うそ 0
人類の将来 0
ものがたり 0
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阿寒湖の鶴雅ホテルを7時30分に出発して、最初に立ち寄ったのは足寄町である。松山千春の出身地で、いたるところに看板があり、松山千春の生地も観光名所になっていた。駅の一部も松山千春記念館になっていた。カトレヤという休憩所に松山千春の色紙が飾ってあったので写真を撮ってきた。松山千春の色紙代議士の鈴木宗夫さんも足寄町出身だがずっと田舎の方とのことで、通った所には鈴木さんの看板は一つもなかった。松山千春の地元での人気のすごさを思い知った。その後狩勝峠に出て、富良野のフラワーランドによった。そこでのラベンダー狩(ラベンダーの花を切り取り袋につめる)はいい思い出になった。その後は一路新千歳空港までバスに揺られて走ったが山の中の走向が主で、長い長い道のりだった。狩勝峠狩勝峠からの眺めラベンダー畑羽田から新千歳空港に着いたその時から観光を終えて再度新千歳空港に送ってきてもらうまで全て同じ運転手さんと同じガイドさんにお世話になった。観光バス運転手は女性運転手で、長い道のりの運転は勿論、トランク等荷物の出し入れなども全てしてくれた。かぼそい腕でてきぱき仕事しており、なんとなく済まないような気がした。フラワーランドでバスに乗る時一緒に写真撮ってもらいたいと思ったが勇気がなく、もじもじしていたら、家内が「主人が一緒に写真撮ってもらいたいそうですから」と言ってくれて、思い出の写真を撮ってもらうことができた。本当に愉しい3日間の旅であった。運転手さん、ガイドさんはじめお世話になった皆様に心から感謝する。お世話になった女性運転手さんとガイドさんと
2007.07.06
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朝8時に旅館を出て、網走監獄の壁のレンガを囚人達がお世話になったお坊さんの寺の門とするために運んできて作ったとされる塀を見ながら網走を後にして小清水原生花園で休憩した。そこにはハマナスやエゾキスゲ、エゾズカシユリ等が美しく咲いていた。 それから知床に向かう途中で、オシンコシンの滝をみた。大変雄大な滝で今まで見た中ではナイアガラの滝に次いで大きいと思った。知床は最東端の岬で、昔は道はなかったが今では素晴らしい道ができており、道路脇で数匹のエゾシカをみることができた。その後知床五湖散策が予定されていたが、午前中熊が出たとのことで、中止になってしまい少し残念であった。その後摩周湖をみて阿寒湖に行きモーターボートで湖を一周して、湖の中のチュウルイ島にあるマリモ観察センターを見学した。そして夜は阿寒湖畔温泉悠久の里鶴雅に宿泊した。夜と朝食はバイキングだったがその豪勢さに驚いた。風呂は一階と八階にあり、露天風呂を含めて10個位の浴場があり、その贅沢さにはびっくり仰天してしまった。露天風呂からの湖の眺めは絶景で、釣りをしている人達が見えた。摩周湖は霧の摩周湖として有名だが、霧で全く見えなかった。オホーツク海ハマナスエゾスカシユリエゾキスゲオシンコシンの滝
2007.07.05
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6月29日から7月1日にかけて北海道旅行に行ってきた。雄大な大地と延々と広がるジャガイモ畑や牧草地、悠々と草を食む牛や羊などに感動の連続であった。地名の多くはアイヌ語からきており、開拓のはじめは内地からつれてこられた囚人達によって行われたとの話を聞いた。先人達が厳しい寒さと戦いながら今の北海道を築いてきたのだと思い、その開拓の歴史が車外の眺めを一層興味深いものにした。外国旅行も愉しいが、国内にもこのように素晴らしいところもあるのかとしみじみ感じた。これは最初に行った旭川市の旭山動物園の動物達である。数年前は閉鎖の危機にあった動物園が、動物の習性をよく考えた設計や見物客との一体感を工夫した取り組みによって一転し、マスコミでも取り上げられて、毎日大型バスが連なり押すな押すなの盛況で、日本一の観客数の動物園になった。猿の親子である。百獣の王ライオンである。アザラシの垂直泳法である。北極熊である。動物園から出たら層雲峡に向い、様々な形をした岩山の中を走り、途中銀河・流星の滝を見学した。これは銀河の滝の方である。それから網走に向かいその日は網走のかに本陣友愛荘に宿泊して、オホーツク海で獲れたおいしいかにを食べた。2日目は明日のブログに続く
2007.07.04
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これは滋賀県に住む長男の嫁が数年前に送ってくれた隅田の花火である。ユキノシタ科、日本原産のアジサイの改良種のひとつで、隅田川の花火のようにまわりからパット咲くのでこの名前がある。花言葉は「耐える愛」「移り気」である。今日は信念を変えざるを得ない場合もあることについ書く。私はアフリカのハンセン病等の人達のお役に立ちたいと思って医師になった。ところが、卒業後は研修医制度や、自分の勇気のなさなどで、その思いを実現できないできた。しかし定年を契機にいろいろなしがらみから解かれ、いよいよ自分の思っていた進路に進みたいと思った。勇気も湧いてきた。しかし家族から猛烈に反対された。もとより自分一人でここまでこれた訳ではないので、お世話になった人とか、家族の意向を無視して自分勝手な行動はできないと思っていた。家内と話し合ったが、私がかっこうをつけて英雄気取りでそんなことを言っているのではないことは理解してくれたが、体力のない私がアフリカ等の奥地で死んでしまうのではないかと心配して反対した。私としてはのたれ死んでも本望だと思っていたが、そうなれば家族を路頭に迷わせ苦しませることは目に見えているで、自分さえよければいいと出発するわけにはいかないと思った。丁度そのころ骨髄バンクの話を聞いた。腎臓や角膜は死んだら提供することに登録しているが、骨髄は生きてる時に入院してかなり痛い思いをして骨髄に何箇所も針をさして骨髄を吸引するので、怖くて登録していなかった。でもアフリカに行くと思えばなんでもないことだと思い、登録することにしたが、年齢制限があり、55歳までなので、提供することは出来なかった。アフリカも骨髄も怖くておののいていたのに、それを超越して、自分は断固すると決断できた自分の勇気が自覚できた。軟弱でどうしょうもない人間と思える時もあったが、いざとなればそんな根性も示した自分を褒めてやりたいと思った。アフリカも骨髄もだめなら国内の僻地でいいと思った。国内なら家族を説得できると思った。でもイザその場所を決めるとなると意外に難しく、情報を集めたりしていたがオファーがない所にのこのこ行く訳にも行かない。そんな時、県内のある病院からオッファーがあった。アフリカではなく、それほどの僻地ではないかもしれない。しかし今まで心の変遷をしてきたことは無駄ではないと思う。その気持ちを新しい病院で発揮していこうと思っている。
2007.06.20
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これはヒメヒオウギです。南アフリカ原産の多年草です。4~6月に咲きます。鉢植えで買ってきましたが、その鉢からは生えてこなくなり、その種がこの玄関脇にこぼれたのか毎年此処に細々と咲きますが、他に移しても枯れてしまって此処にしか咲きません。花の中心が赤く開いた扇のようです。花言葉は母親の優しさです。今日はよく働きました。もっともっと何倍も働いている人がいると思いますので、少しおこがましいですが、自分としてはよく働いたかなと思いました。朝5時半から6時半まで、地域の資源ごみ(有価物)の整理当番で、ペットボトルやアルミ缶、鉄缶、などの仕分けをしました。各組の当番6人で仕分けしましたので早く終わりました。数ヶ月ごとに当番が回ってきますので、私もかなりなれて手際よくなりました。また出す人もアルミと鉄は殆ど間違いなく区別してきてくれて助かりました。ある人が、「ペットボトルの蓋も取らないで出している人がいる」と文句を言っていました。「本当はラベルもはがして出さなければいけないのに」と言っていました。レベルの高い人からみると資源ごみを出す人のモラルが低いみたいでしたが、私のようにあまりよく知らない人間は、蓋がついていようがペットボトルとして区分してきてくれればよく仕分けしてきてくれたと思ってしまいました。帰って朝食を食べてすぐ7時半に健診会場に出発し、7時45分頃会場についてしまいました。誰も来ていませんでした。何もしないで開始まで約45分待っていましたが、いらいらしませんでした。以前なら数分待つだけでもこの忙しい私をこんなに待たせてとすぐいらいらしましたが、今では数分でも数十分でもいらいらしなくなりました。少し成長したかなと思いました。それで診察にも余裕があったのかも知れません。40歳代の女性受診者が先生の名前はなんと言うのですかと聞いてきました。○○ですと答えたら、優しくてあまりに素敵な先生なので、とのことでした。「なんていやな医者だ」と思う人もきっとおられるでしょうから、素敵な先生などといわれていい気になるのは軽薄だと分かっていながらも、うれしくてその後はニコニコ顔で診察しました。朝早くから働きましたが、愉しかったので、全く疲れはありません。素敵な医者と言われても実力がなければ詐欺みたいなものです。今はしばらく休業していますが、医の実力をつけるために不断の努力を続けていきたいと思っています。
2007.06.08
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これは「卯の花の匂う垣根に・・」と歌われた卯の花です。ユキノシタ科で、日本、中国が原産です。茎が中空のため空木(ウツギ)とも呼ばれます。今日のテーマは暴力団です。インターネットの「暴力団ミニ講座」を参考にしました。最近暴力団、もしくは元暴力団による犯罪が多発しており、それを直視しないで生きることはできないと思います。ガソリンスタンドで働く人達、スーパーや病院で働く人達、それぞれが人様のために一生懸命働いています。世の中で無数にある団体、職業に就いて、誠実に働いている人たちがいる社会で暴力団の人達は私達と違う人間でしょうか?違うと思います。彼らにも親や子供や友人がいます。私達と全く同じ人間です。彼らを忌み嫌うだけでなく、彼らをよく知り、彼らに何がしてやれるか、法律規制も含め、色々考えてやるべきだと思います。表に出ない内部抗争で今日も何人か死んでいるかも知れません。自分達だけ安穏に生きられればいいとする考えでなく、社会から疎外された人達のことも考えながら生きるべきだと思います。やくざ、極道、無頼漢、などと呼ばれた博徒集団や寅さんが演ずる的屋、香具師などと呼ばれる集団は江戸時代から存在し、時には任侠団体を自称し、独自の価値概念や行動規範、組織形態を確立してきました。暴力団の組織は親分、子分という上下の身分関係を中心に構成されています。親分の命令であれば、それが良いことであれ悪いことであれ、絶対それに従うのが子分の使命であり、掟の根幹をなしています。親分に対する忠誠心と仁義、仲間同士に対する義理人情を欠くような裏切り行為には過酷な制裁があります。上に立つには世襲もありますが、一般的に地位や支配力は原始的な力によって決められます。映画などには力があって人情味のある、いい親分が登場しますが、実際にはそのような親分は少ないと思います。子分思いで、世の中のこともよく分かり、人々のために尽くすのが親分の役割だと思っている親分がいたら、親分の命令は絶対のこの世界ですから、様々な悪い事件を起こすはずはありません。この世界における親分のレベルの低さが今の暴力団のレベルの低さにつながっているのだと思います。平成4年3月に暴対法が施行され、暴力団に対する規制が強化されましたが、法の網を逃れて様々な悪事や殺人、暴力団同士の抗争事件が頻発しています。何の組織もそうですが、後継者がいなくなれば消滅します。暴力をかっこいいと思って組織に入っていく若者、むりやり引き込まれる若者がいるかぎり暴力団はなくなりません。あらゆる分野で大多数の人達が社会のために汗水たらして働いているのに、その反対の行為をしている人たちがいることを見逃してはならないと思います。法律を根本から見直して、暴力団がなくなるようなきちんとした法律を作るべきだと考えます。「暴力団組織から金や票を貰っているので、それをなくす法律を作るのはどうも」と思っている政治家がいたら断固オミットしようではありませんか!!
