カテゴリ未分類 0
全9件 (9件中 1-9件目)
1
父は白血病で、1度は治療がうまくいったものの再発し、集中治療室に移されていた。訪ねてゆくことを知らせないままに到着したため、病室にいた父のパートナーは突然現われた見知らぬ男に目を見張ったが、すぐにこう言った。「あなたが、サムね。」彼女は何度も、グラスゴーへ僕の消息を問い合わせてくれていたのだという。NYという、モントリオールにもっと近い場所にいたパートナーの形見を。ちょうど同じ時期に、こちらも彼らを探していたのだった。目の前で、ゆっくりと静かに霞んでゆく炎。ひと言の言葉も交わすことができない親子。それでも、そんな父の命の最後のゆらめきに、その温かみに手をかざすことに間に合うことができた僕は、やはりとても幸せだったように思う。葬儀がすみ、パートナーは僕に父が愛読していたという本を一冊、手渡してくれた。ボロボロになるまで、読み返されたドラッグに関する手記で、中にはたくさんの言葉が、昨日書いたような色合いと乱れた筆跡で残されていた。苦しみの言葉、希望の言葉、また落ち込んでゆく絶望の言葉、また光を見い出したときの歓喜の言葉。僕は何故、父が母から、そして僕から離れてしまったのかを知り、彼が本の主人公に自らの姿を重ね合わせ、その地獄の縁から這い上がっていった有り様を辿った。そして最後のページに、僕は見たのだ。少しも乱れのない、しっかりとした筆致で記されたあの言葉を。僕がフランキーとリジーに向ったときに、何故か口を衝いて出てきた真理に繋がる言葉を。「ただこの人を見よ。真理は常に汝と共にあり。」あの丘の上での情景と、目の前の文字が重なり、古びた本の上でにじんでゆく・・・。***グラスゴーでのレストランのオープンは、夕方までの予約客に限定したにもかかわらず盛況だった。この日は早めに店をクローズし、7時からプライベートパーティに切り替える。シャーロットやアリーにも当日まで、ずいぶんと助けてもらった。招いたのは6人、少年の10回目の誕生日も兼ねて、フレンチを愉しんでもらう。食事のあとのワインは、ラウンジのソファに移動してとる。「11月いっぱいくらいは、こちらにいるつもりなの?」シャーロットがグラス越しに聞いてきた。ガールフレンドとはしゃいでいたフランキーと、リジーの動きが止まるのがわかる。「いや。明後日にはNYに行くよ。」「オーナーがいなくなったら、俺がここを乗っ取ってしまおうかな?」アリーの飛ばした冗談に、僕は静かに言葉を返す。「それは無理だな。NYの自宅を引き払って、クリスマスまでにはこちらに戻ってくるから。」フランキーの顔が輝き、リジーは一瞬こちらをみて目を伏せる。シャーロットがにっこり笑い、その横で、ネルが小さくハミングし始めた。若いとき夢にみていた 運命の人きらめく騎士よ天空のお城へ 連れてって アリーがそれを受けて、ネルと肩を寄せて歌い出す。竜退治をすませたら きれいな白馬で 翔けてきて永遠の愛と 喜びと やすらぎと待ち焦がれていた姫君をきらめく騎士よ 白馬で翔けて 連れてってフランキーが近づいてきた。「年が明けたら試合があるんだ。」「そうか、しっかりやれよ。」「キーパーの特訓、してくれる?」「もちろん。厳しくやるぞ。」ゆっくりとこちらに向う彼女の茶色の瞳の煌めきを、僕は今度こそ、きちんと受け止めた。"Everyone will have their day in the game of their lives." 8へ
November 9, 2005
