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「〔15〕安産を待ち望む人々8―九月十一日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。女房たちは、薄物の表着にかとりの裳をつけ、唐衣を着て、頭には釵子(さいし 飾り具)を挿し、白い元結をしている。そのため髪の様子が、引き立って、美しく見える。若君にお湯をかける役は宰相の君、介添え役は大納言の君(源廉子)、二人の湯巻姿が、いつもとは違って、風情がある。 若宮は、殿が抱いて、御佩刀(みはかし)は小少将の君が、虎の頭は、宮の内侍(ないし)が持って、若宮の先導役をつとめる。宮の内侍の唐衣は、松笠の紋様で、裳は大波・藻・魚貝などを刺繍で織り出して、大海の摺り模様に似せてある。裳の大腰は薄物で、それに唐草の刺繍がしてある。小少将の君は、秋の草むら、蝶や鳥などの模様を、銀糸で刺繍して、輝かせている。織物は身分上の制限があって、誰も思うままに作れるわけではないから、裳の大腰のところだけを普通のものとは違う意匠にしているのだろう。 殿の子息二人(頼通十七歳と教通十三歳)と、源少将(源雅通)などが、散米(うちまき)を大声でまきちらし、自分こそ音高く響かそうと、競って騒いでいる。
2023.12.31
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「〔13/14〕安産を待ち望む人々7―九月十一日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記13/14」の研鑽を公開してます。頼定に禄なども賜ったが、そのことはわたしは見ていない。若宮の御臍の緒を切るのは殿の北の方。御乳付けの役は橘の三位徳子。御乳母は、以前から仕えていて、親しくして気立てがよい人をということで、大左衛門(おおざえもん)のおもとが奉仕する。この人は備中の守宗時朝臣の娘で、蔵人の弁(藤原広業)の妻である。〔15〕御湯殿の儀(おおんゆどののぎ)御湯殿(おおんゆどの)の儀式は酉の時(午後5時~7時)とのこと。灯火をともして、中宮職の下級役人が、緑色の袍の上に白絹の袍を着て、お湯を運んでいる。その桶を置いた台などは、みな白い覆いがしてある。尾張の守知光(ちかみつ/美作守藤原為昭の子)と中宮職の侍長である仲信(なかのぶ/六人部仲信)が担いで、御簾のところへ運んでくる。御簾の中から水取役の女官二人、清子(きよいこ)の命婦と播磨(はりま)が桶のお湯を、取り次いで、湯加減をみながらよく水でうめて、それを女房二人、大木工と馬とが、ほとぎ(素焼きの土器)に汲み入れ、定められた十六のほとぎに入れて、余ったお湯は湯槽に入れる。
2023.12.30
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「13/14安産を待ち望む人々6―九月十一日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記13/14」の研鑽を公開してます。 いつものように、渡り廊下の部屋から眺めると、寝殿の妻戸の前に、中宮の大夫(藤原斉信)や東宮の大夫(藤原懐平/ふじわらやすひら)など、その他の上達部たちも、大勢伺候している。殿は縁先に出て、随身に落ち葉などで埋もれた遣水の手入れをさせ、まわりの人々も、いかにものどかで心地よさそうである。心配事のある人も、このときばかりはふと忘れてしまいそうで、中宮の大夫はことさらに得意そうな笑顔を見せるわけではないが、嬉しさはだれよりもで、しぜんと顔に表れるのもうなづける。右の宰相中将(藤原兼隆)は、権中納言(藤原隆家/道隆の子)とふざけあって、東の対屋の縁側に座っている。〔14〕御佩刀(みはかし)・御臍の緒(みほぞのお)・御乳付(みちつけ)宮中から下賜された御佩刀(守刀の剣)を持参した頭中将源頼定は、今日は、伊勢神宮への奉幣使(みてぐらづかい)の出発する日なので、頼定は宮中に、帰っても、お産の穢れに触れているために清涼殿に昇れないので、殿は頼定に庭先に立ったまま、母子ともに平安でいる様子を奏上させる。
2023.12.29
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「〔12〕安産を待ち望む人々5―九月十一日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記12-3」の研鑽を公開してます。〔12-3〕若宮の誕生3午の刻(午前十一時~午後一時)に、空が晴れて、朝日が射し出したような気持ちがする。安産でいらっしゃった嬉しさは類もないのに、その上皇子で、いらっしゃった喜びといえば、どうして並一通りのことであろう。昨日は、一日中泣いていて、今朝も秋霧の中で泣いていた女房なども、みな局に引きとって休む。中宮さまには年配の女房たちで、産後に相応しい人が付き添う。〔13〕人々のよろこび殿も北の方も、あちらの部屋に移られて、この数ヶ月御修法や読経に奉仕したり、昨日今日と参集していた僧侶たちにお布施をたまわったり、医師や陰陽師などで、それぞれの道で効験があった者に褒美(衣類・絹・布など)をお与えになったり、内々では御湯殿の儀式の準備をあらかじめさせているらしい。女房の各部屋では、大きな衣装袋や包などを運び込む人たちが出入りし、唐衣の刺繍や、裳のひき結びの螺鈿(らてん)や刺繍の飾りを、多すぎるほどして、人には見せないようにしている。そして、注文した扇をまだ持って来ないわねなどと、言いかわしながら、化粧をし身づくろいをしている。
