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数百年の歳月に耐える社寺と城旅行ライター 小林 克己古都京都の文化財京都は、三方を山・丘陵に囲まれた盆地という防御に適した地形を生かし、794年から1868年まで1100年近くも日本の政治、経済、文化の中心として栄えました。洛中の中心部は度重なる兵火や地震などで多くの建物が焼失しました。平安・室町時代の古い建物は平安京唯一の遺構である東寺をのぞき、あまり残っていません。でも、洛西、洛北などの周辺の山麓部は幸い災害を免れ、起伏に富む自然の地形を巧みに取り入れた大寺院や神社、山荘、庭園などが数百年の歳月に耐えて創建時のまま数多く残っています。うち、中心部も含めた西本願寺、東寺、二条城、清水寺、銀閣寺、下鴨神社、上賀茂神社、金閣寺、龍安寺、仁和寺、天龍寺、高山寺、西芳寺(苔寺)、醍醐寺、平等院、宇治上神社、延暦寺の17の社寺、城が構成遺産として世界文化遺産に登録されています。大河ドラマ『光る君へ』の藤原道長の息子、頼通が建立した宇治の平等院鳳凰堂の対岸にある宇治上神社は、世界遺産の17の構成資産になるまで京都通もあまり知らない穴場でした。平安時代建立の日本最古の神社建築の本殿は、一間社流造の3棟連なる小さな社を檜皮ぶきの覆屋で囲っており、厳かな雰囲気があります。世界遺産の大半が寺社という中で、唯一の城が二条城です。二重の堀に囲まれた徳川の居城で、大政奉還の舞台としても有名です。桜の名所の双璧といえるのは、秀吉の醍醐の花見で名高い醍醐寺と御所の紫宸殿を映した金堂がある仁和寺です。京都では最も遅咲きとされる、仁和寺境内の御室桜は現在、見頃を迎え、今月下旬まで楽しめます。17か所の世界遺産巡りは地下鉄・バス1日乗車券か、観光エリアを周遊する「京都観光ループバス」の利用が便利です。桜と紅葉で彩られる4月と11月が最適のシーズンです。 【日本の世界遺産】公明新聞2025.4.17
November 28, 2025
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山田秀三のアイヌ語地名研究千葉大学名誉教授 中川 裕蝦夷と呼ばれる人たちは、8世紀頃には太平洋側は仙台の北あたりまで、日本海側は秋田県・山形県堺の雄勝峠あたりにまで広がっていた。そして、それとぴったり重なるようにアイヌ語期限と思われる地名が色濃く分布していることを実証的に明らかにしたのは、山田秀三(1899~1992)である。現在でも、北海道の地名の8割はアイヌご機嫌だと言われているが、アイヌ語の地名はもともと「大きな川」や「桂の木の生えている処」などのようにその土地の地形や植生などに基づいてつけられたもので、固有名詞というより土地の説明といったほうが近い。したがって同じような特徴を持った土地は似た名前で呼ばれることになる。山田は東北と北海道で共通する地名の現地に赴き、その地名が何を表しているのかを自分の目で確認し、古老からそこにどのようないわれがあるかを聞き歩いた。それがアイヌ語の単語の意味や文法にピタリと合うと確信が持てたところで、アイヌ語地名であると判断を下した。実証的に、とはそういうことである。その一つの霊が青森県三内丸山遺跡の三内の解釈である。内という感じで表されるナイは北海道の地名にも数多く見られ、アイヌ語で「川、沢」を表す。一方、サンは「山を下る、前に出る」という意味だが、「出る川」では何が出るのかわからない。そこで山田は何か主語が省略されているのではないかと考えた。彼は東北・北海道のサンナイに似た名を持つ土地をつぶさに歩き回り、すべて大水・鉄砲水が「出る」川だという確証を得た。その名をつけた人たちには、何が出るかは自明だったわけだ。こうして三内もアイヌ語地名だということがはっきりした。このような膨大な手間暇をかけて、山田はアイヌ語地名の南限が蝦夷の居住域と一致するという結論を出したのである。 【言葉の遠近法】公明新聞2025.4.16
November 27, 2025
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手塚治虫「火の鳥」展——火の鳥は、エントロビー増大と抗う動的均衡=宇宙生命の象徴——生物学者・作家 福岡 伸一 争いの歴史、生命と科学マンガを今読み返す意味 マンガの神様、手塚治虫(1928~89)のライフワークであったマンガ作品『火の鳥』を回顧し、その代表的意味を考える「火の鳥」展が、六本木ヒルズ森タワー52階の東京シティビューで開催されており、その企画・監修を務めた。エピソードには、光とkが焼を身にまとった不死鳥『火の鳥』が登場する。人々は、その生き血を飲めば不老不死が得られると信じ、必死に追い求めるが、果たされることはない。『火の鳥』全編に流れる通奏低温としてのテーマは、「生命とは何か」あるいは「生きることと死ぬことの意味は何か」という極めて哲学的な問題である。人類の歴史が始まって以来、私たちが求め続けた最も深遠な問題でもある。『火の鳥』の物語の中には、一貫した生命観・世界観がある。生命は、常に姿を変えながら、連綿と受け継がれてきたし、これからも続いていくという輪廻転生の生命観である。そして生命は、粒子的エネルギーとして、離合集散を繰り返しながら、あらゆるもの、あらゆる場所に建言するという汎神論的な世界観である。これは私の生命学である動的平衡論とピタリと重なる。生命は、絶えず自らの破壊と創造を繰り返しながら、エントロピー増大の法則に抗い続けているダイナミックな統合体、すなわち「動的平衡」であり、「動的平衡」としての生命はミクロの粒子として、拡散と収斂の中で、生命進化的の間を流れ続けるものである。私自身『火の鳥』と共に育ったと言ってよい。1970年、EXPO‘70が開催され、未来を夢見ていた10歳の少年は、『火の鳥』鳳凰編に出会って衝撃を受けた。こんなに深く人生を洞察したマンガを読んだことはなかった。以降、新刊が出るたびにわくわくしながら読んだ。つまり私は『火の鳥』世代のど真ん中にいた。大いなるオマージュを込めて、この展覧会の仕事をお引き受けした。そこで、動的平衡と、手塚治虫自身の造語である宇宙生命(コスモゾーン)を重ねて、展覧会の副題を作った。火の鳥は、エントロピー増大と抗う動的平衡=宇宙生命(コスモゾーン)である。火の鳥は、生命エネルギーの媒介者として、あらゆる時空に出現し、そこに命を吹き込むものだからである。火の鳥は、文字通り、鳥瞰的な存在として、人間のおかしな行為に対して一種の「メタ視点」を与えるものとして描かれている。それは国を巡る覇権争いでも(黎明編)、源平の合戦でも(乱世編)、無謬を誇るAI同士が対立の末、核戦争に突入する35世紀(未来編)でも同じである。宇宙的視点に立てば、人間的対立は取るに足らないものとして昇華できるはずだという手塚自身の希望が託されている。また『火の鳥』は、AIによる支配、クローン人間の是非、ヒトとロボットと人間、生命倫理の問題に鋭く切り込む。これはまさに今、私たちがより具体的に直面している問題である。いまいちど『火の鳥』を読み返す現代的な意味がここにある。ぜひ感情にお越しください。(ふかお・しんいち) 【文化】公明新聞2025.4.16
November 27, 2025
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生命改変のリスクに対する責任も科学文明研究論者 橳島 次郎マンモスの復活計画今年3月、米国のバイオ企業が、絶滅したケナガマンモスの遺伝子特性を組み込んで、マンモスと同じような毛むくじゃらのマウスを誕生させたと発表した。これは「マンモス脱・絶滅」という壮大な計画のワンステップだ。これまで、永久凍土から発掘したミイラ標本から採取した細胞を使い、マンモスを復活させようとする試みは日本を含めいくつか行われていた。だが保存状態のよい完全なゲノムを得るのは難しく、棚上げされた状態だった。それに対し、マンモスそのものを復元するのではなく、その遺伝子の特性を現代に生息する近縁種のアジアゾウに組み込んで、いわば「シン・マンモス」を誕生させようというのが、このバイオ企業による計画の狙いだ。そのためにまずアジアゾウの細胞からiPS細胞を作る。次にマンモスのゲノムを解析し、密生した体毛や分厚い皮下脂肪などを寒冷気候に適応できる特徴を発見させる遺伝子を数十個選び、ゲノム編集によりゾウのiPS細胞に組み込む。そこで編集してできたマンモスに似たゲノムを持つ細胞核をゾウの卵子に移植してクローン胚を作り、ゾウの代理母の体内で育てて誕生させる。この計画が野心的なのは、作り出したマンモスに似たゾウの群れを永久凍土に生息させ、広大な不毛日に生態系を蘇らせることを最終目的にしている点だ。さすがにそこまで実現させるのは難しいだろうが、そのために行う技術開発を通じて、絶滅が危惧される希少動物を保全し過酷な環境への適応を可能にする生物学的メカニズムを解明しることが、計画の現実的な目標とされている。人間の活動が原因になっている種の絶滅と地球環境の劣化に対応することは、確かに現代人に課された道徳的義務だろう。だがその大義名分の下で、遺伝子工学と生殖工学を総動員し、自然界には存在しない生物種を作り出すことは許されるだろうか。大量の異種の遺伝子を組み込まれ実験対象とされる動物にもたらされるリスクは正当化できるものだろうか。畜産分野での牛の研究で、細胞核の移植で作られるクローン個体は過体重など異常な発生をして死産する率が高く、生まれる子だけでなく代理母とされる動物の福祉も脅かされるリスクがることがわかっている。生命を改変する科学技術を手にした私たちは、地球で共に暮らす生き物たちに対し、どのように責任を果たせばいいだろうか。そんな観点から、このマンモス「復活」計画の成り行きを見守りたい。 【先端技術は何をもたらすか—41—】聖教新聞2025.4.15
November 26, 2025
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研究現場の知財と研究者保護——内閣府が公表した取り扱い指針山田 剛志 活動の継続と管理のバランス示す公益に資する制度の整備こそ 「学問の自由」構造的課題今年3月25日、内閣府は「大学等研究者の転退職時の知財取り扱い指針」(以下「本指針」)を公表した。これは、これまで制度的な空白が続いてきた、研究者の転籍・退職時の知財の帰属や活用方法に関する全国共通のルールを初めて明示したものであり、現場でのトラブル防止と研究継続性の確保を目的としている。研究者は数年に一度、より良い研究環境を求めて転籍することが多いが、その際せっかくの特許等が活用されず、いわゆる「死蔵特許」となる現状が続いていた。本指針は、その改善に向けた一歩となることが期待される。同時に長年にわたり問題視されてきた研究継続の自由と大学等の知財管理とのバランスに対して一定の方向性を示した点で、実務的にも意義深い。従来、大学と企業の共同研究においては、大学と共同研究企業が出願者となり、発明者である研究者が特許権者とならず、また研究者が転職後には自らの発明であっても自由に研究や論文発表ができないという状況が散見されていた。拙著『搾取される研究者たち』でも詳述したが、この問題は単に知財契約の枠を超えて、研究者の職業選択の自由や、憲法に保障された学問の自由にすらかかわる深刻な構造的課題である。本欄の昨年8月20日付で筆者が紹介したⅰPS細胞技術の発見者である高橋政代氏の事例はその象徴である。発明者であるにもかかわらず、「自分が発明した技術を使わせてほしい」と、経済産業相に最低請求を行わなければならなかったという。現実は、制度の不備を如実に示していた。高橋氏が研究を継続しるためには、自身が作り出した技術を持つ企業との和解を経なければならなかった。これは決して特殊な事例ではなく、国内外の大学における産業連携の実務現場で繰り返されてきた課題である。 譲渡、返還等、5つの対応類型本指針では、知的財産の取り扱いについて、研究者の立場や移籍の状況に応じた五つの対応類型が明記された。具体的には、①転職先大学への権利譲渡、②元大学による権利維持、③両大学による共有、④大学による権利放棄、⑤研究者本人への返還、である。これまでのような一律管理から脱し、柔軟な選択肢を提示したことは、実務に即した制度設計への転換点といえる。中でも注目すべきは、「研究者本人へも権利返還」が明文化されたことである。大学が活用しない知財については、研究者の申請により本人に返還する仕組みが提示されており、研究者が転職後も自身の研究成果を引き継ぎ、再び研究活動をおこなえるよういなる。このように、研究成果の本人帰属と研究継続の自由を明確に意識した構成は、画期的な前進と評価できる。さらに、発明者の意向を丁寧に確認することや、他の共同研究者や共同研究者との調整も含めて合意形成を促すことが求められている。従来のように、技術移転機関(TLO)や知財部門の判断のみで独占的なライセンス契約が締結され、発明者の意思が無視されるといった事態への歯止めがかかることも期待される。また、本指針では米国における転職前大学と転職後大学との間で締結される契約(Inter-InstitutionlAgreement)、IIAと呼ばれる、大学間の知財移管協定を参考とした対応が推奨されており、日本の現場で不足していたテンプレート(ひな形)整備や制度的支援に関する方向性も示されている点は注目に値する。これにより、これまで日本では研究者の転職に伴う知財の移転について、属人的な判断や慣例にゆだねられてきた状況に、合理的基礎が示されたことは意義深い。 状況に応じ柔軟に選択が可能 法的拘束力を持たせるべきただし課題も残る。本指針は、あくまで「努力義務」として提示されており、法的拘束力はない。各大学や研究機関の裁量に任せているため、本指針を知らない担当者いることも予想され、実際にどこまで履行されるかには差が出る可能性が高い。大学によっては、組織が防衛や収益確保を重視するあまり、指針を形骸化させてしまう恐れもある。したがって今後は、研究者・大学・企業の第三者の趣旨を正しく理解し、現場で実効的に運用できるよう、教育・研修の強化や、契約ガイドライン・チェックリストの整備が必要である。さらに、履行状況を検証する第三者機関の設置や、研究者からの相談を受け付ける窓口の整備など、実務的なサポート体制の構築も求められる。本指針は、研究者の権利保護を知財の公益的活用という理念を制度化する上で、重要な第一歩を踏み出したものといえる。特に、研究者が、自らの発明をもとに研究を継続できる環境を制度的に整えることは、真に公益に資する知財制度の在り方として評価される。知財立国を目指す上で、研究者の権利保護と知的財産の有効活用は、今まさに取り組むべき喫緊の課題だ。今後は、本指針が各現場で確実に実施され、研究者が委縮せずに研究と向き合えっる社会的基盤となるよう、制度面・運用面の両面からさらなる充実が求められる。(成城大学教授・弁護士) 【社会・文化】聖教新聞2025.4.15
November 26, 2025
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面倒くさいこと 生きていると煩わしいことはどうしても避けられない。人として生きていくこと自体が面倒くさいもの。だが、それをどう捉えるかで随分人生は変わる。著書『人生の壁』(新潮新書)で明かした養老孟司氏の考察だ。◆人に頼まれて仕方なく何かをやるのは煩わしい。それでも一生懸命やることは結局は自分のためになる。それは運動すれば筋肉がつくのと同じ。筋トレはつらいが、さぼらずに繰り返せば確実に筋肉がつく。人間力もそうだろう。今日を精いっぱい生きること。その積み重ねを避けた人には本当の力は身に付かない◆ボクシングを題材としたマンガ『はじめの一歩』(森川ジョージ作、講談社)その主人公が口にした言葉をふと思い出した。「好きなコトしかしないというのは楽しいコトばかりというのとイコールではないよ」◆それを垣間見た覚えがある。宮崎駿監督の捜索現場に密着したドキュメンタリー番組。監督は「面倒くさい」と何度もつぶやく。監督にとって好きな創作は〝面倒くさい〟との戦いなのだ◆それでも決して手は休めない。やがてこう漏らす。「世の中の大事なことって、たいてい面倒くさいんだよ」。細部にこだわり絶対に妥協しない監督の一言が心に染みた。(佳) 【北斗七星】公明新聞2025.4.15
November 25, 2025
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止血や骨の健康維持に役立つ女子栄養大学短期大学部 助教 新木 由紀子ビタミンK今月は、脂溶性ビタミンのビタミンKを取り上げます。主な働きは二つあります。一つ目は血流が適切に凝固するのを助けることです。けがをして出血が始まると、体は特定のたんぱく質を使って血栓をつくり、出血を止めます。一方、体内の他の部分では血液が正常に流れ続ける必要があります。このバランスを保つために、ビタミンKは血流凝固を防ぐ物質の生成にも関わっています。二つ目は骨の健康維持です。骨の形成を助け、丈夫で健康な骨を維持する役割を果たしています。年齢とともに骨密度は徐々に低下し、特に閉経後の女性はエストロゲンの減少によって骨密度が著しく低下します。十分にビタミンKを摂取すれば、骨粗しょう症を予防できます。ビタミンKを多く含む食品には、納豆や葉物野菜などがあります。脂溶性なので、油脂と一緒に摂取することで吸収率は高まります。これまでに13種類のビタミンを紹介してきました。ビタミンは体の代謝を円滑に進めることで、健康全般を支えています。それぞれのビタミンは異なる役割を持ち、互いに協力し合って機能しているのです。炭水化物、タンパク質、脂肪の三大栄養素やミネラルとともにビタミンをバランスよく摂取して、健康維持につなげましょう。(おわり) ホウレンソウとニンジンのごま和え〖材料=2人分〗ホウレンソウ120㌘、ニンジン20㌘、シメジ40㌘、カニかまぼこ30㌘、砂糖、だし、すりごま各大さじ1、しょうゆ大さじ1/2〖作り方〗1. ホウレンソウは根元を切って洗う。ニンジンは細切り。シメジは石づきを切り、ほぐす。カニかまぼこは割く。2. 沸騰したお湯にニンジン、シメジをゆでて、同じ湯に塩(分量外)を入れてホウレンソウをゆでる。水に取り、絞って食べやすい大きさに切る。3. 残りの材料で和え衣を作る。4. 2.カニかまぼこ、3を合わせる。 【Vitaminの効能13】公明新聞2025.4.12
November 25, 2025
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誤解を招いたとしたら申し訳ない藤川 直也著言葉と意味の表裏巡る探求文献学者・作家 山口 謡司評「アキレスは、決して亀を追い抜くことはできない」という命題がある。と中学の時、数学の先生が話をしてくれたことがあります。「わかりやすく」と、先生は、わざわざ黒板に前を歩く4本足の亀と、足の速そうなアキレスのイラストを描いてから説明してくれました。左から右に進む亀を前に、亀を追いかけるアキレスを後ろに。さて、A地点に亀がいる。アキレスがAに到達すると、すでに亀は歩いてBまで進んでいる。アキレスがBまで到達すると、亀はC地点まで進んでいる。こうして亀とあきれ市の距離は無限に近くなるだろうが、アキレスは亀を追い抜くことはできない。これな「ゼノンの理論」と呼ばれます。古代ギリシャの哲学者、ゼノンが考えたパラドックスで、この論理を覆すことがどうしたらできるのか学者たちは2500年間、悩んできました。ここで理論解説をするつもりはありませんが、本書は、言語哲学の専門家による「言語」の本質的なパラドックスをめぐる話です。しまも、興味深いのは、副題の「政治の言葉/言葉の政治」という言葉です。政治家の言葉は国を動かす原動力です。一言一句、責任をもって使わないといけないと、誰もが思っています。でも、国会答弁を聞いても、ほとんどなにを言っているのか分かりません。「誠心誠意」とか「極めて遺憾であります」「真摯に受け止めさせていただきます」「対応を協議します」など、言われますが、「こんにちは」「さようなら」形式の記号化した言葉が飛び交い、何を議論しているのかさえわかりません。著者の藤川先生は書いていらっしゃいます。「意味の裏と表をめぐる本書の探求で明らかになったのはそれは意味の表と裏の区別がいかに揺らぎうるか、言質がいかに不確かなものでありうるかだ」(おわりに)と。アキレスは亀を抜くことが現実にはできます。でも言葉と黒板の上では抜くことができません。はたして、現実の社会と、政治の世界は、まさに言葉の上でのパラドックスを、「言葉哲学」という視点から、総合的に再構築して考える力が必要なのです。(講談社、2420円)◇ふじかわ なおや 東京大学大学院准教授 【読書】公明新聞2025.4.14
November 24, 2025
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森には魔法つかいがいる<震災でも、森は崩れませんでした。そして川は、森の鉄を海へと届け続けていました。>宮城県気仙沼市のカキ漁師でエッセイストの畠山重篤さんが中学の国語の教科書に書いた『森には魔法つかいがいる』にある◆森の落ち葉が腐葉土となり、それに含まれるフルボ酸が鉄に結び付き「フルボ酸」となって川から海へ運ばれ、植物プランクトンの成長を促し、豊かな海を育む。森と里と川と海の連鎖を、子どもたちにわかりやすくと耐えようと心を砕いたという◆畠山さんが3日、81歳で亡くなった。1989年、漁師仲間と気仙沼湾に注ぐ、大川需流の根室山(岩手県一関市)でブナの広葉樹を植える「森は海の恋人」を始める。流域住民の環境意識も高まり美しい海がよみがえった。リアスの海に面した舞根の自宅を訪ねると、いつもゴム長靴に笑顔をたたえて迎えてくれた◆東日本大震災では、大津波で母の小雪さんを失い、自宅も養殖施設も流される。油が浮く海を目の当たりにし絶望した。だが、海に植物プランクトンが繁殖したのを知り、再起する。「それでも海を恨まない」と◆」「人の心に木を植える」と畠山さんは環境教育にも取り組んできた。その木々を森へと育てたい。(川) 【北斗七星】公明新聞2025.4.14
November 24, 2025
