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御所の見学を終えて、京都御苑の外に一度出てから「蛤御門」へ。 新選組ゆかりの地めぐりをしていたときに確認するのを忘れてしまった戦闘の痕をたしかめてから門を潜り、御苑に戻って散策します。 地元の親子さんたちが散歩していたり、まだ御苑の敷地内かと思っていたところに表札のかかったお家があったりと大らかなみやこの風景を眺めて地下鉄丸太町駅へ。一駅乗って、ランチにします。「源氏物語ゆかりの地めぐり」「新選組ゆかりの地めぐり」「高山・京都・金沢まち歩きの日記」
November 19, 2011
お昼は壬生寺で狂言鑑賞、夜は池田屋へ。新選組ゆかりの地巡りで池田屋跡地の碑を訪れる度に、ここに気軽に入れるお店があったら流行るだろうなと思っていましたら先ごろ、その夢が実現☆予想どおり人気のお店になっているようでしたので、予約を入れて早めの夕食をとりにゆきました。 店内は、大河というよりは二次元の隊士さんたちのイメージでつくられているようで、若い女性たちの声が響くなか、タイトル以外はごく普通の居酒屋メニューをいただいて宿に帰還。「幸せの黄色いハンカチ」のドラマ版(結婚できない男バージョン☆)を観つつヨーガで疲れた足をケアして小さな旅の1日目を終えました。2日目は本能寺、御所、京都市美術館へ。「新選組ゆかりの地めぐり」「高山・京都・金沢まち歩きの日記」
November 5, 2011
壬生寺道でバスを降り、嵐電の線路を越えて狂言の前のわくわくした人波に混じって進むと、春に訪れたときは閉まっていた旧前川邸の門が開いていましたので先に立ち寄ることに。 大河ドラマの出演者さんたちのサインやポスターなど、先回は雨のときに眺めたのを思い出しながら。さて、今回の京都行きのメイン、壬生狂言へ。10月とは思えないほど暑い日でしたので開場まで木陰で待ってから入りほぼ満員になっていた会場の、片隅に夫と座りました。 上映中の撮影は一切、禁止されていますので画像ではお伝えできませんけれど、今回、鑑賞できたのは「賽の河原」と「花折」という演目。「賽の河原」では責め苛まれる餓鬼の役を大きな仮面を被った小さなお子さんが一生懸命演じておられて最後に救われるのも納得の健気さ、年少のころから地元の方々が大切に守り伝えてこられた様子が伝わってきました。「花折」は狂言という名にぴったりの演目。動きひとつひとつが面白く台詞は無くとも笑いに満ちた時間になりました。ふと右手を見てみると階段状になった客席は、ちょうど八木邸のお隣あたりに位置していてきっと隊士さんたち、見晴らしのよいところから眺めていたのではないかしら…と思ってみたり。その日は続いて「土蜘蛛」「道成寺」「橋弁慶」「桶取」と大河にも登場した演目もあって私はとても観たかったのですけれど膝を痛めていた夫がギブアップとなって外へ。ふたつのみで念願の壬生狂言鑑賞は終わってしまいましたが夫は時おり可愛かった餓鬼の仕草など真似して愉しんでいます。続きます。「新選組ゆかりの地めぐり」「高山・京都・金沢まち歩きの日記」
November 3, 2011
大河を池田屋まで復習して新選組ゆかりの地巡り再び。先回、一人で訪問したときは雨が降っていましたけれど、今回も時おり、小雨の落ちる午後になりました。 まずは八木邸。ゆっくり説明付きの見学をしたあとは、お抹茶をいただけるのが、肌寒い日には特にありがたく。夫も気に入ったようでしたので、「誠の白」という小山園さん特製の抹茶と屯所餅を購入しました。屯所のあとは、壬生寺さんへ。 訪問の前日に手持ちのガイドブックを見直していたところ、「壬生狂言」が春にも催されていることを知って。残念なことに、訪れたのは開催の直前でしたけれど、次回は是非、拝見してみたいなと思います。壬生寺で新選組隊士さんたちの石碑にお参りし、壬生狂言の小冊子を手に入れてから先回は探しあてることのできなかった山南さんの墓所へ。 和菓子屋さんになっている八木邸の前に戻り、旧前川邸の角を曲がって東に向かうと光縁寺さんが見えてきます。開門はしていましたけれど、新徳寺と同じく柵がしてありましたので中には入らせていただけないのかも…と思いながら夫とうろうろしているとご住職さんがお声をかけてくださったので、無事に本堂でのお焼香と、お参りをさせていただくことができました。静かな気持ちで壬生のまちを歩きおさめ、再び市バスで京都駅へ。つつがなくまち歩きを終えられたことに感謝します。ご覧いただきありがとうございました。「京都まち歩きの日記」「雨の八木邸 2007秋」「ジーザス鑑賞 幕末との共通項」「銀閣寺でティータイム 2008秋」
April 26, 2011
卒論発表を終え、国際センターの中を歩いていると七夕が近づいていたことにも気づきます。にわかに食欲も湧いてきて、会場で出逢った同じ教室に通う方と喫茶室で美味しいケーキセットをいただく余裕もでてきました☆朝から夕方まで、びっしりと続く講演と発表を拝聴。最後の講演までいたかったのですが、その日の飛行機で戻るため5時半で会場を後にします。国際センターから仙台駅までは、まっすぐ歩いて30分、車で10分。1000人以上もの参加者が会しているため、タクシーもたくさん集まっていましたが私と友人は、前日に利用した幹線バスへ。青葉通を駅に向かいながら、美しい仙台の街並みに名残惜しく目を。北の国のまろやかな肌色をもつ人たちが、ゆったりと優しい言葉を口にされることにも心癒された2日間、二人とも、すでに懐かしいような思いを抱いて、再びの訪問を願いました。さて、ここからはおみやげを幾つか手に入れねばなりません☆仙台駅では同じ教室の方に頼まれた「白松がモナカ」30個入り、家族へのおみやげに「萩の月&萩の調」セットを。この時点で、かなり重い荷物をかかえ、行きと同じく「仙台空港アクセス鉄道」に。空港では、夫に「牛タンの佃煮」を購入。発表でお世話になった方には、何がいいかなと空港のショップを探し、ふと目についた雅な箱が気に入ったのが「温麺(うーめん)」。短い素麺といった感じの麺で、日持ちもするのでおみやげと家族用に2つ。家に戻って箱を開け、由来を載せたパンフレットをみてみると、病気で食事を摂りにくくなった親のために、孝行息子が工夫して作った麺とのこと。ヨーガ療法学会のおみやげには、一番相応しいものになったかもしれません。みちのくの旅のあと、「おくのほそ道」の続きを読んでいましたら、ようやく仙台に到着したあたりまで進んで、驚き興味深く思ったことが。芭蕉も「榴ヶ岡八幡宮」と「塩釜神社」に行っていたのですね。未知の土地で「新選組」「カラーセラピー」と、それぞれの目的でいったん別の道を歩いた二人が、俳聖の訪れた場所に結び合わされていたことに深い深いご縁を感じたのでした。無事に行って来られたこと、送り出してくれた家族に感謝。来年の4月には、沖縄コンベンションセンターでヨーガ療法学会が開催されます。よろしかったら、どうぞご参加下さいね。読んでいただいてありがとうございました。 「新選組ゆかりの地巡りの日記」 「オーラソーマの日記」仙台新選組ゆかりの地めぐりの大きなヒントを下さったサイトさまからリンクの許可を頂きました。ご興味のある方はぜひ。「幕末新選組慕情」さま
August 3, 2008
余震と卒論発表前の緊張からあまりよく眠れないまま、当日の朝に。「ヨーガ療法学会」が開催される国際センターまでは、宿から徒歩15分ほど。8時の開場に間に合うように荷物をまとめ、7時に階下のレストランへ。ツアーパックの朝食のふれこみは「みやぎ御膳」。夕べの自然食のお店でもごぼうとひじきを使ったお惣菜と共になぜかカレーが並んでいましたが、朝もやはり、これらの食材に出会いました。食事のあとは、部屋には戻らずそのままチェックアウト。国際センターにまっすぐ続く青葉通に出て、爽やかな風を感じます。前日はすでに暗くなっていて、画像を撮れなかった広瀬川も。河畔やお山に見える木々は、やはり針葉樹が多いよう。雪を抱いた姿をうつしてみたいなと思いました。会場に着き、前日はまだあまり集まっていなかった卒論のポスターが一気に並んでいるのをチェックしていると、すぐに講演が始まったので急いで観客席へ。最初は、ゲルソン療法でご自身の癌を克服された心療内科医師の方の講演。ユーモアたっぷりのお話を愉しんでから、ポスター発表午前の部に移動。発表まで30分以上ありましたので、緊張しないよう他の方のポスターを巡回し、直前になってから自分のポスター前に。なんとか無事に終えることができました。3年間の受講の集大成を終えてホッとしていると、お声をかけて下さったのは楽天さんのブログを読んでいただいた同じヨーガ療法講座を受講している方。コメント欄で発表をご覧下さる旨、ご連絡をいただいていましたので、お会いして御挨拶できたことがとても嬉しく、素敵なお心遣いまで頂き、感激しました。本当にありがとうございました。とっても美味しかったです☆昼食を摂り、ポスター発表午後の部へ。限られた時間の中で拝見したいくつかの同期の方々のプレゼンテーションの共通項は、自分が生まれ育った環境、自分がなにものであるかと言うことに対して、どのような認知を持っているか、出自、すなわちスピリチュアリティがあらゆる心身の不調に対して与えている影響という点だったように思います。