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去年の誕生日、母が死んだ齢になったなあと思った。今朝ふと、母が生きていた日数を数えてみたら、私それを二日超えていました。もう今私は余生を生きているのだと、その意識を持っていようと、そんなことを思った次第。で、ブログタイトル変えました。以下唐突ですが、1947年8月9日都内某所でのわが祖父の発言「食糧供出制度に関する討議でありまするが、今日わが國のこの食糧危機は、どこに原因してこの食糧危機を來したのであるかということを、われわれは大いに反省しなければならぬと考えるものであります。わが國は、從來農本國と称しながら、農業および農民を軽蔑、侮蔑、軽視し、虐待してきた。この多年にわたる惡政の結果が、今日の食糧危機を來したのであります。 生産増強をはかろうとしますならば、生産者であります農業者を優遇し、尊重するところに、生産の増強はできるのでありますが、從來は農民を尊重するかのごとく、ためにせんとするときには非常におだてて、ごまかした。ほんとうのところはごまかしであつて、何も與えないで、明治、大正、否、それ以前より今日に至るまで、未だこのわが國の政治の恩惠に俗したことのない農民たちは、今になつては、すでにもうだまされないのであります。けれども、さらにこのだまされないことがわかつておる今日でも、何とか体裁をつくつてごまかそうとする政策が、あちらこちらに現われておることを、われわれは遺憾に思うものであります。 今第一議員倶樂部よりお話になりました價格の面については、われわれは共鳴するものであります。農産物に限つて惡性インフレを是正しなければならぬという、そのインフレ防止の犠牲になつて、農産物だけを低價格において、ほかのものは上りほうだいに上げて、この不均衡な價格においてこれを搾りとらんとする。そこに無理があつて、供出制度をどんなにりつぱに整えても、供出の完遂ができない、増産のできない原因がここにあると思うのであります。(拍手)これをごまかさんとするために、肥料、衣料品、農機具、その他酒、タバコに至るまで、報奬物資、報奬物資と称して、これをもつて農民をおだてて、えびをもつてたいをつらんとするようなかつこうで農民をごまかさんとするところに無理があるのでありまして、さような無理をしても、増産もできなければ、供出も完遂できないのであります。 農業というものは、奇術もなければ、魔術もないのであつて生産者である農民たちが、困苦欠乏に耐えつつ、日々努力をしまするその汗のしずくが増産となつて現われてくるのでありまして、どんなに名演説をやつても、米一粒もできないのであります。それなのに、一向くれもしない報奬物資を、くれるくれるとだまして、しかも、ときたままわつてきます報奬物資は、一部の大農といいますか、農村ボスといいますか、そうした一部階級のものだけがこれを独占する結果となり、細農、小農たちは、粒々辛苦をいたしましても、報奬物資はもらえない。 供出の割当があまりに厖大であるから、全部供出しても一〇〇%に届かない百姓たちが、何で自由販賣をする米がありますか。何で報奬物資がもらえますか。この報奬物資のもらえる人たちは、割当の軽微な一部の人たちだけである。從つて私たちは、肥料も、衣料も、農機具も、必要な所に配給すべきものであつて、報奬物資と稱して百姓をごまかすような政策は、行うべきものではないということを強く感ずる次第であります。この点については、政府においても十分農村の実情を檢討せられ、再檢討されんことを希望いたします。 私たちは常に農村の中にあつて、農民の声を聞いております。農村の実際を体驗しております。供出制度というものは、戰争中できました制度でありまして、この制度はきわめて官僚的な、きわめて非民主的な制度でありますから、この制度を改革しなければならない、改善しなければならないということは、だれしも考えておることであります。この官僚的な、圧迫的な、一方的に農民を搾取せんとする非民主的な供出制度では、供出は完全にできませんのみならず、生産意欲はだんだん低下していく一方であります。この低下していく生産意欲の姿をみて、今はあわて出して、農業生産調整法というようなものまでも用意するかのごときことは、ますます農民をいじめんとする方策である。 私たちは、農民をいじめるのでなしに、農民というものをほんとうに理解し、ほんとうに尊重して、そこに初めて増産ができ、供出ができると思うのであります。ほかのものはごまかされますけれども、農業だけは絶対にごまかすことができないものであります。まじめにやりさえすればたくさんできるけれども、ふまじめにやりますと、ただちに草が圧倒して増産はできません。 まじめにやらしめるためには、どうするか。これはもう少し政治を行う者たちもまじめになり、眞劍になり、農民になり代つて政治を行うの誠意がなければならぬと思うのであります。ためにせんとするところの者が、農民を尊重するかのような名演説をやるけれども、腹の底では、百姓はばかだから、だましておけばよいというような、えらい顔をしている連中が今日まで政治を行つたから、今日の食糧危機はきて、青くなつて右往左往せなければならない現状に立ち至つたのであります。それは在來の政治家の罪惡であり、その積り積つた罪惡の結果が、今日の日本の食糧危機を來したものであるということを、われわれは大いに自覚し、反省し、今後の農業政策に眞劍にまじめに当つていかなければならぬと考えるものであります。この眞劍さとまじめさがあれば、増産もできるし、供出も、まじめな純な農民たちはできたものを隠すことなしに完遂するのであります。横著な、ごまかそうとするような氣持の農家は、ときに一、二あつたにしても、それは國全体から考えますと、決して障害のあるような大きなものではない。 純なまじめな者の中にも、ときには間違つた者もあるけれども、大体政治がその当を得れば、國全体の農民たちは、まじめに眞劍に断えざる努力を続けまして、増産もし、供出もするであろうと思います。この供出制度をいかにするかということは、そのまじめさがあれば自然に生れてくるのでありますが、ごまかそうごまかそうといつたような、百姓はばかだから、ごまかして、安くして搾りとればよいというような態度がある間は、どんなりつぱな案をつくつても、増産も供出も完遂できないということを私は提唱するものであります。以上、簡單でありますが、私の意見を申し上げます。(拍手)」ざっくりとまとめると、百姓をだましてごまかして、搾り取ろうとする政治を改めよ。政治をおこなう者が真面目に誠実にやれば、農民はまじめに食料を増産し、食料問題も解決されるであろう。上に立つ者が謙虚にまじめに真剣にやらねばならない。そんなようなことを言っている(と思う)。百姓、農民を国民、庶民に置き換えてみると、今も声を大にして言いたいことだなあ、なんて。いつか気が向いて子どもがここを覗いた時のために、アップしてみた。この人が君の曾祖父だよ。君の血の成分を君に伝えることが私の役目と思うけれど、多分うざっ、としか思わないだろうからね。私が死んで、かーちゃんってどんな奴だったのだろ、と捜しに来たとき目に触れることに期待して、ここに埋めて行く。それが私の余生のお仕事。
2011.10.20
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たった一週間前と全く違ってしまっている全てのことに、呆然としながら対応して時間が過ぎていく。Sさん一家は生きていてくれた。苦難の日々であろうことは想像に難くないが、生きていればきっといつか積もる話として聞くことができるだろう。「カタストロフィが来るわ」20年くらい前に、プロを含む数人でSFっぽいリレー小説を書いたことがあって、その時登場人物にそんな台詞をしゃべらせたなあ、なんて思い出す。いつか来ることは知っていたのだ。人がその一部に過ぎないことを忘れて、自然に対して克服だの支配だのの立場を昂然と取るようになっていたのだから。もう江戸時代には戻れないのだろうか。日本は誇り高く慎ましい小国として生きていく道を模索できないのだろうか。消費を煽って経済を維持していかなければ倒れてしまうような、自転車みたいな国はもう嫌だ。震災後の町づくり、神戸の時とは違うだろう、大都市の再生ではないのだから。1次産業だけで豊かでいられる国作りを目指す、その始まりとしての東北の再生、できないだろうか。まあ偉そうなことを言ったってしょうがない、私は自分の場所で自分にできることをやるだけだ。(そこんとこだけは、連続)
2011.03.18
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長く長く書いていなかったここを久し振りに更新しているのは、Sさんが見てくれないかなと思うから。どうしてる?大丈夫?心配しているよ。被災地で子どもを捜して見つからずに座り込んで泣いている母親の映像を見て、あなたと重ねてしまった。あなたも同じ思いをしているんじゃないかって。生きていて。お願い。あなたは大事な大事な友達なの。長男君、次男君、三男君の声や表情を思い出しては、あなたと交したたくさんの愚痴話を思い出しては、無事を祈っています。
2011.03.13
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よそのお宅にお邪魔してスリッパを勧められる意味は「おみ足を汚すといけませんからお履きください」ということだと思っていた。でもそれだけじゃないのだね。「あなたの汚い足で、私の家を汚さないでちょうだい」という意味もあったのだと初めて知った。自分ががさつで無神経だったと思い知らされたが、でも。物理的にきれい、汚い、清潔か不潔か、という区別なら、私の中にもあった。しかし、穢れという精神性を伴う区別は私には欠落している。加えて、自らを穢れと認める謙虚さもない。これはもうカルチャーの違いだと思うのだが、それを常識のなさ、育ちの悪さ、と決めつけられてしまうと、正直凹む。そこは長幼の序、年長者への敬意を優先すべきと言い聞かせてはいるが。一生懸命期を抜けて、凹み期突入中である。
2010.08.01
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そんなのもあるのだなと、思う今日この頃。向上心の逆ね、勝手な造語です(笑)意味は福祉の対象となれるように調整して、福祉サービスや生活保護、医療費の免除など、各種公的援助を引き出すこと。保育園に子どもを入れるために(書類上)離婚したり、同居可能なのに、近所のアパートに親を住ませて、生活保護、介護サービスをフル活用とか。精神病であることを活用して、医療費、家事サービス、生活保護ゲットとか。制度がセーフティネットを張って、困っている人たちを救済しようとすると、その網に引っ掛かるために調整する人たちが発生してくる、本来救済される筈だった人たちの何倍も。その結果、家族が崩壊しているのではないか。子は親を見なくてもいい。介護保険があるんだもの。親は子を育てなくていい、子どもは社会が育てるものでしょ。なんてことになってる気がして仕方ない。唐破風的には、小さい政府希望。飢えて死ぬことのない、最小不幸社会を実現した暁には、たかられ尽くしてこの国は、ナウルみたいになってしまうと思う。ナウルはリン鉱石が尽きて破綻したけれど、この国は借金するための信用が尽きて破綻するよ、多分遠からず。今日は憂国な気分なのだった、チャンチャン♪
2010.07.14