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聴力低下を防ぐ耳のケア馬車道木村耳鼻咽喉科クリニック 所長 木村 至信さんきむら・しのぶ 馬車道木村耳鼻咽喉科クリニック所長。信州大学医学部卒業後、横浜市立大学病院で医学博士号を取得。米国ネブラスカ州立リサーチ病院に留学し遺伝子研究にも携わった。木村至信BANNDのボーカルとしてメジャーデビューし、シンガーソングライターとしても活動中。 ポイント① 難聴の多くは改善できる② 1時間に一回は休ませる③ イヤホンよりヘッドホンを 耳だって疲れている目を酷使すると「目が疲れた」と感じるのと同様に、耳を酷使すると「耳が疲れる」ということをご存じでしょうか。大きな騒音にさらされたり、長時間、イヤホンで音楽を聴いたりすることは、耳を疲れさせます。疲れがたまると、耳が聞こえにくい状態(難聴)になったり、頭痛やめまい、耳鳴りなどの不調が起こったりします。難聴になると、人とのコミュニケーションが取りづらくなり、認知症やうつ病のリスクが高くなります。一般的に40~50代から聞こえにくさを自覚する人が増えますが、最近では若い人にも増加しています。難聴には「観音声難聴」「伝音声難聴」「混合性難聴」の三類があります。「感音性難聴」は、加齢や騒音にさらされることなどにより、聴覚神経に障害が生じて起こります。音が飛び飛びに聞こえる傾向があります。「伝音性難聴」は、外耳炎(耳の穴から鼓膜までの外耳道の炎症)や中耳炎(鼓膜の奥にある中耳の炎症)などによって「鼓膜の動き」が悪くなることで起こります。自分の声が頭の中で響き、こもったように聞こえます。大人から子供まで幅広い世代で発症します。「混合性難聴」は前述の二つが混ざったものです。いとど壊れた聴覚神経は再生しないため、「感音性難聴」の改善は難しいですが、「伝音声難聴」は治療によって改善できます。難聴の多くが「混合性難聴」のため、伝音性の症状を軽減することにより、ある程度、聴力を回復することができます。聴力の回復に効果的な「難聴リセット法」を紹介します(別掲)。自覚症状のない方も、予防のために行うことが大切です。「耳鳴り」もよく見られますが、たまにキーンというような音を感じる程度で、日常生活に支障がなければ、特に問題はありません。耳鳴りが強くなかったり、めまいを併発したりする場合は、医療機関に相談することをおすすめします。突然、片方の耳が聞こえなくなる「突発性難聴」は、症状が現れたら早急に受診してください。2週間以内に治療しないと聴力が改善しない可能性が高くなります。もし、家族から「最近、聞き返すことが老い」「耳が遠くなった」と指摘されたら、一度、耳鼻科を受診しましょう。会社員の方の場合、健康診断の聴力検査で引っかかったら、必ず再検査してください。 生活習慣や食事の影響も耳の健康を維持するためには、耳に負担をかけない生活習慣を心がけることが大切です。例えば、音楽を聴いたり、テレビを視聴し続けたりする際は、1時間に1回(5~10分)は休憩することを推奨します。長くても2時間以内にとどめてください。そもそも、大音量で聞くことは避けましょう。工事現場やBGMが大きな店など、騒音下で働いている方は耳栓をつけることをおすすめします。また以前、お子さんが大泣きする声をずっと聞いているうちに、耳鳴りや頭痛などの不調が出てきた子育て中の患者さんがいました。聴力調査をしても異常はなく、「耳の疲れ」に加えて、夜泣き対応による睡眠不足や自律神経の乱れも重なって出てきた症状でした。投薬ではなく、ご家族にお子さんを預けて、静かな部屋で好きなことをして休憩することが一番の治療になったケースがありました。食生活も、耳の健康に影響を与えます。過度な飲酒や糖分の取りすぎは血流を悪化させ、耳の細胞に栄養が行き渡らなくなり、聴力の悪化につながります。バランスの良い食生活を心がけます。ビタミンB群は耳のために積極的に、ビタミンB12は耳の機能を改善し、細胞の機能を正常に保ちます。シジミなどの貝類、サンマやイワシなどの青魚、牛・豚・鶏肉やレバー、卵やチーズに多き含まれます。また、内耳の蝸牛(音の振動を電気信号に変える機関)に多くい含まれる「亜鉛」も、不足させてはいけない栄養素です。牡蠣、カタクチワシ、牛・豚肉のレバー、ワカメなどに多く含まれます。意識して摂取できるとよいでしょう。大切な人の声が聞こえることとは、実はとても幸せで、生きる糧になると思います。視力や歯と同じように、聴力のことも気にしてほしいです。耳が寿命を全うできるように、耳を大切に使う感覚を持っていただけたらうれしく思います。 質問コーナーQイヤホンとヘッドホンは、どちらの方が耳に良い? Aイヤホンよりヘッドホンがおすすめ。イヤホンは音源から鼓膜までの距離が近いため、音圧がかかり、負担が大きい。耳を密閉するため、蒸れて外耳炎になる場合も。どうしてもイヤホンを使う場合は、耳に入れる部分がシリコンで柔らかいものを。耳をふさがない「骨伝導ヘッドホン」や「ネックスピーカー」も◎。イヤホン、ヘッドホンを問わず、音量を下げて使える「ノイズキャンセリング機能」付きのものを選ぶ。音量はできるだけ小さくし、1時間に1階(5~10分)は休憩を。左右で片方ずつ交互に効くだけでも負担は軽減する。 Qいつもラジオをつけっぱなしです。 A大きい音量だと、「聴く」という神経を使うため、本人や同居する家族の耳が疲れます。消すか、音量を下げましょう。静寂が落ち着かない場合、「ちょうどいい雑音」としてBGM程度に、小さな音量で流すのはよいでしょう。 難聴リセット法それぞれ1日3回(朝・昼・番1回ずつ)。できるだけ毎日行う。鼓膜の位置を正して、動きを良くすることで聴力を改善する。 ギョーザ耳耳の血行回復のためにも温かい手で行う。耳鼻科で行う「鼓膜マッサージ」とほぼ同じのの効果が得られる。 1. 手で耳全体を顔側に折り曲げ、圧をかけてしっかりと耳をふさぐ。この状態が「ギョーザ耳」。2. 「ギョーザ耳」の状況を1分程度続ける。その後、手を耳からパッと離す。 あくび耳抜き法鼻をかみ、通りを良くしてから行う。耳鼻科の「通気療法」とほぼ同じ効果があります。 1. 口を大きく開き、開けっ放しにし、自然とあくびが出るのを待つ(あくびが出なくても、出そうな感じがしたら、次に進んでOK)。2. あくびで空気をいっぱい吸ったら、息を吐く前に口を閉じて、鼻をつまむ。3. 耳から空気が抜けるように息を鼻に集める(痛みを感じたら、すぐに息を吐く)。耳からバカッと空気が抜けたら、手を放す。4. 口を開けて、残りの空気を逃がす。 【健康PLUS+】聖教新聞2025.4.13
November 23, 2025
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理想を目指して仕組みをつくり改善と継承を続ける 「もしも徳川家康が総理大臣になったら」の作者 作家、脚本、演出家 眞邊 明人さんまなべ・あきひと 1968年生まれ。株式会社エクスバンド代表。同志社大学文学部卒。大日本印刷、吉本興業を経て独立。2019年、日テレRHアカデミア知事に就任。また、演出家としてテレビ番組のポロデュースのほか、演劇、ロック、ダンス、プロレスを融合した「魔界」の脚本、総合演出をつとめる。『冥界転生』(サンマーク出版)が本年2月に発刊。 ——物語の舞台は2020年、新型コロナウイルスが猛威を振るい、世界全体が不安に襲われていた時期です。 あの頃、政治リーダーは連日、難しい判断を迫られ、社会全体も皆、自分がどう行動すべきか分からない状況でした。その少し前から私は、徳川家康を主人公にしたビジネス書の執筆を準備していて、だったら家康を中心に、歴史上の人物で最強内閣をつくったら面白いじゃないかと考えたのです。もともと私のイメージでは、織田信長や豊臣秀吉は大企業のカリスマ経営者。それに対して、家康は中小企業の社長さんです。特段、目立つ存在でも何度も大きな勢力にのみ込まれていく。望まない状況に置かれては、自分を押し殺さなければいけない場面も多かった。そんな忍耐ばかり強いられる状況が私たちに似ていて、親近感を覚えたし、家康から学ぶことは多いと思ったのです。 ——最強内閣は総理大臣の家康を中心に、小田能名が、豊臣秀吉、徳川綱吉、足利義満、北条政子、坂本龍馬など、次代を越えた〝豪華キャスト〟が内閣の要職を務めます。 物語の前半は、果断のリーダーシップのよさを取り上げました。彼らには強力な権限が集中しているので、即断即決で物事が進んでいく。しかも、タスクを細分化して単純にするのがうまいから、どんどん問題を解決していきます。コロナ禍の鬱屈した社会にあって、胸のすくような結果の連続に国民が熱狂していきます。彼らがあり得ないスピードで官僚たちを動かすので、現実の社会だったら、働き方だとか多様性だとかで相当反発がありそうですが、一方で、人間の深層心理の中にある「カリスマへの憧れ」も描きたかった。ただ、カリスマによる弊害は、みんながカリスマの言うことをうのみにして、自分で考えなくなることなので、物語の底流では、そうした権威主義の危険性を揶揄しています。 ——近年は、皆の意見をくみ取り、調整するリーダーが求められます。カリスマよりもスケールが小さいと思ってしまう面もあります。 求められるリーダーの資質は時代によって変わるので、どのタイプのリーダーが優れているとか、比べるものではありません。偉人たちも当時の世界情勢の中から誕生しました。優れたリーダーが生まれる理由は、その人が優秀だからではなく、リーダーを生んだ社会の側にある。突然、ポンと出てきたようなに見えても、実は流れがあって、その人が活躍できる状態を社会が容認し、条件がそろったときに登場するのです。その社会を形作っているのは組織であり、個人です。だから良くも悪くも、リーダーを生み出しているのは私たちなんです。社会が右肩上がりで成長を続けている時代は、組織のために生きるのが個人の美徳でした。そして頑張れば頑張った分、能力に関係なく等しく褒賞が与えられた。そんな時代に求められるのは、皆をけん引する強いリーダーです。一方、社会の成長が止まると、金銭による褒賞が与えられなくなり、それに代わるものが「時間」になった。今の日本も、プライベートの時間をお尊重しますよね。すると「サーバントリーダー」といった、部下の要望を聞き入れ、下支えする上司が求められるようになる。でも1980年代に、こういう人が成功するかといったら、しないんですよ。 ——家康や徳川幕府の歴史から、私たちは何を学べるのでしょうか。 家康は秀吉の政策の多くを引き継いでいます。大名については、人はそのままにして、地方自治をある程度、認めるようにした。つまり、人を変えず、仕組みを変更したのです。家康が優れていたのは、理想とする社会の仕組みを一気につくるのではなく、段階を経てつくったというということです。5代将軍野綱吉の時代になって、ようやく社会が安定してきました。どんな社会や組織にも仕組み・システムがあります。でもそれは、ずっと不変のものではなく、パーツを組み替えたりしてメンテナンスする必要がある。江戸幕府は、そうやって一度つくった仕組みを改善し、警鐘を続けながら260年もの太平の世を築いたのです。「改革」と「改善」って言葉がありますよね。「改革」という字は、皮(革)を改める、つまり「皮を剝ぐ」ことなので痛みが伴います。今もさまざまな「改革」が唱えられていますが、人が傷つくことを理解しないといけない。一方、「改善」は痛みを伴いません。変化に時間はかかりますが、続けやすいし、システムが合っているかどうかを確認し、柔軟に対応できるのです。私は日本人のマインドは「改革」より「改善」の方が向いていると思います。 ——漸進的に変えることが大切なのですね。 そうです。そして大切なことは、何のために変えるのか、目的は何か、ということです。改革することが目的化し、何がどうなるかがわからないのでは意味がない。「変わらなきゃいけない症候群」に取りつかれている人は、「二項対立型」の施行で、相手を打ち負かすことや壊すことで満足してしまいがちです。今の日本はそうした傾向になりつつあり、私は危険だと思っています。家康が目指したものは何か。それは、殺し合いのない、人々が安心して暮らせる世の中です。その理想のために命を懸けて仕組みをつくった。そして江戸幕府は、歴史という大きな流れが氾濫しないよう、常に土手を整備し、橋を架け、民を安穏の海へと送り続けてきたのです。永続的な社会や組織をつくるには、長期的な視野に立ち、ビジョンを持つ。その変わらない目的のために、常に変え続け、継承する努力を怠らない。それが大事だと思うんです。 インタビューのまとめ・求められるリーダー像は時代によって変わる。・「改革」には痛みが伴う。 「改善」は時間がかかるが、柔軟に対応できる。・永続的な社会や組織をつくるには目的が大事。 そのために変え続け、継承する努力を怠らない。 memoAIによってこの世によみがえたカリスマたちの話っぷりは、いかにもありそうで、眞邊さんの再現力に驚いた。ご自身は、子ども時代に6回も転校したり、お笑い芸人の事務所に勤務したりして、人間を多面的に観察する眼が養われたそうだ。AIがつくったものは、論理的で整合性は取れているが、心引かれることはない。人間という矛盾だらけな存在がつくるものこそ、面白い。その人間社会の仕組みを日々点検し、変化に合わせて改善する。家康の教えである。 【これからのteam論 歴史から学ぶ】聖教新聞2025.4.12
November 23, 2025
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ヘッベル『ニーベルンゲン』戯曲翻訳に込めた思い福井大学教授 磯崎 康太郎 日本でも多彩な上演を期待十九世紀ドイツの作家フリードリヒ・ヘッベルの三部作『ニューベルンゲン』は、ドイツ中世の英雄叙事詩『ニューベルンゲンの歌』を下敷きにした悲劇である。この題材を近代の需要としては、ワグナーの楽劇『ニーベルングの指環』と並び称され、その後の受容の礎石となった。二十世紀に入ると、ニーバルンゲン伝承はナチズム政権下で盛んに需要されていたため、戦後にはドイツ人から距離を置かれることにもなった。しかし、とりわけ禁煙ではヘッベルの『ニューベルンゲン』は、ドイツ、オーストリアの各地で年に複数回、しかも現代風の演出で上演されることも珍しくない。この戯曲に描かれた人間の志や葛藤は、次代を越えて人心に訴えかけるものがあるのだろう。日本においても『ニューベルンゲン』の多彩な上演を期待して、今回の翻訳(フリードリヒ・ヘッペル『ニューベルンゲン——三部のドイツ悲劇』幻戯書房、二〇二五年)に至った。かつて『ニューベルンゲンの歌』を読んだとき、不審でならなかった箇所がある。4それは、竜退治の勇者ジークフリートを愛しぬいていたはずの妻のクリームヒルトが、夫の死後、やけにあっさりと再婚してしまう後半部の冒頭である。叙事詩を最後まで読めば、彼女の再婚は亡き夫を愛するがゆえの行動だったと分かるのだが、叙事詩は心理描写に乏しいので、当該の個所を読んだときには首をかしげたものである。だが、その後に出会ったヘッペルの戯曲は衝撃的だった。こちらのクリームヒルトは、自分がいかに望まない再婚をするのか、その交換条件は何かと言ったことを滔々と語りだす。再婚相手との初夜のとこへの嫌悪感まで記されており、良家の子女から復讐の鬼へと転じる、前半(第二部)から後半(第三部)への人物像に整合性が取れているように思われた。さらにハーゲンは悪訳として凄みを格段に増し、神話的な仄暗い世界を体現する北欧の女王ブルーンヒルトは、ヘッベル作品では第三部にも登場し、後日談が伝えられる。翻訳に際して悩んだのは、敬語の問題である。ドイツ原文では、身近な相手に親称を、初対面の相手などに敬称を用いるという関係性がとも保たれている。例えば、グンダー王と家臣たちは身分差があるが、一つのチームとしているので、彼らはいわゆるタメ口で話す間柄である。日本式の身分差に基づく敬語関係へと作り替えるか、あえて原文に沿わせるかという選択肢の中で、私は後者を選び、日本式への変更を最小限にとどめた。この物語では、上下関係が変動し、チームプレーの中で家臣が王を動かすことも多いので、原文にない敬語を設定すればするほどに恣意的な変更となりかねないこと、過剰な敬語によって対人関係が古風な印象を与えることを危惧したためである。現代人の感覚でも存分に楽しめるこの戯曲に、読者が直截に感情移入できるようにしたかったのである。古さを避けるという目論見とは裏腹に、親称の二人称は基本的に「そなた」を用いた。目下の者に対してだけでなく、対等な間柄にも「そなた」が使われていたのを確認してのことだったが、この呼称を用いたことへの批判も受けた。こっそり打ち明けておくと、訳語に悩んでいたとき、アニメ映画『もののけ姫』の「生きろ、そなたは美しい」という台詞が自分のなかで鳴り響いてしまった。自然対文明のテーマは、、ヘッペル作品でも大きな一角を形成している。つまるところ、『ニーベルング』の一ファンとしての翻訳しかできなかったのではないかと、自戒の念を込めてこの記事を書いているのだが、読者諸氏のご好評を仰ぎたい。(いそざ・きこうたろう) 【文化】公明新聞2025.4.11
November 22, 2025
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後免与 北斗七星2025.411「ごめんよー、ごめんよー」と響声に一瞬、何を謝っているんだろうと思った人がいるかもしれない。NHK朝ドラ「あんぱん」の初回放送で映し出された「御免与」駅のシーンに思わず笑ってしまった。◆ドラマは、「アンパンマンを生んだやなせたかしさんと小松暢さん夫妻をモデルを描く物語。やなせさんが小学校時代から青年期を過ごした高知県南国市には実際、「後免」駅という行先表示の路面電車も走っている◆同市中心部の地名になったのは、土佐藩奉行職だった野中兼山に由来する。川沿いに商業地域を開発する際に、入植者に土地を与えて、税や諸役を免除したことから「御(後)免町」になったという◆ユニークな地名を生かした恒例イベント「ごめんな祭」もある。〝謝罪の聖地〟と設定した特設ステージで、見えも対面もプライドも捨てて素直な気持ちで「ごめんなさい」をさけぼうというものだ◆「後免」駅の次の「後免町」駅には、やなせさんの提案で「ありがとう」駅の愛称も。「ごめん」「ありがとう」という素直でやあしい響保人の心を和ませる。寛容の心が失われつつあるといわれる今だからこそ大事にしたい言葉である。(祐) 公明新聞2025.4.11
November 22, 2025
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抗うつ薬と抗不安薬うつ病になる原因は、神経伝達物質のセロトニン、ノルアドレナリンの脳内での放出量が少なすぎることによると考えられています。その結果、強い悲しみや失望感が長い間続き、喜びがほとんど感じられなくなります。そこで神経伝達物質の動きを強めて、脳細胞間の情報伝達を正常化させる働きを持つ「抗うつ薬」が使われます。抗うつ薬はうつ病の研究とともに進歩してきました。はじめは神経伝達物質のモノアミン類の不足が原因ではないかという仮説をもとに、MAO阻害剤が抗うつ薬として開発されました。MAOはモノアミン類の「ゴミ箱」として働いていますから、それを阻害するとモノアミン類が増える田王という考え方で、ある程度の効果はありました。次に、数種類あるモノアミン類の中のどれがうつ病の原因になっているかが研究されました。このタイプ(三環系抗うつ薬やその改良型のSSRI)は、セロトニンの「掃除機」にくっついて働きを妨げ、セロトニン不足を解消するもので、MAO阻害薬より副作用は少ないようです。しかし、これらの薬が本当にセロトニンの掃除機だけにくっつけ良いのですが、関係のないアセチルコリンの需要亭にくっついたりすることで、そこから生じる副作用が問題になることがあります。また、強い不安に襲われると、心の中だけの減少にと染まらず動機・水脈・下痢などいろいろな症状が現れます。これを不安障害と言いますが、その地用に用いられるのが抗不安薬で、数種類に分かれます。トランキライザー(精神安定剤)の一種でもあるベンゾジアゼビン系の抗不安薬は興奮抑制性の神経伝達物質GABAの受容体を開く頻度を増やし、神経を落ち着かせる作用を持つ物質です。しかし麻薬並みの依存症があり、長期間服用していると脳にダメージが生じることがわかり、1980年代以降は、あまり使用されなくなりました。代わって抗うつ薬のSSRIが抗不安薬として用いられるようになっています。 【脳内麻薬「人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体」】中野信子/幻冬舎新書
November 21, 2025
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樹齢数千年のスギが残る天然林旅行ライター 小林 克己屋久島屋久島は大阪、福岡からの空路もありますが、鹿児島からも海路でのアプローチはとても印象的です。船上から九州最高峰の宮之浦岳(1936㍍)と、標高1000級以上の高峰が45座以上もあり、ノコギリの刃のようにギザギザに連なる〝洋上アルプス〟と呼ばれる奇観に出会えます。筆者が島に滞在した4日間のうち3日間半は雨という雨の多さにもびっくり。それもパチンコ玉ほどの雨粒が背丈よりも高く跳ね返ったのにびっくりしていると、バケツをひっくり返したような豪雨にも見舞われました。林芙美子の小説『浮雲』に「月のうち、三十五日は雨」とある日本一の多雨が1933年に日本初の世界遺産登録となった樹齢数千年の屋久杉群を作りあげた秘密です。屋久島へは鹿児島まで空路を使えば東京、大阪から2泊3日の旅程で十分堪能できます。体力のあるうちに訪れることをお勧めします。というのも、島中央山岳部の世界さん登録地域に茂る胸高周囲11.6㍍の大王杉や樹齢推定2000~7200年の縄文杉などを探勝するには、早朝発で往復10時間のトレッキングが必要だからです。その半分は平たんなトロッコ軌道で、標高差は700㍍余りと登山初心者でも可能ですが、富士登山よりは楽といった健脚向きコースです。中・上級なら、世界一美しい折り紙付きのヤクシマシャクナゲが咲き乱れる(5月下旬~6月上旬)宮之浦岳登山も楽しめます。足に自信のない人は、世界さん登録地域外ですが「ヤクスギランド」を見て回るコースや、アニメ映画「もののけ姫」の舞台となったといわれている、コケで覆われた「白谷雲水狭」の1~3時間コースなら歩けるでしょう。また、世界遺産電本最大級の照葉樹林の仮名を歩く「西部林道」ならバスで行って気軽に観光できます。 【日本の世界遺産‐1‐】公明新聞2025.4.10
November 21, 2025
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介護離職を防ぐために㊦介護離職予防アドバイザー 牛越 博文さん企業努力に加え個人でも備えるサービスや制度を理解しよう今回の法改正を受け、各企業・団体で、研修の実施や相談窓繰りの設置など、検討が進んでいるのではないでしょうか。職場が環境を備えたとしても、従業員側が、〝自分には関係ない〟〝研修とか面倒くさい〟などと考えては、意味がありません。介護は誰にでも起こり得る問題です。研修があれば必ず参加して、真剣に耳を傾けましょう。親や家族が要介護になったことを想定し、介護保険サービスの活用について学ぶことから始めてください。地震ではなく、部下が介護に直面するケースもあります。いざという時、上司として、真摯に向き合えるかが重要です。休暇・休業の取り方を一緒に考え、その後の仕事が滞らないように手を打つことも、健全な組織を維持するために必要な力になります。できれば、上司として働く人は、介護保険サービスと勤務先の制度をよく理解し、具体的な活用法を説明できるようにしておきたいところです。 知っておきたい休みの使い方実際に介護が始まった時、「介護休暇」や「介護休業」を利用する人は多いと思います。介護休暇は「対象家族1人あたり1年で5日まで」、介護休業は「対象家族1当たりの通算93日まで(3回まで分割可能)」取得できます。〝この制度を使えば、何とかなるだろう〟と、安易に考えてはいけません。例えば、同居している家族の介護で、ある程度の生活が要介護者自身でできるものであれば、介護休業やテレワークなどを活用しつつ、仕事を続けられるかもしれません。しかし、これはごく限られたケースです。日常的な介護が必須の場合、その負担は、年々大きくなることがほとんどです。しかも、そのような状態が長く続くか、見通しも立ちマ円。病院や行政などの手続きも重なり、時間はいくらあっても足りないでしょう。また、介護休暇も介護休業も、原則は無給です(別途、介護休業については給付金の制度があります)。この点も考慮に入れて、長年続けられる介護でなくてはなりません。介護休暇や介護休業は、「実際に介護するための時間」だけではなく、「たとえ自分がいなくても、要介護者が生活できる環境を整える時間」と考えることが辞意様だと、知っておいてください。 焦って辞めない 両立はできる介護が始まると、あまりの忙しさに、〝とてもじゃないけれど、仕事は続けられない〟と思うかもしれません。しかし、焦って辞めないでください。料率を望むのであれば、実現できる方法は必ずあります。仕事をやめれば、当然、収入はなくなります。当初は何とかなっていても、後々になって、経済区で悩むというケースが少なくありません。介護離職を選択する前に、介護保険サービスをフル活用できているか、よく検討してほしいと思います。特に、仕事と介護を両立させるのであれば、施設への入所も選択肢として加えてほしいところです。介護に直面してから、ドタバタの中での施設選びになると、家族を預ける不安が残るでしょう。〝ここなら、家族が暮らしても幸せになれる〟と、納得できる施設選びを事前にしておくことが重要です。 施設探しは自分でやる施設を探すといっても、何からすすめればいいか悩むかもしれません。遠方に住む親の入所施設を探すのはさらに大変です。規制のタイミングを滑油するなど、将来を見据えて、準備しておきたいところです。行政の窓口や地域包括支援センターに行くと、周辺の施設情報を提供してもらえると思います。しかし、それぞれの施設について、詳しい説明を受けるのは難しいでしょう。ケアマネージャーに相談するという人もいると思いますが、ケアマネージャー二も専門の分野があります。「居宅ケアマネージャー」は、介護老人福祉施設や介護老人保健施設など、各施設の中で、介護プランを検討するのが主な仕事です。多様な施設があるなかで、すべてを網羅している人と出会える確率は、非常に低いでしょう。施設探しの専門家の不在——これが、今後の大きな課題だと考えています。介護の質を下げないためにも、〝施設探しは自分でやる〟との覚悟が大切です。 【介護】聖教新聞2025.4.9