2007.06.06
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10年位前にチロリアンランプを送ってくれた三重県熊野市に住む友人が、最近私のブログに花の写真が登場するので、花に興味があるのではないかと思い、花の写真を何枚も収めたCDを送ってくれました。この写真はそのCDに収められていた1枚の写真です。彼の近くの海、七里御浜で撮影した獅子岩です。確かに獅子の横顔に似ており、誰言うとなく名づけられたものと思われます。彼は昨年、3ヶ月間でヨーロッパ18カ国を歴訪して、その感想を素晴らしい写真つきで「片言たじたじ旅・ヨーロッパ3ヶ月旅行」 http//plaza.rakuten.co.jp/jiro8sai/ のブログで紹介しています。各国の状況が素晴らしいカメラアングルで撮影、紹介されていますので、興味ある方は覗いて見てください。私は最近急に花に興味を持つようになりましたが、庭に咲いてる花は数あれど、その名前を知らないものばかりです。人でも、物でも、花でも、対象物をみて「綺麗だ。素晴らしい」と感嘆することこそ大切で、名前を知らなくてもいいとの考え方もありますが、名前を知らないと理解度が不十分ですので、これから花屋さんやホームセンターに行った時には積極的に覚えていこうと思っています。熊野の友人が今度6月12日頃山梨県の河口湖に観光に来るとのことですので、はるばる来るのだから甲府に呼んで、自宅の庭の草花の名前を教えてもらおうと考えています。彼の来甲を心待ちにしています。
2007.06.04
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これは木立ベコニアです。原産は全世界の熱帯、亜熱帯に広く分布。シュウカイドウ科です。葉の主脈を中心にしてみると左右が不対象で、いびつなため花言葉は片思いです。花はすごく綺麗です。家内が毎年冬は屋内に入れて越冬させ、5月頃から見事な花を咲かせてくれます。今、小子化が問題になっています。女性一人あたりの生涯出生数で計算されますが、結婚していない人も多く、その人達もカウントされます。つくば研究学園都市などで働いている人はかなり高齢まで独身の人が多いと聞いています。男性でいい女性をみつけて結婚したいと思ってプロポーズしたけれど断られて、次の女性にも断られてもうこれ以上恥をかきたくないと結婚を半ば諦めている中年男性も多いと聞いています。渡辺淳一さんは小説家で、男と女の機微を一杯書いておられ、自らも体験してこられた方ですが、その方が、その著「鈍感力」の中で「女は最初断るのは当たり前、そこで落ち込んで敏感に退くのではなく、鈍感に誠実と忍耐で好意や愛情を示していくことが必要である。一回断られてすごすご引き下がっていくような男は本気ではなかったのだと思う。女は再度アプローチしてくるのを待っているものだ」と書いています。世の男性でこの女性の心理を知っていた人は何人いるでしょうか?私もこの歳になるまで、断られてもまだ脈があるということを知りませんでしたので私より若い多くの鈍感力のない男性は何回か断られて諦めてしまい、未だに独身でいるのではないかと思いました。男性が独身でいることは、その分女性も独身でいることになってしまいます。若者の鈍感力のなさが、小子化の一因、いや根本ではないかと思っています。児童手当や育児手当、産休制度など様々な手当てもいいかもしれませんが、根本は心だと思います。若者が本気で結婚する気持ちを出して結婚して子供を生んでいくことなしに小子化の解決法はないと思います。私の身の回りをみるに、おとなしそうな男性が早く結婚しています。それは女性が、この人なら言うことを聞いてくれそうだと目をつけて、女性からアプローチされた結果です。男性からアプローチした場合は、上記のように、一回断られたら2回目も女性は待っているのにすごすごと首うなだれて去っていくだらしない男性が多いのだと思います。断られた後の2回目のアプローチをどういう形でするのか大変難しいと思います。勇気もいるし、恥も外聞もあります。それでも何もかも捨てて再度来てくれた人に女は心を開くものだと渡辺氏は述べています。断られた腹いせに嫌がらせをしたり、つけまわしたりするストーカーは言語道断です。女の機微を全く知らない人です。愛情もなく、再度申し込む勇気もない恥ずべき人だと思います。私も少しは人生を学んできたつもりですが、その私も女心の機微を知らずに、一回断られたらそれでもうだめだ、いっそうこのまま死んでしまいたいと失恋の淵に沈んでしまう口でしたので、いまだに女心を知らない若い男性が多いのではないかと思います。渡辺氏の鈍感力を参考に誠実と勇気で再チャレンジして頂きたいと思います。しかしケースバイケースですので、あまりしつこくして、ストーカーとして訴えられても困りますので、そのアプローチの仕方は、時間をかけて愛情と思いやりと誠実さと忍耐をもって自分の見えや外聞全てを捨ててじっくり考え実行していくべきだと思います。最後の勝利は思いやりと誠実だと思っています。今回は男の側から書きましたが女の側からも同じだと思います。男心を知った上でつきあって頂きたいと思います。
2007.06.02
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これはラン科の宿根草で、日本、台湾、中国等が原産で、5~6月に咲くシラン(紫蘭)です。生命力が強く一度植えるとすごく増えます。結婚式では、職場の上司などが、様々なお祝いの言葉を述べます。昨日出た結婚式では、「人間万時塞翁が馬で、いいことばかりでなく失敗や困ったことも起こるかもしれないが長い目でみれば却ってよかったこともある。その心つもりで家庭を築いてもらいたい」や「正しいことを言う時には却って相手を傷つけることがある。遠慮しながら言いなさい」等の祝辞がありました。結構皆さんいいことを言ってくれますが、その内容を後々まで覚えている人はあまりいないのではないかと思います。現実には言い争いが絶えない夫婦もあります。言い争いはないけれどどちらかがじっと我慢の家庭もあります。結婚式でスピーチを聞く程度の学習はありますが、本格的に結婚を学習してきて結婚に望んでいる人は少ないと思います。スピーチの多くは「二人で力を合わせて素晴らしい家庭を築いて下さい」ですが、この二人で協力してに問題があると思います。二人の価値観が全く同じなら問題ありませんが、価値観が違うことの方が圧倒的に多いからです。協力する場合、価値観が真反対なら、協力どころか言い争いになります。人間欲深いので、自分の価値観に相手を引きずり込もうとします。それに協力しない相手は悪い連れ合いだと思います。しかし相手は相手の価値観があり、同じように反感を持ちます。これを克服するには、ある時は譲り、ある時は譲ってもらえる環境ができればいいのではないかと思っています。ある人は譲るなどということは沽券に関わると意地を通そうとします。その場合は喧嘩が絶えないか、一方が虐げられた状態だと思います。「これだけは譲れない」の言葉がありますが、何を譲り、何を譲らないかが大きな問題になります。私はそれは正しいか正しくないかで判断するのではなく、相手を思う思いやり、愛情で判断すべきではないかと思っています。しかし相手が正しい、正しくないとか感情が許さないなど、感情論で攻めてきた場合にはどうすることもできません。個々のケースについては自分の人間性を高めて、力まず自然体で、対応して行こうと思っています。
2007.05.28
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今結婚式から帰ってきたところです。今月はこれで3つ目の結婚式でした。花嫁さんは輝いており、お婿さんもそれを引き立てており、人生最高の時だと思いました。飲むほどに私のテーブルで、ある人が「家はかあちゃんが社長で、自分は言われたことをただやるだけですから」と言ったら周りから「家もそうだ」、「家もそうだ」の声が上がりました。一人だけ「家はテーブルをひっくり返すくちですから」と言いましたら羨望やら、本当なのかの疑いの気持ちやらで大騒ぎになって大変盛り上がりました。甘いロマンチックな結婚式が済んで数年すると、殆ど例外なく奥さんの方がいばっているのだなと思いました。昔はテーブルをひっくり返す亭主関白もいたかもしれませんが、今は殆どなく、今日発言した人も期待を込めて言っただけで、実際はその反対のような感じでした。イラクは完全に男性支配の国です。大体戦争をするのは男性です。たまに乱暴な女性もいますが、一般に女性は平和主義者で、戦争は好みません。家庭で天下をとっている女性が、政治に目覚め、平和運動に目覚め、地域社会でもリーダーシップをとっていくようになると、その地域、その国は変っていくだろうなと思いました。
2007.05.27
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今朝、朝食を食べていたら8時15分頃、電話がかかってきて、今日の裁判所の健診、当番の先生が急用ができたので、ピンチヒッターで出てもらえないかとのこと。8時半開始とのことで、時間がないですが、今自分はフリーなのでいいですよと正確な場所も分からないまま出かけました。警察署の隣と言っても入り口が分からずかなり遠くの半公共的な所に車を止めさせてもらて歩いて裁判所に行きました。裁判所に入るのは初めてで少し緊張しました。裁判官とその補佐官などの健診ですので、なにか自分が裁判されやしないかと不安の気持ちが少しありました。看護師も誰もいないいかめしい3階の一室での診察ですが、慣れれば医師と受診者の関係で普段と変わりない気持ちになりましたが、人は職業によって人を判断する面があるなと思いました。そしてまた教師は教師、裁判官は裁判官、医師は医師、工場労働者は工場労働者それぞれの雰囲気を持っていると思いました。人は生活の糧を得るために様々な職業につきます。1昨日山本勘助の展示があるとのことで、御坂の県立博物館に行ってきました。郷土誌などがおいてあるある部屋に椅子が目に入ったので座らせてもらいたくて入りましたら、入り口で女の人がにっこりして「いらっしゃい」と言ってくれました。その部屋には2~3人くらいしかいませんでした。物を売るわけでも何でもなくその部屋の管理だけで一日其処に座っているのは耐えられないと思いました。自分ならいいかげんにしてくれと思い、いい加減な顔をしていると思いましたが、その人の笑顔は大変美しく、いろんな仕事があるもので、その中で皆さんそれぞれがんばっているのだなと思いました。裁判官といえば職業として一目置かれますが、部屋の管理者のように隠れたところで、殆どの人から見てもらえない所で笑顔で一生懸命働いている人もいることを思い、私も急に呼び出されてなどと文句を言わずに午前中真面目に勤めてきました。様々な職業の中で自分もベストをつくしていこうと思いました。
