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平成30年9月12日(水) 午前4時起床。曇り。 ホテルの一室、カーテンを開きました。まだ暗く、ビル群の屋上に赤のランプが点滅していました。田舎にあっては先ず見ることのない光景です。それらの建物、幾つかのフロアはこの時刻であっても灯りが点っていました。どんな人が何をしているのだろう。思いも寄らぬ仕事なんだろうな。眼下に目をやると、道路には昼間とは違う車種、トラックや営業車が、まばらではありますが行き交っていました。都会ならではです。 持参した本を捲る前、新聞を手にしました。写真は読売・東京版に掲載の記事です。「哲学カフェ」という見出しに惹かれ、目を通しました。「コーヒーよりも対談を目的に客が集まるカフェが国分寺」にあるそうです。月に数回、不特定の老若何女が集まりオールジャンル、話し合いたいテーマを出し合い、「人の話に傾聴、否定しない」ことをルール、だそうです。参加者は何らかの気付きを持って帰ることが出来るんだそうです。話題は社会問題や人生論、幅広いとのこと。そのことをして「哲学カフェ」なんだそうです。哲学書の類いを揃えた読書カフェかと思いきや、違いました。面白そうですが、私は読書カフェの方がいいな。 新聞の話が出たのでもう1紙。昨日の東京新聞文化面に「秀頼の実父に新候補」という記事がありました。内容は大阪城の奥の院に性の乱れがあり、淀君懐妊が秀吉の留守中であった云々というものでした。個人的には興味の無いことでしたが、挿画に惹かれました。村上豊氏のものです。 どうですか、この表情。 レストランの開く時刻を待って突っ込みました。ホテルの朝食はバイキングです。腹一杯になりました。今日も取引のお詫び行脚。昨日は東銀座でしたが、今日は赤坂廻り。取引先の近くにカンボジア大使館がありました。 建物の側面にこんなものが張り付いてありました。 カンボジアは王国です。王様が収めています。日本も象徴ではありますがエンペラーの国です。写真は庭に咲いてあった花。これ、かの国のものなんでしょうか。 仕事は正午過ぎに終わりました。昼は羽田で。昨日食べ損ねた「うちのたまご」に再挑戦。このお店、昨日も書きましたが570円でおかわり1杯と卵をもう1個が自由。写真がそれ、2杯目の図です。特製醤油もあっていい感じでした。余談です。店は少し混み合っていました。店頭に並びました。とその時、4人の男女若者が。食べようか迷っていました。私「食べていきなさいよ。美味しいよ。大盛り、しかもおかわり自由だよ」うちの一人、昔の荻野目慶子似が「やったー!おかわり自由だって、此処にしよう、ねっ!」皆が私の隣に座りました。卵かけを好きな女性、いい感じです。 帰りの便はANA。機内サービスはコンソメスープを。東京も大分も雨模様のようでしたが、雲の上は青空。Blue skyがいい感じでした。遙か彼方に同じ方向に向かって飛ぶ機体が見えました。 大分空港に着きました。写真は着地と同時にスポイラー全開の図。どうのこうのではありませんが、その時この場所に座っていないとみることの出来ない光景です。 ビジネスバッグ一つの出張なので、手荷物は預けませんでした。レーンの横を素通り。おっ、回転寿司だ。大分空港は茶目っ気があります。預けた荷物に混じって寿司が回ります。これ、10年くらい前から続いています。初めての方は笑います。 会社着は午後7時過ぎ。営業車を乗り捨て、ツーシーターミッション四駆に乗り換えました。雨模様、暗い道を帰宅。茶屋ケ鼻橋を渡ると木立です。ほとんど光りがありません。都会の喧噪、光の洪水、機内から見た青空が嘘のよう。家に着いたら妻が風呂に湯を張っていてくれました。嗚呼、やっぱり家が一番だ。昨晩、東京の夜は大人しくしていました。湯上がりに先ずはプシュッ。身体が弛緩。バタンキュー。今日の類語「不特定」 未定、不定、不確定、全面的、一般的 generalかunspecifiedなのでしょうが、私は後者の意味で使うことが多いです。今日の一句赤の坂上り下りて柬埔寨(かんぼじあ)若者にこれが美味いと卵かけ雲海に消えし飛行機女待つ今日のランなし今日の酒缶ビールレギュラー2缶(サッポロ、Asahi) 白岳白2杯今日の写真は妻に買って帰った土産です。羽田空港にある空弁工房というお店で求めました。奥尻産の雲丹を使っているそうです。おまけです。大分空港に張ってあったポスター2枚。1枚目は大分土産の定番ザビエルです。珈琲紅茶によく合います。こちらは国東(くにさき)半島の観光写真。大分にもこういう光景があるのです。灯台下暗し、私はまだ訪ねたことがありません。
2018年09月12日
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平成30年9月11日(火) 午前4時起床。曇り。 今朝はぼんやりする時間があまりありませんでした。午前5時半、家を出ました。急な東京出張が入り、大分空港向け。営業車を駆りました。午前9時前の便に間に合うためには余裕を見てこの時刻に家を出なければ、というのが田舎の弱みです。写真は今日搭乗のソラシドエア機です。黄緑がこの航空会社のカラーリングです。ほぼ満席でした。 飛び立ってすぐ旋回。国東半島を後にし、佐多岬半島を伝います。さらに四国の北岸にそって東へ。次の写真はその半島の北側にある伊方原発です。尾根筋に風力発電の風車が建っていました。なにが好対照か判りませんが好対照の図ではあります。 機内サービスがやって来ました。この航空会社は東京から西だけの航路を運行です。機内誌の宣伝も使う飛行場のある県の特色ばかり。而してドリンクサービスにも地方色。五島のアゴだしスープが付くのです。これが美味しいんです。当然それを頼みました。JALやANAのコンソメスープに対抗してでしょうか。私は好きです。それにしてもCAさんたちの笑顔いい感じです。これにやられるんだよなぁ。 瀬戸大橋通過。 明石大橋通過。 おっ、関空だ。先日の台風にやられた連絡橋がはっきり見えました。 少しウトウト。目が覚めて、あっ、富士山だ。 羽田に着きました。曇天。手前は滑走路脇の草を刈るトラクターかな。その向こうに浮かぶのはカーゴ船。毎日、飛行機の離発着を見ながら草を刈る生活もいいな、貨物船に乗っての外国との行き来もいいな。一瞬ではありますが、今日の仕事を忘れ、心が遠い目つきとなりました。 駐機場にAIR DOの機体が止まっていました。嗚呼、あれに乗ったら北海道だ。来年のこの時期、札幌であるハーフマラソンには必ず出るぞ。 少し早かったのですが、おなかが空いたので昼をすることに。そうだ、思い出した。羽田には卵かけご飯を売りにする店があるんだ。そこへ向かいました。「うちのたまご」です。570円でもう1杯と卵も2個までOK。大盛り自由です。 やっ、中のシステムが故障。残念でした。 京急で新橋へ出ました。そこで下車。此処に突っ込みました。 つけ麺というものを初めて食べました。味の仕立ては鰹出汁でしょうか。佐伯のごまだしを溶いたような感じでした。 余談です。流石新橋、至る所に24時間飲みの看板があります。昼酒、いや、朝から飲めます。こんなところに住んだら、意志の弱い私はとんでもないことになりそうな。 訪問先との約束時刻までまだ少し余裕がありました。東銀座が目的地。銀ブラをしながら向かおうか。高架下を抜け、中央通りを4丁目の方向に。平日の昼下がり、外国の方が多かったです。近隣のお国、それと判るラフというかこの街には少しミスマッチ、派手な服装でした。でもお金持ちなのでしょう、軒を連ねるブランド店に突っ込んで漁る様子も。おっ、SWAROVSKIだ。 やっ、GINZA SIXだ。話の種に入ってみよう。中は閑散というと失礼ですが、正午過ぎ、まばらな人出でした。エノテカが出店していることを知っていました。その店を覗きました。おっ、流石です。ドゥブル・マグナムでしょうか、ジェロボアムでしょうか、ムートンの大瓶がずらり。圧巻です。 その中の一枚をパチリ。このラベルはシャガール、ピカソなど有名どころも名を連ねます。日本人も二人含まれています。 時間調整のためこのビルに入るスタバで一休み。此処は広々とした店内でした。フロアの壁一面に書棚があります。芸術系の雑誌が幾種類も。しかもどれもこれもバックナンバーが揃っていました。勿論閲覧用、無料です。毎日通いたい。珈琲1杯で芸術新潮を読み散らかすことのできる幸せが頭を過りました。でもそれらを手に取る人はいませんでした。外国人のグループと近場に働くOLさんとおぼしき若い女性ばかり。写真は明るくて判然としませんが、その棚です。 仕事マターは書くこと能わず。取引を断る、いわば詫び行脚でた。巷間は未だクールビズですが、内容が内容だけにネクタイを巻いて背広を羽織りました。言葉を選び選び。気を遣いました。東京は日の暮れるのが早い。仕事を終えてホテルへ。疲れました。 宿は永田町近く、官庁街に近い場所でした。飲み歩きに適しません。出撃しませんでした。写真は部屋にチェックイン、プシュッ、確かに焙煎の味がしました。静かな夜が更けました。今日の類語は休みます。今日の一句エノテカのマグナムごろりGINZAかな新潮の雑誌ぎっしりGINZAかな三国の色に染まりし銀座かな象山の埋もれた碑あり銀座かな今日のランなし今日の酒缶ビール1本今日の写真はウリ坊です。今夜、妻がヨガからの帰り、出くわしたということでラインに送ってよこしました。全部で12頭いたそうです。
2018年09月11日
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平成30年9月11日(火) 午前4時起床。曇り。 今朝はぼんやりする時間があまりありませんでした。午前5時半、家を出ました。急な東京出張が入り、大分空港向け。営業車を駆りました。午前9時前の便に間に合うためには余裕を見てこの時刻に家を出なければ、というのが田舎の弱みです。写真は今日搭乗のソラシドエア機です。黄緑がこの航空会社のカラーリングです。ほぼ満席でした。 飛び立ってすぐ旋回。国東半島を後にし、佐多岬半島を伝います。さらに四国の北岸にそって東へ。次の写真はその半島の北側にある伊方原発です。尾根筋に風力発電の風車が建っていました。なにが好対照か判りませんが好対照の図ではあります。 機内サービスがやって来ました。この航空会社は東京から西だけの航路を運行です。機内誌の宣伝も使う飛行場のある県の特色ばかり。而してドリンクサービスにも地方色。五島のアゴだしスープが付くのです。これが美味しいんです。当然それを頼みました。JALやANAのコンソメスープに対抗してでしょうか。私は好きです。それにしてもCAさんたちの笑顔いい感じです。これにやられるんだよなぁ。 瀬戸大橋通過。 明石大橋通過。 おっ、関空だ。先日の台風にやられた連絡橋がはっきり見えました。 少しウトウト。目が覚めて、あっ、富士山だ。 羽田に着きました。曇天。手前は滑走路脇の草を刈るトラクターかな。その向こうに浮かぶのはカーゴ船。毎日、飛行機の離発着を見ながら草を刈る生活もいいな、貨物船に乗っての外国との行き来もいいな。一瞬ではありますが、今日の仕事を忘れ、心が遠い目つきとなりました。 駐機場にAIR DOの機体が止まっていました。嗚呼、あれに乗ったら北海道だ。来年のこの時期、札幌であるハーフマラソンには必ず出るぞ。 少し早かったのですが、おなかが空いたので昼をすることに。そうだ、思い出した。羽田には卵かけご飯を売りにする店があるんだ。そこへ向かいました。「うちのたまご」です。570円でもう1杯と卵も2個までOK。大盛り自由です。 やっ、中のシステムが故障。残念でした。 京急で新橋へ出ました。そこで下車。此処に突っ込みました。 つけ麺というものを初めて食べました。味の仕立ては鰹出汁でしょうか。佐伯のごまだしを溶いたような感じでした。 余談です。流石新橋、至る所に24時間飲みの看板があります。昼酒、いや、朝から飲めます。こんなところに住んだら、意志の弱い私はとんでもないことになりそうな。 訪問先との約束時刻までまだ少し余裕がありました。東銀座が目的地。銀ブラをしながら向かおうか。高架下を抜け、中央通りを4丁目の方向に。平日の昼下がり、外国の方が多かったです。近隣のお国、それと判るラフというかこの街には少しミスマッチ、派手な服装でした。でもお金持ちなのでしょう、軒を連ねるブランド店に突っ込んで漁る様子も。おっ、SWAROVSKIだ。 やっ、GINZA SIXだ。話の種に入ってみよう。中は閑散というと失礼ですが、正午過ぎ、まばらな人出でした。エノテカが出店していることを知っていました。その店を覗きました。おっ、流石です。ドゥブル・マグナムでしょうか、ジェロボアムでしょうか、ムートンの大瓶がずらり。圧巻です。 その中の一枚をパチリ。このラベルはシャガール、ピカソなど有名どころも名を連ねます。日本人も二人含まれています。 時間調整のためこのビルに入るスタバで一休み。此処は広々とした店内でした。フロアの壁一面に書棚があります。芸術系の雑誌が幾種類も。しかもどれもこれもバックナンバーが揃っていました。勿論閲覧用、無料です。毎日通いたい。珈琲1杯で芸術新潮を読み散らかすことのできる幸せが頭を過りました。でもそれらを手に取る人はいませんでした。外国人のグループと近場に働くOLさんとおぼしき若い女性ばかり。写真は明るくて判然としませんが、その棚です。 仕事マターは書くこと能わず。取引を断る、いわば詫び行脚でた。巷間は未だクールビズですが、内容が内容だけにネクタイを巻いて背広を羽織りました。言葉を選び選び。気を遣いました。東京は日の暮れるのが早い。仕事を終えてホテルへ。疲れました。 宿は永田町近く、官庁街に近い場所でした。飲み歩きに適しません。出撃しませんでした。写真は部屋にチェックイン、プシュッ、確かに焙煎の味がしました。静かな夜が更けました。今日の類語は休みます。今日の一句エノテカのマグナムごろりGINZAかな新潮の雑誌ぎっしりGINZAかな三国の色に染まりし銀座かな象山の埋もれた碑あり銀座かな今日のランなし今日の酒缶ビール1本今日の写真はウリ坊です。今夜、妻がヨガからの帰り、出くわしたということでラインに送ってよこしました。全部で12頭いたそうです。
2018年09月11日
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平成30年5月15日(火) 午前4時起床。晴れ。急な出張になりました。朝、起きたらYシャツが一枚、畳んでありました。妻が夜なべでした。出来た茶も小分け、実家や近所に配るんでしょう。無農薬というと聞こえはよいですが、何せ施肥全くなしのガラガラ茶。味わい深いはずがありません。 朝は豆ご飯でした。このグリーンピースは父が友人に戴いたものでした。昨晩は鞘も剥いたんだ。塩味の加減がよかったです。おかず不要。 お代わりをしたかったですが腹八分が健康の秘訣。そう思った時は加減をするに限ります。そうしました。昼は定番のサンドイッチと野菜ジュース。午後、時刻が下がると腹がすきます。これを我慢するのも或る意味体によいことと勝手に決めています。 午前、午後とも会議。昼からのそれは空港バスの時刻が迫り、気もそぞろでした。午後4時前、会社を後にしました。高速バスのターミナルへ。大分空港向けのバスになんとか間に合いました。写真は昼に食べたチョコレートです。先週末、部下がラグビーの試合で鉄のまち北九州市を訪ねました。その土産を社員に配ったのです。なるほど、形は製鉄会社をイメージしてのもの。ボルトとナットです。いい発想です。これ、チョコレートなんです。 午後6時、空港ターミナルに到着。腹ごしらえをしようか。レストランを覗きました。ショーケースの生ビールジョッキがおいでおいでをしていました。天邪鬼の杣夫です。招かれるとあかんべをしたくなります。入店を断念。先日、義兄弟の契りを交わした兄貴、nkucchanがサバ缶をやっつけたのを思い出しました。ロビーにあるセブンでカップ焼酎とギョニソを調達。ラウンジでひっかけました。7時過ぎの便に搭乗。写真は暮れなずむ大分空港のビルです。次の写真は船橋辺りから東京湾を望むの図。都会の夜景はいつ見ても美しいです。羽田に着いたのは午後9時前。この時刻です。ロビーは閑散。私、羽田と都心の間は京急に乗ります。快速だとモノレールよりずっと速い。今日もそうしました。途中、あっ、まだ夕食を食べていなかった。ギョニソでは保ちません。夕食の神様に失礼です。お神酒を上げるのが筋でしょう。ちょうどいいことに「次は新橋、新橋~」渡りに船、願ってもない大海で浮木、ちょっと下車していこう。以前、息子に話を聞いたことのある大衆酒場「馬力」に突っ込みました。黒ホッピーください。ポテサラもね。串はシロとミックスをやって頂戴。喉が渇いていました。ジョッキ、最初の一杯は忽ちでした。ナカを追加ね。ナカとはホッピーで割る焼酎のことです。あっ、煮込みを忘れていた。それも一皿。いい気色になりました。これだけで2ラー余りでした。せんべろ酒場です。 この店で30分。もう1件と思いましたが、明日のことを考えて断念。後ろ髪をひかれる思いでそこを後に。日本橋で東西線に乗り換えて某ホテルへ。チェックインは午後11時を回りました。宿に荷を解く前、近くのコンビニでこれを買いました。仕切り直しはホテルの部屋。プロ野球の結果をチェック。カープ、今年はドラゴンズを苦手にしています。負けました。これで同一カード4連敗。京田がのっています。バタンキュー。今日の一句宝石を眼下に眺む空の道今日のランなし今日の酒焼酎1カップ ホッピー2杯 赤ワイン375ml今日の写真は途中下車した新橋の夜景です。午後10時を過ぎてなおこの賑わい。翻って私の暮らす田舎は真っ暗。今頃はカエルが大合唱。ネオンの代わりは星空です。平成30年5月16日(水) 午前5時半起床。晴れ。昨夜、コンビニで買ったサラダの食べ残しとワインの溜まりをトイレに流しました。酔うと後先を考えずに食べ物飲み物を買う癖、反省しないといけません。 午前、地下鉄九段下駅から歩いて西へ。途中、千鳥ケ淵の横を通りました。しばらく行くと靖国神社でした。前者には身元不明戦没者の遺骨が眠っています。外地の戦場で命を落とし、遺骨収集によって戻った方々のものです。後者には遺骨ではなく霊が祭られています。両方の脇を歩いていて、前者のほうに何かしらん強いものを感じました。 今日は社長の代理で会議出席。同業他社のうち、ある取組に関し、志を同じくする社の集まって年1回の総会でした。 正午前に終了。午後は遅い時刻、虎ノ門にある某社を訪ねる予定でした。こちらの都合で先方にその時刻をお願いしたのでした。作戦通りでした。よし、国立近代美術館を覗こう。横山大観展をやっているのでした。時間がもったいない。昼を抜いて皇居の堀沿いを歩いてそこへ向かいました。途中、辺は各国の大使館が多いです。今日はこの国のそれが目に留まりました。ゴールキーパー、チラベルトの母国です。ついでですから写真を1枚。 皇居の周回道路は走る人が目に付きました。沿って植えられた桜に実が付いていました。熟れて黒くなっていました。食べられるはず。口にしました。甘酸っぱかったです。 あと少しで美術館というところ、皇居乾門に続く交差点で背広を着て目の鋭いおっさんに声を掛けられました。「すみません、ここで止まっていただけますか」理由を聞くと、外出していたやんごとなき方が戻ってくるので僅かの時間、通行止めにするとのことでした。桜の木陰で立ち止って、そのおっさんと立ち話をしました。私は出張で大分から上京。東京も暑いですね、その背広、大変でしょう。他愛ない会話でした。ところでお国は?と問うと埼玉と返してくれました。その時、ちょっと顔が和らいだような表情に。私服警官も人の子です。 さて、その通り御料車が通りました。それとわかる赤い旗がボンネットの先にはためいていました。遠めでしたが、後部座席にその方のシルエットが見えました。それにしても白バイ、パトカー、前後を固めた随行の黒塗りではありました。 やれやれ、ここが美術館か。大観展、さあ見るぞ。 ところが玄関前に人だかり。炎天下、入場を待つ列でした。これを見て忽ち折れてしまいました。待ち時間もさることながら、炎天に並んで汗ばみ、中で芋洗いになりながらの鑑賞は嫌だな。この展覧会、京都に巡回とのこと。ポカ休を取ってそのためだけに仕切り直しのほうがいいな。そうしよう。諦めました。 時間が空きました。虎ノ門へ向かう途中、腹ごしらえをしよう。新橋で下車。私、このまちが好きなんです。寿司屋に入りました。1.5ラーのセットがあり、それを注文。上の写真にこれとマグロの手巻き、味噌汁がついての値段です。コスパあり。人と会うので昼ビーは我慢しました。 もう少し時間があるな。大観展を諦めたので、心のリセットをしよう。こんな折は散髪に限ります。床屋に突っ込みました。奮発、カット・洗髪・ひげそりセットで4ラーでした。さっぱりしました。以下は髪を切ってもらう間、バリカンで私の頭を刈り上げながらのマスター一人語りです。「お客さん、外回りの営業ですか、ああそうですか、大分から出張ですか、飛行機でしょう、いいですね、私、飛行機がすきなんですよ。年に少なくとも4~5回は海外に行きますね。グアムが多いです。年末は家族を連れてハワイを予定しています。そうそう、この前はテルミクラブに引っかかっちゃって。でもね、あの会社、重宝していたんですよ、安いから。えっ、フライトレーダーですか。そんなサイトがあるんですか。今上空を飛んでいる飛行機が何処を出発、どこへ向かうのか、航空会社も含めて判るなんて、面白いですね。でも私、飛んでいるのを下から見るのは好きじゃーないんです。なぜか寂しくなりますから。眺めるよりもやっぱり乗るほうがいいです、はい」 テルミクラブのことを思い出してか、鋏に力がいったよう。借り上げすぎました。私の顔は少し下膨れです。ヘアスタイル、長茄子のヘタカットになりました。 床屋を出て、おっ、駅前に古書フェアをやっている。ここで猶時間調整。冷やかしました。100円の文庫本を2冊購入。帰りの暇つぶしができました。 某社を訪問。取引先と名刺交換。書くこと能わずですが、色々実のある話を聞きました。その後羽田向け。フライトは最終便午後8時前の出発でした。ここでも少し時間がありました。よし、展望台に登ってみよう。風が強かったです。一応勤務の終わる時刻を過ぎました。ワインを嘗めながら飛行機を眺めようか。そうしました。コップがないのでラッパ飲み。 デッキには望遠一眼を構えたマニアが多かったです。高価なカメラを首に提げてたご婦人なんぞもちらほら。尋ねると加入の趣味サークル、隣県からやってきたとのこと。写真はデッキに並ぶ彼らです。 私も数枚、シャッターを切ってみました。離陸の瞬間です。もう一枚、こちらは着陸の十秒ほど前。向こうはお台場のフジテレビがビルでしょうか。望遠がいい感じです。私のコンデジも捨てたものではありません。 離発着のジェット機、遠く都心のビル群、コンビナートの煙突に炎、振り返ると東京湾に浮かぶ貨物船とホワイトシップ、傾く夕日。強風と相まって、感傷的、ちょっとおセンチになりました。おっと、何時までも屋上に佇むわけにはいきません。腹が減りました。ワインの小瓶だけでは物足りません。空港ビルの最上階、信州そばの店「あずみの」に突っ込みました。とりあえずの冷酒は高清水の純吟。左手がまあ一杯どうぞ。右手がああどうもどうも、すみませんね~。ぐびり、嗚呼甘露甘露。ざるをやってもらいました。出てきまいた。いい感じです。 隣の席に高齢の女性とその娘(私と同じ位の年齢か)と思しき旅行者二人。会話に聞き耳を立てました。少し痴呆の混じった母親を連れての上京、会話を聞いて墓参りか何か、それを果たして帰省のの図のようでした。母親の手を見ました。節くれだった農家の女性かとおもいきや、美しい手でした。娘の方は生活に疲れた感じの風情を漂わせていました。二人、どんな人生なんだろう。 1合の酒とざる蕎麦で粘るわけにはいきません。保安検査場を抜け、カード会員ならだれでも利用できるラウンジへ。アルコールは別料金ですが、珈琲紅茶各種ジュースはただ。私は荷物の整理、何も飲みませんでした。大分向けの搭乗ゲートはいつも端っこです。出発時刻は写真の通りでしたが、燃料を追加補給しているとのアナウンス。搭乗が遅れました。 仕方がない、機内で一杯やるか。売店で仕込みました。座席に座り、離陸前にプシュッ。慌ただしい出張の帰り、新幹線の缶ビールも捨てがたいですが、フライト席でのこの音も格別です。 離陸するまえに泡の缶は空となりました。こんなこともあろうか、次の手を打ってありました。白鹿を抜栓。当ては米沢牛のサラミです。飲み物のサービスが来ました。これを飲んでいるので結構ですと返しました。かさずCA曰く「お客様、お酒がお済みになりましたらいつでもお声がけください」流石日本航空です。にっこりそう返してくれました。素晴らしい。息子の嫁になってくれたらどんなにか・・・。親馬鹿です。写真は離陸直後の夜景です。ダイヤモンドを散りばめたという表現がありますが、それはこんな感じかと思わせるような光の絨毯でした。 酒の終わって大分空港までうつらうつら。気のついてあれっ?着陸態勢に入って滑走路が見えた途端、また上昇。それをもう1回繰り返しました。進入路を南側から北側に改めて再度トライアル。ドスンと言う音と共に着陸。何がいけなかったのだろう。 空港と佐伯を結ぶ高速バスに乗ったのは午後10時を過ぎてでした。家に着くのは日付変更線の変わってだな。素面だとノースポールの神様に示しが付かない。わけのわからないことをブツブツ言いながら閉店前の空港コンビニで仕込みをしました。写真はバスに乗ってさあ仕切り直しだ、の図です。生ハムを1枚1枚剥がすのは面倒です。そのままいってしまえ。途中、宮川内インターと臼杵インターの間が通行止め。下道を走りました。バスが揺れました。佐伯のバス停に到着は午前様。妻が待っていてくれました。東京の辻々、地下鉄の中、美しい女性を数多見ましたが、やっぱり笑顔の妻の「お帰り」が一番でした。今日の一句 空港の旅情やよし一人居り今日のランなし今日の酒ワイン600ml 日本酒400ml 今日の写真は朝、会議上に向かう途中に見つけた暖簾です。ちょっと一杯ではなく2、3杯というのがいい感じです。もう一枚は玄関に咲き始めたクジャクサボテンです。私を迎えてくれました。おまけ。深夜の高速バス車中、茄子のへたカットの私です。平成30年5月17日(木) 午前6時半起床。晴れ時々曇り。後れを取りました。飛び起きて朝食。慌ただしい出勤となりました。妻がグリーンピースのご飯を握ったものを出してくれました。冷めたおにぎりであってもいい感じです。 その妻は私の土産、赤福に似た餡子をパクリパクリ。安上がりの女です。 仕事は午前にデスクワークとミーティング。午後はボードとの会議。慌ただしかったです。会社の引けてまっすぐ帰宅。出張の澱を絞り出すためランニング。走り始めてすぐ、JのKやんが愛猫タマと目があいました。おーよしよし、撫でてやったら土の上にごろり。なんとも可愛い奴です。 いい汗をかきました。写真は玄関のクジャクサボテンです。昨夜は酔った目で見ましたが素面だとさらに可憐です。 シャワーを浴びてプシュッ。男は黙ってサッポロビール。 当ては隣のおばちゃんがこさえてくれた蕗です。彼女、転んで肩を骨折。しばらく入院していました。昨日に退院したとのこと。元気になりました。この味、妻に教えてほしい。 昨日、空港連絡バスの中に開栓能わずの冷酒が残っていました。速く飲まないと腐ってしまう。仕方が無い、開栓しました。いい感じにバタンキュー。今日の一句餡子好き妻の笑顔や夏の夜今日のラン6km今日の酒サッポロ黒ラベルレギュラー1缶 日向木挽きブルー1合 冷酒300ml今日の写真はトラです。網戸の中からニャー。外に出してあげたいけれどおまえは弱いし、ノミ・ダニが多いからな。