9年半。シャーロットが去り、サラが逝ってしまってから、そんなにも時がたっていたのかと改めて思う。同封されていたフランキーの手紙には、本をとても気に入ってくれたこと、地理の成績のこと、サッカーチームのことなどと一緒に、彼の本当の父親との別れについて書かれていた。「ママには僕がついてるからね。」気丈に男らしく振る舞おうとする様子が浮かんでくる。僕も、母に何度もそう言っていたっけ。自然に心が和んできたのを、次の結びまで読み進めて愕然としてしまう。「きっとまた、会えるよね。 いつかまた、あの海岸のドックで、船が見えたときに。 あなたの友人 フランキー」普通に読めば、何のことはない。ただ会いたいと伝えてくれている、子どもの素直な気持ち。けれど僕にとっては、どうしても見過ごせない言葉。いろんなガラクタがたくさん転がっていた一階で日がな一日遊び、二階で並んで船を眺め、海に繋がる世界を想像した古びた家。最初に思いを告げ、あの夜導かれるように、再び出会った場所。サラと僕は、あの東屋をドックと呼んでいた。一緒に添えられていた短い伝言で、僕の惑いは確信になった。「大切な友人へ 11月13日は、あの子の10回目の誕生日です。 リジー」きっとまた、会えるわ。あの海岸のドックで、一緒に船を見ましょう。彼女はそう言って、あの年の11月、死出の旅についたのだから。心波立たせながら、もうひとつ、僕は手紙より前に受け取っていた通知を読み直す。NYに戻ってすぐに依頼した調査結果。父は、まだ生きていた。カナダの大きな都市で、パートナーと共にホスピスにいるという。そのときまでは迷っていた。けれど今、フランキーと共有したひとつひとつの出来事と、リジーの勇気と、シャーロットの涙の粒の数々が同時に押し寄せて、僕は思う。事情が変わったと。あのときフェード・アウトするしかなかったストレンジャーはこのあと、どうするべきかをやっと知ることができた。いや、どうするべきかではなく、どうしたいかを。ああ、待っていたんだよ、僕は本当に。そして、きっとあなたも。僕はモントリオール行きの便を予約し、再び荷物をまとめた。7へ 9&1/2へ
October 21, 2005
親愛なるストレンジャー、そちらでの様子はいかが?この間は、ありがとう。久しぶりにあなたに会えて、アリーにも紹介できたこと、とても嬉しく思っているわ。それと、フランキーのお父さん役、ご苦労さま。あの子、とても喜んでくれて、私も嬉しかったわ。ところで、実はあれから、ちょっと大変なことがあったのよ。あなたには、もう関係のないことかもしれないけれど、よかったら読んでください。あなたが去った2日後、夜の7時くらいかな、私の店に赤毛の背の高い女性がとても疲れた様子で入ってきて尋ねたの。リジー・モリスンの住まいを探している、このあたりじゃないかって。あなたは少し事情を聞いたと思うから書くわね。彼女、町から町へ、夫のデイビーから逃れて流れてきているの。その追っ手かしらと思って、彼女は休暇をとって出かけたはずだから、まだ帰っていないかもと答えたら、赤毛嬢、かなり深刻そうな顔をして腰を下ろしました。そこへ、当のフランキーが半べそになって店に入ってきたの。しかも「パパが、死んでしまうんだって。」っていきなり抱きついて。赤毛嬢は立ち上がって叫んだわ。「もしかしたら、あなたがフランキー?」大粒の涙をこぼしながらね。彼女はディビーのお姉さん、つまりフランキーの伯母だったの。どうも彼、本当に死にかけているらしくて、その日はリジー、病院まで会いにいったらしいんだけど、結局フランキーには会わせられないって帰ってしまったんですって。赤毛嬢は興奮して、すぐにも彼を連れていってしまいそうな勢いだったのでそれはようやく止めました。こんな話を突然聞かされて、もっと混乱してしまうかと思ったけれど、フランキーは静かに聞いていました。結局、赤毛嬢は写真を二枚、置いて帰っていったの。一枚は結婚式の写真。赤毛の男性が、リジーと一緒に写っていたわ。二枚目は、最近撮ったと思われるベッドに横たわったやつれた男性、もちろん、一枚目の写真と同じ人。だいぶ髪色は褪せて白髪が増えていたけれど。