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月曜: 自転車 35.5km (1時間10分) 残業1時間で帰宅できたので、週末に走るはずだった自転車の分を少しだけ挽回。昨日2本続けてテレビで観た“子供による殺人の映画”について調べていたところ、「少年犯罪データベース」という“恐るべき子供たち”による事件を時系列で並べたウェブサイトを発見。いやあ、『The Bad Seed』や『オーメン』級の悪いガキは日本にもたくさんいたんですねえ。とくに今から丁度30年前の昭和52年(1977年)は幼年犯罪の当たり年だったみたいで、スゴイ犯罪がてんこ盛りである。〔2歳女子がカミソリで赤ちゃんの顔を切り刻み殺害〕 岩手県東磐井郡の農家で、長女(2)が三女(生後2ヶ月)の顔をカミソリでずたずたに切り裂いて殺害した。母親(29)が顔剃りに使っているカミソリのため、マネをしただけだという分析もあったが、祖父が気づくまで異常な泣き声を上げている赤ちゃんに17回も切り付けており、残虐性があると考えたほうが自然であろう。〔小6が幼女レイプ殺人〕 福島県須賀川市で、小学6年生(12)が下校途中の同じ学校の2年生の女の子(8)を薮に連れ込んでレイプしようとしたが、抵抗されたのでズボンのベルトで首を絞めて殺害、後日自供した。〔5歳が泣きやまない赤ちゃん殺害〕 神奈川県の自宅で、長男(5)が弟(0)にフトンをかぶせて窒息死させる。「赤ちゃんが泣きやまないから。赤ちゃんはちっとも可愛くない」と自供。〔小4女子10人が集団リンチ〕 福岡県嘉穗郡の小学4年生女子(9)が同級生の女子10人から集団リンチを受けたことが判明。成績が良く授業でも活発に発言することを疎まれ、1人の家に連れ込まれてソロバンで殴られ、ズボンを脱がされて熱したスチームアイロンを太股に押し付けられ、2週間のヤケドを負わされたもの。〔小4女子が嬰児殺人〕 神奈川県川崎市の民家に小学校4年生の女子(9)がベランダから土足で侵入、この家の長男(生後2ヶ月)のおむつを取りかえようと持ち上げたが落としてしまった。赤ちゃんが泣き出したので母親に見つかると叱られると思い、顔や胸を踏みつけ頭蓋骨骨折と内臓破裂で殺害した。『Bad Seed』の映画の中では、主人公の母親の知人である心理学者が登場し、殺人者は粗悪な環境によってのみ作られるのではなく、どう考えても「生まれつき」としか思えないようなケースが多数報告されていることを述べている。たしかに「2歳児が生後2ヶ月の赤ん坊の顔をカミソリでずたずたに切り裂いて殺害」とかいうケースを聞くと、「環境が影響するだけの時間的余裕がないだろ!」という気がする。0歳の弟を殺した5歳児の「赤ちゃんはちっとも可愛くない」という発言はまあ許せたとしても、「…だからって別に殺すことないだろ!」という気がする。このガキどもは現在32歳~40歳ちょっとなはずだが、どんなオトナに成長したのかホントに興味あるなあ。サカキバラ少年のときみたいに、彼らのその後を誰か追跡してネットで公開してないかなあ。(おわり)
2007.07.16
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15〜6年前の独身時代、独身中年が独りで訪問しづらい場所というのが出て来て、やっぱり家族持ちに比べると行動半径が限られてくる、という考察をしたことがあった。最近、トライアスロンレース参加のために地方に独りで遠征した際、近くのリゾート地に宿泊して驚いたのが「おひとりさま」の宿泊客の多さであった。部屋の入り口に「〇〇様〇名ご一行」などと書かれた紙が貼られているのだが、私の部屋の並びはみな「〇〇様ご1名」なのである。食事会場にも中年女性や中年男性が1人でテーブルを占拠し無言で黙々と食事している。そしてその数は家族連れと同じかむしろ多いくらいだったのである。要するに、ここ15〜6年で、カップルや家族連れで賑わうような観光地に、中年のオッサンやオバサンが単独で訪れるのが「ふつう」になりつつあるということらしい。おひとりさまの勢力拡大によって、カップルや家族連れの前でも人数的に気後れしなくて済むようになってきたようだ。箱根みたいな観光地にも、観光目的ではなく、ランナーや自転車乗りがトレーニング目的で宿泊し、あの坂道を走ったり自転車を漕いで登ったりする様子が年々目立つようになってきた。15〜6年前であればそんなおひとりさま宿泊者は「変わり者」にしか見えなかったかも知れないが、今ではほぼ市民権を得た感じである。職場でも、立派な役職に就きそれなりの稼ぎがありながら、40代・50代独身という男女の比率はたぶん4割くらいに上りそうな気がする。あれだけの経済力があれば休日に自宅でゴロゴロしていないでリゾート地のホテルで優雅に過ごすとかいった選択も合理的かつ健康的に思われる。ましてや円安のせいでカンタンに海外旅行に行けなくなってしまった昨今、経済力のあるおひとりさまの休暇先が国内になってしまうのも仕方ない。まあ、こうして少子高齢化にともない「おひとりさま」が社会の主流へと化していき、やがて旅先などでもむしろ家族連れが肩身の狭い想いをする日も遠くないのかも知れない。
2026.07.31