2018年05月17日
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平成30年4月11日(水) 午前4時起床。晴れ。未明の外気温が10℃を超えていました。火を焚かず。 午前中デスクワーク。11時過ぎ大分空港向け。上京しました。写真は大分空港2階ロビーに下がった優勝をお祝いの垂れ幕です。全国制覇はあっぱれです。大分のハンドボール界は宮崎大輔を輩出しています。もともと強豪県なのです。 遅い昼は空港レストランで。おっ、大分の銘酒が並んでいるぞ。一杯ひっかけるか。 いけません。今夕、渋谷近くの取引先を訪問の仕事があります。カツカレーにしました。ちなみですが、ここのお店は大分の窯「小鹿田焼き」を使っています。 フライトは曇りがちでした。水平飛行になって地上の景色は見えず。 東京の空も黄砂の影響か霞んでいました。写真は羽田に降りる直前に写した東京湾アクアラインの空気抜きです。 時刻が下がりました。午後5時を過ぎての会社訪問です。丁寧な応対を頂きました。5人と名刺交換をしました。各人のそれに出身地が書いてありました。その会社は地方の物産を取り扱います。営業の際、話のきっかけにうってつけです。合点がいきました。中の一人は北海道・渡島地方の某町生まれ。若い頃近くのまちに住んだことがある、いいところですね、そう話しました。この仕事について自分のまちのことを話題にしてくれたのはあなたが初めてだ、と返してくれました。まさにきっかけではあります。何が嬉しいのか判りませんが嬉しかったです。写真は訪ねたビル、その会社の入る某階からの景色です。こんな眺めの毎日だとさぞかし気分がいいだろうな。 話が弾み(いえ、出身地のことではなく仕事のことですよ)、長居しました。写真は帰りがけ、振り返って見上げた会社のビル。弊社の2倍あまりの高さです。 宿に荷を解いたのは午後8時前。急な出張で娘息子と合うこと能わず。仕方ありません。TELして声を聞きました。どこから電話をしても同じことですが、近くまで来ていると違った親近感、距離感の無さを感じるから不思議です。遅い晩ご飯は近くの立ち飲み。 先ずはトリビー。 オススメを、とお願いしたのですが、注文を取る若い女性は首を傾げて応じてくれませんでした。それじゃ~一番注文のあるものを。これが出てきました。揚げパスタでした。 ついで味噌マヨキャベツ。これ、なかなかいけました。 前者を残しました。勘定は締めて580円。1ラーを下回る金額でした。所要時間20分。 もう1軒「馬力」という店に入りました。ホッピーを注文。 コブクロとシロ、それにマルチョウを当てに流しました。ナカをもう1杯もらい、ホッピーを注ぎました。こちらの勘定は2ラー強。滞在時間30分。センベロ酒場は楽しいな。 明日の午前も仕事です。ホテルに戻りました。すぐ近くにセブンがありました。ふらり入店。物足りなかったからでしょう。これを仕入れて部屋で打ち止めの儀式。今日の一句雑踏に生きる我が子の切なさよ今日のランなし今日の酒生中1 ホッピー(金宮2合) 冷酒300ml今日の写真はおしょろ丸航海の航跡図です。アップし損ねたので。平成30年4月12日(木) 午前5時起床。晴れ。朝シャワーの後朝食。どこもバイキング方式です。お代わりをして腹一杯になりました。生卵をおいていません。スクランブルエッグをご飯にかけて醤油を垂らしました。泊まった宿はチョコレート菓子メーカーが出資のホテル。朝食時、同社製品を食べ放題と謳っていましたが、朝からはちょっと・・・。宿泊客は思いのほか青い目の人が多かったです。写真は窓から見たスカイツリー。高所恐怖症の杣夫です。どうしてこんなものを態々建築したのかわからない。 今日は霞ヶ関方面を2箇所表敬訪問。それぞれで1時間ほど懇談。お偉いさんから名刺を頂きました。次の写真は訪問を終えての帰り道、地下鉄の入り口付近から撮った建物です。今、日本中の注目が集まっています。この先、どうなるんでしょうか。 羽田に向かいました。帰りの便まで少し時間があったので、立ち飲みに突っ込もうか。でも勤務中です。意味不明ですが李下に冠を正さず。せめてなにか美味いものを。空港ロビーを物色。結局、えい、ままよ。いつものパターンとなりました。 この後、ラウンジで読書。1冊読了。次の写真は機内から。新入社員教育の季節です。空港で働く人達も例に漏れません。少しの時間、観察しました。よそを向いてうわの空の若者もいたようです。頑張れ。 離陸して箱根の上空。芦ノ湖はカルデラ湖です。上から見て外輪をよく見て取れました。 富士山上空を通過。雪を被っていました。乗客が少なかったので、客室乗務員が声をかけてくれました。「お客様、あいにく富士山の真上を通過したので見えませんでしたね」杣夫「いえ、半分見ることができました。ありがとうございます」カメラを手に窓外をずっとのお上りさんに見えたのでしょう。綺麗な方でした。スチュワーデス、大方は長い髪をクルリ丸めてピン留めですが、この人はボーイッシュ、短いヘアでした。ちょっと蒼井優に似ていました。行きはJALでした。帰りは全日空。忽ちANA党になりました。女性の笑顔に勝るものなしです。写真はその富士山です。 おっ、名古屋上空だ。目を凝らすと、点ではありますが、南極観測船のオレンジが見えました。訪ねた折のことを思い出しました。nkucchan、mamaさん、禁玉さん、ももさん、このまちに住んでいるんだな。落下傘で降りてみようか。 この後畿内、大阪、瀬戸内を飛行。瀬戸大橋が手に取るようでした。家島が見えてきました。石の切り出しで有名です。大阪城の石垣も、幾分かはここのものです。私、この島を訪ねたことがあります。ここの石を海の中に沈めると、海草の付きがよくアワビ・サザエの繁殖にいいという報告があました。酔散の営業をしていた折、それを目的に購入、使ったことがあるのです。 それにしても瀬戸内は島々の多いこと。しかも大小のそれぞれ、殆どに集落が点在。島の生活はどうなんだろう。一所一所を訪ね歩き、其処に住む人の話を聞く旅を頭の中に描いて、勃然、その気がムラムラ膨らみました。旅情ではあります。 午後5時半、大分空港に降りました。弊社に戻ったのは午後7時過ぎ。留守した間に溜まった書類に目通し。帰宅が遅くなりました。いつもはシャワーですが、今日は妻が湯を張って待っていてくれました。湯船に浸かり弛緩。焼酎のお湯割りを流しました。忽ち廻りました。バタンキュー。今日の一句瀬戸の島伝い伝いて日の暮れる今日のランなし今日の酒白波1合 麦1合今日の写真は私の住む佐伯・木立の公民館グランドです。地区の野球チームでしょうか、照明をつけて練習中。この光が消えるとあたりは漆黒。都会の明るさとは無縁の鄙です。
2018年04月12日
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平成29年2月6日(月) 午前4時起床。晴れ。月曜日は早朝出勤。写真はボード会議の始まる前、午前7時半に5階の窓から撮った元越山です。今日の晴天を約束の色がいい感じでした。 会議を済ませ、溜まった書類にハンコを押した後、営業車に乗りました。出張。福岡向け。大分自動車道を走りました。別府から湯布院・玖珠にかけて、道路に融雪剤が撒かれたのか、ほこりっぽかったです。日田の先、福岡県に入ったところにある山田SAで昼をしました。ゴボウ天肉うどん。値段は1ラーあまりでした。安くはあります。 同行した同僚の一人は玉子焼きに目がありません。チャンポンを頼み、ついでにここの名物、玉子焼きを買いました。一つ如何。勧められるまま、馳走になりました。美味。 福岡に着き、取引のある某ホテルを訪ねました。料理人の皆さんと懇談。車海老や真鯛、カボスブリ、カボスヒラメ、ブリのフィレカット工場のことなどを話しました。私のまちの宣伝です。私も昔取った杵柄があります。余談ということで車海老の交尾や真鯛の鼻孔結合の話を蘊蓄披露。年配の総料理長が興味深い顔をして聴いてくれました。話した甲斐がありました。その後、ホテルにチェックイン。夜は同業他社との会食でした。それまで少し時間がありました。雑誌を買って珈琲タイム。 午後5時を過ぎていましたが、私もリーマンの端くれです。この看板の誘惑には負けませんでした。 日の暮れて午後7時、某店にて乾杯。2時間、懇親を深めました。私の業界は、接待という字が辞書にありません。全て割り勘・自腹です。当然リーズナブル。料理付き飲み放題5千円。写真は最初に出てきた刺身です。 相手様があるのでパチパチ写すこと能わず。もう1枚は湯葉とあんのかかったご飯。これが〆でした。 地下鉄に乗って博多駅に到着。酒も大して過ごさず。シャワーを浴びて、雑誌の続きを。就寝は午後11時。今日の一句塩カルの風に舞い立つ大分道 今日の写真は、写真は乗り換えの中洲川端駅で写した福岡市博物館の宣伝看板です。ここに「漢委奴国王」で有名な金印を展示してあります。数年前、訪ねて実物を見ました。親指の爪ほどの大きさでしたが、存在感がありました。 オマケは紅梅です。昼をした山田SAに咲いていました。春です。
2017年02月06日
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平成29年1月24日(火) 午前4時起床。晴れ。未明の気温-3℃。冷えました。 昨夜、就寝前にTELあり。部下の昼行灯からでした。変な内容でした。「今夜はもう酒を飲まないで下さい」。?、なんだ?意味がわからない。次のような説明がありました。 今日帰宅したら震えが来た、ガクガク、次いで熱が出た、測ったら38度6分、明日東京出張予定なるも恐らく無理、明朝、熱の下がらない場合は代わって欲しい、大分空港までの運転もあるから今夜はもう飲まないで。そういうことか。 私の所属するセクションは、格好よく言うと secretary とpolicy promotion 、二つのチームによって構成されています。行灯は前者のチーフです。未明、再度彼からTELあり。熱は引かずとのこと。 出張準備は簡単です。ビジネスバッグにYシャツ、下着、靴下1セットを放り込むだけ。午前6時、妻が朝ご飯を用意してくれました。甘党の彼女は、昨夜こさえたぜんざいで相伴してくれました。写真がそれです。 行灯の家に向かいました。堅田街道沿いにあります。手持ちの資料や航空券を受け取るためでした。おっ、いい感じの光景に出くわしました。冬枯れの畦道を通う小学生たちでした。時刻は午前7時前。ほのぼのではあります。 書類を受け取って会社へ。次の写真は、大橋の上から南の空を写しました。朝焼けというには物足りない色合いでした。 8時前、社用車を駆って大分空港向け。由布・鶴見の両山は雪を被っていました。トイレ休憩した別府湾SAの外気温は-1℃でした。しかし、コーゾーさんの住む十勝・本別は連日-24℃。比ぶべくもなしです。寒い寒いといったら罰が当たりそう。 JALの機内は空いていました。空港を発つ折は、豊前海からの雪雲で暗かったです。離陸して高みに抜けたら窓から陽射しが差し込みました。紺に赤の制服を着た客室乗務員のお姉さんが配ってくれたJALコンソメが美味しかったです。 写真は広がる雲海です。四国・石鎚山上空。 この後、徳島、紀伊水道、和歌山、大台ヶ原、伊勢湾、遠州灘、石廊崎、伊豆七島を経て房総半島・野島崎から東京湾へ回り込みました。写真は愛宕山、清澄山、はたまた鹿野山でしょうか。織りなす山を眺め下ろして思い出しました。昨年、九州国立博物館に東山魁夷展を訪ねました。展示に「残照」という作品がありました。画伯が千葉・鹿野山からの眺めを描いた旨の説明がありました。眼下は午前の光を浴びていて、夕方の空気はありませんでしたが、連山には彼のタッチに重なるものがありました。 おっ、東京湾のランドマーク「風の塔」が見えてきました。東京湾アクアラインのトンネルに溜まった排気ガス混じりを排出する空気孔です。何ともいい感じのデザインではあります。調べたら高さ90m、人工島の直径は200mだそうです。 羽田に着いて昼をしました。出張の楽しみは食事です。よし、たまごかけごはんにしよう。第2空港ターミナル内にある「うちのたまご直売所」に突っこみました。これがメニューです。 一番上を頼みました。勿論お代わりをしました。たまごも二つまでは追加料金なしの1ラー弱。欧米人は忌諱します。考えてみたらごもっともです。 焦っていたので、たまごの白身をズボンにぼしました。その折は気付きませんでした。後になって股のチャックあたりが丸く白くなっているのを見つけました。都心の目的地について、ハンカチを濡らし、拭いて事なきを得ました。 出張目的は、某組織の総会でした。全国から同業他社が集まりました。写真は会場の天井です。 椅子の前に同時通訳用のチャンネルジャック。しかも全座席にありました。国際会議を念頭にとのことなのでしょう。高校の折、英語の教科書にsimultaneous interpreter のことが載っていたのを思い出しました。何だか、思い出すことの多い一日だな。 午後2時に始まった会議は6時に終わりました。レセプションがありました。写真は一部分です。大賑わいでした。 次は、熊本・某社関係者の持ち込んだ日本酒です。味見しました。右の青瓶、「白川水源」が美味しかったです。南阿蘇村の藏だそうです。熊本地震で落橋のあったところです。酒を注いでくれた方に被害支援のお礼を言われました。弊社、発災直後に続き、昨年末まで社員を1名、長期派遣していました。東京で感謝の言葉をいただくとは思いもよりませんでした。酒の味、沁み方が一層でした。 宿は品川駅近くでした。会場を後にし、何処へも寄らずチェックイン。写真は窓の外、夜の光に誘われましたが我慢しました。 午前10時就寝。普段、床に煎餅布団を敷いての杣夫です。シティーホテルのダブルベッドはどうもいけません。勝手が違いました。スマホのラインに行灯からのメッセージがありました。インフルエンザだった由。横になって思いました。チョン・キョンファのコンサートに出かけていたらピンチヒッター能わず。ちょっと違いますが、不幸中の幸い、怪我の功名みたいな気分になりました。これはこれでよかったです。お休みなさい。今日の一句畦道の霜踏みしめし通学路今日の写真は宿の枕元です。Amazon・musicでビル・エバンスを聴きながら。寝酒はしませんでした。
2017年01月24日
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平成28年11月20日(日) 午前4時起床。曇り。なすすべ無く朝風呂。朝ご飯のお代わりをして腹がパンパンになりました。ロビーの新聞は日経と中国新聞。あとはスポーツ紙でした。写真はそのブロック紙。 副社長とタクシーに乗りました。某ビルに向かいました。某某ですみませんが、某総会に出席。昼を挟んで懇親会になりました。酒席でしたが、弊社の営業をしなければなりません。部下の準備してくれたパワーポイントをスクリーンに映してもらいました。マイクを持つため、酒は控えました。料理は馳走でしたが、朝餉を食べ過ぎて殆どつまめませんでした。残念です。仕事の方は来春に行う某取引の目途がついてよかったです。 午後2時過ぎに終わりました。タクシーでJR広島駅へ。午後3時前のこだまに乗りました。やれやれ。駅の売店で仕入れたものを並べました。カープハイボールにカープ酎ハイ。広島ですから賀茂鶴の純吟も。ボジョレー・ヌーボーを飲んでいなかったので、それも試飲しないといけません。小倉に着いて、大方をやっつけました。 ソニックに乗り換えました。副社長が、これが美味しいと差し出してくれました。開けてみました。うん確かに。 大分駅でにちりんに乗り換えました。佐伯までの車中、副社長が家族のことを話してくれました。ご両親は既に無く、子どもさんたちも独立、今は夫婦二人だそうです。奥さんのことを自慢、「今が幸せだ」酔って話す言葉に嘘はありません。いい感じでした。 佐伯着は午後7時過ぎ。疲れました。妻が迎えに来てくれました。まだ飲むと言う副社長を盛り場に送りました。次いで実家に届け物があるらしく、そちらに廻りました。「僕は酒臭いから今夜はお母様に会わない、車中でまっているよ」彼女が家の中に消えた途端、車から走り出ました。直ぐ前にあるコンビニへ突っこみました。缶ビールを買いました。プシュッ。クーッ、堪りません。彼女が戻ってきました。忽ち目が三角になりました。帰宅して風呂を浴びました。バタンキュー。今日の一句ヴァイオリンみどりの音色艶めきて青蔦の這いて古色の喫茶店牡蠣喰うて田酒を嘗めて悦に入り今日の写真は某総会で一緒させていただいた方のサインです。傘寿とのこと。背筋の伸びてお若い。紳士中の紳士でした。スピーチは優勝の味についてでした。お願いしたら快く応じてくれました。嬉しいな。大切にします。
2016年11月20日
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平成28年11月19日(土) 午前4時起床。雨のち晴れ。 朝のうちは雨脚が強かったです。今日明日開催のB-1グランプリ、この天気に出鼻を挫かれねばいいなと思いながら、出張の準備をしました。 午前9時過ぎ、佐伯駅へ。にちりん、ソニック、こだまを乗り継いで広島向け。途中、信号の故障で列車が遅延しました。予定より2時間遅れて広島着。今日はそのまち入りするだけでした。道中、プシュッといきたかったのですが、グッと我慢。写真は昼に食べたサンドイッチです。 もう1枚、徳山のまちです。新幹線の中から撮りました。天草に住むTさんがタンカー船長だった頃、博多からこの港までの航海に招待してくれました。20年近く前のことです。彼が「港から歩いて行くことの出来る新幹線の駅はここだけだ」と話してくれました。このまちの居酒屋で「獺祭」という美味しい酒のあるのを知ったのもその時でした。ここを通る度、車窓から見る度、その時のことが思い出されます。写真の遠くに島が見えます。大津島です。回天の訓練基地があります。記念館ともども訪ねました。懐かしいなー。 広島に着きました。駅の構内に大きな写真が飾ってありました。壁一面でした。 駅を出て、ホテルにチェックインするにはまだ早い。ひろしま美術館を覗くことにしました。30分、歩きました。ん?道路のマンホールもカープでした。 ミュージアムは緑の中にありました。落ち葉が散っていました。これから鑑賞する作品を前に、落ち着くような、それでいて昂ぶる様な気持ちになりました。 収蔵作品はどれも一級でした。印象派からエコール・ド・パリまでが、4部屋に分かれて飾ってありました。建物の造りも素敵でした。先日の東京と違い、ゆっくり出来ました。よかったことと残念なことが二つずつありました。前者はここのシャガールがこれまで見た中で一番だったことと、安野光雅展をやっていたこと。此方は平家物語の名場面を描いた連作でした。これ、必見です。吉川英治「新平家物語」を読んで後にだと、なおさら感じるところがあると思います。本にならないかな。後者はルノアールの1枚が貸し出し中だったことと、別館のあるのを失念し、黒田清輝、岸田劉生などを見損ねたこと。 画を見た後は、気に入った絵葉書をミュージアムショップで買うことにしています。普段は1~2枚ですが、今日は4枚求めました。そのうちの1枚はモディリアーニ。禁玉さんの好みです。ということで切手を貼って多治見向けに投函しました。旅の便りは嬉しいですが、認める方も高揚感を誰かに伝えたくての楽しみとなります。私の場合、天の邪鬼ですから、少し見せびらかしの気持ちもありまして・・・。 喉が渇きました。下調べをしておきました。広島には名曲喫茶があります。駅の近くです。「ムシカ」という名前です。今日の宿に近いこともあり、訪ねました。 中はこんな感じです。 スピーカーはテクニクスとアルテックでした。後者が鳴っていましたが、拙宅のそれとは随分違った音でした。五嶋みどりのメンデルスゾーンとブルッフでした。名演なんですが、深みに欠けるオケは、エンクロージャーの奥行きのなさが原因のようでした。以下は店内の壁を写した写真です。 店主が寄ってきました。話し込みました。父親の代から70年だそうです。オーディオやレコード、CDなど、室内のものはすべてお客さんからの頂き物とのこと。へーっ、そうなんだ。曰く「こんな喫茶店ですよ、儲けの出ろう筈がない。一人で切り盛りしているので、ゆっくり音楽を楽しむ余裕はないんですよ。破産寸前です、アハハ」白髪白髭疎らのおやっさんでした。うーむ、そうか、名曲喫茶はダメなんだ。 ホテルで副社長と落ち合いました。そうなんです、明日の午前にこのまちである某総会に招かれたのでした。晩ご飯を食べに銀山町へ。完全アウェーです。知った店なんてありません。一人だと、場末の大衆酒場に突っこむんですが、副社長と一緒なのでそうもゆかず。店構の高級っぽいところに落ち着きました。中にはカウンターと小上がりがありました。焼酎が充実のようです。 奧の冷蔵庫には日本酒の野郎どもが。 ビールで乾杯の後、副社長は「中中」という焼酎をロックで。私は田酒をもらいました。いい酒でした。 飲む折に当てが不要の副社長は、鮃の刺身を少しつまんだだけでした。私は都会に出た時必ずのホヤ。 次いでタチポン。 広島です。牡蠣が本場とうことでフライを注文。これは副社長も気に入ってくれました。 それならばと蒸し牡蠣を頼みました。これも絶品。 副社長に散財させました。いい気色になって、もう1軒。焼き鳥屋のような店に突っこみました。此方は格安。勘定を持たせてもらいました。これで曲がりなりにも帳面が消えました。ホテルに戻ってバタンキュー。今日の一句ひろしまでピカソの青が深まれりシャガールの青赤黄色を焼きつけて今日の写真は購入した絵はがき。どうですか、この青。シャガール「河のほとり」です。エクスタシーです。
2016年11月19日
