ラッコの映画生活

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2008.05.08
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TROIS COULEURS: BLEU
Krzysztof Kieslowski
95min
(所有VHS)

bleu0.jpg

おことわり:今以下の文を途中まで書いたところでこの冒頭に戻って来てこの「おことわり」を書いているのだけれど、何故か以下の文、レビューと言うより感想を交えたあらすじ解説になってしまっています。この作品に関する文は何故かそうなってしまいます。

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昨日の まえがき に書いたように、(そう、できればこの まえがき も読んで下さい)、この三部作の第1編『青』はちょっと苦手です。でも見始めると観てしまいます。三部作の全体のテーマはフランス共和国のモットー「自由、平等、友愛」で、この『青』は「自由」です。ここではこの「自由」は、簡単に言えば、人は他者との関係や、自分の中の思い込みから「自由」に生きられるか、という問いとして描かれます。キェシロフスキは運命論者です。それは昨日のまえがきでご紹介したように、人が一瞬一瞬に自ら選択をすることが、運命を形作るというもので、なのでその運命には各自自分に責任があるわけです。そしてその選択や運命の形成において、何らかの予兆や予感が与えられるという感覚をキェシロフスキはたぶん感じていました。運命に対する自らの責任と、そんな超理性的感覚を描いたのが 『ふたりのベロニカ』 でした。そして一度人が何らかの運命の選択をしてしまうと、もう後には戻れないという一瞬(何らかの選択)があります。三部作の冒頭は、ある運命に突き進むのを象徴するかのように、事故に向かって猛スピードで走る車が描かれ、三部作の最後では、やはり事故に向かって出航したフェリーの後ろでゲートがゆっくりと閉じられるのが無気味に描かれていました。嫌でも運命に人は突き進み、運命の扉が閉ざさればもう後には戻れないという恐さです。

ここで予兆の一つとして描かれたのは(本人のことではないけれど)、事故を目撃する青年の剣玉。映画冒頭田舎道の傍らで青年が大して真剣でもなく剣玉で遊んでいる。すると本体の棒に玉の穴が見事刺さる。出来はしないと思っていたのか青年もビックリ。その一瞬間後、大きな物音。青年が振向くとカーブの木にアルファが激突して大破していた。『赤』ではヴァランティーヌは毎朝カフェに置かれたスロットマシーンを1回だけやっていたが、はずれならいつも通り、当たってコインがじゃらじゃら出てくるのは不吉な予兆だった。木にぶつかった車内から落ちたビーチボールが地面を音もなくゆっくり転がる(これはフェリーニへのオマージュ)。手当てを受け、病院のベッドで意識をやっと回復するジュリー(ジュリエット・ビノシュ)に、医師は事故で彼女の夫と5才の娘が死んだことを告げる。

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そんな彼女は自分を苦しめる過去(思い出)から自由になろうと決心したのだろうか。彼女の夫パトリス・ド・クールシーは世界的に有名な作曲家という設定だ。欧州統合の記念祝典で演奏される「祝祭コンチェルト」を作曲中だった。しかしジュリーは単にその作曲家パトリスの妻ではなかった。名前は伏されていたが実は、パトリスの曲にジュリーが手を入れという形で、パトリスの曲はいわば夫婦の共作だったのだ。その意味でただ夫(や子供)を失ったのではなく、共同での音楽創作活動という彼女のアイデンティティーも崩壊し、そういう意味で人生の多くを失ったわけだ。この彼女の喪失感の設定は上手いが、さらに彼女には一生生活に困らないだけの資産があるという設定が重要だ。普通なら(もちろん自動車保険には入っているだろうから、夫と娘の搭乗者障害の死亡保険金は手にするだろうが)自分が食っていくための仕事に就く必要がある。しかしそういう現実的雑事は彼女の気を紛らしてはくれないという設定だ。また彼女は独りでも創作意欲があったのではなく、夫との共作としての創作活動で、だから作曲家としての活動を1人でする気持ちもないわけだ。

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パトリス・ド・クールシー、名前に「ド」がついていることからも解るように、彼は旧貴族出身だ。一族がパリ郊外に持っていた狩猟のための別荘だろうか、パトリスとジュリーはそこに暮らしていた。ジュリーはこの家を処分するためにやってくる。家には庭師と女中の2人の使用人がいた。すべての家具を運び出すようにと彼女が庭師ベルナールに命じておいた「青の部屋」に行く彼女。そこは娘アンナの部屋だったのだろう。壁が青く塗られたその部屋には生前の娘を思い出させる何物も既になかった。ただ部屋の青いシャンデリアだけが残るのみだった。思わずそれを引きちぎるジュリー。階下に降りると台所で女中の老アンナが泣いていた。「なぜ泣くの?」と問われたマリーは「奥様がお泣きになられないからです」と答えるのでけれど、ジュリーにとって必要だったのは感情に押し流されないことだったのだ。

