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長期入院といっても「腰椎化膿性脊椎炎」の場合、手術する訳でもなければ特に何をする訳でもなかった。最初の10日くらいは毎日点滴をしていたが、それが終わると「投薬+安静」が基本となった。まず炎症をある程度抑えて病気の進行を止めるわけだが、1日の大半をベッドで寝て過ごすことになり、仕方がないとはいえ単調この上ない生活だった。10日くらいで身体に合わせたコルセットが出来てきたので、ちょくちょく病室を離れても良くなった。確かに入院した頃は、5分も歩けばかなり腰がズキズキと痛くなったものだが、病院の建物内を移動するくらいは殆ど負担にはならなかった。メリハリをつけるために朝起きると着替えていたから、パッと見た限りではとても病人には見えず、まして入院患者とはとても見られなかった。喫煙所などでは、付き添いか見舞いの人とよく間違われた。2週間目くらいに最初の外泊をして家に帰ることができ、郵便物やメールをチェックし、洗濯をし、美味いものを食べ、着替えなどを病院に持ち帰った。泊まって来ない時もあったが、以後退院するまで週末には家に帰ることができたので何かと助かった。そうそう、最初に帰った時に、本を交換するだけじゃなくて、古いノートパソコンも病院に持ち帰った。その結果、病室にいながら、CDを聞き、ゲームをし、ワードで「入院日記」を書き、時には携帯電話をつないでネットサーフィンも出来るようになった。ちなみに、携帯は病室での使用は禁止だったがテラスでは黙認されていたし、パソコン持ち込みは事前にOKを取っていた。病室にはもちろんテレビもあったが、プリペイド式というのはなんだかもったいない気がして、ニュースやスポーツ以外はあまりテレビを見ない生活になっていった。炎症が治まってきたとはいえ、「腰椎化膿性脊椎炎」で腰骨に穴が開いた状況には変わりはない。病気の進行が止まったとしても、その後、少ぉ~しずつ回復してくるのを待つしかなかった。入院してから1ヵ月くらいたった時、骨のまわりの筋肉を補強するためにリハビリを始めることになった。しかしこれは、新たな問題を生み出すことになるのだった。(続く)
2004/11/30
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2002年9月、人生初めての長期入院が始まった。入院先は仙台市北部にあるT病院。借りていた家から車で10分足らずのところにある総合病院だ。こう言っちゃぁなんだが、建物は結構古い。トイレなんかも狭いし、病室はなんと8人部屋だった。今時の病院は4人部屋くらいが主流のようだから、“昔仕様”と言ってもいいだろう。しかしまぁ、ちょくちょく外出して家に戻ろうとも考えていたので、検査設備が整っていれば家から近いのが何よりだった。昔、半月板の手術で1週間ほど入院した時にも思ったのだが、整形外科病棟というのは意外と雰囲気が明るい。見た目では結構オオゴトの患者もいるのだが、何といっても他の病気と違って“生き死に”に関係がないということが大きい。実際問題、今の日本では病院は主な“死に場所”でもあるのだから、深刻な話には事欠かない。その中では、整形外科病棟は実に平和なところではある。患者どうしの一番のコミュニケーション・スペースはというと、実は喫煙所だ。T病院も、古いとはいえ喫煙所は外にあった。そこを舞台にして、熱い寒いの挨拶から始まり、病状や治療方法の話、頭にきた話や医者の悪口、看護婦の評価など、様々な話題に花が咲く。最近の傾向として入院期間は短くなってきているようだが、やはり長期入院患者はいるもので、当然顔馴染みも出来てくる。その中から、数人の親しい患者仲間が出来たことは、色んな面で幸運だったと思う。(続く)
2004/11/29