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平成28年8月5日(金) 午前4時起床。晴れ。昨日の疲れが残っていました。本を持参していなかったので,手持ちぶさたでした。ブログを書き始めて飽きました。午前6時半、着替えてロビーに降りました。昨日のディナーで一緒した取引先の社長と、一緒に走る約束をしたのでした。この町は港湾も有名ですが、マリンレジャーの基地としても知られています。グレートバリアリーフへの魚釣りは、ここが基地港の1つです。そこに向かいました。ラン40分。走り終えて写真を撮りました。似たランニングウェアでしたが、彼の胸に「かんまんごし」のロゴはありませんでした。当たり前です。意味を聞かれました。「ノープロブレム」だと返しました。言葉は半分も通じませんが,一緒に走って意気投合。 岸壁にちょうど釣り船の着いたところでした。日本の伝馬船とは大違い。20人は優に乗ることのできる大型クルーザーでした。グレートバリアリーフで出かけて,寄港したところとのこと。釣った魚はすでに三枚に卸され、冷凍してありました。漁場が遠いこともあるのでしょうが,何とも手早くはあります。見ると,コショウダイでした。 シャワーを浴びました。朝食はホテルに併設されたコーヒーショップでした。ベーコンエッグを注文。ボリュームがありました。食べ終えて,取引先のカンパニーに向かいました。歓迎を受けました。例によって詳細は割愛。差し障りのない写真を幾つか。一枚目は役員の一人と意気投合し、私的な話になって、それじゃーネクタイを交換しよう。そうしました。ロシアマフィアだと言われたら信じてしまうような顔をしていました。 あれこれが終わり、ティーパーティになりました。フルーツ・スウィーツが山盛りでした。朝を済ませたばかりなのに。それでも相手側、私の同世代の役員たちはパクパク。郷に入っては郷に従えです。ならばと私もそうしました。 食べながら港湾の説明を受けました。指し示す棒がなかったのでスプーンの柄を代用するのはご愛敬。 その港に向かいました。フェリーをチャーターしてくれていました。所変われば品変わるといいますが、乗った船はこんな感じでした。 ブリッジに上がりました。船長はラフな格好をしていました。年齢を訊いたら30台後半でした。ブリスベンの商船大学を卒業、船舶運航の資格を得たとのこと。私も日本の大学・水産学部で乗船実習をしたことがある、友人の何人かは専攻過程に進んで、あなたと同じ資格を持っていると話しました。彼は海上交通のルールは万国共通だ、俺も日本で働こうか、と言って笑いました。 ただののクルージングではありません。目的がありました。ただしそれは割愛。写真は天然ガス油田のある島に接岸したケミカルタンカーです。このあたり、水深を問うと12mとのこと。石炭の積み出しにしても、天然ガスにしても、港湾は船の吃水が気になるところではあります。それにしても空が青い。 昼食はフェリーの中でピクニック気分。サンドイッチがてんこ盛りです。取引先がケータリングを用意してくれていました。ここでも相手先の役員は皆次から次と鷲掴み。パクパクムシャムシャ。真似しましたが,追っつきません。 写真は美しい女性とのツーショット。取引先の広報を担当する方でした。目元が涼しい。ニコンのD800を持っていました。カメラを褒めたら、これが一番と返してくれました。 出航した場所に戻りました。付近はヨットハーバーでした。数多の船が係留されていました。小さな町なのにこの様です。マリンレジャーを楽しむのは普通のことなんでしょうか。豊かな生活を垣間見る気がしました。 その町並みはというとこんな感じです。洋風の家並みがゆったり広がっていました。狭さというか、狭隘はこの町の辞書にありません。 閑話休題。船を下りて,アルミニウム工場に向かいました。昨日はボーキサイトからアルミナをこさえるプラントを見学。今日はアルミナを精錬,アルミニウムにするカンパニーを訪ねました。 マネージャーが説明をしてくれました。景気、原料の手配、製品の輸出先、経営努力・・・、あれこれを伺いました。この会社、株主は日本の証券会社や自動車メーカーとのこと。写真はインゴットを積んだ車両です。コンボイが牽引し,会社の門を出て行くの図です。 夕刻、少し時間があったので土地のスーパーへ寄ってみました。店員の方に断りを言い,中を撮影しました。以下にその幾つかを。なんと言っても興味を引くのは野菜売り場です。知ったもの半分、知らない種類が半分、山盛りになっていました。 個人的には魚売り場が気になります。鰭物は少なかったです。エビや蟹が多かったです。、牡蠣もありました。南半球は冬、さもありなんです。ちなみにこの町の今の気候はというと、夜は10~15℃、日中は20℃を少し越えるくらい。昼は半袖で十分でした。 牛肉大国オーストラリアです。棚に所狭しでした。価格もリーズナブル。 ホテルに戻りました。ネクタイを締め直しました。取引先が歓迎パーティをしてくれました。会場の写真は差し障りがあって載せること能わず。代わりに出された料理を。ホタテとポークのソテーです。これは美味しかった。 続いてトラウト。これもいい感じでした。ワインで流しました。他にイチジクの前菜、料理の後にデザートもついて腹一杯になりました。 次の写真はこの町にあるプラントで働く技術者です。コロンビア国籍。ボゴタかと問うと,違う,出身は田舎の町と返されました。何か共通の話題はないか,思いをめぐらせました。そうだ、サッカーだ。W杯アメリカ大会のことをはなしました。リンコン、バルデマラ、アスプリージャのトライアングルは素晴らしかった,その雑誌を今も持っている、オウンゴールのエスコバルは可哀想なことになった・・・。単語の羅列に相手が目を見開きました。彼はサッカー大好きでした。かつてのナショナルチームを日本のおまえが知っていてくれたとは。なんてうれしいだ、というようなことを言われたような気がしました。忽ち意気投合。肩を抱き合いました。リオ五輪の話になりました。予選のグループ、日本とコロンビアが同組であることを教えてくれました。5対0でコロンビアの勝利だと威張られました。ああそうなるだろう、あんたが大将だ。日本語でそう言うと満面の笑顔になりました。 パーティーが終わって帰り際、アボジリニーの方と話しました。先ほど、余興にダンスを踊ってくれました。その折りに使ったブーメランを持たせてくれました。楽しい夜が終わりました。今日の一句ブーメラン戻ってきたいこの町に異国にて一期一会の握手かな今日の写真は油田ガスの炎です。巨大ケミカルタンカーのブリッジ越しに燃えるの図。ガス田とバースの隣接しているところです。絶好の立地。コスト安につながります。
2016年08月05日
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平成28年8月3日(水) 午前4時前起床。ブログを書いて荷造りを終えました。下着とYシャツの替えを持てば終わり。あっという間でした。トラが纏わりついて離れません。オーよしよし。ブラッシングをしてやりました。しっかり留守番をするんだぞ。 定時に出社しました。決裁箱の書類にハンコ押し。会社を出たのは正午前。一路大分空港へ。今日はバスだったので,目線が高かったです。津久見のセメント山が、よく見えました。 大分空港に着きました。外国へ行くので、何か日本的なものを食べておこう。2階にあるラーメン屋でネギ味噌ラーメンを注文。860円でした。 午後2時半の便で羽田へ。この飛行機で向かいました。 写真は客室乗務員のお姉さんがしていたベルトです。JALのエンブレムが入っていました。決して隠し撮りではありません。きちんと断りました。このあたりならとOKしてくれたんです。 その証拠にこれを態々、持ってきてくれました。私がJALマークのマニアかと勘違いされたのかもしれません。使うメモ帳に貼りました。 羽田のロビーにこんなポスターがありました。それと私です。ああ、飲みたいな。 羽田からは、リムジンバスで成田へ。都内の湾岸は混み合っていました。千葉県に入ると流れがよくなりました。途中、夕立がありました。空港近くになって上がりました。周囲は緑が多い。田舎の空港ではあります。カンタス航空のカウンターで搭乗手続きをしました。夏休みです。ごった返していました。黒人の紳士がポーターのような仕事をしていました。キーボードをたたく女性も日本人の顔ではありません。ここに来ると,国際色豊かです。 成田は3度目です。前回はジェットスターで大分-成田、成田-札幌を乗り継ぎました。札幌のハーフを走った折りでした。同じ第2ターミナルでした。何となくですが、ここの勝手を思い出しました。写真は運航表示板です。これも旅情の1つではあります。 出国審査はすんなりでした。ゲートを通過したらそこは海外扱いです。シャネルや孫悟空マークの店が偉そうに競っていました。 洋酒の店もありました。ん?試飲とある。もう午後6時を回ったことだし、まっ、いいか。ほんの僅か、10ml位しか注いでくれませんでしたが、いい味でした。 前後します。出発前、LINEだと海外からも無料でtelできると聞いていました。羽田から成田までの車中、設定をしました。途端、本別のコーゾーさん、キンノジ、義弟夫婦・・・。忽ち賑わいはじめました。このせわしさ、苦手です。 機体に乗り込むことのできたのは,午後9時でした。整備に時間を要したとのこと。 早速夕食が出てきました。寿司があったのでそれを頼みました。エコノミークラスです。なんともかわいいものです。 ワインをもらいました。牛乳瓶1本の要領を専用のペットボトルに入れてありました。2本いただきました。 デザートはババロアでした。箸で食べましたが、何とも興ざめ。機内はほぼ満員。夜間飛行は早く寝るに限ります。今日の一句赤道を越えていく夜一人居り今日の写真は機内で聞いたbachです。この航空会社は映画、音楽にいい感じのサービスがあります。聴き放題でした。
2016年08月03日
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平成28年1月25日(月) 午前4時起床。寒かったですが、朝ジョグウォーク1時間。西の空に月齢16の月が浮かんでいました。その色は卵黄でした。写真は須留木の農道で撮ったものです。ピンボケです。手前のクリークは凍っていました。その鏡に月光が映えていました。 もう一枚、バス停です。古びて色変わりしています。元はすっきりした赤、白、青。見栄えがよかったのですが。このデザイン、好きです。それをして、全国に数多あるバス停は、運行するバス会社毎、違います。これを趣味とする人はいるんだろうか。鉄道がテッチャン。バス路線はバッチャンというのだろうか。なんだか年配の婦人のことのようだな。 さらに一枚。その下にあった時刻表です。便数に鄙の程度を窺い知ることができます。田舎ではありますが、「ド」は付きません。 午前6時半頃、家に戻りました。一時間のうちに朝食、着替えをすませます。背広にネクタイの1週間が始まりました。玄関を出たら、ヤブランが実をつけていました。黒玉がいい感じでした。 今日は隣まち・延岡へ。営業車に乗りました。五ヶ瀬川の川沿いを走って、西に見える九州山地は雪で白くなっていました。仕事は午前中に終わりました。出張の楽しみは外食です。名物チキンナンバンを食べるか、それとも蕎麦の名店「そば乃井」に突っ込むか。算段をしました。しかし、同行したキリノスケの野郎、仕事の終わって勃然「会社に戻ります」。私は彼の上司です。体面があります。後ろ髪を引かれましたが、仕方ありません。直帰の仕儀となりました。弊社近くのローソンでサンドイッチとブルガリアヨーグルトを買いました。 午後は飛び込みの案件あり、右往左往。ため息が出ました。いけないいけない。ぐっとこらえました。帰宅は午後7時半。ノンアルコールと決めていました。少しだけでしたが、ヒラメの刺身がありました。仕方がない。飲んでやるか。日本酒の燗を2合。いい気色になりました。 NHKFMにチャンネルを合わせようと番組表を見ました。今週はクリーブランド管の特集です。見てやめました。木曜日だな、聴くのは。その日のプログラムはブラームスです。大学祝典序曲、ヴァイオリンコンチェルト、交響曲4番。2年前のライヴです。楽しみです。新聞を捲りました。週明けは、会社の購読している日曜版を持ち帰ります。読書欄がいいのです。これが眠り薬になりました。 今日の一句冬の月凍りに映えて冴えわたり今日の写真は同業他社のトイレ蛇口です。ぼやけていますが、温冷を使い分けることのできるボタンがありました。 ついでにそのまちの一コマも。city office 前、道を隔てたところにある人工の滝です。何か意味があるのかもしれませんが、それを知らずとも、いい感じを覚えました。 もう一枚、その隣にあった和風建築です。個人所有のようです。まちの一等地にあって、古手の大きな家は珍しくなりました。
2016年01月25日
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平成27年11月17日火曜日 午前4時起床。毎日、この時刻に起きていますが、今日は気持ちが違いました。午前5時発の空港向けバスに乗ります。後れをとると、8時前の東京行きに間に合いません。少し眠りが浅かったような感じでした。顔を洗っていたら、ポツリきました。妻が大手前のバスターミナルに送ってくれました。バスに乗った時間は2時間。搭乗し、しばらくしたら青空が広がりました。この後、すぐ近くを白い機体がすれ違いました。雲を引きながらの図は滅多と無いシャッターチャンスでした。書類を拡げていて、カメラを構えることができませんでした。残念。 今日はJALを利用。大分空港には4社が乗り入れています。客室乗務員の服装や機内サービス、座席付帯のミュージックなどに違いがあります。良し悪しの観点からではなく、好みか否かという視点だと、やっぱりJALかな。羽田についてモノレールに乗りました。いつもは京急ですが、気分を変えたかったのです。大井競馬場は休みのようでした。浜松町で喫茶店に。ブランチをしました。サンドイッチと珈琲380円。時間があったので、文教堂を冷やかしました。来年の手帳に惹かれました。しかし、弊社専用のものがあります。それにしようとひとりごちました。 JRに乗り換えて新橋に。銀座線、丸ノ内線と乗り継いで目的の駅に。内〇府を訪ねました。お役人と対峙、劣勢でした。いや、門前払いといってもいい結果でした。ため息が出ました。写真はサラリーマンの聖地新橋駅から見た烏森側です。ランドマークの機関車がありました。どうでもいいことですが、この横には、競輪の場外車券売り場があります。 午後4時、霞ヶ関を後にしました。来た道を浜松町へ。飛行機は午後8時の最終便。仕事を粘って遅くなる想定でした。一刀両断にされたので、時間に少し余裕ができました。東京は日の落ちるのが早いです。えーと、浜松町・・・。あっ、そうだ。秋田屋へ寄ろう。早くも満員。ごった返していました。 一階が満員のため、エレベーターに乗せられました。写真は私です。いかがわしいサロンに突っ込むの図ではありません。弓折れ矢尽きました。油を注さないと大分に帰り着くことができません。 メニューは典型的下町酒場のそれです。 レバーとシロをビールで流しました。うーっ、沁みました。 ここの名物、特性たたき肉だんご。いい感じです。一人一本限りと書いてありました。 まだ時間はあります。おっ、氷頭がありました。それならばと、高清水の冷やをもらいました。表面張力。こうなっては口からいかないといけません。うーん、至福の一口です。 長居は無用。飛行機に遅れては元も子もありません。もう少し雰囲気を楽しみたかったのですが、仕方ありません。後ろ髪を引かれる思いでした。写真はいい気色になって国際貿易センタービルに戻った折、壁にあったポスターです。伊豆七島の写真です。左上は式根島です。思い出しました。30年前、築地の魚市場に勤務していた折、小揚の1人に関口さんという方がいました。この島の出身でした。会社を辞めるとき、俺のことを忘れるな、敷根へ遊びに来いよな、といってくれました。いまどうしているかな。もう70を越えている筈です。 モノレールはウトウト。忽ち羽田に着きました。第1ターミナルは早くもクリスマスムードでした。 搭乗口に行くと、出発時刻が下がるとのアナウンス。使用機の到着が遅れたとのことでした。えーい、ままよ。プシュッ。 機内にもウィちゃんの水割りを一缶持ち込みました。30分遅れで飛び立ちました。大分着は午後10時。参ったな。でも空港バスは便の到着を待っていてくれました。一路佐伯向け。車中は読書。あれっ。左手にWINEの小瓶が。 午前零時半、妻がバスターミナルに待っていてくれました。感謝感謝。「あなた、酒臭いわ、バスの中でのんだの?」「うん、飛行機が遅れてね、なーにワインの小瓶1本さ」今日の一句秋田屋に高清水あり氷頭旨し伊豆の島関口さんよいま何処今日の写真は朝の便窓外、青空です。この色、いい感じです。
2015年11月18日
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平成27年10月9日金曜日 午前4時起床。晴れ。ホテルに泊まると、早くに目が覚めてもすることがありません。ラジコを聴いて過ごしました。ドア下に新聞の差し込まれることはなく、ロビーで紙面を拡げる仕儀となりました。 飛行機の便は昼過ぎでした。それまで何をしようか。赤坂なのでサントリー美術館が近くです。そこに行こうか、それとも東京駅の近くにあるブリジストンにしようか。迷って後者を選択しました。乗った地下鉄がそこに近づいて、長期休業中であることをスマホが教えてくれました。折角の機会だったのに残念です。仕方がないので、そのまま帰途に。数寄屋橋からJRに乗り、乗り換えのため品川で下車。京浜急行の改札近くに立ち食いのお寿司屋さんがあります。最後にビールを引っかけ、少し摘もうか。あ、いやまてよ、昨夜、勢いで買った柿が二つあったな。それを羽田で食べよう。ということでグッと我慢。少しの時間を利用し、再開発なった駅の東側に出てみました。幾つかあるビルの一つにクマザワ書店が入っていました。昨日、田端文士村記念館で知った一冊がどうしても欲しくなったんです。帰りの飛行機で読むことにしました。探しましたが、見つけること能わず。最後は店員のお世話になりました。荒川洋治「文学の空気のあるところ」中央公論新社2,000円。単行本ですから荷になりますが、手に取りました。写真は、これから羽田に向かう京浜急行の電車です。逆光なので判りませんが、色合いがシックになりました。 羽田について喉が渇きました。仕方がないので缶ビールを2缶、立て続けに飲みました。ぼんやり沖ゆく貨物船を眺めていて、寝入ってしまいました。「○○便で大分へご出発の一人親方様」の声にハッとなりました。危うく、乗り遅れるところでした。離陸して思い出しました。そうだ、柿があったんだ。立派な富有でした。ムシャムシャやりました。困ったことに、種を入れる袋がありません。乗務員のお姉さんを呼んで「柿を食べたら種が出た、捨てたいので袋下さい」「お客様、いただきますわ、お出し下さい」素手を差し出してくれました。赤面。しかし、渡しました。まいったな。よーし、これからはソラシドエアに決めた!他社の飛行機には乗らないぞ。 大分空港からバスを乗り継いで、佐伯に戻りました。日がとっぷり暮れました。都会の垢を落とさねばなりません。今日は金曜日です。花金はつね三と決まっています。そうしました。大将が笑顔で迎えてくれました。やっぱり落ち着きます。 彼曰く「腰の手術をして入院中暇だったからタブレットを買った、便利だよ、〇〇動画も見放題、杣夫のブログも大きく読めていい感じだよ・・・」借りてみました。ホントだ、サクサク動きました。スマのタタキを当てに生ビールを流しました。続いて燗酒を2合と塩辛。冷や奴で締めました。早く帰らないと、妻がコーラスから戻って来ます。後れをとったら叱られます。気もそぞろでした。写真はそのタブレットです。 今日の一句吾の河岸この歳になり浮気なし今日の写真はこの出張で読んだ本2冊です。右は今年の小林秀雄賞受賞作です。先日、季刊誌「考える人」に紹介してありました。感銘を受けました。一読の価値ありです。
2015年10月09日
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平成27年10月8日木曜日 午前4時起床。晴れ。今日の予習をした後は読書。エスプレッソがいい感じでした。 午前中いっぱい、仕事でした。内容は書くこと能わずですが、相手方に一蹴された感がありました。キンノジへTEL。東京湾波高しと報告。戦略というか、手法の再検討を迫られました。ため息が出ました。肩を落とすとはこのことです。写真は、訪ねたビルの向かいにある古い建物です。屋根の上にフクロウの像がありました。知る人ぞ知る建築物です。夜に幽霊の出ることでも知られています。 もう一枚、霞ヶ関にはいつも警察の車が停まっています。要人警備の為なんでしょう。何ともセンスの悪いデザインではあります。ん?これに日の丸を入れたら、右翼の宣伝カーになるわな。 仕事はこれでお終い。折角の上京でした。あらかじめ、明日はポカ休と決めていました。帰りもそれを見込んで、明日の便を予約してありました。息子を訪ねようと思いました。西日暮里に着いて、常磐線が風の影響で運休しているのを知りました。仕方ありません。ウィークデーの夜に突然訪ねても、詮のないことと思い直し、TELもしませんでした。娘に夕食如何のメールをしました。残業続きなので会うこと能わずの返信がありました。また、肩が落ちました。友人KにTELしました。関西に出張しているとのこと、夕方の新幹線で帰郷する、新橋の機関車前で待ち合わせしようと返してくれました。持つべきは友です。二つ返事をもらうほど嬉しいことはありません。 よし、フリーの時間ができた。日暮里と言えば隣は田端です。そこに田端文士村記念館があります。向かいました。着いて駅を出たら大風でした。なる程、常磐線は風に弱いと聞いています。運転見合わせも仕方ないと思わせるだけの吹きようでした。駅近くの「蔵王」というラーメン屋に入りました。スープが美味しかったです。 腹の膨れたところで、記念館へ。明治から昭和初期にかけて、数多の文士が住んだことから、彼等のあれこれを紹介し、原稿や書簡を展示してあります。芥川龍之介の居宅を再現した模型がありました。1階と2階、二つも書斎がありました。一文の引用がありました。嫌なことは、話しかけれて返事を求められることと、煩い家族なのだそうでした。好きな季節は冬から春にかけて、一日のうちでは午前とも。見入ったのは、荒川洋治の新聞記事や、室生犀星の小景異情(拓本)でした。興味を惹かれたのは直筆の年賀状でした。横溝正史、永井路子、池波正太郎、江戸川乱歩、尾崎士郎、吉川英治、司馬遼太郎、遠藤周作、緒形拳・・・。どのような並びかわかりませんが、それぞれから息吹が聞こえてきそうでした。有り様は芸術ですらありました。凛としたものを感じました。村上元三のカランダッシュ社製鉛筆の削り様は凄まじかったです。そんなに広いスペースではないけれど、全て文字を追ったので、時刻が下がりました。 陽の傾いて、足が棒になりました。待ち合わせの時刻にはまだ余裕がありました。よし、上野に行こう。JR山手線に乗りました。目当てはアメ横の近くにある「大統領」。先ずは生です。 頼んだ当てはシロ。昨日の秋田屋に続いての注文でした。好みでしょうが、私は昨日のそれに軍配をあげます。1杯1皿を楽しんで、待ち合わせの場所へ。 写真は機関車です。待ち合わせ場所としてこれほど判りやすいところはありません。でも広場に大勢の人を待つサラリーマンがいて、彼のやって来たのを見つけることができず。TELがあり、スマホで知ることとなりました。嗚呼東京は人の多いところだ。 焼き鳥屋へ突っ込み、旧交を温めました。今年に入ってエビの荷動きが悪く商売に苦慮している、別の食材に手を拡げないと生き残るのは難しい、TPPは良くも悪くもない、一層弱肉強食がすすむだけ・・・。 河岸を変えました。少し歩いて銀座へ。彼行きつけのバーへ。キープの瓶は底溜まりだけになっていました。何を飲もうか。ラガウリンにしました。スモーキーフレーバーがいい感じでした。結局、二人の結論は、そろそろリタイアし、遊ぼうよ、ということに落ち着きました。 出張疲れのみえる彼と午後9時前に別れました。千代田線のある渋谷方面へ歩きました。この辺りは、30年余り前、魚河岸に勤務していた折のホームグランドでした。空気はあまり変わっていない感じでした。ガード下にバーデンバーデンというビアホールがありました。思わず入ってしまいました。ホフブロイハウスというミュンヘンの樽生ビールです。ザワークラフトを一皿頼み、グビッ。うーん!たまりません。本場の味わいとはこのことを言うのでしょう。長居したかったんですが、1杯で切り上げました。 今日の一句恨めしや常磐線に袖振られ文士村ペンで生くるの厳しさよ久闊の海老男にも老い迫り今日の写真は銀座にあった店の看板です。近畿大学水産研究所という店名です。この大学はマグロの完全養殖(採卵、孵化、生長までを人工管理すること)に成功したことで有名です。そのとおり、マグロが売りのメニューでした。
2015年10月08日
