「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2022.02.28
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カテゴリ: 美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​スペイン出身の画家ジョアン・ミロについて研究してみました〜楽しかったです手書きハート ザックリまとめてみました

​Joan Miró ・・・とは?​

​​​​​​
​​ Joan Miró 
ジョアン・ミロ

1893年4月20日〜1983年12月25日(90歳没)

​​Joan Miró i Ferrà​ ジョアン・ミロー・イ・ファラー)​​

スペイン・カタルーニア地方出身の

画家・彫刻家・陶芸家・壁画家。

ホアン・ミロ(カタルーニア語読み)

パリでシュルレアリスム運動に参加し

20世紀美術に独自の地位を築いた。

​​​​​​​Joan Miró 


​『 ​ミロの年譜​ ​​

1893年 (ミロ=0歳​ )4月20日午後9時、

スペイン・バルセロナ市クレディト街4番地で生まれる。

父は、金銀細工師のミケル・ミロ・イ・アゼリアス。




1900年 (7歳 )​ レゴミール街小学校に入学。

シビル教師のもとで学ぶ。

夏、

少年時代は毎年の夏をコルヌデラとマヨルカ島で過ごす。


1901年 (8歳 )​ 「足の治療師」「亀」 などの

現存する最も初期の水彩によるデッサンをする。


1907年 (14歳 ​父に画家になることを反対されて、

バルセロナの商業学校に入学するも、

同時にラ・ロンハ美術学校に通い、

モデスト・ウルヘルとホセ・パスコに師事する。


1908年 (15歳 )​ 装飾美術 「蛇」


1910年 (17歳 )​ ダルマウ・イ・オリベラス商会に

見習い会計士として就職するが、環境に適応できず。


1911年 (18歳 )​ うつ病と腸チフスにかかり、

モンテロッチで、療養生活を始める。

絵画に一生を捧げようと決心する


1912年 (19歳 )​ バルセロナの



陶芸家:ロレンス・イ・アルティガスや、

画家:E・C・リカルトと親交を結ぶ。

ダルマウ画廊で行われたキュビスム展やフォビスム展を見る。

最初の油彩画を描く。


1914年 (21歳 )​ 「農夫」「海景、モンテロッチ」 などを制作。


1915年 (22歳 )​ ガリ美術学校を卒業。

聖ルカ文化サークルでデッサンを学ぶ。

ジョアン・プラッツや、J・F・ラフォルスと友情を結ぶ。

サン・ペドロ街にE・C・リカルトと共同のアトリエを借りる。


1916年 (23歳 )​ フランスの詩や前衛美術誌を読む。

画商:ダルマウと初めて接触。

ヴォラールがバルセロナで主催したフランス美術展を見る。


1917年 (24歳 )​ フランシス・ピカビアに会う。

『ノール・シュド』『聖ジョアン・ドルタの庵』『シウラナの村』

『プラデスの街路』『E・C・リカルトの肖像』

『J・F・ラフォルスの肖像』 を描く。


1918年 (25歳 )​ ダルマウ画廊で

(バルセロナ、ポルタフェリーサ街18番地)最初の個展を開く。

「リカルトの肖像」 などを展示するが、まったく買手がつかず。
わだち
「轍」「ヤシの木のある家」「ロバのいる菜園」

「モンテロッチの耕作」「少女の肖像」「自画像」

などを「細密主義」の手法で制作。

『コーヒーミルのある静物』『H・ガザニイの肖像』

『ファニータ・オブラドールの肖像』『R・サニエールの肖像』 など制作。


