全13件 (13件中 1-13件目)
1
買い物帰りの駐車場から空を見上げた。夕焼け・・・きれい。
2012年01月24日
コメント(8)
夕方、スタバの前で親友と待ち合わせ。34年も会ってなかったのに、一目で分かった。手を握って「懐かしいぃ~ねぇ」とお互いに言い合った。6時からの会だったので30分前に会って確認しとこうね、などと笑っていたが直ぐにわかったことが嬉しかった。「面影あるわぁ」「変わってないよぉ」「あれから34年ってこと?」「体型は言いっこなしね」まぁ出るわ出るわ、会場のホテルに着くまで徒歩で5分ほどだったがお喋りは尽きることなく・・・到着。ロビーではそれらしき女性たちが人だかりになっている。ふと、聞き覚えのある声で当時のニックネームを呼ばれた気がした。声のしたほうを見ると、会いたかったクラスメートたちだった。胸の中が熱くなっていく。「わぁ元気だった?」「このとおり、元気よ」「なつかしいねぇ」「同窓会を企画してくれた幹事さんたちは何処?お礼言わなきゃ!」そんなことを言いながら受付をする。卒業アルバムの写真がシールになっていて旧姓のままの名札に貼り付けられていた。ニックネームが書かれていて一目で分かるようになっていた。高校生の頃に戻った私たちは、時間の経つのも忘れ盛り上がることになる。当時の校長先生は90歳を越えられていたが、乾杯の音頭と挨拶では途中でお話を記憶の彼方に忘れてこられたようで暫し時が止まった。それも私たちには楽しい時間だった。みんな笑顔だった。担任だった先生も素敵に年を重ねられていた。姿勢が綺麗で厳しかった先生の声に、あの頃の緊張感がよみがえり私たちはみんな背筋を伸ばし思わず笑った。二年間を寮生活で過ごした私は寮時代の同級生との再会も懐かしいものがあった。朝から晩まで暮らしを共にする寮での暮らしは家族いや姉妹のような関係だったのだ。集合写真を撮る際はみんな笑顔だった。二次会はギター演奏を当時の人気者だった先生が弾いてくださるとのことだった。私は何人かの友人と別の二次会へ向かった。そこでは笑顔の裏の悲しい話や苦労など色んなことが聞けたのだった。ホテルの部屋に帰り、懐かしい友との時間を振り返る。幹事の方々のご苦労や打ち合わせで費やした時間を思うと頭が下がる。名簿を頼りに連絡をとってもなかなか所在がつかめない同級生も居たはずだ。根気よく連絡を取ったり、友達の友達を通して所在確認をしてくださったことだろう。感謝しても、し足りないほどである。また次回も企画します!との強い言葉を心強く思いながら34年ぶりの同窓会が終わった。
2012年01月21日
コメント(6)
今日はまつげエクステしてから顔剃りして、夜はお風呂でパックして・・・。明日の同窓会を前に、ちょっぴりお洒落に目覚めてみた。何を着ていこうかと悩んだが、年相応+少し冒険(笑)な感じにすることにした。明日はホテルを予約しているので二次会、三次会までは準備万端♪「思いっきり楽しんで来い」主人の一言が胸に沁みる。幸せだ、私・・・。
2012年01月20日
コメント(8)
友人の事務所で1週間に1度の割合でバイトがてら伝票の整理などを手伝っている。これが結構、居心地が良くて勉強になるし、今まで知らなかった世界を見させてもらっているので本当に楽しい。日給制で1日4500円。10時から4時までという好条件で帰りには安いスーパーで買い物も出来る。忙しくなれば、週に2~3日になることもある。それも嬉しい。誰かの役に立てる幸せを毎回噛み締めている。
2012年01月17日
コメント(4)
来週の今日は34年ぶりの高校の同窓会♪女子高だったせいか期待感が半端なく広がってくる。親友のRやMはどんな風になっているだろう?先生がたはお元気だろうか?はやる気持ちを抑えながら同級生に連絡を取る。「34年の月日は残酷よね。でも、気持ちは今もあの時のままよ」どんなに外見が変わっても話せば直ぐに打ち解けるはず。34年前に戻れるのだろう。楽しみでもアリ、ちょっぴり切ないような・・・。思いっきり楽しんで懐かしんでこようと思っている。
2012年01月14日
コメント(2)
今日は息子の誕生日。明日、主人は松山で1日缶詰めの講習会があるため、今夜は松山へ宿泊して息子と夕飯でもと考えていた。夕方、電話を入れる。市内まで出てこないかと主人が誘うと「いいよ、電車で行くよ」と返事は軽かった。トンカツなど揚げ物専門店でささやかなお祝いをする。アルコールはノー。その後、高島屋の中を歩く。息子のファッションの好みを少し把握しておこうかと思ったが、就活スーツの話に切り替えられ彼なりにこれからを考えていることを知ることとなる。息子の携帯が鳴る。フロアの隅に小走りで行き数分して戻ってきた。「悪い、用事ができた。友達が祝ってくれるんだって。今から俺んちに来るっていうから帰るよ」「よかったね。じゃ、またね」「あぁ、ご馳走さんでしたぁ」そそくさと帰っていった。実は主人と話していた。誕生日に親と一緒に夕飯を食べてるようじゃ心配だぞ・・・と。友人との時間は少し遅めだったようで、後日談によると夜中というか夜明けまで楽しんだそうである。「俺たちも子離れしないとなぁ」主人の一言は重かった。誕生日おめでとう。