2007.05.21
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これは庭の片隅にある家庭菜園のえんどうの花である。携帯電話で撮影したのであまりよく撮れていないかもしれないが、実物はきれいである。もう少しすると実をつけ、さやえんどうが食べられる。3月に退職してからえんどうだけでなく、庭の花木が目に付くようになった。今、赤、白のダリアが綺麗に咲いている。白いハナミズキはかろうじて咲いているが、今年はどうしたことか赤いハナミズキが咲かないことなど今まで気がつかないことに気がつくようになった。通りを歩いている人の姿や表情の中に新鮮なものを感じ、その内面にまで思いをはせることもある。今までは草木など目に入らず、通行人も単なる通行人以上のものではなく、仕事のことしか頭になかったが、心が豊かになったような気がする。幸せのひと時だと思う。退職後は好きなことをして、まわりの草木等の自然や人から慰めをもらって悠々自適に生きている人もいると思う。そう生きられたらいいと思うが、私にはそれでは満足できない。もうそろそろ本格的に活動しはじめなくてはと思っている。退職後はアフリカなど海外での医療活動をしたい希望を持っていたが、家族の反対があり、当面は次善の策を考える必要がある。内科、外科、精神科、眼科など、全てを診察する総合診療科が認可されたと今朝のラジオで言っていたが、総合診療科医院の開業とか、僻地病院への就職など、ぼつぼつ真剣に考えていかなければならないと考えている。それにはまず今の生活環境の整理だが、部屋の整理もまだ途中である。今日は本腰を入れて、この部屋を整理整頓しようと思う。整理が済んだら進路を考えていきたいと思う。
2007.05.02
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3月31日で退職して今家にいる。朝6時40分からのテレビ英会話を見て、朝食をとり、7時30分からの朝ドラを見て出勤するのが日常だったが今は出勤する所がない。本を読んだりDVDを観たりやりたいことは一杯あったが、その気持ちにもなれない。一抹の寂しさがある。今朝ゴミを捨ててきたが、今までは捨ててきてやったの気持ちがあった。退職後は当然のことで、家事や庭の草取りなども「してやる」ではなく、本格的に取り組まなくてはならない。家内はお客さんが来るたびに、「これからは年金生活ですから」と言っている。私は勉強できたり、仕事さえできればいいので、年金生活でもなんらさしつかえないが、今まである程度の消費生活をしてきた者には大変なのかもしれない。今まで勤めていた所から持ってきた本や書類が2部屋にちらかっている。どこから手をつけていいのか分からず困っていたが、今日はまず身の回りからと思いこの部屋から始めようと決意している。昨日は最悪だった。定職も収入もなく、自分の好きなことをしたくても、家のことや庭のことを家内から色々言われて自由な時間がなさそうで、近所の人からも仕事にも行かないで何をしているのでしょうねと思われそうで、前途真っ暗な気分になった。受身ではなく自分から積極的に家事等を始めれば気分も180度変ると思うが、「勤めに行かなくていいのだから、あれもして、これもしてと言われそうだ」と受け身の立場だと辛いと思う。青雲の志を持ち、人生これからだと口で言ったり、書いたりしているが、こういう立場になってみると、年齢を感じたり、自分の能力のなさを思い、果たして出来るのだろうかと思ったりして、こんなにも惨めな気持ちになるものなのかと思った。いつものことで、かたずけなど目の前にやらなければならないことがあるのに手をつけない自分に失望、落胆して、自信を無くして落ち込んだのだと思うが、何かを始めれば気分も変る。いつまでもめそめそしてはいられない。今日からは再出発しようと思う。退職直後からの第2の仕事のオッファーもあったが「自分にはやりたいことがあるので、しばらく休ませて下さい」と希望したのは自分自身だ。浮いたり沈んだりでなく着実に生活していこうと思う。
2007.04.03
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今日は65歳定年退職の離任式の日でした。花束やプレゼントそして数え切れない位の寄せ書きを頂きました。20年間勤めたとの事で名誉所長の称号も頂きました。寄せ書きを読んでいてよくも皆様こんなに書いてくれたなあと思いました。自分も寄せ書きをたのまれることがありましたが、お義理にチョコット書いていたのにこんなにも皆様心を込めて書いて下さり、あまり心を込めて書かなかった自分が恥ずかしいと思いました。所長と言う立場だったからかも知れませんが、かなり過分な評価で、とてもそんなではなかったのにと思いました。日頃殆ど口をきいたこともない人からも一杯書いて頂き、何とも言えない気持ちになりました。退職後は奥様と一緒に平安な日々をお過ごし下さいとの寄せ書きもありました。基本的にはそうしたいと思いますが、人にはそれぞれ宿命があり、私の場合は奥様とのんびり楽しく暮らしていては申し訳ないという気持ちが心の奥底にあります。奥様も大事にして自分の理想も追求するのは中々大変ですが、両立を目指して頑張っていきたいと思っています。よろしくお願いします。
2007.03.30
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この3月31日で私は定年退職になる。早いもので今の職場に20年間勤めたことになる。それまでは研修医終了後大体5年周期で3回転職していたが、今度が一番長かった。思い出は色々あるが、思い出に浸っている場合ではない。これからが本格的な人生だと思っている。暫くは今までの整理に時間を使うが、その後は自分の年齢も省みず、準備を整え、本格的な旅に出ようと思っている。家族とは心ゆくまで話し合い、理解してもらって行動しようと思っている。相談もしないで自分勝手なことはしないことをここに誓う。
2007.03.28
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3月7日から9日まで職員旅行で、香港・マカオに行ってきました。香港は以前行ったことがあるのでマカオの方に興味がありましたが、3日の内1日だけの日帰り観光だったので、少し物足りない気がしました。マカオの目玉はカジノだと聞いていたのですが、30分しか時間をとってくれずに、実際にトライできたのは数人で、5万円位勝った人もいれば負けた人もいました。私もやってみたいと思っていましたが、やり方も分からずもたもたしている内に時間がなくなり諦めました。今ではラスベガスを抜く位の規模になったとのことですが、客層は中国人系が殆どで、動く金では世界中の金持ちが集まるラスベガスにはかなわないのではないかと思いました。東京都知事がカジノを東京にも認可したいと発言したことがありますが、都の財政は豊かになり、雇用も拡大するかも知れませんが、はたしていい政策でしょうか?マカオの平均給料は15万円位ですが、18歳になってカジノに勤めれば一気に30万円もらえるとのことで殆どの若者はそこに流れるとのことです。会場内ではミネラルウオーターやソフトドリンクは全て無料、国民からは一切税金をとらずにカジノから上がるお金で国政を行っているとのことで、莫大な利益を上げていることになります。と言う事は、勝つ人はまれで、大半は負けてお金をそこにつぎ込んでいることになります。山梨県の石和町(現笛吹市)では馬券売り場を認可し、甲斐市では競輪券売り場を許可して、市の財政を豊かにしています。青少年の教育や交通(渋滞)への悪影響を懸念して反対運動をしている人達もいますが、金をとるか教育をとるかと考えたら勿論教育ですが、教育のためには金がいるという面もあります。色々な考え方がありますが、私は地道に働いて金を得てそれを税金として収める方式の方が健全だと思っています。マカオは450年間ポルトガルに占領されており、1999年に中国に返還されましたが、ポルトガル文化がふんだんに残っていて超高層ビルが林立する中国の経済自治区です。食料は一切中国等からの輸入で賄われています。アジア最古のキリスト教建物、聖ポール天主堂の壁には、日本の文化が沢山彫りこまれており、豊富秀吉時代キリシタン禁制の中で、マカオに渡った日本のキリシタンがこの教会建設に関った証拠となっています。短い旅行でしたが、ほんの少し利口になったような気になりました。旅はいいものです。
2007.03.10
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月間短歌誌「はなさい」2月号に習志野市の土岐恭子さんが万葉時代は旅立つ時夫と妻が下着を交換したことを書いている。「別れなばうらかなしけむ我が衣 下にを着ませ直に逢うまでに」現在訳は、「旅立つあなたと別れるなんてとてもかなしいことです。だから私の着物をしたに着ていって下さいね。また逢える日まで」となる。このような下着交換の句は万葉集に50首ほどあり、長旅の間お互いを思いやったと思われる。これを読んで、時代は違うが私も長旅の時には交換してもらえるか家内に聞いてみた。「いやいや、とんでもない」とにべもなく断られた。勤めの医局担当事務の女性に聞いてみたら、「私ならしてもいい」と言っていた。万葉時代はおっとりしていて今はがさがさしたスピードの時代である。万葉時代の風習が現代に通じるはずもないが、その心は受け継いでいきたいものだと思った。
2007.02.23
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昨日勤めの近くのおすし屋さんで、3人で生ビールと焼酎のお湯割りを飲んでしまったので、 タクシーで帰宅したため今朝は昨夜のうちに予約しておいたタクシーに乗って出勤した。予約時間8時より1分位前に指定の場所に来てくれて、「誰々です」といったら振り向いて「お待たせしました。どうぞ」と言ってくれた。言葉の内容はもしかしたら少し違うかもしれないが、その態度と笑顔に衝撃を受けた。爽やかでなんともいえない気持ちになった。自分も人に接する仕事をしているが、考え事をしたり、気分が勝れない時には、笑顔どころか、相手の方を向かないでしゃがれたような生半可な返答をしていることがある。朝の運転手さんをみて今日は心が弾み、気分が上々で、胃カメラを受ける人につとめて明るい声で、「誰々さんですね、今から始めますよ」と声をかけて胃カメラを行ったが相手はどのように受け止めたかは分らない。特に医者は相手に与える感じが大事だ。医者が今日の運転手さんのような人だったら患者さんはどんなに救われるだろうかと思った。人は元々いい人、悪い人はいない。先輩なり、同僚なり、親なりの姿を真似して良くもなったり、悪くもなったりするのだと思う。この運転手さんの両親なり、先輩に素晴らしい人がいたのだと思う。自分も今日の運転手さんみたいになりたいと強く思った。