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平成27年10月7日水曜日 午前3時起床。晴れ。明日は朝一、都内某所にて陳情じみた案件があります。早朝の飛行機でも間に合いません。今日のうちに上京。ということで、朝のうちはゆっくりできました。出勤せず、空港バス発着のターミナルに向かいました。写真はナスの漬物と煮物です。これが朝ご飯のおかずでした。 よく晴れて、バスは秋の中を走りました。紅葉はまだのようですが、猿で有名な高崎山の裏を走る高速道路から、久住連山がよく見えました。背広を着ていなかったら、快適な旅なのに。 空港で遅い昼をしました。ラーメンを食べようと思いましたが、満席で入れませんでした。ままよということで、亮さんを真似てコンビニおにぎりにしました。 飛行機は、LCCのソラシドエアでした。当たり前のことですが、弊社、他社に漏れず出張費を切り詰めています。事務方が割安パックを手配、こちらはチケットを受け取るだけです。血も涙もありません。2千円のカプセルホテルに泊まり、浮いたお金で一杯ということはできません。おっ、機内誌ソラタネにつね三の記事が。こんなところに紹介されているんだ。常連の私です。嬉しくなりました。 離陸後、すぐに佐多岬半島が見えてきました。写真は、伊方原発と発電用の風車です。何とも奇妙な取り合わせです。これを見て東海村にいる息子のことが頭を過ぎりました。どうしているかな。 次の3枚は本四架橋です。先ずはしまなみ海道。 続いて瀬戸大橋。 最後は鳴門ルートです。明石海峡大橋がよく見えました。 おっ、見たことがあるぞ。この形、ブロ友がカレーを食べるお皿と同じ形です。 セントレアが見えてきました。このまちにnkucchanとスローライフmamaさんが住んでいるんだな。そして、奧のほう、山裾のまちには禁玉さんも。 羽田からは京急で品川へ。久しぶりの東京でした。人混みにうんざり。陽が傾いて浜松町へ。家に、道中の本を忘れました。大きな本屋に突っ込みました。荷になりますが、欲しかった岩波新書を買いました。午後5時を過ぎました。チェックインの前に、軽く引っ掛けました。銘酒センターに突っ込みました。ここは各地の酒蔵合計40軒が共同出資するアンテナショップです。 1杯200円~500円の酒が数多。3杯頼むと100円引きとのこと。そうしました。写真のうち、一番右がよかったです。 続いて、有名な秋田屋へ。シロとナンコツをビールで流しました。隣のオッサンが話しかけてきて困りました。高齢の女将がやって来て、ようこそと挨拶してくれました。吉田類の番組を見て訪ねた旨を話したら、吉田さんはとても気持ちのいい方だと帰してくれました。今日はこれで打ち止め。 赤坂の小さなホテルへ宿泊。途中、シリア大使館の前を通りました。このところ、その国にロシアが空爆を行い、地上部隊の派遣を検討しているとの報道もありました。以前「シリアの花嫁」というシリアスな映画を見たことがあります。日本の片田舎、小人閑居にあって、彼の国は遠い世界ですが、この看板を見て急に寒気がしました。 チェックイン後、カープの最終戦を聴きながら、明日の予習をしました。私にとっては珍しいことです。試合結果は書くに及ばず。こうなったら阪神を応援するのみ。今日の一句三原山粘土の如く裾拡げ大阪と京都の空の味気なさ秋田屋の軟骨美味し女将笑む今日の写真は秋田屋のもう一枚です。煮込み。食べませんでしたが、いい匂いでした。東京の大衆酒場には大概これがあります。会社帰りに一皿と調子の1本がサラリーマンの楽しみなのでしょう。
2015年10月07日
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平成27年7月9日木曜日 午前5時起床。曇り。朝は吉野屋を選択。 ウナギの幟がありました。急に食べたくなりました。昼をかねるので、2膳もいいやと勝手に決め込みました。満腹になりました。 久しぶりに一つ葉有料道路を走ってみました。太平洋から打ち寄せる波の飛沫が霧状になって、煙っていました。シェラトン・グランデ・オーシャンリゾートは頭の方が隠れそう。 台風の影響か、崩れる波頭はすごい迫力でした。地鳴りのような音に、怖さを覚えました。 鯉の販売を生業にしたトラックが止まっていました。どういう商売か、だいたい想像がつきます。私もかつては魚に関係した仕事をしていました。こういう業種の車に出くわすと、郷愁を覚えます。(これはどうでもいい話でした) 出張帰りの道中、道の駅のいくつかを覗くのも仕事の一つ。国道10号を北上。点在する施設の賑わいについて、高速道路開通後の様子を見るのが目的でした。結論を先に書くと、下の道は通行量が激減。インターから離れたところにある販売施設はどこも閑古鳥が鳴いていました。高速道路の光と影というか功罪です。一級国道であってすらこの様子。今さらではありますが、生き馬の目を抜く時代です。世知辛さの増していることを覚えました。写真は閑散の図です。 こちらは都農ワイナリー。昨日、宮崎商工会議所の方がここの活用を力説していましたが、訪ねてみると閑散。売店やレストランの方は手持ちぶさたのようでした。 製造工程をガラス越しに見ることができました。タンクは延岡の清本鉄工製でした。 少し時間があったので、寄り道をしました。日向といえば牧水です。国道10号から327号へ。耳川に合流し、さらに西方向へ。鶴野内という三叉路を左に切って、耳川を渡りました。走ること40分。緑の中に若山牧水記念文学館がありました。整備された公園に、木造の展示施設。 収蔵品は書簡をはじめノート、各種写真、書籍などでした。圧巻は自筆の掛け軸。10帖はあったでしょうか。独特の優しい字体は見事でした。当然、写真は法度。 牧水は明治18年生まれ、昭和3年没。43歳、若い死でした。旅の歌人、酒と自然を愛し、詠んだ歌は9千5百首あまり。私のまち・佐伯の首もあるようでしたが、確認すること能わず。交流は歌壇にとどまらず、文壇にも広い交際のあったことを知りました。手紙魔だったようで、毎日書いて、現存するだけでも1,600通あまり。大酒飲みで、毎日1升空けていたということです。同じ左党にあって、これは信じがたかったです。だいたい、酒量に関しては法螺話と相場が決まっています。倒れた土地は静岡県沼津市。そのまちには、大学の同級生にしてブロ友「アマオケホルン吹きの音盤中毒日記」氏が住んでいます。これは偶然というか、なんというか。調べたらそのまちにも若山牧水記念館というのがありました。館長は牧水の孫にあたる方だそうです。 記念館の近く、道沿いに生家がありました。彼の家は医者でした。待合室と診察室を覗くことが出来ました。写真は全景です。二階が彼の部屋とのことでした。庭に栴檀(センダン)の古木がありました。幼い頃、この木に登って遊んだことは容易に想像出来ます。樹皮に触ると、時空を越えて牧水を感じるから不思議です。 庭からの眺めです。蒼い淵、崩れる白瀬、深緑の川木と相まっての景色は、自然派の牧水が原点というと大げさでしょうか。出張は、夜の酒も楽しみですが、途中、時間の許す限り、折に触れてこういうところを見て回ることのありがたさもあります。 今日の一句肘鉄をハイウエイから喰らわされこの景色枕に迫る瀬音かな牧水のせいにするなり今日の酒牧水の生家の竈何を炊く栴檀に足跡探す生家なり今日の写真は夏野菜の煮物です。昨晩、宮崎の夜を練り歩きました。そのことを察しての妻が仕儀です。
2015年07月09日
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平成27年7月8日水曜日 午前4時起床。雨。鬱陶しい日が続きます。 朝礼の後、にミーティング。詳しいことは書くこと能わずですが、いわゆる玉不足。乾いたタオルを絞るの仕儀に、キリノスケが顔を顰(しか)めました。午前10時、営業車に乗りました。高速道路を宮崎向け。午後、宮崎市で経済界の集まりがあるのでした。年1回の総会です。おっと、その前に腹ごしらえをしなくてはなりません。突っ込んだ先は、そのまちの「ファミリーおぐら瀬頭店」 ここはチキンナンバンがウリです。それを注文。ボリューム感がありました。満腹。 会議は、川沿いの大きなホテルが会場でした。シャンシャン総会のあと、講演がありました。業界の抱える課題について、シンクタンクの方が写真の如くの話をしました。 鄙にあると、有名な先生の話は滅多と聞く機会がありません。普段は昼行灯ですが、今日は真剣にメモを取りました。写真がそれです。ipadの画面入力は苦手です。今日はbluetoothのキーボードを持参しました。便利でした。話のキーワードはredundancyでした。リダンダンシー、訳すと冗長性。遊び心です。転じて、あるシステムに無駄と思える機能を加えることで、普段は意味をなさないけれど、いざという折に機能不全をカバーする役割のことです。設備投資に無駄は禁物ですが、この発想は悪くありません。目から鱗のお話でした。 明日、帰りの道中はいくつかの道の駅へ寄ります。投資物件の視察です。ついでに、日向の山奥にあるメセナ物件も訪ねる予定です。ということで今日は宮崎泊。木賃宿に荷を解きました。 今日は、立ち飲みで責めてみることにしました。先ずは「立ち呑みや元気です」 いい感じの小鉢が安いです。地ビールで喉を潤した後、焼酎を無垢で2杯。玉子焼きが美味しかったです。ここは、長距離フェリーの乗組員をしていたという年配のマスターと奥さん、二人の経営するアットホーム的お店です。隣は横浜から旅行という看護師さんでした。山陰を回って福岡・大分・宮崎という旅程を話してくれました。一人旅が羨ましい。 続いて「たたんばぁ」5月に妻とプライベート旅行をした折、突っ込んだ店です。 宮崎県は焼酎のメッカですが、ここにはいい感じの日本酒も置いてあります。千代むすび酒造の鬼太郎です。これ、ブロ友ももさんの故郷が酒だったかな。カップ酒でしたが、いい感じでした。 「立ち飲みや元気です」もそうでしたが、ここも1杯1皿ごとのキャッシュです。明朗会計です。隣に40歳というお兄さんが立ちました。彼は日本酒のアルミ缶を呷った後、ぬる燗を舐め始めました。袖振り合うも何かの縁です。宮崎の女性は田舎くさいが、お嫁さんにするにはよいという話になりました。あなたの奥さんは?と聞くと、左右の人差し指を交差させて「バツイチ」しまった、悪かったな。でもその数分後、若い女性が彼の隣に「ねぇ、待った?」と言いながら滑り込みました。再スタート、頑張れ。彼に、締めの冷や汁、美味しい店はないか、訊いてみました。「あんなもん、ネコマンマですよ、日によって当たり外れがあるけれど、やっぱり蓬莱のラーメンがよいです」 日本酒の導火線に火がつきました。「花右衞門」という日本酒バーの暖簾を潜りました。各種の見比べ、猪口3杯が1,000円でした。花邑(はなむら)という生酒がよかったです。 いい加減、飲んで酔っ払いました。小腹が空いたので、先の40歳に聞いたラーメンの美味しいという店へ突っ込みました。禁玉さんの真似です。 高力士を思わせるおやっさんがこさえてくれました。チェーン店とは違う、古きよき正統の豚骨味でした。 今度は亮さんの真似をしなければいけません。すっかり出来上がって、記憶がとびとび。翌日、カメラの写真をチェックしたらワインが映っていました。そうだ、ワインバーに踏み込んだんだった。腹の出た外国人が美味しいピザを持ち込んできて、相伴させてもらったことを思い出しました。 もう一軒。〆の締めにホルモン屋へ突っ込んでいました。 こちらは年配のお母さんと息子さんがやっていました。息子と言っても、私よりとしをくっている。ホルモンは七輪の炭火焼き。お母さんが網の上を仕切ってくれました。 今日の一句日向路や七輪ホルを老婆焼く今日の写真は神天狗の面です。宮崎は神話の里です。神楽が盛んです。昼に寄ったおぐらの壁に掛かってありました。
2015年07月08日
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平成27年4月7日火曜日 午前4時起床。終日曇り。朝の外気温13℃。ここ数日の平均より5℃低い。これが平年並みなんでしょう。未明の珈琲が美味しかったです。これに焼き菓子の一つもあると、ポカ休を取って終日読書です。 が、今日は出張でした。朝礼を済ませ、佐賀関向け。佐伯から大分の間、東九州自動車道は山中を走ります。時折、右手に海が覗きます。リアス式海岸、櫛の付け根を貫くように北上。道中、花の終わったサクラやシイ、カシは芽吹いていました。宮川内ICで降りました。日本文理大学の野球場を左手に見ながら進むと、国道197号に突き当たります。そこを右手に折れました。道なりに行くと別府湾に出ます。対岸、愛媛・三崎の方がくっきり見えました。 余談です。日本文理大学野球部は2003年、大学日本一に輝いています。その折の主将は脇谷亮太でした。彼、大分県出身なんです。父親は私のまちが故郷。NTT西日本の野球部に入部、後年、ジャイアンツに指名されました。もういけません。関心が薄れました。昨シーズン、西武に移籍。活躍しています。 閑話休題、関に着きました。銅の精錬で有名な町です。此処のランドマーク、高い煙突がそびえていました。かつてはこれを遥かに凌ぐのもありました。 大分と四国・愛媛を結ぶフェリー会社を訪ねました。航路部門の同業他社です。 すぐ脇は桟橋です。この船が70分で豊予海峡を行き来します。 所用を済ませたあと、某社社長に異動の挨拶。コーヒーを馳走になりました。異動先の仕事を訊かれました。あれこれを話しました。運輸安全マネジメントに話が及びました。安全管理の一つに定期的人事異動の必要あることで一致。10分ほどでしたが、関西弁の混じる楽しい時間を過ごしました。 早昼をしました。突っ込んだ先は丸亀製麺。かけうどんを頼みました。此所の出汁は美味しいです。いなりを二つ、それにロースカツも。 とって返しました。帰社は午後1時。以降デスクワーク。夕方、運動公園へ。着替えていて、寒かったです。Kさんがいました。並走してもらいました。ピッチが上がりゼコゼコ。辛かったですが、いい練習になりました。途中、降り出しました。7kmで中断。帰宅して風呂の後は、お好み焼きでした。冷えてきました。燗酒で流しました。食べ、飲みながら妻に愚痴話を聞かされました。延々続きました。酒の味が判りませんでした。カープもやられました。気分悪し。今日の一句曇天の寒さを凌げかけうどん今日の一句会社を出ての帰り、喫茶ランブルで手作りシュークリームを買いました。カウンターに牡丹をいけてありました。昨日だったらよかったのにとはママさんの弁。
2015年04月07日
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平成26年12月24日(水) 午前4時半起床。外気温4℃。曇り。一時時雨れました。 朝のうちに社を出ました。部下と2人、営業車で福岡向け。由布・鶴見の両岳は雪をかぶっていました。別府から玖珠にかけ、路側に吹き溜まりが残っていました。九重に見える発電用の風車は勢いよく回っていました。曇天、博多の空も雲が低くかったです。都市高速の脇に空港があります。近づくと、直ぐ上を大きな機体が出発していきました。たちまち雲の中へ消えました。一応国際空港です。どこへ行くのかな。南国のリゾートかな。機内はもう日本の寒さを忘れた善男善女ばかりだろうな。羨ましいな。仕事を放りだしてドロンチョしたいな。写真は塚原高原から見上げた由布岳です。この寒さに山も震えているようでした。 博多駅近くにある取引先を訪ねました。要件は、弊社の内部に抱える懸案についての相談でした。否、弁護士事務所ではありません。2時間あまり、あれこれのアドバイスを受けました。論点の整理が出来ました。道中往復6時間をかけて出張した甲斐がありました。佐伯のまちに戻ったら午後7時。普段ですと同行を誘い、つね三に突っ込む状況です。が、彼は下戸。無理を言ってはいけません。すんなり別れました。私も真っ直ぐ帰宅。ランは無し。夕食は特段変わらず、芋焼酎のお湯割りで流しました。拙宅はイブと無関係です。 亮さんのブログに、某スナックに80回以上とありました。することがないので、私も自分の出撃回数を数えてみました。つね三に33回、二十八萬石へは8回、その他の店に35回。これには出張や旅行のそれもカウントしてあります。2次会にいくことは滅多にありません。数えるほどですから、外飲みは大体70日くらいでしょうか。私の酒は勝負が早いですからね。誰かさんのように、梯子を上まで登り切ってギャオスと叫んでワープ、転んで鼻血を出した上、眼鏡を壊してしまうなんてなことは・・・。あっ!いや、人のことはいえないな。この3月、拙宅で一人飲みしていた時のことです。酔ってトイレに立ち、眠くなって、歩きながら膝が崩れました。ドアノブに顔を痛打。鼻血が床にべっとり。軟骨が折れました。写真は翌る日のものです。見て下さい、この馬鹿面。亮さん、失礼しました。今日の一句塚原の吹きっさらしや寒椿今日の写真は博多・八仙閣で食べた牛バラ麺です。これが1,000円。いい感じでした。
2014年12月24日
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平成26年11月21日(金) 午前4時前起床。数日来、寒い朝でしたが、今朝は緩みました。晴れのち曇り、午後遅くに雨。午前中、デスクワーク。昼前に会社を出ました。部下と大分へ向かいました。道中、ランチの相談をしました。回転寿司に突っ込む提案をしました。大好きですと返ってきました。そうすることにしました。スシローのことを話題にしました。彼曰く「課長は何枚食べますか?自分は30皿を優にやっつけますよ」驚きました。内心「うっ、まずい」と思いました。話題をすり替え、風邪気味だからという屁理屈をつけ、ラーメン屋に突っ込むよう仕向けました。部下との出張は、昼飯を割り勘にすること能わずです。体育会系に身を置いた性なんです。写真は突っ込んだ大分市花園、国道10号沿いにある「十五万石」。 800円のラーメン・チャーハンセットを頼みました。30枚に比べ1/3以下の値段です。看板通り、チャーハンが美味しかったです。 さて、私の出張、ブロ友の亮さんに食べ飲みと誤解されています。弁解します。グルメや宴会の出っ張りではありません。今日のそれは差し障りがないので、内容を書きます。きちんと仕事をしています(そうでもないか)。 弊社には旅客船部門があります。立場上、私は運行の安全統括管理者です。運行管理者と二人、安全管理研修会へ出席したのでした。メニューは感染症の予防、大分管内の海難事故例、安全管理規程の見直し、の3つでした。総じて運輸安全マネジメントのおさらいでした。ちなみに運輸安全マネジメントとは、平成17年に起きたJR福知山線の脱線事故などを教訓に、ヒューマンエラーの芽を摘もうとする仕組みです。年1回、弊社の現場にも国土交通省の指導があります。 終わって外に出たら、雨模様でした。佐伯が近づくにつれ、雨脚が強まりました。今日の練習はなし。真っ直ぐ帰宅。風呂に浸かり、サッパリしました。晩ご飯は牛しゃぶでした。春菊の風味がよろしい。燗をつけました。杯がすすんで白波に変更。禁玉さん流に言うと今週は2勝3敗。黒星先行です。 酔っ払いました。午後9時前に床へつきました。横になって思い出しました。会社のフロア、隣の課に働く女性が明日結婚するんです。祝電を打つのを失念していました。起きだして、パソコンに向かいました。「〇〇さん、ご結婚おめでとうございます。天下の清流番匠川の如く、清く美しい家庭を築かれますようお祈りします 一人親方樵夫」なんか変だな。清く美しい家庭ってどうなんだろう。でもまぁいいか。彼女、その清流の上流、美しい村の人なんです。ホタルのように美しい女性です。今日の一句大あくび花金午後の研修さ肌白き嫁しゆく人に幸のあれ今日の写真は、午後に研修のあった建物の玄関です。職員の何人かとは顔見知りです。スマートな方ばかりです。
2014年11月21日
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平成26年11月18日(火) 午前4時起床。晴れ。持参した文庫本が面白くありません。ラジコでSTVを聴きました。朝刊のサービスは毎日でした。シャワーを浴び、午前6時半に朝食。バイキングはイマイチでした。団体さんの早い出発があるとかで、混み合いました。韓国のグループでした。 8時を過ぎてロビーに下りました。午前中、取引先1社を訪問、午後に2社。街の中の移動は、駐車場に困ります。同業他社との打ち合わせ時刻のこともあり、タクシーを使いました。仕事の内容は書くこと能わずですが、世間話になった折り、某社の支社長が日本武尊と熊襲の話に興味を示しました。生き馬の目を抜くと言っては大げさですが、厳しい業界にあって、取引先と神話を語る余裕、はたまたその教養に、いい感じを持ちました。写真は訪問先ビルの一つです。こんなテナントが入っていました。 写真は昼食です。八仙閣。牛バラ麺とチャーハンに杏仁豆腐が付いて1,000円。完食でした。コスパがよろしい。大きなビル全てが中華の老舗です。着物姿の美しい仲居さんが運んできてくれました。 日の傾いて、スケジュール終了。帰りの道中、基山SAで抹茶ソフトクリームを食べました。美味しかった。写真はトワイライトの東九州自動車道です。写ってはいませんが、左手に大銀ドーム、旧呼称ビッグ・アイがあります。サッカーW杯日韓大会の舞台となったスタジアムです。大分トリニータの本拠です。 午後6時を過ぎて佐伯到着。2人の出張だったので、運転を交代しながらの道中。楽ちんでした。喉が渇いたので、打ち上げをすることになりました。つね三へ突っ込みました。ワケギのヌタがよろしい。 シメサバを頼んだら、炙りが出てきました。好みですが、私はそうしない方がよいです。 大将がマグロの鎌を出してやろうかといいました。少しだけならと返しました。握りが出てきました。刺しが入って、なかなかのレベルです。二つで十分の量でした。 部下はアジフライを注文。大将はこの状態から中骨を取っての仕儀。美味しいはずです。 案の定、サクサク・ホクホクでした。 これからは裏メニューです。部下にと大将が鎌焼きを出してくれました。中メジくらいの大きさでした。彼女、大好物だといい、箸を出しました。 マグロのレバーが出てきました。うん、悪くない。 肉じゃがに使ったという猪肉です。冷たいけれど、噛むほどに妙味がありました。 サービスだよと、鎌のいいところを握ってくれました。先ほどのとは違い、いい色をしています。女性客だと、大将は大盤振る舞いになります。切り口の悪いのはご愛敬。 流した酒はこれとこれ。 〆にトコブシとカメノテをもらいました。どちらも磯の香り彷彿でした。 飲んだ飲んだ。 代行運転で帰宅。廻らない呂律で妻に「どうもしーましぇん」。今日の一句県境に立ちはだかりし宗太郎今日の写真は同行した部下です。才媛です。飲みっぷりもよいです。
2014年11月18日
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平成26年11月17日(月) 午前3時起床。曇りのち晴れ。 午前中、内部協議。午前中に整理をつけなければならぬ案件でした。昼にはまだ早い時刻に打ち合わせが終わりました。出張。社用車。部下の運転で高速道路を走りました。途中、日出ジャンクションあたりは時雨れ模様でした。既に昼を過ぎていましたが、ランチは博多に着いてということで意見が一致しました。山田SAで運転を交代しました。この辺りは柿の産地です。まだ収穫前の木も目につきました。鳥栖ジャンクションを過ぎて雲が切れました。基山SAを通過すると、空港が近いです。低空をゆっくりのっそり飛ぶ姿は、目に珍しく映ります。普段、青の高みを粒が如くばかり見ているからでしょうか。太宰府で都市高へ。天神北のランプで降りました。腹は減っていましたが、埠頭に大きな客船の泊まっているのが見えました。寄り道しました。マリンメッセの海側でした。でかい。ユーロのマークが付いていました。 若い男女が船のほうから歩いてきました。どこから来たのか訊きました。ロンドンからだと返されました。お客さんというよりも、従業員のような感じでした。後ろ姿を盗み撮りしました。 反対側の岸壁には海保の巡視船が停泊。サビが浮いていました。隣国との厳しい国境事情を物語っているようでした。 午後2時、ホテルにチェックイン。ランチにありつきました。天神のはずれにあるヴェローナ。ピザとパスタの店でした。お薦めは?と訊くと、即座にカルテラと返ってきました。それを頼みました。トマトソースの味が深く、唐辛子が効いて玉葱のシャキシャキ感もありました。複雑な味がよろしい。 勘定の際、店名の由来を訊ねました。てっきりシェークスピアの戯曲が舞台の町だと思っての仕儀。豈図らんやでした。マスターが料理を習った人の名前だそうでした。 ホテルへ戻る途中、まちはクリスマス一色でした。あれこれの写真です。 部屋に戻り、明日の予習をしました。得意先を3件廻る予定です。夜、同業他社と、打ち合わせを兼ねた懇親会がありました。 刺身はイマイチでした。 スルメイカもちょっと。 カキフライはまずまずでした。 マグロのしゃぶしゃぶが出てきました。これもちょっと。 飲み放題の店でした。アルコールは霧島と白岳。ビールに燗酒でした。別料金なので頼みませんでしたが、日本酒は充実しているようでした。 飲みながら、明日に向けての情報交換をしました。酔いが回ると、話が弾みました。横道に逸れ、世間話や趣味に及びました。N社の社長さんに若山牧水の話を聞きました。彼、生まれたのは日向市ですが、旧制中学は延岡だった由。延岡市がそれにちなんで短歌コンクールを主催しているとのこと。全国から2万首近い応募がある由。私は俳句ですから応募できません。お返しにマダイの鼻孔結合のことを話しました。 もう一軒ということで、天神の屋台へ突っ込みました。いい名前です。 おでんの季節です。大根と牛すじをもらいました。今日の一句木枯らしの冷えた身に沁む屋台酒今日の写真は弊社社屋に並ぶ嘉風応援の幟旗です。まだ初日が出ません。