November 20, 2025
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戦後80年作家 河合 敦80年前の3月10日の夜、東京上空に侵入したB29爆撃機334機が2時間半にわたり、東京下町に爆弾を落とした。東京大空襲である。空襲による死者・行方不明者は、10万人以上に達したといわれる。深川に住む私の祖母も犠牲になった。伯母は茨城県に疎開していたのだが、娘の小学校入学の準備のため、3人の子を連れてまた自宅に戻り、運悪く難に会ったのだ。4人の遺体は、いまだ見つかっていない。B29は、低空飛行でじゅうたんを敷き詰めるように、人口の多い東京下町に焼夷弾を雨のように落とし、炎のかべをつくって人間を焼き殺し、窒息させた。大量無差別殺人である。以後、アメリカ軍は大阪、名古屋、神戸などの大都市の住宅密集地、さらに中小都市に同様の爆撃をおこなった。1945年7月になると、アメリカ艦隊が日本近海に集結、釜石、日立、勝田、浜松などに激しい艦砲射撃をおこない、空母艦載機がさかんに爆弾を落とした。また、グラマンなどの戦闘機が人間を標的にした機銃掃射を始めた。厚木飛行場に近い大和市に住んでいた私の母も、機銃掃射に遭っている。運よく防空壕に逃げ込めたので、幸い死なずに済んだが、このとき母は6歳の少女。いったいどのような気持ちで米兵は子どもに銃口を向けたのだろう。統計によって違いはあるが、本土空襲で亡くなった人は約50万人(原爆被害者を除く)、全焼家屋は約220万戸、被災者は1000万人を超えたと伝えられる。もし東京大空襲に遭わなかったら、伯母や従兄妹たちは平和な戦後を謳歌できたことだろう。逆に機銃掃射で母が殺されていたら、私は今ここにいないのだ。「時間を経ることで、こうした悲惨な戦争の記憶を薄れさせてはならない」——毎年3月になると、私は歴史にたずさわる者として、その思いを強くするのである。 【すなどけい】公明新聞2025.4.9
November 20, 2025
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牧口先生「人生地理学」〈第3篇〉(1903年10月)㊦SGI発足に込められた平和への誓い対立や分断ではなく共存共栄の道を20世紀における二つの世界大戦の痛切な反省を踏まえ、際限のない軍事的競争や経済的競争を抑制するための枠組づくりが模索される一方で、貧困や人権などの人類の共通課題に関する取り組みも進んできた。しかし近年、核兵器をはじめとする軍拡競争が、再び過熱し始めている。加えて、関税の引き上げなどの措置によって貿易への影響が広がり、グローバル経済に深刻な亀裂が生じることも懸念されている。牧口先生は『人生地理学』で、多くの国が切磋琢磨しながら、自他供の平和と繁栄を見座主人道的競争への転換を呼びかけていたが、一方で、それを一足飛びに実現するものではないかと洞察を示していた。デューイ協会元会長のラリー・ヒックマン博士が、牧口先生について「日本における『最初のプラグマチスト』」と表していたように、その思想は世界の厳しい現実から離れることなく繰り上げられたものであり、そこから時代転換の方途を真摯に探究したものだった。『人生地理学』で牧口先生は、大要、こう述べている。——時代に応じて生存競争の形式が変遷するといっても、軍事的競争のような一つの形式が急に痕跡も残さずになくなり、政治や経済などの他の分野での競争がその位置をすべて占めるようになるということはない。あくまで国家の間で、どの分野での競争を最も重視するかという軽重の度合いが変わるだけで、国際社会の中では軍事的競争、政治的競争、経済的競争、人道的競争の四つの潮流が時に並行し、と近郊差しながら存在していくのである——と。 ――――――――――――――――――――――――――― 世界の現実をそのように見据えていたからこそ、牧口先生は「人道的な方式といっても単純な方法はない。政治的であれ、軍事的であれ、(各分野での競争を)人道という範囲内で行うことである。要は、その目的を利己主義だけに置くのではなく、自己とともに他の人々の生活を保護し、増進させることにある」(趣意)と述べ、各分野での競争を質的に転換していく重要性を訴えたのだ。現代においてこの提唱を結実させるために、池田先生は世界各地の大学で牧口先生の思想の先見性を論じるとともに、毎年の平和低減を通して国際社会の動きを丹念に取り上げながら、人道的競争の潮流を高めるための方途を探ってきた。2014年の提言では、ASEAN(東南アジア諸国連合)の国々と日本、中国、韓国、北朝鮮などが参加するASEAN地域フォーラムが、安全保障に関する優先課題の一つに「災害救援」を掲げて、医療部隊や防疫部隊が参加する合同訓練を実施してきたことを紹介。また2016年の提言では、包括的核実験禁止条約の採択を機に誕生した国際監視制度が、核実験による地震波の検知や放射性物質の観測という本来の役割のほかに、監視網を活用して災害の状況や気候変動の影響をモニターする活動を進めてきたことに言及。この動きは「軍事的競争の限界から生じた『人道的競争への萌芽』ともいうべきもの」であり、「核軍拡と核拡散の歯止めをかけるための制度が、多くの生命を守るという人道的な面でも書くことのできない存在となっている」と、その意義を強調したのである。 ――――――――――――――――――――――――――― 一方、政治や経済をめぐる課題の克服については、2015年の提言で主要なテーマとして詳細に論じられていた。牧口先生が『人生地理学』で「社会の精神とはいえども各個人を離れて存在するにあらず」として、一人ひとりの意識変革が「相伝播し連絡し、ついに社会の全員に及ぼし、以って大いなる社会精神なるもの生ずるなり」と述べたことに言及しながら、「『政治と経済の再人間化』を前進させる鍵は、人数の多寡ではなく。連帯の底深さにあるます。誰の身にも悲惨が及ぶことを望まない民衆の連帯を、国内でも国際社会でも築くことが、時代変革の波を大きく形づくるのです」と訴えたのである。思えば50年前(1975年1月)、グアムでSGIが発足し、池田先生がSGI会長に就任した会合で採択した宣言にも、牧口先生も精神を明確に受け継いだ」文が刻まれていた。「永続的な平和は、人類のすべてが幸福を享受し得て、初めて実現する。したがって、われわれは、人類の幸せと、その未来の存続に『何をもって貢献できるか』という慈悲の理念を、今後の新しい思想の因子としていくことを目指していく」と。現在、政治や経済面での国家間の対立が深まりを見せているが、歴史の歯車を〝生存競争が激化した20世紀の初頭の時代〟に逆戻りさせるようなことは絶対にあってはならない。誰も置き去りにしない「平和と共生の地球社会」を築くために、SGIの発足に込められた誓いを改めてかみしめながら、他の多くの市民社会の団体と連帯して、人道的競争の潮流を高める挑戦をどこまでも力強く推し進めていきたい。 連 載三代会長の精神に学ぶ歴史を創るはこの船たしか—第32回— 聖教新聞2025.4.8
November 19, 2025
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膵臓のがん___初期症状がほぼない悪性腫瘍今週のポイントステージⅥ手術できる場合も海野教授がんの中で、脂肪数が肺、大腸に続き3番目に多いすい臓がん(膵がん)。この病気について、肝胆膵外科のエキスパートである海野倫明教授(東北大学大学院消化器外科学の分野)に聞きました。 生存率は着実に向上——膵臓とは? 膵臓は、胃の背部にある長さ20センチほどの小さな臓器です。食物の消化を助ける膵液を作り出し、血糖値を調節するインスリンをはじめとしたさまざまなホルモンを分泌する、大切な役割を持っています。 ——膵臓のがんは、生存率が低いイメージです。膵がんも含めて、がんは全体として研究が大きく進み、生存率が上がっています。但し膵がんは、難しい特徴が幾つもあるため、生存率の上がり具合が、他のがん(胃、大腸、肺、婦人科系など)に比べて緩やかです。そのため、死亡数の順位がだんだんと上ってるのです。 転移しやすく切除しにくい——難しい特徴とは?初期症状はほぼないため、発見が困難です。約半数の患者は、手術できない段階まで進攻した状態で見つかります。進行が速く、移転しやすいがんです。画像検査で腫瘍を見つけにくいことも発見を遅らせます。胃の後ろにあるため、超音波検査で胃に空気が入っているっだけで、膵臓は見えにくくなります。周囲に大切な血管(門脈や大静脈)が走っているため、腫瘍を削除しにくいがんです。 高齢者に多く半数は75歳また、高齢者に多く発症します。患者の約半数は75歳以上で、3分の1が80歳以上です。切除手術は長時間になるため、合併症のリスクが高い高齢者などでは、手術はせず緩和ケアを選択するケースは少なくありません。 ——診断や治療はどのように行いますか。出血や腫瘍マーカー検査、CTやMRI、超音波など画像検査などを組み合わせて診断します。治療は「手術」「化学(薬物)療法」「放射線治療」などがあります。完治には腫瘍の切除が必要なため、まず患者の状態が「切除可能」「切除可能境界」「切除不能」のどれにあたるかを検討し、判断します。なお、手術を行うことができる「切除可能」の患者は全体の2割です。 抗がん剤が進歩 生存率は3倍に近年、効果の高い抗がん剤が複数登場しました。特に、手術の前に一定期間、投与することで腫瘍を小さくでき、切除しやすくなりました。手術で腫瘍を取りきれた患者の5年生存率は、この15年ほどで約3倍(約30%)に上昇しています(膵がん全体の5年生存率(8~9%)。腫瘍が血管を巻き込んでいるなどの理由で、切除が「可能境界」か「不能」である場合は、抗がん剤や放射線に加え、遺伝子を調べてそれに合った分子標的薬も併用し、腫瘍の縮小を図ることもあります。 ——縮小した場合は?患者の全身状態なども含めて「切除可能」になったと判断できれば、手術します。以前は、腫瘍が広がったステージⅥの患者は手術できず、完治は不可能でした。しかし現在では、抗がん剤が著しく聞いて腫瘍が縮小し、「切除可能」に代わる患者も増えてきました。コンバージョン(Conversion=転換)手術と呼びますが、これで感知する患者も、まだ少数ですが出てきました。抗がん剤の効く度合いは個人差が大きいものの、重症度だけで感知をあきらめていた時代から脱却したことは間違いありません。 糖尿の悪化は膵がんの可能性——症状は?また症状は皮膚や眼球が黄色くなる黄疸、背部痛などです。黄色人種の日本人にとって、黄疸は白目を見ると判断しやすいです。黄疸は、尿も濃く(茶色く)なります。なお、おなかが痛んだり、張る感じ(腹部膨満感)がしたりするケースもあります。しかしながら、これらの症状が出ていれば、かなり進行した段階といえます。インスリンの分泌が減るため、急速に糖尿病の症状が悪化したり、空腹時の血糖値が上がったりします。それで発見できるケースも増えています。糖尿病の症状である「喉の渇き」「頻尿」の度合いが急に高まったら注意してください。 ——発症しやすい要因は何がありますか。喫煙、過度の飲酒、食の欧米化などがリスク要因とされます。しかし、これらの要因を避けても、発症する可能性はあります。患者の5~10%は遺伝性です。(家族性膵がん)。このなかでBRCAという遺伝子に変異がある方は、膵臓だけでなく、乳房、卵巣、前立せんなどにもがんを発生させやすくします。ただ、この遺伝子変異がある方に効きやすい抗がん剤もあります。家族に水や乳がん、卵巣がんの方がいる、又は以前に乳がんになったことがある、などの条件を満たした方の遺伝子検査には保険が適用されます。 人間ドックで見つかるケースも——早期発見するには?人間ドックを受けることです。医師がその結果を見て発見できた例は、少なからずあります。一方、職場などの検診のみで発見される方は、ほとんどいません。 ——どの病院にかかればよいのでしょうか。膵がんが病期診断、手術の見極めや難易度など、医療側の高度な知識と技術が必要な疾患です。例えば、私どもの妙院では、手術前におなかから審査腹膜鏡を入れて、腫瘍の状態を実際に確認することで、手術の効果をより高めています。膵がん治療は、絶えず進歩し続けています。日本肝胆膵外科学会認定の高度技能専門医が税咳する、大きな医療施設を紹介しても会えるとよいでしょう。 取材✍こぼれ話完治のために胃の後ろに小さく隠れている膵臓。古来、漢方医学では重要な臓器などを「五臓六腑」と表すが、「その中に膵臓は、入っていません。そもそも『膵』という字は日本の蘭方医(宇田川玄真)が江戸時代に作った国学で、中国にその字はありません」と海野先生。近年、医療の発展とともに研究が進み、クローズアップされてきた大切な臓器だ。〝怖いがん〟の筆頭に上がる膵がんだが、知慮の進歩は目覚ましい。「以前は、診断後の平均余命が6カ月といわれ、残念ながら延命するための手術しか選択肢がありませんでした。しかし現在は、抗がん剤治療だけでなく、完治のための手術をおこなえます。これは大きな進歩です」「進行が速いがんですが、逆に5年を乗り越えれば、患者の多くは再発せず、長生きされます」◇膵がん患者の支援団体などが近々開く、仙台を散策するイベントに先生も参加されると伺った。手術を乗り越えた患者や家族と、桜並木を眺めたり歓談したりするするという。(聡) 【医療Medical Treatment】聖教新聞2025.4.7
November 19, 2025
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牧口先生「人生地理学」〈第3篇〉(1903年10月)㊤社会の変化に伴い、生存競争の単位において変化が生じるとともに、競争の形式もまた、次第に変化していくのを見ることができる。その変遷を四つに大別するならば、軍事的競争、政治的競争、経済的競争、また、人道的競争という、それぞれの時代がこれにあたる。◇(このうち3番目の)経済的競争は、商工業による平和的競争であるとか、実力定期な競争であるといわれる。(中略)武力的競争は、突然、惨劇が起きるため、人々の意識は戦争に向けられた形で経過していく。これに対し、経済的競争は徐々に進み、緩慢に行われるため、(人々の間では日常的な出来事であるかのように)無意識的に経過するものとなっている。しかも経済的競争は、(弱肉強食的な競争が際限なく続けられていくために)最終的に人々の身に及ぶ惨劇は、武力的競争よりも、かえってはるかに激烈で甚大なものとなる。武力的競争は、幸和交渉の場を通じて、しばしば平和を回復することができるが、(経済分野における)実力的な競争はそのようには簡単に休止できるものではないのだ。◇(4番目の)人道的競争の形式とは、いかなるものであろうか。従来、武力や権力をもって自らの領土を拡張させ、なるべく多くの人類を自らの意思の力に重複させようとし、あるいは実力を行使すること——その芸県は武力や権力と違っていても同じ結果を得ようとしてきたこと——に対して、(人道的なふるまい)無形の勢力を通じて、他国の人々を(望ましい方向に)自然な形で薫化していくものである。(中略)もとより、人道的な方式といっても単純な方法はない。政治的であれ、軍事的であれ、又経済的であれ、(各分野で競争を)人道という範囲で行うことである。要は、その目的を利己主義だけに置くのではなく、自己とともに他の人々の生活を保護し、増進させることにある。言い換えれば、他のためにし、タホ益しつつ自己も益す方法を選ぶことであり、(同じ世界に生きる人間として)共同生活を行うことにあるのだ。(『牧口常三郎全集』第2巻、趣意)生存競争に伴う犠牲が拡大した20世紀「国家の最終目的は人道にある」と主張牧口先生は1903年10月に発刊した『人生地理学』で、当時の世界を取り巻く状況について、次のように描写していた。「今の時勢は、経済的競争の時代となっている。そのため、現在の国際社会における力は、すべて富強の目的に集中するようになっており、(人道的競争のような)ほかの高尚な競争力方式を顧みる余裕はなく、各々が離合する際の紐帯も、すべて利害問題となっている」(趣意)と。帝国主義や植民地主義の世界で大きく広がるきっかけとなったのは、1873年にイギリスを襲った大不況だった。以来、ヨーロッパの国々やアメリカとの間で経済的競争が激化し、これらの列強諸国が勢力範囲の拡大を目指して、〝世界の分割支配〟に乗り出す動きが本格化したのである。その結果、アフリカをはじめ、中南米やアジアの各地域で植民地化が急速に進み、経済的な搾取も横行するなか、そこで暮らす大勢の人々は忍従と窮乏を強いられることになった。牧口先生はその様相に対し、「あたかも、高気圧の場所から低気圧の場所へと、空気が流動していく気象現象のような状況となっている。と述べ、苛烈さを増す〝弱肉強食的な競争〟に警鐘を鳴らしたのである。『人生地理学』の巻頭には、2種類の地図が綴じ込められており、そのうちの一つが「国際情勢圧力分布図」であった。そこにはまさしく、世界地図の上に〝天気図における等圧線〟のような線が幾重にも惹かれており、各国の勢力範囲が表されているだけでなく、各国がどの地域に向けて勢力を伸ばそうとしているのかを示す矢印も克明に記されていた。地図には、日本の動向を示す矢印もある。『人生地理学』の発刊の8年前(1895年)、二本は日清戦争で得た遼東半島の領有権を、フランスとドイツとロシアからの三国干渉を受けて返還することになった。そうした中で、日本が新たに太平洋の島嶼部にも関心を向け、アメリカやイギリスとの間で利害の衝突が起きようとしている様子が、日米英の3種類の矢印で示されていたのだ。 ――――――――――――――――――――――――――― その後、日本画日露戦争に突入したのは「人生地理学」の発刊から4か月後(1904年2月)のことだった。欧米の列強諸国の後を追い、日本も覇権争いの渦に突き進んでいった時代に会って、32歳の青年だった牧口先生は、「地球を舞台としての人類生活減少」と題した「人生地理学」の第三篇において、こう訴えた。「国家にとっての終極的な目的は、人生における最終的な目的とも一致する、人道にあらねばならない」(趣意)と。こうした思想が随所で説かれているように、「人生地理学」は単に地理的な知識を網羅することに主眼を置いたものではなかった。また、生存競争に重大な関心を向けてはいるが、国際情勢をめぐる当時の書籍とは異なり、勝ち残るためにはどうしたら良いかといった戦略論に焦点を当てたものでもなかった。20世紀から21世紀へと歳月が経過した今もなお、その先見性に多くの識者が共感を寄せるものとなっている。例えば、牧口先生は「水界」(潰瘍などの場所)が〝人類の通路〟として果たしてきた意義に着目していた。地球上の陸地が、人類を分断させて各々の集団が立てこもるような場所となってきた面があるのに対し、海洋は人類を移動させる道となり、結びつける役割を持ってきたと強調していたのだ。日本と同じく亭併用に面しているニュージーランドの出身で平和学者のケビン・クレメンツ博士は、海洋の存在を国と国とを〝分け隔てる濠〟ではなく、〝往来と交流の道〟としてとらえていた牧口先生の発想について高く評価していた。博士との対談集(『平和の世紀へ 民衆の挑戦」)の中で、そのことが話題になった時に、池田先生はこう述べた。「私が、世界平和への行動の第一歩としてハワイの地を選んだ(一九六〇年)のも、SGI発足の会合をグアムで行った(一九七五年)のも、この美しい太平洋を、二度と悲惨な〝戦争の海〟にしてはならないとの思いからでした」ほかの国や民衆を犠牲にして、生存競争に勝ち残ることだけを至上視するような時代に終止符を打ち、時刻も他国も「平和」と「幸福」を共に享受する世界を築く——。こうした牧口先生の思想こそが、SGIの平和運動の精神的支柱となってきたことを、池田先生は身をもって示した来たのである。(㊦に続く) 連 載三代会長の精神に学ぶ歴史を創るはこの船たしか第31回 聖教新聞2025.4.7
November 18, 2025
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坪内逍遥との研究のやりとりを味わう新潟大学 教授 武藤 秀太郎 評朝河貫一の時代と学問甚野 尚志 編藤原 秀之 編タイトルにある朝河貫一の名を見て、多くの読者はピンときたであろう、そう本誌で連載されている安部龍太郎氏の小説『ふたりの祖国』における主人公の一人である。一昨年の2023年は朝河誕生150年にあたり、さまざまな記念行事が行われた。朝河の母校である早稲田大学でも、シンポジウムが開かれた。本書は、このシンポジウムの成果をまとめたものである。朝河は、早稲田大学の前身である東京専門学校の文学科を首席で卒業した。卒業後は、アメリカに留学し、歴史学を専攻した。毎年イェール大学で書き上げた博士論文は、大化改新をヨーロッパ史との比較から論じた独創的なものであった。朝河はその後も、歴史研究で研鑽を積み、日本人としての初のイェール大学教授となった。研究の傍ら、熱烈な愛国者であった朝河は、日露戦争後に雲行きが怪しくなった日米関係の改善に腐心した。1909年に日本語で刊行した『日本の禍機』は、戦勝で増長した日本人に改心を促す警告の書であり、今でも読者の心を打つ。しかし、朝河のメッセージは、当時の日本人に響かなかった。朝河がめげずに、1930年代以降も祖国に警鐘を鳴らし続け、日米衝突の回避に努めたことは、「二人の祖国」が描いている通りである。小説の主人公になっているように、朝河の思想や行動には近年、改めて関心が向けられている。本書の特色は朝河の東京専門学校罪g九時代、および早稲田人脈に焦点を当て、その実像を浮かび上がらせている点にある。朝河はイェール大学での地位が不安定であった時分、日本に戻って教鞭をとる意向を持っていた。実際に関係者に働きかけをおこなったが、実現に至らなかった。ともすれば、朝河は早稲田から冷遇されたというイメージがある。また、朝河が専門的に歴史研究にとりくんだのは、アメリカ留学以降である。朝河の学問を考えるうえで、早稲田の学びはあまり注目されてこなかった。こうした思い込みは、本書を読んで大いに改めさせられた。特に、キーパーソンとなるのが、朝河が英文学を学んだ坪内逍遥である。朝河は渡米後も、逍遥と頻繁に連絡を取り合った。逍遥は博士論文を執筆する朝河のため、日本語の文献資料を定期的に送った。博論を早稲田大学出版部から公刊する労をとったのも、逍遥である。さらに逍遥は、『日本の禍機』出版にも力を尽した。当初、朝河がつけた原題は、「日本の危機」であったが、穏やかでないとして、逍遥により「禍機」と改められたというのは興味深い。二人の互体的なやりとりは、本書で翻刻されている逍遥宛朝河書簡で味わえる。たしかに、朝河は留学前、歴史学を専門的に学ばなかった。しかし、本書が明らかにしているように、朝河が早稲田大学で学んだ幅広い人文系の学問が、彼の強烈な個性を築いた。それが、のちに世界的歴史学者となる素地となったのである。『ふたりの祖国』の読者には、ぜひ本書を併読することを勧めたい。(吉川弘文館 9900円)◇じんの たかし 早稲田大学文学学術院教授、朝河貫一博士顕彰協会会長。ふじわら ひでゆき 早稲田大学教育・総合化学学術院非常勤講師。 【読書】公明新聞2025.4.7
November 18, 2025
