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仏になることは確定したが、まだ仏になっていない状態の釈尊を何と呼ぶかということで、覚り( bodhi )と人( sattva )をつなげて bodhi-sattava (菩提薩 埵、略して菩薩 )とし、「覚りが確定した人」という意味の言葉ができたのです。
これに対して、紀元前後頃、菩薩という意味を塗り替える動きが興ります。すなわち、 bodhi-sattava を「覚り( bodhi )を求める人( sattava )」と読み替え、覚りを求める人はだれでも菩薩であると考える大乗仏教が興ったのです。小乗仏教では菩薩と呼べる存在は釈尊と弥勒(マイトレーヤ)だけでした。それをあらゆる人間に解放したわけです。
しかし、大乗仏教が興ったからと言って小乗仏教がなくなったわけではありません。勢力としてはむしろ小乗仏教の方が大きく、大乗の方はまだ小さな勢力でした。こうした大小並存の時代の中で、まず、大乗仏教の側から小乗仏教の出家者たちを痛烈に批判する『般若経』が成立します。そして紀元一〜二世紀頃には、保守的で権威主義的な部派仏教を糾弾する『維摩経』が成立しました。
こうした流れに対し、紀元一〜三世紀頃、小乗と大乗の対立を止揚(アウフヘーベン)する、対立を対立のままで終わらせず、両者を融合させてすべてを救うことを主張するお経が成立しました。それが『法華経』なのです。
【 100 分 de 名著「法華経」】植木雅俊著/ NHK テキスト 2018 年 4 月
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