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先日、スマホの待受画面にしている我が子の写真をチラ見した人から「お孫さんですか」と言われた。10年近く前に保育園のガキ(娘の同級生)からからかい半分に「おじいちゃん」と言われたことがあるのを例外とすれば、「お孫さん」発言をされたのはこれが初めてであった。言われてみると確かにここ1〜2年で白髪が目立つようになった。それまでは主にバリカンで最短にしている側頭部に白髪が集中していたため目立たなかったのだが、それがついに前髪の領域にまで侵攻し始めた。いくら頭頂がフサフサした黒髪でも、正面から見た時に顔の印象を作るのはやはり前髪なのである。前髪が白いだけで頭全体が白いイメージになる。47歳と49歳の時に生まれた娘たちから「お爺さんみたいで恥ずかしいから一緒に歩かないで」と言われない程度の若さをこれまで意識してきたつもりだが、第三者から「お孫さん」に見られたということは、娘たちに「ジジ臭い」と言われてしまうのも時間の問題であろう。実はここ数年、気力・体力の衰えの自覚症状が出始めていた。ワカイモンにナメられても張り合おういう気さえ無くなった。「そろそろ老いを受け入れろ」と囁く自分がいる。一方で、何かの窓口での手続きでスマホ操作に手間取ったりするたび「爺さん扱いされたくない」とは痛切に思う(笑)。それは「ワシはアイツら(爺さん)とは違う。」という自意識には堅いものがあるということだ(笑)。そんなにジジイ扱いされたくなければ白髪染めすればいいのだが、あれは麻薬やアル中と一緒で一度依存してしまうと、依存していない時の落差が怖ろしくて手が引けなくなってしまうので、「そこまでしてまで若作りしたくない」という自分も健在である。何かトラウマ的な出来事でも起きて「一念発起」する可能性はあるかもしれないが、ま、なんだかんだ言って、葛藤しながらも少しずつ妥協してズルズルとジジイ化していく予感はある。
2026.07.11
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YouTubeで見つけたマリリン・マンソンの『ファイト・ソング』のビデオを先日の日記で紹介したのですが、白いユニフォームを着た選手たちを満面の笑顔の金髪のチアリーダーが応援している「Holy Wood高校」に対し、黒いユニフォームを着てあちこちにピアスをしたシラケ・ムードの選手たちを黒髪のチアリーダーが黒いポンポンを振ってグロテスクな振り付けで応援する「Death Valley 高校」に自分を重ねて見てしまう40歳の自分のことを思い、どうしてこんなに「アンチ・ヒーロー」の世界に惹かれるのか、ちょっとだけ考えてみました。 いちばん古い記憶を辿ると、すでに4-5歳の頃には、ウルトラマンに登場した「ニセ・ウルトラマン」や、仮面ライダーに登場した「ニセ・ライダー」を見て「…カッコイイなあ!」と思っていました。ザラブ星人が変身し、目の端っこがちょっと釣り上がったニセ・ウルトラマンも、腕や脚にホンモノにはない線が入ったニセ・セブンも、紫とかオレンジだののエグい色のネッカチーフをつけたニセ・ライダーにも、悪の化身であるにも関わらず、“ホンモノ”のヒーローよりずっと魅力を感じたものです。まいにち同じようなワンパターンのワザで“敵”を倒し続け、連日の活躍でヌイグルミの表面が薄汚れたヒーローよりも、ヒーローをパロディにしたような“ニセ”にはヒネくれたダンディさがあって、ホンモノより知能指数も高そうで、「ホンモノ+α」の能力があるように見えたのだと思います。ウルトラマンごっこや仮面ライダーごっこをするときも、ヒーロー役はほかの連中に任せて、自分はいつも「ニセ」の役を買って出るのが好きでした。ヒーローの得意ワザを逆手に取ったようなアンチ・ワザでヒーロー役に対抗する自分を、ヒーロー役よりずっとカッコよく感じていたことは言うまでもありません。…ただ、これらのヒーロー物のテレビドラマでは、ニセ・ウルトラマンもニセ・ライダーも“正義を愛する人たち”の援助や協力によってほぼ例外なく“倒される”運命にありました(笑)。“勧善懲悪”の世の中では正統なヒーローが君臨する定めになっており、“悪なるニセ”はどんなにホンモノより能力があったとしても最後は滅びるのです。ホンモノにまさる能力を発揮し、一時は“ホンモノ”を窮地に追い込むものの、大抵はちょっとした油断を突かれるなどして逆転され(笑)、最後には敗北するのがニセの運命です。結局は“能力の優劣”ではなく、“正義を愛する心”が“悪なるニセ”を打ち負かす、めでたしめでたし…というのが“勧善懲悪”の筋書きです。そして、“悪なるニセ”にも、ホンモノを征服して自らが君臨しようという覇気は最初からないのがふつうです。なんせ自分の存在理由は「ホンモノに対するネガ」であるところにあるわけですから、ホンモノ(ポジ)がいなくなれば自分の立場がなくなってしまうのです(笑)。だから、ニセ自身も、ただホンモノを窮地に追い込むことだけを目的にしているようなところがあって、最終的に花火のように散ることを本望としている気配さえあるのです。ボクが「ニセ・ヒーロー」にロマンを感じたのは、登場した時からそんな“滅びの予感”を漂わせているところだったのだろうか…なんて今になって思います。 漂泊者 →甲斐バンド(1980年)氷の世界 →井上陽水(1973年)冬の花火 →NSP(1978年)
2007.01.18
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