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一昨日11月25日は憂国忌。55年前のこの日に自決した作家の三島由紀夫をしのび、全国から愛読者や信奉者が集まって追悼集会を開く日だ。三島由紀夫。個人的には、決して嫌いではないけれど、さりとて決して好きでもない。その思想や信条はとりあえず横に置き、純粋に物書きとしてとらえても、だ。何と言うか、どの作品に対しても、イマイチ主人公に感情移入出来ないのだ、、、24歳の若さであの「仮面の告白」を書いた天才ぶりとか、同性でもあらわしえないような力を見せる女性心理の微妙な表現とか、「美」に対する独自の世界観とか、本当に素晴らしいとは思うけれど。その点、三島と仲が悪かったとされる太宰治や松本清張の作品群に登場する主人公にはそんな違和感は感じないので、これは、まあ、単に感性の違いなのだろう。ただ、この「感性の違い」なる極めて原初的な感覚。小説をはじめとする芸術の好き嫌いを超え、ヒトの人生そのものに隠然たる影響を与えている気がする。もちろん、モノの売買に関してもね。写真は三島由紀夫(Public Domain).
2025.11.27
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この週末は、かの赤穂浪士とそのリーダー、大石内蔵助を祀る大石神社の近くのスーパーで仕事。赤穂浪士については、「忠臣蔵」の題名で、古くから舞台や小説、映画などにさんざんえがかれて広く知られているから、ここでは割愛する。とは言え、あの「忠臣蔵」ってどこからどこまでが史実なんですかね? そうとうに脚色されているような、、、。まあ、善人と悪人が分かれ、単純明快にまとめているからこそ、一般大衆にもわかりやすいのだけれど。歴史的な「真実」はとりあえず横に置き、次のことだけは正真正銘の「真実」。それは、赤穂藩士たちにとっての主君(現在に例えたら勤務先の社長)であった浅野内匠頭の一大事を伝える書状が、わずか4日と半日で江戸(東京)から赤穂に届いたこと。電話などなかった当時。事の次第は、書面にしたため、早かごに乗る使者に託すしかなかったのだが、令和の時代になっても、東京と赤穂は片道3時間半、時間帯によっては4時間ほどかかる(新幹線と通常路線を乗り継いで)距離。そんな道のりを、エッホエッホの掛け声と共に人力で移動するのだ。もちろん、かごの担ぎ手は地域ごとの交代制。それを考慮しても、舗装されていない道路をわらじで走る。そんな環境の中、よくぞ4日と半日で着いたもので、江戸時代のかご屋の脚力にあらためて敬服する思いである。
2025.11.24
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さる19日は、兵庫県は宝塚市の一地域、仁川で手羽元の塩胡椒焼き。阪急仁川駅から現場である店舗に向かう途中、もしかして以前にここへ来たことがあるかも知れないと景色を見ていて思い出し、やがて「あ、あ、10年以上も前になるけれど柿の宣伝販売で来たな」と、完全に記憶が蘇った。この柿。実は今年に入ってあちらこちらに出没して問題となっているクマの好物なんだそう。クマは、見ての通りずんぐりとした体型ながら、実はとてつもなく敏捷。木登りも得意で、柿の木などスイスイのスイ。しかも、いったん木に登るや、実った柿のほとんどを食べてしまう大食漢。そりゃ、まあ、あの図体だから。北陸出身の友人がいる。実家は、東北ほどではないにしろクマが出没する地域にあり、山を背景に、ひところの典型的な日本の農家といった感じの造りで、庭には古くからの大きな柿の木が。この柿の木を、ご両親亡きあと家を守ってきた1番上のお兄さんが、年齢的に収穫が難しくなったこと、とっても誰も食べる人がいないこと、柿がクマを寄せ付けること、この3つの理由から切ることを検討しているとか。たわわに実った田舎の家の柿の木は、かつては日本の秋の風物詩の1つで、作家の壷井栄が「柿の木のある家」という童話に書いたくらい。そんな親しい存在だけに、まことに残念だが、他に打つ手はないのかな。「クマのプーさん」をはじめ、絵本やマンガや童謡に登場するクマさんは可愛いくて愛嬌があるのに、実際は大違い。もしかして、10年ばかり前に住んでいた京都市山科区の小山地区当たりにも、現在ではクマは降りてきているんじゃないかしらん、、、当時はよく1人ハイキングをしていて、サルやシカには時々出会ったものだな、、、。
2025.11.21
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今日は兵庫県は宝塚沿線にあるまちで仕事。1日だけの単発。それにしても、2004年にこの仕事を始めて今更ながら感じていることは「継続はチカラなり」ということ。この21年の間に、本当にどれだけの小売店が消え、現れ、また消えていったことか。店舗の撤退は過疎化が進んでいる地で特に顕著なのだけれど、最近では「ええっ! あの店が? まさかぁ、、、」と絶句するケースもあらわれはじめた。例えば、大阪府の某商業複合施設にあった大型スーパー。炊き込みご飯その他のデモで何度か訪れた限りでは活気のある店で、試食数も販売数も平均よりは多く、時折り開かれる店のイベントではお相撲さんをゲストに招んだ(30分だけだが)こともあったほど。なのに、遠からぬ場所にそこを上回る規模の、やはり商業複合施設が現れてからというもの、右肩下がりに集客が落ちていたと言う。はあ。はやっている店ほどあらわれるのね、「あそこの客を取ったれ」と、ライバル心をむき出しにするヤカラが。まあ、それが資本主義なんだろう。そのことも含めて、「継続はチカラなり」。
2025.11.19
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2025年の秋は、ことのほか水産関連のデモが多かった。そんな中、気がついたことの1つ。魚をはじめ、貝やイカ、タコ、そして海藻類その他もろもろの水産物が好きなお客様って、港町出身者が多いね。あるいは、仕事や転校などの関係で、いっとき港町にいたとか。港町の具体名は、鳥取の境やら京都の舞鶴やら和歌山の太地やら千葉の銚子やら。「そりゃそうでしょうよ。お魚ばかりでなく、ワカメだのスルメだの、毎日フレッシュな海産物を前にしていれば、自然と親しみもわくよ」とおっしゃる方もおられよう。確かにそれもあるだろうと思うけれど、要は港町全般にある独自の雰囲気そのものに郷愁を感じ、それを海産という「食」に具現化しているのではないか。私のように農村で生まれ育った人間には、海の向こう側と接触する港町は、良くも悪くも開放感ただようエキゾチックな風情があると感じる。仕事でも、いろいろな港町を訪れた。印象に残っているのは、大阪府は阪南市の尾崎、兵庫県の明石、京都府の日本海側に位置する舞鶴か。特に舞鶴は、駅に着くや、マドロスさんの帽子をかぶった海上保安学校生の姿をたくさん見かけるしね。港町。今後、また行くことはあるだろうか。
2025.11.18
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ときおり甘いものが無性に欲しくなるのだけれど、偶然なのか、こういう時に限って家にはアイスクリームもチョコレートもクッキーもない。こんな時、あなたはどうしますか?近くのスーパーやコンビニまで出かけますか?作りましょうよ、いま台所で転がっているもので。「甘いもの」なのだから、糖分、すなわち砂糖やはちみつがあれば、けっこういろいろと作れる。プリン、フレンチトースト、焼きリンゴ、その他。しかも、レンジもトースターもある今日日のこと。活用すれば、時短で、美味しいスイーツが作れるのだ。本当に、お菓子ひとつのことで、小売店の扉を開けなくてもよろしい。欲深いのが人間の本性。行けば、必ずやお菓子以外のものも買ってしまう。もっとも、市販菓子が侮れないのも事実。菓子ばかりではない。パンコーナーに並ぶ、おやつ系パン、すなわち菓子パンにも、そのことは言える。その菓子パンを、先だってはデモ。二十数年ぶりだったね、菓子パンの担当なんて。と言うのは、菓子パンは販売が難しくない、ぶっちゃけ「誰がデモしても一定の成果は出る」商品の1つなので、デモンストレーター初心者に任せるケースが多いのだ(ここいらのこと、派遣会社の人選係はよくわかっている。私も駆け出しの頃は、フ◯パンやパ△コの菓子パンをよく宣伝販売した)。菓子パンとくれば、私たちシニアの世代では「あんパン・ジャムパン・クリームパン」のイメージが強いのだが、現在ではどうして。見た目も一見ケーキと間違うほどオシャレな菓子パンがたくさん登場している。味もいい。生地はふんわり。クリームはしっとり。フルーツがたっぷり乗ったりナッツを練り込んだヘルシー菓子パンもある。味と見た目だけなら、家や職場の休憩室でドリップコーヒーを入れて、切った菓子パンをお皿に置くだけで問題ない。費用面でもぐっとお得。となれば、今やカフェとかスイーツ店は、味ではなく空間を売るべきなのかも知れない。ステキなインテリア、心地よい音楽、ゆったりとした雰囲気。こういうものだ。
2025.11.17
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昨日の続きである。カレーライスと並ぶ国民食の1つであり、つい10年ほど前まではワンコイン(500円)から600円で食べることが出来たラーメンは、なぜかくも高くなったのか?識者は言う。「ラーメンの原材料費、それに付随する水道光熱費、ラーメンの作り手である人件費。どれも上がった」。「特に都市部では競合店が多く、競争が激しい」。「インボイスの関係」。さらに、「高くなったのは、ラーメンだけじゃないよ。他の麺類も定食も丼ものも、軒並べて値上げ。もう外食なんて、やっていられないよ」と続く。確かに。それに、例えばラーメンなら、インスタントラーメンでも、現在では工夫次第ではお店で食べるラーメンとは変わらないくらいに美味しいものも少なくないのよ。ご当地ラーメンや有名店ラーメンの店頭版もたくさん出ているしね。このことは、レトルトカレーや菓子パンでも同じ。だとしたら、物価上昇に賃金アップが追いつかない今日日、外食は極力ひかえて特別な日だけにしようと考える人が増えてもおかしくない。現に、先週に担当した菓子パンのデモンストレーション。クリーミーで生地もふんわりの菓子パンを試食前に自分で試して「こんなに味も食感も香りもいい菓子パンが家庭や会社の休憩室で食べられるのなら、わざわざカネ払ってカフェとかに行くのはもったいないと感じる人、多いやろなあ」と感じたものだ。次回はその話をしたい。
2025.11.14
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コロナ明けから、何かのご縁か、秋季は水産関連のデモが多い。各種お造り、焼き魚、練り物などのおつまみ系その他。水産系デモは、しかし、打ち明けてしまうと、ほとんどのデモンストレーターにとって「嬉しい案件」ではない。むしろ、その逆。理由は単純。扱う商品の性質上、売場の冷えが半端ではないからだ(この度合いは、同じ生鮮品である畜産や農産と客観的に比べても、やはりきつい)。ただ、ヒートテック衣料が充実している現在。かつてのように「南極にいるのかと思う」ほどの寒気は浴びないが、それでも寒いことには変わりないから、昼食は暖かいものが食べたくなる。その筆頭がラーメン。で、このラーメン。今年に入って、ますます高くなったね。私が知る限り、「餃子の王将」以外の店では、平均で1000円前後。先日も、ラーメン街道があるほど多くのラーメン店があることで知られる京都市の一乗寺で数軒物色したけれど、1番安いので900円だった。量も、少食の私が「これでちょうどいい」と思ったくらいだから、以前よりは減っているのだろう。ラーメン。なぜこんなに高くなったのか?
