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先日1泊2日で宮城県の伊豆沼と南三陸に行ってきました。鳥撮影が目的です。伊豆沼は2回目ですが、前回は往路夜行バス、復路新幹線の夜行日帰りで、公共交通機関のみでしたが、今回は伊豆沼と南三陸と組み合わせたので、1泊2日、仙台まで新幹線で行って、この寒空にスクーターをレンタルしました。鳥の写真は後日にして、まずはは鳥以外の写真のみ。新幹線の車中から、おそらく那須岳、右端は茶臼岳だと思います。薄く雪をまとっています。仙台のこちらでスクーターをレンタルしました。仙台駅から地下鉄で2駅でしたが、仙台着が9時18分で開店が10時だったので、時間調整で歩きました。気温は10度と途中の電光掲示板で見た気がします。風は冷たい、明らかに東京より寒かったです。雲は多めながら晴れでした。伊豆沼のサンクチュアリセンター昼食は伊豆沼のすぐ近くでこんなものをいただきました。宿泊はくりこま高原の近くでした。伊豆沼から10kmも離れていない場所です。で、翌朝、朝は氷点下だったようです。出発しようとしたら、レンタルしたスクーターのシートが、結露が霜になってこんなことに。フロントで雑巾を借りて拭きました。再び伊豆沼に着くと、朝8時40分過ぎですが、日陰はまだ全面結氷、水も所々凍結していました。それでも笛は練習するのです(笑)伊豆沼伊豆沼、紅葉が見頃です。で、その後9時40分過ぎに南三陸へ。伊豆沼から南三陸までは30km弱くらいですが、直接行く公共交通機関はないので、いったん仙台まで戻る超大回りコースか、車を使うしかないわけです。私は車は運転できないので、スクーターをレンタルしました。車を運転できる方は、その方がいいです。二輪は冬は寒いし、車両の購入価格は車の方が10倍くらい高価なはずですが、レンタル代は車と差がなかったりします。途中で道の駅がありました。南三陸ホテル観洋というところに行ってみたのですが、目当ての鳥コクガンは見当たらず。というか、絶壁の上なので海が遠いです。一見水鳥がいっぱい浮いているように見えるのですが、よく見たら全部定置網か養殖の網のブイでした。なので場所を移動します。南三陸・海のビジターセンターに移動。南三陸町の志津湾海はきれいでした。堤防は、おそらく3.11後に作られたものでしょう。伊豆沼からくる途中、かなり内陸に「過去の津波の最高到達点」という看板がありました。後続車があったので、止めて撮影はできませんでしたが。海までまだかなり距離があって、こんなところまで津波が来たのかと驚きました。南三陸の海すぐ近くに、ポツンと1軒だけ食堂があったので入ってみました。天丼。また揚げ物を食べてしまった。しかし、牡蠣のてんぷらが入った天丼です。これが美味しかったのです。なかなか機会がないかもしれませんが、また行きたいです。で、復路は南三陸から仙台へ、4時ちょうどにレンタル店に到着してスクーターを返却し、仙台へ木への復路は地下鉄に乗って、新幹線に乗り継いで東京に帰りました。というわけで、2日間の足はこちらのスクーターでした。ヤマハのNMAXです。実は、今乗っているスクーターがホンダのDIO110、教習で乗ったのが小型二輪免許はCB125からリード125、普通二輪への限定解除はCB400SFと、すべてホンダ車しか乗ったことがありませんでした。これが、初めて乗ったホンダ以外の二輪です。ただ、エンジン音がDio110より圧倒的にでかい、ウィンカーのスイッチの感覚が違って、押したかどうか感覚で分かりにくい、シート下は容量は必ずしも小さくはないのですが、底が浅くヘルメットは裏返しにしてすごく注意しないと収まらない(多分フルフェイスは入らない)、それなのにヘルメットホルダーはない、使い勝手的には、ちょっとね、というところもありました。初日92km、2日目166km、合計258km走って、燃費はリッター45.4kmでした。ただし、誤差はそれなりにあります。燃費は夏に北海道に行った時のPCXと大同小異のようです。鳥写真はまた後日アップします。
2024.11.26
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昨年夏、8人が亡くなったトムラウシ山遭難事故について、助かったガイドのインタビュー記事が「山と渓谷」8月号に掲載されていますので、さっそく購入して読んでみました。以下、インタビュー記事前半部の引用です。------------------今回の3人のガイドは、お互いに面識はありましたか?ゼロです。新千歳空港で初めて会いました。Bガイド(当時61歳・引用者注:死亡したリーダー格のガイド)はアミューズトラベルでは古株だったので、Cガイド(当時32歳)も名前は知っていたみたいですけれど。-でも、いっしょに山を歩いたことはなかった?「ない」と言っていました。-事前に電話で打ち合わせはしましたか。打ち合わせはしました。で、「当日はよろしくお願いします」と。-不安はありませんでしたか。それは不安でしたね。Bガイドが北海道の山を熟知しているなら話は別なんですが、「今回が初めてなんだ」ということを空港で聞いたんです。ガイドがまったくトムラウシを知らないんですよ。考えられない人選ですよね。「冗談でしょう。先に言ってくれよ。だったらやめてたのに。」って思いました。本当に空港から帰りたくなるくらいイヤでした。-わかっていたらやめていてましたか。イヤですね。ただ、自分の山に対する挑み方がアマかったのは確かです。いくらサブガイドというポジションでも、会社側の人間として行くわけだから、やっぱり下調べは充分にしなければいけなかったし、同行するスタッフは誰かくらいは聞くべきでした。でも、行ってしまった以上、まな板の上の鯉ですから、やるしかないと思いました。-出発前日に天気予報をチェックしたそうですね。しましたね。爆弾低気圧になるかもしれないけど、エスケープルートはあるのかという話をしていました。このコースは、一度山に入るとなかなかエスケープルートがないじゃないですか。Bガイドはそれを「イヤだな」と言ったんです。でも、そのあたりのことはCガイドに丸投げしていたと思います。-エスケープルートがないことについて、具体的な話はなかったんですか。「こういうルートがある」という説明はCガイドからあったんですが、そのルートにしてもけっこう歩きますから「これでエスケープになるの?」という話ですよね。エスケープの話は、BガイドとCガイドが中心になってしていました。「あんたはサブだから、言われたことだけやってくれ」という空気は確かに感じました。でも、それは僕もわきまえていたつもりです。自分がメインのときはサブに口出ししてほしくありませんから。そのときも彼らに任せようと思っていました。-3人の間でのコミュニケーションはどの程度だったんですか。事務的な打ち合わせ程度でした。みんな初対面ですからそんなに打ち解けるわけもないし。言ってみればその場限りのチームなので、信頼関係はなかったと思いますね。ただ、僕とBガイドは休憩時に一緒にタバコを吸うときにいくらか話をしました。Bガイドは「イヤなもん受けちまったな。こんなところにはもう来たくない」というようなことを言っていました。彼は彼なりに思うところがあったんじゃないでしょうか。そういう気持ちは僕も同じでしたけど。(中略)-翌日の行動について、3人でミーティングはしたんですか?していません。翌朝になってBガイドとCガイドが話して、出発を30分遅らせて様子を見ることになったんです。30分くらい遅らせても何も変わらないんじゃないかと思いましたけど、それは口には出していません。30分たって、どうするのかなと思って聞いていたら「行こう」ということになり、「ええっ、マジで?冗談でしょ」と思いました。-行くことにした根拠はなんだったんですか。わかりません。-天気がよくなるという予測ですか。じゃないですか。見切り発車だっだと思います。午後から快方に向かうハズだ、と。でも今の状況を見れば「この状況で行くの?」という話になるはずなのに「行こう」と決断したわけだから。「ああ、行くんだこいつら。じゃあ、行くしかないよな」という考えでしたね。出るという決断をした以上は、サポート役に徹するしかありません。-決定に従わざるを得ないという意味では、お客さんと同じような立場ですね。確かに、口を出せる立場ではありませんでしたけど、お客さんにしてみれば、僕は会社側の人間ですよね。その人間が、行くと決まったことに対して「やっぱり行きたくない」なんて言ったら、おかしな話になっちゃうじゃないですか。黙るしかないですよね。-生存者のひとりは、出発間際にあなたに「台風みたいな天気ですね」と話しかけたら「台風と同じです」と答えたと言っていました。続けて「こんな日は行きたくないわね」と話すと、あなたは何も答えなかったそうです。この天気は台風と同じだ、というのは自分の本音です。台風の日に山登りをする人がいますか?いませんよね。行ったって楽しくないし、あんな風雨のなかで稜線を越えるようなリスキーなことはしたくありません。半日待って天気がよくなるんだったら、待てばいいじゃないですか。だからBガイドが生きていれば、僕も言いたいことはいっぱいあったんです。自分の人生も、あの瞬間に変わったわけです。それはそれで僕の運命だったと思いますが、いまだに毎晩、思い出すんですよ。北沼の分岐で、女性客が僕の腕の中で亡くなったときのことを。なんであそこで出発したのか、僕も聞きたいです。-そのときの判断材料として、帰りの飛行機が決まっていることも考慮されたんでしょうか。停滞となると、飛行機を全部取り直さなくちゃならないし、翌日の宿もまた手配しなければなりません。そうしたことを考えると、多少無理しても下りたほうがいいというBガイドの判断だったのかもしれません。逆の立場で僕が添乗員兼ガイドだったらどうするかといったら、実際そうなってみないとわかりませんね。-この日の午後にはアミューズ社のツアー登山の別パーティーがヒサゴ沼避難小屋に入ることになっていました。それも出発を強行した一因になっているとお考えでしょうか。その話は聞いていましたけど、出発した要因とは思いたくないですね。-事故報告資料によると、稜線に出た時点で状況が悪ければ、天人峡へのエスケープをとらざるを得ないとCガイドは考えていたようですが。僕は聞いていません。-日本庭園のあたりでは、そうとう風が強かったそうですね。日本庭園を越えたあたりで女性客がひとり遅れはじめました。フラフラして見るからにおかしいので、肩を貸しなが「がんばって、がんばって」と励まし続けました。その時点で、恐れていたことが来ちゃったと思いました。-引き返そうと思えば引き返せましたよね。引き返せたと思います。でも、先行している人たちはとっとと行っちゃうし、追っかけるしかないですよね。-北沼に着くまでに、引き返すことは一度も考えなかったんですか?静岡のパーティーに抜かされる前、ロックガーデンのあたりの岩がゴツゴツした登りで「ヤバイよ。これマズイっすよ」と言いました。「やっぱり引き返そう」と言われるのをどれだけ待っていたか。でも「おまえ、何言っとんだ」みたいな感じでそのまま先に行っちゃったんで、「行くんだ・・・・・・」と。それ以上言っても仕方がないので、じゃあ自分のできることをするしかないなって思ったんです。(以下略)-----------------一言で感想を言うと、「赤信号、みんなでわたれば怖くない」と言うことに尽きます。以前に、カナリア諸島での史上最悪の飛行機事故について「物言えぬ職場に潜む落とし穴」という記事を書いたことがあるのですが、それと相通じるものがあるように感じました。遭難の日、出発を強行したリーダー格のBガイドも、本音では出発なんかしたくなかったのではないかと思います。事故当時の報道によると、客の間からも、ガイドに対して出発は止めた方がいいという申し入れがあったとされています。つまり、誰も出発なんかしたくなかったにもかかわらず、無理に出発して8人が遭難死という結果に陥った。「停滞となると、飛行機を全部取り直さなくちゃならないし、翌日の宿もまた手配しなければなりません。」これが決定的な要因となったのでしょう。加えて、インタビューでは「出発した要因とは思いたくない」と言うものの、アミューズ社の別パーティーがヒサゴ沼避難小屋に入るので小屋を空ける必要があったことも、大きな要因となっていたのでしょう。(「要因とは思わない」ではなく「思いたくない」という表現が、実質的にそれを肯定しているように感じられます)つまり、飛行機や宿の手配とか、後続のツアー登山の都合など、営業上の都合が、対自然の都合、安全性の都合より優先されてしまったということです。もちろん、営業行為としてツアーを開催しているのですから、営業上の都合が最優先されるのは、ある程度は仕方のないことです。でも、たとえば航空会社が悪天候のために航空便を欠航させると、営業上は大変な損害だし、客にも迷惑がかかるわけですが、だからといって、営業上の都合を最優先させて、台風直下に飛行機を出発させる航空会社があるでしょうか。そう考えると、いくら営利企業とはいえ、営業上の都合があまりに優先されすぎていた、そのためにガイドの判断が狂わされたと考えざるを得ません。結果的に8人遭難死という事態に至ったから、下山強行がいかに無謀だったかが「証明」されましたが、もし停滞して1日遅れで下山した場合はどうだったでしょう。事故の翌日は一転して晴天だったそうですから、おそらくツアー全員が何の問題もなく下山し、「停滞して日程が遅れ、飛行機の予約は取り直し、客の予定は狂い、会社は予定外の出費で損害」という結果だけが残ることになったでしょう。そのとき、「もし前日に強行下山していたら8人が遭難死という事態に陥っていただろう」なんてことを、誰も想像できないでしょう。結果として、停滞という判断を下したガイドが、会社から(場合によっては客からも)非難されることも考えられます。それによって仕事をもらえなくなったら、ということも念頭にあったかもしれません。ところで、問題の記事の最後の方で、このガイドはこのように言っています。------------------アミューズ社にかぎらず、けっこう危ない橋を渡っているツアー会社は少なくないと思うんですよ。それが幸いにも大きな事故につながらずにすんできたけれど、今回の事故ではツアー登山の危うい部分がすべて表に出たような気がします。まったくそのとおりじゃないですかね。「これはマズイでしょう」「それはちょっとあり得ないでしょう」ということが今までも多々ありました。なんでこんなリスキーなことを、このギャラでやらなければいけないんだって思ったこともあります。その上にあぐらをかいて、今度も何とかなると思っていた部分はあると思いますよ。同じような事故はほかの山でも充分に起こりうることで、それが今まで起きなかっただけのはなしです。-----------------以前の日記に書いたことがありますが、私も何度か山でツアー登山と遭遇し、「これは・・・・・・」と思ったことがあります。ハインリッヒの法則というものがあります。一つの重大事故の背後には30件の軽微な事故と300件のヒヤリ・ハットがある、という経験則です。多分、ツアー登山の世界も同じだと思われます。トムラウシの遭難事故は、おそらく氷山の一角に過ぎません。
2010.07.25
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大企業の労働分配率、昨年度は過去最低 内部留保は過去最高企業がもうけの中から人件費にどのぐらい使ったかを示す「労働分配率」が、昨年度は大企業で過去最低の水準に落ちこんでいたことがわかった。企業内に蓄積された利益を示す内部留保は過去最高額になっており、働き手への「還元」を求める動きが強まる可能性がある。国内企業の通期決算を集計した財務省の法人企業統計調査(2023年度)をもとに、記者が独自に分析した。企業が生み出した付加価値(役員と従業員の人件費、経常利益、賃借料、一部の税金や利払い費、減価償却費の合計)のうち人件費が占める割合を、労働分配率として算出した。金融・保険業をのぞく全産業では、前年度より約1ポイント下がって52.5%となった。これは1973年度の52.0%以来の低さだ。さらに企業の規模別に算出すると、資本金10億円以上の大企業の落ちこみが際立った。前年度より約2ポイント下がって34.7%となり、統計のある1960年度以降で最も低かった。資本金1億円未満の中小企業は、前年度とほぼ同じ66.2%だった。大企業に比べると高水準で、下がり方もゆるやかだ。---儲けたお金は内部留保としてため込んで、なるべく働く人の給料には還元しないのが優れた企業、優れた経営者、そんな感覚が蔓延している限り、仮に多少景気が上向いても、我々の収入は増えないし、生活も上向かないことは言うまでもありません。前回の記事とも関係しますが、なるべく多くの労働分配率差を獲得することこそ、労働組合の大きな目的であると私は思います。その労働組合の力が落ちているために、労働分配率も低下している、ということではないでしょうか。当然国内消費は盛り上がらず、景気も上向くことはない、国内の個人消費動向に左右されないインバウンドや輸出産業だけが頼り、という危うい状態が今後も続く、ということになってしまいます。残念ながら、そのように言ったところで、企業に対して否応なく賃上げを強いる強制力が働かなければ、賃上げはしない(少なくとも最低限の賃上げしかしない)し、国内市場が衰退していくことを止めることもできないでしょう。なんというか、各方面で日本の将来が「お先真っ暗」ということが、この分野でも確認できてしまった、という夢も希望もない話です。いや、もちろん、労働組合をはじめとして、企業に対して賃上げを強いる強制力が働けば、状況は多少なりとも好転するんじゃないかとは思うんですけどね。
