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源氏物語〔35帖 柏木24〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。六条院へ弁明してほしいと頼んだ。もし誤解が解けるなら、死後であっても感謝するとまで言う。話している最中も衛門督は苦痛に耐えている様子であり、左大将はその姿を見て深く悲しんだ。だが六条院との件については、左大将にも多少思い当たることがあったものの、確信を持って判断できるものではなかった。左大将は、衛門督自身の思い込みではないかと慰めた。自分には六条院がそのような感情を抱いているようには見えない。もしそれほど悩んでいたのなら、なぜもっと早く相談してくれなかったのかと悔やんだ。自分が間に立って誤解を解くこともできたかもしれないのに、今となってはもう遅いと残念がった。衛門督も、病が少し軽い時期もあったのだから、その頃に相談すればよかったと言う。しかし自分でも病状の進み方がわからず、まさかこれほど早く人生が終わるとは思いもよらず、この話は誰にも漏らすなと念を押した。左大将に打ち明けた、いつか適当な機会に自分に好意的な弁解をしてほしいからであった。
2026.07.27
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源氏物語〔35帖 柏木23〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。憂鬱な日々を送り続け、そしてその精神的な衝撃があまりにも大きかったため、自ら衰弱を早め、回復できないほどの病へと追い込んでしまったと語るった。この場面では、柏木(衛門督)が病そのものよりも、女三の宮との密通という誰にも明かせない罪の意識に苦しみ続けていたことが明らかになる。肉体の病ではなく、六条院に対する負い目と良心の呵責が、柏木の命を蝕んでいた。衛門督は、自分が才能に乏しい人間であることは承知していたが、それでも少年の頃から六条院を深く敬愛し、誠心誠意仕えようと努めてきたと語った。それだけに、なぜ自分が六条院の不興を買うことになったのか理解できなかった。誰かが中傷したのかもしれないとも考えたが、真相はわからないままだった。死を目前にしてもなお、この問題が心から離れないことを衛門督は苦しんでいた。本来ならそのような執着は往生の妨げになるはずだと自覚していたが、それでも気がかりでならず、左大将に対し自分の死後であっても六条院へ事情を説明を頼む。
2026.07.26
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源氏物語〔35帖 柏木22〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。今では意識もぼんやりし、祈祷や願掛けによって命が引き留められ苦痛に感じる。早く終わりが来てほしいと願うことすらあると静かに語った。もちろん思い残すことがないわけではなかった。両親への孝行も十分に果たせず、自分自身についても悔いはある。しかし、それら以上に心を苦しめている問題があるという。その秘密は今まで誰にも話せなかった。身内にさえ打ち明ける勇気がなかった。だが死を目前にした今、ひとりで抱え続けることにも耐えられなくなっていた。そこで衛門督は、最も信頼する左大将だけに真実を語ろうと決意した。衛門督は、自分が六条院の源氏の感情を害するようなことをしてしまったらしいと話し始めた。そのことを深く悔い、心の中で詫び続けながら暮らしていたという。そして法皇の賀宴の試楽の日、久しぶりに六条院と対面した際、その表情からなお許されていないことを悟った。その瞬間から、衛門督は生きていることが後ろめたさを感じるようにななり、源氏の怒りを受けているという思いが心を離れなかった。
2026.07.25
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源氏物語〔35帖 柏木21〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。起き上がろうとしたが思うように身体が動かなない。白い柔らかな衣を何枚も重ね、その上に夜着を掛けて横たわっていた。病室は整然として清潔であり、重病の中にあっても衛門督の几帳面な性格がそのまま表れていた。普通なら長い病によって髪は乱れ、見る影もなくなるものだが、衛門督は痩せ細っていた。枕から少し顔を上げて話すたびに息が絶えそうに見え、その姿は見る者の胸を強く打った。左大将は、長い病のわりにはそれほど病人らしい顔には見えず、むしろ以前より美しく見えると励ました。しかし実際には涙を隠すことができなかった。若い頃には同じ日に死のうと冗談交じりに語り合ったこともあった。今やその言葉が現実味を帯びて迫っているのである。左大将は、病名も原因も誰からも聞かされず、自分のような親友ですら何の病なのかわからないことがもどかしいと打ち明けた。それに対し衛門督は、自分自身にも病の正体はわからないと語った。特に痛む場所もなく、気づかぬうちに衰弱が進み、重態になった。