2014年11月17日
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平成26年11月5日(水) 午前4時起床。快晴。外気温9℃。 福岡に出張でした。大手2社へ叶わぬ注文をするためでした。ビジネスバッグに文庫本を2冊放り込みました。博多までは片道3時間あまり。もう一冊と思いましたが、結果、これだけでちょうどよかった。行きは昨夜の葛根湯がまだ残っていてうつらうつら。帰りに楽しみました。 池波正太郎、シリーズものは読破しました。単行本ならまだしも、月刊誌に掲載されたものは、読む機会に恵まれません。「若き獅子」は1960年代、歴史読本に載った短編7本を集めたものです。始めて知る池波の想いです。浅野内匠頭が男色かつ消防マニアだったこと、長生きした北斎の処世術、高杉晋作の若き死、会津攻めに無念の長岡藩郡奉行河井継之助、松平容保のその後、近藤勇の威張り散らし、小栗忠順の波乱万丈。それぞれに池波が妙味でした。「剣法一羽流」は、内容とは別に、カバーの挿画が村上豊です。好きなんです、彼の作品。欲しいな。 戻ります。写真は佐伯駅のホームに張ってあるパネルです。私、映画のDVDには全く興味がありません。持っているのは唯一、これだけです。上映が終わり、関係者に10枚も買わされました。遠くの知人へ配りましたが、後1枚残っています。大分・佐伯が舞台だからです。 「にちりん」で日豊線を大分まで。そこでソニックへ乗り換えました。列車は小倉で進行方向が変わります。先頭が最後尾になります。鹿児島線に乗り入れるんです。乗客は座席下のペタルを踏んで、座席を反転させます。写真はそうして着いた博多駅です。 街は秋深しの気配です。週末から始まる大相撲九州場所はこのまちが会場です。嘉風にとってはご当地場所です。三役に返り咲く成績を収めて欲しいです。 が、コンコースは早くもクリスマスモードです。 交差点にセラピー犬がいました。募金箱を置いていました。ボルゾイでしょうか。いい感じです。でも飼うの、難しそうだな。大変そうだな。 見上げたら、低空をヘリコプター。大きな腹をしていました。なんだか拙宅のトラが如くでした。 昼は駅で食べました。食堂街を歩いていると、昼前からひっかけている。 フラッとなりそうでしたが、グッと我慢。印度カレーの文字に惹かれました。 食べたのはこれです。タマネギにシャキシャキ感が残っていて、いい感じでした。が、ルーの味は甘いだけでした。 カレーの後はコーヒーと相場が決まっています。タリーズに寄りました。小一時間、書類に目を通しました。写真はありませんが、ここの赤いマグは小洒落ています。同じ外資系のスタバよりもこちらの方が好みかな。内資のドトールはどんなだろう。この系列、大分にはありません。 仕事を済ませました。滞在は4時間あまり。その後、中洲・天神を練り歩く予定でした。風邪の具合が悪いので、泣く泣く、帰りの列車に乗りました。車窓、傾いた陽に照らされる小倉の街が美しかったです。豊前の海が見え始めると、早くも丸みを帯びた月が東の中天に。月齢は14?時刻の下がるにつれ、次第に青みを帯びてきました。佐伯に着いたのは午後7時半。熱燗を引っかけて帰ろうと思いました。つね三にタクシーを飛ばしました。?。「本日は休みます」の張り紙。隣の鳥吉に突っ込みました。生ビールで疲れを癒やしました。 焼き鳥を数本つまみ、焼酎のお湯割りで流しました。1時間で切り上げました。風呂に入らず、顔と足の裏を洗って就寝。今日の一句他所の街開放感はタリーズで冬近し太鼓の響き幟旗今日の写真は釣りバカ日誌19のDVDです。もう6年前の話でした。
2014年11月05日
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平成26年7月30日(水) 午前3時半起床。曇りのち雨。気圧配置、高気圧周辺部にあたり、時折強く降りました。台風は、まだ沖縄の遙か南にあります。影響があるんでしょうか。週末は九州西岸を北上しそうです。嫌だな。 午前中、デスクワーク。昼前になって大分向け。私の仕事、一部が海事に関係します。ということで業界繋がり、工場見学に行ってきました。新日鉄住金大分工場と南日本造船でした。集合時間前の腹ごしらえは、大分市にある「王府」という中華料理屋。 初めてでした。店内は広く、満席でした。順番待ちの客も居ました。この店一押しという「ニラチャン」を食べてみました。ニラ入りのラーメンでした。 某所でバスに乗り換えました。同業他社や、この業界に人材を供給する教育関係者20人程と一緒しました。工場に着くと、新日鉄住金のナイスガイが乗り込んできました。話のテンポと内容は、こちらの気分をウキウキさせてくれました。ものづくりに携わる人の持つvividです。東西4km南北2kmの敷地内に入りました。ノンナンバーのでかいトラックが行き交っていました。区画は、楠やホルトの木(?)で仕切られていました。樹間に、原料の山やクレーン、製鉄プラントや高い煙突が見えました。指定場所以外の写真撮影は遠慮されたしとのことでした。アップできないのが残念です。 以下は説明をしてくれたWさんの話です。 「皆さん、いらっしゃいませ。ようこそ新日鉄大分住金工場へ。弊社の名を聞いて思い浮かべるのは大地の子、或いは華麗なる一族ではないでしょうか。年配の方はそうですよね。弊社は名前の通り、鉄を造る会社です。どうですか、この広さ。今すれ違った大きなトラックは60トン積みですよ。構内の物流をになう重機とシステム、手前味噌ですが、これを考えた弊社の先輩たちは素晴らしいんです。例えばこの交差点。右折待ちの時間を節約するため、T字路にしてあるんです。優先道路で対向車を気にしなくて済みます。敷地内の交差点はこの形が多いです。煙突、高いでしょう。秘密の話ですが、ハヤブサがここに巣を掛けているんです。私、一度見たことがあるんですよ。製鉄所と隼の共生、いいでしょう。あちらは石炭の山です。こちらが鉄鉱石。こげ茶色はオーストラリア産。赤茶の方はブラジル。色で判るんですよ。後者の方、質がよいんです。鉄分が多く含まれているからです。でもブラジルは豪州より遠い。輸送コストがかさみます。必然、運搬船は大型化します。そうなると喫水が深くなる。日本には、40万トン級鉄鉱石運搬船着岸可能の港はなかったんですよ。巨大船入港可能なところはどこか。探しました。弊社はこの大分に白羽の矢を立てました。ここは深い港です。建設したバースがあれです。(おっ、左の方にお猿の高崎山が見える) 水深は27mあります。見てください。18万トンの鉄鉱石を満載の船が2隻、接岸しています。鉱石はベルトコンベアでヤードに運ばれます。このバースだけがケープサイズOKなんです。ケープサイズとは、パナマ運河の幅より船幅のほうが広い船のことです。アフリカを回らなければいけないからこの用語を使うんです。喫水の深い巨大船のことを指します。ケープサイズ、40万トンの喫水は23m。悠々です。場合によっては、ここで半分の荷を下ろし、足を上げて(喫水を浅くして)別の製鉄所へ向かうという差配もします。外国からやってきて、大分港に入港できないから他港へ、という話にはなりません。ここだけが深い港だからです。自慢話になりました。弊社の生産量は1日あたり27,000トンです。車1台1トンですから、27,000台分の量です。仕向先は厚板が造船所向けです。厚さ6mm以上のものです。瀬戸内や九州は造船が盛んです。大切な得意先です。佐伯重工業や三浦造船所はよいお客様ですよ。5mm以下を薄板といいます。こちらはコイル状にして、自動車工場へ出荷します。車の外板になります。外国にも輸出します。中南米向けが多いです。見えてきたプラントは、発電設備です。製鉄所の副産物はスラグと決まっていますが、ガスも生じます。これを使い、発電をするんです。前の線路を今通っているのが、溶融鉄を運ぶ容器です。(長樽を横に置いたような紡錘形をしている、長さは15mほど、小さな潜水艦状、艦橋にあたる部分に直径2mほどの穴が空いていて、そこから流し込む)大きいでしょう。この中に溶けて1,500℃ある鉄が入っています。内側は煉瓦張りになっています。そうしないと、鉄同士、くっついちゃいますからね。あそこを見てください。できたばかりの鉄が流れているでしょう。1,535℃なんですよ。それでは次ぎ。皆さん、海事関係者なんですよね。丁度よかった。向こうの岸壁にスラグを積み出すためにやってきたシンガポールの船が接岸します。 タグボートで押して回転します。普段、なかなか見ることのできない光景です。 綱取りも含め、港湾荷役の人たちの仕事です。タグボートにはパイロットが乗っていますよ。 先ほど説明したコイルが見えます。薄い鉄の板は、トイレットペーパーのように丸めて出荷します。 彼女たちは昨年入社です。頑張っていますよ。何事にも、女性のほうが真剣です。 終わりに近づきました。女性社員を紹介したので、それに関連した話をします。弊社や港湾荷役、代理店、船会社、どの職場にも女性が増えました。ブラジルから60日間の航海をする運搬船にも女性乗組員がいます。高校卒の人が多いです。総じて英語を話します。皆勉強をするんです。頑張るね、と声を掛けると、英語を使えないと生きていけない、と返されました。若い人はやる気があってよいです。もう一つ、仲間の大切さについて話します。ご覧になったとおり、ここでは多くの人が働いています。社員2,000人、関連会社が4,000人、目の前、船の入港一つを取っても多くの人が関係しての接岸です。仲間が心を一つにしなければ、大きな工場は動きません。新日鉄住金と関連会社は社員全員が、心を一つにした会社です。最後になりました。お住まいの同じ県に、日本を代表する製鉄所と立派な港があることを知って頂きました。ここで働くことの面白さ、素晴らしさを少しは感じて頂けたでしょうか。それでは皆さん、短い間ではありましたが、話を聴いていただき、ありがとうございました」 いい話でした。聴き終えて、やっぱりナイスガイでした。40台中盤かな。写真は同行したNがマスコミインタビューを受けるの図です。夕方のTVニュースに出たのかな。 対岸は昭和電工のコンビナートです。夜景が綺麗だろうな。 次いで、同一敷地内にある南日本造船に向かいました。土砂降りになり、車窓からの見学となりました。会議室に通されました。工場長が説明をしてくれました。10年近く前、ここに立地したとのこと。それまでは臼杵市に船台がありました。移転の理由は、パナマ運河の拡幅です。30m幅の船しか通過できませんでした。今後は50m幅まで通行可能となります。必然、船の注文は大型化します。臼杵の船台はこれに応えられない。ということで、後れをとってはならじの決断だったとのこと。一方、省エネと環境対策のための技術開発を進めているとも。プロペラ研磨や舵に加え、船体の設計に奥の深さがあるんでしょう。塗装基準も高いレベルが要求されるとのこと。塗料塗布前の研磨工程に、新技術が必要になったそうです。サンダーではなく、仁丹の粒のようなものを吹き付けて面をすべすべにするんだそうです。およびのつかないやり方です。この工場、従業員は550名とのこと。船台は長く、組み立て始め、途中、完成間近のそれぞれが縦に並んでいました。自動車製造工場のベルコン工程に似ています。流れ作業で効率化を図ろうという算段です。1本の船台で、5~10万トンクラスを年5隻進水させます。船種はケミカルタンカー主体とのこと。キュービックフィートという用語を初めて聞きました。約28リットルを表す容積のことです。ガロンやバレルなどと同じ、海の向こうの単位です。写真は数日後に船主へ引き渡しのチップ船です。長さ200m、幅32m、パナマサイズです。 もう一枚、特大の門型クレーンです。各地の小さな造船所で船のパーツが製作されます。運搬船がこれをここに運んできます。このクレーンは組み立ての荷役に使われます。 最後に質問タイムがありました。誰も一言も発しません。丁寧な説明に申し訳なく、手をあげました。船の設計をしたい場合どんな学校へ行けばよいか、岸壁のチップ船はいくらで売り渡すのか。工場のYさん曰く、基本設計の分野は造船学科卒だけれど、強度分野は力学系、機械・電気関係の学部卒もいる、入社してからの経験だ、船価はちょっと言いにくいんだけれど40億円弱かな。へーっ、新築した弊社社屋と同じだ。 帰りの高速道路、雨は小康でした。佐伯に着いて土砂降りになりました。帰り着いた途端、難儀なTELがありました。交渉事の口約束は法度です。火傷しなければいいが。雨のため、ランはなし。今日の一句船になる伯剌西爾の砂運ばれて今日の写真は、造船所対岸奧に繋留のホワイトシップです。ここは7管です。釧路港のよりも少し小振りです。
2014年07月30日
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平成26年5月27日(火) 午前4時起床。晴れ。昨日より涼しい感じの一日でした。 午前中、人事考課。今月末までに終えないといけません。すっかり失念していました。半分の人がそのままになっていました。小部屋を取り、個人面談をしました。昼前、営業車に乗りました。大分向け。午後、時間が下がっての会議でした。高速道路を走らず、国道10号を転がしました。遅い昼は、途中にあった「うどん博士」(大分・松岡)に突っ込みました。初めての店でした。名前が気に入ったんです。女性3人で切り盛りしていました。 メニューはこんな感じでした。 肉うどんを注文。結構なボリュームでした。味は私の好み系ではありません。うどん屋に入ると、大概このメニューを頼みます。ここのは野菜が沢山入っている。 会議はCホテルでした。1時間以上早くに着きました。ロビー横のラウンジで時間を潰しました。コーヒーの一つも注文しないといけない雰囲気でした。しかし、店の女性がノンオーダーでもいいですよと言ってくれました。書類をめくり始めたら、氷水を出してくれました。かたじけない。 ふと気がついて、窓外を見ました。堅い職業に就いて今日は仕事のはずのIが、ラフな格好をして、女性を連れていました。彼、私に近い年齢です。奥さんを知っています。今日は違う人です。二回り年下と思しきと腕を組んでいました。彼には娘がいません。ガビョーン!でもいい女だな。うーむ、・・・。武士の情けです。黙っておいてやろう。 会議は、某業界の年次総会でした。大小の10社あまり、社長さんが集まりました。終わった後、某省出先の方が講演をしました。内容は運送業の安全性についてでした。午後6時に終わりました。ホテルは府内町にありました。界隈は居酒屋やレストランが多いです。この時刻になると、辺りは盛り場の匂いに包まれました。一杯ひっかけたい気分になりました。でも車を運転があります。後ろ髪を引かれる気分でした。写真は某ビルの地下駐車場です。このまちに出張の際は、ここに止めます。この時間になるとガラガラです。 帰り道は高速道路を走りました。松岡付近です。向こうの山、九六位から先はトンネルばかりです。道も片側1車線。 大野川を渡りました。ウナギがいそうだな。 会社を後にした時刻、既に日が落ちていました。あーあ、今日もランは無し。明日は夜に蒲江でちょっと話をしなければなりません。腹回りがたるみ始めました。まずい。今日の一句同伴は好事魔多し人目有り饂飩にも博士のありや手打ち麺今日の写真は花2題。大分・地下駐車場のあるビル前、大きな木に咲いていました。私、草の花より木のそれの方が好きです。こちらは弊社近くのビル脇にありました。カズラに咲いていました。なんだかゲジゲジのよう。オマケ、今日収穫しました。拙宅菜園の初物です。これから夏野菜の季節です。
2014年05月27日
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平成26年5月22日(木) 晴れ。 午前4時前に起床。毎日のことですが、出勤までの3時間、フリータイムが私の至福です。夜は酔っぱらっているんで、話になりません。本を読んでブログを書いて。STVラジオを聴きながらのコーヒーは格別です。このところ、音楽から離れています。 朝、午前6時前、キュウリやナスの具合を見に外へ出ました。まずまずの出来です。といっても私は無役、妻が育てています。写真は昨夕に切った梅林下です。すっきりしました。 ズッキーニは花が咲き始めました。つけ根に実がついている。敷き草を用意してあげないと。 この花、テッセンというのかな。愛犬レオを埋めた場所に咲いています。 なんだかわけのわからない色合いのものもあります。 ブーゲンビリアがいい感じです。 鉢にバジルを植えています。先般、ピザを焼いたときに使いました。 茶の葉にカタツムリがいました。気持ち悪い。 おっと、出勤時間が近づきました。今日も早めに家を出ました。朝礼の始まる前に会社を出発。営業車に乗って今日も大分へ。午前10時からの会議に間に合うため、高速道路を走りました。今日は三菱トッポ。最近の軽自動車は程度がよくなっています。時速80kmで走る分には何ら支障がありません。前を焼却灰専門運送車が走りました。この特殊車両、昨日も見ました。定期便なのかな。津久見インターで降りました。どこへ何を焼いた灰を運んでいるのかな。 会議は12時に終わりました。同席した人に昼食を誘われました。でも時間がなかったし、少し利害関係にあるので、馳走になってはまずい。理屈をつけて断りました。ご免なさい。付き合いが悪いと思われただろうか。 帰り道は国道10号を走りました。往路に比べ倍近くの時間を要しました。途中、スシローに突っ込み、腹ごしらえをしました。握りは全部100円です。タイラギかな。 ネギトロ。 シメサバ。 アジ。鮮度はイマニです。 中トロ。色がちょっと。 タコ。存在の耐えられない薄さ。 こうなったらもう麺類です。280円のラーメンを注文。鶏ガラスープは醤油味。結構いけます。 会社に戻りデスクワーク。夕方、運動公園へ。ラン10km。練習不足で身体が重い。腰の右に違和感と少しの痛みがありました。5月の連休に薪を抱えたせいだろうか。走る前と後にじっくりストレッチをしました。私の準備運動とクールダウンは、いい加減です。これが災いしているのかも知れない。歳だから、念を入れなければとひとりごちました。 帰宅してシャワー。夕餉はハンバーグでした。赤を抜栓。ほろ酔いになりました。焼酎や日本酒と違い、酔いが優しい。それでも文庫本を手にした途端、バタンキュー。今日の一句マイマイが新茶を食みて陽の昇る今日の写真は夕日です。練習を終え、蛇崎辺りの家路で撮りました。マジックアワーです。
2014年05月22日
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平成26年5月8日(木) 午前4時に目が覚めました。飲み過ぎでした。二日酔い。いつもはソルマックですが、今朝は昨夜のうちに準備しておいたキャベコーワを試してみました。私には前者が合うようです。泊まったビジネスホテルは新聞のサービスがありません。こんな時、ipadがよいです。日経と朝日の会員になっています。紙面ではありませんが紙面をチェック。持参の文庫本には手がいきませんでした。 午前中に所用を済ませました。昨日今日と、訪問先の会社に話を伺って、新たなプロジェクトの波高しを実感。写真は訪ねた会社の会議室から撮った小倉城です。眺めがよろしい。大きな建物は北九州芸術劇場です。何度かコンサートを聴きに来たことがあります。読響のホルン奏者Tさんと会ったのもここでした。写ってはいませんが、右手向こう、遠くに関門海峡が見えました。大橋は見えませんでした。城の左には松本清張記念館があるはずです。一度入ったことがあります。今日もそうしたかったです。時間の関係で断念。 朝ご飯を食べませんでした。腹が減りました。「資さん」といううどん屋に突っ込みました。 おでんを食べました。ビールが欲しくなりましたが我慢。 肉うどんを注文。判りにくいですが、蒲鉾に「資」の文字。こだわっています。 帰りの道中、トイレ休憩に寄った道の駅「豊前おこしかけ」でリンゴを買いました。ベンチに座り、食べました。130円。300円のソフトクリームは諦めました。 モクズカニを売っていました。駅館川産でしょうか。このネットが1,000円です。迷いました。社用車に積んで帰るのも如何なものか。断念。 帰り着いて運動公園へ。ラン10km。昨夜の日本酒を絞り出しました。すっきり。今日の晩ご飯は精進もどきでした。妻が出張の酒池肉林を戒めるためにこさえた料理です。プルトップを引き、流しました。食べ終えてヤクルト戦、カープの勝ちが見えたので、それを潮に水平飛行。今日の一句川蟹の並び始めた道の駅文豪が軍医総監小倉城芥川賞の誉れの小倉日記今日の写真は戦闘機です。帰りの道中、築上付近で撮りました。近くに築城基地があります。轟音でした。
2014年05月08日
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平成26年5月7日(水) 午前4時半起床。晴れ。 久しぶりの出勤でした。弊社、5月1日にクールビズを始めました。今日明日と出張でした。同業他社を訪問します。ということでネクタイ着用。朝礼を済ませ、急ぐ稟議にハンコを押しました。 東九州自動車道を北上。快晴。気持ちがよいドライブでした。写真は別府・伽藍岳の東斜面です。先日の山火事で焼けたところが判ります。黒くなっていました。 今日は行橋の某社を訪ねました。内容は書くこと能わず。写真はその前に腹ごしらえをした店です。 ランチはこれでした。ナンが香ばしく、モチモチでした。カレーの辛さは選択可能でした。初めての店なので、無難なところを選びました。甘かったです。 訪問先との話が長引きました。日が傾いてそこを後にしました。明日は朝に北九州の某社と約束があります。ということで今夜は小倉泊。午後5時前にビジネスへチェックイン。出張は節約するに限ります。スーパーと名のつく格安ホテル。さて、日が傾いての楽しみは酒に限ります。旦過市場に行きました。店じまいの始まった魚屋、肉屋、八百屋を冷やかしながら角打ち・あかかべ酒店へ向かいました。 ビールの後、富翁の上選五段仕込を冷やでもらいました。当てはおでんのスジ。 一杯気色になりました。もう一軒ということで「大阪・花くし」という店に突っ込みました。 上品な女将さんと大将、それに店長とかわいい仲居さん、4人で切り盛りしていました。 燗を頼むと、錫のちろりとぐい呑みが出てきました。重量感があって、これだけで店の粋を感じました。 料理はというと、マコカレイの刺身。肝がいい感じです。 ハモを焼いてくれました。 天麩羅はアスパラとハモ。他にも何品か。コース料理のようでしたが、酒も含め、メニューに値段が書いてありません。しかもアウェー。ちょっと怖い感じでした。 そこを出て、小腹が空いたのでもう一軒。いや、二軒行きました。飲み、食べました。写真をアップすると顰蹙を買いそうなのです。それぞれ1枚だけを。今日の一句小倉にも城下鰈幅利かせ今日の写真は「金の鎖」です。駐車場から会社までの途中、佐伯で珈琲の香り一番の店「ランブル」の軒に下がっていました。
2014年05月07日