2023.12.28
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「〔12〕安産を待ち望む人々4―九月十一日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。〔12-2〕若宮の誕生2あの美しい宰相の君の、顔が変わってしまっている様子なども、本当に珍しいことで、まして私の顔などはどうだったのだろう。でも、そのときに顔をあわした人の様子が、お互いに思い出せないのは良かったのかも。 いよいよ出産なさる時に、物の怪がくやしがってわめきたてる声などのなんと恐ろしい事か。源の蔵人が出した憑坐(神霊が降臨)には心誉阿闍梨。兵衛の蔵人が出した憑坐(よりまし:神霊がよりつく人間)には妙尊という僧侶。延暦寺の妙尊阿闍梨という人を、右近の蔵人(くろうど)が出した憑坐(よりまし)には法住寺の律師を、宮の内侍の局にはちそう阿闍梨(勝算の弟子の千算か)を担当させていたところ、ちそう阿闍梨が物の怪に引き倒されて、気の毒だった。念覚(ねんがく)阿闍梨(園城寺の智弁の弟子の円明寺検校:大納言藤原済時の子)を、呼び寄せ加えて大声で祈祷する。阿闍梨の効験が薄いのではなく、物の怪が、酷く頑強だった。宰相の君の担当の招祷人(おぎびと:祈祷師)に、叡効(えいこう/四十四歳。加持に高名/栄花物語)を付き添わせたところ、一晩中、叡効は大声を上げ続けて、声も涸れてしまった。物の怪が移るようにと新たに呼び出した憑坐たちにも、みな移らないので大騒ぎ。
2023.12.27
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「〔11〕安産を待ち望む人々3―九月十一日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。〔11-3〕安産を待ち望む人々3―九月十一日殿の子息たち(頼通17歳、教通13歳)や、宰相の中将(藤原兼隆) 四位の少将(源雅通)は勿論、左の宰相の中将(源経房40歳)、中宮の大夫(中宮職の長官、藤原斉信)など、いつもはあまり親しくない人たちまでも、几帳の上から覗き、泣きはらした私たちの目など見られても、恥もなにもかも忘れ、頭の上には魔除けの米が雪のように降りかかり、混雑で皺になった着物がどんなに見苦しかっただろうと、後になって考えるととてもおかしい。〔12〕若宮の誕生1中宮さまのお産が重いので、仏の加護を頼んで形式的に髪を剃って受戒(仏道の殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒の五戒)をして安産を願っている間、途方にくれて、これはどうしたことかと、呆れるほど悲しんでいるときに、安らかにご出産なさって、後産のことがまだすまない間は、あれほど広い母屋から廂の間、縁の欄干のあたりまで大勢いる僧侶も俗人も、もう一度大声をあげて、額を床につけて礼拝する。 東面にいる女房たちは、殿上人にまじって座るような状態で、小中将の君(中宮女房)が左の頭の中将(近衛中将で蔵人頭を兼ねた者)とばったり顔をあわせて、あきれていた様子を、後になってみんなが言いだして笑う。この小中将はいつも化粧が行き届いた美人で、この時も明け方に化粧をしたが、泣いた為、化粧くずれで、呆れる程変わり、とてもその人とは見えななかった。
2023.12.26
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「〔11〕安産を待ち望む人々2―九月十一日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。〔11-2〕安産を待ち望む人々2―九月十一日殿の北の方と讃岐の宰相の君(豊子)、内蔵(くら)の命婦(道長の五男教通の乳母)が御几帳の中に、仁和寺(にんなじ)の僧都と三井寺の内供(ないぐ)を呼び入れた。殿が万事に大声で指図される声に、僧も圧倒されて読経の声も静かになった。 もう一間にいる人たちは、大納言の君(中宮女房、廉子)、小少将の君(中宮女房)源時通の娘、宮の内侍(ないし)、(中宮女房、橘良芸子)、弁の内侍(藤原義子)中務(なかつかさ)の君(中務少輔源至時の娘)、大輔(たいふ)の命婦(中宮女房)(越前守大江景理の妻)、大式部(おおしきぶ)(道長家女房)のおもと、この人は、この邸の宣旨女房(帝の口宣を蔵人に伝える女官)。何れも長年仕える人ばかりで、心配して取り乱しているのは、尤もな事だが、中宮さまに仕えて日が浅い私は、中宮さまをお見慣れるほど比べものにならないとじぶんなりに思われる。私達の後ろに立ててある几帳の向こう側に、尚侍(かみ)(道長の次女妍子)付きの、中務の乳母(藤原惟風の妻高子)、姫君(道長の三女威子当年十歳)付きの少納言の乳母(道長家女房)、幼い姫君(道長の四女嬉子当年二歳)付きの小式部の乳母(道長家女房藤原泰通の妻)が無理に入り込んで、二つの御帳台の後ろの細い通路は容易に通ることができない。すれちがっても、お互いの顔も見分けられない。
2023.12.25
