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第 30 回 池上兄弟 ・中
池上兄弟夫妻の信心の団結によって、兄・宗仲の勘当は解かれました。日蓮大聖人は、建治 3 年( 1277 年) 8 月に弟・宗長へ送られたお手紙(「兵衛志殿御返事〈鎌足造仏事〉」)の中で、兄弟に対し、「世間の人たちは兄弟で二人が、すでに信心を捨てたと見ていたのに、このように立派に信心を全うしてこられたのは、ひとえに釈迦仏・法華経の御力であると思っていることでしょう。私もそう思っています。後生の頼もしさはもうすまでもありません」( 1089 ページ、通解)と褒めたたえられています。
このお手紙の冒頭には、御供養に対するお礼が認められています。また、同年 11 月には宗長の妻が、大聖人に銅の器を御供養しています( 1097 ㌻、参照)。これらのことから、兄の勘当で信心が揺らぐことが心配された宗長でしたが、その後も夫婦して信心に励んだことがうかがえます。
ところが、この年、兄・宗仲は、再び勘当されてしまったのです。その裏には、父・康光が信奉する極楽寺良観の卑劣な謀略がありました。
良観が父をそそのかす
建治 3 年 6 月に、極楽寺良観と密接な関係があった竜象房という僧が、鎌倉の桑ヶ谷(現在の鎌倉市長谷)で行われた「桑ヶ谷問答」で大聖人の弟子の三位房に敗れます。
そもそも良観は、この 6 年前、文永 8 年( 1271 年)の祈雨の勝負で大聖人に敗北して以来、その恨みを募らせていました。文永 11 年( 1274 年) 3 月に流罪されていた佐渡の地から大聖人が戻ってきた時、良観は、怒りと悔しさのあまり、地団駄を踏んでいたに違いありません。
そしてその 3 年後、桑ヶ谷問答によって、すっかり面目をつぶされた格好となった良観は、大聖人と門下に対する激しい憎しみの心燃え上らせたのでしょう。今度は、大聖人に新ではなく、門下を狙って弾圧を企てます。
良観は、自身の信奉者である父・康光をあおり立て、池上兄弟を追い詰めようとしたのです。大聖人は、そうした良観の策謀を見抜かれ、「良観等の天魔の法師らが親父左衛門の大夫殿をすかし、 わ どの ばら二人を失はせんとし」( 1095 ㌻)と、良観ら天魔の法師が、康光をそそのかしたと糾弾されています。
同じ頃、桑ヶ谷問答に同席していただけの四条金吾もまた、良観を信奉していた主君の江間氏から、法華経の信仰を捨てるよう迫られています。
2 度目の勘当を予見
実は大聖人は、 2 度目の勘当以前に、弟・宗長の夫人が身延を訪れた際、兄・宗仲が必ずもう一度勘当されると予見した上で、そうなった時の、宗長の信心が気掛かりなので、夫人がくれぐれもしっかりするようにと、激励されていました( 1090 ㌻参照)。夫の信心を揺るがすような事態にあった時には、夫人の信心が大事であることを改めて教えられます。
建治 3 年 3 月に宗長の妻に送られたお手紙(「兵衛志殿女房御書」)では、尼御前を載せて大事な馬を遣わせたことなどについて、「兵衛志殿のお志は言うまでもありませんが、むしろ女房殿のお心遣いでありましょう」( 1094 ㌻、通解)と述べられています。夫を支えゆく婦人の真心に思いをはせて励ましを送られる大聖人の慈愛を感じる一節です。宗長の信心が試される時に、宗長の妻に対して、特に心を砕かれていたことが拝察されます。
大聖人はまた、宗長にお手紙(鎌足造仏事)を送り、「此れより後も・いまなる事ありとも・すこしも たゆ む事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし、 設 ひ命に及ぶとも少しも・ひるむ事なかれ」( 1090 ㌻)と、兄弟がこれから先も大きな難に遭うことを想定され、たとえ命に及ぶようなことがあったとしても、ひるんではいけないと、兄弟を強く励まされました。
「第一の大事」
兄・宗仲の 2 度目の勘当の報を受けられた大聖人は、同年 11 月 20 日、弟・宗長にお手紙を認められます。(「兵衛志殿御返事〈三障四魔事〉」、このお手紙は、「何よりも、あなたのために、第一の大事なことを申しましょう」(同㌻、通解)との仰せから始まります。それは 1 回目の勘当の時と同様、宗仲ではなく宗長の信心を気に掛けておられたからです。
兄が勘当されれば、弟が家督を継ぐのが道理といえます。ところが、兄弟そろって勘当されることになれば、池上家は養子を迎えるなどしなければ、家を存続させることはできなくなります。宗長は、実子に家督を継がせたいであろう親の気持ちを思いやったことでしょう。信仰か親孝行か――宗長は、再び選択を迫られているように感じたかもしれません。
不退転の決意を促す
そのような親を思う宗長の心を分かっておられたからこそ、大聖人は、宗長の迷いを振り払うため、あえて厳しく戒められます。
まず、「師と主と親とに随っては悪いときに、これを諌めるならば、かえって孝行となる」(同㌻、通解)ことを確認されます。このことは、 1 回目の勘当の際に送られた「兄弟抄」でも仰せです。「三障四魔事」の後半でも、「あい難い法華経の友から離れなかったならば、わが身が仏になるだけでなく、背いた親をも導くことができるでしょう」( 1092 ㌻、通解)と重ねて示されています。この仰せは、信心を貫くために、常に立ち返るべき重要な原理といえます。
