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約半年間、日記を書く事を、止めていた。その間に劇的に変わった事が幾つもあって、私自身はもとより、周りはもっと驚いている。 今だから・・・というか、客観的になれたから、言える事は、日記を書き始めた事は、揺らいで仕方がない自分の内部に介在している何かを制御するためだった。自分の事であるのに、「何か」とは、確かにこれもまた頼りない事だけれど、軽い鬱病に悩まされ、精神的なバランスを保とうとして、恐らく日記を書き始めたのだと思う。毎日の自分を、或いは思う事を刻む事によって、多少なりとも、気持ちを軽くする事が出来た。 半年前、それまでの世界観なり何なり、私を形作っていた物差しに、激震が走った。その原因は、この約6ヶ月の間に、私は将来を伴にしようとしたい人を見つけた事。それから、自分のやりたい事をどうしても譲れなかったので、転職する事になった(来月から新しい職場に移る)。最後は、勢い終の棲家まで見つけたから、今更ながら、よくもやったものだ、と思って苦笑する。なんらやる気がしないが、仕事では時間に追われ、流され、自分を見失わないようにする為に必死だった昨年の今頃とは、随分違っている。 軽い鬱病は、快復している。まだ完治したとは言い難いと医者は言っているし、私自身がその事を自覚しているけれども、空が晴れていたらそれはそれで悲しく、曇っていたらうんざりして、雨が降っていたら泣き出したくなるような、要するにどうしてもマイナスに傾いていく精神状況からは、脱出した。 だからこそ・・・なのだが、色んな因子が絡み合って相乗効果を成して、事象として私は、世界に色がある事を思い出し、自分は何をしたかったかを思い出した。仕事の合間の転職活動は、私にいろんな人に逢わせてくれた。三ヶ月くらいで終るだろうと、根拠もなく高を括っていたが、結局半年近く掛かった。もっとも年度末・年度始めの決算期は、事務所に縛り付けられていたが。 先週末、運命的なものを感じると言っても良いほどの結果が、舞い込んできた。元々学校を卒業する時、ぜひとも行きたい会社に、この7月から行く事になった。5年越しに思いが適ったというと、ちょっと大袈裟だと思う。確かに就職活動をしていた時は、この会社から採用通知が来なかった事を、ずいぶん気にして落ち込んでいたけれども、今の事務所に入ってからは、そう日々思いを募らせていたわけでもない。「巨人の清原みたいだ」と誰かが言っていたけれども、それほどのものでもない・・・と思う。 全く違う世界に飛び込む期待と楽しみがあるけれども、不安はまだ実感しない。もっと具体的なアクションがあってから、たぶん不安を感じると思う。切羽詰らない今では、それは想像の域を出ない。勤まるかどうかは、無責任のようだけれども、やってみないと判らない事である。それは、会社側も私も承知で合意に達した。互いにリスクを背負う事を選んだ。私は彼らの期待に応えたいし、彼らも期待して、私のような素人を採った。期待に応えることが出来なければ、私がその仕事に合わなかった事を意味するわけだし、会社としては私をクビにするまでのことである。 ともかく、これまでよりもずっと必死になれる環境だというのは、揺ぎ無い。自ら選んだ道の責任を転嫁する事は出来ない。崖縁に立って、さて落ちない様にするための手段を考えている所である。 半年の激動は、残りの半年にも余震を与え続けると思う。少なくとも、向こう一年間は、歓喜、悲鳴、驚き、落胆、尽力の日々が待っている。 転機は期せずして訪れ、私を有無言わさず巻き込み、ここまで連れて来た。その転機をもたらした伴侶に感謝する。世の中の広さを、私の足りない物を教えてくれたから。 日記は、これから書けるときに書いて行こうと思う。日々の変化を自分の変化を。
June 12, 2005
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暫く、日記の掲載その他、HPのUPを休止します。あれこれが片付きましたら、また再開します。職場の窓から、ソメイヨシノの枝が見えるのだけれど、もう小さくとも蕾が姿を現しているのですね。春は近くて遠い。
February 5, 2005
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約一週間前にやっと、普通の状態に戻る事が出来た。あろう筈もないのに、風邪が治りかけの時は、「ずっとこのままなのではないか」などと、年甲斐も無くそんな事が脳裏を掠めていた。 元気になったので、それまで最低限、生命の維持のみに使っていたエネルギーをやっとほかの事も割くことが出来るようになった。国内外の友人・知人から来たメールや書簡や葉書を整理し、返事するべきものを選り分け、ダイレクトメールを捨て、バーゲンセールを知らせる葉書も、ちょっと躊躇ったけれども、ダストボックスに放り込んだ。 部屋と台所とお風呂をピカピカに掃除して、洗濯物を干した後は、何とも言えない爽快感を覚えた。空は素晴らしく晴れていて、空気は乾燥し、時折吹く風は頬に冷たく、「東京の冬」がそこにあったことを、改めて・・・いや、久しぶりに感じる余裕があった。 強風の中、アップダウンの激しい道を自転車で走り、荷物を届けた。太陽の光が眩しくて、陽だまりの中で信号待ちしている時、思わず深呼吸をした。幹線道路と高速道路の出口が交差するジャンクションだから、空気はけして美味しいとは言いがたいが、それでもなお・・・という気持ちが先にあった。 翻って、次の日の日曜日は、一日中家に籠っていた。テレビもつけず、音楽も聴かずに、友人へ出す手紙を数通ほどしたためた。久しぶりに直筆の手紙を書いたのである。機械に頼りきりの毎日、漢字が出て来ないとまで行かずとも、なかなか学生時代のようには、筆が運ばない。字も以前より少し下手になった気がした。大学時代、初めて一人暮らしを経験し、その不安や募る思いや捌け口の無い気持ちや、後輩への励ましの為に、毎椚かしらに手紙を書いていたというのに・・・・。 手紙を書き終えてからは、PCで処理できることに没頭し、気が付くとすでに午後の遅い時間になっていた。カーテンの隙間から外を覗くと、ちらちらと雪が舞っているではないか!しんしんと底冷えする原因を今更のように理解して、少し苦笑する。 友人から、電話が掛かってきた。ずっとしゃべっていないので、最初の声が上ずる。他愛の無い話をして、携帯を切る。静寂が戻ってきた。 夜の間は、ずっと前に読みかけていた本を拾い上げて、ページを捲った。記憶を手繰り寄せ、ストーリーを頭の中で再構成する。すぐに目の前の文字に追いつく事が出来て、ちょっとホッとする。 まるで正反対の二日間だった。それでも、その日のうちにしようと思っていた事はほとんどやり遂げる事が出来たので、清々しい気分になれた。 今朝、駐輪場に降りると、自転車のあちこちに滴がついて、早朝の太陽の光を浴びて煌いていた。サドルについた滴をふき取ろうとした時、それがただの水滴ではなく、小さく固まった氷の欠片である事に漸く気が付いた。天気の良い朝、放射冷却で昨夜まで降っていた雪が解けて水になったのが、再び氷の結晶となっていた。「うっわー」といいながら、それをふき取り、駅に向かって自転車を走らせる。風が切られるように冷たい。 職場近くで昨日書いた手紙を投函した。ポストに落とす時の「カタン」という乾いた音が、けっこう私は好きである。忙しい一墻がまた、始まった。 帰り道、薄暗く蒼い空を見ていたら、携帯が鳴ったので、出てみるとなんと今朝手紙を送った友人からだった。あまりの奇遇なことに、驚きながら友人の声を聞いた。 これまで周りを自分すらを見渡す余裕がなかった。目をそむけたことや、目を瞑った事、あしらったことが幾つもあったのも事実である。全てに対して全力を尽くすほどに私は能力はないのだが、少しずつ自分の全力を注ぎ込む事柄をきちんと見極めたい。 もう日付が変わった。休む事にしよう。
January 24, 2005
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狙ったかのように、週末は荒れ模様。ジッと家で本を捲ったり、ちょっと片付けをしたりする。 風邪は結局、一週間以上も居座り続けた。今も完治していない。忘れた時に咳が出る。 火曜日から今日までが、途方もなく長く感じた。病院で処方してもらった風邪薬の副作用にモロに当たって、眠気との闘いの連続。身体がふわふわと浮いている感じがして、階段などがちょっと怖かった。少しの距離の移動が、いつも何気なくしている事に、随分なエネルギーを遣っている。まっすぐ歩く事が簡単じゃないと思えたのに、遅刻もせず8時間勤務し続けた事が、不思議なくらいである。 「おはよ、どう?」と出勤の時にメールを送ってくるのは、前の部署の同僚。「まだちょっとキツイ」と返して、自転車で駅に向かう。天気がいい事だけが救いだった。けれど、その空の色や風に揺さぶられる枝の動きや雲の形に気を配ることが出来なかった。俯き加減で、足を前に運ぶ事に一所懸命である。 新しい職場の面々と馴染むためのコミュニケーションをとる余裕もなく、机にへばりついていた。時折の来客にも、失礼ながら、マスク姿で接するしかない。 そうこうしているうちに、隣に座っている同僚も風邪で休んだ。何となく複雑な心境になる。うつさないように気を配っていたのだが・・・。 火曜日に、歓迎会があった。クルーザーに乗って世界を旅行しながら、クルーザーでコックしていたというオーナーが経営するシーフードレストランだった。メニューなどが表に掲げている看板に、わざと間違ったスペルの英語でメッセージが書かれている。オーナーが言うには「こういう間違いって、一番ムズ痒くなる間違いなんだよね」という間違い。それが気になってお店に入ってくるお客さんも少なくないとか。人数が少ないから、ささやかながら温かいおもてなし。お店のレイアウトや置いてある小物やインテリアに囲まれると、友人の家を訪ねたような感覚になる雰囲気だった。これで風邪じゃなかったなぁと思いつつ、美味しい料理を食べた。 週末まで身体の芯から熱が抜け切れずに、肩で息をしながら静か過ぎる執務室の中で居るのは辛かった。ブランケットの中にうずくまっていた。夕食の約束をキャンセルして、ベルが鳴ると同時に職場を離れた。すぐ目の前に副都心の高層ビルの明かりが、飛び込んでくる。つい先月まで通っていた職場がその明かりの向こうにある。ただ、その光がなぜか遠くにあるように、駅にたどり着くまでの道も果てしなく遠いと感じた。余裕をなすことがこんなにも容易く起こる事を、改めて感じながら、帰りの電車の中で、ドアにすがり付いて目を瞑っていた。 金曜日の夕刻、打ち合わせで元の部署に行った。新しい環境に素早く適応するのは決して巧い方ではないから、元の部署に行く事があまり嬉しくなかった。懐かしい面々が仕事している傍で、打ち合わせ。当然のことながら、チョッカイを出してくるのが、一人や二人ではない。 「もー来るなら来る前に、一本連絡下さいよ、ちゃんとホワイトボードに書いておきますから」などと後輩に言われながら。 打ち合わせが終った後、かつて自分の机だった所を通って帰ろうとすると、「晩御飯、行こうよ」と声がかかる。「俺、チャーハン食べたいんだよ、今朝から」まじめな顔して、そんな事を言う。「風邪、うつるぜ?」「あー大丈夫、問題ない」半ば強引に、よく行っていたラーメン屋さんへGO。 「向こう、どう?」「う~ん、まあまあかな?っていうかとりあえず風邪治さないと」「やったことがある仕事でも、忘れている事が多いからね、俺もリハビリしないと・・・」現場を離れて久しい同僚二人が、来春から現場に復帰する。一人は今、うちに出向しているから親元に帰り、一人はうちを辞めて新天地へ行く。だから三人で、時にはもう2,3人が加わって騒ぐ事が、もうすぐ簡単に出来なくなる。その事を敢えて口にはしないけれども、ラーメン屋さんから私は帰るために駅に向かうと、二人が送ってくれた。「いいよ、寒いのに悪いよ」と言ったけれども、「いいじゃん」と二人が本当に駅まで送ってくれた。「早く風邪治せよ」と大きく手を振る二人にちょっと照れながら、帰路に着いた。 もっと大人にならないとなぁ・・・・もっとちゃんとしないとなぁ・・・と思いながら過ぎ行く車窓の景色を、久しぶりに眺めた。
January 15, 2005
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4日から仕事が始まった。1日付け(サラリーマンは、反射的に「いっぴづけ」と読んでいるに違いない)でこれまでの部署から新しいところに遷った。 12月末、頭では「異動する」と解っていたから、書類を整理したり、他人には絶対に見せられない程に乱雑なデスクの抽斗を掃除したり、要らないものを捨てたり、引継の書類を作ったりしていたのだけれど、一方ではちっとも実感が湧かなかった。本当に、異動するのだろうか?と、可笑しい位に自分でも訝しがった。 現実は、厳然としてそこにあった。辞令を貰って、それから新しい職場に行く。だから4日はいつも通いなれた道を歩きながら、「この道を次に歩くのは、さて何時かな?」と思い、頭を廻らし気にかけたことも無い建物の形や屋根の色や広告の文字などに目を配ったりした。見上げたビルの天辺と空を繋ぐ空気は、複雑に乱れていた。髪をクシャクシャにされながら、ビルの中に入った。 辞令は口頭伝授。もっとBIGな異動なら(例えば、海外事務所に転勤とか、長期留学するとか)B5版位の「どこそこに配置換えする」なんて一文が恭しく記されている厚紙を貰うのだが、私のようにかなり「微」異動は、直属の上司から形式的に口頭で伝えられるだけである。味も素っ気も無い。が、課長から「じゃ、そういう事で」と言われた瞬間、彼は厳密に言って、もう私の直属の上司ではなくなっていた。 「じゃあ、ちょっと挨拶廻りしてくるから」目がウルウルになっているY嬢の肩を軽く叩いて、お世話になった上司・同僚達へ報告の巡礼に出た。出かけの私の背中に「人事課行ってこいよ」という課長の声が張り付いた。-解ってるさ、言われなくても行くつもりだよ。 あちこちのフロアーで同僚や同期に「今日異動だよ」と頭を下げたりして、冗談を飛ばしたりしていた。一つずつ、廻る部署が減っていく。一人ずつ挨拶する人が減っていく。 人事課の課長室のドアをノックした時、「あ おはよう」とK課長が言った。かつて直属の上司だった課長である。彼の下で自由に好きな様に仕事をさせてもらった。極短い期間だったけれども、Kさんが課長だった時は大変だったけれど、楽しかった。 年の割には童顔で、柔らかい髪は天然のウエーヴでふわふわ。度のキツイ眼鏡がいつもずれ落ちそうになっている。彼の顔を見た瞬間、涙がどっと溢れ出た。何時もと変わらずニッコリとしているKさん。その彼の前でしゃくりあげながら泣いてしまった。「仕事ネタ」で泣いたのは何時ぶりだろう? 「やっぱ、淋しいか」柔らかいKさんの声が耳に届く。涙で視界が歪んで、Kさんの顔をまともに見ることが出来ないから、だた黙ってうなずいた。「また、戻ればいいさ、希望して戻れば・・・・自分を大事にして」 涙声ながら、Kさんと少し話をして、「古巣」に帰った。普段の風景が刻々と特別な風景に変わっていくのかと思ったけど、現実とは常に理想と乖離した存在である。そんな感慨深い事を言っている暇もなく、午前の残りの時間で引継ぎをする。 私の後任の単純増員がないから、あちこちにバラけた私の後任に仕事の中身を説明していく。伝える方も伝えられる方も必死である。 「じゃ、またね」・・・・正式に私は古巣を去った。ただ時間がお昼休みだったので、何処かに外勤に出るように、机でお弁当を食べている同僚に手を振って、ドアを閉めた。(古巣が恒例でやる「拍手で見送り」が気恥ずかしかったから、人の居ない時間にした。) とは言え、4日から7日までは、午前は新しい部署に行って、午後は古巣に帰って残務整理の生活だった(あまつさえ、7日なんかは元々担当していた案件の会議に出席すらした)。古巣のホワイトボードから私の名前を貼ったマグネットを外したのに、一番下の欄に何時の間にか、私の名前が書かれていて、「15時半 戻り」なんて書いてあったりする。「え、だって兼務でしょ?違うの?」などと冗談を言う同僚も居る。新しい職場と古巣は、駅一つ挟んでいるだけの距離だから、物理的に兼務しようと思えば出来なくは無いけれど、制度上それはもちろん・・・不可能である。 戸惑いばかりの新しい職場(輪ゴムがどこに仕舞っているかも解らないのだから)と勝手知ったる古巣。奇妙な間隔の間でたゆたっていたら、風邪を引いてしまった。 「風邪を引いた時とワインのコルク栓を抜く時、男性が居るといいと思うわ」とのたまわったのは、我が友人の元彼女である・・・そこまで言わないにしても、確かに独り身で風邪を引いた時は辛い。熱があると解っていても、「それなりの事」をしなくっちゃいけない。 7日の夜、ふらふらになりながら、水と野菜ジュースと栄養ドリンクを買い込んで、直ぐにベッドに潜り込んだ。浅い眠りと何かを象徴しているかのような夢の連続。荒い息、額の汗に粒。幼い頃、風邪を引いた時の事が脳裏を掠める。この苦しい状況が果てしなく続くんじゃないかと思って、苦い薬を飲んで泣いた夜など。 そして、今日からは完全に新しい職場に異動した。相変わらず前の部署から、問い合わせの電話が来る。一方で、新しい人間関係を築くのにも必死である。一つ一つの作業が手戻りが多いから、時間が早く過ぎていく。風邪がまだしつこくて、咳をするから体力が消耗する。電話の声が小さくなって「しおらしい」。きっと元気になったら、私の印象は違ってくるだろうけれど。 兎に角・・・新しい職場に慣れること、それより早く風邪を治すことに専念する。決まって冬に風邪を引く。それでも凛とした冬の空気が、わたしは好きである。