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「〔11〕安産を待ち望む人々1―九月十一日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。〔11-1〕安産を待ち望む人々1―九月十一日十一日の明け方にも、北側の襖を二間とりはらって、中宮さまは難産のために場所を忌み嫌って、北廂の間に移られる。御簾かけることができないので、御几帳を重ね立てて、その中にいらっしゃる。観音院権僧正勝算(しょうさん)、定澄僧都、権法務済信権大僧都などがそばについて加持をされる。院源(いんげん)僧都(第二十六代天台座主)が、きのう殿が書かれた安産願いに、さらに尊い言葉を書き加えて、読み上げる言葉が、身に沁みるほど尊く、心強く思われるのに、そのうえ殿が一緒になって仏の加護をお祈りに、なるのはとても頼もしく、いくらなんでも大丈夫だろうと思うものの、やはりひどく悲しいので、女房たちはみな涙が流れるばかりだ。ほんとに不吉なこと、そんなに泣かないでと、お互いに言い合うものの、涙をおさえることができなかった。こんなに人が多くては、中宮さまもなおさら苦しいだろうと、殿は女房たちを南や東の間に出されて、どうしてもいなければならない人たちだけが、この二間の中宮さまの側に控えている。
2023.12.24
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「〔9〕重陽の菊の着せ綿―九月九日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記9」の研鑽を公開してます。宰相の君は目をあけて、気でも狂ったの、寝てる人を思いやりもなく起こすなんてと言って、少し起き上がられた顔が、思わず赤くなっていらっしゃるなど、ほんとうにどこまでも美しかった。 普段でも美しい人が、時が時なので、特別に美しく見えた。〔8〕重陽の菊の着せ綿―九月九日兵部のおもと(式部と同輩の女房。おもとは女房の敬称)が菊の着せ綿を持ってきて、これをね、殿の北の方(鷹司殿倫子)が、特別にあなたにって。これでよく顔や体をぬぐって、老いを取り除きなさいって言うので。菊の露 わかゆばかりに 袖ふれて 花のあるじに 千代はゆづらむ菊の露に私はほんの少し若返る程度に袖に触れて、千代の長生きは菊の花の持ち主である北の方さまにお譲りしましょうと詠んだ。9月8日の夜に菊の花に綿をかぶせ、翌朝、菊の香りと露を含んだ綿で体を拭うというもの着せ綿を返そうとしたら、北の方はもうあちらのお部屋にお帰りになってしまわれたと言うので、着せ綿が無用になり、菊の花に真綿を覆って、翌朝夜露に濡れて菊の香りが移った綿で、顔や体をぬぐうと老いが除くと信じられた。
2023.12.23
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「〔8〕同日の夜、中宮産気づく」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記8」の研鑽を公開してます。〔8〕同日の夜、中宮産気づくその夜、中宮さまの御前に参上したところ、月が美しい頃で、部屋の端近には、御簾の下から裳の裾などがこぼれ出ているあたりに、小少将の君(源時通の娘)や大納言の君(源扶義の娘廉子)などが控えていた。中宮さまは、香炉に、先日の薫物を土中かに取り出させてお入れになり、出来具合をためしてごらんになった。取り出してきた女房たちが、庭の景色の素晴らしさや、蔦(ツタ)が色づくのが待ち遠しい事などを、口々に口々に申し上げていると、中宮さまはいつもより苦しそう。中宮さまの苦しそうな様子になるので、加持などされるところなので、なんだか落ち着かない気がして御几帳の中へ入った。そのうち人が、呼んでいるというので、自分の部屋に下がり、しばらく休んでいようと思ったが寝てしまった。夜中に中宮さまが産気づいたと大騒ぎしている。
2023.12.22
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「平安時代の随筆 紫式部日記7」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「平安時代の随筆 紫式部日記7」の研鑽を公開してます。増して、何故か、私自身が思うことは、憂愁の思いが少しでも、少ない身であったならば、風流がってみせ、若々しく振る舞い、この無常の世も過ごすのだけれど、私の憂愁は極めて深いものなので、そんな浮わついた気持ちにはなれない。道長一家の繁栄の素晴らしい事や、面白い事を見たり聞いたりするにつけ、俗世間を逃れたい気持ちを、ただ心に決めていた事に魅かれる事ばかりが、強く全てが憂鬱で、思い通りにならず、嘆かわしい事が増え大層つらい。どうにかして、今はもう物思いも忘れよう、思ってもしかたがない。悩んでばかりいては、罪も深いことだろうなどと思いなおして、夜が明けてしまえば、ぼんやり眺めて物思いをして、お庭の池に、水鳥たちが、物思う事もなさそうに遊びあっているのが見え心うるう。
2023.12.21