2025.11.14
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今日からまた連続仕事。これからの季節、我々デモンストレーターの仕事はかきいれ時だ。ただ、私自身は、仕事は徐々に縮少方向に持っていくつもりでいて。繰り返しになるが、連続仕事を受けたら早くも2日目の午後には腰のだるさに見舞われるようになって(この症状はここひと月ほどから)。かつ、働いた日数と同じ日数(仮に2日働いたら2日)ぶんグウタラしないと疲れが回復しなくなっている。仕事以外にガーデニングや保存食作りなど、やりたいことがたくさんあるのに、残念なことだ。2027年の7月でいちおうリタイアすると決めた。それからあとは5年、つまり75歳になるまでは何とか頑張って週に1度くらいは働いて。あとはホンマにリタイア。仕事を辞めたら収入激減だけれど、そこは、収入なりの生活をしたらよく、そうするよう知恵や工夫を絞るのもなかなかに楽しいことではないかと思う。気になる病と介護。それも、ここは日本。最低限のセーフティネットは保証されているだろう。それらの情報も集めておこう。生活のための仕事はさんざんにしたのだから、これからは楽しみのための仕事をやるよう持っていきたい、、、減らしながら。
2025.11.13
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業界の人手不足もあり、何より年金だけでは生活出来ないという家計の事情により、この10月まで体力が持つ限り仕事を頑張ったけれど、例えば連続仕事を受けたら早くも2日目の午後から腰がだるくなってくるこの頃。痛いのではない。だるいのだ。まあ、太ってきたことも関係あるんだろう(もっとも、体重は昔より3キロ増程度。身長を考えたら問題ない。ただ、加齢もあって肉がたるんできて、それが腰部でプルプルしていて、そういうのもだるさの原因か?)。少ないなりに貯金はあるが、病を得たり介護が必要になった時のことを考え、それは大事にとってある(子どもにはなるべく負担をかけたくないのでね)。つまり、身体が動く限りは働いて今現在の生活を支えるという選択を選んだ。我が家みたいな熟年家庭。実は多いのではないか。ただ、個人の努力や工夫では限界があるわなあ、、、。
2025.11.10
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今日は、内科の定期検診日。何の、血圧をチェックするだけ。整形外科に行っても眼科に行っても、本来の病気以外に高血圧を指摘され、降圧剤を服用し始めて5年。若い頃は低血圧の貧血症だったのに、トシとったら、どうしてこうなったんだろうね?結果、血圧の数値そのものは落ち着いた。大好きなラーメンを汁一滴残さず食べても(ラーメンは麺もさることながらスープが美味しいのよ。あれを残すなんて、私にとっては拷問に等しい)、薬を飲んでいれば血圧は正常範囲。裏返せば、それだけ薬は恐ろしいということか。たまに、動悸その他の副作用がおそってくるたびにそう思う。反面、喘息は確かに薬で救われているなー。喘息の咳は普通の咳ではなく、その最中には咳き込む反動で肋骨が痛くなり、腰もだるくなってしまうほど激しいものだが、そこから解放してくれているものなー。がんなどの疼痛も同じだろう。ただ、使い過ぎると、やはりいろいろな問題が出てくる。薬。うまく付き合うことは、なかなか難しい。
2025.11.06
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今日は園芸をする日。ささやかながら、プランターや鉢で花や野菜を育てている、一応セオリーにしたがってトライしているが、天候や湿度、植物に群がる生物、土壌もろもろの要素で結果が違ってきたり、収穫時がずれることも多く、そんな中で懸命に咲き、実る植物は、それを取り囲む世界をも含めて本当に愛おしいものだ。例えば、一昨年の夏、草ばかり育って肝心の花は全く咲かず、もう抜こうかと思っていた玉すだれが、食物で言えば「旬」とされた季節を2ヶ月ずらした10月半ばになってポツリポツリと咲きはじめ、やがてプランターを埋め尽くした時には感動したね。きっと、玉すだれも、1番きれいに咲くときを待っていたのだろう。玉すだれ自身のエネルギーと外のエネルギーがマッチした、その時が一昨年は10月半ばだったのだ。私たち商売の世界にも、こういう農的な感覚があっていいと思うものの、現実は、、、ねえ! ほど遠いよ。求められるのは、即効性ばかりだ。もう少し、「商品を育てる」意識と余裕が、商品を作る人、売る人、買う人、三者にあってよいはずなのだけれど、現実は目の前の事がらに対応するだけで精一杯。それだけ経済が疲弊してきているのだろう。こんなところにも、日本という国の「凋落」を見る思いなのだ。
2025.10.31
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連続勤務明けの昨日は眼科の定期健診日。白内障の症状がおさまった今年からやっと半年に一度の頻度となったが、皮肉にもこの半年で、視力が落ちたと感じることが多くなった。それも、読書や針仕事など、特に眼を使うわけでもない、何気ない日常の作業をおこなう場面で。具体的には、宅配便の送り状を書いたり、栄養素を知りたく食品パッケージを裏返して記載されている成分をチェックしたり、そんな時。文字の輪郭は見えるのに、細かい部分が認識できないため、しばしば不都合な現象に見舞われるようになったのだ。いや、最近では図柄や罫線までも曖昧になってきているかな。なぜって、仕事関連の書類を眼鏡を使わずに書くと、文字が本来書くべき場所から下にはみ出していることがあるもの、、、時々。そう、はっきりとは見えないのよ、いま自分が書いている文字まで。反面、DVD画面をはじめ、遠くを見る時はもう眼鏡(近眼用)がなくても不自由しないほど。と言うか、眼鏡があってもなくても、「見える度」に変化がなくなった。ん?つまりは、近眼と老眼のバランスがこれまでとは違ってきている?この眼のことも含め、「老化」をイヤでも突きつけられてきている現在、今いちど今後のライフ・スタイル、特にワーク・バランスを仕切り直そうと考えている今日この頃なのだ。
2025.10.30
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デモンストレーターとしてのキャリア育成プランとは、私が考えるところ、望む者には、お客様の反応をダイレクトに受け止める宣伝販売の最先端にいた経験を活かしてゆくゆくは商品開発や販売促進職(SP)への道を開くことである。決して、デモンストレーターのリーダー(それも現状では非正規)止まりではない。日々消費者の声を聞いている私たち。「こんなところを改善したらもっとお客さんに喜んでもらえるのに」とか「こういう仕かけをしたら、商品の認知度が高まるのに」とか、いろいろ思うことは多い。そのことは、報告書に書くことで、ある程度までクライアントに伝わるのだけれど、しょせんは「販売のおばさんの意見」で終わっている。今後は、「努力と工夫次第では商品を企画したり販売戦略を練ることが出来るポジションへ進めるかも知れない」という「キャリアにつながる道」も用意してあげよう。デモンストレーターたちのモチベーションは必ず上がり、目的意識を持つ若い人も集まってくるはずだ。現在では、女性もキャリア志向だからねえ。もちろん、あくまで販売のおばさんを全うする道も、それはそれで潔いものである。
2025.10.18
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昨日から3日連続で現場に入っている。3日連続。恐らくは今回が最後。年毎に体力の衰えを痛感する今日、もう仕事も「量より質」にシフトしなければいけない時期が来ているわ、、、毎日のように仕事打診のメールは受け取るんだけれどね。私ばかりではない。同年の同業者も昨日、電話で嘆いていた。「断っても断っても、仕事の依頼が来る。現場の人が足りへんから、1日だけでもどうかと。こちらはまた孫が増えて忙しいのに」。なぜ、70歳近いバアさんたちにも懇願するほど、この業界は人が足りないのか。1つには、若い世代が育たないことがある。募集をかけると、労働待遇は改善されているし、店舗やメーカー側からのパワハラも現在では厳しく禁止されているので、昔に比べるとずっと働きやすくなっており、そこそこの応募はあるそうなんだけれど、、、なかなか続かないんだな、採用しても。若い人が居付かない原因は、まあ、遠くは小泉政権下で断行された「構造改革」のひずみに起因しており、これは一介の販売のおばさんがどうなるものでもないから、ここでは詳細は避けるものの、とばっちりは人材派遣の本社自体も受けているんだよ。かといって、外国人労働者では、中華や韓国料理などの一部をのぞけば難しいと思うし(言葉の壁以上に、食習慣やその背後に横たわる食文化の理解の問題)、アメリカでは一部で稼働しているAI搭載の試食ロボットも、実際の起用は、特に細かい部分までこだわる日本では非常に抵抗感を持って迎えられるのではないか。なので、どうしても、以前からデモンストレーをしていた人(=比較的に年齢が高い)に頼らざるを得ないんですよ。で、これでは尻すぼみになるんですよ。この業界で若いデモンストレーが育つプランとして、デモンストレーターのキャリア育成の見える化を提案したいね、、、と言っても、こんなの、ただの販売のおばさんのぼやきとされてしまう悲しさ。小泉政権は、罪なことをしたと、つくづく感じる。
2025.10.18