きっとね、フランキーはどこかで本当のお父さんの写真をみたことがあったんじゃないかしら?顔はわからなくても、もしかしたら髪の毛の色くらいは知っていたのかも。そうだとしたら、アッシュブラウンの男性は、一目でパパじゃないって、見抜かれていたのかもしれないわね。フランキーは黙って家をでてきたらしく、私はこっそり送っていたのだけれど、次の日にお店にチップスを買いに来た時は、普段どおりに振る舞っていたわ。それから数日して、父親が亡くなったことを教えてくれました。「マリーは、あの男の人が誰だか知ってるの?」って聞かれたから「少しはね。」って。「あの人は元気なんだよね。」って言葉にうなづくと、にこっと笑って。私たち皆のついた嘘を、許してくれたみたいだったわ。リジーもあの子も、もちろん今、心沈んではいるけれど、ほっとしたという気持ちもあるでしょうね。この町に落ち着くこともできるわけだし、しばらくしたら心も癒えてゆくと思います。P.S. フランキーが手紙と写真をあなた宛に送ったらしく、私書箱経由で手元に戻ってきたのをリジーから預かりました。同封しますので、受け取ってくださいね。P.S.2 リジーにも、あなたが誰かって聞かれたの。思わず「私の弟よ」って答えてしまいました。何故かしらね。9年半もたったら、元の夫も弟みたいになるってこと?いつか、笑って訂正する日が来ることを願っています。 いつまでもあなたの友人 シャーロット6へ 8へ
October 20, 2005
O, our dearest Gerry, Good, good ...(300 times) luck to you.On our memorial night and day,God and a full moon with you. ***シャーロットたちとフランキーが前を歩き、僕はリジーと後ろからついて行く。ふたこと、みこと、互いの距離をはかり合いながら、ためらい勝ちに言葉を交わす。彼女が、ストレンジャーが何ものであるかを知りたがった。そのとき、僕は何故か、幼いときから自分の中で思い悩んでいたことを訊いてしまいたい衝動にかられた。「どうして、彼は君たちを捨てたりしたんだろう?」どうして、どうして父は母から、僕から去ってしまったんだろう?彼女は、捨てられたのではなく、逃げてきたのだということ、子どもの耳の原因がその夫だと、かすかな声で答える。母が僕に見せないように努めていた心の痛み。嘘の手紙を書いてまでも、夢を壊すまいとする彼女。痛みを越えて、なお精一杯、子どもを守ろうとする聖母たち。「いつだって、真理は姿を現してくれているんだ。ただ、気づけばいい。」ああ、そうでしたか、やはり、あなただったんですね。幼子の心に、この言葉を刻み、今日、蘇えらせてくれたのは。「フランキーは、幸運な子どもだ。」やり方が、たとえ間違っていたとしても。そして僕も、とても幸せな子どもだったんだ。先を進んでいた三人の歩みがゆっくりになり、僕はアリーから眠りこけてしまった子どもを受け取った。「最後まで、今度こそきちんとね。」別れ際にシャーロットがささやく。重みのある、子どもの熱い身体をベッドに横たえ、部屋にある地図に見入る。どれほど父親が来るのを心待ちにしていたことだろう。船はぽっぽとやってくるんだあの波たちを越えてね子どもがふいに目覚める。起き上がって、ゆっくりと声を出した。まるで初めてさわった楽器に息を吹き込むように。「もどって、くる?」僕は、かつてくり返し続けていた言葉を、ここでも静かに使った。共に答えを見つける旅をしてゆくだろう、同志の前で。部屋を出たとき、僕は待ち受けていた彼女の視線をすくう。家族として時間を共有できた甘やかな気持ちと。事情が変わったとつぶやいた謎かけへの答えと。まだ完全には終わっていない関係への躊躇いと。