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「〔6〕宿直(とのい)の人々」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記6」の研鑽を公開してます。中宮さまは、中宮の大夫(藤原斉信/ただのぶ)、左の宰相の中将(源経房)、兵衛の督(かみ)(源憲定)、美濃の少将(源済政/なりまさ)などと一緒に、演奏を楽しまれる夜もある。だが、表立っての管弦のお遊びは、殿になにかお考えがあるのだろう、お催しにはならない。この数年、実家に戻っていた女房たちが、ご無沙汰していたのを思い起こして、参り集まってくる様子も騒がしくて、その頃はしんみりしたこともない。〔7〕宰相の君の昼寝姿―八月二十六日八月二十六日、御薫物の調合が終わってから、中宮さまは、女房たちにもお配りになり、お香を練り丸めていた女房たちが、おすそわけにあずかろうと、御前に大勢集まっていた。中宮さまの御前から下がって部屋にもどる途中、弁の宰相の君(藤原道綱の娘豊子)の部屋をちょっとのぞいてみると、ちょうどお昼寝をなさっているときだった。萩や紫苑の色とりどりの袿に、濃い紅の艶やかな打衣をはおって、顔は襟の中に入れて、硯箱を枕にして寝ていらっしゃる。その額がとても可愛らしくなよやかで美しい。まるで絵に描いてあるお姫様のようなので、口を覆っている袖を引っぱって、まるで、こまのの物語の女君のようと言う。
2023.12.20
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「〔5〕御盤のさま」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記5」の研鑽を公開してます。〔5〕御盤のさま播磨守(平生昌/たいらのなりまさか)が、碁に負けて饗応をした日、わたしはちょっと里に退出していたので、後日に碁盤の様子などを、拝見したら、碁盤の華足(花形の脚)などがいかにも風流に作られていて、洲浜の波打ち際の水に次の歌が書きまぜてあった。紀の国の しららの浜にひろふてふ この石こそは いはほともなれ紀伊の国の白良の浜で拾うというこの碁石こそは 中宮の御代とともに末長くあって 大きな巌となりますようにこんなときの扇なども、趣向を凝らしたものを、そのころ臨席した女房たちは持っていた。〔6〕宿直(とのい)の人々―八月二十日過ぎ八月二十日過ぎの頃からは、上達部や殿上人たちで、当然お邸に、伺候する人々は、みな宿直することが多くなって、渡殿の橋廊の上や、対屋の簀子などに、みなうたた寝をしては、とりとめもなく管弦の遊びをして夜を明かす。琴や笛の演奏などは、未熟な若い人たちの読経くらべや今様歌なども、こういう場所柄としては、おもしろかった。
2023.12.19
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「〔4〕殿の子息三位の君」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。〔4〕殿の子息三位の君しっとりした夕暮れに、宰相の君(藤原道綱の娘豊子。式部と最も親しい女房)と二人で話をしていると、殿のご子息の三位の君(道長の長男頼通十七歳)がいらっしゃって、簾の端を引き上げて、お座りになる。年齢のわりにはずっと大人びて、奥ゆかしいご様子。女はやはり、気立ての良い人となると滅多にいないものだと、男女関係の話をしんみりとしていらっしゃる。その様子は、幼いと世間の人が侮っているのはよくないことだと、こちらが恥ずかしくなるほど立派に見える。あまり打ち解けた話にならない程度で、おほかる野辺にの歌を詠む。女郎花 おほかる野辺に 宿りせば あやなくあたの 名をや立ちなむ女という名を持つ女郎花の多い野原に泊まったら 別に多くの女と寝たというわけでもないのに 理不尽にも浮気者だという浮名が立つだろう古今集・小野美材和歌を口ずさんで退出なさった様子こそ、物語で褒めている男君そっくりのような気がした。 このくらいのちょっとしたことで、後々ふと思い出されることもあるし、その時はおもしろいと思ったことでも時が経つと忘れてしまうことがあるのは、いったいどういうわけなのだろう。朝の道長の戯れと夕の頼通の端正なふるまい。この父子の対照は、物語の光源氏と夕霧の対照になぞらえられる。
2023.12.18
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「〔3〕朝露のおみなえし」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。〔3〕朝露のおみなえし渡り廊下の戸口の傍の私の部屋から外を眺めていると、うっすらと霧がかかった朝の、露もまだ落ちないころなのに、殿(藤原道長)が庭を歩かれて、御随身(みずいじん)を呼ばれて、遣水のごみを取り除かせられる。渡殿の橋の南側にある女郎花(おみなえし)が真っ盛りなのを一枝を折って、几帳越しにわたしに見せられる姿の、こちらが恥ずかしくなるほど立派なのに比べ、私の寝起きの顔の見苦しさが思い知らされる。この花の歌、遅くなってはいけないだろうなと殿が言われたのをよいことにして、硯のそばに寄った。をみなえし さかりの色を 見るからに 露のわきける 身こそ知らるれ女郎花の盛りの美しい色を見ますと 露がわけへだてをして置いてくれないわたしの容貌の衰えが思い知らされます。おお早いとにっこりされて、殿は硯を取り寄せになる。白露は わきてもおかじ をみなへし こころからにや 色の染むらむ白露はなにもわけへだてしているわけではない 女郎花はじぶんの心から美しくなろうとしているからだろう 女は心のもちようで美しくなれるよ女郎花を見せる趣向や歌のやり取りは、単なる主人と女房の関係か、それともそれ以上の関係か?
