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先日夏祭りでの仲間のエイサーの踊りです。三線の伴奏で沖縄民謡を歌われました。服装がきらびやかで、打ち鳴らす太鼓もよかった。
2016.08.17
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今年の夏休みは11日から15日までの5日間である。11日は朝早く空き家になっている実家に帰った。朝5時起きだった。1時間30分かけて帰った。早速墓参りをした。その後すぐに部屋の空気を入れ替えて、太陽熱温水器に水を入れた。そして草刈り機を回して草刈り作業をした。同じところを春先から3回から4回刈らないとすぐに伸びてくる。傾斜面は足が滑って大変だった。畑や田圃が多いので仕事はいくらでもある。11頃まで集中して仕事をして、その後はシャワーを浴びて縁側でゆっくりした。風が入ってくるととてもさわやかで、田舎ではクーラーはいらない。こんな贅沢な気持ちの良い風は、都会では味わえないなと思った。帰りの高速道路は渋滞だった。県外ナンバーの車が多かった。里帰りや行楽だろう。12日は今年最高気温になる予報なので、勤務先の植木に水やりに行こうと思う。そり後は図書館で本を読もうと思っている。13日はチンドン屋のイベントの依頼で島根県の方に朝早くから出掛ける。地域の町おこしと老人ホームの慰問である。その後は焼き肉パーティとヤマメの塩焼きが待っているという。温泉にも入れるそうだ。それが終わると、獅子舞、浪曲奇術、しばてん踊り、どじょうすくいなどの稽古がある。一泊して、14日は午前中に帰ってきて、親戚の墓参りに行く。15日はまた田舎に帰り早朝から草刈りである。11日に刈った草は集めて燃やす。時間があれば近くのワイナリーに行こうかと思っている。今の時期なしやブドウも美味しい。こんな状況で今年の夏休みもあわただしいが充実はしている。
2016.08.13
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2016.08.12
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私は森田先生の「鶯の綱渡り」という宴会芸の話を聞いて自分でも取り組んできた。これがやっと実を結び、引っ張りだこ状態になってきた。名刺には、持ち芸として「アルトサックス演奏」「どじょうすくい」「浪曲奇術」「獅子舞」をうたっている。アルトサックスの演奏曲は100曲以上である。最大300名程度のところでソロ演奏できるようになった。多少緊張するが大きな失敗はしていない。今や老人ホーム、町内会のイベント、老人会などで引っ張りだことなった。9月の敬老会シーズンには、ほぼ土曜日曜日、祝日の予定が埋まった。それも1日2ステージを掛け持ちである。普段は勤めがあるために、土曜、日曜、祝日以外はお断りすることが多い。昨日は、午前中は紙芝居大会のオープニングと外での呼び込みでチンドンミュージックを流した。曲は子どもに合わせて、「日本昔ばなし」「アンパンマンのマーチ」「散歩」「崖の上のポニョ」「それいけカープ」などだった。夕方からは町内会の夏祭りに呼ばれた。ここでは、おなじみのチンドン興行のほかに、「どじょうすくい」も披露した。その他、「傘踊り」「南京玉すだれ」「エイサー」などがあった。昨日は沖縄のエイサーが一番盛り上がった。最後は観客の人と一緒に踊りまくっていた。夏祭りのような大勢の人が来る時は、派手な衣装に、威勢のよい踊り、三味、太鼓などの鳴り物がいいようだ。チンドン演奏や獅子舞は50名までが適当だ。どじょうすくい、浪曲奇術は20名程度が映える。依頼を受けた場合はイベントの場所(屋外か、屋内か)、人数は何人か、年代の主力は何十代かを見極めて演目を組み立てる必要があると感じた。これからどこでも老人が増えてくる。老人会、敬老会、町内会、あるいは地域まちおこしなど人が集まる場所では私のような一人一芸を持った人は引っ張りだことなることは確信している。名刺を何人かに配っているが、時々私にも打診がある。出かけているうちに一人一芸、二芸を持った人とたくさん知り合いになった。これが大きかった。今は声をかければ都合がつけば、きてもらえる状態にある。但し、これはお金儲けではダメだと思う。基本はボランティアである。呼ばれるところは何人で出かけても、1万円以内というところが多い。交通費程度である。ところが弁当、持ちかえりビールなどはほとんどついてくる。私が現在プロデュウスできるのは、チンドン屋、三味線のグループ、民謡、手品師、日本舞踊、フラダンス、ウクレレ演奏、南京玉すだれ、傘踊り、ささら踊り、どじょうすくい、落語家などである。私は将来は森田理論の普及と思っているが、こちらもやりがいがありそうだ。森田理論学習で学んで手掛けたことが、広く多くの人に受け入れられて、喜ばれ、自分も生きがいを持てて最高の気分である。ちなみにこれらに取り組み始めたのは約5年前のことである。
2016.07.31
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一昨日はマンションの管理人の仕事をしていた人たちと暑気払い兼カラオケに行った。気の合う仲間5名だった。私は音痴でカラオケが大の苦手だった。「食わず嫌いの一品」だったのである。誘われるままに何回も参加しているうちに雰囲気が好きになった。上手な人の歌声を聞いているとこちらまで楽しくなってくる。それにしても最近はカラオケが上手な人が多いいのに驚く。私以外の4人とも上手なのだ。どこで練習しているのだろうかと不思議に思っている。私は積極的に歌うというより、人が3曲歌って、催促をされて1曲歌うというスタンスをとっている。全くの音痴では自分も楽しめないし、聴いている人も決して気分はよくないだろう。でも歌というのは自分に向いた歌いやすい曲があるものである。それをyou‐tubeの歌声に合わせて家で練習している。何回も歌手の歌声を聴いて練習をしていると、まあ恥をかかない程度にはなる。私の歌う歌はいつも決まっている。歌詞カードで探してはじめて歌うという曲はない。リストアップした曲しか歌わない。「長生き音頭」「しあわせ音頭」「還暦祝い唄」「夢追い酒」「二人酒」「博多時雨」「栄冠よ君に輝け」である。「奥飛騨慕情」もリストアップして何回も練習していたが、上手にならないのでやめた。「博多時雨」が一番しっくりくる。次に「還暦祝い歌」である。「長生き音頭」は面白おかしく歌う曲なので、うまい下手は関係ないようだ。昨日歌の上手な人が「あなたは山川豊の「夜桜」が合っているかもしれない」と教えてくれた。早速you‐tubeで聴いてみた。今度はこれをモノにしてみたいと思っている。冷たい世間の 無情より骨身にしみる お前のやつれ顔あなたと生きて行けるなら苦労も愉しいと俺を気づかう 片えくぼ可愛いやつだよ お前ってやつは
2016.07.30
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マツダスタジアムはコンコースがあって内野でも外野でもどこでも観戦できます。今年はチケットが手に入りません。25年も優勝から遠ざかっている球団です。マエケンが抜けたあとでチャンスが巡ってくるとは思いませんでした。私が応援しているのは鈴木誠也選手です。
2016.07.17
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伊勢神宮参拝、二見浦の公演からやっと帰ってきた。行きは18日朝5時30分に車で広島を出発して内宮に12時過ぎに着いた。帰りは19日14時30分に二見浦を出て23時50分に帰ってきた。休憩は福山、吉備、三木、大津、安濃SAと5カ所で15分程度の休憩をとった。90キロから100キロで走行した。帰りの途中雨が降った。夜間の雨を予想していたが大津SAからは雨は降らなかった。この点は助かった。一番のアクシデントは1日目伊勢西インターで出口を間違えそうになった。同乗者の指示で、あわてて修正したが、後ろからダンプがクラクションを鳴らして後ろにぴったりつけて威嚇してきた。生きた心地がしなかった。4名同乗していたので、みんなに恐ろしい思いをさせてしまった。県外ナンバーの車は多少ゆとりを持って譲ってあげないと、事故につながるのではなかろうか。広島でも3車線が2車線に減少になる時、県外ナンバーの人が車線変更する時に、前の車にぴったりとつけて割り込みさせない人がいる。自分は交通規則に従って運転している。横の空いている車線から前の方に来て割りこませてくれという虫のいいことは決して許さないという心理が働くからだろう。でも県外の人は事情が分からず、急に車線が減少になって困っているのである。せめて一台ぐらいは入れてあげたいものだ。私のトラブルの原因を考えてみた。ここは初めての人にとっては、高速道路出口が分かりにくかった。それでもナビを信じて運転すればよかったのだが、助手席の人が別に指示をするものだから、どっちつかずになった。間違ってもまた修正可能という考えがなく、急に方向を変更したのがまずかった。とっさの判断を要求されるときに、どちらにしようかと迷っていると時間もかかり、右往左往するので、他の人に取り返しのつかない迷惑をかけてしまう。