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あなたの腎臓は大丈夫?機能が悪化していても、目だった症状が現れにくいといわれる「腎臓」。腎臓専門医の高橋優二さんに、病気のサインの見極め方や、腎機能を高めるためのポイントについて聞きました。 医師 高取 優二さんたかとり・ゆうじ 医学博士。鳥取大学医学部卒。日本腎臓学会専門医・指導医。日本透析学医学会専門医・岡山大学病院などでの勤務を経て、現在は埼友クリニック外来部長。テレビ番組の医療監修なども手がけている。著作に『人は腎臓から老いていく』(アスコム)など。 ポイント① 突然、尿が減るのは危ない② 加工食品は取りすぎない③ ポリフェノールの効果 沈黙の臓器腎臓は、全身を巡る血液から、毒素などの〝ごみ〟を取り除き、体液のバランスを保ってくれている臓器です。健康な成人の腎臓が、1日で仕分けをする血液の量は、150㍑。500㍉㍑のペットボトル300本分に当たります。高齢での腎臓の機能を示す数値の機能を示す数値(EGFRなど)が悪い場合は、食生活や生活習慣から見直しましょう。改善を心がければ悲観する必要はありません。若くても、糖尿病や高血圧、偏った食習慣などで腎臓を傷めると、当然、腎臓の機能は落ちます。感染症、薬剤などで腎臓の機能が急低下することもあります。胃腸に異常があると、おなかが痛くなります。しかし。「沈黙の臓器」といわれる腎臓には、そうした目だったサインがありません。日頃から、ちょっとした体の異変に気を配るようにしましょう。 こんな変化に注意次のような体の変化がみられる場合、腎臓の機能低下が潜んでいる可能性があります。① 突然、尿の量が減った尿の量の目安については、個人差はあるものの、健康な人がトイレに行く回数は、1日5~7の回数程度です。2回以下なら、尿の量が少ないといえるでしょう。突然、尿の量が減った人は、尿細管に激しい炎症が起きる「旧成人障害」の疑いがあります。② 尿意で何度も目が覚める腎臓には、夜間の排尿回数を減らして尿を濃縮する機能が備わっています。腎機能が落ちて尿の濃縮力が低下すると、以前よりも尿意を覚えて頻繁に夜中に目を覚ますようになります③ 能く足がつる突然、ふくらはぎが強く痛んで、つることを「こむら返り」といいます。栄養不足や水分不足、冷えなどが原因のことが多いですが、頻繁に起こす人は、腎臓に不調をきたし。体液のバランスが保たれなくなっている可能性があります。④ 頭痛や首の凝り高血圧が続き結構の生涯が起きると、頭痛や首の凝りが発生しやすくなります。腎臓は、毛細血管という細い集合体のため、そうした状態が続いてしまうと、腎臓にも悪い影響が及びます。⑤ 食後の強烈な眠気食後は、食べ物が消化吸収されて結腸に棟が放出されるため、血糖値が上昇したのち、急降下します。この状態を「血糖値スパイク」といい、急降下するときに、強い眠気やだるさに襲われることがあります。血糖値スパイクが繰り返されると欠陥は傷んでいき、腎臓にダメージを与えてしまいます。◇特に注意してほしいのが、①のケースです。尿の量の減少に加えて、ひどい疲れやむくみ、食欲不振などの症状があらわれている方は、すぐ腎臓内科や泌尿器科を受診するようにしてください。②~⑤に当てはまる方は、後述する点などを意識し、腎機能を高める習慣を心がけましょう。 無機リンを控える腎臓の機能低下を防ぐためには、リスク要因となる成分を控えていく必要があります。腎臓の〝大敵〟ともいえるのが、加工食品に含まれる「無機リン」と食品添加物に使用されている「無機リン(リン酸塩)」があります。有機リンは、タンパク質が豊富な肉や魚、卵、乳製品、豆類に多く含まれています。一方、無機リンは、ハムやベーコン、練り物(ちくわ、かまぼこ)、インスタント食品、菓子などの加工食品に添加物として使われています。有機リンに比べ、無機リン波長から吸収されやすく、体内のリンの濃度を高めてしまう傾向があります。まずは無機リンを控えることで、腎臓へのリスクを減らしましょう。とはいえ、ハムやベーコン、練り物などが好きで、どうしても食べたいという時があるかもしれません。そうした場合は、水に溶けだしやすい無機リンの性質を利用し、食べる前にサッと〝下ゆで〟することをオススメします。 体の酸化を防ごう腎臓にとって、最大の脅威となるのが「活性酸素」です。活性酸素とは、いわば〝狂暴化〟した酸素で、狂暴化の要因には、加齢、ストレス、喫煙、多量飲酒、紫外線があります。活性酸素は、体の酸化(サビ)を進行させます。腎臓の血管が参加してしまうと、もろくなったり、詰まったりして劣化が加速します。そして、腎臓への血流は滞り、機能が著しく低下してしまうのです。生活習慣を改善することで、狂暴化を低減しできるものの、人間は呼吸をする限り、活性酸素の発生自体を防ぐことはできません。推奨しているのが、抗酸化作用がある栄養をしっかり取ることです。活性酸素を無害な物質に変える抗酸化物質としての有名なのが、ポリフェノールです。その中でも、玉ねぎに含まれるケル瀬陳は、抗酸化作用が非常に強いと報告されています。その他、ビタミンA,ビタミンC、ビタミンE,イオウ化合物にも抗酸化作用があることが分かっています。抗酸化物質を含む食品については、別掲を参考にしてください。こういった食品を毎日取るのを心がけることで、腎機能を高められます。 抗酸化物質が入った食品〈ケルセチンを含む〉タマネギ、ブロッコリー、リンゴ、モロヘイヤ〈ビタミンAを含む〉ニンジン(特に皮付き)、パプリカ、ホウレンソウ、モロヘイヤ、ブロッコリー、パセリ、カボチャ〈ビタミンCを含む〉青菜類、かんきつ類などの果物、ジャガイモ、サツマイモ、ブロッコリー、ピーマン(特に赤ピーマン)〈ビタミンEを含む〉ニンニク、タマネギ、長ネギ、ニラ、ラッキョウ メンテナンス運動筋肉の増加は、腎臓を保護するということ(筋腎連関)が報告されています。適度な筋力トレーニングは、腎機能を高めるためにとても効果的です。無理なく1日1回の「もも上げ」に挑戦してみましょう。① イスの後ろに背筋を伸ばして立ち、イスの背に手を添えます。② 片手の太ももを床と平行になるくらいまでゆっくりと上げます。但しはじめは、無理のない高さまで上げれば十分です。③ 膝を上げ切ったら、ゆっくりと元の位置に戻します。これを左右各3回ずつ行います。楽にできるようになったら、回数を増やしていきましょう。 【健康プラス+】聖教新聞2025.4.5
November 17, 2025
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〝忘れられた紛争地〟コンゴの現状認定NPO法人テラ・ルネッサンス創設者/理事鬼丸 昌也人道的危機の改善へ国際社会の団結が不可欠コンゴ民主共和国は、豊かな自然に恵まれた国だが、1998年以降、紛争が絶えず、第二次世界大戦以後、世界で最も多くの犠牲者を出している地域の一つだ。推定540万人以上が命を落とし、3万人以上の子どもたちが兵士として戦わされてきた。また、20万人以上の女性が性暴力の被害に遭い、その傷は今も深く残っている。特に、今年に入ってから、反政府勢力M23による軍事侵攻が激化し、その被害は深刻さを増している。M23は1月以降、構成を強めてきたキブ州の州都ゴマなどを掌握。M23の厚生により、多くの市民が命を落とし、避難を余儀なくされている。国際機関の報告によると、今年1月からのM23による紛争で、数千人規模の死者が出ていると推定される。住民50万以上が避難し、人道危機が深刻化している。私たちの活動地域である南キブ州にも戦火が広がり、衣食住へのアクセスが著しく制限されている。この紛争の背景には、複雑な要因が絡み合っている。その一つが、隣国ルワンダ政府によるM23への支援だ。ルワンダは、コンゴ東部の豊富な鉱物資源を狙い、M23を通して影響力を強めようとしていると指摘されている。M23が実効支配する地域では、金やスズ、タンタルなどの故応物資源が不正に輸出され、武装勢力の資金源となっている。これらの資源は、私たちの生活に欠かせない携帯電話などの部品に使われており、私たちもまた、紛争に間接的に関わっていると言えるかもしれない。テラ・ルネッサンスは、2006年からコンゴ民主共和国で活動を続けている。元子ども兵や紛争被害者の自立を支援するため、洋裁や家畜飼育、養蜂などの技術訓練を提供してきた。紛争で心に傷を背負った女性が洋裁技術を取得し「生きていて良かった」と語ってくれたこともあった。M23による襲撃は、このような今後の人々の自立に向けた努力を踏みにじるものだ。私たちは、まず一人でも多くの命を守るため、緊急人道支援を実施している。具体的には、紛争地にあるウビラ病院への支援を行い、医療体制の維持に貢献している。しかし、必要な支援はまだまだ足りていない。そこで、コンゴ東部における緊急人道支援のため、クラウドファンティングを実施している。コンゴ東部には、豊かな自然と、そこに根差した人々のたくましい生活があった。しかし、紛争は全てを破壊し、人々の心を深く傷つけている。それでも、彼らは懸命に生きている。私たちは、彼らが再び立ち上がり、平和な生活を取り戻せるよう、これからも支援を続ける。最後に、日本政府には、国連安保理の「コンゴ民主共和国 反政府武装勢力への撤退決議」を順守するように、国際社会に訴えてほしい。紛争の早期終結と、人道主義の改善のため、国際社会が一致団結して行動することが不可欠である。この「忘れられた紛争」に、どうか関心を寄せてもしい。(おにまる・まさや) 【文化】公明新聞2025.4.4
November 17, 2025
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戦後80年 これからの日本作家 伊東 潤今年は終戦から80年目にあたる。あの忌まわしい大戦から80年もの歳月が流れた。この80年、日本は平和国家に生まれ変わり、同様の過ちを犯していない。しかし世界はどうだろう。権威主義国家群は当時と変わりなく、自国に都合のよい主張を繰り返し、時代遅れの拡大を図っている。こんな時代に日本はどうあるべきか。私は文筆家という立場から、何らかの提言をしたいと思ってきた。しかし通り一遍の言論では、誰も耳を傾けてくれない。それゆえ小説という形で日本人の足跡を振り返り、これからの日本と世界がどうあるべきかを示していこうと思った。そのためには、「戦争の時代」の象徴を主人公に据えたものを書くべきだ。これは人ではなく物の必要がある。というのも特定の視点からでしか時代を語れないが、衆知を結集したものなら、さまざまな思いで人生をそこに凝縮できるからだ。熱侶の結果、当時の造船技術の精華といえる戦艦大和を選んだ。大和こそ、「戦争の時代」の日本人の象徴だからだ。その大和の建造に携わった人々を描くことで、現代を生きる日本人が「製造立国に本」のあるべき姿を思い出し、未来への新たな一歩を踏み出していけると思った。かくしてこの七月、私が心血を注いだ大長編『鋼鉄の要塞 ヤマトプジシンスイス』が上梓される。この作品で私が訴えたいのは、当時、世界から孤立していた日本画、ほぼ独力でこれほどの戦艦を造り上げたことだ。大和を思い出すことで、日本人が誇りと自信を取り戻し、世界平和に貢献できる国になるのを心から願っている。2年間24回にわたる「すなどけい」への寄稿も今回で終わりです。長きにわたり、ありがとうございました。 【すなどけい】公明新聞2025.4.4
November 16, 2025
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第29回 食糧問題を乗り越える鍵は飢餓を克服する方途は一人一人の生き方の変革に東京農業大学元副学長・名誉教授 新部 昭夫さん 昨年からコメの価格高騰が続いています。きっかけは、2023年の猛暑でコメの品質が低下し、23年産米が品薄になったためです。イネは温度や日射量に敏感に反応する作物で、猛暑の影響を大きく受けます。ただ、昨秋に収穫された24年米は豊作だったにもかかわらず、流通量が少なく、現在も価格は高止まりしている状況です。農林水産省は、生産や卸売り、小売り、外食などの各段階の各段階の事業者が先々を心配し、在庫を少しずつ積み上げたことが背景にあると指摘しています。コメの流通の目詰まり解消のため、農水省が放出した備蓄米は、徐々に店頭に並び始めました。また、今年は生産面積が増えたため、6月ごろには価格が落ち着くのではないかとの予測もありますが、予断は許さない状況です。 深刻な生活苦コメは世界三大穀物の一つといわれ、世界の半分の人がコメを主食にしています。今回の米の高騰は短期的なものですが、実は、世界の食料価格は21世紀に入ってから高騰が続いています。国連食糧農業機関(FAO)の公表資料では、1992年から2022年の30年間に世界の食料価格指数(穀物)は2.64倍になり、食料物価上昇率が高まっています。最も厳しい貧困状況にあるジンバブエでは、食料物価上昇率は前年比では285%に達しました。続いてベネズエラ158%、レバノン143%と大幅に上昇、深刻な生活苦が拡大しています(23年、世界銀行の公表資料)。日本でも最近の食料価格の高騰が生活現場を直撃していますが、世界では長期的な食糧価格の高騰によって、生活に苦しむ人が増えています。国連の報告(SOFI)では、23年に飢餓に直面した人々は最大約7億5700万人と、3年連続で高止まりしています。また、国連世界食糧計画(WFP)などの報告では、23年に深刻な気がレベルを顕す九世食料不安に直面した人々は、59の国と地域で約2億8200万人に達し、過去8年で最多となっています。私はこの食糧危機の解決には、人間の内なる改革、すなわち「人間革命」が必要だと考えています。このことについて述べる前に、まずは世界的な食糧価格の高騰に影響を及ぼす三つの要因について説明したいと思います。 需要増大の影響第一に、世界人口の増加と、発展途上国の経済成長による食糧需要の増大が、価格高騰を招きます。特に、途上国での食肉消費量の拡大により、世界で生産された穀物の40%を占める家畜飼料がさらに増加すると予想されています。穀物消費が激しい畜産の影響を減らす解決策として、欧州を中心に植物性の代替肉(フェイクミート)の開発が盛んです。タンパク質が豊富な大豆を原料とした代替肉が最も有名です。スウェーデンでは給食に植物性の代替肉を出すなど、取り組みが進んでいます。第二に、「バイオ燃料」の原料として穀物が消費されてしまう、いわゆる食料の非食用需要の増加により、価格が高騰しています。原料となる穀物は、成長過程で光合成によって二酸化炭素(CO₂)が差し引かれます(カーボンニュートラル)。バイオ燃料はCO₂削減に有効であるため、需要が拡大されており、アメリカのトウモロコシ全体の約4割が、エタノール製造に回されています。食料高騰への影響を抑えるため、穀物ではなく、木材や廃棄食材を使ったバイオ燃料の研究も進んでいます。第三は、地球温暖化による食糧生産への負の影響です。先にコメが高温の影響を受けやすいと述べましたが、そのほかの穀物も温暖化の影響で異常気象が頻発すると、干ばつや高温乾燥などで収穫量が激減しています。温暖化に対応するため、平均気温が低い高緯度地域への栽培適地の移動も研究されています。私も所属していたアメリカの作物モデリング研究グループによれば、北米の小麦や大豆、トウモロコシ栽培では、カナダ方面の高緯度的地域に栽培適地が移動すると予測しています。しかし、移動先で莫大な農地を開墾し、灌漑設備や道路などのインフラ整備を行うには、数十年の歳月を要します。そのため、栽培地の完全な異動は不可能ともいわれています。 気候変動や戦争で穀物価格が高騰人間革命こそ地域革命の道 「成長の限界」ここまで国際的な食糧危機の状況と対応を述べてきましたが、そもそも私が食料問題を研究しようと思ったのは、池田大作先生の指針があったからです。念、東京農業大学で創価学会の学生部員らの研究グループが、「現代農業展」を開催。正体を受けた池田先生は、当時の学長とともに展示を鑑賞しました。先生は「食糧問題を解決できれば、どれほど偉大な人類への貢献となるか」「皆さんのなかから、食料問題を解決し、ノーベル賞を受賞するような方が出ることを期待しています」と語られました。東京農業大学で学んでいた私が入会したのは、その2年後の75年。先生から託された指針を知り、私は農学の研究者になる事を決意しました。その頃、食料を含む地球の資源の危機について警鐘を鳴らしたローマクラブのリポート「生長の言海」は、世界中に影響を与えていました。発刊の3年後(75年)、ローマクラブの創立者でペッチェイ博士は、池田先生と対談似ます。博士は、地球の諸問題は人間の内なる混乱状態などに起因すると考え、人間自身の変革の必要性を訴えていました。先生との対談の中で博士は、生命の奥底からの変革を促す「人間革命」の理念に心から共感しています。先生は、一個の生命の変革は環境をも変えるという仏法の法理を通し、内なる変革を第一義とする人間革命とは、人々が自らの運命を転換できる神の主体性の確立であるとのべられました。そして、善の方向に自らの生き方を変えていく人間革命こそ、人類の取り組むべき最も重要な実践だと強く訴えています。先生が73年に東京農大に来られた際にも、仏法は「自己の生き方の哲学」だと言われました。人間革命とは、生きかたの蚊K名とも言えます。一人一人の生き方の変革の連鎖が、「地球革命」を実現する道なのです。 適正な配分を実現する「世界食糧銀行」の構想 食の安全保障先生は自らを食料問題解決のために、提言を重ねてこられていました。74年には、国連の第1回世界食糧会議に寄せて、「世界食糧銀行」の構想などに言及しています。2009年の「SGIの日」記念提言にも、世界食糧銀行の構想に触れ、「自国の食料の確保は大切ですが、他国の犠牲の上に成り立つ国家エゴであってはならず。目指すべきはグローバルな食糧安全保障の確立であります」と記しています。先にあげた食料価格高騰の大一要因(人口増加と経済成長)と第二の要因(食料の非食用需要)がもたらす結果として、私は食糧需要の増大を指摘しました。飢餓に苦しむ人がいる一方で、肥満に悩む人は10億人に達し、食べられずに捨てられる食料は20億人分に及ぶともいわれています。大規模な食品ロスが起きながらも、飢えている人に食料が生き渡らないという「分配」に問題があるのです。だからこそ食料を適正に分配するための「世界食糧銀行」の提言は、世界の飢餓を少なくするために重要であるといえます。また、私たちができる身近な取り組みでいえば、家庭の食品ロスを減らすことも大事でしょう。先生の提言にある「他国の犠牲の上に成り立つ国家エゴ」を乗り越えるためには、「他人の不幸の上に自分の幸福を築かない」という意識を醸成することが必要です。その地に暮らす人々の意識変革が国家エゴを乗り越える鍵なのです。そのためには、池田先生とペッチェイ博士が同意したように、自他共の幸福を目指す人間革命の哲学が求められるでしょう。また、第三の要因である地球温暖化についても、その主因は人間の経済活動によるものです。起業だけでなく家庭や個人による省エネの取り組みが温暖化を提言させる要因となります。 不戦の連帯をさらに、近年の食料高騰のさらなる要因として、「戦争」の影響があります。ロシアとウクライナは、もともと小麦やトウモロコシなどの世界の主要な輸出国でした。その輸出量が減少したため、世界の穀物市場が大混乱に陥りました。多くの肥沃な農地や商業施設まで集中的に破壊されたウクライナの国土では、今後、長期期間にわたり、戦争前のような農業生産は絶望的です。また、自国内での食糧確保が優先されて、以前と同等の食糧輸出は不可能な状況です。ロシア産の食料をEUからの制裁で輸出が制限される肥料原材料にも輸出制限がかかっているため、他国での穀物生産が減少する影響が出ています。戦争による穀物市場への影響は、決して見過ごすことができるレベルではありません。実際に、食料輸入国の飢餓人口は、コロナ禍前の1億3500万人から、今回の戦争後に2億7600万院へと倍増しました。この深刻な事態に、〝ウクライナでの戦争が、世界的な飢餓と窮乏の「かつてない波」を引き起こす恐れがある〟と、グテーレス国連事務総長は、緊急の継承を発表しています。戦争は、言うまでもなく人間が引き起こすものです。だからこそ、平和を目指す人間革命の哲学を広げ、不戦の連帯を築いていく事が何よりも大切です。 人類益に立つここまで述べてきたとおり、食料危機や世界的な飢餓、戦争などの地球的諸問題は、自分に関わる課題として問題を共有し、人類益や地球益に立った世界市民としての内発的な意識改革、そして生き方の改革がなければ、問題の本質的な解決はできません。私自身、仏法の実践を通して、人間革命の必要性と、〝食糧危機を必ずや解決する〟との先生の深い慈悲と強い意志を知ることができました。私は先生の弟子として、人間革命そして地球革命に向け、これからも精進していく決意です。にべ・あきお 1954年うまれ。農学博士。東京農業大学大学院博士課程修了。東京農業大学副学長などを経て、現在、東京農業大学名誉教授。共著に『我が国における食料自給率向上への提言』(筑波書房)など。創価学会副学術部長、東京学術部長。副本部長。 【危機の時代を生きる「希望の哲学」■創価学会学術部編■】聖教新聞2025.4.4
November 16, 2025
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■土はつくれるのか■藤井 一至(土の研究者)5億年前の歴史が必要栄養分が循環する仕組み 植物に必要な光と水と肥料5億年前までの地球の陸地は、植物はなく、乾燥した岩肌でした。でも今は、みずみずしい緑と土で覆われています。植物が育つためには、太陽光と水、そして肥料が必要といわれています。水耕栽培のようなものを考えると、肥料のような栄養素でいいのかもしれません。ただ、植物がよく育つためには根を張る必要があるため、水耕栽培の場合でも、土地のような土台が必要になります。また、土壌微生物は植物の生育を助けてくれる重要な存在です。実は、この土を、人間はつくることはできません。土は、岩石が崩壊した砂や粘土と腐蝕(動植物の遺体などの栄養素に富む成分)の混合物。であるならば、砂や粘土に肥料を混ぜればいいのではないかと考えるかもしれません。ホームセンターなどに培養土が売られています。確かに土なのですが、1年何かを育てたら、翌年には新しい培養土を買ってこなければなりません。構成要素をただ集めただけだと、1年後には栄養的にぺっちゃんこになってしまうのです。そこには、土として大事な機能が欠けているように思います。例えば、ミミズや昆虫、微生物がたくさんいる土は、1年後でもフカフカで栄養素がたくさん残っています。それは、落ち葉や間伐材などを分解して、土地を再構築する仕組みがあるからなのです。そんな土を再現したいと思って、これまで研究を重ねてきました。砂や粘土は必ずしもなくていいのだと思っています。栄養分が循環して、土自体が自らを再生する。これこそが土の本質なのです。近著『土と生命の46億年史』(ブルーバックス)では、戸津の実態と、その仕組みについてまとめています。人類は、森林や草原などの下で、植物と微生物が培ってきた肥沃な土地を使い、20万年かけてここまで繫栄してきました。しかし、使うばかりで、土はつくれません。現代の科学技術は非常に発達していますが、化学構造式、化学反応式が書けないものはできないのです。 火山灰にすむ多様な微生物乾燥した岩や砂しかなかった陸上に、どのように植物が進出し、土地ができていったのでしょうか。陸上に進出する植物には順番があります。まずコケ類が生えて、続いてシダ類が。最後に被子植物などが生えるようになります。これは5億年かけて起きた歴史です。新たに土をつくろうとしたら、これと同じ手順を踏まないとできません。ただ、現代が昔と違うのは、生物類がそろっていること。実際、5億年というのは、ほとんどが進化に使われた時間です。現代では進化した生物がそろっているのだから、もう少し早くできるはずです。インドネシアで実験したところ、40年で土地と同じようなものが出来上がりました。肥沃な表土が流れてしまった後の荒れ地や、石炭などを掘り出した跡地など、農業に向かない土地を再生することができるのではと思っています。実験には、桜島の蚊塩梅を利用。火山灰自体は風化して土地になるまでに時間がかかるのですが、最初の振る舞いは非常にいいのです。火山灰には、多少の小さな穴が開いていて、現地の土地の中に埋めておくと、火山灰にさまざまな微生物がすみつきます。そうなった火山灰を、苗木の根元に入れて育てるのです。全体を土にするのは多変ですが、植物の根の周りだけでも土状にすることで、植物は育ちます。実は、1年、2年程度で土のような状態になります。ただ、短時間では、定着する微生物の種類は少なく、何か問題が起きたときに全滅してしまう恐れがあります。実際の土中には、多種類の微生物が共生していて、1種類がいなくなっても、他の微生物が変わりを果たします。微生物がすみついて、世代を重ねていくと、すみかとなっている好物と微生物、その死骸などが相互作用し、その場所の環境も多様になっていきます。酸性やアルカリ性、酸素が多い場所、少ない場所……。さまざまな環境があるから、そこにいろいろな微生物がすめるのです。この多様性をつくるのに40年が必要なわけです。土地がすごいのは、毎年、条件が違うのに、同じように作物ができること。そこには、別の微生物が働いているはず。多様性によって、一つがダメになっても、ほかのものが働くようになっているのです。5億年かけて洗練されてきた究極のシステムが、40年程度でできるのはすごいと思います。されに便利な人工土壌が期待されています。 =談 ふじい・かずみち 1981年、富山県生まれ。福島国際研究教育機構ユニットリーダー。土地の研究者として、カナダ極北の永久凍土からインドネシアの亜熱帯雨林まで、スコップを片手に各地を飛び回る。著書に『土と生命の46億年史』(ブルーバックス)、『土 地球最後のナゾ』(光文社新書)などがある。 【文化Culture】聖教新聞2025.4.3