両親、または育ててくださった方に対して、感謝することができるかどうか。ヨーガを始めたばかりの頃、母に感謝することができなかった私は、していただいたこと、お返しできたこと、ご迷惑をかけたことについての内観をすることでいかに自分が恵まれていたか、愛されていたかに思い至り、母と語り合えるようになり、心の平安を感じられるようになったことを思い出しました。「☆内観法・禁戒【人様に迷惑をかけたか】これを調べるためには・お母さまにしていただいたこと 15分・お母さまに御返しできたこと 15分・お母さまにかけたご迷惑 30分 の瞑想を。不幸になる人は、かけられた迷惑を考える。自分がこれだけやったのにあの人はこうだ、という考え方。人と上手くいかないのは、自分の中の暴力的なものを感じ取られてしまうから。高慢になった場合も、反発されてしまう。」各々症状は違っていたとしても、その要因がどこにあるかということ、フィジカル、メンタル、スピリチュアルといった段階に分けて見られるようになりつつあることに感謝。自身の健やかさにも繋ぎ合わせて、今後も学んでゆきます。続きます。 「新選組ゆかりの地巡りの日記」 「オーラソーマの日記」仙台新選組ゆかりの地めぐりの大きなヒントを下さったサイトさまからリンクの許可を頂きました。ご興味のある方はぜひ。「幕末新選組慕情」さま
August 2, 2008
国際センターから仙台の街を気持ちよく歩いて、いったん宿に戻り、身支度をすませてから、連れ立って夕食へ。ぶらんどーむ一番町と広瀬通の交差する北東角・東映プラザ4階の「旬菜食健ひな野」さんは、有機栽培や特別栽培のお野菜を出してくれるバイキング方式のレストラン。根菜などを使った自然食を中心に、雑穀米や数種類のお茶、魚介類やお肉、中華やカレー、デザートやフルーツも豊富。時間制限もなく、ゆっくり、少しずつお味見…といっても70種類以上もメニューがあるそうで新しい料理が出るたびに、どちらかが足を運んでは試すので気持ちもお腹もどんどん満たされてゆきます。画像は何枚目かのお皿☆枇杷茶、キャロットスープ、点心、ひじきの煮物、餡かけ焼きそば、温野菜あたりでしょうか。ようやく気持ちが少し静かになったところで、互いの今日一日の出会いを披露し合います。まさか初めての土地で、初めてのカラーセラピーを受けた上にまったく予想もしていなかった神社にお参りする機会を得たことに友人は深いご縁を感じているよう。おもしろいことに、その日のオーラソーマカウンセリングで友人が手に入れたポマンダーは私が持っているものと同じ。互いに共通する部分、人には見えていても自分ではわからない部分を指摘された点でも同じだったのでした。何十人もいるヨガ講座の同輩の中で、なぜ共に行動することが多かったのかその理由がなんとなくわかるようで、双方とても面白く感じました。食後は、友人が荷物を預けているとのことで、広瀬通を仙台駅までお散歩。15分ほどで到着して荷物を受け取りUターン、宿までは南町通を辿って戻ります。夜の街は明るいときと姿を変えているので、途中、どのあたりで右折(北向き)したらよいかほんの少し迷いましたが、友人を待っている間に周辺を散策して見つけた鳩時計と再会したのでこちらを目当てに宿にたどり着きました。部屋に戻り、昼間購入したスイーツがほどよく冷えているのをひとつ、これからポスター発表の練習をするという友人に届け、三時間は歩いて酷使した足を、ヨガでゆっくりほぐしていると、10時頃、再び余震。部屋は8階にあったため、ゆーらゆらと箱が水の上で廻るように揺れているのを感じながらTVの速報を見ていると友人からコール。昼間も余震があったことは、歩いていて気づかなかったそう。嬉しいことに、そのままTVをつけていましたら藤原竜也さんが伊達公子さんの活躍をナビゲートする番組を観ることができました。2時頃にも余震があり、なんとなくうとうとしながら、また3時過ぎには起き出して、持ってきた「おくのほそ道」を。当日のポスター発表が終わるまでは、どちらにしてもあまりよく眠れなかったのではないかなと思います。続きます。 「新選組ゆかりの地巡りの日記」 「オーラソーマの日記」仙台新選組ゆかりの地めぐりの大きなヒントを下さったサイトさまからリンクの許可を頂きました。ご興味のある方はぜひ。「幕末新選組慕情」さま
July 27, 2008
政宗公の像の向かって左手奥には、両翼の広がる昭忠塔。主に明治年間の戦闘で散じた方々の慰霊碑のようです。 昭忠塔のさらに左手奥には、同じく明治年間から、昭和の時代に至るまで日本のために戦われた方々を祀る護国神社。政宗公と共にこの高台から、仙台の街から東北一円にかけてを護るべく定められたものなのでしょう。さて、陽が傾くまで歩きに歩いた二人の前に、仙台名物の看板が現れました。当然、素通りはできません☆ ずんだ茶寮さんの「ずんだシェイク」。ガイドブックにも載っていた名物は、可愛らしい店員さんがコップの上に盛り上がるほどたっぷり詰めてから、ギュっとフタを。早速、賞味したところ、ストローで吸い上げるのが困難なほど濃厚。栄養豊富な枝豆がすりつぶされて入っているようで、ゆっくり味わいたかったのですが閉店間際ということもあり、二人ともフタを開けていただきます。これから仙台国際センターでヨーガ療法学会のポスター展示をしなくてはならないので(すっかり本来の目的を忘れかけていました☆)夕食前のちょうど良いブレイクに。 地図上では仙台城址から国際センターまでは、歩いてゆけそうな距離でしたがかなり暗くなってきたのと、お山の上とは思えないほど道路の交通量が多いのでバスを使うことに。しばらく待って座席を確保すると、どこからやってくるのかと思うほど次々と人々が乗り込んできます。この路線の停留所名は、東北大学の各学部になっていたので、みなさん講義や研究がひと段落した学生さんや先生方だったのでしょうね。無事に会場に着き、ポスター掲示をしていると、タイムキーパー係の方がお声をかけてくださいました。当日の打ち合わせなどをしながら、どこかでお見かけしたことがあるなあと思っていましたら、昨年、受講したマタニティヨーガ講座でお会いした3人のヨーガ療法出身者のうちのお1人、九州地方からいらした方でした。続いて掲示したポスターの前で、最後の発表練習をしていると、集まって聴いて下さった方の一人が、同じくマタニティ・ヨーガの講座でお会いした中国地方の方。全国から1000人以上ものヨーガ療法関係者の方々が集まる広い会場で、よくもまあ、お会いできたことだなあと思っていましたら、当日も昼食会場で、三人目の方がすぐ近くに座っておられて。ヨーガの結ぶご縁に深く感じ入ったのでした。続きます。 「新選組ゆかりの地巡りの日記」 「オーラソーマの日記」仙台新選組ゆかりの地めぐりの大きなヒントを下さったサイトさまからリンクの許可を頂きました。ご興味のある方はぜひ。「幕末新選組慕情」さま
July 26, 2008
るーぷる仙台は市内を周回するレトロバス。車内も木製の部分が多く、天井付近に視線を当てたままでいると本当に開化時代にいるよう。午後四時出発の最終バスに、時間ギリギリで飛び込んだため、画像をおさめることができず、外観をご紹介できないのがまことに残念☆明治村あたりでしか乗れないような、雰囲気のある車輛でした。運転されるのは女性。広い青葉通りから、晩翠通に入り、政宗公の霊廟のある瑞鳳殿に至る頃には道幅が非常に狭くなっている上、観光ガイドも兼ねながらのお仕事に脱帽します。町を歩いていて、またバスに乗っていて気づいたのが、建物が道路よりも、やや高めの場所に造られていること。コンビニも何段かのステップがあったり、店舗前駐車場がスロープになっているのは冬場の除雪のためでしょうか。 さて、歌で耳馴染んだ広瀬川上を通り、「仙台城跡」停留所へ到着。陽射しが傾き、はや秋空のようですね。 市内を一望できる青葉山。北に進路をとった土方さんも、ここから城下をご覧になったかもしれません。柵の外では、夏草が揺れていました。 実はここに来るのは、二度目。はるか学生時代、青春18きっぷで「日本列島をどのくらい進めるか」という計画をたて、時刻表上では青森あたりまで行けるつもりが、一番列車を逃してなんとか仙台までたどり着いたのです。仙台駅前にドーン!と展開する歩道橋に圧倒されたのが、その時の第一印象。空中回廊と呼びたい広場のような空間は、街なかの野外劇場のようで、甲子園常連の強豪・仙台育英高校が準優勝したときに選手の方々がズラリと並び、祝賀を受けておられたことも。もちろん、大河ドラマで親しんだ独眼竜の御姿を探しに、青葉山へも。ですので仙台駅前に広がる回廊も、ここ仙台城址の政宗公の姿も、ひときわ懐かしく見たのでした。政宗公といえば、宿にいるときにつけたNHK仙台の番組名は「てれまさむね」。本当に親しまれ、誇りをもって崇められている存在なのでしょうね。よーく目をこらしてご覧になるとわかるのは、高山でも出くわしたTV取材の方たち。おみかけしたことのあるタレントさんたちが♪広瀬川~♪と歌っておられました☆続きます。 「新選組ゆかりの地巡りの日記」 「オーラソーマの日記」仙台新選組ゆかりの地めぐりの大きなヒントを下さったサイトさまからリンクの許可を頂きました。ご興味のある方はぜひ。「幕末新選組慕情」さま