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新しいHP「WOがキライ!」の方に、少しずつ写真をアップした。1枚ずつサイズ調整とかをしなければならないので、結構メンドウだ。先はまだ長いなぁ。どうもネコにもマイ・ブームがあるようだ。10日ばかり前から、いきなり観葉植物の植木鉢を掘り返すようになった。ユキちゃんもシマコもだ。朝起きると、植木鉢のまわりに土が飛び散っている。仙台にいた頃から置いてある植木鉢なのに、今までは殆ど無関心だった。…どうにもわからないが、迷惑この上ない。先月あたりには、頻繁にギターのピックを持ち出していた。楽器小物が入っている箱の中から、なぜかピックだけを持ち出して遊んでいたようだ。何枚かは拾ったが、どうも3~4枚は足らない。ペラペラする感じが良かったのかも知れないが、今は見向きもしない。さて、行方不明のピックも必ず家のどこかにはある。ただし目に見えない所にだ。奴らが何かにじゃれて遊んでいるのを見ていると、家具の隙間とか家電製品の下とかに、わざと放り込んでいる。苦労して手を伸ばして取り出すことが楽しいようで、しばらくするとまた放り込む。延々とこの繰り返しだ。この作業が終わるのは、手をのばしても取れないところに入り込んでしまった時か、飽きて忘れてしまった時だ。いずれにせよ、殆どの“オモチャ”は見えない所に安置されることになる。これも困ったことだ。こんどはどんな“マイ・ブーム”が来るのだろうか?全く予想がつかないが、恐らく“困ったこと”には違いないと思う。
2004/11/28
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楽天のHPを使うようになって約4カ月たった。操作が簡単で扱いやすいとは思うが、日記と買い物関連以外では不満が出てきた。趣味のコレクションの整理など、表や写真の使い勝手がどうもよくない。で、昨日新たなHPを立ち上げた。「ぷらら」のオプション・サービスなので、費用もかからない。「作家別コレクション」「漫画家別コレクション」「CD&DVDコレクション」「ネコの写真」「オキナワの写真」「楽器コレクション」を軸にして、ここの日記ともリンクさせることにした。PCに入っていた「IBMホームページ・ビルダー(ライト)」を使ってみたのだが、なにしろ素人なので最初は訳がわからなかった。しかし慣れてくると「ワード」と同じようなものだということが解かり、テンプレートなどは使うことなく4~5時間後にはとにかくアップできた。なんとなくウレシイ。懸案の“コレクション一覧”などが完成した日には、かなりウレシイだろうと思う。これから中身を埋めていくところだが、ここの「お気に入り一覧」にリンクしておいたのでヨロシク!
2004/11/27
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経験者にはわかるだろうが、大学病院というところはメチャクチャ時間がかかる。10時に受付を済ませても、午前中に診てもらえないことすらある。最低、診察の前後1~2時間ずつはとられることを覚悟しておかないといけない。待たされる病人は心身共にグッタリと疲れ、たいてい病状は悪化してしまう。ちょっとドキドキしながら行った大学病院だが、すぐに腹がたってきた。どうにも収まらず、思わず言ってしまった。「腰が痛くて来ているのに、いったいいつまで座らせておく気なんだ!」すぐに医者の控え室のようなところに通され、ベッドに横になりながら待つことになった。…言ってみるものだ。確かに色んな病院を見てきたが、“横になって待つ”ことができるところはなかった。客が病人なんだから、少しは考えて欲しいものだ。で、診断結果はというと「腰椎化膿性脊椎炎」というものだった。何でも、バイキンが入って腰骨にたまり、骨の内部が部分的に腐って溶けているというような話だった。腫瘍ではないとのことなので一安心と思いきや、「即入院して下さい」「最低1年以上は治らないと思います」と言われてしまった。まさに“晴天の霹靂”というやつだ。針治療などの際にバイキンが入ることがあるようだが、今回は当てはまらない。ただし極まれに空気感染することもあるとのことで、それくらいしか考えられないそうだが、正式には“原因不明”だった。原因は分からずとも病状と対処法がハッキリしただけでも良しとすべきかもしれないが、やはり困った。結局、週明けまでの数日間入院するのを伸ばしてもらって最低限の“後かたずけ”をし、何かと都合がいい近くの総合病院に入院することになった。時は2002年の9月に入ったところだった…。あぁ、なんてこった!(続く)
2004/11/26