2024.09.06
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何となく、YouTubeを見ていたら、「もしもミッドウェイ海戦で日本海軍が勝利していたら?」という動画を発見してしまいました。2008年に民放のどこかの局で放送されたもののようです。この種の戦争にまつわる歴史のifの定番です。他には、真珠湾攻撃の際にもし米軍の空母が在泊していたら、レイテ海戦で栗田艦隊が反転していなければ、なんてものもあります。ミッドウェイ海戦については、攻撃隊があと5分早く出撃していたら、というifもあります。米軍の急降下爆撃機の攻撃を受けたとき、日本艦隊は攻撃隊の発艦準備が整ったところで、攻撃隊の1番機が発艦した直後に被弾してしまった。あと5分米軍の空襲が遅ければ、日本側の攻撃隊は全機出撃して、海戦の結末は変わっていた、というものです。敗北の当事者である草鹿参謀長と淵田飛行長が戦後に著書で広めたもので、冷静に考えると、怪しさ満点の主張ですが、私が子どもの頃の戦記本では、定説のように扱われていました。これに初めて公然と疑義を呈したのは、ミッドウェイ海戦の全戦没者を調査した「滄海よ眠れ―ミッドウェー海戦の生と死」の著者である澤地久枝です。ひとつには、生存者からの聞き取り調査、もうひとつは、当時の戦闘詳報などを基に防衛研修所戦史室が編集した「戦史叢書」の記録などから、この定説を覆したのです。今日では、「運命の5分間」説は完全に虚構であることが明白です。攻撃隊の1番機が発艦した直後、というのは、実際には米軍機を迎撃するために発艦した戦闘機(零式艦戦)をさしたもので、攻撃隊自体は、まだほとんど発艦準備が整っていませんでした。このとき唯一生き残って反撃した空母「飛龍」が攻撃隊を発艦させたのが、3隻の被弾から30分以上後であることからも、このことは明らかです。そもそも、それ以前に、よく知られているように、連勝によって日本側が増長著しかったこと、日本側の暗号を解読されていたこと、米軍はすでにレーダーを実用化していたのに対して日本側はまだ試作段階であり、対空警戒の目に大差があったこと、など、5分間がどうこう以前の弱点を日本側は沢山抱えていました。なので、史実のミッドウェイ海戦の経過の中で日本海軍が勝つのは絶望的に困難です。艦隊の編成からすべてやり直せば-具体的には、アリューシャン列島への陽動作戦や上陸部隊の護衛用に派遣した3隻の空母をすべて機動部隊に加え、何故か空母部隊のはるか後方を付いていった戦艦中心の「主力」部隊を機動部隊の前面に配置すれば-勝てたかもしれない、という程度です。勝てたとしても、敵は空母3隻全部撃沈、味方は損害なしということは、絶対にありません。太平洋戦争中日米の空母同士の海戦で、日本が米軍の正規大型空母を撃沈したいずれの海戦(珊瑚海海戦と南太平洋海戦)でも、日本側は、それと引き換えに艦載機を大量に撃墜され、また日本側の空母も大きな損害を受けているからです。ミッドウェイ海戦では、実は日本の搭乗員の戦死はさほど多くありませんでした。「飛龍」以外の空母は、搭載機が発艦する前に沈没したので、機体は失われましたが、搭乗員の大半は海を泳いで救助されたからです。搭乗員の戦死者は120人程度で、勝った米軍の搭乗員の戦死者より少ないのです。その120人の過半数は、唯一米空母を攻撃し、最後に撃沈された空母「飛龍」で生じています。空母「ヨークタウン」大破(後に沈没)と引き換えに、60人以上の搭乗員が戦死しています。つまり、もし日本がミッドウェイ海戦に勝っていたら、言い換えるなら、他の空母も米空母への攻撃に参加していたら、搭載機の撃墜と搭乗員の戦死はもっと多かったはずなのです。「飛龍」の数字から類推すれば、史実の2倍以上が戦死したでしょう。そこまで被害を出しても、米空母の防御力(ダメージコントロール力)は日本空母に比べて格段に高く、撃沈は容易ではありませんでした。したがって、勝つとしてもせいぜいあと1隻撃沈して、残りの1隻が一時的に戦闘不能、くらいが関の山です。日本側の艦船の損失ゼロはありえませんが、仮に奇跡的に艦船の沈没がゼロだとしても、飛行甲板に被弾する空母は確実に出ます。日米の空母が激突した海戦で、日本空母が被弾しなかった例はありません。米空母は、飛行甲板に被弾しても応急処置用の鉄板を敷いて飛行機の発着艦を可能にしましたが、日本海軍にその発想はなく、飛行甲板に穴をあけられたら、帰港して修理するまで戦力喪失です。だから、海戦に勝っても、その直後の時点では運がよければ、2隻程度の空母がかろうじて運用可能で、その搭載機の半分が使える、程度でしょう。しかも、航空燃料や搭載爆弾が残っていたかどうかは分かりません。つまり、海戦にかろうじて勝ったとしても、そのあとミッドウェイ島に上陸する陸戦部隊を航空援護することは、もはやできなかっただろう、ということです。どうも、「もしミッドウェイ海戦に勝ったら」というifには、「海戦に勝てば上陸作戦も成功する」という思い込みがあるように思いますが、現実はそうではありません。ミッドウェイに上陸する予定だったのは、後にガダルカナルに転用されて壊滅した歩兵第28連隊の1個大隊(歩兵4個中隊・機関銃1個中隊、歩兵砲1個小隊)及び連隊砲、速射砲各1個中隊(おそらく速射砲4門、歩兵砲6門、重機関銃8丁と思われる)・通信隊・衛生隊1/3個からなる、一木支隊の約2000名余です。※連隊砲中隊、通信隊、衛生隊が抜けていたため訂正しました。したがって、歩兵砲2門と書きましたが、大隊の歩兵砲小隊に連隊砲中隊をあわせれば6門あったはずです。また、この時期の歩兵1個大隊は3個中隊編成が標準ですが、このときの一木支隊は4個中隊編成だったので、通常の歩兵大隊よりは兵力が3割増ということになります。これに、海軍陸戦隊も2000名余が加わりますが、これに対する米軍のミッドウェイ防御部隊は、兵力こそ3000名ほどですが、全島に数十門の火砲と戦車を配備、火力では日本側を圧倒していました。さらに飛行場には120機の飛行機もありました。その過半は日本空母との戦いで喪失しましたが、少なくとも20機や30機は生き残っていたはずだし、当然、ハワイから増援の航空部隊も送られてくるだろうことも考えると、一木支隊は、全滅の場所がガダルカナルではなくミッドウェイ、時期は2ヶ月ほど早まるだけで、その命運は史実と変わらなかったでしょう。実際には、もしミッドウェイ海戦に日本が勝ったとしても、珊瑚海海戦と同じことになったでしょう。つまり、大損害と引き換えにかろうじて海戦には勝ったが、上陸作戦は中止、撤退、ということです。そこで、なおもミッドウェイ島の占領にこだわり続けたとすると、やはりガダルカナルの泥沼の消耗戦がミッドウェイで起きることになったでしょう。仮に奇跡的にミッドウェイ島占領に成功しても、日本本土からこんなに遠い島に充分な兵力を置くには、補給もままならず、日本軍が占領した太平洋上の多くの島と同様、1年後には奪回されて、守備隊は全滅したでしょう。さらにハワイを占領なんて夢のまた夢、米本土上陸なんて、夢でもありえない、というところです。ミッドウェイ海戦では、日本海軍は4隻の空母という「箱」と搭載機約260機のすべてを失いましたが、前述のとおり、搭乗員の戦死は120名ほどに過ぎませんでした。続くガダルカナルの戦いでは、飛行機の損失(陸上機も艦載機も合わせて)800機以上、搭乗員の戦死は2000人以上なので、損害の大きさは比較になりません。加えて、輸送艦船や艦隊の手足となる駆逐艦も大量に喪失し、太平洋戦争における本当の転機となりました。さて、もし日本がミッドウェイ海戦に勝っていたとしても、最初の推定のようにミッドウェイ島の占領はできずに撤退した場合(珊瑚海海戦と同じ)、史実同様にガダルカナルの戦いが起き、史実とさほど変わらぬ経過をたどっただろうと思います。史実では、ミッドウェイで4隻の空母を失った日本海軍は、それ以上の空母の損失を恐れて、ガダルカナルでは2度の空母決戦(第2次ソロモン沖海戦と南太平洋海戦)以外は空母温存の消極策に終始します。しかしミッドウェイで空母を失っていなければ、もう少し空母を上陸部隊援護に積極活用したかもしれません。そうすれば、酷使されて損耗した駆逐艦の損害が多少減ったかもしれませんし、奇跡的にガダルカナル島の占領にいったんは成功したかもしれません。そうだとしても、程なく奪回されたでしょうし、航空戦力の消耗は史実と変わらず、空母の防御上の欠点はミッドウェイでは露呈しなかった代わりにガダルカナルの戦いのどこかで露呈して、4隻同時ではなくても、結局は次々と撃沈されていったでしょう。そこで生き残ったとしても、マリアナ海戦かフィリピン沖海戦で沈むか、搭載機も燃料も尽きて呉軍港で動けないまま空襲に晒されるか、要するに史実と大同小異ということです。もし、日本軍がミッドウェイ占領を簡単に諦めなかったとしたら(占領に成功した可能性は低いけれど、仮に成功したとしても)、前述のとおり、史実のガダルカナルで起きた泥沼の消耗戦、航空戦力と駆逐艦、郵送船舶の大量喪失がミッドウェイをめぐる戦いで発生していただけのことで、その後の戦局の経過には史実と差はあっても、戦力枯渇の経過は史実と大差なく、最終的には史実と大同小異の結末を迎えたでしょう。結局、ミッドウェイで日本が勝っていたとしても、太平洋戦争の結末は史実と差ほど変わりがなかっただろう、というのが結論です。ミッドウェイで勝っていれば米国と講和、なんてのは、相手の都合を考慮しない夢物語の最たるものです。生産力の差から、戦争が長引けば長引くほど米国が有利なのは歴然としているのに、わざわざ自国にとってもっとも不利なタイミングで講和しようと考える国がどこにあるのか、立場が逆で日本米国の立場だったら講和したのか、と考えれば、それがどれほど非現実的な話かは明らかです。上記の番組中で、田岡俊次氏はミッドウェイ海戦にもし日本が勝っていたら、ミッドウェイを占領し、ハワイを占領し、ひょっとしたら米本土にも侵攻を試みて、その結果、日本は負けるが戦争は史実より1~2年長引き、その結果日本の損害も史実よりさらに膨らんだだろう、という見立てでした。実際には、ミッドウェイの占領は困難、ハワイの占領なんて絶対不可能、米本土進攻なんて話にもならないので、史実より1年も戦争が長引くことはなかったと私は思います。ただ、1ヶ月や2ヶ月だったら、史実より戦争が長引くことはありえます。そもそも史実においてさえ、降伏に反対するクーデターが成功していたら、敗戦がもっと先になった可能性はあるのですから。もし、史実より1ヶ月でも戦争が長引いていたら、多分3発目の原爆が投下されていただろうし、毎日のように餓死者が出ていたので、それこそ1日につき1万人ずつ死者が増えていたとしても不思議ではありません。その意味で、「ミッドウェイ海戦で負けてよかった」というのが偽らざる感想です。
2018.08.04
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銀座強盗「指示役」関与か…若者はSNSでの仕事探しに薄い抵抗感・決行しても使い捨ての現実回逮捕された男4人は高校生を含む16~19歳で、指示役の関与が疑われている。関東など各地で相次いだ一連の「闇バイト強盗」でも多くの若者が逮捕されており、犯罪の実行役として若者が「使い捨て」にされる実態が浮かぶ。警察庁によると、闇バイトに絡む強盗・窃盗事件は2021年夏以降、少なくとも14都府県で五十数件発生。60人以上が逮捕されたが、10~20歳代の若者が目立っている。このうち19歳の男3人は昨年12月以降、渋谷区神南の貴金属店で起きた窃盗など6都県の事件に関与したとみられ、逮捕後の調べに「インスタグラムを通じて闇バイトの募集に応じた」などと供述した。こうした事件の中でも、今回は銀座で多くの人が行き交う時間帯に店を襲い、通行人に見られたり撮影されたりしても動じる様子を見せず約10分にわたって強奪行為を続けるという極めて大胆な手口だった。(以下略)---引用記事は「極めて大胆な手口」と書いていますが、いくらお金に困っても、白昼堂々と衆人環視の下で強盗などやって、いくら仮面をかぶっていても、とうてい逃げ切れるはずもなく、あっという間につかまる、くらいのことは、マトモな判断力があれば高校生だって十分に分かるはずです。実際あっという間につかまったわけですし。というわけで、「大胆な手口」というのはそれで逃げ切れたら成り立つ言葉であり、どちらかというと「杜撰」「無謀」「自滅的」という方が正しいように思えます。一連の強盗事件はすべてそうですが、今回の事件はとりわけはっきりしています。なぜそうなのか。まだ、一連の逮捕者がどのような人物かは報じられていませんが、私の仮説としては、一連の犯人の中には、少なくはない割合で知的障害、あるいは知的ボーダー(知的障害と健常の境界線上の人たち)が含まれるのではないか、という気がします。療育手帳(東京では「愛の手帳」)が取れるレベルの知的障害者では難しいですが、知的ボーダーなら、運転免許を取得したり、全日制の普通科高校に合格できる人は珍しくはありません。もちろん、現時点で根拠となるソースは何もありません。ただ、同じ犯罪を犯すにしても、充分な知的能力があれば、もう少しは捕まらないための工夫はするものだと思えます。それに、世の中の犯罪の加害者にも被害者にも、知的障害、知的ボーダーはかなり多いのです。著名な例は、レッサーパンダ男による女子短大生殺人事件で、wikipediaの記述によればこの犯人は過去には障害者手帳の交付を受けていたということです。光市母子殺人事件の犯人も、Wikipediaに記述はありませんが、知的ボーダーないしは発達障害があると言われています。また、「累犯障害者」などという言葉があるくらいで、刑務所に出たり入ったりする前科何犯、何十犯の人の中には、かなりの割合で軽度の知的障害者が含まれていると言われます。そこから類推して考えれば、一連の強盗事件の犯人の、全員ということはないでしょうが、少なからぬ割合が知的障害か知的ボーダーである蓋然性は高いものと思われます。ちなみに、犯人が障害者(かも)というと、すぐに「障害を言い立てて心神耗弱で無罪や減刑なんて許せない」と叫ぶ人たちがいますが、現実には、障害を言い立てれば減刑されるようなら、「累犯障害者」が刑務所に出たり入ったりするはずがないのです。前述のレッサーパンダ男は無期懲役だし、光市母子殺人事件の犯人も1審2審は無期懲役でしたが最高裁で差し戻し後死刑判決になりました。万引きレベルの犯罪では、警察や検察が面倒くさがって知的障害者の犯行を起訴猶予にしてしまうことはあり得ますが、強盗、殺人レベルの犯罪では話はまったく違います。日本の刑事裁判においては、軽度の知的障害や発達障害系の精神疾患で心神耗弱を認めて減刑することは、まずありません。したがって、今回の犯人も、もし私の推測どおり知的障害あるいは知的ボーダーだったとしても、減刑されたり、まして無罪になることはないのです。私も、情状酌量の余地があるとは思いませんが、ただ累犯障害者には、そもそも親にも障害があったり、家庭が崩壊していたり、家庭環境が滅茶苦茶な人が多々いるのが現実です。環境がまともだったら、そんな悪事に手を染めることもなかったかもしれない、と考えると、何とも悲惨だ、という印象は抱きます。もちろん、現時点ではすべて仮説にすぎません。私の推測は外れ、かもしれないことはお断りしておきます。
2023.05.11