January 11, 2005
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静かに、今年が始まった。2002年から2003年にかけての年越しは、大騒ぎしながらネットも繋いで、遠くに居る友人達と12時までのカウントダウンをして、おめでとう!と挨拶を交わしたっけ。 去年から今年は、静かに過ごした。年越しするという事と別のところで、気になることがある。まだ、スマトラ島地震で、関係者の消息がわかっていない。同僚が緊急援助隊としてタイに派遣されている。彼らには年越しの事は、二の次になっているだろう。派遣される前の日、同僚は後輩たちと鍋パーティをしていた。その時に「現地に行ってほしい」という連絡が彼のところに届いた。 「まあ、仕方がないな。正月は海外だな」と苦笑して、翌日召集に応じて出発した。 彼らが、一人でも多くの生存者を見つけて、彼ら自身が無事で帰国する事を祈っている。彼らの仕事は私達の仕事だからというわけではなく、彼らの切なる願いが届くように、祈りたい。
January 1, 2005
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久しぶりに日記を書いている。異動のあれこれで、家に帰れったら眠るだけの日々がずっと続いていた。 帰宅の道で、トンネルの出口のような、銀色に光った月を見たり、隣のマンションの垣根を覆って綺麗に咲き乱れる深いエン地色の椿や、落ちた花弁と日陰になったところに残る雪のコントラストが美しかった事を心に留めていても、それを書き残す事ができなかった。 年末と異動が重なって、心中を去来するものと実際に目の前で動く物事の慌しさに呑まれていた。 今日もなんだかんだと言いながら、窓に降り注ぐ雪(これは・・・チューリップの歌詞だったな)を見ながら、最後の書類を作っていた。静かにしんしんと降る雪、道路を通る車の、いつもと違うザクザクという音。窓を開けると、キリッと凍えた空気が部屋に舞い込んだ。 凛としている街を見た。大晦日だから道を歩く人も少なく、道に積もった雪に残る轍も幾筋のみ。思ったよりも雪は白く綺麗に積もっていた。鉛色の空から降り続く雪の白さが、なんだか不思議だった。 さっき友人から「今から帰省する」のメールが何通か舞い込んだ。海外で過ごしている連中からはクリスマスカードが届いて「年賀状は書かないからね」などと言って来ている。 暖かい窓から零れる電灯の色・・・・みなそこに向かって家路を急いでいるのだろうか。 忙しい、忙しいとつい口に出して零していた一年だった。今年の正月のことが、未だ鮮明に思い出せるほどに、あっという間に過ぎてしまった。 一つ一つ、積み上げていくように、ゆっくりとでも、着実に前へ向かって進もう。
December 31, 2004
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朝から職場の空気がソワソワしていた・・・・なんてことは、なぜかしら我が職場では起こらない。極々普通に仕事をして、極々普通に就業時間が終った後に、ささやかながら、会議室で紙コップのビールやお茶と、そして簡単なおつまみとお菓子で「ご苦労さん」会をした。 大きな世帯だから、会議室全部には入りきらないし、乾杯だけして、早々に仕事に戻る人もちらほら居た。良くも悪くも、伝統的な縦社会の仕来たりは取っ払われていて、随分みんな好きな様にしている。部長やその他管理職は、「公務」だからずっと会場に張り付いていたけれども。 私も、乾杯もそこそこに、ウーロン茶の入ったコップを席に持って帰って、仕事を再開させた。厳密に言ってもう正式に今ある机で、今の仕事をすることは、ない。だが、引継ぎのための資料作りや、事実として動いている仕事を片付けることを止めるわけにはいかない。PCの画面に向かってせっせとキーボードを打っていたら、派遣の女の子が三人、席に来た。いつもよもや話をしたり他愛のない会話をしたり冗談を言い合っていた彼女達。 「どしたの?」「お餞別、渡しに来たの」そう言って手渡してくれた可愛いキーホルダーと小さな箱。「いつも、私達の事、気に掛けてくれていたから」・・・一番年上のお姉さんがそう言った。「私だって、気分転換に遊んでくれたので、助かってたよ、ありがとう」「ハグした~い」なんて天真爛漫な事も言っていた。「いいよ」と三人とハグした。「そこだけ女子高になってる」と通りすがりのこれも自分の仕事に戻ってきた先輩が言っていたのも構わずに、力を込めてハグハグ。 「また、来年の年明けには来るから、辞令を貰いに、ね」そう言って、彼女達と手を振って別れた。大袈裟にするのは照れくさい。だけれど、もう少し長くは見ているだろうと思っていた風景が、もう最後なんだと思うと、少しだけしんみりする。二年半前、わけもわからず異動してきたのに、今や古株に数えられるのだから・・・。 また夕刻の入り口だったけれども、辺りはすっかり暗くなってミラーになった窓をちらっと眺めた。異動することがわかっていて、そのための荷物の片付けや書類の整理や挨拶をしているのに、実感が全然湧いてこないという不思議な感覚にずっと包まれていた。今の部署を離れるのがいやだからなのかもしれない。けれども、そんな事はこれから先も起こり続けるのだからと、心のどこかでブレーキをかけている。 いい仲間に巡り会えた。いい仕事を持つ事が出来た。だから、私は幸せだったというべきだろう。 「昔、旅人が通る街道には一里塚っていうのがあったんだ、そこには大きな常緑樹が植えられていて、旅人はそこで一休みして疲れを癒したりする。そこは日陰にもなるからとても居心地が良くて・・・だけどそこにずっと居るわけにもいかないんだよ」---こんな行の文章を本で読んだ事がある。今いる場所がとても居心地がいいのは、解るけれども、でも、そう私は何時までもそこに居るわけには行かないんだ。 「最後の飲み会だ、付き合えよ」と言って来たのは、別の先輩だった。また会議室に戻ると、随分と「出来上がっていた」隅っこの方に居たら、部長が「君に挨拶してもらおうかと思ったけど、また来るんだもんな、そんときでいいよな」と言った。部としての正式な歓送迎会を多分、年明けにやるから、その時にということだろう。頷いている傍に、今度は理事が現れた。「異動するんだって?あのさ、君を採用したのは、僕なんだよね」と相変わらず、全然違う事を一遍に言う。「僕さ、生意気なのが好きなんだよ、だから君を採用したの」もちろん彼一人の意向で採用されたとは思わないのだが、彼の場合、口下手だから「気にしているんだよ」という事を言い表すのに、そういう台詞を遣う。しかし、採用試験のときは随分気を遣って控えめにしていたつもりだったのに、それでもやっぱり「生意気」だったのか・・・反省せねば。談笑が尽きないのが、徐々に辛くなってきた。この空気、この雰囲気、この喧騒から、私は年明けには離れることになる。 「呑みに行くよ、ほらほら」未練たらしく机にしがみついている私に、一番仲の良い同僚が私のコートを投げて寄越してきた。「どうせ、明日も明後日も片付けに来るだろ?」「あ、うん」一番付き合いの長い3人と思い出横丁へ繰り出す。底冷えする空気の中を、御用納めの昂奮冷め遣らぬままに。色んな事を話した。色んな事で笑った。衒いもせず、ただいつもと同じように、楽しく。途中でもう一人が合流した。気が付けば、「いつも夕飯を食べていたメンバー」だった。 「俺達は、朝まで飲んで帰るから、君は先に帰れ」と駅近くまで送ってくれた。「また、来年!良いお年を!」手を振って私は駅構内に向かった。 まだ、片付ける事があれこれと残っていたけれども、そんな事は別にして、彼らの笑顔がいつまでも脳裏にちらついた。彼らに出会えたことに感謝。
December 28, 2004
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街のイルミネーションがもっとも輝く日。ただ、しかしだ・・・その盛り上がりにいまいち入り込む事が出来ない。クリスチャンでもないのにクリスマスイブに盛り上がるのはどうか、などというつもりはない。騒ぎたい人はそれはそれでいいと思う。ただ、こんな日に一人で居る事が酷く目立つのが、どうにも・・・。 でも、まだ良い、まだマシだ。去年のクリスマスイブに比べれば。 去年のクリスマスイブは、会議をしていた。ポーランドと中国への出張に追い回されて、別件の会議を何時に設定するか、アシスタントとその別件に関わっている人たちに、日取りを任せたら、中国から帰国した日に言われたのが、「24日に会議」だった。しかも午後6時開始である。 「おいおいおい」予約していたレストランも、これでご破算、用意していたプレゼントを渡すことすら覚束無いのではないか? 「信じられない」と呟くのも、通り越した。いや、いいんだよ、別にそう俗っぽく盛り上がるつもりなんかじゃなかったんだから、いいんだよ・・・だけど!である。 イライラしながら、6時前には約束を履行出来ない事を、約束していた人に告げると「やれやれだねぇ」と苦笑をもらしていた。「ま、仕事なんだから仕方がないね」 会議に集まった「おエライさん」たちは特になんともない顔をしていた(そりゃ、そうだろ、彼らにはもう関係のないことだ)。そのうち一人だけ一番若い人がちょっと居心地悪そうにしていた。私と目が合うと、ぎこちない笑いを浮かべていた。「解るよ、その気持ち」 会議は、ゴタゴタ続きで、終ったのが8時半過ぎだった。二時間半も、色気も素っ気もない話をし通しだったのを、鮮明に憶えている。そして会議終了を告げると、一番若い先生が、ダッシュして会議場を出て行ったのも可笑しかった。私もダッシュして行きたい気分だったけれども、後片付けだのなんだのと、結局9時過ぎまで職場に居た。 「あれ?よかったの?今日こんな時間まで」と課長の無邪気なまでに無神経な発言に脱力する。「良いわけないですよ・・・約束は全部キャンセルしたんですよ」「そっか」「仕事が先ですからね。24日は外せって言わなかった私も詰めが甘かったんですから、それでは失礼します」 あたふたと、コートを着こんで、外に出る。「待ってるからね」と言ってくれたあの人のところへ急ぐ。折角予約したレストランも吹っ飛んで、時間の余裕も殆ど無いから、走る。走る。 「そんなに・・・お疲れ様」彼の居る深夜営業しているカフェにたどり着いた時、私は肩で息をしていた。彼は苦笑していた。「ご飯は?」「うん、適当に食べたよ。君は?」「ああ、適当に済ませた。ごめんね、こんな日に」・・・・ それに比べて、今こうして書類を見ているのは、まだいい。自分の意志でそこに座っているのだから。いつもより残業している人の少ないオフィスで、異動のための準備をしている。ディボースして独り身の先輩がちらっとこっちを見る。こっちもちらっと見る。静かな職場で仕事に没頭していると、がやがやとうるさい声が徐々に大きくなってきた。「お~帰ってなかったの?」親友のNさんが他の同僚と一緒に戻ってきた。「帰れないよ。っていうか、どこに行ってたの」「うん?ラーメン食べてきた♪」「あ、そう」「なんなら、呑みに行こうか?」「いい、もうさ、何日間Nさんの顔を見ながらご飯食べていると思ってるの」「良いんじゃない?別に。オレは平気だよ」「その超がつくほどの前向きさ加減が理解できない・・・」 普通に仕事して、普通に過ごしたクリスマスイブ。金色銀色、その他の鮮やかな電飾を纏った樹木を遠くに見ながら、それでも私は、幸せを感じていた。
December 24, 2004
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今日は、二ヶ月も前から約束していた同僚仲間でのクリスマスパーティーの日である。それに私の壮行会がプラスされた。 「お店は?」朝、職場に着くなり、仕事よりもその後が気になって仕方がないTさんがさっそく幹事のU君に聞く。「準備OKです」クールなU君がそう応える。まるで小学生のようなはしゃぎようなのだけれど、それは私も同じである。パーティに参加する予定の面々もそれぞれにお洒落をしてきている。 今日ばかりは、仕事も忘れて定時になった途端に書類を片付ける。課長が歩み寄ってきたけれども、それを制して「すみません、今日はどうしてもちょっと」と言って愛想笑いを浮かべて、一礼して「逃げ出す」。今日は、みんな揃って騒ぐんだから! 忘年会でにぎわう街をクリスマスプレゼントを抱えて歩く。あちこちに数人ずつ固まっている中を会場へと急ぐ。まだ早い時間なのに、すでにできあがって大騒ぎしているサラリーマンの一団、甲高い声を上げているOLの数人、浮き足たっている温かい夜の街に繰り出す。 「そろそろさ、プレゼント交換しようよ」「そうだった!」くじ引きで、文字通り山となっているプレゼントの中から自分の引いた番号の箱や色とりどりの袋を取り出す。私が貰ったのは、犬のぬいぐるみを被ったマウス。私がプレゼントしたのはTASCHENのカレンダーとスマイルクリップとマグネット。シャンペンあり、健康グッズあり、マドンナが描いた絵本あり、バスセットありと、それぞれが忙しい中で選んできたプレゼント。 「それで・・・ユキムラちゃん」とTさんが私の方を見る。「これは、みんなから君へのプレゼント」と手渡されたプレゼント。包み紙をとると、チョコレート色の箱が現れた。RONSONの文字、開けると繊細な模様が施されたシルバーのライターが。19世紀末からメダルワークを手がけてきたRONSON社が、1927年に世界で初めてワンタッチ着火ライターを作った。その名はBanjo。その2004年ヴァージョンが鎮座していた。嬉しさの余りに、声が出なかった。「それ、ユキムラには、解るよね」「ああ、もちろん・・・解るよ。あ、ありがとう!」やっと言葉になったけれども、嬉しくて涙が出そうになるのを堪えるだけで精一杯だった。適度な重さ、美しい装飾、しなやかなライン、手に持った時のある種の温もり・・・古き良き時代を生身で知らない私でも、その歴史の重みはわかる。それと共に、同僚仲間達の思いの重さも伝わってきた。「いつも、僕達のお守りをしていたから」なんて事をいつも冗談ばかり言ってみんなを笑わせるNさんが言う。「これじゃ、タバコやめられないね」と言ったのは、多分、このライターを選んだと思われるTさんがにっこり笑っている。「やめない。喩えやめてもこのライターだけは絶対持ち続ける」 「はいはい、稲庭うどんがのびるから、食べようね」察しのいいU君がウエイターの持ってきたうどんをみんなのお皿に分け出す。それからまた談笑が始まった。 時計が12時を回るころに解散となった。 深夜のまだ賑わいに飽き足らない喧騒の街を一人で歩いて駅へと向かった。工事中の迂回道を通った時、誘導灯の明かりが消えた。空を見上げた。ポケットの中の箱に手を伸ばした。気が付くと口元が笑っていた。
December 22, 2004
