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発症からちょうど一か月。入院から今に至るまで、仕事のことをほとんど考えていない自分が新鮮です。仕事のことを考えようとすると、麻痺している側の顔が瞬間こわばることに気づいたのも理由の一つ←つまり「考えないようにしよう」と”意識的に”しているということ。板橋の病院の外来診察日。病後では初の自転車にトライ。めまいの症状が残っていれば、バランスとらなきゃいけない自転車に乗ろうとするとかならず転ぶという。意外といけた。良かった。とりあえず経過は順調。顔面神経の稼働率は20/40。スコアは上がってきてる模様。少しだけどね。あせらずいこう、と。手術のところのテープをやっと取ってもらえた。お腹が痛いのがどうも止まず。念のため血液検査をしてもらうことに。「治療でいろいろ薬をつかったから、念のため検査しておきましょう」と。血液検査の結果知りたいなー。もらってすぐに院外処方箋を紛失。さんざん騒いだ挙句、耳鼻科に再発行をお願いする前に最終確認で財布を見てみたらきれいにきちんと折りたたんで入ってた。仕舞った記憶、まるで無し。何故。この前のチケット置き忘れ事件と言い、どうも集中力が散漫になっているというか、自分の周りのものすごく狭い半径の中しか注意が行き届かなくなってる感じがする。気をつけないと。普段あまり行かない近所のスーパーに寄ってみる。二階のダイソーが充実していることに驚きを。一階で雪印の北海道100クリームチーズ(激旨。HACCIの蜂蜜と一緒に食べた日には、もう。)の取り扱いがあった(≧▽≦)ノ覚えとこ。坂道回避で、これまた久しぶりに図書館へ。一度に借りられる数が20冊になっててびっくり。さらに、経営が丸善にアウトソーシングされてて二度びっくり。さらに、月曜日も開いてるは、開館時間も20時まで延長になってて三度びっくり。とりあえず18冊ほど借りてみました。やっとテープを取ってもらえた。 傷口を見ていわく「手際の悪いブラックジャックみたい」と(-_-メ) 一か月。 いろいろあったなぁ。
2008/11/12
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翌日、予約の時間に再度病院に伺いまして、手術のお願いをいたしました。今回の手術は「顔面神経管開放手術」という手術でして、内容は、右耳の後ろを付け根に沿って切開して、中を通っている神経管を開放して顔面神経を減荷するというものだとのこと。手術をして、すぐに直るという手術なわけではなくてですね、前の病院で説明を受けたように、ただいま顔面神経死滅中でして、それが再生するときに正しい再生を促進することを期待する手術だそうです。先生いわく、今の状態は神経が圧迫されている状態で、そのままいくと、神経が再生するときに「変性」してしまう可能性が高いとのことでした。正しい形に再生されずに、“エラー”が起こってしまうということらしい。顔がひきつったままになってしまったりとか、痙攣してしまったりとか顔の筋肉を動かすときに間違った指令を出してしまうのだそうです。レントゲンも撮らずに(レントゲンに神経が写るのか知らないけど)、神経がそうなっているって判断できるのかなー、とも思いましたが、顔面麻痺の治療方法としては昔から確立されていて、手術数も多いらしいです。ただ、前日の説明のときにも言われたのですが、耳の後ろを切開した後に術野を確保するために、一時的に聴骨を摘出することになると。もちろん施術の後に元に戻すが、結果として聴力が低下する可能性があると。しかも一時的ではなく、パーマネントに。↑が唯一に等しいリスクでした。でもまあ顔面麻痺と天秤にかけたら、しゃーないわ、という気持ちになっていたのでこれはもう了承。入院は明日の25日。手術は27日。ただし、手術の計画というのは通常1週間くらい前に決定してしまうので、今回は手術室が空き次第、特別に緊急手術ということで予定を差し込むという形をとるので、開始時間はオンコール。全身麻酔で、手術自体の時間は大体1時間半から2時間とのこと。いろんなことがテキパキと決まっていき、これまた生まれて初めて手術の同意書にサイン。ちょっと緊張。この日から手術前検査が開始。心電図と肺機能検査と採血とレントゲン撮りました。入院予約を入れて本日終了。いよいよ明日から再入院です。手術の同意書。やっぱり達筆すぎて読めません(T_T)
2008/10/24
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板橋の病院の退院後初の外来診察日。3日の外出の日から、自分の声が頭の中で異様に響くようになったのと、水の中にいるみたい(耳の中にずっと水が入ってるみたい)な感じがすると伝えたところ、手術のときの出血とか浸出液が、鼓膜の向こう側にたまっているのでしばらくは仕方ないとのこと。(耳を覗くと、鼓膜の向こうに液体が見えてるらしい。)そのうち吸収されるから待ってなさい、と。どうも耳の穴が腫れているような気がするのと、ずーっと「シャー」って耳鳴りが聞こえてくることや、人と話しているときに、大きな声や音がいつもよりもいやに響くことを言ったところ、耳の穴を動かす神経は顔面神経なので、今はまだ顔面神経が麻痺している状態なので感覚がない分、腫れているように感じるとのこと。耳鳴りも同様。大きな声がやけに響くのは、耳というのは大きい音が聞こえると無意識に収縮して音に対してわざと鈍感になるようになっているのだけれども、さっき言ったように神経が麻痺しているので、その調節がうまくいっていないためダイレクトに音が入ってきてしまうので、大きな音がいつもよりも響くようになっているとのことでした。なるほど。治るのかなぁ、これ。耳の腫れぼったい感のせいで、聞こえの感じが悪くなってる気がする。音が聞こえにくい。ちょっとストレスだ。今回はとりあえず経過観察だけ。手術跡のテープもそのまんま。耳の綿球もしばらくは入れておくように、と。綿球入れても入れなくても、なんか耳の感覚が変なので、むしろ入れておいた方がカラダの感覚として「綿球入れてるから変なんだ」と思いこませることができてよいかも。お腹痛いのも訴えて、整腸剤を出してもらう。一度帰るが、お腹が痛いの止まらずしばし休息。駿河台のほうに保険の提出書類の申請をしに行く。そのあとは、御見舞御礼買出しツアー@日本橋界隈。竺仙の本店に突撃訪問。ちょっとびっくり。え、あ、こういう店構えなんだ…。二階の倉庫でいろいろ見せてもらう。「御膳掛け」というの、これはイイ。自分でもあれもこれも欲しくなる。向かいのビルの事務所にて精算。非売品の手ぬぐいもらっちゃった。美樹の結婚祝いもそろそろいい加減決めないと、ということで源右衛門にも。カラー印刷のカタログ入手できてラッキー。日本橋高島屋の有次で銅の行平鍋に心奪われる。全国銘菓のコーナーがあるのは日本橋高島屋で合ってた。まだ外出するとエンプティマークが点灯してしまうのがびっくりするほど早い。おとなしく家に帰って充電するです。そりゃそうだよね。まだ退院3日目でした。お腹がくだりまくりでちょっと不安に。なんでだろ?処方してもらった薬をみたら「”R”」の文字が。調べてみたら納得。投薬治療で抗ウイルス剤やらステロイド剤を飲んだせいで、いろんな細菌を退治したのですが、おそらく善玉菌も殺られてしまったらしく。抗生物質にも勝つ整腸剤をもらったらようやく落ち着きました。現時点での内服薬の皆様。これが一日三回。でもだいぶ種類が減りました。 入院処方でもらうと、一回分の錠剤が3食後ごとに分包してくれるのが嬉しい。 しかも名前と飲むシーン名入り。
2008/11/07
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人間のカラダって、いとも簡単に”ポンコツ”になっちゃうんだなぁ、と。普通の体にちゃんと戻れるのかどうか、不安な気持ちで過ごした入院生活でした。そして、この時点でようやく、今までの生活がクレイジーだったことにやっと気がつきました。週3回終電の、週2回は会社で朝を迎えるとか言ってる場合じゃなかったです。平均睡眠時間が4時間とか言ってる場合じゃなかったです。そりゃ倒れるわ。ストレスの発散と疲労の回復はイコールじゃないことに初めて気がつきました…。めまいと吐き気は点滴を打っていたら、かなり早い段階で治まりました。点滴って素晴らしい。今回の病気は発症から投薬のタイミングが出来るだけ早いほうが効果があるらしく、自分はちょっとギリギリだったらしいです。外科的処置は特になかったのですが、神経再生のためのステロイド剤の大量投与と帯状疱疹に対しての抗ウイルス剤が治療の中心でした。プレドニンに関しては色々噂を聞いていたので、大量投与と聞いてかなり不安が。急にやめてもいけないモノらしく、最初1日150mgからスタートして10日かけて1日20mgまで落としていきました。プレドニンは一日3回、しかもきっちり8時間おきの投与。朝の6時と昼の14時と夜の22時。点滴が一回終わるのにだいたい1時間くらいかかります。