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ながくさぼっております(笑)こう更新しないのなら、もう辞めてもいいんじゃない?と思わなくもないこのブログですが。まあ最近のことをとりとめなく。先日大手スーパーでバカ安いひき肉を買って、ミートソースを作った。それを食べて、微かに羊肉の匂いを感じてしまったのだけれど、偽装、まだあるのかしら。我が家もご他聞に漏れず、超不景気、逆風吹きまくる経済状態なもので、あまりの安さに手を出してしまったのだけれど。なーんか疑わしいと思ってしまったら、胃が重くなってしまった。売り手、作り手を信用できないものを口に入れるもんじゃないね。羊肉はどちらかと言うと好物なのだけれど、牛豚の筈のモノから羊の匂いがするとね、(コストを下げるために何をやっているかわからない、羊を混ぜただけじゃなく、他にも何かやっているかも知れない)と思ってしまう。何かもやもやした気分になって、ふっ切りたいのでスーパーのお客様相談室に電話してしまった。クレームというほどのことではないが、牛豚のミンチに羊が混ざっていると感じた。そう報告しておいてくださいと。ありがとうございますと言われて電話を切ったけれど、でも私そんな優しい人じゃありませんから。あそこの大きいパックのバカ安いミンチには何が入っているかわからないと、話題にはするだろう。こんなところにも書くし。体調の悪い叔母が食事を作るのも大儀になってきて、ゆで野菜ばかり食べさせられて叔父と従兄弟がブーイングだと言っていたので、差し入れに行ってきた。牛のたたきとちりめん山椒、アジ子山椒、喜んでくれてこっちも嬉しかった。調子に乗ってまた行くんだろうな(笑)初めての高校の保護者会に行ったけれど、中学の時と比べて私にとっては楽な雰囲気になったと感じられた。場違い感がなくなったというか(笑)奥様ふうの人の比率が下がったのよね。ただ似たような成績の子の親が集まっただけの雑多な雰囲気に、ほっとした。中学ではセレブふうの方が多くて、例えば、通学時間がかかるお子さんの親に「どうして近くにマンションをお買いにならないの?」と無邪気に尋ねるような、悪気なさげな無神経さ(中学は都心一等地にあった)パンがないならお菓子を食べればいいと言いかねないプチマリーアントワネットがいっぱいいる雰囲気が、私は苦痛だったのだ。でも詩にとってはとてもいい学校だったから、私がそこの親として場違いだったことなど、どうでもいいことなんだけれど。どうでもいいことばかり、書いてみました。ちゃんちゃん♪
2010.05.23
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春になる頃、大叔母が亡くなった。春休みの詩を連れて、お線香を上げに訪ねた。「与えることで豊かになれることを教えてくれた人でしたね。すごい人だった」なんて、大叔母の長男夫婦と話した。彼女が与えてきた愛情に、報いた者もいれば、報いなかった者もいる。報いなかった者に対しても恨むことをせず、その成功を喜び、これからの幸せを願っていらしたことに、感嘆すら覚えたものだった。愛情を与えた対象が、その愛情に充分に報いなかったように見えても、それは甲斐のないことではないのだなと、ある時思い至った。人には愛されたい欲求もあるけれど、愛したい欲求というのもあるのだと、その対象を得られたこと自体が恵みなのだと。大叔母は多くの他人の子の面倒を見、育てた。それを私はずっと献身、犠牲と思ってきたけれど、そうではなかったのだと、自分が40半ばでもう子どもは産めないと諦めた時、ふと気が付いた。もう一人子どもが欲しかった、もう一度子どもを育てたい、そういう欲求があるのだと。ただの献身、犠牲じゃなかったんだ。愛情を注ぐこと、その対象を得られることは、大叔母にとって恵みだったに違いない。そう思った時、救われた気持ちになった。愛情って、多く与えられた者の勝ちみたいに、若かった頃は思ったものだったけれど。親から愛された子の方が価値があって、愛されなかった子は値打ちのない奴、好きで生まれてきたんじゃないや、とか、生まれてごめんね、みたいに思ってしまったり。片思いばかり繰り返す女の子は自分に自信が持てない。恋人に振られると、存在価値を否定されたようにしか思えないし。結婚せずにある程度年齢を重ねると、負け犬なんて言われるしね。愛でもお金でも評価でも地位でも、求めることは、それは向上心とは呼べるだろうけれど、愛情に報いる気持ち、与える気持ちがあって、初めて豊かなのだろう。まあそれぞれの報い方があるとは思うけれど。求めてばかりでは、それは餓鬼、貧しさでしかない。なんて、大叔母の死から思ったりした。
2010.04.07
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本日ブログ開設2000日目だそうな。それで553番目の日記って、あはっだけど(笑)中学受験日記として始めたこの日記、詩もその中学を卒業し、高校生になります。日々「もっと○○できるでしょ」の言葉を飲み込むことに、出したくなる手や言葉を抑えることに努力しております。つまり努力して何もしないようにしているわけ。逆説だなあ。もうそろそろ、出産子育てのカテゴリは卒業しなければ。詩のプライバシーを親が侵すわけにいかないお年頃になってきましたから。はて、どこに行きましょうか。
2010.03.16
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友だちと久し振りに会って、たくさん不幸自慢を聞いてきた。障害のある子が荒れて、死ねとか死んでやるとか、家族の中をそんな言葉が飛び交っている話を聞いて、何も言えなかった。まあ過酷な人生を歩いてはりますわ。急な招集だったし朝早かったのでおみやの準備もできなくて、急遽きママさんのとこの伊吹のいりこをジップロックに詰めて、「これが私の幸せのもとよ」と辰巳センセご推奨でとか、ウンチクも添えて渡した。彼女は忙しくて毎日買って来たお惣菜で済ませているらしい。このいりこさんでおだしをとって、お味噌汁くらい作ってみてよ。ほっとする時間が作れるんじゃないかな。穏やかな時間とか、気持ちとか、どんな状況の中でも一瞬くらい作れると思うよ。そんなお節介を言っても「幸せな人にはわからない」と返されそうだから、だしの取り方だけ伝えて来た。彼女と彼女の子どもたちに効くといいなあ。ウチには効いていると思う。雨風しのげる家があって、毎日家族でご飯を食べて、「おいしいね、ほっとするね」と言えている間は、問題はあっても不幸じゃない。口福って、バカにしたもんじゃないと改めて思った。
2010.03.11
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先日友だちが、「塾頼みで中学受験して進学校に行かせたけれど、大学受験もやっぱり塾頼み、大学院から資格試験を受けるのも、またまたやっぱり塾。いい学校に行かせた意味ってあったのかなあ」なんて言っていた。そうだよねえ。別にいい学校に行かなくても、誰でも入れる学校なんていくらでもあるよね。無料化の公立高校で楽に入れるところに行って、大学受験は塾に頼んでいいところに行くという方法があってもいいと思うのだけれど、でもそういう例って聞いたことがない。なぜだろう。そこそこいい学校に行くと、優秀な友だちがいて、勉強することが当たり前な環境があって、よく言えばアカデミックな、ホンネを言えばマニアックな授業が多くて受験の足しにはならなくても、塾のお陰と叩かれながらも華々しい進路実績や、キラ星のような卒業生たちがいたりする。その中で自分なら、これくらいのとこには行けるはず、このくらいのことができるかもなんてイメージできる。受験技術より、そういう雰囲気が大事なのかなあ。詩も今まで与えて来た、本人が選んできた環境の中で作り上げられた詩であって、別の環境ならまた違う詩になっていたのじゃなかろうか。もう一回試すというわけにはいかないけれど。
2010.02.09
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節分のご飯は丸かぶりの巻き寿司とおでん、小松菜の煮びたし。夕食後には豆を蒔いて、これで厄は払い、さあ詩、受験頑張ってね!の筈だった。ところが「鬼は外」に追い払った筈なのに、鬼が、厄が、入って来た。亭主が高熱を出し、節分からずっと寝込んでいる。不眠不休で仕事をしていたからね、身体が音を上げたのだろう。それから食べられたのは杏仁豆腐とスープくらい。顔の肉が削げて、シャープになってきたのは羨ましい。片や私は、夫が食べられるかも、とおかゆを作り、煮込みうどんを作り、野菜を柔らかく煮てみたり、でも殆ど食べられない夫の代わりに、それらを自分の胃の腑に納め、賞味期限の迫った食材の処分にもゴミ箱でなく自分の身体を使い、平常の2倍以上食べている気がする。あっという間に、パンツのボタンがきつくなり、顔も丸くなって、亭主が痩せた分の体重を私が上乗せしているみたいだ。夫は詩の身がわりに熱を出してくれていると考えれば、これは厄ではないのだけれど、しかし験は担げる限り担いでおきたい。病原菌の夫を避けて、可能な限り塾の自習室に避難している詩にご飯を作りたくても、朝食とお弁当だけ。夕食はファストフードなんかで済ましているのだから、ハハの力の入れどころも奪われているんだもの。で、合格入校で豆菓子を作りました。きび砂糖で作った福豆(煎り大豆)のは、べっちょりの飴絡めみたいになってしまった。三温糖のアーモンドの方は、冷めたら白く粉を噴いてまあぎりぎり成功かな?くらいの感じ。「頭に効くし、縁起物だから食べておいてね」と朝食後、強制的に食べさせるハハ。今日は先負だから、出願は午後に行けとか、受験料の振込を大安の日にしておいたとか、うるさいと思っているんだろうなあ(苦笑)
2010.02.07
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去年はポン酢を仕込まなかった。亭主と詩はどうも売られているものをあれこれ試して、あーだらこーだら言いたいようで、母の気合の入った手作りポン酢のその気合がウザイってことらしい。ま、それもわからぬでもない。それにね、去年思いがけずいただいた梅がたくさんあって、予定外の梅だったので目新しい試みができたのだけれど、その時作った梅醤油がヒットだったのさ。かけ醤油としては、別にそれほどいいとは思わなかったのだが、これをお鍋の季節ポン酢代わりに使ったら、ハマりまくり。お鍋のだしで少し割ってほどよい濃さにしていただくと、これがなかなか梅好きにはたまらないお味だった。そんなこともあり、手作りポン酢は今年もやらなそう。そんなところで、むくむくとやってみたくなっているのが、焼き肉のたれ。この間、詩の手抜き弁当を作っていて、焼き肉のたれがないことに気が付いた。ナムル風に炒めた野菜と温泉卵、それに焼き肉をのっけたご飯というお弁当の完成目前、あと焼いた肉をのせるだけというタイミングで気づいた、焼き肉のたれがない。どーしたものか、火事場の馬鹿力で適当に冷蔵庫にあるものを混ぜ合わせ、味を見て焼いた肉に絡めてみた。帰って来た詩に「今日のお弁当どうだった?」とたずねると、「別に普通だったけど」という答。「焼き肉のたれきらして、適当に作ってみたんだけど大丈夫だった? 普通に食べられた?」「わかんなかった」(変なもん食わせたんじゃないだろうなぁ?という不審感ありありの表情だったが)詩がわからないというのだから、きっとあの簡易な焼き肉のたれはそう間違っていないのじゃなかろうか。入れたものは、憶えているだけで、ニンニク醤油、酒、味噌、コチュジャン、ラー油、ごま、手製林檎ジャム(りんごとシナモン、白ワイン、ナツメグ)砂糖、そんなところだったような。それを混ぜて滑らかにして、焼いた肉にじゅっと絡めて、普通の焼き肉になっていたと思う。ちょっと調べて、試行錯誤してみるつもり。楽しみが出来たわ、むふ。