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余りの忙しさに、一週間も日記を付ける事が出来なかった。付けたとしても、仕事の事ばかりで彩色を欠く内容になってしまっていただろう。職場と家とを往復しているだけで、そこに何の意味があるのかなど感傷に浸る暇すらなく、押し寄せる波際に、片足で立っているような危うさの中、日々すれすれのところで辛うじて過ごしていた。 直属の上司が一週間、出張していた。その間、鬼のいぬまのなんとやらで、あれこれ片付けをしていた。夜も仕事したいと思いながらも、異動を聞きつけて、「ご飯に行くよ」と誘われるのを無碍に断る事も出来ず、バタバタしながらほぼ連日、同僚やかつての同僚たちと宴会をしていた。みな、私がお酒を飲めない事を知っているから、ちゃんと食事の出来る所に行くのだけれど、近場では飽き足らず二つ向こうの駅まで遠征もしたりした。その時間その時間では楽しいのだけれど、頭の隅で仕事の事がいつも引っかかっていた。切り替えが下手なところを、直さなくては。 先週一杯で、ひとしきり整理はついた。そして異動の話しがある前から決まっていた富士急ハイランドに土曜日、同僚数人と行って来た。同じ面々であちこちに遊びに行って来たが、昨日が最高の天気だった。 高速バスの車窓から見える富士山。最初は微かに青みがかっていて、そのうち山頂の雪とその下の粗い地肌の区別がつく様になり、富士急ハイランドに到着した時は、麓から見上げるほどに近い事に驚きながらも、その雄姿をつくづく眺めた。「なんで、日本人は、富士山が好きなのかな」「う~ん、なんでだろうね」「でも、綺麗だね」生後から小学校までアメリカで過ごした後輩が「ニッポンの心だよ」と言ったのには、なんだか笑えたのだけれど、それが真髄なのかもしれない。 あれほど間近で富士山を見たのは、私は初めてだった。稜線が美しく、ほぼ左右対称に裾野に向かって広がって、太陽に照り付けられた山頂の雪が光っているのが解った。幾筋か、千切れた雲が丁度、雪で覆われた部分とその下の部分の間を緩やかに泳いでいた。どこまで広がる空は紺碧で、深い山間の緑と織り成す風景にしばし見とれていた。 その後は、「童心に返って」世界最大級のジェットコースターに挑んだり、屋台のやきそばやフランクフルトをみんなで食べたり、ゴーカートでレースをしたり、最後はスケートリンクで久しぶりに銀盤の感触を味わったり・・・・。歓笑の声が絶えず、ジェットコースターでは日頃の鬱憤を晴らすかのように大きな声を上げていた。仲間うちの一人がどうしても乗らないと言い張ったが、とりあえず乗り場までは「連行」したけれども、どうしても乗れないと首を横に振る。あまり無理を強いるのもと思っていたら、ジェットコースター乗り場のところに「チキンウェイ」と書いてある出口があるのを見つけた。「チキンといわれても良いのか!」と一人が言うと「チキンでもいい!」と彼女は即答する。「しょうがないなぁ、じゃ行って来るね」と言いながら、Sさんを置いて3分36秒の旅に出た。スリルとスピードを味わう前に、近くに聳え立つ富士山に目を向け、眼下の森林に目を向け、遠くを望み、空気を吸い込む。後は、アップダウンと横から来るGショックに揺さぶられながら、楽しんだ。その後は、Sさんでも楽しめるアトラクションを周って、最後にもう一度フジヤマに乗ることにした。コースはもう知ってるけれども、夕刻の風景は真昼とはまた異なる。ライトアップされたコースが、錯覚から宙に浮いているように見えるので、ドキッとする。そして最大の誤算は、寒さだった。日没後ぐっと気温が下がっていたけれども、遊びまわってそんな事を気にも留めなかったけれど、いざ出発の時に「風が冷たいね・・・」と言ったときにはもう遅かった。頬を撫でるのではなく、鋭く掠めていく風を受けながらの一周となった。 口々に「楽しかったね」と言いながら、帰りのバスに乗った。中央高速を東へ東へ。車内は次第に静かになり、隣に座ったどうしてもジェットコースターに乗らなかったSさんが規則正しい寝息を立てていた。しばらくするとほぼ暗闇だった車窓の外に、明かりがぽつぽつ見え始めた。その後すぐに遠くに林立するビルが視界を占領する。高速を降りたと同時に、見慣れた風景(毎日通勤で通る道など)に包まれ、現実に戻った。 実を言えば、木曜日の辺りまでは遊びに行くのを断ろうかと考えていた。急いでも書類の整理や引継資料の作成をしている傍らで通常業務をこなしているから、落ち着かなくてつかれきっていた。できれば土日は家で寝ていたいと思っていた。が、金曜日の朝「明日楽しみだね」とニコニコしている後輩の顔を見てしまったら、断れなくなった。そして断らないで、遊びに行って良かった。過ぎ行く景色を見ながらそんな事を思っていると、通路を挟んだ反対側に座っている同僚は、すでに「次、どこ行こうか?」と気の早い相談を始めていた。 何処に行くにしても、あの面々となら、特別で楽しい時間を過ごせるに違いない。 さて、明日からはまた「日常」が始まる。
December 12, 2004
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一昨日の強風、被害は傘一本。ドアの外に掛けていたら、見事に骨組みがやられて、修復不可能になった。深夜ふと目が覚めた時の吼えるような音が風だということに気が付くのに少し時間が掛かった。 昨日は出かける用事があったのだが、真っ青な天井のその向こう、北の空に冬にはまず見ない雲が湧きだっていた。駐輪場近くの桜並木、枝に残っていた葉は僅かになっていた。枯葉舞う中、暖かすぎる風が吹きぬけていく。 今日はまた冬が戻ってきた。星の煌きも「それらしく」なっていた。 引継ぎの準備を本格的に始める。ファイルに綴じた書類を選り分けていく。着任したばかりの時の、まだ訳のわからない時につくった文書などが出てくると、懐かしいと思う前に恥ずかしくなる。拙い、なんとも要領を得ない文章だなぁと思って、裏返しに「要らない」方の箱に入れる。 ひとつひとつじっくり見ている暇はないのだけれど、その時々のことが脳裏を過ぎる。もう二度と見たくもない文書も幾つかあった。まだ「振り返れば懐かしい日々」になるまでにはもう少し時間が要る。あの時の痛みや苛立ちや苦しさが先行して甦ってくるのは、まだ私が幼いからなのかもしれない。 「引越しの時に、本棚の奥から忘れてた文庫本を見つけたときみたいでしょ」と同僚が言った。まさにそんな感じである。温か味のある書類などはないのだが、関係者とのメールのやり取りなども幾つか残っていて「ああ、こういう事もあの頃は解っていなかったんだなぁ」と苦笑するばかりである。今、熟知していると自負するまでいかなくても、今の部署で起こりうる事については、大抵は経験したから、ほんの少しは成長したのかもしれない。ただ、むしろ自分の苦手としている事がなんであるかも、よく解った。 明日も、抱えている案件のファイル整理の続きである。同僚と同じように、離れがたいが、記録にも記憶にも確かに、それらの仕事は私がした事は残っている。それを糧にこれから、歩き出そう。
December 6, 2004
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久々に、終電近くまで騒いできた。お酒は飲めないのだけれど、そんな事はちっともマイナス要因にはならない。気の合った同僚数人で、ただただ楽しく騒いだ。涙が出てしまうほど笑い転げる事が次々に起こる。狙って笑いを取ろうとしているわけでもなく、機転の利いたジョークが飛び交った結果である。厭な事も仕事で悩んでいる事もしばし忘れて、楽しむ事に専念した。 「ここのところさ、Nさんもちょっと疲れてたみたいだったから、今日は飲もうかって話しだったんだよ」帰り際にTさんがそう私に告げた。どちらかというと「飲み会だから、来い!」と言われて「あ、うん」と返事して控えめにしている事が多いTさんが発起人だったことも珍しい。クールに一歩引いて物事を見る目を持っている彼だからこそだったのかもしれない。 確かに、恐らくいま我が部署で最もややこしい案件を抱えて、それだけに時間を掛けられるのならまだしも、それ以外にもあれもこれもとなっているNさんは、身体にも変調があるほどに疲れていた。集まった面々も、一つか二つ頭を抱えてしまうプロジェクトを背負っている。私も例外ではない。悶々としながら、上層部に対する不満(ぺーぺーは常に持っているものだ)をストレートに吐き出すわけにもいかず(サラリーマンだからねぇ)、眉間に皺を寄せて席に座っていることが最近増えていた。 タイミングは、抜群によかった。かといって飲み会の席で仕事の愚痴、上司の悪口が出るわけでもない。それも忘れて大騒ぎした。 アルコールを一切口にしなかったにも関わらず、店の外に出た時、上気した頬を撫でる夜の風は心地よく感じられた。「ちゃんと送っていくんだよ!」駅の前で別の線に乗る同僚が、私と同じ方向に帰るNさんの肩を叩きながら言った。どっちかというと、私が彼をちゃんと電車に乗せなければならない状況だったが。 今、こうして当たり前にしている事が、この瞬間がどれほど貴重なものかという事を、おそらく少し経ってからその真価をしみじみと感じるだろう。彼らの存在が(時には私の存在が)それぞれに影響を与えあっている事、刺激しあっていることが、財産になっていく。Nさんは3月一杯でうちの組織を去る。もう一人の同僚も、来年4月から「親元」に戻る事が決まっている。そして私は今月で最後。散り散りになっていくけれども、彼らとは仕事上の同僚としての付き合いだけで終らなかった事を感謝している。 日付の変わった電車は割りと混んでいた。家の最寄り駅に降りたとき、すぐに半月がおぼろげに輝きながら揺りかごのように空に掛かっているのが見えた。凛とした冬の月というよりもまだ秋の余韻が残る月光。 家にたどり着いた時、改めて空を見上げると、頭上にオリオン座が冷たく瞬いていた。気の遠くなるような宇宙の彼方から地上に届く光。多分私が一番先に家に着いただろうけれど、一緒に楽しい時間を過ごした仲間もどこかで、この夜空を見上げているといいな、と思いながらドアの鍵を開けた。
December 3, 2004
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と言っても、年賀状のことではなくて・・・引継ぎの用意。自分の分身のように進めてきた仕事を、後任の方に渡し訳だが、その後任が一体誰になるのかが、現時点でまだ詳細は不明という恐るべき事態なので、一方では引継ぎ書を作成し、一方では担当としてプロジェクトを動かしていくという状態。そして年が明けたら、新しい部署に行くのだけれど、暫くは、本店と支店の間を往復する事になるであろう。一度異動というものを経験しているので、何を残されたら「いやな感じ」になるのか、という事も解っている。面倒な仕事であっても、プロセスと抑えるべきツボが何処なのかを明確にして、スムーズに仕事に入っていけるようにしようと思う。 たまたま廊下ですれ違った同期と立ち話になり「僕も、前任の悪口を言ったし、僕も多分後任から言われているだろうけどね。ちゃんと渡したいよね」と彼が言っていた。当にその通りである。仕事上の接点という意味では、バトンを渡す相手というのは、瞬間的だけれど、しっかりした結合でなくてはいけない部分である。 「本業」の方で、夢中になってエクセルを触っていたら、帰宅がこんな時間になってしまった。週の半ばも過ぎ、ちょっと疲れたので、冴えない文章のまま、今日はおしまい。
December 2, 2004
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朝、いつものようにメールを開いて、送られてきた専門雑誌のメールマガジンをぼんやり読んでいたら、上司に呼ばれて、隅に連れて行かれた。この時点でどういう話なのか、大体の予想はついていたが、それが的中した。異動の内示が出た。1月1日付け(!)で、他の部署に遷る事になる。本店が入っているビルからも離れる事になる。とは言っても、異動先は都内だし、仕事で何度も通っているところで、通勤時間は今かかっている時間とさほど変わりもない。 実質年明けから、新しい部署に行くのだけれど、そう思うと、乱雑に散らかっている机の上の書類が、足元においてあるファイルが、まだ片付けなければならない仕事が愛しく思えてきた。今の部署では私も「年長組み」に入るので、いつ動かされても不思議はなかったし、前々から「予定」されていた事ではあったけれども、やはり現実となると、随分感覚は違ってくる。丹精込めて育てたプロジェクトを誰かにバトンタッチする事になるし、そもそも物理的に、机の周りも机の上も整理しなくっちゃ! それから、ぐるりと課内を見渡した。半分近くが出張で国外に出ているが、ユーモアがあって知的で、冗談が好きで騒ぐ事が好きな同僚たちと別れることに、若干胸が詰まる思いだった。何時かは異動するし、ずっと同じメンバーで仕事をしていく訳には行かないのは解っていたけれども、それでもやはりこみあげてくるものがあった。 まだ実感はない。しかし、引継ぎがスムーズに行くようにそろそろ整理を始めなくてはならない。異動先でどういう仕事をするのか、さっぱり解らない。これはうちの組織があれこれと手広く仕事をしているせいもあるのだけれど、部署を異動したら、全く違う会社に入ったような状況になることが多い。今の部署に来た時も、同じだった。何の書類をどのように何時誰に提出したらいいのか、さっぱり解らなかった。 席に戻ってから、読んでいるマガジンを閉じて、仕事でお世話になった方々にメールを出した。本当は書面で出すのが礼儀なのだが、その時間がない。思いつく限りのアドレスを打ち込んで送信したら、間もなく何通かの返事が来た。ありきたりの挨拶もあれば、「淋しくなる」というのもあって、「君の異動のメールを見るのは二回目」、「打ち上げやらなくっちゃ!」「壮行会をしよう!」などなどそれぞれの個性がある返信が面白くもあり、淋しさを募らせたりもした。 新天地で何が待ち受けているだろうか。夜の清々しい風が額を打つとき、未知の世界と今居る場所の間でたゆたう気持ちがあふれ出した。
December 1, 2004
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体調が優れず、今日は午後から出勤。やる事は山ほどあって、午前休をとっただけなのに、INBOXには書類やら、手紙やらが積まれている。PCを立ち上げる間もなく、受付から呼び出しがあって、届けられた書類を受け取る。 席に戻った時、周りを見渡すと、殆どの人が居ない。毎度の事なのだが、なぜか年末から年度末にかけて、出張する人が多くなる。隣の島は、係長1名、職員1名の状況。残りは全員、アフリカやら南米やら大洋州に散っている。その向こうの島も二人が月曜に戻ってきたばかりで、二人がこれから出発。うちの島の二人は来週にならないと戻ってこない・・・。まるで商社の営業部のようだと、派遣のお姉さんが言っていたが、ある意味うちの部署は組織の営業部のような存在だから、致し方が無い部分もある。閑散とした中だからといって、落ち着いて仕事が出来るわけでもない。人が居ないという事は、その人の分までこっちで処理できる仕事をしなければならないという事を意味している。「各々、調整して出張するように」とお達しはあるのだけれど、諸般の事情で、重なってしまう事も度々ある。酷い時は、島に一人、ポツンと置いていかれたような状況で、残り3人分の仕事を引き継いで対応しなくっちゃいけない事もあった。そうなると、自分の仕事は後回しになって、一日中「誰かの代わり」をしていたりする。日頃から、互いの仕事内容について、おしゃべりレベルから相談レベルまで、話しをしているから何とかなるが、これが向かい合わせに座った人と最悪に人間関係の相性が悪いとなると、悲惨である。 書類作りを中断してふと頭をあげると、近くのビルに落ちていく夕陽がハレイションしていた。眩しいのでブラインドを下ろしたけれども、ちょっと惜しい気もする。 書庫の窓が全部西側に向いているので、そこに行って落ちていく夕陽をしばし眺めた。夜になると、電気を付けなければ、置いてある段ボール箱などに躓いて絶対にこけてしまうほどに暗くて寒いところだけれど、夕陽が差し込む時間だけ、そこは懐かしいような居心地のよさをもたらしてくれる。残念ながらかすんでしまって富士山の稜線(ほんの少しだけれど)は見えなかった。 「さて・・・もうちょっとやるかぁ」と自分を励まして、書庫を後にした。うちの課は相変わらず閑散としていた。日本にいる連中も打ち合せやら会議やらで、誰もいない。出張に行っている同僚達が、それぞれの行く先で、同じような或いはもっと綺麗な夕陽を見ていることを祈って、私は再び書類に目を落とした。冬がすぐそこまで来ている。
November 30, 2004
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今朝、やっと冬らしい天気になった。快晴の天気にピリッとするような空気の流れ。放射冷却で透明感が増し、通り過ぎ去る風が冷たい。寒がりのくせに、なんだかそうした「適切な季節感」が嬉しく思えた。 一日、どれだけせわしく過ごしたかをここに書き記すのは、能が無い。かといって何か珍しい事・変わった事があったかと言えば、そんな事もそうそう起こるわけでもない(でも、毎日同じだよという心算も無いが)。 日々、地道な行動の積み重ねが労働というものだ・・・というような事を、かの宮崎駿氏も言っていた。その地道な積み重ねが、しかし最近、殺伐としたものになっている。たった一分差で先に出る電車に乗り込もうと、階段を降りている途中で押しのけられた。こっちは走る元気もないから出来るだけ壁際に寄って歩いていたのに。「5分だけ時間下さい、ちょっと相談が」と言っても、その5分がなかなか上司から貰えない。本人も一杯いっぱいで、会議と打ち合わせと更に上の役職の人との議論に巻き込まれて、席に戻ってこない。 頭の中で整理するだけでは追いつかないから、しなければならない仕事をリストにしてみたら、それを丸めて捨てたくなってしまった。 月曜日だったせいもあるだろうけれども。 帰り道、改札を潜ろうとしたら、ふと駅にある掲示板に張ってあったポスターが視野に飛び込んできた。全体的に黄色のカラーリングだから、目立つ。スポンサーは東京都(だった気がする)。ここのところ巷で良く見かける熊のマスコット(正確な名前は知らない)が描かれている。その上に「ゆとりって大切っスよね」と書いてあった。 なんだか、苦笑してしまった。行政機関がそこまで「心配」しなければならないほどに、都民は疲れているのか。個人的に言えば、確かに疲れている。胸が詰まるような事のほうが、心から笑える事よりはるかに多い。 「ゆとり」という古典的とも言える言葉を、久しぶりに読んだ気がする。私自身含めて周りでこの言葉が話題になり口に上ることなど、ほとんど皆無である事に気が付いた。心のバランスが僅かではあるが、崩れているのも事実。「ゆとり」とはなんだろうか?私にとってのゆとりは?私にとって「ゆとりある時間の過ごし方」は? 多分、こういう事を、もう少しマジメに考えなくっちゃいけないのだろう。コンクリートで川底も岸辺も固められた神田川に棲まっている鯉が、月光の下で悠然と僅かながらに身をくねらせて流れにたゆたうのを見ながら、私は家路に着いた。