8時間おきっていうとこの時間割りがベストなのでしょうけれども、朝の6時から点滴っていうのは結構つらかったです。点滴はこれ以外に抗ウイルス剤の点滴が11時くらいから2時間くらいかけて落ちるものを投与されました。これだけの点滴の必要もあり、仕事もできるような状態じゃなかったので、入院は致し方ないと腹をくくっていたのですが、最後まであきらめきれなかったのが、翌週から予定していたロシア旅行…。先週ビザを取りにロシア大使館に行ったのに…。サンクトペテルブルグは、やっぱり遠かったです(/_;)それ以上に、一緒に行く予定だった千代ちゃん伴ちゃんに、急遽の旅程変更を余儀なくしてしまい。ホントにごめんなさい。入院した翌週が誕生日で、みんながお見舞い+お祝いに来てくれたのがとても嬉しかったです。お花を送っていただいたりと、ホントにありがとうございました。誕生日を病院で迎えるのは、生まれた時以来だわ、と。んでもって、奇しくも同じ系列の病院。一度死んで再度生まれたものと考えようかと思った一日でした。○点滴のことちなみに点滴も初体験。採血の注射の針は看護師が刺してもいいのですが、点滴の針は医師しか刺せないことになっているらしいです。点滴の針は注射の針のようになっているかと思ったら、樹脂の管みたいな針だった。血管の内側に沿って注入できるようになってるんですね。点滴って、点滴を替えるたびに針の刺し抜きをされるかと思っていたら違うんですね。一度ルートを確保したら留置針はその後も刺しっぱなし。でも、点滴が終了すると点滴管の途中が外せるようになってて、短くなった管をクルクルってまとめてネットでとめると、腕を自由に動かせるようになる。しかもこの管から、MRIの造影剤は注入できるわ、手術のときの麻酔剤は注入できるわ、おかげで一回一回注射を打たれなくて済むのだ。なんて便利。点滴を外してなくても、キャスター付きの点滴台があれば意外と動き回れることを知る。ただし、動いているときによくルート内に血液が逆流しました…。自分の血液の圧力と、点滴の管が自分の血管の外部出入力の延長コードになっていることを実感するひとときでした。点滴の前後はルート内に血液が凝固するのを防ぐために、注射みたいな器具でひんやりする液体を注入されました(ヘパリンという薬みたいです)。このときにちょっと気泡が入ってたりして。点滴を取り替えるときにも管に気泡が入っているときが時々あり、少しだったら問題無いらしいのですが、静脈に空気を注射すると死んじゃうみたいなことを聞いたことがあったので、かなり冷や冷やしておりました。入院中は点滴漬けで、なんだかつくづく「入院したんだなあ」という実感をもたらすモノでした。ただ、これが足枷になってベッドの上に居ざるを得なく、うろうろ歩き回ったりせずに安静に徹せたのは、結果良かったのだなぁ、と。点滴サマサマでした。○他の診療科の受診や検査待ち他の診察科の受診も、先生や看護士さんにちょっと具合が悪いと言うだけで、簡単に割込みで受診させてもらえる。しかも病室で待っていれば呼びに来てくれるし。検査も同じように病室で待っていれば呼びに来てくれるので、入院してるとホントに便利。MRIの検査のとき、当初は朝の9時過ぎから検査のはずが、結局14時過ぎになったんだけど、通院で待合で待ってたら、そんなに待ちきれなかったよな、と。ベッドで寝てても呼びに来てくれるので、とても助かりましたわ。○看護士さんこの病院の看護師さん。とにかく可愛くて美人さんたちで優しい方々ぞろい♪なんだろ、サービス業と間違えてしまうほどでした。しかも、病室が少ない=入院患者数が少ない割りに看護士さんの数が多くて、一人ひとりをこまやかに親身に見てくださる。検温の回数も一日5回くらい来るし。かといって過剰じゃないし。本好きの看護師さんとはかなり話が弾んで、興味深い話を色々聞けて楽しかったです♪※「チームバチスタの栄光」・隣の病院の窓の向こう・救命救急についてなどなど○病院食美味しかったです。普通に。濃い味も好きですが、薄味も好きなので。薄味を補うべく、出汁を濃いめに引いていたり、アクセントをつけるために紫蘇とかちょっと香りの高いものを混ぜてみたり、柑橘系で酸味をつけてみたり。退院したら自分でも試してみたい工夫が随所に。基本的に病院で出される食事も治療の一環と考えているので、あまり文句はなく。美味しかったし。だいたい残さずに美味しくいただいておりました。※朝ごはん備忘録:おかずの少なさのコツは、自作でサンドウィッチ。驚くべくは厳密なカロリーコントロール。一日だいたい1800kcalのエネルギー量で、特に間食などはしなかったせいか、入院中、100gも体重が変動しなかった。びっくり。全く運動とかせず寝てるだけで、あとは食べてるだけなのにっ。ヒレカツとかも献立にあったのにっ。カロリー計算恐るべし。メモして、今後の参考にすることにしました(もちろん、守れてませんが(^^ゞ)お粥に開眼しました。家で作るときはご飯から作ることが多いのですが、おそらく病院ではお米から作っているものと。お米から作るせいか、お水がいいのか、作り方が上手なのか。なんともいえないお米の甘味がして、とても美味しいお粥でした。家に帰ったら、土鍋でお米から炊いてみよう(→炊いてみました。激ウマでした)。○屋上と地下売店病院内で唯一の散歩コース。屋上からは見慣れた母校やら町並みが見えて、外を歩けなくても”慣れた街”にいるんだなという安心感がありました。見晴らしがいいというわけじゃなかったけど、夜の東京タワーがとてもきれいだった。地下売店には、毎朝点滴をガラガラと押しながら日経新聞と「一日分の野菜」を買いに行くのが日課になっていました。病院内を探検するほどの気力と体力もなく、でもちょっと病室から出歩きたいときにちょうどいいお散歩コースでした。ちなみ体力がどれくらい落ちていたかというと、階段を一階分降りただけでも、足がガタガタして頭がくらくらするような状態でした。○睡眠導入剤これも初体験。22時から最後の点滴をするせいか、寝ようとすると心音がやけに響いてどうもうまく眠れず。母親は、プレドニンの副作用じゃないかとも言っていましたが。普段ものすごく寝つきが良い分、寝付けないことにひどくストレスを感じまして。看護士さんに相談したら、ものすごく簡単に処方してくれました。いただいたのは「アモバン」というお薬。うーん、不思議な感覚。睡眠導入にもいろいろバリエーションがあるんだなーと。ものすごくダウナーに入って、自分とベッドが溶け合ったように感じて眠る時もあれば、カラダがふわふわ浮いてきてそのままスーッと眠ってしまうときもありました。ただし余計な雑念が入ると、バッドトリップになってしまうこともあり。いずれにせよ効きが良過ぎるようで、翌日の夕方くらいまで残ってました。でも、日中になんだかぽやんとしてる感覚は、かなり緩い感じで良かったかな。ジャンキーになりかけました(笑)。○入院準備と身の回りの物着の身着のままでの入院となり、倒れて指示もできなかったのに、母親が持ってきてくれた入院準備はとにかく的確なものばかりでした。足りないものもなかったし、逆に使わなかったものもなかったし。しかも随所で「あ、これ持ってきて欲しかったんだよね」と思うことがしばしば。すごいなー、と。○病室一軒目の病院は、昔からの建物でちょっと手狭なので病室がとても少ない。入院なんて1カ月待ちとからしいのですが、ベッドを押さえていただきホントにありがとうございました。最初は耳鼻科患者用の部屋が空いてなくて同じフロアの眼科の患者さんの部屋にいたのですが、2・3日したら耳鼻科の部屋が空いたとのことで移していただきました。6人部屋でしたが、移動後は窓際だったし同室の患者さんもちょうど良い距離感の方々だったのでわりと快適でした。耳鼻科の患者さんは中・長期の入院の人が多くて、いっぱいな時はベッドがなかなか空きませんが一度空くと、次に入ってくる人がしばらく来なくてベッドが空きっぱなしになったりしてました。眼科はとにかくローテーションが早かったです。週に2回の手術日があって、それに向けてその前日に入院して、5日間の入院期間でみな退院していく。病床もいつも満室の状態。ただ、自分の入院期間中に地方で眼科の学会があってそれに先生方が参加されるらしく、手術の予定を入れない週があったので、その時は眼科のお部屋もガラガラで静かなもんでした。○婦美さん語録耳鼻科の病棟で、3か月くらい入院されてた90歳近いおばあさま。一晩しかご一緒しなかったけど、看護婦さんとの会話の端々に婦道についての含蓄のあるお言葉が。「旦那を朝送り出すときと、夜出迎えるときはかならず薄化粧で。」「肌をそのまま見せるのは失礼なこと」「男より出来ちゃダメ。ときには甘えなくちゃ。でも母親になっちゃダメよ」「旦那にムカついても言いたいことはぐっとこらえて。当たりたかったら枕に当たれ」「でもね、それでも男の人は男の人ってだけで偉いのよ」○火消しの鐘?この病院の病棟には、各階のナースステーションの前の天井に小さな鐘が吊り下げられてる。なぜ?誰か理由をご存知の方教えてください。上:点滴三昧。左腕にやったり右腕にやったり。 できれば利き腕じゃないほうにやってもらったほうがいいです。 最初は左でしたが、ベッドを移動したときにルートが曲がって点滴が入らなくなって しまったため、途中から右に刺し直しが入りました。下:お見舞い花。和みました。ほんとにありがとうございます。
