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今年も確定申告の季節がやってきました。先週より、ミニ按摩器に助けられつつ、実務に励んでいます。マーゴ君は国立の病院で手術したのですが、この時ほど、税金を支払っていて良かった、と思ったことはありません。収めた税金の一部が、このような施設に生かされていると思うと税の大切さも実感です。しかしわが身に降りかからなければ、見えてこないことが多いのも実情です。また、降りかかる火の粉は人様々で、結局はわが身を生きることが優先され、それが次のステップ、人のために、につながる大きな力にもなるのだと思われます。健康診断は、特別悪いところもないとの診断でした。悪いのは頭及び心理、ということかも知れません。
2010.01.31
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年に1度の、市の誕生日健康診断を受診してきました。今回で2度目。メタボの逆の痩せすぎは、生まれつき。結果は後日にわかりますが、消化器内視鏡検査は前回同様ポリープ程度でそれほどでなく、特に異常はありませんでした。心電図は完全右脚ブロックが、いつもどうり。禁煙成功のおかげか、清く正しい心肺眼だと先生に言われてしまいました。ははは。先週はマーゴ君が来ていました。深大寺にお参りがてら、名物深大寺そばをいただきました。麺類大好きは、おじいさんに似たのかな。麺を食べてるときが、一番静か。黙々と手づかみで(食べさせてもらうのが嫌)「つるつる」を食べました。神代植物園にも足をのばして、枯葉のなかに埋もれたり、芝生の広場ではいずったり、バラアイスをほおばったり。アイスにもめがありません。わんぱく・わがまま・甘えん坊・天邪鬼・強情をセットで発揮。いけないと言われていることをわざとして、大人を呼んで反応を見たりする。「怒らせたらばーばが一番怖いんだよ」などと、皆がマーゴに囁いても、私達のらぶらぶはまだまだ続く……?言葉も随分増えました。お友達も増えたそうです。
2010.01.25
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読んでいる本と読もうとしている本●「知能の誕生」ピアジェ は完全にギブアップ。読めんかった。●「幼児の対人関係」メルロ=ポンティ、は面白い。 母親していたときは、主に母親幻想についての岸田秀氏の著作を読んでいたが、子供に関する心理学や科学的な本は読む余裕がなかった。ここに来て、身近な問題としても興味が強く湧いてきた。●「唯脳論」養老孟司氏の著作は何冊か読んでいるが、肝心のところにやっと近づいてみたくなった。●「意識とは何か」避けていた茂木健一郎氏の本にも挑戦してみよう。フッサールさんのおかげで、視界が開けたようで、はり切ってますが根が怠け者なので、ここに書いておいても忘れちゃうかも。(いつものこと・汗)
2010.01.19
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竹田青嗣氏による、フッサールの「現象学の理念」を読む講座全5回に、通っていました。全回満席の大盛会、その熱気に圧倒され続け、聴講生との双方向性を重視した授業にも仰天。初回は、このまま帰ろうかしら、と思ったほど場違いなところへ迷い込んだ気持ちでした。でも欠席することなく終了。家で予習しようとしても、1ページ読むのに1週間くらいかかりました。まず言葉が理解できない。竹田氏の「はじめての現象学」は非常に興味深く読んだのに、それがフッサールの難解な哲学用語と結びついてくれない。終盤になってはじめてなんとなく、これはこういうことか、と納得できたかな?という状態でした。またそれを理解できたとしても、実践することは更に大きい労苦を伴うと思われます。すでに何もかも手遅れかもしれません。でも引きこもっていた穴蔵からの始まりだ、と思うことにしています。少しでもモノを書く、という行為をしていると、現象学という学問は知らなくても似たような構造を知っている、と感じることもありました。また、私はやはり私の受けた自然科学の教育に傾いているし、それに親しい、ということも感じました。読書計画をまた続行しなくては。
2010.01.17
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これも、1月9日朝日新聞の、「もっと本を再読ガイド」のコラムで紹介されていて興味を覚えて買ってみたものです。エドワード・ゴーリー(1925-2000)シカゴ生まれ。独特の韻を踏んだ文章と、独自のモノクローム線画でユニークな作品を数多く発表している。『おぞましい二人』は、訳者柴田元幸氏のあとがきによると、1965年明るみに出た「ムーアーズ殺人事件」に、心底動揺させられ、その陰惨な出来事が頭から離れなくなり、資料を読み漁った。そしてそれを物語にせずにはいられなかった。「どうしても書かずにはいられなかった」のはこの本だけ、と作者が語っているそうだ。「ムーアーズ殺人事件」と呼ばれる事件とは、イアン・プレディ、マイラ・ヒンドリーという男女が、4年にわたり5人の子供を残虐に殺して荒野(ムーア)に埋めていたというもので、イギリス中の人々の憎悪を買ったという。最近2年以上にわたって、主に英米の犯罪捜査ドラマを見続けていたせいか、あまり驚かなかった自分が、ちょっと怖い気もする。だが、ゴーリーの絵本という形態で目の当たりにすると、心に食い入ってくるものが違うようだ。クリミナルマインド、ロー&オーダー、CIS 、法医学教室、などのドラマはこの絵本に味付けしたものみたいに感じるほど、事実の原型が抽出されているように感じる。少年による児童殺傷事件が神戸で起きた時も、その衝撃が演劇や小説その他に多くの作品を残した。だが「絵本」という媒体では私は知らない。私も神戸の事件をもとに詩を書き、今も整理できていないので、また見直してみたいと思う。映画の『誰も知らない』も、事件をありのままに描こうとしていた部分はあると思ったが、この絵本はもっとシリアスでリアルなものを感じさせる。細かなところまで分け入っていかねばならない、という気持ちにさせられる。『うろんな客』はどこかで読んだ記憶がある。ネットで紹介されていたのか、病院や調剤薬局の待合室でだか。こちらはくすっと笑ってしまう。そして、まあまあ、でもほんと、いかんともしがたいのですよね、なんて。