November 15, 2025
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北条氏降伏の決定打の一つ城郭ライター 萩原 さちこ石垣山一夜城石垣山一夜城(神奈川県小田原市)は、関東屈指の名城です。1590年代に豊臣秀吉が北条氏を滅亡させた小田原攻めの際、秀吉が本陣とした城。小田原城に籠城する北条氏を包囲する秀吉の大軍勢ごと見下ろすように、小田原城からわずか3㌔ほどの笠懸山に築かれました。一夜城というロマンあふれる俗称は、築城時のエピソードに由来します。秀吉は、完成と同時に樹木を伐採させて一夜のうちに城が出現したように見せる、という演出をしたのです。敗色が濃厚となり厭戦ムードが高まる中、見たこともない高石垣や天守を目にした北条氏は財力と余力の差を否応なく見せつけられ、驚きよりも失望のほうが大きかったことでしょう。この城の存在が、降伏の決定打の一つになったとされています。実際には約4万人の動員数で82日ほど擁していますが、かなりの突貫工事だったことは間違いありません。この城はいわば、秀吉の分身。これだけの豪壮な城を単位間で完成させられることが重要だったのでしょう。崩れかけてはいるものの、現在も城内にはそう石垣の城の姿がほぼそのまま現存します。近江坂本の穴太衆が築いた関東最古の野面積みの石垣は見事。天下人の座に手をかけた秀吉の、最高峰の技術力に感服します。最大の見どころは、二の丸北東部にある井戸曲輪です。沢のようになっていた地形を利用し、段違いの空間を北側と東側に築かれた高石垣が城壁となって囲んでいます。井戸は二の丸から25㍍も下がった場所にあり、現在も湧水が確認できます。本丸の展望台をはじめ二の丸からは、現在でも小田原城を見下ろすことができます。眼下には小田原城や城下、足柄平野や相模灘、遠くには晴れていれば三浦半島や房総半島も望める最高の立地。北条氏が自信を持っていた小田原城の総構を見下ろせるどころか、相模湾まで一望できてしまいます。小田原城を完全包囲しる大軍勢の配置まで見渡せ、秀吉はさぞかし優越感に浸っていたことでしょう。(おわり) 【日本全国お城巡り35】公明新聞2025.4.3
November 15, 2025
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介護離職を防ぐために㊤介護離職予防アドバイザー 牛越 博文さんうしこし・ひろふみ 介護予防アドバイザー。医療・介護ジャーナリスト。日本生命保険相互会社に入社後、ドイツ、オーストラリア、イギリス駐在中に医療・介護を調査。厚生労働省所管の研究機関、中医協調査担当、監査法人トーマツ(デトロイトマーツ)等を経て、現職。メディア出演、著書多数。育児・介護休業法が改正今月1日に改正施行された「育児・介護休業法」。介護の分野では、介護離職を防ぐための制度が強化されました。起業は何が求められるか、介護離職予防アドバイザーの牛越博文さんに聞きました。中核の離脱は大きな損失介護が始まる時のことをイメージしてみてください——例えば、母親が脳卒中で倒れて手術。多淫後、介護が必要になるが、父親は食事などの家事ができません。このような場合、実際の介護だけでなく、病院や行政の窓口で手続き、父の生活のサポート、利用する施設の検討も必要になるかもしれません。これらには、膨大な時間が必要で、とても仕事どころではなくなってしまうのです。このような介護の負担が発生するタイミングは、予想できません。ある日突然、突き付けられるのです。しかも40~60代という、働き盛りや職場の中核を担う世代になるほど、親の介護に直面する確率は高くなるでしょう。それらの人が離脱することは、企業にとって大きな損失です。超高齢社会の日本にあって、「介護離職」は個人の問題であるだけではなく、社会全体の最重要課題なのです。 雇用環境の整備が義務化今回の改正でポイントとなるのが、全国の全事業主を対象に、「介護離職防止のための雇用環境整備」が義務化された点です。具体的には、すべ店従業員が「介護休業」y「介護両立支援制度」などをスムーズに申し出られるように、次の①~④のいずれか一つは必ず実施しなければなりません。また、①~④のうち複数の措置を講じることが望ましいとされています。① 介護休業・介護両立制度支援制度等に関する研修の実施② 同制度等に関する相談体制の整備(相談窓口設置)③ 自社の労働者の同制度等の利用の事例の収集・提供④ 自社の労働者(同制度等の利用促進に関する方針の周知この他にも、介護に直面した旨の申し出をした人に対し、介護休業に関する制度や手続きについて個別で周知することに加え、直面する前の早い段階(40歳等)でも、情報提供を行うことなども義務化されました。また、努力義務として明介護状態の家族を支えるためのテレワーク導入も推奨されています。 大事なのは研修の中身雇用環境の整備に①~④の項目がありますが、特に中小企業にとって、実施に向けた課題は多いと思います。「②窓口設置」は、人員を割く必要があります。「③事例の収集・提供」は、そもそも事例が少ない場合、難しいでしょう。「④方針の周知」は、たとえば研修などを周知することになっています。介護に直面した時に困らないよう、事前の準備をより確実に意識させるためには、結果、「①研修」を実施するケースが多くなると予想しています。大事なのが研修の中身です。「休業制度の概要」「手続きの説明」といった事務的な研修だけでは、介護離職の歯止めにはなりません。いざ介護に直面したとき、どのような休業の撮り方が効果的か、どの介護保険サービスを活用するとよいかなど、各企業に合った〝仕事と介護の両立〟の方途を従業員と共に考えられる、そんな研修を実施することで、企業への信頼も増すのではないでしょうか。 企業の姿勢が問われるある病院グループでは、近年、介護離職する看護士が増えたといいます。そっこで、一度辞めた人も将来的にも戻ってこられる〝リターン制度〟を模索しています。今後は、このような各企業・団体による工夫も必要になってくるでしょう。介護が大変でやめざるを得ないというのが、介護離職の大きな原因ですが、それだけではありません。介護に直面した時、働き先が丁寧・親切な対応をしてきれなかったことで、最終的にやめていくケースもあるのです。自分が本当に困った時に助けてくれない……。それでは、働き続けるモチベーションが下がっても無理はありません。今回の方形成の対応も、〝最低限のことをやればいいだろう〟とのスタンス七日、本当の意味で〝従業員を大切に〟できるか。企業の姿勢が問われる、分岐点なのだと思います。 【介護】聖教新聞2025.4.2
November 14, 2025
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脳活動の操作は慎重に審査を科学文明論研究家 橳島 次郎光遺伝学技術の臨床応用今年2月、慶応大学病院で、「光遺伝学」という技術を使い、網膜色素変性症患者の失われた視覚機能の再生を目指す臨床試験(治験)が始められたとの発表があった。光遺伝学技術を応用した治療法として日本初の例で、そこで用いられる特殊なタンパク質を患者に試すのは世界初だという。光遺伝学とは、光を当てると活性化するタンパク質をつくる遺伝子を脳神経細胞に挿入し、その神経の活動を光の照射によって働かせたりする技術で、もともとは特定の神経細胞がどういう働きをするかを調べる、脳科学研究の実験手法として開発されたものだ。今回の慶応大学病院の治験は、光を感知する機能を失った患者の網膜の視細胞に、この治療のために特別に開発された光感受性タンパク質を作る遺伝子を注射し、そのタンパク質の働きで光を感じとる機能を再建しようとするものだ。視覚に関する神経回路を操作するものではない。だが光遺伝学技術を使えば、脳の神経活動を操作することもできる。例えば2020年に日本の研究チームが、ニホンザルの手の運動に関わる大脳皮質の領野に関わる大脳皮質の領野に光で活性化するタンパク質を発現させる遺伝子を導入し、脳に光を当てて手を動かすことに成功したと発表している。この成果は運動の抑制にも応用できるので、パーキンソン病患者の手の震えを抑える治療技術の開発につながると期待できるという。さらに肥満症や過食症の治療にこの技術を応用する研究もある。22年に日本のチームが発表した論文では、マウスの食物摂取に関連する脳の中枢のニューロンを光遺伝子の手法で制御し、脂肪の過剰摂取塗装摂取カロリー量を抑制できたという。パーキンソン病のような不随意運動を伴う神経疾患は、これまで薬物療法に加え、脳内に微小電極を埋め込み電気刺激し震えを抑える脳深部刺激療法(DBS)が行われてきた。海外ではDBSを摂食障害(過食症や拒食症)の治療に使う例もある。光遺伝学技術は、これらの既存の電気刺激よりも標的とすべき神経細胞を的確に限局して光刺激し、より良い治療効果を望めるという。だが連載第22回でみたように、こうした脳神経の刺激技術には倫理的問題が伴う。光照射のオン・オフで脳の活動に変化を与え身心を操作できるようになれば、自由意志が損なわれ人としての尊厳が失われることになりかねない。光遺伝学技術の臨床応用は、個々にその是非を慎重に審査する必要がある。 【先端技術は何をもたらすか‐40‐】聖教新聞2025.4.1
November 14, 2025
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脳活動の操作は慎重に審査を科学文明論研究家 橳島 次郎光遺伝学技術の臨床応用今年2月、慶応大学病院で、「光遺伝学」という技術を使い、網膜色素変性症患者の失われた視覚機能の再生を目指す臨床試験(治験)が始められたとの発表があった。光遺伝学技術を応用した治療法として日本初の例で、そこで用いられる特殊なタンパク質を患者に試すのは世界初だという。光遺伝学とは、光を当てると活性化するタンパク質をつくる遺伝子を脳神経細胞に挿入し、その神経の活動を光の照射によって働かせたりする技術で、もともとは特定の神経細胞がどういう働きをするかを調べる、脳科学研究の実験手法として開発されたものだ。今回の慶応大学病院の治験は、光を感知する機能を失った患者の網膜の視細胞に、この治療のために特別に開発された光感受性タンパク質を作る遺伝子を注射し、そのタンパク質の働きで光を感じとる機能を再建しようとするものだ。視覚に関する神経回路を操作するものではない。だが光遺伝学技術を使えば、脳の神経活動を操作することもできる。例えば2020年に日本の研究チームが、ニホンザルの手の運動に関わる大脳皮質の領野に関わる大脳皮質の領野に光で活性化するタンパク質を発現させる遺伝子を導入し、脳に光を当てて手を動かすことに成功したと発表している。この成果は運動の抑制にも応用できるので、パーキンソン病患者の手の震えを抑える治療技術の開発につながると期待できるという。さらに肥満症や過食症の治療にこの技術を応用する研究もある。22年に日本のチームが発表した論文では、マウスの食物摂取に関連する脳の中枢のニューロンを光遺伝子の手法で制御し、脂肪の過剰摂取塗装摂取カロリー量を抑制できたという。パーキンソン病のような不随意運動を伴う神経疾患は、これまで薬物療法に加え、脳内に微小電極を埋め込み電気刺激し震えを抑える脳深部刺激療法(DBS)が行われてきた。海外ではDBSを摂食障害(過食症や拒食症)の治療に使う例もある。光遺伝学技術は、これらの既存の電気刺激よりも標的とすべき神経細胞を的確に限局して光刺激し、より良い治療効果を望めるという。だが連載第22回でみたように、こうした脳神経の刺激技術には倫理的問題が伴う。光照射のオン・オフで脳の活動に変化を与え身心を操作できるようになれば、自由意志が損なわれ人としての尊厳が失われることになりかねない。光遺伝学技術の臨床応用は、個々にその是非を慎重に審査する必要がある。 【先端技術は何をもたらすか‐40‐】聖教新聞2025.4.1
November 14, 2025
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政策の哲学中野 剛志 著 経済政策の対立理解に絶好明治大学 教授 田中 秀明 評 本書は、民主国家における全ての国民にとって必要な「政策哲学」を論じるものである。有権者全員が広い意味での「責任ある政策担当者」だからと著者は説く。政策は政治家や官僚だけがつくるものではない。本書は序論からはじまり、10章と結論で構成される。第1章は、経済政策に大きな影響を与えている主流は哲学の問題点を指摘する。第2~8章は科学・国家・制作などの基本的な概念を整理している。特に、本書の核となる「公共政策の実在論的理論」が展開される。これらを踏まえ、第9章では財政政策について、第10章では政治のあるべき姿について、具体的に議論する。結論では、公共政策の実在論的理論こそが21世紀に必要な政治哲学であると主張する。本書を読んで最初に驚くのは著者の博学である。化学、哲学、経済学、政治学、社会学など関連する論文や研究を丹念に紹介している。哲学などと聞くと読むのを躊躇するかもしれないが、本書は実践的な政策散る案のあり方を論じている。それは、近年に日本の経済政策に関係する。日本経済は、90年代初頭のバブル経済の崩壊以降、全体としては低迷している。長らくデフレに陥り、人々の所得は低下した。これを打開するべく登場したのが、異次元の金融緩和などを軸とした「アベノミクス」である。その効果を巡っては、経済学者の間で賛否両論が繰り広げられている。著者は、これまで経済政策の在り方を支配してきた「主流派経済学は科学ではない」と断じる。同経済学は、非現実的な前提を置いて、小さな政府、規制緩和、民営化、健全な時勢、貿易の自由化などの政策を実行したため、金融危機、長期停滞、格差の拡大、貧困の増大などをもたらしたと説く。また、健全財政という財政に規律の根拠も非科学的だと主張する。著書が拠り所とするのが公共政策の実在論的理論であり、「国家政策が成立し得る存在的な条件を明らかにする理論」だ。ここでは、政策担当者の「裁量」がいっそう重要となると指摘する。そうであれば、日本における政治・行政や政策過程の実際について、もう少し議論を期待したい。著者は国家公務員であり、実態を熟知しているからだ。元より税制債権が目的ではなく、日本が直面する当面の課題は人口減少をのりこえることである。しかし、「年収の壁」などが典型的なように、現実の政策は問題解決には遠い。10年以上にわたり毎年2兆円を使い地方創成が進められたが、東京一極集中は是正されていない。市場は完全ではなく、政府の役割は重要である。しかし、市場が失敗すると同様に制作も失敗する。政治家や官僚は神さまではないからだ。著者は、政府の問題を分析する公共選択理論も批判する。傾聴に値するが、現実として日本の政策過程には問題が多い。議論は尽きないが、それほど本書の問題的期はおもしろく、経済政策のあり方について知的興奮をよぶ。経済政策を巡る対立を理解するには絶好の本である。(集英社 1980円)◇なかの たけし 評論家。東京大学卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。エディンバラ大学大学院より博士号を取得。主著に『日本思想史新論』(ちくま新書)。 【読書】公明新聞2025.3.31
November 13, 2025
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戦国を生き抜いた夫婦 愛の物語 最新作『織部の妻』を刊行小説家 諸田 玲子*1954年静岡県生まれ。96年『眩惑』でデビュー。2003年『其の一日』で吉川英治文学新人賞、07年『奸婦にあらず』で新田次郎文学賞、12年『四十八人の忠臣』で歴史・時代小説大賞作品賞を受賞。昨年8月に『岩に牡丹』(新潮社)、シリーズ第4作『きりきり舞いのさようなら』(光文社文庫)を刊行するなど著書多数。 共に笑い、泣き、世の理不尽に憤ってかけがえのない同志へ 敗者の歴史をたどるのはむずかしい。中世の女性の生きざまを知るのはなおのこと。近世こそ研究者の眼が向けられて重い扉が開かれつつあるとはいえ、著名な女性でもつうしょうや年齢があいまいだったり、家系図にただ「女」としか書き記されていなかったり。私がこれまで史料の乏しい女性たちの物語を紡いできたのは、知られざる声に耳をかたむけ、生きた証を少しでも刻んでおきたいという切実な願いはもとより、従来と異なる角度から眺めることで新たな歴史が見えてくるのではないか、との淡い期待があったからだ。悪妻の汚名を晴らしたいと意気込んで書いた徳川家康の正室の築山殿を皮切りに、秀忠の正室の於江、織田信長の正室の帰蝶、前田家の麻阿や豪、ちよぼ……等々、いわばライフワークのように書きつづけてきた。本紙で連載した『梅もどき』も、家康の側室の一人で、重臣の本多正純へ下賜されたお梅が主人公。歴史では見向きもされなかった側室のお梅だが、実は豊臣や徳川と血縁のある青木家の姫で、正純が宇都宮天井事件で失脚、幽閉の身となったのちも本多家のために尽力をつづけ、伊勢神宮のそばに庵を結んで清廉のうちに波乱に満ちた一生を閉じている。新刊『織部の妻』で自らの数奇な人生を語ってくれたのは、怒涛の戦国を夫織部と手をたずさえていき抜いた仙である。仙は中川清秀の異母妹。清秀は賤ケ岳戦で戦死したため歴史の狭間に埋もれてしまったものの、群雄割拠の時代、摂津国でキリンジのごとく頭角を現わし、信長にも秀吉にも一目おかれた勇将だ。清秀と仙の兄妹は、キリシタン大名として知られざる高山右近や、悪名高い荒木村重の従兄妹でもあった。幼いころから戦禍をくぐりぬけてきた仙は、信長の鶴の一声で古田織部の妻となる。織部といえば「織部焼」「織部好み」「へうげもの」……など、千利久の後継たる茶人として知られる。が、仙が嫁いだころの織部は信長の属将で、戦場を駆けまわっていた。夫婦は時に派手なけんかや紆余曲折をくりかえしながらも心をかよわせ、本能寺の変や関ヶ原戦はいうにおよばず、大坂の陣にいたるまで、数えきれないほどの戦禍をのりこえる。共に笑い共に泣き、ともに世の理不尽に憤って、かけがえのない同志となってゆく。封建時代に家父長制が確立前の女性たちは、私たちが創造する以上にたくましい。家康の母於大や秀吉の妻於根が好例で、夫の出世に一役買った妻も珍しくなかった。夫婦のかたちも様々で、仙姫を娶ってから織部は妻ひと筋、五男三女を生した二人はとびきり型破りな夫婦だった。好奇心旺盛で溌溂とした仙姫はむろん、そんな彼女を巧みに御してゆく織部も、型にはまらぬ、ひょうげた魅力の持ち主である。織田・豊臣・徳川の世を二人三脚で駆けぬけた夫婦が、最期の最後に想像を絶する悲劇にみまわれる。大坂の陣で、織部は択側から豊臣方との内通の罪を問われたのだ。いったいなぜ……織部の賜死はいまだに歴史上のなぞである。これについて、わたしは拙著でひとつの答えを示した。織部一家の悲劇が単なる謀反であったとは思えなし、思いたくもない。夫婦には、力を合わせて守らねばならないものがあった。命を懸けて守りたいものが……。二人は戦うべくして戦った。私はそう信じている。心の声で語り合い、生死の境を超えてなお労わり合う織部と仙に、共感していただければ嬉しい。(もろた・れいこ) 【文化】公明新聞2025.3.30
November 13, 2025
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多様な個性と力強く環境を「パワハラ」なき職場へ暖かい日が増えてきた。春は移動、転勤の時期。身の回りの環境も、人間関係も変化する。新たな職場に期待をする半面、不安を抱く人いるのではないだろうか。職場の人間関係におけるトラブルの一つに「パワーハラスメント(パワハラ)」が挙げられる。2023に実施した厚生労働省の調査によると、約2割の労働者が〝過去3年以内にパワハラを受けた〟と回答。同年の都道府県労働局への相談件数は6万件を超えた。一方、近年は企業や雇用主にパワハラ防止措置が法的に義務付けられるなど、パワハラ問題への認知も着実に進んできた。パワハラは職場での優越的関係を背景に、業務に不必要・不適当な言動で、働く人の就業環境を害するものを指す。職場のルールに反する言動への注意や、育成を目的として高いレベルの業務を任せることはパワハラに当たらない。とはいえ、自身の言動がパワハラに当たるかどうかを自ら判断することは難しい。どのようなコミュニケーションを取ればよいかと悩む人もいるのではないか。前述の厚生労働省の調査では、パワハラが起こりやすい職場の特徴として「上司と部下のコミュニケーションが少ない」ことが挙げられている。パワハラが起きるリスクを減らすために、部下や後輩などの接点を少なくすればいいと考えるのは間違いだ。「パワハラ」という言葉の生みの親である企業コンサルタントの岡田康子さんは、「部下が何を望み、どの方向で成長したいかを知り、その上で社会の期待や組織との調和を考えて対話を重ねることです」と指摘した。大切なことは、日頃からコミュニケーションや対話を重ねることで、同じ職場で働く人同士の「すれ違い」を防ぐことである。その上で、互いの価値観や個性を理解し、尊重しあって意見を交わす。会議での積極的な発言や提案、業務上の報告をしたこと自体を褒める。果敢な挑戦を歓迎する——職場にそのような雰囲気があるからこそ、皆がやりがい・働き甲斐を感じ、成果をあげられるのではないだろうか。どんな職場でも、人材こそ最大の財産であることに変わりはないだろう。さまざまな場面で一人一人が多様な個性を輝かせ、力を発揮できる環境を築いていきたい。 【社説】聖教新聞2025.3.29
November 12, 2025