2008/10/15
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2カ月に一度の通院日。会話する先生の顔も変わってきた気がする。39/40までスコアがいったので、もうほぼ術後観察も終わりとのこと。一応一年間は観察期間とするので、次の診察で終了の模様。このカラダに慣れていくしかないのかな。ちょうど大会の2日前。すっぱりふっきれて臨めるかな、と。
2009/07/23
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病棟の主治医の先生も外来の主治医の先生も、「手術後は出来るだけ歩きなさい」と。なので、お散歩に出かけることに。正倉院展へ。いいのか、おい。いい。電車に乗ってお出かけする分にはみな同じ。大和西大寺で電車から降りた瞬間に、往復の近鉄の切符と帰りの新幹線の切符が入った封筒が手元から消えていることに気が付く。慌てて駅務室に。橿原神宮で無事発見。ありがとう駅長さん。ありがとう千代っち。←それ以外のチケット持っててくれて。近鉄奈良→国立奈良博物館→奈良ホテル(未遂)→奈良町(薬屋とお茶屋)→奈良ホテル(ランチ)→興福寺→近鉄奈良→大和西大寺→京都→東京他の展覧会は全国回ったりしてたまに東京に来てくれるけど、正倉院展だけはこっちから出向かねばならず。これだけのために奈良に行く、というのはちょっと贅沢な感じでした。内容としては、今回は記念開催だったみたいで初展示のものも多かったけど、目玉は、これと言って?貝のスプーンの一本だけの竹の柄とテンのミイラと白瑠璃の茶碗が目に付いたところか?あと、奈良時代の文書の最後に担当者のサインがそれぞれ入ってるのを見て、1300年前を妙に生々しく感じた。ホントに生きてたんだな、この人たちって、った感じ。今回のお食事は朝も夜も駅弁モード。朝は口福弁当。JRの駅弁ごときに「魚久」の粕漬けが入っているとはっ。←大好物。夜は平宗の柿の葉寿司。奈良の定番だよね。でも、月曜日にクーポンのお店が5軒中3軒が定休日なのはどうかと思う。しかも、月曜日に行くのわかってんだから一言くらい言えばと思う。←東海ツアーズの窓口のおねいちゃん(申し込みの時から手際の悪さに閉口したが。)さすがに帰りの新幹線ではちょっと具合が悪くなった→寝たらだいぶ復活。そのまま神楽坂へ。仕舞のお稽古復活。舞囃子のお稽古も復活。手術+病気の上半身を動かさず、下半身だけを動かす仕舞は、今の私にはちょうど良い運動みたいです。神舞はさすがにちょっとキツかったですが。謡のお稽古のほうは、まだ唇がうまく動かないのでしばらくの間お休みすることに。ちょうど謡のお稽古も「高砂」なので、舞囃子で舞いながら謡いながらしないといけないので、舞囃子の寸法あたりまで進んだら(後シテ出現のあたり)、そのあたりで復活しようかな、と。舞囃子のお稽古の後に師匠から事情聴取をつらつらと受ける。ジョナには間に合わず。久方ぶりにロウソク屋へ。医者から禁酒を言い渡されたので、ノンアルコールのカクテルをオーダー。持ち込みしたチキンサンドを食べようとしたら口が開かなくて困りました。退院して一週間。全然カラダ鈍りっぱなしです。家にたどりつく頃には、ほとんど死んでました。そして全身筋肉痛。上:溝に落ちた鹿。中:ランチは奈良ホテル☆彡下:仲良さそうに見えるけどさー。
2008/11/10
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入院して初めて見たもの。それは日曜日の外来待合室。駿河台のほうの病院でもそうだったのですが、いつもは人でごった返している場所が、薄暗くシーンとして、整然とソファだけが並んでいる光景はちょっと不思議でした。人っ子一人いないこの空間が、また明日には大勢の人であふれるかと思うと、違和感とともに、めったに見れないものを見た気持になりました。手術前のこの2日間は、とてもゆったりとした気持ちで過ごせました。今回の先生に診察してもらった後の安心感と、まだ手術前なので体力的にも少し落ち着いた状態で。つらつらと本を読んだり、院内にあるスタバに行ってみたり、店員のお姉さんと話してみたり、千代ちゃんや伴ちゃんがお見舞いに来てくれたり。隣のベッドのお姉さんが本日退院。おととい手術したばかりとのことでしたが?どうやらドクターに最短で退院できるようにお願いしたとか。「だって、退屈で仕方なくないですか?」と言われましたが、人生において退屈を感じたことは一度もなく。もちろん入院中も。どんな時間でも、時間というものはいくらあっても足りないのですがね。午後には剃髪をしてもらいました。耳の付け根に沿って切開する手術なので、その周りの髪を剃ると。髪も長いと部分的に切らなきゃいけなかったんですが、先月末に結構短めのショートにしたので、今回はその必要は無く。※手術のために髪切りに行ったんじゃないんだけどね…。看護師さんがバリカンで手術部周辺を剃り剃りしてくれました。色んなお仕事あって大変ですわ、看護師さんて。ところで、この病気になってお箸ってスゴいな、と。唇がほとんど動かないので、スプーンで食べようと思うとちょっと口が開かなかったり、少しでも多くモノを入れるとあふれちゃうし、右側の筋肉が動かないので、食べ物が口の右側に一度行くと、なかなか戻って来れなかったりと、食事のときも少し不自由がありまして。お箸だと、適量を適所にダイレクトインできるのもスゴいんですが、持っている右手が、不思議と自動的に“今、自分が口に入れられる量”を自動的に感応しているというか、その分量しかお箸でつかめないようになってる。よく、良い寿司屋は左手にネタを持つと、右手で適量のシャリを取れるっていうのとなんだかよく似た感じ。体力が落ちていて、ご飯食べる体力もなくなっているのですが、お箸に多めに食べ物を乗っけようとするとポロポロ落っこちてきちゃう。でも、残った量を口に入れると、「あ、これくらいでちょうど良かったんだな」、と。お箸の国の人でよかった。食事に関してはいちいち色んなことを新鮮に感じてました。TVを観たり本を読んだり会話をしたりせずに、そして時間に追われたりせずに「ご飯を食べる」ということに集中すること。ゆっくり少しずつ。これ大事。新生児室は3階のB病棟との情報をキャッチ。赤ちゃんを見に行くのだ♪上 :がらーんとした待合スペース。薄暗くてちょっと怖いです。下左:耳鼻科の外来一覧下右:内科の外来一覧。医者の数、多っ。
2008/10/26
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明日の退院を前に、どうしてもお外に出させていただきたく。目標があると療養にも専念するかと思い、入院前からドクターにお願いしてました。朝イチでラストの点滴をしていただいて、処置室で抜糸。ぐるぐる巻きの包帯をようやく取ってもらえました。が、半分しか抜糸ができなかったのと巨大なガーゼがついたままに。「目立ちませんか、これ…。」「家で退院の準備するだけでしょ?」「え、あ、う。」それ以上言えませんでした…。まあ、あのヘッドギア状態よりはマシだと考えよう。まずは久しぶりの自宅に。季節は確実に秋になっていました。庭で父を呼ぶのにちょっと大きな声を出したところ、「パンっ!」て、右耳の中で乾いた大きな破裂音が。びっくりしたけど、聞こえに関しては特に変化がなかったのですが、そのあと声を出したところ、右耳だけ異様に自分の声が頭の中で響くようになってしまいました。うわっ、なんだろ、しゃべりにくいな、これ。少し不安になりましたが、今日はとにかく前に進む。身づくろいをして、千駄ヶ谷へ。真太郎先生の披きの道成寺です。ロビーでみんなと会えたときに、なんとも涙が出てしまいました。みんなの心遣いにホントに心から感謝を。あと、外に出られて歩けるようになれてホントに良かったな、と。仕舞は「清経」が観世喜正先生、「隅田川」が津村先生。舞囃子「砧」は観世喜之先生。狂言「泣尼」は野村万作家。仕舞は「遊行柳」が野村四郎先生、「求塚」が観世清和先生。能「道成寺」はおシテが坂真太郎先生。メインのお能が始まる前に、贅沢な番組が続くのがこちらの会の特徴(?)。お能が始まる前にちょっと食傷気味になっちゃったりも。特に今回は最高潮に体力が低下しているので、フルで観たらやっぱりキツかったです(^^ゞ喜正先生の清経はやっぱりかっこよくて、津村先生の隅田川は「?」。喜之先生の砧はいつ見てもお能を一番観たくらいの充実度が。泣尼は万作先生も素晴らしかったですが、石田先生の尼がスゴかった(あの”腰”ってば)。野村四郎先生、安宅のお能の映像を拝見してからかなりお気に入り。お家元の求塚。なぜ求塚?真太郎先生の道成寺。披きの道成寺です。シテがお幕の前に立った時に、あんなに鐘が遠くに見えたのは初めてでした。遠いなー、って。絶対手に入らないのが分かっているのに近づいて。