僕の中で、彼女は聖母の引き写しに過ぎないのか、またはウィッシュリストを残していった女性の代わりに?まるで少年時代を生き直したかのように、共に過ごした子どもと同じ輝く瞳に惹かれただけなのか。考える僕の背中を、とんと天使が押してくれる。同時に彼女の背中も、やってくる。互いにフェード・アウトしなければならないと、わかっていても。いまこのときは。【SAMSARA(輪廻転生) EDT SP 30ml】 5へ 7へ************************************************本日、21時14分より満月が始まりますね。メールマガジンをお届けいたしますので、ご登録いただいている皆さま、よろしくお願いいたします。「『恋でキレイに~源氏物語で恋愛セミナー~ 』源氏物語を題材にした現代に通じる恋愛セミナーを中心に、ヨガ・心理学・手作り石鹸・自然療法・文化などを交え、楽しくキレイになる方法を。新月と満月の日に、あなたも生まれ変わってみませんか? 」毎月、満月と新月の始まる時間に発行予定。ご興味をお持ちいただいた方は、よろしかったらバックナンバーをご覧下さいませ。『恋でキレイに~源氏物語で恋愛セミナー~ 』
October 17, 2005
今朝はめったにないくらい、すっきりと晴れていた。眠っているあいだに、何か答えをもらえたように感じる。「行先は、お前が決めるんだ。」満面の微笑みを浮べて、僕と母親の前をゆくフランキー。彼の行く先は、この町一番の、眺めのいい丘だった。今いた埠頭を見渡せる、世界のどこにでも繋がりそうな、どこまでも広がる空を満喫できる場所。遠くで、パラグライダーが飛んでいるのが見える。「フランキー、算数は得意かな?」「地理が得意よ、この子は。」引き結んでいた唇を、初めて開く母親。彼女は、くっきりと紅をさしていた。深みのあるワインレッド。「地理が得意なのはいいことだよ。自分が行きたい場所がわかるから。」大きく見開かれた茶色い瞳を、僕は見かえした。僕は自分の手を開き、子どもの手と、ずっとポケットにしまいこまれていた彼女の手を引き出して延べる。「フランキー。この世界の真理を知りたいと思ったら無理やり耳をすませなくたっていいんだよ。真理はいつだってお前の周りに、目に見える姿を現してくれているのだから。ただ、気づけばいい。この手の中にある筋と同じようにね。」子どもと、そして彼女の手の平をゆっくりとなぞり、自分にもこの言葉を言い聞かせる。そのとき、僕は既視感に捉えられ、指の動きと一緒に記憶の線を辿っていたのだった。「いつだって、真理は姿を現してくれているんだ。ただ、気づけばいい。」三人で町のあちこちを巡り、あっという間に夕闇が迫った。「時間があったら、いらっしゃいよ。彼にも会わせるから。」一昨日の別れ際にシャーロットが言っていた公民館へ、それとなく足を向ける。二人は建物の入口で、仲睦まじそうに待ち構えていた。「あなたたちが一緒に来るなんてね。」シャーロットが喧騒の中で顔を寄せる。「それで、リジーはどう?」「リジー?ああ。綺麗な人だと思うよ、君と同じくらいにね。」「相変わらずね。まあ、今宵一夜を、どうぞ愉しんで。」シャーロットは僕の頬にキスして、パートナーのアリーの元に戻って行く。フロアにいる女の子を見つめている子どもに、僕は声をかける。「フランキー、女の子を理解しようとしてもムダだよ。たとえ目の前に姿を見せてくれていてもね。わからない、だから好きになるんだ。」お父さんもそうだった?「ああ、そうだよ。」にっこり笑う子どもの背をくるりと押して、急いでバーに促がした。シャーロットに背中を押されたアリーが、ステージで歌い始めた。「これ、大好きなの」とつぶやくリジーを、僕は思わず見つめてしまう。うっとりと聴き入っている彼女。フランキーをけしかけて、自分をも鼓舞してから、僕はそっと身を乗り出した。「ダンスを、ぜひ。」若いとき夢にみていた 運命の人きらめく騎士よ天空のお城へ 連れてって 竜退治をすませたら きれいな白馬で 翔けてきて永遠の愛と 喜びと やすらぎと待ち焦がれていた姫君をきらめく騎士よ 白馬で翔けて 連れてって「いつだって、真理は姿を現してくれているんだ。ただ、気づけばいい。」この言葉を教えてくれたのは・・・。4へ 6へ