1919年 (26歳 ​パリに初めて旅行。

ピカソ モーリス・レイナル に会う。

J・ロレンス・イ・アルティガス を中心とする

クールベ・グループ展 (バルセロナ)に出品。

モンロジの教会と村』『 モンロチの葡萄畑とオリーブの森』

『自画像』『鏡を持つ裸婦』
などを描く。


1920年 (27歳 )​ パリに住む。

レヴァディ、ツェラ、マックス・ジャコブらと知り合う。

ダダの運動に参加。

夏、 モンロチで過ごす。

「分析的キュビスム」の影響を受けた

『ブドウ』『馬とパイプと赤い花』『テーブル』

『スペインのカードゲーム』『ウサギのいる風景』 などを制作。


1921年 (28歳 ​​​​パリ、ブロメ街45番地にアトリエを持つ。

ラ・リコルヌ画廊でパリにおける最初の個展を開く。

カタログの序文をモーリス・レイナルが書く。

夏、 モンロチで過ごす。

『スペインの踊り子の肖像』『立っている裸婦』 を描く。
​​

3月29日、 パリのラ・リコルヌ画廊で個展を開催するも失敗。

翌22年にかけ、 写実主義時代​の傑作 で、のちに

ヘミングウェイが買い取ることになる 「農園」 の制作に没頭。


1922年 (29歳 )​ “ブロメ街グループ” に入り、

アンドレ・マッソン、アントー、レイリス、ランボー、

サラクロー、テュアル らと交友を持つ。

夏、 モンロチで過ごす。

『農婦』『花と蝶』 を描き、 『農園』 を仕上げる。


1923年 (30歳 )​ パリの「サロン・ドトーンヌ」に出品。

ヘミングウェイ、エズラ・パウンド、

ヘンリー・ミラー、プレヴェール らと知り合う。

夏、 モンロチで過ごす。

『耕地』 『牧歌』『家族』

『カタラン風景(狩人)』
の4点を制作。

​​​​​​​Joan Miró 
The Hunter(catalan Landscape)1923-1924

​​​​​​​Joan Miró 

Pastorale(Pastoral)1923-1924


​​​ 1924年 (31歳 ブルトン、エリュアール、アラゴンらと親交を深める。

夏、 モンロチで過ごす。

​​​
『母性』『紳士』『K嬢の肖像』『葡萄酒の瓶』 などを制作。

翌25年にかけ、 シュルレアリスムの影響を受けた作品

『アルルカンの謝肉祭』 を制作。


1925年 (32歳 )​ パリのピエール・ローブ画廊での個展、

大成功を収める。カタログ序文をベンジャミン・ペレが書く。

シュルレアリスム展に出品。

画商のジャック・ヴィオから契約の申し出を受ける。

『カタロニアの農夫の頭部』『昆虫たちの会話』 などを制作。

​​​​​​​Joan Miró 

The Birth of the World 1925 

​​​​​​​Joan Miró 
Pintura(Painting)1925

​​​​​​​Joan Miró 

Painting(Mon with a Pipe)1925

​​​​​​​Joan Miró 


​​​​​​​Joan Miró 

Painting(head and Spider)1925

​​​​​​​Joan Miró 

Painting(Head of a Smoker)1925


​​ 1926年 (33歳 ロシア・バレエ団による

「ロミオとジュリエット」の舞台装置を

マックス・エルンストと共同制作する。

『愛』『海辺の馬』『ヌード』『月に吠える犬』

『鳥に石を投げる人物』
​の他、架空の風景画を多数制作する。​


1927年 (34歳 )​ マックス・エルンスト、

エリュアール、アルプ、マグリットらが住む

モンマルトルのトゥールラク街に移る。