恨みとか、鐘を手に入れようとか、恋慕とかじゃなくて。ただ鐘がそこにあるから、また引きずり出されて来てしまった、という感じ。狂ってしまった輪廻からもう抜け出すことができずにもがいていて、そこにはもう感情や人格すら無いような、ただ運命に操られているモノのように見えました。う゛―ん。声がキレイ過ぎ。構えが美し過ぎ。合わさったつま先がそれだけでなんでそんなに美しいのかなぁ、って。真太郎先生はもう道成寺をやらないかもしれないと思いました。この曲は真太郎先生にとって単なる通過点に過ぎないのかなって。道成寺という曲にも関わらず、この曲にあまり執着はないのかもしれないと思いました。ただ、今までで一番“素”の真太郎先生がお舞台にいた気がしました。あんなに役に入られる方なのに、後ろを向いた背中が真太郎先生まんまなのでちょっとびっくりしました。いままで見た道成寺の中で一番キレイで一番可憐で一番哀しくて一番切ない道成寺でした。蛇体で泣いたのは初めてでした。でも、あんなの“披きの道成寺”じゃないよな、とも。だって巧すぎ(笑)道成寺、あと“鐘”って、いったい何なんだろう?終了後は近くのイタリアンで軽く食事。みんなの感想もめずらしくだいたいおんなじ感じだった。姉さまいわく「柱に絡みつく手が、妙にセクシーだった(微笑)」と。そうでしたっけ?やはり姉さま、見るとこが違う(笑)外出時間の門限と、明日のナースステーションとドクターがたへのお礼を買うべく、一人お先に撤収させていただきました。一度家に帰ってから、父親に車で送ってもらって滑り込みセーフ。眠れないかなー、と思ったのですが、神経使って疲れたらしく、かなりグッド・トリップな眠りに入れました。さ、明日はいよいよ退院だ。ドライシャンプー備忘録:濡れタオルのほうがマシ。それにしても除菌枕、最強。難聴備忘録:右耳がよく聞こえないのですが、聞こえなくていいものが聞こえないのはイイです。 舞台に集中できてラッキー。 例→極限まで集中度が高まっている能楽堂でのおしゃべりや、飴のカサカサ音。 上:いよいよラスト点滴っ。中:10日近く点滴刺しっぱなしだと、さすがに跡が残りました。下:外出ということで、半分抜糸をしてもらえました。(なぜ半分?) カリメロは脱出できましたが、まだこれじゃ目立つよね…(-_-;)
2008/11/03
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いよいよ手術の日。不思議と緊張は無く。当初の予定通り、既に計画があるところに無理やり押し込むので、手術室が空き次第ご連絡をいただくという、開始時間未定の状態。最初はお昼過ぎと聞いていたのですが、昨日聞いたときに「夕方くらいになるかも」と言われ。まあ、今日の遅めに手術してもらえれば、そのまま眠っちゃって、気がつけば朝って感じになるのが、一番いいんだけどなーとか考えてまして。とりあえず、用意するように言われていた手術用の寝間着(浴衣タイプの前が開くもの)とT字帯(初めて付けた)に着替えて、肺動脈血栓症(エコノミークラス症候群)を防ぐための弾性ハイソックスを穿きまして、ひたすら待ちワンコとなっておりました。病院によって手術着を用意してくれるところとそうでないところがあるみたいですね。自分としてはそんな感じで、今読んでる本を読み終えちゃいたいなー、とか、もうお昼寝しちゃうもんね、とか、割とゆったりしていたのですが、立会いに来てくれた両親が、まだ始まらないのか、と焦ってくれてまして。前日の0時から絶飲食だったんですが、病気してから食欲無くなってたんで、これはあんまり苦にならなかったです。ただ、脱水症状になるとマズいということで、この日の朝から点滴を再開。久しぶりの留置針君。今度は何日入れっぱなしになるのかなぁ。結局連絡が来たのが16時過ぎで、手術開始は16時半とのこと。ココからは早かった。右腕に、手術側を示す生年月日などの情報の入ったリストバンドを付けてもらい。前夜のうちに病室の前に用意されていたストレッチャーに乗せられて、手術室へ。あの目線の高さで仰向けで廊下を引かれていくのは、やっぱり緊張というかちょっと恥ずかしかったです、はい。この病院は2階に中央手術室というスペースがありまして、その中がいくつかの手術室に分かれていまして、そこで手術を集中管理。総合入り口のところでひとまず両親とはお別れ。一つ目の扉を入った廊下の端で、看護師さんの申し送りと麻酔医の先生の説明が。通常は手術看護師の方と麻酔医の先生とは前もって説明と顔合わせがあるんですが、自分は緊急手術扱いだったため、当日のこの場までそれが無く。マヂで廊下の立ち話状態。っていっても、自分はストレッチャーの上に寝かされたままな状態なんですけどね。「はいはーい、こんにちはー。」って。自分、手術なんですけど、これから。でも麻酔医なんて人種はそうそうお目にかかれないので、「麻酔医の先生って忙しいって聞いてますけど、一日に何回くらい手術するんですか?」とか質問してみたり。ちなみに2・3回くらいみたいです。でも同じ時間に掛け持ちとかすることも珍しくないみたいです。んでもって、自分の担当はお二人とも美人の女医さんでした。手術室に行くまではTVとかの通り、一つまた一つと扉を通って、だんだん中枢に近づいていく感じで、最後の扉を開いて、手術室がダーン!って。で、ライトがバン!ババン!と。手術室の高揚感は凄かった。なんか“It’s show time!!”って感じ。みんなテンションがアゲアゲ。「タイム・アップは何時ーっ?」「○○ドクター入ってから確認しますっ!」「○○の準備はーっ?」こっちまでなんかテンションあがってくる。何人くらいいたのかなぁ。10人くらいは手術台の周りをぐるっと囲っていたような記憶が。タオルケット一枚かけれてるとはいえ、衆人環視の中で「はい、では手術着脱いでください」って言われても、この下ハダカなんですけど。でも、なんかテンションあがってるから(テンション狂ってるから)、ああ、はいはい、と。いよいよ全身麻酔。「これから麻酔の薬を入れていきますねー。残念ながら全て眠ってる間に終わってしまうので、あなたは手術を見られないんですよー。」って。たしかにそれはちょっと悔しいけど。“残念”て。またもや便利君な点滴の留置針から冷たい液体がツーっと流れてきて、ん?でも眠くないよ?と思ってたら、「あー、もう眠ったみたいだわー。」と声がしたので、なぜか負けず嫌いに「まだ寝てませんっ」って言おうとしたら、あれ?唇がうまく動かせない。「あれー?体重84キロだっけ?(笑)」とどっかからお声が掛かったので、「誰がやねんっ。」と突っ込みを入れるところまではいけたのですが、「眠りましたー?」と最後に聞かれた後は、答えられないままブラックアウト。意識の向こうのほうで、鼻の奥をチューブが横断中。その後に喉の奥に引っかかりながらチューブが抜かれるのが痛くて目が覚めました。チューブ抜くときホントに辛かった。頼むから麻酔かかってるうちに抜いてよ(-_-;)手術が1時間半~2時間って聞いてたのは実際の執刀に掛かる時間だったらしく、実際手術室に入って出てくるまでは麻酔の時間とか色々な処置で、それ以外にも時間が掛かるんですね。結局出てきたのは20時半。手術室に入って無事4時間後にようやく病室に戻れたのでした。
2008/10/27
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手術後当日の夜は、麻酔が切れてからがすごく辛くて。あの悪夢の吐き気がまたやってきた。眠れないくらい断続的に吐き気が襲ってくる。でも吐きたくても吐けない。これが一晩中。一度吐き気止めの点滴を打ってもらったんだけど、そんなんじゃ全然効かなくて。何度もナースコールを呼んでしまいました。手術で管を抜くときに喉に引っ掛かったらしく、声もよく出ないので、朦朧とした意識の中で緩慢な動作ながら、身振り手振りで看護士さんに何とか訴えるのですが、点滴も時間を空けないと次のを打てないので、とにかくじっと耐えるしかない、と。むー、気持ち悪いよー。ただ、耳の手術跡の切開部分が傷として痛いというのは不思議とあまりなくて。とにかく頭痛と吐き気でぐるぐるした夜を過ごしました。朝イチから処置室で手術部分の消毒ということで「処置室来れますかー?」と言われたのですが、起き上がれることもできないのだから、立って歩けるはずもなく。頭を動かすだけで吐き気が止まらず。看護士さんがそれでも連れて行こうとするので、耐えきれず嘔吐。タールみたいな吐瀉物がどんどん出てくる。慌てて処置室から病棟医のドクターがと2・3人の看護士さんが駆けつけてきてくれまして、ドクター助けてーっと期待したのに、フレンツェル眼鏡と指先でめまいのチェックだけして、「うん、大丈夫。」て。人がまみれて涙流しながらゲーゲーやってるのに、目の前に人差し指を立てて「はい、これ見てください。」と、冷静にめまいのチェックをしようとするドクターを見て、「人がこんな状態なのに、なに冷静にやってんのさーっ!」と思いつつも、実は、「このドクター、信用できるわ。」と思っておりました。