィンストンあこがれ愛、オータムを聞いてみてください。ピアノの演奏ですが、連打を聞くととてもピアノとは思えません。イメージはどこまでも澄み切った秋の青空です。透明感あふれた演奏がたまりません。私はこの人のコンサートは実際に聴きにいきました。一週間は気分が高揚していました。最後にケニー・Gです。甘いソプラノサックスの音色です。コンサートはカップルでいっぱいになるそうです。息継ぎを鼻でして、途切れることなく演奏ができるそうです。どの曲も素晴らしいです。きっとソプラノサックスに魅了されることと思います。
2014.06.07
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2014.05.29
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私は元々好奇心が強かった。神経質な人は「生の欲望」が強い人が多いから、皆さんも好奇心が旺盛だと思う。現役のころから、好奇心を活かしていろんなことにチャレンジしてきた。トライアスロン、資格試験に凝ったこともあった。そのほか趣味、好奇心の棚卸表が役に立っている。やってみたいことを項目別に一覧表にしているものである。大項目としては、コンサート情報、サックス関連情報、習い事情報、健康情報、花見情報、旅行情報、瀬戸内海遊び情報、イベント情報、映画、テレビ、書籍情報、公共施設情報、株式情報、FP情報などに分けている。それをさらに具体的に細かく分けている。たとえば旅行情報では、格安バス旅行、海外旅行情報、京都、大阪、神戸の観光地情報、ハイキング、登山情報、企業の工場見学情報、博物館、美術館、植物園、動物園情報、花めぐり、温泉情報、瀬戸内島めぐり情報、船の情報、ドライブ情報、グルメ情報、ラーメン、蕎麦屋、うどん屋情報など興味がわくものをリストアップしている。人や情報誌からネタを仕入れている。また私の住んでいるところでは、1か月に一回、コンサート、音楽、イベント、自然観察などのすべてを紹介した案内物が発行されているので、このチェックは欠かせない。このようにして各項目別に「やりたいこと」、「挑戦したいこと」をリストアップしておけば退屈ということは考えられない。あまりにも手を出し過ぎてイライラしないのか。金がかかりすぎるのではないかという人がいる。金のかかることはほとんど敬遠している。情報を集めるだけである。その情報を人に伝えるだけである。すべてに手を付けているわけではない。今できることは一つだから、何でも手を付けることはできない。私の生活は仕事を中心とした生活である。規則正しい生活である。余暇を利用して、音楽や演芸のボランティア、森田理論学習などを行っている。さらにその時々で生活にバリエーションを持たせているのである。仕事というコア部分がしっかりしていないと、退屈感と心の不安を解消するために趣味に没頭しているような状態になる。これはあたかもネズミが糸車を一日中回しているような状態になる。多趣味ではあるが、それははたで見ていると、あまりにも痛々しい。
2014.05.08
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私のユーモアの収集と作品の中からいくつかをご紹介しましょう。川柳と都都逸編からハイハイと 軽い返事に 重い腰 仕事する ふりをするのに ひと仕事ストレスを 減らせと医者が 無茶を言う信州信濃の 新そばよりも わたしゃあなたの そばがいいたてば芍薬 座ればボタン 歩く姿は ボケの花その次には「なぞなぞ問答」も面白いです。「人のために尽くす」とかけてなんと解く「ろうそく」と解くその心は?わが身を削って人を照らす方言遊びも面白いです。「どうにかしないといけませんよ」を各地の方言でいうと!津軽弁 どうにか せねど えげねえよ広島弁 なんとか せにゃ いけんじゃろう宮崎弁 どげんか せんと いかん沖縄弁 どうにい しないと いけませんさい次に替え歌作りに挑戦してみましょう。「青い山脈」の替え歌で「森田とともに」を作ってみました。1番 つらく暗い人生に 何度死のうと思ったか森田の理論に 出会った時からはなんとなく 生きる勇気が 湧いてきた2番 森田先生ありがとう 水谷先生もありがとう森田の理論に 出会った人からはうれしくて 感謝感激 うれし泣き次に「コマーシャル」の歌を覚えて披露する。楽器で演奏すると喜ばれる。私はサックスで、この木なんの木 気になる木 気になる気になる木ですから 大きな木になるでしょうその他、ヤンボーマーボー天気予報 青雲の歌 サザエさん 鉄腕アトム 太陽にほえろ等のテーマ曲などを演奏している。思い出の名場面の実況中継のものまねをしてみる。甲子園の表彰式、野球中継、競馬中継などである。私は東京オリンピック入場行進、全国高校駅伝ゴール前の模様、全国野球選手権大会表彰式の模様、青年の主張、パチンコ屋の店内放送などの持ち芸を持っている。フーテンの寅さんの口上を覚えて披露する。知り合いに帽子、ジャケット、カバンを取り揃えて持ち芸にしている人がいる。その他バナナのたたき売り、ガマの油売りの口上を覚えて披露する。これはやっている人が少ないので、覚えるとうけるだろうと思います。あとは、「ダジャレ」や「ユーモア小話」つくり。これは意外に奥が深いですよ。「生活の発見誌」より一つ引用します。題 猫の「ミイの悩み」私猫として失格なんでしょうか。ネズミ一匹も捕まえられないなんてクヤシイ。今まであの憎きチュー吉を捕まえようとして、障子紙は破るわ、お父さんさんの鉢植えを落として割るわ、ヘマばっかり。「お隣のタマは1日に3匹も捕まえるんですって、感心ねえ」なんてママさんはいやみをいうし、私のプライドはもうズタズタ。こんな自分が情けないやら、腹が立つやら、落ち込んでいます。こんな私でも森田療法で自信を取り戻すことができますでしょうか。ユーモア小話はネタ集めから始まります。ネタを小さな手帳に書いておきます。勘違い、思い込み、極端、ばかばかしいこと、普通ではありえない出来事などを書き溜めておくことです。つぎにはいくつかの話をユーモア小話として創作します。そういう人の会などに入って披露する。みんなの反応を確かめる。他の人の話からまたヒントを得て、新しい創作意欲がわいてきます。次に一人一芸を持ちましょう。私はアルトサックス。演奏曲は100曲以上。移調の仕方を知っていますので、楽譜は独自に作ります。獅子舞。ドジョウ掬い。しば天おどり。浪曲奇術などいつでも披露できます。私は森田学習をしている人は、是非一人一芸で、人を楽しませていただきたいと思っております。きっと生活に活気が出てくると思います。
2014.05.05
