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「エリザベスは本の虫」スチュワート,サラ【文】スモール,デイビッド【絵】福本 友美子【訳】《出版社内容情報》 エリザベスは、ものごころついたときから本のとりこ。ままごとあそびやローラースケートなんか見向きもしないで、ひたすら本を読んで過ごします。大人になって気づいたときには、エリザベスの家の中は、どこもかしこも本だらけ。本の山は天井にとどき、ドアもふさがれてしまいます。いったい、どうしたらいいでしょう? ためらうことなくエリザベスは、なんと図書館をつくります! リズミカルな文章と繊細なタッチの水彩画で、いつの世にも変わらぬ読書の喜びをユーモラスに描いた素敵な絵本。 小学校低学年から大人まで。日本図書館協会選定図書。 これは実話です。すごい人生だなあと思います。 コールデコット賞オナーブック『リディアのガーデニング』と同じ作者二人のコンビによる本作品は、サラのリズミカルな韻文調の文章と、デイビッドの淡い色彩とやわらかな線とコミカルな味わいの絵が、みごとに息があっています。《著者等紹介》スチュワート,サラ[スチュワート,サラ][Stewart,Sarah]アメリカ、テキサス州育ち。子どもの頃、やせっぽちで、近眼で、ひどい恥かしがりやだった。家にお客さんが来ると、ぬいぐるみとお気に入りの本をもって、クロゼットに逃げ込んでいた。ほかに、図書館と祖母の庭が、安心していられる場所だった。静かなところで一人で過ごすのが好きなので、今でも、庭と図書館は、お気に入りの場所である。夫のデイビッド・スモールと組んで、魅力的なキャラクターが登場する話題作を創っているスモール,デイビッド[スモール,デイビッド][Small,David]ミシガン州デトロイト育ち。少年時代の体験の中で、芸術家としての現在を作るうえで影響があった3つ。校外学習で訪れた美術館で見た、メキシコの画家ディエゴ・リベラの力強い壁画「デトロイトの産業」。X線技師だった父が働いていた病院の、一種独特な雰囲気の中で垣間見た生と死。春休みのたびに訪れた、インディアナ州の祖母の家。日中は戸外で過ごし、夕闇が迫ると、祖父と停車場に蒸気機関車を見に行った。現在、ミシガン州のセント・ジョセフ川の近くに妻とともに住んでいる。2001年『So You Want to Be President?』(Text Judith St.George)で、コルデコット賞受賞福本友美子[フクモトユミコ]1951年、東京生まれ。慶応義塾大学文学部図書館・情報学科卒業後、調布市立図書館に勤める。1980年よりフリーで選定・批評・編集・翻訳など、子どもの本に関するさまざまな分野で活躍中。自宅の仕事部屋は本の山である※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。「本の虫」という言葉に懐かしさを感じて図書館で借りてきた絵本。なぜなら私も、子どもの頃に「本の虫」と言われていたからだ。何しろ、赤ちゃんの頃から絵本を渡しておけば、それをじーっと見ていて動かない子だったそうだ。農家だったので、ござを敷いて私を座らせ、絵本を与えておけばそこから動かないので、とても手のかからない子だったらしい。自分が聞いても信じられないのだが、親が言うのだから事実だろう。妹が生まれる四歳まではそれで良かったのだが、「お姉ちゃん」となってからはそうはいかない。ちゃんと妹を見ていなくてはならないし、動き出したら遊んでやらなくちゃならない。そのうち、「本の虫」が誉め言葉ではなくなり、親たちの変化に戸惑ったような気がする。それはともかく、今ネットでチェックしてこれは実話ということに驚いた。エリザベスは大好きな本に囲まれて幸せだったな。いや、私だってずっと本が大好きで幸せな人生だ。多分私も、本の虫に近いおばあちゃんだろう。私のただ一つの願いは、寝たきりになっても目だけは見えるようでありたい。万一目が見えなくなった時のために、耳で読書できるようにしようかと思ったけれど、どうも今のところ私には合わない。ずっと本の虫で一生を終えることができますように。
2024年05月26日
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絵本というより、絵本のガイドブックのような本。「小さな本の大きな世界」長田 弘 (著), 酒井 駒子 (イラスト)内容説明いちばん好きな野菜『きゃっきゃキャベツ』/哲学って漫才に似ている『ここにないもの 新哲学対話』/レンコンの穴は…?『クイズ 植物入門』/ちげえねえ。噺と絵の寄席『落語絵本 めだま』/うーん、あんパンと柿が『正岡子規 言葉と生きる』/宮沢賢治はガーシュウィンを聴いたか?『セロ弾きのゴーシュ』…大の本好き詩人が、大の本好きに贈る「お気に入り145冊」の名篇。目次小さな本の大きな世界(まず、本があること―『エリザベスは本の虫』;うつくしい本が必要―『ヴァージニア・リー・バートン「ちいさいおうち」の作者の素顔』;古くて新しい物語―『ハーメルンの笛ふき男』;家族って何なのだろう―『大統領ジェファソンの子どもたち』 ほか)子どもの本のまわりで(虹の彼方に―「オズの魔法使い」;首をはねなさい!―「不思議の国のアリス」;チェロとジャズ―「セロ弾きのゴーシュ」;丸と四角の世界―「シンデレラ」「赤ずきんちゃん」 ほか)著者等紹介長田弘[オサダヒロシ]詩人。1939年福島市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞、講談社出版文化賞、詩歌文学館賞、三好達治賞、毎日芸術賞など、受賞多数。2015年5月3日逝去酒井駒子[サカイコマコ]絵本作家。1966年兵庫県生まれ。東京芸術大学美術学部油絵科卒業。『きつねのかみさま』(あまんきみこ・文、ポプラ社)で日本絵本賞、『金曜日の砂糖ちゃん』(偕成社)でブラティスラヴァ世界絵本原画展金牌、『くまとやまねこ』(湯本香樹実・文、河出書房新社)で講談社出版文化賞絵本賞など、受賞多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)できれば、絵本の表紙の絵だけでも入れておいてほしかった。絵本は「絵とことば」で表現されるものだし、私はその絵で手に取りたいと思う方なので。ともあれ、ここで紹介されている気になる絵本をメモしておいて、そのうち読んでみたいと思っている。
2024年05月21日
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「エリカ 奇跡のいのち」文:ルース・ジー 絵:ロベルト・インノチェンティ 訳:柳田 邦男【内容紹介】お母さまは、じぶんは「死」にむかいながら、わたしを「生」にむかってなげたのです。第二次世界大戦中のドイツで奇跡的に生きのびた、ひとりの女性の物語。<赤ちゃんを走る列車から投げ出すなどということは、平時であれば、殺人行為と見られてしまう。しかし、(中略)たとえ生きられる確率は1万分の1であっても、ゼロではない道をわが子のために選んだという母親の決意は、一筋の「生」の光を求める崇高なものとして、人々の心を揺さぶらずにはおかないだろう>――柳田邦男(「訳者のことば」より)衝撃の実話を『百年の家』の画家ロベルト・イノセンティが繊細な絵で描いた絵本。*第10回日本絵本賞 翻訳絵本賞 受賞作品この絵本は以前に読んだことがあるのだが、先日BOOKOFFでみつけて購入した。このような時代を生き延びてきたはずの人が作った国イスラエルが、今はパレスチナの人達を殲滅しようとしている。現在のパレスチナのお母さん達も、わが子の命を守ろうと必死だろうに…。争いの連鎖の中に、一筋の光をどう見つけたら良いのか…。
2024年03月03日
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「森が海をつくる」葉祥明/ 自由国民社 (1997/5/1)【内容】(「MARC」データベースより)木を植えて森をつくろう! そしてきれいな水をつくろう! 川や海やすべての生き物のために。犬のジェイクが海や川や森の声を聞き、大切な森と川と海の関係を報告し、山に木を植えることを提案する物語。英文併記。昨日、久しぶりにBOOKOFFに行き、この絵本を見つけた。あまりの安価にビックリである。最近は、絵本はネットで買うことが多かったけれど、時々覗いたら掘り出し物があるんだろう。この絵本は、子ども達と一緒に読んで考え合うのに良い絵本だと思う。絵もとても美しいし、英文表記というのもいい。葉さんの絵は、見ているだけで心が穏やかに優しくなれる。
2024年02月29日
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「にげてさがして」にげるために、さがすために、きみのあしは、ついている。きみが「想像力をつかうのが苦手な人」から、ひどいことをされてしまったとき、すべきことはひとつ。自分を守るために、その場から逃げること。きみの足は、「やばいものから逃げるため」についている。そして、「きみを守ってくれる人」「きみをわかってくれる人」を探すためだ。にげて、さがして、うごいて、うごいて——【みどころ】世の中には、色んな人がいる。得意な事だって、苦手な事だって、みんなちがう。きみだって、そうだ。だけど、想像力を使うのが苦手な人がいて、時にひどいことを言ってきたりすることがある。もしきみが、そういう人にひどいことをされてしまった時。するべきことは一つしかない。とにかく、その場から逃げること。きみの足は、そのためについている。一方で、世の中には、優しい人もたくさんいる。だからこそ、きみは探しに行かなくてはいけない。自分で動いて、自分で考えて、自分で決めて。逃げて、探して、動いて、動いて……。逃げずに戦うことも大事だけれど、逃げることで新しい可能性に出会えることだってある。子どもたちには、両方の道を知っていてほしい。作者ヨシタケシンスケさんの、強い思いが込めれたこの絵本。読み終わっても、まだまだ続く物語。どうか、きみのことを探している人を、きみが見つけることができますように。(磯崎園子 絵本ナビ編集長)本当に彼の絵本には考えさせられるし励まされる。落ち込むことが多い人は、ぜひ、読む心のお薬として手元に置いてください。
2024年02月02日
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「ひろったらっぱ」新美 南吉【作】/葉 祥明【絵】/保坂 重政【編】 内容説明ひろったらっぱのひびきは、せんそうではなく、へいわをねがうひとびとに、ゆうきときぼうをあたえました。著者等紹介新美南吉[ニイミナンキチ]1913年~1943年。愛知県生まれ。雑誌『赤い鳥』に「ごん狐」を初め多くの童謡・童話を発表。他に少年小説、民話的メルヘン等、優れた創作活動を展開したが、二十九歳で早逝葉祥明[ヨウショウメイ]1946年、熊本県生まれ。詩人・絵本作家として活躍。1990年『風とひょう』で、ボローニア国際児童図書展グラフィック賞受賞。また『地雷ではなく花をください』シリーズ(自由国民社)では平和を愛する人びとの共感を呼び、世界各国で翻訳出版されている保坂重政[ホサカシゲマサ]1936年、新潟県生まれ。『校定・新美南吉全集』(大日本図書)を初め新美南吉作品の企画・出版に編集者として関わってきたまた絵本の紹介です。新美南吉の童話や絵本は、誰でも一度は読んだことがあるだろう。29歳で亡くなったのだなと、彼の生涯を確認してあらためて思う。この絵本は、好きなイラストレーター葉祥明さんの絵に惹かれて、作品も知らなかったので借りてきた。読んでみたら反戦童話といえるものだった。作品が書かれたのは、多分戦争の足音が聞こえていた頃だろう。全文が掲載されているものはないかと検索したら、このサイトがあったので、転載させていただく。 ひろったラッパ 新美南吉 まずしい おとこの 人が ありました。まだ わかいのに おとうさんも おかあさんも きょうだいも なく、ほんとうに ひとりぼっちで ありました。 この おとこの 人は なにか 人の びっくり するような ことを して えらく なりたいと かんがえて おりました。 すると、ちょうど その ころ、西の ほうで せんそうが おこって おりました。 それを きいた、この まずしい おとこの 人は、 「よし、それでは じぶんも せんそうの ある ところへ いって、りっぱな てがらを たて、たいしょうに なろう。」と、ひとりごとを いいました。 そこで この 人は、西の ほうへ むかって でかけました。なにしろ おかねが ありませんので、きしゃや じどうしゃに のる ことは できません。むらから むらへ こじきを しながら、二本の 足で てくてく あるいて いったのでありました。 「せんそうは どちらですか。せんそうは。」と、いく さきざきで たずねながら、この 人は ひとつきも ふたつきも たびを しました。すると、だんだん せんそうの ある ところに ちかずいて きたらしく ときどき とおくの ほうから かすかに たいほうの とどろきが きこえて きました。 「おお、たいほうの おとが きこえる。なんと いう いさましい おとだろう。」 おとこの 人は、むねを おどらせながら 足を はやめて いきました。 そして よるに なってから ねしずまった ひとつの むらに つきました。たいへん しずかな むらで、いぬの なきごえも きこえず、いえいえの まどは みな かたく とざされ、がいとうには ひが ともって いませんでした。おとこは おおはなばたけの そばの、ある くさやねの こやに はいって、ぐっすり ねむりました。 じぶんが りっぱな たいしょうに なって むねに ずらりと くんしょうを ならべ、ぴかぴか ひかる けんを もって、うまの 上に そりかえって いるゆめを みて いると、やがて よが あけて あさに なりました。 おとこが めを さまして みると、これは また どうした ことでしょう。めの まえの おはなばたけが、むちゃくちゃに ふみにじられて あります。 「はて、こんな うつくしい おはなばたけを、だれが あらしたのだろう。」と、おとこが、たおされた 一本の ケシの はなを おこして やろうと すると、その ねもとに しんちゅうの ラッパが ひとつ おちて おりました。 おとこは ラッパを みると、はなを おこして やる ことも わすれて、 「ああ、これだ。これさえ あれば、じぶんは てがらを たてる ことが できる。じぶんは ラッパしゅに なろう。」 