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ディビッド・ベッカム氏【レアル・マドリード】 時代の・・・お話♪
2003年、ジョアン・ラポルタがFCバルセロナの会長に立候補した際、ベッカムの獲得を公約に掲げた。
マンチェスター・ユナイテッドはFCバルセロナへの移籍を望んでいたが、
ベッカムはレアル・マドリードを選択し、4年間の契約を結んだ。
移籍金は約3500万ユーロだとされている。
手続きは2003年7月1日に完了し、ローリー・カニンガム、スティーブ・マクマナマンに続いて、
レアル・マドリードでプレイするイギリス人のサッカー選手となった。
マンチェスター・ユナイテッドとイングランド代表では7番を付けていたが、クラブのキャプテンであるラウル・ゴンサレスが付けている背番号であったため、7番を選ぶことはできず、23番を選択した。
その選択の理由は、尊敬するバスケットボール選手のマイケル・ジョーダンが付けていた番号であるからだと報道された。
ロサンゼルス・ギャラクシーへの移籍会見時には「背番号はマドリード時代と同じ23が良い。
マイケル・ジョーダンを尊敬しているし、アメリカでは特別な番号だ。」と語った。
しかし、のちに本人が「空いている番号でどれでもよかった」と語っている。
2003-04シーズン、レアル・マドリードは4位でシーズンを終了し、チャンピオンズリーグでも準々決勝で敗退したが、ベッカムは開幕戦でのゴールを含め、最初の公式戦16試合で5得点を挙げ、すぐにサポーターのお気に入りとなった。
しかし、リーグかチャンピオンズリーグのいずれかのタイトルを獲得することを望んでいた会長の期待には応えることは出来なかった。また、このシーズンからは、チーム事情により、センターハーフでのプレーが主だった。
2004-05シーズン、チームは無冠に終わる。移籍後は主にセンターハーフでプレーしていたが、冬にトーマス・グラベセンが加入したことと監督であったルシェンブルゴとルイス・フィーゴの確執に伴い、2005年に入ってからはフィーゴに代わって右サイドハーフとして出場する機会が増えた。
右サイドで出場した2005年のエル・クラシコではマイケル・オーウェンへのアシストを含め2アシストを記録し、移籍後最高のパフォーマンスと称される活躍をして4-2の勝利に貢献した。その後も右サイドハーフとして出場を続け好パフォーマンスを披露し、リーグで最も多くのアシストを記録した選手となった。
2005-06シーズンは、フィーゴの移籍に伴い右サイドハーフに定着したが、優勝したバルセロナに12ポイント差を付けられての2位に終わり、チャンピオンズリーグでは、アーセナルFCに決勝トーナメント1回戦で敗れた。
2006-07シーズンは監督に就任したファビオ・カペッロの好みにより、当初はスターティングメンバーで出場したが、ベッカムがスターティングメンバーとして出場した最初の9試合で、レアルは7ポイントを落とし、スピードのある新加入選手のホセ・アントニオ・レジェスに右サイドのポジションを奪われた。
2007年1月10日、長引いた交渉の末に、スポーツディレクターを務めていたプレドラグ・ミヤトヴィッチは、シーズン終了後にクラブを去ると発表したが、あれは誤訳であり、実際には再交渉はまだ始っていないと言ったのだと主張した。
しかし、1月11日にベッカムはレアル・マドリードを離れ、特別指定選手制度(Designated Player Rule)を使用してメジャーリーグサッカーのロサンゼルス・ギャラクシーへ移籍することが明らかになり、翌日のMLSのスーパードラフトの際に公式な記者会見が開かれた。
ベッカムはロサンゼルス・キャラクシーと7月1日からの5年間の契約を結んだと発表した。1月13日にカペッロは、「ベッカムは練習は続けるが、レアル・マドリードでの最後の試合を終えた」と述べ、今後の試合では起用しないことを示唆した。
しかし、常に練習を懸命に行う彼の姿を見てラウルやグティがカペッロに出場を懇願し、チームも低迷していたこともあり、カペッロは2月10日のレアル・ソシエダ戦のメンバーに招集し、ベッカムはゴールを決め、チームも試合に勝利した。
その後、ベッカムは好パフォーマンスを披露し、レジェスからポジションを奪い返した。ベッカムの最後のチャンピオンズリーグ出場となったのは、2007年3月7日のバイエルン・ミュンヘン戦であり、本戦出場数通算103試合は、当時3番目に多い記録であった。
2007年6月17日、ベッカムはレアル・マドリードでの最後の試合となったマジョルカ戦に出場、チームは3-1で勝利した。足を痛めたベッカムと交代で出場したレジェスが、2得点を挙げ、ベッカムはクラブ加入以来初めて、リーガ・エスパニョーラのタイトルを獲得した。
シーズン終了後、レアル・マドリードは、ベッカムのロサンゼルス・ギャラクシーへの移籍を解消するために交渉していると発表したが、ギャラクシー側が拒否したため試みは失敗に終わった。
レアルでのキャリア終了の1ヶ月後に、アメリカの経済誌『フォーブス』は、ベッカムは広告塔としてクラブのグッズ販売に貢献し、在籍4シーズンで6億ドルにも上る売上を記録したと報じた。
ベッカムがレアル・マドリードとの契約延長にサインせず、アメリカ・ロサンゼルスギャラクシーへの移籍を発表した際、レアルのカルデロン会長はマドリー市内の大学の講義でチーム内の非難発言を繰り返した。
その中で「ベッカムはアメリカ以外のどのチームからもオファーはなかった。彼はアメリカに行ってなんにでもなれるだろう」と発言し、発言を録音していた学生からラジオ局に流れ大問題に発展した。
しかし、実際はACミランやイングランドの複数のクラブからオファーがあった事が後に明るみに出て、会長はミーティングの席でベッカムに謝罪した。
またこの一連の騒動に関してシーズン終了後に元チームメイトであるジダンは「レアル・マドリードは重大なミスを犯した。ベッカムを手放した事で来シーズン代わりの選手を探さなければならない。まぁ彼と同等の選手を探す事は不可能に近いだろうけどね」と語っている。
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