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麻生太郎氏の発言がまた、話題になってますね。麻生さん、自分達の政権の外務大臣なのに、上川外務大臣のことを、何度も「カミムラ」と発言し、「たいしたもんだぜ」「俺達から見てもこのおばさん、やるねえと」「新しいスターがそこそこ育ちつつある」などと、その手腕を評価しながら、「少なくともそんなに美しい方とは言わんけど、英語ももちろんきちっと話をし、外交官の手を借りなくても自分で会うべき人の予約を取っちゃう」と容姿についても触れたのだそうで。 この発言が、メディアの絶好の餌食となっている。「おばさん」と言った「そんなに美しい方とは言わんけど」と容姿について触れた「ルッキズムそのものだ」「日本の恥だ」「侮辱だ」等々と。 確かにわざわざ「そんなに美しい方とは言わんけど」と断る必要はなく、余計な発言と言えば、その通りなんでしょうけど、麻生氏としては、笑いを取ろうとしただけのことでしょう。成功してないけど・・。でも少なくとも「ルッキズム」の発言ではないし「女性蔑視」とも思えない。 むしろ「美人過ぎる」だの「美人妻」だの、「歳を取ってもおきれいな」だのと、チャラチャラ女性の容姿に触れる人の方が、私は、不愉快に感じますね。その奥には、他の「さほど美しくない」女性に対する蔑視がある・・。 上川氏だって、「おきれいな外務大臣」なんぞと言われるより、「このおばさん、やるねぇ」と言われる方が嬉しいのではないか。政治家として、70歳の女性として、当然、外見よりも人間としての中身、力量を評価されたいはず。今更、美人だなどと持ち上げられたいとは、これっぽっちも思わないだろうし、「おばさん、結構 だっておばさんですもの」と悠然としているのでは その上川氏は、記者会見でこの件について質問され、「2000年に初当選して以降、信念に基づいて政治家としての職責を果たそうと活動してきた。今回、約20年ぶりの女性の外務大臣に任命され、日本の将来、将来を担う若い世代のみなさんのための取り組みについては、全身全霊を込めて専念している」と、まず自身の歩みに触れ、 その上で「さまざまなご意見やお声があることは承知しているが、どのような声もありがたく受け止めております」と答えたそうです。 実に優等生答弁 合格答弁なんでしょうが、面白くない。ここで「まあ、美人だったことはないですし、確かにおばさんですから」とでも返して、ニンマリ微笑んだら、総理のイスは、一気に近づいたのではないですかね。ちょっと、残念。
2024.01.30
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ダウンタウンの松本人志氏の、「性加害疑惑」が文春の記事になって、ワイドショーも、ネットでも、大騒ぎだ。 ご当人は「事実無根でーす」とXで発表したまま、引っ込んでしまっているようですね。(60にもなる社会的地位ある男が「でーす」ってなによと呆れるが) 犯罪になる性加害があったのか、女性とどういうやりとりがあったのか、その辺は興味もないし分からないけれど、巷に漏れ溢れている記事やコメントを見る限り、少なくとも、周囲の取り巻きと一緒になって、フツーの女の子達を呼び込んで、飲んだり食べたり、あわよくば性的関係まで期待したり・・は事実のようですし、それを「遊び」と捉え、これだけ有名で力ある芸能人なのだから、こういう「女遊び」をやっても、当然じゃね・・と当人も芸人仲間も、吉本ですら、思い込んでいた、ということなのでしょう。 松本氏が今後どうなろうと、私の関心外ですが、どうにも気になるのが、この「女遊び」「女の子の上納」という言葉が、恥の意識なくまかり通っていること。いまだに芸能界や芸人世界や吉本では、そういうことを「権力ある男なら、許される」と信じている、ってことでしょうか。 ジェンダーに厳しい方々は、つまんない言葉狩りをしている暇があったら、もっとここで怒って発言すべきですよ。 人間だから、清廉潔白でなくてもいいと思うんです。人を好きになってしまえば、不倫だってする。カノジョが欲しいから、ナンパだってする。