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平成26年4月22日(火) 午前5時起床。曇り。日曜日から3日間、スカッとしない天気です。 朝間にあれこれの協議がありました。大分市で11時に始まる会議のことが気になって仕方ありませんでした。足止めをくうような気持ちになりました。高速道路をとばしました。何のことはない、余裕で間に合いました。某協会の理事会でした。私は役職柄、監事です。監査報告をしました。議題は滞りなく承認されました。写真は、会議で訪ねたまちの港です。このフェリー、佐賀関と愛媛・三崎を結びます。関アジ・関サバの泳ぐ豊予海峡を1時間。あっという間に四国へ到着です。 前にも書きましたが、弊社は小規模ながら海運部門を抱えています。同業他社と構成する会の任意団体が今日のそれでした。ということで、主要議題の後は、当然のことながら韓国のフェリー沈没が話題に。県内大手の社長曰く「これだけ大きな事故は、小さな要因が積み幾重にも積み重なって生じたもの」そのとおりです。 国土交通省は「運輸安全マネジメント」制度を導入しています。これは、海上運送に限らず、鉄道、道路、航空の分野で事業を営む業者に、安全管理体制をチェックする義務を課す制度です。弊社も旅客船の運航に関する安全管理規程を定めています。この決まり事をきちっと守っているか、この制度に基づき弊社もチェックします。ヒューマンエラーを防ぐためです。面倒くさいのですが、おろそかにするわけにはいきません。 話は戻ります。フェリー沈没は安全マネジメントを怠った結果なのでしょう。あれこれの小さなミスをそのままにしたがため、この惨事になったというのが社長見解でした。報道から伝えられるフェリー会社の運行管理状況、例えば出港時刻を厳守するための乗船・荷役管理、荷役固定業務、避難誘導に関する会社の船員教育、船長・航海士の意識・・・、全てとは言いませんが、それぞれに抜かり、いい加減、見落とし、多くのスルーがあったやに見受けられます。私は弊社同部門の統括管理者を兼ねています。犠牲になった方と関係者には何ともいいようがありませんが、改めて事故を起こしてはならないと自戒しました。 偉そうなことを書きました。会議は午後1時に終了。弁当が出ました。写真を撮りませんでしたが、結構な盛りでした。満腹。弊社へ戻ったのは午後3時過ぎでした。し残しのミーティングを。 夕方、運動公園へ。ラン10km。今日からの練習はランニングパンツです。膝を出しての走りは、足が軽い。気分一新でした。走り終え、クールダウンしていたとき、Sが通りかかりました。散歩の途中でした。彼は中学の同級生です。消防署に勤務しています。歩きに付き合いました。酒の話になりました。彼曰く「毎晩飲むよ、焼酎一本やりだ、20度をムクのままやるんだ、割ったら美味しくない、3~4合かな」なかなかの酒豪です。上には上がいます。先日、転んで鼻を打ったことを話しました。そんなことは自分にもあったと返されました。今日の一句友のあり上には上の酒豪なり今日の写真は「毎日新聞用語集」です。普段は使いません。読み物として時折手に取ります。価格は1,400円ですが、ブックオフにて100円で購入。
2014年04月23日
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平成26年4月18日(金) 午前3時起床。文庫本で時間を潰しました。朝食はサービスの軽食。コーヒーを2杯飲みました。写真は熊日です。土地の新聞を読むのも出張の楽しみです。 4コマ漫画は「くまもん」です。 雨模様の中、国道57号を東へ。大津の道の駅でトイレ休憩。馬刺が売られていました。 名物「陣太鼓」がくまもん色に染まっていました。 早めの昼をしました。阿蘇・宮地の「彦しゃん食堂」の暖簾をくぐりました。 ホルモン定食650円。いい感じでした。満腹。 国道57号を離れました。やまなみハイウェーを走りました。外輪山の外側に出ると、深い霧でした。天気がよければ眺めは最高なんですが。 由布市に着いたのは午後の早い時間でした。会議までしばらく間がありました。「わらび野」の茶寮で一休みしました。ここにはオートグラフがあります。Bachのオルガン曲をかけてもらいました。いい音でした。 柱時計はウェストミンスターです。 会議は駅近くのホテルでした。なお時間があり、ぶらり、辺りを歩きました。久大線の踏切がありました。直ぐそこがゆふいん駅です。 会議を終え、高速道路を走って佐伯へ。疲れました。反省会をする必要がありました。つね三に突っ込みました。おっ、やってるやってる。いつもの面々がビール片手に気炎をあげていました。 いいハモがあるというので頼みました。この刺身。腰がある。 大将が大吟をサービスしてくれました。若く清々しい味でした。 カンヌキのフライをもらいました。サクサク感があってよろしい。 刺盛はイサキと天然フグ。前者の白子もありました。走りです。 のんべぇ連中はだし巻き玉子を肴に泡盛をやり始めていました。 剣道7段は黒霧をジョッキへドボドボ。豪快です。 大将が鮒寿司をサービスしてくれました。 野郎どもは握りを頬張りました。曰く、ブリトロは寿司の大様じゃーのーよい! 代行運転で帰宅。妻はコーラスの練習にて不在。トラが迎えてくれました。今日の一句ホル定を頬張り嬉し阿蘇路かな春雨にタンノイ響く由布の里つね三の刺盛までが春を告げ今日の写真は高崎山とホテル杉の井です。亮さんご夫妻と一緒に猿を見ました。そしてそこに泊まったのです。
2014年04月18日
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平成26年4月17日(木) 午前4時起床。晴れ。 急きょ、出張になりました。熊本向け。午後1時が約束でした。午前9時に会社をでました。西九州へはJRが不便です。営業車を使いました。道中、国道57号は春の香りで一杯でした。久住連山がよく見えました。 野菜の植え付けが始まっている。竹田から荻にかけては、高冷地野菜の産地です。 滝室坂を下ると、阿蘇の火口丘が広がります。高岳や中岳が目に飛び込んできました。 昼は市内から少し空港よりにある「かつ美」という店に入りました。某者に奨められたからです。アウェーでは紹介、ツテが一番です。 縄のれんの中は食堂というか、居酒屋というか。引き戸をくぐると、ホルモンの匂いが充満していました。 猪の内臓、アク抜きの際に出るあれです。この空気、嫌いではありませんが、ここまで強烈とは。嫌な人は引いてしまうでしょう。気分が悪くなるはずです。でも中はごった返していました。 ほとんどの人が食べているホルモン定食を注文。出てきたのはモツ煮込み。店内に立ち籠めている匂いの元凶でした。こやつが放っていたのでした。980円。奧の座敷に通されたのですが、廻りのテーブルには若い女性も多かったです。肥後のオナゴはかんまんごしです。ホルモンに怯まない。 車をお城の下に止めました。市電のレールを跨ぎました。古いビルに入りました。用向きは書くこと能わず。建物があまりに古いので、訪問先の人にそれを言いました。大正時代に建築されたとのこと。取り壊しの話があったけれど、学術的に貴重なので残されることになった、建築を学ぶ学生がよく訪ねてくる、と話してくれました。 時間が下がったので、木賃宿に荷を解きました。明日、由布市で会議があります。どうしても顔を出さねばならないのです。佐伯へ帰るよりも、熊本に泊まり、帰る途中に湯布院へ廻る方が理にかなっていると勝手に決めました。馬刺を食べたかったからです。 「味都(あじと)」という焼鳥屋へ突っ込みました。盛り合わせがよろしい。 今は180mlの小瓶があります。試飲に丁度よい。 いい気色になって次の河岸は「むつごろう」馬肉の専門店です。早速馬刺と辛子レンコンを。ここも日本酒で流しました。 店を出たら、降り始めていました。ホテルに戻ったのは午後8時。何が健康的なのか判りませんが、健康的な一日でした。今日の一句山開き春も登るか大船にホルモンに顔しかめしの肥後路かな馬刺喰い熊本城を仰ぎ見る
2014年04月17日
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平成26年3月27日(木) 午前3時前起床。未明のコーヒーブレイクは至福の時間です。Calm Radio のBachが心地よいです。今日は快晴でした。 天気とは裏腹、仕事の方は内部の問題がいくつかありました。午前中に対処、昼前に東九州自動車道を北上。業界の或る事務局を引き受けていましたが、これが満願成就、取引先に引き渡すのが目的でした。大手自動車会社の立地する町に行きました。道中のヤマザクラが春の風情です。 事務的な仕事を済ませた後、情報交換をしました。対株主との関係、社内システムの問題などについて、参考になる話を聞きました。写真は訪ねた会社の玄関にあった立て札です。軍師官兵衛の話題で評判になっているまちなのです。 この日の後段は、色々と差し障りがあるので割愛します。今日の一句 弥生月山花開いて霞みけり今日の写真はスモモです。今が満開です。今年は実をつけるといいんだけれど。
2014年03月27日
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平成26年2月26日(水) 午前5時起床。今野敏「疑心~隠蔽捜査3」新潮文庫630円。午前7時過ぎ、無料の朝ご飯を食べました。パンとコーヒーのみ。味気なかったです。でも木賃宿につき、致し方なし。雨の中に飛び出ました。取引先を4つ廻りました。途中、八仙閣で蕎麦を食べました。これで1,000円。着物姿が給仕をしてくれました。 ここはいい感じでした。丸テーブルの下は堀炬燵形式になっていました。 玄関にガス燃料の薪ストーブが燃えていました。 午後3時前に一段落。都市高を太宰府インター向け、九州自動車道、大分自動車道。来た道を帰りました。道中はスイスイ。ところが湯布院・別府間が霧のため通行止め。ガビョーン。そこで降り、庄内・狭間と一般国道を走りました。途中、混み合いました。のろのろでした。光吉で再度高速へ。佐伯着は午後7時を廻りました。こうなればもうつね三へ突っ込まねばなりません。揺れました。結果、真っ直ぐ帰宅。妻の笑顔がありました。運転、疲れました。今日の一句逸る気を深霧阻み酒も止む今日の写真です。最後に訪問した会社のビル1階に飾ってありました。いい感じです。
2014年02月26日
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平成26年2月25日(火) 午前4時起床。晴れ。先週中盤までの寒さが嘘のような陽気が続いています。 午前中、取引先との契約はいい感じでおわりました。よい意味で思いの外でした。その後ミーティング。慌ただしかったです。仕出しの弁当を掻き込んで、営業車に乗りました。上司と福岡向け。高速道路を走りました。最前、春めいたことを書きましたが、鶴見・由布の両岳は麓まで雪を被っていました。一度積もったら、なかなか融けません。写真は湯布院盆地です。 道中、こんなトラックが走っていました。親ガメの背中に子ガメを乗せてというかんじでした。何となくユーモラスでした。 私の仕事は明日の朝からでした。午後4時、ホテルへチェックイン。「親不孝通り」にあるビジネスでした。この名は、その先に予備校があって、そう呼ばれるんだそうです。 取引先を訪ねるという上司とフロントで別れました。部屋に荷を紐解き、持参の文庫本をやっつけました。今野敏「果断~隠蔽操作2」新潮文庫630円。シリーズ物の2作目です。旅には手軽なものがよいです。 午後6時を過ぎて、腹が減りました。無料の「るるぶ」をチェックしました。2時間飲み放題1,980円が950円というキャッチコピーがありました。そこへ行こうと思い立ちました。出撃。早くも屋台の準備が始まっていました。 メインストリートの老舗デパートです。 オーバカナルに寄りました。 エスプレッソ、立ち飲みだと50円割引になります。 目的地は天神の向こうにあります。地下街を歩きました。デパ地下をぶらり。焼酎の試飲をやっていました。蔵元の営業が売り込みをしていました。若い青年でした。試してみました。作り始めて3年の蔵とのこと。豈図らんや、これが美味いのでした。「出水黒鶴」はとろり感のある芋臭さ。絶品でした。 三越の惣菜売り場に足が止まりました。広島産のカキ山椒煮が美味そうでした。思案しました。よし、今夜はここで当てを見繕うぞ。コンビニで酒を買って部屋に戻ろう。独り酒盛りだ。そうしました。バタンキュー。安上がりの夜でした。今日の一句帳降り青年の顔屋台曳くデパ地下の惣菜美味し独り酒今日の写真はホテルの部屋にての図です。これもよし。
2014年02月25日
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平成26年2月18日(火) 午前5時起床。昨夜、バスユニットを使いませんでした。而して朝シャワー。ホテルの朝食はバイキングでした。食べ放題は腹が膨れていけません。田舎者の性です。 午前中、霞ヶ関を訪問。お上りさんの気分を強いられました。仕事は昼過ぎに終わりました。取引先のビル、地下は食堂やファーストフードの店で一杯です。そこで腹を満たそうということになりました。しかし、どこも満員。列をなしていました。諦めて、丸の内線で東京駅へ向かいました。そこで解散。 捨てる神あれば拾う神あり。昨春まで東京の大学に通っていた部下のキリノスケが、気を遣ってくれました。近くにミュージアムがある、行きましょう、と誘ってくれました。JPタワー学術文化総合ミュージアムインターメディアテク。何とも長ったらしい名前です。東京大学と日本郵便が、東京駅の前にあった東京中央郵便局の2階と3階を改装してこさえた博物館です。パンフによると「東京大学が1877(明治10)年の開学以来蓄積してきた学術標本や研究資料など、『学術文化財』と呼ばれるものの常設展示」だそうです。入館は無料ですが、写真は法度。ということでロビーから外向きの写真を撮りました。東京駅です。 そこをひやかす前に、腹ごしらえをしました。上の階に寿司がありました。「根室花まる」という店でした。暖簾をくぐってみました。いい感じでした。タラバガニのふんどしです。花咲の卵たちぽん。これですよこれ。筋子ツブとホタテ。前者の食感・風味がたまりません。どれも絶品でした。回転寿司とは思えない充実度です。その分、値段も一皿100円ではありません。〆は鉄砲汁にしようか迷いました。意を決し、氷下魚の三平汁を注文。これが絶品でした。腹一杯になりました。キリノスケも満腹になったようでした。 さて、その博物館。入ると、大型の機械類が目に飛び込んできました。物理系の実験に用いたもののようです。続いて数多の化石や鉱物。魚類を含め、剥製や骨格標本もありました。剥製は分野が偏っていました。ニワトリの種類の多さに驚きました。 特別展示はペンギンでした。白瀬中尉が南喬探検の際に採取し、持ち帰ったものを剥製にしたとのこと。後で調べたんですが、これを大隈重信が明治天皇へ献じた、その後、皇居内生物学御研究所で保管された、次いで山科鳥類研究所へ移管、更に昨年、インターメディアテクへ寄託、という経緯があるそうです。これはもう物語です。小説になりそうです。ほかのそれぞれにも、めいめいのストーリーを予感します。人の手にかかり、研究に供されたことを思うと、ある意味、全部がドラマであり歴史です。 白瀬中尉の話が出たので思い出を。彼の名は、間接的に南極観測船「しらせ」として残っています。なぜ間接的かというと、その船名は南極の「白瀬氷河」に因むからです。その氷河は南極観測の折、彼が発見、命名したからです。ちなみに南極観測船、初代が「宗谷」、2代目が「富士」、3代目、4代目が「しらせ」です。小さい頃、宗谷のプラモデルを父に買ってもらったことがあります。大学を卒業したての時分、東京・晴海埠頭に繋留されてあった「しらせ」を近くに見たこともありました。さらに、佐伯のランドマーク城山にたまたま登ったとき、頂から佐伯湾に浮かぶ姿を眺めたこともありました。横っ腹のオレンジと柿の混じったような色は、見まがうことなしの雄姿です。 閑話休題、クランツコレクションというのがありました。東京帝大が購入した、鉱物、化石、岩石群です。購入先がドイツのクランツ商会という名なので、この名がついたようです。大学設立当時、地質学分野の教官に、大森貝塚で有名なエドワード・モース、ナウマン象発見で有名なハインリッヒ・エドムント・ナウマンがいました。彼らの口利きで購入が決まった由。それぞれの経緯はともかく、このクランツ商会、化石を中心にした商品で大儲けしたそうです。調べたら、社員を世界中に送り、宝物を漁ったとあります。ダーティーな商売だったかもしれませんが、日本で言えば幕末から明治にかけての時代です、面白い商売だったろうなと思わずにはいられません。この商会、第2次大戦を経て、いまもドイツ・ボンにあるそうです。こんな仕事をしてみたい。 どうでもよい話になりました。ここを出てキリノスケが丸善に行こうと言いました。そうしました。着いて、そこで別れました。ありがとう。ちなみに学生時代、彼は先の博物館でアルバイトのようなことをしていたとのこと。 文庫本を4冊買いました。上の階の文房具売り場を冷やかし、1階の東急ハンズ系店舗でセカンドバッグを買いました。 時間が迫ってきました。羽田に向かいました。フライトは午後6時前。部下と落ち合いました。ビールを飲みながらの滑走路、夕暮れとも相まっていい感じでした。サウジアラビア航空のジャンボジェットが2機、駐機していました。王族が来日しているのかな。 ハイボールを機内に持ち込みました。帰りの空は揺れませんでした。写真は離陸後の東京です。宝石のようです。娘息子に会えなかったのが残念です。 大分に着いて、サウスライナーに乗りました。その前に、空港のコンビニでワンカップ大関と海苔天を買いました。キンノジも何か見繕ったようでした。帰りの車中、本を読みながらグビグビ。 佐伯のまちに着いたのは午後10時前。携帯を見たら妻の着信。あっ、迎えの依頼を忘れていた。20分の待ち時間が寒くて「鳥吉」へ突っ込みました。串セットを頼み、白波を流しました。お湯割りが冷えた身体に沁みました。今日の一句堀割を見おろすビルは身の締まり旅の空鮨三昧に酢のゲップ (これ秀作)滑走路点滅ランプあな哀し
2014年02月18日
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平成26年2月17日(月) 午前6時起床。晴れ。9時半に、新橋と浜松町の間にある木賃宿を出ました。上野に所用がありました。これを済ませ、牛丼を食べました。チェーン店ではありませんが、立ち喰いまがいのカウンターでした。少し侘びしい気分になりました。写真は上野駅の正面玄関です。こちら側を見るのは初めてでした。 今日は、某業界の総会がありました。引き続いての懇親会も含め、司会が私の仕事でした。麹町にあるホテルTが会場でした。今日の宿泊先でもありました。部下と落ち合い、準備をしました。総会は粛々、懇親会も滞りなく終わりました。料理はケータリングでした。味のわからない感じでした。酒は各種ありました。ワインにしました。ずっとそれを飲みました。酒席には、関連する業界団体トップの方々がお見えになりました。J社とM社の役員がそれぞれ挨拶をしました。双方商売敵だけに、相手を貶めたり自画自賛が見え隠れしました。来賓の皆さんは、顧客である弊社をはじめ、こちら側の業界団体を意識してのことでしょう。一杯きこしめしているわけではないと思うのですが、辛辣というか、本音の出たスピーチではありました。私は進行に気を遣い、メルローの味がわかりませんでした。写真は、ホテルの部屋から見た街です。青空が広がりました。窓越しですから判りませんが、外は寒風でした。 午後9時、開放されました。上司が「知り合いに赤坂の店を紹介された。そこに行くぞ」と言いました。ついていきました。和風スナックというか、小料理屋というか。美しい女性が一人で切り盛りする暖簾です。背広を脱いで判ったのですが、食べ物はつまみだけでした。上司は焼酎でした。彼の何を飲んでもいいという言葉に甘え、大吟醸を1本空けました。勢いがつき、赤を抜栓してもらいました。これも部下と飲んでしまいました。上司が勘定をしてくれました。諭吉先生を何枚も取り出すところが見えました。あーあ、明日から言われそうです。「上司の俺が焼酎を2杯しか飲まないのに、なんて奴だお前は。空気を読め、この大酒飲みが!」ペコリ。ごっつぁんです。その彼が、鮨を食いたいといいました。も一軒、いい感じのカウンターに座りました。お好みでした。何を食べたのか、飲んだのか、忘れましたが、腹一杯になったことは覚えています。ここの勘定、後になって知りました。も一人の上司がしてくれたようでした。ごっつぁんです。今日の一句上野駅北国の香が薫りをり上野駅牛丼侘びし箸を割る赤坂の愛想は薄い唇か今日の写真は雛段です。ホテルのロビーに飾ってありました。春です。
2014年02月17日
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平成26年2月10日(月) 午前5時起床。終日、冷たい雨が降りました。山沿いは雪なんでしょう。 朝間に文書を決裁しました。午前10時、会社を後にしました。出張でした。隣の延岡市へ。 弊社の関係する業界は、東九州自動車道の全線開通が悲願です。来春、実現する見込みです。北九州から宮崎・鹿児島まで繋がった暁には、どのような効果が生まれるのか、マイナス面は何か、この切り口で産官合同のシンポジウムを宮崎県が開いたのでした。取引先からの案内もあって、部下と3人、蒲江から高速道路を走って南へ向かいました。宮崎県庁の人が、これまでの調査研究を発表しました。観光、物流、交流のそれぞれで期待が持てるものの、高速道路を走って人がやってくるということは、人も出ていくということになり、モノ・金・人の流出に拍車がかかる、といったことが紹介されました。宮崎県の企業・商店に対するアンケート結果も紹介されました。開通が迫る中、期待と懸念に対する準備を90%の人がしていないとのこと。続いての意見発表でも、知事や延岡市長、経済界トップの方々は異口同音、懸念を口にしました。高速道路の効果絶大というバラ色の未来に期待し、安穏としているのか、それとも実際のところ、何をしていいのかわからなのか。難しいものではあります。 次のような発言がありました。「昔、表日本・裏日本という言葉があった。東京から瀬戸内までは太平洋側が表日本。しかし、交通体系の整備を見ると、西九州は高速道路が何十年も前に完成し、新幹線も開業した。東側が裏日本状態になっている。我々も新幹線を欲しいと言うのか。否だ。西側は新幹線と言い続けて50年たった今、やっと鹿児島まで完成した。今になって東九州もと言い始めても、開通するのは50年後。ここにいる人は皆死んでいる。それでも要望しますか。やめましょうよ。こうなっては、もうリニアモーターカーしかない。西側に先んじるには皆さんリニアですよ、リニア」ユーモアのある語り口は財界の方でした。面白い人でした。 全体として、シンポジウムの運営はスマートでした。「言いっ放し」という感じを受けませんでした。コーディネーターを務めた宮崎大の先生は黒子に徹し、感じがよかったです。知事も延岡市長もさすがです。立派だなぁ。 余談ですが、リニアの話を聞いて、壮大な計画のあったことを思い出しました。大分・佐賀関と愛媛・佐多岬を結ぶ豊予海峡ルートというのがあり、そこに橋を架けるんだとか、海底トンネルで九州と四国を結ぼうよ、というプロジェクトです。立ち消えになって久しい話ですが、最近、またぞろ復活めいた空気が漂い始めました。 閑話休題、出張の楽しみは食事です。昼下がり、部下のゴルゴが「おぐら」という店に車を止めました。チキン南蛮で有名なんだそうです。 オープンキッチンになっていました。 メニューです。 出てきました。こんな感じです。980円でした。味噌汁の味が特異的でした。 シンポの会場を出たのは午後4時半でした。帰りも高速道路を走りました。弊社まで1時間でした。雨が止まず、今日もランは中止。真っ直ぐ帰宅。風呂で冷えた身体を温めました。温めついでに焼酎をお湯割りで。「平戸蘭館」という銘柄です。一昨日の残りです。樫樽の風味がしました。 当てはハーゲンダッツ。アルコールとの相性は悪くない。今日の一句脊嶺の風に晒され五ヶ瀬川人の言うチキン南蛮元祖なり今日の写真は菜の花です。延岡の五ヶ瀬川沿いです。九州山地からの吹きおろしに震え上がっていました。
2014年02月10日