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令和の米騒動「売り場にコメがない!」品薄・高騰…原因&今後は?各地のスーパーで、お米の品薄状態が続いています。『令和の米騒動』という声も出ています。なぜ、売り場にお米がないのでしょうか。今、お米不足が深刻化しています。「スーパーを4軒回ってコメがない。コメが売り場にない状況を初めて見た」「2週間くらい前から、どこにもコメが売ってない。もう今夜の分しかなくて絶望」「コメ売り場に、袋麺や切り餅がたくさん置かれている」各地のスーパーでは、棚が空になったり、お米の入荷が不安定のため、購入制限をかけている店舗も出ています。~そして、販売している国産米は、5キロと2キロのみです。お米不足により、10キロ入りの国産米を仕入れることは難しいということです。さらに販売価格にも影響が出ています。2024年3月は5キロ約1500円でしたが、今は1000円値上げして約2500円です。~なぜ、お米が品薄になっているのでしょうか?1つ目に考えられる原因は『猛暑と水不足』です。2023年、記録的な高温や少雨の影響によって、米どころの新潟や秋田で不作となりました。収穫量を示す作況指数は、全国平均では101と『平年並み』でしたが、新潟県や秋田県では、『やや不良』となりました。「とくにコシヒカリは暑さに弱い。コメの中に養分をため込む時に、暑すぎて稲そのものが弱ってしまった」といいます。考えられる原因2つ目は『政府による生産調整』です。農水省は、人口減少により、毎年10万トンペースで国内消費が減ることを前提に、主食用の米の生産をコントロールしています。2021年と2022年のお米の民間在庫量は、コロナでお米の消費が低迷したため、適正水準を上回りました。2020年から2023年までの3年間で60万トン以上減少し、2023年は、661万トンで過去最少でした。一方で、消費量は、2022年から2023年にかけて、702万トンと、10年ぶりに増加しました。コメ不足の原因3つ目は『訪日外国人の増加』です。農水省の試算では、2024年6月までの1年間で、訪日外国人が約3万トンお米の消費を押し上げたということです。原因4つ目は『コメの“お買い得感”』です。日本では小麦はほとんど輸入なので、ロシアによる、小麦の産地であるウクライナへの侵攻や円安の影響で、パンや麺類など小麦製品の価格が上がりました。一方、お米は国内生産なので、パンや麺類と比べると価格の上昇が緩やかでした。こういったお米の割安感が、お米の消費を押し上げたとみられます。さらに、直近の原因としては『南海トラフ地震臨時情報』の発表です。8月8日~15日、南海トラフ地震の想定震源域で大規模地震への注意が呼びかけられました。(手下略)---何日か前、facebookで友人が「スーパーに行ったら米がない」と書いていて、そんな事態になっていることを知りました。そうしたら、一昨日、実家の母から電話がかかってきて、やはり米を買いに行ったらスーパーに在庫がなかったと言っています。母は、5kgの未開封の米を開けた時に次の米を買いに行くそうです。だから、まだ開封したばかりの5kgの米が丸々残っているので、すぐにコメがなくなる心配はなさそうです。一方我が家はというと、5kgの米2袋+米櫃に2~3kgの米があります。3人家族で、1か月くらいはもつでしょう。かつて、1993年に「平成の米騒動」騒ぎがありましたが、あの年は、観測史上唯一「梅雨明けがなかった年」でした。長雨と冷夏で、特にコメどころの東北地方で壊滅的な不作となりました。それに比べると、今回は、昨年が外見的には作柄指数101で平年並みのように見えながら、内実は目に見えない不作だったことが、米の端境期の今の時期に響いてきているようです。別の記事によると、作柄指数の判定基準となる玄米では平年並みだったものの、精米したら例年より歩留まりが悪かった、という指摘もあるそうです。直接的には、南海トラフ地震の巨大地震注意に加えて、東京周辺では先日の台風7号が当初直撃する予報だったため(結果的には少しそれて大きな被害はありませんでしたが)少なからず買いだめが生じたことがとどめを刺したように思います。ただ、コメ不足が表面化したのは8月になってからですが、関係者は速い段階でその事態を予想していたようです。2024年6月26日逼迫する米需給 現状と24年産の展望は2か月前に、すでにこのような記事が出ていました。4月末の段階で、すでに「過去に例のない在庫量(の少なさ)」だったそうです。この事態になって、初めてそんな記事に気が付きましたけど。ただ、今年に関しては1993年の時のような事態にはならないで済みそうです。昨年の作柄が「目に見えない不作だった」と言っても、1993年の壊滅的な状況とは比較にならないからです。1993年の作柄は全国平均で73、特に北海道40、青森28、岩手30、宮城37という惨状でしたが、一説には、この数字ですら「かさ上げされていたのではないか」ともいわれます。今年のコメの作柄は平年並みであり、あと1か月か1か月半もすれば新米が出荷されます。それで当座の米不足は解消するでしょう。ただし、今年の作柄についても、この記事によると、大雨被害を受けた秋田と山形や、日照不足があった新潟などは、作柄は「平年並」とされているものの、実際にはこれらの影響はある、ということです。ということは、やはり昨年同様の「見えない不作」で、来年の今頃にまた米不足が生じる可能性は否定できません。お米に限ったことではありませんが、現代社会は様々な生活必需品の生産や流通が、文字どおり「自転車操業」状態であり、どこかで一つ歯車が狂うだけで、簡単に品不足が起こってしまいます。なくてもあまり困らないものなら「仕方がないね」で済みますが、米となると、われわれ日本人にとっては、なくてはならない主食であり、それが足りくなるのは、「仕方がないね」で済ませられる話ではありません。
2024.08.24
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【解説】 国際刑事裁判所の逮捕状、イスラエルの地位に大打撃国際刑事裁判所(ICC)はパレスチナ・ガザ地区での戦闘をめぐり戦争犯罪や人道に対する犯罪の疑いで、3人に逮捕状を出した。対象は、イスラエルのネタニヤフ首相、ガラント前国防相、イスラム組織ハマス軍事部門カッサム旅団のデイフ司令官だ。イスラエルでは、政治的立場を問わず、主立った立場の人が一様に激怒している。対照的に、ハマス、パレスチナ聖戦機構、そしてガザの一般市民は、ICCの決定を歓迎している。ICCは、ガザ地区で続く戦争において戦争犯罪や人道に対する罪が行われたとされており、ネタニヤフ首相とガラント前国防相とデイフ司令官の3人がそれについて「刑事責任」を負うものと考える「合理的根拠」があると説明した。ICCの決定を受けて、イスラエルのヘルツォグ大統領は、「正義と人類にとって暗い日」だとして、ICCは「民主主義と自由ではなく、テロと悪の側に立つことを選んだ」のだと非難した。~対するハマスは、デイフ司令官への逮捕状が出されたことにはコメントせず、ICCの決定を歓迎している。~理屈上は、ネタニヤフ氏やガラント氏がいずれかのICC加盟国の領内に入った時点で、その加盟国は首相らを逮捕し、ICCに身柄を引き渡されなくてはならない。~ネタニヤフ氏が最も最近国外に出たのは7月のアメリカ訪問だ。同氏は理論上、ICC非加盟国のアメリカには今もリスクを負うことなく入国できる。昨年にはイギリスなど複数の国を訪問しているが、その多くはICCに加盟している。ネタニヤフ氏が逮捕されるリスクを冒してでも、これらの国を再訪問するとは考えにくい。それに加盟国側も、自分たちが首相を拘束しなくてはならない立ち場に置かれるのを望まないだろう。~---私から見れば、逮捕状発行は当然だとしか思えません。ICCは2023年3月にロシアのプーチン大統領に逮捕状を出しています。もちろん、それも逮捕状が出て当然の所業をプーチンはウクライナに対してやったわけです。そして、プーチンが戦争犯罪で逮捕に値して、ネタニヤフがそうではない、などということは、いかに考えてもあり得ません。イスラエルは反発しているようですが、そりゃもちろんイスラエルの立場ではそうでしょうけど、その反発にも正当性はまったく感じません。ちょっと意外だったのは、喧嘩両成敗式に、ハマスのデイブ司令官にも逮捕状が出ているにもかかわらず、ハマスはこの決定を歓迎している、ということです。ハマスの側はハマスの側で、「俺たちを犯罪国家イスラエルと同列に扱うな」と怒るのかと思いましたが、そうではないようです。ハマスは公式には認めていないようですが、実際にはデイブ司令官が死んでいるのは確実という事情もあるのでしょう。ICCがこれまで逮捕状を発行し、あるいは実際に逮捕したのはほぼすべてアフリカでの人道犯罪でした。ICC設立以前の人道犯罪を裁いた国際法廷としては、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷の例もありますが、それでも全般的にアフリカの人道犯罪が主に裁かれているのは確かです。もちろんアフリカ諸国に民主政治が定着しておらず、独裁者や武装勢力による力と力のぶつかり合いで少数派に対する弾圧などが数多く起こっていることがその背景にはあります。とはいえ、その種の人道犯罪がアフリカだけで起きているのかというとそうではないわけで、それなのにアフリカの人道犯罪だけが裁かれることについては、欧米にアフリカを遅れた地域と見做す差別意識があるからではないか、というアフリカ諸国の反発があります。そのことも背景にあって、南アフリカはイスラエルのガザ侵攻を国際司法裁判所(ICJ)に提訴したことがあります。アフリカの中のリーダー格の国として、「国際社会よ、たまにはアフリカ以外の人道犯罪も裁け」という意思を示したものともいわれます。そういったことも、今回の逮捕状交付の背景にはあるのかもしれません。とはいえ、ネタニヤフは逮捕されてハーグにあるICCで裁判にかけられるのか、というと、残念ながらそうはなりません。現に、プーチンも逮捕はされていないわけです。ロシアもイスラエルもICCに加盟していないので、その命令に従う条約上の義務はありません。ICCが独自にどこかの国に乗り込んで、容疑者を逮捕してくる、ということもできません。だから、彼らは国内かICC非加盟国にいる限りは逮捕されることはありません。しかし、それではICCの逮捕状なんて無意味か、というとそうでもありません。ロシアのプーチンは、ICCの逮捕状が出て以来、ICC加盟国への渡航をほとんどしていません。今年9月にモンゴルを訪問したのが加盟国に渡航した唯一の例です。ただし、モンゴルは旧ソ連・ロシアに従属する国なので、プーチンを逮捕するという選択肢は元々なかったはずです。一方でプーチンは昨年南アフリカで開催されたBRICS首脳会議を欠席しています。南アフリカはロシアよりの立場を取っており、政権の意向としてはプーチン来訪時に逮捕するつもりはなかったのですが(そもそも、ウクライナ侵攻以前ですが、南アルプスがプーチンを招待していた、という事情もあります)、国内での反対派の存在もあり、条約上の義務を破ってプーチン訪問受入れを強行できなかったわけです。親ロシアの南アフリカの訪問さえ断念せざるを得なかったくらいですから、それ以外のICC加盟国を訪問することは不可能です。国家元首であるプーチンを逮捕することも、また条約を破って容疑者を放免することも、どちらも問題とリスクが多すぎるため、そんな究極の判断を強いられないようにする、つまり訪問は謝絶、ということになるわけです。ICC加盟国はヨーロッパ諸国、日本、アフリカ中南部の大半の国、米国以外の南北アメリカ大陸のほとんどの国、オーストラリア、ニュージーランド・・・・・多くの国があります。これらの国々を事実上訪問できないことは、外交上は大きな影響があるでしょう。イスラエルの首相も同じことで、渡航できる国の選択肢が大幅に減る(非加盟国でも、イスラエル首相がイランやシリアを訪問などできるわけがありません)ことのマイナスは、BBCの記事が言うまでもなく、かなり大きいでしょう。
2024.11.22
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安定神話どこへ…県職員採用試験、大卒申込者が過去20年で最少 前年度からも2割減「学生の民間志向高まった」鹿児島県は22日、来春入庁予定の2024年度職員採用試験(大卒程度)の申込者数が451人だったと発表した。前年度の552人から101人、18.3%の大幅減。県人事委員会によると、統計が確認できる03年度以降で最少だった。(以下略)---県庁合格者の4割が辞退…「人材確保推進チーム」新設 ペーパーレス化で8億円コストカット県職員の採用試験では昨年度、合格者の4割近くが辞退しました。~県によりますと、昨年度の職員採用試験では合格者の36.8パーセントが辞退したということで、21日の会議では、今年度「人材確保推進チーム」を設置することが報告されました。(以下略)---鹿児島県と言えば、もう15年くらい前になりますが、阿久根市で竹原信一という人物が市長を務めていた間、すさまじい公務員攻撃が展開されたことがありました。市職員の給料やボーナスをカットする条例案を、議会の議決によらず専決処分で強行するなどの異常な強権的市政運営を繰り広げた挙句、リコールによって市長の座を追われました。その鹿児島県で、採用試験の応募者数が今年度大幅減で過去最低となったそうです。しかも昨年の合格者の1/3が採用を辞退しているそうです。今年も同様に合格者の中から多くの辞退者が出ることが予想されます。たまたま目についた記事が鹿児島県でしたが、この状況は全国的に変わりません。おそらく鹿児島県も同様と思いますが、全国的に、昨年の採用試験の時点で過去最低レベルに競争倍率が落ちています。例えば、東京都特別区の昨年の採用試験(1類つまりいわゆる大卒程度の事務職)の昨年度の競争倍率は2.5倍と発表されています。私のおぼろげな記憶では、30年以上前のバブルの最絶頂期、公務員の競争倍率がもっとも低かった時代でも、東京23区の採用試験の競争倍率は3.5倍前後だったと記憶しています。しかも、上記リンク先を見ていただくと分かりますが、採用1181人の予定に対して合格者が3013人もいました。東京23区の採用試験の場合、合格者の中から23区各区が面接して採用していくのですが、合格者名簿に載っていても最終的にどこの区にも採用されない人が、多少は出てきます。ただし、全体の何割かは知りませんが、そう多くはないでしょう。それよりも、採用辞退者があまりに多いことが主たる原因で、採用予定者の3倍近くも合格者を出しているのでしょう。ちなみに、公務員は現在60歳定年から65歳定年へと定年延長の経過措置の過程にあります。そのため、この3月末には定年退職者はいませんでした(ただし、フルタイム勤務が終了して短時間勤務に移行する人はいた)。それにもかかわらず競争倍率が過去最低、言い換えれば採用予定者数が非常に多かったのは、一つには途中退職してしまう若手~中堅職員が激増していること、もう一つは、定年延長されても60歳で退職してしまう、まだフルタイム勤務ができる年齢でもやめて短時間勤務に移行してしまう職員が大勢いることが原因でしょう。つまり、採用試験の合格者はどんどん辞退するし、今働いている職員もどんどん退職しているという最悪の状態にあるわけです。なお、東京23区の今年の採用試験(来年度採用予定)の申込者数を見ると、鹿児島県と同様に、昨年度より申込者が減っていることが分かります(過去最低かどうかは調べていないので分かりませんが)。最終合格者はこれから決まりますが、採用予定者数は昨年より150人ほど多く、したがって合格者数(あるいは合格させたい人数)も去年より多く、ということは競争倍率は過去最低だった昨年度よりさらに下がることは確実です。さらにすさまじいのは教員です。東京都の教員採用、小学校で過去最低1.1倍 質の低下いっそう懸念東京都教育委員会が実施した2024年度の教員採用選考について、小学校の受験倍率が1・1倍だったことが分かった。都教委が29日、発表した。小中高、特別支援学校を合わせた全体の倍率も1・6倍で、初めて2倍を切った。いずれも過去最低だった前年を下回り、教員の質の低下や人手不足がいっそう懸念される事態となっている。(以下略)---倍率1.1倍ですよ、ほぼ無競争です。それが去年の採用試験ですから、鹿児島県の例、東京都特別区の例から類推すれば、今年は更に倍率が下がるとみて間違い何ないでしょう。阿久根市の竹原元市長について触れましたが、あの当時、公務員叩きが流行したのは阿久根市だけだったわけではありません。大阪の維新など、それで勢力を拡大したと言って過言ではないし、自民党の小泉政権なども同様でした。このブログでも、公務員叩きのコメントは少なからずありました。そうやって、全国的傾向として、公務員を叩き続けて、今では公務員という仕事は、多くの人が魅力を感じずに逃げ出すような待遇になってしまったというわけです。何か、「世界一の先進国」と言われていた日本が、気が付けばどんどん貧しい国になりつつある状況と、軌を一にしている気もします。この先に明るい未来が待っているようには、到底思えないのが現実です。
