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高岡を紹介する刊行物には、観光案内や市勢要覧などがある。そのなかには、市内の名所といわれるところが必ず記載されている。今回は、大正期の名所旧跡を1922年(大正11)発行の『高岡要覧』から拾い出してみたい。当時の市域は、東の端は江尻、西は横田、南は関町、北は米島のあたりまでだった。市内の名所旧跡として 「高岡城址」 「高岡公園」 「桜馬場公園」 「前田利長卿墓碑」 「貴賓館」 「明治天皇行在所」 「孝子石瀬屋六兵衛碑」 「七本杉」 「大仏」が紹介されている。もう見られなく場所がいくつかあるが、「桜馬場公園」は「春季満開の時に至れば其光景実に北陸に冠絶し観客四方より群集す」と記されている。今、桜の名所といえば古城公園(『要覧』でいう「高岡城址」「高岡公園」)を思い浮かべるが、桜馬場も有名であった。戦後復興、高度成長の流れのなか昭和30年代に入って、公園は道路に変わり、現在、桜馬場通りとなっている。【参考】『高岡要覧』(高岡市役所刊、1922年)3
2010年05月28日
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文学作品のなかに高岡が登場するものは数多く残されている。今回紹介する「義血侠血」は、金沢生まれの文豪、泉鏡花の作品である。1894年(明治27)、『読売新聞』に連載された。「越中高岡より倶利伽羅下の建場なる石動まで、四里八町が間を定時発の乗合馬車あり。」の一文で始まる小説は、水芸人・瀧の白糸こと水島友と御者・村越欣弥との悲恋の物語である。文中には、高岡のほかにも伏木や立野、福岡の地名も出てくる。「義血侠血」が原作となった劇と映画「瀧の白糸」が上演、製作されている。当時、馬車は実際に走っていて発着場所は定かでないが、市中心部の旧北陸道沿いあったそうである。片原町北交差点の角に「瀧の白糸」碑が建てられている(ここが発着場所というわけではないという)。【参考】『明治の文学』第8巻(筑摩書房刊、2001年)など2
2010年05月20日
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高岡は1889年(明治22)4月1日市制をしき、高岡市が誕生した。前年に市制・町村制が公布され、89年4月以降順次施行されていった。高岡は最初に市となった地域の一つであった。現在の都道府県域すべてに置かれたわけではなく、4月に市となったのは31地域である。そのなかで、府県内で2つの市ができたところは、大阪(大阪・堺)、兵庫(神戸・姫路)、福岡(福岡・久留米)、山形(山形・米沢)、そして、富山(富山・高岡)だった。89年は大日本帝国憲法が公布された年でもあり、市制施行は近代化の新たな道を歩みだしたなかで行われた。ちなみに、2009年、高岡市は開町400年記念でさまざまな行事が開催されたが、市制施行120年の節目の年でもあった。【参考】『たかおか 歴史との出会い』(高岡市刊、1991年)1
2010年05月15日
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