2023.12.17
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「〔2〕五壇の御修法(ごだんのみずほう)」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記2」の研鑽を公開してます。〔2〕五壇の御修法(ごだんのみずほう)まだ夜深いころの月が曇って、木の下が暗いのに、御格子を上げましょうと下級の官女はまだ控えていないではと女蔵人(にょくろうど)が上げてよと言い合っているうちに、後夜の鉦(ごやのかね)がはっと驚くように鳴って天皇や国家の重大事のときに、息災・調伏(ちようぶく)などを目的に五壇の御修法(ごだんのみずぼう)は定刻の勤行を始めた。我も我もと声を張り上げている伴僧の声々が、遠く近く響きあって聞こえてくるのは、荘厳で尊い。観音院の僧正が、東の対から二十人の伴僧を率いて、寝殿へ御加持に行かれる足音で、渡り廊下の床板が音を立て踏み鳴らされるのさえ、ほかのときの雰囲気とは違っている。法住寺(ほうじゅうじ)の座主は馬場殿へ、浄土寺(じょうどじ)の僧都は文殿(ふどの)へと揃いの法衣姿で、立派な唐風の橋をいくつも渡り、木々の間を見え隠れしながら帰って行く時も、遠くまで見ていたい気がして、感慨深い。東の対では斎祇(さいぎ)阿闍梨が、西壇の大威徳明王(だいいとくみょうおう)を礼拝して、腰を屈めており女官たちが出仕してくると、夜も明けた。
2023.12.16
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「土御門邸の秋―寛弘五年七月中旬」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。『紫式部日記』上巻〔1〕土御門邸の秋―寛弘五年七月中旬秋の気配が深まるにつれて、土御門のお邸(左大臣藤原道長の邸宅)の様子は、言いようもなく風情があり、池の辺りの木々の梢や、遣水(やりみず)の畔の草むらは、それぞれ一面に色づいて、空の様子も美しいのに引き立てられて、僧たちの不断の読経の声々も、いっそうしみじみと身にしみている。 しだいに涼しくなってきている風の様子に、いつもの絶え間ない遣水の音が、夜通し読経の声と混じりあって聞こえる。 中宮さま(道長の長女彰子中宮)も、お側にお仕えする女房たちが、とりとめない話をするのをお聞きになりながら、(妊娠九ヶ月の身重で)苦しいだろうと思うのに、さりげなく隠している。その様子などが立派なのを、いまさら称えるまでもない事だが、辛いこの世のなぐさめには、こういう素晴らしい方には求めてでもお仕えすべきだと、日頃の塞いだ気分とは打って変わって、例えようもなくすべての切ない思いを忘れているじぶんは、考えてみればとても矛盾していると思った。
2023.12.15
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「平安時代の随筆 紫式部日記26」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「平安時代の随筆 紫式部日記」の研鑽を公開してます。源氏物語を書き上げた紫式部だが、もう一つの代表作が紫式部日記である。中でも有名なのが、女房批評の部分だろう。手紙のような文体で書き綴る。紫式部が和泉式部の酷評をしている。和泉式部という人とは、趣深い手紙のやりとりをしたようだが、和泉式部には倫理的に感心しない所があると。気軽に手紙を走り書きしたときに、その面で文章の才能のある人。ちょっとした言葉にも、色艶が見えるようだ。和歌は、とても上手い。でも古歌の知識、歌の理論などは、ほんとうの歌人というわけではない。口から出るにまかせて詠んだ歌などに、面白いものが目にとまるものが詠んであり、それほどの歌人であっても、他人が詠んだ歌を、非難したり批評したりする場合、歌というものをよくわかっていないように思える。
2023.12.14
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「平安時代の随筆 紫式部日記25」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「平安時代の随筆 紫式部日記」の研鑽を公開してます。悩みが少しでも人並みの身であったなら、この菊を目の当たりにすれば、うきうきもして、若々しい様子で無常の世も暮らしただろうに。素晴らしいこと、素敵なことを見たり聞いたりするにつけても、ひたすらに、気掛かりなことを抱える気持ちに引きずられる面ばかりが強くて、憂鬱で、意図しないところで嘆かわしいことが募っていくのが、とても苦しい。 何とかして今は悩みを全部忘れてしまいたい。悩んだところで悩む甲斐がない。こうして拘っていることは、罪も深いことであるようだしなどと考えていると、空が白んできたので、ぼんやりと物思いにふけり、水鳥などが悩みなどなさそうに遊び合っているのを見る。 紫式部が一条天皇の中宮彰子に仕えていた寛弘五年の秋から寛弘7年の正月までの宮廷生活の詳細な記録と個人的な思いを述べた部分からなる日記