と、たいへん よろこびました。 ところで その むらは、あさに なっても だれも おもてに でて くる ものは なく、まどさえ あけないので ありました。けれど、おとこは うちょうてんに なって いましたので、そんな ことは きにも かけないで、いさましくラッパを ふきならしながら また あるいて いきました。 おとこは、ちょうど おなかが すいて きた ころ、また ひとつの むらに はいりました。 その むらにも,人は あまり いませんでしたが、まだ すこしは のこって おりました。 そこで、おとこは ある いえの まどしたに たって、 「おなかが すいて、しょうが ありません。なにか たべさせて ください。」と たのみました。 いえの なかには ふたりの としよりが いて ちょうど 一つの パンを 二つに きろうと して いる ところでしたが、はらの すいた おとこを きのどくに おもって パンを 三つに きり、その ひときれを おとこに めぐんで やりました。 「あなたは、これから どちらへ いくのですか。」と、しんせつな としよりは、わかい おとこに たずねました。 「これから、せんそうに いくのです。わたしは、ラッパしゅに なって りっぱに はたらきます。」と、わかい おとこは こたえて、としよりたちの まえで いさましく ラッパを ふいて きかせました。 とて とて とて と、 みな みな あつまれ、 けんを もて。 とて とて とて と、 てっぽう かつげ、 はたを もて。 とて とて とて と、 それ それ いそげ、 せんそうへ。 とて とて とて と、 とて とて とて と。 と、おとこは ふきました。 きいて いた としよりは ふかい ためいきを ついて、 「せんそうは もう たくさんです。せんそうの ために わたくしたちは はたけを あらされ、たべる ものは なくなって しまいました。わたしたちは、これから どう したら よいでしょう。」と,いいました。 おとこは、としよりと わかれて、なおも あるいて いきますと、なるほど あの としよりが いったとおり、はたけは たいほうの わや、うまの あしで すっかり あらされて ありました。 どの むらにも あまり 人は いないで、のこって いる 人びとは、みな あおい やつれた かおを して おりました。 おとこは この 人びとが きのどくに なりました。そこで、もう せんそうに いくのは やめに しました。 「そうだ、この きのどくな 人びとを たすけて やらねば ならない。」 おとこは、あちら こちらの むらに のこって いる 人びとを ひとところに あつめました。 「みなさん、げんきを だしなさい。げんきを だして、ふみあらされた はたけを たがやし、むぎの たねを まきましょう。」と、おとこは 人びとに いいました。 人びとは、げんきを だして はたけで はたらきはじめました。 あさ いちばん はやく おきるのは、あの おとこで ありました。まだ 日のでないうちから、おとこは はたけの まんなかの おかの 上に のぼってラッパを ふくので ありました。 とて とて とて と、 みな みな おきろ、 もう あさだ。 とて とて とて と、 くわをば もって、 はたに でろ。 とて とて とて と、 たねをば まけよ、 ムギの たね。 とて とて とて と、 とて とて とて と。と、おとこは ふいたので あります。 すると、人びとは、うまや うしと いっしょに、はたけに でて きて、せっせと はたらきました。 やがて、まいた たねから めが でて、のはらいちめんに ムギの みのる ときが やって きたので あります。【追記】新美南吉の童話に流れる平和の心
2024年01月11日
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「ぼくのニセモノをつくるには」ヨシタケシンスケじぶんを知るって、めんどくさいけど、おもしろいけんたくんは、やりたくないことをやらせるために、ニセモノロボをつくることにします。ホンモノをめざすロボは、けんたくんのことをあれこれ知りたがります。ぼくってなに? じぶんらしさとは?考えれば考えるほど、ややこしくてめんどくさい。でも、なんだかちょっと、たのしい気もする。図書館でヨシタケシンスケさんの絵本を見つけたら、つい手に取ってしまう。これは、幼児から私のような高齢者まで、それぞれの年齢で色々と考えさせられる絵本。人間とは自分とは個性とは何なのだろうという、根源的なことをこのような形で描けるとは…。実は、孫も彼の絵本のファンで、少しずつ買い集めているという。共通の話題ができて、なんだか嬉しいおばあちゃんです。
2024年01月07日
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「花のすきな おおかみ」きむらゆういち/作 葉祥明/絵紹介文オオカミが好きなきむらゆういちが、シリーズ65万部『地雷ではなく花をください』の葉祥明さんと、初めてタッグを組んだ「愛の絵本」!おんなの子おおかみウルと、おとこの子おおかみルーフの、心温まる物語。きれいな草原の花々の絵とともに、やわらかく癒されていく絵本です。あらすじみどり輝く草原で初めて出会った2ひきのおおかみ・ウルとルーフ。“おおかみのくせに”と言われても、好きなものは好き。根をはって、精一杯、笑顔で咲いてる花を「こんなに小さいのに頑張ってる」と世話する“ふたり”。イジメッコたちにからまれても「相手にするな」と言っていたルーフがあの日だけは違った。何かを守るために走ったルーフは──。葉祥明さんの絵が好きなのと、「花のすきなおおかみ」という題名に惹かれて借りてきた。おおかみが花が好きだということに意外性を感じるのはなぜなのだろう。おおかみにはそんな優しさはなく、獰猛だというイメージがあるからだ。考えてみればそのようなレッテル貼りは、オオカミたちに失礼なことなのかもしれない。きむらゆういちさんの名前は、聞いたことがあるようなないような…という感じで調べたら「あらしのよるに」の作者だった。これは、孫が幼い頃に読んで感動したものだった。ただ、その絵はあべ 弘士さんが描いていて、この絵本とは全く違う雰囲気のものだったので、ちょっと思い出せなかった。あべさんの絵は私は嫌いではないのだが、幼い頃の男の子の孫はこの絵が怖いようで、私が感動したようには感じられないようだったのを思い出す。自分たちと違う特性や感性をもつものは、所属集団からはいじめられやすい。それでも、自分が好きなことを大切にしていたら、きっと同じような感性を持つ仲間と出会えるはず。いつも集団や周囲を気にしてそれに合わせようとしていたら、自分がどんなことが好きだったのかも見失ってしまうことがある。現代の子ども達の多くは、そんな状態に陥りやすいのではないかと思う。葉祥明さんのイラストときむらゆういちさんの優しい言葉が共鳴し合い、とても優しい気持ちになれる絵本です。
2023年12月02日
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久しぶりに絵本を手に取ってみたくなり、図書館で借りてきた。いせひでこさんの絵本は、やはりいいなあ。「大きな木のような人」いせ ひでこ (著)内容紹介(出版社より)パリの植物園で、植物学者と少女が出会う。少女は植物の面白さに目覚め、心に何かが芽生えたことを感じる。雄大な植物に囲まれた、小さいけれど感動的な出会い──。・作/いせひでこさんからのメッセージパリには2本の樹齢400年のアカシアがある。その一本の大樹のある物語はすでに描いた。もう一本の樹ははじめから植物園で大切にされ、樹齢を重ねていた。私の足が、植物園に向かうようになったのは自然のなりゆきだった。パリの大きな植物園を訪ねては、目が追いつかないほど、四季折々の樹や花や芽を観察することになった。そんな春のこと、私は自宅裏庭のちっちゃな一角に、生まれて初めてひまわりのタネを蒔いた。朝、昼、夕、毎日芽が出ていないかと庭の土におでこを這わせる姿は、まるでチャペックのにわか『園芸家の一年』みたいだった。(あとがきより抜粋)・担当者のうちあけ話カバーや帯の惹句を考えるのはふつう編集者の仕事ですが、この絵本ほど、それが難しいと感じたことはありませんでした。とにかく何を書いても、作品を表現するには物足りない言葉のように感じてしまうのです。それは、いせひでこという画家が、歩いて、見て、聞いて、嗅いで、触れて、感じて、そして何度も何度も考えたこと、それを筆だけでなく、全身で表現しているからだと思います。『大きな木のような人』は、独立したひとつの作品ですが、そんな作者ですから、これまで描いてきた作品と深いつながりが生じるのは必然です。『ルリユールおじさん』(理論社)の少女ソフィーが大きくなって、植物学の研究者として登場しているのを見て、私はゾクッとしました。(若)私が生まれ育った家は、森や木々に囲まれていた。この絵本をみていると、幼い私が木々のざわめきや集う鳥たちのさえずり、風雨の時や夕暮れには森が大きな怪物のように揺れて怖かったことなど思い出した。晴れた日、曇った日、嵐の日、風雪の日、木々に積もる雪が輝いていた朝、様々な表情を森や木は見せてくれた。林や森に入っていくと、何だか気持ちが落ち着いて、爽やかな気持ちにもなった。心の底に眠っていたそんな思いが、美しい水彩画の中から立ち上ってくる。この本、買おうかな…。「チェロの木」内容紹介森の木を育てていた祖父、楽器職人の父、そして音楽にめざめる少年。おおきな季節のめぐりの中でつらなっていくいのちの詩。 みどころこの物語の主人公となる少年のおじいさんは森の木を育てる仕事、そしてお父さんは木からバイオリンやチェロを作る楽器職人でした。少年は、小さな頃から森の中を歩き、その光や空気を感じ、音に耳を澄ませてきました。そして、家では工房で黙々と仕事をするお父さんを見て育っていったのです。そんなある日、少年はお父さんの作った楽器を弾くチェリストのパブロさんに出会います。パブロさんは教会の演奏会に少年を招待してくれました。そこで触れたパブロさんの演奏に、チェロの音色に、少年は心を奪われていきます。パブロさんのバッハの中には、森の風や川の音、小鳥たちのはばたきが見える気がしたのです。そしてそんな風に歌うチェロを作り出したのはお父さんなのです。やがて季節も移り変わっていき、クリスマスも過ぎた頃、お父さんが誕生日のプレゼントとして作ってくれたのは少年のチェロ!お父さんの手の中で初めて音を出した時、少年は自分がチェロになったような気がして・・・。季節を通して変化していく森の風景の、息をのむほどの美しさ。少年が小さく佇むその景色に見とれていると、どのページからも何か音色が聞こえてくるような気がしてきます。そして、それは楽器が並ぶお父さんの工房やチェロの演奏のシーンからも聞こえてきます。この絵本の中で少年の成長とともに描かれていくのは、おじいさんからお父さん、お父さんから少年へ、そして森から木、木から楽器、楽器が奏でる音楽へとつらなっていく大きな流れ。その命の詩がチェロの響きとして絵本全体から感じることができるのです。弦楽器の中でも何か特別な音色があると感じるチェロ。作者のいせひでこさんも、13歳の時に出会って以降現在にいたるまでずっと弾き続けられているそうです。阪神淡路大震災の復興支援「1000人のチェロ・コンサート」に参加された体験から生まれた絵本『1000の風 1000のチェロ』の発表以来、十数年の創作のモチーフとされてきた"木と人"を結実させた本作品。チェロの奏でる音楽と、いせさんの描く絵が、ひとつになって心に迫ってくるこの感動を、皆さん是非体験してみてください。(絵本ナビ編集長 磯崎園子)これも本当に素敵な絵本。私は音楽には詳しくないけれど、この絵本を読んでいるとチェロには、生まれ育ったその木に刻み込まれた自然が奏でる旋律があるのだと思ったりする。木々を守る人、大切に木を切り出す人、原木から楽器を作る人、作曲をする人、演奏する人、そしてその音楽を受け止め感動する人。どれが欠けても私達を感動に導いてくれる音は生まれない。この本も買っておきたい。国内外のニュースに心がささくれそうな毎日の中で、この絵本に心が洗われたような気がした。考えてみたら、この絵本ももともとは森の木々だった。私達はどれほど森や木々のおかげで命を守られているのか計り知れない。、
2023年11月30日
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「日々憶測」ヨシタケシンスケ著みだれとべ! 臆測!さえわたれ! 臆測!ヨシタケシンスケはその日、何を見て、何を思ったのか。その記録。内容紹介児童文学総合誌「飛ぶ教室」での人気連載「日々臆測」が単行本化!絵と文で綴られた 臆測の記録 90話と小さいお話たちを一冊にまとめました。臆測派の方々も、そうじゃない方々も、ぜひ。「臆測でものを言うな」。大人の世界では、よく言われる言葉です。まったくその通りだと思います。しかし、そんなことがよく言われる必要があるくらい、世の中は臆測で満たされているのかもしれません。かくいう私も、日々、臆測ばかりしています。――――本書「はじめに」より考えてみたら私も、日々憶測で生きてるような気がする。しかし、ヨシタケさんと比べたらなんと単純な憶測の連続かと反省。もっと憶測から想像力へと羽を広げたら、もっと創造力へと変化したのかも。
2023年10月30日