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今日はユーモアについて書いてみたい。私は老人ホームなどを訪問して音楽を届けている。その中のグループの中にダジャレを連発する人がいる。おやじギャグである。その方がダジャレを提供すると、すぐに和気あいあいとなる。その場が和むのである。私はその方のユーモア精神に注目している。その人は、「私は元々むっつりスケベーだ」などといわれる。特にユーモアのセンスはないのだといわれる。つまりユーモアの提供は天然ではなく、並々ならぬ努力しておられるのだ。ある時手帳に何やらメモされていた。聞いてみると、ダジャレのネタを見つけたのだという。手帳にいっぱいネタを書きつけて、ことあるごとに公開しているのである。その人に話を聞くと普段から収集していないととっさには出てこないといわれる。神経症の人はユーモアとは無縁という人が多いようである。なかにはユーモアのつもりで話題を提供すると、白い目でにらみつけられることがある。そんなつまらないことを考えるより、森田、森田というような人である。ユーモアというのは人間関係の潤滑油のようなものではないだろうか。ユーモアのない人はとても重苦しい。もっと完全主義という肩の力を抜いて、ゆったりと余裕を持って生きてゆきたいものである。目先ユーモアの習得を目指すと、神経症の克服にも好影響を与える。生きがい療法ユニオンの伊丹仁朗医師によるとユーモアにはいろいろと効用がある。1、日々ユーモアの題材を求めて、注意が周囲の広い世界に向かう。2、材料が見つかり話をまとめる過程は、貴重な創作体験になる。3、みんなに披露する際には、心配、不安はそのままに、今現在の目標を実行する体験になる。4、人を笑わせ、愉快にすることで、人の役に立つという生きる手ごたえを感じる。私はユーモアのセンスがないときめつけている人は、落語、コント、漫才の収集から始めたらよいと思う。ツタヤにはその手のCDやDVDなどがたくさんある。You tubeなどでもいくらでもある。私は面白いものはテープ起こしをして文章にしている。それをみんなに公開すると喜ばれる。自分でもやってみたくなったら川柳や都都逸などから挑戦してみたらいかがでしょうか。そこからどんどん広がってゆきます。最終的に一人一芸を持てるように頑張ってみませんか。明日は私のユーモアとの付き合いについて投稿します。
2014.05.04
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私は日曜日の佐渡裕の「題名のない音楽会」が好きだ。すべて予約録音して後で見ている。先日はベートーベンの交響曲第5番「運命」の解釈を宮川彬良が行っていた。それによると、ジャジャジャジャン、ジャジャジャジャンという部分は、「下がるぞー、下がるぞー」という言葉に置き換えると以後の展開が分かりやすいそうだ。全部は書きとめられなかったが、一部分紹介してみよう。第1楽章は導入部分だ。下がるぞー、下がるぞー成績下がるぞ 給料下がるぞあれも下がる これも下がる こわいぞ こわいぞたまには上がるがあれよあれよという間に下がるぞーこんなところから下がるぞ このまま下がればジェットコースターに乗ってるようだぞー第2楽章 発展よく見てみろ上がるから下がる 下がるから上がる 上がるも下がるも おんなじことだよ上がったり下がったり 上がったり下がったりするものだから下がろう 楽しく下がろう楽しく 下がろう 下がろう こわくない こわくない第3楽章 転回それでもこわいぞー下がるぞ 下がるぞ 下がれば上がるぞ落ちていくのもなんだか快感よ止まるぞー夢でも下がるぞ 上がるぞ 下がるぞ 上がるぞ第4楽章 終章こわいけどなんだか美しいさあ 上がろうみんなで上がろう 下がるのきれい 下がるの好きそれでいい それでいい私はこの話を聞いていて、苦しいときも楽しいときも波に乗って生きていればよいという森田の話を思い出しました。この世の中は「諸行無常」なのだから、苦しいことがずっと続くわけではない。また楽しいことをずっと味わうこともできない。我々は変化流転という大波小波に素直になって飛び乗り、その時々の感情に身をゆだねるときに一番安楽な生き方ができるのだという教えです。ベートーベンがそのことを交響曲5番「運命」に込めたとしたらすごい作曲家です。さらにそれを発見した宮川彬良に脱帽です。
2014.05.01
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私はクラッシック音楽が好きで、神経症の時はずいぶん助けられました。今日はその話をしましょう。まず神経症の深みにはまっているとき。一番のおすすめは、グスターフ・マーラーの「交響曲一番巨人」です。この曲は、マーラーが横にいて悩みを聞いてくれているような気持ちになります。特に始まってから22分、23分ぐらいから始まるところはしびれます。タンタタッタ タッタ タンタタッタタ・・・で始まるところです。ここはテープにも吹き込み何度も聞きました。集談会でいえばアドバイスをされるよりも、ただ自分の悩みを共感的に聞いてもらいたいときの気持ちにぴったりです。この曲はマーラーが24歳から28歳の失恋を経験した後の作品だそうだ。青春交響曲と呼ばれ、愁いのある心に響く旋律で我々に迫ってきます。シューベルトの「未完成」も苦しいときには、助けになる曲です。良かったらyou tubeで聞いてみてください。
2014.04.18
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今日は素晴らしい映画の話をしてみたい。「ショーシャンクの空に」というアメリカ映画です。ツタヤで貸し出ししています。簡単なあらすじはこうです。銀行員のアンディという主人公は妻を殺したという冤罪で投獄されます。実際には無実だったのです。投獄された刑務所で刑務官や囚人たちから次から次へと理不尽な仕打ちを受け続けます。その間、冤罪を晴らすチャンスがありましたが刑務所の所長の手で摘み取られてしまいました。これは相当のショックです。しかしアンディは希望を失うことはありませんでした。無実の罪が晴れないので仕方なく脱獄を企てたのです。19年もの間少しずつ、監視に気づかれないようにしてトンネルを掘り続けていたのです。そして外に通じる穴を掘ったのです。そして19年たってやっと脱獄し、所長の悪事を世間に公開し、自分はアメリカを離れてメキシコに逃げるというものでした。どんなに苦しい状況の中でも、決して希望を失ってはいけないということを教えてくれる映画でした。この映画の中で仮釈放された人がいましたが、刑務所から出た後の希望を持てない人は、せっかく仮釈放されても自殺してしまったのです。