October 14, 2005
シャーロットが行ってしまってから、僕はひとり、母の墓所に。放蕩ものだった父が去ったあと、女手ひとつで僕を育ててくれた母。音楽や本に親しみ、美味しい料理を作り、いつも楽しげに笑い、歌っていた。若いとき夢にみていた 運命の人きらめく騎士よ天空のお城へ 連れてって 竜退治をすませたら きれいな白馬で 翔けてきて永遠の愛と 喜びと やすらぎと待ち焦がれていた姫君をきらめく騎士よ 白馬で翔けて 連れてって僕が寝入ってから忍び泣きをしていたと思われる翌朝も、にっこりと微笑んでくれる母。12年前、母が癌でこの世を去った数年後、父もアメリカで亡くなったと聞いた。ほとんど、記憶のないままに逝ってしまった父。そして彼を、おそらくずっと待っていた母。どうして、どうして父は母から、僕から去ってしまったんだろう?どうして、サラも?そんなとき、傍らにいてくれたのがシャーロットだった。「愛するものをこれ以上失うのは耐えられない。」サラの病名を知ったときに心の中にそんなスイッチが入ってしまったのを、妻ならわかってくれると甘え、全てを失ってしまった愚かな夫。赤い鳥 白い鳥 ともに去った そのあとに舞い降りるのは 本を渡したときの瞳の輝き、抱きつかれたときの重さを僕はすぐに受け止めることができず、全身がこわばってしまった。それでも、子どもと意志をかよわせながら連れ立って歩き最初の目的地、サッカーの練習場へ着くころには徐々に体も心もほぐれてゆく。ああ、待っていたんだな、僕を本当に。サッカー場、海辺、公園、映画館、ペットショップ。たわいもない、ささやかなイベント。チョコレートを買って渡したときも、それをポケットにしまおうとするのをたしなめられたことさえも嬉しそうなフランキー。「秘密の場所だよ。」じっと熱帯魚を見つめる様子に、目を奪われてしまう。母親の心配そうな、羨ましげな姿が、目の端に見える。「お前は、お母さんと出かけたりするんだろ?」首を傾けてから、かぶりを振る少年。フライを揚げたりして、忙しいからね。そうだった。男手がない母親には、子どもと外で過ごす時間は少ないはずだ。僕は足を止めて、子どもと向き合う。「フランキー、ひとつ、提案があるんだが。」次の日は三人で続きをという考えに、子どもの母親が頑なになる前で僕はいつになく、静かに、けれど強い言葉を伝えていた。「あの子は、今までずっと待っていたんだ。君だってそうだろう?」ああ、待っていたんだよ、僕は本当に。ホテルに戻り、心地良い疲れを感じながら、子どもと一緒に、久しぶりに自分を愉しませたことに気づく。喜々として、自分が死に臨んでいることをさえ、愉しんでみせていたサラ。いや、彼女は真実、そうだったのかもしれない。サラ、君もいま、この場所に来て、ともに愉しんでくれているだろうか。3へ 5へ
October 7, 2005