November 29, 2004
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昨日の事である。仕事が押しに押して、予定に入れていた前の部署の飲み会もキャンセルして机にかじりついていた。 夜10時過ぎにやっと「解放」されて、家路に着いた。その途中の事である。 電車のドアにもたれて出発を待っていると、酔って良い気分になっていると思われる。男女の二人連れが雪崩れ込むように乗ってきた。ちょうど空いている二人分の席に、初老の男性が座り、その横に女性を座らせた。特に関心があったわけでもないのだけれど、視界の真正面に入ってきたので、つい見てしまったのだけど、所謂「夫婦」というわけではなさそうな感じであった。結婚しても恋愛はするだろうし、全然知らない赤の他人が何をどうしようが、大人なんだから、なんとも思わないので本に視線を戻したが、女性の嫌がる声が絶えず耳に届いていた。どういう訳か解らない。が、女性のほうは「止めて下さい」だの「放して下さい」だの言っている。周りの乗客も、最初は気にもしていなかったが、女性のほうが何度もそういう言葉を口にするので、そこに視線が集まって行った。読書の邪魔になって仕方がないが、どうすることも、できない。 そうこうしているうちに、急行待ちの駅で女性が荷物を持って電車を降りようとしたら、男性がそれを阻止し、結果として女性が転んでしまった。さすがに周囲は一瞬騒然として、電車に乗り込んできたばかりの人は余計に驚いていた。対応に躊躇って、困惑していた。 嫌がる女性を無理やりではあるが淡々と席に押し戻す男性に対して、しかし周囲は何もしなかった。私も何も出来なかった。「普通の喧嘩」なら、もしかしたら「やめたら?」と言ったかもしれないし、周りもそういう事を口にする人が居たかもしれない。しかし、如何せん「チワゲンカ」である。インターセプトしていいかどうかも、良く解らない。結局は、誰も何も口にせず、めいめいの世界に戻った。改めて本に目を落す人、携帯を取り出す人、目を瞑る人・・・・私も本に目を落とした。だが、酷く居心地が悪かった。金曜日の夜、頭も身体も疲れ切って(随分腹の立つ事もあったことだし)いた。そこに出くわしたハプニング。もしかしたら、何か出来たかもしれないのだが、何もしなかった。中途半端な「常識」や「正義感」だけが漂って、そのくせ自分に火の粉が降りかかることを怖れて、ただ突っ立っていただけだった。 電車の中は、公共の場であると思っているから、「感情的」になるべき場所ではないと思う。だから、誰かと一緒に乗っていたとしても、喧嘩は一時中断だし、談笑も声を抑えるのが、当たり前だと思っていたけれども・・・・。 恥を知れという言葉があるのだが、日本という国は、それを重んじてきた。だから表では慎み深く、良くも悪くも感情を表沙汰にしてこなかったのだが、そう考えるのはすでに「古風」と言われるのだろうか・・・。 いずれにしても、自分を恥じた。自分の中途半端さを恥じた。ただ・・・・巧くいえないのだけれど、どこかがっかりした気持ちもある。誰も、あの女性に助けの手を差し伸べなかった。自分の事を棚に上げて「がっかりする」のは、身勝手だけれど、誤解を恐れずに言えば、やっぱり「がっかり」したのである。痴話喧嘩だったせいもあっただろう、仲裁していいのかどうか、踏ん切りもつけがたい。「勝手にやってろ」とも、どこかで思う。 また同じ事に遭遇することは、そうあるとも思わない(逢って欲しいとも思わない)が、その時、自分が何を出来るか、まだ解らない。
November 27, 2004
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朝晩、駅から家までに乗る自転車を置く駐輪場を今日も通ってきた。神田川沿いにあって、道に沿って桜が植えられている。その木も随分生長して、太陽に向かって(南のほう)枝が伸びるものだから、歩道の欄干を通り越して、川の上へ覆いかぶさるようになってきた。 春は、その見事な染井吉野の薄紅色に彩られた道を歩くのは、ちょっとした贅沢だと思う。天気が良ければ尚更のこと。夏は、濃い密度で艶やかな葉を一杯につけて、その隙間からプリズムのような、強い太陽の日差しが地面に落ちる。不意に吹いてくる風で、葉擦れの音があたり一面に立ち込める。今、冬に向かおうとしている桜の木々は、淋しそうだ。落葉樹だから、地面に色づいた葉が降り積もっている。赤くなったものや黄色のもの、中には秋を忘れたのか、まだ緑の残るものもある。これから冬になれば、更に乾燥して踏みしめるたびに、サラサラとした音を立てて、破片となるであろう。 桜の木が等間隔に植えられているので、駐輪場までの狭い道は、でこぼこである。細かい石をタイルにして敷き詰めているけれども、桜の根っこがそれを持ち上げている。自転車で行くには不向きな道だけれど、私はそれがちっともイヤだとは思わない。アスファルトの間から伸びる名も無い草もそうだけれど、生命力をそこに感じる。コンクリートで押しつぶされていても、それを跳ね除けて生きようとしている力。多分、元来私達にも備わっているはずなのだが、忙しいことに追われて、心身を傷めている。 来年の春、また見事な桜吹雪が見られる事を楽しみにして、今の自分を休めることにする。冴えない自分に、若干苛立ちは、憶えるけれど・・・・。
November 25, 2004
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毎年の事ながら、年末から年度末にかけての尋常じゃない仕事の量には辟易としている。殺気立って息つく暇もない。仕事があるだけ幸せじゃないかと、時には自分を慰めたりするのだが・・・。 冷静と情熱の間 は小説の題名だけれど、現実として当にそれが求められている。仕事に対する情熱を持ち得ないのならば、全てが苦痛になる。冷静な判断がなければ、山積みされた仕事を処理する事も覚束無い。 気持ちが焦って、バタバタしていると却って二度手間になることが増えていく。何時しか未熟な感情は、焦りから怒りに変わっていく。「なあんか、段々腹が立ってきた」書類を捲りながら、喫煙室で先輩がぽつりと言った。私も同じ気持ちである。「なんなんだ、この忙しさは」と、ある意味非常に愚かしいとも思える台詞を、ぐっと堪えて席に戻る。 落ち着け-考えるんだ、何をまず先に片付けるか、誰に何をまず伝えるべきなのか・・・与えられた試練の場から逃げ出さずに、そこに留まる事が意味することを、掻い潜っていく術を、そして手を抜く所を見つけ出す。 自分を見失わない事、時には、自分すらも突き放してみる事、やがて何時かは、糧になるように経験を積んでいこう。 ・・・とまあ、思いながらも、簡単には自分を説得できないのも事実。悪態をつきながら、ぶつぶつ言いながら、「課長はどこに行ったんだ!」と言いながら。まだまだ修行が足りないというところかな。従って、文章にも切れも冴えも無く、駄文を零す事になった。 帰り道、すでに街路樹に取り付けられたイルミネーションの電飾が淡く暖かな光を放っているにも関わらず、美しいと思う事も、わずらわしいと想う事もないのは、ちょっと淋しい気がします。
November 24, 2004
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朝から素晴らしく天気が良い。気温もそこそこ高いから、家に居るのは勿体ないと思いつつも、午前中一杯は静かに過ごしていた。気が付けば音が全然しない空間に居る。学生だった頃は、起き上がればすぐに「話し相手」のTVスイッチを入れていた。何か、自分以外から発信する物音がないことに酷く居心地の悪さを感じていたのだが、今はどちらかというと、TVが騒々しく思えている。仕事で遅い時間に帰宅するから、連続ドラマなどを追いかけられるわけでもなく、ニュース番組も、疲れた頭にはビタミンにならない。 どの本を読もうかと、書棚の前に立っていたら、携帯メールが届いた。同僚が休日出勤しているとの由。しかも「随分な数」とのこと。 「こんな天気の良い日に、仕事ねぇ・・・」と言いながら、電池交換をしなくてはいけない時計を二本、バッグに詰めて出かける事にした。職場近くの大型店に持って行って、ついでに職場に寄る。なるほど、服装が普段着でなかったら、いつものオフィスの光景だ。 「どうかしている」・・・・ワーカーホリックな訳でもないのだけれど、いろんな理由で出てきている。そういう私もその場に居たら居たで、することはあるというのも、またなんとも・・・・。「夕飯、一緒に食べに行こう」と言うと、先日、ストレスで胃痛を起して休んで、復活したばかりのT嬢が「うん!行く行く」と応えた。もう一人の同僚にも声をかけると、こちらもOK。 夕刻、資料を取りに書庫に向かったら、火の玉のような鮮やかな色をした太陽が、ビルの谷間に沈もうとしていた。振り向くと、長く濃い影が伸びている。まだ5時にもならない時間だった。なんだか勿体無いほどの美しい夕日を、加速しながら地球の向こう側へ向かって行くのを眺めていた。「何してんだか・・・」分厚い資料に目を落として、苦笑いをする。 結局は、「いつものメンバー」で夕食となった。ただ、話題を仕事から遠ざけた。休日の食事の時間まで仕事に汚されたくないと、思ったからだろう。 「それじゃ、また明日」 冷たい空気の中、家路に着く。また明日から、忙しい日々が始まる。ライトを点滅させながら、飛行機が紺色の空を横切っていった。その近くで微弱な光を放つ星。街の明かりを全部消したら、さぞ綺麗な星空が見えるだろうに・・・などと思いながら、もうすぐそこまで来ている冬の空気を吸い込んだ。
November 23, 2004
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とても仲良くしている友人達が居る事は、糧であり幸福であり、優しさを知る事、思いやりを持つ事に繋がる。だけれど、彼ら(或いは彼女達)との間で、その繋がりを確認したりすることは、ない。当たり前なのかもしれないけれども、極めて当たり前の事かもしれないのだけれども、「私達、友達だよね」と言葉にしたりする事がない。 「そんな風に、わざわざ言うほうが・・・偽善に思えるんだよね」と親友が言った。切なく悲しげに言った。彼女はその感情を顔に出したりしないのだけれども、言葉の微かな抑揚が、それを私に伝えた。それだけで、私は十二分に彼女が心のうちに持っているやるせなさを感じる事が出来た。けれど、それを口に出す事はなかった。 「私の事、好き?」と恋人に言うのは、良いだろう。戯れであり、微妙な心の動きであり、笑って言える事だけれど、友情は、ある意味恋愛感情よりも複雑で、混乱を招きやすくまた固くそれでいて脆くも崩れ去る時がある。 何気ない言葉のやり取りが、全てを語っているのに、なぜわざわざ「確認」をするのだろうか?淋しさがその衝動を鼓動に変えるのだろうか?不安な気持ちが或いは露呈して、そのような言葉の結晶にするのだろうか? いずれにしても、その彼女が語った話は、私に伝わった。しかし、それに対して「解るよ」と安易に応えるのも、違うと感じた。彼女が出した結論は彼女が責任を持つ。私が出した答えについて、誰かに責任を押し付ける心算はない。それで充分だ。感じることが出来た事、それで私は彼女と「共有」できたものを持てた。それ以上の余計な言葉は必要なかった。 言葉に費やす時間が、ほんの一瞬の躊躇いがちな視線や指の動き、或いは一筋の涙、はたまたちょっとした苦笑の表情に勝てない事が多々ある。それをきちんと「掴まえる」事が出来れば、いいのだと思う。 彼女との間、或いは友人との間で交わされる言葉には、その人自身が伴っている。だから「距離」を感じない。 ただ黙って、ただ見守って、ただ頷いてくれるだけでいいことは、案外多い。 祝日の谷間の一日、シマには私一人きり、従って落ち着く暇もなく時間が過ぎ去った一日だった。
November 22, 2004
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やっと、出張の写真の整理をする時間が出来た。一週間前、照りつける太陽の下に居た。東京の凛とした乾燥した空気が昨日は頬撫でていた。 ビエンチャンで収めた写真を幾葉かここに掲載することに。仕事の合間だったので、それほど沢山撮れなかったのだけれど・・・フリーページにも載せておきます。お気に入りの一枚 でも、夕日をちゃんと撮れる時間があったのは、到着したその日だけだった。 乾季のラオスは花盛り。街のあちこちの低い木にも高い木にも花が咲いている。色鮮やかに緑の間を点描して、青い空に良く似合う。
November 21, 2004
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特段、暇なわけでもないのに、この一週間が過ぎるのが遅く感じるのは、すっかりカイシャ人間になってしまったせいだろう。予定を書き込むためにカレンダーに一瞥をくれた時、そういえば、今月に入ってまともに休んだ日が無い事に気が付いてしまった。文化の日もなんだかんだと言って、出張前だからと関係資料を部屋で捲っていたりして・・・・。 カイシャ人間だからと言って、特に出世とか権力には一向に興味を感じないし、価値も感じないので、他人を押しのけてまで登り詰めたいと思っているから休日返上で働いているわけでもなく、ただ身体のリズムが、「五日間働いたら、二日間休む」ペースになってしまっているから、昨日辺りからかなりヘトヘトになっている。 おまけにこの4月からこの前の急な出張までの間は、本店に釘付けにされて、あれこれとややこしい調整を任されたものだから、昨年度のようなほぼ月一回のペースで何処かに出かける事も、「忘れている」。 「まだ若いのに」とベテランの別の課に所属する上司が言う。ええ、確かに「まだ若い」部類ですよ、でもねぇ・・・。精悍にパワフルに働く彼らは、年齢を重ねた分、ペース配分も心得ているから、自らを律する事に長けている。経験の浅い私のようなのは、却ってクタばってしまっている。ダテに、彼らは(一緒に出張した上司も含めて)この世界でキャリアを重ねてきたわけではない。 「ま、あと一日だ」と言ってくれたのだけれど、「修行が足りないね」と聞こえたのは、私が僻みっぽく思っているからではないだろう。 彼らのように、クールに(時には「会議の時間、間違えた!」と走り回っているが)カッコよくなるためには、カッコ悪い事を山ほど経験しなければならないのだろう。 すがすがしい気分で、それに臨む事にしよう。彼らのように、カッコよくなるように・・・・。
November 18, 2004