2026.07.24
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源氏物語〔35帖 柏木20〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。高い官位にある左大将を病室へ招くことを遠慮していたが、親友に会えないことがかえって心残りとなっていた。そこで今回は特別に病室へ通してほしいと伝えた。病床のそばに控えていた僧たちをしばらく外へ下がらせ、左大将を迎え入れたのである。二人は少年時代から分け隔てなく付き合ってきた親友であった。そのため迫りつつある死別は、左大将にとって兄弟を失うのにも劣らない悲しみであった。左大将は昇進の知らせによって衛門督の気分も少しは明るくなっているだろうと考えていた。しかし実際に対面してみると、その期待は無残に裏切られた。病はさらに深く進み、衛門督の姿には回復の兆しなどほとんど見られなかった。左大将は病床の衛門督を見るなり、なぜこれほど病状が悪化したのかと驚いた。今日は昇進というめでたい知らせもあり、気分が晴れているだろうと訪ねてきた。几帳の端を上げて中を見ると、そこには以前の面影が薄れるほど痩せ衰えた衛門督の姿があった。衛門督は苦笑しながら自分でもすっかり変わってしまったと言う。
2026.07.23
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源氏物語〔35帖 柏木19〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。特に年少の弟たちは親のように頼りにしていたため、その兄が死を覚悟して遺言を語る姿に接し、不安と悲しみを抱かない者はいなかった。家に仕える者たちまで皆が深く心を痛めていた。朝廷でも衛門督の病状は憂慮されていた。危篤状態にあることが帝の耳に届くと、帝は急いで彼を権大納言へ昇進させた。この栄誉によって気力を取り戻し、もう一度参内してくれるのではないかという期待を帝は抱いていた。だが病勢はそれを許さなかった。衛門督は病床で任命への謝意を記した表文を書き送ることしかできなかった。大臣は帝からの厚い恩遇を見るほどに、失われようとしている息子の存在が一層惜しまれ、途方に暮れる。左大将もまた衛門督の親しい友人として、その病を絶えず案じていた。見舞いの手紙を送り続け、昇進の知らせを聞くと誰よりも早く大臣家を訪れ、衛門督の住む周囲には車や馬が集まり、人々が忙しく出入りしていた。重病人の家らしい緊張した空気が漂って、今年に入って衛門督は、起き上がることさえ難しかった。
2026.07.22
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源氏物語〔35帖 柏木18〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。衛門督の父である大臣の強い願いによって法皇が許しを与えた経緯があった。かつて法皇は、六条院の娘である二品の宮の結婚が幸福ではないとの噂を聞き、むしろ二の宮のほうが将来頼もしい夫を得たと語ったこともあった。だが今となっては、その期待は完全に裏切られた形となり、関係者は悲しみに沈むばかりだった。衛門督自身も、若くして宮を未亡人にしてしまう運命を思うと耐え難かった。自分の命が思うようにならない以上、どうすることもできないが、宮がこの先ひとり寂しく生きていくことを考えると心が痛んだ。そこで母夫人に対し、自分が亡くなった後も宮を親身に世話し、支えてほしいと頼んだ。しかし母はそんな言葉を聞くだけで涙に暮れ、「なぜそんな不吉なことを言うのか」と取り乱してしまうため、衛門督も十分に話すことができなかった。そこで衛門督は、すぐ下の弟である左大弁に対し、女三の宮について詳しく遺言を残した。衛門督はもともと温厚で思いやりの深い人物であり、弟たちからも慕われていた。
2026.07.21
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源氏物語〔35帖 柏木17〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。六条院は、これまで続いた数々の不幸もこの怨霊の仕業だったのかと思い至り、あらためて女三の宮の境遇を哀れに感じた。出家後の女三の宮はわずかに容体が持ち直したものの、依然として予断を許さなかった。女房たちは将来への望みを失ったようであったが、六条院は命さえ助かればよいと願った。修法や祈祷を絶やさず続けさせ、あらゆる手段を尽くして快復を祈った。一方、柏木は病床で女三の宮の出産と出家の知らせを聞き、衰弱していった。彼は妻の女二の宮を気の毒に思いながらも、自らの死を覚悟していた。最後にもう一度だけ女三の宮に会いたいと強く望み、一条の宮へ行かせてほしいと両親に願い続けた。しかし病状の重さに加え、世間の目や周囲への配慮もあって、その願いは許されなかった。柏木の胸には、果たせぬ恋への執着と死への不安がますます深く積もっていった。衛門督は、自分の死後は女三の宮を守ってほしいと、周囲の人々に頼み続けていた。もともと宮の母である御息所はこの結婚に反対していた。