サーカスの連作 白い背景の作品 を多数制作。

​​​​​​​Joan Miró 

Pintura(Painting)1927


1928年 (35歳 )​ オランダに旅行。

パリのジョルジュ・ベルネーム画廊で個展開催。

『オランダの室内』 と題した3点の絵画を制作。

『ジャガイモ』、 コラージュ作品 「スペインの踊り子」 を制作。


1929年 (36歳 )10月12日、​ マリョルカ島出身の

ピラール・ジュンコサ・イグレシアス とパルマで結婚

パリのフランソワ・ムートン街3番地のアパートに新居を構える。

『ブロンズのルイーズ王妃』『1750年のミルズ夫人の肖像』

『ラ・フォルナリーナ』 を描く。


1930年 (37歳 )​ パリのピエール画廊と、

ブリュッセルのゴーマン画廊で各々個展を開く。

ニューヨークのヴァレンタイン画廊でアメリカでの最初の個展開催。

トリスタン・ツェラの著書「旅人達の樹」の挿絵用に

初めてリトグラフを制作する。


1931年 (38歳​ )7月17日、 バルセロナで、

長女マリア・ドロレス誕生。

パリのピエール画廊でオブジェ彫刻展開催。


1932年 (39歳 )​ バルセロナに住居を移す。

バレエ「子供の遊び」の舞台装飾、背景幕、衣装などを制作。

パリのピエール画廊とニューヨークのピエール・マティス画廊で個展開催。

シュルレアリストらとパリの「サロン・ド・シュルアンデパンダン」展に出品。


1933年 (40歳 )5月3日、​ バルセロナの

オペラ劇場リセウでバレエ「子供の遊び」開幕する。

エッチングを初めて手がける。

パリのベルネーム画廊で個展を開く。


1934年 (41歳 )​ ​バルセロナに住む。

パステルやサンドペーパーを使った大作に取り組む。

『蝸牛、女、花、星』 を描く。

「野生の絵画」シリーズ 始まりとなる

15点のパステル画が完成。


1935年 (42歳 )​ バルセロナに住む。

テネリフェ島でのシュルレアリスム展に出品。

厚紙に “野生絵画” を制作する。


1936年 (43歳 )​ スペイン内戦が始まる

ニューヨーク近代美術館で開催された

「空想芸術、ダダ、シュルレアリスム展」 に出品。

パリの印象派美術館で開かれた「現代スペイン絵画」展に出品。

銅板やファイパーセメント板にテンペラで描く。


1937年 (44歳 )​ パリに移る。

パリで万国博覧会が開催され、スペイン館の為に

『刈りり入れ人』 『古靴のある静物』 を出品。

ポスター 「スペインを救え」 をデザイン。


1938年 (45歳 )夏、​ ノルマンディの

ヴァランジュヴィル・シュル・メールで夏を過ごす。


「自画像1」 「星が黒人女の胸を愛撫する」「座る女」 などを制作。


『肖像II』1938年


1939年 (46歳 )​ フランス北西部ノルマンディー地方の

ヴァランジュヴィル・シュル・メールに住む。

『星座』シリーズ の制作を開始。


1940年 (47歳 )1月20日、​

連作『星空』シリーズ 制作本格的に着手。

パリに戻る。ドイツ軍の侵攻を考慮し、

スペインに戻り、マヨルカ島に落ち着く。



1941年 (48歳 )​ 美術史家スウィーニーがニューヨーク近代美術館で、

ミロの最初の回顧展を開催し、本格的な研究書を出版。


1942年 (49歳 )​ バルセロナに戻り、

クレディト街4番地の生家に住む。紙に描く。


1944年 (51歳 )​ ブラッツによって、

連作「バルセロナ」シリーズの ​リトグラフ50点​を印刷。

(1939年にレポート用紙に描いた素描をもとにしている)