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「いいことしたいなあ」ぶん・え:くのたえこうさぎさんが道を歩いていると、おなかがすいて困っているぞうさんに出会います。うさぎさんがもっていたおにぎりをあげると、ぞうさんは大感激。自分もうさぎさんのように、「だれかに親切にしたいなあ」と思います。するとぞうさんは、お花に水やり中のきつねくんに出会って……。ひとつの“いいこと”がつぎつぎと“いいこと”を生む、心をハッピーにする絵本。きっと誰にでも、「いいことしたいなあ」という気持ちの種があるのではないか。その種は、きっと人の遺伝子に生まれながらに組み込まれているのではないかと思う。「いいこと(良いこと)」は人によって違う。そして、「相手があってのいいこと」と、「自分だけのいいこと」がある。 どちらであっても、それは間違いなく自分の心が喜ぶことだろう。北海道では今、桜が咲いている。様々な花が一斉に芽を出し咲き始める、私が大好きな季節だ。そんな花や草木を見て、何となく心が晴れやかになり、「桜を見に行きたいなあ」と思ったり、「一人でのんびり花を見たい」などなど、その人にとってのいいことはみんな違うだろう。中には、「友達や恋人とお花見」だったり、「桜の下でのジンギスカンパーティー」を思う人もいるだろう。あるいは、「久しぶりに車いすを使っている友達を誘って行こう」とか、「入院している家族に桜の花を見せたい」と思う人がいるかもしれない。それは、誰かと一緒に心が喜ぶいいことに違いない。 人は「楽しいことは誰かと一緒の方が心が喜ぶ」という性質が必ずあると思う。幼い頃からのそのような楽しさの経験が、人の心を豊かに育てるはずだ。赤ちゃんは、「いないいないばー」をしたらとても楽しそうに笑います。その笑顔や笑い声が嬉しくて、親もおばあちゃんもお姉ちゃんも、何度も何度も同じことを繰り返します。それは、赤ちゃんにとっては一緒に笑いあう喜びの練習をしているのでしょうし、周囲の人もその楽しさや幸福感を感じる力を強めているのでしょう。その姿に、私は人間の遺伝子の中に「誰かと一緒にいいことしたい」という種があることを感じるのだ。そんなことが積み重なって、誰かに自分が何をしたら、相手にとっても自分にとっても良いことになるかを学んでゆく。それが、人としての一番大切な学びのように思う。そんなことをふと考えることになった絵本でした。
2023年04月24日
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「もうじきたべられるぼく」はせがわゆうじ/作、中央公論新社号泣必至。ぼくはお母さんと会えるのか――TikTokの読み聞かせ動画が300万回再生された泣ける話、待望の書籍化。「たべられること」を受け入れたぼくが、さいごにしたかったこととは。食育にもおすすめの1冊です。私はTikTokの読み聞かせ動画のことは知らなかったので、図書館の絵本のコーナーで知った。とても良い絵本だと思うので、多くの人に手に取ってもらいたい。私は号泣はしなかったけれど、心がジーンとしてきて何度も読み返した。「ぼくはうしだから もうじきたべられる」その言葉の意味をどうとらえるのかは、年齢にとって違うことだろう。でも、どんなに幼い子どもにも、きっとそれなりの理解とともに食べ物に対する感じ方の広がりが生まれるだろう。また、この世界には数えきれないほどの動植物が存在しているのだが、それぞれにはそれぞれの運命と役割があると私は思っている。その多様性と、お互いの命のリレーによって人間も生かされている。そんなこともあらためて考えさせられた。せっかくの絵本なのにこれ以上説明することは邪魔かな。とにかく、ぜひ多くの人に読んでほしい。
2023年04月23日
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「オレンジいろのペンギン」作・絵: 葉 祥明/ 佼成出版社【内容紹介】ぼく、ペンギンのジェイムズ。生まれたときから、全身オレンジ色なんだ。みんなに、どうしてって聞かれるけれど、ぼくにもその理由はわからなかった。だけど、ブリザードがきたとき、ぼくの体が輝きだして……。葉 祥明さんの絵が好きだし、絵本も好きなので手に取ったのだが、予想以上に良い絵本だと思った。「みんな違ってみんないい」とは、早世の詩人・金子みすゞの詩の一節なのだが、本来個性とはみんな違うものだ。それなのに他と違うということで、人間社会ではどれだけ少数派が厳しい現実に直面していることだろう。違うこと(個性)には、必ず何かの意味がある。それはなかなかわかりづらいこともあるけれど、その意味に気付いた瞬間に、その個性が輝きだす。そんなことを実感させてくれる美しい絵本でした。もう一つ、この絵本が素敵だなと思ったのは、日本語と英語が併記されていること。日本では小学生の頃から英語を学ばせようとしているけれど、私もそうだけどなかなか英語が身につかない。英語を母語としている人と一緒に、あるいは英語が得意な人と共に絵本を楽しみながら、短い英語のフレーズを何度も口ずさんでいたなら、もっと英語が使えるようになるんじゃないかな。そういえば、もう随分前に鎌倉に夫と次男と遊びに行った時、たまたま小さな美術館をみつけた。多分その時が、葉祥明さんの絵に初めて触れたのじゃないかな。私はまだ、今ほど絵本に関心を抱いていなかった頃だと思う。葉祥明美術館こんな詩と絵がありました。『春を待つ日』 絵・文:葉祥明 一年でもっとも暗く寒さも厳しい二月だからこそ 人は明るい春の陽ざしを待ち望む 今は悲嘆に満ちた時代だからこそ 人々は互いの温かな心を必要としている
2023年02月26日
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「バスが来ましたよ」文: 由美村 嬉々 絵: 松本 春野 出版社: アリス館 【内容紹介】全盲になった男性が、小学生に助けられながら続けた、バス通勤。「バスが来ましたよ」その声はやがて、次々と受け継がれ…。小さなひとこと、小さな手。でも、それは多くの人の心を突き動かした。小さな親切のリレーの物語。以前、テレビか何かでこの絵本のことは知っていたので、ネットで購入した。私は実話ものが好きである。この作品も、目の病気で視力を失った男性が、白杖を使って職場に通うようになって何日が過ぎた時、いつもバスが来るかどうか、ちゃんと乗車できるかどうかと不安と緊張で一杯だった男性に、小学生の女の子が「バスが来ましたよ」と声をかける。そして、乗車を誘導してくれてそれが朝の習慣となり、その妹たちや友達に親切のリレーが続いたという、本当に胸が熱くなる絵本だ。人間には、このように優しい心、誰かのお手伝いをしたいという心も間違いなくあるのだ。このバスに乗り合わせていた子ども達や大人達も、きっと多くのことを感じる年月だったことだろう。最初に声をかけた女の子の勇気は、多分ご家庭の中で育まれたのだろう。ぜひぜひ、多くの人に手に取ってもらいたい絵本です。詳しくは下記をどうぞ。多分、私はこのニュースかなにかを見たのだと思います。「バスが来ました」小さい手のリレー NHK 2022年4月11日 18時43分
2023年02月10日
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「木を植えた男」 ジャン ジオノ (著), フレデリック バック (イラスト), 寺岡 襄 (翻訳)内容(「BOOK」データベースより)フランスの山岳地帯にただ一人とどまり、荒れはてた地を緑の森によみがえらせたエルゼアール・ブフィエの半生。同名の短編映画は’87アカデミー賞短編映画賞受賞。一読した時に実話かなと思ったのだが、フィクションのようだ。でも、このような人がいるかもしれないと思わせてくれて、心が洗われるような気がした。最初はモノトーンだった絵が、次第に色合いが明るくなり、人間への希望を感じさせてくれる。子どもと一緒に、ぜひ多くの大人に味わってほしいと思う。「ルリユールおじさん」いせ ひでこ (著)【内容】パリの路地裏に、ひっそりと息づいていた手の記憶。本造りの職人から少女へ、かけがえのないおくりもの。講談社出版文化賞絵本賞受賞。著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)いせ/ひでこ伊勢英子。画家、絵本作家。1949年生まれ。13歳まで北海道で育つ。東京芸術大学卒業。『マキちゃんのえにっき』で野間児童文芸新人賞、『水仙月の四日』で産経児童出版文化賞美術賞、『ルリユールおじさん』で講談社出版文化賞絵本賞を受賞する。宮沢賢治とゴッホの研究をライフワークとしており、スケッチの旅での出会いや実感を大切にする現場主義に徹した作品が多い。作品はフランスなど海外でも翻訳出版されている。海外を含め、各地での絵本原画やタブロー作品展示を通した絵本の普及にも力を注いでいる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)いせひでこさんの絵は美しくて好きなので、彼女の絵本を見ると手に取ってしまう。この絵本は、いせさんがパリで出会った本づくり職人(ルリユール)との関りの中で生まれたものだという。書物を愛する人間同士の魂の交流があったのだろう。日本にはこのような職業の人はいるのだろうか。これも、心が洗われるような絵本だ。
2023年02月09日
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このところ、長田弘さんの詩集を読んでいることもあり、彼の詩の絵本を二冊。「水の絵本」作:長田 弘 絵:荒井 良二「地球は水の星。人はみな水の星の子ども」と語っていた長田弘の『水の絵本』への思い。哲学的でもあり、やわらかなユーモアがちりばめられたことば。そのことばが表現するかけがえのない水の美しさ、かがやきを荒井良二が瑞々しく描いた新たなる名作。ひとつひとつの言葉をかみしめて味わいたい。大人も子どももそれぞれに…。「最初の質問」詩:長田 弘 絵:いせ ひでこ 詩人長田弘氏の代表作のひとつであり、中学3年生の国語の教科書(学校図書)にも掲載されている「最初の質問」を、『ルリユールおじさん』などで人気の画家・絵本作家のいせひでこ氏が、「絵本」として構成します。 詩の言葉を表面的に捉えて絵をつけるのではなく、いせ氏が自分の中で一度消化し、新たな作品として表現した力作です。 いせ氏の絵本を多く手がけている岡本明氏による清々としたブックデザイン。子どもから大人まで味わうことのできる美しい絵本です。 「最初の質問」は、卒業や結婚等、新しい道を歩む人へ贈る言葉としても引用されることの多い詩でした。本書は、大切な人への贈り物としてもふさわしい作品です。いせひでこさんの絵は、大好きだ。絵本というより、画集に言葉をつけたような感じもする。本当に素敵なコラボレーション。
2023年01月09日
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とりあえず、メモ的に書いておこう。読んだことも忘れてしまうので。53.「ずーっと ずっと だいすきだよ」作・絵: ハンス・ウィルヘルム訳: 久山 太市私も、毎日飼い猫のクロに「大好きだよ」と言わなくちゃ。いやいや、本当に言わなくてはならないのは家族かもしれないけど、言ったことないなあ。54.「かわいそうなぞう」つちやゆきお 文/たけべもといちろう 絵何度読んでも切ない。今、ウクライナなど戦争状態下の動物園はどうなっているのだろうか。55.「百万回生きた猫」作・絵:佐野 洋子この絵本は、愛について本当に色々なことを考えさせられる。いくら「大好きだよ」と言われたって、嫌な奴からの愛の押しつけは迷惑なだけ。そういえば、我が家の猫は、私がギューッと抱きしめると嫌がって逃げていくなあ。56「森の絵本」文:長田 弘 絵:荒井 良二長田弘さんの詩が好きなので選んだのだが、とてもいい絵本だ。老若男女誰にでもそれぞれの思いが広がってゆくだろう。このシリーズ、もっと読んでみたいと思う。
2022年12月16日
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「わすれられないおくりもの」スーザン・バーレイ さく え 、 小川 仁央訳《商品説明》水彩とペンで描かれるイラストが暖かい、スーザン・バーレイのデビュー作。イギリスでは最もなじみの深い動物のひとつであるアナグマを主人公にした本書は、「身近な人を失った悲しみを、どう乗り越えていくのか」ということをテーマにした絵本。賢くて、いつもみんなに頼りにされているアナグマだが、冬が来る前に「長いトンネルの むこうに行くよ さようなら アナグマより」という手紙を残して死んでしまった。悲しみにくれる森の動物たちは、それぞれがアナグマとの思い出を語り合ううちに、彼が宝物となるような知恵や工夫を残してくれたことに気付いていく。そして、春が来る頃には、アナグマのことは楽しい思い出へと変わっていった。たかが子ども向けの絵本とあなどるなかれ。子どもたちに「死」について考えるチャンスを与え、すでに「死」を理解する大人にも静かで深い感動をもたらす。親しい人とのお別れを経験した方に、心を込めて贈りたくなる。(小山由絵)友人に「大人でも楽しめる絵本を選んで買ってほしい」と頼まれて購入した一冊。彼女は、自分の勤める大人の居場所で、利用者さんと読める絵本を報酬の一部で買いたいのだという。(つまり寄贈)そのように考えた彼女がとてもすてきだと思うので、喜んで協力。絵本は結構値段が高いので、予算内で何冊も買うのなら中古でいいかと確認して購入した。この絵本は、随分前に読んでいい作品だなと思った記憶があるので、ブログにも書いていたかと思ったけれど、書いてなかった。つまり、もっと以前に読んだものだろう。生き物は動植物も含め、もちろん人間も生まれて死ぬという宿命を繰り返している。動植物は淡々とそれを受け入れているのだが、「心」を持ってしまった人間はなかなかそうはいかない。年を重ねるにつけれて、別れの体験が増えてきた高齢者は次第にその時の心構えをしていくけれど、それでも大切な人やペットとの別れの悲しみが消えるわけではない。その悲しみの時をどのように受け入れ、去っていった人との思い出を豊かな今に変えてゆくのか。しみじみとした感動が、何度読んでも心に満たされる絵本だと思う。
2022年12月15日
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「どうして?──あたらしいおうちにいくまでのおはなし」ひぐちあずさ 著(愛知教育大学准教授。公認心理師・臨床心理士・人間科学博士)おがわまな 絵(イラストレーター)里親家庭を取り巻く物語里子のこころちゃんと,実子のさとりちゃんの絵本この本は,里子のこころちゃんと実子のさとりちゃんのお話です。こころちゃんのママは,ある日突然いなくなってしまいました。そして,こころちゃんは保護され,施設でみんなと生活をするようになりました。一方,パパとママがある日,里親をやってみたい,と言い出したことから,さとりちゃんの悩みが始まります。社会的養護にかかわってきた作者による里親家庭を取り巻く絵本です。里親とはなにか,知っているひとも知らないひともぜひ読んで欲しい。子どもが生まれながらにもっている権利のことや,里親さんに育てられたけれど,自分の本当の親のことについて里子さんが知りたいと思ったらどうしたらいいのか。そのほか親が里親をしてみたいって言ったときは実のお子さん(実子さん)はどうしたらいいか――「里親ってなに?」解説付き里親について真正面から子どもの視点で描かれた本。絵本ではあるが、里親制度についてや、現代の子どもの置かれている状況を多くの人に知ってほしいという願いが込められている。里親制度について関心のある人には、ぜひ読んでほしいと思う。