2010.02.06
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ラーメンが食べたいとずっと言っていたら、亭主が仕事帰りに電話をかけて来て「食いに行くか?」間髪入れずに「うん」といいお返事をして、行ったのだけれど。黒酢ラーメンのスープ、黒酢の味の手前に化学調味料の味がうわっとやって来て、その後に黒酢が控えているみたいな感じ。よくお玉でざっくり化学調味料をすくって入れているのだとか、聞いてはいたけれど、あそこまで露骨にケミカル味のラーメンは初めてだった。あれと比べたら、一袋何十円のインスタントラーメンの粉末スープは自然派のお味だよ。家に帰って、ラーメンだけじゃ野菜が足りないから、レタスを炒めてむしゃむしゃ食べて、翌日のためにおでんを仕込んだ。我が家のおでんは、基本昆布とスペアリブ、干し椎茸のだし。味見して、「おいしいなあ」と凝りもせず自画自賛。ケミカルたっぷりラーメンのおかげで、一層自惚れを深めたおバカなオバはんでありました。
2010.02.02
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降りましたぁ。詩は学校へ。滑らないように行ってね(笑)
2010.02.02
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昔、ケメが好きだった。一応私はクラシックのお勉強をした人で、小さい頃からピアノを、中学生からフルートと声楽のレッスンに通ったりしていた。プロを目指そうなんてレベルではなかったが、レベルの高くない音大なら入れるかも知れない、くらいのところだったと思う。だから、(その程度の奴にありがちなことだが)音楽にはちょっとウルサイ。自分のレベルは棚に上げて、理屈はこねる(笑)いやったらしく、いっぱしに評論家ぶったことはぬかす、イヤな奴である。そんな中途半端な理屈屋の私から見て、ケメの曲はとんでもなくセオリーから外れていた。ここでどうして、音がそこに飛ぶ?どうして出だしにそんな音を持って来る?この詩にどうして、そんなメロディなの?ということが多くて、ワカラナイ。当時のシンガーソングライターで言えば、例えばさだまさし、彼の曲なんかは最初のフレーズを聞くと、次のフレーズはこう来るだろうと思ったとおりに展開していくのだが、ケメはまさにその正反対。全く次の予測ができない曲が多かった。そこが魅力で、ケメにはまった。そしていつかぴあを見てもケメの名前が捜せなくなり、ぴあという雑誌を買うこともなくなり、今ぴあという雑誌があるのかどうかも知らない。チケットぴあという言葉は聞く気がするけど、あるの?すっかりメディアで名前も姿も見なくなっても、私の中でケメのメロディは生きていた。四面楚歌を感じた時は、頭の中に「日々是決戦」が鳴り響いていたし、雨の中歩く時には傘の中で(歌っても人には聞こえないもんね)「たったひとりの友だち」をくちずさんでいた。レコードプレイヤーが壊れてから、聞くことができなくなって、時々寂しいなあと思い出したりしていた。そんな中、去年の初め、探し物をしていて偶然見つけた古い雑誌「深夜放送ファン佐藤公彦特集」ああ懐かしいなあなんてページを繰り、PCで検索してみた(どうしてそれまで気が付かなかったんだろう、PC歴20年近いのに)そしたら、YOU TUBEに知らなかった曲はあるは、ファンクラブなんか存在しているは、復刻版やベスト盤のCDなんか出てるは。嬉しくなって、CDゲットしたことは言うまでもない。時々聞いているところに、亭主や詩が入って来て、(なんでそんなの聞いているの?)みたいな怪訝な顔をされたけれど、なんか恥ずかしくてしょうもない言い訳をしたりしたけれど。なんで恥ずかしいのか、ケメを聞いているところを見られたくないのか、考えてみると、多分これは少数派のトラウマだろう、中性的なルックス、童謡のようなメロディ(そうじゃないものたくさんあるんだけどね、童謡が悪いというのでなく)のイメージの強いケメは硬派な連中からは完全にバカにされていたし、自分の好きなものがそうやって否定されるのを見るのは辛いことだった。もし亭主や詩にバカにされたら、わたしゃ辛くてやりきれなくなってしまう、そんな自己防衛本能が働いてしまうのだろうなあ。これも日頃、好きじゃない音楽を好き放題バカにしたり、へたクソと罵ったりしている報いだね。ケメは決して、レベルが高い、演奏がうまい、歌がうまいミュージシャンじゃなかった。わからないところが魅力、うまくない、レベルが高いわけじゃないけど、なんかいい、という人だったのだから。えっらい長くなりそうなので、いきなりはしょるけど、去年夏にケメの新作CDが出て、復活ライブなんぞに行くことが出来た。その直前ともいえる時期に、雑誌を見つけCDを買い漁っていたことに縁を感じ、思っていれば、願えばいつか叶うことの証明を見た気がした。30年ぶりのケメは、王子さまキャラだったはずが、ケメのお父さん?みたいなおっさんになっていて驚いた。でもいいんだ。そして、国文科出身としては、どうしてもなんとなく歌詞を聞き流すことができなくて、読解対象にしてしまうのだけれど、これがまたわからないことだらけ。これは何の隠喩? この季節の飛び方はどうして?どう読めばいい、どういう意味、繰り返し聞いているけれど、わからない。だからいいっていうのも、あるんだろうね。わかった、と思ってしまうと終わってしまうのかも知れない。わからない、だから続いてしまうんだ。
2010.01.22
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用があって、千葉に行った。ついでにその近くに住む友人と怒濤のダベリング。夫の悪口、親の愚痴、子どもの愚痴と自慢、ま、主婦同士の久し振りの会話はそんなものだ。その中で笑ってしまったのだが。彼女の夫が、「あさげが飲みたいなあ」と言ったのだそうな。え、あさげ?そんなんがいいの?と思いつつ、買って来て朝それを出した。それを「それ何?」と見た娘にパパが「おまえも飲むか?プロの味だぞぅ」と、さもいつもの妻の手作りよりはるかにいいものであると信じているふうで、おいしそうにそれを召し上がる。「ぶちきれたわよ。ちゃんと手作りしてきた私の仕事が全く評価されていなかったのよね」救いは娘で、パパに「いい」と断り、いつものお母さんのお味噌汁を飲んだそうだ。行きの電車で読んだアエラによしもとばななさんの対談記事が出ていた。「デパ地下のお惣菜を食べたら、身体に力がはいらなかったんです。ただ茹でただけの野菜でも、うちで作ったものがおいしいんだと初めてわかりました」その一文を読んで思い出したことがあった。以前、某一流ホテルのシェフのインタビューをまとめたことがある。その中でサラダに使う野菜を塩素系の漂白剤で洗っているというのに驚いた。衛生、清潔を追求するとそこまで行ってしまうのだな、何か気持ち悪いというか、恐いと思ったのだが。食中毒を出さないためにとことん殺菌しようとすると、漂白剤までいってしまう。それって、菌だけでなく、人も殺せるものだよね。薄めてあっても、全くの無害ではないのではないか。漂白剤を使うと手が荒れるように、胃も荒らすだろう。厳選された素材を使っている筈の高級総菜を食べて身体に力が入らないのは、そんなところに理由があるのではなかろうか。ほどほどにいい加減で適当なおうちのご飯、評価はされなくても、結果は出ている筈、ご主人が元気で働けていること、子どもたちが賢くていい子に育っているのは、彼女のやってきたことがあってだよ、感謝も評価もされなくても果実は受け取っているんだよ、大きな不都合や不幸に会っていないことが果実なんだ、きっと。ま、うちも似たようなもので、家族に褒めて貰えない分自画自賛を怠りなく、味見するたび、「おいし、私って天才」などとつぶやくのだけれど(笑)詩が5歳から診ていただいている医大小児科の教授、その先生に巡り会うまで詩は入退院を繰り返し、幼稚園には半分も行けていなかった。それがその先生に診ていただくようになってから、入院しなくなった。「先生、何か悪くなりそうな感じがします」という私のカンに耳を傾けてくださり、早め早めに手を打ってくださった。(それまでの医者は「素人に何が分かる、判断はオレ様がする」タイプでとことん悪くなってから顔色を変え慌てて「入院!」の繰り返しだった)難病を治す、難しい手術を成功させるばかりが名医ではなかろう。悪くさせずにちょっとずつちょっとずつ健康にさせてくださった今の先生も凄い名医だと思う。おかあさん業もそんなものだ、僭越な例えだが。たっぷりおしゃべりして、帰りの電車から建設中の新しい電波塔、東京スカイツリーが見えた。三丁目の夕日みたいな絵が撮りたいと思いつき、スカイツリーが大きく見えるポイントを待っていたら、東に向かってシャッターを切ることに。西を向いて撮らなければ夕焼が入らないのにね。走る電車からでのワンチャンス、うまくいかなかった。想定外だったのは空気の汚さが絵に見えてること家の近くの駅に着くと既に暮れかけていて、三日月と富士山がきれいだった。ちっちゃいけどね。
2010.01.19
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私は高齢出産だったので、友人たちはみな子育ての大先輩。たかが高校受験で自分に何も出来ないことに胃の痛む思いをしながら、ふとみんなこんな思いを何度もしてきたのだなあ、一人っ子の2度目の受験でこんなに無意味に消耗している私ってダメなやつだなあ、と思った。そして、口をついて出たのが、啄木の歌。友がみな我よりえらく見ゆる日よ 花を買い来て妻としたしむこんな日は子育ての同級生である夫が一番の友に思える、なんてキッチンに煙草を吸いにきた夫に話したら、夫イワク、「俺は今日、働けど・・が、頭をよぎったよ」数時間前に、「来月の入金予定はいくらなの?」と尋ねた。そしてすぐに踵を返して、詩の入学に必要な金額と支払い期限を確認したのだ。来月の予定される出費に対して収入はいくら、あとどこからいくら持ってこようか、なんて頭の中はエクセル画面になっていた。その態度がいかにも冷淡で、「少ないわねっ!」と言われたように感じたのだという。そして、一番有名なあの歌が浮かんだと。働けど働けど 猶我暮らし楽にならざり ぢっと手を見るごめんね、そんなつもりはなかったんだけど。古語的には「つま」には、妻だけでなく夫の意もある。夫にしたしむ気持ちに浸ったその日、夫には私が「稼ぎが少ない」と冷たく態度で示した鬼嫁に感じられていたとは。ちょっと笑ってしまった。
2010.01.13
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ハートの椎茸もどした椎茸の中にこんなんがありました。薄切りにする前にのこしたいと写真撮っちゃいました。 ひがれクンたちきママさんのとこでいただいたヒガレ竹の棒にさしてあったのだけれど、吊るすような軒下もないので、ざるに並べてベランダへ。反っくり返った。「なんかかわいいよね」と言いながら、むしゃむしゃと日本酒のアテになって私のお腹に収まっていった。 さんまのパスタ去年きママショップでいただいた汐さんま、塩が効き過ぎているからとめちゃ安くしていただいたのを、三枚におろし、オリーブオイルに漬けておいた。アンチョビもどきを作るという意図だったのだが。もうそろそろいいかしらと、取り出し、ざくざく切ってニンニクとオリーブオイルで炒め、パスタと茹でたキャベツと合えてみた。たちのぼる湯気はすごい匂い、ダイニングに入ってきた亭主、詩は「なんだぁ!!この匂いは」でも食べたら、おいしかった。塩がオリーブオイルに溶け出してしまったのだろうか、アンチョビのようなしょっぱさはなくて、薄く切って生の状態で口にいれてみたけれど、そのままでイケル。サラダに入れたり、レモンと胡椒を足して、カルパッチョのように作ってもいいかも知れない。また遊ぼっと。