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子どもが主人公の新時代を実現!教育評論家 尾木直樹氏の講演(趣旨)進む法制化きょうは創価学会教育本部のセミナーということで、小・中・高等学校をはじめ、さまざまな教育現場で奮闘する皆さんにお集まりいただきました。これだけ多くの教育関係者と対面でお話するのは、コロナ禍以降、初めてでではないかしら(拍手)。このような貴重な機会をいただき、とても楽しみにしていました。本日は「『子どもの新時代』の学校と教育」というテーマで、懇談的にお話したいと思います。現在、私はさまざまな場所で、「子ども新時代が到来した!」とお話しています。その背景には、近年、子どもの人権を守る法制化が急速に進んだことがあります。2023年4月、わが国では「こども基本法」が施行されました。これは、こども施策を社会全体で総合的かつ強力に推進するための法律です。実はそれまで日本には、「児童福祉法」や「教育基本法」などの個別の法律はあったものの、子どもの権利を包括的に保障する総合的な法律がありませんでした。「こども基本法」の第一条には、この法律が「日本国憲法」と「子どもの権利条約」(児童の権利に関する条約)の精神に則ることが明記されました。つまり、子どもが大人と同様に一人の人間として権利を持ち、社会の形成に意面する機会を得られることなどが示されたのです。この法制化に伴い、政府は「こども家庭庁」を発足させ、基本理念として「こどもまんなか社会」を目指すことを掲げました。それまで言われてきた〝子どもファースト〟ではなく、社会の在り方を子供中心に捉え直す〝子どもセンタード〟へ、考え方を変えたのです。また、その前年の22年12月には、すでに公布されていた「こども基本法」に基づいて、文部科学省が、生徒指導の基本書である「生徒指導提要」を12年ぶりに改訂しました。これにより、教育現場においても、児童・生徒の個性や可能性を尊重し、校則の見直しや学校行事などについても生徒の意見を取り入れる方針になりました。さらに23年8月には、国連子どもの権利委員会が、気候変動に関わる子どもの権利を守るため、各国政府は環境に関する意思決定し際し、子どもの意見を考慮すべきであるとするなどの、新たな指針を公表しました。このように今、社会で、学校で、そして世界で、子どもを主人公とした新時代への動きが加速しています。さまざまな課題があることは承知していますが、私自身こうした動きに希望を感じています。だからこそ、これを単なる枠組みで終わらせるのではなく、子どもを中心に皆が幸福に生きられる社会の実現を目指して、具体的に行動をしていきたいと思っています。 生き延びる力「子ども新時代」を形成する大きな要素の一つに、AI(人工知能)の発達が挙げられます。AI時代の到来によって、人工知能に求められる能力は、大きく変化しています。スマートフォン一つで何でも調べることができ、AIが膨大な情報の中から最適な解答を導き出す時代において、人間に求められる能力は、暗鬼を中心とした知識量以上に、多様な個性を生み出せる人間の力へと移り変わっています。かつては、人間の優秀さを測る指標としてIQ(知能指数)が注目されていましたが、最近では、HQ(人間性知能)といわれるものが問われるようになりました。最先端の技術も、社会のために使おうとする人間性があってこそ、幅広い領域での活用が期待できます。反対に、人間性が欠落すれば、AI兵器などによって、戦争や殺りくが激化する危険性すらあるのです。そうした中で、今、注目されているのがデジタル・シティズンシップ教育です。これは、デジタル技術の利用を通じて、社会に積極的に関与し、勝れたデジタル市民になるための能力を身につける教育です。インターネットや情報端末が普及した今、そのリスクと利便性の両面を理解し、安全に、責任ある利活用を進めることが重要です。いずれにしても、教育には、すごいスピードで変化する時代に即応し、その中で生き抜く力を育む責任があるのです。経済協力開発機構(OECD)が推進してきた「EDUCATIONN2030」というプロジェクトをご存じでしょうか。世界各国の教育関係者らが協力して、2030年の近未来に求められる子どもたちの資質やその教育法などを検討し、提言したものです。そこでは、不確実な世界を生き延びる力の必要性が説かれ、具体的に、新しい価値を創出する力、対立するジレンマを調整する力、自らを客観視して責任を果たす力を三つが示されました。その後、世界中で猛威を振るったコロナ禍を経て、私は〝生き延びる力〟の重要性をますます実感しました。多くの課題が山積し、先の見えない時代だからこそ、豊かな人間力を育む教育の使命は大きいと感じます。 新しい価値を創出する豊かな人間性を育もう 授業も変わる社会が大きく変わりゆき中で、授業の形態も進化しています。多くの教育現場で、かつて行われていた教師から生徒への一方的な講義形式の授業ではなく、児童・生徒の主体性を引き出す、探求型のアクティブ・ラーニング(能動的学び)が導入されていることは、皆さんがご存じの通りです。私は長年、教育の実態を見つめてきましたが、こうした新たな取り組みの降下に目覚ましいものがあると感じています。山形県のある職業高校では、地域の「食育」にユニークな取り組みをしていました。生徒が地域の子どもたちと一緒に農作物を収穫して料理したり、オリジナルの紙芝居を作って「食」や「農業」の課題解決に啓発活動をしたりしていました。大人には思いつかない率直で柔軟な発想や、携わる子どもたちの生き生きとした姿がとても印象的でした。また先日、「スタートアップJr、アワード」という、小学生、中学生、高校生のプレゼンテーション大火で特別審査員を務めたのですが、子どもたちの豊かな想像力に驚くばかりでした。ある小学2年生の女子児童は、小児医療において入院時のプライバシーが確保されないなどの課題があることを、実際に入院中の友達とオンラインで動画をつなぎながらプレゼンテーション。子どものための人間ドックという新しい発想で課題解決を図り、さらに医療ツーリズムを通じたインバウンドの需要を得る提案を発表していました。私は、これらの事例を見ながら、改めて子供の可能性を信じる大切さを実感しました。子どもを一人の人格として尊重し、未来について共に考え、思い切って子供に頼ってみたらいいのではないかと思うのです。 大いなる理想へ最後に、「子ども新時代」の教育に携わる皆さんへのエールを込めて、私が大切だと考える三つの教師力について述べておきたいと思います。一つ目は、「聴く力」です。とにかく、「聴き上手」になること。仮に子どもが悪さをしても、すぐに叱るのではなく「どうしたの?」と耳を傾けてあげて欲しい。「そういう思いだったんだ。勇気を出していってくれてありがとう」と、〝叱る〟を〝褒める〟に転換してできれば、共感が生まれ、子どものエンパワーメント(内発的な力の開化)につながります。二つ目は、優しさと厳しさを合わせ持つこと。私はやさしさと厳しさは表裏一体だと思います。子どもの人権を傷つけることは絶対に許さないという峻厳な姿勢と、同時に、傷つきそうな子どもには徹底的に寄り添って、何としても守リ抜く優しさを持つことです。三つ目は、目標や理想といったアドバルーンは高く掲げよということ。教師は高い理想を掲げて前進することが大切です。アドバルーンを低くすると、学校や社会に脈打つ分かが低下する危険性があります。現実の厳しさを知っているからこそ、大人自身が大いなる理想に向かって進む最高の模範になります。30年後、私たちはどうなっているでしょうか。ある人は仕事を引退し、中にはお空の上から世界を見守っている人もいるかもしれません(笑)。しかし、今の子どもたちは、その多くが現実の社会を生きなければいけません。未来を生きるのも、未来をつくるもの今の子どもたちです。だからこそ、子どもを中心とした新たな時代を築くことは、希望の未来に直結すると思います。きょう集まった、教育に携わるわたしたち一人一人が力を合わせて、各現場で、新たな価値を創出する挑戦を続けていきましょう! 【教育本部セミナーから】聖教新聞2025.3.28
November 12, 2025
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鳥の生活に農業の影響日本野鳥の会 自然保護室長 田尻 浩伸本稿執筆時点では政府備蓄米の放出開始が新聞各紙をにぎわしているが、米不足についてお政府への批判を見ると日常生活に農政が与える影響の大きさをあらためて感じる。いま、今後5年間程度の創成の基本方針を占める食料・農業・農村基本計画の策定が大詰めを迎えている。今回の基本計画は、昨年4月の基本法形成後初めての計画となる。基本法では、農業が環境に負荷を与えることが明記され、環境負荷低減を図るとされた。世界の絶滅危惧種、準絶滅危惧種の鳥類のうち73%が農業の影響を受けており、この数字は森林伐採、侵略的外来生物、狩猟などの影響よりも高い。農業がこんなにも多くの種に影響を与えているのかと驚いたが、逆に言えば、農業で多くの絶滅危惧種の保全に効果をあげられるということだ。国内では年間約230種の鳥類が農耕地を利用するので、やはり農地は重要である。策定中の基本計画を見てみると、化学農薬や化学肥料、温室効果ガスの排出削減などにより環境負荷低減の記述が多く、生物多様性に関しては悪影響を避けることが中心で、積極的に生物多様性を向上させるための取り組みが少ない。農水省も独自の生物多様性戦略を策定しているのに、何とも心許ない。しかし、この状況は国だけの責任とは言い切れない。国連環境計画が昨年発行した報告書によると、政府による生物多様性保全への積極的な取り組みに賛同する人の割合が日本では世界平均より30%ほども低く、また、「よくわからない」と回答した人は世界平均1%に対して20%にもなった。生物多様性への無関心が生物多様性第5の危機という人もいる。多くの人に生物多様性の重要背を知ってもらう取り組みも欠かせない。 【すなどけい】公明新聞2025.3.28
November 11, 2025
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20世紀、欧州を中心に世界中に離散——亡命ロシア文学の世界北海道大学 准教授 小椋 彩祖国との離別、喪失感から独自性へ1917年の革命と続く内戦は、ロシアから膨大な数の亡命者を生み出した。十月革命以後から第2次世界大戦までに起こった人的大流出を、「亡命の第一の波」と呼ぶ。ソヴィエト・ロシアからの大量出獄は、第二の波(40-50代)、第三の波(60-80代)と続いたが、第一線で活躍する芸術家・知識人たちが一挙に祖国を離れた第一の波の文化的影響は、その多方面にわたり、きわめて大きなものだった。亡命者は欧州を中心に世界中に離散し、各地でコミュニティー作られた。その文化形成と維持に大きな役割を果たしたのは、新聞や雑誌などの定期刊行物だった。母語と引き離されることは、言葉を扱う作家たちにとって、音楽や絵画よりもいっそう深刻な意味をもつ。しかし、あるいはだからこそ、各都市には文学グループが多数出現した。こうして、20年代初頭のベルリン、次いでパリ、亡命ロシア文学が花開く。プラハやベオグラードなどにも、独自の文化コミュニティーが存在した。「亡命ロシア文学」という何らかの本質的特徴を備えた文学があるわけではない。作家たちがそれぞれ、自分の文学を創造しようとしただけだ。とはいえ、祖国との別離、その祖国がもはや昔のようには存在しないことから生じる喪失感が、彼らの文学の独自性を作っていたことも確かである。亡命前に文名を確立していても、異国で筆を折る者はいくらでもいた。そうした状況下でも旺盛な創作活動をつづけ、名声を博したのはイワン・ブーニン(①870-1953)だ。1933年、フランスに亡命していた彼がロシアの作家として初めてノーベル文学賞を受賞した報は、世界中の亡命ロシア人たちに大きな喜びをもたらした。代表作『アルセーニエフの人生』(※1)は、亡命ロシア人の回想の形式をとる。作家は自伝的要素の濃い本作に、帝政末期ロシアの姿を、美しく静謐な筆致で永遠にとどめようとした。ソ連国内にあっては、亡命者は裏切り者とみなされ、作品の鑑賞はおろか、一部の例外を除いては言及すらタブーであった。ペレストロイカで状況は一変し、解禁後、亡命文学は一気に大ブームの様相を呈する。ガイド・ガズダーノフ(1903-71)もそうして「発掘」」された一人だ。若くして祖国を離れた新世代の亡命かとしてウラミジール・ナボコフ(1899-1977)に並び称された才能であるが、世界的成功を収めたナボコフとは異なり、亡命ロシアの閉鎖的コミュニティーより外に出ることは叶わなかった。出世作『クレールとの夕べ』(※2)では、初恋のフランス人女性との邂逅を軸に、亡命ロシア人の主人公が、やはり人生を振り返る。フランス語に堪能だったにもかかわらず、ガズダーノフは生涯ロシア語でした創作しなかった。この世代の亡命作家は往々にして、ロシア文学伝統の継承者たる自己を長年作家よりも鋭く意識していた。しかし、「意識の流れ」の文体や、『クレールとの夕べ』に始まり、最期はその夕べへ回帰する円環的な小説構造など、ロシア文学の伝統というよりも、ヨーロッパ・モダニズムの明らかな影響がうかがいしれる。ガズダーノフの初めての邦訳は2022年に出版された。訳者はブーニン研究の第一人者でブーニンの端正な日本語訳で知られる。世代を異にする亡命作家が、愛して振り返った、ときに写実的でときに形而上的なロシアをぜひ読み比べてみてほしい。(おぐら・ひかる)※1イワン・ブーニング『ブーニング作品集4 アルセーニエフの人生 青春』望月恒子訳 群像社※2ガイト・ガズダーノ『クレーベルとの夕べ アレクサンドル・ヴォルフの亡命』望月恒子訳 白水社 【文化】公明新聞2025.3.28
November 10, 2025
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求められる科学リテラシー竹内薫(サイエンスライター)身を守るために必要噓を避ける判断材料に日本の科学力は下がっている「生成AIの進化がすごい」「コロナウイルスの変異株が見つかる」「メキシコで宇宙人のミイラを発見?」——。こんなニュースを目にしたら、皆さんはどう思うでしょうか。これらは、いずれも科学にまつわるニュース。現代では、さまざまなことが科学に関係し、まったく無関係というものの方が少ないほどです。例えばアメリカ大統領選挙。科学は関係ないと思われるかもしれません。しかし、毎回のように、AIによる多くのフェイクニュースが話題になります。偽動画、偽情報が出回り、投票の行方も左右するほどです。以前の日本は科学立国といわれていました。しかし、国民の科学リテラシーは、この数十年の間に低下し、そこにフェイクニュースのようなものが増えて、問題は拡大しているように感じます。混迷の時代だからこそ、化学リテラシーを取り戻して、フェイクニュースを選別できるようになってほしいと思っています。科学を選ぶのは、勉強のためではありません。大切なのは、自分自身や家族の身を守れるかどうか。命に関わるような問題ではなくても、詐欺などの被害を避けたりもできるはずです。科学的な話題について、皆が正しい判断をできるように、拙著『フェイクニュース時代の科学リテラシー超入門』(ディスカヴァー携書)も参考にしてもらえたらと思います。 SNSは便利だが注意したい私自身の感覚ですが、昔はもっと科学リテラシーがあったように感じます。今の方が最近の情報に接する機会が多いのに、どうしてでしょうか。その理由の一つとして、昔は皆が新聞を読んでいたことが挙げられます。科学ニュースの扱い方に関しては、バランスが取れていたように思います。その新聞を、多くの人が、1日1回か2回読んで、情報を仕入れていたのです。私自身はSNSを評価していますが、新聞との違いは、ファクトチェックを経ているかどうか。事実関係を判断できる人にとっては、すごく便利な道具です。しかし、専門分野がちがって、あまり詳しくない問題では判断が難しい。特に、いろいろな意見が出ている時には、判断に迷うのではないでしょうか。インターネットを使っていると、フィルターバブル、エコーチェンバーなどの影響で、似たような意見ばかりが集まってきてしまいます。自分が聞きたい意見、しっくりくるような意見ばかりが集まっているのに、それに気づかないケースも多いのです。例えば、浄水器の宣伝文句。水を飲むなら水道水でもいいはず。水道水のカルキが気になるのであれば、数千円の浄水器で十分。それなのに10万円近くする浄水器は、どうでしょうか。気分的に許せる範囲の宣伝文句もありますが、〝これを飲んだらがんになりません〟などのうたい文句は……。嘘から身を守るためにも、科学リテラシーは必要なのです。 誰を信じるか、見る目を養う科学はそれほど詳しくなくても、科学リテラシーを持つことはできます。重要なのは、誰の意見を信じて、自分の行動を決めるか。大切なのは、その人が、どのような研究をしてきて、どのような論文を発表しているのか、どのように評価されているのかです。ただ、専門家を見極める目を養うのは、単純だけれども難しいものです。そんな時は、詳しい人をフォローすることです。その上で、もっと知りたいのであれば、専門書や科学雑誌を読むといいでしょう。「日経サイエンス」「ニュートン」「子供の科学」などの科学雑誌がおすすめ。一見、難しそうに見えるかもしれませんが、最新の研究内容が分かりやすくまとまっていて、解説も充実しています。多くの人が化学嫌いなのは学校の勉強のせい。受験のため、知識を詰め込む勉強は面白くない。でも、未来の科学は非常にワクワク・ドキドキさせてくれるものです。実は、科学者が何をやっているのか、その現場をのぞくのが一番面白いのです。イメージ的には、動物園で動物たちを眺めるのは楽しいけれども、裏側で飼育員さんが何をしているのかはもっと楽しいもの。見えない場所でそんなことをやっているのかを見るのかと、興味は尽きないはず。科学者が本を出した時に行うイベント。サイン会などに参加すると、リアルな研究の裏話が聞けます。興味を持つことから始めて、少しでも科学リテラシーを高めてほしいと思います。たけうち・かおる 1960年、東京生まれ。サイエンス作家。分かりやすい科学解説や化学評論に定評がある。著書に『99.9%は仮説 思い込みで判断しないための考え方』『自分がバカかもしれないと思った時に読む本』など多数。この4月、ZEN大学基幹教員・教授に就任予定。 【文化Culture】聖教新聞2025.3.27
November 10, 2025
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奈良国立博物館 開館130年奈良国立博物館 主任研究員 三田 覚之国宝を守り、未来に伝える実物が語るリアリティー。それが文化財の持つ大きな力である。我々が存在する「今」は、遥か遠い祖先から、続く国の文化や歴史を再確認し、未来へ伝えていく大きな流れの中にある。そのときに参照すべき各時代の思想や美意識を具体的な形として伝える文化財はかけがえのない存在であり、ひとたび失われてしまえば、歴史をリアルに感じることも困難になるだろう。さて、明治28年(1895)に開館した奈良国立博物館(奈良博)だが、その歴史的なきっかけはさらに遡り、明治8年(1875)から18回にわたり東大寺大仏殿とその回廊で開かれた「奈良博覧会」に辿り着く。これは社寺の宝物に加え、特産品などを数多く紹介することで、地域の文化や経済の活性化を目指した企画であった。特に1~3回と5階では正倉院宝物の大規模さ展示が行われたことも特筆される。当時の奈良は、各社寺の経済的な疲弊や明治初期に行われた神仏分離の影響により、文化財の保存が危機的な状態にあった。そうした中にあって博覧会の反響は高く、明治22年(1889)には宮内省の管下に帝国なら博物館(現奈良博)が設置、今から130年前の明治28年(1895)に開館したのである。近代国家として日本画歩み出した初期に、奈良の地に伝えられた社寺の宝物を中心として、文化財を守る動きが始まったのは、現在から見ても幸いであったといえるだろう。博物館は文化財の調査・研究に基づいて、それらをお預かりし、保存と公開によって広くその価値を知らせる役割を担うために生まれたのであり、その基本的な方針は今も変わらない。奈良の地に深く根ざし、多くの社寺に支えられてきた奈良博では、このたび、開館130年を記念した特別展「超国宝—祈りのかがやき—」を開催する(4月19日~6月15日)。国宝とは、数多くの文化財の中にあって特に世界文化の見地から価値が高く、国民の宝として相応しいものとして国が指定した有形文化財である。文化財指定が文化財の価値を決めてしまうものではないが、指定という制度を通じて保護意識を高め、より適切なかたちで未来に伝える狙いもあるといえるだろう。そうした国宝という言葉が持つ意味を踏まえたうえで、今回あえて「超国宝」とタイトルにしたのは、それがとりわけ優れた文化財であるとともに、かけがえのない国宝を生み出したのは先人たちの祈りであり、時代を超えて輝きをつづけるものという思いを込めたからである。展示空間においては、文化財とともに未来に伝えていかなければならない本質として、祈りの輝きを表現したいと考えている。特に今回の特別展では、法隆寺の百済観音像を象徴的な作品としてお迎えする。本尊は明治の終わりから昭和初期まで奈良博にあり、初期の代表的な展示作品であった。百済観音像の燈明のように立ち上がった長身の姿。ぜひ今一度自らの祈りの輝きに出会うためにも、奈良博へ足をお運びいただきたい。(みた・かくゆき) 【文化】公明新聞2025.3.26
November 9, 2025
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個人の尊厳をいかにして守るのか 平等について、いま話したいことトマ・ピケティ、マイケル・サンデル 著/岡本麻左子 訳▲世界的に広がる〝右派ポピュリズム〟の躍進——本書の議論は、その背景に明瞭な説明を与える NHKで好評を博した「ハーバード白熱教室」でおなじみの政治学者マイケル・サンデルと、『21世紀の資本』が世界的ベストセラーとなった経済学者のトマ・ピケティ。欧米を代表する、この二人の巨頭による注目の対談集である。二人が取り上げるテーマは、「平等」について。権利や機械の不平等、富の偏在など、資本主義が構造的に生み出すさまざまな不平等について論じ合う。互いの専門領域や生まれ育った環境が全く異なる以上、両者の考えには当然、多くの差異がある。本書に解説を寄せた同志社大学の吉田徹教授は「サンデルの関心は多かれ少なかれ『(現象や言葉が)人にとって何を意味するのか』という点に向けられているのに対し、ピケティは『現実社会がどのような趨勢にあるのか』ということに関心を寄せる」と評している。そうした二人が合意を見た点の一つが〝不平等が個人の尊厳を毀損している〟ということだ。例えば、近年サンデルが警鐘を鳴らす能力主義(メリトクラシー)について、競争を勝ち抜いた者が、自身の成功を〝すべて自らの努力のおかげ〟と思い込むことが、取り残された人々に対して〝自業自得だ〟との冷たいまなざしを向けること、表裏一体になっていると批判する。実際には、高学歴や高収入といった社会的成功には、生まれ育った環境や境遇、幸運という要素も大きく影響していよう。不平等は今、本来は人類が皆、等しく持っているはずの尊厳を揺るがしているのだ。多種多様な不平等が社会に生み出すひずみは、日本でも随所に見られる。日本社会の未来を展望する上で、二人の議論が提示する視点は大きな示唆を与えるに違いない。(東) 【読書Book】聖教新聞2025.3.25
November 9, 2025