寝覚めのコーヒーを摂ってから、花と本を手に入れに向かう。夕べ考えた子どもへのプレゼントは、海洋動物の本。9才と半年の男の子が読むのは、いったいどんなものか、自分のときのことを思い出しながら選らぶ。大型の書店であまり専門的にならず、かといって幼稚でもないころあいの図鑑を見つけ、包んでもらった。花はアンクル・ウォルターに決める。墓所に行ってみると、そこにはすでに白いつる薔薇が生い茂り、淡い芳香を放っていた。そればかりではなくて。かたわらには、彼女が立っていた。「遅かったのね。」シャーロットは僕の驚きをよそに言う。「どうして?」「あなたが来ることがわかったかってこと?故郷に帰ってきて、あなたがここにこないわけがないもの。フランクとサラが待っているというのに。」久しぶりに会ったシャーロットは、綺麗だった。短く切り揃えた髪をもともとの色に落ち着かせ、瞳は輝いている。「この花は君が?」「そうよ。あなたがNYに行くと知ったときに、ここに来て植えたの。伯父と従姉が眠っている場所を放っておくのが忍びなくて。あなたは足繁く通ってくれていたそうだけれどきっとそれもかなわなくなると思ったから。誰も来られなくなっても、花は季節の訪れともに咲くものね。」僕は携えてきた苗を、シャーロットと一緒に植えた。「こっちの花は、なんて言ったかな?」「ティア・ドロップ。お店にもよく、飾っていたわね。」ああ、そうだね。君はこの白い薔薇が大好きだった。確か、僕たちの結婚式のブーケにも。「シャーロット。この間電話したときも、あまり話せなかったから。いまここで言うけれど。」「なあに。」「あれから君は・・・、幸せに?」「ずっと幸せだったとは、言い難いわよ、もちろん。」彼女はしゃがんで、五つ葉の枯れたものを探しながら応える。「すまなかった。何も言わないままに君を行かせてしまって、本当に・・・。」「あのとき、あなたの言葉をあなたの声で聞いていたら、もっと嘆いていたわね。真っ直ぐなあなたが口にできたのは全て、私に向けられていない愛の言葉だもの。」「・・・。」「そうなったら、きっとサラのことも、今でも赦せなかったわ。あなたの言葉を、何度も何度も反芻してね。」「・・・。」「何も聞かないままに、あなたたちがどうなったかも知らないままに町を去ってよかったって思ってる。夫への献身を振りかざしていた妻が、本当にできた唯一のこと。」シャーロットは立ち上がり、ゆっくりとこちらを向いた。「きっとね、彼女とのことをどこかに抱えたままのあなただからこそ私にはもっと魅力的に映ったのだと思う。あなたたちの仲はあの町では有名だったし、それを知っていて一緒になったのだもの。彼女が帰ってきたときに起ることを受け入れる力も、あなたを信じて待ち続ける力も、あのときの私にはなかったというだけ。」僕は何も言えずに彼女を見つめる。「今の私が幸せかどうかについては、心配しないで。あなたにとってサラが美しく映ったように、私を美しいと思ってくれる人にも、出会えたから。ところで、明日の心の準備はできていて、ストレンジャー?」「あ、そうだね・・・。」いきなり現実に引き戻されて戸惑う僕に、シャーロットは微笑む。「とっても賢くて、いい子よ。よろしくね。」赤い鳥 白い鳥 ともに去った そのあとに舞い降りるのは 2へ 4へ
October 5, 2005
ラウンジを抜け、グラスゴーの街へ出た。依頼は引き受けたものの、うまくやり遂げる自信はない。2ブロック歩いた先にスターバックスが見え、アメリカーノでは物足りなかったカフェインが急に恋しくなる。数分後にはラテを持って店内に座り、あずかった手紙と写真をテーブルに広げていた。どうやら父親が、船乗りという設定になっているのは本当らしい。確かに、顔を合わせないのなら、都合のよい職業ではある。子どもはそれを信じて、海の生き物にも興味を持っている。父親を誇りに思い、会うのを心待ちにしていることが、子どもにしては上手くまとまった、ひかえめな文面から伝わってきた。ふと、サラのウィッシュリストを見せてもらったときのことが蘇る。この世に遣り残すことがないよう、いくつもいくつもたわいのないリストを書き連ねていたサラ。一人でできることばかりなのに、僕に付き合って欲しいということを軽い言葉とは裏腹に、必死の瞳でせまっていた。誰もが過ごすたわいのない一日が、子どもにとっても大切なことなんだろう。