2026.07.20
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源氏物語〔35帖 柏木16〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。六条院は涙を流し、法皇もまた最も大切に育てた娘が、この世では出家という儚い姿になったことを深く悲しんだ。それでも法皇は、病が回復したなら仏道に励み、念仏を唱えて生きるよう諭した。法皇はまだ暗いうちに六条院を去った。女三の宮の容体は依然として危うく、父を見送る力も言葉を述べる余裕もなかった。六条院は法皇の見舞いへの感謝と十分な挨拶もできなかった非礼を詫び、自らの役人たちに法皇の一行を寺まで見送らせた。女三の宮は俗世との縁を絶ち、新たな運命へ踏み出したが、その前途にはなお病と不安の影が色濃く残され、法皇は、自らの命が尽きた後に幼い皇子が頼る者なく生きていくことを深く案じていた。六条院に対し、女三の宮が回復したなら、その子を今後も見守り、住まいを与えてほしいと頼んだ。六条院はその言葉を重く受け止め、悲しみに沈みながらも将来のことは責任をもって取り計らうと答えた。その夜の加持祈祷では物怪が人に憑依し、自分こそ紫の上を苦しめ、その後は女三の宮にも取り憑いていたのだ。
2026.07.19
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源氏物語〔35帖 柏木15〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。自分がここへ来たのも何かの縁であるから、この機会に宮への授戒を行おう。そしてそれを、自分が仏に対して果たすべき義務の一つを成し遂げたこととして受け取っていただこう、と静かに宣言したのであった。女三の宮自身は、死を前にした覚悟として出家を望み、六条院はなお生きてほしいために反対した。法皇は父親として娘の最後の願いを叶えようと決意する、三者それぞれの立場と愛情が交錯して、女三の宮は病の床で出家を強く望んだ。六条院は過去の過失も忘れ、老いた自分を残して尼になる必要はないと涙ながらに思い留まらせようとした。まず病を治し、その後に決めればよいと夜明けまで説得を続けた。宮は首を振るばかりで言葉を発せずその姿に六条院は、自分への恨みもあったのではないかと思い至り、いっそう深い哀れみを覚えた。やがて法皇は明るくなる前に帰寺するため、祈祷僧の中から人格の優れた者を選び、女三の宮の剃髪を命じた。若く美しい髪が切り落とされ、宮が仏門に入る光景は見る者の胸を打った。
2026.07.18
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源氏物語〔35帖 柏木14〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。この際に宮を出家させるのも一つの道と考えた。たとえ出家したとしても、それは夫に捨てられたからではなく、自らの信仰心による決断として受け取られるだろう。世間のあざけりを恐れる必要はない。今の宮の願いを叶えることも大切だと、さらに夫婦関係が終わっても、六条院が宮を冷酷に見捨てることはないと思った。妻としての愛情は以前ほどでなくなっても、兄の娘として、あるいは長年守ってきた存在として保護する気持ちは残るはずであると考えた。法皇はその後の生活についてまで思いを巡らせた。かつて宮に与えた財産の中には広く立派な邸宅もある。その邸宅を修理し、出家後の住まいとして整えればよい。自分が生きている間に必要な手配を済ませておきたいとも考えた。そして何より、六条院が今後どのような態度を取るのかを見極めておく必要があるとも感じていた。宮を不人情に扱うことはあるまいが、その覚悟を確かめたいという父親としての思いもあった。こうした考えを固めた法皇は、ついに決断する。
2026.07.17
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源氏物語〔35帖 柏木13〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。もしも本当に危篤の状態であるなら、出家の願いを叶えてやるとも思った。これに対し六条院は、自分も以前から宮にその願いを聞かされているが、それは物怪が心を惑わせて言わせていることだと思うので賛成していないと答えた。病中の弱気から出た願いではないかと考えていたが、しかし法皇はそうは考えなかった。もし物怪が勧めることであっても、それが悪事なら止めるべきである。しかし死を目前にした人が最後の望みとして願っていることなら、聞き入れずに後で悔いるよりは叶えてやるほうがよいのではないかと述べた。法皇は表向きには穏やかに話していたが、心の中ではさまざまな思いを抱いていた。自分が深い信頼を寄せて六条院に託した最愛の娘である内親王に対して、六条院の愛情が以前ほどではなくなっていることを、法皇は以前から何となく感じ取っていた。直接苦情を言うことはできないし、世間の噂になることも避けなければならない問題であったが、父としては残念な気持ちを抱き続けていた。