どんな状況でも冷静に自分の職務を遂行できる人は、無条件に尊敬してしまうのです。吐くものが無くなったところで、車いすに乗せられて、結局処置室へ。相変わらず吐き気は止まらなかったのですが、消毒をしてもらっているときにある角度に首をかしげると、吐き気が少し落ち着くことが判明。そのままの角度を維持してみたところ、ようやく吐き気もおさまり、身も世もなく泣きまくって吐きまくったせいで、どっと疲れが出て、すっかりくったり。そのまま午前中はくたびれモードで眠ることができました。お昼ごはんが運ばれてきて、お粥だけどもう普通食なんだ、と。吐き気がおさまって、考えてみたら一日半何も食べてなくておなかぺこぺこ。少しずつゆっくりですが、完食出来ちゃいました。昨日手術したばっかりで、朝はあんな状態だったのに?みんなそうなのか?食い意地?午後に落ち着いてきたところで、病棟の主治医チームのリーダーのドクターが来室。朝、病室に来てくれたドクターですね。「気分はいかがですかー?」と。朝のめまいのチェックは、あの吐き気がめまいが再発していることに起因するものならばそれはホントに大変なことなので、まずはその確認をしたんですよ、と。幸いめまいでは無かったのと、術後は、手術とはいえ神経に触れたりしてるわけなので、その結果ああいった吐き気が引き起こされてしまったりするんですよ、と。なるほど。それと、手術のことを、も一度聞く。手術直後に執刀医の先生から多分きちんとお話を伺ったのだと思うのだけれども、麻酔のおかげで朦朧としていて、かなり断片的にしか覚えていなかったので。ドクターも手術に臨席してくださってたので、図解しながら丁寧に教えてくださいました。手術自体は1時間半くらいで終わったとのこと。ただ、あの手術が1時間半で終わるのはあの先生だったから。ほかの先生なら、もう一時間くらい余計に掛かっていたはずとのこと。手術の内容としては、当初の説明通り耳の付け根に沿って切開して、顔面神経が通っている神経管を見てみたところ、管がパンパンになっていたとのこと。神経管のサヤをスーッと切ってみたところ、神経がプァーっとかなり腫れていた、と。そこにステロイド剤を浸した“溶ける”綿を神経に直接貼り付けて腫れを抑える処置をしたとのことでした。いまは血がたまらないようにドレーンを埋め込んであるけれども、これは2・3日中に取れるだろうとのことでした。術後は出来るだけ早く、自力で歩く練習をするように言われたので、とりあえずおっかなびっくり歩いてみる。朝は起き上がることもできない体だったのに、昼にはご飯を食べて、夜には歩けるんだ、と。我ながらびっくり。人間のカラダってすごいのね。手術自体はそんなに怖くなかったし、ちょっと面白かったけど、管抜くときのあの感じと、術後の夜~朝のあの酷い状態はもう勘弁だわ、と思った手術翌日でした。※朝の惨状を見た母親は、心配してこの日は病院に三度も来てくれたのですが、 来るたびに状態がぐいぐい変わっている私を見てとても驚いたそうです。 そりゃ、あの朝の状態見てたらこのままICU入りか?とも思うよね。 ぐるぐる巻き。耳の後ろを付け根に沿って切ったので、押さえつけておかないと 耳が浮いてきちゃうそうな。 “カリメロ”言われた(-_-メ)
2008/10/28
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投薬治療が期間・量ともに終了したので、とりあえず退院することに。でも全然完治なんて当然してなくて。病院としては今やるべきことが終わったのでこれ以上やることはないので退院、と。診察をしてくださることの多かった若いドクターは、頭は良いのだと思うのですが、なんというか受診後に微妙な不安を残す人で。質問しても、きちんと理解できる回答をしてくれなかったり、こちらが退院に関して不安を持っていることを伝えているのに、「退院間際の患者のいつもの戯言」って感じで流されることが多くてですね。顔は相変わらず動かないし、なんだか頭がフラフラするし、耳の聞こえも相変わらず良くなくてずっと耳鳴りが止まらないし。こっちはめっちゃ不安だらけだっつーのに。「あとは安静にして回復を待つしかないですねー」とか、「ラムゼイハント症候群も“完全型”なので、完治は難しいかも」とか、むぃー(-_-#)最後の検査と診察で、主治医のチームリーダーのドクターに診ていただきました。このドクターはホントに安心感を与えてくださる方で、最後にこちらのドクターに診察していただいて、ようやく退院への気持ちの踏ん切りがつきました。顔面神経に関しては、発症から2週間くらいかけて完全に死滅するらしく、それゆえに発症から2週間は良くどころか、むしろ悪化するのだと。で、完全に死滅して始めて、再生が顔面の上部から始まるのだけれども、神経は一日1ミリしか生えないとのことでした。説明していただいて、こめかみから顎までは15~6cmあるし、一日1ミリならば150ミリで150日、半年くらいかかるのか、と、なんとか理解と納得がくっつきました。同じことを言ってるはずなのに、このドクターとあのドクターとどうしてこうも違うかなー。顔の筋電図のスコアもそんなに悪くないとのお話で、少し安心もして。今後は板橋の方に顔面神経の専門外来があるので、そちらでお世話になることになりました。お世話になった看護士さんと、入院当初から便宜を図ってくださった先生にご挨拶をして、入院初体験の駿河台の病院を後にしました。久しぶりの我が家はちょっとした違和感。長期の旅行から帰ってきたときともちょっと違う感じ。夜は家族で、前から気になってた平和台のイタリアンへご飯を食べに行きました。…、パスタが啜れない(-_-;)まだまだたいそう不安が残る退院でした。
2008/10/22
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先週一週間はまだ隠密行動だったので、本日ようやく得意先の本部へ復帰のご挨拶。倒れる前は週に4日くらい通っていたので、2ヶ月も間が空くとなんだか緊張しました。本部も久しぶりならバイヤーたちとも倒れる前は週に(以下、上と同文)。ご迷惑をおかけしてすみませんでした。固い握手とか交わしたらなんだか涙が出てきちゃいました。本部に挨拶が済んだとなると、仕事も本格始動しないといけないのかなーという恐怖が頭に浮かんだのもホントの気持ち。でもまあ仕事をさせてもらえるだけ幸せなのかな、と。
2008/12/08
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お礼というのは早め早めのほうが良いかと思い、父親と一緒に駿河台の病院へとりあえず退院のご報告に伺う。「お礼は嬉しいけど、一日も早く回復してくれることの方がうれしいんだよ」と優しいお言葉をいただきました。耳鼻科の外来にも伺い、お礼を申し上げることができました。週5日外来ですか。アタシも駿河台に通いたいよ…。この後に別件の予定がある父とお茶の水で別れて、池袋とか寄ってみる。久しぶりの電車。3日の外出の時にも少し乗ったけど。家に帰ったら全身筋肉痛。5分歩いて、20分電車に乗って、駅から家まで10分歩いただけなのに…。そんなにカラダ鈍ってるんかいっ。電車に乗って、ふと。最近は、外見からは見分けづらい妊婦さんにマタニティマークをつけてもらうことによって電車の席を譲ったりするときとかの目印になったりしてますが、病人も、外見からはかなり分かりづらい。怪我で包帯グルグルしてたりすれば、一発でわかるし、周りの人も理解の目なんだけど、まだまだ体調が回復してないので、空いているときは優先席に座ったりしてるのですが、ぱっと見は健康体っぽく見えるので、なんか周りの目が痛い。病人にもなんかの目印があるといいんだけどなー。
2008/11/05
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10月の連休のあたりでぶっ倒れまして、ようやく本日から出社と相成りました。まだまだ完治には程遠いので不安はありますが、時間もかかることなのでカラダを慣らしていくしかないかな、と。入院・退院・再入院・手術・長期休養と、なかなか無い体験でしたので、追って備忘録をつらつらとアップ予定です。久しぶりに朝のラッシュの埼京線に乗ったら、目が回りました。
2008/12/01
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一年間は要予後観察ということで通ってきましたが、27日で手術から1年。本日が最終通院日となりました。100%の完治じゃないから違和感はずっと残っているのですが、ただ、医者的には95%以上の回復で「治癒」になるらしく。つまりこれ以上は治療を施す意味がないと。じゃあ、しゃーないね。一年間ありがとうございました。主治医の池田先生に出会えなかったら、ここまでも回復しなかったと思う。この先生に執刀・治療していただいてホントに良かった。こころから感謝申し上げます。いろんな人に支えていただいた一年でした。ありがとうございます。さ。で、明後日はいよいよ「高砂」神舞。すっきり舞えるかなー?