2022年10月08日
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戦争をやめた人たち -1914年のクリスマス休戦-鈴木まもる 文・絵【内容紹介】戦争中の最前線で、戦争をやめた兵士たちの真実のドラマ !1914年、第一次世界大戦が始まった。ドイツ、オーストリアなどの同盟国軍とイギリス、日本などの連合国軍との戦いだ。戦渦のクリスマスイブの夜、戦場に銃声の代わりに「クリスマスキャロル」の歌声が流れるという「奇跡」が起こる。戦争を始める人もいれば戦争をやめる人もいる。人に対する想像力と行動する勇気の大切さを描き、どうすれば戦争をしない人になるのか、その答えがこの絵本にある。作者が絵本の最後の絵を描いていた2022年2月25日、ロシアがウクライナに侵攻を始めるという、運命的な絵本となった。これからの未来をどう生きるべきか、戦争が現実に起こっている今だからこそ読みたい絵本。絵本『戦争をやめた人たち』―作者からのメッセージ 「人と戦争」をテーマにした絵本を描きたいと、ずっと思っていました。 今までに多くの「戦争」を扱った絵本や童話があります。過去に戦争を経験された方が、その悲惨な体験を書かれたものがほとんどです。それを語り継いでいくことは大切なことだと思います。でも自分は戦後生まれで、実際に体験していないので、そういうものは描けません。 一方、「平和は大切、戦争反対」というメッセージをダイレクトに伝える絵本もありますが、それもちょっと自分が表現したいこととは違う気がしていました。戦争の悲惨さをなまなましく描写するのではなく、言葉だけの表面的な「戦争反対」でもない、なにか絵本らしい別の切り口で子どもたちの心に「人と戦争」を伝える方法をいろいろ模索していました。 昨年の夏、偶然、第一次世界大戦の時に起こった「クリスマス休戦」という史実を知りました。戦争になっても人の心の持つ優しさ、いとおしさを感じ、「伝えたいのはこれだ!」と思いました。あっという間に1冊の絵本としての全体の構成などが頭の中に出来上がり、見本の形にして出版社に送りました。賛同を得て、無事企画が通り今年の2月3日から絵を描き始めました。人のぬくもりを出したいということで、色鉛筆という素朴な画材を選び、いつものように物語の最初から絵を描き始めました。絵の明確なイメージができていたので、どんどん絵はできていき、2月25日、最後の「あとがき」の部分の絵を描いているとき…、なんとロシアがウクライナに侵攻を始めました。まさか今の世の中でまた戦争がはじまるとは思っていませんでした。 100年前と今とでは兵器が違う分、被害は甚大で、日に日に悲惨な状況になる現実に愕然となりました。でも使われる兵器は違っても、やっている人間の行為は同じです。それならば、この絵本で伝えたいことは間違っていないし、戦争をやめるための答えも同じはずです。それを「今」表現することが大事だと思い、さらに絵に向かいました。 描きはじめた当初は、戦争なんて遠い過去のことだから、最後は自然環境や隣人への思いやりといった言葉で幕を閉じようと思っていたのですが、実際に戦争が起きてしまったので、最後の言葉を書き替えました。 戦争をはじめるのも人ですが、戦争をやめられるのも人です。 国や宗教、言葉を越えて相手を思う想像力と、音楽やスポーツ、芸術活動(もちろん絵本も!)など、その人なりに自分らしく生きるという創造力、それらを行動で表す勇気が戦争をやめる力を生みだすのだと信じています。 この絵本が、ウクライナの人たちの幸せに少しでもつながるよう願いつつ、収益の一部をウクライナ支援に寄付しようと思っています。鈴木まもる 2022年4月このエピソードは、人と人とが向き合って戦った時代のことだとは思うけれど、とにかくページをめくりながら心が震えて、いつの間にかこみ上げるものがあった。このところ、いつも心の中のどこかではウクライナとロシアのことを考えているのだが、ロシアとウクライナの人々は実際に今まで良くも悪くも交流が深く、互いの国に親戚が多いとも聞いている。そんな人々は、一日も早くこの戦いが終わってほしいと願っているはずだ。戦争を始めたのはプーチンだろうが、やめることができるのは誰だろう。
2022年07月29日
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「戦争のつくりかた 」という絵本がある。私がこの絵本を買ったのは、随分以前のことだったと思う。小さな絵本なので、本棚に隠れるように並んでいたのだが、ウクライナの戦争のことを気にしていた時、思い出して手に取った。今こそこの絵本を多くの人に手に取ってほしいとネットで調べたら、この絵本を作った「りぼんぷろじぇくと」のページで、この絵本がアニメーションになっていることを知った。ぜひ、多くの人に見てほしいと思います。「戦争のつくりかた」アニメーションプロジェクト
2022年03月28日
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年内に借りた絵本を返さなくちゃと、家事の合間に借りたまま放置状態の絵本をめくる。どれもおじいちゃんと孫のお話。「おじいちゃんとかくれんぼ」ロブ・ルイス (著), 金原 瑞人 (翻訳)内容(「BOOK」データベースより)おじいちゃん、いつもひとりでさびしくないかなあ。ぼくがいっしょにあそんであげよう!でも、おじいちゃんちにいってみると…。人気絵本作家ロブ・ルイスが描く、おじいちゃんとまごのほのぼのとしたおはなし、第2作目です。絵本には珍しい、短編集?「ふたりだけのにちようび」「かくれんぼ」「ミミズ」の三作。おじいちゃんと孫のフィンリーは、それぞれ相手と遊んであげているつもりだったりする。うん、幼い子どもも相手を思いやる気持ちは間違いなくある。喜ばせてあげたいし、手伝ってもあげたい。祖父母の方では、かわいい孫と遊んで喜ばせたいし、小さなお手伝いをさせて孫を褒めてあげたいものだ。そんなおじいちゃんと孫の間では、微妙なすれ違いが起きたりもする。おじいちゃんは孫と一緒に楽しそうに遊んでいても、おじいちゃん自身の友達や趣味があるのだから。そんなほのぼのとしたやりとりが、とても心を温かくしてくれる。もうすぐお正月。コロナでなかなか会えないかもしれないけれど、会えた時には楽しい時間を過ごしてほしい。「おじいさんのハーモニカ 」ヘレン・V. グリフィス (著), ジェイムズ スティーブンソン (イラスト),内容(「BOOK」データベースより)コオロギの声、森ガエルのざわめき、ものまね鳥の歌。ジョージアの夏は音楽でみちていました。でも、病気になったおじいさんが、街にうつり住んだとき、すべての音楽はうしなわれたのです。おじいさんの孫娘が、思い出にみちたジョージアの夏のしらべをとりもどすまでをえがく、心にしみるすがすがしいお話。これは、おじいさんと孫娘のお話。読んでいるだけで、なんだかとても懐かしい気持ちになる。田舎に暮らしていると、自然が奏でる様々な音がある。私も育った家の風景を目をつぶって思い出すと、色々な鳥の鳴き声、虫の声、蛙の合唱、近所で飼っている牛の声、それに木々や風の音や、冬になると吹雪の音などなど。それは音楽ではないけれど、確かに音が奏でる世界であり、人間はきっと、それらの音を一緒に楽しみたいと楽器を発明したような気もしてくる。私はハーモニカを吹いたことはあまりないが、ハーモニカの調べは自然の音たちと共鳴しあうのかもしれない。私の祖父は、音楽が好きなようだった。私が幼い頃に中風(多分、脳溢血)になり言葉が不自由になった祖父しか知らないのだが、よく手回しの蓄音機でレコードを聞いていた。また、私たち姉妹のために買ってくれたオルガンを、片手で弾いているのも見た記憶がある。そんな光景がよみがえってくる絵本だった。音と記憶は連動するもののようだ。
2021年12月28日
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しあわせなモミの木 作: シャーロット・ゾロトウ 絵: ルース・ロビンス 訳: みらい なな出版社: 童話屋【出版社からの内容紹介】クロケットさんという優しいおじいさんが主人公です。クロケットさんはある日、花屋の隅に捨てられていたみすぼらしいモミの木の苗木を見つけます。花屋 の店員は、ただであげる、と言いますが、クロケットさんは、そのモミの木にふさわしいお金を払います、と言うのです。モミの木にそれだけの価値を見出した のですね。 みすぼらしいモミの木は、クロケットさんの世話で元気をとり戻し、すくすくと成長し、見上げるような大木になりました。 あるクリスマスのこと。モミの木に、たくさんの色とりどりの小鳥たちが何十羽も来て、歌をうたいました。美しい美しいクリスマスツリーが出現したのです。 クロケットさんは「わしに、ほんとうのクリスマスがきてくれた」と言って喜び、小鳥のうた声にいつまでも耳をすましていました ― というお話です。 本の帯には「木と人間の美しい物語」と書いてあります。色々な意味で、とてもすてきなお話です。どの部分に心を添わせて読むかで色々と思いが巡るのは、とても丁寧に絵も言葉も紡がれているからでしょう。私はふと、「運命」とか「めぐり合い」というものを思いました。話が飛びますが、最近は「親ガチャ」という言葉があるようです。何のことかと調べたら、いわゆる「ガチャポン」で当たり外れがあるように、親にも当たり外れがあるような意味のようです。どのような流れでそのような言葉がは流行するようになったのかわからないけど、なんだかとても寂しい言い方だと思ったものです。子どもは親を選べないし、親だって子どもを選ぶことはできません。いくら生殖医療が発達したとしても、親の望み通りの子が生まれるはずはありません。それは、すべて「運命」だと思うので、その中には子どもにとっての「不運」もあるでしょう。でも、一時は不運と嘆くことがあったとしても、それだけでは終わらないのが人間の底力です。「ピンチはチャンス」という言葉もあります。人生最悪の時にこそ、一番大切なことに気付くこともあるし、「捨てる神あれば拾う神」もあるのです。このモミの木は、捨てられる運命にありました。でも、おじいさんの目にとまり、温かく守られる中で残っていた生命力が力を発揮し、周囲を幸せな気持ちにさせることのできるモミの木となりました。クリスマスも近いので、ぜひこの本を読んでみてほしいと思いました。
2021年12月07日
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「おじいちゃんのまち」文・絵:野村 たかあき、講談社【出版社の内容紹介】となりまちでひとりぐらしのぼくのおじいちゃん。ひとりぼっちでさびしくないのかな?どうしてぼくたちのところにきて、いっしょにくらさないんだろう。おじいちゃんのまちには、なにかひみつがあるのかな?絵も文字も木版画。そのせいもあるのか、とても素朴で懐かしい感じがする絵本。しかし描かれている風景やおじいちゃんの家の様子は、下町の昭和の時代の感じである。この絵本の第一刷は1989年。核家族化が進み、高齢者世帯が増え、単身老人世帯も少しずつ増えてきた頃だろうか。それから時代が進み、この絵本に描かれるような商店街は、郊外型大型店に押しのけられるように、シャッター商店街に変容しているのではなかろうか。それでも、住み慣れた町には共に生きてきた人たちがいる。便利な場所に住む子や孫たちからは、「一人では不自由だし寂しいんじゃないだろうか」と案じられるだろうが、この絵本のようではなくても、顔なじみとのつながりのある日常は老人にとっては大切だ。この絵本に出てくる「ゆうた」は、今は40代になるはずだ。つまりは、その父親は70代になるくらいだろうか。そう、私と同じ世代だ。私もいつかは一人暮らしになるだろうし、その時に病気にでもなっていない限り、この町に一人で住み続けるだろう。若い頃は逃げ出したくてしかたがなかったこの町だが、今ではやはりこのままでいたいと思う。一番の理由は、やはり心許せる友人の存在だ。そしてまた、70年以上も住み続けて積み上げてきた思い出の数々だ。その思い出や、時たまでも会うことのできる懐かしい人たちの存在で、きっと私は寂しいとはあまり思わずに過ごせるような気がしている。
2021年12月04日
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「いちばんすてきなプレゼント」ホリー・ケラー/作 訳/あかぎ かんこポプラ社【内容紹介】おばあさんのおみまいにいきたい8才のロージー。でも病院は10才未満はおみまいにいけません。そんな女の子の気持ちを見事に描く。この絵本を読みながら、大切な家族が入院した時に、長い間面会に行けないという状況の現在と重なった。コロナの感染が広まり始めてから現在まで、面会どころか最期にも立ち会えない家族がどれほど多かったことか。私の周りにも、コロナではなかったけれど面会できないまま亡くなってしまった人がいる。また、昨年私の母が腎臓結石で入院した時も、面会できる時は限られていた。高齢者施設も同様である。長期間になってきたので、オンライン面会ができる病院や施設もあるだろうが、そのようなことが出来る病院だけではないだろう。この絵本の女の子は、どうにかしておばあちゃんのお見舞いに行きたいと、知恵を絞って行動したけれど、おばあちゃんには結局会えなかった。それでもおばあちゃんには、その女の子の優しい気持ちはちゃんと届いていた…。年老いると、間違いなく病気がちになるし、体のあちこちに不都合も起きる。また、記憶力も低下するし認知機能も衰える。その悲しみの上に、大切な家族にも会えない状態が続くことは、本当に切ない。その人その人によって違うけれど、何とか工夫して「おばあちゃん、大好き」という思いを伝えてあげたいものだ。たとえば、写真でもお花でもメッセージカードでも、自分を大切に思ってくれる人の存在を伝えてあげたい。たとえそれが誰からなのかわからないほど認知力が低下していたとしても、その温かい気持ちは届くだろうし、その瞬間は嬉しい気持ち・幸せな気持ちにはなるはずだから。
2021年12月01日
