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2008年05月10日
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テーマ: (541554)
今日は少し時間があるので、
4月23日の日記 でちょっと触れた恩師のことを書こうと思う。
実は、先生が亡くなられた年に、
先生への追悼の気持ちで地域の文芸誌に投稿したエッセイがあるので、それを転載する。

このエッセイを書いてから、すでに20年が経っていることに今気付き、驚いている。
そして、先生が亡くなられた年齢に着々と近づいている自分にも気付く。

「こぶしの季節に」


一人の人間が生まれ、生き、死んでゆくことは誰もが通る道程であり何の不思議もないけれど、この気の遠くなるような時の流れの中で、一人の人と出会うということは、何と不思議な偶然であろう。

こぶしの花の咲く季節に、私は一人の恩師とのお別れをしなければならなかった。
先生との最後の別れに向かう車の中で、夕暮れの林の中に白いこぶしの花が浮かぶように咲いているのを見ながら、初めてその花を知った季節から流れた年月を数えていた。
もう30年も経っていることに驚くと同時に、胸の締め付けられるような懐かしさと、先生と二度と語ることのできぬ寂しさを感じていた。

雪どけの季節が過ぎ、ぬかるみの中からその時を待っていたかのように、一斉に草花が芽生える頃であった。
私はその時、小学校二年生。
子ども達の元気一杯の声が、学校の近くの林に響いていた。
背の高い先生の周りを駆け回りながら、子ども達は競うように、足元に揺れる草花の名前を先生に問うていた。
小鳥のさえずりにふと上を見上げると、まだ殺風景な林の中に、そこだけポッと灯りがついているように、白い花が咲いている。
「先生、あれ、何の花?」
「あれかい? あれはねえ、こぶしの花だよ」
背の高い先生は、ゆったりと歌うように答えてくれた。
(あれは、こぶしという花? 大きな花だもの、先生の握りこぶしくらいあるから、こぶしって言うのかなあ・・)
ぼんやりとそんなことを思いながら、私はその白い花を見上げていた。
その情景が、なぜか私の脳裏に強く焼きついている。
特にどうということもない情景であり、子どもの心に何がそんなに印象的だったのか少し不思議な気がするのだが、それ以来、こぶしの花を見るたびに、その先生のことを思い出すようになった。

先生は音楽が得意で、アコーディオンを弾きながら色々な歌を教えてくれた。
また、詩や作文をよく書かされたものだ。
これは嫌がっている友達もいたようだが、私が書くことが好きになったのは、間違いなくこの先生のおかげだと思っている。
また、カメラをいつも持ち歩き、子ども達のスナップ写真を撮ってご自分で現像し、みんなに渡して下さった。
思えば、何枚も写真をいただいたように思うが、あれは全部先生からのプレゼントだったのだろう。

おとなしくて消極的で、友達と遊んだりすることの苦手な私の楽しみは、本を読むことであった。
一年の時の担任は、何とか友達の輪の中に私を入れようとして、私はそれが怖かったり苦痛だったりして、よく泣きべそをかいて先生を困らせたものだ。
しかし、二年で担任になったこの先生は、本ばかり読んでいるような私に、先生の持っている本を貸してくれたりしてくれた。
先生が貸してくれたのがとても嬉しくて、私は次々とむさぼるように本を読んだ。
家庭でも「本ばかり読んでいないで、外で遊びなさい」「手伝いなさい」などと言われることの多かった私にとっては、本を大いばりで読めることが嬉しかったのだろうとも思う。
その嬉しさや喜びが、少しずつ私を明るくし、クラスの友達の輪の中にも少しずつ入っていけるようになったが、今思えば、先生がさりげなく私の背中を後押ししてくださっていたのではないだろうか。

先生に担任していただいたのは2~3年生の2年間だが、担任ではなくなってからも、廊下や図書室で出会う時には、優しい笑顔で声をかけてくださったりする時、私の心の中には暖かい風がフッと入り込むような気がした。

五年生の時だったと思う。私が図書室で本を選んでいた時、先生が一冊の写真集を手渡して下さった。
「これ見てごらん。こんなことがあったんだよ。この子達は、君くらいの年だろうね」
それは、広島や長崎の原爆の記録写真であった。
先生が指差しているのは、原爆で傷ついた幼い兄弟の写真である。
額に怪我をして血を流している弟を背負った少年の、不安と怒りの混じった眼差しがそこにあった。
ほかにも、私が生まれて初めて目にするショッキングな写真が一杯で、私は息を呑んでそれらを見つめていた。
その時心の中に湧き上がってきた、言いようのない恐怖や怒りや驚きは、その後の私が戦争に繋がるものに対して素朴な嫌悪感を持つ原点になっていると思う。

