全2件 (2件中 1-2件目)
1
O CEU DE SUELYKarim Ainouz88min(1:1.85 ポルトガル語)(リウボウホールにて)冒頭から何処かで聴いたことのある曲が流れる。サウダーデっぽいポルトガル語の女声ヴォーカル。なかなか良いカバーなんだけれど、原曲が、良く知っている曲なのに思い出せない。画面は8mmフィルムからのブローアップなのか、35mmで撮ったものをそれ風に加工したものか。主人公の女性が恋人と幸せそうにしている図、だと思う。やがて35mmのまともな画質になって、現在の主人公エルミーラが長距離バスに乗っていて、さっきの荒れ・ボケのフィルムが過去を回想していた映像らしいことがわかる。そうだっ!、曲はブレッドの Everything I Own だ。青空の下、赤ん坊を連れ、荷物を持った彼女がバスを降りる。地図で見ると南米大陸がいちばん右(東)に出っ張った辺り、ブラジル・セアラー州の内陸の都市イグアトゥ。現在21才の彼女は2年前に恋人と駆け落ちしてこの町を黙って出て行った。サンパウロでの生活もままならず、幼い子供を連れて単身戻ってきた。恋人は後日合流しにやってくるらしい。迎えるのは叔母のマリア。実家には祖母とその娘であるマリアの2人しかいなかった。マリアはもちろん独身だ。ちなみに主人公の名はエルミーラで叔母さんがマリアだけれど、それぞれを演じる女優エルミーラ・ゲーデスとマリア・メネゼスの名だから、作中の名前に特に意味はないだろう。マリアに言われるように出て行き方が悪かったから祖母との関係はややギクシャクだけれど、そこはやはり可愛い孫。経済的には苦しいけれど御馳走を作って迎える。エルミーラがサンパウロの恋人に電話をすると、CDやDVDをコピーする機材を持ってやってくると言う。どうやらそんな怪しい商売でやっていこうということらしい。ちなみに、余談だけれど、ブラジルという国はCDやDVD製作が盛んなようです。ebay なんか見るとブラジル盤(もちろん正規品)がかなり豊富に出ていてるし、かなりの映画のDVDの原盤がブラジル盤だったりします。なので日本版に、正式にフィーチャーされてなくても、日本語以外にポルトガル語の字幕が入っていたりです。さてエルミーナの彼氏なんですが、電話には出なくなる。引越したらしい。実家に行くと知っているらしいけれど母親は連絡先は教えてくれない。どうもエルミーラは上手く棄てられたようなんですね。彼女は働き始めるけれど、そんなに良い仕事があるわけではない。ガソリンスタンドでの洗車だとか、どこかの掃除婦とか。そんな彼女は2年ぶりに2人の旧知と再会する。1人は幼馴染みの女友だちジェオルジーナ(ジェオルジーナ・カストロ)。彼女は、(こんな言い方が適切かどうかはわからないけれど)「手っ取り早く」、女(春?)を売っている。つまりは娼婦。まあそこに悲愴感のようなものは感じられないけれど、女が手軽に(?)ある程度の収入を得ようとしたらこれしかないってことなんですね。エルミーラの仕事を見て、ジェオルジオーナは「なんでそんな金にもならない仕事してんの」って感じです。もう1人の旧知は2年前にエルミーラが町を去る、あるいはその駆け落ちをする相手ができる前につき合っていた恋人のジョアン(ジョアン・ミゲル)。ジョアンは彼女に未練があるんですね。でもその未練って、なんか男の身勝手のような感じがないでもない。エルミーラはいよいよサンパウロに残った恋人に棄てられたことに気付いて、ジョアンとまたつき合い始める。というか誘われて、優しく(?)されて、で何度かベッドインもする。男が嫌いではないし、良い関係なら持ちたいとも思っている彼女なのだろうけれど、男に棄てられたばかりだし、男に従属するのではない生き方をするべき、あるいはしたいと考えるようになっている。そしてそのためにはこのイグアトゥでは駄目だと感じている。この田舎町では、女が自分の可能性を試して生きるなんて可能性はないと感じている。そうすると、今度は男との駆け落ちではなく、自分のためにここを出て行かなければならないと思う。