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痛い右膝は、どうやら「変形性膝関節症」らしい。もしそうなら、これは“進行性の慢性関節疾患”なので“進行を防ぐ”だけになるのかもしれない。で、当面は投薬治療することになった。あ~あ。さてそろそろ「入院→休職→退職→長期療養」の原因となった“腰痛”について整理しておこう。あれは2年前の2002年のこと、そう日本中が大騒ぎしたW杯イヤーだ。なんとか4試合分のチケットを手に入れて、一息ついた春のことだった。ある朝、起きようとしたら腰に激痛がはしった。ハンパな痛みではない。少しでも身体を動かすと痛くて、全く動けないのだ。しばらくすると痛みが落ち着いてきたので、なんとかそのまま出社したように思う。その後、痛みは消えることはなく、日によっては歩くこともままならない状態だった。もちろん病院に行った。近所の整形外科だ。レントゲン検査の結果は「ヘルニアの兆候がない事は無いが、特に異常はなさそうだ」とのことで、鎮痛剤と湿布をもらっただけだった。1週間後に状況に変化がないことを伝えだが、「変ですね~」という感じで前回と同じ対処だった。3度通ってもラチがあかないので、ちょうど用事があって実家に帰っていた際に他の病院にもいった。その時も、MRIとかは予約がいるとのことでレントゲン検査だけだったが、最初の整形外科と同じような診断だった。腰痛に悩まされながら仕事を続け、もちろんW杯も見に行ってきたが、いっこうに良くなる気配はなく、「針とか整体とかも考えてみようか」とも考え始めていた。しかし、「まず精密検査をしてみるべきだな」と思い、8月になって近くの総合病院に行くことにした。そこの整形外来でも、最初はレントゲン検査をして“大きな問題はなさそうだ”との診断で、おきまりの鎮痛剤&湿布ではあったが、1週間後に状況報告すると精密検査をしてみることになった。血液検査をした上で、MRIとCTの断層撮影を行った。結果は、大きな炎症反応がみられ骨の内部にかなりの異常があるとのことだった。ただし、そこでも詳しい診断ができないとのことで、東北大学付属病院で再診断してもらうことになった。その際紹介されたのが“整形外科の腫瘍担当”の医者であり、どうも“骨のガン”の可能性もあることを示唆された。正直これにはビビッた。「何だ何だ?どうなってるんだ?」といったところだ。(続く)
2004/11/25
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このところ右膝が痛い。特に曲げる時が痛く、日によってはかなり苦痛だ。この調子では、また病院の世話になりそうだ。かつて、もう15年程も前になるが、いきなり左膝が痛くなったことがある。1~2ヵ月我慢していたが、回復のきざしが無いので会社の近くの病院に行くと、いきなり日大病院にまわされた。どうも半月板が割れているとのことで、結局手術して割れた部分を除去するハメになった。半月板とは、間接のクッションみたいなもので、上から見ると“半月”の形をしている。スポーツ選手が結構ケガするところで、日大病院には日大フェニックス(アメフト)の連中も来ていた。担当医は、元ジャイアンツの吉村の手術もしたそうだ。当時はまだ若く元気だったから、よくテニスやスキーにも行っていたが、問題は“膝を強く打った”という記憶がなかった事だ。後から考えて「あの時かなぁ?」というくらいで、どうも原因も時期も特定できずスッキリしないままだった。今回も特に“何がどうした”という事はなく、気がついたら痛くなっていた。しかしまぁ、結局会社を辞める原因になった腰痛も“原因不明”のままだったし、病気やケガというものは案外こんなものかもしれない。結構、劇的な出来事なんていうのはあまり無いような気がする。これまで“学習”した事は、「素人判断はあてにならない」ということと「近代設備は大事」ということだ。こんどくわしく整理するが、レントゲン検査では2つの病院で“大きな問題はない”と診断されていた腰痛が、実際には3ヵ月の入院と長期療養になっていった。そうだなぁ、やっぱりちゃんと診てもらおう。
2004/11/23