2010.01.14
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もうひとつ気になっている、1月3日の朝日新聞の記事。2010年代 /どんな時代に/ ネットが世界を縛る 写真家・作家 藤原新也 インタビューより*1* タレントの人気が「好感度」によって査定されるという、あの不可思議な評価基準。いまやタレントのみならず一般人、企業やマスメディア、政治までもが、その好感度という尺度で査定される。*2* その目に見えない風圧にさらされ、いい人を演じて波風の立たない気持ちの良い人間関係を作ることに個々人が腐心する。そこには、相手の言葉や行為を正面から受け止め、たとえ軋轢が生じても自らの思い、考えを投げ返すという、本当の意味のコミュニケーションが希薄だ。*3* こういった空気読みの風景は、2001年の9.11同時多発テロ事件以降の一般的傾向のように思う。*4* 強まる相互監視 波風立てず「空気読み」*5* 今後のコミュニケーションはどうなるか。*6* ネット社会が臨界に達したときに、ゆり戻しが来るのではないかと期待をしている。*7* 「ライブ感」再び注目*8* 今後10年それに似た身体性の復活は方々で起きるのではないか。*9* ブログがタイムラグのある「文章」ならツイッターはライブで発している「声」や「呼吸」に近い。*10* だが僕個人は、このツイッターに可能性を感じながら警戒もしている。それは逆に考えると究極の相互監視システムでもあるからだ。あののどかなブログでさえ自分の居場所や思考が不特定多数の人々の目に曝されるわけだ。ツイッターはさらに「タイムスライス」で刻々と自分の行動が明らかになる。自分の身体をCTスキャンで輪切りにして白日の下に曝すようなものだ。*11* ツイッターが新しいメディアにもかかわらずその使用者の中央年齢値が高く、子供や若年層が意外と参入していないのは、「学校裏サイト」などで彼らが死活問題とも言える辛酸をなめているせいかもしれない。 (聞き手編集委員・四ノ原恒憲)「いい人、いい子への過剰適応」というのは、私にも覚えのあることで、耳が痛い。またその延長線上に、「いい子」を子に強要する母親であったともいえる。子育ての間中、そのことを思い知らされてきた。それが、いい意味でも悪い意味でも*2*につながってきていると思う。人間が本当の意味でコミュニケーションをとろうとしたら、行き着く果ては命がけの殺し合いになってしまうのではなかろうか。そこを埋めるように、警戒しながらもコミュニケーションを求めて私達は、ブログやツイッターにはまっていく。ライブ感の復活が、「相手の言葉や行為を正面から受け止め、たとえ軋轢が生じても自らの思い、考えを投げ返すという」ある意味成熟したコミュニケーションにつながる演習になればよいのだが、と思う。ここで私のツボにはまったのは、「のどかなブログ」という言葉。「のどか」もその裏に潜むものは人間である限り、こわいものなんですよね。のどかなブログさん。ツイッターは私はまず能力的に、だめですね。のどかなブログが向いています。
2010.01.11
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昨年の朝日新聞で読んだ記事が、ずっと気になっている。経済学者・アーティストとして、芸術と金、権力の関係を研究するオランダ・アムステルダム大学名誉教授のハンス・アビング(63)さんのインタビュー。著書に「金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか?」が07年に出版、初来日ということだった。*「芸術は神聖」との「神話」がアーティストを金の問題から遠ざけ、さらには芸術の「保護者」である国家や資本を神聖化する仕組みに利用されている、と論じる。「芸術の経済とは、非商業性がステータスとなって利益を生む、非常に例外的な仕組みです」 *「レベルの高いアマチュア、つまり他に仕事を持つ人をもっと社会的に評価してよい。他方、プロのアーティストは、創作だけでなく、作品をいかに広めるかにもっと関心を持つべきです」確かに私は、「芸術神話」をすり込まれている、と思う。というより、自分ですり込んでいたのかも。「芸術」という言葉も、自分の眼で解体して考えていくべきなのだと、遅まきながら感じたことだった。
2010.01.08
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あっというまに2010年も4日目となりました。にぎやかに、また、あわあわと。昨日は、すっかりご無沙汰していた、lomo-fisheyeトイカメラを持って、江ノ島へ初詣に出かけてきました。年末、冷蔵庫の中を掃除していて、感度400*2008年7月*使用期限切れのフイルムを10本ほども見つけたからです。これはもったいないと、lomoくんを取り出したのですが肝心のスキャナをパソコンからはずしてしまっているのでここに取り込めません。それに、がしゃパシャ撮ったわりには勘が戻らず気に入った写真は少なかったです。フイルムの現像代、プリント代、高くなりましたね~期限切れのフイルムで撮影するのは、これまたもったいないことかも。(↑の写真はデジカメで撮影後画像処理したものです。)さて、今年は自分の時間をもっと上手に捻出することを目標にしてまいる所存です。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2010.01.04
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