July's July

July's July

2015.10.11
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 一通り表現したかったものを吐き出してしまったらもう書くことが何もなくなってしまった。今回僕がめざしたものは音楽と文学のクロスオーバーした表現であった。音楽の持つ深い象徴性や高度な抽象性にシンクロする文章を書いてみたかった。そしてできれば音楽の転調と同じ効果を文章で実現できないだろうかと考えていた。どの程度実現できたかは心もとないが感触はつかめたような気がしている。


 表現されたものに我々の魂が乗り移るためにはそこにゲシュタルトが存在しなければならない。ゲシュタルトとは魂が宿るための形、構成、いわば家のようなものである。それは魂の遠近法、精神の幾何学によって作られている。
 ゲシュタルトが存在しない表現には我々の魂は乗り移ることができない。そういう表現は我々はつまらないと感じたり空虚さにいたたまれなくなる。

 ゲシュタルトの表出水準に至るためにはやはりカポーティが言ったように空の高みに登らなきゃならない。登ってしまえば後は楽だけど登る前がつらいのだ。

 現実の世界で順応しそこで満足している人は表現する必要がない。ある意味では現実の世界で失ったものをあきらめた代償として表現が存在するのだといってよい。それは普通に生きることをあきらめて永遠に生きたいと願うことでもある。


 文学は文学である。なぜわざわざ純をつけなきゃいけないのか。人々のレッテル思考には不快感を覚える。

 純文学という言葉に嫌悪感を持たないような言葉に鈍感な人間が文学をやってるつもりになっているのはたちの悪いジョークのように思われる。





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Last updated  2015.10.11 07:45:36


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