July 20, 2008
「芭蕉の辻」を過ぎたあたりから、ぽつぽつと雨が降ってきますがその日の宿はすぐそば、ビルの軒伝いに到着しました。チェックインより30分ほど早くても、すぐお部屋を用意していただけるとのことでしたが禁煙ルームを指定すると、準備にいま少し時間がかかるとのことでロビーで待機。きっかりチェックインの時間にお部屋が整い、旅の疲れをしばし癒します。TVをつけてみると、2時半ごろに弱い余震があった模様。大きな地震がその二週間前に起こったとき、被災者の方々の無事と共に仙台でのヨーガの集まりが遂行されるように祈ったもの。その場にいられることに、改めて感謝しました。友人に連絡してみると、ちょうど塩釜神社を参拝し終わったところ。そこでバスを使って、互いに仙台城址に向かうことに。仙台市内を走るレトロバス・るーぷる仙台にも乗ってみたかったので最終時刻の午後4時までに乗車できれば、車内で落ち合うようにします。4時までには間がありましたので、ご近所のデパート「藤崎」へ。青葉通沿いにあるこちらのデパ地下には、お目当てのものがありまして☆こちらです。銘菓・「萩の月」のメーカーさんの、洋菓子ラインの「ロワイヤルテラッセ」のスイーツ。軽いタルトに詰められたたっぷりのカスタードの上にパイフレークが雪のように掛かっているのを、ガイドブックで見てから楽しみにしていたのですが、発送はできないとのこと。おみやげのひとつにするのは諦め、自分用に数個購入。角のマクドナルドでアイスコーヒーを買い、お部屋で3ついただきました☆さて、ちょうど待ち合わせ時刻まで30分。るーぷる仙台のバス停は宿からすぐ側にありましたので、ご近所を散策して待とうと思い、再び外へ。アジアン雑貨のお店や、ライブハウス、時計台などを見て廻るうち、いっそ仙台駅まで行ってしまおうと、青葉通を渡り、ぶらんどーむ一番町という通りから、マーブルロードおおまちへ入り、まっすぐ東進、15分ほどで駅前バスプールへ到着。折りよく駅にいた友人と、ロフトの前で首尾よく落ち合い(こういう時の携帯は本当に便利ですね)るーぷる仙台の最終便に乗車、仙台城址へと向かいました。続きます。 「新選組ゆかりの地巡りの日記」 「オーラソーマの日記」仙台新選組ゆかりの地めぐりの大きなヒントを下さったサイトさまからリンクの許可を頂きました。ご興味のある方はぜひ。「幕末新選組慕情」さま
July 19, 2008
土方歳三さんが仙台で逗留しておられたという「外人屋」跡へ。県庁舎の南側の表小路を西に進むと、南北に走る国分町通との交差点に。この国分町通りを南下します。国分町は飲食店の集まる界隈。きっと幕末の時代も賑やかで、たくさんの方々が日頃の憂いを晴らしていたことでしょう。国分町通が最初に行き当たる大きな道が、広瀬通。見えるのは銀杏並木です。広瀬通と国分町通の交差点を渡ったすぐ右側(西側)、スターバックスのテラスがあるホテルリッチフィールドのお向かい側、東北公済病院前のバス停の後ろあたりに「外人屋」があったようで、現在はビルの下に。 ビルには以前、明治安田生命が入っていたようですが、すぐそばに移転。名札はなくなっていましたので定かではありませんが、この建物かなと見当をつけて。裏手にも廻り、このあたりを歩いておられたのかしらと、ひとり喜びました。国分町通に戻り、さらに南下すると右側(西側)に現・安田生命ビルがあり、その角に「芭蕉の辻」。すぐお隣には「道標」も。 南 江戸 六十九次 日本橋迄九十三里 奥州街道 北 津軽 四十五次 三厩迄百七里二十二丁 奥道中 俳人としての顔も持つ土方さんは、この地でひとり酔えぬまま故郷と北方の地への道程に思いを馳せせつない詩情をかきたてられたのではないでしょうか。続きます。 「新選組ゆかりの地巡りの日記」 「オーラソーマの日記」仙台新選組ゆかりの地めぐりの大きなヒントを下さったサイトさまからリンクの許可を頂きました。ご興味のある方はぜひ。「幕末新選組慕情」さま
July 13, 2008
早めのランチをすませてから1時間半、知らない町を歩きに歩いたあとは一気に移動するべく、地下鉄・五橋駅へ。泰心院の山門を出て、右折(西向き)、15分ほど歩いて到着。地下道へ入ると、やはりひんやりとしていて。人空くなで綺麗な構内に座ると、陽射しを受けた肌の熱が引いてゆきます。机上の計画がどんどん実現してゆく不思議を味わう余裕も出てきました。五橋駅から、仙台駅、広瀬通駅を通過、次の勾当台公園駅で下車し、北2番口を出れば、先ほど山門を拝見した藩校・養賢堂跡、県庁舎の西側に。ここで、先ほど仙台駅でいったん別行動になった友人から連絡。どうやら、オーラソーマカウンセリングは素晴らしい出会いになったようで「ぜひ行ってみなさい」とアドバイスされた塩釜神社に向かうため待ち合わせの時間に遅れるとのこと。友人のご縁にエールを送りつつ、私もよりいっそう楽しもうと思いました。 さて、さすがは杜の都、街なかも幹が一抱え以上ある並木路が続いていましたが、県庁舎のスペースも、どこから入ってよいかわからないほどのうっそうとした…という表現が似合いそうな木々に覆われています。西側からぐるっと廻って、北側から敷地に入りました。左側の写真に、かすかに写っているのは、地震被災救援の幕の張られた自衛隊車。庁舎の中の情報コーナーに入ってみましたが、養賢堂跡の案内はなさそう。記念碑でもあればおさめたかったのですが、あったとしても、この大きな杜を探すことは、今回はできませんでした。南側から外に出ると、東西に走っているのは表小路。バス停近くの程よい場所にベンチがありましたので、ひと休み。ひとたび木陰に入れば陽気も爽やか、みちのくの涼を愉しめました。次は土方歳三さんの逗留した外人屋跡に参ります。 「新選組ゆかりの地巡りの日記」 「オーラソーマの日記」仙台新選組ゆかりの地めぐりの大きなヒントを下さったサイトさまからリンクの許可を頂きました。ご興味のある方はぜひ。「幕末新選組慕情」さま
July 12, 2008
仙台での新選組屯所のあった林香院さんへ。榴ヶ岡八幡宮から榴ヶ岡4の交差点に戻って、そのまま南下、ほんの100メートルほど進んだところで、新寺3の交差点の手前にある西門に到着。 小路を通らせていただくと、桔梗が咲いていました。長い階段付きの立派な本堂。隊士の方々は、ここで明治改元を迎え、新政府軍の気配を感じながら短い逗留をされたのでしょうか。いったん外へ出て、山門を振り返ると、勇壮な構えが印象的。 山門前には、十二支のお地蔵さんが並んでいて。ご縁のある干支をおさめました。次は藩校の門が移築されている泰心院さんへ。門から外に向かって右折(西向き)、新寺3の交差点に戻って再び南下、東北本線の線路に行き当たるまで、まっすぐ進みます。このあたりで、お茶を購入。ペットボトルのお値段は150円と決まったものだと思っていたのですが、角の自販機にあったものは、銘柄物で120円。その後、街角で見かけたランチは500円、泊まったホテルのお茶は150円、移動手段である公共交通機関の料金も良心的。仙台は住み易く、旅人にも優しい街のようです。さて、Uカーブの端、左手(東側)に東漸寺さんを見ながら東北本線に突き当たったあたりで、一番詳しい地図&航空写真もかなり曖昧になってきます☆まずはこの新幹線も通る大きな線路を渡らねば…と見ると小さな歩道橋を発見。カート付きの旅行鞄でやってきた友人を連れて来なくてよかったと思いながらトントンと向こう岸へ。渡ったところで、再び地図を見ても道が載っていませんでしたが、ちょうど子供たちの遊ぶ声が聞こえてきます。泰心院のお隣に保育園の文字が載っていたのを思い出し、身を揺るがせるように小路を抜けると、無事に到着することができました☆ 泰心院さんの山門は、現在の県庁舎の地にあった藩校・養賢堂の門を移築したもので赤丸で囲まれたあたりが、門のあったところ。養賢堂では新選組の山南敬助さんが学ばれたという説も。志ある方々の梁山泊は、幕末には特に熱を帯びていたのではないでしょうか。 新政府軍が仙台に迫り、まさに入城する直前、門のみを解体して運ばれたのだそうでその志だけは侵食されまいという藩士の方々の心意気だったのでしょう。 接収された建物本体は、先の大戦の空襲により消失、結果的に移築されていた門が無事残ったのだそう。志を託された遺産が長く姿を伝えてくれているというのは、興味深いことですね。 門柱の背丈の範囲には、弾痕のような楕円のくぼみがいくつか。人知れぬどのような光景を刻んでいるのでしょうか。次は養賢堂跡へ向かいます。 「新選組ゆかりの地巡りの日記」 仙台新選組ゆかりの地めぐりの大きなヒントを下さったサイトさまからリンクの許可を頂きました。ご興味のある方はぜひ。「幕末新選組慕情」さま
July 11, 2008