ジュリーは夫の助手オリヴィエが前から自分に恋情を持っていることにたぶん気付いていた。彼女は夜そのオリヴィエを電話でよんだ。そして何もなくなった屋敷に残るマットレスの上で一夜をともにした。そして朝、1人身支度を済ませていたジュリーは、昨夜のことはありがとうと言って、別れを告げ去っていく。彼女の行動は、自分も普通の女なのだと自分に言い聞かせ、また心理的にオリヴィエをその証人にするためだった。オリヴィエは三十三の彼女よりかなり年上だったが、少年のように純真で純情だった。そんな彼の心を弄び、利用した自分に嫌悪し、屋敷の石塀に拳を擦って血を流し、痛みを噛みしめながら去っていく。もう一方の手には青の部屋のシャンデリアを入れた箱があった。

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パリに戻ると彼女は写譜屋に行き、預けてあった「祝祭コンチェルト」の完成部分の楽譜を受け取り、外に出ると、ちょうどいたゴミ収集トラックに投げ捨てた。自分を縛る過去の思い出にかかわるものはすべて消滅させたかった。彼女は姿をくらましてパリの庶民的地区にアパルトマンを借りて住み始める。このアパルトマンを借りるときに行った不動産屋。そこで彼女は不動産屋の男に身上等を尋ねられる。名前は?、と問われてつい「ジュリー・ド・クールシー」と答えるが、「いいえ、ジュリー・ヴィニョン、旧姓に戻ったから」と続けた。名前と顔から不動産屋の男は彼女が亡くなった著明なパトリス・ド・クールシーの夫人とわかったはずだ。この不動産屋の男を演じたのは『ふたりのベロニカ』でアレクサンドルを演じたフィリップ・ヴォルテール。事情を知りながら黙って部屋を提供する男の微妙な心理を好演していた。(キェシロフスキの2作品で好演したこのベルギーの役者が約10年後に自殺してしまったのが惜しまれる)。捨て切れなかった唯一の品、青の部屋のシャンデリアをアパルトマンの一室に吊るした。彼女の過去を見知った者のいないここでの生活は彼女にとって快適だった。

ある日階下に住むリュシールが花束を持ってジュリーに礼を言いに来た。彼女がアパルトマンに男を連れ込んで売春しているというので、住人から立ち退き請求の署名が回ってきたとき、ジュリーは署名を断ったのだ。結果としてリュシールをジュリーは助けたことになったが、彼女には他人の生活がどうのということに関心がなかった。そもそも他人の生き方をとやかく言う権利など人にはない。それに署名をすれば名前から素性が知れ渡ることにもなっただろう。

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ある日物置き部屋でネズミが出産したのにジュリーは気付く。ジュリーは子供の頃からネズミ恐怖症だった。まだ毛も生えぬ小さな赤ん坊ネズミに甲斐甲斐しくエサを運ぶ大きな母ネズミ。そこにはネズミの人生(鼠生?)、生活があった。娘アンナを失ったジュリーにはなおさらその様子が絶えられなかったのかも知れない。(余談だけれど、キェシロフスキはネズミが好きだ。 『デカローグ5』およびその長尺版『殺人に関する短いフィルム』 で殺人罪で絞首刑となる青年を予兆するように冒頭で描かれていたのはネズミを殺したらしい猫の絞首刑だった。また原案小説『デカローグ』の翻訳者には(←たぶん)、やはりネズミのコミュニケーションの話をしている。人間界の人間を相似的に象徴しているのが鼠界のネズミであるのかも知れない)。ジュリーは近所の人から猫を借りて物置き部屋に放つ。しかし彼女には絶えられなかった。いつものようにプールに向かうジュリーをバスの中から見つけて、その尋常でない様子に気付いたリュシールは彼女の泳ぐプールにやってきた。プールサイドからリュシールはジュリーの頭を抱き、彼女を慰める。そして処理は自分がしてあげる、とジュリーの部屋の鍵を預かって帰った。こうして、他者との関係を絶とうとしたジュリーなのですが、生きているということは、他者との関係なしには済まなくなっていきます。

次のページ に続きます。

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Last updated  2008.05.16 03:26:39
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