2009/11/01
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今日から新しい主治医チーム編成になっちゃった。異動ってしかも駿河台って、そりゃ無いデスよ。偉くなられたそうで。病棟ではなく外来なのがまだ救い?なのか?胸にくすぶるものが。前の病院への入院のときといい、今回の入院といい、今回の病気では本当にみんなのお心遣いにただただひたすら感謝。御見舞にいただいたものは、なんだか退院後もハマったもの多し。なんかこの入院で、自分がなにで癒されるかを色々発見できてる気がする。取引先担当者の方や兄くんからもらったノンカフェイン系のお茶(カモミール・薔薇の花茶)とか。ヒヨコからもらったヤクルトとか。千代ちゃんからもらったロールタイプのアロマオイルとか。みやーんからもらったチェブとか。みんなよくこんなにヒトを和ませるものを知っているなー、と。メールで激励もらえたのもホントに嬉しかったです。秋刀魚会の連絡の絡みとはいえ、あまり広めなくてもいい自分の体調のことなんかを連絡してしまったばっかりに、みんなに気を遣わせてしまって本当に申し訳ない。今回は周りの方々の優しさに心底救われました。ホントに心の支えになりました。ありがとうございました。上左:今回癒されモノNo1。 ロシアに行けずじまいとなった私をかわいそうに思って、 みやーんが下さったチェブラーシカのねじ巻き人形。 見るたびにほっこりした気持ちになりました。 看護師さんにも絶大な人気。 3人くらいに「動かしてみてもらってもいいですか?」と言われたよ♪上右:美樹がご手配くださったお花のアレンジメント。新進のコーディネーターさんが アレンジしてくださったとか。 いただいた時点では緑の色目がほとんどだったのに、徐々に花が開いて どんどん白の色目が増えていって、雰囲気が変わっていくのが素敵でした。中・下:入院中にワタシを癒してくださった物々
2008/11/01
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今日の処置室での消毒のときに、処置してくださったドクター(美人女医)に「手術のときって、みなさんあんなにいつもテンション高いんですか?」と聞いたところ、「そうだった?うーん、どよーんて暗い感じで手術してもしょうがないからねぇ。」とサバサバしたご回答をいただきました。この時期の入院は良いです。入院病棟は特に午前中が良い。しかも日曜日なら最高。看護師さんたちの動きも少なくて、まだ面会者もいないし。外来も休みなので、検査に行ったりするのにパタパタする音も少なくて。気持ちの良いベッド+余計なものがない+自分を害するものが全くなくて。ただまどろんでいることが許される空間は居心地良くてたまりません。(というか、まどろんでいるしか出来ないんですけどね。カラダ関係のすべてが、健常な時の半分以下の機能に低下してた感じでした。)窓から差し込んでくる光がどこまでも柔らかくて明るくて、深呼吸をひとつふたつするだけで、あっという間に眠れちゃいます。しかも、この上も無く上等な眠りがくるし。廊下のざわめきも心地よいBGMにすら聞こえるし、窓からは鳥の声も聞こえてくる。下界から切り離されたPCもTVも携帯も無いって。ストレスってなんだろうね。自分で勝手に作るものなのかね。妙に居心地が良過ぎて、社会復帰が不安になってきました。○手術の計画友人に会うたびに「そんな早くによく手術してもらえたねー。」と言われ。自分、手術っていうのは常に”緊急”だと思ってたんですが、そうじゃないんですね。他の入院患者さんたちにも聞いたところ、半年待ちとかのひともいたりとか。手術室を押さえるのも大変らしいのですが、さらにスタッフを集めるのはもっと大変とか。特に麻酔医の先生は予定がびっちりで、そうそうイレギュラーを入れられないとか。今回はこちらの病院でもいろいろとお世話をしてくださった先生がいらして、教授先生が主治医になって診察をしてくださることになったものその方のおかげなのですが、その方が手術のスタッフも確認して最良のメンバーが揃うよう便宜を図って下さったとあとから伺いました。本当にいろんな方に助けていただきました。ありがとうございます。○大学病院外来医と病棟医というものがきっちり分かれていることを初めて知りました。同じ先生が午前は外来患者を診て、午後は入院患者を診てという感じだとばかり思っておりました。病棟医の先生が外来の枠を若干受け持っていらっしゃることもあるのですが、外来と病棟とどちらがメインなのかが明確に決まっているのですねー。 (ちなみに最初の病院の外来医長の先生は、えらいキレイな女医先生でした。前の病院でも眼科の診察も受けたのですが、メガネっ娘の美人女医率高し。何故?) 入院患者は、病棟の入院部屋と同じフロアにある”処置室”なる部屋にて受診。こちらに病棟医の先生がいらっしゃって、毎朝朝ごはん前後くらいの時間にひとりひとり呼ばれて、てくてく歩いて伺い診察を受けるという毎日でした。先生方はチームで担当してくださっているので、チームのいずれかの先生が診察をしてくださるといった感じでした。ちなみに、「白い巨塔」みたいなシーンを見てみたかったんだけど叶わず。前の病院で同室の人が内科にも掛かっていて、そちらの先生が教授らしく回診に来てくださったときはいわゆる「教授回診」で後ろをぞろぞろと部下の先生やら学生さんやらがが付いてきて、「ドラマみたいだった」と言っていました。※二軒目の病院での主治医+執刀医の先生は教授でいらっしゃいましたが、 やっぱり「教授回診」は見られませんでした。残念。○耳鳴り「キーン」とか、ファンがカンカン回るような音だとか。今回はいろんな耳鳴りに始終悩まされておりますが、耳鳴りの音って、なんでいっつも金属系の音なんだろ?基本的には血液の流動音だよねぇ?○本結構読みました。ここぞとばかりに流行りものを。東野圭吾を何冊かと、前の病院の看護師さんに勧められた「チームバチスタの栄光」とか(果たして、手術前に読んで良かったのか悪かったのかがわからない本ですが(笑))、ヒヨコが持ってきてくれた「プリズンホテル」全巻とか、「食堂かたつむり」とか。退院してからはシャーロックホームズにハマった。時間もあるし、ずっと読めずにいた本も読もうと思い、家から持ってきてもらったんですが、そういう本は、結局時間があっても読まないんだなぁ、と。ちなみに謡本も読みませんでした(笑)新聞は、日経新聞と日経MJ新聞を日々熟読。雑誌は、久しぶりに「AERA」と、何故か「クロワッサン」にハマった。ソル・コーテフ注と、セファメジンαを日に2回 11日間お世話になったベッド。ピンクのカーテンは大学カラーか? 日当たりのよい居心地のよい部屋でした。
2008/10/29
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今回は入院11日間。いよいよ退院の日です。おとといまでは退院するのがまだかなり不安だったのですが、昨日一日外出してみんなに会ったら、なんだかだいぶ安心+元気出ました。まずは朝の処置で、残り半分の糸を抜糸。処置の先生からは、「顔面麻痺は結局神経系の病気なのだから、回復するにはとにかくストレスをためないことと安静あるのみ」とのお達しをいただく。その後午前中に、執刀医の先生の(今後は外来の主治医)診察を受ける。術後の経過は順調とのこと。手術のときのことをも一度うかがう。大体は病棟の主治医のドクターから聞いたお話と同じだったけど、嬉しかったのは、手術前に説明を受けてた聴骨を外さなくて済んだとのこと。外さなくても術野が確保できたのでとのことでした。観念はしていたけど、聴力が落ちると聞いていたのは結構ショックだったので、これはかなり嬉しかったです。とりあえず手術の傷に対しての術後治療がいったん終わったので退院。まあ、すぐに治る病気ではないので、焦らず時間をかけるしかないと。今後は自宅療養と外来通院で経過を診ていくということに。長かった入院生活もとりあえず一区切り。良い時間でした。自分には必要な時間だったんだと思います。久しぶりに“何もしない”時間がとれ、つらつらと自分の来し方行く末を考えたり。親といろんな話をする時間が取れたり。でも、充電が満タンになるまでにはもうちょっとかな。駿河台にいたときには、ポンコツになっちゃった自分が不安で仕方なくて泣いて眠れない夜もあったけど、本当に良かった。板橋の教授先生の診察で救われたのは顔面麻痺に関してはもちろんそうだけど、「ほかの二つ(めまいと聴力)に関しては問題ないですよ。体がそのうち慣れてくるから」と仰ってくださったあの一言で自分の不安の大部分が救われた。何よりもそのことに感謝を。あの一言で歩けるようになったし、手術に迷いもなくなったんだ。ありがとうございます。限りなくワーストに近い状態の病状だったけど、処置はパーフェクトに近いベストな状態で対応してもらえたことに、とにかく感謝を。病気になって初めて気づくこと・知ることが多く。良い経験だったと思っとります、はい。でもやっぱり病気はヤだけどね。不安が減ったとはいえ、まだまだ人並みの生活はなかなか難しく。徐々に色んなものに慣らしていくしかないなー、と。残り半分を抜糸してもらい、テープで止めてる状態。 このテープがこれまた強力でした。
2008/11/04
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産業医と面接させられました。長期で療養してたから、これからの就業状況をどうしていくかの確認だってさ。自分でもどれくらい経てばどれくらい回復するのかなんてわからず。そんな感じで話していたら、とりあえず年明けまでは午前中のみの就業ということにしましょうかとの提示がありました。そういうやり方もあるんだ。時短就業ってあるのね。すぐ上司のところにも通達が来たようで、産業医の言うことは絶対らしく、お昼を過ぎたら「まだいるのか」「早く帰れ」の嵐。帰りやすくて助かります。こういう助走期間があるのはありがたいですね。画像:こういうのを「便乗商法」って言うのでしょうね…。 会社の下の本屋で発見。 やり過ぎじゃね?