2010.01.07
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雄山荘、小説「斜陽」の舞台となった建物が12月26日に焼失した。高校生の頃、女大学と密かに揶揄していた母の貞操教育に反発して、婚外子を明確な意志のもとに産む女性に心惹かれた。その指標となったのが、ホーソンの「緋文字」であり、太宰の「斜陽」だった。しかし現実は小説とは違う(当たり前だ笑)婚外子を産んだ女性が皆魅力的なわけじゃないし、婚外子の全てが非凡なわけでもない。太宰ファンとして、斜陽の子である太田治子氏と太宰の次女である津島佑子氏の作品も大体読んできたけれど、津島氏の作品には魅き込まれたが、太田氏の作品はそうでもなかった。もし津島氏と太田氏が逆だったら、ミーハーな私は婚外子の母への憧れを抱き続けていたのだろうか(笑)エゴイスティックで恋愛至上主義の男(婚外子の父ってそんな感じかなという勝手なイメージだが)に自分の全てを投げ出すこともなく、結局いいDNAを持っていると感じた男とありふれた結婚を選んだのだけれど。太宰生誕100年に合わせたのだろうか、太田氏の父母について書かれた「明るい方へ」が出た。斜陽が太田静子さんの日記をもとに書かれたとは知っていたが、ほとんどそのまま引き写されていたというくだりには正直ショックだった。どれほど斜陽の文体に私は影響されてきたことだろう。枕草子を斜陽風に訳して、人に読んで貰って得意になっていた高校時代のことを思い出し、今さらだが赤面ものだった。私は太宰を真似ているつもりで 、太田静子さんを真似ていたのかと。斜陽の子、太田治子氏も「静子さんも太宰も他人、自分は自分」と割り切られたようだし、雄山荘は消えるべき時を迎えたのだろう。太宰ファンが文化財としての保存運動をしていらしたようだが、ここで焼けたことも一つの運命のように思う。斜陽は名作だった。それで充分ではないか。太宰という作家が小説を書くために一人の女性を巻き込み、子まで成したその現場なんて、生々し過ぎる。太宰、静子さん、治子さん、太宰のご家族にとっても、雄山荘はすでにない場所になることの方がよかったんじゃないかしら。生誕100年の年、太宰の影響が自分からも消えたことを確認できた出来事だった。
2010.01.05
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初日の出があるなら、初月の出っていうのもあっていいじゃない?2010年1月1日の月は満月だったのだ。これって、何か縁起がよさそうな感じがして嬉しい。マンションの廊下から撮った写真でしょぼいけれど。初月にご挨拶。月と何を話したかは、内緒。
2010.01.01
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今年のクリスマスケーキは手を抜いた。ハーシーズのチョコレートシロップを生クリームに混ぜて、簡易なチョコレートクリームを作り、ロールケーキに塗って、上に苺を並べておしまい。今までブッシュドノエルは何度か作ってきたけれど、チョコレートを湯せんにして、ガナッシュクリームを作るのがどうも億劫だったのだ。なーんだ、これラクチンじゃん。これからは億劫がらずにチョコレートのケーキが作れますわ。チキンも去年までは丸鶏に詰め物をしてローストチキンを焼いていたけれど、今年は手抜きで骨つきモモ肉で簡易にマスタードを塗って白ワイン蒸しに。サンタさんを待ちわびていた可愛い男の子はどこかに去って、今うちにいるのは図体のでかい無愛想なせがれなので、こんなもんでいいでしょ(笑)実家の母は12月は大忙しだった。日頃父がお世話になっている方たちに手作りのお歳暮をする習慣があったのだ。小さいお子さんのいる方にはクリスマスケーキを、年輩の方には年越しのおそばを打って差し上げていた。12月の我が家はさながら工場のようで、ガスオーブンと電気のオーブンはフル回転。母は汗をしたたらせながら、泡立器でバタークリームを練り上げ(ハンドミキサーもない時代だった)、私はケーキの箱を組み立てるお手伝いをした。デコレーションの段階になると、完全主義者の母は妥協しない。私の目にはどこが気に入らないのか理解不能だったのだが、「これ、ダメ!」と完成したケーキのクリームをはぎ落とし、やり直すこともしばしば。バタークリームは生クリームと違って、何度でもやり直しができたのだ。クリスマスが終わると、今度はそば打ち。祖父のお歳暮の分も打っていたのだろう。祖父がそば粉の大きな袋を下げて来てくれていた。あの粉まみれの12月は、一番我が家らしい期間だったような気がする。母からケーキを受け取る方達、父がおそばをお持ちする方達は、毎年楽しみにしてくださっていたようだ。あれから何十年もたっているのに、それがおいしかったと、母は よく出来た人だった、何でも上手にさっとなさる方だったとおっしゃってくださる。でも皆さんご存じない。大量のケーキ作り、そば打ちの現場の母は決して思ってくださっているような優美なものではなかった。その期間の我が家は粉まみれの工場、熟練の鬼のような親方が母の裏の顔だったのだ。昨日歌舞伎を観に行ったのだが、女形の役者さんが裏声で「・・・・じゃわいなあ」としなだれかったと思うと、突然男の声でドスを聞かせて裏の顔を覗かせたりする、そんな場面がよくあるけれど、母の豹変ぶりはちょうどそんな感じだったなあ、なんて思い出し笑いをしてしまった。
2009.12.24
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このところ、立て続けに人に会った。珍しく三姉妹集合したのと、旧友たちとの忘年会と。姉と妹は大学卒業後、同じ仕事をずっと続けている。それに対して、私は放浪の人生。「兄弟の中に一人くらいは出来損ないがいるものだ」と、姉の夫が自分の弟を庇ってのたまったという話から、「うちもそうだね、あなた達はずっと同じ仕事をしているのに、私は何をやっても続かなかったなあ」 なんて、言ったのだが。そこで姉が意外なひと言、「あんたは詩クンを○○に合格させたじゃないのっ!」え??彼女が私を認めるような言葉、初めて聞いた。はあ、親の七光りが無くなったら、今度は子どもの七光りか、情けないなあと思いつつ、私を否定する言葉しか聞いたことがなかった姉の意外な発言に、戸惑いを覚えたのだ。その戸惑いが嬉しさに似ていることに、イケナイ、イケナイなんて思ったりもした。つまり子の七光りを求めて、詩のお尻を叩くようになっちゃいけないぞ!と。しかし、先輩母としての姉を私も初めて認める部分が出来てきたのも、また事実。長い長い反目の末、初めて共感できるものを持てて、相手を認められるようになって、それは甥、姪たちと詩のおかげなんだよね。姉の母に対する強い思い、母から受けた傷を他の誰かのせいにすることで彼女は自分を守って来たのだと、私が理解するのに要した長い長い時間。その時間を経て、彼女に「母はあなたが一番だったんだよ、私はそれにたくさんやきもちを焼いた」と言うことができた。「あなたを傷つけてきたことの経緯は、母の愛情の薄さ故でなく、母以外の誰かの悪意のせいでもなく、強いて言うなら時代のせいだったんじゃない? 私はそう思っている」と伝えることは、私がこの世で課せられた仕事だったのだろう。長くはなかった、平坦でもなかった母の人生に、30年経って、ようやく彼女の産んだ娘たちが共有出来る解釈を与えられた気がする。有吉佐和子は母が好きだった作家で、そのお嬢さんである玉青さんの著書「身がわり 母有吉佐和子との日々」の中にこんなくだりがある。母の死を報ずる英字紙にShe's survived by her daughter.(娘一人が遺された)とあった。和文からはなかなかできない英作文だが、この英文が私の心にしみ入ってくる。直訳ーー作家は、その娘によって生きながらえる。私は母のためにも、母のかわりにも生きないけれど、私が生きてゆくこは、母が生きてゆく唯一のすべではある。人は死んでも終わらない。我が母の人生もまた死んでも終わらなかった。母を恋い続ける娘、母を認められない娘、そんな姉たちに戸惑いながら受け流す娘ようやく母の人生を丸く終わらせられる時が来たのだと思う。それと同じように、姉と私の間の互いに向け合っていた刃を子どもたちが納めさせてくれた。子を持ってよかったと、全てはなるべくしてなっていることだったと、ただの行き当りばったり、愚かさの繰り返しにしか見えなかったたくさんの出来事のことも、そう思えてきた。多分、今年はいい年だったのだ。そんなことを思った年の暮れ。
2009.12.06
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近所の銀杏並木、見頃になってきた。詩と湯島天神に絵馬を掛けに行った。銀杏の大木の上に月がかかっていた。なんとなく、縁起がいい気がする。ツキがある?おみくじは私は大吉だったし、肝心の詩は小吉だけれど、油断しないよう丁度いいおみくじだと思う。財布に入っていた今年の初詣のおみくじを納め所に結びながら、詩が言った。「毎回努力しろって書いてあるんだよね」「努力すれば可能性はあるくらいのところを受けるんだもの、当たってるよ。君にぴったりなんじゃない? 母さんのが大吉だからきっと大丈夫。母さんの望みは叶う、それって君の合格しかないんだから」なんとかなりそうな気がします。単純なやつです。
2009.11.27
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きママさんの日記を読んで、>白和えは、チト甘めが美味しいですね。の一文に、「お和えはちょっと甘いくらいがおいしいのよ」とつぶやく母の声が甦ってきた。教えるという意図があったのか、なかったのか、お料理しながらつぶやくように言っていた言葉の数々、今財産になっているなあと思う。押さえつけて、叩き込んでやるとばかりに教え込まれたことは、頭と心が拒絶して、全く実に成らなかったけれど、つぶやくような言葉は不思議と憶えている。姉はお勉強一筋、余計な情報は頭に残さない取捨選択の出来る人だから、そんなつぶやきは頭に残っていないらしい。妹は幼いうちに母に死なれてしまったしね。私だけが貰えた財産。低学年の学校の宿題で「お手伝い大作戦」というのがあって、詩は「だし」をテーマにしたっけ。一人暮らしするようになった時に、私のつぶやきを思い出しながら、お料理を作ることがあるのかしら。本当に伝えたいことはつぶやくように言うのがいいのかも知れないな。親が躍起になると拒絶するところ、詩にもあるし、大事なことは折にふれてつぶやいておく方が効果があるのかも。受験前、何かにつけて躍起になりそうな私に自戒である。
2009.11.25
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今年も喪中はがきが続々届いている。去年までと違うのは、知人の親が亡くなったお知らせに混ざって、直接の知人、友人のつれあいが亡くなったお知らせがふたつ、みっつあること。「誰それがなくなった、ふうん」でなく、「えーっ! 亡くなったのぉ!!」そういう年頃になってきたのだなあ。母が死んだ齢までのカウントダウンが始まっている。私は孫を見るまで生きられるだろうか。こんなだめだめなおバカなまま死んだら、あの世に行っても恥ずかしいよ。やるべきこと、やっておこう!