2024.05.25
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【速報】斎藤知事のSNS選挙「広告会社に金銭支払い」と陣営「法に抵触する事実はない」と斎藤知事代理人兵庫県の斎藤知事は22日午後、代理人を通して、SNSの選挙運動に関して、「法に抵触する事実はない」とコメントを発表しました。【兵庫県・斎藤元彦知事】「基本的には主体的には私、それから斎藤元彦後援会でSNSをどうするか考えていました」「公職選挙法に抵触するようなことはしていないと認識していますので後ほど、代理人通じてコメントを出させて頂く」再選を果たした兵庫県の斎藤知事が22日釈明に追われたのは、インターネットでの選挙運動についてです。20日、兵庫県知事選挙で、斎藤知事の公式SNSの運営に携わったという広告会社の代表が、ネット上にコラムを公開。そこには、Xやインスタグラムなどを「監修者として、運用戦略立案やアカウントの立ち上げ、ファクトチェック体制の強化などを責任を持って行った」と記されています。22日午前、斎藤陣営の1人に、関西テレビが取材すると、「広告会社に金銭の支払いはある」と話しました。ただ、総務省のHPでは「業者に、選挙運動用ウェブサイトに掲載する文案を主体的に企画作成させる場合、報酬を支払うことは買収となるか」というQ&Aで、「一般論としては、選挙運動の主体であると解されることから、報酬の支払いは買収となる恐れが高いものと考えられる」と回答しています。斎藤知事の代理人弁護士は「SNS戦略の企画立案などについて依頼をしたというのは事実ではありません。あくまでポスター制作等法で認められたものであり相当な対価をお支払いしております。公職選挙法に抵触する事実はございません」とコメントしました。---SNSを通じたデマ宣伝で世論の空気が変わってしまい、再選を果たしてしまった斎藤知事ですが、明智光秀ではありませんが、当選3日後には窮地に追い込まれています。引用記事では名前を出していませんが、別の記事では名前が出ているものもあるので、ここでも具体名を挙げますが、「merchu(メルチュ)」の代表である折田楓氏が、20日に、端的に言えば「わが社の宣伝で斎藤知事が当選できました」と書いてしまったわけです。本人はもちろん内部告発としてそんなことを書いたのではなく、「わが社の宣伝」として書いたつもりなのでしょうが、これがあからさまに公選法の禁じる運動員買収に当たるので、大騒ぎになったわけです。本人は騒動になってから慌ててSNS等の記述を消して回っているようですが、火元になったnoteへの投稿は、本人のものか、誰かがコピーして転載したものかは分かりませんが、まだ残っています。兵庫県知事選挙における戦略的広報:「#さいとう元知事がんばれ」を「#さいとう元彦知事がんばれ」に これを見ると、斎藤の代理人が言う「SNS戦略の企画立案などについて依頼をしたというのは事実ではありません。」という弁解が「事実ではない」のは一目瞭然です。「オフィスで「#さいとう元知事がんばれ」を説明中」という説明付きで、斎藤氏に説明をしている写真が掲載されています。そこでみんなが見ているモニターには、「兵庫県知事選挙に-SNS戦略のご-#斎藤知事-」人の影になって見えない部分はありますが、SNS戦略について説明を受けていることは一目瞭然です。それとも、写真の斎藤氏はそっくりさんの別人ですか?更に、Xの「公式応援アカウント」を立ち上げて、これに加えてX本人アカウント、Instagram本人アカウント、YouTubeの4つで情報発信を行い、それについて「私のキャパシティとしても期間中全神経を研ぎ澄ましながら管理・監修できるアカウント数はこの4つが限界でした。」と書いています。選挙運動のライブ配信を自らやったとも書いています。これを無償でやってもらいました、などという言い訳が通るはずもありません。しかも、実は会社自体が無償だったとしても、従業員が業務として勤務時間に行ったらアウトです。そのため、「会社ぐるみ選挙」とか、連合系の組合が選挙運動に参加するような例でも、休日もしくは勤務日なら有給休暇を取得して(あるいは取得させて)運動員をやるわけです。宇都宮健児氏が都知事選に立候補した際、ある出版社の編集長(笑)が選対事務局長を務めていますが、その際も職場を休職して事務局長に就任したわけです。宣伝カーの運転手、ウグイス嬢など定められた特定の業務だけは、報酬を支払ってよいことになっていますが(これも公選法で定められた上限以上の額を払っていたことが露見して逮捕された例が河井夫妻の選挙違反事件です)、それ以外は無償ボランティアでなければならないのが選挙運動というものです。というわけで、この件はどこからどう見ても、「真っ黒」です。公選法はあいまいな部分も多々あり、何でもかんでも逮捕されるなどということはありません。例えば、7月の都知事選の際、蓮舫候補が「事前運動をしている」と一部で盛り上がった騒ぎがありました。しかし、過去の例を見ればあのレベルの事前運動は山ほどあって、誰も立件されていません。実際、ある弁護士が蓮舫の「事前運動」を刑事告発していますが、それから4か月以上経った今も、逮捕も書類送検も、強制捜査もまったくされていないわけです。なんでもかんでも逮捕するのは、言論の自由、選挙の自由を脅かす行為になるからです。が、その公選法について、警察検察裁判所が非常に厳しく対応するのは金品の授受です。<独自>衆院選自民運動員2人に計7万円支払い買収 公選法違反容疑で大阪・太子町議逮捕7万円の買収でも逮捕されます。斎藤陣営がこの広告会社に支払った額が7万円よりはるかに多いであろうことは一目瞭然です。これに捜査機関が動かないで済むとは、到底思えません。斎藤自身が逮捕されたり、連座制で失職する可能性があるかどうかまでは分かりません。ただ、陣営内や折田氏から逮捕者が出た場合(仮に斎藤陣営が本当に無償でこの業務をさせていた場合、折田氏が自社の従業員に業務として選挙運動に従事させていた、ということになり、折田氏が運動員買収容疑に問われることになると思われます、まあ無償のはずはないけど)、斎藤知事がそのまま知事でいられるとは到底思えません。このままいくと、遠くない将来にもう一度知事選をやることになる可能性が高そうで、兵庫県及び県内各市町村職員、とりわけ選管職員には同情するばかりです。
2024.11.23
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サンバというと、たいていの人がブラジルのカーニバルの音楽を連想すると思いますが、実は、アルゼンチンにもサンバと呼ばれる音楽があります。と言っても、ブラジルのサンバとは、そもそも綴りが違います。ブラジルのサンバはSambaであり、アルゼンチンのサンバはZambaです。(中南米のスペイン語では、SもZも発音は同じですが、スペインでは発音が区別されますし、ポルトガル語ではZは英語と同様にザ行音なので、明確に異なります)音楽的にも、両者はまったく異なったものです。論より証拠、ではありませんが、アルゼンチンサンバがどういった音楽か、まずはお聞きいただければと思います。サンバ・デ・バルガスという曲です。記録のある最古のアルゼンチン・サンバがこの曲だ、ということになっています。1906年に発表された曲です。実際には19世紀からサンバと呼ばれる舞曲はあったのですが、録音も譜面もないので、今には伝わっていません。上記の演奏は踊りがありませんが、本来的にはアルゼンチン・サンバは舞曲です。ロサーノのサンバこのように、男女がペアになって、ハンカチを振りながら踊ります。この舞曲は、大元はペルーで19世紀半ばに起こった「サマクエッカ」(19世紀末にマリネーラという名前に改称される)がチリとボリビアに「クエッカ」という名前で伝わり、それが更にアルゼンチンまで広がったものです。各国、各地域ごとに踊りのスタイルや衣装は若干異なりますが、男女のペアがハンカチを振りながら踊る、という基本は共通です。個人的には、ボリビアの主都ラパスのクエッカと、アルゼンチンのサンバは、メロディアスな曲が多くて、とても好きなのです。音楽としてはどちらも大好きなのですが、踊りの洗練度はアルゼンチン・サンバの方が上かなと思ってしまいます。以下、思いつくままにアルゼンチン・サンバの名曲を(踊りつきの映像も、そうでない映像も)挙げてみたいと思います。ハンカチを振りながらそのものズバリ、ハンカチを振りながら踊る様子を歌にした曲です。あなたへのサンバアルゼンチンを代表する作曲家、アリエル・ラミレスは、サンバの名曲を何曲か作っていますが、そのうちのひとつです。サンバ・デ・アモール・エン・ブエロきれいな翻訳が思い浮かばなかったので、カタカナにしてしまいましたが、「空を舞う愛のサンバ」くらいの意味になるでしょうか。女性歌手タマラ・カストロの代表曲だったのですが、34歳の若さで亡くなってしまいました。コンサートツアー中の交通事故でした。踊りの上手い人は、普段着で踊っても映えるものですねえ。亡くなったタマラ・カストロを偲び、本人の自演も。(子どももいたのに、ご主人も一緒に亡くなってしまったのです)トゥクマンの月巨匠アタウアルパ・ユパンキの代表曲。多分、サンバの名曲を1曲だけ挙げるとするなら、一般的にはこの曲があげられるのだろうと思います。しかし、わたしは個人的には、サンバの代表曲を1曲だけ挙げるとしたら、こちらを取ります。アルフォンシーナと海ただ、この曲は、踊り向きの曲ではないですけれど。(踊りではなく歌で聞かせるサンバを「サンバ・カンシオン」などと呼ぶこともあります。)カーニバルの香り現在のアルゼンチンのフォルクローレ界を代表するミュージシャンであるペテコ・カラバハルの曲。おまけラ・ノチェーラ私の友人たちの演奏と踊りです。ちなみに、前述のとおり、アルゼンチン・サンバはボリビアから伝わってきたクエッカから発展した舞曲ですが、それが逆流してボリビア南部にも広がっています。アルゼンチンには、もうひとつ、チャカレーラという舞曲があります。これについても、そのうちに気が向いたら紹介するかもしれません。さらにもうひとつおまけ日本にも、アルゼンチンサンバを原曲とするヒット曲があります。灰色の瞳元々、長谷川きよしと加藤登紀子のデュエットで知られた曲ですが、こちらの版の方が、ギターの弾き方がアルゼンチンサンバに近いので(それでも、どことなく違いますが)。
2017.03.01
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市川市にカワウの大群1万羽、フン害に住民うんざり…巣にドライアイス投入でも解決遠く 千葉県市川市の「行徳鳥獣保護区」周辺にカワウの大群がすみ着き、管理する県や市に近隣住民からフン害の苦情が相次いでいる。県によると、保護区のカワウの生息数は2016年は3084だったが、23年には9627と3倍以上に増加。県は保護区の樹木を伐採するなど対策に苦慮している。カワウはウ科の水鳥で体長約80cm。環境省によると、1980年代以降、全国で増え、各地で漁業被害や営巣による悪臭、樹木の枯死などの問題が生じている。県自然保護課に寄せられている苦情は、「道路にフンが落ちている」「臭い」など今年度に入り数件あった。市川市にも臭いなどの苦情が複数あるという。県は保護区での営巣を抑制しようと、21、22年度、卵を冷やすドライアイスを巣に投入。23年度までに国道357号沿いの樹木の伐採や枝切りも行ったが、生息数は1万前後で推移している。保護区を見渡せる市の行徳野鳥観察舎からは、国道357号の塩浜交差点から千鳥町交差点まで、樹木にとまる数千羽とみられるカワウが確認できる。巣の多い木は枝葉が少なく、枯れてきているようにも見える。---ご存じのとおり当ブログでは時々鳥の写真をアップしていますが、私が野鳥観察を再開したのは2016年頃のことです。それ以前長い空白期があって、小学校高学年から高校生くらいまで野鳥観察をしていました(当時はカメラはなく、観察のみ)。日本野鳥の会には、23歳か4歳まで会員だったかな。その当時は、引用記事にある行徳野鳥観察舎にはよく行っていました。しかし、8年前に野鳥観察を再開してからは、実は一度も行っていません。私が中学生の頃はまだ京葉線がなく、この辺りには東西線しか走っていなかったので、東京湾の海岸沿いは駅から遠かったのです。行徳野鳥観察舎も、行徳駅から徒歩15分か20分かかった記憶があります。しかし今は、手前に葛西臨海公園と新浦安日ノ出海岸、先に三番瀬海浜公園、それに東京港野鳥公園という水鳥スポットがあって(東京港野鳥公園は、中学生の頃も何回かは行っていますが)、簡単に行けるので、どうしてもそちらに行ってしまいます。当時、行徳野鳥観察舎は蓮尾さんという名物のようなご夫妻が管理されていましたが、今もご存命かな。さて、それはともかく、私がよく行く前述の葛西臨海公園、新浦安日ノ出海岸、三番瀬海浜公園、東京港野鳥公園でもカワウは多いです。ただ、時々、「多い」というレベルを超越したすさまじい大群と遭遇することがあります。2019年11月3日葛西臨海公園同上2021年新浦安日ノ出海岸同上パッと写真が出てくるのはこのくらいですが、これ以外にも葛西臨海公園では、すさまじいカワウの大群が乱舞するのは、少なくとももう1回見ていますし、実は東京湾の沖合を飛んでいく豆粒みたいに遠いカワウの超大群は、もっとずっと頻繁に見ています。カワウは珍しくもない鳥なので、遠方の豆粒みたいな群れを撮影することはありませんが。葛西臨海公園や東京港野鳥公園でも、大量のカワウが止まる木はフンで真っ白になっています。ただ、普段見かけるカワウはそこまで多くはないので(それでも、それぞれの場所で数百羽はいるでしょう)、時々不現れるあのカワウの大群は普段はどこにいるのかなと思っていたのですが、行徳にいたのですね。しかし、最近は海鳥の糞害も結構多いようです。カワウの糞害は実は初めて知りましたが、東京湾沿いではウミネコ(カモメ科)の糞害はやく聞きます。本当は、鳥の糞は積もり積もれば資源です。ペルーをはじめ南米太平洋岸では、堆積して化石化た海鳥の糞の堆積物が「グアノ」という名で肥料として世界中に輸出されました。そういう意味ではもったいない話ではありますが、乾燥して集積しなければ資源にならないので、現状ではただの汚物でしかないのはやむを得ないところです。ちなみに、現在カワウは狩猟鳥に指定されています。私が子どもの頃はそうではなかったので、比較的近年に指定されたのだと思います。ただ、東京湾岸の横浜から千葉市までの間で、猟銃をぶっ放すことが認められる場所は、おそらくないと思います。どう考えても人に危険が及ぶ可能性が高いのは明らかですから。なので、なかなか解決は難しいでしょう。
2024.06.23