私が悪かったのでどうしようもない。でも事故にならなかったのは神様が助けてくれたとしか言いようがない。高速道路の場合は流れに乗るということが大切である。事前に準備できればネットの地図を拡大して付近をよく確かめておく。そしてシュミレーション通りに流れに乗って走行するしかない。最悪間違えても必ず修正できるのだ。命までとられることはないと割り切ることだ。森田に「迷いのうちの是非は是非ともに非なり」という言葉がある。森田先生は間違った断定から出発した推理・判断は、それがいかに適切であり、道理にかなっていても、結局は間違いであるといわれている。目指している方向が間違っているので徒労に終わってしまう。神経を使い、お金を使いいいことは何もない。不安や恐怖などは、そもそも取り除いて気分をすっきりさせようとすることは間違いだ。少なくとも8割がたはそうである。それを楽になりたいために、いろいろとやりくりを始める。どうにもならない予期不安があるとすぐに回避してしまう。それらはほとんど間違った行動である。なぜかと言えば、最初の出発点が間違っているからである。最初に神経症の不安、恐怖は受け入れるしかないと思っていればよいのだ。それなのに何を勘違いしているのか、なんとしても不安や恐怖を取り除こうとしているのだ。はからいを始めるときりがない。どんどんエスカレートしてくる。勝てるわけもないないのに戦いを挑んでいるのだから、体力やエネルギーを消耗して最後には力尽きてしまう。この場合は森田理論学習で不安の特徴、役割、対処方法をしっかりと学習することが大切になる。それらがしっかりと理解できれば、少なくとも出発点を間違えて自分を苦しめることはなくなる。そのエネルギーを建設的に使うことができて一石二鳥である。チンドン公演はほぼうまく行きました。合計2時間ぐらいでした。見物客も多かった。
2016.06.21
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2016.06.09
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先日2016年度のサラリーマン川柳が発表されました。気に入った作品は、退職金 もらった瞬間 妻ドローン娘来て 「誰もいないの?」 オレいるよ以前面白いと思ったのは続柄 あわてて「妻」を 「毒」と書き土地もある 家もあるのに 居場所なし逆らわず いつも笑顔で 従わず仕事する ふりをするのに 一仕事ハイハイと 軽い返事に 重い腰手術後に メスはあるかと 聞く患者丸投げは どんな技かと 子に聞かれさて、私はよく「なぞなぞ問答」を作って遊んでいます。巨大地震とかけて何と解く子どもの反抗期と解くその心は将来高い確率で必ずやってくる舛添都知事とかけて何と解く子どもを虐待して逮捕された親と解くその心は言い訳ばかりで、多くの人に迷惑をかけたという認識がほとんどない「森田の達人」とかけて何と解くロウソクと解くその心は我が身を削って人を照らす神経症の陶冶とかけて何と解くかさぶたと解くその心はいじくっているとどんどん悪化します私はそれ以外にも、川柳作りと収集、都々逸の収集、ユーモア小話作りや収集、替歌作りなどにも凝っています。これらが現在A4版のレポート用紙で100枚以上たまっている。イヤなことがあった時はこれを取り出して見ていると、いつの間にか笑いが出てきて、自然に心が和んでくる。安定剤や睡眠薬よりも効果があると確信している。神経症の人でユーモア精神満載という人はほとんどいない。いつも難しそうな顔をして、グチ、不平不満、人の悪口を言っているようなイメージである。本人は注意が自己内省的で、自己否定している状態だから苦しいのである。そんな人にぜひ川柳作りと収集、都々逸の収集、ユーモア小話作りや収集、替歌作りをお勧めしたい。それ以外にもカラオケ、コーラス、ダンス、楽器の演奏等もいいと思う。川柳は生活の発見誌の1月号に披露されている。それを目指して1年間作ってストックしておけば気に入ったものができるかもしれない。その他新聞などにも投稿してもよい。都々逸は、「信州信濃の 新そばよりも わたしゃあなたの そばがいい」というようなものだ。7、7、7、5でできている。男女の機微を歌ったものが多い。これを三味線に合わせて料亭などで楽しんだものであろう。ユーモア小話は、最初は収集から始めるとよい。苦しい時はそれを眺めてみることです。効果がありますよ。そのうち自分でも作ってみる。ユーモア小話はネタ集めが重要だ。珍しい話、失敗した話、カン違いのネタ、ヒョウタンから駒の話、子どもネタ、食べ物ネタなどその気になればいくらでも転がっている。それをメモしてストックしておくことだ。これは磨けば光る原石のようなものだ。それをいくつか組み合わせて面白小話として2、3分にまとめることだ。そして集談会等の場で披露して見ることがさらに上達できる。以前の発見誌にのったものを紹介します。ある人の日記。昨日服用した「ハッキリA」はいまいち効果がなかった。今日は新しく「スッキリS錠」を試してみた。・・・が、「パッチリM」に比べて、パンチが弱いので、「シャッキリ」と混ぜて飲んだら少し効いた気がした。まあ、口当たりからすると、「シッチャカ」と「メッチャカ」あたりが好みだ。噛みしめたときにほのかな甘みが口の中に拡がるのは「プッツンAM錠」だった。ミイの悩みわたし、ネコとして失格なんでしょうか。ネズミ一匹捕まえられないなんてクヤシイ!今まであの憎きチュー吉を捕まえようとして障子紙は破るわ、パパさんの大事な盆栽の鉢植えを落して割るわ、ヘマばっかり。「お隣のタマは1日に3匹も捕まえるんですって、感心ね」なんてママさんはイヤミを言うし、私のプライドはズタズタ。こんな自分自身が情けないやら腹が立つやら、落ち込んでいます。集談会でこんな楽しい話がどんどん出てくるようになると、参加者が集まるようになるでしょうね。ついでにこんなところに注意が向いている人は、神経症に振り回されなくなっているのです。
2016.06.01
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このランは葉っぱが少なくなり、枯れるのかと思っていましたがきれいな花が咲きました。うれしいものです。ミニトマトもすくすくと大きく育っています。
2016.05.15
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2016.05.07
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山の上に岩国城があります。ここにはロープーウェイで登ります。錦帯橋の向こうは吉香公園があります。とても見どころの多い公園になっています。中国地方に旅行する人は、レンターカーで宮島、錦帯橋、津和野、秋吉台、萩などを巡る人が多いようです。
2016.05.04
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大阪に万博公園があります。とても広いです。その一角に日本庭園があります。そこで以前撮影したフジです。大きな池もあり見どころ満載だと思います。
2016.05.02
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大分県の高崎山のサルは、基本は野生の猿だが、ある程度人間に飼いならされている。観光客が威嚇したり危害を加えない限り、サルの方から人間に危害を加えることはない。だから近くで飼育員の説明を聞きながらサルの観察ができる。群れはA群、B群、C群と3群だったが、縄張り争いでA群は負けて消滅した。現在はB群とC群だけだ。平成28年1月現在、B群732頭、C群790頭だそうだ。これは世界最大級の群れだそうだ。オスのサルの序列ははっきり決まっている。若くて力があるものの序列が上かというとそうではない。その群れの中で長く生活している順に序列が決まる。長生きのサルは30歳ぐらい(人間でいうと100歳ぐらい)だそうだ。上から5番目ぐらいまでの序列のサルは尻尾を上にあげている。威厳を示しているのだろう。ところが仮に自分より上の序列のサルが目の前に来ると、サッと尻尾を下げて敬意を示す。たとえ目の前に食べ物があっても、下の序列のサルが食べるということはない。先輩のサルを立てているのである。サルは歳をとり体の自由が利かなくなると、群れから離れて一人で死んでいくという。またオスのサルは4歳ぐらいになると群れを離れて、他の群れに移ってしまう。奇形児が生まれないように自然にそうしているそうだ。メスのサルは同じ群れ内にとどまり一生を過ごす。若くて力のあるオスザルは人気がある。さらに思いやりのあるサルは人気がある。飼育員の話によると、自己中心的な行動ばかりとるオスザルはメスザルから嫌われる。普通はつがいのような関係になり、オスザルの周りにいて毛づくろいをするメスザルがいる。ところが自己中心的なオスザルにはメスザルがよりつかないそうだ。そうしたオスザルが一匹木の上に登りはげしく木を揺らしていた。あれはメスザル達に俺はこんなに力があるのだと見せつけているのだという。でもメスザルたちの視線は冷たい。嫌われているのである。これは自己愛性人格障害の人の特徴そのものだった。この障害の特徴は、無自覚と過剰警戒の2つである。つまり自己中心で他人に対して配慮が全くできない人。さらに自分はすごい能力を持っておると思いこんでおり、必要以上に見せびらかす人である。サルの世界にも同じようなタイプのものがいることに驚いた。そういうタイプは社会の中に溶け込むことが難しいのである。