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2ndステージの優勝が決まった。かつて“Jリーグのお荷物”と言われた浦和レッズだ。昨年はナビスコ杯に初優勝し、今年の1stステージは3位だったから不思議ではない。特に今シーズンはブッフバルトというスター監督になり、三都主&闘莉王を獲得し、戦力は整ってきていた。個人的には格別浦和への思い入れはないが、浦和のベンチに懐かしい顔があった。コーチのエンゲルスだ。1999年元旦に2度目の天皇杯を獲得し、直後に“消滅”してしまったあの横浜フリュ-ゲルスの元監督だ。ブッフバルトは監督経験がないはずだから、日本語もペラペラのエンゲルスは、ブッフバルトの参謀兼仲介者といったところだろう。以前から日産ファンで現在もマリノスファンではあるが、ファングラブに入ったのはフリューゲルスの方が先だった。実は当初、“ヨコハマダービー”のチケットを確実に手に入れたいというヨコシマな考えで入会したのだが、フリューゲルスのサッカーは結構楽しかった。最初の頃は、エドゥーというとんでもないFKを蹴る奴がいたし、顔が怖くてパワフルなモネールがいた。“ボランチ”の代名詞のような山口も既にいた。徐々に、前園、三浦(淳)、楢崎、波戸らが成長し頭角を現した。FKの名手ジーニョやW杯で得点もしているサンパイオも加わった。結構試合を見に行っていたのだが、結果は殆ど覚えていない。ワクワクさせてくれて楽しませてくれたから、もうそれで充分だったのだろう。特に三ツ沢で行われた“ヨコハマダービー”は、両チームの成績に関係なくいつも熱い試合だった。1998年とは、日本が始めてW杯に出場した年だ。フリュ-ゲルスからも山口と楢崎が選ばれていた。その年の10月29日、突然マリノスとの吸収合併が報じられた。奇しくも、横浜から仙台に引っ越してわずか4日目のことだった。そしてそれから「奇跡の2ヶ月」が始まった。1999年元旦まで、横浜フリュ-ゲルスは1度も負けることがなかった。11月中旬にリーグ戦が終わった後は、文字通り“負けたら終わり”の天皇杯だった。フリュ-ゲルスは勝ち続け、準々決勝でジュビロに勝ち、準決勝でアントラーズに勝ち、元旦の決勝でエスパルスに勝ったのだ!1st:8位、ナビスコ:予選リーグ敗退、2nd:7位のチームが、だ。今思い起こしても、鳥肌が立つようなスゴイ出来事だった。先日のナビスコ杯では気づかなかったが、そうか、浦和でがんばっていたんだなぁ…。祝・エンゲルス、Jリーグ初制覇!
2004/11/20
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“3階”の「趣味の部屋」を少しいじった。オーディオ・ビジュアル関係だ。本とCDとビデオとDVDの山に囲まれ、ギター4本とウクレレと三線(サンシン)があり、マッサージチェアを置いてある狭いが思わずニコニコしてしまう部屋だ。これまでは、古いラジカセをアンプ代わりにして、古いCDプレーヤーとスピーカーだけをセットしていた。ラジカセは25年以上も前のものだが、SONYの「初代ジーゼット」という名機で、当時で6万円はした“何でもあり”のスグレモノだ。もちろん今でも現役だ。CDプレーヤーも15年以上前のものだが、かつて実家でコンポに組み合わせていたYAMAHAの高級機種だ。で、今回ここに、押入れに仕舞い込んでいたAVセレクターを持ち出して、ちょっと古い東芝のコンパクトDVDと携帯用の3インチTVを組み合わせてみた。う~ん、結構楽しくていい感じだ。みんな捨てないでおいて良かったなぁ…。この「趣味の部屋」は、マンションのくせに四方八方他の家と接することがない特殊な構造なので、夜中でもガンガンギターを弾いたり音楽を聴くことができる。へっへっへー、これで音楽DVDもいつでも大音量で聞くことができるようになったぜぃ。そうだ、音楽ビデオも多いから、実家の客間用に送ってしまった古いビデオデッキをいつか持って帰ろう。そうなれば「趣味の部屋」は完璧だ。特にオーデォオ・マニアではないのでそんなに金をかけることはしないが、リビングでも寝室でもそれなりに楽しめるようにはしている。まずリビングは、32インチワイドTVが中心になっている。ソースは、BSデジタルチューナー、コンパチLD(LD、DVD、CD)、ビデオデッキ、レコードプレーヤーだ。これをYAMAHAのチューナー付アンプ、DENONのスピーカー4本+VICTORのスピーカー2本で鳴らしている。いわゆる5.1chというやつだ。