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http://www.asahi.com/national/update/0719/TKY200907190369.html複数客、出発前にガイドに「中止を」 大雪山系遭難北海道大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で8人が死亡した遭難事故で、パーティーが前泊した避難小屋を出発する前に、悪天候や沢の増水、疲労の蓄積などを不安に思った複数のツアー客が「中止した方がいい」とガイドに申し出ていたことが北海道警への取材でわかった。出発後も「引き返した方がいい」「救助要請を」と訴えたツアー客がいたという。(中略)捜査幹部によると、一行はひんぱんに風雨に打たれ、15日はヒサゴ沼避難小屋で眠ったが、16日早朝はかなり疲れが残っている客がいたという。さらに小屋の外は激しい風雨で、当初午前5時ごろの出発を約30分間遅らせた。この際、複数のツアー客が、ガイドに「今日は中止した方がいいのではないか」と申し出たという。しかし、ガイドは午後から天候は回復すると判断し、午前5時30分ごろ出発したという。出発してしばらくすると、「体調が非常に悪い」と訴える人が出て、それを聞いた他の客が「引き返した方がいいのではないか」「救助を求めた方がいいのではないか」とガイドに訴えたというが、ツアーは続行。昼前には山頂に近い北沼付近で女性1人が低体温症で歩行困難となり、さらに男女4人も進めなくなった。この北沼付近には客5人、ガイド2人の計7人が野営することになったが、このうち4人が凍死した。(後略)----------------------------http://www.asahi.com/national/update/0719/NGY200907190029.html登山客、ガイドに業煮やし「救援要請を」 大雪山系遭難「遭難だと認めて救援を要請しろ」。北海道大雪山系トムラウシ山の遭難事故で、なかなか救援要請をしないガイドに業を煮やし、こう求めたと、旅行会社アミューズトラベルのツアーに参加し、自力下山した愛知県清須市の戸田新介さん(65)が証言した。山頂付近で動けなくなった人が出始めて約1時間半たってからのことだ。戸田さんは「ガイドの判断は場当たり的だった」と憤る。戸田さんによると、16日午前10時半ごろ、山頂に近い北沼付近で女性が動けなくなり、ガイドが1人付きそった。戸田さんら他のメンバーは「何をしているのか」と、少し先で待っていたが、ガイドは一向に戻ってこない。風雨が強まり、「寒い。わーわー」と奇声を発し始める女性も出た。1時間半が過ぎた。戸田さんはその場にいた別のガイドに「どうするんだ。様子を見てきてくれ」と頼んだ。しかし、さらに10分が過ぎても何の反応もない。我慢出来なくなった戸田さんは大声で叫んだ。「この事態をどうするんだ。遭難だと認めて救援を要請しろ」すると、北沼付近にいたガイドが戻って来た。「歩ける人は、先に下りてもらえますか」。救援要請は聞き入れられず、違うガイドが先導して先を進むことになった。1時間半も風雨の中で立ち止まっていたため、体が思うように動かないメンバーが多い。ペースが速いガイドにはついていけなかった。(中略)戸田さん自身も体力の限界が近づいた。何とか助かったのは、山頂に近づいた時に雨がっぱの下にフリースをもう1枚、着たからだという。着替えるために雨がっぱを脱ぐと雨にぬれるが、「このままでは寒さでやられる」と思い切った。 戸田さんは指摘する。「重ね着をさせるなど、ガイドが指示を出すべきだったのではないか」。戸田さんのほかに防寒対策をする人はほとんど見られなかったという。(中略)「ツアーだとこちらから中止を言いにくい。ガイドが参加者全体のことを考えて判断を下さないと。リーダーシップをとれる人がいなかった」と悔しがった。----------------------------どう考えても、この状況でガイド(と会社)の責任は免れ得ません。昨日の日記でも、避難小屋を出てから北沼までに6時間もかかっている時点で明らかに無理な状態と書きましたが、案の定、出発してすぐに体調に変調をきたしていた客がいたようです。しかも、そんな状況にも関わらず、4人のガイドのうち1人を避難小屋に残しているのです。前の日記に書いたように、ガイドが残ったのは、後続の登山ツアーのために避難小屋を確保しておくため、無理に出発したことも、後続のツアーのために小屋を空けておく必要があったためという可能性があります。携帯が通じているのに救助要請をしなかった件も含めて、ガイドが旅行会社の営業上の都合と体面を取り繕うことを、客の生命を守ることより優先したと思えるフシがあります。一方で、ガイドが現地の判断で行程を変更すると、ガイドやツアコンが会社から大変な怒りを買うという現実もあるらしい。旅行会社の営業上の都合と体面を取り繕わないと、自分がクビになるという恐れの中での判断だとすると、会社の責任も非常に大きいです。もちろん、この背景には、予定していた山に登れないとクレームを付けるような客が少なからず存在することも事実です。ただし、あくまでも一般論の話です。今回のツアーにそういう客がいたかどうかは不明です。「岩にしがみついて四つんばいで歩くような状態」で、「それでも登らせろ」という客はいなかったのではないかと思いますが、それも推測です。客の立場なら、ことは自分の命に関わることですから、ガイドが何と言おうが避難小屋に居座る、ガイドが救急通報しないなら自分で通報する、くらいの割り切りは必要だったと思います。要するに、ガイドの言うことなんか聞いていたら命なんかいくつあっても足りないから、自分の判断で行動するしかないってことです。ただし、団体旅行でこういう割り切りをして一人で独自行動を取るのは、かなり勇気を要することです。特に、自分一人でその場に残るという選択は、最終的には自分一人で下山することにつながります。独力では行けないからツアーに参加しているのだとしたら、一人で下山というのは勇気がいるでしょう。「では置いていきます」と言われたら、怖くて「じゃあ行きます」となることは、人間の心理から言って仕方のないことです。帰りの飛行機だって、ツアーを離れてしまったら自分で改めてチケットを買わなければなりません。その飛行機代相当分のお金を持ってきているかどうかという問題もあります。で、結局のところそこまでの割り切りをするなら、ガイド付きツアー登山なんて必要なくて、個人で山に登ればいいのです。前述のとおり、私はほとんどの山歩きに単独で行っています。で、時々登山ツアーの人たちと遭遇することがありますが、常々、非常に問題があると思っていました。今回のツアーは客15人にガイド4人でしたが、客60人にガイド2人とツアコン1人という団体と遭遇したことがあります(確か南アルプスの北岳)。もう「団体」の態をなしていません。だって、参加者の脚力に大差があるから、登山口から数時間も歩いた時点で、すでに先頭から最後尾まで1時間も2時間もの距離が開いているのですから。ガイドは先頭と最後尾でしたから、団体の中間付近で何が起きたって、ガイドはどうしようもありません。こうなると、「ツアー登山」といいながら、実態は行き帰りの交通と山小屋がセットになった手配旅行のようなものです。登る部分は自力で全部やれ、と。そういう割り切りでツアー登山を使うのも一つの方法ですが、「ガイドがいるから安心」と思ったら、とてつもない勘違いです。それよりは遙かに小規模な団体でしたが、明らかに、客がその山に登れるだけの技術と体力を持ち合わせていないことが歴然としている例もありました。これは、南アルプスの甲斐駒ヶ岳でしたが、一般縦走路上のちょっとした岩場で、すでに立ち往生しているのです。さすがにガイドが適切な判断を下して、途中で引き返したようですが。--ところで、話は変わりますが、取材された方が、フリースを着たおかげで助かったと書いていますが、これはおそらく誇張ではなく事実と思います。山では、時として衣類の選択一つで生死が分かれる場合もあるのです。山に登る人にとっては常識と思いますが、一応書いておきます。山では綿の衣類はダメ、ウールか化繊にする綿は濡れたときに保温性が悪く、体温が奪われるからです。でも、綿の衣類を着ていて雨に濡れて、今回のような極限状態に至ったら肌に接するところに綿ではない衣服を着ること。下着が綿だったら、下着は脱いで、セーターなど綿ではない衣類を直接肌の上に着る。綿の下着の上に厚着をしても効果がない場合が多い。(私は、実はパンツだけは、ダメと知りつつ綿製を履いているので、いざとなったらパンツだけ脱いで直接ズボンを履くしかありません)雨か雪か迷ったら、雨に対する装備をするゴアテックスの雨具で雪は防げますが、冬山用のアウター(たとえゴアテックスを使っていても)で雨は防げません。乾雪より湿雪、みぞれ、雨の方が怖い今回の事件に似た遭難騒ぎは、実は毎年のように起こっています。本州の山では、秋の連休あたりが多くて、7月というのは珍しいですが。(7月にこんな事故が起こるのは、やはり北海道だけのことはあると思います)一番有名なのは、1989年10月の立山での中高年登山者8人凍死事故です。私の印象では、厳冬期より、むしろ秋の方がこの種の疲労凍死が多い気がします。一つには、厳冬期はあまり経験のない登山者は山には入らないためでしょう。しかし、もう一つの理由は、秋の冷たい雨やみぞれ、暖かくて湿った雪は、低温時の乾燥した雪に比べて体を濡らす可能性が高く、体温が奪われる危険も大きいためだと思います。何はともあれ、死んだ後で旅行会社やガイドの責任が指弾されても、失われた命は戻ってきませんから、山に登る際は人任せではなくくれぐれも自分でよく準備を整えましょう。何だか山の怖さばかり書いてしまいましたが大雪山の写真でも姿見の池付近から旭岳を望む裾合平の地塘大雪山・お鉢平。この谷底は有毒ガスがあって立入禁止ですお鉢平付近よりトムラウシを望む。中央やや右よりの一番奥が問題のトムラウシ岳。旭岳付近から見ると、こんなに遠いのです。富良野岳、トムラウシより更に南西、大雪山の南端に当たる山です。富良野岳は花花花、全山お花畑の山です。天気が良ければこんなに素晴らしい景色。
2009.07.20
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先週霧ヶ峰に行ったばかりですが、2週続けて山登りで、今週は南アルプスの仙丈ケ岳に行ってきました。それも夜行日帰りで。仙丈ケ岳は何回か登っていますが、最後に登ったのが2007年なので、15年ぶりになります。「毎日あるぺん号」で東京を金曜夜に出発し、北沢峠への入口である戸台口に着いたのは土曜朝5時頃です。しかし、その時戸台口は・・・・・仙丈・甲斐駒の登山口となる北沢峠、2019年の台風によって広河原-北沢峠間の南アルプススーパー林道が寸断されて復旧しておらず、長野県側の戸台口からしか行くことができません。その戸台口の昨日23日朝5時過ぎの状況です。北沢峠に向かうバスを待つ長蛇の行列。1000人くらいいたのでは。まず切符を買う行列とバス乗る行列。見た瞬間、これはもう仙丈ケ岳登頂は無理か、と思ったのですが、「毎日あるぺん号」で前の席だった方に声をかけていただいて、3人がかりで待ち時間をだいぶ短縮できました。それでも5時半始発のバスにはまったく乗れず、1時間遅れの次のバスに乗れました。でも、1時間遅れなら仙丈ケ岳往復には全然問題ありませんでした。お二人には大感謝です。というわけで、予定より1時間遅れくらい、7時20分頃北沢峠を出発しました。朝方は快晴、順調に登ります。五合目の「馬の背」ここはまだ樹林帯ですが五合目からひと登りするとハイマツ帯になり、一気に明るくなります。最高に気持ちの良い稜線に出ました。向かいの甲斐駒ヶ岳は、山頂付近にずっと雲がかかっていました。一瞬山頂が姿を現しましたが、完全に雲が取れることはありませんでした。甲斐駒の右隣りなのでアサヨ峰のはずです。こちらは快晴鳳凰三山も地蔵岳に雲がかかっており、オベリスクは見えません。北沢峠のテント場でしょう。テントがいっぱいあります。私も幕営も考えたのですが、夜行日帰りにしてしまいました。小仙丈ケ岳に到着。山頂が隠れていますが、北岳です。右側が間ノ岳。小仙丈ケ岳から、仙丈ケ岳と、その手前の小仙丈カールが一望できます。この景色、確か中学生か高校生の時に初めて写真で見て、「いつか実物を見てみたい」と思ったのが、私が山に興味を持った最初のきっかけでした。だから、山登りを始めて3つ目くらい、初めての3000m峰にここを選んだのです。それが1992年、丁度30年前のことです。仙丈ケ岳。山頂の下が、しゃもじですくったような、なだらかな凹みになっているのが、カール(圏谷)と言って、かつてここに氷河があった痕跡です※。氷河が削り取った土砂が、氷河の末端に積み上がったモレーン(堆石)もあります。非常に分かりやすい氷河地形。おそらく全長数百mしかない、小さな小さな氷河だったでしょうが、だからこそ、上から下まで地形が一目でわかりやすくなっています。※カールはU字谷とも言いますが、仙丈ケ岳のそれはあまりにも浅くて、U字とは言いにくいものがあります。川の水は一本の線状に谷を侵食するため、谷の形状がV字になりますが、雪(氷)は谷全体を侵食するため、このような谷の形になります。小仙丈ケ岳を後に山頂への稜線を進みます。次第にガスが濃くなって視界がなくなってきます。山頂はもうそこです。山頂から南に続く尾根。中央が大仙丈ケ岳。その南は野呂川乗越を経て、三峰岳、熊ノ平、塩見岳に至る仙塩尾根と呼ばれる長大な稜線です。野呂川乗越から仙丈ケ岳までは2000年に、三伏峠から塩見岳を経て野呂川乗越までは1997年か8年に、歩いたことがあります。登山道の階段の下にウスユキソウ(または高山型のミネウスユキソウ)が咲きかかっていました。そしていよいよ山頂・・・・・・は、次回に続きます。
2022.07.24
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4月から公務員定年引き上げ 国・地方、人手不足に対応現在60歳となっている国家公務員と地方公務員の定年が、4月1日から61歳に引き上げられる。その後も2年ごとに1歳ずつ引き上げ、2031年度に定年を65歳とする。シニア層の職員が持つ知識や経験を生かすとともに、少子高齢化が進む中、深刻化する人手不足に対応する狙い。民間企業でも同様の動きが広がるか注目される。年金支給開始年齢が65歳に引き上げられる中、60歳で定年退職すると無収入の期間が発生する。現在この期間は再雇用制度で対応しているが、政府は定年延長によりシニア層の職員の働く意欲を維持しつつ、経験を生かし若手のサポートなどに当たってもらう考えだ。厚生労働省によると、65歳以上への定年引き上げを実施している民間企業は22年6月時点で25.5%。21年に成立した改正国家公務員法は、定年を23年度から段階的に引き上げることや、60歳に達した職員は原則として管理職から外す「役職定年制」の導入を盛り込んだ。給与は当面の間、60歳時点の7割水準とする。地方公務員も同様の対応を講じる。定年が2年ごとに1歳ずつ延長されると、定年退職者がいない年が生じるが、従来のような退職者を補充する形の採用では、若い人材を安定的に確保できなくなる恐れがある。このため政府は定年の引き上げ期間中も継続して一定数を採用する特例的な措置を検討。地方公務員についても、総務省が自治体に対し、複数年度で採用者数を平準化するなどの対応を求めている。---あーあ、とうとう定年延長が始まってしまうのですね。超個人的には、公務員の定年延長にはがっかりです。定年まであと何年と指折り数えていたところから、急にあと5年延長と言われたら(私は経過措置にも引っかからず、定年が完全に65歳になる年代です)がっくり来ます。65歳までの雇用に関しては、私の勤務先には65歳までの再任用制度があるんだから、それでいいじゃん、って思ってしまいます。ただ、超個人的にはともかく、社会的には必要な措置であることは、残念ながら認めざるを得ません。年金は65歳まで出なくなりますから。私の勤務先は65歳までの再任用、再雇用制度が導入されていますが、全国の自治体を見回すと、田舎の自治体などでは再任用、再雇用制度が整備されていない役所もあるようです。また、おそらくどこの役所でも同じでしょうが、近年公務員の人気はかなり低下しており、国の若手キャリア官僚でも退職者が相次いでいるという話を聞きます。事情は地方公務員も同じです。若手、中堅の優秀な人が続々と辞めています。数年前までは「公務員は優遇されている」と公務員バッシングが盛んでしたが、あっという間に公務員(とりわけ教員に著しいようですが)はまともな民間企業に比べて(もちろん、世の中にはもっとひどいブラック企業は多々あるにしても)魅力のない仕事になりつつあります。新規採用者の競争倍率も、どんどん下がっています。もちろん、少子高齢化で新たに就職する新人に人数がどんどん減っていることも、倍率低下の一因でしょう。これらのことから考えて、私の個人的な感情は措いて、政府の政策として公務員の定年延長を行うことは、やむを得ないことです。私の勤務先の再任用制度では、給料は現役時の6割(フルタイム勤務の場合)でしたが、定年延長によって給料は60歳時の7割になったので、1割給料はアップするようです。ただ、今までの制度は「定年退職して再任用」だったので、60歳で退職金がもらえましたが、定年自体が延長されるので退職金は65歳までもらえなくなります(退職金の計算は60歳時点の給料で計算されるので、退職金自体が減るわけではありませんが)。なんというか、勤務日数も仕事量もプレッシャーも何も変わらないのに、給料だけ7割、というのも釈然としません。今までの再任用制度でもそれは同じなのですが、「退職」という区切りを経た後で給料が減るのは、個人的にはなんとなく納得がいく話゛す。このあたりの感覚は、私個人のものなので一般的に広く共有はされないかもしれませんが。ただ、幸いなことに、当面のところ60歳以上には短時間勤務という選択肢が用意されます。これは現行の再任用制度でもある制度ですが。私も、65歳までフルタイムで働くなんてもう無理と思ってはいますが、同時に60歳以降無職というわけにもいかないこともまた事実です。年金が出る65歳まで、というか、私が65歳になるとき、年金受給開始年齢がもっと上がっているかもしれませんが※、そこまで無収入ではとても耐えられません。※団塊ジュニア世代のはしりである私の年代から定年が65歳に延長される、ということは、年金もきっと同じだろうと踏んでいます。年金も、我々が受給できる年代に差し掛かるところから、支給年齢が引き上げられるんでしょう、多分。というわけで、できることなら60歳で退職して、別の仕事に転身したいところですが、遺憾ながらそのときに採用してくれる勤務先があるかどうかは定かではありません。なので、60歳になったら退職の上で短時間勤務を選択するでしょうね、間違いなく。フルタイムだけはもう勘弁です。