2007.02.16
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仏法の教えに「声仏事をなす」というのがあります。声によってその人の仏教理解の程度や人となりが分るというものですが、この世の中で他人との付き合いで声ほど重要なものはないと思います。心にやましいことがあれば声が震えたりします。嬉しければ弾んだ声になり、悲しければ落ち込んだ声になります。怒っていれば怒鳴り声になり、何かをねだる時には猫なで声になります。私達は何気なく声を出して話していますが、それは全て自分の本性であり、他人はその通りにキャッチしています。それなら今年から声に気をつけようと思われた方もいると思いますが、心に内容がなくて声だけよくしようと思っても難しいと思います。しかし今まで心は綺麗だけど声の重要性に気が付かなくてぞんざいだったと言う人は声に気を配ることによって相手に与える感じががらりと変ってくると思います。私は文章などを書くと結構なことを書いたりしますが、声が弱々しく、説得力もないので、しゃべり出しても気づかれず無視されることもあります。今の声の調子ではあまり相手にしてもらえないのではないかと思いました。いくら誠実な心があったとしてもボソボソ声で何を言っているのか分らないではだれもありがたがらないと思います。あの人は美人だけれどしゃべっているのを聞いたら幻滅だったということもあります。大声で人を威圧するようにしゃべれというのではなく、声調、リズム、声量、そしてしゃべっている態度全てが聞く人に快く響くことが必要だと思います。それには人間性を磨かなくてはだめだなと痛感しました。声の重要性を深く認識した上で人間性の充実に努力していきたいと思います。
2007.01.09
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この世には自分と他人しかいない。親子、夫または妻も自分からみると他人である。それぞれ価値観が違うので、親子喧嘩したり、夫婦喧嘩したりする。自分の生き方は自分で律することができるが、他人の生き方は律することは出来ない。それをしようとすると押し付けになり、争いになることが多い。自分が他人に対してこうであって欲しいとか、こうなって欲しいと思うのは自由だが実際にそうなってくれることはまずない。しかし人は、他人が自分の思うようにしてくれないといらいらしてどなったり、不機嫌になったりする。人間共通の価値観はある。例えば人を殺してはいけない、人に親切にする、向上心をもって努力しなければならない、等々あるが、親切の仕方や向上心、努力の仕方でも個人、個人で考え方が違って自分の思う通りにはならない。この自分と他人の世界でどのように生きたらいいのであろうか?争いをしている人達にそれを止めろといってもそれに価値感を持っている人たちは止めない。それを見て自分は悔しくて落ち込み、人生に失望する人もいる。しかし所詮は自分と他人である。この世界は自分の認識の中で成り立っている。他人が馬鹿な事をしているといって落ち込んでいても始らない。自分が正しく楽しく生きればいいのである。またこの自分と他人の世界ではそうすることしか出来ないのである。その正しい生き方とはどういう生き方か?それは自分の意思で全てを他人のために尽くす生き方である。自分から見ると他人は倫理観も低いし、無知で、努力しない、おバカさんが多いかもしれないが、その人たちもまぎれもなく自分と同じ個人である。どんな人にも心からの誠実と親切を尽くすことを信念として生きていけば、自分の心は平安になるものだ。新年にあたりこの心構えを確認した次第である。
2007.01.03
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2007年、平成19年が明けました。昨年色々なことが起きましたが今年は戦争や殺人、いじめ自殺など残酷なことのないようにと願っています。自分自身については、皆様それぞれ今年の決意を書いたり祈ったりします。私もこの1年の決意を書いてみたいと思います。毎年年始めには思うのですが、その思いは日と共に薄れ、実現したのかどうか曖昧になってしまいます。ブログは公開ですし、記録としても残りますので、心して書き、心して実行していきたいと思います。私の目の前には、仕事、勉強、人付き合い、社会活動、家事手伝いなどやらなければならないことが常に山ほどあります。今も読まなければならない英語の本が2冊机上に載っていますが、両方ともまだ数ページしか読んでいません。常にやらなければならないことに覆いかぶされ、押しつぶされ、うめいてきたというのが今迄の人生でした。自分の能力以上にやろうとするからだと言われたこともありますが、立場上、やらなければならないことも沢山あり、それらのことに対する心構えをしっかりしたいと思います。あれもしなければいけない、これもしなければいけない、締め切り期日が何時だがまだ何も準備してない、講演の準備もしてない、等、まだしてなくて自分の心にプレッシャーをかけていることが日常でしたが、今年はそれをスパッと止めて、今出来ることにはすぐ手をつけてやり始め、あれもしてない、これもしてないと自分の心にプレッシャーをかけないようにしようと思います。出来なかったらどうしようと不安にかられることもありますが、出来る出来ないは時の運、成否は考えないで、ひたすら誠実に、無心にやるべきことをやる。これを今年の目標にしますのでよろしくお願い申し上げます。自分の目標だけでなく、皆様の目標の実現もお祈り申し上げます。
2007.01.01
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昨日職場の忘年会があった。世界広しといえどもこのような行事をしているのは日本だけらしい。その起源は室町時代に始ったとの説があるが、文献的には皆無に近く、民衆の中に自然に広まってきたものと思われる。年を忘れると書き、この1年の嫌なことを忘れて新しい年に備えるのがたてまえまえとのことで、飲んで騒いでどんちゃん騒ぎをするのが大方で、大騒ぎになればなるほど盛り上がったとなる。 130人以上参加の我が職場の忘年会もクイズによる景品配布もあったが、主体は飲んで語らい騒ぐ会だった。幹事の運営の仕方がその会のよしあしを決めるが、酒の無理強いは参加者の気を重くする。「無礼講だからじゃんじゃん行きましょう」と無理やり勧める人がいて、断ると「私の酒が飲めないのか」「そんなに真面目ではだめだ」と文句を言ってる場面が散見された。今後、私のような立場の人間は、会が始る前に「無理強いは和やかな懇親を妨げるので止めましょう」と勇気を持って全員の前で言うべきだと思った。酒を程ほどに飲み、今迄一度も口を利いたこともない人などと語り合うのはいいことで、節度が保たれたものなら、今後もずーと続いていくかもしれないが、「無礼講だ」などと騒ぐ会だと時代にそぐわないものとして次第に消滅していくだろう。 会終了後2次会に行くのも何処でも見かけるものである。恐らくこの2次会も日本独自のもので、私がアメリカにいた時もパーテーの後さらに別の店で飲み明かすなどとても考えられないことだった。2次会が楽しみという人もいれば、2次会に誘われるから1次会にも参加したくないという人もいる。行きたい人達はこっそり行けばよい。行きたくない人たちまで無理やり引っ張るのも忘年会そのものの品位を落とすもので、幹事は心してもらいたいと思う。忘年会も時代と共に変って行くだろうが、洗練されたものに変っていってもらいたいと願う。
2006.12.16
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長野県佐久市臼田町の佐久総合病院に8月22日に96歳でお亡くなりになった若月俊一先生のお別れ会に行ってきました。大勢の人の献花が続いて延々3時間以上も続きました。羽田元総理や長野県知事等も献花していました。若月さんは当初は「農民のために」の気持で医療活動をしていましたが、次第に「農民とともに」に発展させました。シュバイツア博士も当初はアフリカの病人のためにでしたが、次第に成長して「アフリカの病人と共に」になりました。私が国境無き医師団の試験を受けに行った事に対して様々な批判がありましたが、私はもとより若月先生やシュバイツアに比べられるべき器ではないと思っています。しかし今日参列して、若月先生の「農民とともに」の堅い信念と実行力には動かされました。もし私がアフリカに行けなかったとしても、「だれだれのために」の思い上がった気持でなく、「だれだれとともに」の気持ちになれるように、心を磨いていこうと思いました。
2006.10.07
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今日10月1日は私の誕生日で、妻と嫁いだ娘が誕生祝に大樹という和食店に招待してくれました。最初洋食にするか和食にするか聞かれた時、少し考えて最近内臓脂肪が気になっていたので和食と答えて正解でした。コースを注文してくれて次から次に運ばれる料理はかなり量が多かったですが、野菜や芋類が多く、最後は松茸御飯がでて、かなりヘルシーな内容だったのでそれほど内蔵脂肪は増えないだろうと思えました。プレゼントは何が良いかと聞かれたので今度新設した所長専用の診察室があまりに殺風景で、かねてから花でも飾りたいと思っていたのでその話をしたら早速、鉢もしゃれている素晴らしい花を買ってきてくれたので、明日勤めに持って行って飾ろうと思います。総務課に言って飾ってもらおうとも思いましたが、妻に買ってもらって正解だったと思いました。いい誕生日でした。
2006.10.01