2023.12.13
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「平安時代の随筆 紫式部日記24」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「平安時代の随筆 紫式部日記」の研鑽を公開してます。 水鳥を水の上のものとしてよそごとに見るだろうか、いや、見ない。水鳥が水に浮いているように、私もふわふわと辛い世の中を過ごすばかり、水鳥もそうして気晴らしのように遊んでいるように、見えるけれど実際その身はとても苦しいようだと自分と重ねて見つめずにはいられない。一条天皇が道長様の所をお訪ねになる行幸の日も迫ってきたという事で、道長様は邸内をますます手入れさせ、立派に整えさせなさる。人々は実に素晴らしい菊の株を探し回り、掘り出して献上する。様々に色変りしている菊も、黄色いので見どころがある菊も、様々に植えつけている様子も、朝霧の絶え間に見渡したときには、延命長寿の花といわれる菊だけあって、本当に老いも退いてしまいそうな気持ちがするけれど、どうしてだろうか、そんなに晴れやかな気持ちにはなれない。
2023.12.12
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「平安時代の随筆 紫式部日記23」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「平安時代の随筆 紫式部日記」の研鑽を公開してます。人々は、実に素晴らしい菊の株を探し回り、掘り出して献上する。様々に色変りしている菊も、黄色いので見どころがある菊も、様々に植えつけている様子も、朝霧の絶え間に見渡した時には、延命長寿の花と、言われる菊だけあって、本当に老いも退いてしまいそうな気持ちがするが、どうしてだろうか、そんなに晴れやかな気持ちにはなれない。 まして悩みが人並みの身であったら、この菊を目の当たりにすれば、うきうきもして、若々しい様子で無常の世も暮らしたであろうに。素晴らしい事や素敵な事を見たり聞いたりするにつけても、集中して、気掛かりなことを抱える気持ちに引きずられる面ばかりが強くて、憂鬱で、意図しないところで嘆かわしいことが募っていくのが、とても苦しい。 何とかして今は悩みをすっかり忘れてしまいたい。悩んだところで甲斐がない。こうして一つの事に拘ることは、罪深い事であるようだしなどと考えていると、空が白んできたので、ぼんやりと物思いにふけり、水鳥などが、悩みなどなさそうに遊び合っているのを見る。
2023.12.11
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「平安時代の随筆 紫式部日記22」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「平安時代の随筆 紫式部日記」の研鑽を公開してます。まして、思ふ事の少しもありふれたる身ならよかったのに、好き好きしくももてなし、若やぎて、常なき世も過ぐしてまし。めでたき事、おもしろき事を、見聞きするにつけても、ただ、思ひかけたりし心の引く方のみ、強くて物憂く、思はずに、嘆かしきことの増さるぞ、いと苦しき。いかで今は物忘れしなむ。思ふ甲斐もなし。罪も深かるなりなど、明けたてばうちながめて、水鳥どもの思ふこと無げに遊び合えるを見る。水鳥を水の上とやよそに見む我も浮きたる世を過ぐしつつ何とかして今は、悩みをすっかり忘れてしまいたい。 悩んだ所で甲斐がなく、こうして一つの事に拘っている事は、罪深い事である。そのように考えていると、空が白んできたので、ぼんやりと物思いにふけり、水鳥などが悩みなどなさそうに遊び合っているのを見る。彼もさこそ心をやりて遊ぶと見ゆれど、身はいと苦しかるなりと思ひよそへらる(重ね合わせて考える)一条天皇が道長様のところを、お訪ねになる行幸の日も迫ってきたという事で、道長様は邸内を増々手入れさせ、立派に整えさせなさる。
2023.12.10
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「平安時代の随筆 紫式部日記21」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「平安時代の随筆 紫式部日記」の研鑽を公開してます。どうにかして、今はもう物思いも忘れよう、思ってもしかたがない、悩んでばかりいては、罪も深いことだろうなどと思いなおして、夜が明けてしまえば、ぼんやり眺めて物思いをして、庭の池に、水鳥たちが、物思うこともなさそうに遊びあっているのが見える。水鳥は、只水の上に浮いているものと、他人事のように見るだろうか。いや、他人事ではない。 私も不安定な浮いた人生を過ごしていながら。水鳥も、あのように心ゆくばかりに遊んでいるように見えるが、その身は、たいそう苦しいであろうと、私の身に重ねて思ってしまう。行幸近くなりぬとて、殿のうちをいよいよつくろひみがかせ給ふ。世におもしろき菊の根を訪ねつつ、掘りて参る。いろいろ移ろひたるも、黄なるが見どころあるも、さまざまに植えたるも、朝霧の絶え間に、見渡したるは、げに老いも退ぞきぬべき心地するに、どうした事か。