2016.04.05
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桜が咲いてきました。岩国錦帯橋近くです。
2016.03.31
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今日はとてもいい天気でした。防府天満宮の紅白の梅が満開でした。チンドン演奏で呼ばれて行きました。
2016.02.28
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2月6日の富士山の姿です。とても雄大に見えました。
2016.02.07
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与島から香川県を望む。瀬戸大橋は道路の下は鉄道が走っています。瀬戸内海は穏やかでいいですね。広島県はミカン畑、オリーブ畑がいっぱいです。島から島へ、島から本土へお嫁に行く港港でかかっていた曲は「瀬戸の花嫁」です。
2016.01.31
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この絵は1962年放浪画家、山下清さんが広島の蕎麦屋に立ち寄られたときに描かれたものです。その時は若い女性が付き添って面倒を見ておられたそうです。それにしてもうまい絵ですね。
2016.01.30
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今日は老人ホームで獅子舞と楽器演奏を行ってきました。その他、三味線、手品、どじょうすくい、南京玉すだれの人もおられました。1時間の時間でしたが大変喜んでもらいました。獅子舞のあと、頭を噛むと運が向くといって何人もの人が並ばれました。
2016.01.09
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服たちのささやきを聞いてみましょうもう嫌になっちゃう。こんなに洋服ダンスにギュウギュウに押し込められちって。一睡の余地もない。満員電車並みなんだから。私なんか身動きが取れなくて、袖や襟もとなんかシワくちゃだらけなのよ。込み合い過ぎて息がつまりそうよ。でもね、私なんかまだいい方かもしれない。古くからいた人なんか引戸のタンスの中に、これでもかというぐらいに押し込められて、せんべい布団状態なのよ。それから洋服ダンスの下や段ボールに入れられている人もかわいそうよね。もう邪魔者って言うのが見え見えじゃない。もうあの人たちの顔を見ることは多分ないだろうと思っているのよ。私ね、あなたがうらやましい。ご主人にひいきにしてもらって。しょっちゅういろんなところに連れて行ってもらって。気持ちよい風にあたったり、お天とうさんにあたったりしてるじゃない。時にはクリーニングに出してもらって、その度ごとにますます磨きがかかっているじゃない。この家ではあなたが一番の出世頭だとみんなで話しているのよ。私なんか最初ここの家に来てほんとによかったと思っていたのよ。これからは精一杯ご主人さまのお役に立とうと思っていたのよ。2、3回ぐらい外に連れて行ってもらったかな。あの時はほんとに楽しかった。でもそのうち、お前はちょっと寸足らずだとか、スタイルが変だとか、顔色が悪いとか言われて無視されだしたのよ。だから最近ストレスがたまるばかりなのよ。特に梅雨の時期はしんどいよね。カビさんたちがよってくるのよ。私なんか木綿や麻でできているでしょ。カビさんに好かれるたちなのよ。そこからどんどんシミが広がっちゃうのよ。このままでは全身にシミが広がっちゃうわ。もう元には戻れないかもしれない。この間はネズミさんがやってきて、久しぶりに美味しいものが食べれるとかいうのよ。ウールさんが一番好みみたいよ。その次に私たち木綿、絹、麻が好みみたいなの。だからネズミさんの足音がするといつもびくびくしているのよ。そうそう、この前親戚の子どもたちがやってきて、ご主人さんが私たちの仲間をたくさん里子に出したのよ。10人ぐらい昔の仲間がもらわれていったのよ。多分、心機一転、頑張ってるんじゃないかと思っているんだけど。私は以前、バザーとかいうところに行ったことがあるの。一緒に行った仲間は喜んでもらわれて行っちゃった。別れるのはつらかったけど、働き場所が見つかってみんなで喜びあったわ。私たち服はご主人さまに着てもらって始めて価値があるんだからね。でも私は、「ちょっと今の時代に合わないわ」と言われてしかたなく出戻りしたの。その時はショックで落胆したわ。もうこれで私の人生終わったと思ったの。ご主人さまの友達に聞いたらね。四季に応じて服は収めたり、出したりしているんですって。そのたびごとに洗濯したり、天日干し、陰干しもしてくれているんだって。私もそんな家にもらわれたかった。今のご主人様では無理よね。わたしは一回ご主人に聞いてみたいことがあるのよ。私たちがいるのに、どうして、どんどん新しい服を買うんですか。私たち古株の服に対してあて付けをしているんですか。それで私たちがどんなに傷ついているのか考えたことがあるんですか。せめて1年に1回でもいいから外に連れて行ってほしい。私だけでなく、他のみんなも1年に1回でいいから外の空気を吸わせてあげてほしい。多分ご主人様はこう言うと思うの。「服の分際でご主人様に意見するのか」「そんな奴は資源ごみに出してしまうぞ」それがつらいよね。ご主人様が森田理論を学習してそのあたりのことを察してくれるといいんだけどね。
2015.12.27
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12月の広島の100メーター道路の風物詩です。
2015.12.25
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久しぶりにユーモア小話を作ってみました。最近夫が夜遅く帰ってくる。もう何日も家で夕食をとったことがない。そしてアルコールの匂いをプンプンさせている。風呂からあがると、テレビを見ながらそのままソファーで寝てしまう。妻「ああイヤだ。いっそ離婚して自由に暮らしたい。でも将来の生活設計が立たない。どうしたらいいの」スナックのママをしている友人が、「私の接客法を試してみなさいよ」という。ママ「まず化粧は手を抜いてはダメよ。身なりも小奇麗にしておくの」そして夫が帰ってくるとこう言うのよ。「まあー、お久しぶり。首を長くして待っていたのよ」つぎに、すかさず「お絞り」と気のきいたビールのつまみを出すの。夫がビールを飲み干すと「まあー、いい飲みっぷり。ほれぼれしちゃうわ」カラオケ設備があればなおいいわね。夫に18番を歌わせて、「まあー、お上手ね。これならプロの歌手も真っ青よ」上司や得意先のグチを言い出したら、「分かるわ、その気持ち。つらいわね。出来ることなら代わってあげたいわ」旦那が「もう帰る」と言ったら、「水臭いわね。今夜は泊って行ってもいいのよ」と、その後に期待を持たせるのよ。妻「いまさらそんな歯の浮いたようなこと、冗談でも言えないわ」ママ「あなたなら大丈夫よ。だって、虫歯の治療で歯が浮いているじゃない」チャン チャン
2015.12.25
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森田理論の「生の欲望の発揮」を応用し、難病治療中の人たちに夢と希望を与えておられる、生きがい療法および生きがい療法ユニオンの人たちに敬意を表して、替え歌を作りました。セミプロ級の人に吹きこみを頼み、いずれ大きな場所で披露したいと思っております。また私がアルトサックスで伴奏もしたいと考えております。生きがい療法賛歌 (谷村新司のすばるの替歌)岡山の 新倉敷 降り立てば 名医がいる希望に向かう 光が きっと見えてくるはずだあーあ 消えていく ガン細胞たちよそして どんどんと 力がみなぎる我は行く あきらめず 前を向いてありがとう 生きがい 療法ありがとう 生きがい ユニオン恐ろしく 目がくらんで 悲しくて 立ちあがれず苦しみ抜いて この先 明るい希望は見えずあーあ もうダメだ 破滅の人生よ誰か 今すぐに この身を 助けよ大丈夫 あなたには 森田がある大丈夫 森田 療法大丈夫 森田 学習(元歌)目を閉じて 何も見えず 悲しくて 目を開ければ荒野に向かう 道より 他に見えるものはなしあーあ 砕け散る さだめの星たちよせめて ひそやかに この身を 照らせよ我は行く 青白き 頬のままに我は行く さらば すばるよ我は行く さらば すばるよ
2015.12.17
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今日は広島集談会の忘年会でした。18名参加でビンゴゲーム、カラオケ、余興の数々で盛り上がりました。私は、青い山脈の替歌で、「森田とともに」をみんなで歌う段取りをしました。中には歌詞をカメラに収める人もいました。そして極めつけは、高知県で伝わる「しばてん踊り」でした。私は神経症克服には一人一芸が大いに役立つという立場をとっております。ここは森田理論学習の空白地帯です。皆さんに早く気付いてもらいたいと切に願っております。