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さて、今日と明日は仕事。昨日、夫の仕事上のホームページの件で、金銭以外にもいろいろと問題が出てきたので、HP管理会社の電話対応可能なサイトを見つけ、夫がそこへ電話をかけた。夫とオペレーターとの応対を聞いていて、オペレーターの見事な対応ぶりに頭が下がった。ああ!プロの仕事やわ!まあ、オペレーターを長年やっていて相応の場数を踏んでいるんだろうけれど。おおむね、トラブル電話口に電話をしてくる人はいま抱えているトラブルでイライラしていることが多いもの。そこに加えて、こういう電話はなかなか繋がらないものだからシビレを切らしてますますイライラがつのる。しかも、電話だと顔が見えない。そんな人を相手にするのだからね!トラブルやクレームに対して、落ち着いてまずは話を聞く。早口でまくしたてられたり、「はよ、何とかしてくれ。こんなことになるなんて、どういうことや?」と攻撃されたり、反対に「どうしていいかわからないんです。助けてヨォ」と哀願調的な言葉をかけられ続けても、相手方の感情に飲み込まれず、冷静に、かつ的確に対応。そして、相手に最適な処理を提案する。これはとても大切な仕事だよ。それに、おそらくはメインとされる商品を販売するのとは別の次元で難しい仕事だよ。同じ意味で、犯罪の容疑者とされた人を弁護する弁護士もそうだね。容疑者は、長い拘束と繰り返しの尋問と世間からの厳しい目線で、心身共に弱っていることが多い。うつ的な症状を示しているケースも少なくないことだろう。結果、正常な判断力をうしなっていることも。こんな人には、弁護の前に、心のケアというか寄り添いが必要だね。いろいろと考えさせられた今回のアクシデントではあった。
2025.10.11
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ちょっと、どういうことよ?今日、夫に夫の治療院のHPを管理している会社の名前でメールが届いた。「今月の管理費のお支払いが完了していません。至急に、、、」何たらかんたら。夫は管理費はクレカで決済しているので、早速そのクレカの明細をチェックしたら、ちゃんと払えているじゃないの!詐欺だね。私のSNSアカウント乗っ取り騒動が一段落してまだ数日しか経っていないのに、またこんなハプニング。人を信じられない世の中になってきた。
2025.10.09
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オタキング(オタク王のこと)を自称する文筆家であり、東大や大阪芸大でも講義を持ったことのある岡田斗司夫氏のダイエット記。117キロあった体重を1年間かけて67キロにまで減量した(身長は171センチ)体験が、記録者のごとく理性的に、だが時には生物的欲望を剥き出しにした生々しい感情も交えて、綴られている。見た目主義社会の到来を感じた岡田氏は、太っている外見と、就いている職業から人々が受けるイメージとのギャップに悩み、ダイエットを決意する。まずは「ニンジン・りんごダイエット」。ついで「運動ダイエット」。この2つは早々に挫折。そこで岡田氏は、「運動は嫌いだが、考えたりメモをとったりすることは好き」という自身の個性を踏まえた「レコーディング・ダイエット」を独自に考案。これは、食べたものを記録することを基本とした方法。「えっ、そんなので痩せられるの?」と首を傾げるあなた。本書を読んでみて下さい。ペンとメモ帳さえあれば始められるし、お金もかからないシンプルそのもののダイエット法なのに、中身は実に理にかなっているのだ。プラス、「詳細に記録して、生の現実を知り、行動や思考のパターンを分析し、対策を立てる」という行為は、会社経営にも家計管理にも、すなわちダイエット以外のことにも応用できるのではないかな。
2025.10.09
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佐藤愛子「老い力」50代より「老い」に関心を持ち、60代70代80代と、折につけそのテーマを各方面で書き連ねてきた佐藤愛子氏の「老い記事」を、懇意の出版社社長のアイディアにより、セレクトして年代順に並べたエッセイ集。今年101歳となったご本人は3年前の98歳の時に筆を折った(=リタイア)が、現在ではある意味で毒舌ともとらえられかねない(特に男性諸氏に対しては。「愛子節」と称されたことも)シャープなツッコミ満載の記述は、良くも悪くも痛快。また、失われつつある、これまた良きにつけ悪しきにつけといった感じのかつての「日本」の残光の一部をも現していると言えよう。佐藤愛子氏の波乱に満ちた人生は、小説をはじめとする一連の著書でも知られているが、だからこそ、ラスト近くの「私の人生は失敗の連続だったが、とにもかくにもその都度、全力を出して失敗してきた。失敗も全力を尽くせば満足に変わるのである」の一文(佐藤氏言う「老い力」に通じる)に救われる人は多いのではないかと思うし、かくも気丈な彼女ですら、自宅の他に北海道にもある家への坂道を毎年登りながら、今はこうして歩けているけれど来年は? 再来年は? その先は? と想像する、などのくだりは大いに我々の共鳴を呼ぶのではないか。
2025.10.08
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SNSアカウント乗っ取られ騒動から一夜明けた日曜日は、大阪府中部のまちでギリシャ・ヨーグルトのデモ。高価格の商品だが、開店直後から自分にカツを入れたこととその日が5%引きセールをおこなっていたこと、この2つが販売の追い風となり、業務終了30分前の17時半で完売した。今どき5%引きなんて、その値下げ幅は食品消費税の8%にも及ばないことから、消費者の購買にそんなに影響はないと想像されるかもしれない。ふたを開けてみれば、どうしてどうして。まあ、これだけ物価があがったらねえ、、、。そりゃ、先日にギョーザのデモをおこなった店でのお客さんのセリフじゃないけれど、「同じものなら少しでも安く買いたい」のが、カネを出す側(=お客さん)の偽わざる願望だよ。特に、普段から高いものはそうだ。「〇〇が美味しいとは聞いているから食べてみたいけれど、お値段がなあ、、、」と、興味はあっても価格で引いていた商品ほど値下げ効果は大きい。「今日はちょっと安い。これを機会に一度試してみよう」と、カゴに入れていくお客さんが多くなるのだ。今回のギリシャ・ヨーグルトも同じパターンで売れた。ともあれ、担当商品ソールドアウトで、シアワセな気分で帰路につけた日ではあった。
2025.10.08
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今週末から初めにかけては、SNSアカウント乗っ取り騒動で振り回された。ことの顛末。木曜日の朝、現在では懐かしき存在となったネット上のグループ、メーリング・リストの1つで知り合い、以後20年以上にもわたって交流があり、もちろん面識もある(夫とも会ったことがある)方から、自分が立候補したアンバサダーへの投票を依頼するメールが、我がメッセンジャーに届いた。で、この方を仮にA氏とすると、A氏は普段から仕事以外にも様々な地域活動やボランティアにも積極的にかかわっている人なので、「そりゃ、こういう交流が広い人なら、アンバサダー立候補もアリだわなあ」と信じ、投票を了承した上で指示された通りに行動したら、ありゃりゃ、ほどなくメッセンジャーはもちろん、それと連動してしてFacebookとInstagramのアカウントも乗っ取られてしまった。金曜日の夜にはInstagramが、さらに土曜日の朝にはFacebookとメッセンジャーのアプリも見ることが出来なくなり、「何がおこったの? どうして閲覧できないの?」と、困り果てた。うろたえているうちに、上のアプリとも合わせてLINEでもつながっていた人からLINE電話で、「私のメッセンジャーにおかしなメールがあなたの名前で届いている。アカウントを乗っ取られたのではないか?」と、連絡があって事実を知り、その方のアドバイスも受けて、Facebookのアカウント(Instagramやメッセンジャーのアカウントでもある)を変えることで、すみやかにすべてに復帰することが出来た。もっとも、もとから苦手なネットゆえ、操作的にも精神的にも大変だった。何より、我が浅はかさのせいで、多くの人に計り知れない迷惑をかけてしまった。唯一、幸いだったのは、騒ぎの渦中にあった土曜日の仕事が実は直前にキャンセルされ、時間が出来ていたことで、可能な限りその日のうちにアクシデントへの対応が出来たこと。なお、振り返ってみれば、今回のハプニング、一応終わってみれば、おかしな点がいくらでもあることに気付いた。投票した木曜日の午後から、やたら、「神奈川県藤沢市からログインしましたか?」「ケニアのナイロビからログインがありました」「ロシアのどこそこからログインされましたが、これはあなたですか?」などの警告メールが地図付きで流れてくるようになり、そこには「私はホンモノのMetaですよ。その証拠がこれです」と長々と説明した添付がついており、「あなたではない場合はこちらへ」と案内され、「iPhone〇〇に確認コードを送りましたので入力してください」と言ってきたそのiPhoneが、私が今つかっているiPhoneとは違う機種だったり、、、。そもそも、A氏が私に「あなたの携帯電話番号を教えてね」と尋ねてくること自体が、あとで考えたらオカシイ。この4月にも電話で話したA氏。私の携帯電話番号は知っているはずなのだ。今回の件では、アンバサダー投票の依頼メールを私に送ってきたA氏も、言うまでもなく被害者。あらためてネット検索したら、アンバサダー被害、今年になってたくさん報告されているね。自分の浅はかさを棚に上げるわけではないけれど、A氏みたいな関係長い付き合いがある方から投票を呼びかけられたら、信用してしまう人の方が多いのではないか。このような、人の善意や繋がりに乗じて金儲けをしようとする人たち、増えた?なかなか人を信じることが難しい世の中になったものだ。