希望が諦めに変わってしまうと、刑務所の中で最低限の食料で糊口をしのぐことに甘んじてしまうのです。希望や夢をあきらめて、その日の刹那的な楽しみを追い求めている人の末路を見た思いがしました。これは人間本来の生き方ではありません。植物人間かペットに近い生き方だなと思いました。この映画を観終わった時とっさに思い浮かんだことは、フランクルの「夜と霧」という本のことでした。ナチスの強制収容所のアウシュビッツの出来事を描いたものです。ここのガス室で250万人ものユダヤ人が殺されたそうです。フランクルは自分の将来の仕事のことを思い、愛する妻のことを支えにして生き抜いたということです。また、他の収容された人たちにも首を長くして待っている家族のことを支えにして生き抜こうと励ましていたようです。これはシベリアに抑留されていた、元メンタルヘルス岡本記念財団会長の岡本常男さんも同じようなことを語っておられました。将来への希望や夢を持つということが、命をつなぐという面でとても重要であるということです。私たちは将来の夢や希望、自分のやりたいことをしっかりと持つということの大切さを心しておきたいと思います。
2014.04.06
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近鉄沿線に住むおばちゃん2人が、夏の暑い日、通天閣で有名な新世界に生活必需品のジャージィを買いに行くことになりました。最寄りの駅まではそろってママチャリ。二人ともハンドルに傘立てを取り付け日傘をさしています。駅につきまして飴を法張りながら整列して近鉄電車を待っていました。ところが電車が入ってくるなり、列を抜け出し一番前に割り込みます。ドアが開き、まだ下りる人がいるのに乗り込んでゆきます。そして一人が自分の席を確保し、隣の空席に自分の荷物をドンと置いて、「花ちゃん、ここ空いてるで」と大きな声で友達を呼ぶんであります。こうなるともはやだれもそこには座れません。ちなみに大阪の川柳に、「5センチの幅でもおばちゃんすわりよる」というのがあります。同じ料金を払って電車に乗っているのに座らないと損やないのという考えなのです。もしこれが一人座れなかったらどうするか。一芝居打つのであります。あうんの呼吸で座ったおばちゃんが、座れなかったおばちゃんの荷物を引っ張って持とうとするのです。「花ちゃん、荷物持ってあげるわ」「軽いからよろしいわ」「重いやろ、持ってあげるがな、遠慮しいな。」「よろしいて、ほんま」「そんなこといわんと、貸しなはれ。」車内で荷物を取り合ってのドタバタ劇が展開されるのです。たまらないのは隣に座っていたおじさん。イライラしてついに「おばちゃん、ここすわりーな。」と席を立ちます。すると、「そんなこと、よろしいのに。」と言いながら、もう腰をかけているのです。天王寺につきエスカレーターに乗りますと、見るからに田舎から出てきたような兄さんが立っています。するとおばちゃんいわく、「ちょっと、兄ちゃんどこ立ってますンや。大阪では、エスカレーターで立つのは右やで。急いでるんやからどいてんか。」とにかく大阪のおばちゃんは、前に人がいると追い越さないと気が済まないのであります。そうこうしている間に、新世界に到着です。さあこれから値切り倒しの芝居の始まり始まり。若い店員さんに向かって「兄ちゃんどこから来てはるの」「え、九州」「九州男児はハンサムやなあ。よーもてはるやろ。」連れのおばちゃんもすかさず、「そらそうや、女の子がほっとかへんで」それを受けて、「テレビに出てもええんとちゃう。」おばちゃん一人でも強力だが、二人がタッグを組むと向かうところ敵なし。極めつけが、「兄ちゃん男前やから、わて好きやで」その後店内を物色し2300円の紺のジャージィに目をつけました。「兄ちゃん、これ1000円にしとき」値札無視、かってに売値を決めているのです。それも半値以下。「今日は財布に1000円しかあらへんのよ。まけといて」店員が渋ると、「じゃ、2枚買うから一枚1000円にならへん」店員がうんと言わないと見るや、「そんな堅いこと言うたら、大阪では商売でけへんで。今度友達仰山連れてくるよって。今日はわてらに花もたして。だから今日は1000円にしとこう。な。」「な」を強調して念を押すのです。さらに店員が渋ると、「じゃ、わても清水の舞台から飛び降りたつもりで200万円色つけたろ。1200円でいいやろ。お互い痛み分けやからよろしいやろ。な。」目的を達成し、どさくさにまぎれて、さらに靴下を1足サービスさせ、「ありがとう。また近いうちにくるよって。」といって意気揚々と引き上げてゆくのであります。帰ってくるとすぐに近所のおばちゃんを集め、自慢するのです。「これなんぼすると思う。品はええもんやで。」この誇張したユーモア小話は「どや 大阪のおばちゃん学」草思社 前垣和義著を参照しております。腹を抱えて笑える本です。大阪のお母さんは実に交渉力が旺盛です。
2014.04.05
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私は森田理論学習でマンネリに陥った時取り組んだことは、森田先生のまねをして生活するということでした。参考図書は「森田正馬全集」の第5巻です。この本を作ってくださった方に感謝しています。この本の担当は青木先生でした。真似をするにあたって、森田先生の趣味の多さ、一人一芸に注目してきました。全集5巻にはレクリェーションの話が11回もあります。余興では寸劇をしたり、おそろいの浴衣を作って盆踊りをしたり、落語家を呼んで落語を聞いたり、旅行したりしています。熱海に森田旅館を設けて慰安旅行もされていました。森田先生は大変好奇心旺盛で、柔道、居合、三味線、踊り、弓、囲碁、将棋、釣り、和歌、俳句、ダンス、なぎなた、テニス、ピンポン、オルガン、禅、神道、岡田式正座法、奇術、占いなどに手をだしておられました。また即座に披露できる芸も豊富に持っておられました。鶯の綱渡りは大変上手だったということです。一人一芸を目指すことも神経症の陶冶に役立ちます。生きる目標が持てますし、人に喜んでもらえます。私はこの方面でエンターテナーをめざしてきました。まず町のチンドン屋として老人ホームの慰問活動をしています。古い演歌や軍歌を中心に4人から5人で活動しています。お客さんは大体70代とか80代ぐらいの人です。いつも泣いて喜ばれています。私はアルトサックスを吹いています。年間20ステージ以上あります。その時、ドジョウ掬い、獅子舞、浪曲奇術、しば天おどりなどを披露することもあります。浪曲奇術というのは、浪曲の名調子に合わせて、手品の裏と表を披露していくものです。しば天おどりは高知県で伝わっている河童のおどりです。専用の手ぬぐいをかぶって踊ります。とても滑稽で腹を抱えてお笑いの渦が起こります。これらは毎日1時間は練習しています。練習しないと腕がすぐに鈍るからです。こういうことに目をつけて生活していると、次第に類は友を呼んで知り合いの輪が広がってくるのです。