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今面接試験を受けて高田馬場から帰宅したところです。約2時間の面接試験で結果は保留でした。語学がもう一つということと家族が猛反対していることで保留とのことでした。家族が反対しているのは死ぬかもしれないと思っているからと話しましたら、そんなに危険ではなく、多くの人がそのような誤解をしていると言っていました。問題は語学力です。現地の看護師が、医師の指示で患者に薬を投与することになっていたのに回診でそれをしていなかったことを見つけた時にどう注意するかの設問で、私は「誰にも過ちがあるが2度とするな」と答えましたら次の日も同様に薬を投与していなかった。その時なんと言うかの設問を投げかけられ、設問の一部が聞き取れなくて聞き返し、この時も「2度とするな、この医療団の目的を考えろ」と答えましたら「自分は忙しい、給料も安い、あんたの指示なんかに従っていられない」と言ってきましたので、「私の給料を分けてやるから真面目に仕事してくれ」と答えたのですが、怠け者の現地人に甘い言葉を言ったり、お金をやるから仕事してくれなどと言っていたらなめられるとのことで、きびしくどやしつけるくらいでなければだめで、それには語学力が足りないと言われました。もう10年も前から英語を勉強してきたのにこの程度だったのかと自分の実力のなさと勉強に対する姿勢がいかに甘いものだったかが痛感されました。ヒューマニズムに駆られて「アフリカで医療活動をする」などと口ではいかにものようなことを言っていて、その実は大甘で、それに対応できるだけの準備を何も真剣にしてこなかったことを痛感しました。語学はこの程度でも現地にいけばなんとかなると考えていましたが、入り口でまずふるいにかけられてしまいます。諸外国から集まるスタッフの中で最低限英語は自由自在の必要があり、TOEIC700点以上が目安とのことでした。保留になっても家族の了解がとれ、語学力がさらにアップすれば登録の道があるとのことでしたので、まず家族に対する気持、語学に対する取り組み姿勢を心の底から反省して今日からもっと真剣に取り組んでいこうと思いました。
2006.09.21
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生きる目的は大きく分けて3つになると思います。一つは家族のため。家族を幸せにしようとする生き方です。二つ目は私利私欲のための生き方です。自分が儲かればよい。自分が得すればよいと言う生き方です。メールやブログでセックス勧誘をしている人達、彼らは社会のことや家族のことは念頭にありません。欲望にかられた人たちからお金を騙し取ろうとする自分さえよければよいとする生き方です。3つ目は他利他幸の生き方です。人のために役立つ生き方です。私は今日これから高田馬場の国境のない医師団日本支部にボランティアの面接試験に行くところです。アフリカや東南アジアなど紛争や飢餓のなかで生命の危険にさらされている人達のお役に立ちたいとの気持ちからですが、家族からは猛反対を受けています。まず家族や身近な人たちのために尽くすのが人の道で、それも満足にできない人がそんな所に行って何ができる。第一その年齢で、その体力で足手まといになるだけだ。エイズや熱帯病に罹って死ぬかもしれない。家族の幸せを考えない自分勝手な考えだと非難されています。自分がそこに行って6ヶ月間ボランティアとして働いたからといって世界中の人が救われるわけではなく、大局的にみてそれがどれだけ有用か分らないこともよくわきまえているつもりです。しかし人の生き方としては、私はこの3つ目の生き方こそ最高の生き方だと思っています。それは一方では家族を省みない極悪人になってしまいますが、同じ家族を省みないでも、賭博や愛人や酒乱と違うのだから許してもらいたいと心の中で思っています。今日の試験は英語かフランス語の面接があります。ずっと英語の勉強を続けてきましたが年取ってからの勉強は能率が悪くこの語学試験には全く自信がありません。体力が要求されるボランティアなので年齢制限があるとも聞いています。志はありますが試験に落ちる可能性も大です。落ちた場合はやはり人様の役に立つことを考えています。その場合も家族を泣かすことになるかもしれませんが、何でも反対は止めてもらいたいと思います。今度安倍晋三さんが総裁になりました。若きリーダーに期待しています。安倍さんにはお子さんがいらっしゃらないとのことですので、国民を子供と思い、その情熱を不特定多数の子供に捧げてもらいたいと思います。私は厳しい試験にこれから臨んでまいります。試験に受かって無事死なないで帰国できたら、いつか安倍さんにもお会いして世界の子供達の現状を報告して安倍さんにも力になってもらおうと思っています。
2006.09.21
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南アルプス市八田に移転した運転免許センターでは日曜日も受け付けてくれるので午後から免許更新に行ってきた。システムがしっかりしていて、流れがスムーズで大変気持ちよく免許を更新することができた。思い起こせば3年前、更新日を二日過ぎてから気づいて休日を貰って免許センターに行き、住民票が不備とのことで、タクシーで家内に新しい住民票を届けてもらったり、今迄5年ごとの更新が3年に縮められたり、更新までは免許がないので人に乗せてもらったり、タクシーを使ったり、ほんの2日うっかりしたおかげで大変な目にあった。だから今度は更新可能期間が2ヶ月間あるうちの最初の日曜日に万難を排して行ってきた。講習では、実話に基づいた映画とのことだが、深刻な映画を観させられた。主人公が酒を飲んでいた所になじみのお客さんから冷蔵庫が故障したのでみてもらいたいとの電話があり、少し酔いを醒ましてから豪雨の中を運転していった。夜8時ごろ交差点で歩行者側青になって歩き出した少年と少女を撥ねて少年死亡、少女半身不随に。怖くなって逃げてしまい、後ほど自首するが、5年の実刑。刑務所に入っている間にあまりのつらさに奥さんが自殺。マイホームも新築したばかりの幸福な家庭が、一瞬にして地獄になってしまった。酒酔い運転の怖さをしみじみ味わった。飲んだら絶対運転しないことを心に誓った。
2006.09.10
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アピオで行われた大学医局の同窓会から今帰ってきたところです。同窓会というとそれぞれの人の事情があり、同窓会に対する思いの厚薄もあり、出席率はあまりよくありません。役員として出席率が一番気になりましたが、今回もかなり少なく責任を感じました。でも昨年並みとのことであまり気にしないことにしました。少ないながらも出席してくれた一人一人に喜んでいただくことをまず第一に考えました。進行は形通りに進められましたが、私達の思いが通じたのか、近況報告のところで、皆さん面白い話や余興をして下さり、大成功の会だったと思います。会が成功したかどうかは、まず出席者数で測られます。盛況だったとか寂しいものだったとか言われます。出席しなかった人も出席した人から「寂しいものだったよ」と言われると「行かなくてよかった」と思ったりします。しかし、実際は内容だと思います。数人しか集まらなくても充実した楽しい会なら、それは出席しなかった人にも伝えられるかも知れないし、大成功だったと言っていいのではないかと手前勝手に思いました。同窓会の役員や幹事さん、人集めには限界がありますので、それなりの努力をしたのなら、人数は気にしないで、来てくれた人に最高に満足してもらおうと念じていればきっといい会になると思いますよ。くよくよしないことにしましょう。
2006.09.02
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土、日といとこ会で清里に行ってきた。ホテルで晴れていれば木星や月などを天体望遠鏡で見せて頂ける予定だったが、曇り空だったので、スライドで星座の説明を受けた。西南の空に輝いている星は金星かと思っていたら、金星がそこにくる季節もあるが、今の季節は木星とのことだった。その後入浴して寝たが各部屋とも様々なドラマがあったようだ。同級会などでも自分はいびきをかくので参加しないと言う人が少なからずいる。いびきは厄介なものである。いびきをかく本人には責任はない。大いびきをかいて他人の睡眠を妨げてやれなどと思っている人はいない。悪気は全くないのだが迷惑をこうむる方はなんと人迷惑なずうずうしい困った人だと思ったりする。私もいびきをかくので人様のことは言えないが、昨夜もお隣の人が最初から最後までかなり激しいいびきをかいていた。気にしないで眠ろう眠ろうと思っても眠れるものではない。眠れれば眠れたで、「おまえのいびきがうるさくて、眠れなかったぞ」と言われかねない。一晩位全然眠れなくても死ぬようなことはない。「一層このまま一晩中眠れないでいた方がいいのかもしれない」などと思ったりしていたら、2時半頃から少し眠れた。いびきは人迷惑なものである。旅行の幹事さんは、ほんの少し料金が高くなるかも知れないが、ビジネスホテルのような個室で各人が眠れるようにして貰いたいと思った。「旅行に来た時ぐらいいびきがあっても雑魚寝がいい。それで親睦が深まるのだ」という人がいる。それは他人のいびきをまともに受けたことがない人かもしれない。いびきのおかげで眠れなければ、親睦どころか憎しみを持つかもしれない。自分だけいびきを治療して治してもこのような時には人のいびきでノイローゼになるのだから何の役にもたたない。同級会やいとこ会、職員旅行、その他の旅行の幹事さん、いびきへのご配慮よろしくお願いします。
2006.08.27
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神とは自然の脅威とか恐ろしい体験を通じて得られた人間の想像力から生まれた存在で、様々な宗教との関りで、色々な神が存在する。間違ったことをすれば罰せられる神もあれば、優しく愛で包んでくれる神もあれば、大酒飲みの神もある。神とは人間にとって理想の存在と考えてもいいかもしれない。片や人間はわがままそのままの存在である。自分勝手で、欲望のままに他人を痛めつける人もいる。親を殺したり、子供を殺したりする人もいる。それらの人は悪魔に取り付かれた人などと言われることもあるが、所詮人間の心の中の思いが行動になったことである。今お盆中である。親類縁者そして祖先までが、生まれた家に集まって、団欒していることであろう。親殺しなどと言う大罪でなくても様々な罪を犯すのが人間である。大都会でそれらの罪を犯さざるをえなかった人達も郷里ではそれらのことを忘れて団欒できるのがお盆である。人間は神に似せて作られており、心も神を目指すべきである。という人がいるが、前述のように神とは様々な抽象概念であり、明確なものではない。そこにいくと仏の方が分り易いかもしれない。仏とは自らを磨いて悟った状態と定義されている。宗教によって人間が神に近づくことを教えているものと、悟りを開いて仏になることを教えているものがあるが、私はその根本は慈愛だと考えている。神であれ、仏であれ、人の心の底に慈愛があれば、即なれるものだと考えている。この写真は昨日、孫達と山梨県北杜市明野町のハイジの村を訪れた時に、花車が綺麗だったので撮影したものである。人の心の中には様々な想念が湧く。心の中にいつも美しい花を思い、人に尽くす行いをしていこうと思っている。