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今日はふいに襲った事件があった。事件というほど大袈裟ではないのかもしれないが、ある意味、事件である。 夕刻、「さて、これから仕事の本番」という時間帯のことである。燃えるような火の玉の夕日が沈み、日中鳴り止まなかった電話も音を立てず、来客も途絶え、会議もなくなって、デスクに着く人口密度が高まった時だった。 冗談を飛ばして、背中合わせに座っているY嬢に同意を求めようとしたら、彼女の顔が真っ青だったことに気が付いた。直後、彼女は机に臥せった。 「ちょっと、ヤバイよ」とりあえず少し我慢して貰って、応接室のソファまで彼女を抱えるようにして、連れて行った。「頭が、割れるように痛い」とか細い声で彼女が訴える。「解った、少し待って」・・・席に戻って上司に事情を説明していると、それを聞いた傍から、うちのエースが医務室に電話をかけた。冷静に事情を説明する彼。一方で後輩が猛ダッシュしてどこかへ行ったかと思うと、少しして、タクシー券を手にして戻ってきた。今やタクシー券なんて滅多に使う事がないが、緊急事態である。まだ居残っていたアシスタントの女の子は、Y嬢のコートや鞄を携えて戻ってきた。普段はふざけて、冗談ばかり飛ばして、騒いでいる連中だけれど、結束が固いから、こういう時は見事な連携プレーを見せてくれる。 私は用事があったが、Y嬢が心配で佇んでいると、上司が「病院に行かせることにしたから、付き添って行ってくれないか」と言うので、二つ返事で承知した。 やがて医務室から看護婦が到着し、それから病院の手配の為に戻っていった。私は電気を消した応接室で、Y嬢が眠る傍に、彼女の直接的な視野が届かないところで、黙って座っていた。何も声をかけず、ただ彼女を見守った。別の課の同僚も心配して「何か飲み物いる?」と言ってくれた。 時間が経つのが、遅く感じる。彼女の容態は定かではないのだけれど、「さっさとタクシーを呼んで来いよ!」と心の中で叫ぶ。 出来るだけ静かに彼女を支えながらタクシーに乗り込み、病院に向かう。こういう時に限って赤信号に引っかかり、電車の遮断機に阻まれ、そして行く先にピッタリと到着できず迷う。耐えかねて、ビルのガードマンしている方に「☆☆クリニックはどこですか?」と聞いたら、すぐ目の前だった。 彼女の痛みを私は分かち合う事は出来ないけれども、出来るだけ早く不安な気持ちから開放してあげること位の手助けはしたかった。診察室の隅で、彼女と医師のやり取りを聞いていた。まじめで努力家な彼女はここのところ土日も返上して仕事をしていた。その疲れだろう・・・彼女が薬を出してもらうのを待っている間、タクシーを呼びに表に出る。場所が解りにくい事もあって、随分待たされた(気がする)。 「本当に、ごめんなさい、みんなに迷惑かけちゃって・・・」依然として青い顔をして彼女が言う。「いいから、誰もそんな風に思ってないから。自分を責めるの、やめろよ」と私は言った。事実、誰も迷惑だなんて思っちゃ居ない。同僚だから、仲間だから支えて貰っているから、誰かが支えを必要とする時は、支えるのが当然だから・・・。 彼女の家と同じビルに住んでいる同僚のTさんに電話をして、事情を説明すると「OK、後は任せてくれ」と言った。タクシーの運転手にTさんがナビゲーションして、無事に到着。玄関までTさんが迎えに出てくれた。 「じゃ、後はこっちで」と別れを告げた。痛々しそうにしている彼女の肩をさすって「早く寝ろ」と言って、私は最寄り駅に向かって歩き出した。 風が冷たい。突発的なことで、今日夜の予定も全部オシャカになった。約束していた友人に謝罪のメールをしたあと、事務所に戻った。彼女の病状などを上司に説明して、席に戻った。事務所内は静かだった。ある意味何事もなかったかのように、ある意味慎みをもって、残っている人たちは仕事に没頭していた。 「さて、帰ろうか・・・」「お疲れ様、ありがとう」とY嬢の直属の上司が言った。黙って頭を下げて、帰路に着いた。更に冷え込んだ空は、陰鬱な曇り空に変わりつつあった。しかし、どこかホッとしたような気持ちもあった。Y嬢がもちろん心配だけれども、彼女が倒れた時、周りが一斉に動いたことが、素直にうれしかった。女性職員が私と彼女しかいないから、私が病院に行ったまでのことで、特別なにか彼女にできたわけではない。後輩の同期の先輩の支えがあってのことだから。 彼女が、元気になる事を祈る。そしてこんな仲間達と一緒に仕事出来ていることを、私は誇りに思う。
November 17, 2004
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ヴィエンチャンの街には、驚くほどに犬や猫がいる。でも、その殆どに首輪を付けられていない(青い首輪を付けた大型犬を一匹見かけただけ)。彼らは、定食屋さんの店先や、レストランの庭や、寺院の境内や路上を自由に歩き回って、日陰や冷たいタイルの上で休んでいる。身体は細いが、貧相な痩せ方ではない。 あれは木曜日の夜。作成しなければならない書類が沢山あったので、夕刻一緒にご飯に行こうという誘いを断って、遅くに一人で、入った事もない店に出かけた。野菜がたっぷりはいったスープを一心不乱に食べていたが、ふいに足を動かしたら、何かに当たった。見ると、黒色のトイプードル「らしき」(多分、別の犬種の血が混ざっている)犬が、私の足元から離れていく所だった。顔を上げると、店番している青年がニッコリと笑ったので、私も笑顔になった。英語はほとんど通じなかったけれども(苦笑)、思いは同じであった。 それからしばらくすると、また足元で気配がするので、そっと見下ろすと、黒色の彼(或いは彼女?)がぺターとお腹をタイルの上に押し付けるようにして寝そべっている。ので、私は気をつけてあまり動かないようにして、残りの食事を済ませた。 飼われているわけでもなく、かといって放って置かれているわけでもない。人間が無意味に傷つけたりしていないから、人懐っこく寄って来る。わが上司は自宅で犬を飼っているので、あるレストランに行った時などは、店先にいたラブラドールレトリーバに飛びつかれていた。 自由にしている彼らは、けして悲壮な眼差しをしていない。むしろクールなくらいに悠然としている。生活の中に日常の中に彼らは彼らの流儀で、人間と付き合っている。彼らと人間の間の適度な距離が保たれていることが、清々しくさえ、思えた。 二枚の写真は、食事に入った店に居た猫と、一寸時間が空いたので覗いてみた寺院に居た犬。本当はもっと撮りたかったけれども、如何せん仕事が最優先なもので・・・・。何処からともなくやってきて、何処へともなく去っていった。 真昼の街は暑い。だからなのか、日陰で毛づくろい。
November 16, 2004
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東京に戻って、いつもの生活が始まったというのは、若干大袈裟だけれども、寒い空の下で歩いていると、この街はなんと便利に出来ているのだろうと思う。そこにはいろんな要素が介在しているのだけれど、都市としてのシステムが成熟した姿がそこにあるのは、間違いない。 そんな事を考えながらだったか、今日はよく物を落したりした。電車の中で読みかけの本を膝の上に乗せていたら、降りるときに、落とした。家に向かう道で携帯が鳴るので、取り出したとき、鍵まで一緒に出てきて、道行くお兄さんに「落しましたよ」と言われた。買ったばかりのドリンクボトルを店先で危うく落しそうになる。このままだと、自分をどこかに落としてきたりしないかと、心配になる。 やけに疲れているのは、今日の仕事がハードだったからよりも、「知っている街」に戻ってきた安心感からだろう。 気絶しそうなほどに眠いのを我慢するのは、今日は止めにしよう。 写真は、会議に向かう途中で撮ったもの。車の中からだから精度は悪いけれども、彼らの日常と私達の日常・・・時間の流れが違っていた。 街のあちこちにラオス国旗が掲げられている。近く開かれる予定のアセアンサミットの影響か、それとも常時的なのか、残念ながら解らないけれども、多分、生活の一部なんだろう。
November 15, 2004
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ほぼ定刻通りに、飛行機がランディング。インドシナ半島とうって変わって、雨粒が窓に爪を立てて流れていく。見るからに、寒そうな鉛色の空。 早朝に到着するフライトだったので、空港ターミナルも静か。ラゲージを引き出して、上司に挨拶して、JRのホームに立った。快速の電車の中で、うずくまるようにして眠って東京に向かった。温度差15度はやはり少し厳しい。念のために用意したマフラーが役に立った。 甲州街道沿いの樹木は少し色づきはじめている。黄色や赤銅色の葉が揺れていた。都内は雨が降っていなかったのは、幸いだった。 事務所に寄って、書類を置いて、一週間分積もった書類の中で整理できるもの、捌ける物をとりあえず捌いて、身軽になって帰宅した。冷たい風に、思わず背中を丸めてしまう。東京に冬が訪れようとしている。 これまでの一週間の事は、明日から少しずつ書き足す事にして、今日は早々に休む事にする。
November 14, 2004
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やっと、ここまで漕ぎ着けたという感じ。今日で公式日程はおしまいになる。めまぐるしい日々だった。なので、また夜に日記を更新する予定(多分時間は、あるはず)。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 相変わらず、暑い一日だった。日中はほとんど雲がなく、高い樹木のさらに上を、どこまでも青い空が広がっていく。街路樹が織り成す光と影が、木漏れ日が実に美しい。長い年月をかけて自由にのびのびと成長しているので、枝葉が広がって、道路の上に天然のアーチができつつある。 少し時間があったので、寺院にも行ってみた。寺院の屋根の色、空の色、樹木の色が醸し出すコントラストを写真に収めた。 中に入って、高く傾斜している天井(雨季があるからだろう)を下から見上げた。色鮮やかな装飾、静かな境内。これも写真に撮れば、きっと素晴らしいだろうと思われる風景なのだが、実際に仏像の前に膝を折って座った時は、とても写真を撮ろうと思えなかった。静寂の中に立ち込めた威厳ともいうべき空気がその気を削いた。手を合わせ、じっと祈りを捧げるだけにした。 食事は時間がないので毎日、ホテルや仕事先の近場で済ませていたのだけれど(ホテルでは絶対に朝以外は食べない!)今日は、打ち上げという意味も込めて、少しだけ遠出をした。 ヴィエンチャンの夜は、ほどよいざわめきと静寂に包まれている。街灯もそれほど明るくないし、ましてや電飾で目がチカチカすることもないので、高い空で囁く星がよく見えた。 途中、ちょっと暗めの道があったけれども、治安が良いので、気にしないで歩く事ができる。警察官とおぼしき青年が二人、銃をぶら下げてパトロールしていたけれども、夜の散歩に近いゆったりとした歩調であった。 ちょうど食事の時に、故アラファト議長の棺がパレスチナに還った。レストランの樹木の枝と葉で出来た「屋根」の下で、BBCがLIVEで流している映像を見た(なぜか、店先にTVが置いてある)。ヘリに押し寄せる群衆、それを抑えるSP、空に向けて放たれる銃弾、激しく振られる様々な旗・・・・ゆったりと流れている「今」と時を同じくしてパレスチナでは・・・・。昼間、寺院で捧げた祈りを、思い出した。祈る事しか、私にはできないのだけれど。 明日、帰国の途に着く。
November 12, 2004
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会議会議の一日でした・・・初日だから仕方がない。いつもの事。明日から本格的に突っ込んだ話をすることになる。
November 8, 2004
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朝のバンコク国際空港は、まさに混乱を極めていた。チェックインカウンターまでにたどり着くのに一体どこから並ぶのかすら、解らない。まだ7時過ぎだというのに、旅行客で溢れかえっている。遅々として進まない列の先をぼんやりみていたら、後ろに並んでいた夫婦が声をかけてきた(多分、欧州のほうから来ているだろう)。「まるでバンコク市内みたいだわ」と奥さんの方が呆れ返っている。「そうですねぇ」と苦笑して返すしかない。男性のほうは、苛立ってそっぽ向いていた。5分で2m進む割合。こんな調子では、飛行機には乗れない!と焦っている処に、課長が飛んできた。「僕の方でまとめてチェックインするから!」と言って、私の荷物を持ってさっさと行ってしまう。後ろに立っていた夫婦もつられて「早くチェックインできるカウンターがあるの?」と聞くので「いや、上司がビジネスクラスだから便乗させてもらうんだ・・・」と急いで返事したけれど、なんだか居心地悪かった。彼女は特に失望した色を露にしたわけではないのだけれど。 バンコクから1時間半足らずの飛行時間で、ラオスの首都・ヴィエンチャンに到着する。初めて訪れるので、ランディング体勢に入った時に、首を伸ばして外の風景を見た。 濃淡が入り混じる緑が、視界に飛び込んでくる。しかも日本の都市郊外というよりも「田舎」に見られるような樹木が密集していて、その傍で草原が広がっている。彼方に目をやると、霞んで更紗をかぶせたような地平線の辺りには熱帯植物が風にそよいでいる。高い建物ところか、民家も見当たらず、心細くなる感が少なからず沸いた。 間もなくターミナルが見えたけれども、「日本の田舎」のイメージが抜け切ってない私は、それが昔の木造立ての小学校のように思えた。二階建てのすっきりとした造りである。 空港ターミナルビルに入るまでの廊下があって、心地よい風が吹き抜けた。空は快晴。湿度は高め、気温は30度超。11月、乾季に入ったヴィエンチャンは夏である。けれども、空気に、ガソリンなどの人工的な匂いや埃っぽさはなかった。このまま汚染されずにずっとこの空気であればいいと思う。 ガタガタしたアスファルトの道を走る。街並は低く濃い緑が建物の間を埋めている。臙脂色の屋根に白い壁が目立つ。仏教の寺院が点在していて、道を歩く若い修行僧も見掛けた。 金曜日までの忙殺された時間との落差に、身の置き場に一瞬困るような、そんな鷹揚とした雰囲気が街にあった。 おばさんが鈴なりになった蒸篭を天秤で担いで歩く。中にはもち米が入っていて、いわばお弁当屋さんのような感じ。風鈴が鳴っていると思って振り向くと、今度はカットフルーツをおじさんがゆっくり歩きながら、台車を押して売っていた。道端に置かれた椅子に老年の紳士が二人腰がけて、世間話に花を咲かせている。 昼食はフランスパンのサンドイッチとフルーツミックスジュース。もともとラオスは仏領インドシナの一部だったので、街の軽食屋さんで美味しいフランスパンを食べる事ができる。店を仕切っているおばさんが、手早くサンドイッチを作っているのを見るのは楽しかった。 ラオスが、我が事務所の連中が赴任したい国外任地No1なのが、早くも納得できた。巧く言葉に出来ないのだけれど、ささくれ立った神経を撫で下ろすような感覚である。ムスっとした表情ではなく、微笑である。 ホテルに戻って打ち合わせすること2時間半。街並の爽快さ、優しい雰囲気と裏腹に、仕事の面では難航することが必至であるのが、今日の打ち合わせで明らかになった。こんな風に長い日記を書くのも、明日からは難しいかもしれない。 日記の更新もおぼつかないと思っていたけれども、ホテルのLANに接続している限り、随分快適である(ただ、高い!)。写真はまだほんの少ししか撮ってないから、帰国してからUPする予定。
November 7, 2004
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出張の準備は、ほぼ終えた。改めて手持ちの仕事を精査してみると、あちこちに連絡し零しているのがちょくちょく出てきて、少し慌てたりする。 バタバタしている最中に、今日は避難訓練もあった。雑居ビルだから、違う会社の人々が、広場にわらわらと集まる。今日、私は電話番だったので、窓から広場を眺めてみた。晴天の暖かい日差しの下で、談笑したり空を眺めていたりして、まったく緊張感が見られない。課長も恥ずかしそうにしながら、白いヘルメット(!)を被って、「さあ、行くよ」と言っていた。本当に火災か何かが発生して避難しないといけない時は、どういう事になるんだろう?と他人事のように思っている私も間違っているが・・・・。 夕方から急な仕事があれこれあって、それを片付け、先に帰っていく同僚からは「いってらしゃ~い」と送られた。 自らが帰途に着いたのは、それからだいぶ経ってから。乗り換えの駅で、電車が2分間遅れた。定刻をちょっと過ぎた時点から、ホームに溜まった人々が(見えるだけの範囲だけれど)そわそわし出したのが、俄かに感じ取られる。時計を見たり、電車が来るべき方向を見たり、ホームの発車案内版を見たりしている。それが済むと、申し合わせたかのように、今度は携帯を取り出して、メールを打っていたりする。中には酔いつぶれて、椅子で寝るのを必死に我慢している人もいる。静かに本を読んでいる人は、余り居なかった。 たった2分じゃないか・・・・一仕事終えたばかりの私にとっては、その2分間が猶予のようにも思われ、周りが苛立つことが、鎮まりかけた仕事モードの神経を刺激する。 こんなに、日本のように正確に安全に電車やバスが駅に到着し、発車していくことなんて、滅多にないことなんだから・・・と言っても、日々の生活においては、定刻に電車が来ることが当たり前になってしまっているから、たった2分にイライラする。ちょっと、息苦しさを感じた。 さて、これから荷造りをして、明日、ラオスに向けて出発します。まずは、タイのバンコクでトランジットなので、日曜日にラオスの首都・ヴィエンチャンに到着します。 ネット環境からして、日記、書けないと思うのだけれど、写真は沢山撮ってこよう(もちろん、仕事もしよう)と思います。
November 5, 2004
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今朝は、太陽の光で目が覚めた。いつ振りのことだろう。カーテンの隙間から直線で差し込んでくる朝日。目覚ましのベルが鳴る前に、身体を起した。 駅に向かう時、空を見上げると、一片の雲もなく真っ青である。滲むほどに綺麗な空に、白い半月が、淡い光を放ちながら掛かっていた。なんだか、居心地悪そうだった。 こんなにも気持ちが爽快と感じる朝も、久しぶりの事だ。 出張前だから、調整に追われて一日が過ぎていった。帰り道に、今度は、燦然としてしかしあくまでも静かにこんじきの月が顔を出していた。主役の顔である。遠くでは恒星が煌いていた。街燈のせいで、星座の形などは良く見えなかったけれども、何光年彼方からの光は、確かに地球に届いていた。
November 4, 2004