友人を仙台駅西側の回廊から見送り、未知の土地での一人歩きがスタート、まずは東口へ抜け出さねばなりません。延々と続く階段を上り下りして、ようやく壁の東側へ出ると、最初の目的地の前にいました☆こちらはひと月ほど前、山本耕史さん主演の「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」の仙台公演があったライブハウス。ちょうど140年前、土方歳三さんが啖呵を切った奥羽越列藩同盟の会議が行われた地の「新選組縁の地巡り」の途上に、彼を演じた役者さんが訪れた場所があるのは、なにかご縁を感じて☆仙台駅の東側へ真っ直ぐ伸びる宮城野大通を、陽射しの照りつけるなか東進。嬉しいことに木陰や小さなオアシスがたくさんあるので、涼を楽しみながら歩くことができました。 15分ほど真っ直ぐ歩いて「榴ヶ岡4」の交差点を左折(北向き)、二本目の道を右に入ったところにあるのが「榴ヶ岡(つつじがおか)天満宮」。こちらは、函館まで土方歳三さんと一緒に闘った仙台藩士の方々の碑があるところ。まずは本殿にお参りに。昨年訪れた大宰府天満宮にある動かない牛さん像のミニチュアも。ゆっくりと鳥居の方に戻りながら、文字を辿ります。さすが芭蕉の目指した地、たくさんの句碑の並ぶ中鳥居から入って右、三番目あたりに額兵隊・見国隊の碑がありました。土方さんも豊玉の俳号を持ち、句集をしたためた方。みちのくの方々と互いに、合い通じる詩情をご覧になったかもしれません。手を合わせ、訪問させていただいたことに感謝しました。次は新選組の屯所のあった場所へ向かいます。 「新選組ゆかりの地巡りの日記」 「オーラソーマの日記」 仙台新選組ゆかりの地めぐりの大きなヒントを下さったサイトさまからリンクの許可を頂きました。ご興味のある方はぜひ。「幕末新選組慕情」さま
July 10, 2008
ヨーガ療法学会参加のため、今年は仙台へ。いつもは講演や発表をお聞きするという形の参加ですが、今回はヨーガ療法士講座卒業発表も兼ねて。数分のプレゼンテーションでも、慣れるまで何度も練習を重ね、発表前日の観光を十二分に楽しめるように準備しました。荷物をミニマムにまとめ、いつも就寝前に読む本のセレクトはちょうど楽天ブックスさんから届いた「おくのほそ道」。仙台市のガイドブックのマップの中に「芭蕉の辻」の文字を見つけたため、購入したもの。抜粋はいくつか読んだことがあるものの、全編は初めて。みちのくの旅の、よきガイドブックです。俳人と栃木を訪れたあたりで寝入り、目覚めれば午前3時。5時起きの予定のため、そのまま時間を迎え、夫の車で最寄駅へ。ひとつ前から乗った友人とも車内でおちあうことができ、空港駅へ到着。先回の福岡行きでは、空港構内の様子を楽しみましたが、今回はデッキへ。これから乗り込む機体と思しきジャンボジェットをおさめます。実際に乗ったのは、定員100人ほどのプロペラ機でした☆梅雨の曇天の中を出発、北へ向かうに連れて、だんだんと晴れてきます。「私、晴れ女なの☆」と友人。おかげさまで山の緑が濃くなった後、潮目を確認できるほど至近に海上を飛ぶこともでき、1時間半ほどの空の旅を存分に楽しめました。仙台空港からは「仙台空港アクセス鉄道」が便利。まだ新しい構内でおさめたペンギンくん。実は直前まで、機内で元気を貯めていたお子さんがタックルしていたのを、揺れの止まるのを待って、すばやくおさめたもの☆30分ほどで仙台駅に到着予定。着いたら早速、ランチまでの限られた時間で、強行軍で歩かねば…という予定でしたが、車内で5時に朝食を摂った友人が空腹をうったえたため、すばやくコース途上にあるお店を調べます。街なかにあるのはほとんどが11時半開店、開いているのは仙台駅構内のお店のみで、必然的にこちらへ。今回の仙台行き、私にとっての大きな目的が「新選組縁の地巡り」。ある素敵なサイトさんが紹介されている仙台の史跡案内を頼りに訪れる計画を早くから練っていたのですが、いつものように、ひたすら趣味に走った観光のため、友人がついてきてくれるかどうかは未知数。その地に足を運べば、当時の様子や土方さんたちの御姿が重なって感じられるのでファンの身には素敵な訪問になるのは明らかなのですけれども、朝から彼女の言動を観察していると、どうやら同行しても愉しんでもらえないように思えます。そこで、以前から「興味がある」と聞いていた「オーラソーマ」のカウンセリングが受けられる場所を紹介してみようとガイドブックを開くと、パッとボトルが並んだページに。これは確かに「そうしなさい」ということですね☆「伊達の牛たん本舗」さんでセットを注文してからすぐに電話した彼女は、午前中のカウンセリングを予約。ご縁があるときは、あれよあれよと物事が決まるもの。二人の予定が決まったところで、タイミング良く「牛たん定食(味噌と塩のミックス)」が運ばれてきました☆右側が味噌、左側が塩。スープも、ピカピカの白いご飯も美味しく☆未知の土地で、しっかりお腹を満たした後、友人は仙台駅西口前の「オーラソーマ・色彩研究所」さんへ、私は東側から当初の目的地へ。互いに良き出会いになることを祈り、いったん別行動となりました。続きます。 「新選組ゆかりの地巡りの日記 京都&仙台」 「オーラソーマの日記」 仙台新選組ゆかりの地めぐりの大きなヒントを下さったサイトさまからリンクの許可を頂きました。ご興味のある方はぜひ。「幕末新選組慕情」さま
July 9, 2008
ミュージカルを最初に観賞したのは、学生のときの「ジーザス・クライスト・スーパースター」。現在のジャポネスクバージョン、当時は歌舞伎バージョンと呼ばれた舞台。【舞台の内容に触れますので、お読みになりたくない方はどうぞスキップなさって下さいね】小学生のとき、黒柳徹子さんの70年代のニューヨーク滞在記を読み、「若い人たちがキリストの最後の日々をロックで表現した舞台を観賞した」若い人というのが、20代だったアンドリュー・ロイド・ウェーバー、のちに「オペラ座の怪人」など、大ヒットメーカーに。歌舞伎バージョンの初観賞は、ユダやジーザスの苦悩よりもヘロデ王の印象がとても強かった覚えがあります。子どもが生まれ、劇場から足が遠のいた後、再び舞台観賞に臨んだときの最初の作品も「ジーザス・クライスト・スーパースター」。こちらはエルサレムバージョン。柳瀬さんのジーザス、芝さんのユダ、そして下村尊則さんのヘロデ王に魅了され、舞台観賞を再開するステップを踏めたのです。そんなきっかけを戴いた舞台、しかもジャポネスクバージョンを京都で観られることに素直に感謝していた上に、パンフレットを開いたとき最初に目にしたのが浅利慶太さんの73年初演当時の言葉。「ジーザス・クライスト・スーパースター」に興味を向けられたのはユダの存在があったからとのこと。光となる人物のそばには、影となって寄り添う人物が存在していること、影となる人物は、人間的、冷静、かつ理知的であり、魂の中の傷を隠しているということ。その例として、西郷隆盛に対する大久保利通をあげられていました。学生劇団を、世界一の演劇カンパニーに育てあげる過程で組織者として、ときに非情な決断を下さなければならなかった方の激しい共感が見える思いがします。これはまた、舞台観賞前に、京都で新選組の足跡を追ってきた後には近藤勇に対する土方歳三の姿もそっくり重なるように感じて。「秋の京都へ~新選組ゆかりの地めぐり」「新選組!」の本放送を観続けるのを途中で断念したのもこの時代のありようが捉えにくかったから。至極魅力的な方々とわかっていても、彼らの取った行動が理解できないこともあり。それは遥か西方でのドラマも同じ。ところが、光と影、この視点で観賞すると、2000年前に発祥し地球上でもっとも栄える矜持を生んだ人物の苦難もいまだ人々の心を捉えて離さぬ140年前の志ある方々の苦悩もよりクリアになるように思えたのでした。一日の業を終えて、志ある人たちがくつろぐさま、新天地を求める旅立ちを、影となる人物がとめる絶唱、動向に左右され、勝ち馬に乗り、竹格子の向こうで叫ぶ民衆、光となる人物が、引き渡され、裁定を待つ姿、甲に鉄槌を打ち込む音までも。香油は、花街で心なぐさめられること。古きもの新しきものの摩擦のすべてを引き受け、やがて去る光と影。歌舞伎バージョンであればこそ、さらにそっくりそのまま幕末~明治の日本にリンクするような気がして。もちろん、いま現在あらゆる分野で生き抜く姿にも。今回の舞台、大好きなヘロデ王は大塚俊さん。前髪ありの若衆歌舞伎風の御姿、歌声もポップでとても新鮮でした。京の一日、新選組ゆかりの地を巡った旅の終りを「ジーザス・クライスト・スーパースター」で締めくくれたご縁に感謝します。読んでいただいてありがとうございました。 ☆ 京都行きの日記を終えた今日、三谷幸喜さんの「大河な日日」が届き、読んでみると新選組の脚本を書かれる前に京都を廻られた際にはレンタサイクルをお使いになったと書いていらっしゃいました。八木邸や池田屋事件跡のことなども☆「劇団四季の舞台」「山本耕史くんの舞台&映画&ドラマ」「e京都・新撰組」 「e京都・源氏物語」「源氏物語で恋愛セミナー」「秋の京都へ2006」「欧州鉄道の旅」「春の神戸へ」楽天トラベル
November 21, 2007