2006.08.15
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私は生来の音痴で、色々な所で物笑いの種にされ、音が外れていると腹を抱えて笑われることもしばしばだった。これは生まれつき、或いは母がすごい音痴だったので、子供の時いつもその音痴な歌を聴かされて育ったので、仕方のないことと思っていたが、それでも何とか人並みに唄えるようになりたいなあとの気持ちはあった。何かの本に音痴は何をしても治らないと書いてあったのを見たこともあり、希望は希望、しかし現実は不可能と思っていた。数年前ある人間ドックを受けた方の職業を聞いた時、「素人ですが、自宅で歌を教えています」とのこと。自分のような者でも受け入れてもらえるか聞いたところ、OKとのことで、以来月に2回土曜日の午後、4時から5時までの1時間レッスンに通うことになった。通うのに約1時間かかる遠い所だが、まず治ることはないだろうと思いながらも真面目に通った。思った通り、最初のうちはまともに歌える兆しは全くなかったが、次第に少しずつ歌えるようになり、今日は市内でも会議やレセプション会場として有名な所で歌謡発表会があり、鳥羽一郎の「海の祈り」を唄い、万来の拍手喝采を受けた。夢のようなことである。自分でも他の人の歌と比べても遜色なく、テレビで唄っている歌手よりも思いが込められている分上手いのではないかと思えるまでになった。音痴時代はやたらに唄う機会があり、いつも恥ずかしい思いをしていたが、少し唄えるようになった今は殆どその機会がない。勤めの人達を始め私の身の回りの人達は今でも私を音痴と思っている。皆に笑われて恥ずかしいからとレッスンに通ったが、今ではそのことはあまり考えないようになった。機会があったら披露するが、今迄笑った人達に「どうだ」と自慢するつもりはない。「音痴は治らない」が嘘だったことが実証できたことだけでもいいと思っている。
2006.08.06
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今日は日曜日ですが仕事として武田信玄がひそかに傷治し温泉として利用していたとされる下部温泉がある下部地区(かっては人口約5000人の下部町だったが今は身延町に合併)に健診に行ってきました。甲府から車で約1時間20分、それほど遠い所ではありませんが、信玄が隠し湯にしていただけあって山奥といった感じで静かな所でした。それでも健診会場には何処からともなく250人位の人が集まってきました。ある受診者に「静かな所でいいですね」と言いましたら「いいところもあるが悪い所もある」とのことで、悪い所は人がどんどん少なくなり、代わりにイノシシ、猿、ハクビシン(猫に似た外来動物)が増えて農作物などは殆ど食べられてしまうとのことです。そういえば健診受診者は殆どが70歳前後で、若い人は殆どいませんでした。結婚してない50歳代の男性も多いとのことでした。農業は前記動物に食べられてしまうので、近郊に働きに出ている人が多いとのことです。静かでいいと県外から移り住んだ人も2~3年で去っていくそうです。医療機関的には診療所や病院、我々のような健診隊などもあり、比較的恵まれていますが、生活圏としては過疎にまっしぐらといった感じで、全国的にはこういう地域が非常に増えているようです。産業廃棄物処理場建設反対ののぼりがあちこちに立ててありましたが、その処理場ができれば雇用が格段に増え、町の活性化は間違いないと思いますが、健康被害などを心配して反対している人が多いみたいです。工場誘致や観光事業の拡大など町の活性化に努力は続けられてきましたが、結果は今日私が聞いてきたとうりです。小泉政権では大きくて強いもの、強い地域はよくなったかも知れませんが、小さいもの、小さい地域は益々小さくなってしまいました。次期政権では、弱いものや弱い地域にもエネルギーを注入してくれる政策を行ってもらいたいと切に望みます。
2006.07.30
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今日は海の日で休日だったが仕事として巡回健診に行ってきた。100人以上の裸の人と付き合う(診察する)と一人一人がかけがいのない人でとても重要な人達なのだの感が深くなったが、今日はその人達の人生についても思いが広がった。受診してくれた方々は老いも若きも真面目で素晴らしい人達ばかりだったが、そのバックグランドである各々の人生もまた最高に価値があり素晴らしいものなのだろうかとの疑念が浮かんだ。親や子を殺したり、隣国めざしてミサイルを撃ち込んだりする人達がいる。そういう人達も私が診察すれば、例にもれず素晴らしい人達と映るだろう。人は奴隷も召使も王様も社長も病者も健者も泥棒も強盗も全て健診の場では平等で、皆等しく尊いが、その人の考えや行動によっては峻別されるべきではないかとの考えが浮かんだ。人を人たらしめているものは、医者の前に並んだ全く平等の各自の肉体と各自の考えと行動によって決まると思えた。肉体は神から授かったもので自分ではどうすることもできない。しかし心構えや行動は自ら選択できるし、変えることもできる。だとすれば後天的に人間を個別化しているものはその人の考えと行動ではなかろうか。昨日市川三郷町に一般町民を対象に「心と体の健康」について講演に行ってきた。その内容は真の健康とは、心の健康のことであり、「人のために全力を尽くす」を目標に生きることが健康への真道であり、いつしかその考えがそうなりたいではなく、本当にそう考えている自分になれるものだと話してきた。自分のことを述べて恐縮だが、ラブラブ思考になる前は、自分の性格の悪い所ばかりが目に付いて落ち込んでいた。こんな自分でも人様の役に立つ人間になるのだと思ってみたが、その思いと現実との差は大きく開いていた。しかしラブラブ思考をいつも思念していたら、かなり近づいてきている自分に気づくようになった。もし人間に優劣があるとするなら、金や地位や学歴や遺伝的バックグランドなどは一切関係なく他人に尽くす気持ちがどれだけあるかによって決まるのではないかと思っている。
2006.07.17
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私の家内は料理を作るのが大好きで美味しいものを沢山作ります。沢山作るので食事の後片付けが大変で、流石に皿洗がつらいと言っていました。私は12年前アメリカのニューオリンズにホームステイのような形で5ヶ月間滞在しました。そこでは食事をした後は客人の私を含め全員自分の食べた皿は自分で食器洗い機に入れるようになっており、主婦に加重な負担がかかることもなく平等でした。帰ってきて家内に食器洗い機を買うように言いましたが買いませんでした。毎晩遅くまで山のような食器を全て手で洗っていました。私が手伝えばいいのですが、意気地なしというのか愛情不足というのか全く手伝いませんでした。だから罪滅ぼしの気持ちもあり、「食器洗い機を買うように」といつも言っていました。家内はぜいたく品ですごく高いものと思っていたのかも知れません。私も何十万はするものと思っていました。例え百万、2百万かかって、生活を圧迫してもいいから、いつも買え、買えと言ってきました。でも買いませんでした。結構色々な高価なものも買ったりするのに、本当はもったながり屋なのか理由は分りませんでした。いつも一人で沢山の皿洗いをして、手が荒れ、腰が痛いと言っていました。先日娘の家に行き食器洗い機を上手に使っているのを見、しかも安いことを知り、やっと先日購入しました。値段を聞いてびっくりでした。数万円でした。そんなに安くて洗剤洗いから水洗い、乾燥まで全てしてくれるのです。しかも水道代が今までの数分の一とのことで、なぜもっと早く買わなかったのかと思いました。今わが国でも食器洗い機はかなり普及していると思いますが、なぜか買わない方がおりましたら、安いし、水道代はかからないし、手のあれや腰痛に苦しまなくてすむし、そしてなによりも時間の節約になりますので、是非とも購入して頂きたいと思いました。
2006.07.16
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Takさんとちびこさんから血液型に関する質問がありましたので、それにお答えして、血液型と性格との関係についての私見を述べさせて頂きます。血液型は赤血球の表面にある抗原によって決まり、血清(血液の中の赤血球や白血球、血小板などを除いた水成分)と調和しています。もしその人に外部から血清と調和しない血球成分が輸血された場合抗原抗体反応を起こして、溶血性黄疸や重篤な腎障害を起こすことがあります。今分っている血液型には、ABO型やRh(+)(-)型などがありますが、それは人間が発見したものでまだ人間が発見していない様々な血液型があることが推察されています。赤血球だけでなく、白血球や血小板にも個人によって型があることが分っています。こう考えてくると血球成分だけでなく私達の細胞一つ一つが型をもっており、抗原をもっていると考えてよいと思います。ちびこさんは子供と母親の血液型が違う場合に抗原抗体反応がおきないことを書いていましたが、胎盤から先は栄養分は送りますが、血液は送らないで、子供は子供の循環系を作っているので大体大丈夫ですが、時には抗原抗体反応を起こして溶血性黄疸で生まれてくる子供もいます。性格との関係ですが、上記血液型などを決める抗原は全て遺伝子によって決められます。耳の形、目の形、肌の色等も全て遺伝子によって決められています。性格も育ちや教育による修飾はありますが、根本的な性格は遺伝子によって決められています。そしてあごの形や口の形など肉体的所見と性格との関係は人相学として発達してきました。性格が全く独立した遺伝子によって決められるならともかく、遺伝子同士で様々なつながりがあることが知られています。従って肉体的所見の一つである血液型も性格と少しは関係があるかも知れないと考えるのは、目の形が性格と少しは関係があるかもしれないと考えるのと同等です。しかしたまたま発見されたABO血液型以外に数え切れないくらい様々な血液型があることを考えると、ABO型血液型だけで性格がどうのこうのと言う事がいかにナンセンスかが分って頂けると思います。
2006.07.08