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「さむがりやのサンタ」レイモンド・ブリッグズ 作・絵/すがはら ひろくに 訳【出版社の絵本紹介】皮肉屋だけど実はやさしいサンタクロース「やれやれまたクリスマスか! 」面倒くさそうに目を覚ましたのは、サンタクロース。寒さに愚痴をいい、煙突に文句をいいながら町の子どもたちにプレゼントを配ります。南の島に憧れながら、一日の仕事をおえると、お風呂にはいり、ビールを一杯飲んで、ごちそうを楽しみます。トナカイたちにおいしいえさをあげることも忘れていません。皮肉屋だけど実はやさしい、人間味あふれるサンタクロースを描いたクリスマスにぴったりの絵本です。この絵本は、以前に読んだ「サンタクロースはおばあさん」と合わせて読むととても面白い。サンタクロースといえば「白いひげ」のおじいさんがイメージで、この絵本はイメージ通りのサンタさんだ。毎年毎年、この季節になるとサンタとしての仕事を続けてきて、今年もまたその季節になった。その年月がどのくらいのものかわからないけれど、同じような仕事を続けていたらこんな感じだろうなと思わせる。仕事に不満はないし、それなりのやりがいや喜びもあるけれど、何となくマンネリになって意欲や感動はそれなり…。とても空の上の神様の使いのようではなく、そのあたりにいる高齢者男性の姿に重なる感じ。これはこれでユーモラスで面白いのだが、私は前に読んだ「サンタクロースはおばあさん」の方に軍配をあげたい。それは多分、私がおばあさんだからだろうね。男女同数のサンタさんになってほしいなと願う私です。
2021年11月29日
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図書館から借りてきていたのだが、なかなかブロぐに書けなかった。今日こそは…「ふるびたくま」著者 クレイ・カーミッシェル (作),江国 香織 (訳)ある日、クララのお気に入りのくまが、鏡に映る自分を悲しげに見つめていました。薄汚れた色、ほころび…。「おんぼろになったら、誰だって僕なんかいらなくなる」 愛されたい、必要とされたい、切ない想いがあふれる物語。この絵本は、読む人の状況や年齢で随分受け止め方が違うような気がする。私の年齢で一番想像しやすいのは、年老いてきてわが身の衰えや役割を失ってきていると感じ始めた高齢者の状況とリンクすること。実際、私も同世代の人たちと話す時には、一人暮らしや病気になった時のことなどの備えや不安に類することが話題に上る。それは当然でもあり、覚悟を徐々に決めてゆくには必要な作業と思ってもいる。でも私は、「おんぼろになっても大切な仕事がある」と考えているから、自分自身の現実は受け入れつつも、その状況にどんな意味があるのかを考えたいと思っている。さて、この本を子どもに読み聞かせるときのお母さんや、子どもはどう考えるのだろうか。「エマおばあちゃん」作: ウェンディ・ケッセルマン 絵: バーバラ・クーニー 訳: もきかずこ出版社: 徳間書店72歳で、ひとりぐらしのエマおばあちゃん。ふだんは、しましまねこと静かにくらしています。お誕生日にあそびに来た子どもや孫たちからお祝いにもらった絵をながめているうちに、おばあちゃんは自分でも絵を描いて見たいと思いたちますが…。素朴で、味わい深い絵本です。これはそのものずばり、一人暮らしのエマおばあちゃんの新しい生きがいの物語。読んでいるうちに思い浮かんだのは、ターシャ・テューダーさんのこと。このエマおばあちゃんは、ふとしたきっかけで生まれ育った村を思い出して絵を描いたわけなのだが、誰しも高齢になって自由な時間が増えたら自分の好きなことをやりたくなるのだろう。私自身は、思い返せば「これをやりたい!」と強く思ったことはあまりなくて、やりたかったことは「誰かの役に立つような仕事がしたい」ということだったように思う。結局、その延長線上に今の生活があるのだけれど、残念ながらエマさんのように形に残るものはほとんどない。強いて言えばこのブログなのかもしれないが、これを形にして残したいという希望はない。それでも、記憶力がいよいよ衰えてきた現在は、これは貴重な備忘録だ。つまり、私が生きている間だけ楽しめたらいいものなのだ。「生きがい」なんてものも、はっきり「これが私の生きがい」と言えるものもない。ただ、日常の中で「ああ、ありがたいなあ、嬉しいなあ、素敵だなあ」と感じる喜びがあればいい。多分、私にとってそれが生きがいなのだろう。この絵本を読んでそんなことを思った次第。ただ一つ引っかかったのは、エマさんは私と同じような72歳なのだけど、私もこんな感じなのかなあ…と思ったこと。まあ、人それぞれですからね。それでも、この絵本の絵は、とっても素敵です。眺めているだけでほのぼのしてきます。
2021年10月11日
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二冊とも、神沢利子さんの作品である。この二冊は、おじいさんとおばあさんの生き方比べのような絵本で、神沢さんもそれを意図して書いたのだろう。「ふらいぱんじいさん」神沢利子台所で卵焼きを焼くことが仕事だったふらいぱんじいさんは、新しい目玉焼き鍋が来て仕事がなくなったので旅に出ることにした。そこから、色々な動物や鳥たちと出会いながらの冒険の旅の末には…。これは、退職後の高齢男性をイメージして書いたものなのだろうか。などなど、児童書は想像の翼を広げられて楽しいのだが、このように次々と翼を広げて飛び回れる神沢さんに感心したりする。さてつぎは、「はらぺこおなべ」神沢利子こちらは、ずっと台所で毎日毎日野菜を煮たりシチューを作り続けてきた片手なべのおばあさん。急に働くのがイヤになって「これからは私がおいしいものを食べるのさ」と外に飛び出す。台所から外の世界にでていくのは同じなのだけど、ちょっと動機が違う。そして、このおばあさんなべの気持ちには、主婦生活をしてきた人にはとても共感できることだろう。次々と冒険するのも同じなのだけど、やっぱりおじいさんとおばあさんは少し違うのかな。ラストシーンは、やはり少し象徴的。だけど、みんながこんなじいさんばあさんでもない。さて、私はどちらのタイプだろう。
2021年09月18日
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「マローンおばさん」 作: エリナー・ファージョン、絵: エドワード・アーディゾーニ訳: 阿部 公子 茨木 啓子、出版社: こぐま社【おはなし】森のそばで、ひとり貧しく暮らしていたマローンおばさん。誰一人おばさんを訪ねる人はなく、心にかける人もいない。ある冬の月曜日、みすぼらしくて弱りはてたスズメが1羽、窓辺にやってきた。おばさんは「あんたの居場所くらい、ここにはあるよ」とスズメを抱いてつぶやいた。火曜日の朝、おなかをすかせ、棒切れのようにやせこけたネコが1匹やってきた。おばさんは「あんたの居場所くらい、ここにはあるよ」とネコをひざの上でさすってあげた。水曜日、6匹の子ギツネを連れた母さんギツネが座っていた。おばさんは「あんたがたの居場所くらいここにはあるよ」とキツネの親子を招き入れた……。手のひらより少し大きいくらいの小型の絵本。ページを開き一ページ目で、「これは詩なんだな」と思う。ひょっとすると、詩に挿絵をつけたんだろうかと思いながら読み進む。リズミカルな言葉がつながるような詩は好きだ。情景と心象が重なり合い共鳴しあうような詩は好きだ。その言葉の左ページに、小さな挿絵がある。これがまた、読み手の心象と共鳴しあうようだ。「あんたの居場所くらい、ここにはあるよ」その言葉がどれほど疲れた心や体をを救うことだろう。とても良い絵本だ。今回は図書館で借りたのだけど、ずっと手元に置きたいと思っている。
2021年09月06日
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100冊の絵本も随分ご無沙汰。昨日は「ラブレス」と三冊の絵本を借りてきたので、まず今日はこれ。「サンタクロースはおばあさん」佐野洋子著、 フレーベル館 1988年発行、【内容紹介】クリスマスがちかづくと、かみさまはサンタクロースをぼしゅうします。ことしも、たくさんのひとがめんせつにやってきましたが、そのなかに、おばあさんがひとりだけ、まじっていました。まごむすめに、もういちどあいたい。サンタクロースになったおばあさんは、よるのまちへとびだします…。佐野洋子さんは好きな作家さん。これも、とてもいい。「サンタクロース募集、トナカイ運転できる人、55歳以上」のはりがみにおばあさんが応募したら、神様はびっくり。おばあさんじゃ無理なようなことをいう神様に、「神様は人は皆平等とおっしゃってるじゃあないですか」とやんわり食い下がる。神様もうーんと考え込み、周囲のサンタ候補たちも「いいじゃないですか」と後押し。うーん、いい、いい、そう来なくっちゃ。後はどのような展開になるのかはぜひ絵本をめくってみてください。図書館に行ったら、多分必ずあるはず。考えてみたら、本当に子どもたちの気持ちをよくわかっている人が必要なら、サンタさんは男女同数であってほしい。そのような職業って、まだまたいっぱいあるはず。身近なところでは、政治家だってそう。まあ、女性ならいいってわけじゃないけど、日本ではクオーター制が絶対に必要だと思ってる。ところで、ふと思ったけれどアフガニスタンにはサンタさんはいるのだろうか。
2021年09月03日
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「やまんばのにしき」 文/松谷 みよ子、絵/瀬川 康男○あらすじ「ちょうふくやまのやまんばがこどもうんだで、もちついてこう。」ある夜、村の空に大きな声が響きわたった。そこで村じゅう集まって、大さわぎで餅をついたが、届ける者がいない。相談のすえ、力自慢の若者ふたりと、ばあさまひとりがいくことになった。ところが、若者ふたりは途中でこわくなって逃げてしまい、残ったのはばあさまひとりきり。ようようのことで、やまんばのうちにたどりついたが・・・。ばあさまの知恵と勇気が、村に幸せを運んできます。秋田県に伝わる伝説をもとに描く絵本。「山姥(やまんば)」が出てくる昔話は沢山あると思うが、この山姥は一味違う。この絵本を読みながら私が最初に思ったのは、ここに出てくる「ばあさま」は私の理想のおばあさんだということ。知恵と勇気と度胸と優しさ。これが老人に備わっていたら、きっと世の中はもっと温かく住みやすいものになるだろう。そんな老人の姿に接したら、時には人を食うかもしれない山姥だって、里人の守り神にだってなるのだ。今の日本の山々からは、山姥はいなくなってしまったのかもしれない。色々と考えさせられる絵本です。
2021年04月26日
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「そらへのぼったおばあさん」サイモン・パトック、徳間書店【内容情報】(「BOOK」データベースより)ななつのたんじょうびのことです。女の子は、空にかがやく星にねがいました。「きらきらかわいいおほしさま。おそばへおどりにいきたいわ」それから100年、今度は星が、すっかりおばあさんになった女の子にいっしょうけんめいまたたきかけ…。ふしぎな雰囲気の絵で描かれた神秘的な物語。5さい~。【著者情報】(「BOOK」データベースより)パトック,サイモン(Puttock,Simon)ニュージーランド生まれ。子どものころ、両親とともに世界じゅうを旅してまわる。映写技師、音響技師、歌手、シンガーソングライター、クラブのディスクジョッキーなど、さまざまな職業を経て、書店で9年間勤務後、子どもの本の仕事を始める。日本でも『コーラルの海』(小峰書店)が紹介されているジェイ,アリソン(Jay,Alison)イギリスのイラストレーター。印刷関係のことを学ぶ大学でイラストを専攻し、首席で卒業する。子どもの本の仕事に『エマのお人形(未訳)』、『これ描いて(未訳)』などがある。美しい色彩で描かれた暖かみのある絵が人気を集めている矢川澄子(ヤガワスミコ)1930年東京生まれ。作家、詩人。主な著書に、詩集『ことばの国のアリス』(現代思潮社)、小説『兎とよばれた女』(筑摩書房)『失われた庭』(青土社)、評論集『〈父の娘〉たち』(新潮社)など。子どもの本の翻訳に『しまうまのしゃっくり』(徳間書店)『むぎばたけ』(福音館書店)『トンデモネズミ大活躍』(岩波書店)など多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの7歳の女の子の夢が、100年経ってかなうなんて…。その願いをかなえてくれたのは、お星さまやお月様、そとてお日様など空の仲間達だったなんて…。最近は、色々と心が重くなる出来事が多かったのだけど、この絵本を読んでいたらふっと空を見上げてみたくなりました。そして空を見上げたら、空の仲間たちには雲も雨も雪も霰も色々あることにも気付きました。さらに、空を飛び回っている鳥たちもですね。私は7歳の頃、どんな願いを持っていたのだろうと考えてみたけれど、全く思い浮かばないのが悲しい…。いやいや、7歳の頃の願いは思い出せないけれど、最近の願いは色々あります。願わくば、100歳になった頃にその願いがかないますように。
2021年04月19日
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久々の100冊の絵本シリーズ。なぜ久々かというと、近くの図書館分館がシステム変更などで一か月休館となり、そのシステムによる本の予約が思うようにいかず、(私がよくわからなかったため)しばらく絵本にまで手が回らなかっただけ。さて、今日の絵本は…。「おもいついたらそのときに!」西内ミナミ 作/西巻茅子 画/こぐま社【商品説明】小さな丘の上の小さな家に、おばあさんとねこ、ひとりといっぴきが暮らしています。今日はいい天気。外へ出てみると、おばあさんの育てたチューリップが見事に咲いています。… と、ここまでは普通のおばあさんの普通で素敵な暮らし。「わたしは はなづくりの てんさいだわ」その瞬間、おばあさんの頭の中で何かがピカっと光ります。そして、こう言うのです。「おもいついたら そのときに!」バタバタと動き出すその様子に呆気にとられていると、その間におばあさんはどんどん行動して、実行していきます。それからも、おばあさんのピカッは止まりません。自分のお料理にうっとりした時、自分で作ったドレスの出来上がりにうっとりした時、自分の髪を見事にゆいあげた時…その度にこう言うのです。「おもいついたら そのときに!」その行動力の積み重ねで、何が出来上がったかというと…すごい事になっていますよ。おばあさん、大丈夫!?この勢い、この実行力、この破天荒さ。おばあさんがとにかくかっこいいのです。それは子どもたちの目にだって同じに映るはず。やれば何でもできちゃうって感覚、絵本だからこそ味わえるものですよね。さてさて、おばあさんの「おもいつき」の連続から生まれたのは、なんと小さな町! なんだかとても居心地が良さそうですよね。明るく元気な気持ちになれる1冊です。(絵本ナビ編集長 磯崎園子)いやはや、これこそ絵本で表現できる世界だと感心するばかり。でも、社会や環境を変えていくのは、やはり一人の人間の思い付きを行動に移せるかどうかにかかっている。思いついたことを行動に移す実行力は、若い人だけが持つ能力ではない。いくつになっても思いつけるし、それを実現可能な形で行動に移すことが出来るのは、ひょっとすると年をとってからかもしれない。ただし、その時には若い人と協力し合えるかどうかがカギになるかも。そんなことを考えている私です。私だって、まだ何かできるかも…、と思わせてくれる絵本でした。でも、自分の体力とも相談しなくちゃね。 「おばあちゃんすごい!(ピーマン村のおともだち)」中川ひろたか, 村上康成、童心社【内容紹介】園にやってきたおばあちゃん、子ども達と遊び始めた。けん玉、お手玉、何でも上手! すごい!これも、別の意味ですごいおばあちゃん。こっちのおばあちゃんの方が私に近い気もするが、ひょっとすると遠いかも。こんなに何でもできて、優しくて面白くて、引き出しのいっぱいある玉手箱のようなおばあちゃんに憧れるけれど、うーん、私はどうかなあ。でも、引き出しの中身は違うかもしれないけれど、引き出しがないわけじゃない。この二冊、おばあちゃんに勇気と元気と励ましをプレゼントしてくれます。
