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在宅医 松崎 泰憲
「本当は、最期は住み慣れたわが家の畳の上で、見守ってくれる家族みんなに『おかげでいい人生だった。ありがとう!』って告げて静かに逝きたい」
「寝たきりだと家族に迷惑をかけるから、やっぱり最後は病院か施設で迎えないとね」
入院患者さんのつぶやきです。厚生労働省によれば高齢者の 7 割が「自宅で最期を迎えたい」と希望するものの、実際に自宅でなくなる人は全体のわずか 1 割です。病院で人生の最期を迎えている方は、実に 8 割にも及びます。
近年、重度の障害や慢性疾患を持つ高齢者、また緩和ケアを必要とする患者さんが急増しています。このようなニーズに応えるために、「外来」「入院」に次ぐ第三の医療として「在宅医療」が急速に推し進められています。
高齢化が進行する中、住み慣れた地域で安心して最期を迎えるための「地域包括ケアシステム」と、それを支える「在宅医療」の重要性が高まっているのです。
「地域包括ケアシステム」とは、高齢者が住み慣れた地域で、必要なケア(介護、医療、予防、住まい、生活支援)をすべて受けながら、安心して生活を続けていけるようにする仕組みのことです。
「在宅医療」は従来の往診とは違って、医師や看護師、理学療法士などの医療従事者が、患者さんの住まいをテーマにして行う医療活動のことです。
この在宅医療の一番のメリットは、住み慣れた環境で病院と同じ治療を受けることができ、その人らしい普段の生活を送ることが可能な点です。
病院で生活するよりも精神的にも安定するため、入院中は不眠だった患者さんも在宅医療を始めると、よく眠れるようになったり、食欲が増したりするなど、治療にもよい効果が期待できるのです。いわば自宅は最高の“個室”なのです。
ありのままの自分を認める
もともと胸部外科の医師として肺がんの手術を専門にしていた私が、在宅医療へ転向したのには理由があります。それは自身のつらい病の体験があったからです。
12 年前のある日、五体にみなぎっていた意欲と集中力が突然、途切れました。動悸や不安、不眠が強くなり、あれよという間に、燃え尽き症候群(うつ病)に陥ってしまったのです。
長くつらい“トンネル”を経験しました。
そうした時、ドクター部の先輩が「ありのままの自分を認めてあげましょう。病気の状況は刻々と変化する生命の一局面です。変化している以上、必ず良くしていくことができます」と、心に染み入るように語ってくれました。焦る私にとって、この言葉が希望の光となり、回復のきっかけとなりました。
病から回復し、こうした経験を機に飛び込んだのが、患者さんの枕元で心を通わせながら治療、ケアに当たる在宅医療の分野でした。
生死の苦悩こそ人生の根本問題
75 歳の K さんは、膵臓がんの終末期にありました。「腹水」による身の置き所のない苦痛、そして迫りくる死への不安から、介護する奥さまや訪問看護師に対して怒ったり、叫んだりしていました。
私に対しても「どうせ俺は、もうじき死ぬんだよね。先生、注射で早く楽にしてくれ」と訴えました。私は鎮痛のための麻薬を貼り、枕元へ顔を近づけながら、不安そうな瞳をじっと見つめ、「つらいですね。本当に……」と、膨らんでいた腹部をさすりながら、ゆっくりと語りかけました。
「実は医者である私も、病気で死にたいと思った経験があります。だから、今のつらいお気持ちが、よーく分かります。つらいことを全部、話してくださいね」と、 K さんのことを思いやる心をこめて手をぎゅっと握りました。
その瞬間、 K さんは目を合わせて、少しだけ表情を緩ませ、手を握り返してくださいました。
その夜、家族に見守られながら静かに息を引き取りました。私たちが駆け付ける間際に、つらく当たっていた奥さまへ一言、「ありがとう。お前と一緒で楽しかったよ」と言って旅立たれたとのことでした。この一言で報われたと、奥さまが涙ながらに話してくれました。
私は K さんの手を再び握り、奥さまを心からなぎらいました。臨終の場が、悲しみから和らいだ雰囲気に包まれていくのを感じました。
日蓮大聖人は「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(御書 1404 頁)と仰せです。死の問題こそ、何より優先して直視しなければならない人生の根本問題であるとの意味です。臨終には、生と死後をつなぐ時という大きな意義があるからです。
仏法は“永遠の生命”を教えています。このことを踏まえて池田先生は、「『生』も楽しく、『死』もまた楽しい——これこそ仏法で説く生死不二の常楽の境涯である。何ものも恐れる必要はないし、死を不安に思う理由もない」と述べられ、こうした仏教の教えにこそ「生死」に迷う現代世界を照らす“光源”があると示されています。
多くの臨終に出合うなかで、仏法で説く“三世の生命観”や“生命尊厳の哲学”が、ケアする側、される側の双方にとって確固たる支えになることを痛感します。
充実した一生を全うできるよう
医師が患者さんから奪っていけないものは、命であり、もう一つは希望だと思います。
高齢化が進む今こそ、「死」をどう捉え、どう向き合っていくかという課題に対し、仏法の説く希望の哲理が輝きを増しています。
私自身、臨終の近い方が“詩を待つ”のではなく、“生を全うする”充実した時間を過ごせるように、思いやりの声を掛けながら心を尽くして寄り添うように努めています。
知識と知恵と経験に裏付けられた強い寄り添いの気持ちを胸に、目の前のお一人が、住み慣れた地域で「いい人生だった」と最期まで健やかに暮らせるように、ますます力を尽くしてまいります。
【プロフィル】まつざき・やすのり 胸部外科医。医学博士。宮崎大学医学部准教授等を歴任。ケアマネジャーの資格を取得し体験を交えたセミナーが好評。 1975 年(昭和 50 年)入会。副本部長兼地区部長。宮崎総県ドクター部書記長。
【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞 2017.12.12
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