2025.10.07
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最近、薬剤師を主人公にした推理小説を読んだ。降圧剤をはじめ、アレルギー薬やら吸引剤やら、いろいろな薬を飲んでいる私。薬は症状を緩和し、痛みも取り除く意味では素晴らしいものだが、同時に怖いものでもあるよなあ、、、。動悸がしたり、めまいがしたり、気分が悪くなったり、たまーに、そうワンシーズンに一度くらいの割だけれど、こういう副作用が出るのだ。ある時など、お客さんの呼び込みのために声を張り上げ続けていたら、胸が苦しくなり、くらくらしてきた。もっとも、薬効果は偉大。検査前に大好きなラーメンを汁まで飲んでいても(ラーメンの美味しさはスープも関係している)、降圧剤を服用している限り、診察室で測る血圧は正常。怖いねえ、ある意味。降圧剤は認知症に関連するとも言う見解もあるし、ホンマ、そのリスクは知っておかないと。
2025.10.03
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「時短」についての話題を続ける。私たちデモンストレーション業にも時短勤務があってよいのではないか。こう思うようになったのは、以前に赴いた先の担当責任者から「ウチの店は、はっきり言って昼からの店。午前中の来店客は少ない。だから、昼から、出来れば14時くらいから19時くらいまで売場に立ってくれる方が本当はありがたいんだ」と言われたこと。わかるよ!実際、こんな店は多いのだ。特に土曜日の午前は、日ごろ勤めや学業に励んでいるお客さんにしてみればゆっくり休んでいたい気持ちも強いのかな。おおむね、客足は鈍い。と思えば、逆に、休日だからこそ早くやるべきことをやってあとはノンビリ過ごそうと考えるお客さんもいて、来客数のピークが午前中に訪れる店もある。なのに、デモンストレーションの時間は画一的。原則、10時から18時。あるいは、11時から19時(たまに9時から17時)。これ、メーカー側にとってもデモンストレーションの場所を提供する店側にとっても、大いなる時間と経費の無駄だと思うよ。もっとフレキシブルに対応できたらと感じるのだが?
2025.10.01
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昨日の日曜日は、比較的に近場のスーパーで、フライ系お惣菜(作るのは店の担当者。こちらは商品をPRして販売するだけ)のデモ。勤務時間が通常の10時から18時までではなく、終了が2時間早い16時までの短縮だったこともあり、ぶっちゃけ、気分の上でも楽だった。しかも! である。実際は15時で商品を完売。予定より早く帰ることが出来た。こういう変則的と言うか、時短勤務は、デモンストレーターの世界でもちょくちょくある、、、10時から15時とか、12時から17時とか、13時から18時とか。理由は、ほとんどは店側の都合だけれど、たまにクライアント(メーカー)側の要望も。時短勤務は楽だよ。今回は通常と同じギャラだったけれど、大半は500円から1000円程度減給。1円でも多く稼がないといけない、例えば受験生などをかかえた家庭はともかく、老人世帯にはこの程度のマイナスでの時短勤務は万万歳なのではないか。体力的にも、自分なりのベスト・パーフォーマンスを発揮できる可能性が高いしね。「年をとると食べ物はいいものを少しだけでいい。すなわち、量より質なのだ」と、かつてその日の現場に駅から運んでくれたタクシー運転手が私に話してくれたが、このことは「食」を超えて労働スタイルにも言えることのようだ。
2025.09.29
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昨日は、京都府内南部のスーパーで、冷凍ギョーザのデモ。デモ案件の内容からして、パクパク試食が出て、パクパク売れる。過去、何度か請け負った同案件のケースを見ても、そう信じて疑わなかった。ところが、試食も売上も、反応はどうも鈍い。いや、全く試食が出ないわけではなく、売上が悪いわけでもないんだけれど。昼過ぎ。あるお客さんが私に教えてくれた。「美味しいギョーザやなあ。でも、買うのは明日にするワ。明日、これ、セールやさかいにな。今日の〇〇円より△△円安くなりよる」えっ、そうなん?!驚く私に、お客さん、「同じもんなら、そら、50円、30円、10円、いや、5円1円でも安く手に入る方がええがな。それが、無駄金を使わんちゅうこっちゃ」なるほど!本来なら使わなくてもいいカネを使うことを金持ちほど嫌がると、何かの本で読んだが、それはそうだよなあ。そして、そのことが、真の意味での節約につながるのだろう。
2025.09.28
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8月の終わり、整体師の夫が京都府内にある某所に出張治療に行き、帰りに用事があってとあるスーパーに寄った。いっときの流通業界における圧倒的なパワーは少し落ちたものの、まだまだ勢いがあり、全国的にもチェーン展開している有名な店である。そこで夫は愕然としたそうな。どうみても70代といった感じの人が、店のそこかしこで、たくさん働いていたからだ。駐車場での車の誘導、売場でのカート整理、店内の巡回警備、モップとバケツをかついでフロアを行き来する清掃員、、、その他。夫は「老人が働くのは社会参加だの規則正しい生活を守るためだの何の言っているけれど、本音はカネやと思う。年齢から推してあと10年から20年ほどしか生きへんのにまだ働かなあかんとは! いつから日本はこんな貧しい国になったんや」。確かに。もっとも、私は、彼らだって大半の人はそれなりに預貯金はあると思うのだ。でも、やがて動けなくなり頭も働かなくなる時が、生物である限りは誰しも来る。そうなった時、現在ではかつての時代のように子どもに頼る状況は望めなくなっており(子ども世代だって教育費だの住居費だの重税だの、暮らしていくのは大変なのだ)、そのことがわかっているからこそ親としてもなるべく子や孫に迷惑をかけたくない。ならば、カネはないよりあるに越したことはなく、働けるうちは働いて、、、となるのではないか。で、息抜きとして、たまに温泉や小旅行に行ったりお金のかからない趣味を楽しんだり孫と遊んだりしてね。こんな老人家庭。実は少なくないのでは?まあ、これは、経済面を含んだ介護問題でもあるんだけれどね。
2025.09.27
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「激安スーパー」の記事を書いていて、連携で思い出したことがある。コロナ禍に陥った2000年より数年前の冬、乳業メーカーのA社が、酪農生産者が置かれた状況に理解を示し、牛乳をはじめとするA社の商品を「適正価格」として一斉に値上げしたのだ。もちろん、値上げの数ヶ月前からホームページでの告知などで、そこへいたった事情は詳細に説明してある。「値上げ」と言っても、実は生産者側にとっては利益が出るかどうかギリギリラインの微妙な価格。それでも、果たせるかな、A社の商品はたちまち売れなくなった。デモンストレーションしていた私たちも悲しくなるほど。目の前を行き交う消費者の皆さんは、「高いねー。こちらの安い方にしとくわ」と、値段が70円低いA社の競合社の商品に手を伸ばしていく。結果、しばらくすると、また元の小売価格(生産者は赤字)に戻ってしまった。乳製品ばかりではない。かつて、卵と並んで「物価の優等生」とされたもやしの生産業者が「せめて店の売場には40円で置いて欲しい」と悲痛な叫びをあげていたよね。このことは、やはり優等生な双璧である卵も同じだよ。いつぞや、卵が高くなって買えない現象が起き、騒がれたけれど、冷静に考えたら、今まで安すぎたのだ、、、ニワトリのエサ代や水代、鶏舎の維持費、労働する者に払う賃金、市場に輸送するための経費、、、もろもろを計算したら、卵があの値段で消費者に渡っていたことこそが、オカシイ。激安は激安でも、中間マージンのカットや店の棚に綺麗に並べるための人件費を省くための段ボール陳列などの結果による「激安」は大いに奨励。でも、生産者や運輸業者など、誰かの犠牲に成り立った上での「激安」は、いつかどこかで必ず歪みがくると思う。「安ければいい」この価格至上主義が、現在では浸透しずぎていない?消費者がそうである限り、そりゃ日本の牧畜業者や農業従事者の数は減り続けるわなあ。彼らにだって生活があるんだから。政府、生産者、流通業者、消費者。皆で真剣に考えないといけない時期にきているのではないかな。
2025.09.26
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昨日は大阪市内のビジネス街で納豆のデモ。よく売れた。まあ、納豆はお手頃価格の上、身体によく、和洋中の料理に合う。つまり応用がきく。常備しておいて、ソンはない。しかし、昔はよくあったんだよね、納豆のデモ。それがなくなったのは、納豆業界がよくも悪くも飽和状態になった、すなわち納豆そのものはもちろん、その風味も栄養素も知れ渡り、変わり種系納豆も、その「変わり」が出尽くしたからだと思う(ホラ、わさび納豆だの、つゆだく納豆だの、梅納豆だの、いろいろなバージョンがあるやね)。デモをしていて、あらためて感じたけれど、物価高の折りではあり、我々はもっと納豆を食べたらよいのだ。特に成人病リスクが高い高年層は。高年層ばかりでない。若年層や子ども世代もだ。味的にも、納豆オムレツや納豆コロッケや納豆サンドイッチなどは小さな子どもにも好かれるよ。外国でも古くから納豆の価値は知られ(ファシストのヒトラーさえ注目していたと聞く)、アメリカや中国など、販売されている国も年毎に増えている。納豆は日本の誇り。今一度、見直しましょう。写真は、「禅味的納豆料理」を著した、故藤井宗哲氏(徳間書店刊の同名本から)。