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月曜日。良くも悪くも事務所というのは静かなものである。休み明け特有の若干緩んだ空気が漂う。大体は午後から「目が覚めてくる」。出張の準備あれこれを先週末に大抵の事は済ませていたので、別件に没頭していたのだが、事が起こったのは、夕刻だった。久しぶりに定時に退庁して、友人とゆっくり食事でも・・・と思っていた計画が、一本の電話によって見事に砕かれた。私が副担当しているうちの「エース」のプロジェクトで、3日(つまり今日)ブルガリアに出発するメンバーが、ブルガリア大使館に伝わっていなかった!事務所からの電話で「手続きが終ってないんだけど?」と言われて、俄かに忙しくなる。「彼はねぇ、創造的な仕事に関しては抜群に出来るんだけど、こういうルーティンをどーでもいいと思ってる節があるからねぇ」と横に座っている同僚が言う。言われて、ドキリとする。その兆候は、私にもあるから。請求書の日付を入れ忘れる、数字を間違える、変換ミスを確認もしないで、書類を出す・・・。 それはともかく!正担当に電話しても繋がらない。本人は名古屋にいるのだが、その事務所にも電話が繋がらない。ならば共に出張しているもう一人にと思ったら、こっちは携帯をそもそも持っていない事が判明。八方塞がりである。それでも、何とか誰がいつブルガリアに行くのかだけは割り出したので、至急書類を作ってファクスしたら、今度は官庁のほうから「以前貰っていた日程と全然違うんだけど、どっちが本当なの?」と言葉は丁寧だけど、そーとーに怒っている事がヒシヒシと伝わる。「精査します!」と言って電話を切って、書類を掻き集める。二時間後、やっとの事で、片付けた。後は、省庁手続きだけれど、それの結果を待っていなければならないので、全ての問題が片付いて、うちのブルガリアの事務所に「手続き終了しました」の電話を入れたのは、日付が変わってからだった。 火曜日。もうなんもないでくれよなぁと思いながら、机に荷物を置いた時に、大至急電話をくれ!とのメモ。世の中はそんなに大至急な事なんて滅多にないのだと言い聞かせていて、電話をすると、これまたどうしようもないようなトラブル。片付けるのにまるまる午前中が潰れた。そしてこれも、私が元々担当していたプロジェクトではなく、「偶々」そこに居たから、上司から「ごめん!頼む」と言われたことである。つくづくタイミングが悪い。また、オフィスの中を走り回ることになる。午後、出張から戻ってきたうちのエースにその前の日の顛末を説明したら、丁寧に頭を下げて「申し訳なかった」と謝った。彼にしては珍しい対応である。いつもクールでニヒルで、感情を表に出さない人だったので、うれしかった。 家に帰り着いて、二日間起こった事を日記に書こうとしたら、ネットに繋がらない。色々原因を探ってみたら、ウイルスバスターとネット環境がどうやらバッディングしている様で、とりあえずウイルスバスターをアンインストール。やっと動いたと思ったら、今度は日記のページで、ユーザーIDをパスワードを入れる画面が出てきた?あれ?なんだっけ?思いつく限りやってみたら、どれも違っていたらしく、結局パスワード再発行。しかも色々試したものだから、セキュリティーに引っかかって、正しいパスを入れても「数時間後もう一度試してください」と言われる始末・・・。 ある意味、あまりにも滑稽である。私が何をしたと言うのだ!と八つ当たりする事もできず・・・・。そんなこんなで、怒涛のような日々でした。だから、今日はゆっくりすることにします。 振り仰ぎ 渡る風に 色づく木の葉 思いちりぢり 空は秋晴れ
November 3, 2004
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諸般の事情により、今日は日記が書けません。明日、まとめて書きます。
November 1, 2004
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朝、出勤する時と変わらないくらいの時間に一度、目が覚めた。少し損をした気分になる。それだけ生活サイクルが身体に染み込んでいるとも言うが、切り替えがどこかでちゃんと行われていないとも思えた。 のんびりしているうちに時間が過ぎていき、「さて、やるかぁ」と自らを励まして、出張の荷造りを開始。独り暮らしは何かと不便だ。出発が日曜日ならその前日に用意が出来るけれども、これが土曜日だと、事前に荷物を成田に運んでもらうのに苦労する(そして管理人は役に立たない・・・)。PCやらプリンターやらを当日空港に持っていかないといけないので、それに加えて大きな荷物を引っ張りながら電車を4本も乗り継ぐのは厳しい。今回は祝日があるので、その日に成田へ持って行ってもらうことにした。以前はただ荷物を送り出すだけの為に早退したことすら、ある。 真夏の気温に70%を越える湿度のビエンチャンなので、片付けようとまとめておいた夏服を改めて運び出して、パッキング。 これが旅行のための準備なら楽しいだが、如何せん仕事だから、ただ機械的に詰め込んでいく。「よくそんな小さいトランクに入れられるね」と言われるけれども、重い荷物は自分で持てないのだから、持てる重さにしているだけの事である。そしていつも思うのだが、どうして成田に行く(途中も含めて)と、あんなに大きな荷物を持っている人が多いのだろうと思う。無人島に行くわけじゃないのに。 パッキングしたところで、気分は盛り上がらない。空港に着いても、盛り上がらない。ボーディングのアナウンスが流れて、初めて「さてと・・・」と思う。これも良いのやら悪いのやら。 さて、無為なる午後にならないためにどうしようかと思っているところへ、友人から電話「出て来ない?」というので、それに応じて出かけた。逢うのは、久しぶりというほどでもないけれども、ついこの前というわけでもない間合い。ただ、多分毎日逢っていても、二年のブランクを挟んで逢ったとしても、同じ調子で同じように笑い転げる話しをしながら、時には真剣な話しをしながら、一緒に居るのだろうと思う。直に会うようになってまだ一年もない位なのだけれど、昔のクラスメイトのような感覚で付き合える。そういう人を、社会人になってから友人に出来た事を幸運に思う。 リラックスした時間を過ごして、帰路に着く。「明日からまた始まるね」。彼女は私をいつも私が乗る電車の駅まで送ってくれる。それが私はとても嬉しい(直接、彼女には言っていないのだけれど)。「じゃね」・・・彼女と小さく手を振って別れる。 緩やかな時間が過ぎていった。明日からまた「戦闘」である。切り替えが実は巧そうに見えて、あまり上手じゃない私は、ちょっと緊張する。 来週の今頃は・・・いや、考えるのはやめよう。好きな本を読んで、眠りにつく事にしよう。
October 31, 2004
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予報の通り、朝から雨がさめざめと降っている。温度は12月頃の温度。洗濯物を干す事も出来ず、出かける気分にもなれないほどに寒々とした空。何だか街全体が同じ薄い灰色に包まれているみたいだった。 来週から出張となる予定なので、とりあえずラオスの首都、ビエンチャンのネット環境を調べてみたが、国際ISPがないために、i Pass でもGRICでもどうも繋がるポイントがないと解った。別の部署の同僚に「どうなの?」と聞いたら「おっそろしく遅いぞ」との返事。つまりは、この日記のアップところか、仕事のメールすら送受信が覚束無いということだ。 いつも、途上国への出張は、通信手段が確保できるかどうかでハラハラする。もう何度も「通った」ポーランドのワルシャワで、すでに何度も遣ったアクセスポイントで繋ごうとしても、どうに繋がらない事があった。 東京からフランクフルト、それからワルシャワと飛行機を乗り継いで12時間が過ぎて、すでに夜中。時差ぼけこそないものの(時差ボケは、だいたい到着した翌日から本格化し、適応できた時に帰国する事になっている)、身体も頭もかなり疲れていたので、「ええ~」と言いながら、念のためにIPアドレスやらを書き付けたメモを引っ張り出してみたら、登録しているアクセスポイントの番号が変更になっていた。「ったく・・・」。確かにポーランドもその周辺も(特にフランス!)個人主義の国だから、自己責任によるところが大きいのだけれど、アクセスポイントが変更になったことくらい、教えてくれ!と思う。 8時間の時差だから、「翌日の朝8時過ぎの東京」からいきなり緊急連絡はなかったけれども、ちゃんと繋ぐ事を確認できないと安心して眠れないので、結局はその日は、朝の2時過ぎになってやっと繋ぐ事ができて、就寝した。 今度は、ホテル内にLANがあれば、良いのだが・・・。しかし、確かにほとんど今や世界中ほとんどの所でネットにアクセスが出来て、自分のメールが読めたり(しかも日本語で)するのだけれど、仕事に限って言えば、折角日本を「脱出」したのに、日本に置いて来た仕事の事であれやこれやと問い合わせも来るから、出張先での仕事に専念できないというのも、現状。ニュースが読めるから、以前のように一寸日本を離れただけで、浦島太郎になる事はなくなったけれども、現地の新聞に目を通してニュースをチェックする時間が少なくなった気がする。諸刃のツールをどう遣うか、ですかな。
October 30, 2004
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今日はすでに金曜日。月曜日の事どころか、先週末何をしていたかはとても鮮明に思い出せるのに、今週一杯、何をして何に追われてここまでたどり着いたか、カオスのような混沌としている。 ただ、今日は昨日までとうって変わって、静かに自分の席に居て仕事に没頭する事が出来た。レポートを読み、資料を集め、ネットで拾えるだけの物を洗い出す・・・。 余りにも静かなので、周りを見ると、会議・外勤・打ち合わせ・出張で殆どの人がはけている。波が激しいといえばそれまでだが、とかくうるさい時は「ここは職場か?」というような状態だし、席を外すのも、謀ったように一斉である。 「各自、調整するように」と上から言われているのだが、もとより仕事のキャラクター上、ぺーぺーである私たちが、揃って中小企業の社長のような感じなので、手持ちの仕事の進捗に合わせて自ら決断したり打ち合わせの予定を入れたり、外に出たりするから、今日のように「ほとんど誰も居ない」という事になる。「調整するように」と言った張本人も、「わ~トリプルブッキングだ」と大騒ぎしていた。「マネージャーからして、崩壊しているなぁ」と冗談で言ったけれども、状況は冗談じゃ済まなくなっている。 お蔭で、随分集中して今日の仕事に取組む事が出来た。不思議な事に、人が居ないからなのか、電話もメールもそれほど来ない。 偶さかの事だから、今日のような日があるのはうれしい。多分、日々こんな調子だったら、今度は退屈すると言い出すだろう。勝手なものである。 来週末からラオスへの出張となる。先発隊が日曜日に出発する。夕方、「じゃ、行って来ますから」の挨拶があった。組織改変やら、予算の削減やらで、ずっと国内に居たので、出張は久しぶり(予定外の中国出張はミッションも違うので別だが)。去年は10回もあちこちに行っていたのが、懐かしい。とともに、段取りを思い出すのに、少し手間が掛かりそうだ。 泊まる予定のホテルは、とりあえずネットにアクセスできそうなので、出来たら日記をアップしたい。しかし、事と次第によっては、寝る暇もないくらいの状況になるので、結果は、「蓋を開けてみる」までわからない。 写真なども撮って帰国してから、アップする事にしよう。
October 29, 2004
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出張を控えて、その前に片付けるべき仕事を並べてみた。それだけでもう一仕事した気分になってしまうのが怖いのだが、相手に投げられるものは投げて、後は静かに自分の仕事に専念する。「新種」の仕事がまだ良く解っていなかったので、提出した書類が、別の部署から真っ赤になって返って来て、ついでに呼び出される。まあ、仕方がないでしょう。教えを請い、「こんな風にするんだよ」とサンプルを貰って、「あ、なるほどね」と理解したから、明日の朝いちまでの仕事の目処がついた。 残業もそこそこにして、一寸前に後輩が送ってきた占いのURLを試しにIEのアドレスに載せてみる。基本的に仕事用PCだから、もしかしたら、制御が掛かって見られないかもしれないと思ったら、案外すんなりページが開いてしまった(いいのか??)。生年月日と性別を入力して、いざいざ・・・結果は当たっているとも言えるし、ちょっと違うとも言えるが、総じて良い事も悪い事も書いてあるという一般的な結果。しかし、なぜかそういうモノがあるとつい試してみたくなるし、周りにした同僚も「あ、僕のもやって」と集まってくるから、面白い。「当たってる?」「ん、まあ当たってるかな」というやりとり。 何かに縋りつきたいと思っているから、というわけではないのだけれど、自己分析と占いの結果の相違もまた面白い。内面的、潜在的には或いは当たっているのかもしれないと、画面を真剣に見入ってしまったり・・・。性格は多面的だから、深慮であることと、優柔不断であることが紙一重だったりする。いつも快活に動いている人が、必ずしも明るい性格とも限らない。 様々な要素を抱えて、ここに居るのだと、改めて思う。 今日は、良く晴れていたから、凛として月が輝いていた。少しだけ輪郭がぼやけている。生まれてきた時からずっと見ているから違和感がないけれども、濃い紺色の空に、薄く山吹色に輝く月のコントラストは、「いいセンス」だと思っている。
October 28, 2004
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駅に着いて、ふと見上げると、ほぼ頭上に雲にやや隠れて朧月がかかっていた。辺りは曇っているせいであるのと、街の明かりが反射しているせいで、メタリックグレイとウルトラマリンが入り混じったような複雑な色をしている空が広がっている。月を見ながら帰ったのは、何時振りのことか? 仕事を終えて帰宅しているというよりも、仕事を「終らせて」帰っていると言った方が正確なのかもしれない。 書類を片付け、PCのスイッチを切っていると、まだ仕事に精を出している同僚が「今日は早いじゃない」という。しかし、もう10時を回ろうとしているのだから、随分な環境である。「帰るつもりにならないと、何時までだって居そうになるから」というと、「そうだね・・・あ、脳みそが沸騰しそう」と返事があった。良いのか悪いのかは別として、一寸待って!と言いたくなる様な状況に、冷静さ失わずにいるように努めるのは、エネルギーの要ることだ。 厚手のジャケットを羽織っていたにも拘らず、空気はかなり冷たくなっていた。自転車を思い切り走らせることがこれからどんどん億劫になっていくだろう。交差点で止まった時、タバコの自動販売機にまだ赤いランプが灯されていないのが目に入った(つまりは、まだ11時前ってそれだけのことだけれど)のが、なぜかホッとさせる。 忙しいという字は、心が亡くなると書くから、余り忙しいって言わない様にしなくっちゃね・・・この台詞は、小学校六年生の時、友人の口から放たれたものである。中学受験を控えていた彼女とは、5年生の時からの付き合いで、随分大人びていると思っていたけれども、彼女のこの言葉が何時までも心に残っている。簡単に「忙しい」と言ってしまう。もっと言えば、ほとんど挨拶代わりにすらなっている。でも、彼女が言うように、忙しいというのは、心がどこかに行ってしまうことなのだと、感じる。 短気になって、自分本位になって、相手のことや周りの事を慮ることが出来なくなってしまう。親切にしてくれた事に対して、ただ一言「ありがとう」が言えなくなりそうになる・・・。言い訳するのは簡単だけれど。忙しいと口にするのを、できるだけ止めようと思う。状況はさほど変わらないかもしれないけれど、それを巧く冷静に、管理しながら、自分を、心をなくさないようにしよう。
October 27, 2004