寝室では、“変り種”の16インチワイドTVにポータブルDVDとビデオデッキをつないでいる。また音楽を聴きながら寝ることが多いので、別途、オートOFFタイプのポータブルCDにアンプ内臓スピーカーをつないで置いてある。映画のDVDソフトやハイビジョン放送を見る時には、デジタルの5.1chシステムが不可欠だ。全く迫力が違う。一方で昔からのレコードやLDも多く、どうしてもアナログシステムを併用しなくちゃいけないので、ウチの場合は結構メンドクサイ。ちなみにレコードプレーヤーは4~5年前に買い換えたのだが、それまでのと同様の20年程前のTechnicsのQDD方式のプレーヤーをわざわざ中古で捜した。再整備されていれば、やっぱり安心感が違う。ホントに昔のメイド・イン・ジャパンは出来が良かった。そういえば比較的新しいスピーカーは全部DENONだが、もしアンプでも壊れたら今度はDENONにするだろうと思う。3~4年前にサブ・ウーハーを捜してみて判ったことだが、残念ながらもはやYAMAHAにかつてのクオリティはない。一方DENONは、デジタル時代に対応して“デンオン”から“デノン”に読み方が変わっただけでなく非常に充実している。聞いた話では、かつてのサンスイの技術者も結構移っているようで、現在の音響関係では間違いなくトップクラスだろう。しかしまぁ金もないし大きな不満もないから、しばらくはオーディオ・ビジュアル環境を大きく変えることはないだろうと思っている。
2004/11/15
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セリーグのゴールデングラブ賞にドラゴンズから6人も選ばれた。ゴールデングラブ賞とは守備がウマイ選手が対象で、投手:川上、一塁手:渡辺、二塁手:荒木、遊撃手:井端、外野手:アレックス&英智、の6人が選ばれた。リーグ初の快挙だ。特にヒット83本の渡辺と54本の英智は、実は規定打席にも達していないから珍しく“守備堅めの選手”が選ばれたことにもなる。英智は、かつてプロ野球運動会の遠投部門で優勝したのを覚えているが、自慢の強肩に加え、失策0、盗塁リーグ4位の実績を残し見事に福留の穴をうめた。簡単に言えば今年ブレイクした選手なので、今後の活躍も大いに期待される。ドラゴンズ・ファン以外には最も顔が浮かばない選手ではないかと思うが、苦労人・渡辺の受賞はうれしい。1票差だろうが何だろうが、獲っちまえばこっちのものだ。ともかく124試合に出た一塁手で、わずかに失策3なのだからいばってもいいだろう。来年ウッズでも来たら打席はぐっと減るだろうから、ワンチャンスをものにした感じだ。ちなみに、当然のことながら清原はいらない。さて、ここでゴールデングラブに選ばれなかった3人を考えてみて欲しい。捕手の谷繁、三塁手の立浪、外野手の福留の3人だ。3人ともかつての受賞者で、今年も選ばれても決して不思議ではない選手だ。特に2年連続で受賞していた福留は、オリンピックから帰ってきてすぐ骨折してリタイヤしてしまったが、92試合に出てエラーはたった1個だった。ちなみに三塁打はリーグ1位で、ヒットも97本打ち、打点は81もあげていた。あぁ、日本シリーズに出ていたらなぁ…。しかしこうしてみると、いかに“鉄壁の守備”だったかということが良くわかる。「100点余分に獲れなかった分、100点防いでくれた」という川上の言葉が実感できる。今年のドラゴンズは、川上、荒木、井端、立浪の4人が既にベストナインに選ばれている。“優勝する程活躍したんだから…”と考えるかもしれないが、実はこれまではそんな簡単にはいかなかった。 1999年:ベストナイン2人、ゴールデングラブ0人 1988年:ベストナイン2人、ゴールデングラブ2人 1982年:ベストナイン4人、ゴールデングラブ2人 1974年:ベストナイン2人、ゴールデングラブ1人記者投票というのは、人数の関係でどうしても関東有利になってしまう。ジャイアンツなどは最たるもので、日常的なつきあいが多いとどうしても情がわくし、見る機会が多ければ印象が強くなってしまう。特に打撃重視のベストナインと違って、守備を評価するゴールデングラブは明確な判断基準がないためこの傾向が強いように思う。しかしまぁ、これでやっと日本シリーズの悪夢も弱まったので(消えるわけではない)、来年のことでも考えよう。まずはドラフトかな?