2025.09.25
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世相を反映してか、激安スーパーの躍進がとどまるところを知らない。私たちデモンストレーターの仕事も、コロナ明けのここ1、2年、現場が激安スーパーというケース、増えたなあ、、、。激安スーパーは確かに安い。それでいて容量は多いから、育ち盛りの子どもが何人かいるとか、収入が低年金のみの世帯とかは、本当に助かるだろうね。ただね、我が家みたいな世帯(「老夫婦だけ」や「持病を持つ人がいる」など)には、全くそぐわないのよ。身体を作るのは主に食材だから、病気が悪化しないためにも、どうしても量より質の方にこだわってしまう。必然的に、なるべく無農薬(せいぜい減農薬)、無添加なものになる。でね、これらは確かに高いんだけれど、例えばホウレンソウなどは、ゆがくだけで美味しいんですよ。何もつけなくてもいいくらい。ま、せいぜい醤油、最大限でゴマか鰹節ですな。鶏肉も、平飼いで運動が足りているからなのか、肉がしまっているのにじゅうぶんな弾力があるため、いためて、味付けは塩胡椒オンリーでイケる。その昔、仕事で、ホウレンソウにしろ鶏肉にしろ、何やかにやの調味料を加えて試食に出したことを思えば、素材そのものは高くても、さあ、どちらがトクなんやろね?食品の素材自体がいいものは最低限の味付けでいい、ということは光熱費も浮くし、料理テクもさほどいらない。トータルでみると、そんなに割高ではないのかも。
2025.09.24
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明日と明後日は、京都府内にてアフリカ産の某フルーツのデモ。いずれの日のどちらかで、仕事帰りに現場近くにある電器店に寄り、取り置きしてもらっている商売道具の1つであるグリル鍋を買って帰る予定だ。それにしても、今年は果物のデモンストレーションが多い。2月のりんごに始まり、ブドウ、キウイフルーツ、バナナ、パイナップル、オレンジ、スイカ、その他。なのに、デモンストレーションを担当しているこちら自身は、物価高のために実生活では果物からすっかり遠ざかってしまっているのが現状。何とも皮肉なものだ(もっとも、猛暑が続いた折には、身体が要求して何度かスイカを買ったけれど、、、まあ、それくらいかしらね)。このことは、だが、低所得層の我が家に限ったことではない。ネット記事によると、物価上昇に賃金アップが追いつかない2025年、一般家庭が食費の中でどこを削っているかを調査したところNo. 1は果物だと出たそうじゃないの。まあ、ぶっちゃけた話、米とは違って、果物はなくても人間はじゅうぶん生きていけるからなー。家計にゆとりがなくなると、(摂取するのは)どうしても後回しになってしまいがちなところはあるだろう。ここいらの食物界なり栄養界なりでの果物の立ち位置は、お菓子のそれと非常に近似している。それでも、人は、本当は果物を食べたい。疲労回復、ストレス発散、リフレッシュ効果、気分転換など、理由はいろいろあろうが、1番は季節を感じる点にあると思う。春のいちご。初夏の桃。真夏のスイカ。初秋の梨。秋のりんごや柿。冬のみかん。それぞれが日本独自の風物詩と結びついており、ここいらのことも、特に私たちアラカン以上の世界では郷愁とあいまって、果物が求められる理由だと思う。こんなささやかな望みすらかなえられなくなった日本は、以前のブログ記事にも書いたが、やはり少しずつ沈んでいっているのだ。
2025.09.19
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20年ほど前、健康酢のデモ(黒酢をはじめフルーツ酢やもろみ酢その他の飲む酢がブームになっていた時代があり、宣伝販売の回数も多かった)で大阪府中部にある某スーパーに立っていた時、試飲したお客さんの1人に言われた。「(飲む)酢ってホンマにマズいね。水でなく炭酸やジュースで割ると美味しいと言うけれど、それでも私はアカンわ。でも、コマーシャルや人の話なんかでは毎日コップ1杯飲むと身体にも美容にもエエ言うんで、我慢して飲んでんねん。主人は、そんなマズイマズイと顔をひん曲げながら飲んでもストレスたまるばかりで、健康食品やのにむしろ健康に悪いんちゃうかと、笑うんやけどな、、、」よくよく聞けば、このお客さんは酸っぱいものが苦手なわけではなく、野菜なり海藻なり魚なりを三杯酢や甘酢、酢味噌などで和えたものは普段の食事で日常的に食べていると語る。つまり、酢は食べることで充分に摂っているわけなのだが、「飲む」ことでは摂っていないし、それと関係があるのか、飲む酢には抵抗感を免れないんだそうな。「どうしてもダメ」と。もっとも、日常の食事で酢を摂っているのなら、そこにわざわざ「毎日コップ1杯」の酢をプラスしなくてもよいと、販売している私は素直に思い、「お客さんみたいな方は、無理に(飲む酢を)飲まなくてもいいですよ」と話したものの、、、ああ! 彼女、すっかりハマってしまっているのね。いや、ハマらされているのね。酢ばかりではない。同じく健康食品とされる豆乳や青汁、さらに今回デモを請け負った植物性ミルクも、押し並べて宣伝に「コップ1杯の◯◯を毎日摂る」ことを、有名タレントやスポーツ選手を販売戦略のIつであるイメージキャラクターとして起用し、彼らを通じてさりげなく浸透させていく。なぜなら、この「コップ1杯」は、苦手な食材でもトライかつ続けやすい単位だからだ。2010年代、やはり大阪府中部にあった小ぶりなスーパーで青汁を宣伝販売した時、「長期の海外滞在を控えている」ことを理由に、我が担当商品をまとめ買いしてくれたお客様は、こう言った。「青汁は野菜不足にいいとされていますけれど、日々の食事でしっかり野菜や果物を摂っている私には、本来は必要ない。でも、忙しくて自炊できない時とか市販の弁当が続く時とかには野菜不足になりがちだから、手軽に野菜成分をとれる青汁はとてもありがたい。それと、今回みたいに衛生面に問題がある国に出張で行く時も。そこの国は水が自由でないんで、レストランで出てくる野菜、(日本のように)きっちり洗っていないんです。下手すると食中毒なんで食べられへん。やから粉末青汁を持っていって、ホテルのミネラル・ウォーターで溶かして飲みますねん。(青汁)、助かってますよ」これでいいんですよ。健康食品は、あくまで日々の食生活からくる足りない部分の補填であり、補助。ゆめゆめ「コップ1杯」の宣伝文句に踊らせれてはいけない。
2025.08.29
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8月23日から3日間連続で、大阪は堺筋本町(関西屈指のビジネス街)にあるスーパーマーケットでアーモンドミルクのデモ。アーモンドミルクとは、ここ1、2年のあいだ我が国でもにわかに脚光を浴びてきた植物性ミルクの1つである。植物性ミルクとは、豆類や穀物などの植物性食材を原料とするミルク(対して、従来からある「ミルク」は、牛なりヤギなり、要は動物から得る動物性ミルク)。具体的には、砕いた豆類やナッツの成分を水に抽出して作られ、代替ミルクとも呼ばれる。動物性ミルクにおける植物性ミルクのメリットは、まずカロリーと脂質や糖質の低さ。ついで、動物性ミルクに欠けているか少量しか含まれていない栄養素(豆乳のイソフラボンとかアーモンドミルクのビタミンEとか)が含まれていること。ということは、牛乳の「代替」以上の役割を果たすことも出来るミルクなのだ。ただ、植物性ミルクは、全般に飲みやすいものではない。すっかりお茶の間に普及した感のある豆乳ですら、我がデモンストレーション体験では「本当は嫌いなんだよね、あの豆のプーンとした匂いとクセのある味」と答えたお客さんはかなりいる。それでも、そのような味覚上の欠点を承知の上で書い求める人は一定数いるのだが、これはコマーシャルなる「外部勢力」からの巧みな刷り込みであり、動機づけの部分による影響が大きい。このことは、植物性ミルクに限らず「健康食品」(豆乳とくくられる部類の食品には多かれ少なかれ見受けられる傾向。次回の記事では、かつて実施した豆乳と健康酢と青汁(いずれも健康食品とされる)の宣伝販売から、メーカー側が入念なマーケティングの上に消費者側に仕掛けるトリックについて、いちデモンストレーターとして実証的に考察したい。
2025.08.28
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さる8月19日に実施された、高校野球の試食バージョンとも言える、トーナメントカップ。大手調味料会社の試食担当スタッフとして第一回戦に参加した私はクタクタに疲れ、翌日は朝風呂でくつろいだ後は、ほとんど寝て過ごした。いや、試食メニュー自体は、特にお子様に受ける甘辛味だったこともあって大好評だったし、「美味しいですよ」の証明であるシールも、対戦した某オイルメーカーの試食より多く貼っていただいたのだが、、、もうこの案件は受けないだろうな。実際の業務をこなす者に負担が偏重する上、仮に「勝った」としてもこちらには何の見返りもない。「うまく使われている」感が抜けきらないのだ。そこであらためて思い出したのが、この本。現在では甲南大学で教鞭をとる社会学者の阿部真大氏が東京大学在学中、まとまった金が必要となり、どうせなら好きなバイクで稼ごうと、休学して宅配ライダーの世界に飛び込んだ時の体験を、綴ると同時に専門である社会学の視点から分析したものだ。阿部氏は、「好きを仕事にする、と言えば聞こえはよいけれど、その仕事が例えば検事などのような安定したものならともかく、そうでない非正規やフリーランス形態の場合は、落とし穴がある」と説く。そして、雇用主が仕掛けたトリックによって、正規労働者でない者は素直であればあるほど、いつの間にかワーカホリック的なワークスタイルに巻き込まれていくと、宅配ライダーの事例をもとに持論を展開していく。雇用主が仕掛けたトリックがどんなものか、ここで明かすとネタバレになるので避けるが、最後まで読まれた方の中には「こりゃ俺(私)のことだ」と思われる方も多いのではないか。20年近く前に出版された本書ではあるが、ここで投げかけられた課題の1つ、「格差」は、近年、ますます広がっているし、「搾取」方法は巧妙化していっている気がする。わけても、自営も含めた非正規雇用労働者の方は、ぜひ読まれたい。