2009.11.23
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さんまの香草パン粉焼き、pesce azzurro ammollicato ペッシェ アズーロ アッモリカートパン粉と同量の粉チーズ、たっぷりのニンニクのみじん切り、オレガノをまぜて、三枚におろしたさんまにかけ、さらにたっぷりのオイーブオイルをかけてオーブンで焼いたもの。きママさんに注文した汐さんまがしょっぱ過ぎなので、ただでいいと言われ、「わーい、しょっぱ過ぎなら、塩抜きで香草焼きにしてみるか」と作ったのが、上の一品。食べてみて、確かにしょっぱい、でも、この味知ってる。そう!アンチョビじゃない?!これは面白い。 ニンニク、オリーブオイルを使えば、アンチョビと区別がつかない味、キャベツと合わせてパスタにしたり、ピザにも使ってみたいなあ。いつもの塩加減のさんまもおいしいけれど、これはこれで色々使えまっせ。まるで別の食材!久し振りにお料理で興奮しました。きママさん、ありがとうございました。ぺこりん♪
2009.11.17
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この間共通項があってなんか嫌だと日記にも書いたけれど、結婚詐欺容疑の女性と似てるとある人に指摘されてしまった。カルピスバター、エシレバター、フレンチのお料理教室(彼女の行っていたところはあまりに高額なので私は諦めたのだが)、ルクルーゼ、小笹の羊羹、ゲランドの塩、等々、ブログで書いていたのだそうだ。親とのことを書くことも似てるってさ。「キーワードに共通点が多いから、興味のあることでググって容疑者は唐破風のブログを読んでいたりしてね」だとさ。ふうん、である。訪問者のリストは最新のしか表示されないけれど、古いのを確認できるのなら、してみたいところだ。まあそんなことはどうでもいい。夕方小田急線の線路上にかかる橋の上から、富士山が見えた。この辺りに住んで10年、この場所から見えたのって2、3回しかない。携帯の画像でしょぼいけれど、とても大きくきれいに見えた。いいことありそう♪
2009.11.15
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詩の塾弁のために卵焼きを焼いて、ちょっと砂糖を入れ過ぎたなと思っていた。端を切り落して、口に入れた瞬間「お母さんの卵焼きだ」と思った。母のはこんな味だったと唐突に思い出し、「お母さんの卵焼き」という自分が発した言葉の語感にさらにしみじみしちゃったりして。なんてことない普通の朝のこと。
2009.11.08
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連日報道の結婚詐欺34歳、ブロガーでおいしいものが好きでルクルーゼが好きでブランドが好きで地方のそこそこの家の出で、結構私共通項がある。違うのはブランド好きでも結婚後はとんとご無沙汰で、結婚していて子どもがいて、勿論結婚詐欺なんかやっていない。それから15号なんてサイズにはなったことがない。しいて結婚詐欺したとすれば亭主が被害者だけれど、今のところ殺すよりおだてて働いて貰った方が得だと思っている。共通項があるのがなあんか嫌だと思っていたのだけれど、友だちとの会話で「ブログやる人って自己顕示欲が強いんだろうね」なんて言葉が出て来て(彼女は私がブロガーとは知らない)、まあそう思うのもわからんではない、なんて思ったり。なんで私ブログなんぞ始めたかと思い返すと、塾なし中学受験の孤独感からここで見ず知らずの人たちからコメントを貰えるのがありがたかった。中学受験は終わったけれど、ここで出来たお友達(と私が思っている人たち)とのコミュニケーションは続けたいから。それと何か書いて誰かに読んでもらうというのは、ちょっと嬉しいことだったりするしね。それが自己顕示欲と言われればそうなんだろうけれど。まあいいや、殆どのブロガーは詐欺もやらず、人も殺さずに生きているんだもの。おいしい物好きだって、ブランド好きだって然りだもんね。
2009.11.06
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不景気なせいで気が滅入っていた。そんな中、会った人との会話に嫌味や褒め殺しを感じて、さらに落ち込みかけたのだけれど、ちょっと待てよ。そういうこと言われるのは、あちらの持っていないものをこちらが持っているから。現状を無意識にゼロと考えてしまいがちだけれど、私は我が家はそんなにたくさん、人に羨まれるようなものを持っていたんだと、気が付きました。健康とか能力とか評価とかね、失ったり下がったりしたときにしか、それを持っていたことに気が付かないものだな。それを持っていることを意識することは、慢心に繋がりがちだけれど。現状に満足しないことは向上心にもつながるけれど。今に感謝することを忘れていたんだなあ、私は。言われたときはムカッとしてしまった嫌味と褒め殺しのお陰で気づきました。ありがとう、だわ。
2009.11.05
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始発の電車に乗り、吉祥寺に着いたのが6時前。どこへ行くって、小笹の羊羹を買おうと思ったのだ。ここの羊羹、早朝から行列ができることで有名。最中はいつでもさして並びもせずに買えるので、時々買っている。私も亭主もそれまで最中をおいしいと思ったことがなかった。甘過ぎたり、餡が硬くて、歯に粘り着く感じが嫌だったり、食べて重く感じることが多くて、頂いたり出されたものを仕方なく食べていたイメージしかないのだ。それが、小笹のはリピーターになるお味だった。ちょうどいい甘さのほどよく豆の粒がのこった餡の加減、こうであって欲しいなあと思っていたものが、そのままそこにあったという感じ、しかも値段も安い。何度か、最中を買いに行くうち、行列のできる羊羹も食べてみたくなったというわけ。行列の最後尾に着くと、前にいた方が31番ですと仰る。150本の限定の羊羹、一人5本までなので、全員が5本買うと30人しか買えない計算になる。私は33番、ダメかもなあと思いつつ、夜中に起きて朝食とお弁当を作って始発電車に乗って来たんだもの、ダメモトで並ぶことにした。整理券が配られるのが8時半なので、さぞ退屈するだろうとパズル本や数学の問題集を持って行ったのだが、小笹の行列の大ベテランのおっちゃんが行列の極意や、行列メンバーのざっくりしたところを教えてくれる。自転車はどこに止めるといい、トイレはどこにある、ちょっとでもきれいな状態でトイレに入るなら、7時の掃除の後がいい、なんてことまで、微に入り細に入り。常連のおばあさんがどこに住んでいてタクシーで3時半から来て並んでいるとか、あのおじいさんは102才で自転車で来ているんだとか、あいつは並び屋で○○のばあさんに雇われているんだとか、ほうほうと話を聞いているうちに時間は過ぎていった。途中、喧嘩があったり・・・割り込みとか、場所とりで揉めたようだった、それで責められた人が列を抜けていったり・・・、私の直前の人が無理そうだからと帰っていかれたりしたけれど、最終31番でありました。そして、30人全員がきっちり5本ずつ求められたということで、買うことは出来ませなんだ。最中だっておいしいから、いいんだと思っていたけれど、やっぱり残念。またいつか行こう、始発の電車が着く前に並ぶというのが地元の方達の戦略になっているらしい。今度は、自転車に敷物とブランケットを積んで5時前に着くように行くんだ。絶対、食べてやる、小笹の羊羹。
2009.10.24
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詩の併願校で頭が痛い。あーでもないこーでもないと、うだうだな話を妹にしたら、「詩は本命に通るから、そんなのどうだっていいよ」「人ごとだと思って」「だって人ごとだもん」そりゃそうだ(笑)某難関チャレンジ校の説明会の帰り、山手線の車内で何かのスポーツの仲間らしい人たちが話していた。「Aさんって頭いいんだよ、駒場の出身なんだ」「駒場って?」「開成より頭いい高校なんだって」「へえ、アタシ地元の高校のどこが賢いのかも知らないや(笑)」ああ、駒場って、筑駒のことね、世間じゃその程度のことなんだよねと、妙に気が楽になったりした。塾の先生は偏差値お高めのところを、あれもこれも受けろと薦めてくる。あの、「ここにとおって自信をつけて、A高B高と勝ち進みましょう」なんて能天気におっしゃいますが、落ちて自信をなくしたら、どうなっちゃうんですか。その逆パターンにもしハマったら、恐ろしいことになるんじゃ・・・。そういうことを言いたかないが、塾のために合格者数を稼がせようという意図が見える。そうそうノセられてたまるか、実際通う学校は一つしかないんだ。チャレンジは一つで結構。チャレンジのための予行演習、予行演習のための予行演習なんて、きりがない。受験料だって、ばかにならないのに、ウチにはお金余ってないのよ。それに受けるからには対策が必要になるでしょ、そんな過去問あちこちやって、本命対策が薄くなったら本末転倒じゃない。そんなことより、セイフティネット探しだわさ、チャレンジ、本命、都立がダメだった時に、行く場所を捜しておかなきゃ。手続き金の支払いが出来れば都立の発表より遅くて、ガラが出来るだけ良くて、国立早慶が狙えるくらいの高校で、授業料がやたら高いのは勘弁、でも特待が取れるなら・・・、果てなく堂々巡りは続く。切羽詰まりつつあるハハを尻目に、詩は至ってマイペース。中学受験の時もそうだったなあと、思い出す。ウサギとカメのカメさんなんだよね。周りが寝ているとき、淡々と歩いている。周りが走り出しても、ペースを変えずに歩いている。気が付けばごぼう抜きされ、ちょっと前まで傍らにいた友は遥か彼方で先頭集団だったりする。まあしょうがない、詩はそういう奴だ。詩が怠けたわけじゃない、詩が下がったわけじゃない、周囲が急成長したんだ。詩に急成長はできない、ちょっとずつちょっとずつ、やることをやるやつだ。それでいい、驕るな、腐るな、愚直には愚直の強さがある。席次じゃない、偏差値じゃない、詩が自分を磨いていったら、詩にとっていい場所に落ち着くよきっと。中学がそうだったようにね。まるで詩に言ってるみたいな書き方をしているけれど、詩にはこんな言葉必要じゃないんだよね。バカなオカンが何を言おうが、どう思おうが、詩は我関せずで歩いているんだから。私が私のために、言い聞かせている言葉に過ぎないんだなあ。相も変わらぬばか親っぷりなことだ。