2014.03.09
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最近はカルチャー教室などでも、健康麻雀がはやっている。健康麻雀は、たばこは吸わない、アルコールは飲まない、かけ事はしないという約束のもとに行われる。麻雀は難しいと思われているかもしれないが、そんなことはない。まず2枚同じ形のパイを集めて頭を作る。後は3枚同じパイを集めるか、同じ種類のパイで続き番号を集める。123とか456とかである。それを4組作れば上がりである。それだけのことである。これは頭の体操になる。私はネット麻雀で毎日半チャンだけしている。時間でいうと長くても20分である。私のやり方はとにかく人よりも早く上がれるように集中している。たとえ1000点でも上がる。人によるとそんな点数では、上がった気がしないという人もいる。でも、早く上がらないと危険な目に合う。大体上手な人は間違いなく最短で上がる手を仕上げてくるので、他の人にツキが移ってしまうのである。また自分が振り込む確率が確実に増えてくる。また無理はしない。相手がリーチ(相手が振り込むと上がりになる)というと、戦略をすぐに切り替えていく。つまり捨て配をみて振込みを回避するのである。これで振込みの危険を回避する確率が高い。つまりすべての局面で勝とうとは思っていない。リスク回避をすることが勝つための第一条件だと思っている。でも時には、譲れない時もある。自分の手がいいときである。そういう時は、勝負の行方があらかた決しているときは別だが、そうでない時は勝負に打って出る。勝つ確率は少なくなる。いちかばちかの勝負だ。勝つときもあれば、負けてしまうこともある。でも、こういう時の負けは自分で納得しているので、後には残らない。積極果敢に挑戦した自分を誇らしくさえ思える。それから相手の捨配を観察していると、たまに直感が湧いてくることがある。捨配が偏っているのである。相手の手が自然に分かってくるのである。そういう時は相手の手はいいのである。そう直感が湧いてくると、その相手をすぐマークしていく。その相手に振り込まないように細心の注意を払う。ゲーム終盤になると振り込まないように降りる。勝つのは負けを少なくすることが一番大切だからだ。こんなことを言う人がいる。「麻雀で勝つためには、自分の手ばかりではなく、相手の動向を読み、牌の流れを見定め、場の空気を感じながら、変化していく情勢に合わせて、柔らかく動いていかなければなりません」私はネット麻雀しかやらないので、1位、2位、3位、4位になる確率はそれぞれ25パーセントぐらいになる。多少4位になる確率は少ないと思っている。でもおおむねそうなる。しかし4人がその場に集まってゲームをすると、話は全く異なるのだろうと思う。この人の言うように、他の3人の相手の動作や仕草、言葉がある。上手下手は動作ですぐに分かる。その変化を加味して対戦すると、上手な人は勝ち続けて、負ける人はいつも負けるという事態が起きるのだろうと思う。それが麻雀の醍醐味かもしれない。麻雀に対する姿勢は、人生に対する姿勢に通じると最近つくづくと感じるのである。
2014.03.08
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南洋の土人は、昼間から椰子の木陰で昼寝をしています。そしてお腹が空くと、海に魚を捕りにゆきます。のどが渇くと、椰子のジュースを飲みます。そんな生活をしている人を見て、現地の日本企業の人が、いい若い者が昼間からごろごろしていてはダメじゃないですか。きちんと働いてお金を貯めないと将来困りますよ。うちの工場で働きませんか。お金を貯めるとどうなるんだ。定年後に、南国に別荘を建てて、悠々自適で暮らせるようになります。今俺はそれをやっているんだよ。(オーケストラ指揮法 高木善之氏の本より 289ページから)
2014.02.25
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洋食ではデミグラスソースは、すべての料理に応用が利くそうだ。おいしく仕上げるにはいくつものポイントがあるそうだ。まず、牛スジ肉と野菜を炒める。それをとろけるまで煮込む。それを漉す。そこにまた野菜を炒めて入れる。それを煮込んで漉す。野菜をたっぷり入れるとさっぱりした味になる。これを5回ぐらい繰り返す。この作業を10日かけて行う。漉す作業は冷えていては、うまく漉せない。ソースに火を入れて温めないといけない。濃厚なデミグラスソースは、油断するとすぐに焦げてしまう。だから鍋につきっきりで混ぜないといけない。同じ材料を使っても、味も色も違ってくるという。私たちが何気なく食べているデミグラスソースは手間暇がかかっている。一つ一つの作業は簡単でも、それを使えるまでするには、細かい神経を張り詰めた仕事がある。ものそのものになりきらないとできない。我々もこのように日常茶飯事を丁寧に、手を抜かずに取り組みたいものです。集談会で鯛のかぶと煮の上手な人がいた。その人の料理の作業手順を聞いていると、一つ一つの作業はとても単純なのだが、それを積み重ねると独特な味わいと個性が出てくるのだなと感じました。そこにささやかな達成感と喜びが、じわじわと湧き出てくるのではなかろうか。
2013.12.21
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これは先日の忘年会の余興で見ました。YOU TUBEで「名物 しばてん踊り」をご覧ください。南国高知県のおどりです。とにかく腹を抱えて笑えるおどりです私は早速被り物を注文しましたとにかく好奇心旺盛な人と付き合っていると、次から次へと面白いものと出会います。人生に乾杯です。
2013.12.17