2023.03.26
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菅内閣の支持率、48%に上昇…読売世論調査読売新聞社が5~7日に実施した全国世論調査で、菅内閣の支持率は48%となり、前回(2/5~7調査)の39%から9ポイント上昇した。不支持は42%(前回44%)だった。支持が不支持を上回るのは、昨年12/26~27の調査以来。前回調査の時点と比べ、新型コロナの新規感染者数が減少し、感染状況が落ち着いていることを反映したとみられる。政党支持率は自民党40%(前回37%)、立憲民主党6%(同5%)などの順で、無党派層は42%(同42%)だった。---48%という支持率は、それほど高いものではありませんが、それでも先月よりも9ポイントも支持率が上がった、支持率が不支持率を上回ったというのは、私にとっては絶句です。現状の政治状況のどこを評価すれば、支持率が不支持率を上回ることができるのか、私には分かりません。首相の息子が務める東北新社による総務省への接待攻勢とか、河井夫妻の選挙不正(河井は菅の子飼いの政治家)などスキャンダルまみれの上に、では、そんなスキャンダルなどかすむくらい経済状態が良いのかと言えば、その正反対です。このガタガタの経済状態の中、何故か好調だった株価についても、この数日に限れば急降下しているし、コロナ対策も右往左往、この政権の、いったいどこに評価するところがあるのか。もちろん、私はハナから自民党は大っ嫌いという先入観があるることは自覚していますが、それにしたって、「菅政権のここが素晴らしい」「ここが評価できる」という話を、ついぞ聞いたことがない。まだしも安倍は(いうまでもなく私は大嫌いですが)私の対極にある主張も持ち主たちによって熱く支持されてきたことは否定できませんが、そういう種類の人たちが菅も引き続き熱く支持しているようには見えません。前述のとおり、私は自民党は大嫌いですが、仮にどうしても自民党の中で人を選ぶとしても、もう少しマシな人物はいるんじゃないの?と思うんですけどね。でも、冷静に考えると、これはある意味必然なのかもしれません。ここでもうちょっとマシな選択ができているようなら、バブル崩壊後の日本は、ここまで沈没して来なかったでしょう。高度経済成長を成し遂げたのも自民党ですが(もっとも、その当時の自民党の少なからぬ部分は、後に自民党を割って出ている)、それ以降下り坂の日本を先導してきたのも自民党。現在のコロナ禍こそ全世界の問題ですが、バブル崩壊後の経済低迷を全体としてみれば、ほぼ日本だけの沈没現象です。この間、1年にも満たない日本新党と3年あまりの民主党政権時代を除き、自民党が、この「成果」を成し遂げてきました。日本人は地獄の底まで自民党について行きたいのかもね。安倍政権もそうだったけど、これほどまでにスキャンダルと政策ミスを繰り返し、経済状態という成果もガタガタの状態で、他の国なら、いや、10年前までの日本だって、ここまでくれば政権は吹っ飛びます。ところが今の日本では、ここまでやっても政権はひっくり返らない。何やっても政権を失うことまではないという安心感(?)があるから、この状態でもなお、自民党内にさほどの反省も、危機意識も、自浄作用も表面化してこない。このまま行けば、日本という国は地獄の底まで、自民党と心中し続けることになるかも知れません。私としてはごめん被りたいけれど、何を言ったって何も変わらない、なるようにしかならない、という絶望感、諦めに近いものもあります。政治に真剣に何かを期待しても、どうせ思うようにならずあとで失望するくらいなら、最初から期待なんか抱かない方が精神衛生によい、という感覚すら生じています。簡単にいえば、醒めてしまっている状態。ひょっとしたら私だけではないかもしれませんね、少なくない人がそう思っているのかもしれません。みんながそう思ってしまっているからこんな状況になっているのだとしたら、そんなことをいっている場合じゃないだろう、とも思うのですが、どうにも奮い立たない。こればっかりはどうしようもありません。
2021.03.09
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最終回です。晴天ですが雲が多く、白馬三山も五竜岳も鹿島槍も立山も、他の山はみんな雲の中だったのですが、唐松岳以外で唯一見えたのが劔岳です。この先は黒部渓谷の欅平まで続いているはずです。山頂の標識はもう一つあります。10分余りで下山にかかりました。山頂付近から先ほど通過した唐松岳頂上山荘を撮影。なかなかすごいところに建っています。唐松岳頂上にもガスがかかりそうです。でも、この後も下山中だいぶ下まで「ガスがかかりそうでかからない」状態が続いていました。唐松岳頂上山荘。ここまで戻ってきたところで昼食にしました。山荘から更に下ります。この辺りは、正直無雪期より積雪期の方が歩きやすい気もします(もちろん、要12本歯アイゼンとピッケルですが)紅葉の先に下界が見えます。ウラジロナナカマドでしょう。日差しが明るい方が紅葉はきれいですね。ウラジロナナカマドどんどん下って行きます。下山時は八方池に寄りました。ひとしきり笛を吹いてから、こんなものを食べてから下りのリフトに乗りました。実はこのリフトは下りの方が絶景だったり。下山は11時10分過ぎに下り始め、2時20分か25分頃リフトに到着したので、所要3時間10~15分程度。なんと登りより下りの方が時間がかかったわけです。ただし、途中で昼食と笛吹きタイムの所要時間を考慮に入れると、さすがに若干登りより所要時間は短かったはずです。とはいえ、標準コースタイムとの比較で言うと、やはり登りは速くて下りが遅い傾向です。
2024.10.17
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「アンデスの家ボリビア」の店主であり、日本のフォルクローレ音楽の先駆者とであった福岡稔さんが亡くなったことは、以前に記事を書きました。日本におけるアンデス音楽の先駆者当然、「アンデスの家ボリビア」も閉店・・・・・・と、思いきや、このお盆中、娘さんの手によって臨時営業する、という話を聞いて、昨日行ってきました。神奈川県の寄、東京の吉祥寺、そして小平、福岡さんのお店は何回か移転をしていますが、私自身は吉祥寺にあったお店にしか行ったことがありませんでした。その後移転した小平のお店には、今回初めて足を運びました。本当は、今一番ほしいのはサンポーニャ(マルタサイズ)なのですが、残念ながらサンポーニャは半辞意準備が整っていない、とのことで、売っていませんでした。なので、ケーナを買うことにしました。アドリアン(アドリアン・ビジャヌエバ)、ルーチョ・カブール、アハユ、マルセロ・ペーニャなどの製作者の(他にもあったかな?)ケーナがずらりと並んでいます。一般的なG調のケーナのほか、F調とD調のケナーチョ(いずれもメーカーはアハユのみ)、それから調は確認し忘れましたが、超低音用の大型ケナーチョもありました。本当は、ルーチョ・カブールの超極太・肉厚ケーナに心が動いたのですが、齢50歳にして、こんなものに手を出しても、息の力はこれから衰えることはあっても伸びることはないだろう、と考えると、結局手が出ませんでした。チャランゴ。いつの間にか、福岡さんのお店でもカルカス・モデルのチャランゴが増えました。わたしはチャランゴは非常に下手なので、今もっている1台(26年前に福岡さんのお店で購入)だけで充分です。ロンロコ(低音用大型チャランゴ)なんと、まだLPレコードがあった!!ボリビアは、CDのプレス工場が国内になかったため、海外で活躍するアーティスト以外は、なかなかCDを出すことができず、LPレコードがずいぶん長いこと生き残っていたのです。もっともそれと平行して、90年代にはカセットテープがずいぶん普及しましたが。ところが、そのLPレコードの品質が怪しくて、レコード板が波打っているのは序の口で、中心の穴が中心に来ていないとか、途中で針が先に進まなくなるとか、レコードの曲あるいは曲順とジャケットに印刷されているものが違うとか(これは、CDやカセットでもよくありました)、ひどいのになると、裏面に溝が切ってなかった、なんて話もありました。それでも、その頃は今と違ってボリビア音楽の情報も音源も乏しかったから、みんな買ったのですよ。わたしは、それより若干後の時代にフォルクローレを始めたので、LPレコードはあまり持っていませんが。特にボリビアの音楽はLPぬで買ったものはほとんどありません(LPを借りてカセットにダビングしたものは沢山あります)が、チリとアルゼンチンのLPは合わせて十数枚、まだ持っています。多分、そこに入っている音源の8割はYouTubeで検索すれば聞くことができると思いますが・・・・・・。ケーナの上に展示してあるのは、非売品、福岡さんがボリビアで購入した、チャランゴ(系)を中心とする弦楽器の数々です。右端近くにバイオリンもあります。その右下はマンドリン、バイオリンの左下(胴体が白っぽくて、厚みがある楽器)はコンコータというボリビア・北ポトシ地方特有の楽器(チャランゴの原型となった楽器群のひとつ)です。一方、写真右のほうにはアルマジロの甲羅を張った楽器がいくつかあります。アルマジロ、そのうちの小型種をボリビアでは「キルキンチョ」と呼びます。これが、チャランゴのボディに使われることがくよありました。実は、アルマジロは現地では食用にされており、甲羅をチャランゴにするのはある種の廃物利用のようですが。見た目は非常にインパクトがありますが、音量、耐久性など楽器としての性能は、一般的にはキルキンチョ製より木製のほうが上です。それに、ワシントン条約によってアルマジロの甲羅を使った楽器の輸出が難しくなった(アルマジロの中でも絶滅危惧種は一部であり、全部が輸入禁止ではないと思いますが)こともあり、近年はキルキンチョ製のチャランゴの新品は、日本ではほとんど見かけなくなりました。なお、一番でかい楽器は、チャランゴではないようです。この写真ではネックの上の方が写っていませんが、前の写真を見ると、6コースであることが分かります。つまり、これはアルマジロの甲羅を使ったギター(!)のようです。サイズ的に標準のギターではなくレキントギターかも知れませんが。CDもありました。LP全盛期が長かったとはいえ、ボリビアでも90年代中ごろにはCDが主流になりました。ただ、最近はボリビアの主要レーベルでも、CDをCD-Rに切り替えてしまったところ、さらには、CDの生産をやめてしまったところもあるようです。で、結局わたしが買ったのはこちらのケーナです。アドリアンの木製ケーナ。太さ、肉厚とも標準的で、3オクターブが非常に出しやすかったので、これにしました。すでに30本以上ケーナがあるのに、また買ってしまった・・・・・・。それにしても、福岡さんの娘さん、お通夜のときもちょっと思ったのですが、目の辺りが福岡さんにそっくり。そして、今更ながら気が付いたのは、福岡さんって、結構ハンサムだったかも。で、買って帰ったケーナでさっそく練習。ただ、管楽器ケースがもういっぱいで、入らないのです。どうしたものか。なお、「アンデスの家ボリビア」の8月中の営業は今日8月19日までのようですが、9月以降も随時臨時営業をするとのことです。新たな仕入れは行わず、在庫を売り切ったら閉店、とのことですが。2022年6月追記、その後福岡さんの娘さんがお店を引き継ぎ、継続的に営業を行っています。次はサンポーニャを狙いに行きます。
2018.08.19
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南アルプス林道4年経っても復旧困難南アルプススーパー林道は、山梨県芦安村(現・南アルプス市)から広河原、北沢峠を越えて、長野県長谷村(現・伊那市)にかけて建設されたスーパー林道です。既に1962年までに完成していた夜叉神峠から広河原の林道を取りこむ形で山梨長野県両サイドより1967年に着工しました。地元では県を跨ぐ林道開通は、南アルプス登山の利便が良くなることから、過疎地域の脱却につながるとして、賛成派が大多数でした。工事は険しい山道をダイナマイトなどを担いで進められ、崩れやすい地質のため、大変な難工事でした。工事により野呂川源流域のシラビソなどの亜高山性針葉樹林が大規模に破壊されました。工事直前の1964年に南アルプスが国立公園に指定されたこともあり、世論から強い反対運動が繰り広げられ、1973年に、環境庁長官が県境の北沢峠部分の1.6㎞を残しての工事凍結を表明しました~が、1978年に道路幅員の縮小、一部路線の変更、土砂崩壊の防止などの留意事項を条件に、一転して建設が再開され、1979年に全線開通しました。~2019年10月の台風19号により、南アルプスは大雨に襲われ、林道は、山梨県、長野県側双方で大規模な崩壊や土石流によりズタズタになりました。そのうち長野県側は2020年に復旧しましたが、山梨県側は未だに復旧していません。不通になっている現地がどのような状況かを2023年10月に確認しました。(以下略)---引用記事には現在の写真も多数掲載されています。とうていすぐに修復できる状態ではないことは、一目瞭然です。南アルプススーパー林道の広河原~芦安間が2019年の台風19号によって寸断されたこと自体は、2年前に仙丈ケ岳に登った際に触れています。仙丈ケ岳 その1仙丈ケ岳 その2スーパー林道の山梨側が寸断されているため、北沢峠には長野県側の戸台からしか入ることができませんでした。北沢峠は、甲斐駒ヶ岳と仙丈ケ岳という南アルプス北部でも人気のある二つの山の登山口で、従前は名古屋関西方面からは戸台経由、関東方面からは広河原経由という住み分けがあったのですが、戸台からしか入山不可能という状況のなってしまったため、夏の土曜日早朝は想像を絶する大混雑になっていました。それから2年経ち、現在どういう状況かは把握していなかったのですが、たまたまフェイスブックの登山系のグループに、ある方がこのルートのことを書いておられて、それで現状を知りました。昨年10月にこのルートを確認したという上記引用記事と、何も変わっていない状況です。個人的には、南アルプススーパー林道の広河原~北沢峠間は、何度もお世話になった道です。南アルプスで初めて登った山が仙丈ケ岳(1992年)で、広河原から北沢峠まで、往復しました。確か往復とも徒歩だったと思います。それ以来、仙丈ケ岳は悪天候での途中撤退を含めて合計4回(うち1回は野呂川出会い→両俣小屋→仙塩尾根→仙丈ケ岳→北沢峠というコース)、甲斐駒ヶ岳2回、塩見岳から熊の平→三峰岳→仙塩尾根→両俣小屋→野呂川出会という下山ルート1回、合計すると6往復半(漏れがあるかも・・・・・)、広河原-北沢峠間あるいは途中の野呂川出会まで通っています。歩いたのが半分、バスが半分かなあ。一番最後通ったのは、2013年秋に二度目の甲斐駒ヶ岳に登った時ではないかなあ。甲斐駒ヶ岳に登ってきたそんな、長らく使った南アルプススーパー林道(の山梨県側)ですが、客観的に見ると、復旧はほぼ絶望と思わざるを得ません。先に紹介したFacebookの記事によれば、現在でも上部からの落石がひっきりなしにある箇所もあるそうです。通過すること自体が危険な状態で、とてもじゃないけれど、復旧工事なんかできる状態ではないようです。その方は私見として、もう未来永劫開通することはないと思う、という見解でした。仮に工事が可能な状態になったとして、復旧にどれだけの期間と費用がかかるか、を考えれば「無理」という以外の結論は出てこないでしょう。1979年の開業から40年、よくもったところですが、2019年以前にも大雨の度に損壊カ所はあったようです。私も、直接落石の現場を見たことこそないものの、路上に落石が転がっているのは結構見た記憶があります。自然保護団体が当時主張した「地質が脆弱であるにもかかわらず、ずさんな事前調査および工事、計画の妥当性~特に、地質の脆弱性から、道路の崩壊は恒常的なものとなり、そのための道路の維持は地元への大きな負担になる」という指摘は、40年の時を経て完全に的中した、と言えそうです。樹林に関しては、そんなに大量に枯死しているとか、明らかにひどい破壊状況ではなかったようにも思いますが。散々お世話になった道路ですから、悪く言いたくありませんが、永続的に維持できる道路ではなかった、と言うのが現実だったのかなと思います。なお、両俣小屋のホームページによれば、北沢峠から野呂川出会まではバスは走りませんが徒歩では通れるようです。完全不通は野呂川出会から広河原までです。広河原と北沢峠の間を歩いて通った時の写真が多少あります。撮影場所の正確な記憶はありませんが、地形から判断して、すべて、完全不通となっている野呂川出会と広河原の間で撮影したものだと思います。2013年10月13日北沢峠から広河原へ(甲斐駒ヶ岳からの下山時)同上同上2007年7月仙丈ケ岳からの下山時2013年10月13日広河原のゲート前にてそして、笛を吹いた動画も残っています。同じく2013年10月13日。ケーナを吹いていたら、後ろにカラ類の混群が寄ってきました。