さて、土曜日までにどうやって彼の父親になってゆこうか。店を出たあとも、格別に何をするというあてもない。レストランの契約はすんでしまったし、改装に実際取り掛かるまでには数週間ある。父親になるためのスクールでもあればのぞいてみるんだが。何気なく目に付いた映画館にふらりと寄ってみると、かかっていたのは「The Phantom Of The Opera」サラのリストに「ミュージカルを観る」という項目があって、それは消されないままになってしまった。NYに住んでいるときに経験していなかったのかと思いながら、彼女の代わりにブロードウェイに一時通っていたことがある。そのとき僕は確実に、この世界で最も成功したミュージカルを観ているはずなのに、何故か、まったく違う作品のような印象を受けた。歌姫に惹かれ、その恋人との間に割って入ろうとする怪人。己の不幸と醜さをよりどころにして、相手に迫りすがる瞳。ああ、そうだ。この瞳の表情が、舞台ではわからなかったのだ。サラと、そして奇妙な依頼をしたあの女性のものを思わせる。間違った道を歩いていると、もっと光射す道もあるとわかっていながら、どうしても進まずにはいられない。歌姫を隠れ家に連れ去り、切々と歌い上げる仮面を剥がされた男。それは、あのときの僕の姿でもある。「子供を」というシャーロットの言葉に、猛り狂い、自分を曝け出してしまった僕。「わからない。」を繰り返し、答えを出すことを避け続けていた男は、何を本当に望んでいたのかを知ったのだ。献身的で穏やかな妻との生活よりも、嵐のように激しく気まぐれな恋人との刹那を。あのオペラの夜、初めてキスした東屋へ突き動かされるように向かい彼女の姿をみとめたとき、僕は誓わずにはいられなかった。「君の行く手に、今度こそついて行こう。サラ、僕の望みはただそれだけ。」滂沱の涙を流してホテルの部屋に戻り、ポケットから手紙を取り出したときあて先を見なおして驚いた。子どもの名前、サラの父親とよく似ている。僕よりひと足早くNYに渡り、シンガーの元恋人と暮らしてすぐに、脳梗塞でこの世を去り、いまは彼女の隣で眠るフランク。「君も幸せに。人生は一度きりしかないのだから。」明日の予定は決まった。子どもの喜びそうなものを手に入れてから、ふたりの墓所に花を植えに行こう。サラも好きだった、真っ赤な薔薇を。 1へ 3へ
September 23, 2005
NYから帰ったことを、シャーロットに告げるべきかどうか、最初は正直迷った。だが思い切って電話してみると、彼女は驚きながらも喜んでくれた。きっとずっと心配してくれていたんだと思う。妻だったシャーロットを、僕はかつてひどく傷つけてしまったことがある。気丈で、優しくて、僕の全てを受け入れようとつとめてくれた妻。いきなり戻って僕たち夫婦のあいだに入ってきた、元の恋人・サラの存在さえも。それでも、過去と現在の間で揺れる僕を見ることに耐えられなくなった彼女は、ついに姿を消してしまったのだった。二年ほどしてグラスゴーにほど近い小さな町で、彼女が新しい生活を始めたと手紙で知らせてくれたとき、僕は不覚にもおいおい泣いた。サラが亡くなったときも、すぐには出なかった涙があとからあとからほとばしり止まらない。葬儀の当日も、張り付いたような微笑を浮べて、サラが残したビデオレターを見つめ、なにか空虚な感覚を持て余していた僕。サラを失ったことを悲しんでいたのか。シャーロットが去ったことを嘆いていたのか。自分の愚かさに絶望していたのか。何処に心を置いていいかわからない。つるつるすべる危うい球体の上で遊び、突然ひとりで中空に投げ出された僕は、まるで道化を演じるように、不必要なまでの笑顔を絶やさずにいた。シャーロットのくれた紙片をみて、僕はようやく自分の感情に身を任せることができ、旅立つ決心がついたのだった。すぐに僕は、スコットランドから出航する船のコックとして雇われた。