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午前様の帰宅は、飲んでいたせいではないから、余計に切ない。ただ普通に仕事してなんでこんな時間なんだろうか? 引き継いだ案件の根本的なところが実はごっそり抜け居ていたことが今日、判明して(!)その穴埋め作業に没頭すること数時間。大体2日掛かるような仕事を、一日で終らせろというのが土台無理な話なのに、それを何とかってやってしまったら、こんな時間になるのも仕方がない。 イライラして、気が付いたら足を揺すっていたのに、ちょっと愕然とする。Be Cool!こんなことじゃいけない。 夕刻、突然同期から電話が掛かってくる。「金曜日に急遽東京に出張することが決まってさ、だから今11階に居るよ」私を「生涯最高の友人」と名誉ある称号を与えてくれた人なので、じゃあ、ご飯食べに行きますかとなったが、彼のフィアンセまで来るのは予定外だった。知っていたら、早々に断っただろうに・・・。こちらは仕事の合間の軽い食事と思っていたけれども、本格的なイタリアンレストランに行く事になってしまったのも誤算。中座するわけにも行かずに、最後まで付き合って、ビルの正面玄関が閉まるギリギリに滑り込む。守衛のオジサンに笑われる。 その時点ですでに26日が残り2時間となっていた。しかし、オフィスは煌々と電気が付いていて、随分な人数が残っている。「こんなの普通じゃないな」と言いながらも、仕事再開。明日から出張する同僚は、もう完全に疲労によるハイテンション状態で、しかし目がスワっている。11月の頭から、堰を切ったかのように、出張ラッシュである。そのせいもあって、あちこちでバタバタしている。 INBOXや机の上に積んだ書類がもう限界に達したので、今日するべき仕事がある程度片付いた時点で、整理整頓。シュレッダーするような書類が埋もれていたり、本当はとっくの昔に片付いているべき仕事の依頼が、地層の中から発見されたりと、いやな汗をかく羽目になる。仕事が出来ないから、いつもこうだ・・・。 「後1Qだよ」と同僚が言う。時計を見ると「今日」が終ろうとしている。T嬢と二人して、駅に向かって走る。明日から出発する同僚とは、半月会えない。彼が帰って来るときに、私が出発しているから。 「元気で、倒れないように」「うん。君も」慌しく、束の間の別れ(そんなにセンチメンタルになることもないが)を告げて、駅に向かって走る。日付が変わる前になんとか電車に乗れた・・・。 一日中、走り回っていたので身体はヘトヘトなのに、まだ脳がエキサイトしているから眠るのにも一苦労だ。まったく・・・帰り道の涼しい風にあたって、やっと少しばかり開放された気分になった。 気の利いた文章が、書けるようになるのに、暫く時間が掛かりそうだ。
October 26, 2004
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強いて言えば、混乱の一日だった。妙に調子が外れて、ちぐはぐになり、かみ合わない。朝からしてそうだった。 「あ、なんか今日はヤクザっぽいですね」と職場に到着早々、アシスタントの女の子に言われる。瞬間言葉を失った。相手が悪気がなく爽やかに微笑んでいるから、なおのことである。「あ?ええ?どこが」と聞き返してしまった。「だって、ダブルのスーツじゃない。しかもピンストライプだし」「今日寒いっていうから」「そのわりに、シャツのボタン二番目まで開けてるじゃないですか」「電車の中暑かったんだよ。それに遅刻しそうだったから、走ったし」「ポケットに片手入れて、歩いてた」「クセだよ。直さないといけないと思っているけど」「ほら、まとめてみると、やっぱりヤクザっぽい」「・・・・・」などと、不毛極まりないやりとりしている自分がイヤになる。 溜息を付いて、席に座ったか座らないかの瞬間に、上司に呼ばれる。なんか「しでかしたか?」と思い、頭をフル回転させていると、神妙な顔をして上司が「ちょっと」と隅っこの椅子に私を引っ張っていく。 「急な事だけどさ、多分・・・近く異動になると思う」と上司が切り出した。「はぁ、そうですか、解りました」と応えたものの、現実味が全くない返事である。異動?そう・・・異動ねぇ・・・うむ。再び机に戻っても、一体その言葉が何を意味しているか、解っているのに理解していなかった。今の部署から、出て行く。毎日が目まぐるしく毎日がそれなりに苦しく、楽しい日々が、間もなく終る。今の上司や同僚達と同じ時間を過ごす事が、あと少しとなる。慣れ親しんだ空間も、窓の外の風景も、見納めになる日が来る。それって・・・。 動揺するというよりも、放心状態と言って良かった。異動先は告げられていないが、うちの組織の方針から行けば、次は官房系だろう。数日前まで、「あと一年くらいはいてくれないと困るんだよ」といわれたばかりなのに。これこそ、ヒトコトだ。 呆然としているところに「電話です」と言われる。「あ、もしもし?いつもお世話になっております・・・はい・・・」と使い慣れた台詞が無意識に口を伝って出てくる。「ええ、解りました。それでは、よろしくお願いします」といつもとおりに電話を切って、いつもとおりに仕事を始める。変わらず忙しい一日。でも、これもあとどれくらい続く事やら・・・。 気持ちを整理するのに、時間が掛かりそうだ。
October 25, 2004
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昨日、余りにも疲れていたので、机に突っ伏してうとうとしていたら、突然グラっと来た。地震が来る直前に、時々「あっ」と想う事があるのですが、今回は転寝していたせいもあって、判らなかったのでかなりビックリしました。 関東圏だと、けっこう小さい地震がきたりするので、慣れているのだけれど、とにかく、部屋と台所を仕切るドアを開けて、靴を一足裏返しに置いて、財布と携帯をポケットに入れる一通りのことはした。自分のところだけは大丈夫なんて事はありえない。 それから断続的に余震が続いて、しかも横揺れだからごく軽い船酔いのような感じだった。TVでは速報が流れて、そのうちに報道特別番組に変わった。 今日になって被害規模が段々と明確になってきた。なんとも言えない気分になる。 それから、サウジアラビアに赴任した同期からのメールの事を思い出した。常に危険な状況にあるから、家のドアには鉄板を貼ったほうが良い、それも4mmではなくて5mmのを。4mmだとAK47で貫通しちゃうんだ・・・それと、もし手榴弾とか、爆弾が近くで落ちたら、爆風で窓ガラスが割れるし、ドアなんて簡単にぶっ飛ぶ。そうするとドアそのものが凶器になるから、ベッドの位置とか考えて置いて・・・靴はいつでも裏返しにしておくこと、そうしないと吹っ飛んできたガラスやらなんやらが靴の中に入って怪我するから-そんなかなり普通でない事を、大使館の書記官がごく普通に説明してくれたらしい。 天災だから、完全な予知をすることは難しいし、被災地の住民は本当に大変だと思う。次は、もしかしたら自分の住んでいるところが、とも思う。台風の後、被災地にボランティアで行っている方が沢山居る事を、報道で知って、日本もまだまだ捨てたものじゃないと思った。 天災だから仕方がないとは決して思わないけれども、人為的に人間を傷つける為に、或いは傷つけられる為に防御したり、備えたりするのは余りにも悲しい。 う~ん、昨日からどうしてか、疲れてしまって、うまく言葉が見つからない。ので、今日はここまで。
October 24, 2004
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週末のオフィスは、いつもの事だが、一週間分の疲れによる気だるさと、今日さえ過ぎれば束の間の休息が待っているという曖昧なハイテンションとが入り混じった雰囲気になる。仕事に集中してムダ口を一切きかずに居る人の傍で、「今日の夜はどこに飲みに行こうか?あ、そういえば富士急ハイランドの予定そろそろ決めないとね」と仕事と全然関係ない話で盛り上がっているのが居て、更にそのすぐ隣で、トラブルのデパートのような案件を抱えた同僚が上司と相談していて、う~むと唸りながらどちらも腕組みしているという情景が見られる。そういう私も、気が付けば再来週に迫った出張の準備に半泣き状態になりながら書類を量産し、その一方で全く毛色の違う仕事にも手を出して、一体どれから始末するか、思案するような状況であった。 一言で言えば、オフィスはカオスのような状態。 夕食を同僚たちと済ませて、軽く飲んだあと解散となり、いつものように電車で帰宅する。みんなが忙しいから、帰る時間も「常識範囲」に収まる。 乗り換えて、急行が通過していくのを待っていると、向かい側の席、少し斜めの所に、見覚えのある紳士が腰を下ろした。何気なく読んでいた本から目を上げて、各駅停車に乗り込んできた人たちを眺めていただけだったが、相手も鞄を膝に乗せて顔を上げた時、こちらを見た。それほど情熱的な視線を注いでいたわけではなかったのだけれど、目が合ってしまった。「あ、この前の・・・」心の中で呟く。 何週間か前、朝から事務所に寄らずに直接外勤先に出向く事があって、その日は遅く起きたものだから、駅のキオスクでとりあえず空腹を凌げる程度のものを買って、ベンチに座って胃袋に納めていた。食事というには余りにも貧相だし、品がないといえばそれまでなのだが、背に腹は換えられないので、パクついていると、その紳士が「ねぇキミ、よかったら、一緒に会社サボりません?」と突然声をかけてきた。 正確な歳は解らないけれども、役職についていそうな雰囲気。身なりはきちんとしていて(随分高そうなスーツだったな)、センスも悪くない。ズボンには綺麗にプレスされたセンターラインが入ってるし、黒の革靴もぴかぴかである。ビジネス用のブリーフケースを手にしていて、どこから見ても、ジャパニーズビジネスマンである。こちらも外回りに行くので、それなりの格好をしている。それなのに、「会社サボりません?」とはなんだ??と頭の中でクエスチョンマークが渦巻く。ナンパするための台詞としては、かなり突飛である。「ええっと、約束があって外の方と会うので、ちょっとサボれないですね」と、気圧されてしまったために、訳の判らない応え方をしてしまった私も随分である。「そっか。残念だなぁ。天気良いし、勿体無いな」と独り言なのか、私に向かって言っているのか判断つかないような事を、紳士が言った。実に穏やかな口調だった。その日一日、ちょっと妙な気分だったのを憶えている。 その紳士が、今日斜め前に座った。家の最寄駅で声を掛けられたのだから、同じ路線に乗っているのはちっとも不思議ではないのだけれど、そういえば、あれから今日まで一度も逢ったことがない事に気が付いた。 目礼するのも変だし、無視するのもちょっと違う気がするし、どうしたものかとまごついていると、向こうが微かに、周りには解らない位に、頷いた。つられて私も同じようにして、本に視線を戻した。 駅で降りて、階段をくだり、改札を抜けていく。紳士も同じ駅で降りたけれども、ごく自然に改札を潜って、道に出た。どちらから声をかけることもなく、そして避けるわけでもなく、いつものようにして。 視界の隅を、紳士の背中が掠めていったが、ふとその時、あの日彼は仕事をサボったのだろうか、それともきちんと出社したのだろうかという小さな疑問がわいて、またすぐソーダ水の泡のように消えていった。
October 22, 2004
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朝、囁くように降っていた小雨は昼前には上がって、見る見るうちに雲が薄くなっていった。午前中を会議で潰されてしまったお蔭で、午後一杯は、また走り回る事になった。 書類を取りにいくついでに、仲良くしているアシスタントの子の所へ寄り道をする。ちょうど彼女が座っている場所が、ほぼ一年前、私が座っていた席だからというのもある。床に太陽光が落ちて、明るくなっている。 「富士山、見える?」「さっきまでは見えていたんだけどね」そんな会話を交わして、またいそいそと席に戻る。 夏に比べて太陽の高度が落ちているので、これまで日が当たらなかった場所に光が届くようになっている。 「摩天楼」は、窓から見える遠くのビル群ではなく、私の机(及びその隣の机)に堆く積まれた書類やファイルの事である。斜めに差し込む日差しによってそこかしこにファイルの影ができる。もうほとんど収拾が付かないほどに散らかっているので、あまり暢気にその情景を楽しんでいる場合ではないのだが・・・。 どこまでも広がっている空が気が付くと青みを増し、見事な晴天に生まれ変わっている。雨上がりだからだろうか、すっきりとしているように見える。気持ちもそれによって少し落ち着く。 「ああ、仕事しなくっちゃ」とPCに目を戻す。 夕刻、黄金色からセピア色、更に群青色が入り混じるようになる。暗くなり始めた地平線のちょっと上のほうは、ビロードのような薄い灰色になっている。雲がなかったので、ちょっと単調な夕暮れだったけれども、何となく秋から今度は冬へと向かうような、シックな感じのする時間だった。 「あれ?あの書類どこだっけか??」上司に言われて、資料を探してそうにも、INBOXどころか、キーボードの右も左も紙だらけで(しかも左側のお隣さんの机にまで侵略している!)、ガサゴソしていると、「あー慌てなくて良いから。しかし、ちょっと酷いな」と上司が苦言を呈す。元来、片付けるのが苦手と言っても、威張れた事ではないし、ここのところの忙しさでは、片付ける時間がないも同然なので、「すみませ~ん」と言いながら、意味のない(しかし奥が深い)笑いを浮かべてみせる。 「ありました、ありました」なんだか一仕事したような感慨深さである。見ると、上司の机の上も、人の事を言えた義理じゃない状態だったが、黙っている事にした。 しかし、そろそろ限界だから、摩天楼を解体して、出来るだけサラ地が多くなるようにしなくては。 誰も居ないのに、バサバサと書類の山が崩れるようになるのが、私達の部署では「危険信号」としている。それじゃ、まずいのだけれどね。
October 21, 2004
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人生の道のりの中でバイオリズムがあり、それが年毎、月ごと、あるいは日ごとのサイクルまで噛み砕く事ができるとすれば、今日はまさに下降の一途を辿っているといっていい。 実に、冴えないというか、カッコ悪い一日だった。朝、目覚ましを無意識のうちに止めたので、危うく遅刻しそうになる。急ぐ余りに道を選ばずに歩いたら、水溜りに思い切り踏み込んでしまって、見事なまでにズボンのすそを濡らしてしまう。 超が付くほど忙しいこのときに、いきなり訳の判らない(つまり事前情報の何もない)会議に出ろと上司に言われる。案内を見ると、知らせが届いたのが15日だったのに、今日の今日まで、上司が握っていたものだから、バタバタになってしまった。「どうせなら、今日も握っていて欲しかったねぇ」と貧乏クジを引いた同僚と二人でぼやいた。そしてその会議も、「つまるところ、なんなのよ?」といいたくなるような代物。こんなのに一時間半も付き合わされたこっちの身が持たない。「無茶というか、チャレンジャーだよなぁ」と会議の後、同僚と意見が合う。実現性のない事は、熱く語れるにしても、それまでのことなんだから・・・ドリーマーが多すぎて、イライラする。 席に落ち着く暇もなく、別の会議へ。仕込みをちゃんとしておいたはずなのに、まさかの結果が出てしまった。そしてその犯人はうちの上司だから、もうヤになってしまう。背後から刺されるとは、正にこの事だ・・・。「なんとかなるだろう・・・」と言い訳めいた事を言っていたが、何とかしなくっちゃいけないのは、私なんだから、いい加減にしてくれ。どっちでもよかったんなら、私が仕事しやすいほうにしてくれ・・・。半ば自棄になって「負けるもんか」と言って、自分を慰める。 意気消沈としてしまったので、地味な仕事に没頭していたら、今日は台風が来るから、早く帰れという。「バカヤロウ・・・こんなに仕事抱えていて、帰れるかよ」とぶつぶつ言っていると、「ちょっと、コレだけど、明日までに何とかなる?」と来年度の仕事についての書類を持ってくる。言ってる事とやっている事、全然かみ合ってないじゃないか。「何とかしますよ」顔も見ずに応えて、席に戻る(ちょっと大人気ない)。 帰宅するときは、雨も小降りになっていたので、ラッキーと思っていたが、乗り換えの駅に着いた瞬間、大音量とともに雨足が増していった。最寄り駅から家に帰り着くまでに、すっかり足元は濡れてしまって、もう水溜りだろうが、なんだろうが、構わずにすたすた歩いた。お蔭で、風が吹く時、地面を滑っていく事が、「現象」として確認できたし、普段込み合って歩けない道を広々と、気を遣うことなく歩けた。家に付く頃には、また雨が小降りになり始めていた。タイミング悪い事、この上ない。 なんというか、疲れる一日だった。早々に寝る事にする。
October 20, 2004