歌舞伎バージョンのジーザスを観賞する予定を入れてわくわくと臨んだ今回の京都行き。これまで四季の京都劇場に入ったことはなかったのですがなるほど、駅に降り立ったときに、右に劇場、左に伊勢丹というのはなかなか壮観です。 美輪明宏さんも御用達の伊勢丹さん。いつも旅の最後はこちらで何かしらおみやげを手に入れて帰るのですがジーザス観賞後に、四季の方のレッドカーペットを降りながらお向かいの伊勢丹さんの造りそのものが、劇場空間のようだと気づきます。劇場で生きる方がお気に召すのも道理。さて、舞台観賞前に京都伊勢丹さんの地階へ。正味30分ほどの時間で食事をすませるためと甘味、文具、お抹茶と、ややおんなども好みのものばかり揃えたので毎年のひとり旅をゆるしてくれる夫へのおみやげを求めて。たっぷり二周半まわって吟味。天一さんのお弁当を手に入れたあと、夫にはご飯のお供・梅ちりめんを。一袋買い求めると、お夕食になるのではないかと思うほど、小さく握ったおむすびやスープなどが次々出てきました。さらにデパ地下の雄☆、御座候さんの大判焼をみっつ。親子三代で、こちらの前は素通りできません☆セーブしていた荷物を最大限に膨らませ、京都劇場のレッドカーペットを踏みます。もっと時間があれば、上階の和小物屋さんや書店など行きたい場所はたくさんあったのですが、今回は地階のみ。それでも、デパートと劇場が駅構内にあるという至便さのおかげで、京都観光・お買い物・観劇のすべてが一日で楽しめることに感謝。バッグの中身を整頓しつつ、ロビーの休憩コーナーで夕食。そういえば、今朝方新幹線の中でつまんだのは天むすでした。荷物をまとめ、食事もすませて。さて、とここでパンフレットを開いたのです。よもやここでも、幕末の雄の名前に逢おうとは。13人の隊士と最後の晩餐の登場人物とをリンクさせていたこともありその日の受難劇は、もうこの視点でしか観られなくなっていたのです。 「山本耕史くんの舞台&映画&ドラマ」「e京都・新撰組」 「e京都・源氏物語」「源氏物語で恋愛セミナー」「秋の京都へ2006」「欧州鉄道の旅」「春の神戸へ」楽天トラベル
November 20, 2007
新選組記念館さん前の道を南下、ドラマ化された輪違屋さん前へ。DVDで完全に頭が「新選組!」モードになった直後に放送されたため「捨助さんが芹沢さん?」「土方さんが耕史くんじゃない・・・」などと我侭にみてしまい、いまだに録画したドラマを全部観切れていません、ごめんなさい☆輪違屋さん前を通ったのなら、角屋さんも観ておこうと、誠の湯さんの角を右折(西向き)します。 芹沢さんを酔い潰した場所がこちらだったとも。島原での副長さんのお馴染みは、花君太夫という方で、敵方ともいえる中岡慎太郎さんともご懇意だったとか。角屋さんの門前を拝見し、進行方向を東へとり、新選組の第二屯所だった西本願寺さんの方へ。もう時間があまりないので、境内に入ることはできませんが南側の唐門前を通り、再び南下、七条通を横断し、油小路に。この日の午前中に門前を通った高台寺に御陵衛士の屯所をかまえた伊東甲子太郎さんが遭難したのが油小路。市場や住宅などが集まる賑やかなところです。去年は西本願寺横からこの辺りを満月を見ながらゆったりと歩いて京都駅まで向ったものでした。 油小路を進み、塩小路通の向こう側で、さらなるダンダラ模様に遭遇。新選組の第三屯所だった不動堂村は現在はリーガロイヤルホテルになっているとのことで訪ねる予定はなかったのですが、行き当たったのは不動堂というお寺。こちらが新選組ゆかりのお寺として、ファンの方々の溜飲を下げるお役目もされているのでしょう、第一~第三屯所を巡れてラッキーです。命を落とされた方々への手向けと、その日の無事を感謝してお灯明を上げさせていただきました。今回の京の新選組ゆかりの地めぐりは、これですべて完了、のつもりで京都駅のレンタサイクルショップへ帰還。雨の一日、本当によく頑張ってくれました。ありがとう☆自転車から降りて、地上の人となり、京都駅・伊勢丹さん方面へ。斜め向いに、曇り空を背景にした今年の京都タワーが見えました。 「山本耕史くんの舞台&映画&ドラマ」「e京都・新撰組」 「e京都・源氏物語」「源氏物語で恋愛セミナー」「秋の京都へ2006」「欧州鉄道の旅」「春の神戸へ」楽天トラベル
November 19, 2007
「百」に「合」と書く名を、幕末、そして明治維新を迎えた年から一世紀たった頃に生まれた女の子に付けることがあったようで同級生、及びひとつ上の学年の方でこの名前をよく見かけます。文字は違えど、我が両親もそれにならった例のひとつ。この字を使った名をお子さんに付ける方が多かったため、音はそのままに、当時活躍中の女優さんのお名前をいただいたのだとか。***「百年、私の墓の傍らに座って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから。」・・・すると石の下から斜に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た。見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと弁を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に徹えるほど匂った。そこへ遥の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。***調べてゆくうち、誕生日も慶応年間最後の日、明治改元の前日と判明。昨年のお正月から、今年にかけて俄かにこの時代に興味を持ち始めて自分の名前と幕末~明治のご縁にも改めて意識を向けているのです。さて、新選組記念館での膨大な資料に埋もれてずーっと探索したい気持ちは山々なのですがこのあとは舞台観賞が待っているので、名残惜しく玄関へ。おみやげを見繕っていると、数ヶ月前にブックフェアで手に入れた副長さんのポートレートが表紙の本も。縁の地めぐりのヒントをたくさん戴いている大好きな本なので思わず手に取ると「それは私が書いたものです」と館長さん。新選組関連本は多々あれど、ガイドブックがあまりないため作られたそう。まさにガイドブックを探しているときに偶然この本を見つけて嬉しかったことを皮切りにして大河ドラマの本編放送のときはあまり観ていなかったのが「土方歳三最期の一日」で新選組に興味を持ったこと、父方の先祖が薩摩の出なので、資料やDVDを観ながら複雑な気持ちになったことなどをお話します。「山本くんはどんどん上手くなっていったね。この間の時代劇もとてもよかった」磐音さまの話題も飛び出して。人の心をつかむのが巧みでいらっしゃいます。各地についてさらに丁寧に解説されたもう一冊のご著書にサインを頂きつつお聞きしたのは「来年は140周年(1868年 鳥羽伏見・戊辰戦争勃発)なので、会津の方にも働きかけて何か企画しようと思っている」 自らの名前のこともあり、また来年はヨーガ療法学会が東北方面で行われるので、会津~仙台の副長ルートも辿ろうと思っていたところ。「ぜひお願いします」とお伝えして、再び自転車に乗りました。 「居眠り磐音~陽炎の辻・最終回」 「ユメ十夜観賞」「山本耕史くんの舞台&映画&ドラマ」「e京都・新撰組」 「e京都・源氏物語」「源氏物語で恋愛セミナー」「秋の京都へ2006」「欧州鉄道の旅」「春の神戸へ」楽天トラベル
November 18, 2007
前川邸では古写真を購入、山南さんと明里さんが言葉を交わしたと思しき窓をおさめ、坊城通を再び南下、新選組記念館へ向かいます。途中、また大きな道路(高辻通)に。横断歩道を探して見渡すと、通りの左斜め向いにある「土方通り」の看板が目に入りました。改めて路上でマップをよーく見れば、確かに載っているのですがそれまで全く、気づかないほど小さな文字。大きく迂回して高辻通を横断、もちろん副長さんゆかりの道を選びます☆「土方通り」は幅一間ほどのごく細い路地。全長は100メートルほどだったでしょうか。熱狂的なファンの方が名づけられたのか、彼が島原へ通う秘密のルートだったのかしら☆?土方通り☆を抜け、公園、光徳小学校の横を走って五条通を横断、郵便局の角の道に入ると、すぐに新選組記念館さんです。こちらは私設の資料館。見学するには、事前の予約が必要。実は、今回の京都行き、新選組のゆかりの地めぐりは、スタート地点をこの新選組記念館さんにして、そこから壬生界隈、二条城、御所、池田屋事件跡、霊山記念館の順、つまり市内を時計回りに進もうと思っていました。出発の数日前にお電話してみると、「その日は午前中に講演が入っているので午後三時以降に来て下さい」とのこと。そこで急遽、時計回りを逆向き、霊山記念館から廻り、三時に記念館さんに到着と予定を変更。結果的に池田屋事件探索跡を副長ルートで巡ることができ、時計回り(北上)していたらおそらく目に入らなかった「土方通り」の看板を見つけることもでき、大正解だったようです。記念館はごく普通の民家。入場料500円を払い、入ってすぐに手渡していただいたのは「しれば迷ひ・・・」の恋歌の短冊と新選組マップ。こちらでは好きな隊士さんゆかりの資料がいただけることもあるそうですがお伝えしていなかったのに、どうして私が見えないガウンを羽織っているとすぐおわかりになったのでしょうか☆内部は雪崩が起きそうなほど歴代新選組の資料が溢れ、お二階は関連のコミック誌の山。当然ながら、山本土方さんの資料をせっせと探すそばで悠然とTVをご覧になっている館長さん。静かな時間が流れてゆきます。「しれば迷ひ しなければ迷はぬ 恋の道」 豊玉 「山本耕史くんの舞台&映画&ドラマ」「e京都・新撰組」 「e京都・源氏物語」「源氏物語で恋愛セミナー」「秋の京都へ2006」「欧州鉄道の旅」「春の神戸へ」楽天トラベル
