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娘一家は14~5年前からアイダホ州ボイジで暮らしている。子供が二人いて小学校、中学校時代には夏休みに帰国して日本の小学校、中学校に体験入学させてもらい、日本語の勉強や日本での生活を体験してきた。上の子(女子)は今年アメリカの高校を卒業して日本の東大に合格してこの10月から東大駒場キャンパスに通学している。下の子(男子)は今アメリカの高校1年生である。その二人と母親がアメリカの夏休みの6月に日本の我が家にやってきた。私の勤め先にメダカを飼っている看護師さんがいて卵をふ化させて何匹もメダカを飼っているとのことで、丁度我が家に二人の孫がいるので、メダカを分けてもらってくれば喜ぶと思って孵化したばかりの小さな小さなメダカの赤ちゃんをもらってきたら妻が嫌な顔をした。「孫達は直ぐ帰ってしまうので結局老人が育てることになるでしょう。老人だけでは育てられないですよ。生き物が死ぬ時の辛い気持ち忘れていないでしょう」と言われた。男の子はメダカが来てから2~3日後に父親の故郷姫路に行ってそこからアメリカに帰って行った。姉の方は東京の大学に受かったので東京の住居に移って行った。結局老夫婦だけで面倒見ることになった。主な世話は水換えと餌やりである。譲ってくれた看護師さんによるとエサは2日に一回やる、水替えは1週間に2回ほどとのことだった。餌はやり過ぎないようにと言われたがほんの少しつまんでも多くなってしまい大変難しかった。水替えはメダカを一度救い上げなくてはならないがこれが極めて難しくメダカに素早く逃げられてしまい途方にくれる時もあった。頂いた時は3mm位の稚魚5匹だったが、少年がいなくなって数日後には一匹死に、その数日後には2匹死に、遂には4匹死んでしまった。1匹しか残っておらず、これもやがて死ぬだろうと思っていたが、長生きしてくれて頂いてきた時の4倍くらい大きくなったと思う。この1匹は尊い。一匹しか残らなかったが大事に育てていきたいと思っている。
2025.12.04
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庭の一角にある畑で穫れた大根それまで野菜つくりを指導してくれていた義兄が3月に亡くなってしまい自分達だけで9月のお彼岸の頃スコップで土を耕し、白菜の苗を植え、大根の種を播いた。毎日水を遣りながら見守ってきたら、大根が芽を出し葉が茂ってきた。でも見た所大根の根はまだ細く、食べられる状況ではないと思っていたが、一昨日、妻から「関西に住んでいる息子のお嫁さんの誕生日に色々な菓子や漬物、煮物などを箱に詰めて送ってやるので、大根を抜いてみて」と言われた。とても送ってやれるものではないと思ったが試しに抜いてみたらこんなに立派に育っていた。妻は早速箱に入れようとしたが他のものが沢山詰まっていて思ったより大きくなっていた大根はそのままの形では入らず小さく切って甘漬物にして袋に入れて送った。その漬物を私もお相伴させて頂いたがかなり美味しかった。義兄が直接野菜を作ってくれたり、コーチしてくれた頃は野菜が育つのは当然のことのように思っていたが、自分達だけで作るとなると、まともに生えてくるだろうか、実るだろうかという思いにいつも駆られてきた。今度このように立派な大根を見て、自然の力の偉大さを思った。未熟者が種を播いても、うろ覚えの義兄の教えのように耕し、肥料をやれば、こんなに立派な大根が実るのだなと思った。私達は今下り坂の人生を歩んでいるが、大根や白菜を見ると生き生きと登り坂で輝いている。若くてはちきれんばかりの白菜や大根の生気を頂いて、萎びた細胞に活気を与えようと思った。
2025.12.01
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