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平成25年10月20日(日) 午前4時に目が醒めました。拙宅の未明も物音ひとつしませんが、ここの夜明け前は静寂の深さが違うようです。窓を開けてみると、たった一つある街灯が小糠雨に濡れぼそっていました。朝食の時刻まで文庫本を読みました。朝餉はこんな感じでした。ホテルバイキングの対極にあるの感です。 普段着の、女将と言うには少し無理のある女性、70を越えているような年齢ですが、味噌汁をよそおってくれながら曰く、もう旅館をやめようと思う、しかし近所の人たちに寂しくなるから続けてと言われ頑張っている、客は工事現場のあるときに多い、以外は閑散、近くにゲレンデがあるけれどスキー客は泊まらない、最近はほら、あれになって(壁のスキー場ポスターにあるスノーボードを指して)家族連れが減った、あれで滑る若者が多くあそこ(ゲレンデ)で雪遊びの子どもが危険だから、最近の若い者は貧乏だけれど車だけは立派、冬にチェーンを持たず立ち往生しているのを見かける、見かねた近所の人が泊めてやってと連れてくる、お金がないというけれど困ったときはお互い様、部屋に入れたら夕ご飯は要らないと言いカップラーメンを食べている、残り物とおにぎりを食べさせた、持ち合わせがないと言われお金は要らないと返したらしばらくして振り込んできた、律儀だ、昨夜は馳走を食べたか?ここは頼まれたらヤマメを焼いたり猪鍋を出す、谷の向こうに山があって日本最古の化石が出土する、年に1回東大の先生が学生を連れてくる、泊まって山の料理を褒めてくれる・・・。鍋物には惹かれますが、この先、このまちを通過することはあっても、ここに泊まることはないだろうな。 同僚に、このまちはホルモンが名物と聞いていました。宮部精肉店謹製。しかし、今日は第3日曜日。月一の定休日でした。幸いなことに、特産品販売所で売っていました。冷凍パックでした。話の種にと求めました。ここの店番は、唇の魅力的な若い女性でした。ホルモンの料理方法を説明してくれました。 店先に小さなイチゴを売っていました。熟れ具合がイマイチのようでした。味を問うと、袋の一つを開けてくれました。素朴な甘さと僅かの酸っぱさがありました。 帰りは六峰(ロッポウ)街道を通りました。五ヶ瀬から延岡へ通じる標高1,000mの尾根筋を行く林道です。1車線の狭い道でした。高度を稼ぐと、視界が開けました。車の通った形跡がほとんどありません。紅葉が始まり、雨に散ったモミジの葉が路面を覆っていました。藪の切れ切れから覗く景色は、雲海でした。まさに九州山地の山懐、深山幽谷とはこのことです。 諸塚山(1,342m)の頂上直下を北回りにかわしました。そこでニホンカモシカを見ました。天然記念物です。笑えない話があります。私のまちは九州一広い面積です。最西は九州山地の山懐です。猪、鹿猟が盛んです。罠にはニホンカモシカも掛かります。土地の人はイノシシが獲れたら「シシが獲れた」シカは「シカが獲れた」といいます。ニホンカモシカの場合は「肉が取れた」と言うそうです。実名を挙げたら、手が後ろに回るからだそうです。 閑話休題、そこからは下り。諸塚村に少し足を踏み入れた後、日之影町に下りました。五ヶ瀬川を渡り、せき止められたダム湖を右手に見ながら、県道237号を進みました。ダムのあるところで、中腹を走る日之影バイパスに戻りました。この間70kmくらいだったかな。やれやれでした。本流の左岸を下っていくと、対岸にこんなのがありました。鮎簗です。カラフルな、パチンコ屋が開店するときに並べる花輪なんぞが遠目に判りました。今日は日曜日です。昼からやっていました。突っ込みたかったです。 北方から無料の高速に乗りました。蒲江で降りました。ここに「リカーマート塩月」があります。日本酒が充実しています。2升買いました。山形の酒「米鶴」です。帰宅は午後2時前でした。シャワーを浴びて、ホルモンを焼いてもらいました。プルトップを引きました。疲れがどっと出ました。夜まで読書。今日の一句錦秋が山懐に忍び寄り臓物を生業にして生きていく羚羊の尻を目で追う紅葉狩り熟柿あり主様も喰うたか山頭火水青し流れて深く陸削るホルモンの精肉に勝つ土地がある朝飯に箸のすすまぬ木賃宿 今日の写真は蒲江の酒舗、リカーマート塩月です。充実度が高い。
2013年10月20日
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平成25年10月19日(土) 午前4時起床。雨模様。 今日は出張でした。朝走りたかったのですが、未明の雨に、出鼻を挫かれました。何時もの時刻に出勤。営業車で蒲江、北浦、延岡を経て五ヶ瀬川を遡りました。途中、海が見えました。低気圧の影響か、遠目にもうねりのあるのが判りました。雨が上がりました。日之影バイパスに青雲橋がありました。長さ400mあまり、川面からの高さ140m。車を降りて、歩道を歩いてみました。足がすくみました。高所恐怖症です。尻がムズムズしました。飛び込むことが出来ないように、欄干の外側に高い柵がありました。 その隙間からカメラを出して、下を撮ってみました。こんな感じです。中ほどの薄いオレンジに見えるのは鉄橋です。廃線になった高千穂鉄道です。 奥の院へ。高千穂町に入ると、剣道で有名な高千穂高校の校舎が目に飛び込んできました。熊本・阿蘇といい、宮崎・高千穂といい、名門がひしめきます。その頂点にある高校です。道は高度を増しました。県境の町「五ヶ瀬町」に入りました。昼は五ヶ瀬ワイナリーでしました。地域で採れた農産品を材料にしています。ワインと一緒に流したかったのですが、そうもいきません。写真はイマイチですが、種類はこんなもんではない。デザートも含め50種類くらいはありました。画像に加え、いい感じのカレーを1皿食べました。 出張の目的は「全国山頭火フォーラム」を視察するためでした。有名な「分け入っても分け入っても青い山」は「五ケ瀬の山並みのすがすがしさを詠んだのではないか」と推測しての催しでした。写真は先のワイナリーが庭から、阿蘇外輪山の南側から高岳を臨むの図です。これをして分け入っても・・・はさもありなんです。その句碑がありました。 催しは、五ヶ瀬中等教育学校の書道部と太鼓部のパフォーマンスで幕を開けました。中等教育学校は中高一貫教育です。中1から高3までの生徒が、太鼓と横笛の強弱にのって字を書いていきます。袴姿の美しい女性が筆を揮いました。高3とのこと。思わず息子の嫁にと考えてしまいました。朗読もありました。いや、そういうにはあまりにも大きな、しっかりして前を見据えた真摯な主張の口上でした。山頭火の生いたち、自我の形成、放浪の所以を代わる代わる説いていきました。聴いて、引き締まる思いがしました。 出来上がった作品はステージに飾られました。何とも見事でした。 基調講演は三浦豪太さんでした。エベレスト登頂の三浦雄一郎氏が次男です。話の内容はそれとして、その中に低酸素室の話が出てきました。見たことがあると思いました。昨秋、鹿屋体育大学を訪ねた際の記憶です。その時、その場所の実験棟に三浦父の姿を取材した新聞記事があったのを覚えています。講演が終わり、会場の隅に出てきた豪太氏に声をかけました。あれこれを話しました。A先生のことも伝えました。サインを下さいというと、気軽に応じてくれました。写真はモレスキンに書いてくれたそれです。 日の暮れて宿へ。奧のまた奧の院、小さな集落の旅館でした。前の通りはこんな感じです。 部屋にはトイレも風呂もありません。両方とも共同です。部屋に石油の温風ヒーターに火が入っていました。冬は積雪が50cmに達する日があるとのこと。荷を解く間もなく、迎えのマイクロバスに乗りました。地区公民館でレセプションがありました。アトラクションはご当地ならではの神楽でした。天の岩戸に隠れた天照大神を引っ張り出そうと、あれこれの舞いが続きました。 オードブルは多種多様。フルーツ、野菜料理がたっぷりありました。メインはヤマメの塩焼き、宮崎牛のサイコロステーキ、チキン南蛮、地鶏の炭火焼き、馬刺・・・。皿にたっぷり取りました。先のワイナリー産ワイン(これは甘くて口に合わない)で流しました。焼酎木挽とビールも飲みました。名産の蕎麦焼酎や日本酒はありません。何がさすがかわかりませんが、さすが宮崎です。酒を下さいというと、焼酎が出てくるのです。今日の一句外輪に折れ重なって青い山名所でも青雲橋は及び腰葡萄酒の薄さに舌が舌を巻き芋よりも蕎麦がよろしと左党いい笑顔無し山の女子衆(オナゴ)は寡黙なり牧水は海山頭火は阿蘇の火雲海を纏うて涅槃阿蘇五岳青山に秋雨煙り闇迫る 会が跳ね、再びマイクロバスで宿に。今日の写真は、私の部屋です。望むべくもありません。
2013年10月19日
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平成25年9月15日(日) 午前4時起床。ホテルの19階から見る街並みは、煙っていました。雲が低く垂れ込め、視界は数キロしかありません。時折、雨脚が強くなりました。窓を叩く飛沫の音が聞こえました。連休中日なので、7時を回ってなお眼下の通りは静かでした。チェックアウトは11時前。それまで、昨日のメモを整理しました。次いで青空文庫、新聞も読みました。 池袋には東京芸術劇場があります。泊まったホテルとは目と鼻の先です。今冬、ここで東京交響楽団の第九演奏会があります。このホテルの宿泊がついて2万円あまりというセットパックがあるそうです。惹かれているところです。余談でした。玄関を出てのす向かいに、某デパートがありました。地下の食品売り場を冷やかしました。水産部にいた頃の、いや魚市場勤務時代の癖が抜けません。鮮魚売り場に直行。産地、鮮度、魚の態を見るのが好きなんです。サンマ1尾280円、3尾で580円。若いお兄さんが「お客様ーっ、今日のご来店はお得ですーっ。運のよいところにお越し下さいましたぁーっ。本日のサンマは特別お買い得ですよーっ」確かにいい感じの午でした。しかし、カゴに盛られた隣のイワシは、一目見て弱っているのが判りました。あれこれを覗きこんでいると、プンと匂いました。誰か、酒を飲んでいる。祭日の、しかも池袋のデパ地下です。お客は疎らでした。まわりを見回すと、それらしき人はいません。なんと、微醺は白い長靴を履いた店員のおっちゃんでした。彼の様子を見ると、正社員ではないようでした。魚や氷を並べたり、スチロールの箱を片付けたり。下働きのような仕事をしていました。動きが緩慢でした。「ひっかけないとやってられねーよっ」と言いたげな顔をしていました。この感じ、悪くありません。面白い。キンキの一夜干し、1枚500円でした。中型。安いと思ったらアメリカ産とのこと。鯨の肉もありました。ニタリクジラでした。100g500円だったかな。買い物客が増え始めました。高齢者が多い。小綺麗な格好をしているのは女性。おじいさんは、部屋着のようなラフな格好が目立ちました。定年になって、身なりが気にならなくなっているんだろうか。20台、30台と思しき若いカップル、結婚しているんでしょう、二人してカゴをもっての物色姿が数組。こちらは、休日の夕餉に美味しいものを作ろうという算段なんでしょうか。勝手な想像ですが、ほほえましい。 欲しかったボールペンのことを思い出しました。1本100円です。ZEBRAのSARASA。色違いと、線の細いものを試してみたかったんです。階上の文房具売り場にいきました。ついでに同階の本屋を冷やかしました。クマザワ。半沢直樹が山と積まれていました。「ロスジェネの逆襲」を買いました。飛行機は混み合って、午後5時発の便にしか空きがありませんでした。それまでの時間、これを暇つぶしにと考えたのでした。山手線で品川まで行きました。そこまでは順調でした。京急のホームに立ち、快速を一本やり過ごしたのがいけなかった。売店を覗いて「サッポロ銀座ライオンプレミアム」の缶を見つけました。プシュッ。こうなると歯止めが利きません。羽田のロビーに腰をかけて、活字を追いましたが、喉の渇きが止まりません。プシュッ。プシュッ。間に合いません。大勢の喧噪もあって、手荷物検査場を抜けました。大分向けの搭乗口にたどり着いたところで、急に空腹を覚えました。検査場に戻り、係員に、も一度外に出たいんだけれどと言いました。出発時刻を聴かれ、何しに外へ出るのか訊かれました。寿司を食べるんだ、といいました。バーコードリーダーで、入場を取り消してくれました。 ターミナルビルの4階、沼津魚がし寿司に突っ込みました。セットを頼みました。冷酒金龍で流しました。全て、駿河湾産とのこと。日本酒とよく合いました。隣の人は昼から刺身の三点盛りを頼んでいる。 腹が膨れ、再度搭乗ゲートの方へ。窓に向かって並ぶ椅子に、ほろ酔いどっこいしょ。隣のゲートは函館や女満別行きの改札です。ここを通過すれば、もう津軽海峡の向こうと同じ。旅情を感じる場所ではあります。 ガラス越しの景色を楽しみました。ここ羽田の辺りは晴れていましたが、向こう、西も北の方向も、積乱雲の下にありました。カーゴ船が出港していきました。こんな船で外国へ行ってみたいな。 白い客船もそろり。スカイツリーが向こうに見えます。大丈夫なんだろうか、台風が近づいているのに。 いい眺めですが、ここにこうして過ごす時間は、寂しくもあります。便利な都会生活、逆に東京砂漠といわれるザラリとした人混み、1千万人それぞれの人生が凝縮された空間・・・。都会の生活と田舎のそれを対比させて、もう若くない自分のことを考えると、ため息が混じり、むなしい・・・。まあそんなもんはどうでもいいんですが、寂しくさせるのは、この街に働く娘・息子のこと(息子は茨城の方ですが)。あれこれが頭を過ぎり、少しセンチになるんです。 案内がありました。使用機の到着が遅れ、出発時間が下がる由。折角、ほどよい感傷に浸っていたのに。おおそうか、まだ羽田で飲めということか。 離陸したのは暗くなってからでした。大分空港までの1時間20分、ほとんど揺れなかったです。誰だ、帰りのバスの仲間でアルコールを持ち込んでいるのは。 佐伯のまちについたら、反省会をしなくてはなりません。つね三は、早くものれんを下ろしていました。ちっ、まだ10時なのに。久しぶりに「鳥よし」へ突っ込みました。疲れをビールで流しました。当ては焼き鳥の盛り合わせ。 馬刺があったので、それを頼みました。冷酒で流しました。 背中の壁にこんな看板がありました。戦中の名残です。今日の一句傾きて尾翼に映えし夕日かな函館に向かう女の髪乱れ
2013年09月15日
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平成25年9月14日(土) 午前5時過ぎ起床。曇り。 6時前に朝ごはん。シジミの味噌汁と紫蘇おにぎりに香の物。いつもより1時間早く食べ終えました。シャワーを浴び、6時半に家を出ました。今日から3連休ですが、私は仕事です。出張。妻にバス停へ送ってもらいました。佐伯から大分空港まで、高速バスで2時間かかります。午前10時の便に乗ろうとすると、この時間に家を出ないといけないのです。 空港ロビーで、全国各地の物産展をやっていました。つまみを買い、一杯やりたいところですが、それはできない相談。夜にとっておきます。フライトに台風の影響はありませんでした。揺れるかと思いましたが、伊豆大島の上空あたりでグラッときただけでした。ちなみに飛行機の揺れ、気持ちのいいものではありません。墜落するのではないかと心配になります。ある機長は、機内アナウンスで次のように呼びかけたそうです。「お客様、この揺れは天使のほんの少しの悪戯です。御心配には及びません。」素敵な文句です。 羽田からは京急で。品川で立ち食いの蕎麦を啜りました。 山手線で渋谷に回り、東京メトロ副都心線で西早稲田へ。理工のキャンパスは初めてでした。大隈重信の銅像がありました。 土曜日なので、閑散としていました。それでもいくつかの教室には人の気配。午後1時半、ごついビルの中、教室のような、応接室のような部屋に着きました。廊下はガランとして暗く、殺風景でした。汚くもありました。会議は6時前までかかりました。大学の先生方と企業の社員が、厳しい議論をしました。内容は書くこと能わずですが、煮詰まった感があります。企業秘密。今後、北海道の某社、山口県の某社と提携することが鍵となります。宿題のようなものになりました。弊社の与する方向、微妙です。写真は会議室内にあったモニュメントです。 今日の宿は池袋でした。弊社の東京・大阪出張は、基本的に航空券と宿泊がセットになったJTBの格安パックの利用です。今回は連休なのか、ホテルが混み合っていました。少し奮発し、ユニットバスではないバスルームのあるホテルに泊まりました。チェックインし、初めてのまちに繰り出しました。今日はどの店も30分で切り上げて、数をこなす作戦でした。 最初の店は「情熱ホルモン」190円のシロと280円のハツ。それに生ビール1杯。これでお終い。アルバイトの店員が、エッ、それだけというような顔をしました。 次いで「豊田屋」吉田類の酒場放浪記に出てくるような店でした。ディープな感じです。ここでもシロを頼み、煮込みをもらいました。生ビールで流しました。座の温もらないうちに切り上げました。 三軒目は「ぶどうしゅ」立ち飲みワインの店でした。こんなものを頼みました。左はシメサバをオニオンピクルスで和えたものです。シャルドネのグラスワインとのマッチングがよかったです。2杯飲んで席を立ちました。いや、立ち飲みだからすでに立っている。 次は「AKDENIZ」トルコ料理の店でした。カラフルなトルコタイル一面の階段を下りました。 いかにも中東という感じのお兄さんに、ラクというスピリッツを勧められました。水で割ると白濁しました。アブサンのような感じです。別名ライオンのミルクというのだそうです。これはいけない。私には合いません。 エフェスビールのシロと黒を試しました。当てはケバブ料理でした。 隣の女性二人が水煙草を吸っていました。私はタバコを吸いませんが、ものは試し、やってみました。むせませんでした。煙たくなく、水蒸気を吸って吐くような感じでした。 途中、ベリーダンスが始まりました。こんな催しのあることを知らずに迷い込んだんですが、よかったです。踊った女性はお師匠さんで、今日のお客はその弟子たち。妙齢の女性ばかりでした。 〆はショットバー「BE-twin」ラガウリンのストレートをシングルで。 5軒回って2時間。駆け足でした。小腹が空き、〆の〆に禁断のラーメンを食べました。店の名を覚える頭は残っていませんでした。 ホテルへの帰り道、魚金を見つけました。入りたかったけれど、タイムオーバー。お腹もオーバー。おとなしく帰りました。今日は日本酒を飲まなかった。今日の一句池袋秋が立ちての梯子酒重信を横目だにせず今時は
2013年09月14日
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平成25年8月27日(火) 午前4時半起床。晴れ。東京の朝は涼しかったです。 新聞を読み散らかしました。部屋のドア前に置かれるのは一紙のみ。今朝は読売でした。日経と朝日はスマホでチェック。午前5時半にランニングシューズを履きました。今回の出張は2泊3日です。週末にレースを控え、トレーニングを休むわけにはゆきません。軽装で皇居を1周しました。ホテルから日比谷まで1kmあります。往復を換算して、走った距離は7km。 周回風景のことを少し。 日比谷公園から反時計回りに走りました。帝国ホテルを見ながらヤナギの堀端を進みました。軽いジョグのスピードでした。澱んだ水に背びれが見えました。鯉でした。「呑舟の魚」という言葉がありますが、それくらいの大物でした。学名はCyprinus carpio です。カルピオ。英語ではカープ。ご存じ、広島カープのそれです。私は魚学者の端くれです。少し鯉のことを。魚類の中では長寿です。長生きは50年を超すとも。ウィキによると226年生きた例もあるそうです。その信憑性は別にして、皇居の濠にして彼の背中を見るにつけ、まさに呑舟の魚です。今日泳いでいたのが200年の強者だとすると、この濠の中から維新を見ていたことになります。 帝国劇場、消防庁、竹橋会館を右手に見ながら進みました。水面の向こうは石垣です。野面積みと打ち込み接ぎ、その区分がよく分かります。毎日新聞本社辺りから上り込みになります。ロードサイクルをこぐサイクリストが目につきました。彼らは車道をひた走っていました。結構なスピードでした。転んで事故に遭わないのかと心配になりました。ランナーは女性と外国人が多い。一人に並走して、なんとはなしに抜きつ抜かれつを演じ、十数分の後、挨拶。走りながら自己紹介をして、聞き出しました。曰く、外国人のほとんどは近辺大使館に勤務。なるほど。 坂を上っていくとと国立近代美術館です。竹内栖鳳展の大きな看板がありました。「班描」で有名な日本画の巨匠です。大きな「金獅」の写真を貼りだしていました。観たい。でも会期は9月3日からでした。残念。北の丸公園の入り口をかわして千鳥ヶ淵の交差点へ。ここで左に折れました。ここから半蔵門までの間にはイギリス大使館や福岡会館があります。半蔵門に至り、そこから見る南方向は、皇居の高い石垣と深い濠、向こうに霞ヶ関のビル群とひときわ目を引く国会議事堂が見えました。ここを過ぎてワコールのビルや国立劇場。見てどれも嗚呼これが、という気分になります。下っていくと最高裁の建物。省庁が迫ってきました。国土交通省、その向こうに警視庁。下って法務省。普段、テレビのニュースでしか目にすることのない建物を目の当たりにすることのできるのも、皇居ランの魅力です。 午前7時過ぎ、シャワー。朝食を食べてホテルを出たのは午前9時。取引先を廻りました。昼を挟んでなお。ちなみに昼ご飯は某社ビルの地下社員食堂でざる蕎麦を。300円。夜に備えて控えめの仕儀。 午後5時過ぎ、ホテルに戻りました。もう1泊、明日の午前中にもう一仕事の予定でした。再びランシューズを履きました。朝のうちに水洗いしていたランパンとランニングシャツは、乾いていました。固く絞った後、新聞紙に挟み、水気を取ってから干したのでした。コースも朝と同じ。途中、千鳥ヶ淵交差点を右に折れました。霊園を訪ねました。身元の分からない戦没者35万人あまりの遺骨を埋葬しています。お参りするためでした。前にも書きましたが、私の伯父はサイパン島で戦死しました。もちろん遺骨は実家に戻ってはきませんでした。戦後、遺骨収集団が持ち帰った中に、彼のそれも混じっているのではないかと勝手に思っての仕儀でした。ここへは2度目でした。何度来ても、石棺の悲しい姿に、深い想いが湧いてきます。夕方は8km走ったかな。 昨夜は遅い投宿で思うに任せませんでした。今日は走ってシャワーを浴び、猶午後7時。サッパリして、暮れなずむ新橋に繰り出しました。先ずは魚金です。 ビールを頼み、喉を潤しました。プレミアムモルツ、注ぎ方がいいのか、とてもクリーミーでした。当てはアジフライ。今朝、築地で仕入れたものを開いたそうです。サクサク感がありました。 日本酒を1杯だけ。店長に問うたら、ロ万(「ろまん」と読みます)がいいというので、それを注文。福島・南会津の酒です。生酒。一口含んで、おっ、これはいい。少し黄金色が入って上品な甘さが広がりました。 こうなると、当ても相応が求められます。イワガキを所望。 この店、立ち飲みです。隣のお客さん(60歳くらいのおっさん二人組)は、こんなつまみを食べていました。涎が出ましたが、私はこれで打ち止め。次の河岸に向かわねばなりません。 新橋の名所「へそ」へ突っ込みました。 ここは、かつて吉田類の番組に登場したチェーン店。立ち飲みにしてサラリーマンの味方です。晩酌セット780円を頼みました。生ビールとこれで左記の金額です。やっつけて、お終い。 次はヴァプール。立ち飲みのフレンチバーです。イワガキに白ワインを合わせました。 ここはこれでお終い。生ハムを食べたかった。足先はまさに豚足です。 4件目は〆です。根室食堂。ホヤのいいところを一皿。北の勝で流しました。 最後になんだか判らない100円の汁を飲み、今日の立ち飲み4軒梯子を終了。 メニューにこんなのがありました。懐かしい。 ホテルに戻ったのは午後9時半。疲れました。今日の一句新橋の聖地を巡る立った儘牡蠣食うて彼の道東を思いけり魂は千鳥ヶ淵に眠りけり
2013年08月27日