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神山五郎さんはアルコール中毒、仕事中毒、煙草中毒、肥満などを、頑張って治そうとしても、かえって意識がそのことに引きつけられて、元の木阿弥になってしまうことが多いといいます。それが成功した人たちにはある共通した特徴があるそうです。まず第1に、新しい生活習慣を身につけることで、古い生活習慣を押し出している。第2に、ユーモアのセンスがある。この2つだそうです。第1の方ですが、禁煙を思い立った時に、子どもが生まれて、子どもに煙を吸わせたくないと意識して生活するうちに禁煙できた。ダイエットしたいと思っていた時に、恋人ができてダイエットが始まった。つまり今までの生活習慣が、内部的、外部的な要因によって変化するということによって、依存症から抜け出ることができるということです。このケースでは、子どもを健康に育てたい、あるいは恋人に好かれたいという目標が、依存症の克服に役立っているわけです。つまり新しい目標を達成するために努力する、という生活が依存症の脱却に一役買っているわけです。第2のユーモアですが、例えばユーモア小話を作っている人は、目の付けどころはいつもネタ探しに向いています。ネタが見つかるといかに面白い話に仕上げるか話の構成にとりかかります。出来上がると、実際に披露することを想定して練習を積みます。そして初めてみんなの前で披露していきます。当然反応が気になります。つまりユーモアのセンスのある人は、気持ちが外向きになっています。頭の中で、症状以外に考えている事がたくさんあります。自分の症状に集中してばかりではいられないのです。この二つは神経症の克服に役立つことです。いずれも大切だと思います。特に、神経質な人はユーモアを持ち合せている人が少ない。森田先生に学び一人一芸を身につけてみんなを喜ばす。あるいはユーモア小話や川柳などを極めてみてはいかがでしょうか。最後に私の作った川柳を紹介しましょう。来年の馬年の「生活の発見誌」投稿用です。馬になれ 孫が飛び乗り ムチを打つ
2013.11.23
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私はいつまで生きられるか分からないが、4つの芸を磨いていこうと思う。1つはアルトサックス。150曲はなんとかできるようになった。まともに吹けるのは数少ないが。2つ目は、どじょうすくいである。老人ホームでの慰問で数限りなくこなしている。本来は男踊り、女踊り、アドリブができるようになると最高だ。いつも大受けしている。3つ目は、獅子舞いである。獅子頭はいいものを手にしたのであとは練習のみである。これはめでたいので、ことのほか受けがいい。獅子頭のせいかもしれない。4つ目は浪曲手品である。浪曲の名調子に合わせて、手品をし、その後種明かしをする。4つの手品がある。滑稽な芸である。そのほか、室内でヘリコプターを飛ばしたりもするが、披露するのは上の4つに絞り、芸を深めることにしようと思う。
2013.10.19
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私は土曜日のテレビ番組「人生の楽園」の大ファンである。大体定年退職した人が多い。また途中やりたいことがあって早めににリタイアーした人も多い。みんな元気だ。人生を楽しんでいる人が多い。お金に不自由していないからこそできることかもしれない。感じることは、やりたいことの中で自然と関係のある人との人間的つながりがでてきている。また近所の人などにも受け入れられて、親しい人間関係が豊富で実に楽しそうだ。マズローの社会に溶け込み、温かい人間関係を築くという第3の欲求が満たされた人たちが多い。今回は長野県でいろんなジャムやピクルスを作っている夫婦が紹介されていた。手作りで味もよく味わう人に評判であった。いろんな工夫や挑戦が楽しそうだった。また利害関係なしの人と人の触れ合いが実に気持ちがよい。私はいつも思っている。田舎で暮らして、たまには軽度のスポーツや麻雀などのゲーム、ダンスもいいかもしれない。釣り、加工食品、栗や果物、キノコ狩りなどでみんなが集まり、それで料理を作り、とっておきの一人一芸でみんなで大いにかくし芸を披露して、大いに笑いあう。そんな生活が送れたら最高だと思います。でも現実は、田舎でも都会のマンション暮らしと一緒で、「隣は何をする人ぞ」で触れ合いはどんどん薄れてさみしい限りなのです。好奇心旺盛な神経質者は、症状を克服した後は、スポーツ、演芸、文芸、楽器演奏、地消地産でいろんな楽しい食事メニューの開発。味噌や醤油、もちつきや燻製作り、ビザやパンを焼いたり梅やラッキョウ、漬物や葡萄酒などの加工食品作りなど情報交換を行いながら、横のつながりを強めてゆきたいものです。そうすれば一人孤立してさみしい、悔いの残る人生から、人間に生まれてよかったという気持ちに変化してくるかもしれない。森田理論でつながった仲間は、ますます生の欲望を発揮して、お互いに刺激を与える仲間であり続けたいと思うのである。集談会は生き残る集談会はそれでいいのですが、もし自分の参加している集談会が解散ということになっても、そうした主としてネットを通じて、日本全国の人と交流し、森田理論を学習し、自分の生活を見直して、生き生きと生活できる状況にあるということは頭に入れておいてほしい。まだまだ模索段階ですし、乗り越えないといけない問題もたくさんありますが、近いうちにはきちんとした森田学習を基盤とした人的交流は確立してくるはずであると考えています。どんな可能性が開けてくるのか、考えただけでも楽しいではありませんか。
2013.10.14
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私はネット麻雀をはじめて10年以上になる。今三段である。二十級から一級、そして初段、二段、三段である。この先六段の人は見たがそれ以上の人は見たことがない。一段上がるのに一年ぐらいかかる。野球の打率のように成績によって上がったり下がったりするので大変だ。また私は1日半荘1回しかやらない。運だめしのようなものだ。でも麻雀で得たことは大きかった。その一つは負けて勝つということだ。誰かがリーチをかける。すると私はすぐに戦闘モードから、撤退モードに切り替える。無条件にそうしている。まだテンパイしていないのに、強硬策を採ることは自滅することが多い。すると後悔する。一回でも満貫を振り込むと即負けにつながる。ようするに、勝つことは、まず振り込まないことなのである。形勢が悪いと思えば、終盤になれば、降りることしか考えていない。それが初心者のころは全部勝ちたかった。相手がリーチをかけている。自分はまだリーチの二歩手前でも、「行ってしまえ」で突っ走っていた。たまには勝つことがあってもトータルでは下位であった。これは森田の学習が大きかった。森田は素早く変化に対応せよと教えている。危ない、やられると思ったらすぐに撤退できる勇気を。ここは勝負と思ったら積極的に果敢に挑戦する勇気を。そんな気持ちで対処していると、仮に負けても納得できる負けなのである。最善の策であったので、仕方ないと納得できる。悔いのない負けなのである。次につながる、貴重な負けなのである。人生でいえば、やれることは全力を挙げて精一杯の努力をする。挑戦しても明るい将来のイメージが描けない、手をだすことで将来が益々悪くなる。人に迷惑をかけるばかりである。こんなことは絶対に手を出すべきではないと考える。