2023.12.09
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「平安時代の随筆 紫式部日記20」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「平安時代の随筆 紫式部日記」の研鑽を公開してます。菊の色々な色のあせたのも、黄色の菊の見どころがあるのも、さまざまに植えつけているのも、朝霧の切れ目に見渡したところ、その美しい光景は、誠に、菊は不老長寿の象徴という通り、日持ちも良く長く楽しめる花で、老いも何処かへ行ってしまいそうである。増して、何故か、私自身が思うことは、憂愁の思いが少しでも、少ない身であったならば、風流がってみせ、若々しく振る舞い、この無常の世も過ごすのだけれど、私の憂愁は極めて深いものなので、そんな浮わついた気持ちにはなれない。道長一家の繁栄の素晴らしい事や、面白い事を見たり聞いたりするにつけ、俗世間を逃れたい気持ちを、ただ心に決めていた事に魅かれる事ばかりが、強く全てが憂鬱で、思い通りにならず、嘆かわしい事が増え大層つらい。
2023.12.08
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「平安時代の随筆 紫式部日記19」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「平安時代の随筆 紫式部日記」の研鑽を公開してます。紫式部と清少納言の結婚生活は離婚と死別で夫婦関係は解消されてしまった。未亡人になったことが宮廷出仕の1つの動機とも考えられている。清少納言は離婚した後も則光と密会を重ねたが、結婚生活10年で離婚したのが25歳の時。その後中宮定子に仕えたが定子が他界し藤原棟世(むねよ)と再婚し摂津の国へ。源氏物語の作者である紫式部の日記の現代語訳を綴っていきたい。紫式部日記は、中宮彰子の出産前後の出来事を綴っている。手紙のように綴られている他の女房の論評などを書いている。華やかな宮廷生活の中、悩み悶える紫式部の姿が垣間見える。作者の紫式部が一条天皇の中宮彰子に仕えていた寛弘五年の秋から寛弘7年の正月までの宮廷生活の詳細な記録と個人的な思いを述べた部分からなる日記。一条天皇が道長の土御門邸を訪ねて、行幸が近くなったというので、邸内に手を入れて立派にされ、配下の者たちはこぞって、まことに美しい菊の株を探し出しては、根から掘り出して献上する。
2023.12.07
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「平安時代の随筆 紫式部日記18」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「平安時代の随筆 紫式部日記」の研鑽を公開してます。紫式部と清少納言は性格が真逆なことでも知られているが、紫式部の性格を、要約すると人付き合いが苦手や目立ちたくない消極的な性格。これに対して清少納言の性格は、明るく社交的で目立ちたがり屋だった。また二人の性格の違いには父親の教育方針の違いにも影響していたと考えられる。紫式部の父はかなりの堅物で女性らしく振舞うことを重視した厳格な教育方針をしていたようで紫式部の控えめな性格に大きな影響を与えたと言われている。一方 清少納言の父は一流歌人で三枚目の一面を持った人物だったようで、枕草子から伝わってくる清少納言の性格は父親譲りな面があると考えらる。紫式部と清少納言の性格は、人によって好みが分かれる部分でもある。紫式部と清少納言の結婚生活は 紫式部の夫は藤原宣孝で 清少納言の夫は橘則光(たちばなののりみつ)という人物で、紫式部は女の子を授かり、清少納言は男の子を授かっている。また、清少納言は約10年の結婚生活の後に性格の不一致を理由に離婚、紫式部は約2年の結婚生活で夫に先立たれてしまう。
2023.12.06
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「平安時代の随筆 紫式部日記17」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「平安時代の随筆 紫式部日記」の研鑽を公開してます。清少納言は定子に仕え、紫式部は彰子に仕えた。定子と彰子は従姉妹の関係で共に藤原家の女性。紫式部と清少納言は平安京にいた印象が強いが数年地方で暮らしていた時期がある。父親がその地域を治める県知事のため紫式部は、27歳~29歳の頃に福井県で過ごし清少納言は9歳から13歳に山口県で過ごした。紫式部と清少納言は歌人として、共に和歌が百人一首に選ばれている。紫式部と清少納言の二人が残した作品のジャンルは大きく異なり、顕著に文学作品の違いが出て、源氏物語は世界最古の長編小説と言われる。主人公の光源氏を中心にした恋物語で400字詰めの原稿用紙1400枚分にも及ぶ超大作で、今では14か国の32の言語に翻訳され世界中で愛されている。清少納言の枕草子のジャンルは随筆とされ、清少納言が感じた喜びや怒り、興味を惹かれたものや素敵な情景が自由に綴られ、源氏物語は枕草子共に現代人も思わず共感する描写は、1000年前とは思えない作品である。