2009.10.21
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本屋でこんなものを見つけた。kimamaって? もちろんきママさんが浮かんで立ち読み、マクロビっていうんだっけ、やさいをまるごと皮も剥かず、あくぬきもせずに食べる手法、重ね煮、干し野菜のことが中心に書いてある。野菜のうまみだけ、だしもいらないお料理が出ているのだけれど、だしは私的には使うとして、取り入れられるところもあるかなと思い、買ってみた。やらなきゃいけないことが、ごっそりある。というのは・・・最近素敵な女性にお目にかかった。90歳を過ぎていらっしゃるのだが、「いと清(すが)やかに住まいたまいける」と表現したくなるような方。全く無名の市井のご老人なのだけれど、生きているそのたたずまいが素晴らしいのだ。ちょっとおきゃんで可愛らしく、でも凛として、清やかに。俳句を詠んで短冊にし、和紙でご自分で作った軸に飾っていらしたり、水盤に楚々とした趣に生けられてる花々、敷物やカバー類もその方の手仕事であることがうかがわれる。昭和30年代実家にあったのと同じ足踏みミシンが車輪(っていうのかな?)に油のよごれも埃ひとつない状態で(記憶の中の実家のミシンとは大違いだ笑)現役で使われていることを物語りながら、お部屋に置かれていた。端正で質素な昭和の懐かしいお住まいだった。自分は何て雑にしっちゃかめっちゃかに住まっていることだろうと、深く深く思い知り、反省して、だらしない我が家を何とかしましょ、と思うのだけれど、何せしっちゃかめっちゃかなもんで、その上能力も不足しているので、道はエラく遠いのだ。でも目指すんだい、楚々とした暮らしぶり。今詩は風邪で休んでいる。すわインフルエンザか!と病院に連れて行ったが、37度台では検査もされなかった。3年になってから無欠席だったから、欠席扱いにならないインフルエンザであって欲しかったのだけれど。中間テストも目の前というのに、志望校決めの面接も近いというのに、気は揉めるけれど、仕方ない。詩は某塾に1年秋から通っている。丁度その頃、天候が荒れていて、休校になることが多かった。詩の学校は近県を含めた広いエリアから生徒が通っているので、そのどこかに警報が出ていると休校になってしまう。神奈川で大雨洪水警報が出ると、その翌日は東京で、翌々日は埼玉で、千葉でと、天候は西から攻めて来る。それが完全に過ぎ去るまでというと、休みの方が多いような状態になっていた。こりゃあんまりだろ、週にもう一日くらい勉強しに行く場所が必要なんじゃないか、というわけで、日曜だけのクラスを見つけて行かせることになった。2年生までは詩に必要なモノを選んで、塾のプログラムの中から受講する、詩の体力、時間を無理なく配分することが出来ていた。つまりペースはこちらが握っていたのだ。それが、3年生になって、詩が舞い上がってしまった(と私は思う)受験生という特殊な状況に自分が置かれていると思い込み、気合が入るのはいいのだが、本来の自分のペース、体力、持っている時間を無視して、あれもこれもと塾のプログラムを買い漁るようになった(と私は思う)幾度も意見はした。詩の体力も時間も有限なこと、親の資力も有限なこと、知識をいくら詰め込んでもそれを吸収するための余力を残さないと自分のものにはならない、無理をすると逆効果になること。しかし、他の人もそうしているのだからと、無理なプログラムを購入することを詩が選んだ。親の強権発動は出来なくはなかった。しかし、それをすることに迷いがあった。私は自分の正しさに自信を持てなかったし、強権発動することで詩のモチベーションが下がることを恐れてしまった。それというのも、自分が中三の時、父に志望校を強制されたことを恨む気持ちが未だにあるのだ。父が薦めた激しい全体主義のスパルタの学校の中で私は息が出来なくなってしまった。父はトップ校で真ん中より、その学校でトップを取れと言った。しかし、トップを取るどころか、私は廃人になってしまった。父がその学校を私に薦めたのは、父の友人が校長でいらしたということもあったのだが、そのお友達に対しても廃人の娘、いい恥さらしになってしまったのだ。父は大病を患っていたし、私はそんなだし、ほかにもいろいろあって、もう何もかもが裏目でうまくいかない時期だった。自分の人生最初の大きなつまづきを父のせいにしている私、詩の人生を私が歪めてしまうのではないか、恐れる気持ちが先走った。もしかしたら、親の責任を投げ出したのだろうか、詩にとってよくない結果になることを想定しながら、詩のためにならないお金を塾に払ったのではないか、詩の意思を尊重するという美名のもとに。詩が風邪をひいたことで、無理が祟ったんじゃないか、ここで軌道修正すべきなのだろうかと、再び迷いが始まっている。だらしない親だ。ありゃりゃ長いばかりで、なんともしっちゃかめっちゃかな日記になってしまった。ちゃんちゃん。
2009.10.13
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詩の運動会で耳にしたママたちの会話。「(娘の)成績が芳しくなくて、内部進学アブナそう、どうしよう」と言う方に、別のお母様イワク、「お勉強なんてできなくたって、地方出身の優秀なパパを掴まえて、私たちサザエさん生活楽しんでいるじゃない。大丈夫よ」「東大の女子が参加できないサークル、いっぱいあるのよ。○○女子大の方が東大生掴まえやすいって」「優秀な方が一生懸命育てた優秀な息子さんを、ちゃら子の私が育てたちゃら子の娘がいただいて、2世帯住宅に軟禁しちゃったりして」笑いさざめく楽しげな会話に、内心(クッソー!!)と臍を噛み、ふと隣を見ると、学年一の才媛ハーマイオニーのママもムッカーとしたお顔でしたわ。いつかウチの詩もマスオさんになってしまうかも知れないけれど、マスオさんのクチがないよりましと諦めるっきゃないかしら。医学生の息子の恋愛にいらいらむかむかしている某ママのの気持ちがちょっとわかる気がしましたわ。別に見返りを求めて育てたわけじゃなかろうに、自分は爪に灯を点してよその家の跡取りを育ててきたわけ?と、怒り心頭なんだよね。ちなみにウチの亭主の元カノは女医だったのだけれど、美大を卒業したばかりの若かりし亭主は彼女の父親に「ペンキ屋フゼイに娘をやれるか」と罵倒されて、別れたとか。(一応、ウチの亭主ペンキを使う仕事はしていない)その血が流れていることを考えると、詩はマスオさんにもなれないかも知れない。余計な心配? ま、鬼に笑われることは確かだあね。目先の課題山積みだってのに、あほだね、私も。
2009.10.07
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詩クン、成績低迷中。半年くらい前まで、こいつ本当に私が産んだ子か?とバカ両親を狂喜乱舞させてくれていたのだが、ありゃりゃ、やっぱ私の子だわってなことになっている。とことんネガティブ男の亭主は、勝手にぼろぼろ最悪の未来予想図なんて描いている。私もちょっとは成長しまして、中学受験の時のように「一回殺したろか」とか、父子分離とか、離婚なんて考えたりは致しません。この人こーゆー人なのね、子供に愛情がないわけじゃないけれど、気が小さい、びびりな奴だから、悪い結果が出た時に「やっぱりな」とうそぶけるように準備をしているんだわ、そんな具合に受け流しとります。昨日、ありゃりゃな模試の結果が出たんだけどね、タイムリーなことにアマゾンに注文していた開成番長の記憶術なんて本が届いていた。今朝送り出す前に、その本を渡して「あと点を伸ばせる余地があるのは、理科と社会だから、これ役に立つかも。授業を受けるでも、復習が要らないくらい集中して受けるとか、意識を変えてごらん。かなり違うと思うよ」と話した。ま、なるようになるでしょう。狂喜乱舞時代は、出来過ぎだったかも知れない。でも、まぐれだけで1年も継続して好成績は取れないだろう。今の詩の成績が本来の実力、もともとこんなものってこたあないと思うのさ。今日は久し振りの外出しない日だ。売り切れと聞いて諦めていたブラムリーが、予想外の収穫があったからと、送っていただけた。またジャムおばさんになろう。ことことジャムを煮て、それからアップルパイを作るんだ。落ち込んでる詩が、元気になるように。
2009.09.16
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今ヘルパー2級の講座に通っている。きっかけは大叔母の見舞いに行っても、何もしてあげられないのが嫌なので、お勉強してみようと思ったこと。老々介護で大変そうな叔父夫婦に「猫の手になりたいの、何か出来ることはない?」と言っても、大叔母が不慣れな人に触れられることを嫌がるし、何もしてあげられないのだ。その講座なのだけれど、講師はベテランヘルパーさんがなさっている。実技は当然ながら手際よく、こつを伝授してくださるのだが、座学(座って授業を受ける形態をそう呼ぶらしい)の方がね、なんというか、一つのセンテンスが完結することのないお話ぶりなのだ。話し始めてから、別のことに気が移り、別の話が始まる、その繰り返しで彼女の話は永遠の迷子、こっちの頭も永遠の迷子。そんな具合で彼女が何を言おうとしていたのか、わからないまま、時間が過ぎていく。この時間が経過することで、資格へ近づくのだね。板書は見たことのない漢字が並ぶ、多分これは、容という字のつもりなのね、とか、務という字なのよね、とか、推測しながら、板書を写す。ちなみに、容=ウ+大+口 務=マ+方+ケ+力、といった具合。一応、資格と名の付くものなのに、その講師は経験者というだけで出来てしまうというのは、驚きだった。夫に話したら、「アルツハイマーのお年寄りとの会話を実習してるんだな」だってさ。
2009.09.04