2008/12/09
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板橋の病院の外来診察日。今回の顔面神経の動きのスコアは23/40.少し上がった。少しでも良くなった感じがあるのは嬉しいことだ。聴力検査も実施。前よりも耳鳴りの邪魔が多い。検査技師の人にも「耳鳴りとかしてます?」と確認が入った。ただし聴力に問題はない模様で、20歳くらいの聴力らしい+左右の差はないようだ。主治医の先生曰く、「左右の差がないことが大切」と。お腹の具合が一向に収まらず訴えたところ、とりあえず血液検査をしてみる。久しぶりの採血。3週間前は日々採血してたのに、もう慣れなくなってる。帰り道は前回同様にクリームチーズと紅玉を購入。一度帰ってきて日大駿河台へ。保険屋に提出する書類を取りに行く。板橋の元主治医のドクターには会えないのに、なぜか駿河台の主治医のドクターとすれ違う。例の、人をダウナーにさせるドクター。頭はいいんだろうけどね、この人。好みのタイプなはずなのに、あまりの頼りなさに好みから完全除外。挨拶なしにしちゃった。イガちゃんとレモンで憩い、お見舞いの御礼を。今回は雪乃ちゃんも一緒。「この後も、営業、続けるの?」と真正面から聞かれる。考えないようにしていただけに+イガちゃんから言われるというのは真芯を突かれた。そうだよなー、考えなきゃなー。夕方からは江古田でヒヨコとの憩いと、こちらにもお見舞い×2の御礼。相変わらず居心地のいい人。こういうオンナになりたいなー。年をとるといろんな話が出てくるもんだな、と。御礼備忘録:コンフィチュール・エ・プロヴァンスのジンジャーシロップと Naiadのモロッコの朝摘みばら水
2008/11/19
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3日しか会社に行っていないのに、もうカラダがしんどい。相当鈍っております。診察休暇日が待ち遠しかったです。今日の診断では顔の動きは24/40.ようやく6割。試しに主治医に「えーっとぉ、お酒とかはー、・・・完治まで控えたほうが良いですよね?」と、ひかえめに聞いてみたところ。「忘年会とかくらいならいいよ。」と、あっさり許可が。先生。「忘年会くらい」というのは、頻度のレベルでしょうか?量のレベルでしょうか?※もちろん、敢えて聞きませんでした。早速翌日、ロウソク屋で禁酒解禁のお祝い杯を傾けました。ロシアン・ヴォトカさいこー。体に悪いもの備忘録:医者の観点では「酒<タバコ」らしい。
2008/12/04
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2ヶ月に一度の通院日です。基本的にはいつもと一緒。スコアも前回同様38/40だった。うーん、ここまでで限界なのかなぁ。自分としては40/40まで行かないと、治ったと思えないんだけどね。まだやっぱり顔が不自由だし。主治医の先生から、「状況はどうですか?」と聞かれたので、「パ行とマ行がしゃべりにくいです」と言ったら、笑われた。笑われたけどきっちりカルテには書き込んでた。こんなことも症例なるのかしらね。次回は7月。とりあえず1年間は経過を診てくれるらしい。
2009/06/01
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退院した翌日でしたが、診察日のタイミングを外したらマズイだろうということで、板橋の病院の方へ早速診察を受けに行きました。※専門外来は診察日の曜日が決まっているらしく、しかもその前に一般外来での診察が 必要だったため。 駿河台では何曜日が板橋の顔面麻痺の専門外来の診察日かがわからなかったのです。駿河台でお世話になった先生が板橋の方に連絡を入れておいてくださって、初診扱いなのにスムーズに受診にこぎつけました。一度診察室に入ったのですが、カルテを見たとたんドクターが「あっ、あっ、えっと別の先生が診察しますので、もう一度外で待っててくださいっ。」話を全く聞いてくれないまま、もう一度外に出て、診察が回ってくるのを待ってました。どうやら耳鼻科の教授の先生が診察してくださることになったらしく、他の先生は診ちゃいけないことになったようでした。少し待って呼ばれて診察室へ。初めの印象は、どっしりしたちょっと恐い感じの先生でした。駿河台でもやった、顔の動きを点数化するテストをした後に、筋電図の検査を受け、再度診察室で先生とお話を。検査結果をご覧になった後に、先生が頭を少しうつ伏せて、しばしの沈黙の後に、「手術、をした方が良いかもしれません。」とえ?しゅじゅつ(゜o゜)?頭の中真っ白。ええーーーーっ!手術なんて、手術なんて、駿河台では手術の”しゅ”の字も出なかったのにっ!なんでなんでなんで!?お話を伺ったところ、今の私の顔面神経は通常の20%しか動いていないそうなのです。これが50%以上なら、このまま投薬治療で様子を見れば完治するだろうと思わるし、逆に10%以下なら、正直言って手術をしたとしても効果が期待できないだろう、と。いまの20%という値は、手術をしても効果が出ないかもしれない、けれども今のままでは完治は難しく、あなたに手術をするかどうかを告げるべきかどうか非常に迷ったと。正直言って自分でも非常に判断に苦しむので、先ほど頭を抱えてしまったんですよ、と。で、どうしますか?、と。入院も初めてなら、手術も当然初めてで、駿河台での最終の診察で少し安心していたのが現状のスコアがそんなに悪いことを伝えられて、完治も厳しいとか。しかもまだまだ退院の時に感じたカラダへの不安と不信がバリバリ残ってるのに、顔面神経だけの話してるけど、他の部分大丈夫なの?え?切るの?手術しても治らないかもしれないの?でも手術しないと完治は不可能なの?こんなパニックな状態で決断迫られてもーっ。しかも、手術をやるかどうかを先生が判断してくれないんだ。こっちが決めなきゃいけなんだ。手術するならとにかく早い方がいい、と。やるなら10月27日の月曜日。今日が23日。来週の月曜日て、そんなに早く…。まあ、今日は決めるのは難しいでしょうから、そうだ、では明日の朝の9時にもう一度来て、手術をするのかどうかを教えてください。先生…、明日の9時って、考える暇ほとんどないじゃないですか…。頭のぐるぐるが収まらないまま診察が終わり、診察室出る前にようやく質問できる状態に。「ラムゼイハント症候群の完全型ということでと顔面神経と前庭神経と中耳神経の全部がヤラれてしまっていると伺っているのですが。この手術はあくまでも顔面神経に関するものと認識したのですが、他の二つの神経の状態に関してもまだまだ不安が残っているのですが…。」と、前の病院の退院のときから感じてる不安を話してみたら、「ああ、あとの2つはね、もう大丈夫。」あれ?なんかポロっと安心が降ってきた。なんだろ、落ち着いた。「あと、手術というと執刀は…。」「もちろん僕がやりますよ。簡単な手術じゃないんでね。」と、サラリと。あ、この先生ならなんか大丈夫だ。で、自分は後の2つはもう大丈夫で、あとは顔面神経の回復に集中していいんだ。病院の中にあるスタバでコーヒー買って、家族会議。自分以上に父母も「手術」という言葉にショックを受けてました。ただ、自分としては診察室を出るときにはもう決断ついてました。手術しても完治しないかもしれなけれども、いまの状態より悪くなることはないだろうし、であれば、手術をして今の状態を少しでも改善したい。他の2つの神経に関して不安があって、そっちもこの先ダメな状態ならば、この先どうなるのかと思ったけれど、、先生のひとことでなんか救われた。あの先生が今後も診て執刀もしてくださるのなら、手術をしてもらおうと思う、とちょっと涙目になりながら両親に伝えまして。「大学病院」という場所柄、すぐに手術というものをしたがるのかもとも思いセカンドオピニオンのことも考えましたが、前回の投薬開始のタイミングの話や今日の先生の「出来るだけ手術は早い方がいい」とのお言葉もあったので、他のことに時間をかけずに、前に進む方を取りました。先生に関しては、両親も診察に同席していて、信頼できる印象をもったようで、手術に同意してくれました。こうして、入院初体験に引き続き、手術まで初体験することになったのです。
2008/10/23
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連休で病院にも行けず、なんとか乗り切らなきゃいけない3日間でしたが、かなりキツかったです…。横になっている分にはだいぶ楽なのですが、少しでもカラダを起こすともー大変。急激に吐き気が襲ってきます。薬飲まなきゃいけないし、食欲はあるので、なんとか必死で食べ物を口に入れるのですが、座っているだけでもものすごい吐き気と頭痛に襲われるため、どうにもならない状況でした。ようやく連休が明けた火曜日が体調悪化のピーク。吐き気と頭痛とめまいで何が何だか分からない状態になってました。起き上がるのもやっとで、這いつくばって車に乗り、やっとの思いで病院へ。当初は家から一番近い大学病院に行く予定だったのですが、家族とも相談の結果、同系列の駿河台の病院で診察を受けることになりました。病院到着時には、吐きたくても吐けない吐き気のために、えずきまくってるせいで脳が酸欠でチアノーゼ状態。顔も指先も真っ青というか、真っ白。状況が状況だったので外来医長の先生に急ぎ診察をしていただいた結果、見たら一発で診断されました。「ラムゼイ・ハント症候群の完全型」と。簡単に言うと水痘帯状疱疹いわゆるヘルペスが、耳の奥で発症しまして、蝸牛神経(聞こえの神経)と前庭神経(バランスの神経)と顔面神経(顔を動かす神経)を直撃。一発でトリプルアタック。おかげで耳の聞こえが悪くなり、めまいが起きて吐き気をもよおし、顔面が動かなくなったと。なるほど。なんて、納得できるような状態ではなく、すぐに点滴開始。ありがたいことにベッドをおさえておいてくださったので、車椅子で病棟に運ばれ、着の身着のままベットに横たわり、そのまま入院と相成りました。