ロレンス・イ・アルティガスと共に 初めて陶器を制作。


1945年 (52歳 ​ニューヨーク・ピエール・マティス画廊で

「陶器と星座」展を開催。 ミロの初期の陶芸作品​

『星座』シリーズ の23点を展示し、大成功に終わる。


1947年 (54歳 ​​初めて​ アメリカに滞在。

パリのマーグ画廊で開かれたシュルレアリスム展に出品。

シンシナティの ​​ テラス・プラザ・ホテルのために

3mx10mの
大壁画 ​​
を制作。


1948年 (55歳 )​ パリに戻る。

ムルロエ工房でリトグラフの連作に取り組む。

マーグ画廊で個展。絵画と陶器の最新作が展示される。

『蜘蛛を喰む赤い太陽』 を制作。

​ツァラの詩集「反頭脳」の挿絵​ を制作。


1949年 (56歳 )​ バルセロナのラエタネス画廊で、

同地の収集家が収蔵するミロの作品57点を集めた「ミロ展」開催。

ベルンのクンストハーレで回顧展開催。


1950年 (57歳 木版画を初めて制作する。


​​ 1952年 (59歳 )〜 1953年 (60歳 )​​ より奔放で、

かつ野生的な表現方法を取り入れた油彩画を数多く制作する。

グッゲンハイム美術館に収蔵される1点は、その中の代表作。

バーゼルのクンストハーレ(1952年)と

ベルンのクンストハーレ(1953年)で個展を開催。

ロレンス・イ・アルティガスと共同で次の陶器制作に入る。

1953年から1956年にかけてガリファで386枚の陶板を制作。


1954年 (61歳 )​ ヴェネツィア

ビエンナーレの版画部門国際大賞を受ける。

1955年制作の厚紙に描いた小品を除き、

1959年まで絵画の制作を中断する。


1956年 (63歳 )​ パルマ近郊の

「ソン・アブリネス」にアトリエが完成。その新居に移る。

マーグ画廊とピエール・マティス画廊で「大火の世界」展開催。


1957年 (64歳 )​ ヴェネツィア・ビエンナーレ展版画部門国際大賞を受賞。

パリのユネスコ本部のために、ロレンス・イ・アルティガスと

共同で 『太陽の壁』 『月の壁』 を制作。


1958年 (65歳 )​ アルティガスと共同制作した ユネスコ本部の壁画 が完成。

パルマのアトリエの近くの土地「ソン・ボテール」を購入。


1959年 (66歳 )​ 二度目の訪米。

ニューヨーク近代美術館とロサンゼルスで回顧展開かれる。

アルティガスと共にグッゲンハイム財団国際大賞を受賞。

ブルトンの散文詩を添えた 「星座」シリーズ を出版。


1960年 (67歳 「赤い円盤」 ​​​ などを制作。


1961年 (68歳 「青」 ​​​3部作 が完成。

ハーヴァード大学の陶壁画を制作。

マーグ工房で多数のエッチングとリトグラフを制作。


1961年 (68歳 )​ 三度めの訪米。

パリ・マーグ画廊と

ニューヨークのピエール・マティス画廊で回顧展開催。

ジュネーブで版画展開催。


1962年 (69歳 )​ パリ国立近代美術館で、

大規模な代表作品展が開かれる。

バルセロナに「ジョアン・ミロ・デッサン賞」を創設。


1964年 (71歳 )​ ロンドン・テートギャラリー、

および、チューリヒ美術館で大回顧展。

バルセロナで展覧会を開催。

サン・ポール・ド・ヴァンス(フランス)にマーグ財団オープン。

陶器と彫刻で飾られた、財団に付属する「迷宮」はミロの制作。


1965年 (72歳 )​ ピエール・マティス画廊で、

「1959-65年の漫画」展開催。

カタロニアの子供向け週刊誌

「カパル・フェルト」の表紙絵を制作する。


1966年 (73歳 )​ 東京、京都で展覧会を開催。

​Joan Miró ​
​​

ムーン・バード『月の鳥』1966年


1967年 (74歳
)​
カーネギー絵画賞を受賞。

『空色の黄金』 を制作。


1968年 (75歳 )​ バルセロナで最初の公式展覧会が開かれる。

サン・ポール・ド・ヴァンスのマーク財団で大ミロ展開催。

『独居房のための三枚屏風』 を描く。

バルセロナの旧聖十字架病院で大回顧展開催。


1969年 (76歳 )​ 「ミロ・オトロ」展を開催。

バルセロナのカタロニア建築協会で「もう一つのミロ」展開催。


1970年 (77歳 )​ 大阪・万国博覧会のために陶壁画を制作。


​​ 1971年 (78歳 )〜 1972年 (79歳 )​​

シカゴ・アート・インスティテュート、