祖母に請われて映画の最後で彼女は祖母と叔母に赤ん坊を預けて独り町を出ていくことになるのだけれど、生活出来るようになったら2人をきっと呼び寄せるから、って言って去る。この町では叶えられない何かに対する希望を持っている。ブラジルという国はとても広くて、日本の約23倍。合衆国全体よりは狭いけれど、アラスカとハワイを除くアメリカ本体部分よりも広い。あるいはロシアを除くヨーロッパよりも広い。だからサンパウロやリオデジャネイロと言ってもここイグアトゥから2,000km以上あるのではないだろうか。ポルトアレグレは最南端だから3,000km以上か(この距離に自信はない)。彼女がバスステーションの窓口で尋ねるのは「ここからいちばん遠いのは何処?」。彼女の目的地は自分を棄てた恋人のいるサンパウロではなく、このイグアトゥから最も遠い場所。それは地理的問題ではなく、心理的問題だ。どこかこの世界(イグアトゥ)とは違う場所、アナザーワールドに行きたい。でもそのためには旅費が必要だ。400とか500レアル。ブラジル・レアルの為替相場の変動は激しいけれど、仮に1レアル=50円としても、2万円とか2万5千円。物価や諸事情を考えれば今のエルミーラのそう簡単に手に入る金額ではない。そこで彼女はある計画を思いつき、実行する。この映画は新聞報道された実話に着想を得て作られたらしいが、その実話の内容がそれである。(以下ネタバレ)それは映画で言うと『情事』の中でモニカ・ベルッチが思いついたのと同じような計画だ。ブラジルでは法的に許されているのか、単に黙認されているだけなのか、映画の最初の方でも小遣いを稼ぐためにエルミーラは私設くじを売る。商品はウィスキーだと言って、1枚2レアルで くじ を売り歩く。仮に30人に売れれば60レアルの売上げで、40レアルでウィスキーを買って勝者に渡しても20レアルの収入となるわけだ。くじ購入者にとっても2レアルで40レアルの商品が当たる。はずれても2レアル(約100円)だからなかなか魅力的。そんな私設くじ、彼女はスエリーという名で、自分との一夜を賞品に男たちにを売り出す。友だちのジェオルジオーナは娼婦だから売春の事情に詳しい。ただの売春だと1回数千円程度。それでは必要な旅費を得るのに5回も10回も男と寝なければならない。でも1枚500円のくじが40人に売れれば2万円の売上げで、たった1回見知らぬ男に抱かれれば旅費が稼げるわけだ。くじを買う男にとっても、サンパウロから来た女でちょっとあか抜けていて、そして職業的娼婦ではないスエリー(エルミーラ)を500円で買うことができる。祖母に勘当されたり、くじを売ろうとした相手に食ってかかられたりするが、彼女は計画を最後まで実行する。そして当選者とのホテルでの一夜。最初の方のみが描かれるだけで、描写はエロチックでもポルノチックでもない。彼女にとってそれは苦痛だけれど、逃げたりはしない。それは彼女の選択したことなのだ。過去を精算し、新しい人生を試すべく町を出て行くための1回限りの代償。義務は早く済ませてしまいたいという彼女の微妙な心理をエルミーラ・ゲーデスが名演している。早々に切り上げられたこのシーンに続くのは、翌日青空の下、ポルトアレグレに向うバスの座席で思いにふけるエルミーラ。こうして彼女は新しい一歩を踏み出した。彼女の前途が明るいかどうかは誰も知らない。『いつか、きっと』が2002年フランス版 Vivre sa vie なら、これは2006年ブラジル版 Vivre sa vie だ。バスはイグアトゥ市の境のゲートを市外に向けて通過する。彼女の乗るバスをバイクで追いかけてきたのはジョアン。彼女の座る窓辺にジョアンはバスと並走するが、彼女は気付かなかったのか、気付いても意志は固く前へ向いていたのか、反応を示さない。再び市境のゲートの映像となり、去って行って見えなくなったバス。そのゲートをイグアトゥに向ってジョアンのバイクが戻ってくる。エルミーラは未来の希望に向けての過去を象徴するゲートから出ていったが、ジョアンはそこに戻ってきたのだ。