2013.09.25
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今度の土曜日は養護老人ホームの慰問がある。私はどじょうすくいとサックスの演奏がある。サックスの演奏で新しい発見があった。サックスは吸う息よりもは吐く息のほうが圧倒的に多い。これは太極拳やヨガの息ずかいの基本であると聞いた。吸う息は鼻から短く、吐く息は口から3倍ぐらい長くするのだそうです。知らず知らずにやっていたこととはいえ、健康に大いに影響していることは初めて聞いた。そういえば仲間の人は70代だか元気いっぱいである。私が下手なりにサックスを手掛けていたおかげで、少なくとも発見会の人が新規に2人はじめられた。これもうれしい誤算である。すぐに私以上の演奏家になるだろう。近くで習いたいという人がいれば、月一回か2回ぐらいなら無料で教えたいと思う。レパートリーは100曲以上の楽譜は持っている。森田を勉強して演奏に役立ったことがある。楽器というのは100%吹けるようになるまでは、指遣いなどは意識して練習しないと上手にならない。ところが本番で演奏するときは、意識がでてきては困るのである。練習で培った指遣いが無意識に動いてくれてはじめてうまくいく。少しでも意識がでてきて、うまくいくだろうかとか、この次はどこのキーだったかなと頭にうかぶと突然乱れてしまう。今では楽器の演奏は、自分の中に二人の自分がいると思っている。猛練習で10回やって8回ぐらい正確に吹けるようになると、意識している自分が、無意識の自分に対して間違ったら自分が責任取るから思い切ってやってこいよ。と言って送り出すようにしている。不思議とそのほうがうまくいくのです。森田の威力をつくづくと感じている次第である。
2013.08.21
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私の参加している集談会では、ほぼ毎回、「生活森田・応用森田」というコーナーがある。自分の趣味や特技など、生活の中で身に付けたことを紹介するコーナーである。15分以内でやっている。もう3年ほど続いている。これは集談会のアクセントになりとても楽しい。折り紙で鶴を折ったり、絵を描いたり、川柳の発表会、ペットや陶芸の話、フルートやサックスの演奏、森田先生の肉声を聴いたりした。今回は「私のお勧めのテレビ番組」の発表だった。私の知らない、だけどためになる話がたくさん出た。私は下記番組が参考になった。情熱大陸 日曜日 TBS 22時半沢直樹 日曜日 TBS 21時グレーテルのかまど 金曜日 NHK 9時30分なお、テレビは録画してあとで見ている人が多いことも驚きであった。
2013.08.07
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私は2009年10月17日赤いリュウキンという金魚を飼い始めた。とても元気のよい金魚だった。毎日仕事から帰って餌をやっていた。餌をやると飛びついて食べていた。私が水槽の前に行くといつも前のほうにでてきてくれていた。その優雅な泳ぎに癒されていた。ところが2011年6月30日水槽の中で死んでいた。朝見つけてがっくりした。金魚は最低でも10年。上手に飼うと15年は生きると聞いていた。家の金魚は2年弱で亡くなってしまった。私の責任だ。とてもショックでそれ以後金魚を飼う気持ちがなくなった。自己流というのは、金魚にとっては厳しい環境だったのかもしれない。多分そうだろう。金魚は口が聞けないから、苦しいことも言うことができない。ずっと耐えていたのだろうと思うと、心が痛む。飼い方を詳しい人によく聞いて育てたらよかったと思う。今日メダカを飼っている人のところへ行った。30匹ぐらいのメダカが元気に泳いでいた。あまりにも水がきれいなので、水を毎日替えているのかと聞いてみると、大きな炭をそこに入れているので水が澄んでいるのだという。餌はメダカ専門の餌をやっているという。生き物を飼うときは、自己流はよくないと思った。詳しい人によく教えてもらって、その方法を踏襲しないと、私みたいな失敗をするのだと思う。
2013.07.20
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森田先生の鶯の綱渡りの芸は有名である。そのほか民謡のようなものも披露されている。私は森田正馬全集5巻を読んだ時、真っ先に読んだのはリェクレーションの部分だった、11回分はみんなで羽目をはずして大笑いしたり、踊ったりしている。実に楽しそうだ。赤面恐怖一座の三方一両損には笑ってしまった。時には落語家も呼んでいる。ピクニックなどもたびたびおこなわれている。しかし残念なことに、私は発見会活動を27年やってきたが、人を喜ばす芸を身につけている人が極めて少ない。一人が一つの芸を身につけるだけで、発見会はずいぶん変わると思う。大体多くのページを割いて5巻に余興の数々の詳細が紹介されている意味をどう理解されているのだろうか。発見会で芸能大会などの提案をするといつの間にか立ち消えとなる。中には宴会はお通夜のようにおとなしいのがよいという人もいる。こうなれば発見会以外で挑戦するしかなさそうだ。森田理論をうんぬんするよりも、ただ一つの芸を覚えることに精力をつぎ込むことで、症状は吹っ飛び、その人にも生きる自信もでてくるのにと思ってしまう。ちなみに私は、明日夕方町祭りの余興に呼ばれている。明日はアルトサックスの演奏だが、そのほか獅子舞い、どじょうすくい、浪曲手品の芸を極めており、毎日1時間は練習を欠かさない。呼ばれればいつでも最高の演技ができるようにスタンバイしている。これが一つの生きがいとなっている。すべて森田先生のまねをしているのである。
2013.07.19
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毎日暑い日が続きます。外回りの人は大変だと思います。ほどほどに仕事をしていただきたいと思います。今日も営業の人が言っていました。一仕事終わって車に戻るとサウナ状態なんですよ。その気持ち分かります。その方が言ってました。ヨーロッパの人は昼休みが2時間から3時間ぐらいあるそうですね。たしかにこんなに暑いと能率が上がりませんよね。私はこの夏「つけ麺」の季節だと思っています。これが楽しみで働いているようなものです。唐辛子のきいた辛めのつけ汁。コシジャンでさらに辛くする人もいます。麺はラーメンの麺だと思います。特徴はキャベツの量です。チャーシューなどもありますが、茹でたキャベツと辛いつけ汁の相性がとてもよいのです。シャキシャキ感がたまりません。これって広島発祥らしいですが、関東や関西、東北、北海道、九州にもありますよね。店で食べるとおいしいのですが、1000円ぐらいはすぐかかります。もっぱら家で食べています。