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長くさぼりました。書きたいことはけっこうあったんだけどね、それを書くと人様のプライバシーを侵してしまうかな? とか、守秘義務違反なんじゃないかとか、そういうことが多かったので、公開できないことを書かずにいたら、時間がたっちゃった。選挙終わりました。うちの亭主の友だちもびっくりなことにセンセーになりました。私の家族のことを日頃、人間のクズだの、腐った奴らとか、金と権力にまみれた奴なんて(会ったこともないくせに)言ってくれていたよね、お友達のこともこれからそう言うのかしら?当選速報を見て面白がっている亭主を横目に、今後を皮肉な気持ちで期待した。更年期障害きついっす。体温調整がうまくできていない感じがする。上半身は暑くてたまらないのに、下半身は冷えきっていることが多い。ちょっとつわりっぽい感じもある。いつまで続くんでしょう。命の炎が日に日に細く危うくなっている大叔母の見舞いに時々行っている。その度大叔母は彼女の兄弟や身内のことを尋ねて、亡くなったと聞かされて、驚き、嘆いている。親しい人の死、一人でもつらいのに、毎日新たに10人以上の死を知るって、どんな悲しさ、寂しさなのだろう。大叔母もかわいそうだけれど、毎日それを告げて、どうして教えてくれなかったと、なじられる家族も気の毒だ。「博士の愛した数式」だったっけ、記憶が毎日リセットされてしまう数学者の話を思い出した。数年前に突然亡くなった人と最後に交した会話を思い返した時、その会話が「ありがとう」で締めくくられていたことに、安堵したものだった。私が死ぬ時、ありがとうで締めくくれるように、理不尽に人を責めて、なじったりしたまま死なないことを願いたいものだ。
2009.08.31
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詩が赤ん坊だった頃から、私が詩にしてやることは、基本的サービス。衣食住の面倒を見て、安全に気を配る、そんなことが中心。夫がしてやることは、特別サービス。放り投げたり、振り回したりして、キャーキャー息が切れるくらい興奮させ、喜ばせたりそんなことが中心。そうすると、詩は夫にはとびきりの笑顔を向け、私にはイヤイヤばかりだったり。なーんか割にあわないなあ、と、ちょっと悔しかったりしたものだ。そりゃ、とびきり楽しいことをいっぱいしてくれるおとーさん大好き、わかるよ。でもオムツ替えて、食べさせて、四六時中面倒みるのって、当たり前のことをしているだけなんだけど、でも当たり前のことは簡単で楽なことというわけじゃない。特別サービス提供者の夫よりずっと労力も神経も使っているのに、おとーさんに見せるようなきらきらの笑顔は私には向けてくれないの、なんて。今思春期の詩も変わらず、私は「うざっ」という存在で、夫には一目置いているらしい。海外ものの音楽番組を見ていて、「このバンド誰?」と尋ねたら、「ヴァン へイレン」それから、ギタリストのテクニックがどーしたこーした、ジミーページと比較するとどーだら、布袋がどーゆーとこを真似しているとか、このメンバーは鉄板の上に寝て、やけどしたことがあるとか・・・、ひとくさり蘊蓄傾けてたのだけれど。その時の詩の顔がね、なんというか、尊敬の眼差し、聞いた蘊蓄頭に入れている様子が伝わってきて、ああこの蘊蓄をバンド仲間に受け売りでかます気だなというのが、まるわかり。いいなあ、今度生まれてきたら、おとーさんというものになってみたい。おかーさん業って、減点法で評価されてばかり、ちゃんとやっていて当たり前、失敗ばかりカウントされて、ダメ出しされてばかりって気がする。羨ましいぜっ。
2009.08.10
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うちにはテレビ大好きな夫がいて、地上波、BS、CSと受信している。それをさらに光回線まで受信するとか言い出して、私はテレビなしで生きられる人なので一日中テレビがついている暮らしは正直ストレスだ。まあそんなことはどーでもいいのだが、CSだったと思うが昔の沢田研二の映像で「時の過ぎゆくままに」なんてやっていて、まあなんて美しい男だこと…と、ため息、時は残酷ねと、またため息、だったりしたのだが、その歌詞にひっかかってしまった。 小指に食い込む指輪を見つめ あなたは昔を思って泣いたそこんとこ、リアルタイムの時も、ひっかかっていたのだよな、と思い出し、小指って一番細いよね、それなのに食い込む?昔の歌だから、当時はピンキーリング(小指につける指輪)なんてなかった筈、基本的に指輪は薬指か中指のサイズで買っている筈なのに、小指に食い込む? なんで????そして、すとんと、理解したのだ。 あなたはすっかり疲れてしまい 生きてることさえ嫌だと泣いたこれって、生活に疲れた中年以上の男女の歌だったんじゃないか。ジュリーがあまりに美しいから、中年の疲れた男女を当て嵌める気がしなくて、気づかなかったのだけれど。労働に荒れて、若い時のような華奢な手をなくしてしまった女が、死にたいと泣いている。その女に寄り添いたいと願う男、焼け木杭な関係なのだろうか。「きれいな手ね、水仕事なんかしたことないんでしょ」と、言われた手をなくした私になってやっとわかりましたわ(笑)ジュリーも昔の面影を残してはいるけれど、もう美しくはない。「勝手にしやがれ」で、両手をかざしながら歌っていたあの華奢な手では今はない。30年以上たって、やっと「そういうことだったのね」と思った。阿久悠、なんでこの歌をあの頃のジュリーに歌わせたんだろう。今のジュリーに歌って欲しいなあ、そうしたら説得力を増して、わかるなあと、感じられる歌になるだろうに。
2009.07.09
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きママさんが、モニターしてくださいと荷物に入れてくださった昆布、ダシをとってみた。普通に煮立つ前に引き上げると、すごいぬめり、透明のゼリーに包まれたような状態になっている。ダシの方は、臭みが出たりぬめり過ぎたりということはなく、ノーマルなおいしいダシが出ているのだが。うむ、このぬめり、なんかもったいない。そうだ、根昆布水を健康のために飲んでいる人がいたな、あんなふうにこのまま水に浸して飲んじゃおうか。と、大きなコップに入れ、浸した水を飲んでみた。しかし、そのぬめりは尽きることなく、まだまだもったいない。これって、まるでメカブのようなぬめりっぷりだな。それじゃあ、と、ぬるぬると闘いながら、刻んでみた。手製の梅醤油をかけていただく。うん、歯ごたえのあるメカブって感じ、悪くない。ところで、メカブって何? と、検索をかけてみる。すると、メカブ茶なんてのが出てきた。細かく切ったメカブを湯のみに入れて、お湯を注ぐと昆布茶になるんだとか。そのまま、ふやけたメカブも食べられると書いてある。なるほど、乾燥した状態なら、ぬめらず細かく鋏で切ってしまえる。細く切っておいて、塩分も欲しいところだから、梅干しも入れて、熱いお湯をそそいだら、梅昆布茶になるかしら。でもそれは明日のお楽しみにしておこう。昨日は、お薦めの穴子も送っていただいたのだけれど、きママレシピで煮穴子にしてみた。「何かさ、家で穴子を煮るってかっこよくない、これでいつやってトーライに掴まって、煮穴子を作れって言われても大丈夫だわ」などと、あほヌカシていたら、指摘されました。「お前、穴子をさばいてないじゃん」ああそうだった。穴子をさばいてこそ、威張れるというもの、はしゃぐのは百万年早かったと、反省しましたわ。
2009.06.29
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こんなものが届きました。ハミルトン・ムーア&アソシエイツ カナダの宝石屋らしいです。4千円の手数料を払えば、1億1300万円くれるんですって。あほらし。
2009.06.24
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ある女性の愚痴を聞いた。大学生の息子が彼女を紹介したいと言ってきたそうな。しかし、会いたくないと断ったそうな。なして?「息子と旅行に行ったりしているらしい、そんなふしだらな女、嫌だわ」と。ほお・・・、息子はふしだらじゃなくて、相手のお嬢さんだけがふしだらなのか、ふむ。とてもシーラカンスのような人で、恋愛をふしだらだと決めつけ、お見合いで結婚したくらいなので、彼女にかかったら、世界はふしだらで溢れているのだな(笑)息子もその彼女もかわいそうなこった。ブログ友の素敵なお母様たち、息子さんの彼女やお嫁さんとうるわしいご関係を築いていらっしゃるのを、最近羨ましく拝見しているところだったのだけれど、丁度その真反対、対極な人だなあと感心してしまった。あのさ、優しい眼差しを持たないと折角丹精して育て上げた愛する息子たちが離れて行ってしまうよ。「白河の清きに魚のすみかねて 」だあね。私はきママさんやミーシャさんみたいな、素敵な尊敬できる彼のママ、もしくは義母にはなれそうにないけれど、すっとこどっこいだけど、憎めない、くらいに思って貰えると嬉しいなあ、なんて。遠い未来を夢想してみたのだった。
2009.06.23
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亭主が先々月くらいから、喉がおかしいと言い出し、花粉か? 黄砂か? と、耳鼻科で内視鏡を受け、何ともないと言われて帰ってきた。それが先月初め。それから、胃酸が寝ている間に上がってきて、それが喉を刺激しているのだ、と言い出した。そして、消化器内科へ。血液検査、胃カメラと、全く何の問題もない、まあ見事に優秀な結果を貰って帰ってきた。自覚症状はあるのに、検査しても原因が出て来ないというのも、まあ困ったものだが、奴の細かい神経質な性格がありもしない病気を作り出しているんじゃ?と、私は思い、亭主は、「若い頃と比べて何となく快適じゃない状態を病気と思うのは間違いなのかな? これが老化というものか」と結論づけていた。ともあれ、何の問題もない検査結果って、御飯を作っている私の通信簿でもあるよなぁ、と、勝手に自分褒めモードに入っております。我が家の食生活、私の作る御飯は間違っていないとお墨付きを貰った気分、ちょっと嬉しい。今丁度、舅が亡くなった年齢に差しかかっている亭主、彼を50代にさせるミッションは多分クリアできそうかな。次は60代になってもらう、そして気長に待っててあげるから、仕事で一花欲しいなあ…。
2009.06.08
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黄色くなり始めた残りの梅は、白梅漬けに決定。面白い漬け方を見つけたのだ。重石が要らないの。梅と塩を入れたら、その上に二重のポリ袋を置き、その中に水を注ぐ。そうすると均等に圧力がかかっていいんだそうな。この方法スグレモノだと思う。容器の形を選ばず、使わない季節には邪魔なだけの重石も要らず。一日経過の梅二日目の梅漬けた時は、容器のクチのところまで梅があって、梅がつぶれて隙間ができるとその分水をつぎたし、つぎたしした。今年お初の梅醤油、きのう冷や奴にかけてみた。二日目というのにもう梅風味のお醤油になっていた。もっとしっかり味がついたら、これは夏の調味料として欠かせないものになっていきそうな予感。梅仕事は楽し♪