ロンドンのヘイワード・ギャラリー、

チューリッヒ美術館などで彫刻展開催。

ジョアン・ミロ財団ー現代美術研究センターを創設。


1973年 (80歳 )​ マーグ画廊で「オーバーウィーブ」展開催。

サン・ポール・ド・ヴァンスのマーグ財団で

彫刻と陶器の大展覧会を開催。


1974年 (81歳 )​ パリで二つのミロ展が開催。

1、グラン・パレでの絵画・彫刻・陶器による大回顧展。

2、パリ市近代美術館での大版画展。

「死刑囚の希望」3部作 画完成。


1975年 (82歳 )​ バルセロナにジョアン・ミロ財団を創設。

6月1日、 バルセロナのモンジェイク公園内に

ホセ・ルイス・セント設計による

ジョアン・ミロ財団ー現代美術研究センターがオープンする。

バルセロナのマーグ画廊で代表作品(1914-74年制作)展を開催。


1976年 (83歳 )​ マドリッドのマス画廊で、

小型彫刻と版画による作品展が開催。

6月18日、 ジョアン・ミロ財団、正式にオープンする。

開館記念として、ミロが財団に寄贈した素描画約5000点の中から

475点を運び(1901-75年制作)素描画展を開催。


1977年 (84歳 )​ レウスのレクチャー・センターで版画展開催。

セレ美術館(フランス)で絵画・彫刻・版画などの作品展開催。

ウイチタ大学(アメリカ)のために陶壁画を制作する。


1978年 (85歳 )​ ジョアン・ミロ財団、欧州評議会より

1977年度の「美術館への特別賞」を与えられる。

マドリッドで代表作品展が開催される。

1、スペイン現代美術館での絵画展。

2、スペイン文化財務局展示室で行なわれた版画展。

3、パルマのラ・ロンハで絵画による代表作品展開催。

4、パリ・ジョルジュ・ポンピドゥ・センターで「ミロのデッサン」展開催。

5、パリ市立近代美術館で「1962-78年の彫刻」展開催。

6、ニューヨーク・ピエール・マティス画廊で「ジョアン・ミロ:

 絵画・グワッシュ・素描画による1969-78年の近作」展開催。


1979年 (86歳 )​ マリョルカ島にピラール&ジョアン・ミロ財団を創設。

バルセロナ大学から名誉博士号を授与される。

1、ロンドン・ヘイワード・ギャラリー「ミロの素描画」展開催。

2、フィレンツェ・オルサンミシェルで絵画による回顧展開催。

3、シエナ・シビコ美術館で版画展開催。

4、サン・ポール・ド・ヴァンスのマーク財団で絵画・彫刻・素描画・水彩画による大回顧展開催。

5、バルセロナのマーグ画廊で「ガウディへのオマージュ」展開催。


1980年 (87歳 )​ マドリッドの新国会議事堂の陶壁画が完成。
1、メキシコ・シティ・メキシコ近代美術館で回顧展開催。

2、カラカス・ベラ美術館で回顧展開催。

3、ワシントン・ハーシュホーン美術館で絵画展開催。

4、日本国内を絵画と素描画展巡回・・・

(東京・伊勢丹美術館、名古屋市博物館、福岡市美術館、大阪市立美術館)


1981年 (88歳 )​ 高さ12mの記念彫刻がシカゴに完成。

絵画・彫刻・素描画・陶器・タピスリー ・版画による

大回顧展「ミラノのミロ」展が、

ミラノ公立、私立の多くの会場で開催される。


1982年 (89歳 )​ ジョアン・ガルディ・アルティガスと共に、

最後の彫刻作品、陶板断片を所々に配した セメント彫刻『女と鳥』 を制作。

バルセロナのジョアン・ミロ財団で

「絵画・彫刻・陶器・版画・ポスター・タピスリー ・舞台による大ミロ展」開催。


1983年 (90歳 ミロの健康状態は日毎に悪化。

スケッチブックと鉛筆を手放さなかった彼が、

最後に描いたのは・・・地平線だった。

12月25日、​ スペイン・マヨルカ島にて90歳、

アトリエのあるパルマ・デ・マヨルカで老衰のため死去。



「3000年後に、

 私の絵を見た人が、

 私が絵画だけでなく、

 人間の精神を解放する

 手助けもしたことを、

 理解してくれればと思う」

  ジョアン・ミロ生前の言葉より


(参考文献:美術出版社/Joan ​Miró​​ジョアン・ミロより)
(参考文献:創元社・ミロー絵画を超えた絵画より)
(写真撮影:ほしのきらり)

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最終更新日  2022.02.28 08:53:45
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