2024.09.02
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9月は、総じてあんまり天気が良くなく、天気の良い週末は他の予定(もっぱらフォルクローレ)があり、いざ山に行こうと思うと悪天候予報だったりして、結局三頭山に登っただけでした。なので、先日、平日に休みを取り、当初は別のところに行くつもりだったのですが、交通機関の予約が取れず(休みを取るのが確定したのが昨日だったので)、ほぼ突発的に那須岳に行ってきました。ロープウェイ駅に到着しかし、ロープウェイを使ってしまったら、ほとんど山登りにならないので、徒歩で登ります。山の神、我が家にも怖えー山の神が1台・・・・・いや、何でもありません。峰の茶屋跡避難小屋に向けて、かなりハイペースで登ります。峰の茶屋跡避難小屋がだいぶ近づいてきました。朝日岳方面。いい天気です!(ただし、この時点では)多分、中央の一番高いのが朝日岳ではないかと思います。峰の茶屋跡避難小屋に到着。ロープウェイの山麓駅(バスの終点)が標高1390mで、ここが1720mらしいです。標高差330mを、今回は42分で登ってきました。でも、8年前初めて登った時は、この間36分で登ったので、やはり年齢とともに脚力が落ちてます。それでも1時間当たり470mのペースなので、かなり速いように見えますが、先を考えずに全力で歩いたスピードです。なので、この先はペースは全然落ちます。茶臼岳方面。那須岳の「主峰」扱いなのはこの茶臼岳みたいですね。ロープウェイがかかっているのも茶臼岳ですし。ただ、茶臼岳は新しい火山で、山頂に植物がほとんどなく、個人的には8年前に登った時はそんなに魅力を関しなかったのです(その後積雪期に登ったときは楽しかったですけど)。それに、実は那須岳の最高峰はこの茶臼岳(1915m)ではなく三本槍岳(1917m)なのです。というわけで、茶臼岳は下山時に時間の余裕があるようなら行くことにして、朝日岳・三本槍岳を目指しました。結局、復路にも寄らなかったのですが。三本槍岳の先に連なる流石山、大倉山、三倉山のようです。目の前にドーンとそびえているのが朝日岳・・・・・ではなく剣が峰です。その奥が朝日岳なので、登山道は剣が峰の中腹を巻いていきまます。向こうに見えるのが、本日の目標三本槍岳、かな?この辺りはさしたる問題もなく登っていきます。ハイマツが出てきました。北海道や東北北部ではこの標高以下でハイマツが出てきますが、関東の山で標高1800mでハイマツは普通は生えません。通常は2500m以上で、日本海沿いの多雪地ではもう少し低い高度でも生えますが、那須岳は、日本海気候とは言えませんし、日本海沿いでも2000mを切るところでハイマツが自生しているところは、関東周辺ではほとんどないと思われます。多分火山で土壌が不安定なため、高木が生えないのでこの高度にハイマツがあるのでしょう。ちょっとしたい岩場を超えて、稜線に出ました。でも、ガスってきて視界がなくなりました。朝日岳。ガスって視界がなかったので、復路によることにして、三本槍へと進みます。(しかし、結局復路も悪天候だったので寄らなかったのでした)名無しの1900m峰遠方からの景観では、まあまあの紅葉ってところですかね。でも、もうちょっと赤くなりそうですけど。以下次回に続きます。
2024.10.03
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やっぱり危険な選択的夫婦別姓 子供に「差別」や「アイデンティティー喪失」権利侵害の可能性 日本の国益を大きく損なう石破首相率いる自民党は、衆院選惨敗を受け、立憲民主党に衆院予算委員長だけでなく、憲法審査会長と法務委員長まで明け渡した。憲法改正が停滞する一方、岩盤保守層が警戒する「選択的夫婦別姓」の審議が加速する可能性がある。元児童家庭支援士で著述家の近藤倫子氏が「選択的夫婦別姓の危険性」を改めて寄稿した。筆者は先月、夕刊フジに「夫婦別姓のもとに生まれた子供は~強制的に父あるいは母と違う姓となる」「第2子はどちらの姓にするのか、再び夫婦間でもめる可能性が考えられる」「子供の最善の利益を享受することができるだろうか」と問題提起した。別姓推進派は「選択肢が増えることはいい」「現行の夫婦同姓は女性差別、アイデンティティーの喪失を感じる」と主張するが、そこには子供への愛情は感じられない。国連総会で1989年、子供の保護と基本的人権の尊重を促進する「子どもの権利条約」が採択された。日本の「こども基本法」にも、1差別の禁止2子供の最善の利益3生命、生存及び発達に関する権利4子供の意見の尊重―などと、子どもの権利条約の基本的な考え方が取り入れられている。選択的夫婦別姓が施行された場合、筆者は「子供への権利侵害」として、1から4のすべてが該当すると考える。出生時に、強制的に父または母と異なる姓を与えられた子供は、2と4が侵害される。育つ過程では、1と3が侵害される可能性がある。別姓推進派が主張する「差別」や「アイデンティティーの喪失」が、子供に行われる可能性が否定できない。次世代の日本を担う子供たちを守ることは、今の世代を受け持つ大人や国の義務である。「強制的親子別姓」「強制的兄弟姉妹別姓」は、未来の日本の国益を大きく損なうと改めて指摘したい。---選択的夫婦別姓制については、だいぶ昔に何度か記事を書いたことがあります。自民党総裁選で、有力とされた3人の候補のうち、石破と小泉が選択的夫婦別姓制に賛意を示し(もっとも、首相就任以降、石破は急にこの問題に口を閉ざしてしまいましたが)、また自民党が惨敗して選択的夫婦別姓制賛成の立憲民主党や国民民主党が躍進したことから、反選択的夫婦別姓制のネトウヨ陣営が危機感を募らせているようです。しかし、相変わらずの滅茶苦茶な主張と言わざるを得ません。まず、選択的夫婦別姓制は、ネトウヨが狂ったように反対し始める以前の平成の初めころの時点では、導入は既定の方針となっていました。法務省は、1996年に選択的夫婦別姓制導入のための民法の一部を改正する法律案要綱を策定して、法制審議会に通しています。その内容を見ると第三 夫婦の氏一 夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫若しくは妻の氏を称し、又は各自の婚姻前の氏を称するものとする。二 夫婦が各自の婚姻前の氏を称する旨の定めをするときは、夫婦は、婚姻の際に、夫又は妻の氏を子が称する氏として定めなければならないものとする。となっています。つまり、別姓を選択する場合は、結婚する時点で子どもの姓を夫と妻のどちらにするかを定めなければならない、ということです。従って、子どもの姓は全員一緒になるので、上記の記事が主張している「第2子はどちらの姓にするのか、再び夫婦間でもめる可能性が考えられる」などということは起こりえないわけです。ありていに言って、それはデマです。夫婦別姓だと子どもの姓を巡って夫婦で揉める、という言い分が散見されますが、この法案である以上、揉めるのは結婚のときであって子どもが生まれた時ではありません。しかし、本当に結婚のときにそのことで夫婦が揉めるでしょうか?もし揉めるとしたら、現行の夫婦同姓では揉めないのでしょうか?いや、子どもの姓を巡って揉める夫婦が本当にいるなら、現行制度の下でも夫婦がどちらの姓を選ぶかで、揉めないはずがないじゃないですか。それに、揉める要素は名字だけですか?名前は自由につけられるわけですが、子どもの名前を巡って夫と妻で揉める話は聞きますが、「選択制にすると揉めるのだ」というなら、名前も自由につけるから揉めるので、政府が強制的に子どもの名前を決めますか?実際には、子どもの名前で揉めるといっても、ドラマではともかく現実にはそんな深刻な例は聞いたことはありません。それなのに、姓が選択できることだけが「揉める材料になる」というのが、そこまで深刻なものであろうはずがなく、「ためにする議論」としか思えません。「出生時に、強制的に父または母と異なる姓を与えられた子供は2子供の最善の利益と4子供の意見の尊重が侵害される」いやいや、これは笑うところでしょうか?今や夫婦同姓が強制される国は日本だけと言われます。否、実は日本でも夫婦同姓が強制されるのは日本人同士の結婚だけで、国際結婚では逆に夫婦別姓が基本で、別途手続きをしなければ日本人の妻、あるいは夫は配偶者の姓に改姓されません。ということは、外国人と結婚した日本人の子どもは、子どもの最善の利益と意見の尊重が侵害される、のでしょうか??夫婦別姓が基本、あるいは夫婦別姓が選択可能な、日本以外のほとんどの国でも、子どもの最善の利益と意見の尊重が侵害されているのでしょうか?それなら、0歳児に本人の意見も聞かずに勝手に名前を付けることも子どもの最善の利益と意見の尊重の侵害だ、という話にならざるを得ません。昔の武士のように、生れた時は幼名をつけるだけで、元服したら自分で名前を付けさせろ、みたいな。親子で姓が違うと、育つ過程で差別の禁止と子どもの最善の利益が侵害される、というのも、これとまったく同様です。どうしてそうなるのか、まったく理解不能です。両親の姓が違う、親子で姓が違うことで、子どもが傷つくことが、一切まったくない、とまでは断言しませんが、たいしたことではありません。そして、子どもが傷つくことは、多分そんなこと以外にも様々な要因が山ほどあります。すべての要因をシャットアウトすることなど不可能です。その中で、なにに重きを置くのかは、それぞれの親が判断して決めればよいのです。両親の姓が違うと子どもが傷つくと考えるなら、同姓を選べばよいのです。そのための「選択的」です。そうは考えない親が別姓を選択することを強制的に禁じるのは、おかしなことです。そもそも、引用記事ではとくに書かれていませんが、この手の選択的夫婦別姓制反対派は、判で押したように、夫婦別姓には狂信的に反対するのに、「旧姓の通称使用拡大」はもっとやれ、というのです。それはネトウヨの親玉たる高市らがこれを推奨しているからでしょう。しかし、「旧姓の通称使用拡大」は彼らの言い分の矛盾、ご都合主義のデタラメぶりの象徴であるように私には思えます。夫婦で名字が違い、親子で名字が違うことがそんなに子どもに対する差別になるなら、なんで「旧姓の通称使用」が推奨なんですか?戸籍なんて、日常生活で見ることは滅多にありません。特に子どもに戸籍を見せる機会なんて、ほぼないと言ってよいでしょう。私が初めて自分の戸籍を見たのは、高校生の時か、ことによると大学に入ってからだったかもしれません。たいていの人がそんなものでしょう。見たこともない戸籍というものに書いてある名字が夫婦で異なると、そんなに子どもに悪影響があるというなら、毎日日常生活で実際に名乗っている名字が夫婦で異なっている方が、子どもにはるかに深刻な悪影響があるのは確実じゃないですか。ならば、「子どもに悪影響があるから、夫婦が子どもの前で別々の姓を名乗るなんていもってのほかです、夫婦はかならず同じ名字を名乗らなければなりません」とならなければおかしいのに、実際には正反対で、「旧姓使用の拡大」とか言っているわけです。そりゃね、ネトウヨの親玉たる高市にしてからが、夫婦で妻「高市」夫「山本」と名乗っているわけですから、批判できないんでしょうけどね。結局、「リベラルの連中が推進しているから反対だ」みたいな勘違いによる脊髄反射で狂信的に反対しているだけで、選択的夫婦別姓制のどこに反対しているのか、という点が理屈の体をなしておらず、単なる「反対のための反対」になっているわけです。リベラルと呼ばれる政治的傾向の人が総じて選択的夫婦別姓制に賛成であることは事実ですが、選択的夫婦別姓制に賛成しているのはリベラル、ではありません。石破や小泉など自民党内に賛成派はいますし、維新や国民民主党も賛成しています。経団連も推進を言っています。「保守陣営」(実際はネトウヨ陣営)と言われる狂信的な人たちだけが強硬に反対しているだけです。私の周囲を見ても、特に正規職で働いている人には別姓希望が少なくありません。すべて職業上の都合と、生まれつきの姓を捨てたくない、という気持ちによるもので、イデオロギー的な理由に基づく人は、私の周囲でも稀です。また、当然でしょうが、私の経験上、結婚前から引き続き正規職で仕事を継続している人には別姓希望が多いですが、専業主婦、そうでなくても結婚を機にいったん仕事をやめた人では、別姓希望はそんなに多くありません。私の相棒も、政治的主張では私より左ですが、結婚後数年間は専業主婦だったし、それ以外にも理由はあるのですが、旧姓を名乗る希望はありません。だから、我が家的には、選択的夫婦別姓制が成立しても夫婦別姓を選択する可能性はありません。でも、別姓を選択したい夫婦の希望は叶えるべきです。そのための選択的なのですから。結局、他人の選択権を勝手に奪うな、ということに尽きます。
2024.11.16
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兵庫県知事選挙 斎藤前知事が再選 不信任で失職も前知事の失職に伴う兵庫県知事選挙は17日に投開票され、前知事の斎藤元彦さんが再選を果たしました。斎藤元彦氏「あらゆる県民の皆さんと、『オール兵庫』で県政を前に進めていく。県職員の皆さんとの関係も、もう一度、再スタートしていく。県議会の皆さんとも、政策をしっかり前に進めていく」神戸市生まれの斎藤さんは47歳。2021年の知事選で初当選しましたが、自身のパワハラ疑惑などの告発文書問題で県議会から不信任決議を受け、9月に失職していました。7人の争いとなった選挙戦では、「兵庫の躍動を止めない!」をキーワードに、若者世代への支援の継続などを訴えました。出口調査では、斎藤さんは自民支持層の5割弱、維新支持層の5割強に加え、無党派層からも、全候補の中で最も多い5割を超える支持を集め、前尼崎市長の稲村和美さんらを退けました。投票率は55.65%で、前回を14ポイント以上、上回りました。---愕然とする結果と言わざるを得ません。この結果に至った理由の少なくない部分は、斎藤を擁護する各種のデマにあったように思われます。先の記事に書いたように斎藤氏のパワハラ、おねだりは捏造自殺した局長が不倫していたというのは、あきらかにまったく根拠を欠いています。確かに、現時点で百条委員会でも第三者委員会でも、「まだ」斎藤氏の行為がパワハラであると正式に認定されてはいません。しかし、「パワハラではなかった」という結論も出されていません。要するにまだ結論を出していないだけです。しかし、兵庫県のホームページに職員に対して行われたアンケート結果が掲載されています。これを見ると、県職員(会計年度任用職員含む)約9700人中6725人が回答(回答率69.3%)して、知事のパワハラついて「目撃(経験)等により実際に知っている」が140人(2.1%)、「目撃(経験)等により実際に知っている人から聞いた」800人(11.9%)、「人づてに聞いた」1911人(28.4%)で、合計42%の職員がパワハラを知っていると回答しています。職員と言っても、知事と接する機会があるのは、まず管理職(の中でも本庁舎で執務している人)と、係長級以下では「官房系」と呼ばれる部署の中での限られた職員だけです。その中で知事のパワハラを「直接見た、やられた」人が140人というのは、とんでもない高率です。そして、百条委員会には8月30日に2名の職員が出頭してパワハラを受けたという証言をしています。これらを総合すれば、百条委員会の最終結論は出ていませんが、パワハラの事実が存在したことは間違いないのです。にもかかわらず、これを「捏造」というのは、明らかにデマです。そして、自殺した局長が不倫していたという話です。そもそも、百条委員会が設置されたのは知事のパワハラとおねだり問題の真相解明のためであって、県民局長氏が不倫していたかどうか、などという「問題」を解明するためではありません。県民局長氏が不倫をしていたかどうかと、その告発文が事実であるかどうかも関係ありません。国民民主党の玉木は不倫をしていましたが、「不倫をしていたから103万円の壁問題はウソ、捏造である」とはなりません。それと同じことです。定年前に退職を決めていた一人の部長級職員の「不祥事」のために百条委員会だの第三者委員会などを開くわけがないのです。したがって、「自殺した局長が不倫していた」なる話は、そもそも「本件とは関係ない」としか言いようがないのです。