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「賢者の論」と「王者の論」
仏教史上において、実際に行われた異民族、異文化の対話としては、『ミリンダ王の問い』が有名であります。これは、パーリ語で書かれた『ミリンダパンハー』と、漢訳の『那先比丘経』とが現存しております。っこれは、ギリシアのバクトリア王・メナンドロス(インドの名でミランダ、漢訳では弥蘭と音写)と、インド人で仏教の学僧・ナーガセーナ(那先)との対話であります。ここにおいて、インド側の対論者、ナーガセーナが、対話には二種類あることを指摘しています。それは、「賢者の論」と「王者の論」のことです。
『ミリンダ王の問い・1』からその部分を引用してみましょう。
王は問う、
『尊者ナーガセーナよ、わたしとともに<再び>対論しましょう』
『大王よ、もしもあなたが賢者の論を以って対論されるのでありならば、私はあなたと対論するでしょう。しかし、<大王よ>、もしあなたが王者の論を以って対論なさるのであるならば、私はあなたと対論しないでしょ』
『尊者ナーガセーナよ、賢者はどのようにして対論するのですか?』
『大王よ、賢者の対論においては解明がなされ、解説がなされ、批判がなされ、修正がなされ、区別がなされ、細かな区別がなされるけれども、賢者はそれによって怒ることはありません。大王よ、賢者は実にこのように対論するのです』
『尊者よ、また王者はどのようにして対論するのですか?』
『大王よ、しかるに、実にもろもろの王者は対論において、一つのことのみを主張する。もしそのことに従わないものがあるのならば、「このものに罰を与えよ」といって、そのものに対する処罰を命令する。大王よ、実にもろもろの王者はこのように対論するのです』
『尊者よ、わたくしは賢者の論を以って対論しましょう。王者の論を以っては対論しますまい。尊者は安心し、うちとけて対論なさい。例えば、尊者が比丘、あるいは沙弥、あるいは在俗信者、あるいは賢者と対論するように、安心して対論なさい、恐れなさるな』
少し長くなりましたが、以上のごとくであります。
【仏教に学ぶ対話の精神】植木雅俊著/中外日報社
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