2008/10/14
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本日より板橋の病院へ再入院。前回と違い、間が2日空いたおかげで+退院直後だし、荷物は積め直すだけだし、若干の余裕を持って入院準備できました。家からも自転車で10分くらいと近く、なんと言っても産まれた病院。親近感というかちょっと”慣れ”というか、あんまり緊張せずにすみました。パジャマとベッドの日々の再開です。新しいパジャマ買っちゃったもんね。今日と明日の二日間は手術前の検査の時間。ただ、明日が日曜日のため、ほぼ今日中に終わらせなくてはならず。以下は今回の検査諸々。いろんな種類の検査があるんだなぁ、と。●血液・尿検査 血液検査は入院前の外来診察・入院前日・手術直後の三回。 この病院には「検査室」という採血のみをするための部屋があるので そこに伺って採血してもらいます。 採血のみを専門にやるスタッフだけあって、血を抜くの上手でした。 前の病院でも何度かやったので、左腕ひじ内側がすっかり青タンのジャンキー状態。 ●出血(止血)検査 耳たぶを少し切って出血の程度と凝固傾向を調べる検査。 理科の血液検査の判定の実験みたく、耳たぶをプチッと。 痛くない部位ではあるらしいですが、十分痛かったです。 ピアスなんて開けられない、と思いました。●心電図 胸・手首・足首に装置をつけて心臓の動きの検査。 パッチが冷たくてヒヤっとしました。 同じタイミングで検査室に入った人が、点滴に血液が大量に逆流してしまい 検査技師さんたちがてんやわんやしていたのが印象的でした。●レントゲン 今回は胸を中心に撮ってもらいました。 腕を上げて、脇のリンパのあたりも撮られたような。●呼吸機能検査 肺活量を調べる検査です。 昔みたいに水に浮かんでいるわけじゃないんですね。 マウスピースみたいのを咥えて、吐きそうになるまで息を吐かされました。 手術中に人工呼吸器になるために、肺活量のチェックをするようです。 肺活量が4100CCもあった。 最初3400CC 止まりで、もう一度やらされて上記の数値だったところ、 「やっぱりねー、それくらいはあると思ったんだよねー」と検査技師さん。 やっぱりって。 今自分、かなりやつれた風体なはずなんですけど。 管楽器を始めることにしよう♪ ●MRI造影撮影 これは一軒目の病院で検査。 病因は一応分かっているけど、万が一、腫瘍など別の原因の可能性を確認するため。 同意書にサインをする必要のある検査は初めてでした。 造影剤を注入することによって、重篤な副作用が生じる場合があるとか。 ちょっと緊張。 前日夜9時以降は禁食で、朝の9時から検査開始の予定が、機械の調子が悪いらしく 延び延びに。 結局検査が始まったのが14時半。 入院の自分は上のベッドで寝てればいいけど、通院で検査の人は大変だよね。 造影剤の注入はもともと刺してある点滴の留置針から。 便利だよね、この刺しっぱなしチューブ。 ガコンガコンうるさかったけど、人が言うほどではなく。 それよりも、造影剤を注入されたときに血管を伝って徐々に腕から頭に向かって 冷たいものが流れていく感じが、ちょっと変な感じがした。●CTスキャン ノーマルの単純CTでした。 本館にある部屋は土曜日の午後で診療時間外になってしまって使えなかったため、 救命救急センターに行かされました。 緊急のときはココのを使わせてもらうんだって。 救急外来からの入り口ではなく、病棟から行くときはセキュリティが厳しいらしく、 自動ドアが二重になってて、完全施錠。 インターホンでお願いして開けてもらいました。 帰りもドアのところまでお見送りがついてきた。●聴力検査 電話ボックスみたいなところに入って、ヘッドフォンをして、音が聞こえたら 手元のボタンを押すというもの。 健康診断の聴力検査が、グレードアップした感じですね。 高い音から低い音まで、息も止めないと聞こえないくらい小さい音があったりと、 音のバリエーションも豊富で、かなり時間をかけて検査しました。 今度は右側は普通のヘッドフォンで、左側は耳の後ろの骨に当てるインカムみたいな 装置を装着。 骨伝導での聴力検査。 すごい、耳の穴からじゃなくても音ってホントに聞こえるんだ。 ヘッドフォン側はザーと雑音が聞こえて、骨伝導側からは前の検査と同じような音が 聞こえるので、これも聞こえたらボタンを押してくださいというやつ。 検査音が変わると、右から聞こえる雑音の周波数も連動して変わる。 耳は聴力は落ちていないんだけど耳鳴りがひどくて、検査音が発せられてないのに 音が聞こえた気がして(特に高音)、うっかり押しちゃったのが何回かあったんだろうな。 これは前の病院でもこちらの病院でも何度も検査を受けました。●顔面筋電図検査 顔に電極をつけ、スタンガンのようのものでビリッビリッとやられる。 神経の指示の代わりに電気を通して、顔の筋肉の動きを調べる検査。 神経がうまく通ってないと、ピクリともしないのです。 ちなみに、痛いとか冷たいとかの感覚神経と、顔の筋肉を動かす顔面神経は それぞれ独立している別の神経。 だから、顔は動かないけど、痛いとか触ってる感覚はちゃんとあるの。<画像>採血のため4日間で3回血を抜かれたら青タンになりました。 血管が細いため痣の薄れが遅くて、ちょっとジャンキー状態でした。
2008/10/25
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年内にゆきー場に行けるなんて何年振りでしょう。今期初滑走でございます。今回はサンラボ+三木さん女子友ズで総勢8名。しかも今回はぜいたくに前泊モード。ミノルが契約保養所押さえてくれたので、前日から現地入り。そして初対面の女子たちとも、お酒をご一緒することによってとても素敵なコミュニケーションが♪朝の8時スタートでも遅いとか言ってたのに、結局起きたの9時過ぎ…。まあ、こうなることは予想できましたが。とりあえずグランデコに向うも、なんと駐車場が満車ということで断られる。なにそれ(@_@;)振り切って行ってみたものの、途中から一ミリも動けない渋滞に。慌てて猫魔に行き先変更。半年以上滑っていなくても、体が覚えているものですねー。しかも今年は構えを日々やっていたので、重心の落とし方がスムーズにいくという利点付き。↑の理由でスタートが遅れ、4時間券にしましたが。元は取れるくらい滑りまくり。(スタートからラストまで4時間休みなし。)。風が結構強かったのですが、最後のほうは吹雪な状態。夕方がゲレンデコンディションが一番良いなんて初めてです。ぱうぱうも少し食べられたので満足。も一度ホテルに戻って温泉で温まり、定番の「来夢」で喜多方ラーメンを食べる。この時点で、実はみんなは昼休みを取ってて、カレーとか食べていたことが判明。悔しいので盛食いする。日記を見返してみたら、前期最後のゲレンデも猫魔だった。東北道方面は雪質良いし、渋滞知らずでいいですな。さーて、今期は何回行けるかなー。画像:ずーっと風と雪が強かったため、記念写真とか撮れずじまい。 仕方がないので、ナイター風景を。 誰も滑ってないけどね。 しかも地吹雪とか起こってるし。
2007/12/30
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三輪山から降りてきて、山の辺の道を歩く。 山の辺の道は日本最古の街道とか。奈良が湖だったころに出来た道らしい。そういえば昔、奈良における恵比寿信仰について語り合った記憶。山の中なのになんで“恵比寿”さま?と。結局、蛭子神信仰が由来なんじゃないかとか、結論にしたような。でも奈良も昔は海だったというし、単純にそのときからの信仰と考えてよいのかも。いいなぁ。アタシが好きな奈良のイメージだ。 てくてくてくてく。途中では杉の伐採とか山の手入れをしているおとうさんとかがいて。 万葉集の歌碑がそこここに立ってて。 龍神が祭られている池のシンメトリーの美しさといったら。 途中には玄賓庵。再び「三輪」ネタ。 桧原神社まで行ったところで今回は終了。こちらは拝殿すらなくて、山に向かって三つ鳥居が立つのみ。三輪山周辺のこういった原始信仰のカタチに触れるのは楽しかった。「イノリ」って何なんだろうなー、と。 桧原神社は元伊勢。今年は大物主神と天照大神と、どっちご縁があったな。それこそ「三輪」たくさん観たし。いずれは石上神宮までいって七支刀見たいな。今回は古墳群もあまり見れず。次回は石上神宮から大神神社まで踏破したいな。桜井の駅に戻る道に、いきなり「大神神社」の看板。神社からずいぶん離れているのに?と思ったら、もうちょっと視界を広く取ってみたら、後ろにそびえる三輪山に対する看板だった(笑) 大陸的というかなんというか。こういうおおらかさも好きだなー、奈良。
2010/11/07
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