2012年01月12日
コメント(6)
お客さまのお宅でいただいた椿、一輪挿しで花が開いた。春もそう遠くない気がしてきた。
2012年01月10日
コメント(4)
今日の満月は夕方とても綺麗なオレンジ色をしていた。今は輝くような銀色に見える。近くを飛ぶ飛行機の灯りは、月の明るさに完全に負けていた。この時期は空気がピンと張りつめているのでとても綺麗に月が見える。みんな、見ているのだろうな。この月を・・・。月は公平にみんなに力を与えてくれるはず。
2012年01月09日
コメント(4)
花月につぼみがついた。きっと良いことが起きるはず。
2012年01月08日
コメント(2)
新年の誓いを立ててから一週間が経った。環境にさほど変化はないと思うのだが、確かに変わっていることがある。自分自身が驚くほどおとなしく穏やかに毎日を過ごしているのだ。主人に対しての言葉遣いに敬語を遣うようになったことで「イラッ」となることが未だ無い。もちろん、夫婦の会話は普段どおりなのだが、それでも敬語を増やすように気をつけることで相手に尊敬の気持ちが生まれる。今までは年上だという思いが何処かにあったのだろう、何でも知っていることは主人より先に話していた気がする。息子は「どうせ1週間ももたないだろうけど、まぁ頑張ってみたらどうだ?」と半信半疑である。それが、私自身、なぜかとても気持ちがいい、肩肘張らずにラクに生活できている。いつの間にか忘れていた女性らしい言葉遣いがよみがえってきたことが何より嬉しい。あぁ私、女だったんだ。いいこと見つけて得した気分になっている。今年の私は何か違ってきた。
2012年01月07日
コメント(12)
実母の妹である東京の叔母はいつも私に優しい。子どもの頃から叔母に憧れていた。美人で優しい女性と言うのは珍しい。しかも叔母は底抜けに明るいからだれとでも友だちになれる。彼女も姉である私の母からいじめられていた女性だった。それが分かったのは4年前。電話で話しながらお互いに自然に母の人となりを話しながら、今まで感じていたことを吐露したことが始まりだった。叔母は私が幼いときから優しく接してくれた。押し花のしおりを作って「いっぱい本を読んでね」と言ってくれた。クリスマスカードや芋羊羹を「これは今年頑張ってきた貴女にプレゼントよ」と送ってくれた。その叔母から今年は年賀状が届かなかった。年末から何故か胸騒ぎがしていた。さっき、叔母から電話があった。「ごめんね、・・・今朝、お父さんが(叔母のご主人)亡くなったの」「・・・」声が出なかった。涙声だったが叔母が一生懸命に話しているのが分かって胸の動悸が激しくなった。11月半ばから入院していたらしい。癌だった。毎日、病院に通いご主人の看病をしていた。年が明けて今朝、眠るように召されたとのことだった。家族に看取られてご主人は召された。叔母は泣きながら「花の未亡人よ。一人だから四国にも行けるよ」と言った。胸がつぶれるかと思った。暫くは忙しくなるから落ち着いたら又、連絡するといって電話を切った。叔母の子どもは二人、とてもしっかりされているので立ち入ったことは控えたい。「私は貴女を娘だと思っているからね、何でも相談していいのよ。あまえていいんだからね」いつもそう言ってくれる叔母である。今年は叔母に会いに行こう。叔母のご主人のご冥福を祈ってやまない。
2012年01月05日
コメント(6)
昨日から箱根駅伝に釘付けである。毎年必ずこの中継を見ながら力をもらっている。そして感動、涙。応援する声がどんどん大きくなる。ひたむきにただ、ひたすらに走る彼らの姿を見ているだけで感動する。あの「たすき」、汗の染みた襷。最高だ。
2012年01月03日
コメント(8)
あけましておめでとうございます。2012年が明けました。私、今年は必ず良い年になると信じて歩んでいこうと思います。そして良い言葉を努めて使うように発するようにしようと思います。後ろ向きの考えは極力捨てて、前向きに笑顔を心がけようと思います。そして自分をもっと好きになろうと思います。挑戦できることは何でもやってみようとも思います。こんな私ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。皆さんのご多幸を祈念して年頭の挨拶とさせていただきます。
2012年01月01日
コメント(14)
全13件 (13件中 1-13件目)
1