2015.12.13
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私はどじょうすくい1級の腕前です。3級から始まって、2級、1級なのです。この先検定を受ければ初段、2段、3段、準師範、師範と続きます。ただ私は検定にはあまり関心はありません。この写真は、安来節演芸館で撮りました。私も数多く踊ってきましたが、自分の写真がないのでやむなく代用品を載せてみます。
2015.11.25
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私は老人ホームの慰問活動をしています。その時に奉納獅子舞いの「江戸寿獅子」を舞うことがあります。大きな獅子のほうで舞います。これは本来高価なものですが、友人がほぼ無償で作ってくれたものです。約3キロぐらいあります。小さい獅子は宴会などでにぎやかしで使うものです。黒子の衣装で操ります。
2015.11.24
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海から見た宮島の大鳥居です。いまは引き潮です。宮島は弥山(ミセン)という山があり、ロープウェイで行けます。いくつものハイキングコースがあります。頂上から見た日の出は最高です。また穏やかな瀬戸内の海がパノラマのように広がります。そこには牡蠣いかだが浮かんでいます。
2015.11.23
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数年前に市民菜園を借りてキュウリ、ナス、ピーマン、ミニトマトを作っていました。その時のキュウリです。キュウリやナスの漬物を作っていました。今はくじに外れて畑が貸してもらえません。でも、自分の食べる野菜は自分で作りたい。その夢は必ず実現したいと思っています。
2015.11.21
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大阪に単身赴任の時に行きました。紅葉まっ盛りの天龍寺、常寂光寺、落柿舎、二尊院、袛王寺、化野念仏寺のハイキングは最高でした。あと京都は、サントリー山崎ウィスキー工場、サントリー京都ビール工場もお気に入りでした。ウィスキー山崎10年物とプレミアムモルツの試飲のあと、淀の京都競馬場で競馬を楽しんだのがいい思い出です。
2015.11.20
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チンドン屋で公民館祭りで宣伝に行ってきました。老人ホーム慰問、地域のイベントで引っ張りだこです。これにゴロス(タイコ)が加わればフルメンバーです。後ろでアルトサックスを吹いているのが私です。
2015.11.19
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自然の脅威を感じました。人間は「あるがま」に自然を受け入れるしかない。そんなことを感じさせてくれる場所です。「21世紀に残したい日本の自然100選」に選ばれています。
2015.11.17
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2015.11.16
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2015.11.15
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私は以前金魚を飼っていた。優雅に泳ぐ姿になんともいえない癒しを感じたのである。2009年10月17日のことだった。日記に書いている。赤いリュウキン、白に頭に赤い模様のある丹頂が我が家にやってきた。いつも見ても飽きない。リュウキンが丹頂を追いかけまわすのが気になったがそれ以外は気にならなかった。金魚の隠れ家や水草も入れた。酸素補給の泡の出るものは入れなかった。言われたように外付け濾過機をつけた。砂も引いた。水も1日バケツで放置してカルキを抜いた。カルキ抜き材も使った。濾過機のフィルターはすぐに汚れるので汚れるたびに取り換えていた。金魚はフンをよくするので水槽内が汚れるので、半月か1カ月に1回は掃除をしていた。水槽をこすり磨いた。砂はフンを取り除いて、ごしごし洗った。そして水は今までのものを3分一ほど残してまずそれを入れた。そして1昼夜寝かせた水を入れて、金魚を戻した。餌は金魚屋で買った浮き餌を与えた。毎日仕事から帰って餌やりをしていた。最初の頃は餌を与えると飛びつくように食べていたがそのうち食欲がなくなった。食べ残った餌が濾過機の周辺でへばりつくので難儀した。金魚は最低でも10年は生きるといわれていたので成長を楽しみにしていた。ところが2011年に相次いで死んでしまった。我が家にやってきて2年の命だった。仕事の出入り業者の人で金魚に詳しい人がいた。その方に飼い方をについて聞いてみた。するといろいろと参考になるアドバイスをしてもらった。その人が言うには、金魚はとてもデリケートで環境の変化がとてもストレスになっていること。だからたびたび水替えをするとストレスになる。なるべく水替えをしない方がよいという。では水槽が汚れるのはどうしたらよいのか。その方が言うには、それは水槽内のバクテリアを育てて、バクテリアに分解してもらうのだという。水質浄化のためにバクテリアの力を借りないと金魚は死んでしまうという。金魚はとてもフンをよくする。これは砂の上に堆積するので時々とる必要がある。その時砂をゴシゴシ洗ってはいけない。フンだけをすくいとってやる。そういう専門のポンプを売っているという。砂の中には大切なバクテリアがたくさん住みついている。また餌はやり過ぎだという。金魚は10日ぐらい餌を食べなくても死なないという。私は金魚屋の簡単な説明を聞いただけで飼い始めたのがよくなかったと思った。今はインターネットで金魚の飼い方を根掘り葉掘り調べことができる。飼い方の基礎を学び、くわしい人に指導してもらうという事を怠っていた。基礎的な知識ががないままに、自分勝手に飼っていたのだ。金魚の気持ちが分かるほど、よく学習して、観察していれば15年ぐらい長生きすることができたかもしれない。考えてみれば森田理論学習もそうだ。聞きかじりで森田は分かったというのはほどんど自分のプラスにならない。いいところ取りの学習を断片的に続けただけでは、観念的になり知識だけが身についていく。理論と実践は車の両輪といわれる。理論の車輪が大きくて実践の車輪が小さいと前進できない。観念の空回りになってしまう。観念の空回りは益々症状を悪化させていく。森田理論は系統立てて学ぶことが大切だと思う。私がお勧めするのは、森田理論の基礎編、応用編、生活への応用の3段階に分けて、3年ぐらいをめどにして行う。またのんべんだらりと学習するのではなく短期に集中して行うのがよいと思う。3年は長いようであるが、森田を生涯にわたって生きる指針にしようと思えば、短い期間である。
2015.09.23
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この映画に樹木希林がでている。樹木さんは全身ガンだそうだ。とてもガンを患っているようには見えない。樹木さんの孫娘も出ている。父親の本木さん似と見た。樹木さんの役どころは、若いころにらい病にかかり一生療養所暮らしの老女を演じている。監督の河瀬直美監督は、撮影期間中ずっと役になりきってくださいと言われていたそうだ。休憩時間などもその姿勢を求められて大変だったようです。この老女はどら焼きに入れる「あん」作りにはこだわりを持っているのだ。小豆に語りかけように、手間暇をかけて「あん」作りをする姿に胸をうたれた。ものそのものになりきるというのはこのことだなと思った。おかげで行列のできるどら焼き屋になった。最後にこの老女の言葉を紹介する。人間見るものがあって生まれてきたのだ。その見るものを見ただけでも生まれてきた価値がある。みんな何らかの苦悩、運命を背負って生まれてくる。らい病になるのもそうだ。私たちの神経症もそうだ。それに出会っただけでも、生まれてきた価値があるということであろうか。感動した映画の紹介でした。
2015.07.11