2026.07.16
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源氏物語〔35帖 柏木12〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。六条院は法皇を宮の寝所へ案内した。病人のいる場所であるため本来なら失礼ではあるがと断りながら、帳台の前に座を設けた。女房たちは宮の身なりを整え、介抱しながら寝台から下ろした。法皇は几帳を少し脇へ押しやり、病床の娘に声をかけた。自分は夜ごと病人の加持祈祷をする僧のような姿をしている。霊験を現せるほどの修行は積んでいなく恥ずかしいと半ば冗談めかして言いながら、会いたがっていた娘の顔を見つめた。そして法皇自身も涙をぬぐった。女三の宮もまた涙を流した。衰弱した姿のまま、自分の命はもう助からないと思い、ぜひ尼にしてほしいと父に願い、病気の苦しみの中で益々強くなっていた。だが法皇はすぐには賛成せず、出家の志そのものは立派だが、人の寿命は誰にも予測できない。もし若い宮が回復して長く生きることになれば、後になって心が変わり、世間から非難されるような結果になるかもしれない。だから慎重に考えるべきだと諭したが、その一方で法皇は六条院に向かい、仏の加護をとも語った。
2026.07.15
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源氏物語〔35帖 柏木11〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。子を思う親の情だけは断ち切れない。宮が重態であると聞けば、仏への勤めにも身が入らず、自分でも恥ずかしく思うほど心が乱れてしまう。人の命は誰が先で誰が後になるか分からない。もし娘が父に会いたいと願いながら、その願いをかなえられぬまま死んでしまったら、自分の心残りが成仏の妨げになるように思われる。世間の非難を覚悟のうえで来たのだと語った。法皇は僧の姿ではあったが、もともとの気品と美しさは少しも失われていなかった。華美な法衣ではなく、質素な墨染めの衣を身につけているだけだったが、その簡素さがかえって高貴な美しさを際立たせていた。六条院はその姿を見て、法皇の気高さと美貌を羨ましく感じた。女三の宮の出家の願いをめぐって、法皇と六条院の考え方の違いがはっきり現れる重要な部分で、法皇が六条院を訪れると、六条院は宮の病状について説明した。特定の病名はないが、もともとの衰弱が激しかったところへ食事がほとんど取れなくなり、そのために危険な状態へ進んでしまったのだというのである。
2026.07.14
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源氏物語〔35帖 柏木10〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。一方、出家して寺に住む法皇は、女三の宮が無事に男子を出産したという知らせを聞き、大いに喜ばれた。しかしその後に届くのは病状悪化の報ばかりであった。最愛の娘が衰弱しきり、何日も食事を取れないほど弱っていると聞くにつれて、法皇は仏道修行にも心を集中できなくなった。宮は病床で父を恋しく思い続け、長い間会えずにいた頃よりも更に父が恋しく、もう二度と会えないまま死んでしまうのではと悲しみ、涙を流した。その言葉を聞いた六条院は、人を通じて宮の思いを法皇に伝えた。知らせを受けた法皇は深く胸を痛めた。本来ならば出家した身として世俗との関わりを断つべきである。六条院を訪れることも好ましいことではないが、娘の危篤を聞いてじっとしていられなかった。人目を避けるため夜になるのを待ち、ひそかに六条院へ向かった。突然の行幸に六条院は大いに驚き、恐縮していた。法皇は胸の内を率直に語られた。出家した以上、この世のことには未練を残すまいと決心していた。
2026.07.13
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源氏物語〔35帖 柏木 9〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。宮の立場はますます苦しいものになるに違いない。もし法皇の耳に入れば、自分ばかりが非難される結果になる。病気を理由にして宮を出家させようかとも思うが、いざその考えを実現しようとすると、惜しさと哀れさが胸に迫る。まだ若く美しい盛りの女性を尼の姿に変えてしまうのはあまりにも残酷であるように思えた。そのため六条院は宮に向かって、どうか強く生きるようにと励ました。病状がこれ以上悪くなるとは限らないこと、もう助からないと思われていた人が回復した例も身近にあることを語り、この世にもまだ希望はあるのだと慰め続けた。そして白湯を勧めるなど、細やかな世話まで自ら行っていた。病床の宮は力は失われ顔色も青白い。弱々しい姿には、はかない美しさが漂っていた。六条院はそんな宮の姿を見るたび、どれほどの過失があったとしても、最後には自分の愛情が勝って許してしまうだろう。心を深く傷つけられながらも、なお愛し続けずにはいられない女性は、この宮をおいてほかにはないのである。