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昨夜の英会話教室はHoroscope(星座占い)が話題になった。諸外国では行われていないのに、わが国では殆どの人が関心を持っていて、結婚前に相手の血液型を聞いて、血液型からくる一般的な性格から結婚をどうしようか?と考える人までいるわが国の血液型信仰にアイルランド人の先生は全く驚いたと言っていた。星座占いは世界的になされているが、その正確さは血液型同様何ら根拠がなく、お遊びということで、各人の性格から星座を当てるゲームを行った。生まれつきのリーダーで、ボスになりたがり、強引だがナイーブな所もあるというしし座の女性と物事を親切な心で考え、公平を旨とし、決定が遅いという天秤座の男性は一発で当たったが、非情に秘密主義で、クールで批判的で、意志が強くて復讐するタイプというサソリ座の女性や、家にいるのを好み、安全第一で、感受性が強く心変わりしやすく、行動的でないというカニ座の女性は中々当たらなかった。てんびん座はいいことがかいてあるが、サソリ座などは悪いことしか書いてない。血液型占いの性格でもそうだが星座でも自分が悪い性格と出たらどうしたらよいのであろうか?「そんなものは迷信でお遊びさ」で片付けられるといいのだが、信じている人もいる。私の提案だが、いい性格と出た人はそれを信じてもらいたい。悪い性格と出た人は迷信だとしてもらいたい。そして例えばさそり座の人は、その反対なのだと心に思ってもらいたい。つまり秘密主義でなく、明るく批判的でなく、復讐などは考えない心優しい人間なのだと思ってもらいたいと思う。
2006.07.04
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つくば国際会議場で学会があり、6月30~7月2日とつくば市に行ってきました。昨年4月娘がつくばに嫁に行って以来一度も訪れていなかったので、この機会に娘の所に寄って泊めてもらってきました。実家には何度もきてくれましたが、婚家での実際の生活は分りませんでしたので、今回婚家で幸せそうな生活を送ってるのをみて、ありがたいことだと感謝しました。添付写真は本日帰りに、最寄の駅まで送ってもらう途中でそば屋に寄り、順番を待ってる間に近くの蓮園で撮った写真です。蓮は泥沼の中に美しい花を咲かせますが、社会がどんなでも皆様に蓮のように美しい花を咲かせて頂きたいと願いました。
2006.07.02
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今日もH市N町の巡回健診に行ってきました。検診機器を積んだバス十数台、スタッフ50人位の大軍団です。受診者は300人以上、診察医は3人で一人100人以上診察します。3時間で100人以上の様々な人と向き合えることのよさは前回書いたとうりです。隣の医師は「少し脈が速いですね。いい男の前で緊張してるのかな」と、するとその女性は「それはないと思います」と。いい男ではないという意味なのか緊張しているのではないと言う意味なのか分りませんでしたが前者の意味ならまだ若いその医師はショックを受けたのではないかと思いました。私はくしゃみが出たあと鼻水がたらたら出て止まらなくなりました。鼻紙を持っておらず、酒精綿で鼻をぬぐっていた私をみて、さぞかし汚らしいと思ったであろう眼前の60才位の女性受診者は「お風邪ですか?」と。「急に鼻水が出てきて見苦しいところを見せて済みません」と私。「いえとんでもない」と彼女。あまり悪い印象ではなかったのかな?と少し安心しました。昨日の朝、丁度出勤しようと玄関を出たところに電話がかかってきて、「時間がないから」とかなり無愛想に応対して相手を傷つけ、その後私の悪口を家内に言ってたみたいで、まだまだ自分は人間ができていないと思いました。今日100人もの様々な人とふれあい、その一人一人から色々なことを教えてもらいました。この100人の中にも私と同じように出来の悪い人もいるかも知れませんが、今回の健診の場では相手の悪い所は目に入らず自然で素朴で尊い点のみが目に入ったので少しは成長できて、今後は昨日の電話でのことのようなことはないと思えました。明日の日曜日もまた同じ町の健診に行きます。今週は休みがありませんが、楽しいからOKです。
2006.06.24
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父らしいことは何もしてこなかったので、父の日を作ってもらって何かしてもらうことなどは大変おもはゆい気持ちです。母の日は素直に受け入れられます。世界全国何処の母親も子供のために全力を尽くしていますので、母の日として感謝されるのは当然だと思います。父の日も私には資格がないと思いますが、最近では子煩悩の父親が多く、感謝されてしかるべき父親も増えてきていますので、何時の日か母の日と同じように素直に受け入れられる日が来るかも知れません。私としてはプレゼントされるのは大変恐縮な気持ちですが、今年は一人からTシャツ、一人からトレーニングズボン(トレパン)を送ってもらいました。トレパンは私のブログを見て、ヨガをするには必要だろうと考えて送ってくれたみたいです。ヨガの時昔のトレパンであまり様になっていなかったので、ナウイ最近のトレパンを贈ってもらってすごくうれしいです。ヨガやスポーツクラブで大いに活用しようと思います。感謝。
2006.06.18
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シンドラー社のエレベーターで世界中で事故や死者が出ている。大変な問題で、原因究明と再発防止を徹底して貰いたいと思う。所でシンドラー社のエレベーターは競争入札で最も安かったのでそこに決めたとする企業や役所が多い。いまは競争入札制度が全てにまかり通っていて、道路工事やマンション、エレベーターだけでなく、健診事業にも及んでいる。安くて内容が素晴らしいのが理想だが、実際には落札して貰いたいばっかりに内容はさておいて値段のみを破格に安く設定する業者がいる。この社会では落札してもらえなければ仕事にありつけないので、赤字覚悟で、とにかく仕事にありつきたい気持ちは分るが、選択する側は値段とその内容をよくよく吟味すべきだと思う。最も安い所を選択したら結果的に命にも関ることになったのがマンションやエレベーターの事件である。競争入札制度、利点も欠点もある。どのような制度も運用するのは人間である。お金のことだけに目をやらず、常に本質は何かに関心を持って運用してもらいたいと切に思う。
2006.06.11
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先週末守山に住む長男の5歳と3歳の娘がバレーの発表会に出るとのことではるばる滋賀県まで行ってきた。前日(土)に着いたので京都まで足をのばし三十三間堂の向かいにある国立京都博物館の絵巻展を見に行った。鳥獣戯画や源氏物語絵巻があるとのことで、すごい行列で炎天下で2時間近くまってやっと入れた。絵巻は教科書や絵本などで見たことがあるものでそれほどのものとも思えなかったが、やはり本物となるとこんなにも人が集まるものかと思った。当日(日曜日)は1時半開始なのに会場の守山市民会館に12時頃到着して待機した。「眠れる森の美女」に出演するとのことでずっと観ていたが最後の方で、5時頃子供達の役でお姉さんに手を引かれて舞台の左から右に歩いて通っただけだった。孫が出演するとなるとどんな遠くからでも駆けつけほんの1~2分の出番のために4時間もじっと待っていたとは中々自分も気の長い人間なのだと思った。写真は舞台出演している写真と、孫がバレーを踊ったと嬉しそうなじじばばとバレリーナー達との写真である。
2006.06.08
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金曜日に仕事が終わってから大阪に行ってきました。着いたのが夜遅かったのでビジネスホテルの梅田OSホテルを探すのに苦労しました。地下鉄東梅田駅の上で御堂筋に面した所にありましたが、大阪の街を一人で歩くのは、初めてで、何人もの人に聞き、同じ所をくるくる回って結局元の所に戻ったような形で、1時間近く歩きました。最後はかなり心細くなりましたが無事到達できてよかったです。昨日は大阪国際会議場で開催中の日本超音波医学会のパネルディスカッションで発表しました。その発表の前に国際シンポジウムのプログラムもあったので英語が分らないながら聞いていましたら、日本女性でアメリカの大学の教授をしている人の発表はかなり分りました。長年英語を勉強しているのに、国際会議などに参加してもちんぷんかんぷんが殆どでしたが、流暢でペラペラの英語を喋っても日本人だと少し分るのは不思議だと思いました。昨日発表を終えて、東京経由で、夜11頃帰宅して、11時10分からのチャングムの誓いを観ました。チャンヌムが師事する医女チャンドクが憎しみをはらすために医師になり、仇に十分な医療を施さない場面が出てきました。最終的には医術を施しますが、悪人であれ、敵であれ、憎らしい人であれ、無条件で医術を施すのは医術の基本中の基本であり、時代を超えた不変の道理です。これは物語ですが、実際にチャンドクみたいな思いに駆られた医師も少なからずいたのではないかと思います。チャンドクは最後に医術を施しましたが、もししなったならその時点で、自ら医師を辞めるべきだと思います。
2006.05.28
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私がゴルフを始めたのは30年も前ですが、練習にあまり行けなかったので、年に2回位ある職場のコンペのみに出る状態が続いていました。練習もしないで、本番のみでしたので、いつも打点王かブービーでした。最近少し余裕が出来て練習場に通うようになりましたが、それでもその順位は不動でした。優勝など夢の夢でした。反省会で優勝や成績優秀の美酒に酔いしれている同僚の中でいつも私は蚊帳の外で孤独でした。今日は大学の消化器内科の医局員とそのOBで年2回行うゴルフコンペの春の大会でした。私は常に最大のハンデキャップをもらっており、今日も最大のハンデキャップをもらっていましたが、優勝など夢にも思っていませんでした。ところが苦節三十年、ついに優勝したのです。ハンデキャップ無しのグロスでは私より成績がいい人は大勢いましたが、それでも優勝はうれしかったです。家族も喜んでくれました。夢にも思っていなかったことでも、何時かは実現するということを実感しました。
2006.05.21