November 17, 2007
壬生寺の後は、3時から新選組記念館の予約があるので、再び坊城通を南下・・・するつもりだったのですが、お向かいの新徳寺さんが目の端に入り、自転車をUターン、内部は非公開なので、御門をおさめさせていただきました。 こちらも新選組にはとても深いご縁の場所。到着したばかりで急遽、江戸に戻ると聞かされて、我々は京に残ると啖呵を切って浪士組を去った近藤派と芹沢派。やっとあの男衆たちがいなくなる☆とほっとしていた八木家の人々はがっかり・・・がドラマの一場面でした。壬生界隈の真ん中を走る坊城通もかなり細い道なので何百人もの浪士さんたちを受け入れなければならなかった地元の方々は相当なストレスだったのでしょうね。さて、坊城通を北向きにして、ふと旧前川邸の前も通ってみようかな、という気になりました。こちらはガイドブックを見ても「非公開」となっているので足を伸ばす予定はなかったのですが、何となく、磁力に引かれるように逆行(北上)、右折すると、何と玄関が開いています。現在は「田野製袋所」となっている旧前川邸。例の土蔵などは非公開ながら、土日は門内と、刀剣などの新選組関連のグッズコーナーに入ることができ、当時の雰囲気を味わえるのです。↑知らなかったので、とてもラッキー。やはり、足を運んでわかることってあるものです。店内は細長く、十数人はお客さんがいらしたでしょうか。ショーケースの、目の届く範囲を少しみて、ああ兼定がある、前川邸の敷地内に入れたことだけで充分に満足、さあ、出発・・・と入り口に立った途端、どしゃぶりの雨です。これはしばらく出られないな・・・と振り返ると土方さんと目が合いました。それまでまったく気づかなかったのですが、NHK大河ドラマの大きなポスターが掲げられていて。「ちょっと待て」と引き止めてくださったよう。ここが土方さんにはかなりご縁の深い場所だったことを思い起こし、改めてゆっくりとショーケースを見てみると三谷幸喜さん、藤原竜也くん、堺雅人さんの色紙も。ドラマの17話目「はじまりの死」のシナリオは、山本耕史さんのサイン入り。日付は2003.11.23だったでしょうか。一番、達筆でいらっしゃいました☆京の一日、新選組関連の施設を廻っても、大河にご出演の方々の資料を見ることがなかったので、とても嬉しく。スタッフさんにお尋ねしてみると「山本さんはよくお見えになります。3,4回はいらっしゃいましたよ」とのこと。「ここが始まり」とばかりに、三谷さんが土方さんに二回に渡って握り締めさせていた角形の五寸釘が、鉄寂びて展示されているのにも気づいて。京にあって、東男のマイナー集団だった新選組の名を一躍轟かせた池田屋事件の、スタートラインとなった前川邸。感情を一切排して、臨まねばならなかった決断は、いまだに非情の権化のように言い伝えられていますけれども自分の身のうちに鉄槌を振り下ろすような覚悟でいらしたのではないかと思います。挑んで肉を切られても、見事に骨を断った方。当の土方さんが演じきられた役柄に身を添わせるために真摯に訪問を重ねられたのでは、などと。十字架に架ける側と架けられる側の攻防、悪名を一身に受けた人となりと化す覚悟の真剣勝負。京の最後に観賞予定の舞台・「ジーザス・クライスト・スーパースター」にも、やはり何か繋がるものを感じて。答えのひとつは、舞台パンフレットを開けた瞬間にいただくことになるのです。 「山本耕史くんの舞台&映画&ドラマ」「e京都・新撰組」 「e京都・源氏物語」「源氏物語で恋愛セミナー」「秋の京都へ2006」「欧州鉄道の旅」「春の神戸へ」楽天トラベル
November 16, 2007
新選組第一屯所・八木邸での30分以上にもわたるガイドさんのお話が終り、名残惜しく調度などを見てから、同じ敷地内にある和菓子処・京都鶴屋鶴寿庵さんへ。こちらの建物は元は離れのあった場所で、近藤勇派が分宿していたそう。緋毛氈に座り、お抹茶と「屯所餅」をいただきました。 お餅には、丹波大納言と壬生菜が入っています。柔らかくて美味しいので、自宅へのおみやげに。まだうっすらと降っている雨の中、自転車を押してお隣の壬生寺に移動。「午後には晴れるって予報だったのにな・・・」と言い交わす人たちも。 壬生寺を屯所と解説してあるガイドブックもあるのですけれどもこちらでは教練などが行われていたようで沖田さんが境内で子ども達と遊んでいたというエピソードもあるそう。「土方さんの話は何か残っていないんですか?」と旅番組で耕史くんが訊ねて「さあ・・・?」住職さんにかわされていましたっけ☆様ざまな交渉事など、憎まれ役は全部引き受けていらしたようで新選組が境内で大砲を打つ教練をされたときも、きっと矢面に。男性衆ばかりが民家にひしめいていたので、昼間は広い場所に解放してあげたかったのでしょう。お参りをすませ、雨宿りのつもりで境内にある小さな建物に入れば、中は隊士さんたちの墓所に続いていました。こちらにも頭を下げに。 画像は新選組の歌碑とお池の龍神さん。コインを入れると歌が流れるそう。建物に戻ってみると、見覚えのある赤いだるまさんが目に入ります。先月、地元のお寺・永保寺で見つけたものと同じ。「全部お顔が違うんですよ」という言葉を受けて手に取ると同じ原型ながら、確かに違う表情・・・かな?お話のタネにと、こちらも買い求めました。頭に丸い印を戴いているのが、壬生寺のだるまさん。こちらにはおみくじは入っていませんでしたが、背中に「壬生寺」とシールが貼ってあります。地階には歴史資料室があるとのことで、こちらにも。新選組関連の古文書や京相撲の資料などを面白く拝見しました。壬生寺の相撲興行のシーンも、大好きなエピソードです。また雨が降ってきました。 「山本耕史くんの舞台&映画&ドラマ」「e京都・新撰組」 「e京都・源氏物語」「源氏物語で恋愛セミナー」「秋の京都へ2006」「欧州鉄道の旅」「春の神戸へ」楽天トラベル************************************************11月10日、午前8時3分より新月が始まりますね。メールマガジン第67号をお届けいたしますので、ご登録いただいている皆さま、よろしくお願いいたします。「『恋でキレイに~源氏物語で恋愛セミナー~ 』源氏物語を題材にした現代に通じる恋愛セミナーを中心に、ヨガ・心理学・手作り石鹸・自然療法・文化などを交え、楽しくキレイになる方法を。新月と満月の日に、あなたも生まれ変わってみませんか? 」毎月、満月と新月の始まる時間に発行予定。ご興味をお持ちいただいた方は、よろしかったらバックナンバーをご覧下さいませ。『恋でキレイに~源氏物語で恋愛セミナー~ 』
November 10, 2007
二条城から新選組発祥の地、壬生界隈へはマップの上では、二条城南面の押小路通をお城の角で左折し坊城通をひたすら南下すると最短距離で着く・・・・・・予定だったのですが、その途上、斜めに走った大きな道路・後院通とぶつかってしまいました。ここを横断するのは、自転車ではやや難しいので、そのまま斜め(南東)に下ると、阪急大宮駅前に出ます。考えてみれば、隊旗を掲げて意気揚々と屯所に帰るには、少し遠回りになったとしても、やはり衆目を集められるこういった大通りを進む方が良かったのかも☆再び地図を確認し、ロータリーから延びる大宮通を南下、このあたりと見当をつけて、ひとつ目の交差点で右折(西向き)し車一台がようやく通ることのできるほどの細い仏光通に。自転車を降りて進むと、家々のたたずまいが胸にせまってきます。細い路地から、浅黄の装束を纏い、肩で風を切って歩く方たちが現われそう。ここは、と確かにわかる角で右折(北向き)すれば、壬生寺、そのすぐ隣が八木邸です。 新選組の最初の屯所となった八木家は、現在は和菓子を扱うお店に。隊士さんたちの居住空間はそのまま残され、足を踏み入れることができます。(こちらも二条城のように、入れなくなる箇所ができるかもしれませんね)ちょうどガイドが始まったばかりとのことで、和菓子付き入場料千円を支払い、邸内へ。四畳ほどの前室に六畳の和室がふたつ続く空間は、芹沢さんとお梅さんが休んでいらしたところ。入り口付近に立っていると「もっと奥へお入りください」すでに十数人ほど集まった方々の前で、熱弁をふるうガイドさん。雨模様ながら、少しずつ見学の人が増えてゆく様子なので足を進め、奥の六畳間に座らせていただきました。DVDや本で繰り返し辿ったお話を、現場で聴きながらお部屋を見渡せば「ちょうどそこが、芹沢さんのお布団があったあたりです。天井には黒々と痕が残っていたそうですよ」思わず少し、膝が浮いてしまいます。将軍警護のため江戸で結成された浪士組として上洛、すぐに袂を分かったのは八木家に振り分けられていた芹沢鴨派5名と、近藤勇派8名。会津藩御預となって市中の見廻りに従事するも、乱暴狼藉の限りを尽くす芹沢派を持て余した会津藩は、近藤派に粛清を要請。「その夜も、こんな雨が降っていたそうでございます」刃から逃れ、隣の部屋に転がり込んだ芹沢さんのようにガイドさんの後から移動、入り口の刀傷を確認して、六畳が縦にふたつ並んだお隣の部屋に入ります。こちらは八木家の奥さまとご子息二人が寝入っていた場所。「床机につまずいて、ちょうどそのあたりに転がって・・・」またガイドさんが目を向けられました。建物は、思っていたよりも小さな印象。当時の日本人の背丈がいまよりも低かったとはいえ六畳敷四つの空間に、3人の親子、男性数名、それに同衾の女人衆も含めた中での乱闘は相当に息詰まるものだったことでしょう。刀傷のある部屋からはお庭の井戸が見え、横には土間が続いていて。歳さんがお梅さんにビシっと団扇ではたかれたのは、耕史くんと照英さんが再現シーンをされたのはこのあたり・・・不謹慎にも、好みの場面を思い起こしていました。次は壬生寺へ移動します。 「山本耕史くんの舞台&映画&ドラマ」「e京都・新撰組」 「e京都・源氏物語」「源氏物語で恋愛セミナー」「秋の京都へ2006」「欧州鉄道の旅」「春の神戸へ」楽天トラベル