2009.06.06
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首をなが~くして、予約した梅を待っていたら、思いがけずきママさんにいただいてしまった。予定外の梅だもの。なあんか、面白いものを作ってみよ♪ と、作ってみたのは、梅醤油、梅醤油(黒砂糖入り)、黒砂糖入りの梅酒(ホワイトリカーとジンで) 砂糖なしの梅酒(ジンで)夏の冷や奴やお刺身に梅醤油ってさっぱりといいらしいんだよね。梅醤油で思い出したのが、母が昔作ってくれたピーナツのお豆腐。甘い梅の味のたれがかかっていた。梅干しを煮出して作っていたと思うのだけれど、作り方は母方の親戚に訊いてもわからない。梅醤油は、梅を醤油に漬け込むだけなのだけれど、そこに黒砂糖を入れたら、あの甘いたれに似た味にならないかしら。そう思ったので、一瓶試してます。梅酒の砂糖なしというのも、どうなんだろ、とお試し。想定外の梅だから、こんなに遊べてしまいました。残りは少し黄色くなってきたので、梅干しかな?でも梅干しにしても、何かちょっと遊び(実験的要素)を入れたいよね。さて、どう遊ぼう?きママさん、ありがとうございました。
2009.06.04
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ここでも時々書いているけれど、私は包丁が好きである。包丁が満足のいく研ぎ上がりだと、うっとりしてしまう。そんな私がコワいと、妹の旦那が言うらしい。(電話をして妹が不在だった時、『研いであげるから包丁持っていらっしゃい』と伝言を頼んだことがあったのだ)妹に「あなたは包丁を研いだりしないでね」と懇願するんだそうだ。妹とうちの亭主の「唐破風が包丁研いでる時恐くないですかぁ」「恐いよ、包丁片手に振り向くんだ、しかも夜中に」なあんて、会話が展開され、私は自問する。包丁フェチって、変なのだろうか。小さい頃から、刃物は好きだったなあと、思い出す。父のナイフを、こっそり抽き出しから取り出して、眺めていた覚えがある。父が庭仕事をする時、接ぎ木とか挿し木とかだったのかしら、ナイフを使うその手元を飽きずに見ていたっけ。高校生の頃は勉強したくない時、だらだらと鉛筆を手で削っていた。お気に入りの鉛筆削り用のナイフがあって、街で一番大きい文具屋さん(東京で言えば伊東屋みたいな)でそれを見つけてから、すっかり手削りにはまってしまったんだよなぁ。その切れ味ときたら、カッターナイフなんかとは比べ物にならなくて、気持ちイイ!の一言だったのだバブルの最中、お気に入りのブランドショップに通うのと同じくらいの頻度、熱意で刃物屋をのぞいていた。結婚して最初に亭主に買って貰った高い物は出刃と刺身包丁だった。何と指輪より高かったのだ、というか、指輪がめちゃ安かったんだけど(笑)なじかはしらねど、刃物フェチ、妹夫婦には山姥と言われているらしい。最近半姉と従兄弟に、唐破風は変な子供だった、感情の制御が出来ないやつだったと、旧悪をさんざん並べられて、ちょっと落ち込んだんだけどさ。(だいたい年上の奴って、自分の小さい時の悪行は隠して年下のそれをアゲツラウ、ずるいよなあと思うんだけどさ、叩けば埃くらい出ないわけないと思うのだけど)恋愛活動、コン活してた頃も、一番言われたのは、かわいくない女、変な女だったんだけどさ。成れの果ては山姥か。まあ、順当なところなんだろう。
2009.05.20
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吹けば飛ぶよな危うい日々だが、今のところ私は満ち足りている。亭主はちょっと先まで仕事の予定が詰まっている。そのせいか、このところ割に穏やかにしている。詩は、思春期だもの、きっと胸の中に嵐の一つや二つ抱えているのだろうが、親の目には安定して毎日を楽しみ、自分を磨いているように見える。そして三人とも何とか健康でいられてる。これ以上何を望む?しかし、欲に限りはなく、今に満足はしていても、この状態を長く安定的なものにしたいと、保証のようなものを、望みたくなるのだ。預金残高にゼロがあと一つあれば、二つでもいいねえ、なんてね。ほどほどに貧しいから、仕事があることを喜べる。将来に不安があるから、詩も迷わずに自分を磨いている。当てにならなそうな親でいることも、子供の自覚と成長を促すもので。金持ちが天国に行くのは象が針の穴を通るくらい難しいって、格言(多分聖書)なかったっけ。その意味をしみじみと噛みしめつつ、それでも宝くじを買ってしまう。矛盾と欲にまみれているねぇ。
2009.05.19
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材料調達を含めると3、4日かけて作った御飯。あほですな。労多くして、その成果は、あまり好きじゃないというお言葉でありました。海藻と蟹の海水ゼリー寄せゼリーの量が多過ぎて、食べていてうんざりしてくるんだって。量のバランスを変えたらいいのかしら。金目鯛のクルスティアン焼き、グリーンピース、小カブのピクルス、アサリのフリット入りリゾット添えこれを作るのは2度目、前回滅多に言われない「おいしい!」が聞けたメニューだったのに。今回はダメ、だそうだ。グリーンピースのピュレと魚のだしの量のバランスが前と違ったのだろうか。ばたばたしながら作ったので、ソースを煮詰め過ぎた気がする。ドウブドブフこと、牛の赤ワイン蒸し煮ま、これは時間がかかるだけ、手間はさしてかからず、失敗のない煮込み系なので、OKだったみたい。あと、あさりと小アジのパスタの写真は撮るの忘れた。今回の道楽ははずしました。一緒に行ったお料理教室のレシピを含んでいたので、妹を呼んでの御飯だったのだが、妹だけは大絶賛。慰められました。いい奴だ。
2009.05.15
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馴染みのお店で、「牛のスネ持ってかない?」「いいっすね」「いいスネ?、そう、いいスネなんだ」なんて、駄洒落な会話をして、スネ一本買って来た。あちらから勧めてくれた物は半額という、ルールが出来あがってきたようだ。嬉しいこと!! もうここから引っ越せなくなってしまう。家に帰って、はて何を作りましょと、買ったばかりのルコルドンブルーのフレンチの基本書を広げる。牛肉の赤ワイン蒸し煮(ドウブドブフ)に決定。今、冷蔵庫に香味野菜と共に赤ワインに漬け込み中だ。漬け込み一日、煮込みに一日、食べるのは金曜日だな。じゃそれに合わせて、買って来たグリーンピース(プティポア)1キロ下拵え。と、皮を剥き、茹でて、半分はピュレに。これは、ミクニで教わったお魚のリゾット添えになる予定。お魚のだし(フュメドポアソン)はこないだ金目をお料理した時あらで取っておいてある。かぶのピクルスも仕込み済み。リゾット用のお米も準備してあるし、下拵えは多分、大丈夫?よね?このお魚のリゾット添えは、先週一回作った。しかし、グリーンピースの量が少なくて、フードプロセッサの中できれいに回せず結局すり鉢に移し替えるとか、うまくいかないこと続出で、夕食が大幅に遅れて大ブーイングだったのだ。そこで学んだことは、フレンチは前日までに下拵え出来ることはやっておく。当日は当日しかできないことだけをやる心づもりで臨むこと、である。はて、今回は待たせずに食べさせることができるだろうか。しかしまあ、作り慣れないフレンチとなると、フレンチ用に下拵えした素材なんて冷蔵庫にないから、それを拵えるところから始まってしまう。まるでチュラチュラの世界だ。月曜日に市場に出かけ、カブとマメを買って来た。チュラチュラチュラチュラチュラチュララ…♪火曜日はビネガーを取り出し、カブのピクルスを漬ける チュラチュラチュラチュラチュラチュララ終いは、金曜日に食べて、土曜日に片付けて、日曜はぐったり寝てる、なんてとこだろう。これは主婦としての仕事なんかじゃありませんね。ただの道楽ですわ。ところで、プティポアって、かわいい響きじゃない?グリーンピースって平板なただの意味を伝えるだけの言葉で、でもプティポァって、絶対かわいいよね。鞘からはじけ出して来た緑のマメの粒が光を放って、ボールの中にある可愛らしさ。素材が可愛くて愛しくなってしまう響きだと思う。ドウブドブフ、これもこの濁音ばかりの重い響き、なんかお料理と素材の重量感を感じて、なんか笑えるし。やたら()でフランス語をカタカナで添えたのは、これが言いたいがためでした。うまく言えないけれど、やたらと半濁音、濁音の多いこの言語と、フランス料理にはまりつつあります。ちゃんと勉強しようというわけではないけれど、ちょっとかぶれてみようかしら、くらいの感じです。おいらはまっとうな主婦じゃありません。道楽者です。家族はそれに巻き込まれ、つき合ってくれています。そう思っているのが、ケツの座りのいい状態だと、最近気づいたところです。
2009.05.13
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連休の一日、一回くらい外食でもしとく?ということになり、お気に入りの中華へ。いつもは同じ店の別の支店にいくのだけれど、高層ビル内のお店に行ったら、高かった(笑)やはり場所代と、内装代、スタッフの恭しさ加減、お料理代金にしっかり乗っけられていた。でもコックさんはいつものお店の人の方が腕がいいね、今さら亭主に口説かれるわけでもなし、安くておいしいあっちのお店に次は行こうね、なんて話した。でも詩に場慣れさせるという意味で、たまにはこういうのも必要だ、とは亭主の弁。ま、それも一理ありますわ。夜景がきれいね、とカメラを取り出した。ついでに、お料理を撮るふりをして詩を撮ったのだけれど。なぜか、亭主と詩、二人写っている写真は同じポーズをしている。赤ちゃんの時から、そういう写真がすごく多くて、何で?????・・・・なのだけれど。この二人、親子になるべくしてなっているのだろうなあ。もし、亭主が私と結婚していなくても、誰か別の人が亭主の子どもとして詩を産んだのだろう。運良くあなたたちの嫁にしてもらって、母にしてもらって、ありがとさんでござります、なんて、おどけておいた。帰り道、象徴的な構図だねともう一枚。シャッタースピードがゆっくりだからぶれて、半月が満月に嵩ましされてしまった(笑)
2009.05.05
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