2004/11/12
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そういえば、横浜に戻ってから猫たちの写真を撮っていない。昔は、いつかいなくなるという想定だったから写真を撮っていたと思うんだけど…。部屋がなかなか片付かなかったせいかもしれないなぁ。結局、ユキちゃん(♀)とシマコ(♀)の2匹が今も家にいるわけだけど、かつてのUNIやUJIと明らかに違うところがある。人の手を極端に怖がることだ。こっちが寝っころがっている時は例外的に大丈夫だが、座っていたり立っていたりして手を伸ばすと大慌てで逃げてしまう。まぁ確かに手で捕まえられると、キャリーバックに押し込められたり、車に乗せられたり、病院へ連れて行かれたり、注射されたり、手術されたりとロクなことがない。運が良くてもツメを切られてドキドキするのだから、手が怖くて仕方がないんだろう。しかし決して愛想が悪いというわけではない。手がキライなかわりに足が大好きなのだ。こちらの姿勢に関係なく足には平気でじゃれてくるし、足でお腹を撫でられるのは大好きだ。歩いていると、タッタッタと追い越してゆき、目の前で仰向けにウデーと寝転んで「足でグジャグジャして~」と“催促”したりする。ちなみに、足でお腹を撫で始めると、何故か必ず1度は両手両足を一直線にして「う~ん」と伸びをする。この時はいきなり身長が2倍くらいになるので、ちょっとビックリする。ユキちゃんなんかは、階段を降りたところで“催促”することが多いので気をつけないと踏んずけそうになったりする。シッポや耳を引っ張ろうが、顔を鷲づかみにしようが、ホントに足では何をされても平気だ。実は、こいつらの“足好き”は生い立ちに関係あるんじゃないかと思っている。前に書いたが、生後1ヶ月で親に見離され、仕方がないので面倒を見るようになったのだが、奴らがご飯をもらう時には必ず目の前に“足”があり、親兄弟以外で唯一遊んでくれたのも“足”だ。これは、昔の写真にもあるように、いつも庭に向かって腰掛けて奴らの相手をしていたため、どうしてもそういう構図になっていたのだ。足が保護者代わりだとしたら、なんだか不憫な話じゃないか。で、“足好き”の奴らは、日常的に人の足をガジガジしている。遊んで欲しい時だけじゃなく、朝起こす時も足をガジガジするし、布団にもぐり込んで寝る時は足の間に入り込むし…。悪気が無いことはわかっているし、理由もなんとなくわかっている。が、ふくらはぎから下の部分は生傷が耐えない。風呂に入ると沁みたりする。奴らを保護してからそろそろ1年になるが、なんとかならないものだろうか…。
2004/11/09
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サンズの田臥勇太がやってくれた。第4クォーターの残り10分の出場で、7得点1アシスト。なかなかやるじゃないか!といったところだ。田臥の位置づけは3番目のポイントガードだから、「ホントに試合に出られるのかなぁ」と思っていたが、ホームの開幕戦で既に大量リードというおあつらえの状況ができた。つまり、他のサブメンバーと同様に“慣らし、腕試し、お披露目”といった意味あいが強い出場だ。しかし、他のサブメンバーとは明らかに観客の反応が違っていた。シュート・シーンではまさに大騒ぎだ。大袈裟に言うと、歓声だけならスーパースター並みだった。これはいささか意外だった。日本人初のNBAプレーヤーということで結構注目を集めているようだし、スピードで勝負するプレースタイルからイチローのような活躍を期待されているのかもしれない。確かに味方のシュートが決まっていれば、2~3本アシストが増えていただろうし、スピーディなプレーは何かワクワクさせるものがあった。何だか“牛若丸”というイメージかなぁ。田臥といえば、能代工高に入ってすぐレギュラーになり、3年間の全ての試合で1敗しかしなかった伝説の男だ。(負けた試合は5ファールで退場しており、それ以来退場したことがないというのも伝説か?)しかしNBAのデビューとしては満点だが、実際問題としてレギュラーのナッシュとの差はまだまだ大きいように思える。つまり目指すところは、イチローではなく、まずは新庄のようにここぞというところで活躍できる選手になることなんだろう。NBAで伝説をつくるかどうかはともかく、新たな歴史をきり開いた田臥から今後も目が離せない。
2004/11/04
