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2009.04.27
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トウキョウソナタ



(つづき)-7- /蛇足

映画を見ても、周囲のリアルの人々を見ても、日本人の家族のあり方でよく感じるのは、子供もできて、結婚10年とか15年ぐらいたった夫婦の男女の交わりの不在や想像困難性だ。そういうことを羞恥するとか秘めるという文化もあるだろう。しかし映画で言えば、結婚前の恋愛時のセックスや不倫関係のセックスが少なからず描かれるのに対して、年月を経た家族の中の夫と妻の性関係が描かれることや、直接描かないにしてもその存在を想起させることが極端に少ない気がする。

恋愛時の二人は男と女だ。不倫の二人も男と女だ。しかし結婚15年の夫と妻はお父さんとお母さんという役割を(だけを?)担う。最近はどうか知らないが、両親がセックスをしている姿など想像もしたくないという中学生ぐらいの子供が(大学生でも)少なくない(なかった)。逆に両親の間にセックスがあって、それを知って両親がまだ愛し合っていて離婚しそうにないと安心する子供が描かれる欧米映画は何本か見ている。

この映画の中の竜平と恵もそうだ。この二人のセックスは想像しにくい。したくもない。しかし恵と強盗のラブシーンはあった。長男は恵にいみじくも「離婚しちゃえば。」と言い、「まだイケテルよ。」とも言う。そして恵はお母さん役を離れたとき、一人の女に戻ることで強盗とのラブシーンも自然なこととして描かれる。

男であることや女であることをも含めて、夫も妻も「個性を持った一人の人間」であるはずが、そうした個性を切り捨てて父や母であるという役割に埋没しているのが、日本の家族に於ける夫や妻の姿ではないだろうか。男と女であるからこそセックスも自然なことなのであって、その個性を切り捨てて父や母の役割を担うだけになったとき、その二人のセックスは不自然なものとなり、だから秘める必要も生じる。そして日本人は最もセックスをしない国民だという事実の一端を構成する。セックスレスでなくとも、夫婦間のセックスは頻度が低いのだ。

今ボクは性という一面からこの物語が含むテーマをやや我田引水的に考察したけれど、役割に埋没することで個人を捨てるという日本的家族のあり方に、オーストラリア人脚本家や黒沢監督や自分が違和感を覚える(覚えているだろう)ことの一種の説明になったのではないかと思う。







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Last updated  2009.04.27 01:55:43
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