その上で、大聖人は兄の宗仲について、「今度、法華経の行者になるでしょう」( 1091 ㌻、通解)と仰せになる一方、弟の宗長については、「あなたは目先のことばかりを思って、親に従ってしまうでしょう。そして、物事の道理のわからない人びとは、これを褒めるでしょう」(同㌻、通解)と心配されています。さらには、「今度は、あなたは必ず退転してしまうと思われます」(同㌻、通解)等と繰り返し仰せです。
そして , 『百二一つ、千に一つでも日蓮の教えを信じようと思うならば、親に向かって言い切りなさい」(同㌻、趣意)と、毅然とした態度で、父に不退転の決意を示すべきであると、指導されます。
「一筋に思い切って兄と同じように仏道を行じなさい」「『私は親を捨てて兄につきます。兄を勘当されるのならば、私も兄と同じと思ってください」と言い切りなさい』(同㌻)――まるで、方を抱えて力強く揺さぶるかのように、大聖人は何度も何度も、宗長の勇気と覚悟の信心を奮い起こそうとされます。
あいまいな態度ではなく、兄と行動を同じくすることを、決然と言い切ることができるかどうか――ここが、宗長の信心の分岐点でした。
〝幸福への道を断じて踏み外させまい〟。門下を思う慈愛に満ちた大聖人の激励に呼応するように、宗長の胸中には、兄と共に信心の貫く決意が固まっていったことでしょう。
賢者は喜び、愚者は退く
大聖人は、続けられます。
「潮の満ち引き、月の出入り、また季節の節目には、大きな変化があるのは自然の道理です。同じように、仏道修行が進んできて、凡夫がいよいよ仏になろうとするその境目には、必ずそれを妨げようとする大きな障害(三障四魔)が立ちはだかるのです」(同㌻、趣意)
そして、「必ず三障四魔と申す障りいできたれば賢者はよろこび愚者は退く」(同㌻)と、〝難に遭ったことは、いよいよ大きく境涯を開くチャンスだ〟と、喜んで立ち向かう「賢者」であれと、信心の姿勢を教えてくださっています。
〝あなたは今、まさに仏になろうとしているのです!〟との確信の大激励です。
信心根本に難と戦えば、仏界の生命は涌現します。この「難即悟逹」こそ、大聖人御自身が、数々の大難を勝ち越えて示してくださった大境涯です。
また、三障四魔は、紛らわしい姿で法華経の行者の信心を破壊しようと迫ります。あたかも信心を捨てることが正しいかのように思わせるのです。だからこそ大聖人は、魔を競い起させるほどの純真な信心を貫いてきた兄弟、なかんずく宗長を、退転させるものかと心を砕かれたと拝せます。
池田先生は、「多くの人が仏になれないのも、遠い過去から今に至るまで、せっかく法華経を信じながらも障魔に敗れてしまったからだと仰せです。障魔が起った『今、この時』が肝要であると教えられています。三障四魔は成仏への関門です。ここを乗り越えれば必ず仏になれる」(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第 13 巻)と講義されています。
大聖人は、宗長が兄の勘当お報告しる使いお送ったことから、「あなたが退転してしまうものならば、まさかこのお使いがあるわけがないと思いますので、もしかしたらあなたも信心の全うできるかもしれない」(同㌻、通解)と、宗長の思いを汲み取り、温かな励ましも送られています。
現証を示して諭される
「三障四魔事」の最後では、念仏の強信者で、執権・北条時頼の連署(執権の補佐役)を務めた北条重時が、大聖人の伊豆流罪(弘長元年〈 1261 年〉)の 1 カ月後に病に倒れ、一度は回復するも半年後に亡くなり、将来を期待した子息が、越後守の業時を除いて死去や遁世してしまうなど、正法を誹謗した一族に現れた苦しみを示されています。たとえ弟・宗長画家と苦を継いだとしても、法華経の信心を捨ててしまえば、結局は池上家も滅んでしまうかもしれないと、現証の上から厳しく諭されているのです。
このお手紙は、「このようにいっても、無駄な手紙になるであろう思うと、書くのも気が進まないけれども、後々に思い出すために記しておきます」( 1093 ㌻、趣意)との言葉で結ばれています。これほどまでに一貫した、〝宗長は退転するに違いない〟との仰せは、弟子の奮起を願い、信じる慈悲の言葉にほかなりません。あえて厳しく叱咤される師匠の深い信頼を感じ、宗長は宗を厚くしながら、試練に打ち勝つ勇気を漲らせたに違いありません。
兄弟二人は前回の勘当の時にもまして心を合わせて信心に励み、父親に極楽寺良観の誤りを粘り強く指摘し続けたことでしょう。その陰に、妻たちの揺るぎない信心による励ましがあったことは間違いありません。
こうして、大聖人のご指導のままに兄弟ならびに妻が団結して信心を貫いたことで、 2 度にわたって兄弟を襲った魔も、ついに退散するときがくるのです。
(つづく)
【日蓮門下の人間群像――師弟の絆、広布の旅路】大白蓮華 2020 年 7 月号
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