2021年03月28日
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先日読んだ「わたしはわたし」の作者、ジャクリーン・ウッドソンの絵本。みんなとちがうきみだけど作: ジャクリーン・ウッドソ 絵: ラファエル・ロペス訳: 都甲 幸治 出版社: 汐文社内容(「BOOK」データベースより)きょうしつにはいると、そこにいるみんながきみとはちがっています。きみのくちからでてくることばが、だれにもわかってもらえないことがあるでしょう。おかあさんがきみにつくってくれたおべんとうがほかのこたちにはめずらしくて、かわったものにみえることがあるでしょう。せかいのそとがわにずっとたったままでいるようにおもうことがあるでしょう。リンドグレーン記念文学賞受賞作家ジャクリーン・ウッドソンがおくる、「みんなとちがう」きみへのあたたかいメッセージ。人はみんな違っている。それは当たり前の事実。それなのに、違っていることでからかわれたりいじめられたり、違いを理解されなかったり…。そんなことでどれほど傷つくことが多いことだろう。それも事実。そのことが「差別」につながるし、社会問題や国際問題にもなってしまうことがある。日本でも最近は色々な国の人が働いているし、学校でも色々な国の友達と席を並べることがあるだろう。子ども時代から色々な国の友達と出会い、様々な考え方や生活習慣があることを感じながら育つのが良いと思っているが、結果として少数派の子ども達がいじめられたり疎外されたりしていることも多いのではないかと思う。同調圧力の強い日本社会では、「ちがい」が目立つ人たちは生きづらくなってしまうことが多い。違いばかり強調されたりすると、共通する部分が見えにくくなってしまうこともある。やはり人というものは、「私と同じだ」と感じた時に親近感を抱き、仲良くなるきっかけにもなることも事実。そんなことをページをめくるたびに考えさせられた。ぜひ、大人にも子どもにも読んでもらいたいと思う。これからは、「100歳までに読みたい100冊の絵本」にこだわらず、読んだ絵本を記録してゆくことにしよう。
2021年01月10日
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「マールとおばあちゃん」 大型本 – 2013/4/1ティヌ モルティール (著), カーティエ ヴェルメール (イラスト), 江国香織(翻訳)内容(「BOOK」データベースより)マールとおばあちゃんは大の仲よし。似た者同士のふたりは心で強く結ばれています。しかしある日、おばあちゃんは倒れて、言葉を失います。まわりの大人たちは、おばあちゃんは別人になったと思いますが、孫娘のマールは、おばあちゃんの目に、くちびるにあらわれる言葉のかけらに、祖母の思いを読みとることができるのです。人の可能性を信じる愛の絵本。著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)モルティール,ティヌ作家。1970年、ベルギー、フランダース地方のワーレゲム市生まれ。ゲント高等教育専門学校で翻訳を学ぶ。マドリード留学やエクアドル滞在を経て、作品を書きはじめる。文筆業と並行し、ベルギー、ロンセ市の職員として、芝居やコンサートの公演を手がけるなど、数々の文化事業にも携わる。3人の子どもと夫とともにアンゼゲム町で暮らしているヴェルメール,カーティエ画家。1981年、ベルギー、フランダース地方のゲント市生まれ。同市の専門学校でグラフィックデザインを学ぶ。在学中からエッチングや木版画、コラージュなどさまざまな技法を駆使した独特のスタイルのイラストレーションを制作。卒業後、フランダース地方のベストイラストレーター賞を受賞。以降絵本を手がけ、その作品は国内外高い評価を得る。『マールとおばあちゃん』は2010年「ロンセ市絵本大賞」でグランプリを獲得江國/香織小説家。1964年、東京生まれ。21歳のときに発表した童話「桃子」でデビュー。以降、小説、詩、絵本、翻訳と活動範囲は多岐にわたる。「409ラドクリフ」でフェミナ賞、『こうばしい日々』で産経児童出版文化賞、坪田譲治文学賞、『きらきらひかる』で紫式部文学賞、『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、『号泣する準備はできていた』で直木賞、『犬とハモニカ』で川端康成文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)ああ~、素敵な絵だなあ。文字がなくても絵の世界で遊べるような絵本。そしてそのストーリーも想像力を次々と刺激してくれるし、その文章も素敵だ。うーん、すべて計算しつくされている緻密な内容にも感じるし、そんなこと関係なく誰の心にもしみこむような絵本。乳児は別として、かなり幼い子供にも読み聞かせられるような気がする。文章がいいなと思い訳者を確認したら、江国香織さんだった。彼女はこんな仕事もしているんだと少し驚く。と思って、今調べたら結構絵本の仕事もしているんだ。それに、児童書も書いていた。知らなかった―。どなたにも、ぜひ読んでほしい絵本です。
2020年12月11日
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おじいちゃん (海外秀作絵本) – 1985/8/1ジョン・バーニンガム (著), 谷川 俊太郎 (翻訳)エミール/クルト・マッシュラー賞(1984年) よくきたね元気かい? おじいちゃんのところに遊びにきたおんなのこ。ふたりのやりとりをやわらかい筆致で描きます。興味深い描き方の絵本だ。見開きページの左側はモノトーン、右側は暖かい色彩で描かれているページが多い。穏やかで温かく、おじいちゃんと孫の優しい会話が続いていく。そして…読み手の想像力が必要な絵本だ。それぞれの想像力や体験、自分の祖父との思い出などが交錯しながら読み進める絵本。幼い子どもには少し理解が難しいかもしれないが、それぞれの年齢に応じて読み手が工夫できるような気もする。
2020年12月08日
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おじいちゃんとテオのすてきな庭 作: アンドリュー・ラースン 絵: アイリーン・ルックスバーカー 訳: みはら いずみ 出版社: あすなろ書房【出版社からの内容紹介】アパートのベランダに庭を作ろう!想像のつばさを広げて、おじいちゃんとテオのふたりが作りあげたとびきりステキな庭とは?カナダの傑作絵本。昨日紹介した絵本は、おばあちゃんと女の子の孫のお話。これはおじいちゃんと男の子の孫のお話。たまたま女同士・男同士だけれど、この二冊の絵本では孫はどちらの性でもよいだろう。それとも、作者は同性同士にしたことに意図があったのだろうか。祖父母と孫が、何か共同作業をしながら色々なお話をすることは、とても良いことだと思っている。テオのおじいちゃんは、お庭のある家から庭のないアパートに引っ越す。ほとんどの人は、ベランダで花を育てて楽しむけれど、このおじいちゃんはすてきなことを思いついてくれた。ベランダに大きなキャンパスを立てて、そこで素敵なお庭造りをするのだ。絵本をめくりながら、「ああ、この手があったか!」と私もワクワクする思いだった。二人で植える花やそれが咲く季節などを考えながら、まず土づくりから。どんどん空想の翼は広がってゆくし、花だけではなく他の植物や小鳥やミミズまで。その途中でおじいちゃんは旅に出ることになり、テオはお庭を育てるのを任せられる。これは責任重大だし、テオは張り切ってその続きを描き続ける。こんな遊びができるおじいちゃん、素晴らしいなあ。庭づくりをしながら、季節季節の花たちや木々の変化を知ることもできるし、キャンパスなんだから季節ごとに花を植え替えるのも自由自在だ。私の孫はもうそんな年ごろではないけれど、ひょっとするとひ孫とこんな遊びができるかもしれない。ところで、ちょっと気になってしまったのは、このおじいちゃんは旅から帰ってくるんだろうかということ。そんなところにも、読み手の想像力を刺激する仕掛けがありました。
2020年11月22日
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「おばあちゃんがいったのよ」ジル・ペイトン ウォルシュ (著), ソフィー ウィリアムズ (イラスト),遠藤 育枝 (翻訳)内容(「MARC」データベースより)おばあちゃんが、お泊まりに来た時言ったの。世界中のいたる所の山や谷や海や街や庭で見た、月あかりも星あかりも忘れはしないけど、あなたほど、かけがえのないものはどこにも居ないって。おばあちゃん、だーいすき。登場するおばあちゃんは何者?冒険家? 旅行作家? 探検家?ともかく、世界中を飛び回っている活動的なおばあちゃん。幼い孫にとっては、尊敬する偉大なおばあちゃんのはず。そのおばあゃんが旅から帰ると、世界の様々な動物たちとの出会いの驚きや感動をお話してくれる。そして必ず言う言葉は、「でも、あなたほど〇〇ではなかったわ」。「あなたほどかけがえのないものは、どこにもいない」と。見たことのない様々な動物や冒険のお話を、孫はどんなにワクワクしながら聞いていたことでしょう。おばあちゃんってすごいなーといつも思ったことでしょう。そんなおはあちゃんにいつも、「世界中のどこにも、あなたほどかけがえのない子はいないわ」って言われた子は、どんなに嬉しく自分を大切な存在だと感じることが出来たでしょう。そして、その喜びとおばあちゃんへの愛と尊敬をこめて、「おばあちゃんが だーいすき」と答えるという日々。そのような育ちをした子はきっと、好奇心にあふれ、自分も他人も大好きな人間に育つでしょう。祖父母の仕事って、こんなことなのだろうなと思いながら読んだ絵本です。そういえば、私の女の子の孫も幼いころ、(私から見たら)突然のように「おばあちゃん、だーいすき」としがみついてくれたことがあります。どんな場面だったのかはよくわからないのですが、私も当たり前のように、「おばあちゃんも、〇〇ちゃんがだーいすきだよ」と答えながら、本当に幸せな気持ちになったことを思い出します。高校三年生になってしまった今は、もう抱きついても「大好き」ともいってくれないし、そんな時間が幼い頃にあったことも忘れているでしょう。でもきっと、孫の心の必須ビタミンのように生き残っているんじゃないかと思っています。たしか、「だーいすき」でブログを書いたような気がすると探したら、ありました。「だ~い好き!」あの頃が懐かしいなー。それにしても、よくこのブログも続いているものだ。
2020年11月21日
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借りていたのに書く時間がなく、もう返却しなくてはならない絵本。二冊とも、とても良い絵本です。「くろうまブランキ―」伊東 三郎 再話 / 堀内 誠一 画 福音館書店黒馬のブランキーは、主人の家をつくるために一生懸命働いても、小屋も作ってもらえません。やがて年とったブランキーは、主人に力いっぱいたたかれて、道に倒れてしまいます。その晩、サンタクロースが天からおりてきて、しずかにその首をなでると……。フランスのフレネ学校の共同創作を原作とした、静かなクリスマス絵本。絵本作家堀内誠一の第一作です。「ずーっとずーっとだいすきだよ」ハンス・ウィルヘルム/作 久山太市/訳 評論社ぼくはエルフィーをわすれない。世界一すてきな犬だったんだ。エルフィーとぼくは、いっしょに大きくなった。ぼくの背がのびるにつれ、エルフィーはだんだん年をとり、そしてある朝、死んでいた。深い悲しみの中でも、ぼくには、ひとつ、なぐさめがあった。それは…。
2020年10月23日
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100冊の絵本もやっと四分の一が読み終わったところだ。最初は、もっと丁寧に感想などを書こうと思っていたのだが、次第に簡略化されてしまっている。まあ、私の備忘録だからそれでいいとしよう。(自分に甘い私)「おばあちゃんの時計」作: ジェラルディン・マッコーリーン 絵: スティーブン・ランバート訳: まつかわ まゆみ 出版社: 評論社 おばあちゃんちには、こわれたふりこ時計しかない。でも、おばあちゃんは、時計ならいっぱいあるよっていう。その時計って…? すぎてゆく秒や分や時間、かさなる週、月、年…。時計の中になんかおさまりきれない、ゆたかな“時”のすばらしさを伝える、美しくさわやかな絵本。現代人は時間に追われて過ごしていることが多い。特に若い人はそうだろうし、もう若くはない私だって「時間を無駄にしたくない」という気持ちがどこかにへばりついている。さらに、最近はコロナのために様々な制約が私たちの周りに満ちているので、とても息苦しくて未来への不安も募る。そんな気分の時には、この絵本はお薦めだと思う。毎日太陽が昇り、新しい一日が始まり、季節の移ろいや天気の変化の中で生活している日々には、一日だって同じ日はない。月は満ち、そして欠け、春が来て夏が来て、やがて秋になり冬が来る。そんな時間の繰り返しがどれほどにありがたいことか、「復活の日」を読んだばかりの私には、しみじみと感謝の気持ちが湧いてくる。このように、自分の感覚を大切にして時の流れを感じて暮らすことは、どんな状況になっても可能なことのように思う。私もこのおばあちゃんのように、ゆったりと穏やかな時間を孫に伝えられるようになれますように。この絵本の言葉も絵も、そのような気持ちにさせてくれるのだと思う。