2013.07.17
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生きがい療法の伊丹仁朗先生のすごいところは、森田理論を学習だけに終わらせないところだと思います。森田先生の実践されていることは、難病治療の患者さんたちに具体的な実践として提示されていることである。その方たちは、生活の発見会の会員のように森田理論を深く勉強されているわけではありません。しかしながら実践という面では、一歩先をいっています。イメージトレーニング、体験学習として看護学校などでの闘病者の「一日教授体験」、富士登山、モンブラン登山、オーロラ体験ツアーなどがあります。これらは伊丹先生が森田先生の著書を読まれて発想された事です。その中にユーモアスピーチというのがあります。伊丹先生曰く、「ユーモアスピーチを作ることは、心理面で大変良い効果があるように思われます。なぜなら、日々ユーモアの題材はないかと、周囲の広い世界の方に注意が向かい、また、材料が見つかり話をまとめる過程は、川柳を作るのに似た創作体験ともなります。話をする際には心配、不安はそのままに、今現在の目標を実践する体験にもなり、自分の話で他人を笑わせ、愉快にすることで、人の役に立つという手ごたえを感じることにもなります。」ここで私が以前作ったユーモア小話をひとつ紹介します。題は「気丈夫な犬」です。犬の15歳といえば人間で言えば、100歳にちかい。昔、三浦友和だったような犬も今やその面影はない。散歩に連れて行けば、あっちによろよろ、こっちによろよろ。耳はたれ、シッポはだらしなく垂れて、息もすぐに上がり、昔勢いよく電信柱におしっこをひりかけていたのに、尿結石を患って出が悪い。とにかく、朝から晩まで寝そべっているのがよく似合う今日この頃。でも運動しないと、病気になるのでなんとかだまして散歩に連れ出す。しばらくすると、前から5歳ぐらいのメス犬がやってきた。人間で言えば30歳の熟女といったところか。すると今までだらしなくイヤイヤついて来ていたのに、急に飼い主の前に出て、耳をピンと立て、シッポをくるりと巻いて青年のように歩き始めたではないか。そして、チラチラとメス犬をみては、潤んだ目をして何回もまばたきをしている。ひょっとするとウインクをおくっているつもりだろうか。そして、不覚にもヨダレまでたらしている。げんきんな犬だね。しかし、メス犬が通りすぎた後は、すぐに元に戻ったのは言うまでもありません。チャン チャン
2013.06.03
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私は趣味として昔懐かしいチンドンミュージックを携えて、主として老人ホーム、ディケア、地域のイベントなど頼まれればどこへでも出かけている。そこでいろんなアマチュア芸人と出会う。若いのはモダンダンスのグループくらいで、どちらかというと年輩の人が多い。楽器ではウクレレ、ケーナ、サックス、アコーディオン、三味線、その他の芸としてどじょうすくい、南京玉すだれ、傘踊り、銭太鼓、田舎芝居、日舞、フラダンス、手品、落語、民謡、ひょっとこ踊り、紙芝居などである。私はこの人たちの影響で、どじょうすくい、獅子舞、浪曲手品をほぼマスターしてしまった。サックス演奏と合わせて4つの持ち芸を名刺に刷り込んで配っている。この面では森田先生と肩を並べるまでになった。今はチンドン屋のイベントが多いのですが、ゆくゆくは出前イベントとして2人ぐらいで組んで、ちっと出かけて30分ぐらい楽しんでもらうような活動を月に2回から4回ぐらいのペースでできたらと考えているところです。毎日短時間ながら芸の練習もおこなっており、毎日とても充実しています。私はみんなに一人一芸を勧めていましたが、自分は一人四芸になりました。この手の同好会は探せばいくらでもありますので、みなさんもおひとついかがでしょうか。もうはじめておられる方には、失礼しました。
2013.06.01
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灘中、高校で国語の先生をされた橋本武さん。中学3年間は中勘助の小説「銀の匙」を題材にして授業を行った。どんどん横道にそれる授業だったという。単に作品を精読・熟読するだけでなく、作品中の出来事や主人公の心情の追体験にも重点を置き、毎回配布するガリ版刷りの手作りプリントには、頻繁に横道に逸れる仕掛けが施され、様々な方向への自発的な興味を促す工夫が凝らされていた。たとえば「銀の匙」に出てきた凧あげをしたり、百人一首でカルタ取りをしたりと型破りであった。この横道にそれて好奇心のおもむくままに、いろいろ手をだしていくのが人生の楽しみにつながるといわれる。橋本さんは現在100歳を超えておられますが、とても好奇心が旺盛です。カメラ、8ミリ、国内旅行、郷土玩具・カエルグッズの蒐集、おしゃれ、茶の湯、お能、短歌・俳句作り、謡曲、人形浄瑠璃などの鑑賞、社交ダンス、宝塚歌劇の観劇など。橋本さんは、「趣味は人生の幅を広げてくれます。そしてのめりこんだ趣味の数が多ければ多いほど、より人生が楽しくなります。私は実感をもってこう断言できます。」「人生の楽しさは趣味の数に比例する」いい言葉だと思います。現在養護老人ホームに入っている人は、何もすることがなく、暇を持て余している人が多いように思います。橋本さんのように、生涯活き活きと生きてゆきたいと思います。森田先生もたくさんの趣味を持っておられました。集談会で聞いた話ですが、定年を迎えて20ぐらいなすべきことがないと、退屈だと思うようになるということです。心して置きたい言葉です。
2013.03.09