それに加えて、実際のところ「自殺した局長が不倫していた」なる証拠は何一つありません。唯一、副知事が県民局長氏の公用パソコンに「倫理上問題のある文書」が保管されている、と口にしただけなのですが「倫理上の問題」が具体的にどんな文書なのかは不明です。それを勝手に「県民局長氏が不倫をしていた」と翻訳してしまっているだけなのです。そして、知事のパワハラについては、「あった」「受けた」という証言が実際に数多く出ているのに対して、県民局長氏が不倫をしていたという話を裏付ける証言はまったくありません。「不倫をしていた」という話自体すでに根拠不明のデマなのですが、これにさらに尾ひれをつけて、「10年間で10人と不倫した」「不同意性交罪を犯した」などという話を、こともあろうに政見放送や街頭演説でまき散らし人物がいます。いうまでもなくNHK党の立花孝志です。不同意性交罪は公用パソコンで怪文書を作ってまき散らしたことよりはるかに重罪であり、そのような事実が露見すれば逮捕、懲戒免職は免れませんし、そもそも逮捕されます。ところが、兵庫県庁が県民局長氏に下した処分は停職3か月で、停職理由には不同意性交罪なんて罪状は出てきませんし、もちろん逮捕などされていません。これもまた、デマなのです。立花孝志はこのデマについて、例えば県民局長氏の遺族が刑事告訴した場合、罪に問われる可能性はあります。政見放送で虚偽の宣伝を行うことについては罰則の規定があるからです、また、名誉棄損で訴えられた場合に敗訴する可能性は高いだろうと考えます。もちろん、実際に遺族が刑事告訴や民事訴訟に訴えるかどうかは分かりませんが。ここまで、遺族の動きがまったく見えてこないので、裁判に訴えることには消極的なのかもしれません。ただ、立花が刑事責任や民事で訴えられる可能性はあっても、それはあくまでも立花の行為であって斎藤の行為ではありませんから、直接的に斎藤に波及することはないでしょう。立花という「汚れ役」がデマをまき散らし、取り巻き連がそれをSNSに転載しまくり、「ウソも100回繰り返せば真実になる」とばかりに有権者をだまして、「改革の妨害」とか「守旧勢力」とか使い古された文句のトッピングを加えて、多くの人に信じ込ませて、選挙結果を変えてしまう。「改革」とか「守旧」は事実ではなく評価を示す言葉(レッテル)なのでそれ自体をデマとは言いません。しかし、実のところ斎藤知事の下で行政運営を取り仕切ってきたのは、片山副知事をはじめ、理事、総務部長、産業労働部長の「4人組」とされる人達です。彼らは兵庫県職員として、斎藤知事よりずっと以前から出世コースを歩んできていた、前知事時代からの「体制派」そのものであるわけです。その人たちが決める県政運営が、前知事時代と比べてどこまで「改革」なのか、4人以外の職員をまとめて「守旧派」と呼ぶことが妥当なのか、という冷静な分析はそこにはありません。デマは大量に流通しても、それが事実か否かを冷静に分析する言説は広がらず、また後でウソが露見しても、その時にはもう選挙は終わっており、結果は覆らない。犯人は本人自身ではないから、実行犯の立花(場合によってはそれを広めた連中も)はともかく、当選した斎藤の刑事上、民事上の責任を問われることはない、なんとうまくできた作戦かと驚嘆せずにはいられません。そして、その作戦にまんまと乗せられ、選挙結果が変わってしまった。これだけうまくいくのだから、今後この作戦はいろいろな選挙で次々と繰り返されることは間違いありません。暗澹たる思いです。
2024.11.18
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先日、11月17日に横浜の金沢文庫で演奏してきました。(一般に広く公開しているイベントではなかったので、事前案内はしていませんでした)フォルクローレ演奏交流会in金沢文庫。昨年まで逗子でやっていたコンサートなのですが、今年は従前の会場が改修で使えないため、金沢文庫での開催でした。会場はカトリック金沢教会でした。当日は朝方雨でしたが、この時間は結構暑かったです。教会で演奏するのは、おそらく4カ所目です。川崎、北千住、我が家の地元の教会(その付属幼稚園にうちの子が通っていました)、そして今回の横浜です。他に、会場は公共施設でしたが、教会の主催する行事での演奏というのもありました。で、肝心の演奏ですが、結構リズムを乱した曲があって比較的マトモなものを2曲だけチャラグアヒラカタのおしゃべりそういえば、お寺で演奏したことも1回ありますが、神社で演奏したことは、多分ないかな。教会といえばステンドグラスですね。
2024.11.20
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前回の続きです。仙丈ケ岳山頂に到着。10時40分頃、山頂に到着です。北沢峠から、所要3時間10分程度でした。今回は夜行日帰りにしたため、ある程度快速で歩く必要があったため、鳥の写真はあきらめることにしました。鳥撮影はどうしても足を止めなければならないし、1.1kgの100-400mm望遠レンズは重いですから。その甲斐あって、標準コースタイム4時間よりはだいぶ短く済みました。イワギキョウでしょうか?咲きかけです。大仙丈ケ岳へと続く尾根。その先は野呂川乗越を経て塩見岳まで続く、仙塩尾根と呼ばれる長大な稜線です。だいぶガスが湧いてきました。眼下に仙丈小屋と藪沢カールが見えます。ミヤマシオガマ。チングルマは半分散りかかっていました。ウラジロナナカマドのようです。藪沢カール末端のモレーン。仙丈ケ岳には、前回紹介した小仙丈カール(山頂の北東側)の他に、大仙丈カール(南東側)とこの藪沢カール(北側)があります。その中でも藪沢カールがもっとも小規模。氷河時代の、3つの小さな氷河を湛えた仙丈ケ岳の姿を想像してみるのも楽しいものです。仙丈小屋まで降りてきました。まだ11時10分頃ですが、ここで昼食。というか、5時過ぎに戸台口で朝食、登りの2合目、5合目、小仙丈、山頂でおやつ、シャリバテで足が止まるのを避けようと(および、食べて荷物を減らそうと)食べてばっかりでした。チングルマの群落。ハクサンシャクナゲ。あちこちで咲いていました。ヨツバシオガマ。先ほどのミヤマシオガマと近縁です。これもあちこちに咲いていました。この写真で分かるように、仙丈小屋から下には、あちこちに鹿対策の防護ネットが張られています。かつて、仙丈ケ岳は高山植物の宝庫でしたが、シカの食害によってその数をかなり減らしています。藪沢カールより上には今も高山植物が残っていますが、それより下では被害が著しいと聞いています。ただ、この防護ネットの効果なのか、藪沢カールから馬の背までの間も、点々と花は咲いていました。ウスユキソウ、またはその高山型のミネウスユキソウマルバダケブキ。オレンジ色の派手な花ですが、シカが好まないので、シカの食害がひどいと、このマルバダケブキばかりが繁茂することになります。そういう意味では、シカの食害を測るバロメーターのような花とも言えます。シナノキンバイ。初めて仙丈ケ岳に登ったときは、馬の背ヒュッテの周囲が黄色いじゅうたんのようにシナノキンバイが咲き乱れていました。シカの食害のため、今はほとんど見られません。二合目まで降りてきたところで、例によってピーヒャラと。荷物軽量化のために鳥撮影用の望遠レンズは持ちませんでしたが、笛は何があっても持って行くのです(笑)山頂や森林限界の上は人が多いし遠くからでも人目に付くので吹きませんでしたが、この辺りまで降りてくれば人目に付かないだろう、と思って吹き始めたら、結構他の登山者が通り過ぎていきました。それなりに体力を消耗して、喉もカラカラだったせいか(一応、吹く前に水は飲んだのですが)、吹き始めたら悲惨なまでにかすれた音しか出なくて、あせりました。2~3曲吹いたら、かろうじて何とか聞ける音が復活しましたが。この後、北沢峠でバス待ちの間に1曲、更に戸台口でも、時間が余ったので3曲くらい吹きました。どちらでも、二合目よりは全然マシな音が出ました。北沢峠には2時少し前に下山しました。山頂から下山を始めたのが10時50分か55分頃なので、下山の所要時間は3時間でした(昼食と笛吹きタイムを含んでいますが)。登りはじめからの往復所要時間では6時間半くらいです。昼食と笛吹きタイムを除いた「歩いている時間+最小限の小休止」なら6時間を切っていますが。北沢峠から戸台口までの最終バスは4時なので全然余裕なのですが、朝の行列のイメージが強烈で、下山時にあんな行列だったら帰れなくなる、ということを恐れて、結構速めのペースで歩いたつもりでしたが、さして速くもありませんでした。ただ、朝の出発はみんなほぼ一斉なので、既述のようなすさまじい行列でしたが、下山は時間がかなりばらけること、山小屋かテントで宿泊する登山者が少なくないことから、下山時は全然混雑していませんでした。バスの時刻表通りではなく、乗客がバスの定員に達し次第随時臨時便を出す、という体制でした。ただし、前のバスにギリギリ乗れなかったので、次のバスまでしばらく時間があるだろうと踏んで、北沢峠で笛吹きタイム第2弾を始めたら、1曲吹いたところで次のバスが来てしまい、慌てて撤収しました。戸台口に戻ってきたら、まだ3時前。まず笛吹きタイム第3弾(しつこい)、そして、戸台口にある仙流荘で日帰り入浴で汗を流し、そのあとは至福の時間。戸台口までの公共交通機関は非常に少なく、車で来ていたようで、ビールを飲んでいる人は非常に少なかったです。では私はどうしたかというと、往路に使った「毎日あるぺん号」の帰りの便は4時にあるのですが、時間が読めなかったので私は往路しか予約しませんでした。それ以外の唯一のバスの便は午後5時発の茅野行JRバスです。これに乗って、茅野経由で帰宅しました。天気も何とかもって、楽しい山登りでした。
2022.07.26
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先週の三連休は山に行く予定が悪天候のため中止してしまいましたが、3連休の最終日にやっと天気が回復したので、青梅市にある梅の公園に行ってきました。7月に霞ケ浦に行ったときに次ぐ距離を走ってきました。正確な距離は秘密ですが、80km以上150km以下、としておきましょう。日曜の朝、往路はすいすいと進みました。こんな場所です。なんと、イノシシが出るそうです。公演の入口と一番奥では50m以上の標高差があり、結構登ります。眼下に青梅市の市街地が一望できます。公園内で一番標高の高い地点はここだと思われます。2往復もしちゃいました。そして言うまでもなく、笛を吹きました。最初、8時半過ぎに吹いたのですが、案外市街地が近くて、こりゃ迷惑になるかなと思い1曲でいったんやめ、11時過ぎに再度吹きました。その時間帯なら、聞こえたとしても許されるだろう、と。ところで、今は9月、梅の公園といっても梅なんて1輪も咲いていません。そんな時期にそんなところに何しに行ったのか?ただ笛を吹きに行ったのか?そういうわけではありませんで、タカの渡りの撮影に行きました。ここは、都内で有数のタカの渡りの観察ポイントとして、日本野鳥の会多摩支部が定点観測を行っています。それに、便乗させていただいたわけです。まず登場したのはクマタカです。初めて撮影します。「タカ」と名がつく鳥の中では日本最大であり、「ワシ」とのつくカンムリワシより大型です。クマタカ。でも遠くて、豆粒のようにしか写りません。このクマタカは渡りをするわけではないようです。サシバが登場。渡りの本命です。ただ、このときは1羽で飛んでいただけでした。サシバノスリ。一部は南に渡る個体があるようですが、多くは日本国内で越冬します。冬場は葛西臨海公園の常連。この個体も渡りはしないようです。ノスリサシバ、11時過ぎ、唐突に渡りの第1陣が登場しました。全部で30羽以上でしょうか。遥か高空を、上昇気流に乗ってどんどん高度を上げていきます。11時過ぎ、サシバの渡り第1陣。あまりに高度が高くて、肉眼ではかろうじて存在が分かる程度。写真もトリミングなしだとご覧のような豆粒です。ただ、この数のタカが一斉に舞っていると壮観です。(この写真の後、いったん観察ポイントを離れて笛を吹きに行きました)その場ではハイタカではないかということになっていましたが、後刻野鳥の会多摩支部の記録を見ると、この日ハイタカの記録はなくツミしか記録されていません。ということは、これはツミということです。ハイタカとツミは近縁で、酷似しています。ツミなら初見、初めての撮影です。ツミ。東京近くでも繁殖事例はあると聞きますが、鳥情報に疎い私はまだ撮影したことがありません。またサシバ。1羽だけかと思っていたら12時半ころ、サシバの渡り第2陣。また30羽以上。これまた遠くて、肉眼では豆粒のようにしか見えません。野鳥の会多摩支部の記録を見ると、この日180羽以上のサシバの渡りが観察されたようです。このうち私が見たのは60~70羽くらいでしょうか。今までに見たことがない数でしたが、いずれも遠くて、写真としてはなかなか厳しいものがありました。12時半過ぎに現地を離れて帰路につきました。帰りは新青梅街道、結構混んでいて(片側1車線しかないから)、結構時間がかかってしまいました。
2022.09.30
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防衛副大臣、米軍オスプレイ墜落は「不時着水」 自衛隊機を派遣し捜索活動鹿児島県・屋久島沖に米軍のオスプレイ1機が墜落した件について、防衛省が緊急会見を開いた。宮澤博行防衛副大臣は「本日14時40分頃、鹿児島県の屋久島の沖合において、アメリカ空軍横田基地所属CV-22オスプレイ1機が不時着水した」と発表。防衛大臣から関係部署に対し、「被害者の有無を確認し、救助等の対応に全力をあげること」「情報収集を徹底し、状況の把握に努めること」「関係機関との連携に万全を期すこと」の指示が出ているとし、陸海空自衛隊が航空機を使った捜索活動を行っていると明らかにした。現場海域で1人が発見され、救助されたことについては、「細部は確認中」とコメント。また、不時着水という説明について、「米軍からの説明で、最後までパイロットが頑張ってコントロールしていたということで、不時着水としている」とした。---「オスプレイ」は米海兵隊と空軍が保有しており、機体そのものはほとんど共通ですが、使用目的の違のため、一部装備品に違いがあり、海兵隊機はMV22、空軍機はCV22という形式名になっています。ちなみに、オスプレイは事故が多いことで有名ですが、とりわけ空軍型のCV22は、使用目的が特殊作戦ということもあって、海兵隊のMV22より事故発生率がはるかに高くなっています。今回の事故の詳細は不明ですが、元々米軍岩国基地から嘉手納基地に向かっていたという機体が、突然途中の種子島に着陸しようと緊急要請してきたということは、その時点で何らかのトラブルが発生していたと考えられます。で、防衛副大臣が、「墜落じゃない、不時着水だ」と言い張っているそうです。その根拠は「米軍からの説明で、最後までパイロットが頑張ってコントロールしていたということで、不時着水としている」だそうですが、いやはやです。パイロットが頑張ってコントロール「しようとしていた」のは多分事実なのでしょう。しかし、目撃証言によると「不時着するのかなと思ったら、降りてくる途中で180度ひっくり返った。左のエンジンが火を噴いて爆発して、プロペラがぼーんと沖の方に飛んでいった。その直後、墜落した。」とか「くるくる横回転を3回くらいして、オレンジ色の火花、ボンって爆発みたいな感じ。ものの10秒もしないくらいで、海面に落ちた。」と報じられています。また、墜落後、機体はバラバラになっているとも報じられています。この状況のどこが、「コントロールできていた」のでしょうか?いかに考えても「コントロールできていなかった」としか思えませんし、だから墜落してバラバラになったわけです。コントロール「しようとしていた」ことを理由に墜落を不時着と言い換えるなら、世の中の墜落事故のうち、パイロットが何もする時間がないくらい一瞬のうちの空中分解と、「機長!何をするんですか!」みたいな意図的墜落やよほどの過失による墜落を除き、墜落事故のほとんどにおいて、パイロットは最後まで機体をコントロールしようと努力しているのですから、世の中に存在する墜落事故のほとんどは、「不時着」に名前を変更しなければならなくなります。昔々太平洋戦争中に、撤退を転進と言いかえ、全滅を玉砕と言いかえたのと同様、墜落を「不時着水」に言いかえるという言葉遊びを始めた、というわけです。まあ、そういう言葉遊びを始めるときというのは、言い換えれば「戦況が不利」だからということなんでしょうね。
2023.11.29
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