2026.07.12
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源氏物語〔35帖 柏木 8〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。出産の後に死ぬのは罪が深いと聞くので、尼になって功徳に頼りたい、生きるにしても死ぬにしてもその方がよいと思うと語り、以前には見られなかった落ち着いた口ぶりだった。院はそれを聞き、とんでもないことだと言った。出産後には誰でも不安になるものだが、子を産んだからといって皆が死ぬわけではない。気を静め、そのような悲観的なことは考えないように優しく諭した。薫との過ちを知って以来、六条院の心には消し去ることのできない影が残っていた。女三の宮が出家を望むなら、その願いを叶えたほうがよいとも思う。そうすれば自分自身の苦しみも軽くなり、むしろ以前より深い情をもって宮をいたわることができる。今までと同じように接しても、心の中には以前と同じではない。それを隠したまま暮らさせることは宮にとって気の毒である。六条院は、自分でどれほど努力しても、いったん生じた疑いと苦悩の霧が心を横切ることは避けられないと感じていた。やがて周囲の人々も、自分の宮への愛情が薄れたように感じるだろう。
2026.07.11
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源氏物語〔35帖 柏木 7〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。祝賀に奔走する余裕もなく、形式的な祝品を贈るだけで、院の周囲では若君を大切にしようという空気が強かったが、院自身の胸には人に言えない恥の過去があった。そのため祝いの宴を盛大にする気にはなれず、音楽などの催しも行われなかった。女三の宮は出産による衰弱が激しく、まだ満足に食事も取れなかった。自分の薄命をあらためて思い、いっそこのまま死んでしまいたいとさえ考えていた。院は人に疑われないよう振る舞っていたが、若君に特別な関心を示そうとはしなかった。老女房たちは、これほど美しい若君なのに院の愛情は薄いのではないかと噂し、その言葉を聞いた宮は、成長するにつれてさらに遠ざかると思う。院も過去の自分も恨めしく感じ、そして尼になりたいという思いを強くした。院は夜を宮の御殿で過ごさず、昼に時折顔を見せるだけだった。ある日、人生の無常を見続けてきたため仏事ばかりに心が向き、産屋の賑わいになじめないと、宮の体調を気遣って様子を尋ねた。宮は、まだ快復する自信が持てないと答えた。
2026.07.10
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源氏物語〔35帖 柏木 6〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。女児ならごまかせても、男児は人目に触れる機会が多いと考えた。しかし一方で、女性は将来高貴な家へ嫁ぐ可能性があるため出生が重視される。そう考えれば男児であったことはかえって都合がよいとも思った。そして自分の犯した罪への報いであり、この世で苦しみを受ければ後の世の罪は軽くなると考えた。女三の宮の秘密を知る者は誰もいなかった。そのため院が高貴な内親王を母とする若君をどれほど愛するだろうかと人々は考え、家司たちは盛大な出産祝いを準備した。六条院の夫人たちからも見舞いや祝いの品が届けられた。折敷(おしき)や高杯(たかつき)などの調度品には、それぞれ贈り主の趣向が凝らされていた。五日の夜には中宮による産養が行われ、衣装や贈り物が華やかに用意された。女房たちへの配り物から参列者への酒宴まで、身分に応じて手厚くもてなされた。七日の夜には宮中からの産養も行われた。朝廷の行事として重々しく営まれ、多くの貴族たちが祝いに訪れた。しかし太政大臣は柏木の重病に心を奪われた。
2026.07.09