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FC東京は良くやった。前半で10人になった時には、「こりゃダメだ」と思ったものだがよく実に良く耐えた。特筆すべきは“3:7”で圧倒されていたサポーターだ。手書きの応援看板が実に味のあるものだった。何とか奮い立たせる気持ちをケナゲに表現した「俺たちは 強い」。各人それぞれの“東京物語”を連想させる「東京物語 完」。それぞれ趣がある。しかしなんといっても極め付きは、「はじめてだから…やさしくして」だ!ナビスコカップの決勝に初めて進出して、やや自虐的になりつつもかわいらしく哀願している。センスが良いなぁ。思わずニヤッと笑ってしまった。さて、早速苦難の道を歩みだした「楽天ゴールデンイーグルス」。もちろん楽天に対してはニガニガしく思っているが、監督の田尾安史は個人的に応援したい。後に西武、阪神と移っていったが、まぎれもなく中日ドラゴンズのOBだ。いうまでもなく、早大・谷沢、中大・藤波に続くように1976年に新人王をとった“同志社の田尾”だ。西武にトレードされる前は、確か4年連続で3割以上を打っており、大学時代はピッチャーも兼ねていたので(確か2~3勝していた)肩の良い外野手だった。当時の背番号は「2」だったと思う。1982年にドラゴンズが優勝した年に、大洋・長崎と熾烈な首位打者争いをして、最終戦で敬遠攻めにあい、届かない球に抗議の空振りをした熱血漢でもある。つまり、打って守れて、頭が良くて、顔が良くて…。当時は「こんなに恵まれた奴がいるんだなぁ」と思ったものだ。しかし「大砲が欲しかったが、高性能機関銃が手に入った」と喜ばれて西武に移籍したのに、結局中日にいた頃程の活躍はできず、なんだか気の毒に思っていた選手だ。古い話なので記憶違いもあるかもしれないが、ともかく愛すべきドラゴンズOBである。その田尾が監督になるのは大変ウレシイ事だが、よりによって何かとハンディのある新球団だ。二軍コーチに、鹿島、上川というなつかしい顔も見えるが、大丈夫なのかなぁ。ドロをかぶらなきゃいいんだけどねぇ。さてさて、今回もドタバタの大統領選挙。現状はブッシュ254VSケリー252だが、どうもブッシュの方が優勢のようだ。信じられないなぁ。自他共に認めるキリスト教原理主義者のブッシュは、言うまでもなく危険人物である。傍から見れば、イスラム教原理主義者と大差はなく、どちらも自分の価値観以外は全く受け入れない。つまり、“信じているから”対立、排除、戦争というものに躊躇はない。しかも、アメリカのキリスト教原理主義者には新保守主義者(ネオ・コン)が共闘体勢にあり、どうもシオニスト(ユダヤ教原理主義者)の影がちらつくという最悪の状況にある。アメリカの将来は暗いなぁ…。ソビエト連邦の崩壊、東西ドイツの統一など、「ホントかよ!?」という出来事が過去にあったが、仮想敵を創り愛国心を鼓舞して必死に維持されているアメリカ合衆国が、近い将来分割されたとしても驚くことはないだろう。
2004/11/03
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やはりデキレースのまま終わってしまったか…。読売はライブドアと同じ机につくことがなくなって、さぞかしホッとしたことだろう。プロ野球界の中では“腐っても読売”ということなんだろうなぁ。しかし、仙台の政財界はともかくとして、仙台の市民は複雑だろう。いうまでもなく、ベガルタ仙台はJ2に落ちてもなお市民の応援が大きいチームだ。今年はだめだったが、来年以降J1復帰を目指すベガルタにとって、J1下位のヴィッセル神戸(楽天)はライバルの1つだ。つまり「楽天ガンバレ」とは言いたくない状況なんだなぁ。こんなネジレ現象は初めてのことだ。これだけでも新球団にとってはマイナスなのに、今回の楽天は“西武、読売などの意をくんだライブドア落とし”とのダーティなイメージが強い。異論もあるかもしれないが、結果的にそういう不可解な行動をとったことは事実だ。東北初のプロ野球球団、50年ぶりの新球団、それなのに心から喜べないなんて残念でならない。なぜ、市民がこぞって応援できる状況を創らないのか!仙台関係者としては、こんなかたちで楽天が来るのなら、数年後に他球団が来た方が良かったというのが正直な感想だ。“金があるから楽天”という予想された結果は、残念ながら、これからもプロ野球の体質・構造を大きく変えるつもりはない、読売にはさからわない、地域・市民感情なんて後回し、という意志表示でもある。ダイエーは来年限りだし、西武も時間の問題と言われているのに全く危機感がないんだなぁ。せめて、選手会にもうひと頑張りしてもらって、読売が創ったドラフト自由獲得枠だけは今年で最後にして欲しい。
2004/11/02
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