数年前、まだ小学6年と4年の息子も連れた家族旅行で、広島で8月6日に開かれる平和祈念式に参加したのも、その時から持ち続けていた強い願いの現われだった。
戦争を知らずに育った私に、戦争の悲惨さと平和の大切さを教えてくれたのは、あの夕暮れの図書室で先生が手渡してくれた、一冊の写真集であったと思う。

先生と再会したのは、中学生の頃以来、20年を経ていた。
その二年ほど前に偶然に先生の住所を知り、懐かしさから手紙を書いたところ、すぐにお返事をいただいた。見覚えのある懐かしい先生の文字を見た時の嬉しさは、何と表現したらよいのかわからない。
それか何度か手紙のやりとりがあった。私からの走り書きのような手紙を、「教師としての何よりの宝物です」と書いて下さった。
「あなたは、小学校の担任だった私を覚えていてくれましたが、子どもによっては虫の好かない担任だったのかもしれません。
今までに担任した三百人の子どもの心の中に、私がどんな形で入り込んでいるのか、または消えてしまっているのか知る由もありませんが、今はここに住む人たちの心の中に何かを残したい、そんな気持ちで仕事をしています」
と、定年までの二年間を充実させたいとの思いが、どの手紙にも表れていた。
(当時の先生は、農村地域の校長であった)

そんな最後の手紙から半年ほどたって、あれほど仕事に意欲を燃やしていらっしゃった先生が、ご病気で入院中との奥様からの便りがあった。
びっくりして入院先の病院に伺ったのが、20年ぶりの、そして最後の再会であった。
先生がどんな病状なのかもわからず、何をお見舞いにしようかと迷い、幼い頃先生に色々な花の名前を教えていただいたことを思い出し、ささやかな花束を買い求めた。先生に本を貸していただいたことを懐かしみながら、ベッドで楽しんでいただけるようにと、数冊の本を手にして病院に向かった。
先生はすぐに私をわかって下さるだろうか、病気はお悪いのだろうかと胸をドキドキさせながら病室に入ると、頭に白いものは目立つけれど、あの優しいまなざしはちっとも変わらない先生の姿があった。

先生とお話したのは30分足らずであったと思う。
顔色や声の調子であまり状態の良くないことを察し、心のどこかの(これが最後になるのでは)との思いを打ち消しながら、昔の思い出話や、私の知っているクラスメートの近況などをお話した。
先生は何度も、「よく来てくれたね」とおっしゃり、本当に嬉しそうにお話をしてくださったことが、つい昨日のことのように思い出される。
その時以来、もう一度お見舞いに行かなければ、お手紙を書かなければと思いつつ、忙しさの中で時間が流れていった。

そして今年の4月、先生からの正式な退職の挨拶状が届き、そのはがきで転院されたことを知った私は、数日後久しぶりに手紙を書いた。
その手紙をポストに入れた日に、先生がこの世から旅立っていられるなんて、どうして想像できたであろう。
私の手紙を読まれることなく、こぶしの咲く季節に、先生は去っていかれた。
もう一日早く手紙を書かなかったことを、もう一度お見舞いに行かなかったことを悔いる思いで一杯であるが、きっと先生は許して下さっているだろうとも思う。
のんびり屋で、いつも一歩人より遅くて、人に迷惑をかけたり自分自身が悩んでいるのを、微笑みながら見ていて下さるような気がする。

先生ともうお会いできないのは本当に寂しいけれど、私の心の中の先生はいつでも生きて励まして下さっているし、そのまなざしを生きていらっしゃる時以上に感じている。
先生が私の担任になったのは偶然以外の何ものでもないが、この巡り会いが私の人間形成に大きく関与していることを考えると、人間の世界の不思議さを思う。
人は互いに関わり合い、影響しあい、支えあって生きている。
私もそんな人間の一人として生きてゆきたいと思う。
先生が伝えてくださった有形無形のものを大切にしながら、私なりに歩んでいくことが、先生への感謝の表現であり、先生に喜んでいただけることだと思う。
N先生、本当にありがとうございました。どうぞ安らかにお休みください。
(1988年/記)






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最終更新日  2008年05月10日 10時40分17秒
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