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源氏物語〔35帖 柏木 5〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。小侍従にもう帰って宮へ自分の死が近いことを伝えてほしいと言った。なぜ前世からの因縁で、このように道ならぬ恋心が身に染みついたのだろうと嘆きながら、涙を流して病床へ戻った。普段なら小侍従を引き留め、宮の話を少しでも多く聞きたがる人だったが、この日は言葉も少なく、その様子が一層哀れだった。伯母の乳母も容体を語りながら泣き、大臣も昨日までは少し快方に見えたのにと心配した。衛門督は父に、もう自分は死ぬのだからそんなに案じなくてもよいと言った。しかしそう語る本人も涙を流していた。死を覚悟しながらも家族の悲しみを見ることは耐え難かった。そのころ女三の宮は産気づき始めた。経験のある女房たちはすぐ異変に気づき、院へ知らせた。院は驚いて御殿へ急ぎ、表向きは平静を装いながらも修験者や僧たちを集めて盛んに祈祷を行わせた。一晩中苦しんだ末、夜が明けるころ男児が生まれた。院はそれを聞き、子の顔立ちが誰に似るかによって秘密が明らかになるのではないかと不安になった。
2026.07.08
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源氏物語〔35帖 柏木 4〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。柏木の悲しみは深く、小侍従も涙をこらえきれなかった。やがて女三の宮から届いた返事を蝋燭の灯の下で開く。そこには弱々しくも美しい筆跡が残されており、死に向かう柏木の心を強く揺さぶることになる。病気を気にかけながらも自分からは尋ねられなかった事情は察してほしい、と宮は書いた。そして「あなたは生き残るでしょうと言われても、私はあなたとともに消えてしまいたいほどつらい。長くは生きられないでしょう」と和歌を添えた。衛門督はその手紙を何よりもうれしく思った。この言葉こそ生涯最後の喜びと感激し、涙を流しながら返事を書いた。しかし病のため筆は思うように進まない。そればかりか、鳥の足跡のような乱れた文字になった。たとえ自分が行方の知れぬ空の煙となっても、心だけは宮のそばを離れない。夕暮れには空を眺めてほしい。死ねば人目を気にする必要もないのだから、せめて自分を忘れないでほしいと切々と書き送った。やがて苦痛に耐えられなくなってきた。
2026.07.07
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源氏物語〔35帖 柏木 3〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。小侍従に、父は何も知らないから女の霊などと言われているが、自分を苦しめているのはただ一人、女三の宮への恋なのだと語った。もし宮の魂が本当に自分に寄り添っているのなら、それだけはありがたいとさえ思うと言う。柏木は、自分だけが過ちを犯したわけではないと昔の例を引いて慰めようとした。しかし相手が女三の宮である以上、その言い訳は少しも心を救わなかった。源氏の妻に思いを寄せ、ついには密通に及んだ罪の重さが絶えず胸を責め続けていた。宮の姿を見た瞬間から心を奪われ、自分の魂は六条院をさまよっているようだと語った。小侍従から、女三の宮も深く恥じ入り、物思いに沈んでいると聞く。すると柏木はいっそう心を乱した。自分の執着が死後まで宮を苦しめるのではないかと恐れたのである。そしてもう宮の話はやめようと言いながらも、無事に生きていてほしい、そのことだけを知って死にたいと願った。二人を結びつけた不思議な縁や夢の話も伝えられないまま終わるのがつらいと嘆いた。
2026.07.06
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源氏物語〔35帖 柏木 2〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。さらに小侍従には、もう一度だけ宮に会いたいと苦しい胸の内を打ち明けた。小侍従は幼い頃から柏木を知っており、常軌を逸した恋には呆れていたが、死を目前にした姿を見ると憐れでならない。涙ながらに返事を書くよう女三の宮へ頼んだ。しかし宮は関わることを恐れ、密通の罪を思い出していた。そのたび、源氏の存在が重くのしかかり、心が休まることはなかったからだ。それでも小侍従に強く勧められ、女三の宮はしぶしぶ返事を書いた。小侍従はその手紙を抱き、宵やみに紛れてひそかに柏木のもとへ向かった。柏木の病は重くなるばかりで、父の大臣はあらゆる祈祷や加持を試みていた。名高い修験者や高僧を各地から呼び寄せ、物怪の仕業ではないかと疑っていた。しかし柏木には、自分の苦しみの原因が他にあると分かっていた。病は霊のせいではなく、女三の宮への執着と罪の意識から生まれたものだった。葛城山から来た荒々しい修験者が大声で陀羅尼を唱えると、柏木は恐怖で、病室を抜け出した。
2026.07.05