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糖尿病なら目の定期検査を網膜症の進行に注意今日のポイント放置すると失明の可能性 糖尿病には、よく知られる三大合併症「し・め・じ」があります。「神経」「目」「腎臓」の頭文字です。目については、糖尿病網膜症は失明の主要な原因の一つ。信仰するとし矢が架けたり、水らくなったりして生活の質を大きく損ないます。視力低下などの自覚症状が出た時には重症化している例が少なくありません。眼科を定期受診して眼底検査を受ける人を、いかに増やすかが課題です。 年1回以上の受診を推奨日本糖尿病学会の診察ガイドプランでは、糖尿病と診断された人に年1回以上の眼科受診、眼底検査を推奨しています。筑波大学医学医療系の杉山雄大教授(ヘルスリサーチサービス)、大学院生の山本行子さん(糖尿病内科)らは東京大学、国立国際医療研究センターとの共同研究で、医療者から眼科受診を進められたと認識した糖尿病患者は、効率で眼底検査を受けているとする研究結果を発表しました。2022年度に茨城県つくば市が国民健康保険加入者に聞いた糖尿病に関するアンケートの結果を、21年度の受診・健康診断の実績と突き合わせ、糖尿病の自覚があると回答した京290人分のデータを分析しました。すると、医療者から眼科受診を進められたと認識していた人の73%が眼科を受診して検査を受け、93%の人が「年1回以上」の受診の必要性を理解していました。一方で、勧められた認識がない人の、検査を受けた割合は30%。正しい眼科受診の感覚を知っている人も50%で、いずれの項目も大差がつきました。山本さんは「医療者からの受診勧奨が、理解や行動につながる。検査をどの眼科も受けられるので、通いやすいところを受診してほしい」と話します。 血管が傷み出血が起こる糖尿病になると、なぜ網膜症になるのでしょうか。糖尿病で血糖値が高い状態が続くと、血管の内側が傷んだり、血管が詰まったりします。これが神経障害や糖尿性腎荘、心筋梗塞、脳卒中、足の壊疽にもつながります。日本糖尿病眼学会の資料などによると、目ではまず、網膜に広がる毛細血管がダメージを受けます。毛細血管が詰まると体は新たな血管(新生血管)と作ります。このもろい血管から出血が起こると、角膜と網膜の間の硝子体が濁り、視野を遮ります。また、網膜のむくみや剥離が起き、急に視力が低下することもあります。眼科での眼底検査では点眼薬で瞳孔を開き、網膜の血管や神経系の状態を通常の健康診断より詳しく調べます。網膜症の兆候を症状がないうちからとらえて、経過を観察できます。治療では、薬剤の注射かレーザー光による凝固術、濁った硝子体などの切除手術をなどで、進行を防ぎます。 医療機関から手帳をもらい活用ただし、糖尿病を放置したままでは網膜症の進行予防は難しいと言います。特に血糖管理が不十分だと、5~10年で網膜症を発祥することがあります。杉山さんの別の研究によると、〝診断された時点で速やかに投薬治療が必要なほど糖尿病が進んでいた症例では、網膜症の治療もすぐに必要なケースが多かった〟という結果が示されています。糖尿病の主治医と顔回の間の連携が大事になるが、山本さんはそのために作られた手帳の活用を勧めます。日本糖尿病眼学会の「糖尿病眼手帳」は、糖尿病を診る医師と眼科医に提供されています。例えば、眼科受診の際に眼科医に記入してもらい、次の糖尿病の診察の際に見せれば、どんな治療を進めているかといった情報が記録、共有されます。使ってみたい場合は、「手帳をもらえないか」と医療機関で尋ねてみましょう。 メディカルmedicalトピックtopic💊手術すれば交通事故が減る〝睡眠時無呼吸症候群(SAS)の患者は、適切に手術を受ければ工数事故を起こすリスクが下がる〟との研究結果を、米トーマス・ジェファソン大学の研究チームが発表しました。患者280万人余りのデータを分析しました。診断後に交通事故に遭った人の割合は、重症者の多い持続陽圧呼吸療法(シーパップ)装置を使っている患者では6.1%、継承者の多い多数の無治療の患者では4.7%でしたが、手術を受けた患者では3.4%。事故後には高血圧や糖尿病、心不全などの合併症を発症する可能性も高まりました。研究チームは、交通事故による死傷を減らすという公共衛生、安全の観点からも、適応のある患者には外科的治療を考慮すべきだとしました。 【医療MedicalTreatment】聖教新聞2025.3.24
November 8, 2025
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生誕250年を迎える————ジェイン・オースティンを読むフェリス女学院大学教授 向井 秀忠漱石は「写実の泰斗」と賞賛誰にもある人間の滑稽さを描くジェイン・オースティン(1775~1817)は、夏目漱石が「写実の泰斗」と称賛するなど、専門家から文学的に高く評価されてきた。同時に、一般の読者の多くにも、時代や国を越えて長く親しまれてきた。そんな彼女の作品の魅力はどこにあるのだろうか。最も親しまれている『高慢と偏見』(『自負と偏見』の翻訳タイトルもあり)は、出合い、五回、それぞれの反省、双方の和解と歩み寄りを描き、ヒロインの自由闊達さや相手役の格好良さが魅力となって多くの読者を惹きつけてきた。1995年のBBCドラマ『高慢と偏見』は大ヒットし、その後のオースティン・ブームのきっかけとなった。しかしながら、作品の魅力はこの二人だけでない。主人公の母親や主人公に求婚する教区司祭など、周囲の脇役を通して余すことなく描かれる人間性の滑稽さは誰にでも身に覚えのあるもので、そこにオースティンの小説の真骨頂がある。自己中心的で、卑屈さと尊大さが入り混じった複雑で奇妙な人間の本質が、深刻にではなく、笑いを交えて批判される。また、将来の経済的な安定を確保するためだけに、他のあらゆることにすべて目をつぶって結婚相手を選ぶひとりの登場人物の姿は、当時の中産階級の女性が置かれた苦境を描いた社会批判として作品の幅を広げている。作者自らがイングランド国教会の「聖職位授与」をテーマとすると書いた『マンスフィールド・パーク』は、種咽喉が真面目で堅物すぎて面白くないと批判されることが多く、オースティンの小説の中では最も批判が芳しくない。確かに、道徳的に気高いヒロインよりも、世間の目など気にせず、自分の欲望のままに行動する人物たちの自由奔放さの方が読者を惹きつける。ただ、同時に、生真面目で真剣に生きることを心がけ続け、それをひたすら貫き通す気高さとが、ヒロインの大きな魅力であると読後にしみじみと沁みてくる。他にも、この作品は、これまでオースティンについて考える際に避けてきた二つの点、セクシュアリティ(性的思考性)とポストコロニアル(植民地支配の賦の要素)から新たな読み方が示され、オースティンの作品の読みの幅を大きく広げている。最後の作品となった『説得』は、それまでの作品にはなかった静の魅力に溢れている。ヒロインが新たな男性と出会うことで物語が始まるのがオースティンの定番だが、この作品は終わってしまった恋愛のやり直しの物語となっている。新たな出会いも素敵であるが、失ってしまった大切な想いをどうしても断ち切れず、もう一度取り戻すことの方がずっと難しい。他の作品と比べ、主人公の年齢も高めで、その設定もさりげない言葉や行動が持つ意味をより深く切ないものとして読者に伝えるのだ。どうしてあの時にあの決断をしたのか、そうして片ときもあの人のことを忘れることができないのか。そして偶然の再開がもたらす大きな喜びと苦痛。成熟したヒロインの姿は、作者もまた精神的に成長したことを伝えるものとなっている。長い時を経てもなお、変わらぬ人間の魅力が伝わるオースティンの良作を楽しみたい。(むかい・ひでただ) 【ブック・サロン】公明新聞2025.3.24
November 8, 2025
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下山御消息①現代語訳 教学部編第一段 因幡房が訪問の弔問に至った経過(御書新版272㌻初め~11行目・御書全集343㌻初め~8行目) 下山光基の詰問(あなた=下山光基〈注1〉の仰せに)「定例の時刻の勤行〈注2〉としては、当然ながら阿弥陀経を読誦しなければならないのではないか」等とありました。このことについては、お話がある以前から、父の代理〈注3〉としても、自分自身の考えからも、この4、5年の間は、怠ることなく定例の時刻の勤行で阿弥陀経を読誦し申し上げておりましたが、去年(建治2年=1276年)の春の末、夏の初めから、阿弥陀経をやめて、ひたすら法華経の中の自我偈を読誦しています。さらに、おなじ行うなら、法華経全巻を読誦申し上げようと努めています。これもまた、ひたすら現世安穏と後生善処を祈るためです。ただし、阿弥陀経の読誦や念仏をやめていることについては、次のような理由からです。このごろ、日本国中で耳にする日蓮聖人が、文永11年(1274年)の夏の頃、同じ甲斐国(現在の山梨県)の飯野御牧〈注4〉の波木井郷〈注5〉の中の身延山という奥深い山に隠遁されましたので、しかるべき人々が聖人の教えをお聞きになるはずでしたが、聖人が制止なさっていたので、かないませんでした。並々ではない強い人間関係がないと(法門の聴聞は)実現できないようでしたが、ある人が聖人のもとにうかがうと言うので(その型と一緒に行きましたが)、聖人の教えを信仰するつもりでうかがったのではなく、どのような様子か見ようとして、人気のない所からこっそりと入り、お住まいの庵室の後ろに隠れていたところ、聖人は人々の疑問に答えて、教えの概略をお説きになりました。…………………………………………………………〈注1〉〖下山光基〗本抄の宛先の人物。本抄は、日蓮大聖人の因幡房日永のために代筆されたものとされている。日永は、念仏者であった光基の氏寺・平泉寺の僧で、日興上人を通じて大聖人に帰依した。その結果、光基より叱責を受け、平泉寺を追放された。本抄は、この日永が光基に送る弁明書となっている。〈注2〉〖定例の時刻の勤行〗決まった時間に行う勤行のことで、当時の天台寺院では夕刻に阿弥陀経を読誦するのが通例であった。〈注3〉〖父の代理〗因幡房日永は父親の代行として仏事を行っていたと思われる。下山光基を日永の父とする説もあるが、不詳。〈注4〉〖飯野御牧〗甲斐国巨摩郡にあった飯野牧のこととされる。「御牧」は朝廷御用の牧場のこと。〈注5〉〖波木井郷〗現在の山梨県南巨摩郡身延町波木井。 第2段 仏道修行の大綱(御書新版272㌻12行目~274㌻3行目・御書全集344㌻1行目~16行目) 法華経は最も優れた教えまず、法華経と大日経・華厳経・般若経・解深蜜経・楞伽経・阿弥陀経などのさまざまな経典について、それらの優劣・浅深などをお説きになったのをうかがうと、次のようなお話でした。(以下、日蓮大聖人の説法)法華経と阿弥陀経などとの優劣は、一段階とか二段階の差にとどまるものではなく、天地雲泥の差なのです。譬えを挙げれば、帝釈天と猿、鳳凰〈注6〉とカササギ〈注7〉、巨大な山と細かな塵、太陽や月と蛍の光などというくらいの高低・優劣の差である。それら、おのおのの経文と法華経とを引き合わせて、比べられれば、愚かな人でも分かるはずである。明々白々である。それ故、この教えはおおむね他の人も知っている。いまさら驚くようなものではない。また、仏の教えにもとづいて修行する仕方は、必ずそれぞれの経典が大乗なのか小乗なのか、権教なのか実教なのか、顕教なのか密教なのかを判明しなければならないし、その上、十分に、時を知り、機根を定めて、行わなければならないものである。ところが、今の時代の日本では、誰もが、阿弥陀経や阿弥陀仏という名前〈注8〉などを根本としていて、法華経を全く無視している。世間で智慧ある人として尊敬されている人々は、誰もかれもが〝自分は時と人々の機根を知っている〟とお思いになっているようですが、小さな善によって大きな善を攻撃し、権教の経典によって実教の経典をなきものにする過ちは、小さな善が大きな悪となり、薬が毒に代わり、親族がかえって憎らしい敵となるようなものである。彼らを正道に戻すのは容易ではない。 仏法実践の方軌また、仏の教えをよく分かっているような賢そうな人であっても、時により、人々の機根により、国により、前後にどのような教えが弘められているかによるということを理解しなければ、体と心を苦しめて修行しても、結果が出ないものである。たとえ小乗の教えだけが流布している国に大乗の教えを弘めることはあっても、大乗だけが流布している国では、小乗の経典を強く割けるのである。無理にこれ(小乗の経典)を弘めれば、国も禍が起こり、人も(地獄・餓鬼・畜生の)悪道に堕ちることが避けがたくなる。また、修行を始めたばかりの人には、二つの教えを一緒に修行させることを許さない。インド〔月氏〕の慣例では、小乗の教えだけの寺の者は、王が使う中央の道を通ることはなく、大乗の教えだけを学ぶ僧侶は、一般人が使う左右の道に足を踏み入れることはない。(小乗の者と大乗の者は)井戸の水でも川の水でも同じものを飲むことはない。まして、同じ一つの住房に住むことなどあるだろうか。それ故、法華経には、修行を始めたばかりの者がいる大乗だけの寺について、仏(釈尊)は次のように説かれている。「ただ大乗だけの経典を受持することを願い、他の経典の一つの偈ですら受持してはいけない」〈注9〉と。また、「声聞の教えを求める男女の出家者・在家者に親しみ近づいてはならない」、また、「(彼らに)あいさつしてはならない」〈注10〉と。たとえ父親であっても、小乗だけの寺にいる男女の出家者を、大乗だけの寺に入る息子は礼拝することはないし、親しみ近づくこともない。まして、その教えにもとづいて修行するだろうか。大乗・小乗の両方を学び修行する寺は、修行が進んだ〔後心〕菩薩が住むところである。…………………………………………………………〈注6〉〖鳳凰〗中国で聖王の出現の兆しとされえる想像上の鳥。〈注7〉〖カササギ〗鳥の名。御書本文の「鳥鵲」は「うじゃく」とも読む。カラスに似ているが、やや小さく尾が長い。また背は黒いが肩と腹は白い。〈注8〉〖阿弥陀仏という名前〗法然が創立した浄土宗では、阿弥陀仏の名を唱える称名念仏(具体的には、『帰依する』という意味の「南無」の語を付けて、「南無阿弥陀仏」と唱えること)を、極楽世界に生まれるための根本の実践とする。〈注9〉〖「ただの大乗の……受持してはいけない」〗法華経譬喩品第3に「若し比丘有って 一切智の為に 四方に法を求めて 合唱し頂受し 但楽って 大乗経典を受持するのみにして 乃至 余経の一偈をも受けずば 是くの如き人に 乃ち為に説く可し」(法華経206㌻)とある。〈注10〉〖「声聞の声を求める……してはならない」〗法華経安楽行品第14に「又声聞を求むる比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に親近せず、亦問訊せず」(法華経424㌻)とある。 第3段 鑑真より伝教大師に至る日本仏教史(御書新版274㌻4行目~275㌻14行目・御書全集344㌻17行目~346㌻2行目) 鑑真の日本渡来ここで日本について見ると、初めて仏教が伝来した頃は、大乗と小乗がき別されていませんでしたが、神武天皇から数えて〈注11〉第45代の聖武天皇〈注12〉の御在位中に、唐の揚州〈注13〉にある竜興寺の鑑真和尚〈注14〉という人が、中国からわが国に法華経と天台宗を伝えたということがあったが、完全な教えを受け入れる機根がまだ十分ではない(円機未熟)とお考えになったのか、この教え(法華経と天台宗)を自分の心の中にしまっておいて、口に出すこともなさらず、唐の終南山〈注15〉にある豊徳寺の道宣律師〈注16〉から伝えられた小乗の戒律を、日本の三つの場所〈注17〉に打ち立てた。これは他でもなく法華宗が流布するための仮の手立てなのである。大乗が現れた後に、(大乗と小乗を)並行して実践しなさいということではないのである。例を挙げれば、儒教の根本の師匠である孔子や老師などといった3人の聖人〈注18〉は、仏(釈尊)の使いとして中国に派遣されて、仏教経典〔内典〕への入門として、礼儀と音楽を説く書物を人々に教えたのである。(天台大師智顗の)「摩訶止観」〈注19〉には、経典を引用して、「私(釈尊)は3人の聖人を派遣して、中国を教化した」〈注20〉などと述べられている。妙楽大師(湛然)は「礼儀と音楽が先に流布し、真実の教えはその後で広がる」〈注21〉と述べている。仏(釈尊)は、大乗への入門として当座は小乗の戒律をお説きになったが、時が過ぎた後にはそれを禁止して、涅槃経でも「もし〝仏は常住ではない〟と言う人がいれば、どうして、この人の舌が抜け落ちないことがあるだろうか」〈注22〉などと説かれている。 伝教大師の法華経の宣揚その後、第50代の桓武天皇〈注23〉の御在位中に、伝教大師(最澄)という聖人が出現した。初めに華厳宗・三論宗・法相宗・俱舎宗・成実宗・律宗という六宗の教えを完全に習得されただけでなく、達磨宗(禅宗)の教えの最も深いところまで探求し、それだけでなく、日本に広まっていない天台(法華)宗と真言宗という二つの教えについても解明して、それらの浅深・優劣を心の中で極め尽くされた。延暦21年(802年)正月19日に、桓武天皇は高雄山寺〈注24〉にお出ましになり、奈良の七大寺〈注25〉の長老である善議〈注26〉や勤操〈注27〉たち14人〈注28〉の僧侶を招集して伝教と対論させ、六宗と法華宗との優劣を追求された。(当時は)六つの宗派の大学者たちが、それぞれの宗派ごとに「自分の宗派は、釈尊が説いた教えの中で最高である」ということを主張したけれども、伝教大師の一言で全て論破されてしまった。その後、天皇は再びお言葉をお伝えになった。和気広世〈注29〉を勅使として𠮟責なさったので、七大寺に属する六宗の大学者は一斉に天皇への感謝を記す上申書(注30)を提出した。14人の僧侶たちが書いた上申書には、「この世界の衆生は、以後は、すべての妙法・円教(円満な教え)の船に乗り、速やかに成仏の彼岸に渡ることができるでしょう」〈注31〉とある。伝教大師は、「250条の戒律は、たちまち捨ててしまった」〈注32〉と述べている。また、「商法・像法の時代はほとんど過ぎ去り、末法の時代がすぐそこまで近づいている」(注33)と。また、「一乗の立場に立つ者たちは、(一乗以外の)方便の教えを一切用いない」〈注34〉と。また、「汚れた食物を貴重な器においてはならない」(注35)と。また、「釈尊がいらっしゃった時代の偉大な阿羅漢も、この叱責を受けたのである。釈尊が亡くなられた後の時代の蚊や虻のような僧侶が、この例に従わないということがあるだろうか」(注36)と。(第3段は次号に続く)…………………………………………………………〈注11〉〖神武天皇から数えて〗御書本文は「人王」。神武天皇は初代の天皇とされ、『日本書紀』などでは、神武天皇より前の天皇家の祖先を神として扱っている。〈注12〉〖聖武天皇〗701年~756年。第45代天皇。鎮護国家の思想に基づき、国立寺院として国分寺・国分尼寺を諸国に建立し、亦東大寺の大仏を造営させた。〈注13〉〖揚州〗現代の中国江蘇省中部の都市。〈注14〉〖鑑真和尚〗688年~763年。中国・唐の僧で、日本律宗の開祖。天平勝宝5年(年)に基づく正式な受戒出家の方式を伝えた。また、天台大師の著作を含むさまざまな文献をもたらした。〈注15〉〖終南山〗長安(現在の陝西省西安市)にある山。〈注16〉〖道宣律師〗596年~677年。中国・唐の僧。律して詳しく、南山律宗の祖とされる。日本に受戒制度をもたらした鑑真は、その孫弟子に当たる。〈注17〉〖日本の三つの場所〗階段(出家希望者に対して正式の僧侶とする場所)が設置された処で、奈良の東大寺、下野国(現在の栃木県)の薬師寺、筑紫国(現在の福岡県)の観世音寺の3カ所のこと。〈注18〉〖3人の聖人〗孔子・顔回・(孔子の弟子)・老子のこと。「開目抄」(新53・全187)では、清浄法行経を引いて、釈尊は月光菩薩・光浄菩薩・迦葉菩薩の3人に中国を教化するように命じ、それぞれ顔回・孔子(仲尼)・老子となって中国に生まれ、中国に教えを伝えたと記されている。〈注19〉〖「摩訶止観」〗『止観』と略される。10巻、天台大師智顗が講述し、弟子の章安大師灌頂が記した。〈注20〉〖「私は3人の聖人を派遣して、中国を教化した」〗「摩訶止観」巻6の文。清浄法行経の取意。前中8を参照。〈注21〉〖「礼儀と音楽が先に流布し、真実の教えはその後で広がる」〗妙楽大師の『止観輔行伝弘決』巻6の文。音楽は、儀礼・儀式に欠かせないものであり、中国で古代より文明の象徴とされてきた。〈注22〉〖「もし、仏は常住……落ちないことがあるのだろうか」〗涅槃経(北本)第5の如来性品第4の文。涅槃業では仏が常住であることを説いており、それを認めないものを小乗として批判している。〈注23〉〖桓武天皇〗737年~806年。第50代天皇。光仁天皇の第一皇子。律令政治を立て直すため、長岡京、平安京への遷都を行った。伝教大師最澄に帰依し、日本天台宗の成立に大きく貢献した。(注24)〖高雄山寺〗現在の神護寺のこと。京都市右京区梅ケ畑高雄町にある。〈注25〉〖奈良の七大寺〗奈良(ナント)の中心的な七つの寺。諸説あるが、一般には、東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・薬師寺・西大寺・法隆寺の七カ寺を指す。これらの寺は、奈良時代までに伝わり国家に公認されていた仏教学は(南都六宗)を研究する中心的な場所だった。〈注26〉〖善議〗729年~812年、平安初期の三論宗の僧。大安寺の道慈に学ぶ。弟子に勤操がいる。〈注27〉〖勤操〗754年または758年~827年。平安初期の何と七大寺の高僧の一人で、三論宗の僧。善機から三論を学ぶ。〈注28〉〖14人〗「叡山大師伝」によると、善機・勤操のほか、勝猷・奉基・寵忍・賢玉・安福・修円・慈誥・玄耀・歳光・道証・光証・観敏が招かれたという。〈注29〉〖和気広世〗生没年不詳。平安初期の貴族で、和気清麻呂の長子。弟の真綱とともに深く仏法を信じ、日本の天台宗の成立に貢献した。〈注30〉〖天皇家の感謝を記す上申書〗御書本文は「謝表」。主君の恩に対して感謝の意を表明する上奏の文書。(注31)〖「この世界の衆生は……渡ることができるでしょうか」〗『叡山大師伝』から引用。〈注32〉〖「250条……捨ててしまった」〗『叡山大師伝』の取意。「250条の戒律」は、男性出家者(比丘)の律で、当時の日本ではこれを受持することで正式の僧と認定された。伝教大師は、律は小乗のものであると批判し、大乗の菩薩は、大乗の戒(具体的には梵網経で説かれる戒)で出家するのが正当であると主張した。〈注33〉〖『正法・像法の時代……近づいている』〗伝教大師の著作『守護国界章』巻上の下の文。『守護国界章』は弘仁9年(818年)の作。一般に日本では永承7年(1052年)を末法到来の年とする。〈注34〉〖「一乗の立場に……用いない」〗『守護国界章』巻上の下の文。一乗は、「唯一の教え」の意で、全てのものが成仏できるという法華経の教えのこと。〈注35〉〖「汚れた……置いてはならない」〗『守護国界章』巻上の文。もともとは維摩経の中で、小乗の教えを説いていた富楼那に対して、維摩居士が発した言葉。「汚れた食物」は小乗の教え、「貴重な器」は大乗を求める心をそれぞれ譬えている。〈注36〉〖「釈尊がいらっしゃった……ということがあるだろうか」〗『守護国界章』巻上の下の文。阿羅漢は、声聞の最高位。「釈尊がいらっしゃった時代の偉大な阿羅漢」とは「具体的には富楼那のことで、前注の通り維摩居士から叱責を受けたことを述べている。「釈尊が亡くなられた後の時代の蚊や虻のような僧侶」とは具体的には伝教大師と論争した法相宗の学僧・得一のことで、得一の天台教学批判は、人々の機根を理解していない点で、維摩居士から叱責された富楼那と同じであると述べている。 大白蓮華2025年4月号
November 7, 2025