2025.08.22
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8月19日は、某スーパーチェーンが実施する、試食トーナメントカップ(試食宣伝販売の高校野球版)の第一回戦に、某調味料メーカーの試食スタッフとして参加。このトーナメントカップ。ぶっちゃけた話、「デモンストレーター同士を戦わせるなんて!」と、当のデモンストレーターの間では評判が良くない。そりゃそうですよ。カップに参加したメーカーが、自社商品を使ってデモンストレーターに作らせた料理をお客様に試食してもらい、その味が気に入ったらシールを貼ってもらう(SNSに例えたら「いいね」ボタンを押すこと)形式で、主催者側にすれば「メーカー、店、お客様の三者三様が同時参加できるイベント」ということになるんだろうけれど、その視点には肝心の試食品作りを担当するデモンストレーターの存在が完全に欠けており、しかも、トーナメントとあっては、同業者同士、気持ちのよいものではない。私も、最初からトーナメントカップであることがわかっていたら、こんな案件は絶対に受けないのだが、それを巧みに隠して仕事を振る側のテクニックに引っかかった。似た方法は、他の業界でもありますね。まあ、受けたからには、それなりに一生懸命にやりましたが。事情を聞いた夫は言う。「そんなん、トーナメントに勝ち抜いたところで、実質の仕事をするデモンストレーターに何かあるんか? 営業職みたいな成功報酬が出るんか? 派遣会社がメーカーに仕事をもらえる確率が増えるだけなんちゃうんか? うまいこと利用されている」。確かに。まあ、この世はそんなもんなんだろね。もっとも、これも、非正規雇用労働者の愚痴としか、世間では受け止められないか。
2025.08.22
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一昨日のブログで、市販の冷凍枝豆の塩分は0.7〜0.9%であると書いた。この数字は、当然ながらメーカー側が積み上げた長年の実験データを分析した末に導き出されたものだが、同時に、実は100年近くも前、わが国の栄養学の草分けである香川綾氏が提唱した「人間の体液は0.9%の塩分を含み、これに近い食べ物は心地よく感じる。なぜなら、味の決め手は塩分だから」との説にほぼ一致している。今さらながら、香川氏の先見には驚きの一言である。もっとも、料理を美味しくするキイであるはずの塩分。どうも、このところ、糖分とともに目の敵にされがち。先だってデモを行ったトマト・ジュースだって、以前は「食塩入り」タイプがあったのに、塩分は高血圧をはじめいろいろな病気の引き金になりかねないという世評が浸透したことから、遂に「無塩」タイプのみになった。そりゃ、昔の梅干しや塩鮭みたいなら、塩分は間違いなく問題だろうけれどね、、、塩気に誘われてご飯も進みすぎるだろうし(ただ、あの強烈な塩味に郷愁を感じている人も少なくないのだ。これは別記事で述べよう)。塩加減。難しいよね、、、。
2025.08.16
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山の日でもあった8月11日は、奈良県にある某大型店スーパーで、山形産の枝豆のデモ。メーカーより送り込まれた冷凍枝豆(既にゆがいてある)を流水解凍し、仕上げの塩を振った上で適量を試食カップに入れ、お客様に味をみていただく。ここで、気をつかうのが、この仕上げの塩の量。と言うのは、あくまで私の体験ではあるが、居酒屋やビアガーデンで提供される「枝豆」の感覚で塩を振ると、試食されたお客様からは、かなりの確率で「少し塩が効き過ぎてるんとちゃう?」の声が上がってくるのだ。そりゃそうだろう。ビールをはじめ、一般に酒のつまみにはチョイしょっぱいなと感じさせるものが合うことが多いものだ、、、唐揚げしかり、フライドポテトしかり、おかきしかり。この流れで、枝豆への塩も必然的にオーバー気味になっているはず。ただ、デモ場所は酒場ではない。プラス、試食される方は幅広い年齢層に及んでいる。お年寄りもいれば小さなお子様もおり、妊婦さんや特定の食品が食べられない人もいる。つまり、枝豆を「酒のつまみ」ととらえない人も食べにくるのが実際のところで、このような人にも一口で「美味しい。もっと食べたい」と思わせないと、売上は上がらない。そうなのよ。これだから、難しいのよ、枝豆の宣伝販売の塩加減は。今回は、一般的なスーパーやコンビニで市販されている冷凍枝豆数社の塩分をネット検索をかけて調べ、その中間の数値、0.8%をとった(ほとんどのメーカーの塩分は0.7〜0.9%)。枝豆は1さや5g。としたら、80さやで400g。0.8%の塩分は3.2g。結果は、大好評。就学前の子どもにまで「美味しい。美味しい」と笑顔を見せられ、大満足した。なお、スーパーの惣菜コーナーに置かれている枝豆は、少なくとも居酒屋やビアガーデンの枝豆に慣れた者にとってはパンチがないと感じるのではないか。もっとも、基本的にはそれでかまわないんだけれどね、食べてみて「塩が薄い」と思ったら自分で塩を足したらよいのだから。写真は、枝豆(Wikipedia)。
2025.08.15
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先週土曜日の現場は、兵庫県姫路市。京都から遠いのは遠いが、JR(新快速)一本で行けるため、電車とバスを乗り継がなくては着かない、例えば先々週日曜日の現場、大阪府箕面市森町地域に行くのよりは楽だよ。さて、誤配ネタを続けよう。我が家が23年前に京都に越してきてから、我が家とは違う宛名の郵便物が届いたことが3度ある。うち、1通はDMハガキだったが残り2通はそれぞれ年金事務所と税務署からの封書だったので、こちら2つのぶんは最寄りの郵便局に「誤って届いていましたよ」と持っていった。つまり、こと郵便に関する限り、誤配率は限りなく低い。いや、ほぼないと断言してもよいだろう。それでも、配達は人がやることだから、本当に本当にたまにはあるんだな。メール便や宅配はどうだろう?これまた我が家の体験でら、確率は郵便なみに低いが、誤配がないことはなかった。なお、登録派遣会社の1つは、スマホを持っている人には、日報も経費精算もWeb報告を認めている(レシートは写真で添付)。まあ、ここは業務指示書からしてWebでのファイルで、ぶっちゃけ、主に切手代やファクス代の節減が目的ながら、郵便事故への配慮もされているだろう。ペーパーレスが進行しているおりではあり、将来的には、ほとんどの派遣会社でこうなっていくのではないかな。
2025.08.05
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小売店などに来られたお客様の標準的な買い物ルート、すなわち動線から大きく外れた場所に加えてレジ横という、デモンストレーションにはまことに不利な立地で業務を遂行せざるをえなかった7月20日。それでも、自分なりにベストを尽くして仕事をしていたら「頑張っているな」と、応援のつもりで商品をお買い上げ下さった方々がいたおかげで、何とか業務報告書に売上数字が書ける状態となった。ところが、何たることよ!その報告書が届いていないと、仕事を割り振りする派遣会社から連絡があった、、、あれは連休明けの7月22日に確かにポストに入れたのに。一般に私たちデモンストレーターは、デモンストレーションの結果(試食試飲数や売上数の他、お客様の反応やいただいた商品へのご意見)を記した「日報」、そしてデモンストレーションを完遂させるに要した費用(現場までの交通費、試食品または試飲品を作成するために使った材料費、さらに電話代などの雑費)を計上した「経費精算書」の2種類の報告書が派遣会社に届いてはじめて、ギャラを受け取る資格を得る。ということは、報告書未着は収入にストレートに関係してくるということだ。私は、派遣会社に報告書を郵送する時は、日報も経費精算書も経費精算書に貼ったレシートもすべて、必ず写メールで控えをとっておくようにしている。報告書ばかりではない。ポストに投函した際、ポスト番号と投函時間がわかるよう、ポストの写真も撮っておく。今回のようなイレギュラー事態が発生した場合に備えてのことだ。郵便配達は人間がおこなうもの。となれば、確率は非常に少なくても、間違い=誤配があることは想定できる。誤配された家の住人が、はて、それをどうするか。「うちとは関係ない」と捨てたり、長らく留守をしていたりしたら???そんな場合でも、控えがあれば「証明」となりうる。例え、紙ではなく写真だったとしてもね。それはそれとして、どうしてこんなことがおこるのかしらと、まずは集配を管轄するN郵便局に電話をかけ(これが有料!)、投函したポストの番号とポストを写した写真に付記されていた投函時間を告げ、コレコレシカジカと説明する。N郵便局側は、報告書を受け取るはずの派遣会社がある区域の管轄郵便局、K郵便局に尋ねて下さいと言う(こちらも有料!)。K郵便局にも同じ内容を説明。すると「N郵便局に事故証明書を申請して下さい。無料で、責任を持って調べさせていただきます」。ただし、これは郵便物の流れを調べるだけ。普通郵便という性質上、中に入っている書類が金銭にともなうものであっても、それによって発生する損害を保証するものではないとのことだ。ま、そりゃ、そうだわな。本当に大切なものなら書留で出すのが、本来のスジだからね。ともあれ、デモンストレーターの皆さん、報告書は絶対に控えをとっておきましょう!写真は、花の蜜を吸うアゲハ蝶。夏の盛りならではの光景だね。
