歩人のたわごと

歩人のたわごと

2021/05/17
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カテゴリ: 読書



最近のボクの読書は自主的ではなく
もっぱら〇中さんに頼りっぱなし

戦記といえば以前に
結城 昌治「軍旗はためく下に」を読んだ
かなり経つので詳しくは内容を覚えていない

戦争というものの理不尽さを書いた内容
そんな印象だけがかすかに残ている

ところでこの『ルソン戦記』
723ページに及ぶ厚い本である

しかし時間は要したが最後まで読んだ

戦記の感想はとてもひとことでは言えない
複雑な思いに取りつかれる

*

以下は著者による「あとがき」の抜粋である

GoogleレンズのOCR機能が役に立った

読みやすくするために段落ごとに一行空けた


 フィリピンでの、日本軍の戦死者の数はおびただしい。 厚生省の計算では、四十七万六千七百七十六名で ある。 これは、アメリカ軍がレイテ島に来襲してから、日本軍が降伏するまでの、約十ヶ月間、陸海軍合わせての戦死者である。 それは太平洋戦争中の各地域を通じての最大の数字である。

 この期間、フィリピン全域で、戦闘に参加した日本の陸海軍の人員は、六十三万九百六十七人となってい る。 およその比率としては、その七割五分の人員が戦死したことになる。

 また、フィリピン全域のなかで、最も戦死者の多かったのは、ルソン島とその近海である。その数は二十九万三千五百四十九名である。 これは、フィリピンの日本軍の全戦死者の四割七分に相当する。

 多くの部隊が壊滅したレイテ島での損害は第二位で、その陸上死は七万九千六十一名である。

 このほかに、一般在留邦人の死亡者があるが、その数はわかっていない。 北部ルソンの山中に逃げこんだ在留邦人は二千五百人という。

 次に重視しなければならないのは、この時期のフィリピンの日本軍全体ががなくて飢えていたことである。 日本兵は飢えて死に、飢えた体を弾に撃たれて死んだ。

 その恐ろしい飢えは、アメリカ軍が来襲する以前に始まっていた。 それでもなお、大本営、南方軍は「レイテ決戦」「ルソン決戦」を命じた。飢えた兵隊は命令されて突撃し、あるいは斬り込みに行った。そして多くの部隊が壊滅し、あるいは離散した。
(中略)

 ルソンの戦闘を書きながら、脳裡を離れない文章があった。それは明治三十三年(一九〇〇年)に発行された徳冨蘆花の 「自然と人生』の一節である。






昭和五十九年十一月 この秋の初木枯らしの渡る夜 高木俊朗



まったく知らないことばかりである
しかし、これを読んだだけでも
戦争がいかに理不尽であるかが理解できる

ボクには読書に先立って「あとがき」を
読むことにしているが、今回もある程度の
背景が頭に入って良かった





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Last updated  2021/05/17 04:16:50 PM
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