November 7, 2007
「明日は京都に行こうか」神社仏閣、美術館をふらりと訪れることが好きな母に連れられて、幼いときから幾度か足を運んだ古都。「どこに行きたい?」と言われると、大抵、「二条城!!!」と答えていました。修学旅行の前に、母と2度くらいは行っていたでしょうか。理由は簡単。うぐいす張りの床のきゅっ、きゅっという音が面白かったから。大きな音が鳴るように、踏みしめながら歩いていました。(春の句がお好きな豊玉さんなら、一句ひねれそう☆)「あれ、この前はあの畳のところに入れたのに・・・」「もう少し、床が鳴っていたのにな・・・」訪れる度に入ることのできる空間が限られ、音が鈍くなっていたような記憶もあります。その頃はもちろん、小学校での修学旅行時も幕府の一応のお目付け役であり、幕末には有名無実と化していたという京都所司代がその付近に置かれていたことなど眼中になく。ただ、お城の中といえば、殿様のおわします場所といえば二条城・・・が基準になっていたのでした。さて、蛤御門から京都御苑の外へ。御所から見て南西方向、二条城へ向います。御苑の囲いづたいに南下(京都駅方面)、どのあたりで西へ進路をとろうかなと思う間もなく、目に入った教会の建物に惹かれて、すぐに右折(西向き)します。こちらは聖アグネス教会で、平安女学院が併設。下立売通という少し覚えにくい名前の道を西へ向って偶然見つけた石碑が「旧二条城跡」。幼いときからの二条城好みのおかげでしょうか☆このあたりから手にしていたマップが途切れていましたが、大体の見当をつけて、大きな道(堀川通)を左折(南向き)するとちゃんと二条城の前に出ることができました。雨とはいえ、こちらはかなりの人出。自転車もゆっくりゆっくり進ませます。 城内に入ることは、今回はパス。お城の角を右折(西向き)し、押小路通へ。途端に人空くなに、静かになります。外堀つたいに進むと、風情ある松の陰間からお城の南門が見えましたのでここからゆったりと、再びの二条城を愉しんだのでした。次はいよいよ、新選組発祥の地、壬生界隈へ参ります☆ 「風俗博物館 HP」「e京都・新撰組」 「e京都・源氏物語」「源氏物語で恋愛セミナー」「秋の京都へ2006」「欧州鉄道の旅」「春の神戸へ」楽天トラベル
November 6, 2007
池田屋事件跡の次、蛤御門へは、時間がなければパス、という選択も考えていました。その場合は、池田屋前の三条通りをまっすぐ西へ進行・・・だったのですが、幸い、時間に余裕があったので、寺町通りで右折(北向き)し、鳩居堂さんへ。和紙を扱うお店の前は、どうしても素通りできない性分。今回は名刺用の和紙、手の平サイズの一筆箋と小封筒、子供へのおみやげに和紙のパスケースなどを買い求めました。寺町通りには、もうひとつお目当てのお店・一保堂さんがあります。デパートなどでこちらのお抹茶を購入することはあっても、近くまで足を向けていても、本店へ来られたのはほぼ十数年ぶり。家庭用の一番リーズナブルなお抹茶「綾の森」をお薄のためにいくつか買おうと思いましたら「できればお菓子用としてお使い下さい」とのこと。そこで「綾の森」は家族用にひとつ、ちょっとしたお礼用にそのひとつ上の「淡々斎宗匠御好 青山の白」を4つ購入。ラッピングを待っている間に、店内のお茶室に入ります。いつも混んでいる一保堂さん、秋の京都の休日に店内でお抹茶を頂くことなどとても無理だと思っていたので、ラッキー。雨空に感謝しました。美味しいお抹茶&お菓子をいただいて、コンパクトなおみやげを携え、再び寺町通りを北上。また少し雨が降ってきましたが、どこ吹く風、♪寺町通り~寺町通り~♪怪しげな鼻歌と共に、御所に到着。寺町通りに面しているので、寺町御門・・・より京都御苑内へ。街なかに浮かぶ巨大な空間、京都御苑。御所の中には、一般公開時か、事前申し込みをしないと入れませんがその周辺の御苑は出入り自由。地元の方々の憩いの場なのでしょう、お散歩や野球に興じている方もいらっしゃいました。御苑マップでは右側の九州のような形の御池の下の道が寺町御門から入ったところ。砂利が敷きつめてあるので、御苑でサイクリングをされる方はわだちである「自転車道」を探して進みましょう。 自転車道を西の端まで辿り、新選組の担当区域・建礼門前の御花畑☆付近と思われるあたりに。その左手が蛤御門。マップでは左側の真ん中の通路、その斜め上が御所です。双六のように、次はどの目が出るかわからないような、緊迫した時代、幕末の雄藩たちの、さらに現代に続く政界の、陣取り合戦の端緒とも言える禁門(蛤御門)の変。御所に来た際に、何度も見かけているはずのこの場所に、テーマをもって、歴史を知ってから訪れる醍醐味を味わいます。 日記をアップしながら気づいたのですが、蛤御門で確認するはずだった当時の弾痕のことをすっかり忘れていました。これも次回以降に。愉しみの貯金がどんどん増えてゆきます☆次は会津藩主・容保公の弟君がおわした京都所司代付近、二条城へ向います。 「e京都・新撰組」 「e京都・源氏物語」「源氏物語で恋愛セミナー」「秋の京都へ2006」「欧州鉄道の旅」「春の神戸へ」楽天トラベル
November 5, 2007
平野家さん前の路地を西へ下ると、祇園の交差点、八坂神社前、人、車、双方の量が一気に増える四条通りを西に進むと、四条大橋東端、南座です。南座では、近年は新之助時代の海老蔵さんの「源氏物語」、その前はかなり遡って、野田秀樹さん主宰の夢の遊眠社の舞台「桜の森の満開の下」を観賞したことがあります。野田さんはNHKでは勝海舟を演じておられました。この南座・四条大橋東端付近から池田屋事件探索ルートがスタート。洛中に火を放ち、混乱に乗じて帝をお移しするという計画が発覚、謀議が行われている店を検めるために二手に分かれ、局長さんグループは四条大橋を渡ってから、鴨川の西側を北上、副長さんグループは鴨川の東側を北上して三条大橋を渡り、池田屋で合流したそう。さて、今回は土方副長ルート(縄手通)に平行した広くて自転車の通りやすい川端通を使って、池田屋事件跡まで進みます。四条大橋手前を右折すると鴨川の東側が川端通、すぐに鴨川にそそぐ小さな白川がありました。 奥にうっすらと見える橋が縄手通ですね。ルートは違っても、池田屋さんまでは同じ位の距離のはずが土方さんたちの方の到着が遅れたということは、馴染みのお店が多かったからかなー☆などと思いながら雨の上がった川端の見晴らしのよい道を、気持ちよくサイクリング。 探索に手間取った当時と違い、あっという間に三条大橋に到着。鴨川に鴨がいることに単純に喜びながら、橋を渡ります。 三条大橋を渡りきると、すぐに鴨川に平行して走る小さな高瀬川、「佐久間象山遭難地」の石碑があります。(捨助さんが逃げたのもここですね☆) そのすぐそば、通り過ぎてしまいそうなほど近くに池田屋事件跡。 このあたりは京都訪問の際に何度も通っているはずなのですが、見た記憶がなく。見ていたとしても、何をした方々の、どんな事件だったのかわからなかったので、記憶に残らなかったのでしょう。先に池田屋さんにビンゴしたのは、四条大橋を渡った局長さんの方。それから数年のちに、この市中で最も人目に触れる場所に、京を守った恩人、ではない姿で戻ってこなければならなかったとは。夢浮橋 豊玉ならば 如何に詠む次は蛤御門へ向かいます。 「e京都・新撰組」 「e京都・源氏物語」「源氏物語で恋愛セミナー」「秋の京都へ2006」「欧州鉄道の旅」「春の神戸へ」楽天トラベル
November 4, 2007