2025.08.01
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7月20日は、奈良県生駒市にある某スーパーで、飲料品のデモ。暑い盛りだし、自販機にもよく入っているほど知名度も高い商品なので、「(販売は)楽勝だろう」と、ルンルン気分で入店したところが、そうは問屋がおろさないのが、世の中。デモ実施場所が、何と「島」と業界用語では呼ばれる場所(店内の一般的な買い物ルートからは外れたところに商品を積んで作る売場)で、しかもレジ横だったのだ。このような場所は、既に買い物を終えて会計を済ませた人が通るケースが非常に高い。つまり、お客様にとっては帰り道で、宣伝だけならともかく販売も兼ねるとなると、こちらにすればまことにデモンストレーションしにくい場所。ここで、「フン。こんな場所で売れるかいな。(デモを)やってもしゃーないワ」と、クサッてしまってはいけない(そうしたい気持ちはわかるけれどね)。こちらが販売を諦めてしまった瞬間、商品は本当に売れなくなるからだ。これは場所の問題に限ったことではなく、例えば、デモ実施店舗のメイン客層にすれば「高価過ぎる」商品を担当したケースにもあてはまる。いずれのケースにせよ、いちばん大切なのは、「ここでこれをやるしかないのだ」という、この心がまえと姿勢。開き直るのではなく、腹をくくるわけね。不利な条件の中、自分なりにベストを尽くしていると、共感して応援してくれる人が、必ず現れる。それは、お客さんだったり、店の従業員さんだったり、そこに働きに来ている外部の人(警備や清掃、テナントとして入っているショップや事務所で働く人)だったり。そうこうしているうち、相応に結果がついてくる。「共感と応援」の積み重ねで。まあ、でも、このことは、販売や営業以外の、人生全般のことにも言えるのではないかな。とにかく、クサッてはダメ!コツコツと、ネバー・ギブ・アップ!写真は、仕事を終えた後、当日の現場であった店舗の裏庭で撮ったもの。やるべきことを一生懸命にやった者の眼に入る緑は、かくも優しい輝きをたたえている。
2025.07.30
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3日連続勤務が終わった。昨日にゆっくり休憩し(朝風呂に入り、出たあとは酎ハイといっしょに好きなものを食べてゴロゴロ。至上のときだ)、今日もアトピー対策のための塩浴を兼ねて朝風呂。やっと連勤の疲れが取れた。それにしても、最終日の焼き芋のデモは特にキツかったね。1時間にバスが2本しか通らない交通不便な地にある店が現場だったことに加え、試食メニューが作るには手間も時間もかかる内容。昼休憩を取るために従業員食堂に向かっている途中、動悸と同時に眩暈を感じ、危うく登っていた階段を落ちそうになった。まあ、どこのどなたがあんなメニューを考えついたんですかね。生クリームを泡立て、マッシャーで潰して半ペースト状にした焼き芋と一緒にパンにはさんでサンドイッチにする。それを冷蔵庫で30分以上は寝かせて冷やし、9等分して試食に出す。味は決して悪くなく、むしろ、子どもの他に甘党の方に大人気だったけれど、作るのに時間がかかり過ぎるわ。宣伝販売の性質上、なるべく多くのお客さんと直に接することは必須だから、こんな試食メニューはいただけない。店側だって、デモンストレーターには肝心のデモ場所にこそ1分でも長く立って欲しいはずだ。プラス、笑えるじゃないの。泡立て器まで100円ショップで買え、なんて。100円ショップで売っている泡立て器はやはり100円のもの。あんなに羽(鉄線)が少なくては、なかなか泡立たない。ともあれ、終わった。帰りのバスを待っている間におしゃべりした他社の同業者に今回の仕事のことをかいつまんで話し、愚痴ったら、「ややこしいもん作らんかて、焼き芋はそのままを切って出したんが1番エエんや。(お客さんに)ストレートに味をわかってもらえる」と、私が心で感じたことをそのまま言ってくれた。そうなんである。焼き芋に限らず、シンプル・イズ・ベスト。
2025.07.23
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今日から3日連勤。八幡(京都府)〜生駒(奈良)〜木津(京都府と奈良県の境目の位置)をまわる。8月も同じような感じ。ぶっちゃけ、この3月以降、私の医療費関連代がかさんだのだが、お宝の老後資金(案件一件のギャラごとに一定率をコツコツと積み立てたもの。やがて仕事が出来なくなり身体が動かなくなった時に備えた「最後の砦」である)に手をつけないためにも、ここしばらくは仕事日数を増やして稼ぐ必要がある。もっとも、昨年の統計によれば、70歳から74歳までの年齢層で働いている人は、33%にのぼるんだそうな。実に3人に1人!働く理由は人さまざまながら、本音の部分では、ほとんどは「生活費」ではないかな。つまり、年金だけでは足りないのでその足りない分の補充というわけ。今や、「孫へのプレゼント」や「たまの旅行」などの「余暇」のためではなく、オマンマをはじめとする「生存」のために古希を過ぎても働く時代となってしまったのだ!何なんだろうね、この現象?ただ、われわれ働くシニアが増えたことで、諸般の理由により働くことが出来ない高齢貧困者が生活保護の申請に役所に行った時、担当者に「まだ70歳なんだし、何か仕事をしたらどうですか? 今の世、高齢の方も頑張って働いている方、多いですよ」と言われると聞くと、胸が痛む。
2025.07.20
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我が旦那が、「酒が入るとお前はその話をする」と、笑っている逸話。高校時代。私は、自宅から30分ほどペダルを踏んでやっと着くバス停留所から、バスで学校に通っていた(何せ、当時はスーパー1つなかった岡山の農村なんで)。その途中に、父親のいとこだと言う、小うるさいバ◯アが住む家があった。正直、彼女には私、高校に行き出す前にほんの1、2度会った程度。うるさいと言うことは母から聞いていて、いろいろな指示も受けていたので、会うごとにその通りにしていたが、ある時、挨拶をしなかった。その日は、苦手な数学のテストがあり、そのことで頭が一杯だったのだ。そしたらですね、その日のうちに、そのバ◯ア、村中に「まっちゃんが、私に挨拶せんかった」と広め、母の勤務先にまで、これこれしかじかと電話をしてきていたのですよ。私は、母から厳しく叱責される中、かねがね抱いていた思いを新たにした。「こんなところからは出て行こう」と。父親のいとこという薄い関係であり、かつ私はほとんど会ったことのないバ◯さんに、ただ一度挨拶しなかったことでこんなにまで責められる社会なんて!これ、我が夫も含めて都会育ちの人は笑うんだけれど、真実なんですよ! 繰り返すが、父親のいとこなんて極めてこちらにしたら他人同然の親戚関係の人まで、田舎では関わり合ってくるんですよ!我が故郷。自然環境は大好きなのに、、、出て行きたかったのは、人間関係。特に、女性には厳しいものがあり、それは未だ変わっていないみたい。なぜ地方から女性が都会に流出するか、地方自治体も、この選挙の際、考えたらよいと思う。
2025.07.17
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昨日に書いた記事に連動して。メーカー側が提案するレシピは、メーカー所属の栄養士、あるいは顧問という形での外部の栄養士や料理研究家に作成してもらうことが多いのだが、あの数々のレシピ、楽曲のダウンロード数をカウントする要領で、一度人気投票をしたらどうかしら? で、いつもいつも下位になるレシピしか考案できない先生には、メーカーの経費節減の意味合いからも(引退を)ご協力いただいて。確かに「先生」と呼ばれるからには素人では考えつかないレシピを提供する「重積」があるだろうけれど、そのレシピを発信する先は、はて、どんな層ですかねえ?ここいらのこと、現在の政治社会と一脈通じるものがあるよね。もう少し追求しよう。
2025.07.17
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皆さんにお尋ねしたい。「スーパーなどにパンフレットやリーフレットの形で置いてある、メーカー作成の料理集。あの中に掲載されているメニューを実際に作ったこと、ありますか? あるとしたら、どれくらいの頻度で?」と言うのは、時おり、「味は良いし、栄養的にも問題ないのだけれど、少なくとも家庭料理には不向き」と感じられるメニューがあるからだ。つまり、手間も時間も費用もかかるタイプのもの。もう15年以上も前の話だから打ち明けてもかまわないだろう。ある時、某オイルメーカーのごま油を試食販売することになった。試食メニューは中華風そうめん。豚肉と茄子その他の夏野菜数種をごま油でいためて中華だしと醤油で味付けして冷やす。それをそうめんの上に具材として載せ、普通にめんつゆで食べてもらう。ぶっちゃけ。味はなかなか。ただ、多くの材料を使い、また出来上がった具材をキュッと冷やさないと美味しくないこともあり、食べられる状態になるまでかなりの時間と労力を費やす。まして、試食が売上に結びつくデモンストレーションメニューには、ぜんぜんふさわしくない。その前にですね、豚肉だの茄子だの、かくもあれやこれやの味が混ぜ合わったら、かすんでしまうんですよ、せっかくのメーカーご自慢のごま油の風味が。デモの様子を見るため、店舗にやってきたメーカー営業に、私は尋ねた。「こんなゴッチャラゴッチャラしたややこしいの作らんかて、そうめんなら普通のやつをごま油を一滴垂らしたつゆにつけて食べてもろうた方が、よほど(ごま油の)美味しさがわかるんとちゃいますの?」営業は答えた。「はあ。僕もそう思いますが、これは企画部と販売促進部と顧問の栄養士が共同で決めたことですので、、、。うちが店頭に置いている料理パンフレットにもレシピが紹介されていますし」。「そうなんですか。じゃ、仕方がないですね。もっとも、この中華風そうめん。果たして一般の主婦が作ってみたいと思うかなあ?」ズレているんだよね。どこかズレている。同時に、消費者が作ってみたいメニューを提案できない栄養士なんて、顧問料を払ってまで雇う価値があるのかしら?写真は、1番下の孫。