所有していたレストランは、シャーロットが去ったあとは手放して身軽な身だったから、あの町から離れられるのなら、どんな仕事についてもよかったのだが、計ったように目の前に仕事が降って湧いたのだ。しかも、行き先はNY。サラが夢を叶えるために向かった街。天にいる彼女が、招いてくれたような気がした。田舎町を出た船は、十日あまりで大都会にたどり着く。すぐに乗客と積荷を下ろし、三日ほど滞在してまた同じ航路を還ってゆく。その繰り返し。船が波間を進んでいるときは、だた黙々と決まりきったメニューを作り続けることに没頭した。気がつくと燦然と輝く街明りに照らされて、毅然とした女神の姿が現われる。その表情が何故か、まっすぐ前だけを見つめていたサラの姿に見えてくる。ただ自由と夢を求めて、僕のもとから去っていったかつての彼女に。それでも、はじめはなかなか下船する勇気がでなかった。いつだって少しずつ周囲の様子と自分の許容範囲を計りながら進んできた僕は、最初の三回目まで、着岸時にもただ港の中をうろうろするくらいしかできない。三日たって再び船が出港し、またスコットランドについても誰にも会うわけでもなく、荒くれた男たちと一緒に酒場で過ごし、また船に戻っていく。四回目にして、僕は思い切ってタクシーをつかまえた。「イーストサイド・ビルディングへ。」サラに聞いていた、街を一望できる建物の名前がこれだった。「病名を聞いたときね、いっそ自分で自分の命にケリをつけてやろうかとも思ったの。」胸が潰れるような思いで聞いていた僕を、サラは可笑しそうに一瞥し、「さあ、次は何をしましょうか?」とウィッシュリストをまるで免罪符のようにひらひらさせる。蝶を追うように、彼女の望む先を必死でつかまえようと駆け出す僕。死を前にした彼女に対する自分の最大の責務だと思い込んでいたものが無上の喜びに変わり、それが彼女以外の、愛するものすべてを蝕んでいることに気づかない振りをしていたずるい僕。七回目の上陸のあと、僕はNYで働くことを決め、船には戻らなかった。小さな料理店で働きながら、最初は暇さえあればサラが住んでいたアパートや通っていた場所を辿って歩いた。群集のなかに埋没することに慣れ、無制限に放っておいてくれるこの街に馴染んでゆくにつれ、僕はだんだんと、彼女の思い出を手放すことができるようになった。煙草も服装の趣味も変わり、頬にも髭をたくわえるようになったころ、再び店を持つ機会がやってきた。スコットランドの雰囲気を生かしたレストランは好意的に受け入れられ、NYに来て数年で、店舗は三軒に増えていた。いつのまにか三十代になっていることにも感慨深さを覚えているとき、グラスゴーで新しいレストランを展開する話が持ち込まれた。かつての勤め先である船に乗り、僕は再び故郷の土を踏んだ。仕事の話は上手く進み、あとはサインを交わすだけとなった矢先にシャーロットから二度目の手紙をもらった。電話をしたとき、彼女には滞在先のホテルを教えてあったのだ。(発信元には「マリーの店」とある。彼女はここを切り盛りし、もともとその町にあった店の名前で呼ばれているらしい。)手紙の内容は彼女の頼み、正確には彼女の女友達からの、とても奇妙な依頼だった。「過去も現在も未来もない男で、なおかつ子どもの父親役をご所望なんだそうよ。どう、やってみる気ない?」なんにせよシャーロットの頼みなら、僕に断れるはずがない。ただ、それが僕につとまるかどうかは別問題だが・・・。とにかく一度、友人とやらに会ってみたいと返事をして、場所をホテルのラウンジに指定する。今日がその約束の日。いったいどんな女性がやってくるのだろう。僕はラウンジのドアを、ゆっくりと開ける、何故か湧き上がる、理由なき胸の昂ぶりとともに。2へ
September 21, 2005
全9件 (9件中 1-9件目)
1