幕末歴史ミュージアムを後にして、維新の道を下り(西向き)、離れた場所に停めてちょっと心配になっていたレンタサイクルの元へ。きちんと狛犬さんが守っていてくれました☆維新の道の半ば、高台寺公園の角を右折すると(北向き)御陵衛士屯所跡の石碑が立っています。高台寺は谷原章介さんが演じられた、新選組と袂を分かった伊東甲子太郎さん一派のいらした場所ですね。この屯所跡のある200メートルほどの路は高台寺道、通称「ねねの道」とも。後者の方が通りがいいようで、右側の画像にある碑も北の政所の方です。 真ん中あたりまで進むと、左手に圓徳院。自転車ですーっと通り過ぎようとしましたら、真っ白い涅槃像が目の端に入ったので、足を止めました。格子の向こうの、四角い枠の中に。ねねの道のつきあたりを右折(東向き)、すぐに左折(北向き)して100メートルほど進むと、円山公園入り口の長楽館前に。王朝風のインテリアと珈琲やお食事が楽しめるところ。 時間があれば、ゆっくりと訪れたい建物です。自転車を降り、大きな池のある円山公園内へ。池泉回遊式庭園という造りで、桜の名所でもあるそう。 公園通路をさらに北へ進み、花より団子、紅葉よりもいもぼう、ランチタイムは平野家さんへ。小さな入り口を通ると、奥まで延びた細長い通路、その両脇にお食事のできる個室が並ぶ町家造り。揃いのお着物でスタッフさんが迎えてくれます。休日なので混んでいることを予想して早めに入ったのですが天候のためかゆったりとお食事ができました。(実は雨の幸運が、このあともしばらく続くのです。)選んだのは一番リーズナブルな「いもぼう御膳」お膳の中央には「祇園豆腐(サイコロ状のお豆腐に白だしの餡かけ、からし添え)」左下から時計回りに「いもぼう(大きな里芋のような海老芋と、棒鱈の炊き合せ)」「白いご飯 赤紫蘇」「緑茶(急須も添えてあり、とても美味しいお茶でした)」「昆布、柴漬け」「湯葉、椎茸、卵焼きのお吸い物」「木瓜と木耳の和え物」名物ながら、味・量・お値段すべて、満足のお昼でした。京都のお食事、新選組ゆかりの近隣のお店では鳥彌三の水炊き(坂本龍馬さま御用達)、もしくは左阿彌のちらし寿司(新選組幹部さま御用達)あたりも理想ですね。この二品、山本耕史さんと照英さんが「ニッポン旅×旅ショー 幕末ヒーローが愛した京都」にご出演の際、舌鼓を打っていらしたので、ぜひ味わいたかったのですけれども双方、予約は2名以上とのことで、これも次回以降のお楽しみに。次は池田屋事件跡へ向かいます。「長楽館さんHP」 「平野家さんHP」「ニッポン 旅×旅ショーHP」 「e京都・新撰組」 「e京都・源氏物語」「源氏物語で恋愛セミナー」「秋の京都へ2006」「欧州鉄道の旅」「春の神戸へ」楽天トラベル
November 3, 2007
龍馬さん&慎太郎さんの石碑と共に、お二人に名刺を取り次ごうとして亡くなった方の碑も並んでいます。すでに三人ほど男性がいらして話しこんでおられましたのでさらに上方にある桂さん&幾松さんの場所へ。途中にずらりと並ぶ石碑の前を通るときは何となくどきどきしましたが後からパンフレットで確かめると池田屋&禁門の変で亡くなった方々のもの。一番高い場所を占める桂さん&幾松さんの石碑を拝見、下山してパール判事の記念碑へ。前を通ると、いきなり説明文が大音声で流れ出して驚きました。 ここで10時となり、維新の道への目的地、すぐ目の前にある霊山歴史館へ移動。幕末維新ミュージアムと銘打った歴史館ではちょうど「龍馬と西郷」という特別展が催されていました(10/18から11/25まで)。重要文化財指定の、龍馬さんの最期を決した部屋にあった梅椿の屏風や、御命を奪った刀、鎖帷子などを展示。狭い部屋での格闘向きの脇差の短さと刃こぼれのあとに見入ってしまいました。二階には、お目当ての2点の赤いダンダラの袖章。NHKドラマ「新選組!」の撮影セットの模型や、池田屋の再現音声付きコーナーも。一階の出口付近には、通常の木刀と天然理心流仕様の木刀が置いてあり、持ち比べができました。(相当、重いです。これで鍛えたら、確かに実践向き、 源さん役の小林さんが腱鞘炎になられたのも納得)ラストはお約束の記念撮影☆龍馬さんと土方さんのお二人が並んでいるのが、ご愛嬌、撮影希望の一番多いのが、素敵なポートレイトを残したこのお二人なのでしょうね。帰り際には何十冊も揃った幕末関係の書籍の中から「新選組日記」を購入。サイン入り。「沖田さんじゃないですけど・・・」とおっしゃって、本と一緒に下さったのが土方さんの写真&俳句入りのしおり。とっても嬉しいです、ありがとうございます☆俳句は「しれば迷ひ・・・」の恋歌ではなく、沖田さんにくすっと微笑まれそうな「春ははる・・・」の方。「燃えよ剣」の著書でも「新選組!」の映像でも、句帳をばらばらするお二人のシーンはほっとしますね。そろそろランチタイムです。 「幕末維新ミュージアムHP」 「e京都・新撰組」 「e京都・源氏物語」「源氏物語で恋愛セミナー」「秋の京都へ2006」「欧州鉄道の旅」「春の神戸へ」楽天トラベル
November 2, 2007
豊国神社を出て、大和大路通りを北上すると、交通量の多い五条通へ。右折(東向き)して最初の交差点を左折(北向き)すると東大路通に。東大路通の東側には、清水寺及び、五条坂、二年坂、三年坂が控え、たくさんのショップもあって心ひかれるのですが、なにしろ、雨。坂が続く上に階段状になっているため、晴天でも自転車には難所のようなので今回は見送りに。ゆえに、二年坂にある竹久夢二の家も次回のお楽しみになりました。500メートルほど北上すると、左手に安井金比羅宮さん、ここで東大路通を横断する(東向き)と、維新の道の入り口に到着します。維新の道も、かなり急な坂道。自転車から降りて進むものの、高台寺公園のあたりでストップ、狛犬さんの後ろに駐輪させてもらいました。さらに険しい傾斜道を行くと、右手に料亭・京大和さんの門。こちらは翠紅館という志士の方々が集まる場所だったのだそうです。 はるばる維新の道(維新の坂?☆)を登ってきたのは、霊山歴史館で新選組関係の資料を拝見するため。10時の開館までには時間があるため、先にお向かいの京都霊山護国神社に。こちらには明治維新史跡公園があり、坂本龍馬さん、木戸孝允さんを始めとした志士や第二次大戦で亡くなった方々の墓所が集まるところ。新選組の資料を集め始めた頃、同時進行で読んでいた「パール判事の日本無罪論」で東京裁判で唯一、被告全員無罪の判決文を提出されたインドのパール判事の記念碑がこちらにあることを知り、かなり早くからコースの候補にしてはいたのですが。新選組ゆかりの地めぐりの一つとしては、それも土方歳三さんファンとしては。池田屋事件で命を落とされた方もたくさんいらっしゃるのですもの。チャリンと300円を自動改札機に投入して入場、石段を登り、林立する墓碑群を目の前にしたときは、少し背中の寒い思いがして、巡る間、心でお題目を唱えていました。 維新の坂、さらに急な石段を登りつめたこの史跡は洛中を一望できる場所。雨に煙る日にもこういった眺望、晴れた日にこちらに登った当時の方々は気宇壮大な心持ちになられたことでしょうね。続きます。 「京大和さんHP」 「京都霊山護国神社さんHP」「e京都・新撰組」 「e京都・源氏物語」「源氏物語で恋愛セミナー」「秋の京都へ2006」「欧州鉄道の旅」「春の神戸へ」楽天トラベル
October 30, 2007
京都行きの前日は雨。ちょうど子どもの学校の文化祭があり、レンタサイクルで市中を回るエクスサイズも兼ねてママチャリさんに乗り、見学に行ってみたのですが急な坂道やゆるくながく続く傾斜道を傘をさして進むのは、思ったよりも重労働。車も通るので、かなり神経が疲れて、そそくさと帰宅。この分では、秋の休日、たくさんの人と車で溢れた観光地、坂も多い場所に行く予定で、雨の自転車乗りはどうかしらと思いつつ折りたたみ傘やタオルなどを用意していると日が暮れるにつれて雨あしはどんどんと強くなってゆきます。この勢いで、明日の分まで今夜中に降って欲しいなーと願いながら刻一刻と変わるネットのお天気情報を見ていると雨→曇りのち晴れのマークに。喜んで膨らんだバッグの中身を軽くして、就寝。朝になってみると、やはり雨。お天気情報は午前中 雨→午後 晴れに変わっています。急いで雨支度にバッグの中身を戻し、夕食の準備も整えて出発しました。西から変わるはずの雲行き、新幹線の中では期待を込めながら空を。京都駅到着当初はやんでいたのが、レンタサイクルショップさんに着く頃にはまた降り始めます。予約してある旨を告げると、手続きはスムーズに進み、鍵のかけ方などを説明していただいて、さあ出発・・・と思ったのですが慣れない形状の自転車、柄の短い傘をさして進むのは無謀とすぐに判明。霧雨と思い、帽子と厚手の上着をたよりに車上の人になりました。【新選組ゆかりの地めぐり、よろしかったら京都の地図をお膝元に、 ご一緒に御愉しみくださいませ】まずは七条大橋へ。地図をプリントアウトして、京都駅北口から、右手、東方向と出発前に幾度も頭の中でシュミレートしていた通りに、鴨川が見えてきてホッとします。七条大橋を渡って、二つ目の交差点を左折(進行方向は北に)すると、京都国立博物館前に。休日の朝9時過ぎでしたが、すでに入り口にはたくさんの人波。博物館の北隣は、豊国神社、そして「国家安康」の鐘が奉納された方広寺。京都、大坂近辺では関白秀吉公の人気はとても高かったそう。政治の中心地を大きく動かさなかったこと、文化興隆に努め、使うべき場所には派手に財を投じたこと、宮廷を軽んじなかったことなどが理由でしょうか。東に政治を移し、宮廷をほとんど無力化して質実剛健にこれつとめた江戸幕府の祖は、きっとこのあたりではあまり人気がなかったのかも。これが幕末の流れにも繋がるのでしょうね。旅の始めに参拝させていただいてから、維新の道へ向いました。続きます。 「風俗博物館 HP」「e京都・新撰組」 「e京都・源氏物語」「源氏物語で恋愛セミナー」「秋の京都へ2006」「欧州鉄道の旅」「春の神戸へ」楽天トラベル
October 29, 2007
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