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「問い」を考えるインタビュー 「編集工学研究所」社長 安藤 昭子さんあんどう・あきこ 編集工学研究所・代表取締役社長。出版社で書籍編集や事業開発に従事した後、「イシス編集学校」で松岡正剛氏に師事、「編集」の意味を大幅にとらえなおし、2010年に編集工学研究所に入社。21年から現職。著書に『問いの編集力』(ディスカヴァー・トェンティワン)など。 「問う」ことで見えてくる——自分の可能性と〝新たな世界〟 ——昨年9月、新著『問いの編集力』を出版されました。 日本の教育では、「答えを出す」ことが重視されてきましたが、その半面、自分で「問い」を立てる練習はしてこなかったのではないでしょうか。それでは、好奇心の起点である〝疑問を持つ〟力が弱ってしまいます。「変動性」「不確実性」などと表現される現代社会では、既存の価値観が崩れていく中で、自分が説くべき問題を設定するのは、ほかならぬ自分自身になっています。それにもかかわらず、問いが何かということは、見過ごされがちです。 ——問いの編集力は、どのように高めていけるのでしょうか。 日常生活の中には、考える労力を使わなくて済むような「固定観念」があります。そんな、「当たり前」を「ほんとにそれでいいのかな?」と塔習慣を身につけることがポイントです。それは例えば〝学校の生徒としてはこうあるべき〟〝友達としてはこう〟……のように、自分が無自覚に規定している「私」という枠組みを取り外すことからはじまります。固定観念の膜を破るため「土壌をほぐす」ことから、「問い」は生まれていきます。 ——安藤さん自身にも、そうした経験がありますか。 私は20年ほど前まで、出版社の書籍編集の部署にいましたが、興味・関心が、会社の部署の枠組みに収まらなかったんです。インターネットにも関心を持ち始め、システムの部署に入り浸ってはプログラミングを教えてもらいました。書籍の構想を考えることと、プログラミングは、私の中では〝つながっている〟感覚があるのですが、周囲にはなかなか理解されない。そんな時、編集工学研究所を設立した松岡正剛の書籍に出会い、同じく松岡が設立したイシス編集学校に入り、師事しました。私の人生も、「当たり前」に対する問いによって進んできたと言えます。 ——松岡正剛氏は、日本文化を独自の視点で読み解く著作を次々と発信してこられました。松岡氏に師事し、安藤さんは何を得ましたか。 編集工学という思考の体系を残してくれたので、まずそれを学べたということ。また、幸いなことに松岡のすぐ近くで仕事をする縁をいただいたので、松岡が何かを行動する際、〝何を捨て何を取っておくのか〟を考えながら〝二重写し〟で師の姿を見ていました。その方が、行動や結果といった〝一重〟の師匠だけを見ている時よりも、はるかに習得が早いと思います。編集工学では「方法を盗む」という言い方をしますけれども、松岡の思想とか智識のみならず、「松岡の方法」を見ているということをやっていたように思います。 ——私たちは、創価学会の池田大作第3代会長の著作である章節『人間革命』『新・人間革命』などから、当会の歴史や師弟の精神を学んでいます。 創価学会には、多くの言葉が残されていると思いますが、そうした言葉からも、師の息遣いを感じることができますね。編集工学研究所では今、「探求型朗読」というものを発信しているのですが、これは、松岡の読書の仕方を「方法」として学び、多くの人が活用できる型にしたものです。ぜひ書籍や言葉から、〝師匠が何を考えていたのか〟を学びの役に立てれば幸いです。 「探求型読書」のススメ「問い」の力を養うため、ここでは読書を通して、テーマを深堀する「探求型読書(クエスト・リーディング)」を紹介します。 ステップ1 テーマ設定「探求型読書」では、本の内容をすべて理解する必要はありません。むしろざっくり読みながら、必要な情報をすくい上げることに重きが置かれます。ポイントは「テーマ設定」。「どのような問いを設定するか」などを先に定めてか読書に臨みます。 ステップ2 目次読みまずは拍子や帯を見て、どのような内容が書いてあるかを想像してみましょう。次に「目次読み」です。本の目次だけを見て、大切だと思う「キーワード」をピックアップします。それを組み合わせて内容を想像することで、本の「輪郭」が浮かび上がってきます。 ステップ3 QAサイクル読む前に立てた仮説やトピックを、頭に浮かべながらザクザクと読み進めましょう。ポイントの一つ目は、著者の問題意識(問=Q)と発見(答え=A)も意識すること。読書時間の目安は、20~30分程度です。 ステップ4 アナロジー本文を読み、「連想ゲーム」の要領で、一冊の本から出た情報が「何に似ているか、何と関係がありそうか」というアナロジー(類推力)を働かせます。次に、読む前に立てた仮説と本文を読んで得られた情報との共通点やズレをメモします。最後に、それらを総合しながら、テーマに照らして思ったことを話し合います。 【「ユース特集」】聖教新聞2025.3.22
November 7, 2025
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「ハイリスク」という快感——ギャンブルへの依存ギャンブル依存症も日常生活の破綻を引き起こす深刻な症状です。例えば、パチンコをしている4人に1人が自分は依存症ではないかと思ったことがあると答えています。また友人同士で麻雀を楽しみ、なかなかやめられなくなった経験がある方も多いでしょう。ギャンブルはお金の出費を伴いますから、依存症の結果は深刻で悲惨なものが多く、時には犯罪を招くこともあります。ギャンブルがやめられなくなる原因として、昔からよくいわれているのは「ビギナーズラック」の存在です。ふらっと入ったパチンコ店で偶然大当たりが出ると、その結果が忘れなくなってパチンコ依存症になるというような説明です。もしこれでお客が増えるならパチンコ店は初めてのお客にサービスをするでしょうが、実際に初めての客を見分ける方法などありませんし、そのようなことをしなくてもお客はパチンコを楽しんでくれます。最近ではどうもビギナーズブラック説は間違いではないかといわれています。つまりそんなものがなくても、人は、いや動物はもともとギャンブルが好きなのではないかと考えられるようになってきたのです。そのきっかけになったのが「スキナーの箱」と呼ばれる、有名な鳩の実権です。 ・Aの箱:スイッチを押すとかならず餌が出る。・Bの箱:スイッチを押すとときどき餌が出る。 この2つのタイプの箱を複数用意し、鳩を入れて一定期間放置して学習させた後、A、Bともに一切餌が出ないようにしました。すると、Aの箱で学習した鳩は2,3回スイッチを押しても餌が出てこなくなると諦めたのに対し、Bの箱で学習した鳩は、一日中スイッチを押し続けたのです。Bの箱では、餌が出たりでなかったりするスリルがハトに何度もスイッチを押させる動機になっていたのです。それがギャンブル依存症の原因ではないかといわれています。 【脳内麻薬「人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体」】中野信子/幻冬舎新書
November 6, 2025
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アルコール依存症が起こる仕組み日本のアルコール依存症は約230万人とも300万人ともいわれていますが、その中で入院して治療を受けているのは年間1万数千人にすぎません。つまりはほとんどの依存症患者がなんの治療も受けていないのです。アルコール依存症は、その依存対象が麻薬や覚醒剤のように法律で規制されていないだけであって、薬物依存の一種であり、患者数から見て最大の依存症なのです。この病気は『慢性(一度かかると治りにくい)で』で「進行性(症状が次第に重篤になる)」の患者であって、一度かかると完治することがほとんどなく、時には死を招くこともあります。また、人格の変化をともないますから、家族や周囲の人々に強いストレスを与えます。治療には長期間の断酒が必要で、一見正常に回復したとしても一度の再飲酒ですぐに再発しています病気なのです。アルコールすなわちエタノールの直接の作用は中枢神経に対する抑制作用です。神経の働きを弱くするわけです。なぜアルコールで酔っ払って暴れる人が多いかというと、抑制性の神経に対して抑制作用が起こるからです。つまり、アルコールは、脳のブレーキの働きをゆるめてしまうのです。お酒を飲み始めて、血中アルコール濃度が少しずつ上がると、衝動的な行為や、感情の抑制が利かなくなっていきます。このときうっかり、気になっている異性に過剰にバタバタしてしまったり、普段か変えているうっぷんを、上司に面と向かって言い放ってしまったりすることがあります。やがてもう少し濃度が上がると、意識や運動をコントロールしている神経も抑制され、刺激に対して反応しにくくなります。これを酩酊期と言います。さらに濃度が上がると呼吸を含めた生命維持活動までが抑制され、ひどい場合には死に至ります(昏睡期)。さて、この説明では、アルコールが脳の機能をマヒさせる、麻酔に似たような作用を持っていることはわかりますが、なぜ極端な依存症を引き起こしやすいのかについてはわかりませんね。ジュース、紅茶、コーヒーなど、他にも美味しい飲み物にはたくさんあります。産地名の付いた名産物や、高価な贈答品などとして売られているものもあり、中にはお酒より高価なものもあるようです。しかし紅茶やジュースの依存症というのはあまり聞きません。お酒にも「おいしさ」があり、ワインや日本酒などの銘柄にうるさい人はたくさんいます。またビールなどでは「喉越し」の快感を訴える人も多いですね。しかし、おいしいお酒ほど依存症になりやすいかというと、そうではありません。アルコールが依存症を招く原因は、味のせいではなく、アルコールという物質そのものの働きにあります。実は、アルコールは味やのど越しを通して快感を与えるだけでなく、報酬系をじかに活動させるのです。報酬系が活性化されると、人が快感を覚えることはすでに述べた通りですが、前述したようにこの報酬系には、普段、GABA神経を抑制する働きがあるのです。つまりアルコールが他の飲み物に比べて特に好まれるのは、味がいいからではなく「ご褒美」のブレーキを弱らせて、ドーパミンをたっぷり分泌させるからなのです。ところで、アルコールには強い人と弱い人がいます。それはアルコールを処理する酵素を持っているか持っていないのかの違いです。日本人の45パーセントほどが遺伝的にアルコールに弱く、ほとんど受け付けない人もいます。それでは、アルコール依存症のもなりやすい人となりにくい人がいるのでしょうか。最近、BASGRF2という遺伝子が、アルコールが切れても再度求めることはありませんでした。はたヒトの実権では、RAGRF2に変異がある少年はそうでない少年より、習慣的に飲酒をしているという事実が明らかになりました。今後、この遺伝子はアルコール依存症になりやすい遺伝子として研究が続けられていくでしょう。 【脳内麻薬「人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体」】中野信子/幻冬舎新書
November 5, 2025
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次の行動企画に心を湧き立たせる「長崎へ行ってみたところ、おしくもロシア艦は去ったあとであった」と、鳥山らにすべてを報告したが、べつに落胆する様子はなく、顔色も声の張りもいきいきしている。このあたりが松陰の特徴であった。失敗すればまた、あらたな企画を考えるというたちで、このため失望や退屈をするいと(、、)ま(、)がなく、いまはもう、つぎの行動企画に心を湧き立たせていた。 【世に棲む日日】司馬遼太郎/文春文庫
November 5, 2025
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やっぱり宇宙は面白い佐々木 亮隕石、電磁波、ニュートリノ…地球に到達するものを調査 高い? 低い? 小惑星の衝突確立2月、びっくりするニュースが飛び込んできました。それは、去年発見された小惑星「2024 YR4」について、地球に衝突する確率が高まったというもの。太陽系には多くの小惑星があり、NASAなど各研究機関は、地球に近づく可能性がある小惑星をリストにして追跡、動きをシュミレーションして、地球との衝突可能性や、影響について調べています。この小惑星は、昨年12月27日に発見され、直径は40~90㍍と見られています。1月時点では1.2%の衝突確立だったものが、一時、2.8%に上昇しました。地球に近づく可能性がある小惑星は1700以上あり、その中でこの小惑星の衝突可能性が、最も高くなったのです。通常、小惑星はいびつな形をしていることがあり、軌道計算が難しいのです。きれいな球体であれば、重心の重さを考えればいいのですが、長細くなるとそうはいきません。回転することで、先端部分に重力が働き、軌道自体にも影響が出てしまうのです。通常、隕石が落下しても地上で気付くことはめったにありません。その理由の一つとして、地球の7割は海で、陸上に落ちたとしても、人間は狭い地球にしか住んでいないため、気付かないのです。大きな隕石が衝突したとすると、大きな被害が予想されています。1908年にロシア・ツングースカ上流に落下した隕石は、直径50~60㍍。爆心地から半径50キロの森林が炎上、約2150平方㌔(東京都と同じ面積)の樹木がなぎ倒されました。多数の被害を出した例としては、2013年にロシア・チェリビンスク州に落ちた隕石があります。直径10㍍以下ですが、落下の衝撃などで学校や住居、病院、工場などで窓ガラスが割れるなどの被害があり、1000人以上が負傷しました。NASAでは、映画「アルマゲドン」のように、人工衛星を使って、小惑星の軌道を変えたり、破壊する実験に成功しています。 日本でも見えた赤いオーロラ地球に衝突するものは、小惑星などの物質ばかりではありません。昨年5月、日本各地でオーロラが観測され、大きな話題になりました。オーロラは、極地方で見られる鮮やかな青や緑の光のカーテン。オーロラは、太陽フレアの影響で放出されたプラズマ(高温で電気を帯びたガラスの塊)が地球に衝突することで起きます。太陽からの粒子が地球にぶつかると、大気中の酸素や窒素が励起(活動的な状態になること)されます。これが元の状態に戻る時に、余分なエネルギーが光として放出され、オーロラになるのです。光の色は、エネルギーの大きさによって異なり、酸素が励起されたときには緑や赤、窒素の場合は青や紫になります。地球は磁場に囲まれています。この磁場のおかげで、太陽から飛んでくる粒子や強い放射線から守られているのです。しかし、太陽フレアが発生すると、磁場が強く乱され、太陽から飛んできたプラズマなどが大気にぶつかるようになります。プラズマは、地球に到達すると、地球の磁場に沿って移動し、北極や南極で待機にぶつかることに。そのため、通常は北極や南極に近い場所でしか、オーロラを見ることはできません。昨年は、特に太陽の活動が活発で、強い太陽フレアが発生しました。その結果、大気にぶつかるプラズマの量も増え、大規模かつ広範囲でオーロラが観測されたわけです。いくら広範囲で発生したオーロラといっても、日本の上空で発生したわけではありません。極地方で発生したオーロラが大規模だったので、遠くからでも観測できたのです。また、遠い場所からだと上空のオーロラしか見えないため、赤色に見えたわけです。地球に衝突するのを調べることで、宇宙についてさまざまなことが分かってきました。隕石からは太陽系の誕生などが。宇宙を観測する時にも、目に見える光(可視光線)、エックス線、赤外線、ニュートリノ……。観測のための機器も進化してきました。今後、宇宙についてもっと面白いことが分かってくるでしょう。=談(宇宙ポッドキャスター) ささき・りょう 1994年、神奈川県生まれ。専門は宇宙物理学。理化学研究所、NASAの研究員を経て、現在、科学系の発信やデータ分析を用いた事業を推進。毎日配信しているボッドキャスト「佐々木亮の宇宙ばなし」が注目されている。近著に『やっぱり宇宙はすごい』(BS新書)がある。 【文化Culture】聖教新聞2025.3.20
November 4, 2025
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河川に挟まれた激戦の舞台城郭ライター 萩原 さちこ長篠城長篠・設楽原の戦いの舞台となった長篠城(愛知県新城市)。1575年、徳川家康方の奥平貞昌が籠る長篠城を武田勝頼が攻撃。やがて織田信長・家康連合軍と武田軍が設楽原で激突し、大敗を喫した武田氏は衰退して滅亡の一途を辿ることになります。長篠城は東三河地域の平地と山地の境目、遠江放免、美濃方面、伊那方面の各地に通じる街道の分岐点にあります。この地域では、今川氏の没落後、武田信玄・勝頼親子と家康が熾烈な領土争いを展開。長篠城の支配権も、徳川から武田、そして再び徳川へと目まぐるしく交代しました。城は寒狭川(豊川)と三輪川(宇連川)の合流点にあり、河川によって削られた河岸段丘を利用して築かれています。秘境のような静かな景観からは激戦など連想できませんが、牛渕本に立てば、二つの河川と断崖に守られた城の強みがよくわかるはずです。500余で1万5000の猛攻に持ち堪えられたのは、この地形のおかげでしょう。台地の突端部分には野牛門があり、野牛曲輪が置かれていました。JR飯田線の線路を境に北西側が本丸となり、その境には7㍍の土塁を築いて独立性を高めていたようです。発掘調査によれば、本丸は南西側以外に土塁と堀がめぐり、北側に土橋でつながれた虎口があったよう。北側には虎口を経て帯郭、その北側に外堀がありました。この虎口とセットで、長篠城史跡保存館の辺りには馬出があったとみられます。断崖地形をうまく利用しながら、平地が続く方向は土塁と堀をめぐらせる、なかなか防御性に優れた設計だったといえそうです。長篠城は徳川方の城となった後に城主の奥平氏によって最終的な回収をされたとみられますが、1571年に徳川方から武田方に帰属した際には、武田氏も手を入れていたようです。城内をJR飯田線が貫通しているものの、本丸を取り巻く掘りと土塁はかなりダイナミックで圧倒されます。本丸からは、武田軍が人を置いた中山砦、鳶が巣山砦、姥が懐砦などの砦軍が遠望できます。 【日本全国お城巡り‐33‐】公明新聞2025.3.20
November 4, 2025
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森鷗外と芝居早稲田大学名誉教授 中島 国彦海外の戯曲を翻訳し、演劇に影響近代日本の文学者として、森鷗外と夏目漱石は双璧だが、対称的な点が多い。ほとんど翻訳をしていない漱石に対し、鴎外の翻訳は質量ともに群を抜いている。漱石は劇作品を残していないが、鴎外には明治30年代の旧劇改革の試みから日露戦争後の現代劇まで、戯曲集『我一幕物』に収録されていた幅広い作品が残されている。「芝居」という語感から浮かび上がる世界が、鴎外の周辺には立ち込めている。鷗外の演劇体験は、1872年に東京に出てきたからのものだが、歌舞伎の世界は身近なものだった。鷗外より5歳年下の弟篤次郎は、三木竹二の名で活躍した劇評家で、雑誌『歌舞伎』の主宰者だ。岩波文庫に『観劇偶評』がある。時代が新しくなっても、まだ文学では馬琴など近世小説の影響が強いのと同じように、歌舞伎の世界はまだ身近なもので、季節感もあり華やかな様式美のある別世界として感じられていた。歌舞伎座など桟敷のある劇場の存在が、観客の一体感を生み出し、それを助長したのだろう。1903年、市村座で若い永井荷風が敬愛する鴎外に初めて会い、温かい励ましを受けたエピソードも思い出される。それを転換させたのが、鴎外の外遊、ドイツでの度重なる外国文学の摂取、そして演劇体験だった。近代文学の成熟とともに、その影響が次第に現れてくる。外国滞在時に演劇体験をした文学者は多い。荷風のアメリカ、フランスでのオペラ体験、漱石や島村抱月のロンドンでの劇場体験も見落とせない。それに対し医学研究が中心の鴎外の演劇体験は、文学作品を読むことが中心だったのだろう。それがおびただしい数の翻訳戯曲の存在に現れている。ゲーテの『ファウスト』から、イプセン、ハウプトマンなど比較的新しい現代劇まで、時代に与えた影響は大きい。対立を造形化、心を情感豊かに描く現代劇の基本構図は、二つの世界の対立にある。新旧のこともあるし、男女の対立ドラマもある。「芝居」「台本」という語感ではなく、新しい「演劇」「脚本」、それが言語化された「戯曲」という表に出てくる。舞台上の対話、ダイアローグの熱量が、鷗外によって、一気に増大する。観客は一人一人、そうした舞台上の世界に対面する。1909年に、イプセン作・鴎外訳『ジョン・カブリエル・ボルクマン』上演で自由劇を始めた小山内薫の活動も、鴎外に刺激を受けたからだ。芸術座で松井須磨子と全国各地を回っていた抱月も、鷗外訳の一幕ものを取り上げている。鷗外の大きさは、対立を観念化して造形し、一気にぶつけるという方向だけではなく、人間の心を情感豊かに描き出す方向にも、見事な達成を見せていることにある。『団子坂』「影と形」といった対話は明快で面白いが、それよりも、一編の短編小説が生み出す、しみじみとした印象の方が強いこともある。ひと組の夫婦の愛情が浮かび上がる『ぢいさんばあさん』は、鷗外原作は小説だが、宇野信夫の巧みな脚本により、上演回数の多い、文字通りの「芝居」の世界となった。演劇の世界で鴎外のまいた種子は、今後も大きく広がるはずである。(なかじま・くにひこ) 【文化】公明新聞2025.3.19
November 3, 2025
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海底に眠る負の遺産パラオで進む戦争の後始末 太平洋の青い海に囲まれた常夏の島国パラオ。世界屈指のダイビングエリアとして知られるが、海の底には旧日本軍の艦艇などが静かに眠っている。公的な潜水チームがないこの国で、80年経った今も戦争の「負の遺産」である水中爆発物の後始末に当たる日本人たちがいる。(コロール=パラオ=時事) 元自衛官らが爆発処理を支配者だった日本人の責務から 水深30㍍に残る爆雷4万4000発——。福島県出身の元海上自衛官篠山浩司さんがこれまでに発見・処理した爆発物の数だ。篠山さんは、水中不発爆弾処理に30年以上従事した熟練ダイバー。退官後、自衛官OBらが設立したNPO「日本地雷処理を支援する会(JMAS)」に参加し、2016年五パラオに赴任した。以来、パラオ人との混成潜水チームのリーダーとして毎日のように海に出て、爆発物に向き合ってきた。日本の問い地下にあった第2次大戦末期の1944年3月、南方作戦の拠点だったパラオの湊に米軍の大空襲があり、停泊していた輸送船など多くの日本観船が沈没。積載されていた爆雷船が沈没。積載されていた爆雷や、米国の不発弾などが海中に残されることになった。戦後、沈没船の探索が進み、主要港であるマラカル港の沖合約1㌔で発見された日本の輸送船「ヘルメットレック」(通称)から約5000個の爆雷が見つかった。爆雷容器は腐食が進み、有害成分が漏出。海洋汚染を懸念したパラオ政府は2012年、JMASに爆雷の処理を要請した。水深約30㍍の暗くて狭い船内から、もろい爆発物を取り出すには高度な専門技術が必要だ。篠山さんたちは1個150㌔ある爆雷を一つずつ水上の筏に引き上げ、陸に移送する地道な作業を進めてきた。「震度の関係で潜水作業は1日に1時間程度。あまりにも量が多く、活動当初は途方に暮れた」と振り返る篠山さん。しかし「自分たちの先輩が残したものだから、自分らで処理するしかない」と諦めず、取り組み続けてきた。かつての支配者である日本人の責務だと考えている。 現地ダイバーも育成パラオでは今なお海中で爆発の危険がある不発弾が見つかる。活動期限が25年末に迫るなか、JMASはパラオ政府と協力し、自分たちに代わる現地ダイバーの育成に取り組んでいる。訓練を受けるコロール州レンジャー隊員のマック・正晴さんは水中での創作方法などを約3年間かけて習得。篠山さんたちを「厳しい先生」と評するが、「爆発物処理の技術を身につけて、国の宝である海の安全を守りたい」と笑顔で話す。「パラオの未来のために」。その思いが両国の人々を深く結びつけている。 世界一の〝親日国〟西太平洋に浮かぶ約340の島で構成されるパラオは、屋久島とほぼ同じ面積に約1万8000人が暮らしている。1914年から約30年にわたり日本の統治を受け、太平洋戦争では激戦地となった。93年には日系2世の故クニオ・ナカムラ氏が第6代大統領に就任。約94年に米国からの独立を果たし、観光業を中心に発展を遂げてきた。絆を忘れず次世代につなげる統治時代に多数の日本人が維持住したため日経人口比率が高く、「ダイジョウブ」「ナマイキ」など日本語に由来する言葉が数多く伝わる。当時、日本が玄地産業育成に力を入れたほか、冬眠向け教育を行ったことなどから親日家が多く、「世界一の親日国」とも呼ばれる。日本風の名前を持つ人が多く、日本にルーツがない人も「サトウ」などの姓を名乗っている。アイタロー外相は「日本とパラオの歴史は長く、兄弟のような特別な関係にある」と強調。「ともに不発弾御処理を進めるのは平和を示す象徴的な動きだ」と述べ、「日本人にはパラオとの絆を忘れず、次世代につなげて欲しい」と訴えている。 【文化・社会】聖教新聞2025.3.18
November 3, 2025
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