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台風の影響で、朝から雨が盛大に降っている。風もあるから、こういうときの服装が一番困ってしまう。 ホームに滑り込んでくる電車の窓は蒸気でスモークガラスよろしく曇っており、それを見ただけでげんなりしてしまう。 ここ数日、暑かったり寒かったり、それに加えて忙しかったりしたので、体調がいまいちすぐれない。今日も朝微熱があるようだったから、解熱剤を飲んで出勤した。 ところが、これが思わぬところで「作用」した。金曜日と月曜日に急ぎの仕事が続いたので、今日はその反動のためか、会議もなくずっと席で仕事をすることになった。最初のうちはよかったのだが、ある時を境に、漬物石を背負わされたかのように身体が重たく、頭も朦朧として、耐え難い睡魔に襲われた。基本的に薬はあまり飲まないし、お酒も飲めないので、薬を飲むと、テキメンに効いて来る。伸びをしたり、屈伸をしたり、歩き回ったりして、何とか睡魔を追い払おうとしたが、席にただ座っているだけでも、記憶が「飛ぶ」。仕方がないので、降参して執務室の一番奥の書庫に逃げ込む。そこは、これまでしてきた仕事の資料が置かれている場所で、閉架式の書棚と地図や様々な資料(そしてなぜかデスクと椅子が1セット)おいてある場所で、ストックしている資料をデータベースで検索できるようになってから、滅多にその場所に長居する人もいないし、新しい資料はドアに近い手前のほうに置いてあるから、奥のほうには滅多に人が来ない。よって、書棚と壁の隙間に座り込んで、壁にもたれて仮眠を取る事にした。解体したダンボールを集めて、背もたれと座布団代わりにして、上着をかけた。基本的に電気はずっと消されているし、発熱するようなPCもコピー機もなにもないので、いつもひんやりしている場所なのだが、ダンボールで補強すると、割と暖かい。こんな事を言っては不謹慎だが、街中で寝泊りしているホームレスがダンボールを使用する訳が少しわかった気がした。 そうは言っても、隠れて悪い事をしている自覚もあるし、狭い場所で身体を折って窮屈な姿勢をとっているので、うとうとするのが精一杯でぐっすり眠れたりはしない(また、ぐっすり眠ってしまうのも怖い)。 ただ、誰も居ない静かな場所で、分厚いガラスで隔ててあるので、外の雨の音も道行く車の風を切っていく音も聞こえず、自らの呼吸音だけが解る。 どのくらい経ったのか、正確にはわからなかったが、書棚を動かす為に廻されるハンドルのカタカタという無機質な音を聞いたかと思うと、「うっわ!」という声がつかさず耳に飛び込んできた。目を開けると、アシスタントの女の子が、目を丸くして立っている。「大丈夫ですか!?」「あ?うん、ちょっと眠っていただけだよ。ビックリさせたね」「それならいいんですけど・・・あービックリした」俄かに安堵な調子に戻ったのでこちらも安心して、段ボール製の「ベッド」から立ち上がった。「あ、ここに居た事、黙っててね」と念押しをして、書庫を後にした。眠気は幾分取れたが、すっきりとはいかなかった。惜しい・・・あとちょっとだったのにな。 何食わぬ顔をして席に戻ると「あれ、どこに行っていたの?Wさんから電話ありましたよ」とT嬢いうので「あ、別件打ち合わせ」と誤魔化した。「書庫で自分相手に打ち合せすると、ほっぺたに跡が付くんですよね」自分のPCを眺めながらT嬢がぽつりと言った。あ・・・バレてるじゃん・・・。「あの場所、私だけが使ってるかと思ったら、そうじゃなかったんだ」椅子を寄せて、自然と声を潜める。「みんな、自分だけだって思ってるでしょう」「あ、ところでほっぺの跡ひどい?」「うん?ああ、大丈夫」「よかった」。 跡がついてあるであろうところを、何度か擦って、意味なく咳払いをしたら、斜め前に座っていた先輩が、意味有り気にニヤリと笑った。 なんだ・・・みんな、共犯者じゃん。
October 19, 2004
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今回の出張は記録的に慌しく(それでもかつての先輩のように、ゼロ泊3日なんていうのはまだ経験してないし、できれば経験したくないのだけれど・・)、前から出張用の鞄に詰め込んでいた小説を読むので時間を潰す事にした。とは言っても、3時間半の短いフライトだし、現地に着いてもあれこれとあって、結局枕に頭をつけてからの僅かな時間しか、その本を手に取ることはなかった。そして、数ページも捲らないうちに、睡魔に降参しているから、ちっとも先に進んでいない。 旅先に持っていく本は、慎重に選んだほうが良いと思うような体験をした。慎重というのは少し大袈裟かもしれないけれど、要するに毒にも薬にもならないようなものが良いと私は思う。トルストイの人生論なんて、もっとも向かない本だろうし、2時間あれば読めてしまうサスペンス推理小説(古典は別として)もあまりにも、カルすぎる気がする。 そうすると、手持ちの中で割りと集中して読む必要があって、少しページ数の多いものをいつも選ぶ事になる。 そうした尺度で、以前バングラデシュに出張した時に小林秀雄の著書を携えていった事があった。題名はあまりはっきり憶えていないが、様々な作家の作品・スタイルに対する評論だった。 ホテルのベッドに転がって無為な時間を過ごすより他ないとき(滅多にないことだが)に、その本を広げた。読みすすめていくうちに、言い知れぬ居心地の悪さを感じた。決定的ではないが、違和感のようなものをページを捲るたびに感じたので、とうとうその本を閉じてしまった。 帰国してから、電車の中で残りを再び読み始めたが、その時は、なんら違和感なくしっくりきていた。 行きつけの喫茶店でその事を話すと、長年、雑誌の編集者を勤め上げたK氏が「ああ、わかるな、それ」と言った。 「う~ん、うまく言えないんだけど、つまりね、あの本は日本で読むべきものだって思ったんだ。日本なら渋谷の喧騒の中でも、どこでも読める気がする。でも、海外に持って行くべき本じゃないって感じかな」コーヒーを啜りながら、K氏は頷いた。「こっちが本を選んで買っていたり、借りて読んでいたりするけど、実は本に選ばれているのかもね」と彼は言った。その言葉がやけに心象に残っている。 その次にポーランドに出かけたときは、「王妃の離婚」を携えていった。12時間にも及ぶフライトの間は、雑誌などを読んでごまかし、携帯した本は寝読書用にした。今度は、うまく行った。描かれた舞台が中世のパリ・カルティエ・ラタンだったのが功を奏したのかもしれない。 これから、どこかに出かけるとき、バカンスなら文庫本を数冊持って、ビーチの見える場所でひたすら読書にふける。脈略もなくいろんなジャンルのものを持っていこう。仕事で出かけるのなら、それなりの「重たさ」のあるものを。なにはともあれ、旅のともには、本は欠かせないパートナーである。旅先で親友になるか、日本に戻ってきてからその友情が芽生えるか、楽しみである。
October 18, 2004
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朝、モーニングコールのビックリするくらいに大きいベルの音で、目を覚ました。反射的に枕元に置いてある時計に目をやる。起きて支度して出かけるまでに充分過ぎるほどの余裕がある。 重たいカーテンをこじ開けると、朝もやの中に包まれた街が現れる。昼間は晴れていても、朝からちゃんと晴れる事はほとんどない。道を走る車の数はまばらだが、通勤のためか、中心街に向かって歩く人やバス停に佇む人はそれなりの数だった。 会議の時間をもう一度確認して、朝食に向かう。出来る事なら、「伝統的な」揚げパンと豆乳の朝ごはんを食べたかったけれども、往年、リアカーを引いて、住宅地の角で売ってくれるスタイルは廃って、今はスタンドのようなところでないと売っておらず、ホテルの近辺にはなかったので、仕方なくレストランに行く事にした。美味しくないとは言わないけれども、中途半端なコンチネンタルブレイクファーストにするより、おかゆとあんまんとザーサイの方が、断然美味しい(ベーコンなんて、焼きすぎてボール紙を噛むようだから)。熱いお茶を飲んで、散歩に出る事にした。 もやが幾分晴れて、前夜呼び込みをしていたお店は、明かりが消えてひっそりとしている。遠くからクラクションの音が聞こえてくる。ジャケットを一枚羽織ってちょうどよい気温。これからどんどん寒くなって、12月に入れば雪が降り、そして旧正月の頃は、カラカラに乾いて切れるような風が吹く冬になる。 ホテルに沿って、ぐるりと一周する。つい先々週末までは国慶節の休みで、私が到着した日からやっと機能が正常に戻っていたせいか、何処となく緩慢な空気があった。背の高い常緑樹や落葉樹が入り混じって、点在して、上空を流れる風に囁くような葉擦れの音を立てていた。 歩道の至る所が、工事のために掘り返され、或いは舗装しなおされ、道端には、ブロックが積んであってそれを避けながら歩いた。2008年のオリンピックに向かって、北京は突き進んでいる。 着替えを済ませて、ロビーを出た時には、すっかり太陽も昇りきって眩しいほどの光があたり一面に降り注いでいた。宋さんの車に乗って、一路会議場へと出発した。 幹線道路の交差点で足止めされ、信号に阻まれ、何度となく通った道なのに、随分時間がかかってしまった。立ち並ぶ高層ビルの間を、昔ながらの店が小さな間口を構えている。夏だと、その脇に折りたたみの椅子などをおいて、定年後のじいさまやばあさまが座って夕涼みしたり、マージャン台を囲んでいたりする。顔を上げれば、日本企業の看板や製品の広告が目に飛び込んでくる。カタカナ表示の商品名が見事に中国語訳されている。いつもながら、巧い表現をするものだと感心する。(可口可楽なんて、最高傑作じゃないか) 与えられた時間は、一日。正確に言えば6時間強。その間に混迷極めている事態を整理し、もつれた糸口を探し出し、双方が納得するように道筋をつけるのは、そう簡単ではなかったのだが、一応の妥協を見出す事が出来た。「あのですね・・・」などと言いながら、一体何杯お茶をお代わりしたことか。近づいたと思ったらまた離れていくの繰り返しだったが、離れていく距離が少しずつ縮まって、最終的にどちらも疲れきった処で、妥結することになった。説き伏せるような芸当は、とても出来ないので、まずまずの出来と言って良いだろう。 会議が終って、「これから、どうしますか?」と日本側のクルーが言うので、「ホテルに帰るよ」と応えたら、夕食を一緒にしませんかと誘われた。どうせ、宴席で一晩で、現地のごく一般的な住民の半月分の給料にもなってしまうようなレストランに連れて行こうとするだろうから、考えただけでうんざりする。超が付くほど有名な店でなければ、むしろ庶民が出入りする店のほうが美味しい。「ああ、それなら、ホテル近くのお店に行きましょう。良いところ知っていますから」「そ・・・ですか」半信半疑のオジサマ達を説得して、ホテル前の食堂に行った。バラックのような危なっかしい建物、もう何年も張り替えていない為に色褪せた看板。ドアにつけられたビニールで出来た簾。戸惑うオジサマ達を他所に、ずんずん進んでいくと、仕方がないと言う風に彼らも付いてきて、店に入った。店内は明るかったし、ウエイトレスのお姉さんもおばさんも明るかった。適当に並べられた机に丸い簡単な椅子を引き寄せて、即席で席を作ってくれた。未だ不安げなオジサマ達の為にビールを注文し、食事をオーダーした。お茶を啜りながら話をしていると、次々と料理が運ばれてくる。置いてある割り箸はどれ一つとして、まともに真ん中で割れないのだが、そんな事は気にしない。 「美味しいですよ」構わず私が食べ出すと、ビールのコップを置いて彼らも料理に手を出した。「あ、うん、美味しい」疑いが晴れた。それからは、大胆になってあれもこれもに箸が伸びて、にぎやかな夕食になった。「これだけ食べても、多分みなさんがいつも行っているレストランの半分の値段もしないですよ」「僕、しばらくここら辺の店に来てみようかな」。 歩いてすぐのところに宿があるので、随分遅い時間まで騒いで、帰路に着いた。道を渡るとき、周りに余り街燈がないところで空を見上げると、冷たい天空で幾つかの星が瞬いていた。どこからともなく虫の声もする。しんしんと冷え込んできて、その冷気はどちらかというと地面から湧き上がってくるようであった。 「まったく慌しいったらないな」。帰国の日の朝、ホテルを出て、宋さんに頼んでわざわざ天安門広場の前を通って、事務所に向かった。毎回決まって私は、北京を訪れた時は天安門広場に行くか、時間がないときは車で走ってもらう。「環状線を廻ったほうが早いですよ」と宋さんが親切に言ってくれたが、「いいんだ、お願い」と無理を言って、メインストリートを走ってもらった。車窓から相変わらず雄大で朱塗りの天安門を見て、反対側の広場に目をやった。例え北京がNYほどの都市になって摩天楼が出来たとしても、この場所だけは変わらない。だからなのか、いつも私はそこを一目見て、帰国する事にしている。 事務所に会議のあらましをまとめた報告書を提出し、何人かの友人と少し話しをして、少し早いが空港に向かう事にした。 「今度逢う時は、赴任してくる時かな」現地スタッフの劉さんがそう言った。「この前も、同じ事言ってなかったっけ」「まあ、いずれ来るでしょ?元気で」。簡単に別れを告げて、たった二日前に通った道を今度は逆方向に進んでいく。 「北京の秋っていいなぁ」「また、来て下さいね」宋さんが言った。 北京国際空港の出発ターミナルビル前で車を降りて、宋さんに別れを告げた。折から風が吹きぬけていく。もう一度辺りを見回した。どこまでも広がる空に、伸びをして、喧騒のひしめく空港カウンターへと向かった。
October 17, 2004
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飛行機が徐々に高度を下げ始め、ナビゲーションに示されたルートが終ろうとしているころに、時計の竜頭を引っ張って、時差を調整した。 少し身を乗り出して、眼下に広がる大地を眺める。淡い黄色や濃い緑色が点在する畑がどこまでも広がっていたり、ところどころに用水池があって、太陽光にハレイションしていたりするのが見える。しばらくすると点在していた家並みが、その密度を次第に濃くしていき、彼方にビル群が微かに見えてくる。 北京は数年前までは、酷い大気汚染に冒されていた。車の排気ガスが工場から噴出される煙などで、晴れていても遠くまで見通すのが難しいくらいであった。最近ようやく「昔の北京」を取り戻しつつある。 10月は、北京ではもっともよい季節である。旅行もハイシーズンとなる。高い高い青い空がどこまでも広がって、空気はひんやりとしていて乾いている。その時期に偶然にも北京を訪れる事が出来たのは、ラッキーだったとも言える。 随分と綺麗に整備された空港ターミナルを出ると、事務所の運転手の宋さんが待っていてくれた。無口だがいつもニコニコと笑っている彼と再会に握手をして、「車を廻してくるから」と言って、駐車場のほうへ歩いていった。 辺りは、いつものように喧騒に包まれていた。盛んに行き交う人々は、あちこちで一塊になって車を待っていたり、荷物を下ろしていたりする人たちの間を縫うようにして歩いていく。ロータリーには市内に向かうバスやタクシーが緩やかな秩序を保ちつつ、お客さんを待っている。次々に「タクシー乗らないか?」と声を掛けられる。「結構です」ときっぱり断ると、あっさり別の所へ行ってくれたので、助かった。 なかなか戻ってこない宋さんを待っていると、「今降りてきた飛行機はJALだった?」とおじさんに声を掛けられた。何の疑いもなく、中国語で(もっと言えば綺麗な北京語で)言うので、思わずそのまま調子を合わせて応えてしまったけれども、私の隣に立っていた日本人のサラリーマンではなく、私に声をかけてきたのは、彼の勘だろうか?それとも私の佇まいのせいだろうか?と思ったが、よく解らない。 車が滑り出して、まだ太陽の光が強い中を市内に向かってエアポートハイウェイを行く。10年前まで、北京で渋滞する事など考えられなかったが、今ではメインストリートは、常に車で埋まっている。「象徴」であった自転車の大群は、もはや何処でも見る事が出来ないようになった。高速道路の両サイドは、暢気な遊休地だったのに、今では高層マンションが立ち並んでいた。 「ここのところ、ずっと天気はいいの?」「ああ、申し分ないさ」車内の空気を若干和らげる為に、交わす会話。しかし宋さんは、それ以上なにも言わなかったので、私も黙る事にした。安全運転している私の乗った車の横を、アウディだのライトバンだのが、スピードを上げて追い越してゆく。 上下左右に複雑に絡み合った、まさにスパゲッティジャンクションのような道は、思っていたよりも空いていた。環状線のそばにある事務所まで難なくたどりつく事が出来た。 降り立った地面のかすかにざらついた感触が、北京に着いた事を実感させてくれる。日差し受けて、ビルの構内に植えられた潅木の葉が、風が吹くたびに揺れてプリズムを作り出す。あまりのんびり風景を眺めている事も出来ずに、事務所に顔を出した。 仕事の打ち合せを済ませて、再び外に出た時は、ひんやりした空気が一斉に身体にまとわりついた。宵の口の街は薄墨の羅紗を掛けられたかのように色を落す。私は、この時間が好きである。見事な夕焼けが茜色・橙色・白乳色・薄い紺色の色彩を放って、空を飾っていた。もう少し夜が更けると、電飾が目立ってきて、北京にいるのか東京に居るのかわからなくなってしまう。 堅い感触の北京独特の空気は、到着した瞬間最も強く感じられるけれど、ホテルに着いた頃には、それがごく自然なものであるように思われた。そうして私もその風景に溶け込む事が許されたように感じる。 ホテル近くの食堂では、呼び込みの甲高く張りのある声が聞こえてくる。どの店も狭くて、お皿を下さいというと、洗ったばかりで水気たっぷりのものを渡してくれるようなお店なのだが、安くて美味しくてにぎやかこの上ない。「うちのお店にはいんな!」熟年のおばさんが、ニコニコしながら声をかけてくる。食欲が余りなかった私は、曖昧な笑顔をつくってそれを断るしかなかったが、ちょっと心が痛む。 夜が訪れて、街はいっそう活気付く。高級料理店のネオンが規則的に点滅する。見上げると、しかし漆黒の空がそこにあった。 ホテルの部屋に入って、荷物を置いて椅子に腰がけた時に、やっと静寂が訪れた。カチッと鳴らしたライターの音がやけに大きく聞こえた。北京の秋の一日は、そうして静かに幕を閉じた。
October 15, 2004
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