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もう直ぐ母の日がくる。母の愛は永遠であり、その人の存在の根幹だと思う。私の母は15年前に亡くなった。5月11日が命日だが7日の日曜日にお墓まいりに行ってきた。告別式の日に喪主の挨拶で、冗談のつもりで、顔が悪くて性格的にも姉妹中一番負けていたが、いい旦那や周りの人に恵まれて幸せの一生だったという意味の話をした。常日頃母が言っていたことなのでその時は別に悪いことを言ったとも思っていなったが後で娘から「あんなことを言わなければよかったのに」と言われて以来ずっと気になり心が落ち込み負い目を感ずることになった。母が自分で言うならいいが、息子が顔が悪い、性格が悪いと言うとはなんちゅうもんずらと母から激しく叱られているような気がして、ずっと心が休まらなくなってしまった。「大事に育ててもらった母のことを一度しかない告別の日にあんなふうに言って申し訳なかった」と心が落ち込み、翌日は車をぶっつけてへこましてしまい、食欲もなくなってしまった。以来ずっと申し訳なく、怒られている気分で生きてきたが、先日「そんなことでくよくよしながら生きるより、母に喜んでもらうように生きるべきだ」ということがやっと分った。母が亡くなってしまったというショックもあってか冷静な判断がずっと出来なかったのだと思う。子供を可愛いと思わない母親はいないと思う。「お母さんすまなかった」とずっとしょぼくれて生きるより、幸せに溌剌と生きている方が母もきっと喜んでくれると思えたのだ。明日は命日だ。母の日も来る。母の日には仏壇に心からのものを上げて、「もうくよくよしないで、お母さんに喜んでもらえるように逞しく明るくがんばります」と誓おうと思う。
2006.05.10
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今朝の新聞に「早ければ今年中にも看護師、介護福祉士の第一陣がフイリッピンからやってくるが、日本側は年200人程度に抑える方針とされ、相当な狭き門が予想される」と出ていた。フィリッピンではそれに備えて相当数の介護福祉士養成学校が設立され、多くの若者が日本行きを夢見ているが、実際にはほんの一握りの夢しか叶えることが出来ない。日本では看護師、介護士が不足している。不足しているからと言って外国人に看護や介護が任せられるかとの議論もあった。日本は狭い国で、外国人労働者の受け入れには厳しい制約があり、先進国中最も外国人労働者が少ない国である。グローバル化された世界にあって、人的交流に鎖国のような政策をとるべきではないと思う。日本国としての誇りを持ちながら他国にも出て行くし、他国からも受け入れる体制を充実させて貰いたいと思う。フイリッピンの若者の多くは、金を稼いで家族を楽にさせてやりたいと思って日本行きを希望しているのかも知れないが、温かくて明るいフィリッピン人は看護や介護に向いていると思う。今少子高齢化が進んでいる。この実態を皆よく理解していないが、これは結婚している人が子供を生まないのではなく、実質は結婚する人が少なくなっていることに真因があるのである。少子化はその面にこそ力を入れるべきなのに育児手当その他的外れの理論をしている人が多い。結婚したくても結婚できない人が増えているのだ。外国人との交流はその中で恋愛も生まれるかも知れないし結婚率や出生率の上昇も期待できる。この美しい国土は、今現在日本人だと言っている人達だけのものではない。我々の祖先は殆ど大陸から渡ってきた人達である。日本を愛し、日本で働きたい人や日本で結婚したい人達にはそれなりのルールを作って積極的に受け入れていくべきだと思う。
2006.05.07
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関西方面からご夫婦のお客さんを2泊3日で迎えました。数日前から柱の剥げたところにニスを塗り、トイレの床を磨き、めくれた壁紙を貼り付け、一般には目の届かない隅を修繕して迎えましたが自宅には数時間滞在しただけで宿泊はホテルでしたので、修繕のことなど全く気にも止まらなかったと思います。しかしそれは修繕されていたからで、柱に傷があり、壁紙がめくれていればどんなに小さなものでも目に入ったかも知れません。客人を迎えるに際し、見栄で、金をかけて、家をきれいに見せかける場合もあるかも知れませんが、今回の場合、普段はあまり気にも留めていなかった、家の隅の隅の方を業者に頼まず自分で修繕したのはよかったと思っています。恵林寺、護国神社の桜、山梨市の桃の花、フルーツ公園、昇仙峡、清春美術館、清里を案内し、最後に清泉寮のソフトクリームをご馳走してお別れしました。「このソフトクリームは今まで全国で食べた内で最高に美味しい」と言ってくれました。客を迎えるのは大変なことだと思いますが、今回は家内を手伝って自分でもニス塗りなどしたので、その大変さを実感しました。客を迎えるには心があればいい。とよく言われますが、心がいくらあっても実際に何らかの行動が伴っていなければ、だめなのかなと思いました。客人から、「肩こりの奥さんにアロマを塗ってマッサージしてやりなさい」と助言されました。客人の心を汲んで、肩こりで苦しんでいる家内の肩をマッサージしてやることにしました。
2006.04.10
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「今生の譜」という短歌集を著者から贈呈されました。あとがきに「長い年月抱えてきた夫婦の葛藤からようやく抜け出し、己の努力のむなしさを振り返り、新たなスタートラインに立った不安と希望を含んでいる」と書いてありました。「悲しみに押しつぶされし40年忍従のみの我のソネット」「それは嘘と思いつつ言い訳きいてる夢さめて肌寒き夜半」「新たなる人生歩まん離婚後の歌はすべて己を曝す」。著者は有名な歌人ですが、そんな苦しみがあったとは周りの人は知りませんでした。40年間も苦しみ続けたとは驚きでした。夫婦の葛藤の内容は歌には現れていませんでしたが、「それは嘘と思いつつ」の歌からみると浮気ではないかと想像します。浮気をしながらも奥さんをそれほど苦しめていない人も世の中にはいると思いますが、所詮それはごまかしなので、我日本では、夫婦仲良くするためには浮気はいけないですね。夫婦葛藤の横綱は浮気と暴力と言われていますが、暴力もあったのかも知れません。昔は忍従は美徳とされていました。しかし今はその反対で全く我慢しなくなり、気に入らなければ直ぐ離婚します。少し行き過ぎのようにも思いますが、40年も苦しみながら忍従した人のことを思えば早く見切りをつけてしまった方がいいかも知れませんね。でも最大限努力して、それでもだめなら離婚ということにしてもらいたいというのが本音です。
2006.04.06
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昨日特別講演が終了した。その準備のためにしばらくは家の机のうえも、仕事場の机の上も散らかしぱなしであった。返事を出さなければならない手紙に返事が出してなく、義理を欠いていたり、資格更新の返信締め切りが過ぎてしまっていて、資格が失われてしまったものもあった。講演の準備といっても毎日の業務書類はそれなりに処理してきたが、「これは後でもいいや」と思ったものはそのまま溜まってしまい、気がついた時には取り返しがつかないことになってしまっていた。今は講演が終わったので書類の整理をしているが、その量に呆然としている。ファイルしなければならないものもあるし、返信しなければならないものもある。捨てていいものもあるが、これが一番難しい。この山の内の大半は捨てていいものだと思う。それが思い切れれば整理整頓は簡単で、あっという間にかたがつくと思うが、「これは後で必要になるかも知れない」と思い出したら次のものも捨てづらくなり、悶々と時間が過ぎ去り、山は殆ど片付いていないという現実になる。人の一生は限られており、一人に与えられた時間も限られている。あれもこれも大切だと思ったらノイローゼになるしかない。心を鬼にして、後で必要になったり、後でこまることがあっても、その時はその時として今たいしていらないと思うものは思い切って捨てて片付けを進めていきたいと思う。昨日特別講演が終わったといっても又次の学会が待ち受けている。もたもたしてはいられない。
2006.03.20
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68歳の方がバイアグラを処方してもらいにきた。「家内は私より6つも下だからあまり寂しい思いをさせてもいけないから」「調子がいいですよ。気分転換にもなるし最高です」と言っていた。私がかって読んだ「病気にならない生き方」の中では著者の新谷先生が人に処方するなら自分も試してみないといけないと思って飲んでみたら死ぬような目にあったと書いていた。血流に関係する薬なので、心臓病や脳卒中の既往のある方などはよく医師に相談して分量等を加減してもらって処方してもらうか、あきらめるかした方がよいと思うが、今日の方のように、人生が楽しく感じられるなら素晴らしい薬だと思う。アメリカで発売されて爆発的に売れて、日本ではもっと売れるだろうと期待されていたが、期待はずれであまり売れていない。日本人はそれほどそういうことに関心がないのかも知れない。恥ずかしいこととして人にもあまり言わないからかも知れないが、今日の方のお話を聞いたらもう少し宣伝した方がいいのではと思った。
2006.03.15
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先週台湾に行って来た。韓国、中国などが大変な反日教育を行っている中で、戦争中同じように日本軍国主義が支配した台湾は50年間の日本支配時代も含めて日本に好意的なのに安堵した。日本に留学したことのあるガイドさんは日本は台湾に3つのよいことをしてくれたと言う。一つは教育、二つ目は衛生、三つ目は鉄道を敷いてくれたことだという。同じようなことは韓国、中国にもあったと思われるが、もしそのようなことを言えば大問題になり、ごうごうたる非難の嵐に晒される。その違いは、日本の占領政策そのものが各国間で違いがあったこともあるが、日本が撤退後に作られた政府とその教育によるところが大きいと思われる。戦後平和憲法で育ち、侵略など露ほども思っていない人達からすれば、先輩達の悪行を何時までも言い続けられて敵対視されるのは、やむ終えないことと思いつつも、あまり気分のいいものではない。それだけに、台湾の人達により一層の親しみを感じた。料理は美味しく、中国の文化、歴史を伝える故宮博物院は圧巻であった。また寺院が多く、願いごとのある人が常時訪れ、願いをかけて成功すると、何十億円もの寄付をして、寺院が病院や図書館を運営しているとのことである。日本でも新年などに願いをかける人が多いが、それが成就した時何十億円もの返礼をした話はあまり聞いた事がなく、感謝やお礼に対する考え方が日本人より数段上のように思えた。
2006.02.26
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