2025.07.16
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大腸検査及びポリープ除去。5日経って、ようやく身体具合は元に戻った。45年前に同じ検査を受けた時からもちろん医学は進歩しているので、診察法も処置の仕方も当時とは違い、特に苦痛があったわけではないのだが、やはり体内に器具を入れられてゴソゴソされた挙句にパキパキと切られるのは、正直、決して気持ちのいいものではない。加えて、術後の2日間は食事のたびにトイレに行きたくなり、それがまた通常の便ではなかったことにより、「もしかして検査用の下剤がまだ腸内に残っているのではないか?」と、あらぬ疑惑を持ったほどだった。あくまで素人判断ではあるけれど、きっと腸がビックリして、ある種の拒絶反応をおこしたんだろうね、、、空っぽの状態になったところへ突如ノミモノやタベモノなる「異物」が入ってきて、思わず「え? 何やねん、これ? けったくそ悪いから、はよ出ていってや」と外に追い出し、それが何度か続いたのだろう。幸い、処置後3日目にして、いつも通りの排便状態に戻った。実に快適。あらためて感じたね、人間にとっての「快食・快眠・快便」の大切さ。極めて動物的な感覚ながら、いや、それだからこそ、ニンゲンをも含めたイキモノの幸福度を左右する。残念ながら、この感覚を味わうことが難しくなりつつある現実が、21世紀も4分の1過ぎた現在、ある。写真は、3人の孫たち。
2025.07.15
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(注)7月12日に書いた記事。(注)トカゲの写真を載せています。苦手な方は写真をスルーして下さい。今日から連勤。まずは草津(滋賀県南部)に行く。木曜日の大腸検査&ポリープ除去手術後のダメージ(終了後は香り高いコーヒーを飲むことを楽しみにしていたんだが、実際にその時になってみると、コーヒーどころじゃなかった。身体に器具を入れられて患部を切っていく感触はそれなりの違和感。いや、痛みは大したことはないんだけれど)もまあ回復したし、ベストを尽くしてこよう。写真は、京都市内は今出川通りで見かけたトカゲ君(嬢)。喧騒の都会の中でも、こうして頑張って生きている小動物がいるんだなあと思うと、それだけで元気が出てくる。
2025.07.15
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この3月上旬に、恐らくは代替肉(肉の代わりとして大豆や野菜エキスなどの植物性原材料を使って作った食品)を食したことが原因で胃けいれんをおこして以来、我が身体にはケチがつきまくり。今日もある内臓検査を受ける。おまけに、両手指の第一関節に痛みを伴うしこり(結節)まで出来てしまって。進行性のものだけれど、その進行はいずれ止まるらしいので、もしかしたらこれは私が思春期に患った脊髄側湾症のお指版?脊髄側湾症は、大学病院まで行って診察を受けたが、「今すぐ手術の必要はない。このまましばらく様子を見よう」との診断結果。そうこうしているうちに、背骨が曲がったままで湾曲が止まって固定し、現在にいたる。指もそうなる可能性が高い。まあ、日常の生活や仕事には差し障りがないし(肩凝りにも似ただるさとか、肩のズレからくる特有のエプロン姿を指摘されたりはするものの)、ぶっちゃけ見た目を気にする年齢でもないので、今のところ必要以上に深刻にとらえないようにしている。それでも、ものがつかめなくなるほど指が曲がってしまうことがないとも限らないからなー。ただ、嬉しい出来事もあった。4ヶ月ぶりに、またブラックコーヒーが飲めるようになったのだ。つい数日前に仕事で訪れた京都府内の百貨店に出店しているパン屋で、昼食にサンドイッチを注文した時、なぜかコーヒーをブラックで飲みたくなり、つけてもらった。いいねえ、、、。やっぱりコーヒーはブラックだ。香りからして違う。気持ちがリッチになる。上を向く。明日の内臓検査が終わったら、コーヒー専門店で好みのテイストのコーヒーを買って帰り、クーラーが効いた部屋でゆっくりと飲むとしよう。写真は、コーヒー(Wikipedia).
2025.07.10
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滋賀県の近江鉄道沿線沿いにあるまち、豊郷を、19年前に仕事で訪れたことは述べた。私の記憶が正しければ、その時の店舗はユ◯ストア(現在のド△キホーテ)。今回同様、駅と店の間にはかなりの距離があり、17分か18分歩いたと記憶しているが、これまた今回同様、「行き」には全く人に会わなかった。初めて来た地なのに1度も迷わず店に着けたのは、当時の豊郷駅が有人駅だったことによる。すなわち、駅員が現在のスマホのナビゲーターアプリの役割を果たしてくれたのだ。歩いていて人に会わないということは、単純にそこの人口が少ないことを示している。さらに高齢化をも。こんなところで暮らすには、当たり前ながら自家用車必須。ところが悲しいかな、運転が出来ない人もいるし、出来ても年をとると難しくなってくる。公共機関たるバスがあっても、人口密度ぶんだけの本数しか走らず、運行経路から外れる地域も出てくる。となると、あとはタクシーしかなく、事実、地方のタクシー会社の中には、時刻やルートを固定化した、バスの小型版ともとれるタクシーを走らせているところもある。豊郷を含む地帯もその1つだ。ははーん。わかったよ、4日に豊郷駅からの予約を打診したタクシー会社の「午前8時から10時まではすごく混むので、予約時間通りに行けるとは限らない」との、事実上の断り文句の真意が。このおおもとに、観光者優先やら運転手不足やらの諸々の事情が加わった結果が、「過疎地ほどタクシーを呼んでも来てくれない」理由だろう。過疎地問題は一段と深刻になっており、その一端が、タクシー状況に反映されている。写真は、実は過疎地の我が故郷を走る、バス代行タクシー。採算の問題から民間バスはとうに撤退し、その後まちが循環バスを走らせたものの数年後に同じ理由でやっていけなくなり、結局は地元のタクシー会社の大いなるボランティア精神に甘え、このタクシーが走ってくれている。豊郷方面も、きっとそうなのだろう。
2025.07.09
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仮に、2日働いたら2日休み、3日働いたら3日休む。労働日と同じぶんだけ休憩しないと身体がもたなくなったのは、いつ頃からだろう。この土日は、土曜日はドレッシング、日曜日はレトルトカレーのデモ。どちらも現場も京都府内にあり、したがって比較的に近場だったのは幸い。ただ、ある点で、両日の疲労度は明確にわかれた。共に、来店数の割に試食人数は少ない部類に入る店(試食をすすめて飛びついてくるのは子どもくらい。大人はほとんど断る)。特に日曜日の店は百貨店で、百貨店での一般的なデモ傾向同様、ここも試食が本当に出なかったんだよなあ、、、。こんな場合、泣きたくなる。売上云々の前に、せっかく作った試食の大半を捨てないといけないからだ(冷めたカレーライスなんぞ美味しくない)。いや、試食が出ないのは、繰り返しになるが、前日の土曜日に仕事をした店でも同じ(メイン客層が店近辺に住む高齢者か家族=顔なじみということもあって、試食に気恥ずかしさがあるのだろう)。それでも、試食メニューがサラダだったもんね。つまり、試食が思うように出なくて、そのうち冷めてしまっても、一向に困らないメニューだからよかった。ところで、日曜日にデモを実施した百貨店の少し離れたところ(車で10分ほど。一直線に走る)に、全国的に名前が知られる大型スーパーがある。このスーパー。食品のデモをすると、試食や試飲を求めて、時に行列が出来る。何せ、デモ商品が塩辛であろうとキムチであろうと、老若男女を問わず、バンバン食べるお客さんが多いのだ。もっとも、商品購入数と試食人数は必ずしも一致しない、、、この店の場合。まあ、これはこれで大変ではある。同じ地域内ではあっても、店によって、デモンストレーションの状況は大きく変わってくる。写真はレトルトカレー(Wikipedia)。ボンカレーのデモも、電子レンジ対応タイプを、1度だけだが、メーカー営業と一緒にやらせてもらったかな。
2025.07.08
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これは、昨年、娘が我が還暦祝いにプレゼントしてくれた、琵琶湖クルーズでの写真。「お父さん、お母さん、ささやかながら楽しんで来てねー」のメッセージが込められている。まあ、共に自己主張が強い者通しが、よくぞこの年まで添い遂げることが出来たもんである。割れ鍋に綴じ蓋。つまりは、こういうことなのだろう。
2025.07.08
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