またエルミーラが向っているポルトアレグレは、自分を棄てた男のいるサンパウロを超えた先にあるわけで、そうした彼との過去をも超えた先を彼女は目指しているのだ。追記:ここまでで8148字だった。字数が足りないのではないかと思って書かなかったことをちょっと。どなたかがレビューに主演のエルミーラ・ゲーデスがロミー・シュナイダーに似ていると書かれていたのですが、ボクには全然そうは感じられませんでした。むしろアップの横顔の、ある種の表情がヴァネッサ・パラディ似ていて、そう考えてみると、この役はパラディの若い頃には似合いそうな役ですね。このエルミーラは21才という設定。ボクは女優が実年齢よりもやや若い役を演じるのは好きだけれど、このエルミーラ・ゲーデスは撮影当時たぶん26才ぐらい。西洋人(ブラジル人でもヨーロッパ系)の人は日本人よりも老けて見えるというのがないわけではないけれど、そしてなかなかの名演ではあったけれど、ところどころもう少し若い弱さ、頼りなさがあっても良かった気がします。この家族は祖母と、その娘マリア(叔母)と、マリアの姉の娘エルミーラ(孫)がいるわけだけれど、他の家族はどうしちゃったんでしょうね。そんな中でマリアという叔母が、結婚もせず母の面倒を見ている。彼女は一方では少しの嫉妬と憧れの混じった目で姪を見ているだけれど、ある程度距離を置きつつ控え目に、姪エルミーラを見守り、協力するような微妙な役を、マリア・メネゼスが上手く、魅力的に演じていました。いい女優さんですね。そしてエンディングに再び流れたブレッドEverything I Ownのポルトガル語サウダーデ版カバーTudo Que Eu Tenhoが良かった。音源欲しくなって探しているんですが、まだ見つかりません。監督別作品リストはここからアイウエオ順作品リストはここから映画に関する雑文リストはここから
2008.10.11
コメント(2)
2 FILHOS DE FRANCISCO - A HISTORIA DE ZEZE DI CAMARGO & LUCIANOBreno Silveira132min(レンタルDVD)セルタネージャと言うのかブラジルのカントリー系歌謡。そのゼゼ・ディ・カマルゴ・エ・ルチアーノってデュオがいて、彼らは国民的大スターで、出すアルバムはすべて50万枚だの100枚だののダイヤモンドだプラチナディスクで・・・、そんなゼゼ・ディ・カマルゴ・エ・ルチアーノのサクセスストーリーとでも言うのでしょうか。ブラジルはゴイアス州の貧しい小作人フランシスコが息子をミュージシアンにしようと貧しいながら子供にアコーディオンやらギターを買い与えて・・・、まあベタな作りで、当然に貧困やら何やら困苦を乗り越えて最後に成功を勝ち得るというお話。もちろん強い家族の絆等が描かれて、深い愛情で夫や子供たちを見守る妻(母)の姿など感動的ではあるけれど、主人公ミロスマル(ゼゼ)のロマンスとか、すべて表面的に「そういうもの」として描かれていて、本国でこのデュオを良く知るファンにとっては、実人物を作中人物にダブらせて見ることで特に感動的なのだろうけれど、ゼゼ・ディ・カマルゴ・エ・ルチアーノなんて知りもしない自分にとっては、実話であるという枠を外しても十分に鑑賞に耐える作りである必要があって、そういう意味では友人と一緒に泣き笑いしながら見る暇つぶし以外の何物でもなかった。本質は日本のアイドルビデオと変わらないかも知れない。子役の少年2人や母役の女優さんの演技は良かったし、2時間それなりの楽しい時間を与えてはくれたけれど、この映画をもし一人で劇場で見たとしたら、どっチラケっていう感じだったのではないかと思う。一般には感動作として評価も高いようだし、こういう映画の存在そのものは良いけれど、自分が映画として見るような作品ではないということですね。監督別作品リストはここからアイウエオ順作品リストはここから映画に関する雑文リストはここから
2008.02.23
コメント(2)
全2件 (2件中 1-2件目)
1