2020年09月23日
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「ジオジオのかんむり」岸田 衿子 作 / 中谷 千代子 絵ジオジオはライオンの中でも一番強かった王さまで、立派なかんむりをかぶっています。でも、ひとりぼっちでした。そこへ、卵をすべて失った小鳥がやってきました。嘆く小鳥にジオジオは語りかけます。「たまごをうみたいなら、いいところがあるぞ」。それはなんとジオジオのかんむりの中。ここなら安心、たまごは無事かえり小鳥たちは元気にジオジオのまわりを飛び回ります。年老いたライオンと小鳥との心の交流を優しいタッチで描きます。この絵本は、子ども達が幼い頃によく読んだ記憶がある。その頃の私は、絵本を味わいながら子どもたちと楽しむというよりも、寝る前の日課として「早く寝てほしい」と思いながら読んでいたような気がする。そのせいか、絵本を読んだ記憶はあるけれど、それに関する思い出もないし、その時に子どもたちがどのような反応をしていたのかも覚えていない。今思えば、なんだかもったいない子育てをしていたと残念な気持ちになるが、あの頃は私も必死だったので仕方がない。忙しい中でも、絵本やお話を日課にしていたということで、頑張っていたとわが身を慰めよう。さて、今読み直してみたら、なかなか味わい深い絵本である。若い頃は強くて動物たちに畏れられていたジオジオは、老いと共に動物たちを追いかけることもつまらなくなる。(私も、若い頃には仕事をしたくてならなかったけれど、今はそんな気が起きないなあ)のんびりした時間を過ごすようになると、周囲の小鳥たちの様子にも目が留まるようになり、彼らの手助けをしたいと思うようになる。そして、自分の冠を小鳥の巣にして安心して卵が孵り子育てをしている様子に、幸せな気持ちになってくる。老いることは、かつて持っていた能力が衰えることではあるが、かつての経験やそれによる周囲の評価は続くものもあるので、それを生かして生きることが出来ると、この絵本は教えてくれるようだ。年老いたものの役目は、子どもや孫の世代を応援したり手助けすることだと誰かが書いていたのを読んだことがある。私も同じ思いだったので、自信を持って応援できることはしようと心がけている。子どもが幼い頃は、親は手助けを我慢して見守る方が良いと思うが、子どもが成長して子育て期に入ったら、必要な助け船は出そうと思ってきた。しかしそれも、子どもがSОSのサインを出した時にしようと、自分なりのブレーキはかけてきた。だが現在は、手助けと言ってもたかが知れている。手伝うつもりが足手まといになるかもしれないし、余計なお世話になるかもしれない。そのあたりがなかなか難しいなと思っていたのだが、ジオジオのように自然体で若い人たちと協力関係が作れたら、どんなに幸せなことだろう。さて、こんなことを感じてしまう私は、もしも幼い子に読み聞かせるとしたら、どんな感じになるんだろうか。
2020年09月20日
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100冊の絵本で、ブログに書こうと思って借りてきたのに、期日になってしまった。とにかくメモだけ書いておこう。「すんだことはすんだこと」ワンダ・ガアグ 再話・絵 / 佐々木 マキ 訳【内容】畑仕事に疲れたフリッツルさんは家事をやってみたくなり、おかみさんと仕事をとりかえるのですが……。ガアグが幼いとき祖母から聞いた昔話を、心をこめて描き、語っています。性別での仕事が当然の価値観の中で、互いの仕事をとりかえっこしてみたら…。これは現代にも通じる面白さがあるように思う。痛快なのは、失敗ばかりしているのは親父さんで、おかみさんはちゃんとできるってこと。でも、きっと、おかみさんだって大変だっただろうが、それを意地で口にしないだけじゃないかな、なんて思ったりして。失敗を「すんだことはすんだこと」と笑い飛ばす旦那さんを責めないおかみさんは偉い!私なら一言言わずにいられないし、失敗を繰り返すような旦那を笑ってられないな。「にんじんケーキ」作・絵: ノニー・ホグローギアン、訳: 乾 侑美子、出版社: 評論社出版社からの紹介にひきのうさぎがけっこんしたとき、これほどにあいのふうふは、国中さがしてもみつからないといわれた。夢のような日々がつづいた。でも…。けんかをしたり、なかなおりしたり、しんまいのうさぎのふうふの、ほのぼのとしたお話。これは、読みながら思わず笑ってしまった。その後で、いやいやこれはなかなか深い絵本だと感心した。これも、結婚したことのある男女なら、色々と思い浮かべて笑ったり考え込んでしまったりするのではないか。子どもに読む時は、どんなふうに読んだらよいのか、相手の子どもによっていろいろ工夫が必要かも。
2020年09月02日
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「ごきげんなライオンのおくさんがんばる」前回紹介した「ごきげんなライオン おくさんにんきものになる」が、最初に日本に紹介された時の絵本。清水 真砂子さんの翻訳である。もとの絵本は同じなのだが、題名から違う。「おくさんがんばる」から「おくさんにんきものになる」になっている。「にんきものになる」の絵本は手元にないので、細かく比較することはできないのだが、やはり印象は違うと感じる。だんなさんがいなくなって、たてがみのない奥さんライオンだけになったら、見物の人が来なくなったことを面白がっている。そして、「人間ってへんなどうぶつだこと」と思い、ちょっとからかってみようという気持ちと、人間へのサービス精神で木や花でたてがみのように飾るのだ。そこには、「動物園のライオン」という仕事というか役目を果たすためにがんばるという意識も感じる。人間のジェンダー意識を面白がるようなところが感じられるのがいい。私は、こちらの訳の方がいいと思うんだけど。
2020年08月06日
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「ごきげんなライオン おくさんにんきものになる」文: ルイーズ・ファティオ絵: ロジャー・デュボアザン訳: 今江祥智&遠藤育枝BL出版 【出版社からの内容紹介】心やさしいライオンくんの成長と友情を描いた人気シリーズ最終巻。ある日、ライオンくんはけがをして、びょういんにはこばれてしまいました。ひとりのこされたおくさんライオンは、ライオンくんのかわりに、おきゃくさんをたのしませようとがんばります。どうぶつえんのなかまたちといっしょに、草花でたてがみをつくり、すてきなオスのライオンにだいへんしん!いちやくにんきものになったおくさんですが……。ライオンふさいの絆をあたたかくユーモラスに描いたお話です。デュボアザン夫妻、さいごの共作。「ごきげんなライオン」のシリーズは、好きな絵本が多い。この絵本で描かれているライオンは、「百獣の王」といわれるような強くて偉そうなライオンではない。心優しくてのんびりしていて、ちょっとまぬけで…、今までにも図書館で何冊か手に取って読んだ印象はそんな感じだった。今回、「100歳までに読みたい100冊の絵本」にも紹介されていたので、きっと良い絵本だろうと期待して借りてきた。しかし…この絵本は、ごきげんなライオンの奥さんが主人公だ。ケガをしてライオンが入院した後、お客さん達はおくさんには見向きもしない。立派なたてがみがない奥さんライオンは、お客さんもライオンとは思わないようだ。そこでおくさんは、あたりにある草花や木を顔の周りに飾り立て、華やかなたてがみのようにして、みんなの人気者になるというストーリー。おくさんライオンのお客さんへのサービス精神だとは思っても、私は雄ライオンの真似をして喜ぶような態度には少し違和感があった。ストーリーとしては面白いけど、どうもジェンダー肯定のようでひっかかる。どうしてこの絵本が、読みたい絵本になるのだ?と思って、ガイド本を改めて読んで少し納得。この絵本は、最初は「ごきげんなライオンのおくさんがんばる」として清水 真砂子さんの訳で出版されていたそうです。そのあたりの違いについて、本の中で書かれているページをスキャンして添付します。この説明を読んで、納得した。やはり翻訳は、その人や編集者の考え方によって印象が違うものになるのですね。今は絶版になっているという清水訳の「ごきげんなライオンのおくさんがんばる」を読んでみたいと思った。図書館でリクエストしてみよう。
2020年07月22日
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この絵本を借りてきていながら、ズルズルとブログアップしなかった。期限が近いので、今日こそ書こう。「つるにょうぼう」矢川 澄子 (再話), 赤羽 末吉 (画)【出版社からのコメント】幻想的な美しさにあふれる鶴女房のお話の決定版。若者と鶴との哀しい物語が、数ある再話を凌駕する洗練された文章と目もあやな画面ですばらしい絵本になりました。一般的に「鶴の恩返し」としての物語の一つのバージョンという絵本。この昔話を「夕鶴」として舞台化したものは、結構有名。この本を読んでいて思い出したのが、中学時代の文化祭で演じられた「夕鶴」。学年発表だったのかクラス発表だったのかは定かではないが、主演した二人は別のクラスだったから、ひょっとすると演劇教育(?)に熱心だったS先生のクラス発表だったのかも。文化祭の思い出で、自分が関わらなかったもので印象に残っているのはこの舞台だけだ。私は体育館の一番後ろで見ていたような気がするが、その時初めて「演劇」というものを見たし、それを同じ年の友人たちが演じていることや、その感情込めた演技にとても感動した記憶がある。さてこの絵本の感想。まず印象に残るのは赤羽末吉の絵の素晴らしさだ。物語の内容やことばと絵が、想像の世界をさらに豊かにしてくれる。これは、絵(というよりそれぞれが一枚の日本画)を見ながらでなくては絵本の価値が半減する。赤木末吉は本当に沢山の絵本を手掛けているが、手に取って読んだ絵本もあるけれど、まだ見ていない絵本も多い。この原画はどこにあるのだろうと思ったら、「ちひろ美術館」に全部寄贈していたとか。この美術館には日本と世界の絵本原画27,200点が収蔵されているという。機会があったら、一度行ってみたいと思う。さてそのお話の内容だ。鶴と人間の結婚だから、「異類婚姻譚」といわれるジャンルで、このような話は世界各国に沢山あるらしい。どうしてそのような話が出来上がるのかの起源は別として、どうもこのような話では日本の男は情けないことが多いような気がする。「つるにょうぼう」も、どんどんお金への欲にとらわれ、ついに「見ない」と約束したのに見てしまうなんて、情けないとしかいいようがない。あるいは、異界からの無理難題に男どもが人身御供として女性を提供したりなど、女性から見たら理不尽な話が多いような気がする。でも、この「つるにょうぼう」では、この鶴は優しく助けてくれたよ平に本当に心惹かれて恩返しをしたいと思ったのだろうし、お金に目がくらんで無理を強いる彼を悲しいとは思いながらも、やはりその願いをかなえてあげたいと思ったのだろう。そこには、「自分の身はどうなっても願いをかなえてあげたい」という無私の愛があったのだと思う。約束を破って自分の姿を見てしまったよ平から去ることも、彼への怒りで見捨てるというよりは、多分命が尽きることが近い自分を見せないようにという、もう一つの愛の形かもしれない。なんて、鶴の「愛」を感じてしまうのは、やはり赤羽末吉の絵がそう感じさせるのかもしれない。
2020年07月06日
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久しぶりに読んだ絵本。とにかく図書館が開いていないので、絵本を借りることが出来なかったのだ。これは、予約して受け取ることだけはできるようになったので借りた絵本。ねずみ女房 (世界傑作童話シリーズ) (日本語) 単行本 – 1977/3/20 ルーマー・ゴッデン (著), ウィリアム・ペン・デュボア (イラスト), 石井 桃子 (翻訳)平凡に暮らしていたネズミが、ある日、捕えられているハトが野にあこがれる様に強く心打たれ、渾身の力で、かごの戸を開けてやります……。美しい魂の輝きが伝わってくる珠玉の名編。《出版社からのコメント》これこそ、生涯に何度もくり返して読むべき本です。友情と自己犠牲の美しさ、とも読めるでしょう。女性の生き方を汲み取ることも可能でしょう。冒険に飛びたつことと、守るべき世界にとどまること。振り捨てることと受け入れること……。だれもが自分に重ねて何かを感じ取ることのできる、深い物語です。 確かに、この絵本はある程度の年齢になり、結婚・子育て・育児をしたことのある女性なら、それぞれ自分の体験や思いと重ね合わせて読むことができる絵本だと思う。ザーッと一読した時、私はあまり面白いとは感じなかった。というより、女性の生き方の一つのモデルを押し付けられているような感じすら受けて、この絵本を子どもにどう読ませたいのかと思ってしまった。しかし、「いや、読み流しただけではわからなかったものがあるはず」と、何日か後にまた読み直してみた。すると、ねずみとハトとの関係や友情、その出会いでねずみの中に生まれてきた新しい世界の見え方、それを内面化して当たり前と思い淡々と流されていたような日常を自分の意志で選択して生きる生き方への変化。これはなかなかに深い物語だと思った。今、これを書きながら思い出す言葉がある。渡辺和子さんの「おかれた場所で咲きなさい」。この言葉は、特に家族のためのはたらきに終始しているような主婦には、心に響く言葉だろうと思うし、私自身その言葉をつぶやきながら暮らしていることもある。しかし、「置かれた場所」があまりも過酷な場合は、咲こうにも咲けずに枯れることだってある。だからそんな時には、勇気を出して別の場所に移動することも大事。そのためには、この絵本のねずみにとってのハトのように、異なる世界を語ってくれる友が大切。うーん、書き始めたら色々な思いが浮かぶので、やはりこの絵本は良い絵本なのだろう。
2020年06月01日