2023.12.05
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「平安時代の随筆 紫式部日記16」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「平安時代の随筆 紫式部日記」の研鑽を公開してます。紫式部と清少納言が生きた時代の女房には中級から下級貴族の女性が仕えていた。その結果 宮廷には教養のある才女が何人も集まっており高い文化水準が築かれ、その中で枕草子や源氏物語が誕生し平安文化に大きな影響を与えた。紫式部と清少納言とも次女として生まれ、紫式部は3男3女の次女で、清少納言は3男2女の次女で末っ子。父が59歳の時の子で長男とは親子ほども年が離れていた。紫式部と清少納言の本名については今も謎に包まれ、清少納言が清原氏の娘で、紫式部が藤原氏の娘で彼女たちの名前はよくわかっていない。紫式部と清少納言の二人の生年月日を調べても生没年は分からないままだったが勝手に断定付けたものだ。同時代の人物は間違いないが年齢的には清少納言の方が上だったのは間違いないようだ。清少納言の生年は 966年頃で没年は1025年で紫式部の生没年は973年ごろから1014年ごろとされているようだ。
2023.12.04
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「平安時代の随筆 紫式部日記15」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「平安時代の随筆 紫式部日記」の研鑽を公開してます。藤原定子の後宮は知的で明るい雰囲気が漂う場所だったが、藤原定子の崩御後、そのあとを継ぐ藤原彰子の後宮は派手さに欠け、少し堅い印象を受けに至る。そのため、藤原定子の後宮を懐かしむ男性貴族達が多く、紫式部はその事に負い目を感じ、定子の後宮は、紫式部にとって越えなければならない壁だった。紫式部と清少納言はともに現在まで読み継がれている文学作品の作者だ。紫式部は源氏物語を清少納言は枕草子を書いたが、清少納言は966年頃生まれ1025年59歳で没し、紫式部は973年生まれ1031年に58歳で没す。この時代は女流文学が数多く世に出た歴史は日本の誇りと言ってよい。紫式部と清少納言はともに宮仕えしていたが、具体的には天皇の后后に仕え、身の回りの世話や話し相手など、教育係 客人の取次などを行っていた。このように皇后など高貴な人物に仕える女性を女房といい、紫式部と清少納言も女房として宮廷で働いていたが同時期には仕えず面識がない。
2023.12.03
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「平安時代の随筆 紫式部日記14」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「平安時代の随筆 紫式部日記」の研鑽を公開してます。枕草子において藤原定子の後宮の雰囲気を象徴しているのは、藤原定子が知性に溢れる冗談を言い、それを清少納言が褒める場面や、藤原定子と女房達が一緒に賭けを楽しんでいる場面など。藤原定子の後宮では、主君自身がその登場人物登場人物を前面に押し出して積極的に冗談を言える雰囲気が漂い、清少納言もそれに応えられる明るい性格であったことが分かる。紫式部日記において紫式部は、藤原彰子の性格について、非常に品格があり奥ゆかしいながらも、それ故に少し消極的なところがあると評している。ゆえに、藤原彰子の後宮で過ごす上級女房達も恥ずかしがり屋の人が多い。殿上人(天皇が暮らす殿上間に昇る事を許された、男性の上流貴族)が後宮を訪れても、もじもじするばかり。紫式部は、それが悪い評判を、呼んでいると悲観的に捉えていたが、当時の男性貴族にとって後宮は、女房達と会話を楽しみながら和歌に興じる憩いの場だった。
2023.12.02
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「平安時代の随筆 紫式部日記13」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「平安時代の随筆 紫式部日記」の研鑽を公開してます。紫式部は枕草子の記述に見る清少納言とは異なり、むやみに自身の博識さを、披露しようとしない、遠慮がちで引っ込み思案な性格であったと言える。清少納言と紫式部の性格が分かる作風の違いは、2人が仕えていた主君やそれぞれが過ごす、後宮(こうきゅう)の雰囲気も大いに影響していた。後宮は、宮中において皇后や后などが住む奥向きの宮殿を指し、平安時代の後宮は上流貴族達の社交場として、女房達と共に文芸をたしなむ談話室のような役割を果たしていて、藤原定子と藤原彰子、それぞれの後宮の雰囲気は真逆で、枕草子と紫式部日記に記載があります。
2023.12.01
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