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源氏物語〔35帖 柏木 1〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔35帖 柏木〕 の研鑽」を公開してます。柏木の病は春になっても快方へ向かわず、父母の悲しむ姿を見るたび、死を願うのは罪だと思う。しかし自分は惜しまれるほどの身ではないとも考えた。若い頃の自尊心は失望によってゆがみ、出家を望みながらも親への情に縛られて俗世にとどまり、女三の宮への恋と源氏への恐れという二つの苦しみを背負うことになった。全ては自分の過ちであり、前世から定められた宿命なのだと諦めていた。どうせ人は永遠に生きられない。ならば少しでも惜しまれるうちに死に、せめて女三の宮から哀れと思われたい。それが恋の最後の報いになる。生き続ければ悪名は広がり、自分も宮もさらに苦しむだけだ。死ねば源氏も許してくれるかもしれない。そんな思いに取りつかれ、柏木は自らの愚かさを悔いて涙を流した。病が少し和らいだ隙に、柏木は女三の宮へ手紙を書いた。自分が死の近いことを知りながら見舞いの言葉もないのが悲しいと訴え、燃え尽きても消えない恋心だけは伝えてほしいと願った。その言葉を冥土への光にしたいとも記した。
2026.07.04
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源氏物語〔34帖 若菜 277 完〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。督は、病が重いことを理由に、参上しようとしなかった。病といっても、名のある重病というわけではなかったが、何か後ろめたい事情があるのではないかと院は察し、心苦しく思われて、特使まで遣わして改めて招かれた。父である大臣もまた、なぜ辞退するのかと、含むところがあるように院に思われてはまずい。大病でないのなら無理をしても参るべきだと勧めていた。その最中に再度の使者が来たため、衛門督はつらい思いを抱えたまま参上することとなった。それはまだ高官たちが集まる前であった。これまでと同じく、院は御簾の内に衛門督を入れ、自身はさらに一重の御簾を隔てた奥の居間に控えておいでになった。噂に違わず、督は著しく痩せ、顔色も悪かった。華やかで派手な美しさは弟たちである。内親王の配偶者として見れば相応しい男ではあるが、その関係が正しくないという一点において、不快と憎悪を覚えずにはいられないと院は感じながらも、それを表に出すことなく、何事もなかったかのように振る舞っておられた。 (完)明日より35帖 柏木(かしわぎ)を公開予定。
2026.07.03
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源氏物語〔34帖 若菜 276〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。多感で情の深い人物であるから、かねて自分が推し量っていたあの恋において、節度を失うような出来事があったのではないかと察してはいたが、まさかこれほどまでに不祥な事実が明らかになっているとは、まだ想像もしていなかったのである。やがて十二月になり、法皇の御賀の日が十数日と定められることとなった。六条院の内は準備に追われて忙しさを増した。二条の院の夫人はなお帰らずにいたが、御賀に先立つ試楽に興味を覚え、ふたたび戻ってきた。女御は実家におり、今回のお産で生まれた子もまた男宮であった。次々と生まれる幼い宮たちの世話をすることに、夫人は生きがいを感じていた。試楽の日には右大臣の夫人も六条院へ参上した。左大将は、すでに東北の御殿で舞曲の稽古を毎日監督していたため、花散里の夫人は試楽の見物には姿を見せなかった。衛門督をこの試楽の日から外すのは惜しく、物足りないことだと院は思い、それ以上に人の疑念を招くことを恐れ、来るようにと使いを送られた。
2026.07.02
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源氏物語〔34帖 若菜 275〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。あまり先延ばしにしてよいことでもないので、物思いに沈まず、できるだけ朗らかな心を保ち、痩せた顔つきが少しでも和らぐよう心がけるように、そうしたことが順を追って述べられていた。言葉の端々には、やはりかわいく思っている気持ちがした。これまで院は、どのような催し事にも衛門督を欠かせぬ人物として招いた。相談相手として重く用いてこられたのであるが、今回の法皇の賀に限っては、何の仰せもなかった。人々が不審に思うであろうことは承知しておいでになったが、その人物が出席して、恥をかいた老人である自分の姿を見られるのも不快であり、また自分自身が彼を目にして平静を保てなくなるかもしれぬと考えた。数か月参殿していない理由を問いただすこともされなかった。周囲の人々は、衛門督が病気続きであったこと、また六条院ではこの年、音楽その他の大きな催しがまったくなかったことなどから、特に深い事情はないものと受け取っていた。しかし左大将だけは、何か理由があるに違いないと感じていた。
2026.07.01
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