意気投合して、あるいはしなくても酔った勢いで、エッチしちゃうことだって、あるでしょうし、高級娼婦を買ってみたい、と思う気持ちも分からなくもない。 だけど、今回の松本氏を中心としたこの「女遊び」は、男と女の、因果とか業とは別の、女性を見下し物扱いしている、いや~な臭いがフンプンとしてますよね。下品、その一言。 でも、世の中の空気を見ていると、「犯罪ではないのなら」と松本氏の才能・カリスマ性を信じ、「復活して欲しい」人達は大勢いるようで。 改めて思うわけですが、女性の「性」を、人格の一部としてではなく、男の「性的欲求のはけ口」ぐらいにしか意識していない、社会の認識みたいなものが、いまだにモヤモヤと存在している、ってことなんでしょうね。 女の道はまだまだ険しだなぁ・・と。
2024.01.22
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大地震に飛行機事故と、悲惨な幕開けとなった2024年ですが、それでも松の内は静かに明け、門松も片付けて明日から通常生活再開です。 年を取り、年々、少なくなっていく年賀状ですが、今年、特に目立ったのが「賀状終い」通知が多かったこと。「賀状終い」のフォーマットがあるのでしょうね、同じ図柄の同じような文面が、何枚もあったりする。 高齢になって、もう年賀状は書けませんので、という方もいれば、まだまだ若いのに、「今年で止めます」という方もいる。 賀状終いの通知を受けて、その都度、迷います。じゃあ、こちら側としては、どう対応しようか、と。 あら、そうですか、とばかりピタッと出すのを止めるのも、なんだか世知辛い気がするし。 高齢故のことなら、賀状が届かなくなるのも寂しいだろうから、こちらからだけでも送り続けようか・・とも思うし。 でも、止めますというのは、「お付き合いを切りたい」ということなのかもしれない。なのに送り続けたら、迷惑だろうな、とも思うし。「長々、お付き合いをありがとう」などと書いてあったら、さすがにこれ以上、こちらから出すわけにもいかない。 日頃も頻繁に会っている人ならいいんです。お互い、無駄を無くそう(無駄とは思わないが)という意図だと納得できる。どうにも割り切れないのは、賀状のやりとりを止めたら、確実に繋がりは切れてしまう方ですね。なんらかのご縁で昔、付き合いがあって、それ以降は会うこともないわけだけれど、それでも年に一度お互いの消息を知らせ合うことで、ああ、元気にしているんだと安心し懐かしむ。 それだけのことだけれど、それはそれで貴重なことで、賀状には少なくともそういう役割はあったはず。やりとりを止めてしまえば、お互いの生死だって、もう、分からなくなってしまうわけで。 「それでいいじゃない」と言われれば、その通りなのだけれど、今の時代、パソコンとプリンターがあれば、年賀状なんて数分で出来てしまう。400枚程度なら、1日も掛かかりませんよ。それだって「面倒」であることはその通りであるし、我が家だって、いずれはお終いにせざるを得なくなるわけですが・・。止めることで失うものも、大きいような気がするのは、私だけなんだろうか。 そうやってスッキリしない気持ちを引きずりながら、「止めます」通知を受けると、「こっちはどうするか」と悶々と迷い、人によっては、数年、送り続け、そっと波が引くようにこちらも撤退する。最後に「うっかり送らないよう」、住所録から削除。・・のパターンを繰り返しています。 人生の営みの中では些細なこと、と言えばその通りだし、割り切って考えればいいだけのことだし、メールやLINEで十分じゃない、と考える理屈も分かる。それでも、なんだかなぁ・・と一抹の寂しさはありますよね。 郵便料金が大幅に値上がりするので、賀状終いは、加速するのでしょう。暑中見舞いはすでに廃れ、年賀状のやりとりもいよいよ無くしていく日本。日本人は、空いた時間をどこに向けていくつもりなのかSNSのチェック 芸能人のお自慢インスタグラム覗きいいねのクリック それも時代だ、と言われるなら、そうなんでしょうけどネ。
2024.01.08
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