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私は大福もちが好物なのだが甘過ぎるのには閉口している。もう少し甘さを抑えた小豆本来の味を出してもらえないものだろうか。先日お土産でいただいたものは甘さ控えめでこれぞ大福もちという気持ちだった。「いい仕事をしていますね」という言葉が自然に出てきた。草柳大蔵氏が「人は生きてきたようにしか死なない」(保健同人社)という本に、本来の蓬餅の製法について書かれていた。20ページである。それによると蓬餅は、まず、川の土堤に出て蓬を摘む。土堤のどのあたりの、どの程度の日当たりの、もちろんどのくらいの寸法のものがよいか、間違いなく見わけながら摘んでくる。餅を作る材料はモチ米とウルチの粉を半分づつ、別々に蒸かし、木臼の中で混ぜて搗く。搗きながら一升の餅に対して白砂糖を小さな盃に3杯ほど入れ、餅がやわらかいうちに徐々に蓬を入れて、餅がだんだん濃い緑に変わるようなテンポで搗きすすめる。次にアンの作り方だが、まずアズキを前の晩から水に浸し、一旦煮込んでから皮をすべてとる。この仕事でアズキのアクがなくなる。皮をとったアズキを鍋に入れ、熱を加えながら砂糖を入れるが、肝心なことは、できあがる頃合いを見計らって、ホンの少し手前で耳かきに2、3杯ほどの岩塩を加える。塩が甘さを抑制する。手間暇をかけて、丁寧に作り方の段階を阿吽の呼吸で踏んでゆくから人に感動を与えるような本物の蓬餅ができるのですね。たかが蓬餅、されど蓬餅だと思います。これをアンは甘ければ甘いほどお客は喜ぶものだというような先入観で作られては、食べる人はたまらない苦痛を味わうことになる。自分が食べる身になって作ってもらいたいものである。これに関連する話として森田先生はこんな話をされている。酒が嫌いな人がお酌をするとき「どうしてこんなものが飲めるのだろう」という気持ちで注ぐと、無理がゆかないで、酒すぎもうまく飲める。だが、「あの人は酒が好きだから」と自分の嫌いということを離れて考えると、加減なしにやたら追いかけ追いかけ酒を注ぐので、いくら酒好きでもたまらなくなる。自分の好き嫌いという感じから出発すると、相手の立場に自分を置き換えて考えることができて思いやりということができる。相手と気持ちが通じる。同情心がでてくる。(森田全集第5巻696ページ)
2015.05.26
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万葉集等には200もの枕詞があるそうだ。枕詞は修飾語であり、内容を示すものではありません。でも枕詞があるなしでは歌のおもむきが全く違います。こういう遊び心は日本人独自のものです。枕詞を見れば、それに続く言葉が、日本人の共通認識として多くの人が分かっていたということがすごいことです。いかに日本人の感性がすぐれているのかを示すものだと思います。神経質者はさらに輪をかけて、するどい感性を持ち合せていることを自覚して、活かしていくべきだと思います。私の好きな歌をあげてみます。あかねさす 紫野(むらさきの)行き 標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや君が袖(そで)振る 「あかねさす」は「紫」の枕詞です。美し(うまし)国そ 秋津島(あきづしま) 大和の国は 「秋津島」は「大和」の枕詞です。あしびきの 山鳥(やまどり)の尾の しだり尾の長々し夜を ひとりかも寝む 「あしびきの」は「山」にかかる枕詞です。あおによし 奈良の京は 咲く花の にほうがごとく いまさかりなり「あおによし」は「奈良」の枕詞です。石走(いわばし)る 垂水(たるみ)の上の さわらびの 萌(も)え出(い)づる春に なりにけるかも 「いわばしる」は「垂水」にかかる枕詞です。春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山 「白妙の」は「衣」にかかる枕詞です。たらちねの 母が 手はなれ かくばかり なすべき事は いまだ為(せ)なくに 「たらちねの」は「母」にかかる枕詞です。ちはやぶる 神代(かみよ)も聞かず 竜田川(たつたがわ)韓紅(からくれなゐ)に水くくるとは 「ちはやぶる」は「神」にかかる枕詞です。居明かして 君をば待たむ ぬばたまの 我が黒髪に 霜は降るとも 「ぬまたばの」は「黒」にかかる枕詞です。ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心(しづごころ)なく 花の散るらむ 「ひさかたの」は「光」にかかる枕詞です。興味があれば現代語訳をネットで検索してみてください。万葉集や古今集を味わっていると自然を愛でて、家族や愛する人の思いやりにあふれている人々の多さに驚きを隠せません。さらに、さまざまな枕詞のなんともいえない語感がとても心地よいことに癒されます。人生にはこういうちょっとした楽しみ方もあるということです。神経質者がこういう楽しみを沢山持って、無上の喜びを感じることができるようになると、人間に生れてきたことの意義を噛みしめることができるようになります。私たち神経質者は、鋭い感性を活かして小さいことでもっともっと人生を楽しみたいものです。
2015.05.18
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私はカラオケが嫌いでした。懇親会の後でカラオケということがよくあります。お誘いがあっても何かと理由をつけて逃げていました。恥をかきたくないというのが正直な気持ちなのです。でもそこは神経質です。負けず嫌いなのです。なんとか人並みに歌えるようになりたいのです。最近安いテレビ接続のカラオケマイクが手に入り本格的に挑戦してみることにしました。曲は「奥飛騨慕情」「夢追い酒」の2曲に決めました。歌ってみると80点台の点数しかつきません。カラオケファンはお分かりと思いますが、これは相当下手な方です。そこでPCM録音機に録音して聞いてみました。歌になっていないなと思いました。特に高音がでていない。低音も苦しい。音程が悪い。そこで「カラオケを楽しむ」(芳賀邦比庫 ドレミ楽譜出版)という本を買ってきました。この本はCDがついており実際に芳賀先生が指導しておられました。この本を読んで分かったことは、腹式発声で声をしっかり前に出すこと。「おうあえい」と言う母音の基礎発生を繰返す必要があるということ。声量を増やすトレーニングをする必要があることなどでした。これらを一日15分から30分ぐらい指導項目に従ってやってみました。始めて2カ月ぐらいです。もっとやる必要があるのですが、発声練習する場所がないのが悩みの種です。それから楽譜を研究してみました。楽譜を見ていると音程の高いところと低いところがすぐに分かります。楽器では半音違うと全く演奏にはなりません。歌唱は音程の高低がよく分からないのが難しいところです。また音の長さもしっかり意識しないといけないことも分かりました。次にプロが歌唱しているものをYou Tubeから録音して、小節ごとにリピート機能を使って繰り返し聞いてみました。すると母音を大切に歌っているということがよく分かりました。特に高音部や伸ばすところは母音をきれいに出していたのが分かりました。例えば奥飛騨慕情です。「かあぜのお うわさに ひいとりきてえ ゆうのかあ こいしい おおくうひだじ みいずのお ながれえもお そおのまあまあにい きみはあ いでゆのお ねおん花・・・」母音のところは、伸ばしたり力を入れて歌っていたのです。これはすぐに意識して歌うことができました。それとウォーミングアップなしでいきなり歌うと調子が悪いことにも気がつきました。5分から10分ウォーミングアップをすると全然違うようです。いろんなことに気がつき、発見があり工夫していると、あれほど毛嫌いしていたカラオケに夢中になっていました。私はリズム感などの歌唱テクニックは天性のもので私には縁のないものと思っていました。ある人からそれは認識が甘いと言われました。努力不足だと言われました。歌唱が上手な人は意外なことによく訓練しているのだそうです。私は天性のもので努力なんかは関係ないと思っていたのです。声の質はどうにもならないが、歌唱は誰でも基礎をしっかり学べばそれなりに楽しむことができる。その証拠に森進一や桂銀淑などは美声とはいえません。ガラガラ声です。普通は歌唱には向いていないとあきらめやすいところです。でもかすれたようなガラガラ声を逆手にとってその特性をプラスに活かして、人生の悲哀を歌ってゆけば普通以上に共感を得ることもできる。私の声の質も普通の人とだいぶ変わっています。最初からできないものと決めつけて、カラオケを「食わず嫌いの一品」にしていたのだなと思いました。最近この2曲はなんとかたまに90点台がでるようになりました。まだまだばらつきがあります。自信を持って歌った曲が90点以下だとがっかりです。でも練習を積んでこの2曲を無難に歌えるようになりたいものです。歌っていると自分にはもっとあった曲があるのではないかと思ってしまいます。でも当分は、あれもこれもと欲をかかずにこの2曲を十八番にして歌っていこうかなと思っているところです。話は変わりますが、桂銀淑の「花のように 鳥のように」を聴いてみてください。「あるがまま」の生き方が幸せに近いと歌っています。森田そのものだなと思っています。
2015.05.04