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平成25年8月26日(月) 午前4時起床。昨夜降り出した雨は、明け方、脚が強まりました。朝ラン、この仕儀に折れました。 今日は福岡へ出張でした。営業車に乗り、高速道路を博多向けに走りました。道中の風景を少し。 夜来の豪雨、津久見のセメント山は、滝三昧でした。石灰岩なので降った雨がしみ込まないのでしょう。あちらこちらに白糸を引いていました。露天掘りも雨に悩まされるようです。大分インターから日出ジャンクションにかけて、霧が深かったです。視界が30mあるなしか。テールランプの点灯していない車の後ろは、走るのが恐ろしい。この辺り、度を超すと通行止めになります。心配でしたが、無事通過出来ました。湯布院を過ぎて、雨が上がりました。日田を通過する頃には雲が薄くなりました。道路の高みから見下ろした三隈川は、濁っていました。こんな日、日田観光の名物、鵜飼いはどうするんだろうな。潜っても鮎を捕まえることが出来ない。あがったりだわな。鵜は、休みになって喜んでいるのかな。そこを過ぎ、筑紫平野に出て振り返りました。庭木の生産で有名な田主丸辺り、背後の山は九州山地の裾野です。山に懸かっていた雲がそろり、高みに消えていく様子を撮りました。 この辺り、山麓は柿や梨の栽培が有名です。トイレ休憩した山田SAには、早くもその走りが売ってありました。巨峰が美味しそうでした。季節が移り、秋深しの頃になると、果実の葉が色づきます。その頃のドライブは楽しいだろうな。 昼前、目的地に着きました。出張の楽しみは食事です。近くにある中華「八仙閣」で昼ご飯。チャーハンとタンタン麺。これで1,000円。注文と配膳は、着物を着た美しい女性がしてくれました。 K社にはじまり、計3社を回りました。どれもいい感じに終わることができました。最後の会社、オフィスは天神にあります。終わってビルを出ると、すぐ近くのエルガーラにAUX BACCHANALESというフレンチのオープンカフェがあります。その横を通っての白日夢。即突っ込んで、白ワインをと思いました。でも空港に向かわないといけません。後ろ髪を引かれる思いでした。この店、前にもアップしましたが、素敵なエスプレッソマシンがあるんです。1杯300円。ぶらり立ち寄り、立ち飲みの仕儀、都会の雰囲気に身を任すの感じなんです。お薦めです。加えておもしろいのは、その店名です。そのまま読むとオーバカナル。「大馬鹿なる」です。 東京行きの便は午後6時半。離陸までに少し時間がありました。出発が少し遅れるとのアナウンスも重なって、空港内の居酒屋風食堂に突っ込みました。夜間飛行ですから、眠り薬が必要です。佐賀の銘酒「能古見」を注文。甘口ですが、よいまわしのしまり方をしていました。店を出てなお焼酎に未練の上司です。 飲み足りず、こんなものを飲んでいる部下。 いい気色で搭乗。七分の混み具合でした。通路を隔て、隣に部下のIが座りました。羽田について後の作戦をやりとりしました。その中身はそれとして彼曰く「課長、酒臭くてたまりません」そうか、日本酒をやり過ぎた後の呼気にはすさまじいものがあります。機内は密閉です。微醺どころではありません。柿の熟したそれは、素面の人に強烈な不快感を与えます。迷惑至極だったと思います。皆さん、ごめんなさい。さて、うつらうつら、あと20分ほどで着陸するとのアナウンスがあったときでした。CAがやって来て曰く「お客様、お急ぎの方がいらっしゃいます。出口に近い空席をということで、お隣にご案内してよろしいでしょうか」女性二人と男性一人がやって来ました。目の覚めて、手持ちぶさたでした。その一人、丸いロイド風のめがねをかけた25歳くらいの女性が隣に座りました。話しかけました。曰く、乗り継いで札幌までとのこと。この便が遅れたので、接ぎに間に合うため、時間を短縮する配慮をしてもらったとも。美容師の由。手の甲が美しかったです。着陸後、CAに誘導してもらい、気ぜわしく降りていきました。I、笑いながら曰く「酒臭かっただろうな、その美容師」赤面しました。でも、ニコニコして相手をしてくれた彼女、恐らく、いや絶対カリスマ美容師に違いない。写真は機内で酩酊の私です。 ホテルにチェックインは午後9時を遙かに回りました。定宿は銀座の場末です。若く美しい女性が、金持ちの御仁を見送りに出ていました。 それを横目に見ながらビジネスバッグを抱えての仕儀。ということで遅い食事をし、焼酎を飲んで就寝。疲れました。写真は地鶏ユッケと炭火焼きです。今日の一句能古見舐め夜間飛行の夢を追うあと少し急げ京急酒が待つ
2013年08月26日
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平成25年8月12日(月) 午前5時起床。晴れ。炎暑。朝、外の空気を吸いに出たら、ダイロが新しい巣を張っていました。小学生の頃、このクモを捕まえて、喧嘩させていました。面白かったな。 このところ、妻も早起きです。陽の昇る前に、野菜に水をやらねばなりません。どうしてもしなければならないことがあると、人間、目が醒めます。寝坊助の妻にお困りの殿方、茄子やキュウリを植えてみてはいかがでしょうか。お薦めします。 つまらぬことを書きました。今日は出張でした。日本最南端のスキー場がある町に行きました。用件は書くこと能わずですが、道中のことを。 営業車に乗り、無料の高速道路を南下。延岡から山あいに入りました。五ヶ瀬川を遡りました。このあたり、若山牧水の歌碑が多いと聞きます。道の駅「青雲橋」でトイレ休憩しました。名のとおり、大きな橋が架かっていました。欄干から下を覗くと、足のすくむ深い谷でした。手前の山栗はもう熟れ始めている。民家は川底にちらほら見えましたが、大半は山の中腹にあります。橋が架かるまで、川向こうに行くときは、羊腸の道を下り上りだったのでしょう。この橋を含め国道218号が整備されるまで、地域内の移動、さぞかし大変だったろうな。 店頭に夏野菜が並んでいました。 珍しいものに目が留まりました。ラベルにキュウリと書いてありました。大きい。 昼は五瀬(イツセ)蕎麦を食べました。出汁がよろしい。 レストランの横に大きなホールがありました。ポスターを貼る作業をしていました。あっ、山頭火だ。へーっ。私、ビギナーですが、俳句読みの端くれです。その時は訪ねてみたい。 帰りも別の道の駅にトイレ休憩。今週はお盆です。会社の休みが多いんでしょう、旅行・帰省なのか、駐車場は県外ナンバーが目立ちました。ライダーもたくさん。でっかいオートバイです。 ここはさすが宮崎。店内に味付けホルモンの冷凍パックを積み上げていました。 焼酎は店頭販売。メジャー物は置いてありません。地物ばかりです。 一本買ってみました。帰宅して抜栓。乾いた味ですが、コクがあります。後口の残り香が強い。ロックにしましたが、ストレートで飲み直してみて、なおよろしい。 前後します。帰社が遅くなりました。決して焼酎物色、油を売ったわけではありません。キチンと仕事してきました。会社を出て運動公園へ。土日の二日間、練習を休んだ上に、病み上がりということもあって、調子が出ませんでした。まあこんなこともあるさとひとりごちました。10kmを丁度1時間。汗をかいただけでした。野球場スコアボード裏付近をジョグしていて、女性に声をかけられました。彼女「このあたりに〇〇さんのお墓があるんですが、知りませんか」私「存じませんな。墓地はこことは反対側、球場玄関の向かいにあります。植え込みに隠れて見えませんが」うーん、これってそもそも人に尋ねることなのかな?その方、高級車を運転し、とても上品な雰囲気でした。墓参りしなければならない理由があってのことなんでしょう。あれこれ想像してしまいました。たちまち60分が経ちました。今日の一句牧水と聞いて短歌に戻りたしホルモンがジョッキを干せと催促し深山が神代の世界彷彿と
2013年08月12日
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平成25年7月25日(木) 午前4時起床。夏至を過ぎて1ヶ月あまり。夜の明けるのが少し遅くなりました。いつもより40分早く出勤する日。ということで午前5時、朝ランへ出発。6km。一汗かきました。これでレース前の練習は打ち止め。なんだかホッとした気分になりました。ゴールデンウィーク以来、努めて走ることを意識してきました。飲み会その他でで休んだこともありましたが、結果として体重が少し減ったこともあり、充実感のようなものがジワリと湧いてきました。 前後しますが、走り出す直前、K橋さんが勝手口に「よっこらしょ」と言って、発砲スチロールの箱を置きました。彼は大工さん。仕事の無いときは漁師です。釣り物のカマスを持って来てくれました。嬉しいな。たくさんあったので、近所に裾分しました。目が透き通って、鮮度抜群。 早朝出勤。今日は、交通安全の日でした。弊社管理職が近くの交差点に立ちました。交通安全の旗を持ち、帽子をかぶり、旗を持っての仕儀。暑い日射しの中でした。40分。汗をかきました。 朝礼を済ませ、急ぎの書類を決裁したあと、部下のKと出張しました。営業車に乗りました。向かう先は日田市でした。同業他社の企画を視るためでした。12時前に到着。昼飯を何にしようか。日田と言えば焼きそばです。想夫恋(そうふうれん)に突っ込みました。厚い鉄板にてんこ盛りでした。食感はちょっと硬めかな。薄味好みの私には少しからかったです。 午後0時半から5時半まで缶詰。仕事の内容は面白くないので書くのをやめます。壇上に北九州大学の先生が登壇しました。あれっ、誰かに似ている。少し写真をぼかしましたが、どうですか皆さん。 午後6時、駅前のホテルにチェックイン。居酒屋で軽く晩ご飯を食べての帰り、日田祇園の山鉾集団顔見せに行きあわせました。壮観でした。このまちは天領です。幕末には広瀬淡窓が咸宜園を開き、英才を排出しました。歴史ある西の小京都です。この祭りも伝統に裏打ちされた風情をかもしていました。いいな、この感じ。明日も仕事なので、真っ直ぐホテルに帰りました。今度は観光で来てみたい。今日の一句山鉾の練り歩くまち夏のゆく魚屋のおっさんが屁を放るカマス
2013年07月25日
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平成25年7月8日(月) 午前4時前起床。晴れ。 朝ラン10km。走り始めてすぐMさんに遇いました。並走。彼のコースに着いていくことにしました。キロ6分のペース。宮川内に入り、山間の牛舎脇を通り、切り通しを抜けました。大野谷を下り、門の鼻橋から木立川に沿って長野まで。そこで別れ、帰りはキロ5分ペース。 出勤途中、晴れわたりました。梅雨明け宣言はまだ聞いていませんが、それを思わせる空でした。写真は茶屋ケ鼻橋から河口を撮ったものです。海霧の迫っているのがわかります。そのことを会社で話したら部長が「蒲江の漁師は『塩霧が上がったら梅雨が明ける』と言う」。 午前中、デスクワーク。昼前に会社を出ました。部下のKと高知県へ出張。フェリーに乗りました。甲板に出ると、潮風がまとわりつきました。湿り気を帯びているのがわかりました。潮が混じり、べとつく感じでした。豊後水道の出口で大きなタンカー2隻を見ました。1隻は瀬戸内へ。海流のせいか、航跡がくねっていました。 もう1隻は外洋へ。こちらの写真、本船の白と相まっていい感じです。 この出張は、得意先からの依頼に応じての仕儀でした。弊社の考え方が相手の意に沿わず、辛い会議になりました。針のむしろというと大げさですが、居心地が悪かったです。夜は、そのメンバーと会食。高知弁を聞きながら、無手無冠の栗焼酎ダバダ火振りを流しました。料理、さすがカツオの本場です。 バッテラもいい感じでした。 2次会に誘われましたが、明朝のことを考え、断りました。ホテルに戻る途中、コンビニでワインを買いました。Kは缶ビールとラッキョウ、それにコリコリ生姜を。私の部屋で今日の首尾を反省しました。彼に、明日の朝は走るのか、訊かれました。もちろんだというと、足にさぞ筋肉がついただろうと返してきました。ズボンを脱いでパンツ姿(今日はトランクスではなくブリーフでしたから臀部のラインもわかります)になりました。足と尻を自慢しました。彼も、俺のはなっ、といいながら見せてくれました。テニスプレーヤーなのです。50歳を過ぎていますが、腕前は弊社の中でトップクラス。県内でもそこそこ名を知られているらしい。写真は彼の尻です。パンツまで脱ぐんでない。私たちがホモだと間違われる!今日の一句沖を漕ぎペルシャへゆかむ巨大船御崎沖航跡蛇行難所なり
2013年07月08日
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平成25年5月26日(日) 午前4時過ぎ起床。曇り。 今朝は上野の公園を走りました。不忍池を周回。犬の散歩が目につきました。ワンちゃんの顔は、代々木の公園のそれよりも庶民的に見えました。多くのジョガーがやっていました。50人くらいの男性グループ、点呼の声勇ましく走り始めました。体育会系でいい感じですが、集団走が団子になっていました。コースを占領し、逆向きに走る人のすれ違う余地がありません。池の水は濁っていました。ハスの芽が出ていました。コイの背びれがそこここの水面を揺らしていました。釣り禁止の看板がありました。貸しボートがあり、足踏スクリューの白鳥型が綺麗に並んでいました。デートスポットなのかな。 汗が出始めたなと思ったら、鐘の音が聞こえてきました。低いいい響きでした。寛永寺なのかな。赤い弁財天やフグの供養塔を見ながら池を後に。登りに入ると精養軒がありました。これがあの精養軒かとおもいました。数多の作品に登場します。格式のある風情です。さらに進むと、石灯籠がありました。ずらりと並んでいました。素晴らしい。太閤型が多いようです。 動物園の前を通り、東京都美術館へ。ダ・ヴィンチ展をやっていました。見たかったですが、何せ時間が時間でした。諦めて、進みました。左に回り込むと芸大です。旧東京音楽学校奏楽堂がありました。学徒出陣の際、壮行するため第九の一部を演奏したという話がありますが、ここがその舞台だったのかな。記憶があやふやで、感慨は今ひとつでした。 いい感じだったのは正門から覗った芸大キャンパスでした。何がさすがかわかりませんが、さすがの風情です。数多の才能が集い、学ぶにふさわしい空気がが流れています。芸術文化を醸す佇まいとでもいいましょうか。ここに通う学生を羨ましいと思いました。 国立博物館、科学博物館、西洋美術館、東京文化会館。このあたりは何度も来たことがあります。懐かしい。ロダンは遠目からでしたが、いつ見てもよろしい。西郷どんに会って今日のジョグは終わり。6kmでした。 静岡・清水の取引先を訪ねる予定でした。TELしたら、昨晩から在京とのこと、築地の事務所にいる由。そこを訪ねました。半分プライベートの野暮用は10時過ぎに終わりました。お茶の水に向かいました。岩波ホールにかかっている映画を観るためでした。イタリア映画「海と大陸」でした。シチリア近くの小島が舞台。アフリカ難民の密航に揺れる島民という切り口でした。ストーリーはともかく、海の美しさ、地中海の小島が醸す風情はいい感じです。旅行してみたい気分になりました。 前後しますが、御茶ノ水駅でふり仰ぐと、見上げたビルの上の方に大きな浮き彫りがありました。その横の高い建物に東京医科歯科大の文字。そうと知ると、モニュメントはなんだか医療に関係がありそうな。坂を下り始めるとニコライ堂。今読んでいる司馬遼の「街道をゆく」にこの名が出てきます。作者がハリストス正教会を訪ねた際、同じギリシャ正教の流れを重ね合わしている記述です。自分の今読んでいる読書の世界と、旅先で行きあう偶然の妙見というのはこんなことなのだろうと思いました。ニンマリしました。 歩を進めると日大や明治。今日は大学の建物に縁があるなと思いました。都会の中の高いビル学舎を見るにつけ、運動場はどこにあるんだろう。それが気になって仕方ありません。 映画が跳ねて、もう何もすることはありません。飛行機の時間が迫り、羽田向けになりました。途中、品川で寿司屋に引っかかりました。ビールを飲んで数品つまみました。 空港でもう一杯。売店で、機内用にとハイボール缶を、さらに大分空港から佐伯までの間、リムジンバスの中で飲むワインの小瓶を買いました。妻への土産は崎陽軒の海鮮饅頭。沖ゆく客船がいい感じです。海上空港羽田のいいところです。 飛行機は満席でした。小さくなる東京の街並みは暗かったです。高曇りで、途中の景色は見えませんでした。夕日も赤くなかった。徳山あたりの地形はそれとわかりました。もう10年近く前だったか、内航船タンカーの船長Tさんに誘われ、H丸に乗せてもらったことを思い出しました。博多を出港し、関門を抜けここに入港する航程でした。その際は大津島に行き、回天の基地を見ました。あそこだなとわかる上空からの写真です。帰宅は午後10時前でした。疲れた。今日の一句映画観て寿司をつまんで哀しけれ
2013年05月26日
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平成25年5月24日(金) 午前4時起床。5時前、朝ランに出発。今日も皇居を走りました。7km。向かう途中、昨夜、立ち寄ったwine barの前を通りました。朝の5時まで営業するとのことでした。本当かどうか、確かめたかったのです。本当でした。ワインを注いでくれたおねえさんが、マスターと思しき人と止まり木に並んで座り、反省会のような雰囲気でした。 日比谷公園を抜けましたが、昨夜の賑わいが嘘のようでした。周回コースも朝ランの人は少なかったです。その中に、ジョグの外国人が目立ちました。それと警察官。今朝はカメランをしました。オーストラリアからの旅行という男性に頼んで、私を写してもらいました。 このコース、緩やかな上り下りになっています。下の写真は、ピークの部分から濠越しに撮ったものです。いい感じです。 泊まったホテル、バイキングの朝食が充実しています。今朝は生野菜オンリーにしました。皿にてんこ盛り。おかわりを2回しました。何がよいのかわかりませんが、こういう朝食もよいです。 野暮用(仕事のことです)は、数寄屋橋の事務所と霞ヶ関の某所2カ所の訪問でした。宿題をもらいました。疲れました。結構歩いたな。 預けていた荷を取りに新橋まで戻り、遅い昼をしました。朝ランと野暮用の疲れで、ビールを飲みたくなりました。でも出張の身、昼酒はいけません。昨夜寄った寿司屋の暖簾を再度くぐりました。軽くつまんで千円たらず。 明日明後日は土、日です。娘、息子と会うため、延泊することにしました。西新宿のホテルを予約しました。そこへ向かいました。早めのチェックイン。すぐさま、走りに出かけました。今日のコースは新宿中央公園でした。道を挟んで隣は都庁です。ツインタワーのようなビル、下から眺めると圧巻です。 1周1.1kmの周回歩道を4周しました。よく晴れ、夕刻にはまだ間のある時間帯、公園の緑と憩う人の感じがよかったです。近くに大学や専門学校があるのでしょう、授業を終えた若い人たちが談笑しながら歩くの図もよろしい。美しい金髪女性は映画に出てくるような美人でした。 歩道にオッサンがいました。一人宴会をしていました。大層な馳走です。カセットコンロにフライパンを載せ、ニラとモヤシを炒めていました。焼酎の甲類を飲んでいました。小さなラジオから相撲中継が流れていました。今日の嘉風如何と問うと、後3番後の取組だと返してくれました。かなりの相撲通とみました。スポーツが好きな由。ダービーのことをたずねると「キズナで決まりだよ、だって今の日本は絆しかないもんね、あなた、買うんだったら迷っちゃいけないよ、1点勝負でいいんだから」へんだ、これだから素人はいけません。ロゴタイプでしくはなしなんですから。歳を訊くと64才とのこと。写真を撮るのをOKしてもらいました。 シャワーを浴び、午後7時、娘の指定した店に行きました。正月に帰省して間もないです。でも、都会の人混みで会うとなると、違った気分になるから不思議です。仕事や私生活のことなど、話したことのない話題にも話が及びました。弾んで、たちまち時間が過ぎてゆきました。 前後しますが、その店はスンガリーといいます。名のとおり、ロシア料理店です。先に着いた私は食前にカヘチアンキールを頼みました。失敗でした。女の飲み物でした。やってきた彼女はコースを、私はそのメニューにないものをアラカルトの中から選びました。飲み物はグルジア産の赤ワインを2種類。以下はそれらの写真です。アミューズサーモンマリネのクレープ包み水餃子ボルシチフィレの串焼きカサゴの香草焼き これは絶品でした。ウォッカにしました。スタルカがいい感じでした。娘はロシアンティー。ジャムを混ぜて飲みますが、出てきた量がすごい。 勘定は思わぬ安さでした。店を出て、小田急まで並んで歩きました。その間も、あれこれの話が尽きません。それはそれとして、ここを闊歩する娘の姿を見るにつけ、田舎育ちなのに、都会を自由に泳ぐように見え、距離感ができたような気分になりました。反面、嬉しいような、半ば複雑な気分でもありました。何とも妙な感じです。改札で別れました。姿の見えなくなるまで見送りました。ホテルまでとって返す足取りは、軽いはずがありません。夜気が心に沁みました。シャワーの水も、破れた足のマメにしみました。今日の一句小田急に消える娘を見送って改札の別れが酔いを醒まさしめマナー見て娘の女を実感すウォッカ舐め酔うて娘の色気かな誰が袖の嫁にならんと願う身ぞ
2013年05月24日
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平成25年5月23日(木) 今日から4日間、ほぼ飲みブログです。 午前4時過ぎ起床。晴れるも視界悪し。水蒸気のせいか。朝ラン6km。林道順良線の掛り、永馬橋で折り返しました。途中、KのM兄に遇いました。野菜に水をやっていました。(◯◯兄、◯◯姉という接尾語は住むところの習わしのようなもので、実際の血縁関係はありません。ちなみに「にー」「ねー」と読みます)先月、地域であったイベントで、中心にいた彼が不如意となったことの訳を聞きました。さもあらんと思いました。しばらく行くと、散歩の年配女性3人とすれ違いました。皆が、気持ち良さそうな顔をしていました。 途中の様子を書きます。先ボヤのあった製材所は、稼働を始めていました。よかった。コシヒカリは青みが増し、株が膨らんで分かれ始めています。カエルの鳴き声がいい感じです。イチゴハウスを抜けると、クヌギ林があります。ここも葉の緑が濃くなっています。樹液がで始めたら、クワガタやカブトムシがくるんだろうな。登り込みになるとMの爺さん宅です。ひっそりしていました。何時だったかこの家の屋根が台風で飛ばされました。老夫婦はその晩、公民館に避難しました。明けての日は畳がびっしょりになっていて、帰宅できません。UのS宅に居候しました。以来数ヶ月、峠の入り口にあるS宅の前を通る度、寝巻き姿の婆さんが座敷に座ってこちらを見いていました。消沈の表情が遠目にも判りました。屋根の修理が終わるまで、Sの不機嫌が続いたと後で聞きました。谷筋まで行くと、空気が変わります。汗の肌に心地よいです。クリが咲き始めていました。NのM君とすれ違いました。彼も走っていました。ランナーです。曰く、膝の故障が治らない、最近はプールにはまっている、どこぞのオープンウォーターにYコーチと参加する、毎日3km泳いでいる・・・。素晴らしい。 写真はカタツムリです。隣のS兄宅庭に咲いたアジサイにいました。梅雨の風情です。 帰って朝シャワー。朝食を食べた後、妻にバス停へ送ってもらいました。空港バスに乗りました。正午過ぎの飛行機でした。東京向け。搭乗前に昼をしました。ネギ味噌にしました。ラーメンは久しぶりでした。高曇りの天気でした。揺れました。いつもですが、気色のいいものではありません。機内サービスはコンソメを頼みました。珈琲よりもこちらがよいです。 羽田からはモノレールにしました。夕方までに野暮用を済ませました。その後、宿にチェックイン。着替え、並木通りを銀座に向かいました。皇居を走りました。時計回り。ここを走るのは2回目でした。1周でしたが、ホテルからの距離と、北の丸公園や千鳥ヶ淵に立ち寄ったことを計算すると10km走ったことになります。靴を替えたので,右足の内側にマメができました。痛い。 前後しますが、千鳥ヶ淵には思い入れがありました。ここに戦没者の墓園があります。海外で戦死した人の遺骨が納められています。戦後、遺骨収集を経て帰国した身元不明の骨です。30万人以上がここに集められている由。伯父のものも多分ここにあるはずです。彼はサイパン島玉砕でした。戻ってきた白木の箱には紙切れ1枚が入っていたと、死んだ祖母に聞きました。そんなこんなで、折角のことだから、ジョギング姿ではありましたが、手を合わせる気持ちになったのです。スタスタ中に入っていき、合掌しました。私の他には誰もいませんでした。あれこれ、思うところがありました。来てよかった。 帰りに日比谷公園の中を通りました。オクトーバーフェストというのをやっていました。ドイツのビール祭りです。大勢がガンガン飲んでいます。うぉっ、たまりません。ホテルでシャワーを浴び、早速突っ込みました。いや、その前に,新橋の魚金を冷やかしました。アジフライをもらいました。冷酒で流しました。刺盛700円というのを追加しました。あれこれの盛り合わせです。これ1品で3合はいけます。しかし、ぶつ切りじみた内容は好みではないな。 チビチビやりましたが、落ち着きません。日比谷公園へ突っ込むことにしました。やってるやってる。 早速ビールとソーセージを注文しました。初夏の爽やかさ、ランニングの後ということもあって、気分は最高でした。ドイツ音楽の演奏がありました。ラッパを抱えている青年に声をかけました。ミュンヘンから来たとのこと。ツーショットにおさまってもらいました。目隠しをしたのでそうとわかりませんが、これを取ると似ていて、なんだか親子みたいな感じです。 ビールは直ぐに腹が膨れます。いけません。たちまち飲み詰まりました。河岸を変えることにしました。歩いてきた途中で目にとまった立ち飲みのワインバーに突っ込みました。生ハムがいい感じです。飲み直しにピッタリです。隣で牡蠣を食べていた青年に話しかけました。フランスのボルドー出身とのこと。サンテミリオン地区の生まれだそうです。日本語が堪能でした。こちらの方にもツーショットにおさまってもらいました。 お腹がすきました。高値のマグロを競り落とすことで有名な寿司屋に入りました。チェーン店です。いくつかつまみました。 新橋に泊まると、〆はどうしても根室食堂になります。今日もホヤにしました。大好物なんです。今日の一句数多霊眠れる淵は深閑と大ジョッキ eins zwei と傾けぬ新橋で叶う幸せ海鞘の味
2013年05月23日
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