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第29回形外会は昭和8年1月28日に開かれました。出席者60名です。いろいろな余興がありました。落語、童謡、安来節、職業当ゲーム、森田先生の綱渡り芸などがあった。楽しんでおられる様子が目に浮かびます。これらも立派な森田理論学習の一環です。私はこれらに刺激を受けて芸を磨いております。その中に「赤面恐怖一座」による滑稽劇「三方一両損」の芝居があった。水谷啓二先生も全治退院者として吉五郎役で出演されておられる。劇の内容は以下のとおりである。左官の金太が財布を拾った。中に三両と書きつけがあった。書きつけから落とし主は吉五郎と分かり、吉五郎の家に届けると、「三両は拾ったお前のものだ。決して受け取らねえ。」といって二人は喧嘩を始めた。家主の仲介のもとに二人は南町奉行所に訴え出た。大岡越前守は二人の正直を褒めて、「ではこの三両は私が一旦あずかり、一両足して、両名に褒美として二両ずつつかわす。」と裁定した。もし金太はだまっておれば三両を得た。吉五郎もそのまま受け取れば三両を得た。大岡越前守もそのまま預かれば三両を得た。ところが裁きにより、金太は二両を、吉五郎も二両を得て、大岡越前は一両を差し出した。三人とも一両ずつ損をしているので「三方一両損」であるという落ちがつく落語の寸劇である。これが事細かに全集第5巻に載っている。この話は森田理論学習として議論してみても面白い。神経質者は問題が起きると白か黒かどちらかに決めないと気がすまないところがある。ところが現実にはこのようにうやむやにしてことを終わらせてしまうということもあるということである。すっきりしない、うやむやのままに問題を抱えたまま次に進まなくてはならないことは世の中にたくさんある。理不尽な出来事に遭遇してとても許すことができないことだってたびたびある。不安や恐怖を抱えたまま、仕方なく次に進むことができるようになることは一つの能力を身につけたということである。森田理論を学習しているとこの能力を獲得することができると思う。
2013.03.01
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一人一芸としてどじょうすくいをやっています。原稿を頼まれまして、こちらにもアップしてみました。 「おやじー どこへゆーく 腰に籠下げてー 前の小川へ どじょう取りに― ・・・」私は月一回どじょうすくい教室に通っています。いつも7,8名ぐらいいる。年配の人が多く、特に女性の人が多い。男踊りと姉さんかぶりの女踊りがある。まず歩き方。ちっとこ、ちっとこと腰を振りながら歩くのだがこれがとても難しい。入れ替わり立ち替わりいろんな人の芸を見ているが感心できるのは3、4人しかいない。奥が深い。私はまずリズムに合わせて踊る段階である。それから顔芸、所作など勉強する項目は多い。私は先生から「あなたはどじょう顔で、笑い顔がとてもよろしい」などとおだてられている。どじょうをザルですくってビクに入れる動作。顔に泥がついてはねのける動作。どじょうが逃げて追いかける動作。どじょうを踏みつけてこそばゆい動作。足にヒルが噛みついてむしり取る動作。どれをとっても滑稽であり、老人ホームの慰問ではいつも大はしゃぎされる。時間は3分ぐらい。女踊りを入れて6分間ぐらい。どじょうすくいは島根県安来市の近郷のものが、昔どじょうを小川からとってきてそれを肴に酒盛りをした。その席では決まって、どじょうをすくうときの動作を真似た踊りを踊って座興にした。この踊りが安来節とよく合って広まったということです。安来市には足立美術館の隣に安来節演芸館があり、即席体験ができます。
2013.01.20
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岡山の伊丹先生の生きがい療法では、ガンの患者さんに森田療法を応用されています。私はその中で、ユーモア小話作りに影響を受けました。ユーモア小話を作ろうとすると、ネタを集めなければいけません。自然と目が外に向きます。次に話の構成をねらないとおもしろくなりません。したがって、症状にかまっていられなくなります。私の100ぐらいのコレクションから一点紹介します。ああ、無知の知以前、島田紳助が伊達正宗のことを「イダチマサムネ」と言っていたコマーシャルがありました。宮城県の人に悪いよ。五木ひろしのことを、「ゴキヒロシ」というのは論外。ゴキブリではないんだから。私は、鬼島君(きじま君)のことを、「オニシマ君」といってえらい憤慨されたことがある。鬼のような形相で。カープの殿堂入りした外木場投手(ソトコバ投手)のことを、巨人の川上前監督は、「ソトキバ」と呼んでいた。そういえば巨人戦キバを向いてほえていたからね。よほどむかついたのでしょう。日下(くさか)さんのことを、「ヒシタ」さんと呼ぶのは許せるとしても、芥川さんのことを、「チャガワ」さんというのはやめようよ。アクタガワさんがいっていたけど、「わしはコメディアンかよ。」同僚が得意先の中西副社長のところへFAXを送った。その時わざと「中西福社長」と書いて流した。福がついて来るからいいじゃないですか。そしたらおまえはオレのことをおちょくっているのかと言われた。「兎に角」をずっと「ウサギのツノ」と思っていた。どうも意味不明だと思っていた。「とにかく」が分かったときはとてもうれしく思いました。お洒落のことを「オサケオトシ」と読む人がいた。なんでも読めばいいというもんでもなかろう。ちなみにうちの近くにお洒落(オシャレ)をもじって「シャレオ」という有名な地下街があります。シャレではないがはやっていないらしい。月極駐車場のことを「ゲッキョク」駐車場と言う人もいた。ここは南極でもないのに!相撲の土俵入りで雲龍型と不知火型があるが、不知火型(しらぬいがた)のことを「フチビガタ」と思っていた相撲の大ファンがいた。あんたは幸せな人だね。 チビまるこ。フウテンの寅さんは、「そんな封建的なことをいうな」というところ、「そんなフウケン的なことをいうな」といっていた。さくらがこれが血を分けた兄妹かと唖然としていた。寅さんならそんなこともあり得るね。寅さんの露天の口上はうまかったね。近くに「あさひヶ丘」という町がある。郵便のあて先に「あさひヶ兵」と書いている人がいた。兵庫県の人に悪いよ。
2013.01.15
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森田先生は即席に披露できる芸を豊富に持っていました。29回形外会の記録に載っています。 鶯の谷渡りという芸の紹介があります。1本の紐をたたみに引いていかにも空中を渡っているかのように見せる芸。衣装がすごい。ちょんまげのかつらかぶり黒紋付に赤だすき、尻はしょりで日傘を差すといういでたちで、鶯の谷渡りを披露した。拍手喝采であっという。私は森田先生の生活を真似して日常生活に活かしていますが、もともとはこの興味のあることはなんでも手を出してみるということでした。芸を身につけることから入りました。一人一芸を習得するとみんなが喜びます。自分も芸を覚えるという目標を持てる。結果として外向きの生活に変わってゆきます。それがこうじて今は持ち芸として、サックスの演奏、どしょうすくいの踊り、浪曲と手品の芸、これから先は獅子舞いも教えてもらう予定です。年間20から30の老人ホームの慰問活動をするようになりました。お年寄りが大変喜んで特に戦時中の曲を演奏すると突然感激して泣きだす人がいます。
2013.01.08
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