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私はユーモア小話などの収集の趣味がある。2014年5月4日、5日、11月2日投稿文も併せてお読みください。最近集めたコレクションを紹介しよう。全然泳げなかった77歳のおばあさんが、急にスイミングスクールに通いだした。コーチがわけを尋ねると、「三途の川を泳いで渡りたいから」という。5m、10m、30mとどんどん泳げるようになって、とうとう200mまで泳げるようになった。すると、お嫁さんがすっ飛んできて、コーチに頼んだ。「お願いですから、ターンは教えないでください。」子どもと父親の会話父親 成績表を見ると、お前は「行為」がDで、「礼儀」がAなのだが、一体これはどういうことかね。子供 友達を蹴飛ばすたびにすぐに謝ってるってこと。荒海で船が沈み、みんな救命ボートに乗り移ろうとした。大勢の為全員乗りこめない。船長が指揮をとり、若い男性に救命着をつけて海に飛び込んでもらうことにした。船長はそれぞれの国にふさわしい言い方を工夫した。イギリス人には「あなたは紳士ですね」という。「もちろんです」といって飛び込む。ドイツ人には「船長の命令に従え」といえば黙って飛び込む。アメリカ人には「生命保険を沢山かけたよ」と言うと飛び込む。イタリア人には「飛び込んではいけないよ」と言うと飛び込む。イタリア人は権威が嫌いで、御上の命令に従うのは大嫌いだからだ。さて、日本人には、目立たないように耳元で「皆さまが飛び込んでいらっしゃいますよ」と言えば飛び込む。次にクイズ。白豆と黒豆を一緒に炊きました。炊きあがったら、白豆と黒豆をバッと2つに分けることができました。どうしてでしょう。答え 白豆と黒豆は一粒ずつだった。マンションの10階の窓から飛び降りました。怪我もせず、命も無事でした。どうしてでしょう。答え 窓の外へ飛んだのではなく、家の中に飛んだ続いて面白い川柳。厨房で チンと音する レストラン骨粗鬆 文字は意外と つまってるお転婆に 婆が転ぶは ないだろう鄙びてる じっくり見れば 寂れてる患者より 顔色悪い 夜勤明け非番の日 「看護婦さん」と 母が呼ぶ感染に とらわれすぎて 風邪をひく何にでも 効く温泉で 風邪をひき痴呆介護 「ボケたくないね」と 言う患者徘徊を 訓練中と 言う患者脳外科に 頭切れない 医者がいる目薬を アーンして待つ 患者さん停滞で 前の車の 子をあやす朝寝して 宵寝するまで 昼寝する時々起きて 居眠りをする(ベットサイドのユーモア学 柏木哲夫 MCメディカ出版より引用)
2015.04.30
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笑いのある生活は精神の健康を保つために大変役立つ。岡山で「生きがい療法」をされている伊丹仁朗先生はユーモア療法などに取り組まれている。ユーモア小話作りは、注意を外部に向けてネタ探しをする。さらに作品として作り上げる過程で創意工夫をする。みんなの前で発表するとドキドキハラハラの体験ができる。みんなを喜ばせて人のために尽くす体験もできる。元手がかからずいいことづくめである。村上和夫先生は笑いが糖尿病患者の血糖値を下げるという実験をされた。25人の糖尿病患者の協力で2日にわたって実施された。1日目は昼食の直後に50分間、医学部の助教授が糖尿病のメカニズムについて講義をされた。あまり面白くはない講義である。次の日はやはり昼食直後に50分間、吉本興業の漫才師に来てもらって大いに笑ってもらう。この2日間、食事などの日常生活は全く同じで、違いは講義と漫才だけ。そして、講義と漫才の前と後で、血糖値を測定し比較した。講義後の血糖値の上昇は平均123ミリグラム、漫才の後は77ミリグラムで46ミリグラムもの差がでてきた。詳しくは「生命のバカ力」村上和夫 講談社参照してください。「とても面白かった」と答えた人が、「そこそこ面白かった」と答えた人よりも余計に下がっていたという。アメリカのジャーナリストのノーマン・カズン氏は、膠原病で治療法がないといわれた。彼は薬をやめて、病室にコミック、面白い映画やテレビ番組のビデオを持ち込み、それを見ては大笑いするようにした。2週間すると、痛みが軽減して退院した。そして数ヵ月後に職場復帰した。その経験をニューイングランド医学誌に発表して、大反響を呼んだ。私はみんなに「一人一芸」を勧めている。自分でも楽器演奏、どじょうすくい、獅子舞、浪曲奇術などを手掛けている。その他アナウンサーのものまね、皿回し、剣玉、替歌、盆踊り、しばてん踊りにも手を出している。さらにユーモア小話作りとその収集まで行っている。川柳作りと収集にも興味を持って取り組んでいる。それらを積極的にみんなの前で公開している。究極は老人ホームや地域イベントでのパフォーマンスだ。これらの活動をしているとエーテン神経(快楽神経)が活性化されていくのをひしひしと感じている。今までは完全に眠っていたのだ。私は元々ネクラと呼ばれて、陰鬱で暗いばかりの人間だったのである。いつも何かに極度に怯えてつらく苦しい生活を送っていたのである。ところがこれらの活動のおかげで、不安や恐怖に敏感に反応する扁桃体の働きが相対的に弱まってきた。エーテン神経が盛んに活動を始めたおかげで、バランスが多少なりともとれてきたのである。私は現在神経症の克服に一つの確信を持っている。森田理論学習の実践編では、笑いやユーモア、一人一芸の習得は避けて通れないものなのではないか。神経質な人は好奇心旺盛で、多彩な趣味を持っている人が多いことはよく知られている。それに加えて自分でもよく笑う。人を笑わせて愉快にさせるということも付け加えていくことをお勧めしたい。
2015.04.23
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今日は替歌6曲作ってセミプロ級の人にカラオケで歌ってもらった。曲は「青い山脈」の替歌で「森田とともに」。「瀬戸の花嫁」の替歌で「瀬戸内支部賛歌」。福岡炭坑節の替歌で「ハチがきた」。水森かおりの「かおり音頭」の替歌でマンションの「管理人音頭」。あと既存の替歌で「青春時代」の替歌で「年金時代」。「お座敷小唄」の替歌で「ボケます音頭」「ボケない音頭」。私はカラオケを上手く歌いたいという気持ちは強いのだが、こんなに音を外す人は珍しいといわれるほどひどいのだ。そこでこの方に白羽の矢を立てたところ、快く引き受けていただいた次第である。この方はさすがにカラオケで100点近くを連発される方だけに素晴らしい美声である。また音程がしっかりしていて聞き惚れた。週に2回3回は本格的に練習されているそうだ。それをPCM録音機に録音させてもらった。この録音機はすぐれものです。ダイレクト録音でCD並みの録音ができる。すでに25時間ぐらいの録音をためている。サックスの練習でも使うので、これなしでは生活に支障があるのです。私はこれを森田理論の支部研修会の懇親会の余興、マンション管理人の仕事仲間の宴会の余興、老人ホームなどの慰問活動で使わせてもらいたいと思っている。マイクで音を拡大すればすぐに使える。みんなに喜んでもらえると思う。ただネックなのは歌詞を模造紙に書いて掲示することである。めくれてしまって見えにくい。またマジックで書いているので見にくい。そうかといって歌詞をいちいちコピーして配布するのは無駄になることが多い。これからの検討課題だ。そういうわけで、替え歌を一つだけおすそ分けします。よかったら各地学習会後の懇親会でカラオケの音楽で歌ってみてください。きっと盛り上がりますよ。森田とともに(青い山脈の替歌)つらく暗い人生に 何度死のうと思ったか森田の理論に 出会ったときからはなんとなく生きる勇気が湧いてきた事実唯真なりきると 心に誓ったあの言葉森田の理論で 毎日生きてますお仕事や家事に勉強 やっています森田先生ありがとう 水谷先生もありがとう森田の理論に出会った人からは うれしくて感謝感激うれし泣き長谷川先生ありがとう 斎藤先生もありがとう森田の理論の学習運動は 全国で今日も集会やっています
2015.04.11
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沖縄の「舞踊集団 花やから」をご紹介します。滑稽な子どもたちの踊りや歌を見ていると、憂鬱な気持ちなどすぐに飛んでいってしまいそうです。小さい女の子がおひねりをあつめる姿が滑稽でした。私も老人ホームの慰問活動をしていますが、「花やから」の踊りや歌を見たり聴いたりすればきっとお年寄りたちも元気を取り戻すと思います。「舞踊集団 花やから」は1997年1月、沖縄の舞踊の明日を担う少女達による子供舞踊集団として結成されました。少女達の舞台での華やかさに「花」の艶やかさ美しさのイメージを重ね合わせ、沖縄の方言で「優れた者、卓越した者」を意味する「やから」と合わせて名付けられたそうです。「舞踊集団 花やから」の舞台は、琉球古典舞踊のほか、琉球舞踊をベースにした民謡・童謡・歌謡の創作舞踊を中心とし、曲間を空けずテンポ良く連続的に展開していきます。歌・三味線のライブコーナーや沖縄の方言での寸劇などでは、従来の琉球舞踊にエンターテーメント性を加味して「沖縄」を表現しています。沖縄県内での公演はもとより、テレビ/CM出演多数。2000年にスタートした全国公演(主催:民主音楽協会)で日本各地を巡業するなど、年間ステージ数は150〜200回に及びます。また、海外公演を行うなど、活躍の場をいっそう広げています。ホームページ参照しました。是非YOU TUBEでご覧ください。たくさんアップされています。皆さんも「一人一芸」にぜひ挑戦してみてください。
2015.04.05