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下記の記事を知りました。 五味太郎さん「コロナ前は安定してた?」不安定との向き合い方「色んなことの本質が露呈されちゃってる」 新型コロナウイルスで社会も大人も「不安定」が渦巻く今、子どもたちにメッセージを届けたいと思って、絵本作家の五味太郎さん(74)にたずねたら、「そもそも、コロナ前は居心地がよかった?」と逆質問されました。400冊以上の絵本を出して世界で愛されている五味さんは、子どもを対等に見て、愛を込めて「ガキ」と呼びます。「ガキたち、これはチャンスだぞ」。子どもも大人も一緒に「不安定」との向き合い方を考える、五味さんのメッセージを2回に分けてお届けします。(以下略) 五味太郎さん、不自由さへの直言「自由なんてのは存在しない」「自由なんて、あると思うから意識しちゃう」新型コロナウイルスで休校がさらに延長される判断も相次ぎ、多くの子どもや親が振り回されるなか、不安定な社会にどう向き合えばいいのでしょうか。絵本作家の五味太郎さん(74)に聞くと、これは、むしろ「学校化社会」を問い直すきっかけになる、と言います。五味さんの話の後編は「お風呂が熱い」と言う子どもに我慢させるか否かという比喩から展開していきました。子育て、そして仕事に、「不自由が前提」と話す五味さんのヒントが満載です。(以下略) 五味太郎さんの絵本は、誰でも一度は手に取ったことがあるでしょう。絵本の紹介では取り上げてはいませんでしたが、大好きな作家さんです。この記事は、ぜひ、多くの人たちに読んでいただきたいと思います。ヨシタケシンスケさんもそうでしたが、絵本作家の人の視点は、その読者である子どもや保護者たちの視点にたっているので、とても心に響くし素敵なメッセージが多いと感じます。
2020年04月27日
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「ソリちゃんのチュソク」 イ・オクベ絵と文、みせ けい訳《商品説明》 旧暦8月15日のチュソク(秋夕)近くになると、韓国の町は里帰りの準備をする町人でにぎやかだ。ソリちゃん一家も、チュソクのお休みには、町を出発。ハルモニ(おばあちゃん)の家へ出かけ、お墓参りをするのだ。 ふるさとへ向かう道路は渋滞だけれど、車の窓には人々の陽気な顔がのぞき、車道の路肩ではアイスやカップめんを売ってる人がいる。各ページいっぱいに描かれた表情豊かなたくさんの人たちをひとりひとり眺めながら、「ソリちゃんはどこ?」と、かわいいチョゴリ姿のソリちゃんを思わず探してしまう。 そして、たどり着いたハルモニの家では、親戚みんなでごちそうを囲み、村では祭囃子(まつりばやし)が鳴り響く。絵本から、チュソクを楽しむソリちゃんの笑い声と韓国の人や自然、はたまた料理のにおいが届いてきそうだ。日本の子どもも大人も、この本を読んだらきっと、韓国の暮らしぶりを身近に感じるはず。 著者のイ・オクベは、『せかいいちつよいおんどり』で1997年BIBC(ブラティスラバ国際イラストレーションビエンナーレ)に選ばれた絵本作家。本書では、著者の持ち味である繊細に描写された街並みや風景のイラストをたっぷり味わってほしい。(分須朗子) 《内容(「BOOK」データベースより)》チュソク(秋夕)は、旧暦の8月15日、だいたい9月の中旬の収穫のはじまる時期にあります。正月とならぶ韓国の大きな行事で、3日間休みとなります。チュソクの前日の夕方には、お月さまをみながら新米でソンピョン(松餅)をつくり、チュソクの当日には秋の収穫のよろこびを先祖に感謝してから町じゅうでお祭りがはじまります。都市に住んでいる多くの人が故郷に帰るので、この絵本をみると高速道路がとても混んだり、まるで日本のお盆とそっくりと思うのではないでしょうか?日本のみなさんが本書を開いてみることで、韓国の風習や文化をより身近に感じるのではないかと思います。日本とは昔から色々な意味でつながりの深い韓国。在日の方たちも結構身近にいるはずなのだけど、韓国の文化についてはほとんど知らないことに気付く。「チュソク」は日本のお盆のようなものらしいが、中国の「春節」についてはよく聞くけれど、「チュソク」についてはこの絵本でこの年になって知ることになった。絵本を開くと、細やかに韓国の街並みや生活感が描かれていて、きっとこの情景は作者が子ども時代のことを思い出して描いたんだろうなと想像する。作者は私よりも10歳ほど若いのだが、ここに描かれていることは私が幼い頃のお盆の思い出と重なることが多い。韓国のことなのだが、なんだか懐かしい感じがする。今の韓国のチュソクはどのような感じなのだろう。日本では、結構律義に「お盆に里帰り」をしたり、お墓参りをする習慣が残っているが、韓国でも同様なのだろうか。と思って、ネット検索したらこれを見つけた。やはり日本と同様か、ひょっとするとそれ以上かも。同じ文化圏の民族なのだなと、あらためて思う。私にとっては近くて遠い国韓国。なぜかわからないのだが、今まであまり韓国に行きたいと思ったことはなかった。韓流ドラマも、ブームの火付け役となった「冬のソナタ」で挫折して、それ以後見ようと思わずに今まで過ぎた。友人には韓流ドラマが好きな人もいるし、BSテレビではいつも何か放送しているから、根強いファンがいるのだろう。ただ、ドラマは一度見たら続きを見たくなるので、私は敬遠してしまう傾向がある。というわけで、「韓国」についての理解はほとんどできないままの私なので、この絵本は興味深いものがあった。それにしても、欧米の絵本は図書館の絵本コーナーでも結構見かけるのだが、韓国のものは少ないような気がするのは、今まで関心を抱いていなかったせいだろうか。
2020年04月11日
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やっと図書館から絵本を借りることが出来るようになったので、絵本シリーズを再開。図書館の休館が続いたことで、自分が図書館にとても依存した生活をしていることを再認識したいる。「おじいちゃんとおばあちゃん」作: E・H・ミナリック/絵: モーリス・センダック/訳: 松岡 享子出版社: 福音館書店《出版社からの内容紹介》くまくんは森のおじいさんぐま、おばあさんぐまの小さなおうちを訪ねるのが大好きです。おじいさんと遊んでおばあさんにお話をしてもらって……。暖かく優しい世界が広がるお話です。この絵本は、読み聞かせるなら幼稚園の頃からだろう。結構文字が多く、読むのにも時間がかかるだろう。でも、内容はおじいちゃんやおばあちゃんと接する機会の多い子どもにはとても馴染みやすく、かつ「くまくん」がとても可愛いので、自分自身と重ね合わせることもできやすいように思う。この絵本を読みながら私が思い出を重ねていたのは、やはりわが子が幼い頃のことや、孫たちが幼い頃のことであった。年を重ねてからの絵本は、過去の思い出を懐かしむきっかけとなる。そして、子育てに関わったことのある人にとっては、幼子と共に笑ったり遊んだりした時間が、どれほど幸せな時間であったかを感謝する時間にもなるだろう。私は、小さい頃に沢山の人に「可愛いね」「いい子だね」と愛されることが、その子の自己肯定感の土台になると信じている。この絵本の中のくまくんも、おじいさんやおばあさんに愛されるていることを、ことあるごとに感じながら暮らしている。そして、くまくんのお母さんもまた、幼い頃におじいさんやおばあさんに愛されて、とても優しい子どもだったことを知るし、その証しとしての「こまどり」から、自由に飛ぶことの大切さを世代を超えて学んでいる。この絵本には、二つの物語が挿入されていて、つまり三つの物語が重なり合って、子どもにとって大切なことや、祖父母の役割や喜びが表現されていて素敵な絵本だと思う。そういえば先日、高校生と大学生の孫と話す機会があった。二人とも我が家に来た時は絵本を一緒に読む機会が多かったのだが、高校生の女の孫がこう言った。「おじいちゃんが絵本を読んでくれたらね、なんだか内容が頭に入らなかったよ」と。え、どうしてなのかと理由を聞くと、「おじいちゃんは面白いことを言って笑わせようとするから、すぐに別のことで笑っちゃうんだよ」と笑う。うん、確かに夫はサービス精神旺盛に読むきらいがあり、そうだったかもしれない。「ねえ、おばあちゃんはどうだった?」と聞くと、「うーん、読んでもらったことは覚えているけど…」と強い印象はないらしい。少し寂しいような気もしたが、それは絵本の世界に入っていたということかもしれないと自分を慰める。「おばあちゃんのことで覚えているのはね、一緒にお話を作ったこと。交代でお話を書いたことあったでしょ」という。ああ、そうだった。孫がお泊りに来た時、この女の子の孫は一人遊びはあまり好きではなくて、「一緒にあそぼう!」とねだる子だった。家事で手を離せない時にはちょっと面倒くさくなって、幼稚園の頃から文字を書くようになったこの子に、「交代でお話を書こう」と提案とした。ノートに、まず最初に私が「こいぬのシロくんは おそとであそぶのがだいすきでした。あるひ、とてもおてんきがよいので、げんかんがあいていたときに、おそとにひとりででていきました」などと書いて、その続きを孫に書かせるという遊びだった。この遊びに孫は夢中になり、一時期それにはまってしまったことがある。私は「時間稼ぎ」のつもりで始めたのだが、夢中になった子どもは恐ろしいものがある。あっという間に続きを書いて、「はい、おばあちゃんの番だよ」と持ってくる。孫に読めるようにひらがなだけで書くことも、続きのお話を考えるのも、私にとっては予想以上に大変だった。「ほんとうにびっくりしたよ。結局、ちっとも時間稼ぎにはならなくて、かえって手間がかかるようになってしまったよ」と笑いあった。孫たちの思い出の中に、私も夫もしっかり存在していることを知ることは、とても嬉しいことだった。
2020年04月07日
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「おばあちゃんとおじいちゃんの家にいくときは」【内容情報】(「BOOK」データベースより)ひとりの女の子が、あかちゃんといっしょにおばあちゃんとおじいちゃんの家にむかいます。あかちゃんにとっては、はじめての旅行です。女の子は、あかちゃんに思い出をいっぱいお話します。冬、おじいちゃんといっしょに雪のおうちをつくったこと。春、雨ふりの間、おじいちゃんの手品を見たこと。夏、おばあちゃんといっしょにかくれんぼをしたこと。秋、おばあちゃんとかぼちゃをくりぬいこと。でも、おじいちゃんの家につくまで車にのっているのはとってもたいへんです。本やゲームをどっさりもって、お歌をいっぱい歌わなくちゃ。車にのってる時間は長いけれど、だいじょうぶ。おじいちゃんとおばあちゃんの家につくまでのどきどきわくわくは、とってもすてき。祖父母の家に行くことをとても楽しみにできる子は、心も健やかに成長するのではないかと思っている。幼い子がワクワクするということは、それまでの子どもながらの経験から、きっと楽しいことが待っているという確信と期待がある。そしてきっと、待っている祖父母もまた、「孫が来たらどんな風に楽しませよう」と思っている。孫が楽しそうな笑顔を見せてくれることが、祖父母にとっての何よりの幸せなのだから。私の幼い頃は、母方の実家がおじいちゃんとおばあちゃんの家だった。車なら20分もかからずにに行ける距離だが、私の幼い頃には自家用車はなかった。はっきり覚えていないが、お盆とお正月、ひょっとするとお祭りの時などに、馬車などで行ったのではなかろうか。昨年の朝ドラの「なつぞら」の時代である。母は8人姉妹の末っ子だから、そんな時には沢山のおばさん達と配偶者であるおじさんたち、そしてもっと沢山の従兄姉(いとこ)やはと子たちが集まっていた。私達は末っ子の子どもだから、いとこたちはみんな年長で、広い家(当時の農家の家はいくつも部屋があり迷子になるくらい広く薄暗かった)のあちこちで、いくつものグループを作って楽しそうに遊んだりおしゃべりしていた。しかし私たち姉妹は、同世代の子どもがいなかったため、三人で隅っこにいることが多かった。少し年上の従姉妹が私たちの遊び相手になってくれもしたけれど、とにかく年に数回会うだけだし、大勢の中で楽しめるタイプではない私は、その時間はあまり楽しいものではなかった。だから、残念ながら私には、ワクワクしながらおばあちゃんの家に行くという経験はない。それでも、その当時はすでに80歳くらいになっていただろう祖母は、私たちにお菓子を持ってきてくれたり、お正月には「みんなに内緒だよ」と言って、こっそりとお年玉を手の中に握らせてくれたりした。母の姉妹たちにとっては甥姪が多すぎたので、お互いにお年玉のやりとりはしておらず、祖父母からのお年玉も基本的にはなかったのだ。それでも、可愛い末っ子(母のこと)の子である私たちが、祖母は可愛かったのだろう。そんなちょっとした特別扱いが、私にはとても嬉しい思い出になっている。さて、私が祖母になってからの思い出を書いておこう。長男夫婦は、最初は自動車で1時間半くらいかかる町に住んでいた。このブログにも(「家族」のカテゴリー)、その当時からの出来事を時々書いているが、私達は何かにつけて孫に会いに行ったし、息子達もまた何かにつけて我が家にお泊りに来てくれた。幼い孫たちは、いつも私たちと会うことをとても喜んでくれて、その日は朝から「いつ来るのー」と待ち焦がれていてくれたようだ。到着して玄関を開けると、子犬のように歓声を上げて飛び出してきて、ピョンピョンと跳ね回っていた姿が思い出される。こちらに来るときも、車の中で「まだ着かないのー?」と何度も聞いていたとか。だからきっと、孫たちにこの絵本を見せたなら、そんな話をしてくれるんじゃないかと思う。そんな思い出を共有できる祖父母と孫は幸せだと思うし、願わくばどの子にもそのような思い出作りをしてあげてほしいと願っている。自分が愛されていた実感のある思い出を持つ子は、きっと自分が愛される存在だと信じられるはずだ。その自己肯定感は、他の人を素直に大切な存在だと思えることにつながるのではないだろうか。しかし、今はそのような体験が少ないまま成長する場合も多い。だからこそ、私たちはできるだけ子どもたちに出会い、「あなたは可愛いよ。素敵だよ」と声をかけていくことが大切なのではないかと思っている。公園や保育園の子ども達の声がうるさいとか、運動会の時期になると学校に「音や歓声がうるさい」と文句を言うなんて、大人とは言えないだろう。特に高齢者がそんな文句を言うなんて聞くと、「貴方は長く生きてきてもガキのままですね」と腹が立つ。いやいや、そんないい方したら子どもに失礼ですね。
2020年03月20日
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