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落語に「長屋の花見」という古典落語がある。長屋の住民はとても貧乏な人が多い。桜の花見の時、卵焼きやかまぼこを持って行きたいけれどもない。そこでどうするかといえば、たくあんを卵焼きだと思っている。大根をかまぼこだと思っている。お茶をお酒だと思っていくわけです。そうすると面白いやり取りになる。「このかまぼこいいね。どこの産だろうな」「そりゃ、練馬でしょう」「このお酒おいしいですね」「どうしておいしんだ」「そりゃ、茶柱が立ってますからね」面白い落語である。こちらまで楽しくなってくる。普通の人間は、そういう貧乏の家に生まれると、運命を呪う。他人をうらやむ。自分で自分を否定する。自己嫌悪の塊となる。他人に対しては隠して取り繕うとする。つまり「かくあるべし」で現実、現状、事実を否定しているのである。否定するところから生まれてくるのは、息苦しさだけである。思想の矛盾で葛藤や悩みを抱えるようになるのである。つまり上から目線で現実を見ているのである。それに対して長屋の住人は違う。現状を認めている。現状から出発して力強く生きている。自分が苦しいから、人の気持ちがよく分かる。長屋の住民は人情豊かに助け合いながら生きている。その中でまったくあきらめているわけではない。お粗末だけれども創意工夫をしている。自分の不幸な運命を隠さずに、公開している。それをユーモアというオブラートに包んで周りの人を楽しませている。目線は下から上を向いているのである。そこには「かくあるべし」はない。どこまでも事実本位、物事本位の態度である。私たちはこういう場合、不幸の身の上を嘆く。そして目につかないように隠す。でも周りの人はお見通しなのだ。隠そうとすると、周りの人はその話題に触れないように、気を配る。そこに注意を払うからとても気疲れするのである。自然に人が離れていく。それが自分の欠点や境遇、ミスや失敗を隠さずに公表すると安心して付き合える。ユーモアというオブラートに包んで提供すると自然に人が集まってくるのである。ユーモア小話にして周囲を楽しませるというのは、すごい能力の持ち主だと思う。
2015.03.13
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映画監督の小津安二郎の作品に「東京物語」というのがあります。老夫婦が広島県尾道市から東京に出てくる。久しぶりに子供たちに会うのを楽しみにしているのである。ところが子どもたちはそれぞれに忙しくて、まともに相手になってくれない。こんなシーンがあった。息子が医院を開業している。息子が日曜日「せっかくいらっしてくださったのですから、東京見物に行きましょう」と約束している。しかし、そこに急患が来て、すぐには行けなくなる。孫たちは、「行くって言っていたのにひどいよ」といって暴れる。おじいちゃんは、その孫たちをなだめたりしている。息子が「すいません、せっかく東京見物に行こうと言っていたのに」と謝っている。おじいちゃんは「まあ、いいよ、いいよ」「仕事が大事だから」と柔らかく応じている。結局東京見物はキャンセルとなる。息子は仕事にかこつけて本当は行きたくなかったのではなかろうか。少し考えると、出発時間を遅らせるか、仕事が終わったあと後から合流すればなんとかなったのではないか。でもおじいちゃんは、不平不満はあっただろうが一言も文句を言わない。これはなぜか。場面が変わって、尾道の自宅でおばあさんが亡くなった。子どもたちが東京から帰ってきた。お葬式の後、子供たちが好き勝手なことをいう。形見をくれ。遺産を分けてくれ。明日野球の試合があるから、もう今日は帰る。不人情なものである。とにかく言いたい放題、やりたい放題とはこのことだ。その時、おじいちゃんはにこにこ笑いながら「そうかい、もう帰えるのかい」といって、一人で静かに酒を飲んでいる。極めて穏やかである。心の奥底でそのように思っていたのであろうか。実はそうではなかったのだ。この映画の中で、東京で広島時代の友人と酒を飲むシーンがあります。その時、おじいちゃんは友人に心のわだかまりをちらっと垣間見せている。「もうちょっと息子がなんとかなっていると思って、東京に出てきてみたら、それがあんた、場末のこまい町医者でさ」息子を徹底的にけなしているのである。息子に対する不平不満がこういうところで出ているのである。この東京物語は、老夫婦と子どもたちの心理描写を描いたものである。おじいちゃんは子供たちの自分たちに対する仕打ちにやりきれない不満を抱いている。気の短いおじいちゃんなら怒りを子供たちにぶちまけていたことだろう。すぐにでも田舎に帰ってしまうことだろう。でもこの老夫婦は決して心の奥底を見せることはなかった。表面上は非常に穏やかであった。はたしてこれでよいのだろうか。この映画は、森田理論を深める上でとても参考になる。森田理論では、直観や第一に湧いてきた感情から出発しなさいという。「純な心」での対応である。この場合普通は、子どもたちの思いやりの無さ、勝手きわまる言動に腹が立つのではなかろうか。あるいは、なんともいえないむなしさ、悲しみが湧いてくではないだろうか。これはまぎれもない「純な心」である。普通は森田ではそこから出発しなさいということになる。でもおじいちゃんがそういう態度に出れば子どもたちと険悪な関係となる。子どもたちにうっとうしがられる。それを知ってか知らずか、おじいちゃんは子供たちに対して不平不満はたくさんあったが、好々爺を演じていた。おじいちゃんは人情を優先していたのだと思う。人情とは人間同士に生じる自然な感情である。これも「純な心」なのである。人情について森田先生はいう。「親父が博打をしていてもそれを警察に届けるような子どもは低能である。どんなに悪いことをする親でも、子供は父親をかばうことから出発しなければならない。それが人情である。」悪を憎むというのもいいが、それよりも人情を優先しないと言われているのである。ここで大事なことは、子供たちへの不平不満があるのも「純な心」である。また子どもたちと険悪な関係になりたくないというのも「純な心」である。「純な心」というものは一筋縄ではないのである。この2つの感情(純な心)の間でどっちつかずの居心地の悪さを感じて揺れ動いている。ここが「純な心」の大事なポイントである。「純な心」は2つの感情のどちらかに大きく片寄った言動として表面化させてはいけないということである。森田理論で言えば精神拮抗作用が働いて、バランス、調和を図ってゆかないといけない。その結果としてのおじいちゃんの言動であったのだ。おじいちゃんの対応は森田的に見て申し分のない対応である。ここは難しいところではあるが、「純な心」それだけを深めていくべきものではないのだろう。「純な心」は精神拮抗作用と関連づけて学習を深めていかないと、迷路にはまってしまう。横道にそれてしまって実生活には役に立たないものになってしまうのではなかろうか。小津安二郎監督の「東京物語」は山田洋二監督も絶賛している。私は森田理論の奥深いテーマを、具体的な映画として提供しているということが素晴らしいことなのだと思う。
2015.03.12
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神経症の人はどうもユーモアとは縁の遠い人が多いようである。生きがい療法ユニオンでは、がん患者さんなどが「ユーモアスピーチ」を作って披露しあっている。伊丹仁朗医師は、ユーモアスピーチの効用について次のように言われている。人の話を聞いて笑うことは、心が非常に愉快になる。これは建設的な前向きな心につながる。笑うということは、プラス感情を強くする効果があり、免疫力のアップにつながる。ユーモアトレーニングは、内向した意識を外向的に変える。一つのことに打ち込めて、目標が持てる。話の組み立てを考えることで創意工夫ができる。みんなの前で発表するのでビクビクハラハラする体験ができる。人を楽しませることが出来る。これに取り組むだけでも、十分神経症を克服することはできるのではないかと考えている。今年の5月5日の投稿で川柳、ユーモア小話などの紹介をしているので見てもらいたい。フランクルという人は、「ユーモアとは自分自身や自分の人生を異なった視点から観察できる柔軟性や客観性が生まれる」と言っている。そういう意味では、ユーモアを心がけることは、神経症を客観的に見て自覚を深めることにつながるということだ。柏木哲夫医師もユーモアとは愛と思いやりであり、死が近づいても人間は笑うことが出来るといわれている。緊張を和らげて、その場を楽しくする潤滑油の役割を果たす。そして次のような川柳や会話を紹介されている。お守りを医者にも付けたい手術前がん細胞正月ぐらいは寝て暮らせ患者さん あと一週間であの世に行けそうです。女医さん 天国へですか?患者さん 私、天国でも、地獄でもいいんで。きっとどちらにもたくさん友達がいると思います。医師 おかげんはどうですか。末期がんの患者さん 先生。お世話になっております。おかげさまで順調に弱っております。医師 いかがですか。風呂上がりの患者さん ちょっと海外旅行に行ってきました。医師 どちらへ?患者さん ニューヨーク(入浴)医師 時差ボケしてませんか?患者さん ちょっとふらつきますが2、3日でおさまるでしょう。認知症で、家と病院の区別がつかなくなった患者さんがいた。医師が患者さんの手をとって、少し振りながら「ここどこだか分かりますか」患者さんの答えは「手首の付け根でしょう」柏木医師 今日のおかげんは如何ですか。患者 病気のことを考えると憂鬱で。でも今日の青空を見ていると、少しはましですね。柏木医師はそんな時は、白衣のポケットにメモを持っている。メモには空と書いてある。そして四角が切ってある。そのメモを取り出して患者さんに見せる。柏木医師 こんな感じですか。患者さん えっ!何のことですか?柏木医師 角を切ってあるでしょ。患者さん ああ、澄み切った空ですね。この小さなユーモアが、うつの改善に役だったそうだ。自分でできない人は川柳やユーモア小話などの収集をして、一日一回は声を出して笑ってみてください。「死にざま」こそ人生 柏木哲夫 朝日新聞出版より一部引用
2014.11.02
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森田正馬全集第5巻の中にハイキングや余興で皆が楽しんだ様子が10回にわたって紹介されている。私は5巻を読むにあたって、この部分から読み始めた。一服の清涼剤のようなものである。13回形外会 東村山貯水池へのピクニック16回形外会 湯河原旅行21回形外会 森田邸新築落成記念兼春期大会23回形外会 熱海旅行27回形外会 多摩御陵・高尾山ピクニック29回形外会 昭和8年新年会34回形外会 熱海旅行37回形外会 秋季大会 高島平三郎先生にお話を聴く会と余興大会38回形外会 奥多摩ピクニック44回形外会 豊島園ピクニック形外会は66回開かれているが、そのなかにこんなに多くのレクリェーションが取り入れられていた。落語家、漫才師、手品師も出てくる。何より面白いのは自分たちで芝居を作ったり、民謡を歌ったり、一人一芸を披露しているのである。森田先生も鶯の谷渡りの芸や高知の民謡を披露している。また近くの寺での盆踊りには、お揃いの浴衣まで作るという凝りようであった。特に第29回形外会では森田先生が自ら鶯の綱渡り芸をされた。その後水谷先生など5名が滑稽劇の「三方一両損」がくわしく紹介されている。また熱海の温泉旅館開業の話もおもしろい。このあたりを自分の生活に取り入れることになると、かなりの森田通とみてよろしい。昔の剣術道場では、剣術をすぐには練習させないで、2年、3年と雑巾かけなどばかりをやらせていたそうです。その過程で、「早く剣の練習がしたいなあ」と思わせ、あこがれをこめたまなざしで練習風景を見続けさせるわけです。そうしてよく見させておいてから、稽古を始めると、いきなりけっこうできてしまう。これから何を学ぶかということですが、森田理論はよくなった人、あるいは森田的生活を体得実践している人をよく観察して真似てみるということだと思います。森田先生の指導内容を整理したり、森田先生の日常生活や芸事などをそのまま真似てみることが有効だと思います。昔から、子供は親の言うことはしないが、親がやっていることをするといいますが、森田をものにするには物まねから入るのがよいと思います。私の手作りの名刺には、アルトサックス演奏、ドジョウ掬い、浪曲奇術、獅子舞をうたっている。今日も今から特別養護老人ホームで、獅子舞をおどり、アルトサックスを吹きに行く。明日は市の身体障害者のイベントに出かける。だから毎日30分から1時間の練習は欠かせない。別にお金をかけなくても十分に楽しむことができる。毎日が楽しい。演芸をすると食事が出たり、お土産をもらったり、寸志もでる。一石二鳥である。また人を喜ばせるのは実に楽しい。人前に立つので今では自信もついてきた。これが対人恐怖症の克服に役立っていたことは後から気がついた。
2014.09.06
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大阪市立科学館に行ってきました。北区中之島にあります。梅田から近くです。ここのブラネタリュームは迫力満点でした。お勧めします。私が見たのは12時からのHAYABUSA(ハヤブサ)でした。小惑星イトカワの岩石を採取して地球に戻ってくるというものでした。 物語風に作ってあり、地球を前にして燃え尽きてしまうというのが悲しみを誘いました。それ以外にもいろんな展示物、実験施設があります。子供さんのおられる方は是非行って見られたらいかがでしょうか。
2014.07.06
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欲望が暴走して失敗する人は多い。それは端で見ているととても面白い。ということは自分もそんな経験があるからである。イッセイ尾形の一人芝居はそこをコントに仕立てている。今一度DVDを借りてみることをお勧めする。「スケベ教師」という女生徒にセクハラを働いた先生が、職員会議で問題になる場面。「根が淫行好きなものですから、多分遺伝でしょうね。親父が満州で戦争をしないでスケベをしてたといいますから。でもまー本人も反省していることですし。あ、すみません。本人て私なんですけど」セクハラは、自分の中にいる別人格の人間がやったことでして、本来の自分ではないんですと言い訳をしています。自分の中にいる別人格の人間はどうしようもないやつでして、私も手を焼いているんですよ。どうにかなりませんでしょうか。本来の自分は子どもを教える能力もあるし、生徒からも信頼が厚い。親御さんからもよい先生だと評価されているんですよ。自分でいうのもなんなんですが、教師の鏡のような人間なんですよ。そういうところはきちんと評価をしていただきたいんですよ。そんな自分勝手なと普通は思います。でもイッセイ尾形の一人芝居を見て、笑い転げる人は、自分にも欲望が暴走して失敗した経験を思い出しているのだと思います。こんな話もあります。「スーパー前」は地下足袋を履いた労務者が、元女房のパート先に現れるネタだ。「としえっ!」と通用口で叫ぶ声は乱暴そのもの。離婚の原因が妻に対する暴力で、警察にも届が出ているというDVの筋立て。「たまには一緒にメシ食おうや」「別れた亭主が訪ねてくるのも悪い気がしないだろう」元女房を慕う気持ちは純粋なのだ。だから客は暴力亭主にあきれながら、その心情にもっとあきれる。嫌われている事実を真心でくつがえそうとして滑稽さと恐ろしさは、笑うしかない。欲望の暴走は、自分の破滅と、他人へ多大なご迷惑をおかけしているというのは百も承知している。でも暴走は止まらないのが現実だ。それが人間の実態だ。森田理論では生の欲望の発揮は一番大切なものとしている。でもその暴走は抑制されなければならない。元々人間には欲望とその制御機能はセットとして人間に備わっているものだという考え方である。サーカスの綱渡りのパーフォーマンスのように、バランスをとる長い棒が必要なのである。それがあるからといって必ずしもバランスが取れるとは限らない。でもバランスが取れやすいことは確かである。森田理論学習で自覚を深め、行動として表現できるようになりたいものです。(間の取れる人間抜けな人 森雄三 祥伝社新書参照)
2014.06.22
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フロイデ シェーネルゲッテル フンケン トホテル アウス エリーズィウム ヴィール ベ トレーテン フォイエル トルンケン ヒム リッヒ シェダイン ハイ リッヒトゥム ダイネ ツァウベル ビンデンビーデル ヴァスディー モーデ シュトレング ゲタイルト アーレ メンシェン・・・・ご存じ年末の恒例行事で歌われる曲です。これはドイツ語です。人類はみな兄弟というような内容です。今年もベートーベンの第九交響曲 第四楽章「歓喜の歌」の練習がいよいよはじまる。近年忙しくて参加できていないが、いずれまた参加したいと思う。今まで年末の合唱に三回参加して来た。いずれも大きな感動を味わってきた。腹の底から声を出して、1000人以上の人と共感しあえます。これはカラオケの苦手な人でも、感動を味わえる曲です。また有名なオーケストラの演奏を後ろから見れます。指揮者の表情豊かな指揮ぶりも真正面から見れます。歌うときは多分指揮者が口パクでアシストしてくれるはずです。たまには有名なソリストが国内外からきます。共演できます。1回参加すれば、歌詞を覚えてしまいますので、2回目からはすんなりと参加できます。隣近所騒音問題のない人は、普段からカラオケに合わせてストレス解消になります。初めての人は7月から、経験者は11月からの練習になります。ソプラノ、アルトは女性。テノール、バスは男性。それぞれのパートは違う歌を歌う。それがハーモニーになって、掛け合いのようになる。どこでも有名な合唱の先生が何人もついて教えてくれる。半年も練習するとドイツ語の歌を暗記してしまう。本番では楽譜を見ることはできない。でも数年かけて完全に歌えるようになればよいという先生もいる。参加費は私の場合は5000円だった。男性は黒い蝶ネクタイ、黒の服装。女性は白いブラウスに、黒いスカートで統一されている。私の参加しているのは合唱団は、1500人から2000人はいる。年齢も小学生から80代までと多彩である。親子で参加している人、兄弟姉妹で参加している人も多い。多くの人の迫力に圧倒される。最後フィナーレを終えると大きな感動に包まれる。終わるとみんなで、ビールで乾杯する。15分から20分の合唱ですが、強烈なインパクトがあります。音楽に興味のある方には、ぜひ参加されることをお勧めいたします。
2014.06.14
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